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 1<HTML>⏎1 
 2<HEAD>⏎2 
d33-5<meta ...>⏎
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 6<TITLE>手習(大島本)</TITLE>⏎3 
 7</HEAD>⏎4 
cd2:18-9<body background="wallppr062.gif">⏎
<p>First updated 4/30/2002(ver.1-2)<br>⏎
5<BODY>⏎
c210-11Last updated 9/27/2011(ver.2-2)<br>⏎
渋谷栄一注釈(C)  </p>⏎
6-7<ADDRESS>Last updated 9/27/2011(ver.2-2)<BR>⏎
渋谷栄一注釈</ADDRESS>⏎
 12<H3>手習</H3>⏎8 
d113<P>⏎
 14 [底本]<BR>⏎9 
 15財団法人古代学協会・古代学研究所編 角田文衛・室伏信助監修『大島本 源氏物語』第十巻 一九九六年 角川書店<BR>⏎10 
d116<P>⏎
 17 [参考文献]<BR>⏎11 
 18池田亀鑑編著『源氏物語大成』第三巻「校異篇」一九五六年 中央公論社<BR>⏎12 
d119<P>⏎
 20阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『古典セレクション 源氏物語』第十六巻 一九九八年 小学館<BR>⏎13 
 21柳井 滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系 源氏物語』第五巻 一九九七年 岩波書店<BR>⏎14 
 22阿部秋生・秋山 虔・今井源衛・鈴木日出男校注・訳『完訳日本の古典 源氏物語』第十巻 一九八八年 小学館<BR>⏎15 
 23石田穣二・清水好子校注『新潮日本古典集成 源氏物語』第八巻 一九八五年 新潮社<BR>⏎16 
 24阿部秋生・秋山 虔・今井源衛校注・訳『日本古典文学全集 源氏物語』第六巻 一九七六年 小学館<BR>⏎17 
 25玉上琢弥著『源氏物語評釈』第十二巻 一九六八年 角川書店<BR>⏎18 
 26山岸徳平校注『日本古典文学大系 源氏物語』第五巻 一九六三年 岩波書店<BR>⏎19 
 27池田亀鑑校注『日本古典全書 源氏物語』第七巻 一九五五年 朝日新聞社<BR>⏎20 
d128<P>⏎
 29伊井春樹編『源氏物語引歌索引』一九七七年 笠間書院<BR>⏎21 
 30榎本正純篇著『源氏物語の草子地 諸注と研究』一九八二年 笠間書院<BR>⏎22 
d131<P>⏎
 32第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる<BR>⏎23 
 33<OL>⏎24 
 34<LI>横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病---<A HREF="#in11">そのころ、横川に、なにがし僧都とか言ひて</A>⏎25 
 35<LI>僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う---<A HREF="#in12">まづ、僧都渡りたまふ。「いといたく荒れて</A>⏎26 
 36<LI>若い女であることを確認し、救出する---<A HREF="#in13">妖しのさまに、額おし上げて出で来たり</A>⏎27 
 37<LI>妹尼、若い女を介抱す---<A HREF="#in14">御車寄せて降りたまふほど、いたう苦しがりたまふとて</A>⏎28 
 38<LI>若い女生き返るが、死を望む---<A HREF="#in15">僧都もさしのぞきて、「いかにぞ。何のしわざぞと</A>⏎29 
 39<LI>宇治の里人、僧都に葬送のことを語る---<A HREF="#in16">二日ばかり籠もりゐて、二人の人を祈り</A>⏎30 
 40<LI>尼君ら一行、小野に帰る---<A HREF="#in17">尼君よろしくなりたまひぬ。方も開きぬれば</A>⏎31 
 41</OL>⏎32 
 42第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活<BR>⏎33 
 43<OL>⏎34 
 44<LI>僧都、小野山荘へ下山---<A HREF="#in21">うちはへかく扱ふほどに、四、五月も過ぎぬ</A>⏎35 
 45<LI>もののけ出現---<A HREF="#in22">「朝廷の召しにだに従はず、深く籠もりたる山を</A>⏎36 
 46<LI>浮舟、意識を回復---<A HREF="#in23">正身の心地はさはやかに、いささかものおぼえて</A>⏎37 
 47<LI>浮舟、五戒を受く---<A HREF="#in24">「いかなれば、かく頼もしげなくのみはおはするぞ</A>⏎38 
 48<LI>浮舟、素性を隠す---<A HREF="#in25">「夢のやうなる人を見たてまつるかな」と尼君は喜びて</A>⏎39 
 49<LI>小野山荘の風情---<A HREF="#in26">この主人もあてなる人なりけり。娘の尼君は</A>⏎40 
 50<LI>浮舟、手習して述懐---<A HREF="#in27">尼君ぞ、月など明き夜は、琴など弾きたまふ</A>⏎41 
 51<LI>浮舟の日常生活---<A HREF="#in28">若き人の、かかる山里に、今はと思ひ絶え籠もるは</A>⏎42 
 52</OL>⏎43 
 53第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る<BR>⏎44 
 54<OL>⏎45 
 55<LI>尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問---<A HREF="#in31">尼君の昔の婿の君、今は中将にてものしたまひける</A>⏎46 
 56<LI>浮舟の思い---<A HREF="#in32">人びとに水飯などやうの物食はせ、君にも蓮の実など</A>⏎47 
 57<LI>中将、浮舟を垣間見る---<A HREF="#in33">尼君入りたまへる間に、客人、雨のけしきを見わづらひて</A>⏎48 
 58<LI>中将、横川の僧都と語る---<A HREF="#in34">前近き女郎花を折りて、「何匂ふらむ」と口ずさびて</A>⏎49 
 59<LI>中将、帰途に浮舟に和歌を贈る---<A HREF="#in35">またの日、帰りたまふにも、「過ぎがたくなむ」</A>⏎50 
 60<LI>中将、三度山荘を訪問---<A HREF="#in36">文などわざとやらむは、さすがにうひうひしう</A>⏎51 
 61<LI>尼君、中将を引き留める---<A HREF="#in37">さすがに、かかる古代の心どもにはありつかず</A>⏎52 
 62<LI>母尼君、琴を弾く---<A HREF="#in38">「女は、昔は、東琴をこそは、こともなく弾きはべりしかど</A>⏎53 
 63<LI>翌朝、中将から和歌が贈られる---<A HREF="#in39">これに事皆醒めて、帰りたまふほども</A>⏎54 
 64</OL>⏎55 
 65第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す<BR>⏎56 
 66<OL>⏎57 
 67<LI>九月、尼君、再度初瀬に詣でる---<A HREF="#in41">九月になりて、この尼君、初瀬に詣づ</A>⏎58 
 68<LI>浮舟、少将の尼と碁を打つ---<A HREF="#in42">皆出で立ちけるを眺め出でて、あさましきことを</A>⏎59 
 69<LI>中将来訪、浮舟別室に逃げ込む---<A HREF="#in43">月さし出でてをかしきほどに、昼文ありつる中将</A>⏎60 
 70<LI>老尼君たちのいびき---<A HREF="#in44">姫君は、「いとむつかし」とのみ聞く老い人のあたりに</A>⏎61 
 71<LI>浮舟、悲運のわが身を思う---<A HREF="#in45">昔よりのことを、まどろまれぬままに、常よりも</A>⏎62 
 72<LI>僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る---<A HREF="#in46">下衆下衆しき法師ばらなどあまた来て</A>⏎63 
 73<LI>浮舟、僧都に出家を懇願---<A HREF="#in47">立ちてこなたにいまして、「ここにや</A>⏎64 
 74<LI>浮舟、出家す---<A HREF="#in48">「あやしく、かかる容貌ありさまを、などて身を</A>⏎65 
 75</OL>⏎66 
 76第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語<BR>⏎67 
 77<OL>⏎68 
 78<LI>少将の尼、浮舟の出家に気も動転---<A HREF="#in51">かかるほど、少将の尼は、兄の阿闍梨の</A>⏎69 
 79<LI>浮舟、手習に心を託す---<A HREF="#in52">皆人びと出で静まりぬ。夜の風の音に、この人びとは</A>⏎70 
 80<LI>中将からの和歌に返歌す---<A HREF="#in53">同じ筋のことを、とかく書きすさびゐたまへるに</A>⏎71 
 81<LI>僧都、女一宮に伺候---<A HREF="#in54">一品の宮の御悩み、げに、かの弟子の言ひしもしるく</A>⏎72 
 82<LI>僧都、女一宮に宇治の出来事を語る---<A HREF="#in55">御もののけの執念きことを、さまざまに</A>⏎73 
 83<LI>僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る---<A HREF="#in56">姫宮おこたり果てさせたまひて、僧都も登り</A>⏎74 
 84<LI>中将、小野山荘に来訪---<A HREF="#in57">今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに</A>⏎75 
 85<LI>中将、浮舟に和歌を贈って帰る---<A HREF="#in58">「かばかりのさましたる人を失ひて</A>⏎76 
 86</OL>⏎77 
 87第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る<BR>⏎78 
 88<OL>⏎79 
 89<LI>新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す---<A HREF="#in61">年も返りぬ。春のしるしも見えず、凍りわたれる</A>⏎80 
 90<LI>大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪---<A HREF="#in62">大尼君の孫の紀伊守なりける、このころ上り</A>⏎81 
 91<LI>浮舟、薫の噂など漏れ聞く---<A HREF="#in63">「かのわたりの親しき人なりけり」と見るにも</A>⏎82 
 92<LI>浮舟、尼君と語り交す---<A HREF="#in64">「忘れたまはぬにこそは」とあはれに思ふにも</A>⏎83 
 93<LI>薫、明石中宮のもとに参上---<A HREF="#in65">大将は、この果てのわざなどせさせたまひて</A>⏎84 
 94<LI>小宰相、薫に僧都の話を語る---<A HREF="#in66">立ち寄りて物語などしたまふついでに</A>⏎85 
 95<LI>薫、明石中宮に対面し、横川に赴く---<A HREF="#in67">「あさましうて、失ひはべりぬと思ひたまへし人</A>⏎86 
 96</OL>⏎87 
d197<P>⏎
note5398 <H4>第一章 浮舟の物語 浮舟、入水未遂、横川僧都らに助けられる</H4>88 
note5399 <A NAME="in11">[第一段 横川僧都の母、初瀬詣での帰途に急病]</A><BR>89 
d1100<P>⏎
 101【そのころ横川になにがし僧都とか言ひて】−『完訳』は「「そのころ--けり」の常套的な巻頭形式で、新たな話題を拓く」。横川は比叡山三塔の一つ。「なにがし僧都」は実名をぼかした呼称。『河海抄』は源信(『往生要集』の著者、恵信僧都)を指摘、その妹願西(願証尼・安養尼)も著名。<BR>⏎90 
d1102<P>⏎
 103【奈良坂と言ふ山越えけるほどより】−奈良街道の大和国と山城国の境にある山。<BR>⏎91 
 104【かくてはいかでか】−以下「おはし着かむ」まで、妹尼一行の心配。<BR>⏎92 
d1105<P>⏎
c1106【山籠もりの本意深く】−源信の山籠もりの故事として、九年の山籠もりの後、母親を見取った話(今昔物語集)や千日籠もりで妹を蘇生させた話(古事談)などが知られている。<BR>⏎
93【山籠もりの本意深く】−源信の山籠もりの故事として、九年の山籠もりの後、母親を見取った話(今昔物語集)や千日籠もりで妹を蘇生させた話(古事談)などが知られている。<BR>⏎
 107【限りのさまなる親の】−以下「亡くやならむ」まで、横川僧都の心中の思い。<BR>⏎94 
 108【人ざまを】−大島本は「人さまを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人のさま」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「人ざま」とする。<BR>⏎95 
d1109<P>⏎
 110【御獄精進しけるを】−以下「いかが」まで、家主の詞。<BR>⏎96 
d1111<P>⏎
 112【さも言ふべきことぞ】−大島本は「ことそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことぞ」とする。僧都の心中の思い。<BR>⏎97 
 113【例住みたまふ方は忌むべかりければ】−大島本は「すミ給方ハいむへかりけれは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「所は忌むべかりけるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「方は忌むべかりければ」とする。<BR>⏎98 
 114【故朱雀院の】−以下「このわたりならむ」まで、僧都の推量。『完訳』は「源氏の兄。実在の朱雀院も重ねた表現。宇治院は朱雀院の別荘として伝領」と注す。<BR>⏎99 
 115【宇治の院】−『集成』は「史上の朱雀院が行幸した記録があり、実在した邸宅である」と注す。<BR>⏎100 
 116【一二日宿らむ】−僧都の伝言の主旨。<BR>⏎101 
d1117<P>⏎
 118【初瀬になむ昨日皆詣りにける】−大島本は「まいりに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「詣でに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいりに」とする。院守の返事。使者が伝える。<BR>⏎102 
d1119<P>⏎
 120【呼びて率て来たり】−僧都の使者が院守のもとで留守を預かっている宿守を呼び出して連れて帰ってきた。<BR>⏎103 
d1121<P>⏎
 122【おはしまさばはや】−以下「宿りたまっふ」まで、宿守の詞。<BR>⏎104 
d1123<P>⏎
 124【いとよかなり】−以下「心やすきを」まで、僧都の詞。<BR>⏎105 
 125【公所なれど】−朱雀院の別荘なので公領、初瀬詣での人々が宿泊した。蜻蛉日記の作者右大将道綱母も利用している。公共的宿泊所となっている。<BR>⏎106 
d1126<P>⏎
 127【おろそかなるしつらひ】−一通りの設営。<BR>⏎107 
d1128<P>⏎
note53129 <A NAME="in12">[第二段 僧都、宇治の院の森で妖しい物に出会う]</A><BR>108 
d1130<P>⏎
 131【いといたく荒れて恐ろしげなる所かな】−僧都の感想。<BR>⏎109 
 132【見たまふ】−大島本は「見給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見たまひて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見給」とする。<BR>⏎110 
d1133<P>⏎
 134【大徳たち経読め】−僧都の詞。<BR>⏎111 
d1135<P>⏎
 136【何事のあるにか】−『完訳』は「挿入句。後述の内容を先取りする」と注す。<BR>⏎112 
 137【うしろの方に】−宇治院の建物の後方。<BR>⏎113 
d1138<P>⏎
 139【かれは何ぞ】−僧の詞。<BR>⏎114 
d1140<P>⏎
 141【狐の変化】−以下「見現はさむ」まで、僧の詞。<BR>⏎115 
d1142<P>⏎
 143【あな用なよからぬ物ならむ】−もう一人の僧の詞。<BR>⏎116 
d1144<P>⏎
 145【さやうの物退くべき印を作りつつ】−大島本は「しりそくへき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「退(しぞ)くべき」と「り」を削除する。『新大系』は底本のまま「退(しりぞ)くべき」とする。『完訳』は「変化退散には、不動の印を結び、陀羅尼などを読む」と注す。<BR>⏎117 
 146【頭の髪あらば太りぬべき心地するに】−恐怖感をいう。僧侶は髪を剃っているので、諧謔を交えた表現。<BR>⏎118 
 147【大きなる木の】−大島本は「おほきなる木の」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「大きなる木の根の」と「根の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「大きなる木の」とする。<BR>⏎119 
 148【寄りゐて】−木の根にもたれかかって座っているさま。<BR>⏎120 
d1149<P>⏎
 150【珍しきことにもはべるかな】−以下「たてまつらばや」まで、僧の詞。<BR>⏎121 
d1151<P>⏎
 152【げに妖しき事なり】−僧の詞。<BR>⏎122 
d1153<P>⏎
 154【かかることなむ】−僧の詞。間接話法。<BR>⏎123 
d1155<P>⏎
 156【狐の人に】−以下「見ぬものなり」まで、僧都の詞。<BR>⏎124 
d1157<P>⏎
 158【わざと下りておはす】−主語は僧都。『完訳』は「寝殿から裏庭へ。高徳の僧ながら好奇心旺盛で、柔軟な人柄」と注す。<BR>⏎125 
d1159<P>⏎
 160【かの渡りたまはむとすることによりて】−尼君一行が宇治院に移ってくるということで。<BR>⏎126 
d1161<P>⏎
 162【時の移るまで】−一時は二時間。ここは長い時間の意。<BR>⏎127 
 163【疾く夜も】−以下「見現はさむ」まで、僧たちの心中の思い。『完訳』は「妖怪変化は、夜明けとともに、退散するか、力を失うとされる」と注す。<BR>⏎128 
 164【しるくや思ふらむ】−挿入句。語り手の想像を介入した叙述。<BR>⏎129 
d1165<P>⏎
 166【これは人なり】−以下「蘇りたるか」まで、僧都の詞。<BR>⏎130 
 167【死にたりける人】−大島本は「しにたりける人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「死にたる」と「りけ」を削除する。『新大系』は底本のまま「死にたりける」とする。<BR>⏎131 
d1168<P>⏎
 169【何のさる人をか】−以下「こそはべめれ」まで、僧の詞。<BR>⏎132 
 170【この院の内に】−宇治院の邸内。<BR>⏎133 
 171【はべらめと】−大島本は「侍らめと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべらめ」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「侍らめと」とする。<BR>⏎134 
 172【不便にもはべりけるかな】−『完訳』は「病気の尼を連れて来ようとしているのに、この女が死んだら死の穢れに触れて不都合」と注す。<BR>⏎135 
d1173<P>⏎
note53174 <A NAME="in13">[第三段 若い女であることを確認し、救出する]</A><BR>136 
d1175<P>⏎
 176【額おし上げて】−『完訳』は「烏帽子を上へずり上げた恰好。宿守の老人のやや滑稽なさまが、緊張した雰囲気をやわらげる」と注す。<BR>⏎137 
d1177<P>⏎
 178【狐の仕うまつるなり】−大島本は「つかうまつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「仕まつる」と「う」を削除する。『新大系』は底本のまま「仕うまつる」とする。以下「見驚かずはべりき」まで、宿守の詞。<BR>⏎138 
 179【わざなむしはべる】−大島本は「わさなむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「わざ」と「なむ」を削除する。『新大系』は底本のまま「わざなむ」とする。<BR>⏎139 
 180【ここにはべる人の子の】−『集成』は「この院に仕えています人の子で」。『完訳』は「この辺におります者の子供で」と注す。<BR>⏎140 
 181【まうで来たりしかど】−大島本は「きたりしかと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「来たりしかども」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「来たりしかど」とする。<BR>⏎141 
d1182<P>⏎
 183【さてその稚児は死にやしにし】−僧の詞。<BR>⏎142 
d1184<P>⏎
 185【生きてはべり】−以下「あらぬ奴」まで、宿守の詞。<BR>⏎143 
 186【人を脅かせど】−大島本は「人を」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人は」と校訂する。『新大系』は底本のまま「人を」とする。<BR>⏎144 
d1187<P>⏎
 188【いと馴れたり】−ありふれたさまでいる。<BR>⏎145 
 189【夜深き参りものの所に】−深夜の食事の準備をしている御厨子所。<BR>⏎146 
 190【心を寄せたるなるべし】−語り手の推測を交えた叙述。<BR>⏎147 
d1191<P>⏎
 192【さらばさやうの】−以下「よく見よ」まで、僧都の詞。<BR>⏎148 
d1193<P>⏎
 194【鬼か神か】−以下「名のりたまへ」まで、僧の詞。<BR>⏎149 
d1195<P>⏎
 196【いであな】−以下「隠れなむや」まで、僧の詞。<BR>⏎150 
d1197<P>⏎
 198【目も鼻もなかりける】−大島本は「なかりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なかりけん」と校訂する。『新大系』は底本のまま「なかりける」とする。<BR>⏎151 
d1199<P>⏎
 200【何にまれ】−以下「世にあらじ」まで、僧の心中の思い。<BR>⏎152 
d1201<P>⏎
 202【雨いたく降りぬべし】−以下「出ださめ」まで、僧の詞。<BR>⏎153 
 203【垣の下にこそ出ださめ】−宇治院の築地塀の外に捨てよう、そうすれば死の穢れに触れずにすむ。<BR>⏎154 
d1204<P>⏎
 205【まことの人の形なり】−「言ふ限りにあらず」まで、僧都の詞。<BR>⏎155 
 206【いといみじきことなり】−大島本は「いといみしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いみじき」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま「いといみじき」とする。<BR>⏎156 
 207【池に泳ぐ魚山に鳴く鹿をだに】−典拠未詳。深い慈悲心をいう。<BR>⏎157 
 208【死なむとするを見て】−大島本は「しなむとするをみて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見つつ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「見て」とする。<BR>⏎158 
c1209【残りの命一二日をも惜まずはあるべからず】−『完訳』は「母の重病に駆けつけたゆえん」と注す。<BR>⏎
159【残りの命二日をも惜まずはあるべからず】−『完訳』は「母の重病に駆けつけたゆえん」と注す。<BR>⏎
 210【人に逐はれ人に謀りごたれても】−『集成』は「悪人とか継母の奸計といったことが想像される」と注す。<BR>⏎160 
 211【ものにこそあんめれ】−大島本は「こそあんめれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こそはあめれ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「こそあんめれ」とする。<BR>⏎161 
d1212<P>⏎
 213【たいだいしきわざかな】−以下「出で来なむとす」まで、僧の詞。<BR>⏎162 
 214【いたうわづらひたまふ人】−僧都の母尼。<BR>⏎163 
 215【よからぬ物を】−「物」は霊力をもったもの、の意。<BR>⏎164 
d1216<P>⏎
 217【物の変化にもあれ】−以下「いみじきことなれば」まで、僧の詞。<BR>⏎165 
d1218<P>⏎
note53219 <A NAME="in14">[第四段 妹尼、若い女を介抱す]</A><BR>166 
d1220<P>⏎
 221【御車寄せて降りたまふほど】−尼君一行が宇治院に。<BR>⏎167 
 222【いたう苦しがりたまふ】−主語は母尼。<BR>⏎168 
d1223<P>⏎
