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第四十六帖 椎本
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46 SIWIGAMOTO (Ohoshima-bon)
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薫君の宰相中将時代 二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語
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Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from February at the age of 23 to summer at the age of 24
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5 |
第五章 宇治の姉妹の物語 匂宮、薫らとの恋物語始まる
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5 Tale of sisters in Uji A love story with Nio-no-miya, Kaoru and sisters in Uji is begun
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5.1 |
第一段 新年、阿闍梨、姫君たちに山草を贈る
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5-1 In new year, Ajari presents wild vegetables to sisiters
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5.1.1 |
年替はりぬれば、空のけしきうららかなるに、汀の氷解けたるを、 ありがたくもと眺めたまふ。聖の坊より、「 雪消えに摘みてはべるなり」とて、沢の芹、蕨などたてまつりたり。斎の御台に参れる。
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年が変わったので、空の様子がうららかになって、汀の氷が一面に解けているのを、不思議な気持ちで眺めていらっしゃる。聖の僧坊から、「雪の消え間で摘んだものでございます」といって、沢の芹や、蕨などを差し上げた。精進のお膳にして差し上げる。
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一月にはもう空もうららかに春光を見せ、川べりの氷が日ごとに解けていくのを見ても、山荘の女王たちはよくも今まで生きていたものであるというような気がされて、なおも父宮の御事が偲ばれた。あの阿闍梨の所から、雪解の水の中から摘んだといって、芹や蕨を贈って来た。斎めの置き台の上に載せられてあるのを見て、
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Tosi kahari nure ba, sora no kesiki uraraka naru ni, migiha no kohori toke taru wo, arigataku mo to nagame tamahu. Hiziri no bau yori, "Yukigiye ni tumi te haberu nari." tote, saha no seri, warabi nado tatematuri tari. Imohi no midai ni mawire ru.
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5.1.2 |
「 所につけては、かかる草木のけしきに従ひて、行き交ふ月日のしるしも見ゆるこそ、をかしけれ」
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「場所柄によって、このような草木の有様に従って、行き交う月日の節目も見えるのは、興趣深いことです」
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山ではこうした植物の新鮮な色を見ることで時の移り変わりのわかるのがおもしろいと女房たちが言っているのを、
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"Tokoro ni tuke te ha, kakaru kusaki no kesiki ni sitagahi te, yuki kahu tukihi no sirusi mo miyuru koso, wokasikere."
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5.1.3 |
など、人びとの言ふを、「 何のをかしきならむ」と聞きたまふ。
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などと、人びとが言うのを、「何の興趣深いことがあろうか」とお聞きになっている。
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姫君たちは何がおもしろいのかわからぬと聞いていた。
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nado, hitobito no ihu wo, "Nani no wokasiki nara m." to kiki tamahu.
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5.1.4 |
「 君が折る峰の蕨と見ましかば 知られやせまし春のしるしも」 |
「父宮が摘んでくださった峰の蕨でしたら これを春が来たしるしだと知られましょうに」 |
君が折る峰のわらびと見ましかば 知られやせまし春のしるしも
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"Kimi ga woru mine no warabi to mi masika ba sira re ya se masi haru no sirusi mo |
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5.1.5 |
「 雪深き汀の小芹誰がために 摘みかはやさむ親なしにして」 |
「雪の深い汀の小芹も誰のために摘んで楽しみましょうか 親のないわたしたちですので」 |
雪深き汀の小芹誰がために 摘みかはやさん親無しにして
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"Yuki hukaki migiha no kozeri ta ga tame ni tumi kahaya sa m oya nasi ni si te |
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5.1.6 |
など、 はかなきことどもをうち語らひつつ、明け暮らしたまふ。
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などと、とりとめのないことを語り合いながら、日をお暮らしになる。
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二人はこんなことを言い合うことだけを慰めにして日を送っていた。
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nado, hakanaki koto-domo wo uti-katarahi tutu, ake kurasi tamahu.
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5.1.7 |
中納言殿よりも宮よりも、折過ぐさず訪らひきこえたまふ。 うるさく何となきこと多かるやうなれば、例の、書き漏らしたるなめり。
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中納言殿からも宮からも、折々の機会を外さずお見舞い申し上げなさる。厄介で何でもないことが多いようなので、例によって、書き漏らしたようである。
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薫からも匂宮からも春が来れば来るで、おりを過ぐさぬ手紙が送られる。例のようにたいしたことも書かれていないのであるから、話を伝えた人も、それらの内容は省いて語らなかった。
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Tiunagon-dono yori mo Miya yori mo, wori sugusa zu toburahi kikoye tamahu. Urusaku nani to naki koto ohokaru yau nare ba, rei no, kaki morasi taru na' meri.
