第四十六帖 椎本


46 SIWIGAMOTO (Ohoshima-bon)


薫君の宰相中将時代
二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from February at the age of 23 to summer at the age of 24

2
第二章 薫の物語 秋、八の宮死去す


2  Tale of Kaoru  Hachi-no-miya died in fall

2.1
第一段 秋、薫、中納言に昇進し、宇治を訪問


2-1  At fall Kaoru is promoted to Chunagon and visits to Uji

2.1.1  宰相中将、その秋、中納言になりたまひぬ。いとど匂ひまさりたまふ。世のいとなみに添へても、思すこと多かり。 いかなることと、いぶせく思ひわたりし年ごろよりも、心苦しうて過ぎたまひにけむいにしへざまの思ひやらるるに、罪軽くなりたまふばかり、行ひもせまほしくなむ。かの老い人をば あはれなるものに思ひおきて、いちじるきさまならず、とかく紛らはしつつ、心寄せ訪らひたまふ。
 宰相中将は、その年の秋に、中納言におなりになった。ますますご立派におなりになる。公務が多忙になるにつけても、お悩みになることが多かった。どのような事かと、気がかりに思い続けてきた往年よりも、おいたわしくお亡くなりになったという故人の様子が思いやられるので、罪障が軽くおなりになる程の、勤行もしたく思う。あの老女をもお気の毒な人とお思いになって、目立ってではなく、何かと紛らわし紛らわししては、好意を寄せお見舞いなさる。
 源宰相中将はその秋中納言になった。いよいよはなやかな高官になったわけであるが、心には物思いが絶えずあった。自身の出生した初めの因縁に疑いを持っていたころよりも、真相を知った時に始まった過去の肉親に対する愛と同情とともに、かの世でしているであろう罪についての苦闘を思いやることが重苦しい負担に覚えられ、その父の罪の軽くなるほどにも自身で仏勤めがしたいと願われるのであった。あの話をした老女に好意を持ち、人目を紛らすだけの用意をして常に物質の保護を怠らぬようになった。
  Saisyau-no-Tiuzyau, sono aki, Tiunagon ni nari tamahi nu. Itodo nihohi masari tamahu. Yo no itonami ni sohe te mo, obosu koto ohokari. Ika naru koto to, ibuseku omohi watari si tosigoro yori mo, kokorogurusiu te sugi tamahi ni kem inisihezama no omohiyara ruru ni, tumi karoku nari tamahu bakari, okonahi mo se mahosiku nam. Kano oyibito wo ba ahare naru mono ni omohioki te, itiziruki sama nara zu, tokaku magirahasi tutu, kokoroyose toburahi tamahu.
2.1.2  宇治に参うでで久しうなりにけるを、思ひ出でて参りたまへり。 七月ばかりになりにけり。都にはまだ入りたたぬ秋のけしきを、 音羽の山近く、風の音も いと冷やかに、槙の山辺もわづかに色づきて、なほ尋ね来たるに、をかしうめづらしうおぼゆるを、 宮はまいて、例よりも待ち喜びきこえたまひて、このたびは、心細げなる物語、いと多く申したまふ。
 宇治に参らず久しくなってしまったのを、思い出してご訪問なさった。七月ごろになってしまったのだ。都ではまだ訪れない秋の気配を、音羽山近くの、風の音もたいそう冷やかで、槙の山辺もわずかに色づき初めて、やはり山路に入ると、趣深く珍しく思われるが、宮はそれ以上に、いつもよりお待ち喜び申し上げなさって、今回は、心細そうな話を、たいそう多く申し上げなさる。
 中納言はしばらく宇治の宮をおたずねせずにいたことを急に思い出して出かけた。まちの中にはまだはいって来ぬ秋であったが、音羽山が近くなったころから風の音も冷ややかに吹くようになり、まきの尾山の木の葉も少し色づいたのに気がついた。進むにしたがって景色けしきの美しくなるのをかおるは感じつつ行った。
 中納言をお迎えになった宮は平生にも増して喜びをお見せになり、心細く思召すことを何かと多くこの人へお話しになるのであった。
  Udi ni maude de hisasiu nari ni keru wo, omohiide te mawiri tamahe ri. Sitigwati bakari ni nari ni keri. Miyako ni ha mada iri tata nu aki no kesiki wo, Otoha-no-yama tikaku, kaze no oto mo ito hiyayaka ni, maki no yamabe mo wadukani iroduki te, naho tadune ki taru ni, wokasiu medurasiu oboyuru wo, Miya ha maite, rei yori mo mati yorokobi kikoye tamahi te, kono tabi ha, kokoro-bosoge naru monogatari, ito ohoku mausi tamahu.
2.1.3  「 亡からむ後、この君たちを、さるべきもののたよりにもとぶらひ、思ひ捨てぬものに数まへたまへ」
 「亡くなった後、この姫君たちを、何かの機会にはお尋ね下さり、お見捨てにならない中にお数え下さい」
 お亡くなりになったあとでは女王たちを時々たずねて来てやってほしい
  "Nakara m noti, kono Kimi-tati wo, sarubeki mono no tayori ni mo toburahi, omohi sute nu mono ni kazumahe tamahe."
2.1.4  など、 おもむけつつ聞こえたまへば
 などと、意中をそれとなく申し上げなさると、
 と思召すこと、親戚しんせきの端の者として心にとめておいてほしいと思召すことを、正面からはお言いにならぬのではあるが、御希望として仰せられることで、薫は、
  nado, omomuke tutu kikoye tamahe ba,
2.1.5  「 一言にても承りおきてしかば、さらに思うたまへおこたるまじくなむ。世の中に心をとどめじと、 はぶきはべる身にて、何ごとも頼もしげなき生ひ先の少なさになむはべれど、さる方にても めぐらいはべらむ限りは、変らぬ心ざしを 御覧じ知らせむとなむ思うたまふる」
 「一言なりとも先に承っておりましたので、決して疎かには致しません。現世に執着しまいと、係累を持たないでおります身なので、何事も頼りがいのなく将来性のない身でございますが、そのようなふうでしても生き永らえておりますうちは、変わらない気持ちを御覧になっていただこうと存じます」
 「一言でも承っておきます以上、決して私はなすべきを怠る者ではございません。この世に欲望を持つことのないようにと心がけまして、世の中に対して人よりは冷淡な態度をとっておりますから、立身をいたすことも望まれませんが、私の生きておりますかぎりは、ただ今と変わりのない志を御家族にお見せ申したいと考えております」
  "Hitokoto nite mo uketamahari oki te sika ba, sarani omou tamahe okotaru maziku nam. Yononaka ni kokoro wo todome zi to, habuki haberu mi nite, nanigoto mo tanomosige naki ohisaki no sukunasa ni nam habere do, saru kata nite mo megurai habera m kagiri ha, kahara nu kokorozasi wo goranzi sirase m to nam omou tamahuru."
2.1.6  など聞こえたまへば、うれしと思いたり。
 などと申し上げなさると、嬉しくお思いになった。
 とお答えしたのを、八の宮はうれしく思召し御満足をあそばされた。
  nado kikoye tamahe ba, uresi to oboi tari.
注釈89いかなることといぶせく思ひわたりし薫の出生の秘密。2.1.1
注釈90あはれなるものに『集成』は「しみじみといとしい者と」。『完訳』は「不憫な者よと」と訳す。2.1.1
注釈91七月ばかりになりにけり春の二月二十日ころに初瀬詣での匂宮を迎えに宇治に行って以来の訪問。2.1.2
注釈92音羽の山近く風の音も『花鳥余情』は「松虫の初声誘ふ秋風は音羽山より吹きそめにけり」(後撰集秋上、二五一、読人しらず)を指摘。2.1.2
注釈93宮はまいて例よりも待ち喜びきこえ『集成』は「八の宮は、なおさらのこと。薫以上に久々のさいかい喜ぶ風情」。「例よりも」とは死期の近いことの伏線。2.1.2
注釈94亡からむ後以下「数まへたまへ」まで、八宮の詞。姫君たちを託す。2.1.3
注釈95おもむけつつ聞こえたまへば『集成』は「意中をそれとなく申し上げなさるので」。『完訳』は「そちらへ話を向けながらお申し上げになるので」と訳す。2.1.4
注釈96一言にても以下「なむ思うたまふる」まで、薫の返事。八宮もの申し出を応諾する。2.1.5
注釈97はぶきはべる身にて『集成』は「切り捨てております身の上で」。『完訳』は「妻子など係累をもたない意」と注す。2.1.5
注釈98めぐらいはべらむ限りは自分がこの世に生きております限りは、の意。2.1.5
注釈99御覧じ知らせむ姫君たちに。2.1.5
出典9 音羽の山近く 松虫の初声誘ふ秋風は音羽山より吹きそめにけり 後撰集秋上-二五一 読人しらず 2.1.2
2.2
第二段 薫、八の宮と昔語りをする


