第四十六帖 椎本


46 SIWIGAMOTO (Ohoshima-bon)


薫君の宰相中将時代
二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from February at the age of 23 to summer at the age of 24

4
第四章 宇治の姉妹の物語 歳末の宇治の姫君たち


4  Tale of sisters in Uji  Sisters of broken heart in the end of the year

4.1
第一段 歳末の宇治の姫君たち


4-1  Sisters of broken heart in the end of the year

4.1.1  雪霰降りしくころは、いづくもかくこそはある風の音なれど、今はじめて思ひ入りたらむ山住みの心地したまふ。女ばらなど、
 雪や霰が降りしくころは、どこもこのような風の音であるが、今初めて決心して入った山住み生活のような心地がなさる。女房たちなどは、
 雪やあられの多いころはどこでもはげしくなる風の音も、今はじめて寂しい恐ろしい山住みをする身になったかのごとく思って宇治の姫君たちは聞いていた。女房らが話の中で、
  Yuki arare hurisiku koro ha, iduku mo kaku koso ha aru kaze no oto nare do, ima hazime te omohiiri tara m yamazumi no kokoti si tamahu. Womnabara nado,
4.1.2  「 あはれ、年は替はりなむとす。心細く悲しきことを。 改まるべき春待ち出でてしがな
 「ああ、新しい年がやってきます。心細く悲しいこと。年の改まった春を待ちたいわ」
 「いよいよ年が変わりますよ。心細い悲しい生活が改まるような春の来ることが待たれますよ」
  "Ahare, tosi ha kahari na m to su. Kokorobosoku kanasiki koto wo! Aratamaru beki haru matiide te si gana!"
4.1.3  と、 心を消たず言ふもあり。「 難きことかな」と聞きたまふ。
 と、気を落とさずに言う者もいる。「難しいことだわ」とお聞きになる。
 などと言っているのが聞こえる。何かに希望をつないでいるらしい。そんな春は絶対にないはずであると姫君たちは思っていた。
  to, kokoro wo keta zu ihu mo ari. "Kataki koto kana!" to kiki tamahu.
4.1.4  向かひの山にも、 時々の御念仏に籠もりたまひしゆゑ こそ、人も参り通ひしか、阿闍梨も、いかがと、おほかたにまれに訪れきこゆれど、 今は何しにかはほのめき参らむ
 向かいの山でも、季節季節の御念仏に籠もりなさった縁故で、人も行き来していたが、阿闍梨も、いかがですかと、一通りはたまにお見舞いを申し上げはしても、今では何の用事でちょっとでも参ろうか。
 宮が時々念仏におこもりになったために、向かいの山寺に人の出はいりすることもあったのであるが、阿闍梨あじゃり音問おとずれの使いはおりおり送っても、宮のおいでにならぬ山荘へ彼自身は来てもかいのないこととして顔を見せない。
  Mukahi no yama ni mo, tokidoki no ohom-nenbutu ni komori tamahi si yuwe koso, hito mo mawiri kayohi sika, Azari mo, ikaga to, ohokata ni mare ni otodure kikoyure do, ima ha nani si ni kaha honomeki mawira m.
4.1.5  いとど人目の絶え果つるも、 さるべきことと思ひながら、いと悲しくなむ。何とも見ざりし山賤も、おはしまさでのち、たまさかにさしのぞき参るは、 めづらしく思ほえたまふ。このころのこととて、 薪、木の実拾ひて参る山人どもあり。
 ますます人目も絶え果てたのも、そのようなこととは思いながらも、まことに悲しい。何とも思えなかった山賤も、宮がお亡くなりになって後は、たまに覗きに参る者は、珍しく思われなさる。この季節の事とて、薪や、木の実を拾って参る山賤どももいる。
 時のたつにつれて山荘の人の目にはいる人影は少なくなるばかりであった。気にとまらなかった村民などさえもたまさかにたずねてくれる時はうれしく思うようになった。寒い日に向かうことであるから燃料の枝とか、木の実とかを拾い集めてささげる山の男もあった。
  Itodo hitome no taye haturu mo, sarubeki koto to omohi nagara, ito kanasiku nam. Nanitomo mi zari si yamagatu mo, ohasimasa de noti, tamasakani sasinozoki mawiru ha, medurasiku omohoe tamahu. Konokoro no koto tote, takigi, konomi hirohi te mawiru yamabito-domo ari.
4.1.6  阿闍梨の室より、炭 などやうのものたてまつるとて、
 阿闍梨の庵室から、炭などのような物を献上すると言って、
 阿闍梨の寺から炭などを贈って来た時に、
  Azari no muro yori, sumi nado yau no mono tatematuru tote,
4.1.7  「 年ごろにならひはべりにける宮仕への、今とて 絶えはつらむが 心細さになむ
 「長年馴れました宮仕えが、今年を最後として絶えてしまうのが、心細く思われますので」
 年々のことになっておりますのが、ただ今になりまして中絶させますのは寂しいことですから。
  "Tosigoro ni narahi haberi ni keru miyadukahe no, ima tote taye hatu ram ga, kokorobososa ni nam."
4.1.8  と聞こえたり。 かならず冬籠もる山風ふせぎつべき綿衣など遣はししを、思し出でてやりたまふ。法師ばら、童べなどの上り行くも、見えみ見えずみ、いと雪深きを、 泣く泣く立ち出でて見送りたまふ
 と申し上げていた。必ず冬籠もり用の山風を防ぐための綿衣などを贈っていたのを、お思い出しになってお遣りになる。法師たち、童などが山に上って行くのが、見えたり隠れたり、たいそう雪が深いのを、泣く泣く立ち出てお見送りなさる。
 という挨拶あいさつがあった。冬季の僧たちのために、必ず毎年綿入れの衣服類を宮が寺へ納められたのを思い出して、女王もそれらの品々を使いに託した。荷を運んで来た僧や子供侍が向かいの山の寺へ上がって行く姿が見え隠れに山荘から数えられた。雪の深く積もった日であった。泣く泣く姫君は縁側の近くへ出て見送っていたのである。