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注釈432 | 年替はりぬれば | 5.1.1 |
注釈433 | ありがたくもと眺めたまふ | 5.1.1 |
注釈434 | 雪消えに摘みてはべるなり | 5.1.1 |
注釈435 | 所につけては | 5.1.2 |
注釈436 | 何のをかしきならむ | 5.1.3 |
注釈437 | 君が折る峰の蕨と見ましかば--知られやせまし春のしるしも | 5.1.4 |
注釈438 | 雪深き汀の小芹誰がために--摘みかはやさむ親なしにして | 5.1.5 |
注釈439 | はかなきことどもをうち語らひつつ | 5.1.6 |
注釈440 | うるさく何となきこと多かるやうなれば例の書き漏らしたるなめり | 5.1.7 |
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5.2 |
第二段 花盛りの頃、匂宮、中の君と和歌を贈答
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5-2 In the season of chereeblossoms Nio-no-miya and Naka-no-kimi compose and send wakaeach other
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5.2.1 |
花盛りのころ、 宮、「かざし」を思し出でて、その折 見聞きたまひし君たちなども、
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花盛りのころ、宮は、「かざし」の和歌を思い出して、その時お供でご一緒した公達なども、
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兵部卿の宮は春の花盛りのころに、去年の春の挿頭の花の歌の贈答がお思い出されになるのであったが、その時のお供をした公達などの
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Hanazakari no koro, Miya, "Kazasi" wo obosi ide te, sono wori mi kiki tamahi si Kimi-tati nado mo,
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5.2.2 |
「 いとゆゑありし親王の御住まひを、またも見ずなりにしこと」
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「実に趣のあった親王のお住まいを、再び見ないことになりました」
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河を渡ってお訪ねした八の宮の風雅な山荘を、宮が薨去になってあれきり見られぬことになったのは残念である
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"Ito yuwe ari si Miko no ohom-sumahi wo, mata mo mi zu nari ni si koto."
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5.2.3 |
など、おほかたのあはれを 口々聞こゆるに、 いとゆかしう思されけり。
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などと、世の中一般のはかなさを口々に申し上げるので、たいそう興味深くお思いになるのであった。
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と口々に話し合っていた時にも、宮のお心は動かずにいるはずもなかった。
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nado, ohokata no ahare wo kutiguti kikoyuru ni, ito yukasiu obosa re keri.
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5.2.4 |
「 つてに見し宿の桜をこの春は 霞隔てず折りてかざさむ」 |
「この前は、事のついでに眺めたあなたの桜を 今年の春は霞を隔てず手折ってかざしたい」 |
つてに見し宿の桜をこの春に 霞隔てず折りて挿頭さん
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"Tute ni mi si yado no sakura wo kono haru ha kasumi hedate zu wori te kazasa m |
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5.2.5 |
と、 心をやりてのたまへりけり。「 あるまじきことかな」と見たまひながら、いとつれづれなるほどに、 見所ある御文の、うはべばかりをもて消たじとて、
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と、気持ちのままおっしゃるのであった。「とんでもないことだわ」と御覧になりながら、とても所在ない折なので、素晴らしいお手紙の、表面だけでも無にすまいと思って、
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積極的なこんなお歌が宮から贈られた時に、思いも寄らぬことを言っておいでになるとは思ったが、つれづれな時でもあったから、美しい文字で書かれたものに対し、表面の意にだけむくいる好意をお示しして、
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to, kokoro wo yari te notamahe ri keri. "Aru maziki koto kana!" to mi tamahi nagara, ito turedure naru hodo ni, midokoro aru ohom-humi no, uhabe bakari wo mote-keta zi tote,
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5.2.6 |
「 いづことか尋ねて折らむ墨染に 霞みこめたる宿の桜を」 |
「どこと尋ねて手折るのでしょう 墨染に霞み籠めているわたしの桜を」 |
いづくとか尋ねて折らん 墨染めに霞こめたる宿の桜を
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"Iduko to ka tadune te wora m sumizome ni kasumi kome taru yado no sakura wo |
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5.2.7 |
なほ、かくさし放ち、つれなき御けしきのみ見ゆれば、まことに心憂しと思しわたる。
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やはり、このように突き放して、素っ気ないお気持ちばかりが見えるので、ほんとうに恨めしいとお思い続けていらっしゃる。
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とお返しをした。中姫君である。いつもこんなふうに遠い所に立つものの態度を変えないのを宮は飽き足らずに思っておいでになった。
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Naho, kaku sasi-hanati, turenaki mi-kesiki nomi miyure ba, makoto ni kokorousi to obosi wataru.
