設定 番号 本文 渋谷栄一訳 与謝野晶子訳 注釈 挿絵 ルビ 罫線 登場人物 帖見出し 章見出し 段見出し 列見出し
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この帖の主な登場人物
登場人物 読み 呼称 備考
光る源氏 ひかるげんじ
源氏の中将
光る源氏
源氏の君
中将の君
男君
十八歳;参議兼近衛中将
藤壺の宮 ふじつぼのみや
女宮
父桐壺帝の妃;光る源氏の継母
紫の上 むらさきのうえ 若草
若君
初草

兵部卿宮の娘;藤壺宮の姪
尼君 あまぎみ
北の方
祖母上
故尼君
紫の上の祖母
僧都 そうず なにがし僧都
僧都
紫の上の祖母の兄
王命婦 おうみょうぶ 命婦の君
命婦
藤壺宮の女房
左大臣 さだいじん 大殿
大臣
源氏の岳父
葵の上 あおいのうえ 女君
源氏の正妻
頭中将 とうのちゅうじょう 頭中将
葵の上の兄
兵部卿宮 ひょうぶきょうのみや 親王

父宮
紫の上の父
惟光 これみつ 惟光
大夫
源氏の乳母子


第四帖 夕顔

光る源氏の十七歳夏から立冬の日までの物語

本文
渋谷栄一訳
与謝野晶子訳
注釈

第一章 夕顔の物語 夏の物語


第一段 源氏、五条の大弐乳母を見舞う

1.1.1 六条辺りのお忍び通いのころ、内裏からご退出なさる休息所に、大弍の乳母がひどく病んで尼になっていたのを、見舞おうとして、五条にある家を尋ねていらっしゃった。
源氏が六条に恋人を持っていたころ、御所からそこへ通う途中で、だいぶ重い病気をし尼になった大弐の乳母を訪ねようとして、五条辺のその家へ来た。
【六条わたりの御忍び歩きのころ】- 源氏の六条辺りの女性へのお忍び通いのころの物語。夏の最も暑い六月ころの物語。六条は、当時都の場末といった感じの所。
【中宿】- 途中の休憩所。旅や遠出の折に使用した知人の家や邸宅。
【大弐の乳母】- 源氏の乳母の一人。大弍は従四位下相当官。その人の妻。なお源氏にはもう一人の乳母がいる。「末摘花」巻に登場する左衛門の乳母。
【尼になりにける】- 諸本すべて格助詞「を」を持たない。尼になった、その人を、というニュアンスの構文。
【五条なる家尋ねて】- 源氏はこの家をしばらく訪問していなかった趣きである。あるいは初めての訪問か。
1.1.2 お車が入るべき正門は施錠してあったので、供人に惟光を呼ばせて、お待ちあそばす間、むさ苦しげな大路の様子を見渡していらっしゃると、この家の隣に、桧垣という板垣を新しく作って、上方は半蔀を四、五間ほどずらりと吊り上げて、簾などもとても白く涼しそうなところに、美しい額つきをした簾の透き影が、たくさん見えてこちらを覗いている。
乗ったままで車を入れる大門がしめてあったので、従者に呼び出させた乳母の息子の惟光の来るまで、源氏はりっぱでないその辺の町を車からながめていた。惟光の家の隣に、新しい檜垣を外囲いにして、建物の前のほうは上げ格子を四、五間ずっと上げ渡した高窓式になっていて、新しく白い簾を掛け、そこからは若いきれいな感じのする額を並べて、何人かの女が外をのぞいている家があった。
【御車入るべき門】- 賓客の出入りする門。表門。普段は使用されない。家人は通用門を使用。
【惟光召させて】- 大弍の乳母の子、すなわち源氏の乳母子。使役の助動詞「せ」連用形。
【待たせたまひけるほど】- 主語は源氏。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、最高敬語。
【むつかしげなる大路のさま】- 五条大路であろう。
【見わたしたまへるに】- 主語は源氏。接続助詞「に」順接。--していると、の意。以下、源氏の目を通して語る叙述。
【桧垣といふもの】- 檜の薄い板を網代形に組んで作った垣。庶民の家の作り物。桧垣の絵が「春日権現験記絵」(宮内庁三の丸尚蔵館)に見える。上流貴族には縁遠い物なので「といふもの」と語られる。しかしここでは垣としてではなく下半分のはめ込み戸代わりに使用したものであろう。「扇面古写経」にその絵が見られる。その図が『評釈』に掲載されている。
【上は半蔀四五間ばかり上げわたして】- 半蔀は戸の一種。下半分は桧垣戸をはめ込み、上半分は蔀戸を外側に釣り上げていた。
【簾など】- 身分の低い者の家では「簾」といい、高貴な家では「御簾」といって、使い分けられている。
【涼しげなるに】- 「涼しげなる」の下に「所」などの語が省略されている。格助詞「に」場所を表す。
【をかしき額つきの透影】- 美しい額つきをした女の影が簾の内側に見える、という意。
【見えて覗く】- 透き影が外の源氏の方を覗いている意。
1.1.3 立ち動き回っているらしい下半身を想像すると、やたらに背丈の高い感じがする。
どのような者が集まっているのだろうと、一風変わった様子にお思いになる。
高い窓に顔が当たっているその人たちは非常に背の高いもののように思われてならない。どんな身分の者の集まっている所だろう。風変わりな家だと源氏には思われた。
【立ちさまよふらむ下つ方】- 下半分が桧垣によって見えない。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量のニュアンス。
【あながちに丈高き心地ぞする】- 女たちは踏み台の上などに乗って外を覗いているのだろう。
【いかなる者の集へるならむ】- 源氏の心。
1.1.4 お車もひどく地味になさり、先払いもおさせにならず、誰と分かろうかと気をお許しなさって、少し顔を出して御覧になっていると、門は蔀のようなのを押し上げてあって、その奥行きもなく、ささやかな住まいを、しみじみと、「どの家を終生の宿とできようか」とお考えになってみると、立派な御殿も同じことである。
今日は車も簡素なのにして目だたせない用意がしてあって、前駆の者にも人払いの声を立てさせなかったから、源氏は自分のだれであるかに町の人も気はつくまいという気楽な心持ちで、その家を少し深くのぞこうとした。門の戸も蔀風になっていて上げられてある下から家の全部が見えるほどの簡単なものである。哀れに思ったが、ただ仮の世の相であるから宮も藁屋も同じことという歌が思われて、われわれの住居だって一所だとも思えた。
【御車もいたくやつしたまへり】- この文は、以下「同じことなり」まで、読点によって続く一文である。源氏の気持ちが重ね合わされた表現である。
【前駆も追はせたまはず】- 「御車もいたくやつしたまへり」と並列する。
【誰れとか知らむ】- 反語表現。右の二文の並列を受けて、それゆえ、わたしを誰と分かろうか、誰とも分かるまい、という意の構文。
【すこしさし覗きたまへれば】- 源氏が牛車の窓から。完了の助動詞「れ」存続の意。しばらく覗いているニュアンス。
【門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく】- 蔀戸を棒などで押し上げてある門。「春日権現験記」に竹を格子状に編んだ形の門の絵が見られる。断定の助動詞「なる」連体形の下に目的格を表す格助詞「を」ナシ。半蔀のような、それを押し上げてあり、その奥行きもなく、という一続きの視点で語られている構文。
【何処かさして】- 『源氏釈』は「世の中はいづれかさしてわがならむ行きとまるをぞ宿と定むる」(古今集雑下 九八七 読人しらず」を指摘する。
【玉の台も同じことなり】- 『河海抄』は「何せむに玉の台も八重葎はべらむ中に二人こそ寝め」(古今六帖六 葎)を指摘する。「玉の台」は歌語。金殿玉楼の立派な御殿に住むことも卑しい宿に住むことも同じく無常の世に住むことだ、違いはない。引歌の「二人こそ寝め」に源氏と夕顔の物語の将来を暗示させる。
1.1.5 切懸の板塀みたいな物に、とても青々とした蔓草が気持ちよさそうに這いまつわっているところに、白い花が、自分ひとり微笑んで咲いている。
端隠しのような物に青々とした蔓草が勢いよくかかっていて、それの白い花だけがその辺で見る何よりもうれしそうな顔で笑っていた。
【切懸だつ物に】- 瓦屋根の葺き方のように横板を下から少しずつ立て重ねて作った板塀。
【いと青やかなる葛の心地よげに】- 格助詞「の」主格を表す。
【這ひかかれるに】- 格助詞「に」場所を表す。
【おのれひとり笑みの眉開けたる】- 擬人法。係助詞「ぞ」--「完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。係り結びの法則。強調のニュアンス。
1.1.6 「遠方の人にお尋ねする」
そこに白く咲いているのは何の花かという歌を口ずさんでいると、
【遠方人にもの申す】- 源氏の独り言。『源氏釈』は「うち渡す遠方人に物申す我そのそこに白く咲けるは何の花ぞも」(古今集旋頭歌 一〇〇七 読人しらず)を指摘する。その和歌の語句を引用したもの。「何の花ぞも」と問うのが真意。
1.1.7 と独り言をおっしゃると、御随身がひざまずいて、
中将の源氏につけられた近衛の随身が車の前に膝をかがめて言った。 【独りごちたまふを】- 主語は源氏。接続助詞「を」順接を表す。
【御隋身ついゐて】- 中将の源氏には四人の随身が付く。
1.1.8
かの(しろ)()けるをなむ夕顔(ゆふがほ)(まう)しはべる。
(はな)()(ひと)めきてかうあやしき垣根(かきね)になむ()きはべりける
「あの白く咲いている花を、夕顔と申します。
花の名は人並のようでいて、このような賤しい垣根に咲くのでございます」
「あの白い花を夕顔と申します。人間のような名でございまして、こうした卑しい家の垣根に咲くものでございます」 【かの白く咲けるをなむ】- 以下「咲きはべりける」まで、御随身の返答。源氏の引歌を理解して適切に答える。「白く咲ける」は、その『古今集』歌の語句を踏まえて答えたもの。嗜みのある風雅な返答。係助詞「なむ」、丁寧の補助動詞「はべる」連体形、係り結びの法則。
【人めきて】- 「顔」という言葉が付くので人のようだという意と、「人めく」の人並みの身分、すなわち貴族のようなという意を掛けた返答になっている。接続助詞「て」逆接を表す。
【垣根になむ咲きはべりける】- 係助詞「なむ」、過去の助動詞「ける」連体形、詠嘆の意。係り結びの法則。
1.1.9
(まう)す。
げにいと小家(こいへ)がちにむつかしげなるわたりのこのもかのもあやしくうちよろぼひて、むねむねしからぬ(のき)のつまなどに()ひまつはれたるを、
と申し上げる。
なるほどとても小さい家が多くて、むさ苦しそうな界隈で、この家もかの家も、見苦しくちょっと傾いて、頼りなさそうな軒の端などに這いまつわっているのを、
その言葉どおりで、貧しげな小家がちのこの通りのあちら、こちら、あるものは倒れそうになった家の軒などにもこの花が咲いていた。 【げにいと小家がちに】- 「げに」という言葉は源氏と語り手のどちらの感想ともとれる表現。
【むつかしげなるわたりの】- 格助詞「の」同格を表す。
【このもかのも】- 『源氏釈』は「筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君が御蔭にます蔭はなし」(古今集東歌 一〇九五 常陸歌)を指摘。他に『河海抄』は「山風の吹きのまにまに紅葉ばはこのもかのもに散りぬべらなり」(後撰集秋下 四〇六 読人しらず)を指摘する。「このもかのも」は歌語。
1.1.10 「気の毒な花の運命よ。
一房手折ってまいれ」
「気の毒な運命の花だね。一枝折ってこい」 【口惜しの花の契りや。一房折りて参れ】- 源氏の詞。夕顔という花の名は、ひとかどの身分を持っていながら卑しい界隈に身を落として咲くという花だから。非運な花よ。後に登場してくる女主人公夕顔の身の上を象徴する。
1.1.11
とのたまへば、この()()げたる(かど)()りて()
とおっしゃるので、この押し上げてある門から入って折る。
と源氏が言うと、蔀風の門のある中へはいって随身は花を折った。
【門に入りて折る】- 主語は御隋身。夕顔の花を手折る。
1.1.12
さすがに、されたる遣戸口(やりどぐち)に、()なる生絹(すずし)単袴(ひとへばかま)(なが)()なしたる(わらは)をかしげなる()()て、うち(まね)
(しろ)(あふぎ)いたうこがしたるを、
そうは言うものの、しゃれた遣戸口に、黄色い生絹の単重袴を、長く着こなした女童で、かわいらしげな子が出て来て、ちょっと招く。
白い扇でたいそう香を薫きしめたのを、
ちょっとしゃれた作りになっている横戸の口に、黄色の生絹の袴を長めにはいた愛らしい童女が出て来て随身を招いて、白い扇を色のつくほど薫物で燻らしたのを渡した。 【さすがに、されたる】- 「さすがに」という言葉は源氏と語り手のどちらの目から見た感想ともとれる表現。粗末な家とはいうものの、の意。
【遣戸口】- 遣戸は身分の低い者の家の戸。立派な寝殿造りでは妻戸。遣戸は寝殿の北側や裏手に付けられている。
【童の】- 女の童。格助詞「の」同格を表す。
【をかしげなる】- 連体形、主語となって下文に係る。
【うち招く】- 『完訳』は「秋の野の草の袂か花薄ほに出でて招く袖と見ゆらむ」(古今集秋上 二四三 在原棟梁)や唐代伝奇『任氏伝』を指摘する。
【白き扇の】- 格助詞「の」同格を表す。
1.1.13 「これに載せて差し上げなさいね。
枝も風情なさそうな花ですもの」
「これへ載せておあげなさいまし。手で提げては不恰好な花ですもの」 【これに置きて】- 以下「情けなげなめる花を」まで、女童の詞。
【情けなげなめる花を】- 「なめる」は「なるめる」が撥音便化して「なんめる」さらに「ん」の無表記形。断定の助動詞「なる」連体形+推量の助動詞「める」連体形、主観的推量を表す。間投助詞「を」詠嘆の意を表す。
1.1.14
とて()らせたれば門開(かどあ)けて惟光朝臣出(これみつのあそんい)()たるして(たてまつ)らす。
と言って与えたところ、門を開けて惟光朝臣が出て来たのを取り次がせて、差し上げさせる。
随身は、夕顔の花をちょうどこの時門をあけさせて出て来た惟光の手から源氏へ渡してもらった。 【取らせたれば】- 緩やかな順接。与えたところ、門をあけて云々と続く。
【惟光朝臣出で来たるして】- 格助詞「して」--に命じて、--を使って、の意。御随身は、ちょうどそこへ惟光朝臣が出て来たので、惟光から源氏に、という意。「出て来たる惟光の朝臣して」の語順を転換した構文。惟光の登場を強調した表現である。
1.1.15
(かぎ)()きまどはしはべりていと不便(ふびん)なるわざなりや
もののあやめ()たまへ()くべき(ひと)もはべらぬわたりなれど、らうがはしき大路(おほぢ)()ちおはしまして」とかしこまり(まう)す。
「鍵を置き忘れまして、大変にご迷惑をお掛けいたしました。
どなた様と分別申し上げられる者もおりませぬ辺りですが、ごみどみした大路にお立ちあそばして」とお詫び申し上げる。
「鍵の置き所がわかりませんでして、たいへん失礼をいたしました。よいも悪いも見分けられない人の住む界わいではございましても、見苦しい通りにお待たせいたしまして」
 と惟光は恐縮していた。
【鍵を置きまどはしはべりて】- 以下「立ちおはしまして」まで、惟光の挨拶。表門は普段は使用しないので、鍵がどこにあるか分からなかった、という言い訳。
【いと不便なるわざなりや】- 終助詞「や」詠嘆。
1.1.16
()()れて、()りたまふ
惟光(これみつ)(あに)阿闍梨(あざり)婿(むこ)三河守(みかはのかみ)(むすめ)など(わた)(つど)ひたるほどに、かくおはしましたる(よろこ)びを、またなきことにかしこまる。
車を引き入れて、お下りになる。
惟光の兄の阿闍梨や、娘婿の三河守、娘などが、寄り集まっているところに、このようにお越しあそばされたお礼を、この上ないことと恐縮して申し上げる。
車を引き入れさせて源氏の乳母の家へ下りた。惟光の兄の阿闍梨、乳母の婿の三河守、娘などが皆このごろはここに来ていて、こんなふうに源氏自身で見舞いに来てくれたことを非常にありがたがっていた。
【引き入れて、下りたまふ】- 惟光の邸宅に牛車を引き入れて、建物の入り口で下りる。
【惟光が兄の阿闍梨、婿の三河守、娘など】- 惟光の兄の阿闍梨、尼君の娘婿の三河守、尼君の娘など、大弐乳母の子供たちが集まっている。
1.1.17 尼君も起き上がって、
尼も起き上がっていた。 【尼君も起き上がりて】- 病床から身を起こして。貴人を迎える礼儀。
1.1.18
()しげなき()なれど()てがたく(おも)うたまへつることは、ただ、かく御前(おまへ)にさぶらひ御覧(ごらん)ぜらるること(かは)りはべりなむこと口惜(くちを)しく(おも)ひたまへ、たゆたひしかど、()むことのしるしによみがへりてなむかく(わた)りおはしますを、()たまへはべりぬれば(いま)なむ阿弥陀仏(あみだぶつ)御光(おほんひかり)も、心清(こころきよ)()たれはべるべき
「惜しくもない身の上ですが、出家しがたく存じておりましたことは、ただ、このようにお目にかかり、御覧に入れる姿が変わってしまいますことを残念に存じて、ためらっておりましたが、受戒の効果があって生き返って、このようにお越しあそばされましたのを、お目にかかれましたので、今は、阿弥陀様のご来迎も、心残りなく待つことができましょう」
「もう私は死んでもよいと見られる人間なんでございますが、少しこの世に未練を持っておりましたのはこうしてあなた様にお目にかかるということがあの世ではできませんからでございます。尼になりました功徳で病気が楽になりまして、こうしてあなた様の御前へも出られたのですから、もうこれで阿弥陀様のお迎えも快くお待ちすることができるでしょう」 【惜しげなき身なれど】- 以下「待たれはべるべき」まで、尼君の詞。源氏のお見舞いに対する感謝の挨拶。
【捨てがたく思うたまへつること】- 大島本「すてかたくおもふたまへつる事」とある。「思う」は「思ひ」(連用形)のウ音便化。謙譲の補助動詞「たまへ」(下二段活用、連用形)。完了の助動詞「つる」(連体形)。存じておりました。『集成』は「思うたまへ」と整定。『新大系』は「思ふ(う)たまへ」と底本を生かし、『古典セレクション』は他本に従って「思ひたまへ」と改める。
【かく御前にさぶらひ】- 「御前」は源氏をさす。「さぶらひ」の主語は自分尼君。
【御覧ぜらるること】- 受身の助動詞「らるる」連体形。源氏から見られる、意。
【変りはべりなむこと】- 完了の助動詞「な」未然形、確述、推量の助動詞「む」連体形、推量の意。
【よみがへりてなむ】- 係助詞「なむ」は下に「はべる」などの語が省略されていると解される。
【見たまへはべりぬれば】- 謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、丁寧の補助動詞「はべり」連用形、完了の助動詞「ぬれ」已然形、原因理由を表す。
【今なむ】- 係助詞「なむ」は「待たれはべるべき」連体形に係る。係り結びの法則。
【阿弥陀仏】- 底本の大島本には「あみた仏」とある。読みは「あみだぼとけ」か、または「あみだぶつ」か不明。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「あみだほとけ」と読んでいる。
【待たれはべるべき】- 可能の助動詞「れ」連用形。
1.1.19
など()こえて、(よわ)げに()く。
などと申し上げて、弱々しく泣く。
などと言って弱々しく泣いた。
1.1.20
()ごろ、おこたりがたくものせらるるを(やす)からず(なげ)きわたりつるにかく、()(はな)るるさまにものしたまへば、いとあはれに口惜(くちを)しうなむ
命長(いのちなが)くて、なほ位高(くらゐたか)くなど()なしたまへ。
さてこそ九品(ここのしな)(かみ)にも(さは)りなく()まれたまはめ。
この()にすこし(うら)(のこ)るは、()ろきわざとなむ()く」など、(なみだ)ぐみてのたまふ。
「いく日も、思わしくなくおられるのを、案じて心痛めていましたが、このように、世を捨てた尼姿でいらっしゃると、まことに悲しく残念です。
長生きをして、さらにわたしの位が高くなるのなども御覧下さい。
そうしてから、九品浄土の最上位にも、差し障りなくお生まれ変わりなさいさい。
この世に少しでも執着が残るのは、悪いことと聞いております」などと、涙ぐんでおっしゃる。
「長い間恢復しないあなたの病気を心配しているうちに、こんなふうに尼になってしまわれたから残念です。長生きをして私の出世する時を見てください。そのあとで死ねば九品蓮台の最上位にだって生まれることができるでしょう。この世に少しでも飽き足りない心を残すのはよくないということだから」
 源氏は涙ぐんで言っていた。
【日ごろ、おこたりがたく】- 以下「悪ろきわざとなむ聞く」まで、源氏の見舞いの詞。
【ものせらるるを】- 主語はあなた尼君。尊敬の補助動詞「らるる」連体形。尊敬の補助動詞「たまふ」四段活用よりも軽い敬意。「おられる」くらいの意。
【安からず嘆きわたりつるに】- 主語は自分源氏。接続助詞「に」弱い逆接を表す。お姿を拝して少しは安心したが、しかしこのように、というニュアンスで下文に続く。
【口惜しうなむ】- 係助詞「なむ」の下には「思ふ」また「思ひ給ふる」などの語(連体形)が省略されている。
【なほ位高くなど】- わたしの位が高くなるのなどをの意。「高く」の下に「なりなむを」などの語句が省略された形。大島本「なと」とあるが、『集成』『古典セレクション』は他本に従って「なども」と改める。『新大系』は底本のまま。
【さてこそ】- 副詞「さて」そうじう状態で、そうあって、の意。係助詞「こそ」と共に「生まれたまはめ」已然形に係る係り結びの法則。
【九品の上にも】- 九品浄土の最上位、極楽浄土の上品上生。
1.1.21
かたほなるをだに乳母(めのと)やうの(おも)ふべき(ひと)は、あさましうまほに()なすものを、まして、いと面立(おもだ)たしうなづさひ(つか)うまつりけむ()も、いたはしうかたじけなく(おも)ほゆべかめればすずろに(なみだ)がちなり。
不出来な子でさえも、乳母のようなかわいがるはずの人には、あきれるくらいに完全無欠に思い込むものを、まして、まことに光栄にも、親しくお世話申し上げたわが身も、大切にもったいなく思われるようなので、わけもなく涙に濡れるのである。
欠点のある人でも、乳母というような関係でその人を愛している者には、それが非常にりっぱな完全なものに見えるのであるから、まして養君がこの世のだれよりもすぐれた源氏の君であっては、自身までも普通の者でないような誇りを覚えている彼女であったから、源氏からこんな言葉を聞いてはただうれし泣きをするばかりであった。
【かたほなるをだに】- 以下「すずろに涙がちなり」まで、語り手の乳母に対する批評を含んだ表現。「--だに--まして--」という構文。副助詞「だに」最小限を表す。「べき」「べかめる」は語り手の感情移入の語。『岷江入楚』は「草子の地歟」と注す。
【いと面立たしう】- 源氏の君の乳母となったことを光栄だと思う。
【思ほゆべかめれば】- 「べかめる」は推量の助動詞「べかる」連体形+推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の形。「べかる」の「る」が撥音便化し、さらに「ん」が無表記の形。
1.1.22
()どもはいと見苦(みぐる)しと(おも)ひて、(そむ)きぬる()()りがたきやうに、みづからひそみ御覧(ごらん)ぜられたまふ」と、つきしろひ()くはす。
子供たちは、とてもみっともないと思って、「捨てたこの世に未練があるようで、ご自身から泣き顔をお目にかけていなさる」と言って、突き合い目配せし合う。
息子や娘は母の態度を飽き足りない歯がゆいもののように思って、尼になっていながらこの世への未練をお見せするようなものである、俗縁のあった方に惜しんで泣いていただくのはともかくもだがというような意味を、肱を突いたり、目くばせをしたりして兄弟どうしで示し合っていた。
【子どもは】- 大弐の乳母の子供たち。
【背きぬる世の】- 以下「御覧ぜられたまふ」まで、乳母の子供たちの詞。
【御覧ぜられたまふ】- 受身の助動詞「られ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」、話者(子供たち)の乳母(母親)に対する敬意。「御覧ず」は源氏の君を想定した表現。
1.1.23 源氏の君は、とてもしみじみと感じられて、
源氏は乳母を憐んでいた。 【いとあはれと思ほして】- 「あはれ」は、しみじみといたわしい気持ち。「思ほす」は「思ふ」の尊敬表現。
1.1.24
いはけなかりけるほどに(おも)ふべき(ひと)びとのうち()ててものしたまひにけるなごり、(はぐく)(ひと)あまたあるやうなりしかど(した)しく(おも)(むつ)ぶる(すぢ)は、またなくなむ(おも)ほえし