2-2  Kaoru talks about old times with Hachi-no-miya

2.2.1  夜深き月の明らかにさし出でて、 山の端近き心地するに念誦いとあはれにしたまひて、昔物語したまふ。
 まだ夜明けには遠い月が明るく差し出して、山の端が近い感じがするので、念誦をたいそうしみじみと唱えなさって、昔話をなさる。
 おそくのぼるころの月が出て山の姿が静かに現われた深夜に、宮は念誦ねんずをあそばしながら薫へ昔の話をお聞かせになった。
  Yobukaki tuki no akirakani sasi-ide te, yamanoha tikaki kokoti suru ni, nenzu ito ahareni si tamahi te, mukasimonogatari si tamahu.
2.2.2  「 このころの世は、いかがなりにたらむ。 宮中などにて、かやうなる秋の月に、御前の御遊びの折にさぶらひあひたる中に、ものの上手とおぼしき限り、とりどりにうち合はせたる 拍子など、ことことしきよりも、よしありとおぼえある女御、更衣の御局々の、おのがじしは挑ましく思ひ、うはべの情けを交はすべかめるに、 夜深きほどの人の気しめりぬるに、心やましく掻い調べ、ほのかにほころび出でたる物の音など、聞き所あるが多かりしかな。
 「最近の世の中は、どのようになったのでしょうか。宮中などでは、このような秋の月の夜に、御前での管弦の御遊の時に伺候する人達の中で、楽器の名人と思われる人びとばかりが、それぞれ得意の楽器を合奏しあった調子などは、仰々しいのよりも、嗜みがあると評判の女御、更衣の御局々が、それぞれは張り合っていて、表面的な付き合いはしているようで、夜更けたころの辺りが静まった時分に、悩み深い風情に掻き調べ、かすかに流れ出た楽の音色などが、聞きどころのあるのが多かったな。
 「近ごろの世の中というものはどうなっているのか私には少しもわからない。御所などでこうした秋の月夜に音楽の演奏されるのに私も侍していて、その当時感じたことですが、名人ばかりが集まって、とりどりな技術を発揮させる御前の合奏よりも、上手じょうずだという名のある女御にょご更衣こういのいるつぼね々で心の内では競争心を持ち、表面は風流に交際している人たちの曹司ぞうしの夜ふけになって物音の静まった時刻に、何ということのない悩ましさを心に持って、ほのかに弾き出される琴の音などにすぐれたものがたくさんありましたよ。
  "Konokoro no yo ha, ikaga nari ni tara m? Kudyuu nado nite, kayau naru aki no tuki ni, omahe no ohom-asobi no wori ni saburahi ahi taru naka ni, mono no zyauzu to obosiki kagiri, toridori ni uti ahase taru hyausi nado, kotokotosiki yori mo, yosi ari to oboye aru Nyougo, Kaui no ohom-tubone tubone no, onogazisi ha idomasiku omohi, uhabe no nasake wo kahasu beka' meru ni, yobukaki hodo no hito no ke simeri nuru ni, kokoroyamasiku kai-sirabe, honokani hokorobi ide taru mononone nado, kikidokoro aru ga ohokari si kana!
2.2.3   何ごとにも、女は、もてあそびのつまにしつべく、ものはかなきものから、人の心を動かすくさはひになむあるべき。されば、罪の深きにやあらむ。 子の道の闇を思ひやるにも 、男は、いとしも親の心を乱さずやあらむ。 女は、限りありて、いふかひなき方に思ひ捨つべきにも、なほ、いと心苦しかるべき」
 何事につけても、女性というのは、慰み事の相手にちょうどよく、何となく頼りないものの、人の心を動かす種であるのでしょう。それだから、罪が深いのでしょうか。子を思う道の闇を思いやるにも、男の子は、それほども親の心を乱さないであろうか。女の子は、運命があって、何とも言いようがないと諦めてしまうような場合でも、やはり、とても気にかかるもののようです」
 何事にも女は人の慰めになることで能事が終わるほどのものですが、それがまた人を動かす力は少なくないのですね。だから女は罪が深いとされているのでしょう。親として子の案ぜられる点でも、男の子はさまで親を懊悩おうのうさせはしないだろうが、女はどうせ女で、親が何と思っても宿命に従わせるほかはないのでしょうが、それでも愍然ふびんに思われて、親のためには大きな羈絆きはんになりますよ」
  Nanigoto ni mo, womna ha, moteasobi no tuma ni si tu beku, mono hakanaki monokara, hito no kokoro wo ugokasu kusahahi ni nam aru beki. Sareba, tumi no hukaki ni ya ara m? Ko no miti no yami wo omohiyaru ni mo, wonoko ha, ito simo oya no kokoro wo midasa zu ya ara m? Womna ha, kagiri ari te, ihukahinaki kata ni omohi sutu beki ni mo, naho, ito kokorogurusikaru beki."
2.2.4  など、おほかたのことにつけてのたまへる、 いかがさ思さざらむ、心苦しく思ひやらるる御心のうちなり。
 などと、一般論としておっしゃるが、どうしてそのようにお思いにならないことがあろうか、おいたわしく推察される宮のご心中である。
 と抽象論としてお言いになる言葉を聞いてもお道理至極である、どんなに女王にょおうがたを御心配になっておられるかということが薫にわかるのであった。
  nado, ohokata no koto ni tuke te notamahe ru, ikaga sa obosa zara m, kokorogurusiku omohiyara ruru ohom-kokoro no uti nari.
2.2.5  「 すべて、まことにしか思うたまへ捨てたるけにやはべらむ、みづからのことにては、いかにもいかにも深う思ひ知る方のはべらぬを、げにはかなきことなれど、 声にめづる心こそ、背きがたきことにはべりけれ。さかしう聖だつ 迦葉も、さればや、立ちて舞ひはべりけむ
 「すべて、ほんとうに、先程申し上げましたようにすべてこの世の事は執着を捨ててしまったせいでしょうか、自分自身のことは、どのようなこととも深く分かりませんが、なるほどつまらないことですが、音楽を愛する心だけは、捨てることができません。賢く修業する迦葉も、そうですから、立って舞ったのでございましょう」
 「あなた様のお教えのとおりに、私も苦しい羈絆を持つまいと決心してまいりましたせいですか、自身にはそうした苦しい親心というものを経験いたしませんが、ただ一つ私には音楽という愛着の覚えられるものがございまして、それによって遁世とんせいもできずにおります。賢明な迦葉かしょうもやはりそんな心があって舞をしたりしたものでしょうか」
  "Subete, makotoni, sika omou tamahe sute taru ke ni ya habera m, midukara no koto nite ha, ikanimo ikanimo hukau omohi siru kata no habera nu wo, geni hakanaki koto nare do, kowe ni meduru kokoro koso, somuki gataki koto ni haberi kere. Sakasiu hiziridatu Kasehu mo, sareba ya, tati te mahi haberi kem."
2.2.6  など聞こえて、飽かず一声聞きし御琴の音を、切にゆかしがりたまへば、 うとうとしからぬ初めにもとや思すらむ、御みづからあなたに入りたまひて、切にそそのかしきこえたまふ。箏の琴をぞ、いとほのかに掻きならしてやみたまひぬる。いとど人のけはひも絶えて、あはれなる空のけしき、所のさまに、わざとなき御遊びの心に入りてをかしうおぼゆれど、 うちとけてもいかでかは弾き合はせたまはむ
 などと申し上げて、名残惜しく聞いたお琴の音を、切にご希望なさるので、親しくなるきっかけにでもとお思いになってか、ご自身はあちらにお入りになって、切にお勧め申し上げなさる。箏の琴を、とてもかすかに掻き鳴らしてお止めになった。常にもまして人の気配もなくひっそりとして、しみじみとした空の様子、場所柄から、ことさらでない音楽の遊びが心にしみて興趣深く思われるが、気を許してどうして合奏なさろうか。