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5.3 |
第三段 その後の匂宮と薫
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5-3 After that of Nio-no-miya and Kaoru
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5.3.1 |
御心にあまりたまひては、ただ中納言を、とざまかうざまに責め恨みきこえたまへば、 をかしと思ひながら、いとうけばりたる後見顔にうちいらへきこえて、 あだめいたる御心ざまをも見あらはす時々は、
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お胸に抑えきれなくなって、ただ中納言を、あれやこれやとお責め申し上げなさるので、おもしろいと思いながら、いかにも誰憚らない後見役の顔をしてお返事申し上げて、好色っぽいお心が表れたりする時々には、
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こうしたお気持ちのつのっている時にはいつも中納言をいろいろに言って責めも恨みもされるのである。おかしく思いながらも、ひとかどの後見人顔をして、 「浮気な御行跡が私の目につく時もございますからね。
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Mi-kokoro ni amari tamahi te ha, tada Tiunagon wo tozama kauzama ni seme urami kikoye tamahe ba, wokasi to omohi nagara, ito ukebari taru usiromigaho ni uti-irahe kikoye te, adamei taru mi-kokorozama wo mo mi arahasu tokidoki ha,
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5.3.2 |
「 いかでか、かからむには」
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「どうしてか、このようなお心では」
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そうした方であってはと将来が不安でならなくなるのでございましょう」
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"Ikadeka, kakara m ni ha."
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5.3.3 |
など、申したまへば、 宮も御心づかひしたまふべし。
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など、お咎め申し上げなさるので、宮もお気をつけなさるのであろう。
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などと申すと、
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nado, mausi tamahe ba, Miya mo mi-kokorodukahi si tamahu besi.
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5.3.4 |
「 心にかなふあたりを、まだ見つけぬほどぞや ★」とのたまふ。
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「気に入った相手が、まだ見つからない間のことです」とおっしゃる。
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「気に入った人が発見できない過渡時代だからですよ」宮はこんな言いわけをあそばされる。
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"Kokoro ni kanahu atari wo, mada mituke nu hodo zo ya." to notamahu.
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5.3.5 |
大殿の六の君を思し入れぬこと、なま恨めしげに、大臣も思したりけり。されど、
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大殿の六の君をお気にかけないことは、何となく恨めしそうに、大臣もお思いになっているのであった。けれど、
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右大臣は末女の六の君に何の関心もお持ちにならぬ宮を少し怨めしがっていた。宮は
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Ohotono no Roku-no-Kimi wo obosi ire nu koto, nama-uramesige ni, Otodo mo obosi tari keri. Saredo,
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5.3.6 |
「 ゆかしげなき 仲らひなるうちにも、大臣のことことしくわづらはしくて、何ごとの紛れをも見とがめられむがむつかしき」
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「珍しくない間柄の仲でも、大臣が仰々しく厄介で、どのような浮気事でも咎められそうなのがうっとうしくて」
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親戚の中でのそれはありきたりの役まわりをするにすぎないことで、世間体もおもしろくないことである上に、大臣からたいそうな婿扱いを受けることもうるさく、蔭でしていることにも目をつけてかれこれと言われるのもめんどうだから結婚を承諾する気にはなれないのである
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"Yukasige naki nakarahi naru uti ni mo, Otodo no kotokotosiku wadurahasiku te, nanigoto no magire wo mo mi togame rare m ga mutukasiki."
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5.3.7 |
と、下にはのたまひて、すまひたまふ。
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と、内々ではおっしゃって、嫌がっていらっしゃる。
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とひそかに言っておいでになって、以前から予定されているようでありながら実現する可能性に乏しかった。
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to, sita ni ha notamahi te, sumahi tamahu.