(ひと)となりて(のち)は、(かぎ)りあれば朝夕(あさゆふ)にしもえ()たてまつらず(こころ)のままに(とぶ)らひ(まう)づることはなけれど、なほ(ひさ)しう対面(たいめん)せぬ(とき)は、心細(こころぼそ)くおぼゆるを、さらぬ(わか)れはなくもがな』」
「幼かったころに、かわいがってくれるはずの方々が亡くなってしまわれた後は、養育してくれる人々はたくさんいたようでしたが、親しく甘えられる人は、他にいなく思われました。
成人して後は、きまりがあるので、朝に夕にというようにもお目にかかれず、思い通りにお訪ね申すことはなかったが、やはり久しくお会いしていない時は、心細く思われましたが、『避けられない別れなどはあってほしくないものだ』と思われます」
「母や担母を早く失くした私のために、世話する役人などは多数にあっても、私の最も親しく思われた人はあなただったのだ。大人になってからは少年時代のように、いつもいっしょにいることができず、思い立つ時にすぐに訪ねて来るようなこともできないのですが、今でもまだあなたと長く逢わないでいると心細い気がするほどなんだから、生死の別れというものがなければよいと昔の人が言ったようなことを私も思う」 【いはけなかりけるほどに】- 以下「なくもがな」まで、源氏の詞。源氏は三歳で母桐壺更衣に死別、六歳で祖母に死別。
【思ふべき人びと】- 母親や祖母をさす。
【あるやうなりしかど】- 過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【またなくなむ思ほえし】- あなた(大弐の乳母)以外にはいない。係助詞「なむ」、過去の助動詞「し」連体形に係る係り結びの法則。「思ほゆ」自発の意味がこもる。
【限りあれば】- 高貴な身分から生じるさまざまな制約、きまり。
【朝夕にしもえ見たてまつらず】- 副助詞「しも」強調の意。副助詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。
【さらぬ別れはなくもがな】- 「さらぬ」は避けられない、の意。「避る」の未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。「世の中にさらぬ別れのなくもがな千代もと嘆く人の子のため」(伊勢物語・古今集雑上 九〇一 在原業平)の第二句第三句の文句を助詞を変えて引用する。 【なくもがなとなむ】-大島本「なくもかなとなん」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「など」の語句を補う。『新大系』は底本のまま。係助詞「なむ」は「語らふ」に係るが、下文に続いて係り結びの流れとなっている。
1.1.25
となむ、こまやかに(かた)らひたまひて、おし(のご)ひたまへる(そで)のにほひも、いと所狭(ところせ)きまで(かを)()ちたるに、げに、よに(おも)へばおしなべたらぬ(ひと)御宿世(みすくせ)ぞかしと、尼君(あまぎみ)をもどかしと()つる()ども、(みな)うちしほたれけり。
と、懇ろにお話なさって、お拭いになった袖の匂いも、とても辺り狭しと薫り満ちているので、なるほど、ほんとうに考えてみれば、並々の人でないご運命であったと、尼君を非難がましく見ていた子供たちも、皆涙ぐんだ。
しみじみと話して、袖で涙を拭いている美しい源氏を見ては、この方の乳母でありえたわが母もよい前生の縁を持った人に違いないという気がして、さっきから批難がましくしていた兄弟たちも、しんみりとした同情を母へ持つようになった。
【げに、よに思へば】- 以下「人の御宿世ぞかし」まで、語り手と尼君の子供たちの心理が一体化した表現である。副詞「げに」は源氏がいかに大弐の乳母を大事な人と思っていたかという発言をうける。副詞「よに」は、程度のはなはだしいさま。ほんとうに、とりわけ、の意。
【御宿世】- 大島本「みすくせ」と仮名表記。よって「御」は「み」と読む。
1.1.26
修法(すほふ)など、またまた(はじ)むべきことなど(おき)てのたまはせて、()でたまふとて、惟光(これみつ)紙燭召(しそくめ)して、ありつる御覧(あふぎごらん)ずれば、もて()らしたる(うつ)()いと()(ふか)うなつかしくて、をかしうすさみ()きたり
修法などを、再び重ねて始めるべき事などをお命じあそばして、お立ちになろうとして、惟光に紙燭を持って来させて、先程の扇を御覧になると、使い慣らした主人の移り香が、とても深く染み込んで慕わしくて、美しく書き流してある。
源氏が引き受けて、もっと祈祷を頼むことなどを命じてから、帰ろうとする時に惟光に蝋燭を点させて、さっき夕顔の花の載せられて来た扇を見た。よく使い込んであって、よい薫物の香のする扇に、きれいな字で歌が書かれてある。 【修法】- 大島本「すほう」と表記し、「修法也シユワウトヨムヘシ」と注記する。「従来第一音節を濁って「ずほふ」とするものが多いが、「修」の字音が漢音シウ・呉音シュで、清音であること(中国の中古音でも清音)、「しゅほふ」の場合の「しゅ」も清音であること、接頭語「み」を冠した形が転じて「みしほ」となる場合の「し」も清音であること、濁音表記の比較的に多い首書源氏物語の中の仮名書きの用例三一例がすべて清音表記であることなどからみて、古くは、「ふほふ」と清んでいたらしい。なお源氏物語湖月抄には「ずほふ」<夕霧>などのように、濁った形が認められるから、江戸初期ごろに濁音形が成立したものと思われる(岡崎正継)」(小学館古語大辞典)。『集成』『古典セレクション』は「ずほふ」と濁音に読んでいるが、『新大系』は「すほふ」と清音に読む。
【ありつる扇】- 夕顔の花の咲いていた宿の女から贈られた扇。
【すさみ書きたり】- 大島本「すさみかきたり」とある。『集成』『古典セレクション』は「すさび書きたり」と諸本に従って校訂。『新大系』は底本のまま。大島本において「すさむ」は多く下二段活用語として使用されている。四段活用語「すさむ」は複合語で用いられ、「すさみ書く」は「夕顔」1例。「書きすさむ」は「初音」「浮舟」に各1例ずつあるのみ。「書きすさぶ」は「空蝉」「紅葉賀」「葵」「須磨」「絵合」「蜻蛉」に各1例ずつ、計6例あるが、「すさび書く」の用例はない。
1.1.27 「当て推量に貴方さまでしょうかと思います
白露の光を加えて美しい夕顔の花は」
心あてにそれかとぞ見る白露の
光添へたる夕顔の花
【心あてにそれかとぞ見る白露の--光そへたる夕顔の花】- 女の贈歌。『異本紫明抄』は「心あてに折らばや折らむ初霜の置き惑はせる白菊の花」(古今集秋下 二七七 凡河内躬恒)を指摘する。「白露の光そへたる」という言葉から、光源氏を暗示する。この和歌をめぐっては諸説ある。『新大系』は「この歌の詠み手は夕顔その人ではないとする説、末句を「夕顔の花は」と解して夕顔自身が名告っているとする説、花は女性の隠喩であるとしてこの歌に挑発の気持がこもると見る説、男を元の愛人(頭中将)かと女が推量していると取る説など、諸説がある」と注す。いずれとも解せるところに和歌特有の表現機能がある。
1.1.28
そこはかとなく()(まぎ)らはしたるも、あてはかにゆゑづきたればいと(おも)ひのほかに、をかしうおぼえたまふ。
惟光(これみつ)に、
誰とも分からないように書き紛らわしているのも、上品に教養が見えるので、とても意外に、興味を惹かれなさる。
惟光に、
散らし書きの字が上品に見えた。少し意外だった源氏は、風流遊戯をしかけた女性に好感を覚えた。惟光に、 【ゆゑづきたれば】- 「ゆゑづく」は趣きがそなわっている、奥ゆかしい、意。
1.1.29 「この家の西にある家にはどんな者が住んでいるのか。
尋ね聞いているか」
「この隣の家にはだれが住んでいるのか、聞いたことがあるか」 【この西なる家は】- 以下「問ひ聞きたりや」まで、源氏の詞。助動詞「なる」連体形は「にあり」の約。存在を表す。
【何人の住むぞ】- 係助詞「ぞ」は疑問の語(「何人」)と共に用いて問いただす意を表す。
【問ひ聞きたりや】- 完了の助動詞「たり」終止形、存続の意。係助詞「や」疑問の意を表す。
1.1.30
とのたまへば、(れい)のうるさき御心(みこころ)とは(おも)へども、えさは(まう)さで
とお尋ねになると、いつもの厄介なお癖とは思うが、そうは申し上げず、
と言うと、惟光は主人の例の好色癖が出てきたと思った。 【例のうるさき御心】- 「例の」とあることによって、源氏と惟光の親密な関係や普段の源氏の行動が過去に遡って想像される表現である。
【えさは申さで】- 大島本「えさハ申さて」とある。副詞「え」は打消の語「で」(否定の接続助詞)と呼応して、不可能の意を表す。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「え」を削除する。『新大系』は底本のまま。惟光は源氏と親しい乳母子の関係にあるとはいえ、はっきりそうと明言することはできないで、というニュアンスがある。
1.1.31
この()六日(ろくにち)ここにはべれど、病者(ばうざ)のことを(おも)うたまへ(あつか)ひはべるほどに、(となり)のことはえ()きはべらず」
「この五、六日この家におりますが、病人のことを心配して看護しております時なので、隣のことは聞けません」
「この五、六日母の家におりますが、病人の世話をしておりますので、隣のことはまだ聞いておりません」 【この五、六日ここに】- 以下「え聞きはべらず」まで、惟光の返答。惟光も日頃は源氏と行動を共にしていて、実家にここ五、六日は帰ってきているとは言っても近所のことはよく知らないという状況。
【病者】- 大島本「はうさ」と表記し、「病者也ヒヤウシヤトヨムヘシ」と注記する。「ばうざ」は「びょうじゃ」の直音表記。
【思うたまへ扱ひはべる】- 「思う」は「思ひ」(連用形)がイ音便化し、さらに「う」と表記された形。謙譲の補助動詞「たまへ」下二段活用、連用形。丁寧の補助動詞「はべる」連体形。
1.1.32
など、はしたなやかに()こゆれば、
などと、無愛想に申し上げるので、
惟光が冷淡に答えると、源氏は、 【はしたなやかに】- 取りつく島もない、無愛想だ、という意。
1.1.33
(にく)しとこそ(おも)ひたれな
されど、この(あふぎ)(たづ)ぬべきゆゑありて()ゆるを
なほ、このわたりの心知(こころし)れらむ(もの)()して()へ」
「気に入らないと思っているな。
けれど、この扇について、尋ねなければならない理由がありそうに思われるのですよ。
やはり、この界隈の事情を知っていそうな者を呼んで尋ねよ」
「こんなことを聞いたのでおもしろく思わないんだね。でもこの扇が私の興昧をひくのだ。この辺のことに詳しい人を呼んで聞いてごらん」 【憎しとこそ思ひたれな】- 以下「召して問へ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」は完了の助動詞「たれ」已然形に係る。係結びの法則。終助詞「な」詠嘆を表す。「憎し」は気に入らない、見苦しい、などの意。わたしの言うことがあなたは気に入らないのだな、あるいは、わたしの言うことがみっともないというのだな、というニュアンス。
【されど、この扇の】- 逆接の接続助詞。格助詞「の」動作の対象を表す。この扇について、の意。
【見ゆるを】- 間投助詞「を」詠嘆の意を表す。
【心知れらむ者を】- 四段動詞「心知れ」已然形(あるいは命令形)+完了の助動詞「ら」未然形、存続の意+推量の助動詞「む」連体形。
1.1.34
とのたまへば、()りてこの宿守(やどもり)なる(をのこ)()びて()()く。
とおっしゃるので、入って行って、この家の管理人の男を呼んで尋ねる。
と言った。はいって行って隣の番人と逢って来た惟光は、 【入りて】- 主語は惟光。奥に入っていって、母の家の管理人(宿守)に尋ねる。
【この宿守なる男】- 乳母の家の管理人。
1.1.35
揚名介(やうめいのすけ)なる(ひと)(いへ)になむはべりける。
(をとこ)田舎(ゐなか)にまかりて()なむ(わか)事好(ことこの)みて、はらからなど宮仕人(みやづかへびと)にて来通(きかよ)ふ、(まう)す。
(くは)しきことは、下人(しもびと)()りはべらぬにやあらむ」と()こゆ。
「揚名介である人の家だそうでございました。
男は地方に下向して、妻は若く派手好きで、その姉妹などが宮仕え人として行き来している、と申します。
詳しいことは、下人にはよく分からないのでございましょう」と申し上げる。
「地方庁の介の名だけをいただいている人の家でございました。主人は田舎へ行っているそうで、若い風流好きな細君がいて、女房勤めをしているその姉妹たちがよく出入りすると申します。詳しいことは下人で、よくわからないのでございましょう」
 と報告した。
【揚名介なる人の】- 以下「にやあらむ」まで、惟光の返答。「揚名介」は名前だけで実務や俸給も伴わない地方官の次官で、名誉職。裕福な者がお金を収めてその名をもらった。
【男は田舎にまかりて】- 以下「宮仕人にて来通ふ」まで下人の報告を惟光が引用して報告。西隣の家の主人。「田舎にまかりて」は商用などのために地方に下っているのであろう。
【え知りはべらぬにやあらむ】- 副詞「え」打消の語「ぬ」と共に用いられて不可能の意を表す。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形。係助詞「や」疑問の意で、推量の助動詞「む」連体形に係る。
1.1.36
さらば、その宮仕人(みやづかへびと)ななり
したり(がほ)にもの()れて()へるかな」と、めざましかるべき(きは)にやあらむ」と(おぼ)せど、さして()こえかかれる(こころ)の、(にく)からず()ぐしがたきぞ、(れい)この(かた)には(おも)からぬ御心(みこころ)なめるかし。
御畳紙(おほんたたうがみ)にいたうあらぬさまに()()たまひて、
「それでは、その宮仕人のようだ。
得意顔になれなれしく詠みかけてきたものよ」と、「きっと興覚めしそうな身分ではなかろうか」とお思いになるが、名指して詠みかけてきた気持ちが、憎からず見過ごしがたいのが、例によって、こういった方面には、重々しくないご性分なのであろう。
御畳紙にすっかり別筆にお書きになって、
ではその女房をしているという女たちなのであろうと源氏は解釈して、いい気になって、物馴れた戯れをしかけたものだと思い、下の品であろうが、自分を光源氏と見て詠んだ歌をよこされたのに対して、何か言わねばならぬという気がした。というのは女性にはほだされやすい性格だからである。懐紙に、別人のような字体で書いた。 【さらば、その】- 以下「際にやあらむ」まで、源氏の心に添った叙述。
【宮仕人ななり】- 断定の助動詞「なる」連体形「る」の撥音便化さらに無表記の形+伝聞推定の助動詞「なり」終止形。宮仕え人であるらしいの意。
【言へるかな】- 「言ふ」は歌を詠むこと。「言へ」已然形、完了の助動詞「る」連体形、存続の意、終助詞「かな」詠嘆の意。
【めざましかるべき際にやあらむ】- 形容詞「目覚まし」は「本来は、単に目が覚めるほど意外だという意だったが、平安文学などの用例では、階級意識・上下意識に支えられており、上者から見て、下者の言動に身分・分際を越えたものがあると感じられた場合に、用いられている。従って、けなすときには、身の程を知らない失敬なことだという感じ、また、ほめるときには、身分の低いわりには大したものだという感じを伴う」(小学館古語大辞典)。ここでは、興味がそがれる、意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形。『新大系』は「源氏は、宮仕え人だとしても低い分際の女だろうと思い、興ざめしている」と注す。
【例の】- 以下「御心なめるかし」まで、語り手の源氏の性格に対する批評を交えた表現。「なめる」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化さらに無表記の形+推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の意。終助詞「かし」念押しの意。『岷江入楚』所引の三光院実枝説は「作者の評なり」と指摘する。『評釈』は「君がこう思って、それでやめてしまったら、物語にならない。「例の、このかたに」と、ことわって、作者は君に返歌さすのである」と注す。
【あらぬさまに書き変へ】- 返歌の主が源氏と知られないように書き紛らす。『新大系』は「あらぬ筆跡の返歌をさっきの随身に持たせることによって、この随身が仕える人は女が考えるような光源氏ではない、という重要なアピールになる」と注す。
1.1.37 「もっと近寄って誰ともはっきり見たらどうでしょう
黄昏時にぼんやりと見えた花の夕顔を」
寄りてこそそれかとも見め黄昏れに
ほのぼの見つる花の夕顔
【寄りてこそそれかとも見めたそかれに--ほのぼの見つる花の夕顔】- 源氏の返歌。「それかとぞ見る」を「それかとも見め」、「夕顔の花」を「花の夕顔」と言い換えて返す。「見る」及び「花の夕顔」の主体また客体を誰と解するかによって解釈が別れる。和歌とはそもそも多義性をはらんだ表現世界である。したがって、第一義的には何をいい、副次的また裏の意で何と言っているのか、考えておく必要がある。『古典セレクション』は「見る」の主語を自分とし「夕顔」を相手と解して「もっと近くに寄って、はっきりお目にかかろうと思います。夕暮時にぼんやりと見た花の夕顔を」と訳す。反対に『新大系』は「見る」の主語を相手とし「夕顔」を自分と解して「近くに寄って見て誰それかと分かろうものですよ、黄昏時にぼんやりとご覧になったばかりの花の(花みたいに美しい)夕顔(夕方の顔)をね」と訳す。贈答歌の返歌は相手の言葉を引用しながらそれをずらして用いて切り返すのが常套。相手にもっと近づいてはっきりわたしをみたらどうですか、という挑み返した歌。
1.1.38 先程の御随身をお遣わしになる。
花を折りに行った随身に持たせてやった。
【ありつる御随身して】- 花を折りに夕顔の宿に入っていって女童から扇を受け取った随身。
1.1.39
まだ()(おほん)さまなりけれど、いとしるく(おも)ひあてられたまへる御側目(おほんそばめ)見過(みす)ぐさでさしおどろかしけるを、(いら)へたまはでほど()ければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、「いかに()こえむ」など()ひしろふべかめれどめざましと(おも)ひて、随身(ずいじん)(まゐ)りぬ。
まだ見たことのないお姿であったが、まことにはっきりと推察されなさるおん横顔を見過ごさないで、さっそく詠みかけたのに、返歌を下さらないで時間が過ぎたので、何となく体裁悪く思っていたところに、このようにわざわざ来たというふうだったので、いい気になって、「何と申し上げよう」などと言い合っているようだが、生意気なと思って、随身は帰参した。
夕顔の花の家の人は源氏を知らなかったが、隣の家の主人筋らしい貴人はそれらしく思われて贈った歌に、返事のないのにきまり悪さを感じていたところへ、わざわざ使いに返歌を持たせてよこされたので、またこれに対して何か言わねばならぬなどと皆で言い合ったであろうが、身分をわきまえないしかただと反感を持っていた随身は、渡す物を渡しただけですぐに帰って来た。 【まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御側目を見過ぐさで】- 視点は夕顔の宿の女に移り、源氏が返歌してくるまでの間を語る。「御さま」「御側目」は源氏をさす。「見過ぐす」の主語は夕顔の宿の女。夕顔の宿の女方は、まだ見たこともない源氏の姿であっが、実にはっきりと、その人と推察して歌を詠みかけたが、というふうに語り手は叙述する。
【言ひしろふべかめれど】- 「べか」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量の主体者は御随身。
1.1.40
御前駆(おほんさき)松明(まつ)ほのかにていと(しの)びて()でたまふ
半蔀(はじとみ)()ろしてけり
隙々(ひまひま)より()ゆる()(ひかり)(ほたる)よりけにほのかにあはれなり。
御前駆の松明を弱く照らして、とてもひっそりとお出になる。
半蔀は既に下ろされていた。
隙間隙間から見える灯火の明りは、蛍よりもさらに微かでしみじみとした思いである。
前駆の者が馬上で掲げて行く松明の明りがほのかにしか光らないで源氏の車は行った。高窓はもう戸がおろしてあった。その隙間から蛍以上にかすかな灯の光が見えた。 【松明ほのかにて】- 目立たぬように配慮したもの。
【いと忍びて出でたまふ】- 源氏一行は大弐乳母の家を出て六条辺りのお忍び所に向かう。
【半蔀は下ろしてけり】- 前に「半蔀四五間ばかり上げわたして」とあった夕顔の宿の半蔀。完了の助動詞「て」連用形。過去の助動詞「けり」終止形。見る者からは軽い失望のニュアンスが伝わってくる。
【蛍よりけにほのかに】- 『河海抄』は「夕されば蛍よりけに燃ゆれども光見ねばや人のつれなき」(古今集 恋二 五六二 紀友則)を指摘する。五条界隈の単なる風景描写に留まらず、この引歌の語句から背後に源氏のこの宿の女に対する恋の思いが裏打ちされている。
1.1.41
御心(みこころ)ざしの(ところ)には、木立前栽(こだちせんさい)など、なべての(ところ)()ず、いとのどかに(こころ)にくく()みなしたまへり。
うちとけぬ(おほん)ありさまなどの、気色(けしき)ことなるに、ありつる垣根(かきねおも)ほし()でらるべくもあらずかし
お目当ての所では、木立や前栽などが、世間一般の所とは違い、とてもゆったりと奥ゆかしく住んでいらっしゃる。
気の置けるご様子などが、他の人とは格別なので、先程の垣根の女などはお思い出されるはずもない。
源氏の恋人の六条貴女の邸は大きかった。広い美しい庭があって、家の中は気高く上手に住み馴らしてあった。まだまったく源氏の物とも思わせない、打ち解けぬ貴女を扱うのに心を奪われて、もう源氏は夕顔の花を思い出す余裕を持っていなかったのである。
【御心ざしの所】- 冒頭の「六条わたりの御忍びありき」の女性。
【前栽】- 「平安時代にはセンサイと清音」(岩波古語辞典)。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せんざい」と濁音に読む。
【うちとけぬ御ありさま】- 打消の助動詞「ぬ」連体形。近寄りがたい、気骨が折れる、意。
【ありつる垣根】- さきほどの夕顔の宿の女。譬喩表現。
【思ほし出でらるべくもあらずかし】- 自発の助動詞「らる」終止形、推量の助動詞「べく」連用形、当然の意、係助詞「も」強調の意、打消の助動詞「ず」終止形、終助詞「かし」念押しの意。語り手の口吻が伝わってくる。
1.1.42
翌朝(つとめて)すこし寝過(ねす)ぐしたまひて()さし()づるほどに()でたまふ。
朝明(あさけ)姿(すがた)は、げに(ひと)のめできこえむも、ことわりなる(おほん)さまなりけり。
翌朝、少しお寝過ごしなさって、日が差し出るころにお帰りになる。
朝帰りの姿は、なるほど世間の人がお褒め申し上げるようなのも、ごもっともなお美しさであった。
早朝の帰りが少しおくれて、日のさしそめたころに出かける源氏の姿には、世間から大騒ぎされるだけの美は十分に備わっていた。 【翌朝、すこし寝過ぐしたまひて】- 六条辺りの貴婦人の邸に泊まった。「寝過ごす」とは夫婦きどりの愛人宅である。
【朝明の姿】- 朝の光の中に映し出された姿形。まぶしいほど美しい様子。『河海抄』は「わがせこが朝明の姿よく見ずて今日の間を恋ひ暮らすかも」(万葉集巻十二 二八五二)を指摘する。歌語。
1.1.43 今日もこの半蔀の前をお通り過ぎになる。
今までにも通り過ぎなさった辺りであるが、わずかちょっとしたことでお気持ちを惹かれて、「どのような女が住んでいる家なのだろうか」と思っては、行き帰りにお目が止まるのであった。
今朝も五条の蔀風の門の前を通った。以前からの通り路ではあるが、あのちょっとしたことに興味を持ってからは、行き来のたびにその家が源氏の目についた。
【今日もこの蔀の前渡りしたまふ】- 「この蔀」は夕顔の宿の半蔀。その前を素通りする。
【来し方も過ぎたまひけむわたり】- 今までにも六条辺りへのお忍び通いの折には通った所、の意。
【ただはかなき一ふしに】- 夕顔の宿の女が扇に和歌を書き付けて寄こしたことをさす。
【いかなる人の住み処ならむ】- 源氏の心。