 などと言って、いつぞや少し聞いた琴と琵琶の調べを今一度聞きたいと熱心に宮へお願いする薫であった。家族と薫を親しくさせる第一歩にそれをさせようと思召すのか、宮は御自身で女王たちのへやへお行きになって、ぜひにと弾奏をお勧めになった。十三げんの琴がほのかにかき鳴らされてやんだ。人けの少ない宮の内に、身にしむ初秋の夜のわざとらしからぬ琴の音のするのは感じのよいものであったが、女王たちにすれば、よい気になって合奏などはできぬと思うのが道理だと思われた。
  nado kikoye te, akazu hitokowe kiki si ohom-koto no ne wo, setini yukasigari tamahe ba, utoutosikara nu hazime ni mo to ya obosu ram, ohom-midukara anata ni iri tamahi te, setini sosonokasi kikoye tamahu. Sau-no-koto wo zo, ito honokani kaki-narasi te yami tamahi nuru. Itodo hito no kehahi mo taye te, ahare naru sora no kesiki, tokoro no sama ni, wazato naki ohom-asobi no kokoro ni iri te wokasiu oboyure do, utitoke te mo ikadekaha hiki ahase tamaha m.
2.2.7  「 おのづからかばかりならしそめつる残りは、世籠もれるどちに譲りきこえてむ」
 「自然とこれくらい引き合わせた後は、若い者同士にお任せ申そう」
 「こんなにして御交際する初めを作ったのですから、若い子らにしばらく客人をまかせておくことにしよう」
  "Onodukara kabakari narasi some turu nokori ha, yogomore ru doti ni yuduri kikoye te m."
2.2.8  とて、宮は仏の御前に入りたまひぬ。
 と言って、宮は仏の御前にお入りになった。
 それから宮は仏間へおはいりになるのだったが、
  tote, Miya ha Hotoke no omahe ni iri tamahi nu.
2.2.9  「 われなくて草の庵は荒れぬとも
   このひとことはかれじとぞ思ふ
 「わたしが亡くなって草の庵が荒れてしまっても
  この一言の約束だけは守ってくれようと存じます
  「われなくて草のいほりは荒れぬとも
  この一ことは枯れじとぞ思ふ
    "Ware naku te kusa no ihori ha are nu tomo
    kono hitokoto ha kare zi to zo omohu
2.2.10  かかる対面もこのたびや限りならむと、もの心細きに忍びかねて、 かたくなしきひが言多くもなりぬるかな」
 このようにお目にかかることも今回が最後になるだろうと、何となく心細いのに堪えかねて、愚かなことを多くも言ってしまったな」
 こうしてお話のできるのもこれが最終になるような心細い感情を私はおさえることができずに、親心のたあいないこともたくさん言ったでしょう。すまないことです」
  Kakaru taimen mo konotabi ya kagiri nara m to, mono-kokorobosoki ni sinobi kane te, katakunasiki higakoto ohoku mo nari nuru kana!"
2.2.11  とて、うち泣きたまふ。客人、
 と言って、お泣きになる。客人は、
 と言ってお泣きになった。薫は、
  tote, uti-naki tamahu. Marauto,
2.2.12  「 いかならむ世にかかれせむ長き世の
   契りむすべる草の庵は
 「どのような世になりましても訪れなくなることはありません
  この末長く約束を結びました草の庵には
  「いかならん世にか枯れせん長き世の
  契り結べる草の庵は
    "Ikanara m yo ni ka kare se m nagaki yo no
    tigiri musube ru kusa no ihori ha
2.2.13   相撲など、公事ども紛れはべるころ過ぎて、さぶらはむ」
 相撲など、公務に忙しいころが過ぎましたら、伺いましょう」
 御所の相撲すもうなどということも済みまして、時間のできますのを待ちましてまた伺いましょう」
  Sumahi nado, ohoyakegoto-domo magire haberu koro sugi te, saburaha m."
2.2.14  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 などと言っていた。
  nado kikoye tamahu.
注釈100山の端近き心地するに『完訳』は「宮の死期の近きを擬えた表現」と注す。2.2.1
注釈101念誦いとあはれにしたまひて『集成』は「心に仏を念じて真言をとなえ、成仏を願う」と注す。2.2.1
注釈102このころの世は以下「心苦しかるべき」まで、八宮の詞。2.2.2
注釈103宮中などにて『集成』は「見馴れない言葉であるが、仏者としての八の宮の特殊な用語なのであろう。「宮(く)」は呉音」と注す。「宮内庁(くないちょう)」など。2.2.2
注釈104拍子など『集成』は「ここは、調子、リズムの意であろう」と注す。2.2.2
注釈105夜深きほどの人の気しめりぬるに心やましく掻い調べほのかにほころび出でたる物の音など【夜深きほどの人の気しめりぬるに心やましく掻い調べ】-『休聞抄』は「秋の夜は人を静めてつれづれとかきなす琴の音にぞ泣きぬる」(後撰集秋中、三三四、読人しらず)を指摘。
【心やましく掻い調べほのかにほころび出でたる物の音など】-『集成』は「悩み深い風情にかき鳴らして。閨怨を訴える趣」と注す。
2.2.2
注釈106何ごとにも女はもてあそびのつまにしつべくものはかなきものから『集成』は「何ごとにつけても、女というものは、なぐさみのきっかけになるもので。「もてあそび」は、愛玩の対象。後宮の女性についての思い出話から、一般論に転ずる」と注す。2.2.3
注釈107子の道の闇を思ひやるにも『伊行釈』は「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)を指摘。2.2.3
注釈108女は限りありて『完訳』は「女なりの宿運。女は結婚の相手次第、として、その相手がまともでない場合を想定した物言い」と注す。2.2.3
注釈109いかがさ思さざらむ『一葉抄』は「草子詞」と指摘。『集成』は「いかにもそうおぼしめすに違いないことだ。地の文であるが、以下、聞いている薫の心中」。薫の心中を挿入句で挟み込む。2.2.4
注釈110すべてまことに以下「はべりけむ」まで、薫の詞。2.2.5
注釈111しか思うたまへ捨てたるけにや薫の前言「世の中に心をとどめじと、はぶきはべる身にて」(第二章一段)をさす。2.2.5
注釈112声にめづる心こそ音楽を愛する心。2.2.5
注釈113迦葉もさればや立ちて舞ひはべりけむ『完訳』は「釈迦の十大弟子の一人。頭陀(乞食修行)の第一人者といわれた。香山大樹緊那羅が仏前で瑠璃琴を弾き、八万四千音楽を奏した時、迦葉が威儀を忘れ、起って舞ったという(大樹緊那羅経)」と注す。2.2.5
注釈114うとうとしからぬ初めにもとや思すらむ語り手の八宮の心中の思いを推測。『集成』は「薫と姫君たちがこれから親しく付き合うことになるきっかけにしようというおつもりなのか。自分の亡きあとのことを考えた八の宮の配慮」と注す。2.2.6
注釈115うちとけてもいかでかは弾き合はせたまはむ反語表現。2.2.6
注釈116おのづから以下「譲りきこえてむ」まで、八宮の詞。『完訳』は「薫と姫君たちを引き合せたとする。「馴らす」「鳴らす」が掛詞」と注す。2.2.7
注釈117われなくて草の庵は荒れぬとも--このひとことはかれじとぞ思ふ以下「多くもなりぬるかな」まで、八宮から薫への贈歌。「一言」と「一琴」、「枯れ」と「離れ」の掛詞。「草」と「枯れ」は縁語。2.2.9
注釈118かたくなしきひが言『完訳』は「姫君への心配を、仏道者にあるまじきことと恥じた」と注す。2.2.10
注釈119いかならむ世にかかれせむ長き世の--契りむすべる草の庵は薫の返歌。「草の庵」「かれ」の語句を用いて返す。「草」と「結ぶ」は縁語。2.2.12
注釈120相撲など以下「過ぎてさぶらはむ」まで、薫の詞。相撲の節会は七月下旬。2.2.13
出典10 子の道の闇 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 2.2.3
2.3
第三段 薫、弁の君から昔語りを聞き、帰京