  to kikoye tari. Kanarazu huyugomoru yamakaze husegi tu beki wataginu nado tukahasi si wo, obosi ide te yari tamahu. Hohusi-bara, warahabe nado no nobori yuku mo, miye-mi miyezu-mi, ito yuki hukaki wo, nakunaku tatiide te miokuri tamahu.
4.1.9  「 御髪など下ろいたまうてける、さる方にて おはしまさましかば、かやうに通ひ参る人も、おのづからしげからまし」
 「お髪などを下ろしなさったが、そのようなお姿ででも生きていて下さったら、このように通って参る人も、自然と多かったでしょうに」
 宮はたとい出家をあそばされても、生きてさえおいでになればこんなふうに使いが常に往来ゆききすることによって自分らは慰められたであろう、
  "Migusi nado oroi tamau te keru, saru kata nite ohasimasa masika ba, kayau ni kayohi mawiru hito mo, onodukara sigekara masi."
4.1.10  「 いかにあはれに心細くとも、あひ見たてまつること 絶えてやまましやは
 「どんなに寂しく心細くても、お目にかかれないこともなかったでしょうに」
 どんなに心細い日を送っても、また父君においのできる日はあったはずである
  "Ikani ahare ni kokorobosoku tomo, ahi mi tatematuru koto taye te yama masi yaha!"
4.1.11  など、語らひたまふ。
 などと、語り合っていらっしゃる。
 などと二人は語り合って、大姫君、
  nado, katarahi tamahu.
4.1.12  「 君なくて岩のかけ道絶えしより
   松の雪をもなにとかは見る
 「父上がお亡くなりになって岩の険しい山道も絶えてしまった今
  松の雪を何と御覧になりますか
  君なくて岩のかけ道絶えしより
  松の雪をも何とかは見る
    "Kimi naku te iha no kakemiti taye si yori
    matu no yuki wo mo nani to kaha miru
4.1.13  中の宮、
 中の宮、
 中の君、
  Naka-no-Miya,
4.1.14  「 奥山の松葉に積もる雪とだに
   消えにし人を思はましかば
 「奥山の松葉に積もる雪とでも
  亡くなった父上を思うことができたらうれしゅうございます
  奥山の松葉に積もる雪とだに
  消えにし人を思はましかば
    "Okuyama no matuba ni tumoru yuki to dani
    kiye ni si hito wo omoha masika ba
4.1.15   うらやましくぞ、またも降り添ふや
 うらやましくいことに、消えてもまた雪は降り積もることよ。
 消えた人でない雪はまたまた降りそって積もっていく、うらやましいまでに。
  Urayamasiku zo, mata mo huri sohu ya!
注釈332あはれ年は替はりなむとす以下「春待ち出でてしがな」まで、女房の詞。4.1.2
注釈333改まるべき春待ち出でてしがな『集成』は「百千鳥囀る春はものごとに改まれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。4.1.2
注釈334難きことかな姫君たちの心中の思い。4.1.3
注釈335時々の御念仏に籠もりたまひし四季毎の念仏。主語は八宮。4.1.4
注釈336こそ人も参り通ひしか「こそ--しか」係結びの法則。逆接用法。4.1.4
注釈337今は何しにかはほのめき参らむ『完訳』は「挿入句」と注す。語り手の感情移入をともなった表現。4.1.4
注釈338さるべきことと『集成』は「これが当り前だと」。『完訳』は「無理からぬことと」と訳す。4.1.5
注釈339めづらしく思ほえたまふ主語は姫君たち。4.1.5
注釈340薪木の実拾ひて参る山人ども『集成』は「『法華経』提婆達多品の「即ち仙人に随ひて、所須を供給し、果を採り水を汲み、薪を拾ひ食を設け」の文が念頭にあろう」と注す。4.1.5
注釈341年ごろにならひはべりにける宮仕への以下「心細さになむ」まで、阿闍梨の文言。4.1.7
注釈342絶えはつらむが大島本は「たえは△(△#つ)らんか」とある。すなわち元の文字「△(判読不能、「へ」カ)」を抹消して「つ」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「絶えはべらむが」と校訂する。『新大系』は底本の訂正に従う。4.1.7
注釈343心細さになむ係助詞「なむ」の下には「送りはべる」などの語句が省略。4.1.7
注釈344かならず「遣はししを」にかかる。『完訳』は「阿闍梨への返礼に、綿入れの着物を贈るのが例になっていたか」と注す。4.1.8
注釈345泣く泣く立ち出でて見送りたまふ主語は姫君たち。4.1.8
注釈346御髪など以下「やまましやは」まで、姫君たちの詞。4.1.9
注釈347おはしまさましかば「ましかば--まし」反実仮想の構文。4.1.9
注釈348いかにあはれに以下、父宮が生きていて、山寺に出家した姿ででもいたのであったら、という仮想のもとの詞。4.1.10
注釈349絶えてやまましやは「絶えて」副詞。「やは」連語、係助詞、反語。4.1.10
注釈350君なくて岩のかけ道絶えしより--松の雪をもなにとかは見る大君から中君への贈歌。「君」は父宮、「見る」の主語は中君。「岩のかけ道」は、山荘と山寺を結ぶ桟道。『河海抄』は「世にふれば憂さこそまされ吉野の岩のかけ道踏みならしてむ」(古今集雑下、九五一、読人しらず)を指摘。4.1.12
注釈351奥山の松葉に積もる雪とだに--消えにし人を思はましかば中君の返歌。「松」「雪」の語句を用いる。「雪」「消え」縁語。「思はましかば」反実仮想。『細流抄』は「奥山の松には凍る雪よりも我が身世にふるほどぞはかなき」(伊勢集)「消えやすき露の命にくらぶればげに滞る松の雪かな」(伊勢集)を指摘。雪と同様に思えたらうれしい、雪は消えても再び降り積もるものであるから、しかし、人は一度死ねば再び会えない。4.1.14
注釈352うらやましくぞまたも降り添ふや『新釈』は「記者の詞」。『評釈』は「中の宮が歌を受けて、そのまま言ったのだ。中の宮の言葉だ、とも解しうる。しかし、その一人の言葉というより、姉妹二人の心と見るほうがよかろう。期せずして二人は、同じ思いをもったのだと。また同時に、これは、語り手の言葉である。いま現実に目に見ながら語る思い、現場からの放送である。すなわち読者の目に雪が見え、この言葉が姉妹の言葉として聞こえるであろう」と注す。4.1.15
出典24 改まるべき春 百千鳥さへづる春はものごとに改まれども我ぞ古りゆく 古今集春上-二八 読人しらず 4.1.2
校訂22 心を消たず言ふもあり。「難きことかな」と 心を消たず言ふもあり。「難きことかな」と--(/+心をけたすいふもありかたき事かなと) 4.1.3
校訂23 何しに 何しに--なにこと(こと/$し)に 4.1.4
校訂24 など など--なと(なと/#<朱>)なと 4.1.6
校訂25 絶えはつらむ 絶えはつらむ--たえはへ(へ/#つ)らん 4.1.7
4.2
第二段 薫、歳末に宇治を訪問