第二段 数日後、夕顔の宿の報告

1.2.1
惟光(これみつ)日頃(ひごろ)ありて(まゐ)れり。
惟光が、数日して参上した。
幾日かして惟光が出て来た。
1.2.2
わづらひはべる(ひと)なほ(よわ)げにはべれば、とかく()たまへあつかひてなむ
「患っております者が、依然として弱そうでございましたので、いろいろと看病いたしておりまして」
「病人がまだひどく衰弱しているものでございますから、どうしてもそのほうの手が離せませんで、失礼いたしました」 【わづらひはべる人】- 以下「あつかひてなむ」まで、惟光の挨拶。「わづらひはべる人」とは惟光の母親のこと。
【見たまへあつかひてなむ】- 大島本「見たまひあつかひてなむ」とある。主語は話者の惟光であるから「たまひ」(四段活用、尊敬の補助動詞)は不適切。誤写と認めて謙譲の補助動詞「たまへ」(下二段活用)に改める。『新大系』『古典セレクション』は底本のまま。『集成』は「見たまへあつかひてなむ」と校訂する。複合語「見あつかふ」の間に謙譲の補助動詞「たまへ」下二段の連用形が介在した形。係助詞「なむ」の下に「はべりける」あるいは「えまうで来ざりける」などの語句が省略。言いさした形。
1.2.3 などと、ご挨拶申し上げて、近くに上って申し上げる。
こんな挨拶をしたあとで、少し源氏の君の近くへ膝を進めて惟光朝臣は言った。 【近く参り寄りて聞こゆ】- 内緒話のおもむき。
1.2.4
(おほ)せられしのちなむ(となり)のこと()りてはべる(もの)()びて()はせはべりしかど、はかばかしくも(まう)しはべらず。
いと(しの)びて五月(さつき)のころほひよりものしたまふ(ひと)なむあるべけれどその(ひと)とは、さらに(いへ)(うち)(ひと)にだに()らせずとなむ(まう)
「仰せ言のございました後に、隣のことを知っております者を、呼んで尋ねさせましたが、はっきりとは申しません。
『ごく内密に、五月のころからおいでの方があるようですが、誰それとは、全然その家の内の人にさえ知らせません』と申します。
「お話がございましたあとで、隣のことによく通じております者を呼び寄せまして、聞かせたのでございますが、よくは話さないのでございます。この五月ごろからそっと来て同居している人があるようですが、どなたなのか、家の者にもわからせないようにしていますと申すのです。 【仰せられしのちなむ】- 以下「しるく見えはべる」まで、惟光の報告。「仰せ」の主語は源氏。仰せ言。過去の助動詞「し」連体形。係助詞「なむ」は「呼びて問はせ」に係るが、下文に続いて結びの流れ。
【いと忍びて】- 以下「知らせず」まで、隣の事情を知っている者の話を間接的に惟光が語る。前の、宿守の揚名介の家で宮仕え人が行き来しているという情報とどう関わるのか、やや不分明。あれは誤情報で、これが真実ということか。
【人なむあるべけれど】- 係助詞「なむ」は「ある」連体形に係るが、下文「べけれど」に続いて結びの流れ。
【さらに家の内の人にだに知らせず】- 副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」終止形、と呼応して、ぜんぜん、まったく--ない、の意を表す。副助詞「だに」最小限、--にさえ、の意を表す。
【となむ申す】- 係助詞「なむ」は「申す」連体形に係る、係り結びの法則。
1.2.5 時々、中垣から覗き見いたしますと、なるほど、若い女たちの透き影が見えます。
褶めいた物を、申しわけ程度にひっかけているので、仕えている主人がいるようでございます。
時々私の家との間の垣根から私はのぞいて見るのですが、いかにもあの家には若い女の人たちがいるらしい影が簾から見えます。主人がいなければつけない裳を言いわけほどにでも女たちがつけておりますから、主人である女が一人いるに違いございません。 【時々、中垣のかいま見しはべるに】- 以下、惟光の観察の報告である。丁寧の補助動詞「はべり」は謙譲のニュアンス。接続助詞「に」順接、--すると、の意。
【げに若き女どもの】- 副詞「げに」は隣のことを知っている者が申したとおり、の意。
【褶だつもの】- 褶<しびら>は上裳。主人の前に出る時に下裳の上に付けるという。それを付けていたというので、主人のいることが分かる。
【かことばかり】- 大島本「かう(う$こ<朱>)とハかり」とある。「かこと」は「カコト」[Cacoto]「カゴト」[Cagoto](日葡辞書)両方ある。『集成』『新大系』は「かことばかり」と清音で読む。『古典セレクション』は「かごとばかり」と濁音で読んでいる。
【引きかけて】- 接続助詞「て」順接、原因・理由を表す。--ところから、--ので。
【かしづく人はべるなめり】- 若い女たちがお仕えしている主人。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形と推量の助動詞「めり」終止形は話者惟光の主観的のニュアンス。
1.2.6
昨日(きのふ)夕日(ゆふひ)のなごりなくさし()りてはべりしに文書(ふみか)くとてゐてはべりし(ひと)の、(かほ)こそいとよくはべりしか
もの(おも)へるけはひして、ある(ひと)びとも(しの)びてうち()さまなどなむ、しるく()えはべる
昨日、夕日がいっぱいに射し込んでいました時に、手紙を書こうとして座っていました女人の顔が、とてもようございました。
憂えに沈んでいるような感じがして、側にいる女房たちも涙を隠して泣いている様子などが、はっきりと見えました」
昨日夕日がすっかり家の中へさし込んでいました時に、すわって手紙を書いている女の顔が非常にきれいでした。物思いがあるふうでございましたよ。女房の中には泣いている者も確かにおりました」 【さし入りてはべりしに】- 「はべり」連用形は「あり」の丁寧語。過去の助動詞「し」連体形、下に「時」などの語が省略。格助詞「に」は時を表す。
【顔こそいとよくはべりしか】- 係助詞「こそ」は過去の助動詞「しか」已然形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。
【ある人びとも】- 「ある」は、側にいる意。
【さまなどなむ、しるく見えはべる】- 係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。
1.2.7
()こゆ。
(きみ)うち()みたまひて、()らばや」と(おも)ほしたり
と申し上げる。
源氏の君はにっこりなさって、「知りたいものだ」とお思いになった。
源氏はほほえんでいたが、もっと詳しく知りたいと思うふうである。 【知らばや】- 終助詞「ばや」は自分の願望を表す。
【思ほしたり】- 「思ほし」連用形は「思ふ」の尊敬表現。完了の助動詞「たり」終止形。
1.2.8 ご声望こそ重々しいはずのご身分であるが、ご年齢のほど、女性たちがお慕いしお褒め申し上げている様子などを考えると、興味をお感じにならないのも、風情がなくきっと物足りない気がするだろうが、世間の人が承知しない身分でさえ、やはり、しかるべき身分の人には、興味をそそられるものだから、と思っている。
自重をなさらなければならない身分は身分でも、この若さと、この美の備わった方が、恋愛に興味をお持ちにならないでは、第三者が見ていても物足らないことである。恋愛をする資格がないように思われているわれわれでさえもずいぶん女のことでは好奇心が動くのであるからと惟光は主人をながめていた。 【おぼえこそ重かるべき御身のほどなれど】- 以下「おぼゆるものを」まで、惟光の心に即した視点からの叙述。源氏に対する感想。係助詞「こそ」は「なれ」已然形に係るが、接続助詞「ど」に続いて結びの流れとなっている。
【さまなど思ふには】- 主語は惟光。自問自答。
【好きたまはざらむも】- 主語は源氏。源氏がそのような女性達を。自分惟光のことには敬語はつかない。
【さうざうしかるべしかし】- 推量の助動詞「べし」終止形、終助詞「かし」。句点でもよいところであるが、惟光の心中に沿った一連の文章なので、読点で処理した。
【人のうけひかぬほどにてだに】- 「人」は世間の人、貴族一般。打消の助動詞「ぬ」連体形。「ほど」は低い身分の女性。副助詞「だに」最低限を表し、後文に、まして源氏の君は、というニュアンスを生む。
【なほ、さりぬべきあたりのことは】- 貴族の女性としてある程度の身分の女性には、という意。
【このましうおぼゆるものを】- 主語は惟光自身、一般論。上文の「だに」と呼応して、まして源氏の君はわたし以上に関心を寄せられることだろう、の意。接続助詞「を」順接、原因・理由を表す。
【と思ひをり】- 主語は惟光。
1.2.9 「もしや、何か発見いたすこともありましょうかと、ちょっとした機会を作って、恋文などを出してみました。
書きなれている筆跡で、素早く返事など寄こしました。
たいして悪くはない若い女房たちがいるようでございます」
「そんなことから隣の家の内の秘密がわからないものでもないと思いまして、ちょっとした機会をとらえて隣の女へ手紙をやってみました。するとすぐに書き馴れた達者な字で返事がまいりました、相当によい若い女房もいるらしいのです」 【もし、見たまへ得ることもやはべると】- 以下「若人どもなむはべるめる」まで、惟光の詞。「見たまへ得る」の「たまへ」連用形は謙譲補助動詞。複合動詞「見得る」の間に介在した形。係助詞「も」強調、係助詞「や」疑問の意。「はべる」連体形は「あり」の丁寧語。わたし惟光が何か発見できることがございましょうかと、の意。
【はかなきついで作り出でて】- 夕顔の宿の別の女に関係をつけたことをいう。
【消息など遣はしたりき】- 完了の助動詞「たり」連用形、過去の助動詞「き」終止形、自分の過去の体験のニュアンス。以下にも「しはべりき」と出てくる。
【口とく返り事などしはべりき】- 返歌の反応が早いということは上出来。
【いと口惜しうはあらぬ若人どもなむはべるめる】- 仕えてる女房たちが優れていれば、その女主人の人柄教養も想像され保証される。係助詞「なむ」は推量の助動詞「める」連体形、話者の主観的推量の意に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。
1.2.10
()こゆれば、
と申し上げると、
1.2.11
なほ()()
(たづ)()らでは、さうざうしかりなむ」とのたまふ。
「さらに近づけ。
突き止めないでは、きっと物足りない気がしよう」とおっしゃる。
「おまえは、なおどしどし恋の手紙を送ってやるのだね。それがよい。その人の正体が知れないではなんだか安心ができない」
 と源氏が言った。
【なほ言ひ寄れ】- 以下「さうざうしかりなむ」まで、源氏の詞。惟光に更に探索を命じる。
【さうざうしかりなむ】- 形容「さうざうしかり」連用形。「なむ」は、完了の助動詞「な」未然形、確述の意と推量の助動詞「む」終止形、強調の意を表す。
1.2.12 あの、下層の最下層だと、人が見下した住まいであるが、その中にも、意外に結構なのを見つけたらばと、心惹かれてお思いになるのであった。
家は下の下に属するものと品定めの人たちに言われるはずの所でも、そんな所から意外な趣のある女を見つけ出すことがあればうれしいに違いないと源氏は思うのである。 【かの、下が下と】- 以下「見つけたらば」まで、源氏の心。「帚木」巻に「下のきざみといふ際になれば、ことに耳たたずかし」とあったことを受ける。「人の思ひ捨てし」の「人」は頭中将である(「帚木」第一章二段)。
【その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらば】- 同じく「帚木」巻に「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ」(第一章三段)を受ける。
【めづらしく思ほすなりけり】- 「めづらしく」連用形は、賞美する価値がある、心が惹かれる、意。「おもほす」連体形は「思ふ」の尊敬表現。断定の助動詞「なり」連用形、「過去の助動詞「けり」終止形。

第二章 空蝉の物語


第一段 空蝉の夫、伊予国から上京す

2.1.1
さて、かの空蝉(うつせみ)あさましくつれなきをこの()(ひと)には(たが)ひて(おぼ)すにおいらかならましかば心苦(こころぐる)しき(あやま)ちにてやみぬべきをいとねたく、()けてやみなむを、(こころ)にかからぬ(をり)なし。
かやうの並々(なみなみ)までは(おも)ほしかからざりつるを、ありし「雨夜(あまよ)品定(しなさだ)」の(のち)いぶかしく(おも)ほしなる品々(しなじな)あるに、いとど(くま)なくなりぬる御心(みこころ)なめりかし
ところで、あの空蝉のあきれるほど冷淡だったのを、今の世間一般の女性とは違っているとお思いになると、素直であったならば、気の毒な過ちをしたと思ってやめられようが、まことに悔しく、振られて終わってしまいそうなのが、気にならない時がない。
このような並々の女性までは、お思いにならなかったのだが、先日の「雨夜の品定め」の後は、興味をお持ちになった階層階層があることによって、ますます残る隈なくご関心をお持ちになったようであるよ。
源氏は空蝉の極端な冷淡さをこの世の女の心とは思われないと考えると、あの女が言うままになる女であったなら、気の毒な過失をさせたということだけで、もう過去へ葬ってしまったかもしれないが、強い態度を取り続けられるために、負けたくないと反抗心が起こるのであるとこんなふうに思われて、その人を忘れている時は少ないのである。これまでは空爆階級の女が源氏の心を引くようなこともなかったが、あの雨夜の品定めを聞いて以来好奇心はあらゆるものに動いて行った。 【さて、かの空蝉の】- 「さて」は話題転換。ところで話は変わって、の意。後出の格助詞「の」は、のようにの意。『集成』は「あの、蝉の脱殻のように、小袿だけを残して逃げていった女」と注す。
【あさましくつれなきを】- 格助詞「を」目的格を表す。
【違ひて思すに】- 接続助詞「に」順接を表す。--と、の意。
【おいらかならましかば】- 以下「やみぬべきを」まで、源氏の心に添った語り方。「オイは老いの意。ラカは状態を示す接尾語。年老いて感情が淡く、気持の波立ちが少なくなるように、執心が少なく平静なこと。多く人の性質や態度にいう」(岩波古語辞典)。「ましかば」は反実仮想。
【心苦しき過ちにて】- 『集成』は「出来心からの過ちとしてすませてしまうはずのところを。空蝉がそののち二度も自分を拒んだので、自尊心が許さず、諦められないのである」と注す。
【やみぬべきを】- 接続助詞「を」逆接を表す。
【かやうの並々までは】- 空蝉のような受領の後妻の身分の女性。
【ありし「雨夜の品定め】- 「帚木」巻の「雨夜の品定め」の段をさす。語り手自身このように呼称する。
【御心なめりかし】- 「御心」は源氏の御心。性癖。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押しの意。この話者は語り手。『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「かやうの」から「草子の地」と指摘。『首書源氏物語』所引「或抄」は「いとど」から「地よりいへり」と指摘する。
2.1.2 疑いもせずにお待ち申しているもう一人の女を、いじらしいとお思いにならないわけではないが、何くわぬ顔で聞いていたろうことが恥ずかしいので、「まずは、この女の気持ちを見定めてから」とお思いになっているうちに、伊予介が上京してきた。
何の疑いも持たずに一夜の男を思っているもう一人の女を憐まないのではないが、冷静にしている空蝉にそれが知れるのを、恥ずかしく思って、いよいよ望みのないことのわかる日まではと思ってそれきりにしてあるのであったが、そこへ伊予介が上京して来た。 【片つ方人】- 軒端荻。
【あはれと思さぬにしもあらねど】- 主語は源氏。「思さ」未然形は「思ふ」の尊敬表現。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、副助詞「しも」強調のニュアンス、「あら」ラ変未然形、打消の助動詞「ね」已然形。
【つれなくて聞きゐたらむこと】- 空蝉が何くわぬ顔で聞いていたろうこと。
【まづ、こなたの心見果てて】- 源氏の心。空蝉の本心を。
【伊予介上りぬ】- 空蝉の夫。任期中に都に用向きがあって上京したもの。
2.1.3
まづ(いそ)(まゐ)れり
舟路(ふなみち)のしわざとて、すこし(くろ)みやつれたる旅姿(たびすがた)いとふつつかに(こころ)づきなし
されど、(ひと)もいやしからぬ(すぢ)容貌(かたち)などねびたれど、きよげにて、ただならず、気色(けしき)よしづきてなどぞありける
まっさきに急いで参上した。
船路のせいで、少し黒く日焼けしている旅姿は、とてもぶこつで気に入らない。
けれど、人品も相当な血筋で、容貌などは年はとっているが、小綺麗で、普通の人とは違って、風雅のたしなみなどがそなわっているのであった。
そして真先に源氏の所へ伺候した。長い旅をして来たせいで、色が黒くなりやつれた伊予の長官は見栄も何もなかった。しかし家柄もいいものであったし、顔だちなどに老いてもなお整ったところがあって、どこか上品なところのある地方官とは見えた。 【まづ急ぎ参れり】- 源氏のお世話で任官したのであろう。源氏一派の人。上京の折には手土産を持参してまずは挨拶に参上。
【いとふつつかに心づきなし】- 語り手の評。女房の視点からの批評であろう。「ふつつか」は「太く強い意が、情趣に乏しい意を帯びるに至るのは、平安時代の優美繊細を美とする思潮の所産で、源氏物語の時代は、太く強い意に、場面や文脈によって非情趣性が意識される段階であり、平安末期までは大した変化はなかったであろう。中世以降は、たしなみのなさ、無教養さ、心の浅さが意味の中核となったと思われる。近世語では無教養や不調法の意味のものがほとんどである」(小学館古語大辞典)。
【人もいやしからぬ筋に】- 人品卑しからぬ血筋。
【気色よしづきてなどぞありける】- 「よしづく」は風雅のたしなみがそなわっている。係助詞「ぞ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンス。
2.1.4 任国の話などを申すので、「伊予の湯の湯桁はいくつあるか」と、お尋ねしたくお思いになるが、わけもなく正視できなくて、お心の中に思い出されることもさまざまである。
任地の話などをしだすので、湯の郡の温泉話も聞きたい気はあったが、何ゆえとなしにこの人を見るときまりが悪くなって、源氏の心に浮かんでくることは数々の罪の思い出であった。 【物語など申すに】- 接続助詞「に」順接を表す。
【湯桁はいくつ】- 伊予国の様子を尋ねてみたい。「空蝉」巻に軒端荻が碁を打ち終えて「十、二十、三十、四十」と数えていた言葉を思い出して、このように語ったもの。
【問はまほしく思せど】- 願望の助動詞「まほしく」連用形。
【あいなくまばゆくて】- 大島本「あひなく」と表記する。「古写本には「あいなし」「あひなし」の二つの表記があるが、おそらく語源は「あひ(合)なし(無)」であろう。はじめは、本来何も関係がない、筋ちがいである、という意で使われたが、筋ちがいで気持がよくない、違和感があっていやな気持である、など微妙な感情をこめて使われるようになり、副詞的には、本来何の関係もないのに、の意から、ひとごとながら、よそながら、などの意に発展した。平安時代末期にはすでに「愛無し」とも書かれ、かまくら時代には「愛無し」「間(あひ)無し」という二つの言葉が合流したものかと考えられるほど意味が不分明になっていた」(岩波古語辞典)。『集成』『古典セレクション』は「あいなく」と整定。『新大系』は「あひ(い)なく」と「い」を傍記する。源氏の伊予介に対する後ろめたい気持ちの現れ。
【御心のうちに思し出づることもさまざまなり】- 空蝉や軒端荻に対する気持ち。
2.1.5
ものまめやかなる大人(おとな)かく(おも)ふもげにをこがましく、うしろめたきわざなりや。
げに、これぞ、なのめならぬ(かた)はなべかりける」と、馬頭(むまのかみ)(いさ)(おぼ)()でて、いとほしきにつれなき(こころ)はねたけれど、(ひと)のためは、あはれ」と(おぼ)しなさる。
「実直な年配者を、このように思うのも、いかにも馬鹿らしく後ろ暗いことであるよ。
いかにも、これが、尋常ならざる不埒なことだった」と、左馬頭の忠告をお思い出しになって、気の毒なので、「冷淡な気持ちは憎いが、夫のためには、立派だ」とお考え直しになる。
まじめな生一本の男と対っていて、やましい暗い心を抱くとはけしからぬことである。人妻に恋をして三角関係を作る男の愚かさを左馬頭の言ったのは真理であると思うと、源氏は自分に対して空蝉の冷淡なのは恨めしいが、この良人のためには尊敬すべき態度であると思うようになった。 【ものまめやかなる大人を】- 以下「片はなべかりける」まで、源氏の心。『完訳』は「げにをこがましく」以下を、「以下、源氏の反省」と注す。
【かく思ふも】- 空蝉との一件から後ろめたく思う気持ち。
【片はなべかりける】- 「なべかりける」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化し無表記化された形+推量の助動詞「べかり」連用形+過去の助動詞「ける」連体形、「ぞ」の係り結びの法則、という語形。
【馬頭の諌め】- 「帚木」巻の左馬頭の言葉。「なにがしがいやしき諌めにて、好きたわめらむ女に心おかせたまへ。過ちして、見む人のかたくななる名をも立てつべきものなり」(第二章第二段)をさす。妻の不実は夫の恥になるという意見。
【いとほしきに】- 伊予介が気の毒。接続助詞「に」順接を表す。
【つれなき心はねたけれど、人のためは、あはれ】- 源氏の心。空蝉の態度を悔しいが夫のためには立派だと褒める。
2.1.6
(むすめ)をばさるべき(ひと)(あづ)けて(きた)(かた)をば()(くだ)りぬべし」と、()きたまふに、ひとかたならず(こころ)あわたたしくて、今一度(いまひとたび)はえあるまじきことにや」と、小君(こぎみ)(かた)らひたまへど、(ひと)(こころ)(あは)せたらむことにてだに(かろ)らかにえしも(まぎ)れたまふまじきを、まして、()げなきこと(おも)ひて、(いま)さらに見苦(みぐる)しかるべし(おも)(はな)れたり。
「娘を適当な人に縁づけて、北の方を連れて下るつもりだ」と、お聞きになると、あれやこれやと気持ちが落ち着かなくて、「もう一度逢うことができないものだろうか」と、小君に相談なさるが、相手が同意したようなことでさえ、軽々とお忍びになるのは難しいのに、まして、相応しくない関係と思って、今さら見苦しかろうと、思い絶っていた。
伊予介が娘を結婚させて、今度は細君を同伴して行くという噂は、二つとも源氏が無関心で聞いていられないことだった。恋人が遠国へつれられて行くと聞いては、再会を気長に待っていられなくなって、もう一度だけ逢うことはできぬかと、小君を味方にして空蝉に接近する策を講じたが、そんな機会を作るということは相手の女も同じ目的を持っている場合だっても困難なのであるのに、空蝉のほうでは源氏と恋をすることの不似合いを、思い過ぎるほどに思っていたのであるから、この上罪を重ねようとはしないのであって、とうてい源氏の思うようにはならないのである。 【娘をばさるべき人に預けて】- 以下「下りぬべし」まで、伊予介の詞を間接話法的に叙述したもの。「娘」は軒端荻。「預く」は人手に任せる、すなわち結婚させる意。
【北の方】- 空蝉をさす。
【今一度はえあるまじきことにや】- 源氏の心。副詞「え」は打消の推量の助動詞「まじき」連体形と呼応して不可能の意を表す。「にや」は断定の助動詞「に」連体形+係助詞「や」疑問の意。下に「あらむ」などの語句が省略されている形。
【人の心を合せたらむことにてだに】- 「--だに--まして」の構文。相手が示し合わせた場合でさえ難しい、まして相手が避けようとしているからさらに困難だ。前半は源氏の心に沿った叙述で敬語「たまふ」があり、後半は空蝉の心に沿った叙述に移って敬語がない。
【似げなきこと】- 空蝉の心を叙述。
【今さらに見苦しかるべし】- 空蝉の心を叙述。
2.1.7
さすがに()えて(おも)ほし(わす)れなむことも、いと()ふかひなく、()かるべきことに(おも)ひて、さるべき折々(をりをり)御答(おほんいら)へなど、なつかしく()こえつつ、なげの(ふで)づかひにつけたる(こと)()あやしくらうたげに、()とまるべきふし(くは)へなどして、あはれと(おぼ)しぬべき(ひと)のけはひなれば、つれなくねたきものの、(わす)れがたきに(おぼ)
そうは言っても、すっかりお忘れになられることも、まことにつまらなく、嫌にちがいないことと思って、しかるべき折々のお返事など、親しく度々差し上げては、何気ない書きぶりに詠み込まれた返歌は、不思議とかわいらしげに、お目に止まるようなことを書き加えなどして、恋しく思わずにはいられない人の様子なので、冷淡で癪な女と思うものの、忘れがたい人とお思いになっている。
空蝉はそれでも自分が全然源氏から忘れられるのも非常に悲しいことだと思って、おりおりの手紙の返事などに優しい心を見せていた。なんでもなく書く簡単な文字の中に可憐な心が混じっていたり、芸術的な文章を書いたりして源氏の心を惹くものがあったから、冷淡な恨めしい人であって、しかも忘れられない女になっていた。 【さすがに】- 直前の「思ひ離れたり」を受ける。きっぱり思いきっている、とはいえ、という文脈で、空蝉にも源氏に惹かれるところがあることを語る。初めは空蝉の心に沿った叙述の仕方であるが、最後は「忘れがたきに思す」という源氏の視点で結ばれる。
【絶えて】- 以下「憂かるべきこと」まで、空蝉の心。
【思ほし忘れなむこと】- 完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」連体形。源氏がわたしのことをすかっかりお忘れになってしまうこと。
【なつかしく】- 以下、空蝉の源氏の和歌に対する返歌のしかたをいう。
【目とまるべき】- 源氏の目にとまるよう。
【あはれと思しぬべき】- 源氏が恋しく思わずにはいられない。
【つれなくねたきものの、忘れがたきに思す】- 源氏の空蝉に対する印象。「忘れがたき」連体形と格助詞「に」の間に「女」などの語が省略されている形。
2.1.8 もう一人は、たとえ夫が決まったとしても、変わらず心を許しそうに見えたのを当てにして、いろいろとお聞きになるが、お心も動かさないのであった。
もう一人の女は他人と結婚をしても思いどおりに動かしうる女だと思っていたから、いろいろな噂を聞いても源氏は何とも思わなかった。 【いま一方は】- 軒端荻。
【主強くなるとも】- たとえ夫が決まったとしてもの意。接続助詞「とも」仮定条件のもと意志を表す。たとえ--ても、の意。
【とかく聞きたまへど】- あれこれと婿取りの噂をお聞きになるが。
【御心も動かずぞありける】- 主語は源氏。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係り結びの法則。