2-3  Kaoru listens to Ben's talking about old times

2.3.1  こなたにて、かの問はず語りの古人召し出でて、残り多かる物語などせさせたまふ。 入り方の月、隈なくさし入りて、 透影なまめかしきに、君たちも奥まりておはす。世の常の懸想びてはあらず、心深う物語のどやかに聞こえつつものしたまへば、 さるべき御いらへなど聞こえたまふ
 こちらで、あの問わず語りの老女を召し出して、残りの多い話などをおさせになる。入方の月が、すっかり明るく差し込んで、透影が優美なので、姫君たちも奥まった所にいらっしゃる。世の常の懸想人のようではなく、思慮深くお話を静かに申し上げていらっしゃるので、しかるべきお返事などを申し上げなさる。
 別室で薫はあの昔語りを聞かせてくれた老女を呼び出して、悲しくもなつかしくも思われる話の続きをさせて聞いた。落ちようとする月は明るく座敷の中を照らして、薫のき影はえん御簾みすのあちらから見えた。隣のへやには奥へ寄って女王たちがすわっていた。普通の求婚者の言葉ではなく、優雅な話題をこしらえてその人たちにも薫は話していたが、言うべき時には姫君も返辞をした。
  Konata nite, kano tohazugatari no Hurubito mesiide te, nokori ohokaru monogatari nado se sase tamahu. Irigata no tuki, kumanaku sasi-iri te, sukikage namamekasiki ni, Kimi-tati mo okumari te ohasu. Yo no tune no kesaubi te ha ara zu, kokorobukau monogatari nodoyakani kikoye tutu monosi tamahe ba, sarubeki ohom-irahe nado kikoye tamahu.
2.3.2  「三の宮、いとゆかしう思いたるものを」と、心のうちには思ひ出でつつ、「 わが心ながら、なほ人には異なりかし。 さばかり御心もて許いたまふことの、さしもいそがれぬよ。 もて離れて、はたあるまじきこととは、さすがにおぼえずかやうにてものをも聞こえ交はし、折ふしの花紅葉につけて、あはれをも情けをも通はすに、憎からずものしたまふあたりなれば、 宿世異にて、他ざまにもなりたまはむは」、さすがに口惜しかるべう、 領じたる心地しけり
 「三の宮が、たいそうご執心でいられる」と、心中には思い出しながら、「自分ながら、やはり普通の人とは違っているぞ。あれほど宮ご自身がお許しになることを、それほどにも急ぐ気にもなれないことよ。が、結婚など思いもよらないことだとは、さすがに思われない。このようにして言葉を交わし、季節折々の花や紅葉につけて、感情や情趣を通じ合うのに、憎からず感じられる方でいらっしゃるので、自分と縁がなく、他人と結婚なさるのは」、やはり残念なことだろうと、自分のもののような気がするのであった。
 兵部卿の宮が非常に興味を持っておいでになる女性たちであるということを思って、自分ながらもこんなに接近していながら一歩を進めようとすることをしないのは、これを普通の男と違った点とすべきである。自然に自分への愛を相手が覚えてくれるのを急ぐこととも思われないと考えているのが薫の本心であった。しかも恋愛の成立を希望していないわけではないのである。こうした交際でおりふしの風物について書きかわす相手としては満足を与える女性であったから、宿縁のために他と結婚するようなことが女王にあっては遺憾を覚えるであろう、自分の存在している以上は断じてそれはさせたくないというふうに思っていた。
  "Sam-no-Miya Ito yukasiu oboi taru mono wo." to, kokoro no uti ni ha omohiide tutu, "Waga kokoro nagara, naho hito ni ha koto nari kasi. Sabakari mi-kokoro mote yurui tamahu koto no, sasimo isoga re nu yo! Mote hanare te, hata arumaziki koto to ha, sasugani oboye zu. Kayau nite mono wo mo kikoye kahasi, worihusi no hana momidi ni tuke te, ahare wo mo nasake wo mo kayohasu ni, nikukara zu monosi tamahu atari nare ba, sukuse koto nite, hokazama ni mo nari tamaha m ha", sasugani kutiwosikaru beu, ryauzi taru kokoti si keri.
2.3.3  まだ夜深きほどに帰りたまひぬ。心細く残りなげに思いたりし御けしきを、思ひ出できこえたまひつつ、「騒がしきほど過ぐして参うでむ」と思す。兵部卿宮も、この秋のほどに紅葉見におはしまさむと、さるべきついでを思しめぐらす。
 まだ夜明けに間のあるうちにお帰りになった。心細く先も長くなさそうにお思いになったご様子を、お思い出し申し上げながら、「忙しい時期を過ごしてから伺おう」とお思いになる。兵部卿宮も、今年の秋のころに紅葉を見にいらっしゃりたいと、適当な機会をお考えになる。
 まだ夜の明けきらぬ時刻に薫は帰って行った。心細い御様子でみずから余命の少ないふうに観じておいでになった八の宮の御事が始終心にかかって、忙しい時が過ぎたならまた宇治をおたずねしようと薫は考えていた。兵部卿の宮も秋季のうちに紅葉見もみじみとして行きたいと思召してよい機会をうかがっておいでになった。
  Mada yobukaki hodo ni kaheri tamahi nu. Kokorobosoku nokorinage ni oboi tari si mi-kesiki wo, omohiide kikoye tamahi tutu, "Sawagasiki hodo sugusi te maude m." to obosu. Hyaubukyau-no-Miya mo, kono aki no hodo ni momidi mi ni ohasimasa m to, sarubeki tuide wo obosi megurasu.
2.3.4  御文は、絶えずたてまつりたまふ。 女は、まめやかに思すらむとも思ひたまはねば、わづらはしくもあらで、 はかなきさまにもてなしつつ、折々に聞こえ交はしたまふ。
 お手紙は、絶えず差し上げなさる。女は、本気でお考えになっているのだろうとはお思いでないので、厄介にも思わず、何気ない態度で、時々ご文通なさる。
 お手紙はしばしば行く。女のほうでは真心からの恋とは認めていないのであるから、うるさがるふうは見せずに、微温的に扱った返事だけは時々出していた。
  Ohom-humi ha, taye zu tatematuri tamahu. Womna ha, mameyakani obosu ram to mo omohi tamaha ne ba, wadurahasiku mo ara de, hakanaki sama ni motenasi tutu, woriwori ni kikoye kahasi tamahu.
注釈121入り方の月大島本は「いりかたの月」とある。『完本』は諸本に従って「入方の月は」と「は」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。2.3.1
注釈122透影なまめかしきに御簾越しに見える薫の優美な姿。2.3.1
注釈123さるべき御いらへなど聞こえたまふ主語は姫君たち。2.3.1
注釈124わが心ながら以下「なりたまはむは」あたりまで、薫の心中。末尾は地の文に流れる。2.3.2
注釈125さばかり御心もて許いたまふことの大島本は「ゆるひ給」とある。「ひ」は「い」の誤り。よって訂す。『『集成』は「ここまで宮がご自分から進んでお許しになることが。姫君たちとの結婚のこと。将来の世話を頼むとは、暗黙のうちに結婚を前提とした依頼と考えてよいのである」と注す。2.3.2
注釈126もて離れてはたあるまじきこととはさすがにおぼえず『集成』は「しかし結婚が全然問題にならないことだとは思われず」と訳す。2.3.2
注釈127かやうにてものをも聞こえ交はし『完訳』は「以下、清らかな親交をと考えもするが、それも不可能かと思う」と注す。2.3.2
注釈128宿世異にて姫君たちが自分とは縁がなくて、他人と結婚する場合を想像。2.3.2
注釈129領じたる心地しけり『集成』は「もう自分のものという気がするのだった。ここの文末は、地の文の形で薫の気持を直接に書く」。『完訳』は「直接話法は間接話法に転ずる。すでに自分のもの、という気持。語り手の評言の加わった文末」と注す。2.3.2
注釈130女は『完訳』は「匂宮の贈答の相手、中の君。男女関係を強調した呼称に注意」と注す。2.3.4
注釈131はかなきさまにもてなしつつ『集成』は「軽く応じるといったあしらいぶりで」と注す。2.3.4
2.4
第四段 八の宮、姫君たちに訓戒して山に入る


