第四十六帖 椎本


46 SIWIGAMOTO (Ohoshima-bon)


薫君の宰相中将時代
二十三歳春二月から二十四歳夏までの物語



Tale of Kaoru's Konoe-Chujo era, from February at the age of 23 to summer at the age of 24

1
第一章 匂宮の物語 春、匂宮、宇治に立ち寄る


1  Tale of Nio-no-miya  Nio-no-miya drops in Uji at spring

1.1
第一段 匂宮、初瀬詣での帰途に宇治に立ち寄る


1-1  Nio-no-miya drops in Uji at comeback from Hatsuse

1.1.1   如月の二十日のほどに兵部卿宮、初瀬に詣でたまふ古き御願なりけれど、思しも立たで 年ごろになりにけるを宇治のわたりの御中宿りのゆかしさに多くは催されたまへるなるべしうらめしと言ふ人もありける里の名の、なべて睦ましう思さるるゆゑ はかなしや。上達部いとあまた仕うまつりたまふ。殿上人などはさらにもいはず、世に残る人少なう 仕うまつれり
 二月の二十日ころに、兵部卿宮、初瀬にお参りになる。昔立てた御願のお礼参りであったが、お思い立ちにもならないで数年になってしまったのを、宇治の辺りのご休息宿の興味で、大半の理由は出かける気になられたのであろう。恨めしいと言う人もあった里の名が、総じて慕わしくお思いなされる理由もたわいないことであるよ。上達部がとても大勢お供なさる。殿上人などはさらに言うまでもない、世に残る人はほとんどなくお供申した。
 二月の二十日はつか過ぎに兵部卿ひょうぶきょうの宮は大和やまと初瀬はせ寺へ参詣さんけいをあそばされることになった。古い御宿願には相違ないが、中に宇治という土地があることからこれが今度実現するに及んだものらしい。宇治はき里であると名をさえ悲しんだ古人もあるのに、またこのように心をおひかれになるというのも、八の宮の姫君たちがおいでになるからである。高官も多くお供をした。殿上役人はむろんのことで、この行に漏れた人は少数にすぎない。
  Kisaragi no hatuka no hodo ni, Hyaubukyau-no-Miya, Hatuse ni maude tamahu. Huruki ohom-gwan nari kere do, obosi mo tata de tosigoro ni nari ni keru wo, Udi no watari no ohom-nakayadori no yukasisa ni, ohoku ha moyohosa re tamahe ru naru besi. Uramesi to ihu hito mo ari keru sato no na no, nabete mutumasiu obosa ruru yuwe mo hakanasi ya! Kamdatime ito amata tukaumaturi tamahu. Tenzyaubito nado ha sarani mo iha zu, yo ni nokoru hito sukunau tukaumature ri.
1.1.2   六条院より伝はりて、右大殿知りたまふ所は、川より遠方に、いと広くおもしろくてあるに、御まうけせさせたまへり。大臣も、帰さの御迎へに参りたまふべく思したるを、 にはかなる御物忌みの、重く慎みたまふべく申したなれば、え参らぬ由のかしこまり申したまへり。
 六条院から伝領して、右の大殿が所有していらっしゃる邸は、川の向こうで、たいそう広々と興趣深く造ってあるので、ご準備をさせなさった。大臣も、帰途のお迎えに参るおつもりであったが、急の御物忌で、厳重に慎みなさるよう申したというので、参上できない旨のお詫びを申された。
 六条院の御遺産として右大臣のゆうになっている土地はかわの向こうにずっと続いていて、ながめのよい別荘もあった。そこに往復とも中宿りの接待が設けられてあり、大臣もお帰りの時は宇治まで出迎えることになっていたが、謹慎日がにわかにめぐり合わせて来て、しかも重く慎まねばならぬことを陰陽師おんようじから告げられたために、自身で伺えないことのお詫びの挨拶あいさつを持って代理が京から来た。
  Rokudeu-no-Win yori tutahari te, Migi-no-Ohotono siri tamahu tokoro ha, kaha yori woti ni, ito hiroku omosiroku te aru ni, ohom-mauke se sase tamahe ri. Otodo mo, kahesa no ohom-mukahe ni mawiri tamahu beku obosi taru wo, nihaka naru ohom-monoimi no, omoku tutusimi tamahu beku mausi ta' nare ba, e mawira nu yosi no kasikomari mausi tamahe ri.
1.1.3  宮、なますさまじと思したるに、 宰相中将、今日の御迎へに参りあひたまへるに、なかなか心やすくて、 かのわたりのけしきも伝へ寄らむと、御心ゆきぬ。大臣をば、うちとけて見えにくく、ことことしきものに思ひきこえたまへり。
 宮は、いささか興をそがれた思いがしたが、宰相中将が、今日のお迎えに参上なさっていたので、かえって気が楽で、あの辺りの様子も聞き伝えることができようと、ご満足なさった。大臣には、気楽にお会いしがたく、気のおける方とお思い申し上げていらっしゃった。
 宮は苦手にがてとしておいでになる右大臣が来ずに、お親しみの深いかおるの宰相中将が京から来たのをかえってお喜びになり、八の宮邸との交渉がこの人さえおれば都合よく運ぶであろうと満足しておいでになった。右大臣という人物にはいつも気づまりさを匂宮におうみやはお覚えになるらしい。