 224【ありつる人いかがなりぬる】−大島本は「ありつる人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ありつる人は」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ありつる人」とする。僧都の詞。<BR>⏎169 
d1225<P>⏎
 226【なよなよとして】−以下「人にこそ」まで、僧の詞。<BR>⏎170 
 227【もの言はず】−大島本は「物いはす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものも言はず」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「物言はず」とする。<BR>⏎171 
 228【何か物に--人にこそ】−『集成』は「軽くあしらってみせる語気」と注す。<BR>⏎172 
d1229<P>⏎
 230【何事ぞ】−妹尼の詞。<BR>⏎173 
d1231<P>⏎
 232【しかしかのことなむ】−大島本は「ことなむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことをなむ」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ことなむ」とする。以下「見たまへつる」まで、僧都の詞。<BR>⏎174 
 233【六十に余る年】−僧都自身の年齢。<BR>⏎175 
d1234<P>⏎
 235【おのが寺にて】−以下「そのさま見む」まで、妹尼の詞。長谷寺に参籠中に見た夢。<BR>⏎176 
d1236<P>⏎
 237【ただこの】−以下「御覧ぜよ」まで、僧都の詞。<BR>⏎177 
d1238<P>⏎
 239【ただわが恋ひ悲しむ】−以下「おはしたるなめり」まで、妹尼の詞。<BR>⏎178 
d1240<P>⏎
 241【御達を出だして】−妹尼に仕えている年配の女房を遣戸口の外に。<BR>⏎179 
d1242<P>⏎
 243【もののたまへや】−以下「ものしたまへる」まで、妹尼の詞。<BR>⏎180 
d1244<P>⏎
 245【なかなかいみじきわざかな】−妹尼の詞。『集成』は「なまじこれは大変な心配をしょいこみました。亡き娘の身代りと喜んでみたものの、この人の命を危ぶむ」と注す。<BR>⏎181 
 246【この人亡くなりぬべし加持したまへ】−妹尼の詞。<BR>⏎182 
d1247<P>⏎
 248【さればこそあやしき御もの扱ひ】−大島本は「御ものあつかひ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ものあつかひなり」と「なり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「御ものあつかひ」とする。僧の詞。<BR>⏎183 
d1249<P>⏎
 250【神などのために経読みつつ】−大島本は「ために」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御ために」と「御」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ために」とする。『集成』は「神分といって、祈祷の前に『般若心経』を読む。悪神邪神を退け、善神の加護を願う趣旨」と注す。<BR>⏎184 
d1251<P>⏎
note53252 <A NAME="in15">[第五段 若い女生き返るが、死を望む]</A><BR>185 
d1253<P>⏎
 254【いかにぞ】−以下「調じて問へ」まで、僧都の詞。<BR>⏎186 
d1255<P>⏎
 256【え生きはべらじ】−以下「見苦しきわざかな」まで、僧たちの詞。<BR>⏎187 
 257【すぞろなる穢らひに籠もりて】−大島本は「すそろ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「すずろ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「すぞろ」とする。死穢は三十日間の忌籠もりとなる。<BR>⏎188 
d1258<P>⏎
 259【あなかま】−以下「こともぞある」まで、妹尼の詞。<BR>⏎189 
d1260<P>⏎
 261【うちつけに添ひゐたり】−『集成』は「もうすっかりこちらに付ききりでいる。「うちつけ」は、唐突の意。態度を豹変させて、という感じ」と注す。<BR>⏎190 
 262【をかしげなれば】−大島本は「おかしけなれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をかしければ」と「な」を削除する。『新大系』は底本のまま「おかしければ」とする。<BR>⏎191 
 263【見る限り】−尼君一行の女房たち。『集成』「その場の人は皆」と注す。<BR>⏎192 
d1264<P>⏎
 265【あな心憂や】−以下「もののたまへ」まで、妹尼の詞。<BR>⏎193 
 266【人の代はりに】−亡き娘の代わりに。<BR>⏎194 
 267【仏の導きたまへると】−長谷寺の観音。<BR>⏎195 
 268【かく見たてまつらめ】−大島本は「みたてまつらめ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見たてまつるらめ」と「る」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見たてまつらめ」とする。<BR>⏎196 
d1269<P>⏎
 270【生き出でたりとも】−以下「落とし入れたまひてよ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎197 
d1271<P>⏎
 272【まれまれ物のたまふを】−以下「おはしつるぞ」まで、妹尼の詞。<BR>⏎198 
d1273<P>⏎
 274【身にもし傷などやあらむ】−妹尼の心中の思い。『集成』は「からだにあるいは不具のところでもあるのか。若い女のことなので気をまわす。「疵」は、欠陥の意」。『完訳』は「身体的欠陥。一説には怪我」と注す。<BR>⏎199 
 275【まことに】−以下「仮のものにや」まで、妹尼の思い。<BR>⏎200 
d1276<P>⏎
note53277 <A NAME="in16">[第六段 宇治の里人、僧都に葬送のことを語る]</A><BR>201 
d1278<P>⏎
 279【二人の人を】−母尼と浮舟。<BR>⏎202 
 280【あやしきことを思ひ騒ぐ】−『集成』は「奇妙ないきさつに心を痛める。身許の知れぬ意識不明の女までかかえ込んで、一喜一憂するといった感じ」と注す。<BR>⏎203 
 281【かくておはしますなり】−僧都がここに滞在している。「なり」伝聞推定の助動詞。<BR>⏎204 
d1282<P>⏎
 283【故八の宮の御女】−以下「参りはべらざりし」まで、下衆の詞。『完訳』は「ここで瀕死の女が浮舟であることが明確となる」と注す。<BR>⏎205 
 284【仕うまつりはべりとて】−大島本は「侍り」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍り」とする。<BR>⏎206 
d1285<P>⏎
 286【さやうの人の】−以下「取りもて来たるにや」まで、僧都の心中の思い。<BR>⏎207 
 287【あるものともおぼえず危ふく恐ろし】−僧都の心中の思い。<BR>⏎208 
d1288<P>⏎
 289【昨夜見やられし火は】−以下「見えざりしを」まで、尼君一行の人々の詞。<BR>⏎209 
d1290<P>⏎
 291【ことさら事削ぎていかめしうもはべらざりし】−下衆の詞。<BR>⏎210 
d1292<P>⏎
 293【穢らひたる人とて】−死穢に触れた人ということで。<BR>⏎211 
 294【立ちながら追ひ返しつ】−死穢に触れないため、庭先に立たせたままで、室内に上げない、座らせない。「追ひ返す」は早々に帰らせた意。<BR>⏎212 
d1295<P>⏎
 296【大将殿は】−以下「よに異心おはせじ」まで、女房たちの詞。<BR>⏎213 
 297【宮の御女持ちたまへりしは】−宇治八宮の大君。<BR>⏎214 
 298【年ごろになりぬる】−死後三年目。『集成』は「亡くなったのは年立の上では四年前(通説、三年前)のこと」と注す。<BR>⏎215 
 299【姫宮をおきたてまつり】−女二宮。薫の正室。<BR>⏎216 
d1300<P>⏎
note53301 <A NAME="in17">[第七段 尼君ら一行、小野に帰る]</A><BR>217 
d1302<P>⏎
 303【方も開きぬれば】−方塞がりも解けた。<BR>⏎218 
d1304<P>⏎
 305【この人は】−以下「心苦しきこと」まで、女房たちの詞。<BR>⏎219 
 306【いかがものしたまはむと】−大島本は「いかゝ物し給ハんと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものしたまはん」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「物し給はんと」とする。<BR>⏎220 
d1307<P>⏎
 308【仕うまつる尼二人】−母尼と女房の尼二人が乗る。<BR>⏎221 
 309【いま一人乗り添ひて】−浮舟と妹尼の他にもう一人の女房の尼が乗る。<BR>⏎222 
d1310<P>⏎
 311【比叡坂本に小野といふ所】−比叡山の西坂本の小野。<BR>⏎223 
d1312<P>⏎
 313【中宿りを設くべかりける】−一行の詞。普通の旅では不要。病人が出たので必要性を感じた。<BR>⏎224 
d1314<P>⏎
 315【はぐくみて】−『集成』は「「はぐくむ」は、親が子を大事に育てる意。妹尼の気持が出ている」と注す。<BR>⏎225 
 316【僧都は登りたまひぬ】−僧都は比叡山の横川に帰山。<BR>⏎226 
d1317<P>⏎
 318【かかる人なむ率て来たる】−瀕死の女を連れて来た、ということ。<BR>⏎227 
 319【見ざりし人には】−宇治院での出来事を知らない僧侶には。過去助動詞「き」、体験的ニュアンス。『完訳』は「立ち会っていなかった者には」と注す。<BR>⏎228 
 320【まねばず】−『集成』は「事情を話さない」と注す。<BR>⏎229 
 321【いかでさる田舎人の】−以下「置かせたるにや」まで、妹尼の心中の思い。<BR>⏎230 
 322【かかる人】−『集成』は「こんな身分ありげな美しく若い女性がみじめな姿でいたのだろう」と注す。<BR>⏎231 
d1323<P>⏎
 324【川に流してよ】−浮舟が前に言った詞。<BR>⏎232 
 325【ものもさらにのたまはねば】−主語は浮舟。『完訳』は「女への敬語の初出。身分ある女と察する妹尼の気持の反映。逆に妹尼に敬語がつかないのは、彼女の心中に即した語り口による」と注す。<BR>⏎233 
 326【いつしか人にもなしてみむ】−妹尼の心中の思い。<BR>⏎234 
 327【つくづくとして】−浮舟の様子。<BR>⏎235 
 328【つひに生くまじき人にや】−妹尼の心中の思い。<BR>⏎236 
 329【夢語りもし出でて】−長谷寺で見た夢の話。妹尼がなぜこんなに大切に世話をするのか理由が人々に初めて明かされる。<BR>⏎237 
 330【芥子焼くこと】−『集成』は「密教の修法で護摩を焚くこと。その火で一切の悪業を焼き滅ぼすという」と注す。<BR>⏎238 
d1331<P>⏎
note53332 <H4>第二章 浮舟の物語 浮舟の小野山荘での生活</H4>239 
note53333 <A NAME="in21">[第一段 僧都、小野山荘へ下山]</A><BR>240 
d1334<P>⏎
 335【四五月も過ぎぬ】−浮舟の入水未遂事件は三月末、それから小野で二月を経過した。季節は夏、猛暑のころとなる。<BR>⏎241 
d1336<P>⏎
 337【なほ下りたまへ】−以下「あへなむ」まで、妹尼から兄僧都への手紙文。<BR>⏎242 
 338【憑きしみ領じたるものの】−物の怪が深くとり憑いて正気を失わせている。<BR>⏎243 
 339【あが仏】−僧都に対して懇願した呼びかけ。<BR>⏎244 
 340【こそはあらめ】−大島本は「こそハあらめ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こそあらめ」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「こそはあらめ」とする。<BR>⏎245 
d1341<P>⏎
 342【奉りたまへれば】−大島本は「たてまつり給へれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「奉れ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「奉り」とする。<BR>⏎246 
d1343<P>⏎
 344【いとあやしきことかな】−以下「と思はむ」まで、僧都の心中の思い。<BR>⏎247 
 345【とり捨ててましかば】−大島本は「とりすてゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち棄てて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とり捨てて」とする。<BR>⏎248 
 346【それに止まらずは】−大島本は「とゝまらすハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とまらずは」と「ゝ」を削除する。『新大系』は底本のまま「とどまらずは」とする。<BR>⏎249 
d1347<P>⏎
 348【下りたまひけり】−大島本は「おり給けり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「下りたまへり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「下り給けり」とする。<BR>⏎250 
d1349<P>⏎
 350【よろこび拝みて】−主語は妹尼。<BR>⏎251 
d1351<P>⏎
 352【かく久しう】−以下「わざなりけり」まで、妹尼の詞。<BR>⏎252 
 353【むつかしきこと】−『集成』は「むさくるしい感じ」。『完訳』は「疎ましい感じ」と注す。<BR>⏎253 
d1354<P>⏎
 355【見つけしより】−以下「いで」まで、僧都の詞。<BR>⏎254 
d1356<P>⏎
 357【げにいと警策なりける】−以下「こともなしや」まで、僧都の詞。<BR>⏎255 
 358【いかなる違ひめにて】−『完訳』は「どんなまちがいで。本来の宿世にはよらぬ不幸だとする」と注す。<BR>⏎256 
 359【損はれたまひけむ】−大島本は「そこなはれ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かくそこなはれ」と「かく」を補訂する。『新大系』は底本のまま「損はれ」とする。<BR>⏎257 
d1360<P>⏎
 361【さらに聞こゆることもなし】−以下「人なり」まで、妹尼の詞。そうした噂を一向に聞かない。<BR>⏎258 
d1362<P>⏎
 363【何かそれ縁に】−以下「いかでか」まで、僧都の詞。<BR>⏎259 
 364【いかでか】−反語表現。下に「導きたまはむ」などの語句が省略。<BR>⏎260 
d1365<P>⏎
 366【のたまふが】−大島本は「の給か」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「のたまひ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「の給が」とする。<BR>⏎261 
d1367<P>⏎
note53368 <A NAME="in22">[第二段 もののけ出現]</A><BR>262 
d1369<P>⏎
 370【朝廷の召しにだに】−以下「いと聞きにくかるべし」まで、妹尼の心中の思い。<BR>⏎263 
 371【すぞろに】−大島本は「すそろに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「すずろに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「すぞろに」とする。<BR>⏎264 
d1372<P>⏎
 373【いであなかま】−以下「こそはあらめ」まで、僧都の詞。<BR>⏎265 
 374【六十に余りて】−大島本は「六十にあまりて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「齢六十にあまりて」と「齢」を補訂する。『新大系』は底本のまま「六十にあまりて」とする。<BR>⏎266 
d1375<P>⏎
 376【よからぬ人の】−以下「ことなり」まで、弟子の詞。<BR>⏎267 
 377【仏法の瑕となりはべることなり】−『完訳』は「僧都が世間に知名の高僧だけに、仏法の恥になるという」と注す。<BR>⏎268 
d1378<P>⏎
 379【この修法のほどにしるし見えずは】−僧都の詞。『完訳』は「二度と加持祈祷はすまい、ぐらいの非常の決意で修法にあたる」と注す。<BR>⏎269 
d1380<P>⏎
 381【人に駆り移して】−物の怪を憑坐に駆り移す。<BR>⏎270 
cd2:1382-383【何やうのものかく人を惑はしるぞ】−大島本は「なにやうのもの」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「何やうのものの」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「何やうのもの」とする。僧都の心中の思い。<BR>⏎
<P>⏎
271【何やうのものかく人を惑はしるぞ】−大島本は「なにやうのもの」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「何やうのものの」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「何やうのもの」とする。僧都の心中の思い。<BR>⏎
 384【おのれは】−以下「今はまかりなむ」まで、物の怪の詞。<BR>⏎272 
 385【昔は行ひせし法師の】−物の怪が生前の正体を語る。<BR>⏎273 
 386【恨みをとどめて】−『完訳』は「女人への執着でもあったか」と注す。<BR>⏎274 
 387【よき女のあまた住みたまひし所に】−宇治の八宮邸。<BR>⏎275 
 388【かたへは失ひてしに】−『集成』は「大君のこと。大君に物の怪のとりついた形跡はない。この巻で、事情をこの物の怪の言ったようなことに作りかえたのである」と注す。<BR>⏎276 
 389【この人は心と】−浮舟は自分から。<BR>⏎277 
 390【たよりを得て】−手がかりを得て。物の怪が付け入る理由。<BR>⏎278 
 391【観音】−長谷寺の観音。<BR>⏎279 
d1392<P>⏎
 393【かく言ふは何ぞ】−僧都の詞。<BR>⏎280 
d1394<P>⏎
note53395 <A NAME="in23">[第三段 浮舟、意識を回復]</A><BR>281 
d1396<P>⏎
 397【正身の心地は】−浮舟の気分。<BR>⏎282 
 398【者のみ多かれば】−大島本は「物のミ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「者どものみ」と「ども」を補訂する。『新大系』は底本のまま「物のみ」とする。<BR>⏎283 
 399【知らぬ国に来にける心地して】−『完訳』は「別世界に蘇生した不安な感じ」と注す。<BR>⏎284 
d1400<P>⏎
 401【誰れと言ひし人とだに】−自分が何という名であったかさえ。<BR>⏎285 
d1402<P>⏎
 403【我は】−以下「来にたるにか」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎286 
d1404<P>⏎
 405【いといみじと】−以下「かくて生き返りぬるか」まで、浮舟の心中の思い。当夜の経緯を回想。<BR>⏎287 
 406【来し方行く先もおぼえで】−大島本は「きしかたゆくさき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「行く末」と校訂する。『新大系』は底本のまま「行く先」とする。<BR>⏎288 
 407【足をさし下ろしながら】−『完訳』は「決行しかねて、しばらく躊躇」と注す。<BR>⏎289 
 408【帰り入らむも中空にて】−部屋に引き返すのも中途半端な気持。<BR>⏎290 
 409【鬼も何も食ひ失へ】−大島本は「くいうしなへ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「食ひて失ひてよ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「食い失へ」とする。<BR>⏎291 
c1410【つくづくとたりし】−『完訳』は「行動に踏み切れぬ心に、次の幻覚が浮ぶ。前の物の怪が女に憑いた話とも照応しよう」と注す。<BR>⏎
292【つくづくとたりし】−『完訳』は「行動に踏み切れぬ心に、次の幻覚が浮ぶ。前の物の怪が女に憑いた話とも照応しよう」と注す。<BR>⏎
 411【抱く心地のせしを宮と聞こえし人の】−『集成』は「「宮と聞こえし人」という言い方は、浮舟の記憶がまだ完全にもどっていないことを示す」。『完訳』は「浮舟には、匂宮が宇治川を渡って連れ出した時の、官能的な陶酔感が鮮やかに残っている。誘う美男を幻視するゆえん」と注す。<BR>⏎293 
 412【知らぬ所に据ゑ置きてこの男は消え失せぬと見しを】−美しい男が自分を誘い出して知らない所に置き去りにした、と見た。宇治院の大きな樹木の下。<BR>⏎294 
cd3:2413-415【本意のともせずなりぬる】−入水の目的。<BR>⏎
【いみじうくと思ひしほどに】−樹木の下で泣いていた様。自分の中にもう一人の自分がそのさまを見ている、心中思惟の叙述。<BR>⏎
<P>⏎
295-296【本意のともせずなりぬる】−入水の目的。<BR>⏎
【いみじうと思ひしほどに】−樹木の下で泣いていた様。自分の中にもう一人の自分がそのさまを見ている、心中思惟の叙述。<BR>⏎
 416【多くの日ごろも経にけり】−失踪したのが三月の末、その後、小野で四月五月が過ぎた。<BR>⏎297 
 417【いかに憂きさまを知らぬ人に】−『完訳』は「記憶のないまま他人に介抱されてきた身を恥ずかしく思う。若い女らしい羞恥心」と注す。<BR>⏎298 
 418【つひにかくて生き返りぬるか】−浮舟の思い。<BR>⏎299 
d1419<P>⏎
 420【沈みたまひつる】−大島本は「給ひつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給ひつる」とする。<BR>⏎300 
 421【ものいささか参る事】−大島本は「まいること」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「まゐるをり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいること」とする。<BR>⏎301 
d1422<P>⏎
note53423 <A NAME="in24">[第四段 浮舟、五戒を受く]</A><BR>302 
d1424<P>⏎
 425【いかなればかく】−以下「思ひきこゆるを」まで、妹尼の詞。<BR>⏎303 
d1426<P>⏎
 427【ある人びとも】−妹尼のもとに仕えている人々。<BR>⏎304 
 428【心にはなほいかで死なむとぞ】−浮舟は親切に感謝しながらも、やはり内心では死を切望する。<BR>⏎305 
 429【思ひわたりたまへど】−『完訳』は「このあたりから、浮舟に敬語が多用。妖怪じみた風姿が消えて、あらためて女主人公を印象づける」と注す。<BR>⏎306 
 430【さばかりにて】−呆然とした状態で二か月以上を経過。<BR>⏎307 
 431【いと執念くて】−『完訳』は「若い生命力の強さで回復。このころは食事もとる」と注す。<BR>⏎308 
 432【なかなか面痩せもていく】−『集成』は「かえって顔がほっそりなってゆく。回復期の人の様子がよく写されている」と注す。<BR>⏎309 
 433【いつしかとうれしう思ひきこゆるに】−主語は妹尼。<BR>⏎310 
d1434<P>⏎
 435【尼になしたまひてよ】−以下「生くやうもあるべき」まで、浮舟の詞。出家を懇願。<BR>⏎311 
d1436<P>⏎
 437【いとほしげなる御さまを】−以下「なしたてまつらむ」まで、妹尼の詞。<BR>⏎312 
d1438<P>⏎
 439【ただ頂ばかりを削ぎ五戒ばかりを受けさせたてまつる】−『集成』は「正式の尼は髪を肩を過ぎるあたりまでに切る」。『完訳』は「延命のためで、正式の出家ではない」。「五戒」は在家の人が受ける戒律。殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒。<BR>⏎313 
 440【もとよりおれおれしき人の心にて】−浮舟の性分。<BR>⏎314 
d1441<P>⏎
cd2:1442-443【今はかばかりにて】−以下「たてまつりたまへ」まで、僧都の詞。<BR>⏎
<P>⏎
315【今はかばかりにて】−以下「たてまつりたまへ」まで、僧都の詞。<BR>⏎
note53444 <A NAME="in25">[第五段 浮舟、素性を隠す]</A><BR>316 
d1445<P>⏎
 446【夢のやうなる人を見たてまつるかな】−妹尼の心中の思い。『集成』は「思いもかけぬ人を」。『完訳』は「夢のお告げさながらの人を」と注す。<BR>⏎317 
 447【さばかりあさましうひき結ひて】−病臥中は髪を元結で束ねておき、櫛けずることもしない。<BR>⏎318 
 448【一年足らぬ九十九髪】−『源氏釈』は「百年に一年たらぬつくも髪我を恋ふらし面影に見ゆ」(伊勢物語)を指摘。<BR>⏎319 
d1449<P>⏎
c1450【などかいと心憂く】−以下「おはせしぞ」まで、妹尼の詞。<BR>⏎
320【などかいと心憂く】−以下「おはせしぞ」まで、妹尼の詞。<BR>⏎