4-2  Kaoru visits to Uji in the end of the year

4.2.1  中納言の君、「 新しき年は、ふとしもえ訪らひきこえざらむ」と思して おはしたり。雪もいと所狭きに、 よろしき人だに見えずなりにたるを、 なのめならぬけはひして、軽らかにものしたまへる心ばへの、浅うはあらず思ひ知られたまへば、例よりは見入れて、御座などひきつくろはせたまふ。
 中納言の君は、「新年は、少しも訪問することができないだろう」とお思いになっていらっしゃった。雪もたいそう多い上に、普通の身分の人でさえ見えなくなってしまったので、並々ならぬ立派な姿をして、気軽に訪ねて来られたお気持ちが、浅からず思い知られなさるので、いつもよりは心をこめて、ご座所などをお設けさせなさる。
 かおるは新年になれば事が多くて、行こうとしても急には宇治へ出かけられまいと思って山荘の姫君がたをたずねてきた。雪の深く降り積もった日には、まして人並みなものの影すら見がたい家に、美しい風采ふうさいの若い高官が身軽に来てくれたことは貴女たちをさえ感激させたのであろう、平生よりも心を配って客の座の設けなどについて大姫君は女房らへ指図さしずを下していた。
  Tiunagon-no-Kimi, "Atarasiki tosi ha, huto simo e toburahi kikoye zara m." to obosi te ohasi tari. Yuki mo ito tokoroseki ni, yorosiki hito dani miye zu nari ni taru wo, nanome nara nu kehahi si te, karorakani monosi tamahe ru kokorobahe no, asau ha ara zu omohisira re tamahe ba, rei yori ha miire te, omasi nado hiki-tukuroha se tamahu.
4.2.2  墨染ならぬ御火桶、 奥なる取り出でて、塵かき払ひなどするにつけても、 宮の待ち喜びたまひし御けしきなどを、人びとも聞こえ出づ。 対面したまふことをば、つつましくのみ思いたれど、 思ひ隈なきやうに 人の思ひたまへれば、いかがはせむとて、聞こえたまふ。
 服喪者用でない御火桶を、部屋の奥にあるのを取り出して、塵をかき払いなどするにつけても、父宮がお待ち喜び申し上げていたご様子などを、女房たちもお噂申し上げる。直接お話なさることは、気の引けることとばかりお思いになっていたが、好意を無にするように思っていらっしゃるので、仕方のないことと思って、応対申し上げなさる。
 喪の黒漆でない火鉢ひばちを、しまいこんだ所から取り出してちりを払いなどしながらも、女房は亡き宮がこの客をどのように喜んでお迎えになったかというようなことを姫君に申しているのであった。みずから出て話すことはなお晴れがましいこととして姫君は躊躇ちゅうちょしていたが、あまりに思いやりのないように薫のほうでは思うふうであったから、しかたなしに物越しで相手の言葉を聞くことになった。
  Sumizome nara nu ohom-hiwoke, oku naru toriide te, tiri kaki-harahi nado suru ni tuke te mo, Miya no mati yorokobi tamahi si mi-kesiki nado wo, hitobito mo kikoye idu. Taimen si tamahu koto wo ba, tutumasiku nomi oboi tare do, omohi kumanaki yau ni hito no omohi tamahe re ba, ikagaha se m tote, kikoye tamahu.
4.2.3  うちとくとはなけれど、さきざきよりはすこし言の葉続けて、ものなどのたまへるさま、いとめやすく、心恥づかしげなり。「 かやうにてのみは、え過ぐし果つまじと思ひなりたまふも、「 いとうちつけなる心かな。なほ、移りぬべき世なりけり」と思ひゐたまへり。
 気を許すというのではないが、以前よりは少し言葉数多く、ものをおっしゃる様子が、たいそうそつがなく、奥ゆかしい感じである。「こうしてばかりは、続けられそうにない」とお思いになるにつけても、「まことにあっさり変わってしまう心だな。やはり、恋心に変わってまう男女の仲なのだな」と思っていらっしゃった。
 打ち解けたとまではいわれぬが、前の時分よりは少し長く続けた言葉で応答をする様子に、不完全なところのない貴女らしさが見えた。こうした性質の交際だけでは満足ができぬと薫は思い、これはやや突然な心の動き方である、人は変わるものである、本来の自分はそうした方面へ進むはずではないのであるが、どうなっていくことかなどと自己を批判していた。
  Uti-toku to ha nakere do, sakizaki yori ha sukosi kotonoha tuduke te, mono nado notamahe ru sama, ito meyasuku, kokorohadukasige nari. "Kayau ni te nomi ha, e sugusi hatu mazi." to omohi nari tamahu mo, "Ito utituke naru kokoro kana! Naho, uturi nu beki yo nari keri." to omohi wi tamahe ri.
注釈353新しき年は以下「きこえざらむ」まで、薫の心中。新年早々はいろいろと年中行事が多くて宇治へは行けまい、の意。4.2.1
注釈354よろしき人だに普通の身分の人。普通といっても貴族として普通。4.2.1
注釈355なのめならぬけはひして軽らかに薫の姿。並々ならぬ立派な風采でしかも気軽に訪問、その親密さをうかがわせる。4.2.1
注釈356奥なる取り出でて大島本は「おくなるとりいてゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「物の奥なる」と諸本に従って「物の」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。4.2.2
注釈357宮の待ち喜びたまひし御けしき生前に父宮が薫を。4.2.2
注釈358対面したまふことをば『集成』は「直接お話しなさることを」。『完訳』は「この「対面」は、几帳や御簾などを隔てながらも直接会話を交す対座」と注す。4.2.2
注釈359思ひ隈なきやうに好意を無にしたように、の意。4.2.2
注釈360人の思ひたまへれば「人」は薫をさす。4.2.2
注釈361かやうにてのみはえ過ぐし果つまじ薫の心中の思い。『完訳』は「結婚を前提とする深い親交を望む」と注す。4.2.3
注釈362と思ひなりたまふも地の文。薫の心中文に地の文を挿入し、客観化する。4.2.3
注釈363いとうちつけなる心かな以下「世なりけり」まで、薫の心中の思い。前の思いを反省する。4.2.3
校訂26 おはしたり おはしたり--おはした(た/+り<朱>) 4.2.1
4.3
第三段 薫、匂宮について語る