  Miya, nama-susamazi to obosi taru ni, Saisyau-no-Tiuzyau, kehu no ohom-mukahe ni mawiri ahi tamahe ru ni, nakanaka kokoroyasuku te, kano watari no kesiki mo tutahe yora m to, mi-kokoro yuki nu. Otodo wo ba, utitoke te miye nikuku, kotokotosiki mono ni omohi kikoye tamahe ri.
1.1.4   御子の君たち、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐などさぶらひたまふ。帝、后も心ことに思ひきこえ たまへる宮なれば、おほかたの御おぼえもいと限りなく、まいて 六条院の御方ざまは、次々の人も、皆私の君に、心寄せ仕うまつりたまふ。
 ご子息の公達の、右大弁、侍従の宰相、権中将、頭少将、蔵人兵衛佐などは、みなお供なさる。帝、后も特別におかわいがり申されていらっしゃる宮なので、世間一般のご信望もたいそう限りなく、それ以上に六条院のご縁者方は、次々の人も、みな私的なご主君として、親身にお仕え申し上げていらっしゃる。
 右大臣の息子むすこの右大弁、侍従宰相、権中将、蔵人兵衛佐くろうどひょうえのすけなどは初めからおきしていた。みかどきさきの宮もすぐれてお愛しになる宮であったから、世間の尊敬することも大きかった。まして六条院一統の人たちは末の末まで私の主君のようにこの宮にかしずくのであった。
  Miko no Kimi-tati, U-Daiben, Zizyuu-no-Saisyau, Gon-no-Tiuzyau, Tou-no-Seusyau, Kuraudo-no-Hyauwe-no-Suke nado, saburahi tamahu. Mikado, Kisaki mo kokoro kotoni omohi kikoye tamahe ru Miya nare ba, ohokata no ohom-oboye mo ito kagirinaku, maite Rokudeu-no-win no ohom-katazama ha, tugitugi no hito mo, mina watakusi no kimi ni, kokoroyose tukaumaturi tamahu.
注釈1如月の二十日のほどに薫二十三歳二月。仲春、花の盛りとなる。1.1.1
注釈2兵部卿宮、初瀬に詣でたまふ匂宮が初瀬(長谷寺)に参詣する。宇治はその経路。1.1.1
注釈3古き御願なりけれど『新大系』は「ずっと以前に願をお立てになったが、(お礼参りを)お思い立ちにならぬまま幾年も経ってしまったのを。立願の内容は不明」と注す。1.1.1
注釈4年ごろになりにけるを「年ごろ」は複数年、の意。年越しの足掛け二年でも「年ごろ」。1.1.1
注釈5宇治のわたりの御中宿りのゆかしさに薫が匂宮に宇治の姉妹について興味関心をそそるように話した「橋姫」巻の内容を受ける。1.1.1
注釈6多くは催されたまへるなるべし推量の助動詞「べし」は語り手の推量。三光院実枝「草子地なり」。『評釈』は「作者が匂宮の心中を推量した形である」と注す。1.1.1
注釈7うらめしと言ふ人もありける里の名のなべて睦ましう思さるるゆゑ『異本紫明抄』は「忘らるる身を宇治橋の中絶えて人も通はぬ年ぞへにける」(古今集恋五、八二五、読人しらず)。『花鳥余情』は「わが庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人はいふなり」(古今集雑下、九八三、喜撰法師)を指摘。1.1.1
注釈8はかなしや語り手の感想。『細流抄』は「草子地の書也」。『完訳』は「語り手が、宇治に執着する匂宮を評す」と注す。1.1.1
注釈9六条院より伝はりて右大殿知りたまふ所は川より遠方に『花鳥余情』は、藤原道長から頼通に伝領された宇治平等院を準拠とする。京から見れば宇治川の対岸、南にある。なお八宮の邸は此岸にある。1.1.2
注釈10にはかなる御物忌みの重く慎みたまふべく申したなれば陰陽師が進言した。「申したなれば」は完了の助動詞「たる」の撥音便、無表記形に、伝聞推定の助動詞「なれ」が接続した形。1.1.2
注釈11宰相中将薫。1.1.3
注釈12かのわたりのけしきも伝へ寄らむと八宮の姫君たちのこと。1.1.3
注釈13御子の君たち右大弁侍従の宰相権中将頭少将蔵人兵衛佐など夕霧の子息。『完訳』は「(夕霧の子は)もともと六人いるが、ここは次男以下か」と注す。右大弁(従四位上相当)、侍従宰相(正四位下相当)、権中将(従四位下相当)、頭少将(正五位下相当)、蔵人兵衛佐(従五位上相当)。1.1.4
注釈14さぶらひたまふ大島本は「さふらひ給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「みなさぶらひたまふ」と「みな」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.1.4
注釈15六条院の御方ざまは次々の人も『完訳』は「源氏一門の方々は、夕霧をはじめ子息たちも、匂宮を内輪の主君と思う意。明石の中宮腹の匂宮は、源氏や紫の上に特に愛されただけに、一族はこう思う」と注す。1.1.4
出典1 うらめしと言ふ 我が庵は都の巽しかぞ住む世を宇治山と人は言ふなり 古今集雑下-九八三 喜撰法師 1.1.1
校訂1 仕うまつれり 仕うまつれり--つかうまつ(つ/+れ)り 1.1.1
校訂2 たまへる たまへる--給へり(り/$る<朱>) 1.1.4
1.2
第二段 匂宮と八の宮、和歌を詠み交す