 451【いづくに誰れと聞こえし人の】−浮舟に対していう。どこのどなた。<BR>⏎321 
d1452<P>⏎
 453【あやしかりしほどに】−以下「え思ひ出でられはべらず」まで、浮舟の詞。<BR>⏎322 
 454【ただほのかに思ひ出づることとては】−『完訳』は「以下、前の記憶とやや異なる。素姓を知られたくなく、昇天近いころのかぐや姫が端近に出て物思いに屈したのを装う」と注す。<BR>⏎323 
 455【我ながら誰れともえ思ひ出でられはべらず】−自分ながら自分が誰であるか思い出せない。<BR>⏎324 
d1456<P>⏎
 457【いとらうたげに言ひなして】−『集成』は「いかにも無邪気そうな口ぶりで言って。記憶がはっきりしないという嘘を見破られまいとする用意」。『完訳』は「実は浮舟の記憶はもとに戻っている」と注す。<BR>⏎325 
d1458<P>⏎
 459【世の中に】−以下「いみじうこそ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎326 
d1460<P>⏎
 461【かぐや姫を】−『完訳』は「かぐや姫は天上で罪を得て地上に降った神女。浮舟は、地上の愛執の罪に傷ついた女。彼女の消失を危惧する妹尼の意識を超えて、浮舟はかぐや姫に照応し合う」と注す。<BR>⏎327 
d1462<P>⏎
note53463 <A NAME="in26">[第六段 小野山荘の風情]</A><BR>328 
d1464<P>⏎
 465【この主人も】−小野山荘の主人、老母尼君。<BR>⏎329 
 466【娘の尼君は】−横川僧都の妹尼。<BR>⏎330 
 467【住み始めたりけるなり】−大島本は「たりける也」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たるなりけり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「たりける也」とする。<BR>⏎331 
d1468<P>⏎
 469【世とともに】−以下「心地しながらうれし」あたりまで、妹尼の心中に即した叙述。<BR>⏎332 
c1470【恋ひわたる人のかたみにも】−妹尼の亡き娘。<BR>⏎
333【恋ひわたる人の形見にも】−妹尼の亡き娘。<BR>⏎
 471【見出でてしがな】−大島本は「見いてゝしかな」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見出でてしがなと」と「と」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見出でてしかな」とする。「かな」を清音とする。<BR>⏎334 
 472【おぼえぬ人の】−浮舟。<BR>⏎335 
 473【まさりざまなる】−浮舟がわが亡き娘以上に。<BR>⏎336 
 474【ねびにたれど】−妹尼。五十歳ほど。<BR>⏎337 
d1475<P>⏎
 476【昔の山里よりは】−宇治山荘。『完訳』は「以下、浮舟の目と心に即した叙述」と注す。<BR>⏎338 
 477【水の音も】−高野川の川音。<BR>⏎339 
 478【ゆゑある所】−大島本は「ゆへある所」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ゆゑある所の」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「ゆへある所」とする。<BR>⏎340 
 479【前栽もをかしく】−大島本は「せむさいも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「前栽なども」と「など」を補訂する。『新大系』は底本のまま「前栽も」とする。<BR>⏎341 
 480【秋になりゆけば】−暦は七月、初秋、物思う季節となる。<BR>⏎342 
 481【空のけしきもあはれなり】−大島本は「あはれなり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あはれなるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あはれなり」とする。<BR>⏎343 
 482【ものまねびしつつ】−農民の真似をして。<BR>⏎344 
 483【若き女どもは】−小野草庵に仕えている若い女たち。<BR>⏎345 
 484【引板ひき鳴らす音もをかしく】−大島本は「おかしく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をかし」と「く」を削除する。『新大系』は底本のまま「おかしく」とする。<BR>⏎346 
 485【見し東路のことなども思ひ出でられて】−『完訳』は「昔暮した常陸国。傷心の今になって、幼時が懐かしまれる趣」と注す。下文に続かず、余情を残して文が切れる。<BR>⏎347 
d1486<P>⏎
 487【かの夕霧の御息所のおはせし山里よりは】−『集成』は「夕霧の巻で亡くなったので、こう呼んだもの。落葉の宮の母、一条の御息所」と注す。『弄花抄』は「双紙の詞なるへし浮舟の事を云ことはにはつゝかす」と指摘。<BR>⏎348 
 488【松蔭茂く】−大島本は「まつかせしけく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「松蔭」と校訂する。『新大系』は底本のまま「松風」とする。<BR>⏎349 
 489【いつとなく】−大島本は「いつとなく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いつともなく」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いつとなく」とする。<BR>⏎350 
d1490<P>⏎
note53491 <A NAME="in27">[第七段 浮舟、手習して述懐]</A><BR>351 
d1492<P>⏎
 493【かかるわざはしたまふやつれづれなるに】−妹尼の詞。<BR>⏎352 
d1494<P>⏎
 495【昔もあやしかりける身にて】−以下地の文が次第に心中文へと競り上がっていく。「生ひ出でにけるかな」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎353 
 496【思ひ出づるを】−大島本は「思ひいつるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひ出づ」と「るを」を削除する。『新大系』は底本のまま「思ひ出づるを」とする。<BR>⏎354 
 497【あさましくものはかなかりける】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎355 
d1498<P>⏎
cd2:1499-500【身を投げし涙の川の早き瀬をしがらみかけて誰れかとどめし】−浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「流れ行く我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ」(大鏡)を指摘。<BR>⏎
<P>⏎
356【身を投げし涙の川の早き瀬を--しがらみかけて誰れかめし】−浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「流れ行く我は水屑となりはてぬ君しがらみとなりてとどめよ」(大鏡)を指摘。<BR>⏎
 501【月の明かき夜な夜な】−『完訳』は「「夕暮ごとに--」「月など明き夜は--」とともに、昇天近いかぐや姫を思わせる」と注す。<BR>⏎357 
 502【老い人どもは艶に歌詠みいにしへ思ひ出でつつ】−妹尼や少将の尼君ら。『集成』は「これも彼女たちの昔の生活の名残」と注す。<BR>⏎358 
 503【さまざま物語】−大島本は「さま/\物かたり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「さまざまの」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「さまざま」とする。<BR>⏎359 
d1504<P>⏎
cd2:1505-506【我かくて憂き世中にめぐるとも誰れかは知らむ月の都に】−浮舟の独詠歌。「めぐる」「月」縁語。「月の都」はかぐや姫をも連想させる。<BR>⏎
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360【我かくて憂き世中にめぐるとも--誰れかは知らむ月の都に】−浮舟の独詠歌。「めぐる」「月」縁語。「月の都」はかぐや姫をも連想させる。<BR>⏎
 507【今は限りと思ひしほどは】−大島本は「思し程ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひはてしほどは」と「はて」を補訂する。『新大系』は底本のまま「思し程は」とする。<BR>⏎361 
 508【親いかに】−以下「いかでか知らむ」まで、浮舟の心中の思い。母親や乳母の悲嘆を思う。<BR>⏎362 
 509【いづくにあらむ】−大島本は「いつく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いづこ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「いづく」とする。<BR>⏎363 
 510【いかでか知らむ】−『完訳』は「ここまでの心中叙述が、直接、地の文に連なる文脈」と注す。<BR>⏎364 
d1511<P>⏎
 512【右近なども折々は思ひ出でらる】−『集成』は「浮舟の乳母子。この右近の思い出は、地の文の形で結ばれる。ただ「思ひ出でらる」と敬語がなく、浮舟の心事に密着した書き方」と注す。「らる」は自発の助動詞。<BR>⏎365 
d1513<P>⏎
note53514 <A NAME="in28">[第八段 浮舟の日常生活]</A><BR>366 
d1515<P>⏎
 516【若き人の】−浮舟をさす。<BR>⏎367 
 517【異ざまにてあるも】−女房生活以外、すなわち結婚生活など。<BR>⏎368 
d1518<P>⏎
 519【かやうの人につけて】−以下「あやしかるべき」まで、浮舟の心中の思い。地の文が浮舟の心中文へと競り上がっていく叙述。『完訳』は「見しわたりに」以下を、「浮舟の心中に即した文脈」と注す。<BR>⏎369 
cd2:1520-521【誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと】−匂宮や薫に。<BR>⏎
<P>⏎
370【誰れにも誰れにも聞かれたてまつらむこと】−匂宮や薫に。<BR>⏎
 522【思ひやり世づかずあやしかるべきを】−『集成』は「(薫や匂宮が)想像されることも、並みはずれたみじめな有様を考えられるにちがいないと思うので。身分卑しい男とのかかわりなど想像されては、という女らしい気遣い」と注す。⏎371 
 523【侍従こもきとて】−侍従は女房、こもきは女童。<BR>⏎372 
 524【わが人にしたりける】−大島本は「したりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「したる」と「りけ」を削除する。『新大系』は底本のまま「したりける」とする。<BR>⏎373 
c1525【この御かたに】−浮舟に。<BR>⏎
374【この御に】−浮舟に。<BR>⏎
 526【言ひ分けたりける】−大島本は「いひわけたりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「言ひわきたる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「言ひわけたりける」とする。<BR>⏎375 
c2527-528【みめも心まも】−侍従とこもき。<BR>⏎
【昔見し都鳥に】−『異本紫明抄』は「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人ありやなしやと」(古今集羇旅、四一一、在原業平)を指摘。都の女房と比較。<BR>⏎
376-377【みめも心まも】−侍従とこもき。<BR>⏎
【昔見し都鳥に】−『異本紫明抄』は「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人ありやなしやと」(古今集羇旅、四一一、在原業平)を指摘。都の女房と比較。<BR>⏎
 529【似たるはなし】−大島本は「ゝ(に)たるハなし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「似たることなし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「似たるはなし」とする。<BR>⏎378 
 530【世の中にあらぬ所はこれにや】−大島本は「これにや」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これにやあらむ」と「あらむ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「これにや」とする。浮舟の心中の思い。『花鳥余情』は「世の中にあらぬところも得てしがな年ふりにたるかたち隠さむ」(拾遺集雑上、五〇六、読人しらず)を指摘。<BR>⏎379 
d1531<P>⏎
 532【まことにわづらはしかるべきゆゑある人にもものしたまふらむ】−妹尼の心中の思い。<BR>⏎380 
d1533<P>⏎
note53534 <H4>第三章 浮舟の物語 中将、浮舟に和歌を贈る</H4>381 
note53535 <A NAME="in31">[第一段 尼君の亡き娘の婿君、山荘を訪問]</A><BR>382 
d1536<P>⏎
 537【尼君の昔の婿の君】−妹尼の娘婿、中将。<BR>⏎383 
 538【弟の禅師の君】−中将の弟。<BR>⏎384 
 539【兄弟の君たち】−中将の弟たち。<BR>⏎385 
d1540<P>⏎
 541【ここに】−小野の草庵。<BR>⏎386 
 542【見出だして】−主語は浮舟。内から外を見出だす。<BR>⏎387 
 543【忍びやかにおはせし人の御さまけはひぞ】−大島本は「しのひやかに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「忍びやかにて」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「しのびやかに」とする。『集成』は「人目を忍ぶようにして(宇治に)通っていらした方(薫)のご様子、振舞いが、ありありと思い出される」と注す。<BR>⏎388 
d1544<P>⏎
 545【垣ほに植ゑたる撫子も】−『異本紫明抄』は「あな恋し今も見てしが山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集恋四、六九五、読人しらず)を指摘。「垣ほ」は「垣根」の歌語。<BR>⏎389 
 546【君も】−中将。<BR>⏎390 
 547【南面に】−寝殿の南廂。正客を迎える作法。<BR>⏎391 
 548【年二十七八のほどにて】−『完訳』は「薫や匂宮とほぼ同年齢」と注す。<BR>⏎392 
d1549<P>⏎
 550【障子口に几帳立てて】−母屋と南廂の間の襖障子を開けて、中将との間に几帳を立てて会う。<BR>⏎393 
d1551<P>⏎
 552【年ごろの積もるには】−大島本は「つもる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「積もり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「積もる」とする。以下「思ひたまふる」まで、妹尼の詞。<BR>⏎394 
 553【いとど気遠くのみなむ】−妹尼の娘が亡くなって五六年を経過。<BR>⏎395 
 554【うち忘れず止みはべらぬを】−主語は妹尼。中将の訪問を待ち続ける気持ち。<BR>⏎396 
d1555<P>⏎
 556【心のうちあはれに】−以下「ものしたまへる」まで、中将の詞。<BR>⏎397 
 557【山籠もりもうらやましう】−弟の禅師の君の出家生活。『完訳』は「亡妻の冥福を祈る気持のあることをも暗に言う」と注す。<BR>⏎398 
 558【ものしたまへる】−大島本は「物し給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ものしはべりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「物し給へる」とする。<BR>⏎399 
d1559<P>⏎
 560【山籠もりの】−以下「折多く」まで、妹尼の詞。<BR>⏎400 
 561【今様だちたる御ものまねびに】−『完訳』は「山籠りは今日ではかえって軽薄な流行、と軽くからかう言辞」と注す。<BR>⏎401 
 562【昔を思し忘れぬ御心ばへ】−故人すなわち妹尼の娘を。<BR>⏎402 
d1563<P>⏎
note53564 <A NAME="in32">[第二段 浮舟の思い]</A><BR>403 
d1565<P>⏎
 566【人びとに】−中将の供人たち。<BR>⏎404 
 567【蓮の実などやうのもの】−『集成』は「間食ないし酒の肴とする。いわゆる「くだもの」と総称される中に入る」と注す。<BR>⏎405 
 568【馴れにしあたりにて】−『集成』は「昔なじみの所なので」。『完訳』は「昔は通いなれていた妻の里方のこととて」と訳す。<BR>⏎406 
 569【さやうのことも】−食事や酒肴の接待をさす。<BR>⏎407 
 570【村雨の降り出づるに--しめやかに】−『完訳』は「涙をも暗示するか」と注す。<BR>⏎408 
 571【止められて】−大島本は「とめられて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とどめられて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とめられて」とする。<BR>⏎409 
d1572<P>⏎
 573【言ふかひなくなりにし人よりも】−以下「なりにけむ」まで、妹尼の心中の思い。亡き娘よりも。<BR>⏎410 
 574【この君の御心ばへ】−中将の厚志。<BR>⏎411 
 575【忘れ形見を】−中将と娘の間に子供を。『集成』は「「忘れ難み」に「形見」を掛けた語。歌語であろう」と注す。<BR>⏎412 
d1576<P>⏎
 577【問はず語りもし出でつべし】−『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の推測による」と注す。<BR>⏎413 
d1578<P>⏎
 579【姫君は】−『集成』は「中将の相手役に偽せられているこの場面にふさわしい呼び方」。『完訳』は「浮舟の呼称として「姫君」は初出。恋物語の女主人公の趣」と注す。<BR>⏎414 
 580【ならひたるにや】−語り手の推測を交えた叙述。<BR>⏎415 
 581【かかることどもも】−以下「あるかな」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎416 
d1582<P>⏎
 583【故姫君の】−以下「御あはひならむかし」まで、女房の詞。<BR>⏎417 
 584【おはしたる】−大島本は「おハしたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしまいたる」と「まい」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おはしたる」とする。<BR>⏎418 
 585【しはべりつるに】−大島本は「侍つるに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるに」とする。<BR>⏎419 
d1586<P>⏎
 587【あないみじや】−以下「忘れなむ」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎420 
 588【人に見えむこそ】−結婚すること。係助詞「こそ」の下に「あるまじけれ」などの語句が省略。<BR>⏎421 
d1589<P>⏎
note53590 <A NAME="in33">[第三段 中将、浮舟を垣間見る]</A><BR>422 
d1591<P>⏎
 592【客人】−中将。<BR>⏎423 
 593【少将と言ひし人の】−かつて少将の君という女房名で仕えていた尼女房。<BR>⏎424 
d1594<P>⏎
 595【昔見し人びとは】−以下「見なしたまふらむ」まで、中将の詞。見知っている女房たち。<BR>⏎425 
 596【心浅きにや誰れも誰れも見なしたまふらむ】−『完訳』は「自分(中将)が薄情な男ゆえと。こう言って相手の考えをさぐる」と注す。<BR>⏎426 
d1597<P>⏎
 598【思ひ出でたるついでに】−主語は中将。<BR>⏎427 
d1599<P>⏎
 600【かの廊のつま入りつるほど】−以下「見おどろかれつる」まで、中将の詞。<BR>⏎428 
 601【なべてのさまにはあるまじかりつる人】−浮舟。<BR>⏎429 
d1602<P>⏎
 603【姫君の】−以下「なめり」まで、少将尼の心中の思い。<BR>⏎430 
 604【立ち出でたまへる】−大島本は「たちいて給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりつる」と「りつ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「給へる」とする。<BR>⏎431 
 605【思ひ出でて】−大島本は「おもひいてゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひて」と「いて」を削除する。『新大系』は底本のまま「思ひ出でて」とする。<BR>⏎432 
 606【ましてこまかに】−以下「たまふめるを」まで、少将尼の心中の思い。<BR>⏎433 
 607【昔人は】−亡き姫君。<BR>⏎434 
 608【劣りたまへりし】−亡き姫君は浮舟に数段劣る。<BR>⏎435 
d1609<P>⏎
 610【過ぎにし御ことを】−以下「御覧じつらむ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎436 
 611【忘れがたく慰めかねたまふめりし】−主語は妹尼君。<BR>⏎437 
 612【おぼえぬ人を】−浮舟。<BR>⏎438 
 613【うちとけたまへる御ありさまを】−浮舟のくつろいでいる姿を。<BR>⏎439 
 614【いかで御覧じつらむ】−大島本は「いかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでか」と「か」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかで」とする。<BR>⏎440 
d1615<P>⏎
 616【かかることこそはありけれ】−中将の心中の思い。過去助動詞「けれ」詠嘆の意。『完訳』は「以下、中将の心に即した叙述。意外な所に意外な美女が、の思い」と注す。<BR>⏎441 
 617【何人ならむげにいとをかしかりつ】−中将の心中の思い。<BR>⏎442 
d1618<P>⏎
 619【おのづから聞こし召してむ】−少将尼の詞。<BR>⏎443 
d1620<P>⏎
 621【雨も止みぬ日も暮れぬべし】−供人の詞。<BR>⏎444 
d1622<P>⏎
note53623 <A NAME="in34">[第四段 中将、横川の僧都と語る]</A><BR>445 
d1624<P>⏎
 625【何匂ふらむ】−中将の詞。『源氏釈』は「ここにしも何匂ふらむ女郎花人のものいひさがにくき世に」(拾遺集雑秋、一〇九八、僧正遍昭)を指摘。<BR>⏎446 
d1626<P>⏎
 627【人のもの言ひを】−以下「とがむるこそ」まで、老尼女房の詞。<BR>⏎447 
d1628<P>⏎
 629【いときよげに】−以下「見たてまつらばや」まで、『集成』は、尼たちの詞、『完訳』は、妹尼君の詞とする。<BR>⏎448 
d1630<P>⏎
 631【藤中納言の】−以下「こそ言ふなれ」まで、妹尼君の詞。中将は現在、藤中納言の娘のもとに婿として通っている。この藤中納言は系図不詳の人。<BR>⏎449 
 632【絶えず通ひたまふやうなれど】−『完訳』は「夫婦仲の絶えない程度に」と注す。<BR>⏎450 
d1633<P>⏎
 634【心憂くものをのみ】−以下「わざになむ」まで、妹尼君の詞。浮舟に向かって言う。<BR>⏎451 
 635【思し隔てたるなむ】−主語は浮舟。<BR>⏎452 
 636【さるべきなめりと】−これも前世の宿縁だろうと。<BR>⏎453 
 637【この五年六年時の間も忘れず】−妹尼君の娘が亡くなって、五六年を経過。<BR>⏎454 
 638【恋しく悲しと思ひつる人】−亡き娘。<BR>⏎455 
 639【かく見たてまつりて後】−浮舟を。<BR>⏎456 
 640【思ひきこえたまふべき人びと】−浮舟の親兄弟など。<BR>⏎457 
d1641<P>⏎
 642【いとど涙ぐみて】−『集成』は「親のことなど言われて、悲しみがこみ上げる体」と注す。<BR>⏎458 
d1643<P>⏎
 644【隔てきこゆる心は】−大島本は「心ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心も」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心は」とする。以下「思ひきこゆれ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎459 
 645【夢の世にたどられて】−大島本は「夢の世に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「夢のやうに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「夢の世に」とする。<BR>⏎460 
 646【睦ましく思ひきこゆれ】−あなた尼君を。<BR>⏎461 