第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語


第一段 霧深き朝帰りの物語

3.1.1 秋にもなった。
誰のせいからでもなく、自ら求めて物思いに心を尽くされることどもがあって、大殿邸には、と絶えがちなので、恨めしくばかりお思い申し上げていらっしゃった。
秋になった。このごろの源氏はある発展を遂げた初恋のその続きの苦悶の中にいて、自然左大臣家へ通うことも途絶えがちになって恨めしがられていた。 【心づくしに思し乱るることどもありて】- 『河海抄』は「木の間より漏り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり」(古今集 秋上 一八四 読人しらず)を指摘する。一般にも秋は物思いの季節である。源氏にとっては人一倍、という意。主として藤壺への物思いをさすとされている。
【大殿には、絶え間置きつつ】- 主語は源氏。以下、主語は女君に転換し、二人の夫婦関係を源氏側からと女君側からとの両面から語る。接続助詞「つつ」の下に「あれば」などの原因理由を表す語句が省略されている。
【恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり】- 主語は女君。葵の上。
3.1.2
六条(ろくでう)わたりにもとけがたかりし御気色(みけしき)おもむけ()こえたまひて(のち)ひき(かへ)し、なのめならむはいとほしかし
されど、よそなりし御心惑(みこころまど)ひのやうに、あながちなる(こと)はなきも、いかなることにかと()えたり
六条辺りの御方にも、気の置けたころのご様子をお靡かせ申し上げてから後は、うって変わって、通り一遍なお扱いのようなのは気の毒である。
けれど、他人でいたころのご執心のように、無理無体なことがないのも、どうしたことかと思われた。
六条の貴女との関係も、その恋を得る以前ほどの熱をまた持つことのできない悩みがあった。自分の態度によって女の名誉が傷つくことになってはならないと思うが、夢中になるほどその人の恋しかった心と今の心とは、多少懸隔のあるものだった。 【六条わたりにも】- 『古典セレクション』は諸本に従って「六条わたりも」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のまま。前に「六条わたりの御忍びありきのころ」「御心ざしの所」とあった女君。後の「葵」巻で、故前坊妃で六条御息所と呼称される人。ここでは、まだ「六条わたりの人」といった漠然とした表現。
【とけがたかりし御気色】- 前に「うちとけぬ御ありさまなどの気色ことなるに」とあった。なかなか源氏を受け入れてくれなかったご様子。
【おもむけ聞こえたまひて】- 源氏がお靡かし申し上げなさって。源氏の動作について「きこゆ」という謙譲の補助動詞が使われていることから、相手の女性がかなり高貴な方であると想像される。
【いとほしかし】- 語り手の評言。『源氏物語玉の小櫛』は「冊子地よりいへる也」と指摘する。『完訳』は「語り手の評言を混じえて叙述」と注す。
【いかなることにかと見えたり】- 語り手の評言。『休聞抄』は「よそなりし」から「双紙地也」と指摘。萩原広道『源氏物語評釈』は「あなかちなる」から「草子地より評していへるなり」と指摘。『一葉抄』は「いかなる」以下を「双紙詞也」と指摘する。
3.1.3
(をんな)は、いとものをあまりなるまで、(おぼ)ししめたる御心(みこころ)ざまにて(よはひ)のほども()げなく(ひと)()()かむにいとどかくつらき御夜(おほんよ)がれの寝覚(ねざ)寝覚(ねざ)め、(おぼ)ししをるること、いとさまざまなり。
この女性は、たいそうものごとを度を越すほどに、深くお思い詰めなさるご性格なので、年齢も釣り合わず、人が漏れ聞いたら、ますますこのような辛い君のお越しにならない夜な夜なの寝覚めを、お悩み悲しまれることが、とてもあれこれと多いのである。
六条の貴女はあまりにものを思い込む性質だった。源氏よりは八歳上の二十五であったから、不似合いな相手と恋に墜ちて、すぐにまた愛されぬ物思いに沈む運命なのだろうかと、待ち明かしてしまう夜などには煩悶することが多かった。 【女は、いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて】- 六条の御方の性格。ものを深く思い詰める性格の女性。「女」という呼称は恋の場面の常套表現。身分や地位などを一切切り捨てた男と女との関係を強調する。
【齢のほども似げなく】- 源氏と年齢も釣り合わない。後の「賢木」巻で「三十」とあり、源氏より七歳年長となる。この巻では二十四歳くらい。源氏は十七歳。
【人の漏り聞かむに】- 推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接続、人がもし漏れ聞いたら、のニュアンス。この語の下に「つらきに」など、何か省略された語句がある。
3.1.4
(きり)のいと(ふか)(あした)いたくそそのかされたまひてねぶたげなる気色(けしき)に、うち(なげ)きつつ()でたまふを、中将(ちゅうじゃう)のおもと御格子一間上(みかうしひとまあ)げて、()たてまつり(おく)りたまへとおぼしく御几帳引(みきちゃうひ)きやりたれば、御頭(みぐし)もたげて見出(みい)だしたまへり
霧のたいそう深い朝、ひどくせかされなさって、眠そうな様子で、溜息をつきながらお出になるのを、中将のおもとが、御格子を一間上げて、お見送りなさいませ、という心遣いらしく、御几帳を引き開けたので、御頭をもち上げて外の方へ目をお向けになっていらっしゃる。
霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、睡むそうなふうで歎息をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子を一間だけ上げて、女主人に見送らせるために几帳を横へ引いてしまった。それで貴女は頭を上げて外をながめていた。 【いたくそそのかされたまひて】- 主語は源氏。受身の助動詞「れ」連用形。女房からせかされる。
【中将のおもと】- 六条の御方の女房。
【見たてまつり送りたまへ】- 中将のおもとの心。主人の女君に源氏の君をお見送り申し上げなさいませという心遣い。
【とおぼしく】- 形容詞「おぼしく」連用形。
【見出だしたまへり】- 主語は女君。完了の助動詞「り」存続の意。外の方を御覧になっていらっしゃるというニュアンス。
3.1.5
前栽(せんさい)色々(いろいろみだ)れたるを、()ぎがてにやすらひたまへるさまげにたぐひなし。
(らう)(かた)へおはするに中将(ちゅうじゃう)(きみ)御供(おほんとも)(まゐ)る。
紫苑色(しをにろ)(をり)にあひたる、(うすもの)()(あざ)やかに()()ひたる(こし)つき、たをやかになまめきたり
前栽の花が色とりどりに咲き乱れているのを、見過ごしにくそうにためらっていらっしゃる姿が、評判どおり二人といない。
渡廊の方へいらっしゃるので、中将の君が、お供申し上げる。
紫苑色で季節に適った、薄絹の裳、それをくっきりと結んだ腰つきは、しなやかで優美である。
いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。非常に美しい。廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫の薄物の裳をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶であった。 【前栽の色々】- 以下、語り手の視点は室内の女君の方から外を見る。
【過ぎがてにやすらひたまへるさま】- 女君が見た源氏の姿。源氏が立ち去り難げにためらっている様子。「本来、こらえられずの意の「かて(克)に」であったが、すでに奈良時代からその語源意識がうすれ、カテはカタシ(難)の語幹と混同され、ニは格助詞と意識され、ガテニが成立した」(岩波古語辞典)。
【げに】- 女君の、なるほど、評判どおりという感想と語り手の感想が一致した表現。
【廊の方へおはするに】- 主語は源氏。中門廊の方へ行く。語り手の視点は、簀子に出て、二人の姿を後から追う。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【中将の君】- 中将のおもとと同人。女房。
【紫苑色の】- 以下、中将の君の服装の描写。
【たをやかになまめきたり】- 主語は中将のおもと。「たり」は完了の助動詞、存続の意。物柔らかで優美でいるというニュアンス。
3.1.6 振り返りなさって、隅の間の高欄に、少しの間、お座らせになった。
きちんとした態度、黒髪のかかり具合、見事なものよ、と御覧になる。
源氏は振り返って曲がり角の高欄の所へしばらく中将を引き据えた。なお主従の礼をくずさない態度も額髪のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。 【見返りたまひて】- 主語は源氏。
【隅の間の高欄に】- ここは室内の女君の目からは見えない場所。
【ひき据ゑたまへり】- 「据ゑ」は他動詞。完了の助動詞「り」完了の意。『古典セレクション』は「手をかけてすわらせる動作」と注す。
【うちとけたらぬもてなし】- 主語は中将の君。打消の助動詞「ぬ」連体形。気を許さず、きちんとした態度である。
【めざましくも】- 源氏の感想。この場合の「めざまし」は、見事なという賞賛の感想。
3.1.7 「咲いている花に心を移したという風評は憚られますが
やはり手折らずには素通りしがたい今朝の朝顔の花です
「咲く花に移るてふ名はつつめども
折らで過ぎうき今朝の朝顔
【咲く花に移るてふ名はつつめども--折らで過ぎ憂き今朝の朝顔】- 源氏から中将の君への贈歌。「てふ」は「といふ」の約まった語。「移る」は心を移す。しいていえば、主人の女君からその女房のあなたに心を移す、という意が含まれる。中将の君を「咲く花」「朝顔」に喩える。「折る」とは自分のものとするという意。社交辞令的に褒めた歌。
3.1.8 どうしよう」
どうすればいい」 【いかがすべき】- 和歌に添えた詞。
3.1.9 と言って、手を捉えなさると、まことに馴れたふうに素早く、
こう言って源氏は女の手を取った。物馴れたふうで、すぐに、 【手をとらへたまへれば】- 源氏が中将の君の手を。完了の助動詞「れ」完了の意。
【いと馴れてとく】- 主語は中将の君。「いと馴れて」は次の「とく」に係る。源氏に馴れ馴れし態度での意ではない。返歌を素早く詠み返す態度が「馴れて」の意である。『集成』は「あわてずに」と訳し、『完訳』も「あわてず落ち着いた様子で」と訳す。
3.1.10 「朝霧の晴れる間も待たないでお帰りになるご様子なので
朝顔の花に心を止めていないものと思われます」
朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて
花に心をとめぬとぞ見る
【朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて--花に心を止めぬとぞ見る】- 中将の君の返歌。源氏の歌の中から「花」の語を受けて、「心を止めぬ」というように、朝霧が晴れる間も待たずにお帰りになるとは、お心を止めなさらないのでしょう、と切り返し、「とぞ見る」と他人事のように答えて、「咲く花」「朝顔」を自分ではなく主人の女君のことに移し変えた点に機転の働いた返歌となっている。女房の優れた態度からその女主人までが想像される。
3.1.11 と、主人のことにしてお返事申し上げる。
と言う。
 源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。
【おほやけごとにぞ聞こえなす】- 「公事」は主人のこと。「聞こえなす」という表現にあえてそのような形でというニュアンスを添える。
3.1.12
をかしげなる侍童(さぶらひわらは)姿(すがた)このましう、ことさらめきたる指貫(さしぬき)(すそ)(つゆ)けげに、(はな)(なか)(まじ)りて、朝顔折(あさがほを)りて(まゐ)るほどなど、()()かまほしげなり
かわいらしい男童で、姿が目安く、格別の格好をしているのが、指貫の裾を、露っぽく濡らし、花の中に入り混じって、朝顔を手折って差し上げるところなど、絵に描きたいほどである。
美しい童侍の恰好のよい姿をした子が、指貫の袴を露で濡らしながら、草花の中へはいって行って朝顔の花を持って来たりもするのである、この秋の庭は絵にしたいほどの趣があった。 【侍童の】- 男の子。格助詞「の」同格。
【ことさらめきたる】- 完了の助動詞「たる」連体形、主語となる。とともに下の「指貫」をも修飾している。
【絵に描かまほしげなり】- 語り手の評言。『首書源氏物語』所引「或抄」は「花の中に」から「地より云也」と指摘する。『評釈』は「庭上の侍い童、高欄による源氏と中将の君。まさに一幅の絵だ、と作者はいう」と指摘する。
3.1.13
大方(おほかた)うち()たてまつる(ひと)だに(こころ)とめたてまつらぬはなし。
(もの)(なさ)()らぬ(やま)がつも、(はな)(かげ)にはなほやすらはまほしきにやこの御光(おほんひかり)()たてまつるあたりは、ほどほどにつけて、()がかなしと(おも)(むすめ)を、(つか)うまつらせばやと(ねが)ひ、もしは、口惜(くちを)しからずと(おも)(いもうと)など()たる(ひと)は、(いや)しきにても、なほ、この(おほん)あたりにさぶらはせむと、(おも)()らぬはなかりけり。
通り一遍に、ちょっと拝見する人でさえ、心を止め申さない者はない。
物の情趣を解さない山人も、花の下では、やはり休息したいものではないか、このお美しさを拝する人々は、身分身分に応じて、自分のかわいいと思う娘を、ご奉公に差し上げたいと願い、あるいは、恥ずかしくないと思う姉妹などを持っている人は、下仕えであっても、やはり、このお方の側にご奉公させたいと、思わない者はいなかった。
源氏を遠くから知っているほどの人でもその美を敬愛しない者はない、情趣を解しない山の男でも、休み場所には桜の蔭を選ぶようなわけで、その身分身分によって愛している娘を源氏の女房にさせたいと思ったり、相当な女であると思う妹を持った兄が、ぜひ源氏の出入りする家の召使にさせたいとか皆思った。 【大方に】- 以下「思ふべかめり」まで、語り手の評言。源氏の美しさと魅力を絶賛。『細流抄』は「草子地也」と注す。『評釈』は「この作者には理屈っぽいところがある。(中略)この場面では、中将の君や六条の女君が立派に見える。源氏のほうがワキ役である。読者のそういう印象を訂正しておきたい。作者は、こう思って、この一節をおいたのである」と指摘する。
【うち見たてまつる人だに】- 副助詞「だに」最小限を表す。次段落の「ましてさりぬべきついでの」と呼応して、「--だに--まして--」という構文。
【物の情け知らぬ山がつも、花の蔭には】- 『集成』『完訳』は「古今集」仮名序の「大友黒主はそのさまいやし、いはば薪負へる山人の花の蔭に休めるがごとし」を指摘する。
【なほやすらはまほしきにや】- 希望の助動詞「まほしき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意を表す。語り手の推測。
【この御光を】- 源氏をさす。「光」は美しさの最高の形容。
3.1.14
まして、さりぬべきついでの御言(おほんこと)()も、なつかしき御気色(みけしき)()たてまつる(ひと)すこし(もの)心思(こころおも)()るは、いかがはおろかに(おも)ひきこえむ
()()れうちとけてしもおはせぬを(こころ)もとなきことに(おも)ふべかめり
まして、何かの折のお言葉でも、優しいお姿を拝する人で、少し物の情趣を解せる人は、どうしていい加減にお思い申し上げよう。
一日中くつろいだご様子でおいでにならないのを、物足りなく不満なことと思うようである。
まして何かの場合には優しい言葉を源氏からかけられる女房、この中将のような女はおろそかにこの幸福を思っていない。情人になろうなどとは思いも寄らぬことで、女主人の所へ毎日おいでになればどんなにうれしいであろうと思っているのであった。 【まして】- 前段落の「うち見たてまつる人だに--」を受けて、「まして」とこの段落が始まる。
【見たてまつる人の】- 格助詞「の」同格を表す。
【いかがはおろかに思ひきこえむ】- 反語表現。連語「いかがは」(副詞「いかが」+係助詞「は」)、推量の助動詞「む」連体形。係り結びの法則。
【明け暮れうちとけてしもおはせぬを】- 中将の君から見た六条の女君の邸における源氏の態度をいう。
【心もとなきことに思ふべかめり】- 「思ふ」とあるので、主語が中将の君とわかる。「べかめり」は推量の助動詞「べかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」語り手の主観的推量を表す。『評釈』は「気が気でなく」と訳し、『新大系』では「気掛かりなこと」と訳す。

第四章 夕顔の物語(2) 仲秋の物語


第一段 源氏、夕顔の宿に忍び通う

4.1.1
まことやかの惟光(これみつ)(あづ)かりのかいま()いとよく案内見(あないみ)とりて(まう)す。
それはそうと、あの惟光が受け持ちの偵察は、とても詳しく事情を探ってご報告する。
それから、あの惟光の受け持ちの五条の女の家を探る件、それについて惟光はいろいろな材料を得てきた。 【まことや】- 感動詞。語り手の話題転換の語句。この物語の常套句。忘れていたことを思い出したり、話の途中で別の話題を思いついたときなどに発する語。
【かの惟光が預かりのかいま見は】- 格助詞「が」主格を表す。「預かり」は名詞。受け持ち。「預かりし」(過去の助動詞「し」連体形)とあるべきところを「預かりの」(格助詞「の」)とねじれて続ける。
4.1.2
その(ひと)とはさらに(おも)ひえはべらず
(ひと)にいみじく(かく)(しの)ぶる気色(けしき)なむ()えはべるをつれづれなるままに、(みなみ)半蔀(はじとみ)ある長屋(ながや)にわたり()つつ(くるま)(おと)すれば、(わか)(もの)どもの(のぞ)きなどすべかめるにこの(しゅう)とおぼしきも、はひわたる(とき)はべかめる
容貌(かたち)なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる
「誰であるかは、まったく分かりません。
世間にひどく隠れ潜んでいる様子に見えますが、暇にまかせて、南側の半蔀のある長屋に移って来ては、牛車の音がすると、若い女房たちが覗き見などをするようですが、この主人と思われる女も、来る時があるようでございまして。
容貌は、ぼんやりとではありますが、とてもかわいらしげでございます。
「まだだれであるかは私にわからない人でございます。隠れていることの知れないようにとずいぶん苦心する様子です。閑暇なものですから、南のほうの高い窓のある建物のほうへ行って、車の音がすると若い女房などは外をのぞくようですが、その主人らしい人も時にはそちらへ行っていることがございます。その人は、よくは見ませんがずいぶん美人らしゅうございます。 【その人とは】- 以下「言ひはべりし」まで、惟光の報告。西隣の女の情報については、実のところまったく不明。今までの情報も誤りがあったりほんの一部であったりして、読者はすべてを知っているが、この物語の登場人物たちには徐々に真実が判明してくる、という仕組み。
【え思ひえはべらず】- 打消の助動詞「ず」のまえに「え」が二度使われ、不可能の意を強調したニュアンス。『新大系』は「誤りがあろう。底本「み」を消して右に「え」(朱)。異文が多い」と注す。
【なむ見えはべるを】- 係助詞「なむ」は「はべる」に係るが、接続助詞「を」が下接してさらに文が続くので、係り結びの法則が消滅した構文。
【来つつ】- 接続助詞「つつ」は「来る」という動作が繰り返される意を表す。
【べかめるに】- 「べかる」(推量の助動詞「べし」の連体形)「める」(推量の助動詞、視界内推量)「に」(接続助詞)。自分が覗き見したというニュアンス。
【主】- 大島本「しう」と仮名表記する。
【はひわたる時はべかめる】- 大島本「はべかめる」は「はべるべかるめる」(自ラ変「はべる」連体形、「あり」「をり」の丁寧語の「る」が撥音便化し無表記形「はべ」、推量の助動詞「べかる」連体形の「べ」が促音便化し無表記形、かつ「る」が撥音便化し無表記形、推量の助動詞「める」連体中止法で、余韻余情を表す)の詰まった形。なお他の青表紙本系諸本は「はべべかめる」とある。『集成』『古典セレクション』は他本に従って「はべべかめる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。会話文中の用例なので実際の発音どおりの表記なのであろう。
【いとらうたげにはべる】- 「はべる」(連体形)は「あり」「をり」の丁寧語。連体形で言いさした形、余韻余情効果がある。
4.1.3
一日(ひとひ)前駆追(さきお)ひて(わた)(くるま)のはべりしを(のぞ)きて、童女(わらはべ)(いそ)ぎて右近(うこん)(きみ)こそまづ物見(ものみ)たまへ。
中将殿(ちゅうじゃうどの)こそこれより(わた)りたまひぬれ』と()へば、また、よろしき大人出(おとない)()て、あなかま』と、()かくものから、いかでさは()るぞ、いで、()』とて、はひ(わた)
先日、先払いをして通る牛車がございましたのを、覗き見て、女童が急いで、『右近の君さん、早く御覧なさい。
中将殿が、ここをお通り過ぎになってしまいます』と言うと、もう一人、見苦しくない女房が出て来て、『お静かに』と、手で制しながらも、『どうしてそうと分かりますか、どれ、見てみよう』と言って、渡って来ます。
この間先払いの声を立てさせて通る車がございましたが、それをのぞいて女の童が後ろの建物のほうへ来て、『右近さん、早くのぞいてごらんなさい、中将さんが通りをいらっしゃいます』と言いますと相当な女房が出て来まして、『まあ静かになさいよ』と手でおさえるようにしながら、『まあどうしてそれがわかったの、私がのぞいて見ましょう』と言って前の家のほうへ行くのですね、
【車のはべりしを】- 過去の助動詞「し」連体形、格助詞「を」目的格を表す。自ら見たというニュアンス。
【覗きて、童女の急ぎて】- 「覗く」の主語は童女。「童女の覗きて急ぎて」。
【右近の君こそ】- 以下、女童の詞を引用。「こそ」は接尾語、呼び掛けに使用。相手を自分と対等以下ととらえて呼び掛ける。また子どもなどが無頓着に使用する。
【中将殿こそ】- 頭中将をさす。係助詞「こそ」は「渡りたまひぬれ」(已然形)に係る、係結びの法則。
【渡りたまひぬれ】- 完了の助動詞「ぬれ」確述の意。今、まさに通ろうとしている意。
【あなかま】- 女房の詞を引用、間接話法。
【いかでさは知るぞ、いで、見む】- 女房の詞を引用。「いで」は、感動詞。どれ、見てみようの意。
【はひ渡る】- もともとは膝ではって行く意であるが、這うようにそっと歩く、気軽に歩いて行く、わずかの距離を行く、などの意味もある。室内とはいえ、このような折に打橋や廊下などのあるところを膝行して行くと考えるのは非現実的である。はうようにそっと行く、の意であろう。
4.1.4
打橋(うちはし)だつものを(みち)にてなむ(かよ)ひはべる
(いそ)()るものは(きぬ)(すそ)(もの)()きかけて、よろぼひ(たふ)れて、(はし)よりも()ちぬべければ、いで、この葛城(かづらき)(かみ)こそさがしうしおきたれ』と、むつかりて、物覗(もののぞ)きの(こころ)()めぬめりき
打橋のようなものを通路にして、
行き来するのでございます。急いで来ると、なんとまあ大変、衣の裾を何かに引っ掛けて、よろよろと倒れて、橋から落ちてしまいそうになったので、『まあ、この葛城の神は、危なっかしく拵えたこと』と、文句を言って、覗き見の興味も