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5.3.8 |
その年、 三条宮焼けて、入道宮も、六条院に移ろひたまひ、何くれともの騒がしきに紛れて、宇治のわたりを久しう訪れきこえたまはず。まめやかなる人の御心は、また いと異なりければ、 いとのどかに、「おのがものとはうち頼みながら、 女の心ゆるびたまはざらむ限りは、あざればみ情けなきさまに見えじ」と思ひつつ、「 昔の御心忘れぬ方を、深く見知りたまへ」と思す。
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その年、三条宮が焼けて、入道宮も、六条院にお移りになり、何かと騒々しい事に紛れて、宇治の辺りを久しくご訪問申し上げなさらない。生真面目な方のご性格には、また普通の人と違っていたので、たいそうのんびりと、「自分の物と期待しながらも、女の心が打ち解けないうちは、不謹慎な無体な振る舞いはしまい」と思いながら、「故宮とのお約束を忘れていないことを、深く知っていただきたい」とお思いになっている。
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その年に三条の宮は火事で焼けて、入道の宮も仮に六条院へお移りになることがあったりして、薫は繁忙なために宇治へも久しく行くことができなかった。まじめな男の心というものは、匂宮などの風流男とは違っていて、気長に考えて、いずれはその人をこそ一生の妻とする女性であるが、あちらに愛情の生まれるまでは力ずくがましい結婚はしたくないと思い、故人の宮への情誼を重く考える点で女王の心が動いてくるようにと願っているのであった。
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Sono tosi, Samdeu-no-miya yake te, Nihudau-no-Miya mo, Rokudeu-no-win ni uturohi tamahi, nanikure-to mono-sawagasiki ni magire te, Udi no watari wo hisasiu otodure kikoye tamaha zu. Mameyaka naru hito no mi-kokoro ha, mata ito koto nari kere ba, ito nodokani, "Onoga mono to ha uti-tanomi nagara, womna no kokoro yurubi tamaha zara m kagiri ha, azarebami nasakenaki sama ni miye zi." to omohi tutu, "Mukasi no mi-kokoro wasure nu kata wo, hukaku mi siri tamahe." to obosu.
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注釈451 | をかしと思ひながらいとうけばりたる後見顔に | 5.3.1 |
注釈452 | あだめいたる御心ざまをも見あらはす時々は | 5.3.1 |
注釈453 | いかでかかからむには | 5.3.2 |
注釈454 | 宮も御心づかひしたまふべし | 5.3.3 |
注釈455 | 心にかなふあたりをまだ見つけぬほどぞや | 5.3.4 |
注釈456 | 大殿の六の君を | 5.3.5 |
注釈457 | ゆかしげなき | 5.3.6 |
注釈458 | 三条宮焼けて入道宮も六条院に移ろひたまひ | 5.3.8 |
注釈459 | いと異なりければ | 5.3.8 |
注釈460 | いとのどかにおのがものとはうち頼みながら | 5.3.8 |
注釈461 | 女の心ゆるびたまはざらむ限りは | 5.3.8 |
注釈462 | 昔の御心忘れぬ方を深く見知りたまへ | 5.3.8 |
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5.4 |
第四段 夏、薫、宇治を訪問
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5-4 Kaoru visits to Uji in summer
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5.4.1 |
その年、常よりも暑さを人わぶるに、「 川面涼しからむはや」と思ひ出でて、にはかに参うでたまへり。朝涼みのほどに出でたまひければ、 あやにくにさし来る日影もまばゆくて、宮のおはせし西の廂に、 宿直人召し出でておはす。
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その年は、例年よりも暑さを人がこぼすので、「川辺が涼しいだろうよ」と思い出して、急に参上なさった。朝の涼しいうちにご出発になったので、折悪く差し込んでくる日の光も眩しくて、宮が生前おいでになった西の廂の間に、宿直人を召し出してお控えになる。
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その夏は平生よりも暑いのをだれもわびしがっている年で、薫も宇治川に近い家は涼しいはずであると思い出して、にわかに山荘へ来ることになった。朝涼のころに出かけて来たのであったが、ここではもうまぶしい日があやにくにも正面からさしてきていたので、西向きの座敷のほうに席をして髭侍を呼んで話をさせていた。
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Sono tosi, tune yori mo atusa wo hito waburu ni, "Kawadura suzusikara m haya!" to omohiide te, nihakani maude tamahe ri. Asasuzumi no hodo ni ide tamahi kere ba, ayanikuni sasi-kuru hikage mo mabayuku te, Miya no ohase si nisi no hisasi ni, Tonowibito mesiide te ohasu.