1-2  Nio-no-miya and Hachi-no-miya compose and exchange waka

1.2.1  所につけて、御しつらひなどをかしうしなして、 碁、双六、弾棊の盤どもなど取り出でて、心々に すさび暮らしたまふ。宮は、ならひたまはぬ御ありきに、悩ましく思されて、ここにやすらはむの御心も深ければ、うち休みたまひて、 夕つ方ぞ、御琴など召して 遊びたまふ。
 土地に相応しい、ご設営などを興趣深く整えて、碁、双六、弾棊の盤類などを取り出して、思い思いに遊びに一日をお過ごしなさる。宮は、お馴れにならない御遠出に、疲れをお感じになって、ここに泊まろうとのお考えが強いので、ちょっとご休憩なさって、夕方は、お琴などを取り寄せてお遊びになる。
 別荘には山里らしい風流な設備しつらいがしてあって、碁、双六すごろく弾碁たぎの盤なども出されてあるので、お供の人たちは皆好きな遊びをしてこの日を楽しんでいた。宮は旅なれぬお身体からだであったから疲労をお覚えになったし、この土地にしばらく休養していたいという思召おぼしめしも十分にあって、横たわっておいでになったが、夕方になって楽器をお出させになり、音楽の遊びにおかかりになった。
  Tokoro ni tuke te, ohom-siturahi nado wokasiu si nasi te, go, suguroku, tagi no ban-domo nado toriide te, kokorogokoro ni susabi kurasi tamahu. Miya ha, narahi tamaha nu ohom-ariki ni, nayamasiku obosa re te, koko ni yasuraha m no mi-kokoro mo hukakere ba, uti-yasumi tamahi te, yuhutukata zo, ohom-koto nado mesi te asobi tamahu.
1.2.2  例の、かう世離れたる所は、水の音ももてはやして、物の音澄みまさる心地して、 かの聖の宮にも、たださし渡るほどなれば、追風に吹き来る響きを聞きたまふに、昔のこと思し出でられて、
 例によって、このような世間離れした所は、水の音も引立て役となって、楽の音色もひときわ澄む気がして、あの聖の宮にも、ただ棹一さしで漕ぎ渡れる距離なので、追い風に乗って来る響きをお聞きになると、昔の事が自然と思い出されて、
 こうした大きい河のほとりというものは水音が横から楽音を助けてことさらおもしろく聞かれた。聖人の宮のお住居すまいはここから船ですぐに渡って行けるような場所に位置していたから、追い風に混じる琴笛の音を聞いておいでになりながら昔のことがお心に浮かんできて、
  Rei no, kau yobanare taru tokoro ha, midu no oto mo motehayasi te, mono no ne sumi masaru kokoti si te, kano Hiziri-no-Miya ni mo, tada sasi-wataru hodo nare ba, ohikaze ni huki kuru hibiki wo kiki tamahu ni, mukasi no koto obosi ide rare te,
1.2.3  「 笛をいとをかしうも吹きとほしたなるかな。誰ならむ。昔の 六条院の御笛の音聞きしは、いとをかしげに愛敬づきたる音にこそ吹きたまひしか。これは澄みのぼりて、ことことしき気の添ひたるは、 致仕大臣の御族の笛の音にこそ似たなれ」など、独りごちおはす。
 「笛がたいそう美しく聞こえてくるなあ。誰であろう。昔の六条院のお笛の音を聞いたのは、それは実に興趣深げな愛嬌ある音色にお吹きになったものだ。これは澄み上って、大げさな感じが加わっているのは、致仕の大臣のご一族の笛の音に似ているな」などと、独り言をおっしゃる。
 「笛を非常におもしろく吹く。だれだろう。昔の六条院の吹かれたのは愛嬌あいきょうのある美しい味のものだった。今聞こえるのは音が澄みのぼって重厚なところがあるのは、以前の太政大臣の一統の笛に似ているようだ」など独言ひとりごとを言っておいでになった。
  "Hue wo ito wokasiu mo huki tohosi ta' naru kana! Tare nara m? Mukasi no Rokudeu-no-Win no ohom-hue no ne kiki si ha, ito wokasige ni aigyauduki taru ne ni koso huki tamahi sika. Kore ha sumi nobori te, kotokotosiki ke no sohi taru ha, Tizi-no-Otodo no ohom-zou no hue no ne ni koso ni ta' nare." nado, hitorigoti ohasu.
1.2.4  「 あはれに、久しうなりにけりや。かやうの遊びなどもせで、あるにもあらで過ぐし来にける年月の、さすがに多く数へらるるこそ、かひなけれ」
 「ああ、何と昔になってしまったことよ。このような遊びもしないで、生きているともいえない状態で過ごしてきた年月が、それでも多く積もったとは、ふがいないことよ」
 「ずいぶん長い年月が私をああした遊びから離していた。人間の愉楽とするものと遠ざかった寂しい生活を今日までどれだけしているかというようなことをむだにも数えられる」
  "Ahareni, hisasiu nari ni keri ya! Kayau no asobi nado mo se de, aru ni mo ara de sugusi ki ni keru tosituki no, sasugani ohoku kazohe raruru koso, kahinakere."
1.2.5  などのたまふついでにも、姫君たちの御ありさまあたらしく、「 かかる山懐にひき籠めてはやまずもがな」と思し続けらる。「 宰相の君の、同じうは 近きゆかりにて見まほしげなるをさしも思ひ寄るまじかめり。まいて今やうの心浅からむ人をば、いかでかは」など思し乱れ、つれづれと眺めたまふ所は、 春の夜もいと明かしがたきを心やりたまへる旅寝の宿りは、酔の紛れにいと疾う明けぬる心地して、飽かず帰らむことを、宮は思す。
 などとおっしゃる折にも、姫君たちのご様子がもったいなく、「このような山中に引き止めたままにはしたくないものだ」とついお思い続けになられる。「宰相の君が、同じことなら近い縁者としたい方だが、そのようには考えるわけには行かないようだ。まして近頃の思慮の浅いような人を、どうして考えられようか」などとお考え悩まれ、所在なく物思いに耽っていらっしゃる所は、春の夜もたいへん長く感じられるが、打ち興じていらっしゃる旅寝の宿は、酔いの紛れにとても早く夜が明けてしまう気がして、物足りなく帰ることを、宮はお思いになる。
 こんなことをお言いになりながらも、姫君たちの人並みをえたりっぱさがお思われになって、宝玉を埋めているような遺憾もお覚えにならぬではなく、源宰相中将という人を、できるなら婿としてみたいが、かれにはそうした心がないらしい、しかも自分はその人以外の浮薄な男へ女王にょおうたちは与える気になれないのであるとお思いになって、物思いを八の宮がしておいでになる対岸では、春の夜といえども長くばかりお思われになるのであるが、右大臣の別荘のほうの客たちはおもしろい旅の夜の酔いごこちに夜のあっけなく明けるのを歎いていた。匂宮はこの日に宇治を立って帰京されるのが物足らぬこととばかりお思われになった。
  nado notamahu tuide ni mo, HimeGimi-tati no ohom-arisama atarasiku, "Kakaru yamahutokoro ni hiki-kome te ha yama zu mo gana!" to obosi tuduke raru. "Saisyau-no-Kimi no, onaziu ha tikaki yukari nite mi mahosige naru wo, sasimo omohiyoru mazika' meri. Maite imayau no kokoroasakara m hito wo ba, ikadekaha!" nado obosi midare, turedure to nagame tamahu tokoro ha, haru no yo mo ito akasi gataki wo, kokoroyari tamahe ru tabine no yadori ha, wehi no magire ni ito tou ake nuru kokoti si te, akazu kahera m koto wo, Miya ha obosu.