細い渡り板が通路なんですから、急いで行く人は着物の裾を引っかけて倒れたりして、橋から落ちそうになって、『まあいやだ』などと大騒ぎで、もうのぞきに出る気もなくなりそうなんですね。
【なむ通ひはべる】- 係助詞「なむ」は「はべる」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスが加わる。
【急ぎ来るものは】- 接続助詞「ものは」。「者は」でない。活用形の連体形に付いて、「--と、まあ」「--ところが、なんとまあ」などの意を表す。順接・逆接の両用がある。偶発といってよい接続のニュアンス。また下に「けり」で結び、不測の事態などの生じたことを表すとされる。せっかく急いで来たから、さあ大変、落ちてしまいそうになった、というニュアンス。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。推量の助動詞「べけれ」已然形、推量の意。落ちてしまいそうになったので、の意。
【いで、この】- 以下「しおきたれ」まで、女房の詞を間接話法的に引用する。
【葛城の神こそ】- 「かづらきのかみ」と読む。葛城の神が金峯山から葛城山まで岩橋を掛けたが完成しなかったという伝説にもとづく。係助詞「こそ」は完了の助動詞「たれ」已然形に係る、係り結びの法則。
【さがしう】- 『集成』は「さかしう」と清音で読む。『古典セレクション』『新大系』は「さがしう」と濁音で読む。「古事記」仁徳・歌謡七〇に「佐賀斯」とあり、また『名義抄』にも「峻 サガシ」とあるので、後者が適切である。
【物覗きの心も冷めぬめりき】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「めり」連用形、話者の主観的推量の意、過去の助動詞「き」終止形、話者の体験を表す。
4.1.5
(きみ)は、御直衣姿(おほんなほしすがた)にて御随身(みずいじん)どももありし
なにがし、くれがし』と(かず)へしは、頭中将(とうのちゅうじゃう)随身(ずいじん)その小舎人童(こどねりわらは)なむ、しるしに()ひはべりし」など()こゆれば、
『頭の君は、直衣姿で、御随身たちもいましたが。
あの人は誰、この人は誰』と数えたのは、頭中将の随身や、その小舎人童を、証拠に言っていたのです」などと申し上げると、
車の人は直衣姿で、随身たちもおりました。だれだれも、だれだれもと数えている名は頭中将の随身や少年侍の名でございました」
 などと言った。
【君は、御直衣姿にて】- 頭中将をさしていう。
【御随身どももありし】- 過去の助動詞「し」連体形。連体中止法で余韻余情効果を表す。
【なむ、しるしに言ひはべりし】- 係助詞「なむ」、過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。強調のニュアンスを添える。
4.1.6 「確かにその車を見たのならよかったのに」
「確かにその車の主が知りたいものだ」 【たしかにその車をぞ見まし】- 係助詞「ぞ」。推量の助動詞「まし」連体形。反実仮想の意。係結びの法則。確かにその車を確認したのならよかったのにの意。『新大系』「しっかりとその車が頭中将のそれであるかを見られるなら見たいもの、の意」と注す。
4.1.7 とおっしゃって、「もしや、あの頭中将が愛しく忘れ難かった女であろうか」と、思いつかれるにつけても、とても知りたげなご様子を見て、
もしかすればそれは頭中将が忘られないように話した常夏の歌の女ではないかと思った源氏の、も少しよく探りたいらしい顔色を見た惟光は、 【もし、かのあはれに忘れざりし人にや】- 源氏の心。頭中将が雨夜の品定め(「帚木」巻)の折に話していた女ではないか、と疑う。
【思ほしよるも、いと知らまほしげなる御気色を見て】- 「思ほしよる」の主語は源氏だが、「見て」の主語は源氏から惟光へと移っている。源氏の心中が惟光からから見てとられる、という語り方。しかし惟光は雨夜の品定めの折に居合わせていないので、源氏が「思ほしよる」内容は知らない。ただ源氏が夕顔の宿の女に関心を寄せているということだけを理解して次の説明に入る。
4.1.8
(わたくし)懸想(けさう)いとよくしおきて、案内(あない)(のこ)るところなく()たまへおきながらただ、()れどちと()らせて(もの)など()(わか)きおもとのはべるをそらおぼれしてなむ(かく)れまかり(あり)く。
いとよく(かく)したりと(おも)ひて、(ちひ)さき()どもなどのはべるが言誤(ことあやま)りしつべきも、()(まぎ)らはしてまた(ひと)なきさまを()ひてつくりはべるなど、(かた)りて(わら)
「わたくし自身の懸想も首尾よく致して、家の内情もすっかり存じておりますが、相手の女は、ただ、同じ同輩どうしの女がいるだけだと思わせて、話しかけてくる若い近習がございますので、わたしも空とぼけたふりして、隠れて通っています。
とてもうまく隠していると思って、小さい子供などのございますのが言い間違いそうになるのも、ごまかして、別に主人のいない様子を無理に装っております」などと、話して笑う。
「われわれ仲間の恋と見せかけておきまして、実はその上に御主人のいらっしゃることもこちらは承知しているのですが、女房相手の安価な恋の奴になりすましております。向こうでは上手に隠せていると思いまして私が訪ねて行ってる時などに、女の童などがうっかり言葉をすべらしたりいたしますと、いろいろに言い紛らしまして、自分たちだけだというふうを作ろうといたします」
 と言って笑った。
【私の懸想も】- 以下「強ひてつくりはべる」まで、惟光の詞。「私」は「公」に対する言葉。惟光は、主人源氏の恋に対して、自分の恋という意味でこう表現した。「懸想」は語源不明の語。「懸想」と表記した古例はない。『色葉字類抄』は「気装」と表記、『今昔物語集』は「仮借」と表記、中世の『温故知新書』は「懸相 ケサウ」と表記。近世の『書言字考節用集』に「懸想」と見えるという(古語大辞典)。『新大系』は「案内も残るところなく」以下を惟光の詞とする。
【案内も残るところなく見たまへおきながら】- 主語は惟光。
【ただ、我れどちと知らせて】- 主語は、相手方の女。ここにいるのは皆同じ女房どうしである、主人はいない、と惟光に思わせての意。
【若きおもとのはべるを】- 接続助詞「を」原因・理由を表す。惟光の語らい人。
【そらおぼれしてなむ】- 主語は惟光。係助詞「なむ」は「まかり歩く」(連体形)に係る、係結びの法則。
【言ひ紛らはして】- 主語は「若きおもと」。
【また人なきさまを】- 「人」は女主人をいう。
【強ひてつくりはべる】- 大島本「しゐてつくり侍」と表記する。『新大系』『古典セレクション』は「はべり」と終止形で読み、『集成』は「はべる」と連体形で読む。「はべる」連体中止法、余韻余情効果を表す。
【など、語りて笑ふ】- 主語は惟光。
4.1.9
尼君(あまぎみ)(とぶら)ひにものせむついでにかいま()せさせよ」とのたまひけり。
「尼君のお見舞いに伺った折に、垣間見させよ」とおっしゃるのであった。
「おまえの所へ尼さんを見舞いに行った時に隣をのぞかせてくれ」
 と源氏は言っていた。
【尼君の】- 以下「かいま見せさせよ」まで、源氏の詞。
【ものせむついでに】- 主語は話者の源氏。「ものす」は「行く」の婉曲表現。
4.1.10
かりにても、宿(やど)れる(すま)ひのほどを(おも)ふに、これこそかの(ひと)(さだ)め、あなづりし(しも)(しな)ならめ
その(なか)に、(おも)ひの(ほか)をかしきこともあらば」など、(おぼ)すなりけり
一時的にせよ、住んでいる家の程度を思うと、「これこそ、あの左馬頭が判定して、貶んだ下の品であろう。
その中に予想外におもしろい事があったら」などと、お思いになるのであった。
たとえ仮住まいであってもあの五条の家にいる人なのだから、下の品の女であろうが、そうした中におもしろい女が発見できればと思うのである。 【これこそ】- 以下「をかしきこともあらば」まで、源氏の心。「これ」は夕顔の宿の女をさす。
【かの人の定め、あなづりし】- 「帚木」巻の雨夜の品定めの折の頭中将が下の品の女と貶んだことをさす。
【下の品ならめ】- 断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「め」已然形。係助詞「こそ」の係結びの法則。
【思ひの外に】- 「帚木」巻の「さびしくあばれたらむ葎の門に、思ひの外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ、限りなくめづらしくはおぼえめ」(第一章三段)とあった。またこの巻にも「かの、下が下と、人の思ひ捨てし住まひなれど、その中にも、思ひのほかに口惜しからぬを見つけたらばと、めづらしく思ほすなりけり」(第一章二段)とあった。
【など、思すなりけり】- 語り手が読者に対して、源氏の心中について、はっと気付かせるようなあるいは注意の喚起を促すようなの説明的な叙述の仕方。以下、語り手の文章表現。
4.1.11 惟光は、どんな些細なことでも君のお心に違うまいと思うが、自分も抜けめない好色人なので、大変に策を労しあちこち段取りをつけ、しゃにむにお通わし始めたのであった。
この辺の事情は、こまごまと煩わしくなるので、例によって省略した。
源氏の機嫌を取ろうと一所懸命の惟光であったし、彼自身も好色者で他の恋愛にさえも興味を持つほうであったから、いろいろと苦心をした末に源氏を隣の女の所へ通わせるようにした。 【御心に違はじと思ふに】- 「御心」は源氏の御心、お考え。接続助詞「に」逆接を表す。
【たばかりまどひ歩きつつ】- 接続助詞「つつ」は同じ動作、「たばかりまどひ歩く」の繰り返しのニュアンスを添える。
【おはしまさせ初めてけり】- 「おはしまさ」(未然形)は「おはす」よりさらに高い敬語表現。使役の助動詞「せ」連用形、完了の助動詞「て」連用形、確述の意、過去の助動詞「けり」。
【このほどのこと、くだくだしければ、例のもらしつ】- 『細流抄』は「草子地也」と指摘。『評釈』は「いつもの通り省略する、と、作者はいう」。『全集』は「物語の筆録者を装って、話を省略する際の常套的な手法」と注す。「もらす」は省略する意。
4.1.12 女を、はっきり誰とお確かめになれないので、ご自分も名乗りをなさらず、ひどくむやみに粗末な身なりをなさっては、いつもと違って直接に身を入れてお通いになるのは、並々ならぬご執心なのであろう、と考えると、自分の馬を差し上げて、お供して走りまわる。
女のだれであるかをぜひ知ろうともしないとともに、源氏は自身の名もあらわさずに、思いきり質素なふうをして多くは車にも乗らずに通った。深く愛しておらねばできぬことだと惟光は解釈して、自身の乗る馬に源氏を乗せて、自身は徒歩で供をした。 【女、さしてその人と】- 源氏が女の素性をはっきり誰それと、の意。「女」と表現され、恋の場面に変わる。
【尋ね出でたまはねば】- 打消の助動詞「ね」已然形は、源氏が素性を明らかにしようとしてもお出来になれないニュアンス。後文の「我も名のりしたまはで」となる。
【やつれたまひつつ】- 接続助詞「つつ」動作の並行を表す。身を「やつす」という動作と「下りたち歩く」という行動が並行して行われるニュアンス。
【例ならず下り立ちありきたまふは】- 源氏の並々ならぬ熱の入れよう。『評釈』は「いつもになく(車にも召れず)お徒歩(ひろい)なさるのは」と訳す。「下り立つ」(自タ四)は、身を入れてそのことをする、意。
【おろかに思されぬなるべし】- 断定の助動詞「なる」終止形、推量の助動詞「べし」終止形、惟光が源氏の心を推量したもの。視点が惟光に移動。
【我が馬をばたてまつりて】- 惟光の身分は既に隣の懸想相手の女には知られていよう。惟光ふぜいの男が乗る馬に乗って通って来る男、彼より身分が上の友人くらいに見えたことであろう。
4.1.13
懸想人(けさうびと)いとものげなき(あし)もとを、()つけられてはべらむ(とき)からくもあるべきかな」とわぶれど、(ひと)()らせたまはぬままに、かの夕顔(ゆふがほ)のしるべせし随身(ずいじん)ばかり、さては、(かほ)むげに()るまじき童一人(わらはひとり)ばかりぞ、()ておはしける。
もし(おも)ひよる気色(けしき)もや」とて、(となり)中宿(なかやどり)をだにしたまはず
「懸想人のひどく人げない徒ち歩き姿を、見つけられましては、辛いものですね」とこぼすが、誰にもお知らせなさらないことにして、あの夕顔の案内をした随身だけ、その他には、顔をまったく知られてないはずの童一人だけを、連れていらっしゃるのであった。
「万一思い当たる気配もあろうか」と慮って、隣に中休みをさえなさらない。
「私から申し込みを受けたあすこの女はこの態を見たら驚くでしょう」
 などとこぼしてみせたりしたが、このほかには最初タ顔の花を折りに行った随身と、それから源氏の召使であるともあまり顔を知られていない小侍だけを供にして行った。それから知れることになってはとの気づかいから、隣の家へ寄るようなこともしない。
【懸想人の】- 以下「あるべきかな」まで、惟光の愚痴。
【あるべきかな」と】- 大島本「あるへかなと(ゝ&と)わふれと」。「ゝ」を摺り消して「と」と訂正する。本文と一筆に見える。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あるべきかななど」と校訂。『新大系』は底本「あるべきかなと」のまま。
【かの夕顔のしるべせし随身】- 『完訳』は「顔を知られているはずの随身を従えるのは不自然。作者の不注意か」と注す。『新大系』では「源氏らしからぬ筆跡の返歌を女がたへ取り次いだから、この随身を連れていることにより、通う男は女がたの推測する光源氏という人ではない、というメッセージを送っていることになる」と注す。
【もし思ひよる気色もや】- 源氏の懸念。連語「もや」(係助詞「も」+係助詞「や」)疑問の意を表す。また多くは危ぶむ気持ちを含む。--かもしれない、意。
【隣に中宿をだにしたまはず】- 副助詞「だに」最小限を表す。隣の家に足を止めることさえなさらない。
4.1.14
(をんな)も、いとあやしく心得(こころえ)心地(ここち)のみして、御使(おほんつかひ)(ひと)()(あかつき)(みち)をうかがはせ御在処見(おほんありかみ)せむと(たづ)ぬれど、そこはかとなくまどはしつつさすがに、あはれに()ではえあるまじくこの(ひと)御心(みこころ)にかかりたれば便(びん)なく軽々(かろがろ)しきことと、(おも)ほし(かへ)しわびつついとしばしばおはします。
女方も、とても不審に合点のゆかない気ばかりがして、お文使いに跡を付けさせたり、払暁の道を尾行させ、お住まいを現すだろうと追跡するが、どこと分からなく晦まし晦ましして、そうは言っても、かわいく逢わないではいられず、この女がお心に掛かっているので、不都合で軽々しい行為だと、反省してはお困りながらも、とても頻繁にお通いになる。
女のほうでも不思議でならない気がした。手紙の使いが来るとそっと人をつけてやったり、男の夜明けの帰りに道を窺わせたりしても、先方は心得ていてそれらをはぐらかしてしまった。しかも源氏の心は十分に惹かれて、一時的な関係にとどめられる気はしなかった。これを不名誉だと思う自尊心に悩みながらしばしば五条通いをした。 【御使に人を添へ】- 源氏のきぬぎぬの文を届けにきた使者の跡を付けさせる。
【暁の道をうかがはせ】- 源氏の朝帰りの道を探らせる。
【まどはしつつ】- 接続助詞「つつ」動作の反復を表す。惑わす行動が繰り返されるニュアンスを添える。
【さすがに、あはれに見ではえあるまじく】- 以下、主語は源氏に移る。源氏は姿を晦ます一方で愛しく思わずにはいられないという心境。副詞「え」は打消推量の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。
【この人の御心にかかりたれば】- この女夕顔のことが源氏のお心にかかって離れないので、の意。
【便なく軽々しきこと】- 源氏の反省。
【思ほし返しわびつつ】- 接続助詞「つつ」動作の並行を表す。反省する一方では「いとしばしばおはします」という二つの動作が並行して行われる意。
4.1.15 このような方面では、実直な人も乱れる時があるものだが、とても見苦しくなく自重なさって、人が非難申し上げるような振る舞いはなさらなかったが、不思議なまでに、今朝の間、昼間の逢わないでいる間も、逢いたく気が気でないなどと、お思い悩みになるので、他方では、ひどく気違いじみており、それほど熱中するに相応しいことではないと、つとめて熱をお冷ましになるが、女の感じは、とても驚くほど従順でおっとりとしていて、物事に思慮深く慎重な方面は少なくて、一途に子供っぽいようでいながら、男女の仲を知らないでもない。
たいして高い身分ではあるまい、どこにひどくこうまで心惹かれるのだろうか、と繰り返しお思いになる。
恋愛問題ではまじめな人も過失をしがちなものであるが、この人だけはこれまで女のことで世間の批難を招くようなことをしなかったのに、夕顔の花に傾倒してしまった心だけは別だった。別れ行く間も昼の間もその人をかたわらに見がたい苦痛を強く感じた。源氏は自身で、気違いじみたことだ、それほどの価値がどこにある恋人かなどと反省もしてみるのである。驚くほど柔らかでおおような性質で、深味のあるような人でもない。若々しい一方の女であるが、処女であったわけでもない。貴婦人ではないようである。どこがそんなに自分を惹きつけるのであろうと不思議でならなかった。 【かかる筋は】- 恋の道。源氏の夕顔への恋狂いの内容が語られる。
【まめ人の乱るる折もあるを】- 接続助詞「を」逆接を表す。源氏は一般の「まめ人」とは違うと語る。
【振る舞ひはしたまはざりつるを】- 接続助詞「を」逆接を表す。源氏が夕顔にのめり込んでいくさまを、逆接の接続助詞を続けて「--を、--を、」と語っていく。
【今朝のほど、昼間の隔ても、おぼつかなく】- 源氏の夕顔への思い。
【思ひわづらはれたまへば】- 自発の助動詞「れ」連用形。
【いともの狂ほしく】- 以下「さまにもあらす」まで、源氏の反省。
【いみじく思ひさましたまふに】- 接続助詞「に」逆接を表す。
【人のけはひ】- 以下「とまる心ぞ」まで、源氏の目から見た夕顔の印象と思い。夕顔のもっている雰囲気や感じは驚くほどやわやわとした感じでおっとりとしている。
【もの深く重き方はおくれて】- 物事に思慮深く慎重であるという点は劣っている、またはないといったような感じ。
【ひたぶるに若びたるものから、世をまだ知らぬにもあらず】- 接続助詞「ものから」逆接の確定条件を表す。打消の助動詞「ぬ」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」。まったくの幼ない処女のような感じがする一方でまだ結婚の経験がないではないような感じがする。源氏は夕顔が頭中将の女らしいとは感じ取っているが、まだ確証は得ていない。
【いとやむごとなきにはあるまじ】- たいして高貴な身分の家の姫君ではあるまいという印象。ただし、源氏のような身分から見た場合である。
【いづくにいとかうしもとまる心ぞ】- 大島本「いつくに」と表記する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いづこに」と校訂。『新大系』は底本のまま。副助詞「しも」強調、係助詞「ぞ」文末にあってその文全体を強調する。
4.1.16
いとことさらめきて御装束(おほんさうぞく)をもやつれたる(かり)御衣(おほんぞ)をたてまつりさまを()へ、(かほ)をもほの()せたまはず夜深(よぶか)きほどに、(ひと)をしづめて()()りなどしたまへば、(むかし)ありけむものの変化(へんげ)めきてうたて(おも)(なげ)かるれど(ひと)(おほん)けはひ、はた、()さぐりもしるべきわざなりければ()ればかりにかはあらむ
なほこの()(もの)()でつるわざなめり」と、大夫(たいふ)(うたが)ひながらせめてつれなく()らず(がほ)にてかけて(おも)ひよらぬさまにたゆまずあざれありけば、いかなることにかと心得(こころえ)がたく、女方(をんながた)もあやしうやう(たが)ひたるもの(おも)ひをなむしける
とてもわざとらしくして、ご装束も粗末な狩衣をお召しになり、姿を変え、顔も少しもお見せにならず、深夜ごろに、人の寝静まるのを待ってお出入りなどなさるので、昔あったという変化の者じみて、気味悪く嘆息されるが、男性のご様子は、そうは言うものの、手触りでも分かることができたので、「いったい、どなたであろうか。
やはりこの好色人が手引きして始まったことらしい」と、大夫を疑ってみるが、つとめて何くわぬ顔を装って、まったく知らない様子に、せっせと色恋に励んでいるので、どのようなことかとわけが分からず、女の方も不思議な一風変わった物思いをするのであった。
わざわざ平生の源氏に用のない狩衣などを着て変装した源氏は顔なども全然見せない。ずっと更けてから、人の寝静まったあとで行ったり、夜のうちに帰ったりするのであるから、女のほうでは昔の三輪の神の話のような気がして気味悪く思われないではなかった。しかしどんな人であるかは手の触覚からでもわかるものであるから、若い風流男以外な者に源氏を観察していない。やはり好色な隣の五位が導いて来た人に違いないと惟光を疑っているが、その人はまったく気がつかぬふうで相変わらず女房の所へ手紙を送って来たり、訪ねて来たりするので、どうしたことかと女のほうでも普通の恋の物思いとは違った煩悶をしていた。 【いとことさらめきて】- 主語は源氏。
【狩の御衣をたてまつり】- 「たてまつり」連用形は「着る」の尊敬表現。
【顔をもほの見せたまはず】- 『完訳』は「覆面と解されているが、いかが。相手からまともに見られぬよう務めているというのではないか」と注す。『新大系』でも「顔を袖などで隠し続けて正体を見せないでいる。布などどによる覆面ではあるまい」と注す。
【人をしづめて】- 「しづめ」(他下二)、寝静まらせる。女房たちが寝静まるのを待っての意。
【昔ありけむものの変化めきて】- 三輪山神婚説話が知られていた。過去推量の助動詞「けむ」連体形。
【うたて思ひ嘆かるれど】- 主語は女。自発の助動詞「るれ」已然形。接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【手さぐりもしるべきわざなりければ】- 大島本「てさくりもしるへきわさなりけれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しるき」と校訂。『新大系』は「知るべき」のまま。女が源氏を手で触っただけでも高貴な方とはっきりと知ることができる状態であったから。
【誰ればかりにかはあらむ】- 以下「わざなめり」まで、女の思い。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問を表す、係助詞「は」、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【し出でつるわざなめり】- 「なめり」は「なるめり」の断定の助動詞「なる」の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、話者の主観的推量を表す。
【大夫を疑ひながら】- 「大夫」は惟光をさす。五位なのでこう呼ぶ。接続助詞「ながら」逆接を表す。
【せめてつれなく知らず顔にて】- 以下、主語は惟光に移る。
【かけて思ひよらぬさまに】- 女方があの男は源氏ではないかと鎌かけてくることに対して、惟光は全く的外れだという態度をさすのであろう。
【もの思ひをなむしける】- 係助詞「なむ」は過去の助動詞「ける」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンスを添える。