2-4  Hachi-no-miya goes into the temple after leaving an admonition for daughters

2.4.1  秋深くなりゆくままに、 宮は、いみじう もの心細くおぼえたまひければ、「 例の、静かなる所にて、念仏をも紛れなうせむ」と思して、 君たちにもさるべきこと聞こえたまふ
 秋が深まって行くにつれて、宮は、ひどく何となく心細くお感じになったので、「いつものように、静かな場所で、念仏を専心に行おう」とお思いになって、姫君たちにもしかるべきことを申し上げなさる。
 秋がふけてゆくにしたがって八の宮は健康でなくおなりになって、いつもおいでになる山の寺へ行って、念仏だけでも専念にしたいと思召しになり、女王たちにも現在の感想と、知りがたい明日についての注意などをお話しになるのであった。
  Aki hukaku nariyuku mama ni, Miya ha, imiziu mono-kokorobosoku oboye tamahi kere ba, "Rei no, siduka naru tokoro nite, nenbutu wo mo magire nau se m." to obosi te, Kimi-tati ni mo sarubeki koto kikoye tamahu.
2.4.2  「 世のこととして、つひの別れを逃れぬわざなめれど、 思ひ慰まむ方ありてこそ、悲しさをも覚ますものなめれ。また見譲る人もなく、心細げなる御ありさまどもを、うち捨ててむがいみじきこと。
 「この世の習いとして、永遠の別れは避けられないもののようだが、気の慰まるようなことがあれば、悲しさも薄らぐもののようです。また後事を託せる人もなく、心細いご様子の二人を、うち捨てて行くことがまことに辛い。
 「人生のそれが常で、皆死んで行かねばならないのだが、その際にも家族の上のことで、何か安心が見いだせれば、それを慰めにして悲しみに勝つこともできるものらしいが、私の場合は、このあとをだれが引き受けて行ってくれるという人もないあなたがたを残して行くのだから非常に悲しい。
  "Yo no koto to si te, tuhi no wakare wo nogare nu waza na' mere do, omohi nagusama m kata ari te koso, kanasisa wo mo samasu mono na' mere. Mata miyuduru hito mo naku, kokorobosoge naru ohom-arisama-domo wo, uti-sute te m ga imiziki koto.
2.4.3  されども、 さばかりのことに妨げられて長き夜の闇にさへ惑はむが益なさを。かつ見たてまつるほどだに思ひ捨つる世を、 去りなむうしろのこと、知るべきことにはあらねどわが身一つにあらず過ぎたまひにし御面伏せに、軽々しき心どもつかひたまふな。
 けれども、その程度のことで妨げられて、無明長夜の闇にまで迷うのは無益なことだ。一方でお世話して来た今でさえ執着を断ち切っていたのだから、亡くなった後のことは、知ることはできないものであるが、私一人だけのためでなく、お亡くなりになった母君の面目をもつぶさぬよう、軽率な考えをなさいますな。
 けれどもこんなことに妨げられて純一な信仰を得ることができなくなれば、すべてがだめなことになって、永久のやみに迷っていなければならなくなります。あなたがたを眼前に置きながらも死んで行く日は別れねばならないのだから、死後のことにまで干渉をするのではないが、私だけでなく、あなたがたの祖父母の方がたの不名誉になるような軽率な結婚などはしてならない。
  Saredomo, sabakari no koto ni samatage rare te, nagaki yo no yami ni sahe madoha m ga yaku nasa wo. Katu mi tatematuru hodo dani omohi suturu yo wo, sari na m usiro no koto, siru beki koto ni ha ara ne do, waga mi hitotu ni ara zu, sugi tamahi ni si ohom-omotebuse ni, karugarusiki kokoro-domo tukahi tamahu na.
2.4.4   おぼろけのよすがならで、人の言にうちなびき、この山里をあくがれたまふな。 ただ、かう人に違ひたる契り異なる身と思しなして、ここに世を尽くしてむと思ひとりたまへ。 ひたぶるに思ひなせば、ことにもあらず過ぎぬる年月なりけり。まして、女は、さる方に絶え籠もりて、いちしるくいとほしげなる、よそのもどきを負はざらむなむよかるべき」
 しっかりと頼りになる人以外には、相手の言葉に従って、この山里を離れなさるな。ただ、このように世間の人と違った運命の身とお思いになって、ここで一生を終わるのだとお悟りなさい。一途にその気になれば、何事もなく過ぎてしまう歳月なのである。まして、女性は、女らしくひっそりと閉じ籠もって、ひどくみっともない、世間からの非難を受けないのがよいでしょう」
 根底もない一時的な人の誘惑に引かれてこの山荘を出て行くようなことはしないようになさい。ただ自分は普通の人の運命と違った運命を持っている人間であると自分を思って、生涯しょうがいをここで果たす気になっているがいい。その堅い信念さえ持っておれば、長いと思う人生もいつか済んでゆくものなのだ。ことに女であるあなたたちは、世間並みの幸福を願わずに堪え忍んでいることでいろいろと人から批難をされるようなこともなく一生を過ごすがいいでしょう」
  Oboroke no yosuga nara de, hito no koto ni uti-nabiki, kono yamazato wo akugare tamahu na. Tada, kau hito ni tagahi taru tigiri koto naru mi to obosi nasi te, koko ni yo wo tukusi te m to omohi tori tamahe. Hitaburu ni omohi nase ba, koto ni mo ara zu sugi nuru tosituki nari keri. Masite, womna ha, saru kata ni taye komori te, itisiruku itohosige naru, yoso no modoki wo oha zara m nam yokaru beki."
2.4.5  などのたまふ。 ともかくも身のならむやうまでは、思しも流されず、ただ、「 いかにしてか、後れたてまつりては、世に片時もながらふべき」と思すに、かく心細きさまの御あらましごとに、言ふ方なき 御心惑ひどもになむ心のうちにこそ思ひ捨てたまひつらめど、明け暮れ御かたはらにならはいたまうて、にはかに別れたまはむは、つらき心ならねど、げに恨めしかるべき御ありさまになむありける。
 などとおっしゃる。どうなるかの将来の身の上のありようまでは、お考えも及ばず、ただ、「どのようにして、先立たれ申して後は、この世に片時も生きていられようか」とお思いになると、このように心細い状態を前もっておっしゃるので、何とも言いようもないお二方の嘆きである。心の中でこそ執着をお捨てになっていらしたようであるが、明け暮れお側に馴れ親しみなさって、急に別れなさるのは、冷淡な心からではないが、なるほど恨めしいに違いないご様子だったのである。
 お聞きしている姫君らは、どう自分たちがなって行くかというような不安さよりも、父君がおかくれになっては人生に片時も生きていられるものでないという平生からの心持ちが、こんなふうな孤児になっての将来のことなどをお言いになることによって、言いようもない悲しみになって、宮は心の中でこそ娘への愛情から離れようと努力はしておいでになったであろうが、明け暮れそばにいてあたたかい手ではぐくんでおいでになったのであるから、にわかにそうした意見をお言いだしになったのは、冷酷なのではないが、女王たちにとってうらめしく思われるのはもっともと見えた。
  nado notamahu. Tomokakumo mi no nara m yau made ha, obosi mo nagasa re zu, tada, "Ikanisite ka, okure tatematuri te ha, yo ni katatoki mo nagarahu beki." to obosu ni, kaku kokorobosoki sama no ohom-aramasigoto ni, ihu kata naki mi-kokoromadohi-domo ni nam. Kokoro no uti ni koso omohi sute tamahi tu rame do, akekure ohom-katahara ni narahai tamau te, nihakani wakare tamaha m ha, turaki kokoro nara ne do, geni uramesikaru beki ohom-arisama ni nam ari keru.
2.4.6   明日、入りたまはむとての日は、例ならず、 こなたかなた、たたずみ歩きたまひて見たまふ。いとものはかなく、かりそめの宿りにて過ぐいたまひける御住まひのありさまを、「 亡からむのち、いかにしてかは、若き人の絶え籠もりては過ぐいたまはむ」と、涙ぐみつつ念誦したまふさま、いときよげなり。
 明日、ご入山なさるという日は、いつもと違って、あちらこちらと、邸内を歩きなさって御覧になる。たいそう頼りなく、仮の宿としてお過ごしになったお住まいの様子を、「亡くなった後、どのようにして、若い姫君たちが絶え籠もってお過ごしになれようか」と、涙ぐみながら念誦なさる様子は、たいそう清らかである。
 明日は寺へおはいりになろうとする日、平生のようでなくそちらこちら家の中を宮はながめまわっておいでになった。一時的に仮り住居ずまいとなされたまま年月をお過ごしになった、あまりにも簡単な建物についても、自分のくなったあとでこんな家に若い女王たちがなお辛抱しんぼうを続けて住んでいられるであろうかとお思いになり、宮は涙ぐみながら念誦ねんずをあそばされる御容姿にも、清楚せいそな美があった。
  Asu, iri tamaha m tote no hi ha, rei nara zu, konata kanata, tatazumi ariki tamahi te mi tamahu. Ito mono hakanaku, karisome no yadori nite sugui tamahi keru ohom-sumahi no arisama wo, "Nakara m noti, ikanisite kaha, wakaki hito no taye komori te ha sugui tamaha m." to, namidagumi tutu nenzu si tamahu sama, ito kiyoge nari.
2.4.7  おとなびたる人びと召し出でて、
 年配の女房たちを召し出して、
 年をとった女房らをお呼び出しになって、
  Otonabi taru hitobito mesiide te,
2.4.8  「 うしろやすく仕うまつれ。何ごとも、もとより かやすく、世に聞こえあるまじき際の人は、末の衰へも常のことにて、 紛れぬべかめりかかる際になりぬれば、 人は何と思はざらめど、口惜しうてさすらへむ、契りかたじけなく、いとほしきことなむ、多かるべき。もの寂しく心細き世を経るは、例のことなり。
 「心配のないようにお仕えしなさい。何事も、もともと気がねなく暮らして、世間に噂にならないような身分の人は、子孫の零落することもよくあることで、目立ちもしないようだ。このような身分になると、世間の人は何とも思わないだろうが、みじめな有様で流浪するのは、至尊の血筋に生まれた宿縁に対して不面目で、心苦しいことが、多いだろう。物寂しく心細い世の中を送ることは、世の常である。