d1647<P>⏎
 648【その夜は泊りて】−中将は横川の僧坊に宿泊して。<BR>⏎462 
 649【声尊き人に】−大島本は「人に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人々に」と校訂する。『新大系』は底本のまま「人に」とする。<BR>⏎463 
 650【経など読ませて夜一夜遊びたまふ】−『集成』は「声明で、当時のいわば声楽」。『完訳』は「声明として経を謡うこと」「僧都の心配りで、山ではめったにしない管弦の遊びをする」と注す。<BR>⏎464 
d1651<P>⏎
 652【小野に立ち寄りて】−以下「難うこそ」まで、中将の詞。<BR>⏎465 
 653【心ばせある人は】−尼君をさす。<BR>⏎466 
d1654<P>⏎
 655【などあるついでに】−大島本は「なとある」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「などのたまふ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「などある」とする。<BR>⏎467 
d1656<P>⏎
c1657【風の吹き開けたる】−以下「不便なることぞかし」まで、中将の詞。<BR>⏎
468【風の吹き開けたりつる】−以下「不便なることぞかし」まで、中将の詞。<BR>⏎
 658【よき女は置きたるまじきものに】−『集成』は「身分のある女性は住まわせてはいけないものだとおもわれます」と訳す。<BR>⏎469 
 659【おのづから目馴れておぼゆらむ】−主語は浮舟。『集成』は「女らしさを失ってしまうだろうという気持」と注す。<BR>⏎470 
 660【不便なることぞかし】−大島本は「ことそかし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなりかし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことぞかし」とする。若い女性にとっては不都合なことだ、の意。<BR>⏎471 
d1661<P>⏎
 662【この春】−以下「聞きはべりし」まで、禅師の詞。<BR>⏎472 
d1663<P>⏎
 664【あはれなりけることかな】−以下「心地もするかな」まで、中将の詞。<BR>⏎473 
 665【さる所には】−宇治の山里をさす。<BR>⏎474 
d1666<P>⏎
note53667 <A NAME="in35">[第五段 中将、帰途に浮舟に和歌を贈る]</A><BR>475 
d1668<P>⏎
 669【過ぎがたくなむ】−中将の詞。<BR>⏎476 
 670【おはしたり】−小野の草庵に。<BR>⏎477 
 671【さるべき心づかひ】−中将が帰途に立ち寄ることを予測しての食事の準備など。<BR>⏎478 
 672【袖口さま異なれども】−尼姿の鈍色の袖口。<BR>⏎479 
d1673<P>⏎
 674【忍びたるさまにものしたまふらむは誰れにか】−中将の詞。若い女性について尋ねる。<BR>⏎480 
d1675<P>⏎
 676【見つけてけるを】−大島本は「見つけてける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見つけたまひてける」と「たまひ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見つけてける」とする。<BR>⏎481 
d1677<P>⏎
 678【忘れわびはべりて】−以下「あらはさせたまひつらむ」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎482 
 679【尋ね聞かむ】−大島本は「尋きかん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「尋ね聞こえむ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「尋聞かん」とする。<BR>⏎483 
d1680<P>⏎
 681【うちつけ心ありて】−以下「きこえばや」まで、中将の詞。<BR>⏎484 
 682【思しよそふらむ方】−主語は尼君。尼君の娘、中将の亡き妻。<BR>⏎485 
d1683<P>⏎
cd2:1684-685【あだし野の風にくな女郎花我しめ結はむ道遠くとも】−中将から浮舟への贈歌。「女郎花」は浮舟を喩える。<BR>⏎
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486【あだし野の風になびくな女郎花--我しめ結はむ道遠くとも】−中将から浮舟への贈歌。「女郎花」は浮舟を喩える。<BR>⏎
 686【この御返り書かせたまへ】−以下「うしろめたくもあらじ」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎487 
d1687<P>⏎
 688【いとあやしき手をばいかでか】−浮舟の詞。尼君への返事。<BR>⏎488 
d1689<P>⏎
 690【はしたなきことなり】−妹尼君の詞。<BR>⏎489 
d1691<P>⏎
 692【聞こえさせつるやうに】−以下「草の庵に」まで、妹尼君の詞と返歌。<BR>⏎490 
d1693<P>⏎
cd2:1694-695【移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花憂き世を背く草の庵に】−妹尼君の返歌。「女郎花」の語句を用いて返す。<BR>⏎
<P>⏎
491【移し植ゑて思ひ乱れぬ女郎花--憂き世を背く草の庵に】−妹尼君の返歌。「女郎花」の語句を用いて返す。<BR>⏎
 696【こたみはさもありぬべし】−中将の心中の思い。浮舟の返歌はもらえないことをさす。<BR>⏎492 
d1697<P>⏎
note53698 <A NAME="in36">[第六段 中将、三度山荘を訪問]</A><BR>493 
d1699<P>⏎
 700【八月十余日のほどに】−中秋の明月に近いころ。<BR>⏎494 
cd2:1701-702【小鷹のついでに】−『河海抄』は「秋の野に狩ぞ暮れぬる女郎花今宵ばかりの宿はかさなむ」(古今六帖二、小鷹狩)を指摘。<BR>⏎
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495【小鷹のついでに】−『河海抄』は「秋の野に狩ぞ暮れぬる女郎花今宵ばかりの宿はかさなむ」(古今六帖二、小鷹狩)を指摘。<BR>⏎
 703【一目見しより静心なくてなむ】−中将の詞。<BR>⏎496 
d1704<P>⏎
 705【いらへたまふべくもあらねば】−主語は浮舟。<BR>⏎497 
d1706<P>⏎
 707【待乳の山となむ見たまふる】−大島本は「まつちの山となん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「待乳の山の」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のまま「待乳の山」とする。妹尼君の詞。『異本紫明抄』は「誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」(小町集)を指摘。『完訳』は「誰か他に思う人がいるか」と注す。<BR>⏎498 
d1708<P>⏎
 709【対面したまへるにも】−主語は妹尼君。尼君が中将に。<BR>⏎499 
d1710<P>⏎
 711【心苦しきさまにて】−以下「聞こえばや」まで、中将の詞。<BR>⏎500 
 712【はべりつる】−大島本は「侍つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つる」とする。<BR>⏎501 
 713【許いたまふまじき人びと】−両親であろう、とされる。<BR>⏎502 
d1714<P>⏎
 715【心地よげなる人の上は】−現在の妻、藤中納言の娘。屈託なげに楽しそうにしている性格の人。<BR>⏎503 
 716【屈じたる人の心からにや】−大島本は「くんしたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「屈したる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「屈じたる」とする。中将自身の性格についていう。<BR>⏎504 
 717【もの思ひたまふらむ人に】−浮舟に。<BR>⏎505 
 718【心地よげならぬ】−以下「見たまへはべる」まで、妹尼の詞。『集成』は「このあたり、この中将の人物像はさながら矮小化された薫であろう」と注す。<BR>⏎506 
 719【例の人にてはあらじと】−大島本は「例の人にてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「例の人にて」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「例の人にては」とする。浮舟の出家の決意。<BR>⏎507 
 720【いとうたたあるまで】−『河海抄』は「花と見て折らむとすれば女郎花うたたあるさまの名にこそありけれ」(古今集雑体、一〇一九、読人しらず)を指摘。<BR>⏎508 
c1721【残りすくなき齢どもに】−大島本は「よはひともたに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「齢の人」と校訂する。『新大系』は底本のまま「齢ども」とする。尼君自身をいう。<BR>⏎
509【残りすくなき齢どもに】−大島本は「よはひともたに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「齢の人」と校訂する。『新大系』は底本のまま「齢ども」とする。尼君自身をいう。<BR>⏎
 722【盛りには】−大島本は「さかりにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「盛りにては」と「て」を補訂する。『新大系』は底本のまま「盛りには」とする。<BR>⏎510 
d1723<P>⏎
 724【情けなし】−以下「世の常のことなれ」まで、妹尼君の詞。浮舟に返事をするように促す。<BR>⏎511 
d1725<P>⏎
 726【人にもの聞こゆらむ】−以下「いふかひなくのみこそ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎512 
d1727<P>⏎
 728【いづらあな心憂】−以下「こそありけれ」まで、中将の詞。『集成』は「返事をうながす気持」と注す。<BR>⏎513 
 729【秋を契れるは】−尼君の「待乳の山の」の引歌「誰をかも待乳の山の女郎花秋と契れる人ぞあるらし」(小町集)の下句を受けた表現。<BR>⏎514 
d1730<P>⏎
cd2:1731-732【松虫の声を訪ねて来つれどもまた萩原に惑ひぬ】−大島本は「萩ハら」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「荻原」と校訂する。『新大系』は底本のまま「萩原」とする。中将の贈歌。「松虫」「待つ」の懸詞。「萩原」は浮舟を喩える。<BR>⏎
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515【松虫の声を訪ねて来つれども--また萩原の露に惑ひぬ】−大島本は「萩ハら」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「荻原」と校訂する。『新大系』は底本のまま「萩原」とする。中将の贈歌。「松虫」「待つ」の懸詞。「萩原」は浮舟を喩える。<BR>⏎
 733【あないとほしこれをだに】−妹尼君の詞。浮舟に言う。<BR>⏎516 
d1734<P>⏎
 735【など責むれば】−大島本は「なとせむれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「と責むれば」と「など」を削除する。『新大系』は底本のまま「などせむれば」とする。<BR>⏎517 
 736【さやうに世づいたらむこと】−『集成』は「以下、浮舟の心中」。『完訳』は「以下、浮舟の心に即した叙述」と注す。<BR>⏎518 
 737【思ひあへり】−主語は妹尼君と女房たち。<BR>⏎519 
 738【尼君早うは--名残なるべし】−『紹巴抄』は「双地」と指摘。語り手の推測を交えた叙述。<BR>⏎520 
d1739<P>⏎
cd2:1740-741【秋の野の露分け来たる衣葎茂れる宿にかこつな】−尼君の返歌。浮舟が詠んだようにとりつくろって詠む。「露」の語句を用いて返す。<BR>⏎
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521【秋の野の露分け来たる--葎茂れる宿にかこつな】−尼君の返歌。浮舟が詠んだようにとりつくろって詠む。「露」の語句を用いて返す。<BR>⏎
 742【となむわづらはしがりきこえたまふめる】−歌に続けた詞。主語は浮舟。『完訳』は「浮舟の返歌として取り次ぐ趣」と注す。<BR>⏎522 
d1743<P>⏎
 744【内にもなほ】−『完訳』は「以下、簾中の尼たちの反応。「知らで、男君も--」に続く」と注す。<BR>⏎523 
 745【いと苦しと思す心のうち】−浮舟の苦悩の心中。<BR>⏎524 
 746【男君をも】−亡き姫君はもちろんのこと婿の中将をも、の意。<BR>⏎525 
d1747<P>⏎
 748【かくはかなき】−以下「聞こえたまへかし」まで、女房の詞。<BR>⏎526 
 749【うち語らひきこえたまはむに】−大島本は「きこえ給ハんに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「きこえたまへらむに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「きこえ給はんに」とする。<BR>⏎527 
 750【筋には】−大島本は「すちにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「筋に」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「筋には」とする。<BR>⏎528 
d1751<P>⏎
note53752 <A NAME="in37">[第七段 尼君、中将を引き留める]</A><BR>529 
d1753<P>⏎
 754【さすがにかかる古代の心どもには--うしろめたうおぼゆ】−『一葉抄』は「古めきたる尼に似合すいまめく也双紙詞也」と指摘。<BR>⏎530 
 755【いとうしろめたうおぼゆ】−『完訳』は「浮舟は、誰かが強引に中将を手引しかねないと不安である。以下、己が悲運の身を思う」と注す。<BR>⏎531 
d1756<P>⏎
 757【限りなく】−以下「やみなばや」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎532 
 758【と見果ててし命さへあさましう長くて】−浮舟の心中思惟の語句。自分で自分の気持ちを反省する。<BR>⏎533 
d1759<P>⏎
 760【おほかたもの思はしきことのあるにや】−挿入句、語り手が中将の心中を推測した句。『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。<BR>⏎534 
 761【うち嘆き】−大島本は「打なけき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち嘆きつつ」と「つつ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「打嘆き」とする。<BR>⏎535 
d1762<P>⏎
 763【鹿の鳴く音に】−中将の詞。和歌を口ずさむ。『源氏釈』は「山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」(古今集秋上、二一四、壬生忠岑)を指摘。<BR>⏎536 
d1764<P>⏎
 765【まことに心地なくはあるまじ】−『評釈』は「地の文であるから、ここの場面では、作者は中将をひどく冷たく見ていることになる」。『集成』は「確かにわきまえのない人ではなさそうだ」。『完訳』は「真実、わきまえのない人ではなさそうである」と注す。打消推量の助動詞「まじ」は語り手の推量。<BR>⏎537 
d1766<P>⏎
 767【過ぎにし方の】−以下「え思ひなすまじうなむ」まで、中将の詞。<BR>⏎538 
 768【あはれと思すべき人はた難げなれば】−『完訳』は「今から思いを寄せてくれそうな方とて、いそうにないので。暗に、浮舟の冷淡さをいう」と注す。<BR>⏎539 
 769【見えぬ山路にも】−『源氏釈』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。<BR>⏎540 
d1770<P>⏎
 771【出でなむとするに】−大島本は「いてなむと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出でたまひなむと」と「たまひ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「出でなむと」とする。<BR>⏎541 
d1772<P>⏎
 773【などあたら夜を御覧じさしつる】−妹尼君の詞。『源氏釈』は「あたら夜の月と花とを同じくは心知れらむ人に見せばや」(後撰集春下、一〇三、源信明)を指摘。<BR>⏎542 
d1774<P>⏎
 775【何か遠方なる里も試みはべればなど】−大島本は「心ミ侍れハなと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こころみはべりぬればと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心み侍ればなど」とする。中将の詞。「遠方なる里」は宇治の地名。引歌がありそうだが未詳。<BR>⏎543 
d1776<P>⏎
 777【いたう好きがましからむも】−以下「すさまじ」まで、中将の心中の思い。<BR>⏎544 
 778【所のさまにあはずすさまじ】−『集成』は「風雅な環境の手狭な山里住まい、そこにしかるべき男女のやりとり、といった期待があったという趣」と注す。<BR>⏎545 
 779【飽かずいとどおぼえて】−主語は妹尼君。<BR>⏎546 
d1780<P>⏎
cd2:1781-782【深き夜の月をあはれと見ぬ人や山の端近き宿に泊らぬ】−妹尼君から中将への贈歌。前の「あたら夜の」歌を踏まえた詠歌。「月」を浮舟に喩える。『完訳』は「中将の求婚を受諾しようとする歌」と注す。<BR>⏎
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547【深き夜の月をあはれと見ぬ人や--山の端近き宿に泊らぬ】−妹尼君から中将への贈歌。前の「あたら夜の」歌を踏まえた詠歌。「月」を浮舟に喩える。『完訳』は「中将の求婚を受諾しようとする歌」と注す。<BR>⏎
 783【かくなむ聞こえたまふ】−妹尼君の詞。『集成』は「(浮舟が)こう申し上げていられます。浮舟の詠んだ歌だと、とっさにいつわって言う」と注す。<BR>⏎548 
d1784<P>⏎
cd2:1785-786【山の端に入まで月を眺め見む閨の板間もしるしありやと】−中将の返歌。「山の端」「月」「見る」の語句を用いて返す。「宿」を「閨の板間」とずらして返す。『完訳』は「閨の隙間からさし込む月光の風情。月を眺め続け、閨に近づきたい気持」と注す。<BR>⏎
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549【山の端に入まで月を眺め見む--閨の板間もしるしありやと】−中将の返歌。「山の端」「月」「見る」の語句を用いて返す。「宿」を「閨の板間」とずらして返す。『完訳』は「閨の隙間からさし込む月光の風情。月を眺め続け、閨に近づきたい気持」と注す。<BR>⏎
 787【大尼君】−横川僧都や妹尼君の母尼君。<BR>⏎550 
 788【さすがにめでて】−『完訳』は「八十余歳の老齢なのに」と注す。<BR>⏎551 
d1789<P>⏎
 790【ここかしこうちしはぶき】−『集成』は「物を言うたびに咳をまじえ」。『完訳』は「話のあちことで咳をし、聞き苦しいほどの震え声で」と注す。老人特有のしぐさ。<BR>⏎552 
 791【誰れとも思ひ分かぬなるべし】−中将が誰であるか。「なかなか--言はず。--なるべし」は、語り手の思い入れと推測を交えた叙述。『岷江入楚』は「草子の地なり」と指摘。<BR>⏎553 
d1792<P>⏎
 793【いでその琴の琴】−以下「琴取りて参れ」まで、老母尼君の詞。<BR>⏎554 
cd2:1794-795いづら御達】−大島本は「こたち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「くそたち」と校訂する。『新大系』は底本のまま「御達」とする。「くそ」は二人称の代名詞。古風な語句。<BR>⏎
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555【御達】−大島本は「こたち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「くそたち」と校訂する。『新大系』は底本のまま「御達」とする。「くそ」は二人称の代名詞。古風な語句。<BR>⏎
 796【それなめり】−大島本は「それなめり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「それななり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「それなめり」とする。中将の心中。老母尼君であるらしい、の意。<BR>⏎556 
 797【いかなる所に】−以下「定めなき世ぞ」まで、中将の心中の思い。末尾は地の文に流れる。『集成』は「老少不定のこの世が、これにつけてもしみじみ思われる。自分の妻だった孫娘は早く死に、八十を越えたこの尼君がまだ存命なのに感慨をもよおす。中将の心事に密着した書き方」と注す。<BR>⏎557 
 798【盤渉調】−冬の季節にふさわしい調子。<BR>⏎558 
d1799<P>⏎
 800【いづらさらば】−中将の詞。演奏を促す。<BR>⏎559 
d1801<P>⏎
 802【昔聞きはべりしよりも】−以下「耳からにや」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎560 
 803【いでやこれもひがことになりてはべらむ】−大島本は「これも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これは」と校訂する。『新大系』は底本のまま「これも」とする。妹尼君の詞。謙遜して言う。<BR>⏎561 
d1804<P>⏎
 805【今様はをさをさなべての人の今は好まずなりゆく】−琴の琴について言う。近年では七弦琴が好まれなくなっている、の意。<BR>⏎562 
 806【松風もいとよくもてはやす】−『集成』は「琴の音に峯の松風かよふらしいづれのをより調べそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を指摘。<BR>⏎563 
 807【吹きて合はせたる】−大島本は「ふきてあハせたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「吹きあはせたる」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「吹きて合はせたる」とする。<BR>⏎564 
 808【宵惑ひ】−老人の習性。宵から眠くなること。<BR>⏎565 
d1809<P>⏎
note53810 <A NAME="in38">[第八段 母尼君、琴を弾く]</A><BR>566 
d1811<P>⏎
 812【女は昔は】−大島本は「むかしは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「昔」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「むかしは」とする。以下「琴もはべり」まで、老母尼の詞。<BR>⏎567 
 813【変はりにたるにやあらむ】−東琴の奏法が。<BR>⏎568 
d1814<P>⏎
 815【いと忍びやかにうち笑ひて】−主語は中将。<BR>⏎569 
d1816<P>⏎
 817【いとあやしきことをも】−以下「聞きはべらばや」まで、中将の詞。<BR>⏎570 
 818【尊かなれ】−「尊かる」(連体形)の「る」が撥音便化して無表記。「なれ」伝聞推定の助動詞。<BR>⏎571 
d1819<P>⏎
cd2:1820-821【いで主殿のくそ東取りて】−老母尼の詞。主殿の女房に東琴を取り寄せさせる。<BR>⏎
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572【いで主殿のくそ東取りて】−老母尼の詞。主殿の女房に東琴を取り寄せさせる。<BR>⏎
 822【取り寄せて】−東琴を。<BR>⏎573 
 823【東の調べ】−『集成』は「未詳。和琴の調子の一つともいう」と注す。<BR>⏎574 
 824【声を止めつるを】−大島本は「こゑをやめつるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「声やめつるを」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「声をやめつるを」とする。<BR>⏎575 
 825【これをのみ】−大島本は「これをのミ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「これにのみ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「これをのみ」とする。<BR>⏎576 
d1826<P>⏎
 827【たけふちちりちちりたりたむな】−老母尼の詞。催馬楽「道口」の歌詞を口ずさむ。『花鳥余情』は「笛の音の春おもしろく聞こゆるは花散りたりと吹けばなりけり」(後拾遺集俳諧、一一九八、読人しらず)を指摘。『完訳』は「この催馬楽の歌詞には漂泊の女が暗示され、浮舟には母親が想起されもする」と注す。<BR>⏎577 