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5.4.2 |
そなたの母屋の仏の御前に、君たちものしたまひけるを、 気近からじとて、 わが御方に渡りたまふ御けはひ、忍びたれど、おのづから、うちみじろきたまふほど近う聞こえければ、 なほあらじに、 こなたに通ふ障子の端の方に、かけがねしたる所に、穴のすこし開きたるを見おきたまへりければ、外に立てたる屏風をひきやりて見たまふ。
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そちらの母屋の仏像の御前に、姫君たちがいらっしゃったが、近すぎないようにと、ご自分のお部屋にお渡りになるご様子、音を立てないようにしていたが、自然と、お動きになるのが近くに聞こえたので、じっとしていられず、こちらに通じている障子の端の方に、掛金がしてある所に、穴が少し開いているのを見知っていたので、外に立ててある屏風を押しやって御覧になる。
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その時に隣の中央の室の仏前に女王たちはいたのであるが、客に近いのを避けて居間のほうへ行こうとしているかすかな音は、立てまいとしているが薫の所へは聞こえてきた。このままでいるよりも見ることができるなら見たいものであると願って、こことの間の襖子の掛け金の所にある小さい穴を以前から薫は見ておいたのであったから、こちら側の屏風は横へ寄せてのぞいて見た。
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Sonata no moya no hotoke no omahe ni, Kimi-tati monosi tamahi keru wo, kedikakara zi tote, waga ohom-kata ni watari tamahu ohom-kehahi, sinobi tare do, onodukara, uti-miziroki tamahu hodo tikau kikoye kere ba, naho ara zi ni, konata ni kayohu sauzi no hasi no kata ni, kakegane si taru tokoro ni, ana no sukosi aki taru wo mioki tamahe ri kere ba, to ni tate taru byaubu wo hikiyari te mi tamahu.
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5.4.3 |
ここもとに几帳を添へ立てたる、「あな、口惜し」と思ひて、ひき帰る、折しも、風の簾をいたう 吹き上ぐべかめれば、
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こちらに几帳を立て添えてある、「ああ、残念な」と思って、引き返す、ちょうどその時、風が簾をたいそう高く吹き上げるようなので、
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ちょうどその前に几帳が立てられてあるのを知って、残念に思いながら引き返そうとする時に、風が隣室とその前の室との間の御簾を吹き上げそうになったため、
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Koko moto ni kityau wo sohe tate taru, "Ana, kutiwosi!" to omohi te, hiki kaheru, wori simo, kaze no sudare wo itau hukiagu beka' mere ba,
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5.4.4 |
「 あらはにもこそあれ。 その几帳おし出でてこそ」
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「丸見えになったら大変です。その御几帳を押し出して」
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「お客様のいらっしゃる時にいけませんわね、そのお几帳をここに立てて、十分に下を張らせたらいいでしょう」
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"Arahani mo koso are. Sono kityau osiide te koso."
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5.4.5 |
と言ふ人あなり。 をこがましきものの、うれしうて見たまへば、 高きも短きも、 几帳を二間の簾におし寄せて、 この障子に向かひて、開きたる障子より、あなたに通らむとなりけり。
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という女房がいるようである。愚かなことをするようだが、嬉しくて御覧になると、高いのも低いのも、几帳を二間の簾の方に押し寄せて、この障子の正面の、開いている障子から、あちらに行こうとしているところなのであった。
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と言い出した女房がある。愚かしいことだとみずから思いながらもうれしさに心をおどらせて、またのぞくと、高いのも低いのも几帳は皆その御簾ぎわへ持って行かれて、あけてある東側の襖子から居間へはいろうと姫君たちはするものらしかった。
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to ihu hito a' nari. Wokogamasiki mono no, uresiu te mi tamahe ba, takaki mo mizikaki mo, kityau wo hutama no su ni osiyose te, kono sauzi ni mukahi te, aki taru sauzi yori, anata ni tohora m to nari keri.