1.2.6  はるばると霞みわたれる空に、 散る桜あれば今開けそむるなど 、いろいろ見わたさるるに、 川沿ひ柳の起きふしなびく水影など 、おろかならずをかしきを、 見ならひたまはぬ人はいとめづらしく見捨てがたしと思さる。
 はるばると霞わたっている空に、散る桜があると思うと今咲き始めるのなどもあり、色とりどりに見渡されるところに、川沿いの柳が風に起き臥し靡いて水に映っている影などが、並々ならず美しいので、見慣れない方は、たいそう珍しく見捨てがたいとお思いになる。
 遠くはるばるとかすんだ空を負って、散る桜もあり、今開いてゆく桜もあるのが見渡される奥には、晴れやかに起き伏しする河添い柳も続いて、宇治の流れはそれを倒影にしていた。都人の林泉にはないこうした広い風景を見捨てて帰りがたく思召されるのである。
  Harubaru to kasumi watare ru sora ni, tiru sakura are ba ima hirake somuru nado, iroiro miwatasa ruru ni, kahazohi no yanagi no okihusi nabiku midukage nado, oroka nara zu wokasiki wo, minarahi tamaha nu hito ha, ito medurasiku misute gatasi to obosa ru.
1.2.7  宰相は、「 かかるたよりを過ぐさず、かの宮にまうでばや」と思せど、「あまたの人目をよきて、一人漕ぎ出でたまはむ舟わたりのほども軽らかにや」と思ひやすらひたまふほどに、 かれより御文あり
 宰相は、「このような機会を逃さず、あの宮に伺いたい」とお思いになるが、「大勢の人目を避けて独り舟を漕ぎ出しなさるのも軽率ではないか」と躊躇していらっしゃるところに、あちらからお手紙がある。
 薫はこの機会もはずさず八の宮邸へまいりたく思うのであったが、多数の人の見る前で、自分だけが船を出してそちらへ行くのは軽率に見られはせぬかと躊躇ちゅうちょしている時に八の宮からお使いが来た。お手紙は薫へあったのである。
  Saisyau ha, "Kakaru tayori wo sugusa zu, kano Miya ni maude baya!" to obose do, "Amata no hitome wo yoki te, hitori kogi ide tamaha m hune no watari no hodo mo karorakani ya!" to omohi yasurahi tamahu hodo ni, kare yori ohom-humi ari.
1.2.8  「 山風に霞吹きとく声はあれど
   隔てて見ゆる遠方の白波
 「山風に乗って霞を吹き分ける笛の音は聞こえますが
  隔てて見えますそちらの白波です
  山風にかすみ吹き解く声はあれど
  隔てて見ゆるをちの白波
    "Yamakaze ni kasumi huki toku kowe ha are do
    hedate te miyuru woti no siranami
1.2.9  草にいとをかしう書きたまへり。宮、「 思すあたりの」と見たまへば、いとをかしう思いて、「 この御返りはわれせむ」とて、
 草仮名でたいそう美しくお書きなっていた。宮、「ご関心の所からの」と御覧になると、たいそう興味深くお思いになって、「このお返事はわたしがしよう」と言って、
 字のくずし字が美しく書かれてあった。兵部卿の宮は、少なからぬ関心を持っておいでになる所からのおたよりとお知りになり、うれしく思召して、「このお返事は私から出そう」とお言いになって、次の歌をお書きになった。
  Sau ni ito wokasiu kaki tamahe ri. Miya, "Obosu atari no." to mi tamahe ba, ito wokasiu oboi te, "Kono ohom-kaheri ha ware se m." tote,
1.2.10  「 遠方こちの汀に波は隔つとも
   なほ吹きかよへ宇治の川風
 「そちらとこちらの汀に波は隔てていても
  やはり吹き通いなさい宇治の川風よ
  遠近をちこちみぎはの波は隔つとも
  なほ吹き通へ宇治の川風
    "Wotikoti no migiha ni nami ha hedatu tomo
    naho huki kayohe Udi no kahakaze
注釈16碁双六弾棊の盤どもなど『完訳』は「文人好みの室内遊戯」と注す。1.2.1
注釈17すさび暮らしたまふ大島本は「すさひくらし給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「すさび暮らひたまひつ」と完了助動詞「つ」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.2.1
注釈18夕つ方ぞ御琴など召して『完訳』は「八の宮邸に聞こえるのを期待」と注す。1.2.1
注釈19かの聖の宮にもたださし渡るほどなれば対岸の八宮邸。1.2.2
注釈20笛をいとをかしうも以下「笛の音にこそ似たなれ」まで、八宮の独言。1.2.3
注釈21六条院の御笛の音聞きしは源氏が吹いた笛の音を聴いたのは。1.2.3
注釈22致仕大臣の御族の笛の音に致仕太政大臣一族の奏法。笛の奏法が、源氏は「いとをかしげに愛敬づきたる音」、致仕太政大臣は「澄み上りてことことしき気の添ひたる」と対比される。1.2.3
注釈23あはれに久しうなりにけりや大島本は「久しう」とある。『完本』は諸本に従って「久しく」と整定する。『集成』『新大系』は底本のままとする。以下「かひなけれ」まで、八宮の独言。1.2.4
注釈24かかる山懐にひき籠めてはやまずもがな八宮の心中の思い。『集成』は「都のしかるべき貴公子に縁づかせたいという気持」。『完訳』は「貴人との結縁を願う気持」と注す。1.2.5
注釈25宰相の君の同じうは以下「人をばいかでか」まで、八宮の心中の思い。1.2.5
注釈26近きゆかりにて見まほしげなるを『集成』は「親しく姫君たちの婿にしたいようなお人柄だが」。『完訳』は「縁の深い、姫君の夫として」「親しい縁者として迎えたくなるようなお人柄であるのを」と訳す。1.2.5
注釈27さしも思ひ寄るまじかめり『集成』は「薫はそんなふうに考えてみようともしないようだ。仏道に専心する薫の人柄を思ってのこと」。『完訳』は「しかしそんな期待を寄せてはなるまい」「仏道に専心する薫ゆえ。宮は薫との結縁を願いながらも断念」と注す。1.2.5
注釈28春の夜もいと明かしがたきを短い春の夜も長く感じられる意。1.2.5
注釈29心やりたまへる旅寝の宿りは匂宮一行。1.2.5
注釈30散る桜あれば今開けそむるなど『源氏釈』は「咲く桜さくらの山の桜花散る桜あれば咲く桜あり」(出典未詳)を指摘。1.2.6
注釈31川沿ひ柳の起きふしなびく水影など『河海抄』は「いな筵河ぞひ柳水ゆけば起き臥しすれどその根絶えせず」(古今六帖六、柳)を指摘。1.2.6
注釈32見ならひたまはぬ人は匂宮。1.2.6
注釈33いとめづらしく見捨てがたし匂宮の心中の思い。1.2.6
注釈34かかるたよりを以下「まうでばや」まで、薫の心中。1.2.7
注釈35かれより御文あり八宮から薫に手紙が届く。1.2.7
注釈36山風に霞吹きとく声はあれど--隔てて見ゆる遠方の白波八宮から薫への贈歌。『集成』は「前日聞えた笛の音の主を薫と推察しての歌。「遠方」は宇治に存した地名(今、宇治橋東詰め近くに彼方(をちかた)神社がある)で、「をち」(遠方、彼方)の意に掛ける。薫の来訪をうながす心の歌」。『完訳』は「笛の音を薫のそれと聞いて、彼の不訪を恨んだ歌」と注す。1.2.8
注釈37思すあたりの大島本は「おほすあたりの」とある。『完本』は諸本に従って「思すあたり」と「の」を削除する。『集成』『新大系』は底本のままとする。匂宮の心中の思い。格助詞「の」の下に「文」などの語句が省略。1.2.9
注釈38この御返りはわれせむ匂宮の詞。1.2.9
注釈39遠方こちの汀に波は隔つとも--なほ吹きかよへ宇治の川風匂宮から八宮への返歌。「吹く」「隔つ」「彼方」「波」の語句を用いて返す。1.2.10
出典2 散る桜あれば今開けそむる 桜咲くさくらの山の桜花散る桜あれば咲く桜あり 源氏釈所引-出典未詳 1.2.6
出典3 川沿ひ柳の起きふし 稲蓆川添ひ柳水行けば起き臥しすれどその根絶えせず 古今六帖六-四一五五 1.2.6
校訂3 夕つ方ぞ 夕つ方ぞ--夕つかたに(に/$そ<朱>) 1.2.1
1.3
第三段 薫、迎えに八の宮邸に来る