d1828<P>⏎
 829【いとをかしう】−以下「弾きたまひけれ」まで、中将の詞。<BR>⏎578 
d1830<P>⏎
 831【今様の若き人は】−以下「ものしたまふめる」まで、老母尼の詞。<BR>⏎579 
 832【姫君】−浮舟。<BR>⏎580 
 833【容貌いとけうらに】−大島本は「かたちいとけうらに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「容貌はいときよらに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かたちいとけうらに」とする。<BR>⏎581 
 834【かやうなるあだわざなどしたまはず】−大島本は「かやうなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かかる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かやうなる」とする。『完訳』は「浮舟への軽い皮肉であろう」と注す。<BR>⏎582 
d1835<P>⏎
 836【うちあざ笑ひて】−『集成』は「高笑いして」。『完訳』は「大声で笑う意。嘲笑の意ではない」と注す。<BR>⏎583 
d1837<P>⏎
note53838 <A NAME="in39">[第九段 翌朝、中将から和歌が贈られる]</A><BR>584 
d1839<P>⏎
 840【聞こえ来る笛の音】−中将が帰途に吹く笛の音。<BR>⏎585 
d1841<P>⏎
 842【昨夜は】−以下「何かは」まで、中将の文。<BR>⏎586 
d1843<P>⏎
cd2:1844-845【忘られぬ昔のことも笛竹のつらきふしにも音ぞ泣かれける】−中将の妹尼君への贈歌。「事」「琴」の懸詞。「琴」「笛」「音」の縁語。「竹」「節」「根」の縁語。「昔」は亡き妻を、「つらきふし」は浮舟を比喩。<BR>⏎
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587【忘られぬ昔のことも笛竹の--つらきふしにも音ぞ泣かれける】−中将の妹尼君への贈歌。「事」「琴」の懸詞。「琴」「笛」「音」の縁語。「竹」「節」「根」の縁語。「昔」は亡き妻を、「つらきふし」は浮舟を比喩。<BR>⏎
 846【何かは】−反語表現。下に「言はむ」などの語句が省略。<BR>⏎588 
d1847<P>⏎
 848【いとどわびたるは】−妹尼君。「人」を省略した形。<BR>⏎589 
d1849<P>⏎
cd2:1850-851【笛の音に昔のことも偲ばれて帰りしほども袖ぞ濡れにし】−尼君の返歌。「笛」「音」「昔」「琴」の語句を用いて返す。「泣く」は「濡れ」とずらして返す。<BR>⏎
<P>⏎
590【笛の音に昔のことも偲ばれて--帰りしほども袖ぞ濡れにし】−尼君の返歌。「笛」「音」「昔」「琴」の語句を用いて返す。「泣く」は「濡れ」とずらして返す。<BR>⏎
 852【あやしう】−以下「聞こし召しけむかし」まで、妹尼君の歌に続く文。<BR>⏎591 
 853【ありさま】−浮舟の様子。返歌もせず音楽の合奏に加わろうとしなかったことをさす。<BR>⏎592 
 854【老い人の問はず語り】−老母尼の話。<BR>⏎593 
d1855<P>⏎
 856【見所なき心地して】−主語は中将。浮舟の返事を期待していた。<BR>⏎594 
 857【うち置かれけむ】−大島本は「うちをかれけん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うち置かれけむかあし」と「かし」を補訂する。『新大系』は底本のまま「うちをかれけん」とする。『一葉抄』は「此段双紙詞也」と指摘。『完訳』は「語り手の推測による」と注す。<BR>⏎595 
d1858<P>⏎
 859【荻の葉に劣らぬほどほどに訪れわたる】−『源注拾遺』は「秋風の吹くにつけても訪はぬかな荻の葉ならば音はしてまし」(後撰集恋四、八四六、中務)を指摘。『集成』は「以下、浮舟の心」と注す。<BR>⏎596 
 860【いとむつかしうもあるかな】−以下「ものなりけり」まで、浮舟心中の思い。地の文から心中文に移る。『完訳』は「以下、浮舟の心中」と注す。<BR>⏎597 
 861【人の心はあながちなるもの】−『完訳』は「「あながち」な人であった匂宮との体験を通して、一途な男心に懲りたという気持」と注す。<BR>⏎598 
d1862<P>⏎
 863【なほかかる筋のこと】−以下「疾くなしたまひてよ」まで、浮舟の心中の思い。中将の求婚を断ちたい。<BR>⏎599 
d1864<P>⏎
 865【若き人とて】−以下「本性なめり」まで、妹尼君たちの目に映る浮舟の姿。<BR>⏎600 
d1866<P>⏎
note53867 <H4>第四章 浮舟の物語 浮舟、尼君留守中に出家す</H4>601 
note53868 <A NAME="in41">[第一段 九月、尼君、再度初瀬に詣でる]</A><BR>602 
d1869<P>⏎
 870【九月になりて】−浮舟、小野草庵に移って約半年経過。<BR>⏎603 
 871【恋しき人の上も】−亡き娘。<BR>⏎604 
 872【かくあらぬ人】−浮舟。<BR>⏎605 
d1873<P>⏎
 874【いざたまへ】−以下「多かる」まで、妹尼君の詞。長谷寺参詣に浮舟を誘う。<BR>⏎606 
d1875<P>⏎
 876【昔母君乳母などの】−以下「いみじきめを見るは」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎607 
 877【命さへ心にかなはず】−死のうとしたことまでも叶わなかった。<BR>⏎608 
 878【知らぬ人に具して】−以下「したらむよ」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎609 
d1879<P>⏎
 880【心地のいと悪しう】−以下「つつましうなむ」まで、浮舟の詞。同行を断る。<BR>⏎610 
d1881<P>⏎
 882【物懼ぢはさもしたまふべき人ぞかし】−妹尼君の心中の思い。『完訳』は「宇治で物の怪に襲われた人だから、恐怖心も無理からぬとする」と注す。<BR>⏎611 
d1883<P>⏎
cd2:1884-885【はかなくて世に古川の憂き瀬には尋ねも行かじ二本の杉】−浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を指摘。<BR>⏎
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612【はかなくて世に古川の憂き瀬には--尋ねも行かじ二本の杉】−浮舟の独詠歌。『異本紫明抄』は「初瀬川古川野辺に二本ある杉年を経てまたもあひ見む二本ある杉」(古今集旋頭歌、一〇〇九、読人しらず)を指摘。<BR>⏎
 886【二本は】−以下「人あるべし」まで、妹尼君の詞。引歌の下句による推測。<BR>⏎613 
d1887<P>⏎
 888【面赤めたまへる】−大島本は「あかめ給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「赤めたまへるも」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「赤め給へる」とする。<BR>⏎614 
d1889<P>⏎
cd2:1890-891【古川の杉のもとだち知らねども過ぎにし人によそへてぞ見る】−妹尼君の返歌。「古川」「杉」の語句を用いて返す。「古川の杉」は浮舟を喩える。「過ぎにし人」は亡き娘。<BR>⏎
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615【古川の杉のもとだち知らねども--過ぎにし人によそへてぞ見る】−妹尼君の返歌。「古川」「杉」の語句を用いて返す。「古川の杉」は浮舟を喩える。「過ぎにし人」は亡き娘。<BR>⏎
 892【左衛門とてある大人しき人】−初出の女房。『完訳』は「中将の訪問を予測しての用意である」と注す。<BR>⏎616 
d1893<P>⏎
note53894 <A NAME="in42">[第二段 浮舟、少将の尼と碁を打つ]</A><BR>617 
d1895<P>⏎
 896【皆出で立ちけるを】−大島本は「いてたちける越」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出で立ちぬるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出で立ちけるを」とする。<BR>⏎618 
 897【あさましきことを思ひながらも】−『完訳』は「物思いのうちに、わが身の上の情けなさを思う。失踪以来のあまりにも心外ななりゆき」と注す。<BR>⏎619 
 898【今はいかがせむ】−大島本は「いかゝせむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかがはせむ」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかがせむ」とする。浮舟の思い。<BR>⏎620 
 899【頼もし人に思ふ人】−以下「心細うもあるかな」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎621 
d1900<P>⏎
 901【御覧ぜよ】−少将尼の詞。<BR>⏎622 
d1902<P>⏎
 903【苦しきまでも】−以下「打たせたまへ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎623 
d1904<P>⏎
 905【いとあやしうこそはありしか】−浮舟の詞。碁は下手だったという。<BR>⏎624 
d1906<P>⏎
 907【打たむと思したれば】−主語は浮舟。<BR>⏎625 
 908【我はと思ひて】−主語は少将尼。『集成』は「自分の方が強いだろうと思って、浮舟に先手でお打たせ申してみると。少将の尼が白、浮舟が黒」と注す。<BR>⏎626 
c1909【いとこよなけれ】−主語は浮舟。たいそう碁が強い。<BR>⏎
627【いとこよなけれ】−主語は浮舟。たいそう碁が強い。<BR>⏎
 910【また手直して打つ】−先手後手を変えて打ち直す。<BR>⏎628 
d1911<P>⏎
 912【尼上疾う】−以下「あないみじ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎629 
 913【けしうはあらず】−碁の腕前はまんざらではない。<BR>⏎630 
cd2:1914-915【さし出でてこそたざらめ御碁には負けじかし】−僧都の詞を引用。<BR>⏎
【御碁には負けじかし】−妹尼の御碁には負けまい。<BR>⏎
631【さし出でてこそたざらめ御碁には負けじかし】− 僧都の詞を引用。<BR>【御碁には負けじかし】−妹尼の御碁には負けまい。<BR>⏎
 916【二つ負けたまひし】−三番勝負のうち二敗。<BR>⏎632 
 917【棋聖が碁には勝らせたまふべきなめり】−浮舟の碁の腕前の方が僧都に勝るだろう、の意。<BR>⏎633 
d1918<P>⏎
 919【むつかしきこともしそめてけるかな】−浮舟の心中の思い。『集成』は「対人関係の総てをうとましく思う気持」と注す。<BR>⏎634 
 920【心地悪し】−浮舟の詞。<BR>⏎635 
d1921<P>⏎
 922【時々晴れ晴れしう】−以下「心地しはべれ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎636 
d1923<P>⏎
 924【思ひ出づることも】−大島本は「ことも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「も」を削除する。『新大系』は底本のまま「ことも」とする。<BR>⏎637 
 925<P>⏎638 
i0639
cd2:1926-927【心には秋の夕べを分かねども眺むる袖に露ぞ乱るる】−浮舟の独詠歌。「露」に涙を、「乱るる」に自分の心を比喩する。<BR>⏎
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639【心には秋の夕べを分かねども--眺むる袖に露ぞ乱るる】−浮舟の独詠歌。「露」に涙を、「乱るる」に自分の心を比喩する。<BR>⏎
note53928 <A NAME="in43">[第三段 中将来訪、浮舟別室に逃げ込む]</A><BR>640 
d1929<P>⏎
 930【あなうたてこはなにぞ】−大島本は「こハなにそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こはなぞ」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「こは何ぞ」とする。浮舟の心中の思い。<BR>⏎641 
d1931<P>⏎
 932【さもあまりにも】−以下「思したるこそ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎642 
 933【おはしますものかな】−大島本は「おハします物かな」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしますかな」と「もの」を削除する。『新大系』は底本のまま「おはします物かな」とする。<BR>⏎643 
 934【聞こえたまはむことも】−主語は中将。<BR>⏎644 
 935【しみつかむことのやうに】−『集成』は「(お言葉を聞くだけで)もう何か深い仲になるかのようにお思いなのですね」と注す。<BR>⏎645 
d1936<P>⏎
 937【はしたなく】−大島本は「ハしたなく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うしろめたく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「はしたなく」とする。<BR>⏎646 
 938【おはせぬよし】−妹尼君が。<BR>⏎647 
 939【昼の使の一所など問ひ聞きたるなるべし】−挿入句。語り手の推測を挿入。<BR>⏎648 
d1940<P>⏎
 941【御声も聞きはべらじ】−以下「思しことわれ」まで、中将の詞。返事は結構、ただ自分の言うことを聞いてほしい、と言う。<BR>⏎649 
 942【聞きにくしともいかにとも】−大島本は「きゝ(ゝ$き)にくしともいかにとも」とある。すなわち「ゝ」をミセケチにして「き」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「聞きにくしとも」と「いかにとも」を削除する。『新大系』は底本のまま「聞きにくしともいかにとも」とする。<BR>⏎650 
d1943<P>⏎
 944【いと心憂く】−以下「あまりかかるは」まで、中将の詞。<BR>⏎651 
d1945<P>⏎
cd2:1946-947【山里の秋の夜深きあはれをももの思ふ人は思ひこそ知れ】−中将から浮舟への贈歌。<BR>⏎
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652【山里の秋の夜深きあはれをも--もの思ふ人は思ひこそ知れ】−中将から浮舟への贈歌。<BR>⏎
 948【おのづから御心も通ひぬべきを】−歌に続けた詞。<BR>⏎653 
d1949<P>⏎
 950【尼君おはせで】−以下「世づかぬやうならむ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎654 
 951【紛らはしきこゆべき人】−うまく取り繕って返歌を差し上げる人。<BR>⏎655 
d1952<P>⏎
cd2:1953-954【憂きものと思ひも知らで過ぐす身をもの思ふ人と人は知りけり】−浮舟の返歌。「もの思ふ人」の語句を用いて返す。自分では物思いをしているのかいないのか分からないでいるのに、あなたは物思いをしている人だというのですね、と切り返す。<BR>⏎
<P>⏎
656【憂きものと思ひも知らで過ぐす身を--もの思ふ人と人は知りけり】−浮舟の返歌。「もの思ふ人」の語句を用いて返す。自分では物思いをしているのかいないのか分からないでいるのに、あなたは物思いをしている人だというのですね、と切り返す。<BR>⏎
 955【わざといらへとも】−大島本は「わさといらへとも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「わざと言ふとも」と校訂する。『新大系』は底本のまま「わざといらへとも」とする。<BR>⏎657 
 956【聞きて伝へきこゆれば】−主語は少将尼。<BR>⏎658 
d1957<P>⏎
 958【なほただ】−以下「動かせ」まで、中将の詞。<BR>⏎659 
d1959<P>⏎
 960【あやしきまでつれなくぞ見えたまふや】−少将尼の詞。「や」間投助詞、詠嘆の意。<BR>⏎660 
d1961<P>⏎
 962【かくなむ】−浮舟が老母尼君の部屋に引き篭もってしまっている、という内容。<BR>⏎661 
 963【聞こゆれば】−少将尼が中将に。<BR>⏎662 
d1964<P>⏎
 965【かかる所に】−以下「おはすべき人ぞ」まで、中将の詞。<BR>⏎663 
 966【情けなかるまじき人の】−格助詞「の」同格の意。<BR>⏎664 
 967【それ物懲り】−大島本は「それ物こり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「それももの懲り」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「それ物懲り」とする。<BR>⏎665 
d1968<P>⏎
 969【いかでかは言ひ聞かせむ】−語り手の思い入れをこめた叙述。<BR>⏎666 
d1970<P>⏎
 971【知りきこえたまふべき人の】−以下「尋ねきこえたまひつる」まで、少将尼の詞。『完訳』は「遠縁にあたるぐらいの趣」と注す。<BR>⏎667 
c1972【年ごろ疎々しきやうにて】−長年疎遠であった、の意。出会う以前のこと。<BR>⏎
668【年ごろは、疎々しきやうにて】−長年疎遠であった、の意。出会う以前のこと。<BR>⏎
 973【尋ねきこえたまひつる】−大島本は「尋きこえ給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。<BR>⏎669 
d1974<P>⏎
note53975 <A NAME="in44">[第四段 老尼君たちのいびき]</A><BR>670 
d1976<P>⏎
 977【今宵この人びとにや食はれなむ】−『集成』は「地獄草子に老婆の姿をした鬼が見える」。『完訳』は「老尼を鬼かと恐れる。鬼が老女に化ける話は、説話集に散見」と注す。<BR>⏎671 
 978【一つ橋危ふがりて】−『細流抄』は「本縁たしかならず。心はただ、身を投げんとせし人の、行く道に一橋の危ふきを見て、道より帰りたるといふことあるべし」と指摘。出典未詳。<BR>⏎672 
d1979<P>⏎
 980【こもき供に率て】−浮舟に仕える女童を一緒に老母尼の部屋に。<BR>⏎673 
 981【艶だちゐたる方に】−大島本は「えんたちゐたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「艶だちゐたまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「艶だちゐ」とする。<BR>⏎674 
 982【今や来る今や来ると】−浮舟の心中の思い。こもきの帰りを。<BR>⏎675 
 983【いとはかなき頼もし人なりや】−『紹巴抄』は「双地てならひの心中をかけり」と指摘。<BR>⏎676 
d1984<P>⏎
 985【いと情けなく】−以下「あたら御容貌を」まで、少将尼や左衛門女房たちの不満の詞。<BR>⏎677 
d1986<P>⏎
 987【この君】−浮舟。<BR>⏎678 
 988【臥したまへる】−大島本は「ふし給へる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「臥したまへるを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「臥し給へる」とする。<BR>⏎679 
d1989<P>⏎
 990【あやしこれは誰れぞ】−母尼君の詞。<BR>⏎680 
d1991<P>⏎
 992【鬼の取りもて来けむほどは】−入水しようとしていた時に物の怪に連れ出されたことを回想。<BR>⏎681 
 993【物のおぼえざりければ】−大島本は「物の」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの」と「の」を削除する。『新大系』は底本のまま「物の」とする。<BR>⏎682 
 994【いかさまにせむ】−どうしたらよかろう。意識が働いているので、かえって不気味。<BR>⏎683 
 995【いみじきさまにて】−以下「あらましか」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎684 
 996【ありしいろいろの憂きことを】−匂宮や薫とのことで悩んだこと。<BR>⏎685 
 997【死なましかば--あらましか】−反実仮想の構文。係助詞「か」疑問の意。『完訳』は「鬼と見える尼君から、鬼たちによる地獄の責め苦を連想」と注す。<BR>⏎686 
d1998<P>⏎
note53999 <A NAME="in45">[第五段 浮舟、悲運のわが身を思う]</A><BR>687 
d11000<P>⏎
 1001【いと心憂く】−以下「などてをかしと思ひきこえけむ」まで、浮舟の心中の思い。途中「と思へば」の地の文を鋏む。「親」は父親の宇治八宮をさす。<BR>⏎688 
 1002【姉妹の御あたりをも】−大島本は「御あたりをも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御あたりも」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「御あたりも」とする。異母姉の中君。<BR>⏎689 
 1003【さる方に思ひ定めたまひし人に】−大島本は「給し」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりし」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給し」とする。薫。『集成』は「北の方ではないにしても妻の一人に、という薫の思惑をいう」と注す。<BR>⏎690 
 1004【宮をすこしもあはれと】−匂宮。係助詞「も」強調の意。<BR>⏎691 
d11005<P>⏎
 1006【契りたまひしを】−主語は匂宮。<BR>⏎692 
 1007【薄きながらものどやかにものしたまひし人は】−薫をさす。『河海抄』は「夏衣薄きながらぞ頼まるる一重なるしも身に近ければ」(拾遺集恋三、八二三、読人しらず)を指摘。<BR>⏎693 
 1008【こよなかりける】−匂宮と比較して。<BR>⏎694 
 1009【かくてこそありけれと】−以下「かくだに思はじ」まで、浮舟の心中に添った叙述。心中文と地の文が交錯。<BR>⏎695 
 1010【聞きつけられたてまつらむ】−薫に。<BR>⏎696 
 1011【ありし御さまを】−薫の姿。<BR>⏎697 
 1012【いつか見むずる】−大島本は「いつか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いつかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いつか」とする。<BR>⏎698 
 1013【うち思ふなほ悪ろの心や】−『完訳』は「彼(薫)への憧れが心をかすめるが、それを打ち消す」と注す。<BR>⏎699 
d11014<P>⏎
 1015【鶏の鳴くを聞きて】−『集成』は「鶏鳴で魔の跳梁する夜の支配が終る。まだ暗い時刻である。次の「思ひ明かして」のところで明るい朝を迎える」と注す。<BR>⏎700 
 1016【母の御声を】−以下「いかならむ」まで、浮舟の心中の思い。『花鳥余情』は「山鳥のほろほろと鳴く声けば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(玉葉集釈教、二六二七、行基菩薩)を指摘。<BR>⏎701 
 1017【供にて渡るべき人】−女童のこもき。<BR>⏎702 
 1018【なほ臥したまへるに】−大島本は「給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。<BR>⏎703 
d11019<P>⏎
 1020【御前に疾く聞こし召せ】−老母尼の詞。<BR>⏎704 
d11021<P>⏎
i1705【いとど心づきなく】−大島本は「いとゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いと」と「ゝ」を削除する。『新大系』は底本のまま「いとど」とする。<BR>⏎
 1022【悩ましくなむ】−浮舟の詞。<BR>⏎706 
d11023<P>⏎
d21024-1025【いとど心づきなく】−大島本は「いとゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いと」と「ゝ」を削除する。『新大系』は底本のまま「いとど」とする。<BR>⏎
<P>⏎
 1026【いとこちなし】−語り手の批評の言。<BR>⏎707 
d11027<P>⏎
note531028 <A NAME="in46">[第六段 僧都、宮中へ行く途中に立ち寄る]</A><BR>708 
d11029<P>⏎
 1030【僧都今日下りさせたまふべし】−僧の詞。<BR>⏎709 
d11031<P>⏎
 1032【などにはかに】−女房の詞。<BR>⏎710 
d11033<P>⏎
 1034【問ふなれば】−「なれ」伝聞推定の助動詞。浮舟の耳に聞こえてくる趣。<BR>⏎711 
d11035<P>⏎
 1036【一品の宮の】−以下「下りさせたまふなり」まで、僧の詞。明石中宮腹の女一宮の病気。<BR>⏎712 