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5.5 |
第五段 障子の向こう側の様子
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5-5 Kaoru peeps sisters through the crevice of the screen
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5.5.1 |
まづ、一人立ち出でて、 几帳よりさし覗きて、 この御供の人びとの、とかう行きちがひ、涼みあへるを 見たまふなりけり。濃き 鈍色の単衣に、萱草の 袴もてはやしたる、なかなかさま変はりてはなやかなりと見ゆるは、着なしたまへる人からなめり。
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まず、一人が立って出て来て、几帳から覗いて、このお供の人びとが、あちこち行ったり来たりして、涼んでいるのを御覧になるのであった。濃い鈍色の単衣に、萱草の袴が引き立っていて、かえって様子が違って華やかであると見えるのは、着ていらっしゃる人のせいのようである。
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その二人の中の一方が庭に向いた側の御簾から庇の室越しに、薫の従者たちの庭をあちらこちら歩いて涼をとろうとするのをのぞこうとした。濃い鈍色の単衣に、萱草色の喪の袴の鮮明な色をしたのを着けているのが、派手な趣のあるものであると感じられたのも着ている人によってのことに違いない。
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Madu, hitori tatiide te, kityau yori sasi-nozoki te, kono ohom-tomo no hitobito no, tokau yukitigahi, suzumi ahe ru wo mi tamahu nari keri. Koki nibiiro no hitohe ni, kwanzou no hakama mote hayasi taru, nakanaka sama kahari te hanayaka nari to miyuru ha, ki nasi tamahe ru hito kara na' meri.
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5.5.2 |
帯はかなげにしなして、数珠ひき隠して持たまへり。いとそびやかに、様体をかしげなる人の、髪、袿にすこし足らぬほどならむと見えて、末まで 塵のまよひなく、つやつやとこちたう、うつくしげなり。かたはらめなど、あならうたげと見えて、匂ひやかに、やはらかにおほどきたるけはひ、 女一の宮も、かうざまにぞおはすべきと、 ほの見たてまつりしも思ひ比べられて、うち嘆かる。
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帯を形ばかり懸けて、数珠を隠して持っていらっしゃった。たいそうすらりとした、姿態の美しい人で、髪が、袿に少し足りないぐらいだろうと見えて、末まで一筋の乱れもなく、つやつやとたくさんあって、可憐な風情である。横顔などは、実にかわいらしげに見えて、色つやがよく、物やわらかにおっとりした感じは、女一の宮も、このようにいらっしゃるだろうと、ちらっと拝見したことも思い比べられて、嘆息を漏らされる。
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帯は仮なように結び、袖口に引き入れて見せない用意をしながら数珠を手へ掛けていた。すらりとした姿で、髪は袿の端に少し足らぬだけの長さと見え、裾のほうまで少しのたるみもなくつやつやと多く美しく下がっている。正面から見るのではないが、きわめて可憐で、はなやかで、柔らかみがあっておおような様子は、名高い女一の宮の美貌もこんなのであろうと、ほのかにお姿を見た昔の記憶がまたたどられた。
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Obi hakanage ni si nasi te, zuzu hiki-kakusi te, mo tamahe ri. Ito sobiyakani, yaudai wokasige naru hito no, kami, utiki ni sukosi tara nu hodo nara m to miye te, suwe made tiri no mayohi naku, tuyatuya to kotitau, utukusige nari. Kataharame nado, ana rautage to miye te, nihohiyaka ni, yaharaka ni ohodoki taru kehahi, Womna-Iti-no-Miya mo, kau zama ni zo, ohasu beki to, hono-mi tatematuri simo omohi kurabe rare te, uti nageka ru.
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5.5.3 |
またゐざり出でて、「 かの障子は、あらはにもこそあれ」と、見おこせたまへる用意、うちとけたらぬさまして、よしあらむとおぼゆ。頭つき、髪ざしのほど、 今すこしあてになまめかしきさまなり。
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もう一人がいざり出て、「あの障子は、丸見えではないかしら」と、こちらを御覧になっている心づかいは、気を許さない様子で、嗜みがあると思われる。頭の恰好や、髪の具合は、前の人よりもう少し上品で優美さが勝っている。
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いざって出て、「あちらの襖子は少しあらわになっていて心配なようね」と言い、こちらを見上げた今一人にはきわめて奥ゆかしい貴女らしさがあった。頭の形、髪のはえぎわなどは前の人よりもいっそう上品で、艶なところもすぐれていた。
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Mata wizari ide te, "Kano sauzi ha, arahani mo koso are." to, miokose tamahe ru youi, utitoke tara nu sama si te, yosi ara m to oboyu. Kasiratuki, kamzasi no hodo, ima sukosi ateni namamekasiki sama nari.