 「私がどんな所にいても安心していられるように女王たちへ仕えてくれ。何事があっても初めから人目をかぬ家であったなら、そこの娘がのちに堕落しようとも問題にする者もない。自分らの家では、それはしかしもう世間の人の眼中にはないであろうがね。ともかくもふがいない堕落をしていっては御先祖にすまないのだからね。貧しい簡素な生活よりできないのはほかにもあることだから、それはいいのだ。
  "Usiroyasuku tukaumature. Nanigoto mo, motoyori kayasuku, yo ni kikoye aru maziki kiha no hito ha, suwe no otorohe mo tune no koto nite, magire nu beka' meri. Kakaru kiha ni nari nure ba, hito ha nani to omoha zara me do, kutiwosiu te sasurahe m, tigiri katazikenaku, itohosiki koto nam, ohokaru beki. Mono sabisiku kokorobosoki yo wo huru ha, rei no koto nari.
2.4.9  生まれたる家のほど、おきてのままにもてなしたらむなむ、聞き耳にも、わが心地にも、過ちなくはおぼゆべき。 にぎははしく人数めかむと思ふとも、その心にもかなふまじき世とならば、ゆめゆめ軽々しく、 よからぬ方にもてなしきこゆな
 生まれた家の格式、しきたり通りに身を処するというのが、人聞きにも、自分の気持ちとしても、間違いのないように思われるだろう。贅沢な人並みの生活をしようと望んでも、その思う通りにならない時勢であったら、決して決して軽々しく、良くない男をお取り持ち申すな」
 貴族の娘は貴族らしく品位を落とさないで他の軽侮を受けない身の持ち方で終始するのが世間へ対しても、それら自身にもいさぎよいことだろうと思う。世間並みな幸福を得させようとしてすることも、そのとおりにならないではかえって悲惨だから、決して軽率な考えでおまえがたが女王らに過失をさせるような計らいをしてはならない」
  Mumare taru ihe no hodo, okite no mama ni motenasi tara m nam, kikimimi ni mo, waga kokoti ni mo, ayamati naku ha oboyu beki. Nigihahasiku hitokazumeka m to omohu tomo, sono kokoro ni mo kanahu maziki yo to nara ba, yumeyume karogarosiku, yokara nu kata ni motenasi kikoyu na."
2.4.10  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 などとお言い聞かせになった。
  nado notamahu.
2.4.11  まだ暁に出でたまふとても、 こなたに渡りたまひて
 まだ夜の明けないうちにお出になろうとして、こちらにお渡りになって、
 いよいよその朝早くお出かけになろうとする時にも、宮は女王たちの居間へおいでになって、
  Mada akatuki ni ide tamahu tote mo, konata ni watari tamahi te,
2.4.12  「 無からむほど、心細くな思しわびそ。 心ばかりはやりて遊びなどはしたまへ。何ごとも思ふにえかなふまじき世を。 思し入られそ
 「留守の間、心細くお嘆きなさるな。気持ちだけは明るく持って音楽の遊びなどはなさい。何事も思うに適わない世の中だ。深刻に思い詰めなさるな」
 「私の留守の間を心細く思わずにお暮らしなさい。機嫌きげんよく音楽でももてあそんでいるがよい。何事も思うままにならぬ人生なのだから悲観ばかりはせずにいなさい」
  "Nakara m hodo, kokorobosoku na obosi wabi so. Kokoro bakari hayari te asobi nado ha si tamahe. Nanigoto mo omohu ni e kanahu maziki yo wo. Obosi ira re so."
2.4.13  など、 返り見がちにて出でたまひぬ。二所、いとど心細くもの思ひ続けられて、起き臥しうち語らひつつ、
 などと、振り返りながらお出になった。お二方は、ますます心細く物思いに閉ざされて、寝ても起きても語り合いながら、
 ともお言いになり、顧みがちに寺へおいでになったのであった。たださえ寂しい境遇の女王たちはいっそう心細さを感じて、物思いばかりがされ、明け暮れ二人はいっしょにいて話し合いながら、
  nado, kaherimigati nite ide tamahi nu. Hutatokoro, itodo kokorobosoku monoomohi tuduke rare te, okihusi uti-katarahi tutu,
2.4.14  「 一人一人なからましかば、いかで明かし暮らさまし」
 「どちらか一方がいなくなったら、どのようにして暮らしていけましょうか」
 「どちらか一人がいなかったらどうして暮らされるでしょう。
  "Hitori hitori nakara masika ba, ikade akasi kurasa masi."
2.4.15  「今、行く末も定めなき世にて、もし別るるやうもあらば」
 「今は、将来もはっきりしないこの世で、もし別れるようなことがあったら」
 でも明日のことはわかりませんからね。もし二人が別れてしまうことになったらどうしましょう」
  "Ima, yukusuwe mo sadame naki yo nite, mosi wakaruru yau mo ara ba."
2.4.16  など、泣きみ笑ひみ、戯れごともまめごとも、同じ心に慰め交して過ぐしたまふ。
 などと、泣いたり笑ったりしながら、冗談も真実も、同じ気持ちで慰め合いながらお過ごしになる。
 などとも言い、泣きも笑いもするのであった。遊戯に属したことも、勉強事もいっしょにして慰め合っていた。
  nado, nakimi warahimi, tahaburegoto mo mamegoto mo, onazi kokoro ni nagusame kahasi te sugusi tamahu.
注釈132宮は八宮。2.4.1
注釈133例の静かなる所にて阿闍梨のいる山寺。『集成』は「例年のように、もの静かな阿闍梨の山寺で」。『完訳』は「例のごとく静かな山寺で」と訳す。2.4.1
注釈134君たちにもさるべきこと聞こえたまふ『完訳』は「最期の別れになるかもしれぬという予感から、言葉が遺言めく」と注す。2.4.1
注釈135世のこととして以下「なむよかるべき」まで、八宮の詞。2.4.2
注釈136思ひ慰まむ方ありてこそ悲しさをも覚ますものなめれ『集成』は「何か気持の安まるようなことでもあるのでしたら、(死別の)悲しみも薄らぐというものでしょう。後顧の憂いがないなら、自分もいささか心を安んじて死ねるのだが、の意」と注す。2.4.2
注釈137さばかりのことに妨げられて「さばかり」は直前の「見譲る人もなく心細げなる御ありさまどもをうち捨ててむが」という、姫君たちの将来の不安をさす。2.4.3
注釈138長き夜の闇にさへ惑はむが無明長夜の闇。現世に執着する煩悩のために真の悟りを得ず(極楽浄土に成仏することを得ず)、六道に輪廻することをいう。2.4.3
注釈139去りなむうしろのこと知るべきことにはあらねど『集成』は「死んでしまったそのあとのことをとやかく思うべきことではありませんが」。『完訳』は「死後のことに口出しすべきでもないのですが」と訳す。「知るべき」の主体は八宮。2.4.3
注釈140わが身一つにあらず八宮をさす。2.4.3
注釈141過ぎたまひにし御面伏せに亡き母君の面目。2.4.3
注釈142おぼろけのよすがならで『完訳』は「軽薄な人との結婚を戒めて、山里での隠棲を勧める」と注す。2.4.4
注釈143ただかう人に違ひたる契り異なる身と思しなして『集成』は「ただこのように、人とは違った特別の運命(さだめ)の身の上とお考えになって。結婚というようなことは考えるな、の意」と注す。2.4.4
注釈144ひたぶるに思ひなせばことにもあらず過ぎぬる年月なりけり大島本は「思なせは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひしなせば」と強調の意の副助詞「し」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。八宮の人生経験に基づく説得。現世は仮の世であり、あの世に真実の世がある、という仏教思想がある。2.4.4
注釈145ともかくも身のならむやうまでは姫君たちの身の上の将来について。2.4.5
注釈146いかにしてか以下「ながらふべき」まで、姫君たちの心中。2.4.5
注釈147御心惑ひどもになむ係助詞「なむ」の下に「ある」などの語句が省略。省略によって強調される。2.4.5
注釈148心のうちにこそ思ひ捨てたまひつらめど『一葉抄』は「双紙のことは也」と指摘。『集成』は「以下、姫君たちの悲しみをもっともとする草子地」と注す。2.4.5
注釈149明日入りたまはむとての日は明日山寺にお籠もりになろうとする前日は、の意。2.4.6
注釈150こなたかなた山荘のあちこちの部屋。仏間居間など。2.4.6
注釈151亡からむのち以下「過ぐいたまはむ」まで、八宮の心中の思い。2.4.6
注釈152うしろやすく仕うまつれ以下「もてなしきこゆな」まで、八宮の女房たちに対する詞、訓戒。2.4.8
注釈153かやすく世に聞こえあるまじき際の人はとかく評判にされがちな宮家のような家柄でない人は。2.4.8
注釈154紛れぬべかめり「ぬ」完了の助動詞、「べかめり」連語、推量の助動詞。話者八宮の主観的推量。2.4.8
注釈155かかる際宮家の家柄。2.4.8
注釈156人は何と思はざらめど口惜しうてさすらへむ契りかたじけなくいとほしきこと八宮には、世間の噂や評判よりも皇族として無念であり姫君たちがいとおしい、という思いが強い。2.4.8
注釈157にぎははしく人数めかむと『完訳』は「豊かで世間並に暮そうとしても。零落しても皇族の誇りを失いたくないとして、「よからぬ」(普通の身分の)男を姫君の夫として迎えるなと、女房たちを戒める」と注す。2.4.9
注釈158よからぬ方にもてなしきこゆな『集成』は「身分を汚すようなお取り持ちをしてはならぬ」と注す。2.4.9
注釈159こなたに渡りたまひて女房の部屋から姫君たちの部屋に。2.4.11
注釈160無からむほど以下「思し入られそ」まで、八宮の姫君たちへの詞。「無からむほど」は留守中の意だが、暗に死後のこと(「亡からむのち」)も含めて言っている響きがある。2.4.12
注釈161心ばかりはやりて気持ちだけは明るく持って。2.4.12
注釈162思し入られそ大島本は「おほしいられそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なおぼし入れそ」と「な」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。2.4.12
注釈163返り見がちにて出でたまひぬ後髪引かれる思い。姫君たちへの執着心を語る。2.4.13
注釈164一人一人なからましかば以下「別るるやうもあらば」まで、姫君たちの詞。『河海抄』は「思ふどちひとりひとりが恋ひしなば誰によそへて藤衣着む」(古今集恋三、六五四、読人しらず)を指摘。2.4.14
校訂9 もの心細く もの心細く--物心(心/+ほ)そく 2.4.1
2.5
第五段 八月二十日、八の宮、山寺で死去