 1037【僧都参らせたまはでは】−大島本は「まいらせ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「参り」と校訂する。『新大系』は底本のまま「まいらせ」とする。<BR>⏎713 
d11038<P>⏎
 1039【恥づかしうとも】−以下「よき折にこそ」まで、浮舟の心中の思い。出家を決意。<BR>⏎714 
d11040<P>⏎
 1041【心地のいと悪しうのみはべるを】−以下「聞こえたまへ」まで、浮舟の詞。老母尼君に言う。<BR>⏎715 
 1042【忌むこと受けはべらむ】−蘇生の折には五戒だけを受けた。今度は本格的な出家を考える。<BR>⏎716 
d11043<P>⏎
 1044【ほけほけしううちうなづく】−大島本は「打うなつく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うなづく」と「打」を削除する。『新大系』は底本のまま「打うなづく」とする。主語は老母尼君。<BR>⏎717 
d11045<P>⏎
 1046【例の方におはして】−主語は浮舟。母尼君の部屋から自分の部屋へ。<BR>⏎718 
 1047【髪は尼君のみ削りたまふを】−浮舟の髪は妹尼君だけが梳る。<BR>⏎719 
 1048【親に今一度】−以下「悲しけれ」あたりまで、浮舟の心中の思い。引用句がなく、末尾は心中文から地の文に流れる叙述。<BR>⏎720 
 1049【かうながらのさまを】−出家前の姿。<BR>⏎721 
 1050【いたうわづらひしけにや】−浮舟の目、心中に即した叙述。<BR>⏎722 
 1051【落ち細りたる】−大島本は「おちほそりたる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「落ち細りにたる」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のまま「落ち細りたる」とする。<BR>⏎723 
 1052【いとうつくしかりける】−大島本は「いとうつくしかりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うつくしかりける」と「いと」を削除する。『新大系』は底本のまま「いとうつくしかりける」とする。『集成』は「「うつくし」は、愛撫したい感じ。自らの髪をいとおしむ気持」。『完訳』は「次行に「うつくしげ」と繰り返され、削ぎ捨てがたい豊かな黒髪」と注す。<BR>⏎724 
d11053<P>⏎
 1054【かかれとてしも】−浮舟の独り言。『源氏釈』は「たらちめはかかれとてしもうばたまのわが黒髪を撫でずやありけむ」(後撰集雑三、一二四〇、僧正遍昭)を指摘。<BR>⏎725 
d11055<P>⏎
 1056【まろなる頭つき】−大島本は「まろなるかしらつき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「頭つきども」と「ども」を補訂する。『新大系』は底本のまま「頭つき」とする。<BR>⏎726 
 1057【母の御方に参りたまひて】−主語は僧都。老母尼君のもとに。<BR>⏎727 
d11058<P>⏎
 1059【いかにぞ月ごろは】−僧都の詞。母尼君に加減を問う。<BR>⏎728 
d11060<P>⏎
 1061【東の御方は】−以下「ものしたまふや」まで、僧都の詞。妹尼君は東の対を居所としている。<BR>⏎729 
 1062【このおはせし人】−浮舟。<BR>⏎730 
d11063<P>⏎
 1064【しかここにとまりてなむ】−以下「とのたまひつる」まで、母尼君の詞。<BR>⏎731 
d11065<P>⏎
note531066 <A NAME="in47">[第七段 浮舟、僧都に出家を懇願]</A><BR>732 
d11067<P>⏎
 1068【立ちてこなたにいまして】−主語は僧都。『集成』は「妹尼と一緒にいた東の対であろう」と注す。<BR>⏎733 
 1069【ここにやおはします】−僧都の詞。<BR>⏎734 
 1070【つつましけれどゐざり寄りていらへしたまふ】−主語は浮舟。<BR>⏎735 
d11071<P>⏎
 1072【不意にて】−以下「おはしますらむ」まで、僧都の詞。『集成』は「「不意にて」は男性用語」。『完訳』は「思いもよらず。宇治院での邂逅をさす。僧侶らしい表現」と注す。<BR>⏎736 
 1073【いとあやしきさまに】−『集成』は「とても不似合いと思われますのに」。『完訳』は「なんとも見苦しい有様で」と訳す。<BR>⏎737 
 1074【世を背きたまへる人の御あたり】−大島本は「御あたり」とある。『完本』は諸本に従って「御あたりに」と「に」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のまま「御あたり」とする。老母尼君や妹尼君をさす。<BR>⏎738 
d11075<P>⏎
 1076【世の中にはべらじと】−以下「はべらぬ身になむ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎739 
 1077【今まではべりつるを】−大島本は「侍つるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるを」とする。<BR>⏎740 
 1078【よろづにせさせ】−大島本は「よろつに(に+物イ)せさせ」とある。すなわち「物」を補入する。『集成』『完本』は諸本と底本の補入に従って「ものせさせ」と校訂する。『新大系』は底本の補入以前のまま「せさせ」とする。<BR>⏎741 
 1079【なほ世づかずのみつひにえ止まるまじく】−『完訳』は「やはり世間並のようにはいかず、所詮はこの世に生きてはいられまい。出家以外にないと訴える」と注す。<BR>⏎742 
d11080<P>⏎
 1081【まだいと行く先遠げなる御ほどに】−以下「たいだいしきものになむ」まで、僧都の詞。<BR>⏎743 
 1082【女の御身といふものいとたいだいしきものになむ】−『集成』は「将来、不慮の間違いでもあってはと危ぶむ」。『完訳』は「女の身は実に不都合。前に妹尼も若い女の出家には疑問を抱いていた」と注す。<BR>⏎744 
d11083<P>⏎
 1084【幼くはべりしほどより】−以下「なほいかで」まで、浮舟の詞。<BR>⏎745 
 1085【もの思ひ知りて後は】−大島本は「もの思しりて後ハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの思ひ知りはべりてのちは」と「はべり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「もの思知りてのちは」とする。<BR>⏎746 
 1086【心深かりしを】−大島本は「心ふかゝりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「深くはべりしを」と「はべり」を補訂する。『新大系』は底本のまま「深かりしを」とする。<BR>⏎747 
 1087【なほいかで】−下に「尼になさせたまひてよ」の意が省略。出家を懇願。<BR>⏎748 
d11088<P>⏎
note531089 <A NAME="in48">[第八段 浮舟、出家す]</A><BR>749 
d11090<P>⏎
 1091【あやしく】−以下「言ふなりしか」まで、僧都の心中の思い。「なり」伝聞推定の助動詞。<BR>⏎750 
 1092【さるやうこそはあらめ】−大島本は「さるやうこそハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「さるやうこそ」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「さるやうこそは」とする。以下「危ふきことなり」まで、僧都の心中の思い。<BR>⏎751 
 1093【生きたるべき人かは】−反語表現。<BR>⏎752 
d11094<P>⏎
 1095【とまれかくまれ】−以下「仕まつらむ」まで、僧都の詞。<BR>⏎753 
 1096【三宝】−仏宝・法宝・僧宝。<BR>⏎754 
 1097【ことにあらず】−大島本は「ことにあらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことならず」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことにあらず」とする。<BR>⏎755 
 1098【急なることにまかんでたれば】−大島本は「きふなることにまかんてたれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「急なることにてまかでたれば」と校訂する。『新大系』は底本のまま「急なることにまかんでたれば」とする。<BR>⏎756 
 1099【七日果てて】−七日間祈祷する一七日の御修法。<BR>⏎757 
d11100<P>⏎
cd2:11101-1102【かの尼君おはしなばかならず言ひ妨げむ】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎
<P>⏎
758【かの尼君おはしなばかならず言ひ妨げむ】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎
 1103【乱り心地の】−以下「思ひはべれ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎759 
 1104【思ひはべれ】−大島本は「思ひ侍れ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思うたまへつれ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「思ひ侍れ」とする。<BR>⏎760 
d11105<P>⏎
 1106【夜や更けはべりぬらむ】−以下「仕うまつりてむ」まで、僧都の詞。<BR>⏎761 
 1107【おぼえたまはざりしを】−大島本は「おほえ給ハさりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思うたまへられざりしを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おぼえ給はざりしを」とする。<BR>⏎762 
 1108【しか思し急ぐこと】−主語は浮舟。出家を急ぐ意。<BR>⏎763 
d11109<P>⏎
 1110【鋏取りて】−以下の動作の主体は浮舟。<BR>⏎764 
d11111<P>⏎
 1112【いづら大徳たちここに】−僧都の詞。<BR>⏎765 
d11113<P>⏎
 1114【御髪下ろしたてまつれ】−僧都の詞。<BR>⏎766 
d11115<P>⏎
 1116【げにいみじかりし人の】−阿闍梨の感慨。発見当時を想起。<BR>⏎767 
 1117【うつし人にては】−以下「こそあらめ」まで、阿闍梨の心中の思い。俗人のままでの生き方。<BR>⏎768 
 1118【御髪をかき出だしたまひつるが】−大島本は「給つるか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへるが」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つるが」とする。<BR>⏎769 
d11119<P>⏎
note531120 <H4>第五章 浮舟の物語 浮舟、出家後の物語</H4>770 
note531121 <A NAME="in51">[第一段 少将の尼、浮舟の出家に気も動転]</A><BR>771 
d11122<P>⏎
 1123【下にゐたり】−自分の部屋にいた。<BR>⏎772 
 1124【あひしらふとて】−大島本は「あいしらふとて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あへしらふ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あいしらふ」とする。<BR>⏎773 
 1125【かかる所にとりては】−大島本は「とりてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「つけては」と校訂する。『新大系』は底本のまま「とりては」とする。以下「しけるほど」まで、挿入句。補足説明的叙述。<BR>⏎774 
 1126【かかることなむ】−こもきの詞。浮舟が出家してしまった、という趣旨。<BR>⏎775 
 1127【わが御上の衣袈裟など】−僧都ご自身の法衣や袈裟を。<BR>⏎776 
 1128【ことさらばかりとて】−僧都の法衣で形式的に間に合わせる。<BR>⏎777 
d11129<P>⏎
 1130【親の御方拝みたてまつりたまへ】−僧都の詞。『完訳』は「出家に先立って、四恩(父母・国王・衆生・三宝)を拝する儀」と注す。<BR>⏎778 
d11131<P>⏎
 1132【あなあさましや】−以下「のたまはせむ」まで、少将尼の詞。<BR>⏎779 
 1133【帰りおはしては】−大島本は「かへりおハしてハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはしましては」と「まし」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おはしては」とする。<BR>⏎780 
d11134<P>⏎
c11135【かばかりしそめつるを】−『集成』は「これほどまでに出家の儀式に手をつけたのを、はたからとやかく言うのもおもしろくないと思って。僧都の気持」と注す。<BR>⏎
781【かばかりしそめつるを】−『集成』は「これほどまでに出家の儀式に手をつけたのを、はたからとやかく言うのもおもしろくないと思って。僧都の気持」と注す。<BR>⏎
 1136【ものしと思ひて】−主語は僧都。<BR>⏎782 
 1137【僧都諌めたまへば寄りてもえ妨げず】−僧都が少将尼を諌めたので尼は出家の儀式の進行を制止することができない。<BR>⏎783 
d11138<P>⏎
 1139【流転三界中】−僧都の詞。『集成』は「前(四恩を拝する儀)の礼拝に続いて、師僧がまず唱え、出家者に唱えさせる偈」と注す。逸経「清信士度人経」の偈。「諸経要集」「法苑殊林」に引かれる。<BR>⏎784 
d11140<P>⏎
 1141【断ち果ててしものを】−浮舟の心中の思い。既に入水まで決意したことをさす。<BR>⏎785 
d11142<P>⏎
 1143【のどやかに尼君たちして直させたまへ】−阿闍梨の詞。<BR>⏎786 
d11144<P>⏎
 1145【かかる御容貌やつしたまひて悔いたまふな】−僧都の詞。<BR>⏎787 
d11146<P>⏎
 1147【尊きことども説き聞かせたまふ】−三帰の功徳を説き十善戒を授ける。<BR>⏎788 
 1148【とみにせさすべくもあらず】−大島本は「へくもあらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「べくもなく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「べくもあらず」とする。以下「しつるかな」まで、浮舟の心中の思い。『完訳』は「以下、浮舟の心に即す」と注す。<BR>⏎789 
 1149【仏は生けるしるしありてと】−大島本は「仏ハいけるしるしありてと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「生けるしるしありて」と「仏は」と「と」を削除する。『新大系』は底本のまま「仏は生けるしるしありてと」とする。<BR>⏎790 
d11150<P>⏎
note531151 <A NAME="in52">[第二段 浮舟、手習に心を託す]</A><BR>791 
d11152<P>⏎
 1153【皆人びと】−僧都の一行。<BR>⏎792 
 1154【この人びとは】−少将尼たち女房ら。<BR>⏎793 
d11155<P>⏎
 1156【心細き御住まひも】−以下「悲しきわざにはべる」まで、女房の詞。<BR>⏎794 
 1157【今いとめでたくなりたまひなむ】−『集成』は「やがてすばらしい良縁にお恵まれになりましょう」と注す。<BR>⏎795 
d11158<P>⏎
 1159【なほただ今は心やすくうれし】−『集成』は「浮舟の心を直叙したもの」と注す。<BR>⏎796 
 1160【世に経べきものとは】−以下「いとめでたきことなれ」まで、浮舟の心中の思い。「世」は俗世の意。<BR>⏎797 
 1161【心地ぞ】−大島本は「心ちそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心地」と「ぞ」を削除する。『新大系』は底本のまま「心ちぞ」とする。<BR>⏎798 
d11162<P>⏎
 1163【むつかしきことども言はでつくろはむ人もがな】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎799 
 1164【暗うしなして】−あたりをわざと暗くして。<BR>⏎800 
 1165【人に言ひ続けむ】−他人に詳しく話す。<BR>⏎801 
 1166【なつかしうことわるべき人さへなければ】−『集成』は「親しくことを分けて話せる相手もいないことなので」。『完訳』は「親しく事の経緯を申し開きできる相手もいないので」と訳す。<BR>⏎802 
 1167【折には】−大島本は「おりにハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「をりは」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「おりには」とする。<BR>⏎803 
 1168【たけきこととは】−大島本は「ことゝハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことにて」と校訂する。『新大系』は底本のまま「こととは」とする。<BR>⏎804 
d11169<P>⏎
cd2:11170-1171【なきものに身をも人をも思ひつつ捨てし世をぞさらに捨てつる】−浮舟の独詠歌。「捨ててし」は入水の折。人間関係のいっさいを断つ決意。<BR>⏎
<P>⏎
805【なきものに身をも人をも思ひつつ--てし世をぞさらに捨てつる】−浮舟の独詠歌。「捨ててし」は入水の折。人間関係のいっさいを断つ決意。<BR>⏎
 1172【今はかくて限りつるぞかし】−歌に続けた文。<BR>⏎806 
d11173<P>⏎
cd4:21174-1177【なほみづからあはれと見たまふ】−『完訳』は「恩愛を断ち切ったとしながらも、なおも断ちきれぬ感情が去来する」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
【限りぞと思ひなりにし世の中を返す返すも背きぬるかな】−浮舟の独詠歌。<BR>⏎
<P>⏎
807-808【なほみづからいとあはれと見たまふ】−『完訳』は「恩愛を断ち切ったとしながらも、なおも断ちきれぬ感情が去来する」と注す。<BR>⏎
【限りぞと思ひなりにし世の中を--返す返すも背きぬるかな】−浮舟の独詠歌。<BR>⏎
note531178 <A NAME="in53">[第三段 中将からの和歌に返歌す]</A><BR>809 
d11179<P>⏎
c11180【もの騒がしう呆れたる心地あへるほどにて】−女房たちは浮舟の出家で気が動転しているところ。<BR>⏎
810【もの騒がしう呆れたる心地あへるほどにて】−女房たちは浮舟の出家で気が動転しているところ。<BR>⏎
 1181【かかること】−浮舟が出家したこと。<BR>⏎811 
 1182【いとあへなしと思ひて】−主語は中将。使者から浮舟の出家を聞いて。<BR>⏎812 
d11183<P>⏎
 1184【かかる心の】−以下「言ひしものを」まで、中将の心中の思い。<BR>⏎813 
 1185【さるべからむ折に】−『完訳』は「少将の尼も、折を見て浮舟に手引することを約束していたか」と注す。<BR>⏎814 
d11186<P>⏎
 1187【聞こえむ方なきは】−中将から浮舟への手紙。<BR>⏎815 
d11188<P>⏎
cd2:11189-1190【岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に乗り遅れじと急がるるかな】−中将から浮舟への贈歌。「岸遠く」は此岸から彼岸へ、の意。「海人」「尼」の懸詞、「乗り」に「法」、「急ぐ」に「磯」を響かす。「岸」「漕ぐ」「海人舟」「乗り」縁語。<BR>⏎
<P>⏎
816【岸遠く漕ぎ離るらむ海人舟に--乗り遅れじと急がるるかな】−中将から浮舟への贈歌。「岸遠く」は此岸から彼岸へ、の意。「海人」「尼」の懸詞、「乗り」に「法」、「急ぐ」に「磯」を響かす。「岸」「漕ぐ」「海人舟」「乗り」縁語。<BR>⏎
 1191【例ならず取りて見たまふ】−主語は浮舟。<BR>⏎817 
 1192【いかが思さるらむ】−挿入句。語り手の推測。『完訳』は「これまで返歌を拒んできた浮舟が返歌を詠む理由を語り手も知らぬとする。実は、出家後の心の余裕がそうさせたのであろう」と注す。<BR>⏎818 
d11193<P>⏎
cd2:11194-1195【心こそ憂き世の岸を離るれど行方もらぬ海人の浮木を】−浮舟の返歌。「岸」「離る」「海人」の語句を用いて返す。「海人」「尼」の懸詞。<BR>⏎
<P>⏎
819【心こそ憂き世の岸を離るれど--行方もらぬ海人の浮木を】−浮舟の返歌。「岸」「離る」「海人」の語句を用いて返す。「海人」「尼」の懸詞。<BR>⏎
 1196【書き写してだにこそ】−浮舟の詞。<BR>⏎820 
d11197<P>⏎
 1198【なかなか書きそこなひはべりなむ】−少将尼の詞。<BR>⏎821 
d11199<P>⏎
 1200【物詣での人】−妹尼。<BR>⏎822 
d11201<P>⏎
c11202【かかる身にては】−以下「祈りきこえつれ」まで、妹尼の詞。「かかる身」は妹尼君、尼の身としては、の意。<BR>⏎
823【かかる身にては】−以下「祈りきこえつれ」まで、妹尼の詞。「かかる身」は妹尼君、尼の身としては、の意。<BR>⏎
 1203【見たてまつらむと】−大島本は「見たてまつらむと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「見おきたてまつらむと」と「おき」を補訂する。『新大系』は底本のまま「見たてまつらむと」とする。<BR>⏎824 
d11204<P>⏎
 1205【まことの親の】−以下、浮舟の心中に即した叙述。<BR>⏎825 
 1206【推し量るるぞ】−大島本は「おしはからるゝそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「推しはかるぞ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「推しはからるるぞ」とする。<BR>⏎826 
 1207【いとものはかなくぞおはしける御心なれ】−妹尼君の詞。『完訳』は「無謀の出家と惜しむ気持」と注す。<BR>⏎827 
 1208【御衣のことなど】−浮舟の尼衣。<BR>⏎828 
d11209<P>⏎
 1210【いとおぼえず】−以下「わざかな」まで、女房たちの詞。<BR>⏎829 
d11211<P>⏎
note531212 <A NAME="in54">[第四段 僧都、女一宮に伺候]</A><BR>830 
d11213<P>⏎
 1214【一品の宮の御悩み】−明石中宮腹の女一宮の病気。<BR>⏎831 
 1215【いと尊きものに】−僧都を。<BR>⏎832 
 1216【御修法延べさせたまへば】−『集成』は「主として母の明石の中宮のお指図であろう」と注す。<BR>⏎833 
 1217【召して夜居にさぶらはせたまふ】−主語は明石中宮。「させ」使役の助動詞。僧都を。<BR>⏎834 
d11218<P>⏎
 1219【さぶらひ極じたる人】−看病に伺候して疲れた女房たち。<BR>⏎835 
 1220【同じ御帳におはしまして】−中宮が病気の女一宮の御帳台に一緒にいる意。<BR>⏎836 
d11221<P>⏎
 1222【昔より】−以下「まさりぬる」まで、中宮の詞。僧都への感謝の言葉。<BR>⏎837 
 1223【後の世もかくこそはと】−来世もこのように救っていただき極楽往生も疑いない。<BR>⏎838 
d11224<P>⏎
 1225【世の中に】−以下「出ではべりにし」まで、僧都の詞。『完訳』は「仏のお告げで命終の時期を予知する話は、高僧伝などに多い。朝廷の召しにも容易に出仕しなかった言い訳でもある」と注す。<BR>⏎839 
 1226【過ぐしがたきやうになむはべれば】−大島本は「侍れハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりければ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍れば」とする。<BR>⏎840 
d11227<P>⏎
note531228 <A NAME="in55">[第五段 僧都、女一宮に宇治の出来事を語る]</A><BR>841 
d11229<P>⏎
 1230【執念きことを】−大島本は「しふねきことを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「執念きこと」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「執念きことを」とする。<BR>⏎842 
 1231【恐ろしきことなどのたまふついでに】−主語は明石中宮。『集成』は「今度の経験から、自然に浮舟のことに話が及ぶ体」。『完訳』は「物の怪について話す中宮の言葉に、僧都は浮舟に憑いた物の怪を想起。浮舟紹介の契機」と注す。<BR>⏎843 
d11232<P>⏎
 1233【いとあやしう】−以下「思ひたまへしもしるく」まで、僧都の詞。<BR>⏎844 
 1234【希有】−「希有」漢語。男性用語。<BR>⏎845 
 1235【かくのごと】−漢文訓読語。男性用語。<BR>⏎846 
 1236【病者】−「病者」漢語。男性用語。<BR>⏎847 
 1237【悪しきことどもと】−大島本は「あしき事ともと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あしきことどもやと」と「や」を補訂する。『新大系』は底本のまま「あしき事どもと」とする。<BR>⏎848 