4-3  Kaoru talks about Nio-no-miya to sisters

4.3.1  「 宮の、いとあやしく恨みたまふことのはべるかな。 あはれなりし御一言をうけたまはりおきしさまなど、 ことのついでにもや、漏らし聞こえたりけむ 。また いと隈なき御心のさがにて、推し量りたまふにやはべらむ、 ここになむ、ともかくも聞こえさせなすべきと頼むを、 つれなき御けしきなるはもてそこなひきこゆるぞと、たびたび怨じたまへば、心よりほかなることと思うたまふれど、 里のしるべ、いとこよなうもえあらがひきこえぬを、 何かは、いとさしももてなしきこえたまはむ
 「匂宮が、たいそう不思議とお恨みになることがございましたね。しみじみとしたご遺言を一言承りましたことなどを、何かのついでに、ちらっとお洩らし申し上げたことがあったのでしょうか。またとてもよく気の回るお方で、推量なさったのでしょうか、わたしに、うまく申し上げてくれるようにと頼むのに、冷淡なご様子なのは、うまくお取り持ち申さないからだと、度々お恨みになるので、心外なこととは存じますが、山里への案内役は、きっぱりとお断り申し上げることもできかねるのですが、なにも、そのようにおあしらい申し上げなさいますな。
 「兵部卿の宮が、私に御自身への同情心が欠けていると恨んでおられることがあるのです。故人の宮様が、姫君がたについて私への最後のお言葉などを、何かのついでに申し上げたのかもしれません。また女性に興味をお持ちになるお心から想像をたくましくあそばしての恋であるかもしれません。私が女王にょおうがたにこの御縁談を取りなして成功させるだけの好意を示すべきであるのに、こちらでは御冷淡な態度をおとり続けになりますので、私がかえって妨げをしているのではないかというふうにたびたび仰せられるものですから、そうしましたことは私のしたいと思うことではありませんが、また御紹介しておつれ申し上げるくらいを断然お断わりするというふうにもまいらないのです。どうしてお手紙などをそう御冷淡にお扱いになるのでしょう。
  "Miya no, ito ayasiku urami tamahu koto no haberu kana! Ahare nari si ohom-hitokoto wo uketamahari oki si sama nado, koto no tuide ni mo ya, morasi kikoye tari kem. Mata ito kumanaki mi-kokoro no saga nite, osihakari tamahu ni ya habera m, koko ni nam, tomokakumo kikoyesase nasu beki to tanomu wo, turenaki mi-kesiki naru ha, mote-sokonahi kikoyuru zo to, tabitabi wenzi tamahe ba, kokoro yori hoka naru koto to omou tamahure do, sato no sirube, ito koyonau mo e aragahi kikoye nu wo, nanikaha, ito sasimo motenasi kikoye tamaha m.
4.3.2  好いたまへるやうに、人は聞こえなすべかめれど、心の底あやしく深うおはする宮なり。 なほざりごとなど のたまふわたりの、心軽うてなびきやすなるなどを、めづらしからぬものに 思ひおとしたまふにや、となむ聞くこともはべる。何ごとにもあるに従ひて、心を立つる方もなく、 おどけたる人こそ、ただ世のもてなしに従ひて、とあるもかかるもなのめに見なし、すこし心に違ふふしあるにも、いかがはせむ、 さるべきぞ、なども思ひなすべかめれば、 なかなか心長き例になるやうもあり
 好色でいらっしゃるように、人はお噂申し上げているようですが、心の奥は不思議なほど深くいらっしゃる宮です。軽い冗談などをおっしゃる女たちで、軽はずみに靡きやすいという人などを、珍しくない女として軽蔑なさるのだろうか、と聞くこともございます。どのようなことも成り行きにまかせて、我を張ることもなく、穏やかな人こそが、ただ世間の習わしに従って、どうなるもこうなるも適当に我慢し、少し思いと違ったことがあっても、仕方のないことだ、そういうものだ、などと諦めるようですので、かえって長く添い遂げるような例もあります。
 好色な方のように世間では言うようですが、普通に恋をあさる方ではありません。女に対して一つの見識を立てておいでになる方ですよ。遊戯的に手紙をおやりになる相手があさはかで、たやすく受け入れようとするのなどは軽蔑けいべつして接近されるようなこともないという話です。何事の上にも自意識が薄くてなるにまかせている人は他から勧められるままに結婚もして、欠点が目について気に入らぬところはあっても、これが運命なのであろう、今さらしかたがないと我慢して済ますでしょうから、かえってほかから見てまじめな移り気のない男に見えもするでしょう。
  Sui tamahe ru yau ni, hito ha kikoye nasu beka' mere do, kokoro no soko ayasiku hukau ohasuru Miya nari. Nahozarigoto nado notamahu watari no, kokoro karou te nabiki yasu naru nado wo, medurasikara nu mono ni omohi otosi tamahu ni ya, to nam kiku koto mo haberu. Nanigoto ni mo aru ni sitagahi te, kokoro wo taturu kata mo naku, odoke taru hito koso, tada yo no motenasi ni sitagahi te, toaru mo kakaru mo nanome ni minasi, sukosi kokoro ni tagahu husi aru ni mo, ikagaha se m, sarubeki zo, nado mo omohi nasu bekamere ba, nakanaka kokoronagaki tamesi ni naru yau mo ari.
4.3.3   崩れそめては、龍田の川の濁る名をも汚し、いふかひなく名残なきやうなることなども、皆 うちまじるめれ。心の深うしみたまふべかめる御心ざまにかなひ、ことに背くこと多くなどものしたまはざらむをば、さらに、軽々しく、 初め終り違ふやうなることなど、見せたまふまじきけしきになむ
 壊れ始めては、龍田川が濁る名を汚し、言いようもなくすっかり破綻してしまうようなことなども、あるようです。心から深く愛着を覚えていらっしゃるらしいご性分にかない、特に御意に背くようなことが多くおありでない方には、全然、軽々しく、始めと終わりが違うような態度などを、お見せなさらないご性格です。
 しかしそうでない場合もあって、男はそのために身を持ちくずし、一方は捨てられた妻で終わるという悲惨なことにもなるのです。お心をく点の多い女性においになって、その女性が宮をお愛しするかぎりは軽々しく初めに変わった態度をおとりになるような恐れのない方だと私は思っています。