第二段 八月十五夜の逢瀬

4.2.1
(きみ)も、かくうらなくたゆめてはひ(かく)れなば、いづこをはかりとか、(われ)(たづ)ねむ
かりそめの(かく)()と、はた()ゆめれば、いづ(かた)にもいづ(かた)にも、(うつ)ろひゆかむ()を、いつとも()らじ」と(おぼ)すに()ひまどはしてなのめに(おも)ひなしつべくはただかばかりのすさびにても()ぎぬべきことをさらにさて()ぐしてむ(おぼ)されず。
源氏の君も、「このように無心なように油断させてそっと隠れてしまったなら、どこを目当てにしてか、わたしも尋ねられよう。
一時の隠れ家と、また一方では思われるので、どこへともどこへとも、移って行くような日を、いつとも分からないだろう」とお思いになると、跡を追っているうちに見失って、どうでもよく諦めがつくものなら、ただこのような遊び事で終わっても済まされることなのに、まったくそうして過そうとはお思いになれない。
源氏もこんなに真実を隠し続ければ、自分も女のだれであるかを知りようがない、今の家が仮の住居であることは間違いのないことらしいから、どこかへ移って行ってしまった時に、自分は呆然とするばかりであろう。行くえを失ってもあきらめがすぐつくものならよいが、それは断然不可能である。 【かくうらなくたゆめて】- 以下「いつとも知らせじ」まで、源氏の心。主語は女。
【いづこをはかりとか、我も尋ねむ】- 「はかり」は目処、目当て。係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形。係結びの法則。反語表現。探し当てることができない。
【いつとも知らじ」と思すに】- 打消推量の助動詞「じ」終止形。接続助詞「に」順接。
【追ひまどはして】- 『完訳』は以下「思されず」までを挿入句と解す。跡を追っているうちに見逃す、取り逃がす。
【なのめに思ひなしつべくは】- 完了の助動詞「つ」確述、推量の助動詞「べく」連用形+係助詞「は」順接の仮定条件を表す。
【過ぎぬべきことを】- 完了の助動詞「ぬ」確述、推量の助動詞「べき」連体形。接続助詞「を」逆接、体言を受けて「なるを」の意を表し、--なのに、--であるのに。
【さらにさて過ぐしてむ】- 源氏の心を叙述する。副詞「さらに」は打消の助動詞「ず」に係り、まったく--でない、意。
4.2.2
人目(ひとめ)(おぼ)して、(へだ)ておきたまふ()()ななどは、いと(しの)びがたく(くる)しきまでおぼえたまへばなほ()れとなくて二条院(にでうのゐん)(むか)へてむ
もし()こえありて便(びん)なかるべきことなりとも、さるべきにこそは
()(こころ)ながら、いとかく(ひと)にしむことはなきをいかなる(ちぎ)りにかはありけむ」など(おも)ほしよる
人目をお憚りになって、お途絶えになる夜な夜ななどは、とても我慢ができず、苦しいまでに思われなさるので、「やはり誰とも知らせずに二条院に迎えてしまおう。
もし世間に評判になって不都合なことであっても、そうなるはずの運命なのだ。
我ながら、ひどくこう女に惹かれることはなかったのに、どのような宿縁であったのだろうか」などとお思いつきになる。
世間をはばかって間を空ける夜などは堪えられない苦痛を覚えるのだと源氏は思って、世間へはだれとも知らせないで二条の院へ迎えよう、それを悪く言われても自分はそうなる前生の因縁だと思うほかはない、自分ながらもこれほど女に心を惹かれた経験が過去にないことを思うと、どうしても約束事と解釈するのが至当である、こんなふうに源氏は思って、 【いと忍びがたく】- 主語は源氏。
【おぼえたまへば】- 大島本「おほえ給へは」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「思ほえ」と校訂。『集成』『新大系』は底本のまま「おぼえ」とする
【なほ誰れとなくて二条院に迎へてむ】- 以下「いかなる契りにかはありけむ」まで、源氏の思い。「誰れとなくて」は二条院の人たちにこの女性がどのような素性の女であるかを知らせず、の意。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志。強い意志を表す。
【さるべきにこそは】- そうなる前世からの宿縁だったのだ、の意。下に「あれ」(已然形)などの語が省略。
【いとかく人にしむことはなきを】- 接続助詞「を」逆接を表す。
【いかなる契りにかはありけむ】- 連語「かは」(係助詞「か」+係助詞「は」)疑問を表す、過去の助動詞「けむ」連体形、係結びの法則。
【思ほしよる】- 「二条院に迎へてむ」ことを。
4.2.3 「さあ、とても気楽な所で、のんびりとお話し申そう」
「あなたもその気におなりなさい。私は気楽な家へあなたをつれて行って夫婦生活がしたい」 【いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ】- 源氏の詞。女を誘い出す。
4.2.4
など、(かた)らひたまへば、
などと、お誘いになると、
こんなことを女に言い出した。
4.2.5
なほ、あやしう
かくのたまへど、()づかぬ(おほん)もてなしなれば、もの(おそ)ろしくこそあれ
「やはり、変でございすわ。
そうおっしゃいますが、普通とは違ったお持てなしなので、何となく空恐ろしい気がしますわ」
「でもまだあなたは私を普通には取り扱っていらっしゃらない方なんですから不安で」 【なほ、あやしう】- 以下「こそあれ」まで、女の返事。この句を受ける述語がない。下に「おぼゆる」(連体中止法)などの語が省略。
【もの恐ろしくこそあれ】- 係助詞「こそ」、「あれ」(已然形)、係結びの法則。
4.2.6 と、とても子供っぽく言うので、「なるほど」と、思わずにっこりなさって、
若々しく夕顔が言う。源氏は微笑された。 【いと若びて言へば】- 子どもじみて言う。
【げに」と、ほほ笑まれたまひて】- 源氏が素性も教えず顔も見せないようにして連れ出そうとするのを、女が普通の扱いとは変だと言ったことに対して、もっともだと思う。
4.2.7 「なるほど、どちらが狐でしょうかね。
ただ、化かされなさいな」
「そう、どちらかが狐なんだろうね。でも欺されていらっしゃればいいじゃない」 【げに、いづれか狐なるらむな】- 源氏の詞。相手の言葉を「なるほど」といったんは受け止める。しかし相手も素性も名前も明かしてくれない。同じだと考える。そこで「いづれか」となる。推量の助動詞「らむ」視界外推量、目前にしながら、さあどちらが化かすことで有名な狐なのでしょうね、と言う。終助詞「な」詠嘆の気持ちを表す。
【ただはかられたまへかし】- 受身の助動詞「れ」連用形、終助詞「かし」念押しの意。
4.2.8
と、なつかしげにのたまへば、(をんな)もいみじくなびきて、さもありぬべく(おも)ひたり
()になくかたはなることなりとも、ひたぶるに(したが)(こころ)は、いとあはれげなる(ひと)」と()たまふに、なほ、かの頭中将(とうのちゅうじゃう)常夏疑(とこなつうたが)はしく(かた)りし(こころ)ざままづ(おも)()でられたまへど(しの)ぶるやうこそは」と、あながちにも()()でたまはず。
と、優しそうにおっしゃると、女もすっかりその気になって、そうであってもいいと思っている。
「世間に例のない、不都合なことであっても、一途に従順な心は、実にかわいい女だ」と、ご覧になると、やはり、あの頭中将の常夏の女かと疑われて、話された性質、それをまっさきにお思い出さずにはいらっしゃれないが、「きっと隠すような事情があるのだろう」と、むやみにお聞き出しなさらない。
なつかしいふうに源氏が言うと、女はその気になっていく。どんな欠点があるにしても、これほど純な女を愛せずにはいられないではないかと思った時、源氏は初めからその疑いを持っていたが、頭中将の常夏の女はいよいよこの人らしいという考えが浮かんだ。しかし隠しているのはわけのあることであろうからと思って、しいて聞く気にはなれなかった。 【さもありぬべく思ひたり】- 副詞「さ」上の叙述を指示する。そのように、の意。連語「ぬべく」(完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べし」)当然の意を表す。
【世になく】- 以下「あはれげなる人」まで、源氏の心。
【かの頭中将の常夏疑はしく】- あの頭中将が雨夜の品定めの折に語った常夏の花を詠んで贈ったという女ではないかの意。「常夏」は渾名になっている。
【語りし心ざま】- 過去の助動詞「し」連体形。頭中将が語った、意。
【まづ思ひ出でられたまへど】- 自発の助動詞「られ」連用形。接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【忍ぶるやうこそは】- 係助詞「こそ」、下に「あれ」(已然形)などの語が省略、係結びの省略。
4.2.9 表情に現して、不意に逃げ隠れするような性質などはないので、「離れ離れに、絶え間を置いたような折には、そのように気を変えることもあろうが、女のほうから、少し浮気することがあったほうが愛情も増さるであろう」とまで、お思いになった。
感情を害した時などに突然そむいて行ってしまうような性格はなさそうである、自分が途絶えがちになったりした時には、あるいはそんな態度に出るかもしれぬが、自分ながら少し今の情熱が緩和された時にかえって女のよさがわかるのではないかと、それを望んでもできないのだから途絶えの起こってくるわけはない、したがって女の気持ちを不安に思う必要はないのだと知っていた。 【気色ばみて】- 夕顔の態度。
【かれがれに】- 以下「あはれなるべけれ」まで、源氏の心。
【折こそは、さやうに思ひ変ることもあらめ】- 「さやうに」は「気色ばみてふと背き隠る」ことをさす。係助詞「こそ」は「あらめ」(已然形)に係る、係結の法則、下文に逆接で続く、逆接用法。
【心ながらも、すこし移ろふことあらむこそあはれなるべけれ】- 「心ながら」を源氏の「心ながら」と解す説と夕顔の「心ながら」と解す説とがある。『集成』は「(源氏は)わが心ながら、(こんなにいちずに溺れ込むのではなく)少し飽きでもきた方が、(女のひたむきな従順さに)いとしさがまさるであろうとまで思われた。夕顔の人柄をもっと味わい楽しみたい気持」と注す。『新大系』も「自分の心と言いながら少々心が外の女に移るようなことがことがあるとしたら気の毒であろうよ」と注す。一方、島津久基『源氏物語講話』は「いや自分勝手の妙な注文かも知れぬけれど、却って女の方でちょっとぐらいは移り気でも見せてくれる方が、張合があって、別の興味が湧くだろうに。あんまり素直過ぎて曲が無い、とさえ思ったりされるのであった」と訳す。『古典セレクション』も「我ながら(変なことを考えるようだが)、少しは女のほうでほかの男に心を移すようなようなことがあったほうがかえっていとしさが募るだろう。「移ろふ」を男の心ととる説もある」と注す。
【とさへ、思しけり】- 副助詞「さへ」添加の意を表す。
4.2.10
八月十五夜(はちがちじふごや)(くま)なき月影(つきかげ)隙多(ひまおほ)かる板屋(いたや)(のこ)りなく()()て、見慣(みな)らひたまはぬ()まひのさまも(めづら)しきに暁近(あかつきちか)くなりにけるなるべし(となり)家々(いへいへ)あやしき(しづ)()声々(こゑごゑ)目覚(めさ)まして、
八月十五日夜、満月の光が、隙間の多い板葺きの家に、すっかり射し込んで来て、ご経験のない住居の様子も珍しいが、払暁近くなったのであろう、隣の家々から、賤しい男たちの声々が、目を覚まして、
八月の十五夜であった。明るい月光が板屋根の隙間だらけの家の中へさし込んで、狭い家の中の物が源氏の目に珍しく見えた。もう夜明けに近い時刻なのであろう。近所の家々で貧しい男たちが目をさまして高声で話すのが聞こえた。 【八月十五夜】- 大島本は「八月十五夜」と表記し、「ハツキトモヨム」と注記している。したがって「はちがつ」と読むことをいう。「月 ぐゎち 呉音」(岩波古語辞典)。中秋の名月の夜。以下、助詞を省略した表現法に留意。非散文的叙述。
【住まひのさまも珍しきに】- 接続助詞「に」弱い逆接で下文に続ける。
【暁近くなりにけるなるべし】- 語り手の時間の経過をいう挿入句。
4.2.11 「ああ、ひどく貧しいことよ」
「ああ寒い。 【あはれ、いと寒しや】- 隣の男の声。「寒し」はまだ秋の季節であるし次の言葉からも、ここは生業のうまくいかないこと、貧しいことの意であろう。
4.2.12
今年(ことし)こそなりはひにも(たの)むところすくなく、田舎(ゐなか)(かよ)ひも(おも)ひかけねばいと心細(こころぼそ)けれ。
北殿(きたどの)こそ()きたまふや」
「今年は、商売も当てになる所も少なく、田舎への行き来も望めないから、ひどく心細いなあ。
北隣さん、お聞きなさるか」
今年こそもう商売のうまくいく自信が持てなくなった。地方廻りもできそうでないんだから心細いものだ。北隣さん、まあお聞きなさい」 【今年こそ】- 以下「聞きたまふや」まで、もう一人の男の声。係助詞「こそ」は「心細けれ」(已然形)に係る、係結びの法則。
【思ひかけねば】- 打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【北殿こそ】- 接尾語「こそ」呼び掛け。
4.2.13
など、()()はすも()こゆ。
などと、言い交わしているのも聞こえる。
などと言っているのである。
4.2.14
いとあはれなるおのがじしの(いとな)みに()()でて、そそめき(さわ)ぐもほどなきを、(をんな)いと()づかしく(おも)ひたり
まことにほそぼそとした各自の生計のために起き出して、ざわめいているのも間近なのを、女はとても恥ずかしく思っている。
哀れなその日その日の仕事のために起き出して、そろそろ労働を始める音なども近い所でするのを女は恥ずかしがっていた。 【女いと恥づかしく思ひたり】- 他人事ながらこのような界隈に身を置く自分を恥じたものであろう。
4.2.15
(えん)だち気色(けしき)ばまむ(ひと)()えも()りぬべき()まひのさまなめりかし
されど、のどかに、つらきも()きもかたはらいたきことも、(おも)()れたるさまならで()がもてなしありさまはいとあてはかにこめかしくて、またなくらうがはしき(となり)用意(ようい)なさを、いかなる(こと)とも()()りたるさまならねばなかなか、()ぢかかやかむよりは、罪許(つみゆる)されてぞ()えける
風流ぶって気取りたがるような人は、消え入りたいほどの住居の様子のようである。
けれども、のんびりと、辛いことも嫌なことも気恥ずかしいことも、苦にしている様子でなく、自身の態度や様子は、とても上品でおっとりして、またとないくらい下品な隣家のぶしつけさを、どのようなこととも知っている様子でないので、かえって恥ずかしがり赤くなるよりは、罪がないように思われるのであった。
気どった女であれば死ぬほどきまりの悪さを感じる場所に違いない。でも夕顔はおおようにしていた。人の恨めしさも、自分の悲しさも、体面の保たれぬきまり悪さも、できるだけ思ったとは見せまいとするふうで、自分自身は貴族の子らしく、娘らしくて、ひどい近所の会話の内容もわからぬようであるのが、恥じ入られたりするよりも感じがよかった。 【艶だち気色ばまむ人は】- 推量の助動詞「む」婉曲の意。『評釈』は「作者の批評の言葉であろうか」と注し、『完訳』は「語り手の一般的な感想に発して、「されど」以下の夕顔評へ転ずる」と注す。
【消えも入りぬべき】- 係助詞「も」強調、連語「ぬべき」当然の意。
【さまなめりかし】- 語り手の感想を交えた表現。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、話者すなわち語り手の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押し。
【思ひ入れたるさまならで】- 夕顔の態度。前に「恥づかしく思ひたり」とあった。ここは、苦にする、ふさぎこむ、という意であろう。
【我がもてなしありさまは】- 夕顔の態度。このような中にあっても気品を失わない態度。
【いかなる事とも聞き知りたるさまならねば】- 下情に通じていない、ということは上流の人のさま。
【罪許されてぞ見えける】- 源氏の感想。係助詞「ぞ」。過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。
4.2.16
ごほごほと()(かみ)よりもおどろおどろしく、()(とどろ)かす唐臼(からうす)(おと)枕上(まくらがみ)とおぼゆる
あな、(みみ)かしかまし」と、これにぞ(おぼ)さるる。
(なに)(ひび)きとも()()れたまはず、いとあやしうめざましき(おと)なひとのみ()きたまふ。
くだくだしきことのみ(おほ)かり
ごろごろと鳴る雷よりも騒がしく、踏み轟かす唐臼の音も枕元のように聞こえる。
「ああ、やかましい」と、これには閉口されなさる。
何の響きともお分りにならず、とても不思議で耳障りな音だとばかりお聞きになる。
ごたごたしたことばかり多かった。
ごほごほと雷以上の恐い音をさせる唐臼なども、すぐ寝床のそばで鳴るように聞こえた。源氏もやかましいとこれは思った。けれどもこの貴公子も何から起こる音とは知らないのである。大きなたまらぬ音響のする何かだと思っていた。そのほかにもまだ多くの騒がしい雑音が聞こえた。 【鳴る神】- 名詞。「鳴る」は前の「ごほごほ」を受け、掛け詞的に使用されている。
【枕上とおぼゆる】- 格助詞「と」状態を指示して下へ続ける。--のように、--というふうに。「おぼゆる」連体形、連体中止法、余情・余韻を表す。
【あな、耳かしかまし】- 源氏の感想。「かしかまし」は清音。「姦 カシカマシ」(名義抄)「カシカマシイ」(日葡辞書)。第三音節が濁音化するのは近世以後のこと(小学館古語大辞典)。『集成』『新大系』は清音で読むが、『古典セレクション』は「かしがまし」と濁音で読んでいる。
【いとあやしうめざましき音なひ】- 源氏の心を叙述する。
【くだくだしきことのみ多かり】- 語り手の批評。『岷江入楚』は「作者のかきのこしたるとなり」と指摘。『評釈』は「読み手たる女房は(中略)地声を出して、読み手個人の批評をさしはさむ」と注す。『集成』は「身分の高い読者に対して、下層の話題を提供したことを弁解する草子地」と注す。
4.2.17
白妙(しろたへ)(ころも)うつ(きぬた)(おと)も、かすかにこなたかなた()きわたされ、空飛(そらと)(かり)(こゑ)()(あつ)めて、(しの)びがたきこと(おほ)かり
端近(はしちか)御座所(おましどころ)なりければ、遣戸(やりど)()()けて、もろともに見出(みい)だしたまふ。
ほどなき(には)に、されたる呉竹(くれたけ)前栽(せんさい)(つゆ)は、なほかかる(ところ)(おな)じごときらめきたり
(むし)声々乱(こゑごゑみだ)りがはしく、(かべ)のなかの蟋蟀(きりぎりす)だに間遠(まどほ)()()らひたまへる御耳(おほんみみ)に、さし()てたるやうに()(みだ)るるを、なかなかさまかへて(おぼ)さるるも、御心(みこころ)ざし(ひと)つの(あさ)からぬに、よろづの罪許(つみゆる)さるるなめりかし
衣を打つ砧の音も、かすかにあちらこちらからと聞こえて来て、空を飛ぶ雁の声も、一緒になって、堪えきれない情趣が多い。
端近いご座所だったので、遣戸を引き開けて、一緒に外を御覧になる。
広くもない庭に、しゃれた呉竹や、前栽の露は、やはりこのような所も同じように光っていた。
虫の声々が入り乱れ、壁の内側のこおろぎでさえ、時たまお聞きになっているお耳に、じかに押し付けたように鳴き乱れているのを、かえって違った感じにお思いなさるのも、お気持ちの深さゆえに、すべての欠点が許されるのであろうよ。
白い麻布を打つ砧のかすかな音もあちこちにした。空を行く雁の声もした。秋の悲哀がしみじみと感じられる。庭に近い室であったから、横の引き戸を開けて二人で外をながめるのであった。小さい庭にしゃれた姿の竹が立っていて、草の上の露はこんなところのも二条の院の前栽のに変わらずきらきらと光っている。虫もたくさん鳴いていた。壁の中で鳴くといわれて人間の居場所に最も近く鳴くものになっている蟋蟀でさえも源氏は遠くの声だけしか聞いていたかったが、ここではどの虫も耳のそばへとまって鳴くような風変わりな情趣だと源氏が思うのも、夕顔を深く愛する心が何事も悪くは思わせないのであろう。 【白妙の衣うつ砧の音】- 以下、『和漢朗詠集』の「北斗の星の前に旅雁を横たふ 南楼の月の下に寒衣を擣つ」(巻上、秋)や『白氏文集』の「月は新霜の色を帯び 砧は遠雁の声に和す」(巻第六十六)を踏まえる。「白妙の」は「衣」の枕詞。したがって特に訳し出さなくともよい語。
【忍びがたきこと多かり】- 秋の情趣。「大底四時は心惣べて苦(ねんごろ)なり 就中(このうち)腸の断ゆることは是れ秋の天なり」(白氏文集・和漢朗詠集)。
【前栽】- 大島本「せむさい」と表記。前田本「字類抄」に「センサイ」とある。「平安時代はセンサイと清音」(岩波古語辞典)。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せむざい」と濁音で読む。
【かかる所も同じごときらめきたり】- 前に「門は蔀のやうなる、押し上げたる、見入れのほどなく、ものはかなき住まひを、あはれに「何処かさして」と思ほしなせば、玉の台も同じことなり」(第一章一段)とあった。
【壁のなかの蟋蟀】- 『礼記』月令の「季夏(中略)蟋蟀壁に居る」。出典の季節は「季夏」(六月)で「八月十五夜」(中秋)と異なるが、こおろぎの鳴く声が壁の内側から聞こえてくる、という趣。季節の推移とともに、夏の壁の外側(庭)で鳴いていたこおろぎがやがて季節が秋ともなると壁の内側(室内)で鳴くようになる、という変化が記されている。
【御心ざし一つの浅からぬに、よろづの罪許さるるなめりかし】- 「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、話者すなわち語り手の主観的推量を表す。終助詞「かし」念押し。『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「なかなか」からを「草子地と見るべし又只も見るべし」とあり、『岷江入楚』(中院通勝)は「罪許さるる」以下を「草子地なり」と指摘する。
4.2.18
(しろ)(あはせ)薄色(うすいろ)なよよかなるを(かさ)ねて、はなやかならぬ姿(すがた)いとらうたげにあえかなる心地(ここち)して、そこと()()ててすぐれたることもなけれど、(ほそ)やかにたをたをとして、ものうち()ひたるけはひ、あな、心苦(こころぐる)」と、ただいとらうたく()ゆ。
(こころ)ばみたる(かた)をすこし()へたらば()たまひながら、なほうちとけて()まほしく(おぼ)さるれば
白い袷、薄紫色の柔らかい衣を重ね着て、地味な姿態は、とてもかわいらしげに華奢な感じがして、どこそこと取り立てて優れた所はないが、か細くしなやかな感じがして、何かちょっと言った感じは、「ああ、いじらしい」と、ただもうかわいく思われる。
気取ったところをもう少し加えたらと、御覧になりながら、なおもくつろいで逢いたく思われなさるので、
白い袷に柔らかい淡紫を重ねたはなやかな姿ではない、ほっそりとした人で、どこかきわだって非常によいというところはないが繊細な感じのする美人で、ものを言う様子に弱々しい可憐さが十分にあった。才気らしいものを少しこの人に添えたらと源氏は批評的に見ながらも、もっと深くこの人を知りたい気がして、 【白き袷、薄色の】- 以下、夕顔の服装の描写。当時、「薄色」といえば薄紫色をいった。「濃き色」といえば、濃い紫色または濃い紅色をいった。
【あな、心苦し】- 源氏の惑溺した感情。
【心ばみたる方をすこし添へたらば】- 源氏の夕顔に対する誂えの気持ち。夕顔に気取った感じがもう少しあったら、の意。
【見まほしく思さるれば】- 自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
4.2.19
いざ、ただこのわたり(ちか)(ところ)心安(こころやす)くて()かさむ。
かくてのみは、いと(くる)しかりけり」とのたまへば、
「さあ、ちょっとこの辺の近い所で、気楽に夜を明かそう。
こうしてばかりいては、とても辛いなあ」とおっしゃると、
「さあ出かけましょう。この近くのある家へ行って、気楽に明日まで話しましょう。こんなふうでいつも暗い間に別れていかなければならないのは苦しいから」
 と言うと、
【いざ、ただこのわたり近き所に】- 以下「いと苦しかりけり」まで、源氏の詞。夕顔を誘い出す。
【いと苦しかりけり】- 過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。
4.2.20 「とてもそんな。
急でしょう」
「どうしてそんなに急なことをお言い出しになりますの」 【いかでか】- 反語表現。下に「行かむ」などの語句が省略。
【にはかならむ】- 推量の助動詞「む」終止形。
4.2.21
と、いとおいらかに()ひてゐたり
この()のみならぬ(ちぎ)りなどまで(たの)めたまふにうちとくる(こころ)ばへなど、あやしくやう()はりて、世馴(よな)れたる(ひと)ともおぼえねば、(ひと)(おも)はむ(ところ)(はばか)りたまはで右近(うこん)()()でて随身(ずいじん)()させたまひて御車引(みくるまひ)()れさせたまふ
このある(ひと)びともかかる御心(みこころ)ざしのおろかならぬを見知(みし)れば、おぼめかしながら(たの)みかけきこえたり。
と、とてもおっとりと言ってじっとしている。
この世だけでない来世の約束などまで相手に期待させていらっしゃるので、気を許す心根などが、不思議に普通と違って、世慣れた女とも思われないので、他人がどう思うかを慮ることもおできになれず、右近を召し出して、随身を呼ばせなさって、お車を引き入れさせなさる。
この家の女房たちも、このようなお気持ちが並大抵でないのが分かるので、不安に思いながらも、期待をかけ申していた。
おおように夕顔は言っていた。変わらぬ恋を死後の世界にまで続けようと源氏の誓うのを見ると何の疑念もはさまずに信じてよろこぶ様子などのうぶさは、一度結婚した経験のある女とは思えないほど可憐であった。源氏はもうだれの思わくもはばかる気がなくなって、右近に随身を呼ばせて、車を庭へ入れることを命じた。夕顔の女房たちも、この通う男が女主人を深く愛していることを知っていたから、だれともわからずにいながら相当に信頼していた。 【言ひてゐたり】- ワ上一動詞「ゐ」連用形、座っている。じっとしている。『古典セレクション』は「動こうともしない」と訳す。
【頼めたまふに】- タ下二動詞「頼め」連用形、頼りにさせる、期待させる、意。接続助詞「に」原因理由を表す。
【え憚りたまはで】- 副詞「え」は打消の接続助詞「で」と呼応して不可能の意を表す。
【右近を召し出でて】- 夕顔付きの女房。主語は源氏。
【随身を召させたまひて】- 使役の助動詞「させ」連用形。右近をして随身を呼び出させる。
【御車引き入れさせたまふ】- 使役の助動詞「させ」連用形。随身をして牛車を縁先に付けさせる。
【このある人びとも】- この家に居合わせた女房たち。
【おぼめかしながら】- 形容詞「おぼめかし」。『岩波古語辞典』では「オボメキの形容詞形。状態・知識・記憶・態度などがはっきりしない、曖昧で判断がつけにくい意」という。
4.2.22
()(がた)(ちか)うなりにけり。
(とり)(こゑ)などは()こえで、御嶽精進(みたけさうじ)にやあらむただ(おきな)びたる(こゑ)ぬかづくぞ()こゆる
()()のけはひ、()へがたげに(おこな)ふ。
いとあはれに、(あした)(つゆ)(こと)ならぬ()を、(なに)(むさぼ)()(いの)りにか」と、()きたまふ。
南無当来導師(なんたうらいだうし)とぞ(おが)むなる
夜明けも近くなってしまった。
鶏の声などは聞こえないで、御嶽精進であろうか、ただ老人めいた声で礼拝するのが聞こえる。
立ったり座ったりの様子、難儀そうに勤行する。
たいそうしみじみと、「朝の露と違わないはかないこの世を、何を欲張りわが身の利益を祈るのだろうか」と、お聞きになる。
「南無当来導師、
ずっと明け方近くなってきた。この家に鶏の声は聞こえないで、現世利益の御岳教の信心なのか、老人らしい声で、起ったりすわったりして、とても忙しく苦しそうにして祈る声が聞かれた。源氏は身にしむように思って、朝露と同じように短い命を持つ人間が、この世に何の慾を持って祈祷などをするのだろうと聞いているうちに、
 「南無当来の導師」
 と阿弥陀如来を呼びかけた。
【御嶽精進にやあらむ】- 吉野の金峰山に参籠するのに先立って行う精進潔斎。千日間行うという。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形。語り手が介入して推測。
【ぬかづくぞ聞こゆる】- 係助詞「ぞ」「聞こゆる」連体形、係結びの法則。
【朝の露に異ならぬ世を、何を貧る身の祈りにか】- 『白氏文集』巻二に「朝露貪名利 夕陽憂子孫<朝の露に名利を貪り夕の陽に子孫を憂ふ>」(秦中吟「不致仕」)を踏まえる。源氏の思い。この「夕顔」巻全体を支配する無常観の基調。
【南無当来導師】- 「南無当来導師」は弥勒菩薩のこと。弥勒菩薩が出現して衆生を救う、という信仰。
【とぞ拝むなる】- 係助詞「ぞ」、「拝む」終止形、伝聞推定の助動詞「なる」連体形、係結びの法則。
4.2.23
かれ、()きたまへ
この()とのみは(おも)はざりけり」と、あはれがりたまひて
「あれを、お聞きなさい。
この世だけとは思っていないのだね」と、しみじみと感じられて、
「そら聞いてごらん。現世利益だけが目的じゃなかった」
 とほめて、
【かれ、聞きたまへ】- 以下「思はざりけり」まで、源氏の詞。
【あはれがりたまひて】- 接尾語「がる」は、そのように感じる、そのように振る舞うの意。『古典セレクション』は「感慨をもよおされて」、『新大系』は「感銘を受けなさって」と訳す。
4.2.24 「優婆塞が勤行しているのを道しるべにして
来世にも深い約束に背かないで下さい」
優婆塞が行なふ道をしるべにて
来ん世も深き契りたがふな
【優婆塞が行ふ道をしるべにて--来む世も深き契り違ふな】- 源氏の贈歌。優婆塞は在俗のまま仏道修業する人。隣の老人の御嶽精進の声を聞きながら詠んだ和歌。来世でも約束に背かないでください、と現世来世の二世を契った歌である。
4.2.25 長生殿の昔の例は縁起が悪いので、翼を交そうとは言わずに、弥勒菩薩が出現する未来までの愛を約束なさる。
そのような長いお約束とは、まことに大げさである。
とも言った。玄宗と楊貴妃の七月七日の長生殿の誓いは実現されない空想であったが、五十六億七千万年後の弥勒菩薩出現の世までも変わらぬ誓いを源氏はしたのである。 【長生殿の古き例はゆゆしくて、翼を交さむとは引きかへて】- 『白氏文集」巻十二に「七月七日長生殿 夜半無人私語時 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝<七月七日長生殿に夜半に人無くして私語せし時天に在らば願はくは比翼の鳥作らむ地に在らば願はくは連理の枝為らむ>」(長恨歌)を踏まえる。しかし、楊貴妃は殺されたので、今はそれは不吉であるとする。
【弥勒の世をかねたまふ】- 「かね」連用形、将来のことを心配する、未来のことを考える、意。弥勒菩薩は、釈迦入滅後、五十六億七千万年後に出現するという。その出現までの永い約束をする。
【行く先の御頼め、いとこちたし】- 語り手の評言。源氏の将来までの約束があまりに大袈裟だという、作者の弁解でもある。『首書源氏物語』は「長生殿の」から「地也」と指摘し、『湖月抄』は「行先の」から「地」と指摘する。いずれもいわゆる「草子地」であるとの指摘である。
4.2.26 「前世の宿縁の拙さが身につまされるので
来世まではとても頼りかねます」
前の世の契り知らるる身のうさに
行く末かけて頼みがたさよ
【前の世の契り知らるる身の憂さに--行く末かねて頼みがたさよ】- 夕顔の返歌。わが身の不運を前世からの因縁だと嘆き、したがってとても来世までは信頼できないとする歌。
4.2.27 このような返歌のし方なども、実のところ、心細いようである。
と女は言った。歌を詠む才なども豊富であろうとは思われない。 【かやうの筋なども、さるは、心もとなかめり】- 接続詞「さるは」補足的説明をする。実のところ、それというのは、の意。「なかめり」は形容詞「心もとなかる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量。語り手の推量。『古典セレクション』は「夕顔の歌を受けつつ、しかし実際のところは頼りなさそうだ、と語り手の感想を述べる」と注す。