2-5  Hachi-no-miya is died at the temple on August 20

2.5.1   かの行ひたまふ三昧、今日果てぬらむと、いつしかと待ちきこえたまふ夕暮に、 人参りて
 あの勤行なさる念仏三昧は、今日終わることだろうと、今か今かとお待ち申し上げていらっしゃる夕暮に、使者が参って、
 御寺みてらで行なっておいでになる三昧さんまいの日数が今日で終わるはずであるといって、女王たちは父宮のお帰りになるのを待っていた日の夕方に山の寺から宮のお使いが来た。
  Kano okonahi tamahu sammai, kehu hate nu ram to, itusika to mati kikoye tamahu yuhugure ni, hito mawiri te,
2.5.2  「 今朝より、悩ましくてなむ、え参らぬ。風邪かとて、とかくつくろふとものするほどになむ。 さるは、例よりも対面心もとなきを
 「今朝から、気分が悪くなって、参ることができない。風邪かと思って、あれこれと手当てしているところです。それにしても、いつもよりお目にかかりたいのだが」
 「今朝けさから身体からだのぐあいが悪くて家のほうへ帰られぬ。風邪かぜかと思うのでその手当てなどを今日きょうはしています。平生以上にあなたがたといたく思う時なのにあやにくなことです」
  "Kesa yori, nayamasiku te nam, e mawira nu. Kaze ka tote, tokaku tukurohu to monosuru hodo ni nam. Saruha, rei yori mo taimen kokoromotonaki wo."
2.5.3  と聞こえたまへり。胸つぶれて、いかなるにかと思し嘆き、御衣ども綿厚くて、急ぎせさせたまひて、たてまつれなどしたまふ。 二、三日 怠りたまはず 。「いかに、いかに」と、人たてまつりたまへど、
 と申し上げなさっていた。胸がどきりとして、どのようなことでかとお嘆きになり、御法衣類に綿を厚くして、急いで準備させなさって、お届け申し上げなさる。二、三日良くおなりにならない。「どのようですか、どのようですか」と、使者を差し向けなさるが、
 というお言葉が伝えられた。姫君たちは驚きに胸が一時にふさがれた気もしながら、綿の厚い宮のお衣服を作らせてお送りなどした。それに続いて二、三日もまだ宮は山をお出になることができない。御容体を聞きに出荘から手紙の使いを出すと、
  to kikoye tamahe ri. Mune tubure te, ikanaru ni ka to obosi nageki, ohom-zo-domo wata atuku te, isogi se sase tamahi te, tatemature nado si tamahu. Ni, sam-niti okotari tamaha zu. "Ikani, ikani?" to, hito tatematuri tamahe do,
2.5.4  「 ことにおどろおどろしくはあらず。そこはかとなく苦しうなむ。すこしもよろしくならば、 今、念じて
 「特にひどく悪いというのではない。どことなく苦しいのです。もう少し良くなっら、じきに、我慢してでも帰ろう」
 「大病にかかったとは思われない。ただどことなく苦しいだけであるから、少しでもよろしくなれば帰ろうと思う。今はつとめて心身を安静にしようとしている」
  "Kotoni odoroodorosiku ha ara zu. Sokohakatonaku kurusiu nam. Sukosi mo yorosiku nara ba, ima, nenzi te."
2.5.5  など、 言葉にて聞こえたまふ。阿闍梨つとさぶらひて 仕うまつりける
 などと、口上で申し上げなさる。阿闍梨がぴったりと付き添ってお世話申し上げているのであった。
 と言葉でのお返事があった。阿闍梨あじゃりはずっと付き添って御看護をしていた。
  nado, kotoba nite kikoye tamahu. Azari tuto saburahi te tukaumaturi keru.
2.5.6  「 はかなき御悩みと見ゆれど限りのたびにもおはしますらむ君たちの御こと、何か思し嘆くべき人は皆、御宿世といふもの異々なれば、御心にかかるべきにもおはしまさず
 「ちょっとしたご病気と見えるが、最期でいらっしゃるかも知れない。姫君たちのご将来の事は、何のお嘆きになることがありましょうか。人は皆、それぞれ運命というものは別々なので、ご心配なさっても何にもなりません」
 「たいした御病患とは思われませんが、あるいはこれが御寿命の終わりになるのかもしれません。姫君がたのことを何も心配あそばすには及びません。人にはそれぞれ独立した宿命というものがあるのでございますから、あなた様は決して気がかりとあそばされることはないのでございます」
  "Hakanaki ohom-nayami to miyure do, kagiri no tabi ni mo ohasimasu ram. Kimi-tati no ohom-koto, nanika obosi nageku beki. Hito ha mina, ohom-sukuse to ihu mono kotogoto nare ba, mi-kokoro ni kakaru beki ni mo ohasimasa zu."
2.5.7  と、いよいよ思し離るべきことを聞こえ知らせつつ、「 今さらにな出でたまひそ」と、諌め申すなりけり。
 と、ますます出離なさらねばならないことを申し上げ知らせながら、「いまさら下山なさいますな」と、ご忠告申し上げるのであった。
 こう阿闍梨は言い、いよいよ恩愛の情をお捨てになることをお教え申し上げて、「今になりまして、ここからお出になるようなことはなさらぬがよろしゅうございます」といさめるのであった。
  to, iyoiyo obosi hanaru beki koto wo kikoye sirase tutu, "Imasara ni na ide tamahi so." to, isame mousu nari keri.
2.5.8   八月二十日のほどなりけり。おほかたの空のけしきもいとどしきころ、君たちは、 朝夕、霧の晴るる間もなく、思し嘆きつつ眺めたまふ有明の月のいとはなやかにさし出でて、水の面もさやかに澄みたるをそなたの蔀上げさせて、見出だしたまへるに、 鐘の声かすかに響きて、「明けぬなり」と聞こゆるほどに、人びと来て、
 八月二十日のころであった。ただでさえ空の様子のひときわ物悲しいころ、姫君たちは、朝夕の、霧の晴間もなく、お嘆きになりながら物思いに沈んでいらっしゃる。有明の月がたいそう明るく差し出して、川の表面もはっきりと澄んでいるのを、そちらの蔀を上げさせて、お覗きになっていらっしゃると、鐘の音がかすかに響いて来て、「夜が明けたようだ」と申し上げるころに、人びとが来て、
 これは八月の二十日ごろのことであった。深くものが身にしむ時節でもあって、姫君がたの心には朝霧夕霧の晴れ間もなくなげきが続いた。有り明けの月が派手はでに光を放って、宇治川の水の鮮明に澄んで見えるころ、そちらに向いて揚げ戸を上げさせて、二人は外の景色けしきにながめ入っていると、鐘の声がかすかに響いてきた。夜が明けたのであると思っているところへ、寺から人が来て、
  Hatigwati hatuka no hodo nari keri. Ohokata no sora no kesiki mo itodosiki koro, Kimi-tati ha, asayuhu, kiri no haruru ma mo naku, obosi nageki tutu nagame tamahu. Ariake no tuki no ito hanayakani sasiide te, midu no omote mo sayaka ni sumi taru wo, sonata no sitomi age sase te, miidasi tamahe ru ni, kane no kowe kasukani hibiki te, "Ake nu nari." to kikoyuru hodo ni, hitobito ki te,
2.5.9  「 この夜中ばかりになむ、亡せたまひぬる
 「この夜半頃に、お亡くなりになりました」
 「宮様はこの夜中ごろにおかくれになりました」
  "Kono yonaka bakari ni nam, use tamahi nuru."
2.5.10  と泣く泣く申す。 心にかけて、いかにとは絶えず思ひきこえたまへれど、うち聞きたまふには、あさましくものおぼえぬ心地して、 いとどかかることには涙もいづちか去にけむ、ただうつぶし臥したまへり。
 と泣く泣く申し上げる。心に懸けて、どうしていられるかと絶えずご心配申し上げていらっしゃったが、突然お聞きになって、驚いて真暗な気持ちになって、ますますこのようなことには、涙もどこに行っておしまいになったのであろうか、ただうつ伏していらっしゃった。
 と泣く泣く伝えた。その一つのらせが次の瞬間にはあるのでないかと、気にしない間もなかったのであったが、いよいよそれを聞く身になった姫君たちは失心したようになった。あまりに悲しい時は涙がどこかへ行くものらしい。二人の女王にょおうは何も言わずに俯伏うつぶしになっていた。
  to nakunaku mausu. Kokoro ni kake te, ikani to ha taye zu omohi kikoye tamahe re do, uti-kiki tamahu ni ha, asamasiku mono oboye nu kokoti si te, itodo kakaru koto ni ha, namida mo iduti ka ini kem, tada utubusi husi tamahe ri.
2.5.11   いみじき目も、見る目の前にておぼつかなからぬ こそ、常のことなれ、おぼつかなさ添ひて、思し嘆くこと、ことわりなり。しばしにても、後れたてまつりて、世にあるべきものと思しならはぬ御心地どもにて、いかでかは後れじと泣き沈みたまへど、 限りある道なりければ、何のかひなし。
 悲しい死別といっても、目の当たりに立ち会ってはっきり見届けるのが、世の常のことであるが、どのような最期であったのかの心残りも添わって、お嘆きになることは、もっともなことである。片時の間でも、先立たれ申しては、この世に生きていられようとは考えていらっしゃらなかったお二方なので、是非とも後を追いたいと泣き沈んでいらっしゃるが、寿命の定まった運命のある死出の旅路だったので、何の効もない。
 父君の死というものも日々枕頭ちんとうにいて看護してきたあとに至ったことであれば、世の習いとしてあきらめようもあるのであろうが、病中にお逢いもできなかったままでこうなったことを姫君らの歎くのももっともである。しばらくでも父君に別れたあとに生きているのを肯定しない心を二人とも持っていて、自分も死なねばならぬと泣き沈んでいるが、命は失った人にも、失おうとする人にも、左右する自由はないものであるからしかたがない。
  Imiziki me mo, miru me no mahe nite obotukanakara nu koso, tune no koto nare, obotukanasa sohi te, obosi nageku koto, kotowari nari. Sibasi nite mo, okure tatematuri te, yo ni aru beki mono to obosi naraha nu mi-kokoti-domo nite, ikadekaha okure zi to naki sidumi tamahe do, kagiri aru miti nari kere ba, nani no kahi nasi.
注釈165かの行ひたまふ三昧今日果てぬらむ姫君たちの心中の思い。2.5.1
注釈166人参りて山から八宮の使者が参上して。2.5.1
注釈167今朝より悩ましくて以下「心もとなきを」まで、使者の詞。2.5.2
注釈168さるは例よりも対面心もとなきを『完訳』は「八の宮の死別を感取する気持」と注す。「を」接続助詞、逆接の意、無念の余情。また間投助詞、詠嘆の気持ちも響く。2.5.2
注釈169二三日大島本は「二三日」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「二三日は」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。2.5.3
注釈170怠りたまはず大島本は「おこ(こ+た)り給ハす」とある。すなわち「た」を補入する。『集成』『完本』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「下りたまはず」と整定する。『新大系』は底本の補訂に従う。2.5.3
注釈171ことにおどろおどろしくはあらず以下「今念じて」まで、八宮の詞。使者に言わせる。2.5.4
注釈172今念じて『集成』は「近いうちに、無理をしてでも(帰りましょう)。「念ず」は、我慢する」。『完訳』は「すぐにでも、がまんしてでも。希望的観測による言葉」「じきに、我慢してでも下山しよう」と注す。2.5.4
注釈173言葉にて聞こえたまふ『集成』は「使者の口上で。筆を執る力もないのであろう」と注す。2.5.5
注釈174仕うまつりける大島本は「つかうまつりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「仕うまつりけり」と終止形に校訂する。『新大系』は底本のままとする。2.5.5
注釈175はかなき御悩みと見ゆれど以下「おはしまさす」まで、阿闍梨の詞。2.5.6
注釈176限りのたびにもおはしますらむこれが最期となるかもしれない。2.5.6
注釈177君たちの御こと何か思し嘆くべき反語表現。『集成』は「八の宮の妄執をさまそうとする仏者としての配慮」と注す。2.5.6
注釈178人は皆御宿世といふもの異々なれば御心にかかるべきにもおはしまさず『完訳』は「宿世は各人別々なので、あなたの意のままにならぬ、の意」と注す。2.5.6
注釈179今さらにな出でたまひそ阿闍梨の詞。『集成』は「もうこの期に及んでは山をお下りになりませぬように。心静かに臨終を迎えさせたいという配慮」と注す。2.5.7
注釈180八月二十日のほどなりけり八の宮逝去の月日。2.5.8
注釈181朝夕霧の晴るる間もなく思し嘆きつつ眺めたまふ『紫明抄』は「雁の来る峰の朝霧晴れずのみ思ひつきせぬ世の中の憂さ」(古今集雑下、九三五、読人しらず)を指摘。2.5.8
注釈182有明の月のいとはなやかにさし出でて水の面もさやかに澄みたるを二十日ころの月。秋の夜更けの清澄な感じ。2.5.8
注釈183そなたの蔀上げさせて邸の、山寺の方の蔀を上げさせて。2.5.8
注釈184鐘の声かすかに響きて明けぬなりと山寺の夜明けを知らせる鐘の音。八宮成仏の時と重なる。「なり」伝聞推定の助動詞。2.5.8
注釈185この夜中ばかりになむ亡せたまひぬる使者の詞。八宮の逝去を告げる。2.5.9
注釈186心にかけていかにとは以下、報せを受けた姫君たちの心中を語る。2.5.10
注釈187いとどかかることには父の死。2.5.10
注釈188涙もいづちか去にけむ語り手の感情移入をこめた挿入句。2.5.10
注釈189いみじき目も見る目の前にて以下、『湖月抄』は「姫君達の心を草子地にいへり」と指摘。語り手の姫君たちの心情への同情の気持ち。2.5.11
注釈190こそ常のことなれ係結び、逆接用法。2.5.11
注釈191限りある道なりければ『集成』は「寿命には運命(さだめ)のある死出の道なので、願いの叶えられるはずもない」と注す。2.5.11
校訂10 怠り 怠り--おこ(こ/+た)り 2.5.3
2.6
第六段 阿闍梨による法事と薫の弔問