  Kudure some te ha, Tatuta-no-kaha no nigoru na wo mo kegasi, ihukahinaku nagori naki yau naru koto nado mo, mina uti-maziru mere. Kokoro no hukau simi tamahu beka' meru mi-kokorozama ni kanahi, koto ni somuku koto ohoku nado monosi tamaha zara m wo ba, sarani, karugarusiku, hazime ohari tagahu yau naru koto nado, mise tamahu maziki kesiki ni nam.
4.3.4  人の見たてまつり知らぬことを、 いとよう見きこえたるをもし似つかはしく、さもやと思し寄らば、そのもてなしなどは、心の限り尽くして仕うまつりなむかし。 御中道のほど、乱り脚こそ痛からめ
 誰も存じ上げていないことを、とてもよく存じておりますから、もし似つかわしく、ご縁をとお考になったら、その取りなしなどは、できる限りのお骨折りを致しましょう。京と宇治との間を奔走して、脚の痛くなるまで尽力しましょう」
 だれもよく観察申し上げないようなことも私だけは細かくお知り申し上げている宮です。もし似合わしい御縁だと思召すようでしたら、私はこちらの者としてできるだけのことを御新婦のためにいたしましょう。ただ道が遠い所ですから奔走する私の足が痛くなることでしょう」
  Hito no mi tatematuri sira nu koto wo, ito you mi kikoye taru wo, mosi ni tukahasiku, samoya to obosi yora ba, sono motenasi nado ha, kokoro no kagiri tukusi te tukaumaturi na m kasi. Ohom-nakamiti no hodo, midariasi koso itakara me."
4.3.5  と、いとまめやかにて、言ひ続けたまへば、 わが御みづからのこととは思しもかけず、「 人の親めきていらへむかし」と思しめぐらしたまへど、なほ言ふべき言の葉もなき心地して、
 と、実に真面目に、おっしゃり続けなさるので、ご自身のことはお考えにもならず、「妹君の親代わりになって返事しよう」とご思案なさるが、やはりお答えすべき言葉も出ない気がして、
 忠実に話し続ける薫の言葉を聞いていて、これを自分の問題であるとは思わぬ大姫君は、姉として年長者らしい、母代わりのよい挨拶あいさつがしたいと思うのであったが、その言葉が見つからないままに、
  to, ito mameyaka nite, ihi tuduke tamahe ba, waga ohom-midukara no koto to ha obosi mo kake zu, "Hito no oyameki te irahe m kasi." to obosi megurasi tamahe do, naho ihu beki kotonoha mo naki kokoti si te,
4.3.6  「 いかにとかは。かけかけしげにのたまひ続くるに、なかなか聞こえむこともおぼえはべらで」
 「何と申し上げてよいものでしょうか。いかにもご執着のようにおっしゃり続けるので、かえってどのようにお答えしてよいか存じません」
 「何とも申し上げることはございません。一つのことをあまり熱心にお話しなさいますものですから、私は戸惑いをして」
  "Ikani to ka ha. Kakekakesige ni notamahi tudukuru ni, nakanaka kikoye m koto mo oboye habera de."
4.3.7  と、うち笑ひたまへるも、おいらかなるものから、けはひをかしう聞こゆ。
 と、ほほ笑みなさるのが、おっとりとしている一方で、その感じが好ましく聞こえる。
 と笑ってしまったのもおおようで、美しい感じを相手に受け取らせた。
  to, uti-warahi tamahe ru mo, oiraka naru monokara, kehahi wokasiu kikoyu.
注釈364宮のいとあやしく以下「痛からめ」まで、薫の詞。「宮」は匂宮をさす。4.3.1
注釈365あはれなりし御一言を八宮の遺言をさす。4.3.1
注釈366ことのついでにもや漏らし聞こえたりけむ何かの機会に薫が匂宮に話したことがあったのだろうか、の意。4.3.1
注釈367いと隈なき御心のさがにて匂宮の性格をいう。女性関係に関心深い性格。4.3.1
注釈368ここになむともかくも聞こえさせなすべきと私薫に中君との仲を何とか執り成すようにと、の意。以下、匂宮の詞を間接話法で語る。4.3.1
注釈369つれなき御けしきなるは主語は中君。4.3.1
注釈370もてそこなひきこゆるぞと主語は薫。『完訳』は「薫のとりなし方が悪い、の意」と注す。4.3.1
注釈371里のしるべ『源氏釈』は「あまの住む里のしるべにあらなくに恨みむとのみ人の言ふらむ」(古今集恋四、七二七、小野小町)を指摘。匂宮を案内すること。4.3.1
注釈372何かはいとさしももてなしきこえたまはむ主語は姫君たち。匂宮に対して。反語表現。4.3.1
注釈373なほざりごと以下「思ひおとしたまふにや」まで、人の詞の引用。4.3.2
注釈374のたまふわたりの心軽うてなびきやすなる格助詞「の」同格。4.3.2
注釈375思ひおとしたまふにや主語は匂宮。4.3.2
注釈376おどけたる人こそ係助詞「こそ」は「なるやうもあり」に係るが、結びの流れとなっている。4.3.2
注釈377さるべきぞ『集成』は「これも定めだ」。『完訳』は「これも因縁というものだろう」と訳す。4.3.2
注釈378なかなか心長き例になるやうもあり『集成』は「かえって(浮気沙汰などあっても)相手の夫がその女を妻として末長く添い遂げるといった例になることもあります」と訳す。4.3.2
注釈379崩れそめては龍田の川の濁る名をも汚し『源氏釈』は「神奈備の三室の岸や崩るらむ龍田の川の水の濁れる」(拾遺集物名、三八九、高向草春)を指摘。4.3.3
注釈380うちまじるめれ係助詞「こそ」はないが、文末、已然形。4.3.3
注釈381初め終り違ふやうなることなど見せたまふまじきけしきになむ『集成』は「気に入られた人なら、気持の変るようなことはないお人柄だ、という」。係助詞「なむ」の下に「おはす」などの語句が省略。4.3.3
注釈382いとよう見きこえたるを主語は薫。接続助詞「を」順接、原因理由を表す。4.3.4
注釈383もし似つかはしくさもやと思し寄らば匂宮と中君の縁談。4.3.4
注釈384御中道のほど乱り脚こそ痛からめ『集成』は「(そうなれば)京とこの宇治との間を奔走して、定めし脚の痛い思いをすることになりましょう。「乱り脚」は、「乱りごこち」「乱り風」などと同じ言い方」と注す。4.3.4
注釈385わが御みづからのこと大君自身のこと。4.3.5
注釈386人の親めきていらへむかし大君の心中の思い。「人の」は妹をさす。4.3.5
注釈387いかにとかは以下「おぼえはべらで」まで、大君の詞。この下に「のたまはむ」または「きこえむ」などの語句が省略。『集成』は「どういうお話なのでしょう」。『完訳』は「なんと申し上げたらよいのでしょう」と訳す。4.3.6
出典25 里のしるべ 海人の住む里のしるべにあらなくにうらみむとのみ人の言ふらむ 古今集恋四-七二七 小野小町 4.3.1
出典26 崩れそめては、龍田の川の濁る名をも汚し 神奈備の三室の岸や崩るらむ龍田の川の水の濁れる 拾遺集物名-三八九 高向草春 4.3.3
校訂27 にもや にもや--に(に/+も)や 4.3.1
校訂28 痛からめ 痛からめ--(/+い)たからめ 4.3.4
4.4
第四段 薫と大君、和歌を詠み交す