1-3  Kaoru goes to the Uji-residence to meet Nio-no-miya

1.3.1  中将は参うでたまふ。遊びに心入れたる君たち誘ひて、さしやりたまふほど、 酣酔楽遊びて、 水に臨きたる廊に造りおろしたる階の心ばへなど、さる方にいとをかしう、ゆゑある宮なれば、人びと心して舟よりおりたまふ。
 中将はお伺いなさる。遊びに夢中になっている公達を誘って、棹さしてお渡りになるとき、「酣酔楽」を合奏して、水に臨んだ廊に造りつけてある階段の趣向などは、その方面ではたいそう風流で、由緒ある宮邸なので、人びとは気をつけて舟からお下りになる。
 薫は自身でまいることにした。音楽好きな公達きんだちを誘って同船して行ったのであった。船の上では「酣酔楽かんすいらく」が奏された。河に臨んだ廊の縁から流れの水面に向かってかかっている橋の形などはきわめて風雅で、宮の洗練された御趣味もうかがわれるものであった。
  Tiuzyau ha maude tamahu. Asobi ni kokoro ire taru Kimi-tati sasohi te, sasi-yari tamahu hodo, Kamsuiraku asobi te, midu ni nozoki taru rau ni tukuri orosi taru hasi no kokorobahe nado, saru kata ni ito wokasiu, yuwe aru Miya nare ba, hitobito kokorosi te hune yori ori tamahu.
1.3.2  ここはまた、さま異に、山里びたる網代屏風などの、ことさらにことそぎて、見所ある御しつらひを、 さる心してかき払ひ、いといたうしなしたまへり。いにしへの、音などいと二なき弾きものどもを、わざとまうけたるやうにはあらで、次々弾き出でたまひて、 壱越調の心に、桜人遊びたまふ
 ここはまた、趣が違って、山里めいた網代屏風などで、格別に簡略にして、風雅なお部屋のしつらいを、そのような気持ちで掃除し、たいそう心づかいして整えていらっしゃった。昔の、楽の音などまことにまたとない弦楽器類を、特別に用意したようにではなく、次々と弾き出しなさって、壱越調に変えて、「桜人」を演奏なさる。
 右大臣の別荘も田舎いなからしくはしてあったが、宮のおやしきはそれ以上に素朴そぼくな土地の色が取り入れられてあって、網代屏風あじろびょうぶなどというものも立っていた。さびの味の豊かにある室内の飾りもおもしろく、あるいは兵部卿の宮の初瀬もうでの御帰途に立ち寄る客があるかもしれぬとして、よく清掃されてもあった。すぐれた名品の楽器なども、わざとらしくなく宮はお取り出しになって、参入者たちへ提供され、一越いちこち調で「桜人」の歌われるのをお聞きになった。
  Koko ha mata, sama kotoni, yamazatobi taru aziro byaubu nado no, kotosarani kotosogi te, midokoro aru ohom-siturahi wo, saru kokorosi te kaki-harahi, ito itau si nasi tamahe ri. Inisihe no, ne nado ito ninaki hikimono-domo wo, wazato mauke taru yau ni ha ara de, tugitugi hikiide tamahi te, itikotudeu no kokoro ni, Sakurabito asobi tamahu.
1.3.3   主人の宮、御琴を かかるついでにと、人びと思ひたまへれど、箏の琴をぞ、心にも入れず、折々掻き合はせたまふ。 耳馴れぬけにやあらむ、「いともの深くおもしろし」と、若き人びと思ひしみたり。
 主人の宮の、お琴をこのような機会にと、人びとはお思いになるが、箏の琴を、さりげなく、時々掻き鳴らしなさる。耳馴れないせいであろうか、「たいそう趣深く素晴らしい」と若い人たちは感じ入っていた。
 名手のほまれをとっておいでになる八の宮の御琴の音をこの機会にお聞きしたい望みをだれも持っていたのであるが、十三絃を合い間合い間にほかのものに合わせてだけおきになるにとどまった。平生お聞きし慣れないせいか、奥深いよい音として若い人々は承った。
  Aruzi-no-Miya, ohom-kin wo kakaru tuide ni to, hitobito omohi tamahe re do, sau-no-koto wo zo, kokoro ni mo ire zu, woriwori kaki-ahase tamahu. Mimi nare nu ke ni ya ara m, "Ito mono-hukaku omosirosi." to, wakaki hitobito omohi simi tari.
1.3.4  所につけたる饗応、いとをかしうしたまひて、よそに思ひやりしほどよりは、 なま孫王めくいやしからぬ人あまた 大君、四位の古めきたるなど 、かく人目見るべき折と、 かねていとほしがりきこえけるにやさるべき限り参りあひて、瓶子取る人もきたなげならず、さる方に古めきて、よしよししうもてなしたまへり。 客人たちは、御女たちの住まひたまふらむ御ありさま、思ひやりつつ、 心つく人もあるべし
 土地柄に相応しい饗応を、たいそう風流になさって、はたから想像していた以上に、かすかに皇族の血筋を引くといった素性卑しからぬ人びとが大勢、王族で、四位の年とった人たちなどが、このように大勢客人が見える時にはと、以前からご同情申し上げていたせいか、適当な方々が皆参上し合って、瓶子を取る人もこざっぱりしていて、それはそれとして古風で、風雅にお持てなしなさった。客人たちは、宮の姫君たちが住んでいらっしゃるご様子、想像しながら、関心を持つ人もいるであろう。
 山里らしい御饗応きょうおう綺麗きれいな形式であって、皆人がほかで想像していたに似ず王族の端である公達きんだちが数人、王の四位の年輩者というような人らが、常に八の宮へ御同情申していたのか、縁故の多少でもあるのはお手つだいに来ていた。酒瓶しゅへいを持って勧める人も皆さっぱりとしたふうをしていた。一種古風な親王家らしいよさのある御歓待の席と見えた。船で来た人たちには女王の様子も想像して好奇心のかれる気のしたのもあるはずである。
  Tokoro ni tuke taru aruzi, ito wokasiu si tamahi te, yoso ni omohiyari si hodo yori ha, nama-sonwaumeku iyasikara nu hito amata, ohokimi, siwi no hurumeki taru nado, kaku hitome miru beki wori to, kanete itohosigari kikoye keru ni ya, sarubeki kagiri mawiri ahi te, heizi toru hito mo kitanage nara zu, saru kata ni hurumeki te, yosiyosisiu motenasi tamahe ri. Marauto-tati ha, ohom-Musume-tati no sumahi tamahu ram ohom-arisama, omohiyari tutu, kokorotuku hito mo aru besi.
注釈40酣酔楽高麗壱越調の曲。1.3.1
注釈41水に臨きたる以下「宮なれば」まで、八宮の山荘の造作を説明した挿入句。1.3.1
注釈42さる心して『集成』は「薫一行を迎える心積りで」と注す。1.3.2
注釈43壱越調の心に桜人遊びたまふ『完訳』は「高麗楽「桜人」が呂の曲であるのを、壱越調(律の調子)に移して」と注す。1.3.2
注釈44主人の宮大島本は「あるしの宮」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「主人の宮の」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.3.3
注釈45かかるついでに人々の心中の思い。八宮が琴の琴の名手であることは人々に知られていた。1.3.3
注釈46耳馴れぬけにやあらむいともの深くおもしろし若い同行の人々の感想。1.3.3
注釈47なま孫王めくいやしからぬ人あまた『集成』は「かすかに皇族のお血につながるといった素姓いやしからぬ人が大勢」。『完訳』は「どうやら皇族のお血筋といった卑しからぬ人たちがたくさん」と注す。1.3.4
注釈48大君四位の古めきたるなど『集成』は「王(二世以下の親王宣下のない皇胤)で四位の人」。『完訳』は「それにまた四位で年配の孫王がたが」「これらは八の宮ゆかりの人々か」と注す。1.3.4
注釈49かねていとほしがりきこえけるにや語り手の推測を挿入。1.3.4
注釈50さるべき限り参りあひて瓶子取る人もきたなげならず宴会や接待のために宮家ゆかりの人々が参集してお酌をしたりする。1.3.4
注釈51客人たちは『細流抄』は「草子地也」と指摘。1.3.4
注釈52心つく人もあるべし『完訳』は「語り手の推測。客人らの好色心から、匂宮のいらだちに続ける」と注す。1.3.4
出典4 桜人 桜人 その舟(ちぢ)め 島つ田を 十町作れる 見て帰り来むや そよや 明日帰りこむ そよや 言をこそ 明日とも言はめ 遠方(をちかた)に 妻ざる(せな)は 明日もさね来じや そよや さ明日もさね来じや そよや 催馬楽-桜人 1.3.2
校訂5 孫王めく 孫王めく--そむわ(わ/$王<朱>)めく 1.3.4
校訂6 大君 大君--おほき(き/+み)△(△/#) 1.3.4
1.4
第四段 匂宮と中の君、和歌を詠み交す