2-6  Ajari holds a Buddist service for the late Hachi-no-miya

2.6.1  阿闍梨、年ごろ 契りおきたまひけるままに、後の御こともよろづに仕うまつる。
 阿闍梨は、長年お約束なさっていたことに従って、後のご法事も万事にお世話致す。
 阿闍梨あじゃりにはずっと以前から御遺言があったことであるから、葬送のこともお約束の言葉どおりにこの僧が扱ってした。
  Azari, tosigoro tigirioki tamahi keru mama ni, noti no ohom-koto mo yorodu ni tukau-maturu.
2.6.2  「 亡き人になりたまへらむ御さま容貌をだに、今一度見たてまつらむ」
 「亡き人におなりになってしまわれたというお姿ご様子だけでも、もう一度拝見したい」
 御遺骸になっておいでになる父君でも、もう一度見たい
  "Naki hito ni nari tamahe ra m ohom-sama katati wo dani, ima hitotabi mi tatematura m."
2.6.3  と思しのたまへど、
 とお考えになりおっしゃるが、
 と姫君たちは望んだのであるが、
  to obosi notamahe do,
2.6.4  「 今さらに、なでふさることかはべるべき。 日ごろも、また会ひたまふまじきことを聞こえ知らせつれば今はましてかたみに御心とどめたまふまじき御心遣ひを、ならひたまふべきなり」
 「いまさら、どうしてそのような必要がございましょうか。この日頃も、お会いしてはならないとお諭し申し上げていたので、今はそれ以上に、お互いにご執心なさってはいけないとのお心構えを、お知りになるべきです」
 「今さらそんなことをなさるべきではありません。御病中にも私は姫君がたにもお逢いにならぬがよろしいと申し上げていたのですから、こうなりましてから、互いに無益むやくな執着を作ることになり、あなたがたの将来のためにもなりません」
  "Imasara ni, nadehu saru koto ka haberu beki. Higoro mo, mata ahi tamahu maziki koto wo kikoye sirase ture ba, ima ha masite, katamini mi-kokoro todome tamahu maziki mi-kokorodukahi wo, narahi tamahu beki nari."
2.6.5  とのみ聞こゆ。 おはしましける御ありさまを聞きたまふにも、 阿闍梨のあまりさかしき聖心を、憎くつらしとなむ思しける
 とだけ申し上げる。山籠もりしていらっしゃった時のご様子をお聞きになるにつけても、阿闍梨のあまりに悟り澄ました聖心を、憎く辛いとお思いになるのであった。
 阿闍梨は許そうとしなかった。御臨終までの御様子を話されることによっても、阿闍梨のあまりな出世間ぶりを姫君たちは恨めしく憎くさえ思った。
  to nomi kikoyu. Ohasimasi keru ohom-arisama wo kiki tamahu ni mo, Azari no amari sakasiki hizirigokoro wo, nikuku turasi to nam obosi keru.
2.6.6   入道の御本意は、昔より深く おはせしかど、かう見譲る人なき 御ことどもの見捨てがたきを、生ける限りは明け暮れえ避らず見たてまつるを、よに心細き世の慰めにも、思し離れがたくて 過ぐいたまへるを、限りある道には、 先だちたまふも慕ひたまふ御心も、かなはぬわざなりけり。
 出家のご本願は、昔から深くいらっしゃったが、このように見譲る人もない姫君たちのご将来の見捨てがたいことを、生きている間は明け暮れ離れずに面倒を見て上げるのを、本当に侘しい暮らしの慰めとも、お思いになって離れがたく過ごしていらしたのだが、限りある運命の道には、先立ちなさる心配も後を慕いなさるお心も、思うにまかせないことであった。
 出家のお志は昔から深かった宮でおありになったが、まったくの孤児になる姫君を置いておおきになるのが心がかりで、生きている間はせめてかたわらを離れず守る父になっておいでになることで、また一方のやる瀬ない人の世の寂しさも紛らしておいでになったのである。それも永久のことにはならなくて、生死の線に隔てられておしまいになったことは、亡き宮のためにも、お慕いする女王がたのためにも悲しいことであった。
  Nihudau no ohom-hoi ha, mukasi yori hukaku ohase sika do, kau mi yuduru hito naki ohom-koto-domo no misute gataki wo, ike ru kagiri ha akekure e sarazu mi tatematuru wo, yo ni kokorobosoki yo no nagusame ni mo, obosi hanare gataku te sugui tamahe ru wo, kagiri aru miti ni ha, sakidati tamahu mo sitahi tamahu mi-kokoro mo, kanaha nu waza nari keri.
2.6.7   中納言殿には、聞きたまひて、いとあへなく口惜しく、 今一度、心のどかにて聞こゆべかりけること多う残りたる心地して、 おほかた世のありさま思ひ続けられて、いみじう泣いたまふ。「 またあひ見ること難くや 」などのたまひしを、なほ常の御心にも、 朝夕の隔て知らぬ世のはかなさを 、人よりけに思ひたまへりしかば、耳馴れて、 昨日今日と思はざりけるを 、かへすがへす飽かず悲しく思さる。
 中納言殿におかれては、お耳になさって、まことにあっけなく残念に、もう一度、ゆっくりとお話申し上げたいことがたくさん残っている気がして、人の世の無常が思い続けられて、ひどくお泣きになる。「再びお目にかかることは難しいだろうか」などとおっしゃっていたが、やはりいつものお心にも、朝夕の隔ても当てにならない世のはかなさを、誰よりも殊にお感じになっていたので、耳馴れて、昨日今日とは思わなかったが、繰り返し繰り返し諦め切れず悲しくお思いなさる。
 かおるも宇治の八の宮のを承った。あまりにはかない人の命が悲しまれ、尊い人格の御方が惜しまれて、もう一度ゆっくりお話のしたかったことが多く残っているように思われて、人生の悲哀がしみじみ痛感されて泣いた。これが最終の会見であるかもしれぬとお言いになったが、いつの時にも人生のはかなさもろさをお感じになっておられる方のお言葉であったから、特別なお気持ちで仰せられるとも聞かず、このように早くその悲しい期が至るとも思わなかったと考えると、かえすがえすも悲しかった。
  Tiunagon-dono ni ha, kiki tamahi te, ito ahenaku kutiwosiku, ima hitotabi, kokoro nodoka nite kikoyu bekari keru koto ohou nokori taru kokoti si te, ohokata yo no arisama omohi tuduke rare te, imiziu nai tamahu. "Mata ahi miru koto kataku ya?" nado notamahi si wo, naho tune no mi-kokoro ni mo, asayuhu no hedate sira nu yo no hakanasa wo, hito yori keni omohi tamahe ri sika ba, miminare te, kinohu kehu to omoha zari keru wo, kahesugahesu akazu kanasiku obosa ru.
2.6.8  阿闍梨のもとにも、君たちの御弔らひも、こまやかに聞こえたまふ。 かかる御弔らひなど、また訪れ きこゆる人だになき御ありさまなるは、 ものおぼえぬ御心地どもにも年ごろの御心ばへのあはれなめりしなどをも、思ひ知りたまふ。
 阿闍梨のもとにも、姫君たちのご弔問も、心をこめて差し上げなさる。このようなご弔問など、また他に誰も訪れる人さえいないご様子なのは、悲しみにくれている姫君たちにも、年来のご厚誼のありがたかったことをお分かりになる。
 阿闍梨あじゃりの所へも、山荘のほうへも弔問の品々を多く薫は贈った。こんな好意を見せる人はほかになかったのであるから、悲しみに沈んでいながらも二人の女王は昔からもこうした好意のある補助は絶えずしてくれる薫であることを思わざるをえなかった。
  Azyari no moto ni mo, Kimi-tati no ohom-toburahi mo, komayakani kikoye tamahu. Kakaru ohom-toburahi nado, mata otodure kikoyuru hito dani naki ohom-arisama naru ha, mono oboye nu mi-kokoti-domo ni mo, tosigoro no mi-kokorobahe no ahare na' meri si nado wo mo, omohi siri tamahu.
2.6.9  「 世の常のほどの別れだに、さしあたりては、またたぐひなきやうにのみ、皆人の思ひ惑ふものなめるを、慰むかたなげなる御身どもにて、いかやうなる心地どもしたまふらむ」と思しやりつつ、後の御わざなど、あるべきことども、推し量りて、 阿闍梨にも訪らひたまふ。ここにも、老い人どもにことよせて、御誦経などのことも 思ひやりたまふ
 「世間普通の死別でさえ、その当座は、比類なく悲しいようにばかり、誰でも悲しみにくれるようなのに、まして気を慰めようもないお身の上では、どのようにお悲しみになっていられるだろう」と想像なさりながら、後のご法事など、しなければならないことを想像して、阿闍梨にも挨拶なさる。こちらにも、老女たちにかこつけて、御誦経などのことをご配慮なさる。
 普通の家の親の死でも、その場合にはこれほどの悲しいことはないように思われるのであるから、ましてただお一人を頼みにして今日まで来た姫君たちはどれほど深い悲しみをしていることであろうと薫は宇治の山荘を想像して、仏事のための費用などを多く阿闍梨に寄せた。やしきのほうへも老いた弁の君の所へというようにして金品を贈り、誦経ずきょうの用にすべき物などさえも送った。
  "Yo no tune no hodo no wakare dani, sasiatari te ha, mata taguhi naki yau ni nomi, minahito no omohi madohu mono na' meru wo, nagusamu kata nage naru ohom-mi-domo nite, ikayau naru kokoti-domo si tamahu ram?" to obosi yari tutu, noti no ohom-waza nado, aru beki koto-domo, osihakari te, Azyari ni mo toburahi tamahu. Koko ni mo, oyibito-domo ni kotoyose te, mi-zukyau nado no koto mo omohiyari tamahu.
注釈192契りおきたまひける主語は八宮。2.6.1
注釈193亡き人になりたまへらむ以下「見たてまつらむ」まで、姫君の詞。「たまへ」尊敬の補助動詞、已然形。「ら」完了の助動詞、未然形、存続の意。「む」推量の助動詞。2.6.2
注釈194今さらに以下「ならひたまふべきなり」まで、阿闍梨の詞。2.6.4
注釈195日ごろもまた会ひたまふまじきことを聞こえ知らせつれば大島本は「又あひ給ましき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「またあひ見たまふまじき」と「見」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。八宮の山籠もりの間、阿闍梨が八宮に諭して言った。2.6.4
注釈196今はまして死者への妄執は成仏の妨げとなる。『完訳』は「臨終の際の執心が往生の妨げと考えられた」と注す。2.6.4
注釈197かたみに御心とどめたまふまじき『集成』は「互いに親子のご愛執をお持ちにはならないようにとの」と訳す。2.6.4
注釈198おはしましける御ありさまを八宮が山寺に籠もっていた間の様子。2.6.5
注釈199阿闍梨のあまりさかしき聖心を憎くつらしとなむ思しける『完訳』は「俗事を顧みない仏道一筋の冷静な心。俗人には非情とも見える」と注す。物語作者の立場も姫君方に同情的で、こうした仏教者に対しては批判的か。2.6.5
注釈200入道の御本意は八宮の出家の素志。2.6.6
注釈201御ことどもの見捨てがたきを格助詞「の」同格。「--見捨てがたきを」と「--見たてまつるを」は並列の構文。2.6.6
注釈202過ぐいたまへるを「を」接続助詞、逆接の意。2.6.6
注釈203先だちたまふも慕ひたまふ御心も『集成』は「お先立ちになるご心配もおあとを追いたいお気持も」。『完訳』は「先立たれる宮のお気持も、あとに残って恋い慕う姫君たちのお気持も」と訳す。2.6.6
注釈204中納言殿には聞きたまひて薫、八宮の訃報を聞く。2.6.7
注釈205今一度心のどかにて薫は七月下旬に行われる相撲の節会が過ぎたら宇治に行きたいと八宮に言っていた。2.6.7
注釈206おほかた世のありさま思ひ続けられて世の無常観。2.6.7
注釈207またあひ見ること難くや八宮が生前に言った詞。2.6.7
注釈208朝夕の隔て知らぬ世のはかなさを『集成』は「朝に紅顔有つて世路に誇れども、暮には白骨と為つて郊原に朽ちぬ」(和漢朗詠集、無常、藤原義孝)を指摘。2.6.7
注釈209昨日今日と思はざりけるを『源氏釈』は「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」(古今集哀傷、八六一、在原業平)を指摘。2.6.7
注釈210かかる御弔らひなど故八宮への弔問客。2.6.8
注釈211ものおぼえぬ御心地どもにも大君と中君。2.6.8
注釈212年ごろの御心ばへのあはれなめりしなどをも薫は故八宮の法の友として三年間の交誼がある。「なめりし」は姫君の目を通しての叙述。2.6.8
注釈213世の常のほどの別れだに以下「心地どもしたまふらむ」まで、薫の心中。姫君たちの思いを想像。2.6.9
注釈214阿闍梨にも訪らひたまふ『完訳』は「法事のための費用などを贈る」と注す。2.6.9
注釈215思ひやりたまふ大島本は「思やり給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひやりきこえたまふ」と「きこえ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。2.6.9
出典11 朝夕の隔て知らぬ 朝有紅顔誇世路 暮為白骨朽郊原 和漢朗詠集下-七九四 藤原義孝 2.6.7
出典12 昨日今日と思はざりける つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりけり 古今集哀傷-八六一 在原業平 2.6.7
校訂11 おはせしかど おはせしかど--おは(は/+せ)しかと 2.6.6
校訂12 あひ見る あひ見る--あひ見ん(ん/$る) 2.6.7
校訂13 きこゆる きこゆる--きこゆ(ゆ/+る<朱>) 2.6.8
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/5/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月13日

Last updated 2/1/2011 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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