4-4  Kaoru and Ohoi-kimi compose and exchange waka

4.4.1  「 かならず御みづから聞こしめし負ふべきこととも思うたまへず。それは、 雪を踏み分けて参り来たる心ざしばかりを 、御覧じ分かむ 御このかみ心にても過ぐさせたまひてよかしかの御心寄せは、また異にぞはべべかめるほのかにのたまふさまもはべめりしを、いさや、それも 人の分ききこえがたきことなり御返りなどは、いづ方にかは聞こえたまふ」
 「必ずしもご自身のこととしてお考えになることとも存じません。それは、雪を踏み分けて参った気持ちぐらいは、ご理解下さる姉君としてのお考えでいらっしゃって下さい。あの宮のご関心は、また別な方のほうにあるようでございます。わずかに文をお取り交わしなさることもございましたが、さあ、それも他人にはどちらかと判断申し上げにくいことです。お返事などは、どちらの方が差し上げなさるのですか」
 「あなたの問題として御判断を願っていることではございません。そちらは雪の中を分けてまいりました志だけをお認めになっていただけばよろしいのです。先ほどの話は姉君としてお考えおきください。宮の対象にあそばされる方はまた別の方のようです。御手跡の主の不分明な点についてのお話も少し承ったことがあるのですが、あちらへのお返事はどちらの女王様がなさっていらっしゃいますか
  "Kanarazu ohom-midukara kikosimesi ohu beki koto to mo omou tamahe zu. Sore ha, yuki wo humi wake te mawiri ki taru kokorozasi bakari wo, goranzi waka m ohom-konokamigokoro nite mo sugusa se tamahi te yo kasi. Kano mi-kokoroyose ha, mata kotoni zo habe beka' meru. Honokani notamahu sama mo habe' meri si wo, isaya, sore mo hito no waki kikoye gataki koto nari. Ohom-kaheri nado ha, idukata ni ka ha kikoye tamahu?"
4.4.2  と問ひ申したまふに、「 ようぞ、戯れにも聞こえざりける。何となけれど、かうのたまふにも、いかに恥づかしう 胸つぶれまし」と思ふに、え答へやりたまはず。
 とお尋ね申し上げるので、「よくまあ、冗談にも差し上げなくてよかったことよ。何ということはないが、このようにおっしゃるにつけても、どんなに恥ずかしく胸が痛んだことだろう」と思うと、お返事もおできになれない。
 と薫は尋ねていた。よくも自分が戯れにもお相手になってそののちの手紙を書くことをしなかった、それはたいしたことではないが、こんなことを言われた際に、どれほど恥ずかしいかもしれないからと大姫君は思っていても、返辞はできないで、
  to tohi mausi tamahu ni, "You zo, tahabureni mo kikoye zari keru. Nani to nakere do, kau notamahu ni mo, ikani hadukasiu mune tubure masi." to omohu ni, e kotahe yari tamaha zu.
4.4.3  「 雪深き山のかけはし君ならで
   またふみかよふ跡を見ぬかな
 「雪の深い山の懸け橋は、あなた以外に
  誰も踏み分けて訪れる人はございません
  雪深き山の桟道かけはし君ならで
  またふみ通ふ跡を見ぬかな
    "Yuki hukaki yama no kakehasi kimi nara de
    mata humi kayohu ato wo mi nu kana
4.4.4  と書きて、 さし出でたまへれば、
 と書いて、差し出しなさると、
 こう書いて出すと、
  to kaki te, sasiide tamahe re ba,
4.4.5  「 御ものあらがひこそ、なかなか心おかれはべりぬべけれ」とて、
 「お言い訳をなさるので、かえって疑いの気持ちが起こります」と言って、
 「釈明のお言葉を承りますことはかえって私としては不安です」と薫は言って、
  "Ohom-monoaragahi koso, nakanaka kokorooka re haberi nu bekere." tote,
4.4.6  「 つららとぢ駒ふみしだく山川を
   しるべしがてらまづや渡らむ
 「氷に閉ざされて馬が踏み砕いて歩む山川を
  宮の案内がてら、まずはわたしが渡りましょう
  「つららとぢこま踏みしだく山河やまかは
  しるべしがてらまづや渡らん
    "Turara todi koma humi sidaku yamagaha wo
    sirube si-gatera madu ya watara m
4.4.7   さらばしも、影さへ見ゆるしるしも、浅うははべらじ
 そうなったら、わたしが訪ねた効も、あるというものでしょう」
 それが許されましたなら影さえ見ゆる(浅香山影さへ見ゆる山の井の浅くは人をわれはなくに)の歌の深い真心に報いられるというものです」
  Saraba simo, kage sahe miyuru sirusi mo, asau ha habera zi."
4.4.8  と聞こえたまへば、 思はずに、ものしうなりて、ことにいらへたまはず。 けざやかに、いともの遠くすくみたるさまには見えたまはねど、今やうの若人たちのやうに、艶げにももてなさで、いとめやすく、 のどかなる心ばへならむとぞ、推し量られたまふ人の御けはひなる。
 と申し上げなさると、意外な懸想に、嫌な気がして、特にお答えなさらない。きわだって、よそよそしい様子にはお見えにならないが、今風の若い人たちのように、優美にも振る舞わずに、まことに好ましく、おおらかな気立てなのだろうと、推察されなさるご様子の方である。
 といどむふうを見せた。思わぬ方向に話の転じてきたことから大姫君はやや不快になって返辞らしい返辞もしない。俗界から離れた聖人のふうには見えぬが、現代の若い人たちのように気どったところはなく、落ち着いた気安さのある人らしいと大姫君は薫を見ていた。
  to kikoye tamahe ba, omoha zu ni, monosiu nari te, kotoni irahe tamaha zu. Kezayakani, ito mono-dohoku sukumi taru sama ni ha miye tamaha ne do, imayau no wakaudo-tati no yau ni, enge ni mo motenasa de, ito meyasuku, nodoka naru kokorobahe nara m to zo, osihakara re tamahu hito no ohom-kehahi naru.
4.4.9  かうこそは、あらまほしけれと、思ふに違はぬ心地したまふ。 ことに触れて、けしきばみ寄るも、知らず顔なるさまにのみもてなしたまへば、心恥づかしうて、 昔物語などをぞ、ものまめやかに聞こえたまふ。
 こうあってこそは、理想的だと、期待する気持ちに違わない気がなさる。何かにつけて、懸想心を態度にお現しになるのに対しても、気づかないふりばかりをなさるので、気恥ずかしくて、昔の話などを、真面目くさって申し上げなさる。
 若い男はそうあるべきであると思うとおりの人のようであった。言葉の引っかかりのできる時々に、ややもすれば薫は自身の恋を語ろうとするのであるが、気づかないふうばかりを相手が作るために気恥ずかしくて、それからは八の宮の御在世になったころの話をまじめにするようになった。
  Kau koso ha, aramahosikere to, omohu ni tagaha nu kokoti si tamahu. Koto ni hure te, kesikibami yoru mo, sira zu gaho naru sama ni nomi motenasi tamahe ba, kokorohadukasiu te, mukasimonogatari nado wo zo, mono-mameyaka ni kikoye tamahu.
注釈388かならず御みづから以下「聞こえたまふ」まで、薫の詞。4.4.1
注釈389雪を踏み分けて参り来たる心ざしばかりを『全書』は「忘れては夢かとぞ思ふ雪踏み分けて君を見むとは」(古今集雑下、九七〇、在原業平)を指摘。4.4.1
注釈390御このかみ心にても過ぐさせたまひてよかし『集成』は「姉としてこの話を喜んでくれれば、それだけで今の自分は満足だ、と言う」と注す。4.4.1
注釈391かの御心寄せはまた異にぞはべべかめる匂宮の関心はあなた以外の方すなわち妹君の中君らしい、の意。4.4.1
注釈392ほのかにのたまふさまも主語は匂宮。『集成』は「中の君が相手だと自分も宮から伺ったことばあるように思うが、の意」。『完訳』は「匂宮が中の君に」と注す。4.4.1
注釈393人の分ききこえがたきことなり他人には匂宮が大君と中君のどちらに関心があるのか判断つきかねる、の意。4.4.1
注釈394御返りなどは匂宮への返事は、の意。4.4.1
注釈395ようぞ戯れにも以下「胸つぶれまし」まで、大君の心中。『完訳』は「返事の主を問う言葉に、自分が返事を書かなくてよかったと胸をなでおろす」と注す。4.4.2
注釈396胸つぶれまし推量の助動詞「まし」反実仮想。自分が返事を書いた場合を想定した気持ち。4.4.2
注釈397雪深き山のかけはし君ならで--またふみかよふ跡を見ぬかな「文」と「踏み」の掛詞。大君の詠歌。あなた薫以外とは文を交わしたことはない、という。4.4.3
注釈398御ものあらがひこそ、なかなか心おかれはべりぬべけれ薫の詞。4.4.5
注釈399つららとぢ駒ふみしだく山川を--しるべしがてらまづや渡らむ薫の返歌。「ふみ」の語句を用いて返す。わたしのほうが先にあなたと契りを結びたい、の意。4.4.6
注釈400さらばしも影さへ見ゆるしるしも浅うははべらじ歌に添えた詞。『源氏釈』は「浅香山影さへ見ゆる山の井の浅きは人を思ふものかは」(古今六帖二、山の井)を指摘。4.4.7
注釈401思はずにものしうなりて主語は大君。以外な薫の懸想に不愉快になる。4.4.8
注釈402けざやかにいともの遠くすくみたるさまには見えたまはねど以下「心ばへならむ」まで、薫の見た大君の感じ。4.4.8
注釈403のどかなる心ばへ大島本は「のとかなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「のどやかなる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.4.8
注釈404ことに触れて、けしきばみ寄るも薫の大君に対する懸想の態度。4.4.9
注釈405昔物語など亡き八宮の思い出話。4.4.9
出典27 雪を踏み分けて 忘れては夢かとぞ思ふ雪踏み分けて君を見むとは 古今集雑下-九七〇 在原業平 4.4.1
出典28 影さへ見ゆる 浅香山影さへ見ゆる山の井の浅くは人を思ふものかは 古今六帖二-九八五 4.4.7
校訂29 さし出で さし出で--さしはへ(はへ/#)いて 4.4.4
4.5
第五段 薫、人びとを励まして帰京