第三段 なにがしの院に移る

4.3.1
いさよふ(つき)ゆくりなくあくがれむことを、(をんな)(おも)ひやすらひ、とかくのたまふほど、にはかに雲隠(くもがく)れて、()()(そら)いとをかし
はしたなきほどにならぬ(さき)にと、(れい)(いそ)()でたまひて(かろ)らかにうち()せたまへれば右近(うこん)()りぬる
ためらっている月のように、出し抜けに行く先も分からず出かけることを、女は躊躇し、いろいろと説得なさるうちに、急に雲に隠れて、明け行く空は実に美しい。
体裁の悪くなる前にと、いつものように急いでお出になって、軽々とお乗せになったので、右近が乗った。
月夜に出れば月に誘惑されて行って帰らないことがあるということを思って出かけるのを躊躇する夕顔に、源氏はいろいろに言って同行を勧めているうちに月もはいってしまって東の空の白む秋のしののめが始まってきた。
 人目を引かぬ間にと思って源氏は出かけるのを急いだ。女のからだを源氏が軽々と抱いて車に乗せ右近が同乗したのであった。
【いさよふ月に】- 山の端に入りそうでなかなか入らない月。時刻の経過を表す。『評釈』は「たゆとう月とともに」と訳す。『新大系』は「(山の端に)入りかねる月(に誘われるよう)に」と注す。格助詞「に」のように。下文の「思ひやすらひ」に係る。
【とかくのたまふ】- 主語は源氏。あれこれと説得なさる。
【にはかに雲隠れて、明け行く空いとをかし】- 月が急に雲に隠れたかと思うと、東の空が明けて行くのがとても美しい。明けて十六日の朝となる。
【例の急ぎ出でたまひて】- 六条の貴婦人の邸から帰る折とは対照的。
【うち乗せたまへれば】- 完了の助動詞「れ」已然形、完了の意。源氏が夕顔を車に乗せてしまったので、というニュアンス。
【右近ぞ乗りぬる】- 係助詞「ぞ」「乗る」連体形、係結びの法則。誰が同乗するかといえば、右近が乗ったのだ、というニュアンス。
4.3.2
そのわたり(ちか)きなにがしの(ゐん)おはしまし()きて、(あづか)()()づるほど、()れたる(かど)(しの)草茂(ぐさしげ)りて見上(みあ)げられたるたとしへなく木暗(こぐら)し。
(きり)(ふか)く、(つゆ)けきに(すだれ)をさへ()げたまへれば、御袖(おほんそで)もいたく()れにけり
その辺りに近い某院にお着きあそばして、管理人をお呼び出しになる間、荒れた門の忍草が生い茂っていて見上げられるのが、譬えようなく木暗い。
霧も深く、露っぽいところに、簾までを上げていらっしゃるので、お袖もひどく濡れてしまった。
五条に近い帝室の後院である某院へ着いた。呼び出した院の預かり役の出て来るまで留めてある車から、忍ぶ草の生い茂った門の廂が見上げられた。たくさんにある大木が暗さを作っているのである。霧も深く降っていて空気の湿っぽいのに車の簾を上げさせてあったから源氏の袖もそのうちべったりと濡れてしまった。 【そのわたり近きなにがしの院に】- 五条から近い某の院。古来、源融の河原院が想定されている。「院」という呼称の邸と建物は皇室の御領。
【預り】- 某院の管理人。
【見上げられたる】- 完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。主格となって下文に続く。
【露けきに】- 形容詞「露けき」連体形、接続助詞「に」順接を表す。
【御袖もいたく濡れにけり】- 牛車の簾を上げ、袖を外に出していたので草露に濡れた。
4.3.3 「まだこのようなことを経験しなかったが、いろいろと気をもむことであるなあ。
「私にははじめての経験だが妙に不安なものだ。 【まだかやうなることを】- 以下「慣らひたまへりや」まで、源氏の詞。
【慣らはざりつるを】- 完了の助動詞「つる」連体形、接続助詞「を」逆接的な意を表す。
【心尽くしなることにもありけるかな】- 断定の助動詞「なる」連体形、格助詞「に」動作の対象、係助詞「も」強調の意、過去の助動詞「ける」詠嘆の意、終助詞「かな」詠嘆の意を表す。
4.3.4 昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか
わたしには経験したことのない明け方の道だ
いにしへもかくやは人の惑ひけん
わがまだしらぬしののめの道
【いにしへもかくやは人の惑ひけむ--我がまだ知らぬしののめの道】- 源氏の贈歌。副詞「かく」は「惑ひけむ」に係る。係助詞「やは」疑問の意を表す。過去推量の助動詞「けむ」連体形。昔の人もこのように恋の道に迷ったのだろうか、わたしには初めての経験だという歌。『新大系』は「「人」は頭中将を暗示して言う」と注す。
4.3.5 ご経験なさいましたか」
前にこんなことがありましたか」 【慣らひたまへりや】- 尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」終止形、係助詞「や」疑問の意を表す。
4.3.6 とおっしゃる。
女は、恥ずかしがって、
と聞かれて女は恥ずかしそうだった。 【女、恥ぢらひて】- 「女」は恋の場面の呼称。自ハ四「恥ぢらひ」連用形。
4.3.7 「山の端をどこと知らないで随って行く月は
途中で光が消えてしまうのではないでしょうか
「山の端の心も知らず行く月は
上の空にて影や消えなん
【山の端の心も知らで行く月は--うはの空にて影や絶えなむ】- 夕顔の返歌。係助詞「や」疑問、完了の助動詞「な」未然形、推量の助動詞「む」連体形。「山の端の心」を源氏の心、「月」を自分に喩える。不安な気持ちを表明した歌。
4.3.8 心細くて」
心細うございます、私は」 【心細く】- 歌に添えた言葉。「心細く」連用中止法、余情を表す。
4.3.9
とて、もの(おそ)ろしうすごげに(おも)ひたれば、かのさし(つど)ひたる()まひの()らひならむ」と、をかしく(おぼ)す。
と言って、何となく怖がって気味悪そうに思っているので、「あの建て込んでいる小家に住み慣れているからだろう」と、おもしろくお思いになる。
凄さに女がおびえてもいるように見えるのを、源氏はあの小さい家におおぜい住んでいた人なのだから道理であると思っておかしかった。 【かのさし集ひたる住まひの慣らひならむ】- 断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形。夕顔は今まで狭く立て込んだ小家に住み慣れているためだろうという、源氏の推察。
4.3.10 お車を入れさせて、西の対にご座所などを準備する間、高欄に轅を掛けて待っていらっしゃる。
右近は、心浮き立つ優美な心地がして、過去のことなども、一人思い出すのであった。
管理人が一生懸命奔走している様子から、このご様子をすっかり知った。
門内へ車を入れさせて、西の対に仕度をさせている間、高欄に車の柄を引っかけて源氏らは庭にいた。右近は艶な情趣を味わいながら女主人の過去の恋愛時代のある場面なども思い出されるのであった。預かり役がみずから出てする客人の扱いが丁寧きわまるものであることから、右近にはこの風流男の何者であるかがわかった。 【御車入れさせて】- 某院の中門内に。使役の助動詞「させ」連用形。某院の人をして、の意。
【高欄に御車ひきかけて立ちたまへり】- 牛車から牛を外して、轅(ながえ)を高欄に掛けた形で、源氏一行は車の中で準備の整うまで待つ。
【艶なる心地】- 大島本「ゑんある心ち」とある。「縁ある心地」ではあるまい。諸本に従って「艶なる心地」と改める。『集成』は「はなやいだ気分になって」と解し、『完訳』は「傍観者ながら、浮き立つ気持」と解す。
【来し方のことなども、人知れず思ひ出でけり】- かつて主人の夕顔のもとに頭中将が通ってきたころのこと。
【預りいみじく経営しありく気色に】- 院の管理人が一生懸命に準備に奔走する様子。
【この御ありさま知りはてぬ】- この男君の身分を皇室関係の方だと知った。『集成』は「皇室御領の院を自由に使い、管理人が懸命にご接待するのを見て、源氏だとはっきり分った」と注す。
4.3.11 ほのかに物が見えるころに、お下りになったようである。
仮ごしらえだが、こざっぱりと設けてある。
物の形がほのぼの見えるころに家へはいった。
にわかな仕度ではあったが体裁よく座敷がこしらえてあった。
【ほのぼのと物見ゆるほどに、下りたまひぬめり】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意。推量の助動詞「めり」主観的推量。語り手の視点である。同じく十六日の朝、物の形がほのぼのと見える時刻である。
【かりそめなれど、清げにしつらひたり】- 仮ごしらえの御座所。
4.3.12
御供(おほんとも)(ひと)さぶらはざりけり
不便(ふびん)なるわざかな」とて、むつましき下家司(しもげいし)にて、殿(との)にも(つか)うまつる(もの)なりければ、(まゐ)りよりてさるべき人召(ひとめ)すべきにや」など、(まう)さすれど
「お供にどなたもお仕えいたしておりませんな。
不都合なことですな」と言って、親しい下家司で、大殿にも仕えている者だったので、参り寄って、「適当な人を、お呼びなさるべきではありませんか」などと、申し上げさせるが、
「だれというほどの人がお供しておらないなどとは、どうもいやはや」 などといって預かり役は始終出入りする源氏の下家司でもあったから、座敷の近くへ来て右近に、
 「御家司をどなたかお呼び寄せしたものでございましょうか」
 と取り次がせた。
【御供に】- 以下「不便なるわざかな」まで、管理人の詞。
【さぶらはざりけり】- 過去の助動詞「けり」詠嘆、気付いて驚きを表す。
【殿にも仕うまつる者】- 『集成』は「二条の院にも仕えている者」と解し、『古典セレクション』『新大系』は「左大臣(葵の上の父)家」と解す。
【参りよりて】- 簀子または廂間まで、長押の外であろう。源氏は母屋の中、御帳台にいる。
【さるべき人召すべきにや】- 管理人の詞。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。
【申さすれど】- 使役の助動詞「すれ」已然形。管理人が右近をして申し上げさせるが、の意。
4.3.13
ことさらに人来(ひとく)まじき(かく)家求(がもと)めたるなり。
さらに(こころ)よりほかに()らすな」と(くち)がためさせたまふ
「特に人の来ないような隠れ家を求めたのだ。
決して他人には言うな」と口封じさせなさる。
「わざわざだれにもわからない場所にここを選んだのだから、おまえ以外の者にはすべて秘密にしておいてくれ」
 と源氏は口留めをした。
【ことさらに】- 以下「漏らすな」まで、源氏の詞。
【さらに心よりほかに漏らすな】- 副詞「さらに」は下に打消しの語を伴って、全然、決しての意。終助詞「な」禁止の意。
【口がためさせたまふ】- 使役の助動詞「させ」。右近をして管理人に言わせる。
4.3.14
御粥(おほんかゆ)など(いそ)(まゐ)らせたれど、()()(おほん)まかなひうち()はず。
まだ()らぬことなる御旅寝(おほんたびね)に、息長川(おきながかは)」と(ちぎ)りたまふことよりほかのことなし。
お粥などを準備して差し上げたが、取り次ぐお給仕が揃わない。
まだ経験のないご外泊に、「鳰鳥の息長川」よりもいついつまでもとお約束なさること以外ない。
さっそくに調えられた粥などが出た。給仕も食器も間に合わせを忍ぶよりほかはない。こんな経験を持たぬ源氏は、一切を切り放して気にかけぬこととして、恋人とはばからず語り合う愉楽に酔おうとした。 【御粥】- 朝食である。『新大系』は「ご飯。固粥(かたかゆ)であろう」と注す。
【息長川】- 『奥入』は「鳰鳥の息長川は絶えぬとも君に語らふこと尽きめやも」(古今六帖第三 鳰 一四九九)を指摘する。いついつまでもの意。
4.3.15
()たくるほどに()きたまひて格子手(かうして)づから()げたまふ。
いといたく()れて人目(ひとめ)もなくはるばると見渡(みわた)されて、木立(こだち)いとうとましくものふりたり。
(ぢか)草木(くさき)などは、ことに見所(みどころ)なく、みな(あき)()らにて(いけ)水草(みくさ)(うづ)もれたれば、いとけうとげになりにける(ところ)かな
別納(べちなふ)(かた)にぞ曹司(ざうし)などして、人住(ひとす)むべかめれどこなたは(はな)れたり。
日が高くなったころにお起きになって、格子を自らお上げになる。
とてもひどく荒れて、人影もなく広々と見渡されて、木立がとても気味悪く鬱蒼と古びている。
側近くの草木などは、格別見所もなく、すっかり秋の野原となって、池も水草に埋もれているので、まことに恐ろしくなってしまった所であるよ。
別納の方に、部屋などを設えて、人が住んでいるようだが、こちらは離れている。
源氏は昼ごろに起きて格子を自身で上げた。非常に荒れていて、人影などは見えずにはるばると遠くまでが見渡される。向こうのほうの木立ちは気味悪く古い大木に皆なっていた。近い値え込みの草や灌木などには美しい姿もない。秋の荒野の景色になっている。池も水草でうずめられた凄いものである。別れた棟のほうに部屋などを持って預かり役は住むらしいが、そことこことはよほど離れている。 【日たくるほどに起きたまひて】- 源氏は、朝粥を摂った後、いったん眠って、日が高くなったころに起きた。
【いといたく荒れて】- 以下、源氏の目を通して語る。
【秋の野らにて】- 大島本「秋のゝ(ゝ+ら)にて」とある。大島本の補入は墨筆で丸印を付けて行間に小さく「羅」と書いたもの。夕顔の訂正跡を見ると、朱筆によるものと墨筆によるものとがある。元の文字を摺り消してその上に墨筆で訂正した筆跡は本文と一筆である。朱筆による訂正は字形を正したものや訂正したもので、後からのものと見られる。この箇所には行間に朱筆で引き歌「里ハアレテ」(古今集)歌がカタカナ表記で指摘されている。その注記は補入文字「ら」を避けて書いているので、この補入はそれよりも古いものである。御物本も「ら」を補入。横山本、榊原家本、池田本は「秋のゝ」とある。なお、別本の陽明文庫本は「あきのゝへ」とある。『異本紫明抄』は「秋のゝらにて」云々の本文を引用して「里は荒れて人はふりにし宿なれや庭も籬も秋の野らなる」(古今集 秋上 二四八 僧正遍昭)を指摘する。「ら」が無ければ「里は荒れて」の引き歌は発生しない。
【いとけうとげになりにける所かな】- 以下「離れたり」まで、源氏の心中を語る。しかし、終わりは地の文になっている。終助詞「かな」詠嘆は、源氏の感想。『集成』は「格子を上げて、外を見渡している源氏の視線を追って、木立や前栽の様を叙べてきたので、源氏の心中の感想が、そのまま地の文になっているのであろう。あとに、ほとんど同文が源氏の言葉として出る」と注す。『完訳』は「ほぼ同文が次行に重出。不審」と注す。『新大系』は「源氏の心内である。すぐあとに会話文でも繰り返される」と注す。
【別納の方にぞ】- 別納は母屋などから離れた雑舎などの建物。
【人住むべかめれど】- 「べかめれ」は推量の助動詞「べかる」の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めれ」已然形、主観的推量。源氏の判断と推測。
4.3.16 「気味悪そうになってしまった所だね。
いくら何でも、鬼などもわたしならきっと見逃すだろう」とおっしゃる。
「気味悪い家になっている。でも鬼なんかだって私だけはどうともしなかろう」
と源氏は言った。
【けうとくもなりにける所かな】- 以下「見許してむ」まで、源氏の詞。夕顔に向かって言ったものであろう。
【鬼なども我をば見許してむ】- 完了の助動詞「て」連用形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形。『新大系』は「死者の霊魂など超自然的な存在で、人に危害を加えることがある。気味悪さを打ち消すために言ってみる源氏の言葉はかえって屋敷に棲息する鬼を呼び起こすことになる危険を伴う」と注す。
4.3.17
(かほ)はなほ(かく)したまへれど(をんな)のいとつらしと(おも)へれば、げに、かばかりにて(へだ)てあらむも、ことのさまに(たが)ひたり」と(おぼ)して、
お顔は依然として隠していらっしゃるが、女がとても辛いと思っているので、「なるほど、これ程深い仲になって隠しているようなのも、男女のあるべきさまと違っている」とお思いになって、
まだこの時までは顔を隠していたが、この態度を女が恨めしがっているのを知って、何たる錯誤だ、不都合なのは自分である、こんなに愛していながらと気がついた、 【顔はなほ隠したまへれど】- 袖で顔を隠している。
【げに、かばかりにて】- 以下「違ひたり」まで、源氏の心。
【ことのさまに違ひたり】- 恋の成就した男女のあるべきさまと違っている。
4.3.18 「夕べの露を待って花開いて顔をお見せするのは
道で出逢った縁からなのですよ
「夕露にひもとく花は玉鉾の
たよりに見えし縁こそありけれ
【夕露に紐とく花は玉鉾の--たよりに見えし縁にこそありけれ】- 源氏の贈歌。「夕露に」というが、まだ夕方にはなっていない。「夕顔」の花の縁で、こう詠みだ出す。「紐とく花」は花が開く意と顔を見せる意を込める。自分が今顔を見せる意。「玉鉾の」は「道」に係る枕詞。ここでは「道」の意で使う。今、わたしがこうして顔を見せるのは、五条大路で出会った縁によるのですよ、の意。源氏は初めて、歌言葉を多用する。『新大系』は「夕べの露を待って開く花は花のかんばせは、あの道すがらにあなたによって見られたご縁であったことよ。(中略)あの夕べに見られた顔はわたし(源氏)であったと明かす」と注す。一方『古典セレクション』は「「夕露」は源氏。「花」は女。「紐とく」は下紐を解いて契りを交すの意で、二人が深い仲となったのは、五条の宿の通りすがりに見かけた奇縁によるのだ、の意」と注す。両義解釈可能である。
4.3.19 露の光はどうですか」
あなたの心あてにそれかと思うと言った時の人の顔を近くに見て幻滅が起こりませんか」 【露の光やいかに】- 歌に添えた源氏の言葉。「露の光」は源氏の顔をいう。前に女の歌に「白露の光」の語句を受けてこう言う。自分で自分の顔を「光」と褒めた言い方するのは戯れた言い方。また「光」の語に「光る源氏」であることを名乗ってもいる。
4.3.20 とおっしゃると、流し目に見やって、
と言う源氏の君を後目に女は見上げて、 【後目に見おこせて】- 夕顔は流し目にこちらを見て。色っぽさが含まれていよう。
4.3.21 「光輝いていると見ました夕顔の上露は
たそがれ時の見間違いでした」
光ありと見し夕顔のうは露は
黄昏時のそら目なりけり
【光ありと見し夕顔のうは露は--たそかれ時のそら目なりけり】- 「夕顔のうは露」は源氏の顔をいう。素晴らしいと思ったのは夕暮時の見間違いで、たいしたことありませんよという意。切り返して答えた歌。『評釈』は「あれは間違い、そんな光るなんて、と甘えて、うちけす」と解す。『新大系』では「比較を絶する美しさである、というメッセージにもなろう」と注す。『古典セレクション』では「さほどとは思えないと、わざと本心とは逆のことを言って戯れる媚態。前の扇の歌と同じく、機知に富み、夕顔の感性、才気が見える」と評す。
4.3.22
とほのかに()ふ。
をかしと(おぼ)しなす
げに、うちとけたまへるさま、()になく、(ところ)からまいてゆゆしきまで()えたまふ
とかすかに言う。
おもしろいとお思いになる。
なるほど、うちとけていらっしゃるご様子は、またとなく、場所が場所ゆえ、いっそう不吉なまでにお美しくお見えになる。
と言った。冗談までも言う気になったのが源氏にはうれしかった。打ち解けた瞬間から源氏の美はあたりに放散した。古くさく荒れた家との対照はまして魅惑的だった。 【思しなす】- 「なす」は、源氏が夕顔の返事をことさらおもしろいと思い込むというニュアンス。
【げに】- 「げに」は語り手の同意。以下「見えたまふ」まで、語り手の感想を交えた表現。
【所から】- 『集成』『新大系』は「所から」と清音に読み、『古典セレクション』は「所がら」と濁音に読む。
【ゆゆしきまで見えたまふ】- 源氏の不吉なまでに美しい姿態。
4.3.23
()きせず(へだ)てたまへるつらさにあらはさじと(おも)ひつるものを
(いま)だに()のりしたまへ。
いとむくつけし」
「いつまでも隠していらっしゃる辛さに、顕すまいと思っていたが。
せめて今からでもお名乗り下さい。
とても気味が悪い」
「いつまでも真実のことを打ちあけてくれないのが恨めしくって、私もだれであるかを隠し通したのだが、負けた。もういいでしょう、名を言ってください、人間離れがあまりしすぎます」 【尽きせず隔てたまへるつらさに】- 以下「いとむくつけし」まで、源氏の詞。サ変動詞「尽きせ」未然形。
【思ひつるものを】- 接続助詞「を」逆接を表す。
4.3.24 とおっしゃるが、「海人の子なので」と言って、依然としてうちとけない態度は、とても甘え過ぎている。
と源氏が言っても、
 「家も何もない女ですもの」
 と言ってそこまではまだ打ち解けぬ様子も美しく感ぜられた。
【海人の子なれば】- 『異本紫明抄』は「白浪の寄する渚に世を過ぐす海人の子なれば宿も定めず」(和漢朗詠集下 遊女 七二二)を指摘する。卑しい身分なので、名乗るほどでもありませんの意。
【さすがにうちとけぬさま】- 形容動詞「さすがに」連用形、上の事柄と食い違うさま、矛盾するさま。そうはいうものの、それとは違う様子だ、の意。打消の助動詞「ぬ」連体形。『新大系』「(名のるとまでは)さすがにうちとけない」と注す。
【あいだれたり】- 『集成』は「甘えている」と解し、『完訳』は「なよやかに色っぽい様子」と解す。
4.3.25 「それでは、これも『われから』のようだ」と、怨みまた一方では睦まじく語り合いながら、一日お過ごしになる。
「しかたがない。私が悪いのだから」
 と怨んでみたり、永久の恋の誓いをし合ったりして時を送った。
【よし、これも我からなめり】- 大島本「我からなめり」とある。肖柏本は「なめり」。御物本は「な〔な-補入〕なり」。横山本、榊原家本、池田本と書陵部本は「なり」。三条西家本は「なゝり」とある。河内本は「ななり」。別本の陽明文庫本は「なり」。『集成』は「ななり」と本文を改める。『古典セレクション』は「なり」と本文を改める。『新大系』は底本のまま。「ななり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+伝聞推定の助動詞「なり」終止形で、であるようだというやや婉曲的なニュアンス。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表し、もっとも柔らかいニュアンスとなる。源氏の詞。「海人」に因んで「われから」(海草にすむ虫)という語を用いる。『源氏釈』は「海人の刈る藻にすむ虫のわれからと音にこそ泣かめ世をば恨みじ」(古今集恋五 八〇七 藤原直子)を指摘する。
【怨みかつは語らひ、暮らしたまふ】- こうして、一日が過ぎていく。
4.3.26
惟光(これみつ)(たづ)ねきこえて、(おほん)くだものなど(まゐ)らす
右近(うこん)()はむこと、さすがにいとほしければ、(ちか)くもえさぶらひ()らず
かくまでたどり(あり)きたまふをかしう、さもありぬべきありさまにこそは」と()(はか)るにも、()がいとよく(おも)()りぬべかりしことを、(ゆづ)りきこえて、(こころ)ひろさよ」など、めざましう(おも)ひをる
惟光が、お探し申して、お菓子などを差し上げさせる。
右近が文句言うことは、やはり気の毒なので、お側に伺候することもできない。
「こんなにまでご執心でいられるのは、魅力的で、きっとそうに違いない様子なのだろう」と推量するにつけても、「自分がうまく言い寄ろうと思えばできたのを、お譲り申して、なんと寛大なことよ」などと、失敬なことを考えている。
惟光が源氏の居所を突きとめてきて、用意してきた菓子などを座敷へ持たせてよこした。これまで白ばくれていた態度を右近に恨まれるのがつらくて、近い所へは顔を見せない。惟光は源氏が人騒がせに居所を不明にして、一日を犠牲にするまで熱心になりうる相手の女は、それに価する者であるらしいと想像をして、当然自己のものになしうるはずの人を主君にゆずった自分は広量なものだと嫉妬に似た心で自嘲もし、羨望もしていた。 【御くだものなど参らす】- 使役の助動詞「す」。惟光が右近をして差し上げさせる意。
【えさぶらひ寄らず】- 副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。惟光は源氏のお側に伺候することもできない。
【かくまでたどり歩きたまふ】- 以下「ありさまにこそは」まで、惟光の心。
【さもありぬべきありさまにこそは】- 係助詞「こそ」「は」の下に「あらめ」已然形などの語句が省略されている。『新大系』は「美しい女のさまなのだろうと推測する」と注す。
【我がいとよく】- 以下「心ひろさよ」まで、惟光の心中の思い。夕顔を源氏に譲ったことを寛大な心だとうぬぼれる。
【めざましう思ひをる】- 語り手が惟光は不埒なことを考えているという批評。『完訳』は「「めざましう」は語り手の評言」と注す。
4.3.27
たとしへなく(しづ)かなる(ゆふ)べの(そら)(なが)めたまひて、(おく)(かた)(くら)うものむつかしと、(をんな)(おも)ひたれば、(はし)(すだれ)()げて、()()したまへり。
夕映(ゆふば)えを見交(みか)はして、(をんな)も、かかるありさまを、(おも)ひのほかにあやしき心地(ここち)はしながら、よろづの(なげ)(わす)れて、すこしうちとけゆく気色(けしき)いとらうたし。
つと(おほん)かたはらに()()らして、(もの)をいと(おそ)ろしと(おも)ひたるさま、(わか)心苦(こころぐる)し。
格子(かうし)とく()ろしたまひて、大殿油参(おほとなぶらまゐ)らせて、名残(なご)りなくなりにたる(おほん)ありさまにて、なほ(こころ)のうちの(へだ)(のこ)したまへるなむつらき」と、(うら)みたまふ。
譬えようもなく静かな夕方の空をお眺めになって、奥の方は暗く何となく気味が悪いと、女は思っているので、端の簾を上げて、添い臥していらっしゃる。
夕映えのお顔を互いに見交わして、女も、このような出来事を、意外に不思議な気持ちがする一方で、すべての嘆きを忘れて、少しずつ打ち解けていく様子は、実にかわいい。
ぴったりとお側に一日中添ったままで、何かをとても怖がっている様子は、子供っぽくいじらしい。
格子を早くお下ろしになって、大殿油を点灯させて、「すっかり深い仲となったご様子でいて、依然として心の中に隠し事をなさっているのが辛い」と、お恨みになる。
静かな静かな夕方の空をながめていて、奥のほうは暗くて気味が悪いと夕顔が思うふうなので、縁の簾を上げて夕映えの雲をいっしょに見て、女も源氏とただ二人で暮らしえた一日に、まだまったく落ち着かぬ恋の境地とはいえ、過去に知らない満足が得られたらしく、少しずつ打ち解けた様子が可憐であった。じっと源氏のそばへ寄って、この場所がこわくてならぬふうであるのがいかにも若々しい。格子を早くおろして灯をつけさせてからも、
 「私のほうにはもう何も秘密が残っていないのに、あなたはまだそうでないのだからいけない」
 などと源氏は恨みを言っていた。
【たとしへなく静かなる夕べの空を】- 時刻は夕方に移る。不気味なまでの静けさ。
【つと御かたはらに】- 源氏のお側に。
【名残りなく】- 以下「つらき」まで、源氏の詞。
4.3.28
内裏(うち)に、いかに(もと)めさせたまふらむをいづこに(たづ)ぬらむ」と、(おぼ)しやりて、かつは、「あやしの(こころ)
六条(ろくでう)わたりにもいかに(おも)(みだ)れたまふらむ
(うら)みられむに(くる)しう、ことわりなり」と、いとほしき(すぢ)は、まづ(おも)ひきこえたまふ。
何心(なにごころ)もなきさしむかひを、あはれと(おぼ)すままに、あまり心深(こころふか)()(ひと)(くる)しき(おほん)ありさまを、すこし()()てばや」と、(おも)(くら)べられたまひける
「主上には、どんなにかお探しあそばしているだろうから、人々はどこを探しているだろうか」と、思いをおはせになって、また一方では、「不思議な気持ちだ。
六条辺りでも、どんなにお思い悩んでいらっしゃることだろう。
怨まれることも、辛いことだし、もっともなことだ」と、おいたわしい方としては、まっさきにお思い出し申し上げなさる。
無心に向かい合って座っているのを、かわいいとお思いになるにつれて、「あまり思慮深く、対座する者までが息が詰るようなご様子を、少し取り除きたいものだ」と、ついご比較されるのであった。
陛下はきっと今日も自分をお召しになったに違いないが、捜す人たちはどう見当をつけてどこへ行っているだろう、などと想像をしながらも、これほどまでにこの女を溺愛している自分を源氏は不思議に思った。六条の貴女もどんなに煩悶をしていることだろう、恨まれるのは苦しいが恨むのは道理であると、恋人のことはこんな時にもまず気にかかった。無邪気に男を信じていっしょにいる女に愛を感じるとともに、あまりにまで高い自尊心にみずから煩わされている六条の貴女が思われて、少しその点を取り捨てたならと、眼前の人に比べて源氏は思うのであった。 【内裏に、いかに求めさせたまふらむを】- 以下「尋ぬらむ」まで、源氏の心。「内裏」は帝をさす。尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、最高敬語。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。接続助詞「を」順接、--のでの意。
【いづこに尋ぬらむ】- 主語は探索者たち。「尋ぬ」終止形、下に敬語がない。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【あやしの心や】- 以下「ことわりなり」まで、源氏の心。
【六条わたりにも】- 「六条わたりの御忍び歩き」「御心ざしの所」「六条わたりにもとけがたかりし御けしきを」とあった方。六条御息所。
【いかに思ひ乱れたまふらむ】- 主語は六条御息所。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【恨みられむに】- 受身の助動詞「られ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接を表す。
【あまり心深く】- 以下「取り捨てばや」まで、源氏の心。この夕顔と比較した六条わたりの女についての感想。
【思ひ比べられたまひける】- 自発の助動詞「られ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、過去の助動詞「ける」連体形、余韻を残した表現。