1-4  Nio-no-miya and Naka-no-kimi compose and exchange waka

1.4.1   かの宮は、まいてかやすきほどならぬ御身をさへ、所狭く思さるるを、 かかる折にだにと、忍びかねたまひて、 おもしろき花の枝を折らせたまひて、御供にさぶらふ上童のをかしきしてたてまつりたまふ。
 あの宮は、それ以上に気軽に動けないご身分までをも、窮屈にお思いであるが、せめてこのような機会にでもと、たまらなくお思いになって、美しい花の枝を折らせなさって、お供に控えている殿上童でかわいい子を使いにして差し上げなさる。
 兵部卿の宮はまして美しいと薫から聞いておいでになった姉妹きょうだいの姫君に興味をいだいておいでになって、自由な行動のおできにならぬことを、今までからうらみに思っておいでになったのであるから、この機会になりとも女王への初めの消息を送りたいとお思いになり、そのお心持ちがしまいにおさえきれずに、美しい桜の枝をお折らせになって、お供に来ていた殿上の侍童のきれいな少年をお使いにされお手紙をお送りになった。
  Kano Miya ha, maite kayasuki hodo nara nu ohom-mi wo sahe, tokoroseku obosa ruru wo, kakaru wori ni dani to, sinobi kane tamahi te, omosiroki hana no eda wo wora se tamahi te, ohom-tomo ni saburahu uhewaraha no wokasiki si te tatematuri tamahu.
1.4.2  「 山桜匂ふあたりに尋ね来て
   同じかざしを折りてけるかな
 「山桜が美しく咲いている辺りにやって来て
  同じこの地の美しい桜を插頭しに手折ったことです
  山桜にほふあたりに尋ね来て
  同じ挿頭かざしを折りてけるかな
    "Yamazakura nihohu atari ni tadune ki te
    onazi kazasi wo wori te keru kana
1.4.3   野を睦ましみ
 野が睦まじいので」
 野をむつまじみ(ひと夜寝にける)
  No wo mutumasimi."
1.4.4  とやありけむ。「御返りは、いかでかは」など、聞こえにくく思しわづらふ。
 とでもあったのであろうか。「お返事は、とてもできない」などと、差し上げにくく当惑していらっしゃる。
 というような御消息である。お返事はむずかしい、自分にはと二人の女王は譲り合っていたが、
  to ya ari kem. "Ohom-kaheri ha, ikadekaha." nado, kikoye nikuku obosi wadurahu.
1.4.5  「 かかる折のこと、わざとがましくもてなし、ほどの経るも、なかなか 憎きことになむしはべりし
 「このような時のお返事は、特別なふうに考えて、時間をかけ過ぎるのも、かえって憎らしいことでございます」
 こんな場合はただ風流な交際として軽く相手をしておくべきで、あとまで引くことのないように、大事をとり過ぎた態度に出るのはかえって感じのよくないものである
  "Kakaru wori no koto, wazatogamasiku motenasi, hodo no huru mo, nakanaka nikuki koto ni nam si haberi si."
1.4.6  など、古人ども聞こゆれば、 中の君にぞ書かせたてまつりたまふ
 などと、老女房たちが申し上げるので、中の君にお書かせ申し上げなさる。
 というようなことを、古い女房などが申したために、宮は中姫君に返事をお書かせになった。
  nado, huruhito-domo kikoyure ba, Naka-no-Kimi ni zo kaka se tatematuri tamahu.
1.4.7  「 かざし折る花のたよりに山賤の
   垣根を過ぎぬ春の旅人
 「插頭の花を手折るついでに、山里の家は
  通り過ぎてしまう春の旅人なのでしょう
  挿頭かざし折る花のたよりに山賤やまがつ
  垣根かきねを過ぎぬ春の旅人
    "Kazasi woru hana no tayori ni yamagatu no
    kakine wo sugi nu haru no tabibito
1.4.8   野をわきてしも
 わざわざ野を分けてまでもありますまい」
 野を分きてしも
  No wo waki te simo."
1.4.9  と、いとをかしげに、らうらうじく書きたまへり。
 と、たいそう美しく、上手にお書きになっていた。
 これが美しい貴女きじょらしい手跡で書かれてあった。
  to, ito wokasige ni, raurauziku kaki tamahe ri.
1.4.10   げに、川風も心わかぬさまに吹き通ふ物の音ども、おもしろく遊びたまふ。御迎へに、 藤大納言、仰せ言にて参りたまへり。人びとあまた参り集ひ、もの騒がしくてきほひ帰りたまふ。 若き人びと、飽かず 返り見のみせられける。宮は、「また さるべきついでして」と思す。
 なるほど、川風も隔て心をおかずに吹き通う楽の音を、面白く合奏なさる。お迎えに、藤大納言が、勅命によって参上なさった。人びとが大勢参集して、何かと騒がしくして先を争ってお帰りになる。若い人たちは、物足りなく、ついつい後を振り返ってばかりいた。宮は、「また何かの機会に」とお思いになる。
 河風かわかぜも当代の親王、古親王の隔てを見せず吹き通うのであったから、南の岸の楽音は古宮家の人の耳を喜ばせた。迎えの勅使としてとう大納言が来たほかにまた無数にまいったお迎えの人々をしたがえて兵部卿の宮は宇治をお立ちになった。若い人たちは心の残るふうに河のほうをいつまでも顧みして行った。宮はまたよい機会をとらえて再遊することを期しておいでになるのである。
  Geni, kahakaze mo kokoro waka nu sama ni huki kayohu mononone-domo, omosiroku asobi tamahu. Ohom-mukahe ni, Tou-Dainagon, ohosegoto nite mawiri tamahe ri. Hitobito amata mawiri tudohi, mono-sawagasiku te kihohi kaheri tamahu. Wakaki hitobito, aka zu kaherimi nomi se rare keru. Miya ha, "Mata sarubeki tuide si te." to obosu.
1.4.11  花盛りにて、四方の霞も眺めやるほどの見所あるに、 唐のも大和のも、歌ども多かれど、うるさくて尋ねも聞かぬなり
 花盛りで、四方の霞も眺めやる見所があるので、漢詩や和歌も、作品が多く作られたが、わずらわしいので詳しく尋ねもしないのである。
 一行の人々の山と水の風景を題にした作が詩にも歌にも多くできたのであるが細かには筆者も知らない。
  Hanazakari nite, yomo no kasumi mo nagame yaru hodo no midokoro aru ni, Kara no mo Yamato no mo, uta-domo ohokare do, urusaku te tadune mo kika nu nari.
1.4.12  もの騒がしくて、思ふままにもえ言ひやらずなりにしを、飽かず宮は思して、 しるべなくても御文は常にありけり 宮も
 何かと騒々しくて、思うようにも意を尽くして言いやることもできずじまいだったことを、残念に宮はお思いになって、手引なしでもお手紙は常にあるのだった。宮も、
 周囲に御遠慮があって宇治の姫君へ再三の消息のおできにならなかったことを匂宮は飽き足らぬように思召して、それからは薫の手をわずらわさずに、直接のおふみがしばしば八の宮へ行くことになった。父君の宮も、
  Mono sawagasiku te, omohu mama ni mo e ihi yara zu nari ni si wo, aka zu Miya ha obosi te, sirube naku te mo ohom-humi ha tuneni ari keri. Miya mo,
1.4.13  「 なほ、聞こえたまへ。わざと懸想だちてももてなさじ。なかなか心ときめきにもなりぬべし。いと好きたまへる親王なれば、かかる人なむ、と聞きたまふが、 なほもあらぬすさびなめり