d11238<P>⏎
 1239【かの見つけたりしことどもを】−浮舟発見のこと。<BR>⏎849 
d11240<P>⏎
 1241【げにいとめづらかなることかな】−中宮の詞。<BR>⏎850 
d11242<P>⏎
 1243【宰相の君しもこのことを聞きけり】−小宰相の君。「蜻蛉」巻に初出。女一宮づきの女房。『完訳』は「「しも」と強調される点に注意。薫にこの情報の伝わる可能性が拓けた」と注す。<BR>⏎851 
 1244【おどろかさせたまふ人びと】−大島本は「おとろかさせ給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おどろかさせたまひける」と「ける」を補訂する。『新大系』は底本のまま「おどろかさせ給」とする。主語は中宮。後から起こした女房たち。<BR>⏎852 
 1245【懼ぢさせたまへる】−明石中宮が。<BR>⏎853 
cd2:11246-1247【心もなきこと啓してけり】−僧都の心中の思い。<BR>⏎
<P>⏎
854【心もなきこと啓してけり】−僧都の心中の思い。<BR>⏎
 1248【その女人】−以下「何人にかはべりけむ」まで、僧都の詞。「女人」漢語。男性用語。浮舟についていう。<BR>⏎855 
 1249【出家の志し】−大島本は「出家の心さし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出家の本意」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出家の心ざし」とする。<BR>⏎856 
d11250<P>⏎
 1251【故衛門督の妻にはべりし尼】−妹尼は故衛門監督の妻であった。<BR>⏎857 
 1252【随分に】−「随分」漢語。男性用語。<BR>⏎858 
 1253【かくなりたれば】−大島本は「なりたれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なりにたれば」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のまま「なりたれば」とする。<BR>⏎859 
 1254【恨みはべるなり】−自分拙僧を。「なり」伝聞推定の助動詞。<BR>⏎860 
d11255<P>⏎
 1256【いかでさる所に】−大島本は「いかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでか」と「か」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかで」とする。以下「知られぬらむ」まで、小宰相の君の詞。<BR>⏎861 
d11257<P>⏎
 1258【知らずさもや】−以下「人になむはべりける」まで、僧都の詞。<BR>⏎862 
 1259【語らひたまふらむ】−大島本は「かたらひ給らん」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「語らひはべらん」と校訂する。『新大系』は底本のまま「語らひ給らん」とする。<BR>⏎863 
 1260【隠れもはべらじをや】−分からないままではいまい。<BR>⏎864 
 1261【龍の中より仏生まれたまはずはこそはべらめ】−反語表現。挿入句。『法華経』「提婆達多品」にみえる龍女成仏の話。<BR>⏎865 
d11262<P>⏎
 1263【かのわたりに消え失せにけむ人を】−中宮は浮舟が行方不明になったという話を聞き知っている。「蜻蛉」巻にある。<BR>⏎866 
 1264【思し出づ】−主語は明石中宮。<BR>⏎867 
 1265【この御前なる人も】−「御前」は女一宮をさし、「人」は小宰相君。<BR>⏎868 
 1266【姉の君の伝へに】−大島本は「あねの君」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「姉君」と「の」を削除する。『新大系』は底本のまま「姉の君」とする。小宰相君の姉から聞いて、の意。<BR>⏎869 
 1267【それにやあらむ】−小宰相君の心中の思い。浮舟であろうかと思う。<BR>⏎870 
d11268<P>⏎
 1269【かかる人世にあるものと】−大島本は「かゝる人」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かの人」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かかる人」とする。以下「啓しはべるなり」まで、僧都の詞。<BR>⏎871 
 1270【なま隠すけしきなれば】−小宰相君の目に映った僧都の態度。<BR>⏎872 
d11271<P>⏎
 1272【それにもこそあれ大将に聞かせばや】−明石中宮の詞。浮舟のことかと思う。<BR>⏎873 
d11273<P>⏎
 1274【この人にぞ】−小宰相君。<BR>⏎874 
 1275【いづ方にも】−以下「つつましく」まで、中宮の心中の思い。末尾は自然地の文に流れる叙述。薫も浮舟も。<BR>⏎875 
 1276【恥づかしげなる人に】−薫。<BR>⏎876 
d11277<P>⏎
note531278 <A NAME="in56">[第六段 僧都、山荘に立ち寄り山へ帰る]</A><BR>877 
d11279<P>⏎
 1280【僧都も登りぬ】−大島本は「のほりぬ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「登りたまひぬ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「登りぬ」とする。<BR>⏎878 
 1281【かしこに】−小野草庵。<BR>⏎879 
d11282<P>⏎
 1283【なかなかかかる御ありさまにて】−以下「いとあやしき」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎880 
 1284【のたまひもあはせず】−相談もせず。<BR>⏎881 
 1285【いとあやしき】−『集成』は「ほんとにおかしなこと」。『完訳』は「ほんとに不都合なことです」と訳す。<BR>⏎882 
d11286<P>⏎
 1287【今はただ】−以下「御身をや」まで、僧都の詞。<BR>⏎883 
 1288【ことわりなる御身をや】−『集成』は「意識もなく生死の境をさまよったことをいう」。『完訳』は「浮舟の物の怪に取り憑かれる運命を思い、出家を当然とする」と注す。<BR>⏎884 
d11289<P>⏎
 1290【御法服新しくしたまへ】−僧都の詞。<BR>⏎885 
d11291<P>⏎
 1292【なにがしが】−大島本は「なにかしか」とある。『完本』は諸本に従って「なにがし」と「が」を削除する。『集成』『新大系』は底本のまま「なにがしが」とする。以下「葉の薄きがごとし」まで、僧都の詞。<BR>⏎886 
 1293【所狭く捨てがたく】−身の自由もきかずこの世を捨てがたい。出離しがたい。<BR>⏎887 
 1294【思すべかめることなめる】−大島本は「おほすへかめることなめる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思すべかめる」と「めることな」を削除する。『新大系』は底本のまま「おぼすべかめることなめる」とする。<BR>⏎888 
 1295【何事かは--思すべき】−反語表現。<BR>⏎889 
 1296【このあらむ命は葉の薄きがごとし】−『源氏釈』は「顔色は花の如く命は葉の如し、命葉の如くに薄きを将に奈如にせむ」(白氏文集、陵園妾)を指摘。<BR>⏎890 
d11297<P>⏎
 1298【松門に暁到りて月徘徊す】−僧都の詞。『源氏釈』は『白氏文集』「陵園妾」を指摘、前句の続き。<BR>⏎891 
d11299<P>⏎
 1300【思ふやうにも言ひ聞かせたまふかな】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎892 
d11301<P>⏎
note531302 <A NAME="in57">[第七段 中将、小野山荘に来訪]</A><BR>893 
d11303<P>⏎
 1304【ひねもすに吹く風の音もいと心細きに】−『河海抄』は「栢城尽日風蕭瑟たり」(白氏文集、陵園妾)を指摘。<BR>⏎894 
 1305【おはしたる人も】−僧都。<BR>⏎895 
d11306<P>⏎
 1307【あはれ山伏は】−以下「泣かるなるかし」まで、僧都の詞。<BR>⏎896 
d11308<P>⏎
 1309【我も今は】−以下「涙なりけり」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎897 
 1310【と思ひつつ】−『完訳』は「このあたり、浮舟の心に密着した文体。浮舟にも僧都にも敬語がつかぬのは心境の直叙のためか」と注す。<BR>⏎898 
 1311【遥かなる軒端より】−『集成』は「夢浮橋の「谷の軒端」と同義。谷のはずれというほどの意味であろう」。『完訳』は「軒端を通してはるかに遠望」と注す。<BR>⏎899 
 1312【こなたの道には】−『完訳』は「小野を通って比叡山に登る道。険しい長谷出坂あたりか。途中で黒谷(西塔の北方)への道が分れる」と注す。<BR>⏎900 
 1313【例の姿】−世俗人の姿。狩衣姿の一行。<BR>⏎901 
d11314<P>⏎
 1315【他の紅に染めましたる色々なれば】−『集成』は「他所の紅葉よりもひとしお美しく色づいたさまざまな色どりなので」と訳す。<BR>⏎902 
 1316【ここに】−以下「おぼゆべき」まで、中将の心中の思い。『完訳』は「中将は物思う浮舟に魅了された」と注す。<BR>⏎903 
d11317<P>⏎
 1318【暇ありて】−以下「木の下にこそ」まで、中将の詞。<BR>⏎904 
 1319【立ち返りて】−大島本は「立かへりて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「立ち返り」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「立かへりて」とする。<BR>⏎905 
d11320<P>⏎
cd4:21321-1324【木枯らしの吹きにし山の麓には立ち隠すべき蔭だにぞなき】−大島本は「かくす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「隠る」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かくす」とする。妹尼の中将への贈歌。『集成』は「浮舟も出家してしまったので、あなたをお泊めするすべもございません」と注す。<BR>⏎
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【待つ人もあらじと思ふ山里の梢を見つつなほぞ過ぎ憂き】−中将の返歌。「山」の語句を用いて返す。「あらじ」に「嵐」を響かす。<BR>⏎
<P>⏎
906-907【木枯らしの吹きにし山の麓には--立ち隠すべき蔭だにぞなき】−大島本は「かくす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「隠る」と校訂する。『新大系』は底本のまま「かくす」とする。妹尼の中将への贈歌。『集成』は「浮舟も出家してしまったので、あなたをお泊めするすべもございません」と注す。<BR>⏎
【待つ人もあらじと思ふ山里の--梢を見つつなほぞ過ぎ憂き】−中将の返歌。「山」の語句を用いて返す。「あらじ」に「嵐」を響かす。<BR>⏎
 1325【さま変はり】−以下「見せよ」まで、中将の詞。<BR>⏎908 
d11326<P>⏎
 1327【それをだに契りししるしにせよ】−中将の詞。<BR>⏎909 
d11328<P>⏎
 1329【入りて見るに】−主語は少将尼。<BR>⏎910 
 1330【ことさら人にも見せまほしきさまして】−大島本は「ことさら人にも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことさらにも人に」と校訂する。『新大系』は底本のまま「ことさら人にも」とする。少将尼が浮舟を見た印象。<BR>⏎911 
 1331【薄き鈍色】−大島本は「うすきにひ色」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「薄鈍色」と「き」を削除する。『新大系』は底本のまま「薄き鈍色」とする。<BR>⏎912 
 1332【五重の扇を】−桧扇は七、八枚の薄板からなる。それを五組重ねた扇。「花宴」巻に「桜の三重がさね」の桧扇が出てくる。<BR>⏎913 
d11333<P>⏎
 1334【数珠は近き几帳にうち懸けて】−『集成』は「常に手にしているはずの数珠を手離しているのは、まだ初心のさまをいうのであろう」と注す。<BR>⏎914 
d11335<P>⏎
 1336【うち見るごとに】−主語は少将尼。少将尼が浮舟を。<BR>⏎915 
 1337【まいて心かけたまはむ男は】−以下「たてまつりたまはむ」まで、少将尼の心中の思い。<BR>⏎916 
 1338【さるべき折にやありけむ】−挿入句。語り手の想像を交えた叙述。<BR>⏎917 
 1339【押しやりたり】−大島本は「おしやりたり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「引きやりたり」と校訂する。『新大系』は底本のまま「押しやりたり」とする。<BR>⏎918 
d11340<P>⏎
 1341【いとかくは】−以下「さまなりける人を」まで、中将の浮舟を見た感想。<BR>⏎919 
 1342【我がしたらむ過ちのやうに】−『完訳』は「浮舟の出家が自分の犯した過ちででもあるかのように」と注す。<BR>⏎920 
 1343【もの狂はしきまで】−大島本は「物くるハしき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの狂ほしき」と校訂する。『新大系』は底本のまま「物ぐるはしき」とする。<BR>⏎921 
d11344<P>⏎
note531345 <A NAME="in58">[第八段 中将、浮舟に和歌を贈って帰る]</A><BR>922 
d11346<P>⏎
 1347【かばかりの】−以下「隠れなかるべきを」まで、中将の心中の思い。<BR>⏎923 
d11348<P>⏎
 1349【尼なりとも】−以下「おぼえじ」まで、中将の心中の思い。<BR>⏎924 
 1350【なかなか見所まさりて】−以下「語らひとりてむ」まで、中将の心中の思い。<BR>⏎925 
 1351【まめやかに語らふ】−中将が妹尼君に。<BR>⏎926 
d11352<P>⏎
 1353【世の常のさまには】−以下「心ざしを添へてこそ」まで、中将の詞。<BR>⏎927 
 1354【来し方の忘れがたくて】−亡き妻のこと。<BR>⏎928 
cd2:11355-1356【今一つ心ざし添へてこそ】−浮舟のこと。<BR>⏎
<P>⏎
929【今一つ心ざし添へてこそ】−浮舟のこと。<BR>⏎
 1357【いと行く末】−以下「思ひたまへらるべき」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎930 
 1358【ありさまにはべるに】−大島本は「侍に」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるめるに」と「める」を補訂する。『新大系』は底本のまま「侍に」とする。<BR>⏎931 
 1359【はべらざらむ後】−自分が亡くなってのち。<BR>⏎932 
 1360【あはれに思ひたまへらるべき】−浮舟の身の上を。<BR>⏎933 
cd2:11361-1362【このあま君も】−以下「誰れならむ」まで、中将の心中の思い。浮舟と尼君を遠い縁戚関係かと思う。<BR>⏎
<P>⏎
934【この君も】−以下「誰れならむ」まで、中将の心中の思い。浮舟と尼君を遠い縁戚関係かと思う。<BR>⏎
 1363【行く末の御後見は】−以下「心地しはべるべき」まで、中将の詞。<BR>⏎935 
 1364【さ聞こえそめはべるなれば】−大島本は「侍なれハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりなば」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍なれば」とする。<BR>⏎936 
 1365【尋ねきこえたまふべき人は】−浮舟を捜し出す人。『集成』は「浮舟のもとの男。浮舟を尼君の縁類と見ているので、敬語を使う」と注す。<BR>⏎937 
cd2:11366-1367はばかるべきことにははべらねど】−『完訳』は「色恋なしの後援なら、何も気がねせずともよいが、の気持」と注す。<BR>⏎
<P>⏎
938るべきことにははべらねど】−『完訳』は「色恋なしの後援なら、何も気がねせずともよいが、の気持」と注す。<BR>⏎
 1368【人に知らるべきさまにて】−以下「見えはべりつるを」まで、妹尼君の詞。『完訳』は「もしも浮舟が都の人と接触するように暮しているのなら、の意」と注す。<BR>⏎939 
 1369【思ひきりつる】−大島本は「思きりつる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひかぎりつる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「思きりつる」とする。<BR>⏎940 
 1370【見えはべりつるを】−大島本は「侍つるを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべるを」と校訂する。『新大系』は底本のまま「侍つるを」とする。<BR>⏎941 
d11371<P>⏎
 1372【こなたにも】−浮舟をさす。<BR>⏎942 
d11373<P>⏎
cd2:11374-1375【おほかたの世を背きける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ】−中将の浮舟への贈歌。<BR>⏎
<P>⏎
943【おほかたの世を背きける君なれど--厭ふによせて身こそつらけれ】−中将の浮舟への贈歌。<BR>⏎
 1376【言ひ伝ふ】−大島本は「いひつたふ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「多く言ひ伝ふ」と「多く」を補訂する。『新大系』は底本のまま「言ひ伝ふ」とする。<BR>⏎944 
d11377<P>⏎
 1378【兄妹と】−以下「慰めむ」まで、中将の詞。<BR>⏎945 
d11379<P>⏎
 1380【心深からむ】−以下「口惜しけれ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎946 
d11381<P>⏎
 1382【思ひよらず】−以下「見捨てられて止みなむ」まで、浮舟の心中。『完訳』は「以下、浮舟の心中に即す」と注す。<BR>⏎947 
 1383【あさましきこともありし身なれば】−『集成』は「匂宮とのこと」。『完訳』は「過往の薫・匂宮との三角関係をさす」と注す。<BR>⏎948 
d11384<P>⏎
 1385【本意のことしたまひてより後】−大島本は「し給てよりのち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「したまひて後より」と校訂する。『新大系』は底本のまま「し給てよりのち」とする。<BR>⏎949 
 1386【雪深く降り積み人目絶えたるころぞ】−小野は雪深い土地。『伊勢物語』第八十三段。<BR>⏎950 
 1387【げに思ひやる方なかりける】−『岷江入楚』は「白雪の降りて積れる山里は住む人さへや思ひ消ゆらむ(古今集冬、三二八、壬生忠岑)」を指摘。<BR>⏎951 
d11388<P>⏎
note531389 <H4>第六章 浮舟の物語 薫、浮舟生存を聞き知る</H4>952 
note531390 <A NAME="in61">[第一段 新年、浮舟と尼君、和歌を詠み交す]</A><BR>953 
d11391<P>⏎
 1392【凍りわたれる水の音せぬさへ心細くて】−『完訳』は「浮舟の荒涼たる心象」と注す。<BR>⏎954 
 1393【君にぞ惑ふとのたまひし人は】−宇治川の対岸で過ごした匂宮との思い出。<BR>⏎955 
d11394<P>⏎
cd8:41395-1402【かきくらす野山の雪を眺めても降りにしことぞ今日も悲しき】−浮舟の独詠歌。「降り」「古り」懸詞。『完訳』は「空を暗くして降る野山の雪に、捨て切れぬ過往の執着の悲しみを自覚」と注す。<BR>⏎
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【我世になくて年隔たりぬれど思ひ出づる人もあらむかし】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎
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【山里の雪間の若菜摘みはやしなほ生ひ先の頼まるるかな】−妹尼君の浮舟への贈歌。「摘み」「積み」懸詞。<BR>⏎
<P>⏎
【雪深き野辺の若菜も今よりは君がためにぞ年も摘むべき】−浮舟の返歌。「雪」「若菜」「摘む」の語句を用いて返す。『評釈』は「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣でに雪は降りつつ」(古今集春上、二一、光孝天皇)を指摘。<BR>⏎
<P>⏎
956-959【かきくらす野山の雪を眺めても--降りにしことぞ今日も悲しき】−浮舟の独詠歌。「降り」「古り」懸詞。『完訳』は「空を暗くして降る野山の雪に、捨て切れぬ過往の執着の悲しみを自覚」と注す。<BR>⏎
【我世になくて年隔たりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎
【山里の雪間の若菜摘みはやし--なほ生ひ先の頼まるるかな】−妹尼君の浮舟への贈歌。「摘み」「積み」懸詞。<BR>⏎
【雪深き野辺の若菜も今よりは--君がためにぞ年も摘むべき】−浮舟の返歌。「雪」「若菜」「摘む」の語句を用いて返す。『評釈』は「君がため春の野に出でて若菜摘むわが衣でに雪は降りつつ」(古今集春上、二一、光孝天皇)を指摘。<BR>⏎
 1403【さぞ思すらむ】−妹尼君の心中。<BR>⏎960 
 1404【あはれなるにも】−『集成』は「不憫に思われるにつけても」。『完訳』は「しみじみといたわしくなるにつけても」と訳す。<BR>⏎961 
 1405【見るかひあるべき御さまと思はましかば】−妹尼君の心中の思い。反実仮想の構文。浮舟の出家姿を悔やむ。<BR>⏎962 
d11406<P>⏎
 1407【春や昔のと】−『源氏釈』は「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」(古今集恋五、七四七、在原業平・伊勢物語、四段)を指摘。<BR>⏎963 
 1408【飽かざりし匂ひのしみにけるにや】−『異本紫明抄』は「飽かざりし君が匂ひの恋しさに梅の花をぞ今朝は折りつる」(拾遺集雑春、一〇〇五、具平親王)を指摘。『湖月抄』は「地」と指摘。『集成』は「はかない逢瀬だった匂宮のことが忘れられないのだろうか。浮舟の心事を忖度する体の草子地」と注す。<BR>⏎964 
 1409【閼伽奉らせたまふ】−「せ」使役の助動詞。下文の下臈の尼に花を折らせたことと一連の叙述。<BR>⏎965 
 1410【かことがましく散るに】−浮舟の感情移入による叙述。接続助詞「に」--の一方で、というニュアンス。<BR>⏎966 
d11411<P>⏎
cd2:11412-1413【袖触れし人こそ見えね花の香のそれかと匂ふ春のあけぼの】−浮舟の独詠歌。『全書』は「色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖触れし宿の梅ぞも」(古今集春上、三三、読人しらず)を指摘。匂宮を思い出す。<BR>⏎
<P>⏎
967【袖触れし人こそ見えね花の香の--それかと匂ふ春のあけぼの】−浮舟の独詠歌。『全書』は「色よりも香こそあはれと思ほゆれたが袖触れし宿の梅ぞも」(古今集春上、三三、読人しらず)を指摘。匂宮を思い出す。<BR>⏎
note531414 <A NAME="in62">[第二段 大尼君の孫、紀伊守、山荘に来訪]</A><BR>968 
d11415<P>⏎
 1416【孫の紀伊守なりける】−大島本は「きのかみなりける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「紀伊守なりけるが」と「が」を補訂する。『新大系』は底本のまま「紀伊守なりける」とする。大尼君の孫、妹尼君の甥。<BR>⏎969 
d11417<P>⏎
 1418【何ごとか去年一昨年】−紀伊守の詞。<BR>⏎970 
d11419<P>⏎
 1420【こなたに来て】−妹尼の部屋。浮舟も同居。<BR>⏎971 
d11421<P>⏎
 1422【いとこよなくこそ】−以下「訪れきこえたまふや」まで、紀伊守の詞。<BR>⏎972 
 1423【遠きほどに年月を過ぐしはべるよ】−紀伊守として赴任していたことをさす。<BR>⏎973 
 1424【親たちものしたまはで】−紀伊守の両親。ともに死去。大尼君の子。<BR>⏎974 
 1425【一所をこそ御代はりに】−大尼君を親代わりに。<BR>⏎975 
 1426【常陸の北の方は】−紀伊守の妹、常陸介の妻となっている。浮舟の継父の常陸介とは別人。<BR>⏎976 
d11427<P>⏎
 1428【と言ふはいもうとなるべし】−浮舟の耳を通しての叙述。<BR>⏎977 
d11429<P>⏎
 1430【年月に添へては】−以下「見えたまふ」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎978 
 1431【久しう訪れ】−大島本は「ひさしう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いと久しく」と「いと」を補訂する。『新大系』は底本のまま「久しう」とする。<BR>⏎979 