4-5  Kaoru comes back to Kyoto leaving words of encouragement

4.5.1  「 暮れ果てなば、雪いとど空も閉ぢぬべうはべり」
 「すっかり暮れてしまうと、雪がますます空まで塞いでしまいそうでございます」
 日が暮れたならば雪は空も見えぬまでに高くなるであろう
  "Kure hate na ba, yuki itodo sora mo todi nu beu haberi."
4.5.2  と、御供の人びと声づくれば、帰りたまひなむとて、
 と、お供の人びとが促すので、お帰りになろうとして、
 と思う従者たちは、主人の注意を促すせき払いなどをしだしたために、帰ろうとして薫は、
  to, ohom-tomo no hitobito kowadukure ba, kaheri tamahi na m tote,
4.5.3  「 心苦しう見めぐらさるる御住まひのさまなりや。 ただ山里のやうにいと静かなる所の、人も行き交じらぬはべるをさも思しかけば、いかにうれしくはべらむ」
 「おいたわしく見回されるお住まいの様子ですね。ただ山里のようにたいそう静かな所で、人の行き来もなくございますのを、もしそのようにお考え下さるなら、どんなに嬉しいことでございましょう」
 「何たる寂しいお住居すまいでしょう。全然山荘のような静かな家を私は別に一つ持っておりまして、うるさく人などは来ない所ですが、そこへ移ってみようかとだけでも思ってくださいましたらどんなにうれしいでしょう」
  "Kokorogurusiu mi megurasa ruru ohom-sumahi no sama nari ya! Tada yamazato no yau ni ito siduka naru tokoro no, hito mo yuki mazira nu haberu wo, samo obosi kake ba, ikani uresiku habera m."
4.5.4  などのたまふも、「 いとめでたかるべきことかな」と、片耳に聞きて、うち笑む女ばらのあるを、中の宮は、「 いと見苦しう、いかにさやうにはあるべきぞ」と見聞きゐたまへり。
 などとおっしゃるのにつけても、「とてもおめでたいことだわ」と、小耳にはさんで、ほほ笑んでいる女房連中がいるのを、中の宮は、「とても見苦しい、どうしてそのようなことができようか」とお思いでいらっしゃった。
 こんなことを女王に言っていた。けっこうなお話であると、片耳に聞いて笑顔えがおを見せる女房のあるのを、醜い考え方をする人たちである、そんな結果がどうして現われてこようと、姫君は見もし聞きもしていた。
  nado notamahu mo, "Ito medetakaru beki koto kana!" to, katamimi ni kiki te, uti-wemu womnabara no aru wo, Naka-no-Miya ha, "Ito migurusiu, ikani sayau ni ha aru beki zo." to mi kiki wi tamahe ri.
4.5.5  御くだものよしあるさまにて参り、御供の人びとにも、肴などめやすきほどにて、土器さし出でさせたまひけり。 また御移り香もて騷がれし 宿直人ぞ鬘鬚とかいふつらつき、心づきなくてある、「 はかなの御頼もし人や」と見たまひて、召し出でたり。
 御果物を風流なふうに盛って差し上げ、お供の人びとにも、肴など体裁よく添えて、酒をお勧めさせなさるのであった。あの殿の移り香を騒がれた宿直人は、鬘鬚とかいう顔つきが、気にくわないが、「頼りない家来だな」と御覧になって、召し出した。
 菓子などが品よく客に供えられ、従者たちへは体裁のいい酒肴しゅこうが出された。いつぞや薫からもらった衣服の芳香を持ちあぐんだ宿直とのいの侍も鬘髭かずらひげといわれる見栄みえのよくない顔をして客の取り持ちに出ていた。こんな男だけが守護役を勤めているのかと薫は見て、前へ呼んだ。
  Ohom-kudamono yosi aru sama nite mawiri, ohom-tomo no hitobito ni mo, sakana nado meyasuki hodo nite, kaharake sasiide sase tamahi keri. Mata ohom-uturiga mote sawaga re si Tonowibito zo, kadura hige to ka ihu turatuki, kokorodukinaku te aru, "Hakana no ohom-tanomosibito ya!" to mi tamahi te, mesiide tari.
4.5.6  「 いかにぞおはしまさでのち、心細からむな」
 「どうだね。お亡くなりになってからは、心細いだろうな」
 「どうだね。宮がおいでにならなくなって心細いだろうが、よく勤めをしていてくれるね」
  "Ikani zo? Ohasimasa de noti, kokorobosokara m na."
4.5.7  など問ひたまふ。うちひそみつつ、心弱げに泣く。
 などとお尋ねになる。べそをかきながら、弱そうに泣く。
 と優しく慰めてやった。悲しそうな顔になって髭男ひげおとこは泣き出した。
  nado tohi tamahu. Uti-hisomi tutu, kokoroyowage ni naku.
4.5.8  「 世の中に頼むよるべもはべらぬ身にて、 一所の御蔭に隠れて、三十余年を過ぐしはべりにければ、今はまして、野山にまじりはべらむも、 いかなる木のもとをかは頼むべくはべらむ
 「世の中に頼る身寄りもございません身の上なので、お一方様のお蔭にすがって、三十数年過ごしてまいりましたので、今はもう、野山にさすらっても、どのような木を頼りにしたらよいのでしょうか」
 「何の身寄りも助け手も持たない私でございまして、ただお一方のお情けでこの宮に三十幾年お世話になっております。若い時でさえそれでございましたから、今日になりましてはましてどこを頼みにして行く所がございましょう」
  "Yononaka ni tanomu yorube mo habera nu mi nite, hitotokoro no ohom-kage ni kakure te, samzihuyo nen wo sugusi haberi ni kere ba, ima ha masite, noyama ni maziri habera m mo, ikanaru ki no moto wo ka ha tanomu beku habera m."
4.5.9  と申して、いとど人悪ろげなり。
 と申し上げて、ますますみっともない様子である。
 こんな話をするので、ますますみじめに見える髭男であった。
  to mausi te, itodo hitowaroge nari.
4.5.10   おはしましし方開けさせたまへれば、塵いたう積もりて、仏のみぞ花の飾り衰へず、行ひたまひけりと見ゆる 御床など取りやりて、かき払ひたり。 本意をも遂げば、と契りきこえしこと思ひ出でて、
 生前お使いになっていたお部屋を開けさせなさると、塵がたいそう積もって、仏像だけが花の飾りが以前と変わらず、勤行なさったと見えるお床などを取り外して、片づけてあった。本願を遂げた時にはと、お約束申し上げたことなどを思い出して、
 宮のお居間だったお座敷の戸を薫があけてみると、床にはちりが厚く積もっていたが、仏だけは花に飾られておわしました。姫君たちが看経かんきんしたあとと思われる。畳などは皆取り払われてあるのであった。御自分に出家の遂げられる日があったならと、それに薫が追随して行くことをお許しになったことなどを思い出して、