 「やはり、お返事は差し上げなさい。ことさら懸想文のようには扱うまい。かえって心をときめかさせることになってしまいましょう。たいそう好色の親王なので、このような姫がいる、とお聞きになると、放っておけないと思うだけの戯れ事なのでしょう」
 「初めどおりにお返事を出すがよい。求婚者風にこちらでは扱わないでおこう。交友として無聊ぶりょうを慰める相手にはなるだろう。風流男でいられる方が若い女王のいることをお聞きになっての軽い遊びの心持ちだろうから」
  "Naho, kikoye tamahe. Wazato kesaudati te mo motenasa zi. Nakanaka kokorotokimeki ni mo nari nu besi. Ito suki tamahe ru Miko nare ba, kakaru hito nam, to kiki tamahu ga, naho mo ara nu susabi na' meri."
1.4.14  と、そそのかしたまふ時々、中の君ぞ聞こえたまふ。 姫君は、かやうのこと、戯れにももて離れたまへる御心深さなり。
 と、お促しなさる時々、中の君がお返事申し上げなさる。姫君は、このようなことは、冗談事にもご関心のないご思慮深さである。
 こんなふうにお勧めになる時などには中姫君が書いた。大姫君は遊びとしてさえ恋愛を取り扱うことなどはいとわしがるような高潔な自重心のある女性であった。
  to, sosonokasi tamahu tokidoki, Naka-no-kimi zo kikoye tamahu. HimeGimi ha, kayau no koto, tahabure ni mo mote-hanare tamahe ru mi-kokorobukasa nari.
1.4.15  いつとなく心細き御ありさまに、 春のつれづれは、いとど暮らしがたく眺めたまふねびまさりたまふ御さま容貌ども、いよいよまさり、あらまほしくをかしきも、なかなか 心苦しく、「 かたほにもおはせましかば、あたらしう、惜しき方の思ひは薄くやあらまし」など、明け暮れ思し乱る。
 いつとなく心細いご様子で、春の日長の所在なさは、ますます過ごしがたく物思いに耽っていらっしゃる。ご成長なさったご容姿器量も、ますます優れ、申し分なく美しいのにつけても、かえっておいたわしく、「不器量であったら、もったいなく、惜しいなどの思いは少なかったろうに」などと、明け暮れお悩みになる。
 いつでも心細い山荘住まいのうちにも、春の日永ひながの退屈さから催される物思いは二人の女王から離れなかった。いよいよ完成された美は父宮のお心にかえって悲哀をもたらした。欠点でもあるのであれば惜しい存在であると歎かれることは少なかろうがなどと煩悶はんもんをあそばされるのであった。
  Itu to naku kokorobosoki ohom-arisama ni, haru no turedure ha, itodo kurasi gataku nagame tamahu. Nebi masari tamahu ohom-sama katati-domo, iyoiyo masari, aramahosiku wokasiki mo, nakanaka kokorogurusiku, "Kataho ni mo ohase masika ba, atarasiu, wosiki kata no omohi ha usuku ya ara masi." nado, akekure obosi midaru.
1.4.16   姉君二十五、中の君二十三にぞなりたまひける
 姉君は二十五歳、中の君は二十三歳におなりであった。
 大姫君は二十五、中姫君は二十三になっていた。
  AneGimi nizihugo, Naka-no-Kimi nizihusam ni zo nari tamahi keru.
注釈53かの宮はまいて匂宮。対岸に残っているので「かの」という。1.4.1
注釈54かかる折にだに匂宮の心中の思い。1.4.1
注釈55おもしろき花の枝を美しく咲いている桜の枝。1.4.1
注釈56山桜匂ふあたりに尋ね来て--同じかざしを折りてけるかな匂宮から姫君たちへの贈歌。「同じかざし」は同じ皇族の血縁、親しみをこめていう。『河海抄』は「我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ」(後撰集恋四、八一〇、伊勢)を指摘。1.4.2
注釈57野を睦ましみとやありけむ【野を睦ましみ】−歌に添えた言葉。『源氏釈』は「紫のひともとゆゑに武蔵野の草は見ながらあはれとぞ思ふ」(古今集雑上、八六七、前太政大臣)「春の野に菫摘みにとこし我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける」(古今六帖六、すみれ)を指摘。三光院は「草子の地なり」と指摘。
【とやありけむ】−語り手の推測。
1.4.3
注釈58かかる折のこと以下「しはべりし」まで、女房の詞。1.4.5
注釈59憎きことになむしはべりし『完訳』は「過去の宮仕えの経験を語る形」と注す。1.4.5
注釈60中の君にぞ書かせたてまつりたまふ主語は八宮。1.4.6
注釈61かざし折る花のたよりに山賤の--垣根を過ぎぬ春の旅人中君から匂宮への返歌。「かざし」「折る」の語句を用いて返す。1.4.7
注釈62野をわきてしも『源氏釈』は「分きてしもなに匂ふらむ秋の野にいづれともなくなびく尾花に」(出典未詳)を指摘。1.4.8
注釈63げに川風も「げに」は語り手の感情移入による表現。匂宮の贈歌にに納得した気持ち。1.4.10
注釈64藤大納言仰せ言にて紅梅大納言。故柏木の弟。帝の勅命によって。1.4.10
注釈65若き人びと匂宮に最初から付き従っていた若い供人たち。1.4.10
注釈66返り見のみせられける大島本は「かへりミのミ」とある。『完本』は諸本に従って「のみなん」と「なん」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.4.10
注釈67さるべきついでして匂宮の心中の思い。1.4.10
注釈68唐のも大和のも歌ども多かれどうるさくて尋ねも聞かぬなり語り手の省筆の辞。『孟津抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「人の語るのを聞いたものを書きとめている体を装っている表現。和歌や漢詩を並べ立てることを避ける技法である」と注す。1.4.11
注釈69しるべなくても御文は常にありけり『花鳥余情』は「近江路をしるべなくても見てしがな関のこなたはわびしかりけり」(後撰集恋三、七八六、源中正)を指摘。1.4.12
注釈70宮も八宮。1.4.12
注釈71なほ聞こえたまへ以下「すさびなめり」まで、八宮の詞。1.4.13
注釈72なほもあらぬすさびなめり『集成』は「ほっておかれないというだけのお遊びだろう」。『完訳』は「放っておけぬと思うだけの戯れ事なのだろう」と訳す。1.4.13
注釈73姫君は大君。匂宮の手紙に中君が返事を書く。大君はこうした事にまったく関心のない様子を強調。1.4.14
注釈74春のつれづれはいとど暮らしがたく眺めたまふ『花鳥余情』は「思ひやれ霞こめたる山ざとに花まつほどの春のつれづれ」(後撰集春上、六六、上東門院中将)を指摘。1.4.15
注釈75ねびまさりたまふ御さま容貌ども接尾語「ども」複数は、大君と中君を表す。1.4.15
注釈76心苦しく大島本は「心くるしく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心苦しう」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.15
注釈77かたほにもおはせましかば以下「薄くやあらまし」まで、八宮の心中の思い。反実仮想の構文。1.4.15
注釈78姉君二十五、中の君二十三にぞなりたまひける『完訳』は「当時の上流貴族の姫君は、十五、六歳で結婚するのが普通」と注す。結婚適齢期という通念はないが、婚期を過ごした姉妹である。1.4.16
出典5 同じかざしを折り 我が宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしを挿しこそはせめ 後撰集恋四-八〇九 伊勢 1.4.2
出典6 野を睦ましみ 春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける 万葉集巻八-一四二八 山部赤人 1.4.3
出典7 野をわきてしも わきてしも何匂ふらむ秋の野にいづれともなくなびく尾花を 源氏釈所引-出典未詳 1.4.8
出典8 しるべなくても 近江路をしるべなくても見てしかな関のこなたは侘しかりけり 後撰集恋三-七八五 源中正 1.4.12
1.5
第五段 八の宮、娘たちへの心配