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5.5.4 |
「 あなたに屏風も添へて立ててはべりつ。急ぎてしも、覗きたまはじ」
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「あちらに屏風を添えて立ててございました。すぐにも、お覗きなさるまい」
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「あちらのお座敷には屏風も引いてございます。何もこの瞬間にのぞいて御覧になることもございますまい」
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"Anata ni byaubu mo sohe te tate te haberi tu. Isogi te simo, nozoki tamaha zi."
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5.5.5 |
と、若き人びと、何心なく言ふあり。
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と、若い女房たちは、何気なしに言う者もいる。
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と安心しているふうに言う若い女房もあった。
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to, wakaki hitobito, nanigokoro naku ihu ari.
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5.5.6 |
「 いみじうもあるべきわざかな」
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「大変なことですよ」
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「でも何だか気が置かれる。ひょっとそんなことがあればたいへんね」
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"Imiziu mo aru beki waza kana!"
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5.5.7 |
とて、うしろめたげに ゐざり入りたまふほど、気高う心にくきけはひ添ひて見ゆ。黒き袷一襲、 同じやうなる色合ひを着たまへれど、これはなつかしうなまめきて、あはれげに、心苦しうおぼゆ。
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と言って、不安そうにいざってお入りなるとき、気高く奥ゆかしい感じが加わって見える。黒い袷を一襲、同じような色合いを着ていらっしゃるが、これはやさしく優美で、しみじみと、おいたわしく思われる。
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なお気がかりそうに言って、東の室へいざってはいる人に気高い心憎さが添って見えた。着ているのは黒い袷の一襲で、初めの人と同じような姿であったが、この人には人を惹きつけるような柔らかさ、艶なところが多くあった。また弱々しい感じも持っていた。
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tote, usirometageni wizari iri tamahu hodo, kedakau kokoronikuki kehahi sohi te miyu. Kuroki ahase hitokasane, onazi yau naru iroahi wo ki tamahe re do, kore ha natukasiu namameki te, aharege ni, kokorogurusiu oboyu.
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5.5.8 |
髪、さはらかなるほどに落ちたるなるべし、末すこし細りて、 色なりとかいふめる、翡翠だちていとをかしげに、糸をよりかけたるやうなり。紫の紙に書きたる経を、片手に持ちたまへる手つき、 かれよりも細さまさりて、 痩せ痩せなるべし。 立ちたりつる君も、障子口にゐて、 何ごとにかあらむ、こなたを見おこせて笑ひたる、いと愛敬づきたり。
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髪は、さっぱりした程度に抜け落ちているのであろう、末の方が少し細くなって、見事な色とでも言うのか、翡翠のようなとても美しそうで、より糸を垂らしたようである。紫の紙に書いてあるお経を片手に持っていらっしゃる手つきが、前の人よりほっそりとして、痩せ過ぎているのであろう。立っていた姫君も、障子口に座って、何であろうか、こちらを見て笑っていらっしゃるのが、とても愛嬌がある。
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髪も多かったのがさわやいだ程度に減ったらしく裾のほうが見えた。その色は翡翠がかり、糸を縒り掛けたように見えるのであった。紫の紙に書いた経巻を片手に持っていたが、その手は前の人よりも細く痩せているようであった。立っていたほうの姫君が襖子の口の所へまで行ってから、こちらを向いて何であったか笑ったのが非常に愛嬌のある顔に見えた。
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Kami, saharaka naru hodo ni oti taru naru besi, suwe sukosi hosori te, iro nari to ka ihu meru, hisuidati te ito wokasige ni, ito wo yorikake taru yau nari. Murasaki no kami ni kaki taru kyau wo, katate ni moti tamahe ru tetuki, kare yori mo hososa masari te, yaseyase naru besi. Tati tari turu kimi mo, sauziguti ni wi te, nanigoto ni ka ara m, konata wo miokose te warahi taru, ito aigyauduki tari.
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Last updated 2/1/2011(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 2/1/2011(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 7/5/2003 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3) |
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Last updated 2/1/2011 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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