 1432【え待ちつけたまふまじきさまに】−『完訳』は「守の北の方の帰京を待てずに母尼が死ぬのではないかと危ぶむ」と注す。<BR>⏎980 
d11433<P>⏎
 1434【わが親の名と】−浮舟の心中。継父は常陸介、同じ呼び名。<BR>⏎981 
d11435<P>⏎
 1436【まかり上りて】−以下「急ぎせさせはべりなむ」まで、紀伊守の詞。<BR>⏎982 
 1437【右大将殿の】−薫。<BR>⏎983 
 1438【故八の宮の住みたまひし】−故宇治八宮の邸。<BR>⏎984 
d11439<P>⏎
 1440【故宮の御女に通ひたまひしを】−故大君。<BR>⏎985 
 1441【その御おとうと】−浮舟をさす。<BR>⏎986 
 1442【なにがしも】−自称、紀伊守。<BR>⏎987 
 1443【せさせたまひてむや】−妹尼君に調製を依頼。<BR>⏎988 
d11444<P>⏎
 1445【いかでかあはれならざらむ】−大島本は「いかてか」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いかでかは」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「いかでか」とする。挿入句。語り手の浮舟の心中を忖度。<BR>⏎989 
 1446【人やあやしと見む】−浮舟の心中の思い。<BR>⏎990 
d11447<P>⏎
 1448【かの聖の親王の】−以下「いづれぞ」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎991 
d11449<P>⏎
 1450【この大将殿の】−以下「したまひつべかりきかし」まで、紀伊守の詞。<BR>⏎992 
 1451【初めのはた】−大君の死去に際しては。<BR>⏎993 
d11452<P>⏎
note531453 <A NAME="in63">[第三段 浮舟、薫の噂など漏れ聞く]</A><BR>994 
d11454<P>⏎
 1455【かのわたりの親しき人なりけり】−浮舟の心中。紀伊守を薫の家来と知る。<BR>⏎995 
 1456【さすが恐ろし】−『完訳』は「薫には知られぬとは思うが、やはり恐ろしい」と注す。<BR>⏎996 
d11457<P>⏎
 1458【あやしく】−以下「過ぐしはべりぬる」まで、紀伊守の詞。<BR>⏎997 
 1459【昨日もいと不便にはべりしかな】−『集成』は「薫の取り乱しようを言う」と注す。<BR>⏎998 
 1460【上にのぼりたまひて】−宇治の邸の上の部屋。<BR>⏎999 
d11461<P>⏎
cd2:11462-1463【見し人は影も止まらぬ水の上に落ち添ふ涙いとどせきあへず】−薫の独詠歌。「涙」に「波」を響かす。「影」「水」「波」縁語。<BR>⏎
<P>⏎
1000【見し人は影も止まらぬ水の上に--落ち添ふ涙いとどせきあへず】−薫の独詠歌。「涙」に「波」を響かす。「影」「水」「波」縁語。<BR>⏎
 1464【女はいみじくめでたてまつりぬべくなむ】−『完訳』は「女なら誰しも、薫の心やさしさを賞讃するに違いないとする」と注す。<BR>⏎1001 
 1465【若くはべりし時より】−主語は紀伊守。自分の体験をいう。<BR>⏎1002 
 1466【優におはします】−大島本は「おハします」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おはす」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おはします」とする。<BR>⏎1003 
 1467【世の中の一の所も】−当代の最高権力者。夕霧をさすか。<BR>⏎1004 
 1468【頼みきこえて】−大島本は「たのミきこえて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「頼みきこえさせて」と「させ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「頼みきこえて」とする。<BR>⏎1005 
d11469<P>⏎
 1470【ことに深き】−以下「見知りにけり」まで、浮舟の心中の思い。『完訳』は「主人の秘密まで軽率に言う様子から、浮舟が守をも評す」と注す。<BR>⏎1006 
d11471<P>⏎
 1472【光君と聞こえけむ】−以下「右の大殿と」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎1007 
 1473【並びたまはじ】−大島本は「ならひ給ハし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「え並びたまはじ」と「え」を補訂する。『新大系』は底本のまま「並び給はじ」とする。<BR>⏎1008 
d11474<P>⏎
 1475【それは容貌も】−以下「なむおぼえはべる」まで、紀伊守の詞。<BR>⏎1009 
 1476【けうらに】−大島本は「けうらに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「きよらに」と校訂する。『新大系』は底本のまま「けうらに」とする。<BR>⏎1010 
d11477<P>⏎
 1478【教へたらむやうに】−『集成』は「誰かが(浮舟に聞かせるように)教えたかのようにしゃべり続ける」と注す。<BR>⏎1011 
 1479【身の上も】−浮舟自身の身の上。<BR>⏎1012 
 1480【語りおきて出でぬ】−主語は紀伊守。<BR>⏎1013 
d11481<P>⏎
note531482 <A NAME="in64">[第四段 浮舟、尼君と語り交す]</A><BR>1014 
d11483<P>⏎
 1484【忘れたまはぬにこそは】−浮舟の心中。薫は自分浮舟のことを。<BR>⏎1015 
 1485【あはれに思ふにも】−大島本は「あハれに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「あはれと」と校訂する。『新大系』は底本のまま「あはれに」とする。<BR>⏎1016 
 1486【つつましくぞ】−大島本は「つゝましくそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いとつつましくぞ」と「いと」を補訂する。『新大系』は底本のまま「つつましくぞ」とする。<BR>⏎1017 
 1487【かの人の】−紀伊守。<BR>⏎1018 
 1488【ことどもを】−大島本は「事ともを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなど」と校訂する。『新大系』は底本のまま「事どもを」とする。<BR>⏎1019 
d11489<P>⏎
 1490【これ御覧じ入れよ】−以下「ひねらせたまへば」まで、妹尼君の詞。『集成』は「「御覧入る」は、「見入る」(注視する、世話する)の敬語」。『完訳』は「手伝ってください、の意」と注す。<BR>⏎1020 
 1491【ひねらせたまへば】−『完訳』は「反物の縁を折り曲げてくけずにおくこと」と注す。<BR>⏎1021 
d11492<P>⏎
 1493【心地悪し】−浮舟の詞。<BR>⏎1022 
 1494【いかが思さるる】−妹尼君の詞。<BR>⏎1023 
d11495<P>⏎
 1496【御前には】−以下「墨染めなりや」まで、女房の詞。「御前」は浮舟をさす。<BR>⏎1024 
d11497<P>⏎
cd2:11498-1499【尼衣変はれる身にやありし世の形見に袖をかけて偲ばむ】−浮舟の独詠歌。「や--偲ばむ」疑問形。<BR>⏎
<P>⏎
1025【尼衣変はれる身にやありし世の--形見に袖をかけて偲ばむ】−浮舟の独詠歌。「や--偲ばむ」疑問形。<BR>⏎
 1500【いとほしく】−以下「とや思はむ」まで、浮舟の心中の思い。<BR>⏎1026 
 1501【疎ましきまでに】−大島本は「うとましきま(ま$ま<朱>)てに」とある。すなわち「ま」を朱筆で「ま」と訂正する。『集成』『完本』は諸本に従って「まで」と「に」を削除する。『新大系』は底本のまま「までに」とする。浮舟が素姓を隠していたことを尼君は。<BR>⏎1027 
 1502【隠しけるなどや】−大島本は「なとや」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とや」と「な」を削除する。『新大系』は底本のまま「などや」とする。<BR>⏎1028 
d11503<P>⏎
 1504【過ぎにし方のことは】−以下「あはれなれ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎1029 
 1505【ほのかにあはれなれ】−『完訳』は「漠然とした懐旧の念、の趣」と注す。<BR>⏎1030 
d11506<P>⏎
 1507【おほどかにのたまふ】−心の動揺を見透かされないように。<BR>⏎1031 
d11508<P>⏎
 1509【さりとも】−以下「はべらむかし」まで、妹尼君の詞。<BR>⏎1032 
 1510【身には】−大島本は「身にハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ここには」と校訂する。『新大系』は底本のまま「身には」とする。<BR>⏎1033 
 1511【昔の人あらましかば】−妹尼の亡き娘。<BR>⏎1034 
 1512【しか扱ひきこえたまひけむ人】−同じようにあなたをお世話申し上げなさった方、すなわち、浮舟の母、の意。<BR>⏎1035 
 1513【世におはすらむやがて】−大島本は「よにおハすらんやかて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「世におはすらむや。かく」と校訂する。『新大系』は底本のまま「世におはすらむ。やがて」とする。<BR>⏎1036 
 1514【亡くなして見はべりしだに】−娘を亡くした母親のわたしでさえ。<BR>⏎1037 
 1515【行方知らで】−浮舟は行方不明となって。<BR>⏎1038 
 1516【思ひきこえたまふ人びと】−ご心配申し上げていらっしゃる方々。<BR>⏎1039 
d11517<P>⏎
 1518【見しほどまでは】−以下「したまひぬらむ」まで、浮舟の詞。「見しほど」とは俗世にいた時の意。<BR>⏎1040 
 1519【一人はものしたまひき】−母親という意。<BR>⏎1041 
d11520<P>⏎
 1521【なかなか】−以下「残しはべらむ」まで、浮舟の詞。<BR>⏎1042 
 1522【何ごとにか--はべらむ】−反語表現。何も隠していない、意。<BR>⏎1043 
d11523<P>⏎
note531524 <A NAME="in65">[第五段 薫、明石中宮のもとに参上]</A><BR>1044 
d11525<P>⏎
 1526【この果てのわざなど】−浮舟の一周忌。三月末。<BR>⏎1045 
c11527【はかなくて止みぬるかな】−大島本は「はかなくて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はかなくても」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「はかなくて」とする。薫の感想。<BR>⏎
1046【はかなくて止みぬるかな】−大島本は「はかなくて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はかなくても」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のまま「はかなくて」とする。薫の感想。<BR>⏎
 1528【かの常陸の子ども】−浮舟の継父の子供。<BR>⏎1047 
 1529【蔵人になして】−大島本は「くら人になして」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「蔵人になし」と「て」を削除する。『新大系』は底本のまま「蔵人になして」とする。<BR>⏎1048 
 1530【わが御司の将監】−右近衛府の将監(三等官)。<BR>⏎1049 
d11531<P>⏎
 1532【后の宮】−明石中宮。<BR>⏎1050 
 1533【御物語など聞こえたまふついでに】−薫が中宮に。<BR>⏎1051 
d11534<P>⏎
 1535【あやしき山里に】−以下「おぼえはべりし」まで、薫の詞。宇治の話。<BR>⏎1052 
 1536【人の誹りはべりしも】−『完訳』は「正室女二の宮の側近者が非難がましかったか」と注す。<BR>⏎1053 
 1537【所のさがにや】−宇治の地名は「憂し」に通じる。<BR>⏎1054 
 1538【はかなき世のありさまとり重ねて】−大君の死と浮舟の死を体験。<BR>⏎1055 
 1539【道心】−大島本は「道心」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「道心を」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のまま「道心」とする。<BR>⏎1056 
 1540【聖の住処】−故八宮の邸をいう。<BR>⏎1057 
d11541<P>⏎
 1542【かのこと】−横川僧都が話したこと。浮舟のこと。<BR>⏎1058 
d11543<P>⏎
 1544【そこには恐ろしき物や】−以下「亡くなりにし」まで、中宮の詞。<BR>⏎1059 
d11545<P>⏎
cd2:11546-1547【なほ続きを思し寄る方】−大島本は「つゝきを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うちつづきたるを」と「うち」と「たる」を補訂する。『新大系』は底本のまま「つづきを」とする。薫の心中。主語は中宮。<BR>⏎
<P>⏎
1060【なほ続きを思し寄る方】−大島本は「つゝきを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「うちつづきたるを」と「うち」と「たる」を補訂する。『新大系』は底本のまま「つづきを」とする。薫の心中。主語は中宮。<BR>⏎
 1548【さもはべらむ】−以下「あやしくはべる」まで、薫の詞。<BR>⏎1061 
 1549【亡せはべりにしさまも】−浮舟の死。失踪入水と推測。<BR>⏎1062 
d11550<P>⏎
 1551【なほかく忍ぶる筋を聞きあらはしけり】−中宮の心遣い。「忍ぶる筋」の主語は薫。「聞きあらはしてけり」の主語は中宮。<BR>⏎1063 
 1552【思ひたまはむが】−主語は薫。<BR>⏎1064 
 1553【いとほしく思され】−主語は中宮。<BR>⏎1065 
 1554【宮のものをのみ思して】−匂宮が浮舟失踪当時。<BR>⏎1066 
 1555【思し合はするにも】−主語は中宮。<BR>⏎1067 
 1556【かたがたに口入れにくき人の上】−中宮の心中。薫にも匂宮にも。「人」は浮舟をさす。<BR>⏎1068 
d11557<P>⏎
 1558【大将かの人のことを】−以下「言ひしことを語れ」まで、中宮の詞。「かの人」は浮舟。<BR>⏎1069 
 1559【かたはならむことは】−薫にとって不都合なこと。<BR>⏎1070 
 1560【言ひしことを】−大島本は「ことを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「を」を削除する。『新大系』は底本のまま「ことを」とする。<BR>⏎1071 
d11561<P>⏎
c11562【御前にだに】−以下「いかでか」まで、小宰相君の詞。<BR>⏎
1072【御前に】−以下「いかでか」まで、小宰相君の詞。<BR>⏎
 1563【いかでか】−反語表現。下に「聞こえむ」などの語句が省略。<BR>⏎1073 
d11564<P>⏎
 1565【さまざまなる】−以下「ことぞあるや」まで、中宮の詞。『完訳』は「匂宮の横恋慕を念頭に言う」と注す。<BR>⏎1074 
d11566<P>⏎
note531567 <A NAME="in66">[第六段 小宰相、薫に僧都の話を語る]</A><BR>1075 
d11568<P>⏎
 1569【立ち寄りて】−薫が小宰相君のもとに。<BR>⏎1076 
 1570【珍かに--たまはざらむ】−『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。語り手が薫の心中を憶測。<BR>⏎1077 
 1571【宮の問はせたまひしも】−以下「のたまはせ果つまじき」まで、薫の心中の思い。<BR>⏎1078 
d11572<P>⏎
 1573【我もまた】−以下「世の中かは」まで、薫の心中の思い。<BR>⏎1079 
c11574【聞こえめざりしかば】−『完訳』は「下に、中宮が話してくれぬのもいたしかたない、ぐらいの意」と注す。<BR>⏎
1080【聞こえめざりしかば】−『完訳』は「下に、中宮が話してくれぬのもいたしかたない、ぐらいの意」と注す。<BR>⏎
 1575【人にすべて漏らさぬを】−主語は自分薫。<BR>⏎1081 
d11576<P>⏎
 1577【この人にも】−小宰相君。<BR>⏎1082 
d11578<P>⏎
 1579【なほあやしと】−以下「なほあらむや」まで、薫の詞。<BR>⏎1083 
d11580<P>⏎
 1581【かの僧都の】−以下「はべるなりしか」まで、小宰相君の詞。<BR>⏎1084 
d11582<P>⏎
 1583【思ひあはするに】−主語は薫。<BR>⏎1085 
d11584<P>⏎
 1585【まことにそれと】−以下「また使はじ」まで、薫の心中の思い。<BR>⏎1086 
 1586【かの宮も】−匂宮。<BR>⏎1087 
 1587【思ひ入りにけむ道も】−浮舟が決心して入った出家生活。<BR>⏎1088 
d11588<P>⏎
 1589【さて】−『集成』は「(匂宮は)そんなお積りで」。『完訳』は「匂宮はそのつもりで、中宮に、薫にはおっしゃるななどと申しおかれたので。このあたり、中宮が薫に詳しく言わなかった理由を推測しようとする」と注す。<BR>⏎1089 
c11590【聞こえおきたまひければや】−薫は、匂宮が中宮に申し上げおかれたのだろうか、と疑う。<BR>⏎
1090【聞こえおきたまひければや】−薫は、匂宮が中宮に申し上げおかれたのだろうか、と疑う。<BR>⏎
 1591【のたまはせぬにや】−薫は、中宮が私にはおっしゃらないのか、と疑う。<BR>⏎1091 
cd2:11592-1593【いみじうあはれと思ひながらも】−『集成』は「せつないほいどいとしく思われるものから」。『完訳』は「自分は、浮舟をせつなくいとしいと思いながらも、以下、浮舟を死んだものと諦めようとする」と注す。<BR>⏎
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1092【いみじうあはれと思ひながらも】−『集成』は「せつないほいどいとしく思われるものから」。『完訳』は「自分は、浮舟をせつなくいとしいと思いながらも、以下、浮舟を死んだものと諦めようとする」と注す。<BR>⏎
 1594【うつし人になりて】−『集成』は「(浮舟が)再びこの世の人になったとあれば」と注す。接続助詞「て」仮定の文意。<BR>⏎1093 
 1595【末の世には】−遠い将来には。薫はかすかな期待を漠然と思い描く。<BR>⏎1094 
 1596【黄なる泉のほとりばかりを】−「黄泉」、来世の話を語り合える機会を期待。<BR>⏎1095 
 1597【心地】−大島本は「心ち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心は」と校訂する。『新大系』は底本のまま「心ち」とする。<BR>⏎1096 
d11598<P>⏎
 1599【なほのたまはずやあらむ】−薫の心中の思い。<BR>⏎1097 
 1600【おぼゆれど】−大島本は「おほゆれと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思へど」と校訂する。『新大系』は底本のまま「おぼゆれど」とする。<BR>⏎1098 
 1601【大宮に】−中宮に。<BR>⏎1099 
 1602【作り出だしてぞ】−大島本は「いたしてそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「出でてぞ」と校訂する。『新大系』は底本のまま「出だしてぞ」とする。<BR>⏎1100 
d11603<P>⏎
note531604 <A NAME="in67">[第七段 薫、明石中宮に対面し、横川に赴く]</A><BR>1101 
d11605<P>⏎
 1606【あさましうて】−以下「思ひたまへらるる」まで、薫の詞。<BR>⏎1102 
 1607【心とおどろおどろしう】−浮舟が自分から進んで入水ということをして。<BR>⏎1103 
 1608【もて離るることは】−浮舟が私薫から離れていくこと。<BR>⏎1104 
 1609【語りはべしやう】−大島本は「侍へしやう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「はべりしやう」と「り」を補訂する。『新大系』は底本のまま「侍(は)べしやう」とする。<BR>⏎1105 
 1610【さるやうもやはべらむと似つかはしく思ひたまへらるる】−『完訳』は「気弱な性分から投身はありえないが、物の怪のせいというのなら合点」と注す。<BR>⏎1106 
d11611<P>⏎
 1612【宮の御ことを】−匂宮のこと。<BR>⏎1107 
 1613【いと恥づかしげに】−『集成』は「いかにも毅然とした態度で。匂宮の介入は許さぬといった面持」。『完訳』は「いかにも憚りありげに、それでも恨んでいる言い方はされず」と注す。<BR>⏎1108 
d11614<P>⏎
 1615【かのこと】−以下「過ぐしはべりなむ」まで、薫の詞。浮舟のこと。<BR>⏎1109 
 1616【さなむと】−私薫が浮舟を探し出したということ。<BR>⏎1110 
 1617【聞きつけたまへらば】−主語は匂宮。<BR>⏎1111 
 1618【さてありけりとも知らず顔にて過ぐしはべりなむ】−『集成』は「ことを秘密にしておきたいと婉曲に釘をさす」と注す。<BR>⏎1112 
d11619<P>⏎
c11620【僧都の語りしに】−以下「心憂く」まで、中宮の詞。<BR>⏎
1113【僧都の語りしに】−以下「心憂くなむ」まで、中宮の詞。<BR>⏎
 1621【宮はいかでか聞きたまはむ】−反語表現。匂宮は知らない。<BR>⏎1114 
 1622【聞こえむ方なかりける御心のほどかなと聞けば】−『完訳』は「匂宮の了簡を論外とする。母として詫びる気持」と注す。<BR>⏎1115 
 1623【聞きつけたまはむこそ】−主語は匂宮。<BR>⏎1116 
 1624【心憂く】−大島本は「心うく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心憂くなむ」と「なむ」を補訂する。『新大系』は底本のまま「心憂く」とする。<BR>⏎1117 
d11625<P>⏎
 1626【などのたまはす】−大島本は「なとの給ハす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とのたまはす」と校訂する。『新大系』は底本のまま「などの給はす」とする。<BR>⏎1118 
 1627【いと重き御心なれば】−以下「漏らさせたまはじ」まで、薫の心中。中宮の人柄について思う。<BR>⏎1119 
d11628<P>⏎
 1629【住むらむ山里は】−以下「問ふべかめれ」まで、薫の心中の思い。<BR>⏎1120 
 1630【いづこにかは】−大島本は「いつこにかハ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「いづこにか」と「は」を削除する。『新大系』は底本のまま「いづこにかは」とする。<BR>⏎1121 
d11631<P>⏎
 1632【月ごとの八日は】−毎月八日は、六斎日の初日。薬師仏の縁日。<BR>⏎1122 
 1633【もてなしたまへる】−大島本は「給つる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。『新大系』は底本のまま「給つる」とする。ここは「へ」と「つ」の誤写と考えて、改める。<BR>⏎1123 
 1634【中堂に】−大島本は「中たうに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「中堂には」と「は」を補訂する。『新大系』は底本のまま「中堂に」とする。比叡山延暦寺の根本中堂。本尊は薬師仏。<BR>⏎1124 
 1635【かのせうとの童なる率ておはす】−『集成』は「すでに叡山に向け出立の体。五月の月末に近い頃かと思われる」と注す。<BR>⏎1125 
 1636【その人びとには】−以下「従がはむ」まで、薫の心中の思い。「その人びと」とは浮舟の家族をさす。<BR>⏎1126 
 1637【うち見む夢の心地にもあはれをも加へむとにやありけむ】−『集成』は「肉親の一人を伴った薫の気持を忖度する体の草子地」と注す。<BR>⏎1127 
 1638【その人とは】−以下「いみじかるべかれ」まで、薫の心中の思い。<BR>⏎1128 
 1639【形異なる人】−尼姿の人。<BR>⏎1129 
 1640【憂きことを】−『集成』は「失踪後、何か男関係でもあったというようなこと」と注す。<BR>⏎1130 
 1641【よろづに道すがら思し乱れけるにや】−『一葉抄』は「双紙詞也」と指摘。『集成』は「巻を閉じる形の草子地」と注す。<BR>⏎1131 
d21642-1643
<P>⏎
 1644<A HREF="index.html">源氏物語の世界ヘ</A><BR>⏎1132 
 1645<A HREF="text53.html">本文</A><BR>⏎1133 
 1646<A HREF="roman53.html">ローマ字版 </A><BR>⏎1134 
 1647<A HREF="version53.html">現代語訳 </A><BR>⏎1135 
 1648<A HREF="data53.html">大島本</A><BR>⏎1136 
 1649<A HREF="okuiri53.html">自筆本奥入</A><BR>⏎1137 
d11650
 1651<hr size="4">⏎1138 
 1652</body>⏎1139 
 1653</HTML>⏎1140 
i01142