1-5  Hachi-no-miya is anxious about his daughters

1.5.1   宮は、重く慎みたまふべき年なりけり。もの心細く思して、御行ひ常よりもたゆみなくしたまふ。 世に心とどめたまはねば、 出で立ちいそぎをのみ思せば涼しき道にも赴きたまひぬべきを、 ただこの御ことどもに、いといとほしく、限りなき御心強さなれど、「 かならず、今はと見捨てたまはむ御心は、乱れなむ」と、見たてまつる人も推し量りきこゆるを、 思すさまにはあらずとも、なのめに、さても人聞き口惜しかるまじう、見ゆるされぬべき際の人の、真心に後見きこえむ、など、思ひ寄りきこゆるあらば、知らず顔にてゆるしてむ、 一所一所世に住みつきたまふよすがあらば、それを見譲る方に慰めおくべきを、 さまで深き心に尋ねきこゆる人もなし
 宮は、重く身を慎むべきお年なのであった。何となく心細くお思いになって、ご勤行を例年よりも弛みなくなさる。この世に執着なさっていないので、死出の旅立ちの用意ばかりをお考えなので、極楽往生も間違いないお方だが、ただこの姫君たちの事に、たいそうお気の毒で、この上ない道心の強さだが、「かならず、今が最期とお見捨てなさる時のお気持ちは、きっと乱れるだろう」と、拝する女房もご推察申し上げるが、お思いの通りではなくても、並に、それでも人聞きの悪くなく、世間から認めてもらえる身分の人で、真実に後見申し上げよう、などと、思ってくれる方がいたら、知らぬ顔をして黙認しよう、一人一人が人並みに結婚する縁があったら、その人に譲って安心もできようが、そこまで深い心で言い寄る人はいない。
 宮のために今年は重く謹慎をあそばされねばならぬ年と占われていた。心細い気をお覚えになって、仏勤めを平生以上にゆるみなくあそばす八の宮であった。この世に何の愛着をも今はお持ちにならぬお心であったから、未来の世のためにいっさいを捨てて仏弟子ぶつでしの生活にもおはいりになりたいのであったが、ただ二女王をこのままにしておく点に御不安があって、深い信仰はおありになっても、このことでなすべからぬ煩悶はんもんをするようになるのは遺憾であると思召すらしいのを、奉仕する女房たちはお察ししていたが、そのことについて宮は、必ずしも理想どおりではなくとも、世間体もよく、親として、それくらいであれば譲歩してもよいと思われる男が求婚して来たなら、立ち入って婿としての世話はやかないままで結婚を許そう、一人だけがそうした生活にはいれば、それに大体のことは頼みうることにもなって安心は得られるであろうが、それほどにまで誠意を見せて婚を求める人もない。
  Miya ha, omoku tutusimi tamahu beki tosi nari keri. Mono-kokorobosoku obosi te, ohom-okonahi tune yori mo tayumi naku si tamahu. Yo ni kokoro todome tamaha ne ba, idetati isogi wo nomi obose ba, suzusiki miti ni mo omomuki tamahi nu beki wo, tada kono ohom-koto-domo ni, ito itohosiku, kagirinaki mi-kokoroduyosa nare do, "Kanarazu, ima ha to misute tamaha m mi-kokoro ha, midare na m." to, mi tatematuru hito mo osihakari kikoyuru wo, obosu sama ni ha ara zu tomo, nanomeni, sate mo hitogiki kutiwosikaru maziu, mi yurusa re nu beki kiha no hito no, magokoro ni usiromi kikoye m, nado, omohiyori kikoyuru ara ba, sirazugaho nite yurusi te m, hitotokoro hitotokoro yo ni sumituki tamahu yosuga ara ba, sore wo mi yuduru kata ni nagusame oku beki wo, sa made hukaki kokoro ni tadune kikoyuru hito mo nasi.
1.5.2  まれまれはかなきたよりに、好きごと聞こえなどする人は、まだ若々しき人の心のすさびに、 物詣での中宿り、行き来のほどのなほざりごとに、けしきばみかけて、さすがに、かく眺めたまふありさまなど推し量り、あなづらはしげにもてなすは、めざましうて、なげのいらへをだにせさせたまはず。 三の宮ぞ、なほ見ではやまじと思す御心深かりける。 さるべきにやおはしけむ
 時たまちょっとしたきっかけで、懸想めいたことを言う人は、まだ年若い人の遊び心で、物詣での中宿りや、その往来の慰み事に、それらしいことを言っても、やはり、このように落ちぶれた様子などを想像して、軽んじて扱うのは、心外なので、なおざりの返事をさえおさせにならない。三の宮は、やはりお会いしないではいられないとのお思いが深いのであった。前世からの約束事でいらしたのであろうか。
 まれまれにはちょっとした機会と仲介人を得て、そうした話もあるが、皆まだ若々しい人たちが一時的に好奇心を動かして、初瀬はせ春日かすがへの中休みの宇治での遊び心のような恋文こいぶみを送って来る程度にとどまり、こうした閑居をあそばすだけの宮として、女王にはたいした敬意も持たず礼のない軽蔑けいべつ的な交渉をして来るのなどには、その場だけの返事をすら女王にお書かせにならない。兵部卿ひょうぶきょうの宮だけはどうしてもこの恋を遂げたいという熱意を持っておいでになる。これも前生の約束事であったのかもしれぬ。
  Maremare hakanaki tayori ni, sukigoto kikoye nado suru hito ha, mada wakawakasiki hito no kokoro no susabi ni, mono-maude no nakayadori, yukiki no hodo no nahozarigoto ni, kesikibami kake te, sasugani, kaku nagame tamahu arisama nado osihakari, anadurahasige ni motenasu ha, mezamasiu te, nage no irahe wo dani se sase tamaha zu. Sam-no-Miya zo, naho mi de ha yama zi to obosu mi-kokorohukakari keru. Sarubeki ni ya ohasi kem.
注釈79宮は重く慎みたまふべき年なりけり八宮は男の厄年六十一歳。1.5.1
注釈80出で立ちいそぎをのみ思せば『集成』は「後世安楽の支度のことばかりお考えなので」。『完訳』は「死出の旅への出発の用意」と訳す。1.5.1
注釈81涼しき道にも極楽浄土。1.5.1
注釈82かならず今はと見捨てたまはむ御心は乱れなむ女房たちの思い。1.5.1
注釈83思すさまにはあらずとも以下「慰めおくべきを」まで、八宮の心中の苦慮を地の文に叙述。1.5.1
注釈84一所一所世に住みつきたまふよすがあらば『集成』は「姫君たちのうちどちらかお一人が、この世に暮していかれるより所があるならば(どちらか一人が夫を迎えたら)」。『完訳』は「大君、中君それぞれが」「姫君たちのお一人お一人がお暮しになられるような縁があったら」と注す。1.5.1
注釈85さまで深き心に尋ねきこゆる人もなし八宮の心中の苦慮を地の文で受ける。1.5.1
注釈86物詣での中宿り行き来のほどのなほざりごとに宇治は、京から初瀬へ行く交通要衝で、その中継、休憩所である。1.5.2
注釈87三の宮匂宮。1.5.2
注釈88さるべきにやおはしけむ『新釈』は「草子地である」と指摘。『全集』は「匂宮と宇治の姫君とが結ばれる必然性は、現世の状況からは考えられないだけに、こうした語り手のことばが必要になってくる」。『集成』は「物語の成行きを予告する気持の草子地」と注す。1.5.2
校訂7 世に心とどめたまはねば、出で立ちいそぎを 世に心とどめたまはねば、出で立ちいそぎを--を(を/$<朱>)(/+世に心とゝめ給はねはいてたちいそきを<朱>) 1.5.1
校訂8 ただ ただ--たゝ/\(/\/$) 1.5.1
2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/1/2011(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/5/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年3月21日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月13日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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