  Ohasimasi si kata ake sase tamahe re ba, tiri itau tumori te, Hotoke nomi zo hana no kazari otorohe zu, okonahi tamahi keri to miyuru ohom-yuka nado toriyari te, kaki-harahi tari. Ho'i wo mo toge ba, to tigiri kikoye si koto omohiide te,
4.5.11  「 立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本
   空しき床になりにけるかな
 「立ち寄るべき蔭とお頼りしていた椎の本は
  空しい床になってしまったな
  立ち寄らんかげと頼みししひもと
  むなしき床になりにけるかな
    "Tatiyora m kage to tanomi si siwi-ga-moto
    munasiki toko ni nari ni keru kana
4.5.12  とて、柱に寄りゐたまへるをも、 若き人びとは、覗きてめでたてまつる。
 といって、柱に寄り掛かっていらっしゃるのも、若い女房たちは、覗いてお誉め申し上げる。
 と歌い、柱によりかかっているかおるを、若い女房などはのぞき見をしてほめたたえていた。
  tote, hasira ni yoriwi tamahe ru wo mo, wakaki hitobito ha, nozoki te mede tatematuru.
4.5.13  日暮れぬれば、近き所々に、 御荘など仕うまつる人びとに御秣取りにやりける、君も知りたまはぬに田舎びたる人びとは、おどろおどろしくひき連れ参りたるを、「 あやしう、はしたなきわざかな」と御覧ずれど、 老い人に紛らはしたまひつおほかたかやうに仕うまつるべく、仰せおきて出でたまひぬ。
 日が暮れてしまったので、近い所々に、御荘園などに仕えている人びとに、み秣を取りにやったのを、主人もご存知なかったが、田舎びた人びとは、大勢引き連れて参ったのを、「妙に、体裁の悪いことだな」と御覧になるが、老女に用事で来たかのようにごまかしなさった。いつもこのようにお仕えするように、お命じおきになってお帰りになった。
 この近くの薫の領地の用を扱っている幾つかの所へ馬のまぐさなどを取りにやると、主人は顔も知らぬような田舎いなか男がおおぜい隊をなさんばかりにして山荘にいる薫へ敬意を表しに来た。見苦しいことであると薫は思ったのであるが、髭男を取り次ぎにして命じることだけを伝えさせた。このやしきのために今夜も用を勤めるようにと荘園の者へ言い置かせて薫は山荘を出た。
  Hi kure nure ba, tikaki tokorodokoro ni, mi-sau nado tukaumaturu hitobito ni, mi-makusa tori ni yari keru, Kimi mo siri tamaha nu ni, winakabi taru hitobito ha, odoroodorosiku hikiture mawiri taru wo, "Ayasiu, hasitanaki waza kana!" to goranzure do, Oyibito ni magirahasi tamahi tu. Ohokata kayau ni tukaumaturu beku, ohose oki te ide tamahi nu.
注釈406暮れ果てなば以下「閉ぢぬべうはべり」まで、供人の声。4.5.1
注釈407心苦しう以下「いかにうれしくはべらむ」まで、薫の詞。4.5.3
注釈408ただ山里のやうにいと静かなる所の人も行き交じらぬはべるを京の三条の薫の邸をいう。「交じらぬ」と「はべる」の間に「邸」の語句が省略。4.5.3
注釈409さも思しかけば京の邸に移ることに同意されたら。4.5.3
注釈410いとめでたかるべきことかな女房たちの感想。4.5.4
注釈411いと見苦しういかにさやうにはあるべきぞ中君の心中の思い。4.5.4
注釈412また御移り香大島本は「又」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かの」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.5.5
注釈413宿直人ぞ係助詞「ぞ」は、「召し出でたり」に係るが、結びが流れている。4.5.5
注釈414鬘鬚とかいふつらつき心づきなくてある宿直人の容貌を説明する挿入句。4.5.5
注釈415はかなの御頼もし人や薫の感想。4.5.5
注釈416いかにぞ以下「心細からむな」まで、薫の詞。4.5.6
注釈417おはしまさでのち八宮が亡くなって後。4.5.6
注釈418世の中に頼むよるべも以下「頼むべくはべらむ」まで、宿直人の詞。4.5.8
注釈419一所の御蔭に八宮の御庇護。4.5.8
注釈420いかなる木のもとをかは頼むべくはべらむ『花鳥余情』は「侘び人のわきて立ち寄る木のもとは頼む蔭なく紅葉散りけり」(古今集秋下、二九二、僧正遍昭)を指摘。反語表現。4.5.8
注釈421おはしましし方開けさせたまへれば八宮が生前に使用していた部屋。宿直人に開けさせた。4.5.10
注釈422御床など取りやりて仏前に一段と高く設けた床。4.5.10
注釈423本意をも遂げばと自分薫が出家した暁には、の意。4.5.10
注釈424立ち寄らむ蔭と頼みし椎が本--空しき床になりにけるかな薫の詠歌。『異本紫明抄』は「優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば」(宇津保物語、嵯峨院)を指摘。4.5.11
注釈425若き人びとは若い女房たち。4.5.12
注釈426御荘など仕うまつる人びとに薫の荘園に仕える人々。4.5.13
注釈427御秣取りにやりける君も知りたまはぬに供人が気を利かせて荘園の人々に今夜明朝の馬の飼料を取りにやらせた、それを主人の薫は知らないでいた、という趣。4.5.13
注釈428田舎びたる人びとは大島本は「人々ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人々」と「は」を削除する。『新大系』は底本のままとする。4.5.13
注釈429あやしうはしたなきわざかな薫の思い。お忍びで来たのが表沙汰になってしまったので具合が悪い思い。4.5.13
注釈430老い人に紛らはしたまひつ弁のもとに用事があって来たかのようにごまかした、の意。4.5.13
注釈431おほかたかやうに仕うまつるべく仰せおきていつもこのように姫君たちのお世話をするようにと、荘園の人々に命じおいた、の意。今まで宿直人一人が世話をしていたのが、急に薫の荘園の大勢の人々も世話をするようになった。4.5.13
出典29 いかなる木のもと 侘び人のわきて立ち寄る木の本は頼む蔭なく紅葉散りけり 古今集秋下-二九二 遍昭僧正 4.5.8
出典30 椎が本 優婆塞が行ふ山の椎が本あなそばそばし床にしあらねば 宇津保物語-二一二 4.5.11
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/5/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月13日

Last updated 2/1/2011 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2024/9/21に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 4.00: Copyright (c) 2003,2024 宮脇文経