第四段 夜半、もののけ現われる

4.4.1
宵過(よひす)ぐるほどすこし寝入(ねい)りたまへるに御枕上(おほんまくらがみ)に、いとをかしげなる(をんな)ゐて、
宵を過ぎるころ、少し寝入りなさった頃に、おん枕上に、とても美しそうな女が座って、
十時過ぎに少し寝入った源氏は枕の所に美しい女がすわっているのを見た。 【宵過ぐるほど】- 時刻は夜に移る。宵は日没から午後十時ころまでの間。それを少し過ぎたころ。
【寝入りたまへるに】- 完了の助動詞「る」連体形、存続の意。接続助詞「に」順接。『古典セレクション』は「少しとろとろとなさると」と訳す。少し寝入りなさると、の意。現実か夢か不分明な源氏の意識の世界。
4.4.2
(おの)がいとめでたしと()たてまつるをば、(たづ)(おも)ほさでかく、ことなることなき(ひと)()ておはして、(とき)めかしたまふこそ、いとめざましくつらけれ」
「わたしがあなたをとても素晴らしいとお慕い申し上げているそのわたしには、お訪ねもなさらず、このような、特に優れたところもない女を連れていらっしゃって、おかわいがりになさるのは、まことに癪にさわり辛い」
「私がどんなにあなたを愛しているかしれないのに、私を愛さないで、こんな平凡な人をつれていらっしって愛撫なさるのはあまりにひどい。恨めしい方」 【己がいとめでたしと見たてまつるをば、尋ね思ほさで】- 以下「いとめざましくつらけれ」まで、夢の中の女の声。『今泉訳』では「私はあなたさまをほんとにお立派なお方だとお慕ひ申しあげてをりますのに、その私を、尋ねてやろうともお思ひにならないどころか」と訳す。連語「をば」(格助詞「を」+係助詞「は」)を、「をりますのに、その私を」と意訳する。『評釈』は「ほんとに御立派とお見あげ申しておりますわたくしを尋ねようともなさらないで」と冒頭の「己が」の語順を移動させて「わたしを」と訳す。なお『集成』が「私が大層ご立派なお方とお慕い申していますのに」とだけ注しているのは不十分。『古典セレクション』も「この私が、まことにご立派なお方とお慕い申しているのに、訪ねようともお思いにならず」と訳すのも同じ。「をば」を逆接の接続助詞のように解すには語法的に問題がある(今泉訳のように「その私を」と補えば問題ない)。「そのわたしを」とあれば、『今泉訳』『評釈』と同じになる。また、「おのが」は「見たてまつるをば」に係る構文とも解せる。『新大系』では「われがいかにもめでたしと見申すお方をば心してお求めにもなることなく、かかる格別のことなき女を率いてここにおわしてご寵愛になることはまことに心外に恨めしいことよ。「をば」の下に「人」が略されていると見ておく」と訳し注す(「下に」は「上に」の誤りで、「お方をば」の個所をさすか)。すなわち「尋ね」の対象を「お方(六条の貴婦人)をば」と解す。そうすると、「おせっかいなもののけになってしまう」(評釈)とも評される。「夢の中でもののけが言う言葉なのだから、少しは変でもしようがなかろうか」(評釈)といえるが、女の怨み嫉妬の言葉である。よって、もののけの言葉は、整然とした文章語として解すよりも源氏と対峙して怨み言をいう口語として解すべきだろう。「をば」の上には「そのわたし」が省略されているとみる。「おのが(あなたを)いとめでたしと見たてまつる(そのおのれ)をば尋ね思ほさで」という構文である。
4.4.3
とて、この(おほん)かたはらの(ひと)をかき()こさむとす、()たまふ
と言って、自分のお側の人を引き起こそうとしているる、と御覧になる。
と言って横にいる女に手をかけて起こそうとする。こんな光景を見た。 【この御かたはらの人】- 夕顔をさす。
【と見たまふ】- 以上、「御枕上に」から夢の中の出来事である。この「見たまふ」も夢の中で見ていること。下文に「おどろきたまへれば」とある。
4.4.4
(もの)(おそ)はるる心地(ここち)して、おどろきたまへれば()()えにけり
うたて(おぼ)さるれば太刀(たち)()()きてうち()きたまひて、右近(うこん)()こしたまふ。
これも(おそ)ろしと(おも)ひたるさまにて、(まゐ)()れり
魔物に襲われる気持ちがして、目をお覚ましになると、火も消えていた。
気持ち悪くお思いになるので、太刀を引き抜いて、そっとお置きになって、右近をお起こしになる。
この人も怖がっている様子で、参り寄った。
苦しい襲われた気持ちになって、すぐ起きると、その時に灯が消えた。不気味なので、太刀を引き抜いて枕もとに置いて、それから右近を起こした。右近も恐ろしくてならぬというふうで近くへ出て来た。 【おどろきたまへれば】- 完了の助動詞「れ」已然形、存続、目を覚まして暫く見回すと、というニュアンス。
【消えにけり】- 完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「けり」終止形。既に消えていたのであった。
【うたて思さるれば】- 自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【太刀を引き抜きて】- 魔除けのための行為。
【参り寄れり】- 右近は源氏と夕顔の寝所からは少し離れた所に寝ていた。完了の助動詞「り」完了の意。
4.4.5
渡殿(わたどの)なる宿直人起(とのゐびとお)こして、紙燭(しそく)さして(まゐ)れ』と()へ」とのたまへば、
「渡殿にいる宿直人を起こして、『紙燭をつけて参れ』と言いなさい」とおっしゃると、
「渡殿にいる宿直の人を起こして、蝋燭をつけて来るように言うがいい」 【渡殿なる】- 以下「参れと言へ」まで、源氏の詞。右近に命じた言葉。
4.4.6 「どうして行けましょうか。
暗くて」と言うので、
「どうしてそんな所へまで参れるものでございますか、暗うて」 【いかでかまからむ。暗うて】- 右近の返事。連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)反語表現。推量の助動詞「む」連体形。できません、と答える。
4.4.7
あな、若々(わかわか)」と、うち(わら)ひたまひて、()をたたきたまへば山彦(やまびこ)(こた)ふる(こゑ)いとうとまし。
(ひと)()きつけで(まゐ)らぬにこの女君(をんなぎみ)いみじくわななきまどひて、いかさまにせむと(おも)へり
(あせ)もしとどになりて、(われ)かの気色(けしき)なり。
「ああ、子供みたいな」と、ちょっとお笑いになって、手をお叩きになると、こだまが応える音、まことに気味が悪い。
誰も聞きつけないで参上しないので、この女君は、ひどくふるえ脅えて、どうしてよいか分からなく思っている。
汗もびっしょりになって、正気を失った様子である。
「子供らしいじゃないか」
 笑って源氏が手をたたくとそれが反響になった。限りない気味悪さである。しかもその音を聞きつけて来る者はだれもない。夕顔は非常にこわがってふるえていて、どうすればいいだろうと思うふうである。汗をずっぷりとかいて、意識のありなしも疑わしい。
【あな、若々し】- 源氏の詞。
【手をたたきたまへば】- 人を呼ぶ合図。
【参らぬに】- 打消の助動詞「ぬ」連体形、接続助詞「に」順接について、『集成』は「参上しない上に」と訳し、『古典セレクション』は「まいる者もいないが、その間」と訳す。
【いかさまにせむと思へり】- 『新大系』は「源氏から判断する女君のさま」と注す。
4.4.8
物怖(ものお)ぢをなむわりなくせさせたまふ本性(ほんじゃう)にて、いかに(おぼ)さるるにか」と、右近(うこん)()こゆ。
いとか(よわ)くて(ひる)(そら)をのみ()つるものをいとほし」と(おぼ)して、
「むやみにお怖がりあそばすご性質ですから、どんなにかお怖がりのことでしょうか」と、右近も申し上げる。
「ほんとうにか弱くて、昼も空ばかり見ていたものだな、気の毒に」とお思いになって、
「非常に物恐れをなさいます御性質ですから、どんなお気持ちがなさるのでございましょうか」
 と右近も言った。弱々しい人で今日の昼間も部屋の中を見まわすことができずに空をばかりながめていたのであるからと思うと、源氏はかわいそうでならなかった。
【物怖ぢをなむ】- 以下「思さるるにか」まで、右近の詞。夕顔の性格を心配して言う。係助詞「なむ」は「せさせたまふ」に係るが、下文に続くため、結びの流れ。
【いかに思さるるにか】- 自発の助動詞「るる」連体形。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問、下に「おはさむ」(連体形)などの語句が省略。
【いとか弱くて】- 以下「いとほし」まで、源氏の心。
【昼も空をのみ見つるものを】- 副助詞「のみ」限定。完了の助動詞「つる」連体形、終助詞「ものを」詠嘆を表す。
4.4.9
(われ)(ひと)()こさむ
()たたけば、山彦(やまびこ)(こた)ふるいとうるさし。
ここに、しばし、(ちか)く」
「わたしが、誰かを起こそう。
手を叩くと、こだまが応える、まことにうるさい。
こちらに、しばらくは、近くへ」
「私が行って人を起こそう。手をたたくと山彦がしてうるさくてならない。しばらくの間ここへ寄っていてくれ」 【我、人を起こさむ】- 以下「しばし近く」まで、源氏の詞。推量の助動詞「む」意志を表す。
【山彦の答ふる】- 「答ふる」連体形。
4.4.10
とて、右近(うこん)()()せたまひて、西(にし)妻戸(つまど)()でて()()()けたまへれば渡殿(わたどの)()()えにけり。
と言って、右近を引き寄せなさって、西の妻戸に出て、戸を押し開けなさると、渡殿の火も既に消えていた。
と言って、右近を寝床のほうへ引き寄せておいて、両側の妻戸のロヘ出て、戸を押しあけたのと同時に渡殿についていた灯も消えた。 【西の妻戸に出でて】- 月光の明るい方へ出ようとしたものであろう。
【押し開けたまへれば】- 完了の助動詞「れ」已然形、完了の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
4.4.11 風がわずかに吹いているうえに、人気も少なくて、仕えている者は皆寝ていた。
この院の管理人の子供で、親しくお使いになる若い男、それから殿上童一人と、いつもの随身だけがいるのであった。
お呼び寄せになると、お返事して起きたので、
風が少し吹いている。こんな夜に侍者は少なくて、しかもありたけの人は寝てしまっていた。院の預かり役の息子で、平生源氏が手もとで使っていた若い男、それから侍童が一人、例の随身、それだけが宿直をしていたのである。源氏が呼ぶと返辞をして起きて来た。 【この院の預りの子、むつましく使ひたまふ若き男】- 「この院の預りの子」と「むつましく使ひたまふ若き男」とは同一人物。同格。
【また上童一人】- 前に「顔むげに知るまじき童一人ばかり」とあった殿上童。
【例の随身ばかりぞありける】- 前に「かの夕顔のしるべせし随身ばかり」とあった随身。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。以上、「若き男」「上童」「随身」の三人。
【御答へして起きたれば】- 起きて来たのは、預りの子。下文に「随身も弦打して絶えず声づくれと仰せよ」と命じているので、随身以外の人。「滝口なりければ」とあるので上童でもない。
4.4.12
紙燭(しそく)さして(まゐ)
随身(ずいじん)も、弦打(つるうち)して、()えず(こわ)づくれ』と(おほ)せよ。
人離(ひとはな)れたる(ところ)に、(こころ)とけて()ぬるものか
惟光朝臣(これみつのあそん)()たりつらむは」と、()はせたまへば
「紙燭を点けて持って参れ。
『随身にも、弦打ちをして、絶えず音を立てていよ』と命じよ。
人気のない所に、気を許して寝ている者があるか。
惟光朝臣が来ていたようなのは」と、お尋ねあそばすと、
「蝋燭をつけて参れ。随身に弓の絃打ちをして絶えず声を出して魔性に備えるように命じてくれ。こんな寂しい所で安心をして寝ていていいわけはない。先刻惟光が来たと言っていたが、どうしたか」 【紙燭さして参れ】- 以下「惟光朝臣の来たりつらむは」まで、源氏の詞。
【心とけて寝ぬるものか】- 「寝ぬる」連体形、「ものか」は連語(形式名詞+終助詞)また終助詞、感動を表す。
【来たりつらむは】- 下に「いかに」などの語句が省略。動詞「来たり」連用形、完了の助動詞「つ」終止形、存続の意、推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量を表す。「来たり」は漢文訓読系で使う語とされる。やや堅い表現。
【問はせたまへば】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」連用形、最高敬語。源氏の高貴さを際立たせた表現。
4.4.13
さぶらひつれど(おほ)(ごと)もなし。
(あかつき)御迎(おほんむか)へに(まゐ)るべきよし(まう)してなむ、まかではべりぬる」と()こゆ。
この、かう(まう)(もの)は、滝口(たきぐち)なりければ弓弦(ゆづる)いとつきづきしくうち()らして()あやふし」と()()ふ、(あづか)りが曹司(ざうし)(かた)()ぬなり
内裏(うち)(おぼ)しやりて名対面(なだいめん)()ぎぬらむ、滝口(たきぐち)宿直奏(とのゐまう)(いま)こそ」と、()(はか)りたまふは、まだ、いたう()けぬにこそは
「控えていましたが、ご命令もない。
早暁にお迎えに参上すべき旨申して、帰ってしまいました」と申し上げる。
この、こう申す者は滝口の武士であったので、弓の弦をまことに手馴れた様子に打ち鳴らして、「火の用心」と言いながら、管理人の部屋の方角へ行ったようだ。
内裏をお思いやりになって、「名対面は過ぎたろう、滝口の宿直奏しは、ちょうど今ごろか」と、ご推量になるのは、まだ、さほど夜も更けていないのでは。
「参っておりましたが、御用事もないから、夜明けにお迎えに参ると申して帰りましてございます」
 こう源氏と問答をしたのは、御所の滝口に勤めている男であったから、専門家的に弓絃を鳴らして、
 「火危し、火危し」
 と言いながら、父である預かり役の住居のほうへ行った。源氏はこの時刻の御所を思った。殿上の宿直役人が姓名を奏上する名対面はもう終わっているだろう、滝口の武士の宿直の奏上があるころであると、こんなことを思ったところをみると、まだそう深更でなかったに違いない。
【さぶらひつれど】- 以下「まかではべりぬる」まで、管理人の子の答え。『新大系』は「直接話法と間接話法とがまじる」と注す。
【滝口なりければ】- 清涼殿の滝口の武士。「なり」(断定の助動詞)「けれ」(過去の助動詞)。滝口の武士だったので。後から気づいたというニュアンス。
【弓弦いとつきづきしくうち鳴らして】- 警戒と魔除けの行為。
【火あやふし】- 夜の見張りの時に使う言葉。慣用句。火の用心、の意。
【去ぬなり】- 「去ぬ」終止形、伝聞推定の助動詞「なり」終止形。滝口の声がだんだん小さく遠ざかって行ったニュアンス。
【内裏を思しやりて】- 主語は源氏。
【名対面は】- 以下「今こそ」まで、源氏の想像。亥の一刻(午後九時)に行われる宿直の名乗り。
【滝口の宿直奏し】- 名対面の後に行われる滝口の武士の名乗り。
【いたう更けぬにこそは】- 打消の助動詞「ぬ」連体形。たいして夜が更けていないのでは、の意。「こそは」の下に「あらめ」已然形などの語句が省略された形。
4.4.14
(かへ)()りて(さぐ)りたまへば、女君(をんなぎみ)はさながら()して、右近(うこん)はかたはらにうつぶし()したり。
戻って入って、お確かめになると、女君はそのままに臥していて、右近は傍らにうつ伏していた。
寝室へ帰って、暗がりの中を手で探ると夕顔はもとのままの姿で寝ていて、右近がそのそばで、うつ伏せになっていた。 【帰り入りて】- 主語は源氏。簀子あたりから寝所に戻る。
4.4.15
こはなぞ
あな、もの(ぐる)ほしの物怖(ものお)ぢや
()れたる(ところ)は、(きつね)などやうのものの、(ひと)(おび)やかさむとて(おそ)ろしう(おも)はするならむ
まろあればさやうのものには(おど)されじ」とて、()()こしたまふ
「これはどうしたことか。
何と、
気違いじみた怖がりようだ。荒れた所には、狐などのようなものが、人を脅かそうと
して、怖がらせるのだろう。わたしがいるからには、そのようなものからは脅されない」と
「どうしたのだ。気違いじみたこわがりようだ。こんな荒れた家などというものは、狐などが人をおどしてこわがらせるのだよ。私がおればそんなものにおどかされはしないよ」
 と言って、源氏は右近を引き起こした。
【こはなぞ】- 以下「脅されじ」まで、源氏の詞。右近に対して言ったもの。連語「なぞ」、「な」は副詞「なに」の約。「ぞ」は係助詞の終止的用法。文末に用いられる。強い疑問や非難の気持ち。
【もの狂ほしの物怖ぢや】- 終助詞「や」詠嘆の意。
【人を脅やかさむとて】- 大島本「人をおひやかさんとて」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「人おびやかさむとて」と校訂する。『新大系』は底本のまま。
【思はするならむ】- 使役の助動詞「する」連体形、断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」終止形、推量の意。思わせるのであろう。
【まろあれば】- 「あれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。わたしがいるので。
【引き起こしたまふ】- 源氏が右近を。
4.4.16
いとうたて(みだ)心地(ごこち)()しうはべればうつぶし()してはべるや。
御前(おまへ)にこそわりなく(おぼ)さるらめ」と()へば、
「とても気味悪くて、取り乱している気分も悪うございますので、うつ伏しているのでございますよ。
ご主人さまこそ、
「とても気持ちが悪うございますので下を向いておりました。奥様はどんなお気持ちでいらっしゃいますことでしょう」 【いとうたて】- 以下「思さるらめ」まで、右近の返事。
【乱り心地の悪しうはべれば】- 丁寧の補助動詞「はべれ」已然形は自分の容態をいう。
【御前にこそ】- 右近が主人の夕顔をさして言う。
【思さるらめ】- 「思さ」は「思う」の尊敬表現の位相語。自発の助動詞「る」終止形、推量の助動詞「らめ」已然形、視界外推量。上の係助詞「こそ」との、係結びの法則。恐がっておいででしょう。暗くて見えないのでこう言っている。
4.4.17
そよ。
などかうは」とて、かい(さぐ)りたまふに、(いき)もせず。
()(うご)かしたまへど、なよなよとして、(われ)にもあらぬさまなれば、いといたく(わか)びたる(ひと)にて、(もの)にけどられぬるなめり」と、せむかたなき心地(ここち)したまふ。
「そうだ。
どうしてこんなに」と言って、探って御覧になると、息もしていない。
揺すって御覧になるが、ぐったりとして、正体もない様子なので、「ほんとうにひどく子供じみた人なので、魔性のものに魅入られてしまったらしい」と、なすべき方法もない気がなさる。
「そうだ、なぜこんなにばかりして」
 と言って、手で探ると夕顔は息もしていない。動かしてみてもなよなよとして気を失っているふうであったから、若々しい弱い人であったから、何かの物怪にこうされているのであろうと思うと、源氏は歎息されるばかりであった。
【そよ。などかうは】- 源氏の詞。感動詞「そよ」相づち。
【いといたく】- 以下「ぬるなめり」まで、源氏の心。
【物にけどられぬるなめり】- 完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。「なめり」の「な」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形、推量の助動詞「めり」終止形、視界内推量。魔性の物に魅入られてしまったものらしい。
4.4.18
紙燭持(しそくも)(まゐ)れり
右近(うこん)(うご)くべきさまにもあらねば(ちか)御几帳(みきちゃう)()()せて、
紙燭を持って参った。
右近も動ける状態でないので、近くの御几帳を引き寄せて、
蝋燭の明りが来た。右近には立って行くだけの力がありそうもないので、閨に近い几帳を引き寄せてから、 【紙燭持て参れり】- 預りの子が。前に「紙燭さして参れ」とあった。
【右近も動くべきさまにもあらねば】- 推量の助動詞「べき」連体形、可能の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」。打消の助動詞「ね」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件。
4.4.19 「もっと近くに持って参れ」
「もっとこちらへ持って来い」 【なほ持て参れ】- 源氏の詞。紙燭を持って来た預りの子に対する言葉。
4.4.20
とのたまふ。
(れい)ならぬことにて御前近(おまへちか)くもえ(まゐ)らぬ、つつましさに、長押(なげし)にもえ(のぼ)らず
とおっしゃる。
いつもと違ったことなので、御前近くに参上できず、ためらっていて、長押にも上がれない。
と源氏は言った。主君の寝室の中へはいるというまったくそんな不謹慎な行動をしたことがない滝口は座敷の上段になった所へもよう来ない。 【例ならぬことにて】- 断定の助動詞「に」連用形。従者主人と女がいる寝所近くまで呼び寄せられるのは異例。
【長押にもえ上らず】- 下長押。母屋と廂間の境。副詞「え」、打消の助動詞「ず」終止形と呼応して不可能の意を表す。
4.4.21 「もっと近くに持って来なさい。場所によるぞ」
「もっと近くへ持って来ないか。どんなことも場所によることだ」 【なほ持て来や、所に従ひてこそ】- 源氏の詞。カ変動詞「来(こ)」命令形。終助詞「や」詠嘆の意。係助詞「こそ」、下に「あれ」已然形などの語が省略されている。
4.4.22 と言って、召し寄せて御覧になると、ちょうどこの枕上に、夢に現れた姿をしている女が、幻影のように現れて、ふっと消え失せた。
灯を近くへ取って見ると、この閨の枕の近くに源氏が夢で見たとおりの容貌をした女が見えて、そしてすっと消えてしまった。 【召し寄せて見たまへば】- 源氏が預りの子を召し寄せて紙燭を受け取って夕顔を御覧になると。
【夢に見えつる容貌したる女】- 「見え」は、現れる、客体の方から出現するニュアンス。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【面影に見えて】- 「面影」幻影、幻。格助詞「に」状態を指示してしたへ修飾的に続ける、~として、~のように。「見え」は、現れて。客体の方から出現するニュアンス。見た人は源氏。
【消え失せぬ】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意。自然に消えてしまった、というニュアンス。
4.4.23
(むかし)物語(ものがたり)などにこそかかることは()」と、いとめづらかにむくつけけれど、まづ、「この(ひと)いかになりぬるぞ」と(おも)ほす心騒(こころさわ)ぎに、()(うへ)()られたまはず()()して、「やや」と、おどろかしたまへど、ただ()えに()()りて、(いき)()()()てにけり。
()はむかたなし。
(たの)もしく、いかにと()()れたまふべき(ひと)もなし。
法師(ほふし)などをこそは、かかる(かた)(たの)もしきものには(おぼ)すべけれど
さこそ(つよ)がりたまへど(わか)御心(みこころ)にて、いふかひなくなりぬるを()たまふに、やるかたなくて、つと(いだ)きて、
「昔の物語などに、このようなことは聞くけれど」と、まことに珍しく気味悪いが、まず、「この女はどのようになったのか」とお思いになる不安に、わが身の上の危険もお顧みにならず、添い臥して、「もし、もし」と、お起こしになるが、すっかりもう冷たくなっていて、息はとっくにこと切れてしまっていたのであった。
どうすることもできない。
頼りになる、どうしたらよいかとご相談できるような方もいない。
法師などは、このような時の頼みになる人とはお思いになるが。
それほどお強がりになるが、お若い考えで、空しく死んでしまったのを御覧になると、どうしようもなくて、ひしと抱いて、
昔の小説などにはこんなことも書いてあるが、実際にあるとはと思うと源氏は恐ろしくてならないが、恋人はどうなったかという不安が先に立って、自身がどうされるだろうかという恐れはそれほどなくて横へ寝て、
 「ちょいと」
 と言って不気味な眠りからさまさせようとするが、夕顔のからだは冷えはてていて、息はまったく絶えているのである。頼りにできる相談相手もない。坊様などはこんな時のカになるものであるがそんな人もむろんここにはいない。右近に対して強がって何かと言った源氏であったが、若いこの人は、恋人の死んだのを見ると分別も何もなくなって、じっと抱いて、
【昔の物語などにこそ】- 大島本「むかしの物かたり」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「昔物語」と校訂する。『新大系』は底本のまま。以下「ことは聞け」まで、源氏の心中を語る。昔、河原院に宇多法皇が京極御息所を連れて一夜を明かした時、その院の元の主、源融の霊が現れて、御息所が気絶したという話が伝えられていた。後に『江談抄』に記載されている。
【ことは聞け】- 係助詞「こそ」「聞け」已然形の係結びの法則。文脈的には逆接で続く。格助詞「と」は引用の意。
【この人いかになりぬるぞ】- 係助詞「ぞ」文末にあって、文全体を強調。
【身の上も知られたまはず】- 自発の助動詞「れ」連用形。もののけに取りつかれた人に近付く危険。
【思すべけれど】- 係助詞「こそ」は「べけれ」已然形に係るが、接続助詞「ど」逆接に続き、この句を受ける句がないので句点。下の文「さこそ強がりたまへど」と並列の構文とも見られるが、前文「頼もしくいかにと言ひ触れたまふべき人もなし」の補足説明的な一文と見る。
【さこそ強がりたまへど】- 係助詞「こそ」は「たまへ」已然形に係るが、接続助詞「ど」逆接に続き、結びの流れ。「さ」は口に出して強がりを言うこと。
4.4.24
あが(きみ)()()でたまへ。
いといみじき()()せたまひそ
「おまえさま、生き返っておくれ。
とても悲しい目に遭わせないでおくれ」
「あなた。生きてください。悲しい目を私に見せないで」 【あが君】- 以下「見せたまひそ」まで、源氏の詞。夕顔に呼び掛けた言葉。
【な見せたまひそ】- 副詞「な」終助詞「そ」と呼応して禁止を表す。
4.4.25 とおっしゃるが、冷たくなっていたので、感じも気味悪くなって行く。
と言っていたが、恋人のからだはますます冷たくて、すでに人ではなく遺骸であるという感じが強くなっていく。 【冷え入りにたれば】- 完了の助動詞「に」連用形、完了の意。完了の助動詞「たれ」已然形、存続の意。すっかり冷たくなってしまっている様子。
【けはひものうとくなりゆく】- 死相が窺われる様子。
4.4.26
右近(うこん)は、ただ「あな、むつかし」と(おも)ひける心地(ここち)みな()めて、()(まど)ふさまいといみじ。
右近は、ただ「ああ、気味悪い」と思っていた気持ちもすっかり冷めて、泣いて取り乱す様子はまことに大変である。
右近はもう恐怖心も消えて夕顔の死を知って非常に泣く。
4.4.27 南殿の鬼が、某大臣を脅かした例をお思い出しになって、気強く、
紫宸殿に出て来た鬼は貞信公を威嚇したが、その人の威に押されて逃げた例などを思い出して、源氏はしいて強くなろうとした。 【南殿の鬼の、なにがしの大臣脅やかしけるたとひを】- 藤原忠平が紫宸殿で鬼と出会ったが、一喝して退散させたという話。同時代の『大鏡』に記載されている。
4.4.28
さりともいたづらになり()てたまはじ
(よる)(こゑ)はおどろおどろし。
あなかま
「いくら何でも、死にはなさるまい。
夜の声は大げさだ。
静かに」
「それでもこのまま死んでしまうことはないだろう。夜というものは声を大きく響かせるから、そんなに泣かないで」 【さりとも】- 以下「あなかま」まで、源氏の詞。
【いたづらになり果てたまはじ】- 「いたづら」は死ぬこと。打消推量の助動詞「じ」終止形。
【あなかま】- 感動詞「あな」+「かま」「かま」は形容詞「かまし」の語幹。人の発言を制止することば。
4.4.29
(いさ)めたまひていとあわたたしきにあきれたる心地(ここち)したまふ。
とお諌めになって、まったく突然の事なので、茫然とした気持ちでいらっしゃる。
と源氏は右近に注意しながらも、恋人との歓会がたちまちにこうなったことを思うと呆然となるばかりであった。 【諌めたまひて】- 主語は源氏。右近が取り乱して大声で泣くのを制した。
【いとあわたたしきに】- 接続助詞「に」原因理由を表す。
4.4.30 先ほどの男を呼び寄せて、
滝口を呼んで、 【この男を召して】- 源氏は管理人の子供を呼び寄せて右近を介してではなく直接命じる。
4.4.31
ここに、いとあやしう(もの)(おそ)はれたる(ひと)のなやましげなるをただ(いま)惟光朝臣(これみつのあそん)宿(やど)(ところ)にまかりて(いそ)(まゐ)るべきよし()へ、(おほ)せよ
なにがし阿闍梨(あざり)そこにものするほどならば、ここに()べきよし、(しの)びて()へ。
かの尼君(あまぎみ)などの()かむにおどろおどろしく()ふな。
かかる(あり)(ゆる)さぬ(ひと)なり」
「ここに、まことに不思議に、魔性のものに魅入られた人が苦しそうなので、今すぐに、惟光朝臣の泊まっている家に行って、急いで参上するように言え、と命じなさい。
某阿闍梨が、そこに居合わせていたら、ここに来るよう、こっそりと言いなさい。
あの尼君などが聞こうから、大げさに言うな。
このような忍び歩きは許さない人だ」
「ここに、急に何かに襲われた人があって、苦しんでいるから、すぐに惟光朝臣の泊まっている家に行って、早く来るように言えとだれかに命じてくれ。兄の阿闍梨がそこに来ているのだったら、それもいっしょに来るようにと惟光に言わせるのだ。母親の尼さんなどが聞いて気にかけるから、たいそうには言わせないように。あれは私の忍び歩きなどをやかましく言って止める人だ」 【ここに、いとあやしう】- 以下「許さぬ人なり」まで、源氏の詞。
【物に襲はれたる人のなやましげなるを】- 格助詞「の」主格、接続助詞「を」原因理由を表す。
【惟光朝臣の宿る所にまかりて】- 五条にある大弐乳母の家。「まかり」の主語は管理人の子ではなく源氏の随身。
【言へ、と仰せよ】- 惟光に言えと随身に命じなさい。
【なにがし阿闍梨】- 惟光の兄。実際は実名を言っているところを語り手が「某」と言い換えたもの。
【かの尼君などの聞かむに】- 源氏の乳母、大弍の乳母。推量の助動詞「む」仮定を表す。接続助詞「に」順接を表す。
4.4.32
など、(もの)のたまふやうなれど、胸塞(むねふた)がりてこの(ひと)(むな)しくしなしてむことのいみじく(おぼ)さるるに()へて大方(おほかた)のむくむくしさ、たとへむ(かた)なし。
などと、用件をおっしゃるようだが、胸が一杯で、この人を死なせてしまったらどうまるのかがたまらなくお思いになるのに加えて、辺りの不気味さは、譬えようもない。
こんなふうに順序を立ててものを言いながらも、胸は詰まるようで、恋人を死なせることの悲しさがたまらないものに思われるのといっしょに、あたりの不気味さがひしひしと感ぜられるのであった。 【胸塞がりて】- 大島本「むねふたかりて」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「胸はふたがりて」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。
【この人を空しくしなしてむことの】- 完了の助動詞「て」未然形、完了の意、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。格助詞「の」対象を表す。
【思さるるに添へて】- 自発の助動詞「るる」連体形。
4.4.33
夜中(よなか)()ぎにけむかし(かぜ)のやや荒々(あらあら)しう()きたるは。
まして、(まつ)(ひび)木深(こぶか)()こえて、気色(けしき)ある(とり)のから(ごゑ)()きたるも、(ふくろふ)」はこれにやとおぼゆ。
うち(おも)ひめぐらすにこなたかなた、けどほく(うと)ましきに人声(ひとごゑ)はせずなどて、かくはかなき宿(やど)りは()りつるぞ」と、(くや)しさもやらむ(かた)なし。
夜中も過ぎたのだろうよ、風がやや荒々しく吹いているのは。
その上に、松風の響きが、木深く聞こえて、異様な鳥がしわがれ声で鳴いているのも、「梟」と言う鳥はこのことかと思われる。
あれこれと考え廻らすと、あちらこちらと、何となく遠く気味悪いうえに、人声はせず、「どうして、このような心細い外泊をしてしまったのだろう」と、後悔してもしようがない。
もう夜中過ぎになっているらしい。風がさっきより強くなってきて、それに鳴る松の枝の音は、それらの大木に深く囲まれた寂しく古い院であることを思わせ、一風変わった鳥がかれ声で鳴き出すのを、梟とはこれであろうかと思われた。考えてみるとどこへも遠く離れて人声もしないこんな寂しい所へなぜ自分は泊まりに来たのであろうと、源氏は後悔の念もしきりに起こる。 【夜中も過ぎにけむかし】- 完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去推量の助動詞「けむ」終止形、終助詞「かし」強調。下の「風の荒々しう吹きたるは」と語順が倒置されている。「けむかし」は語り手の推量。時刻の経過が語られる。
【松の響き】- 下の「梟はこれにや」など、『白氏文集』凶宅詩の「梟は松桂の枝に鳴き 狐は蘭菊の叢に蔵る 蒼苔紅葉の地 日暮れて旋風多し」の表現に基づく。
【うち思ひめぐらすに】- この句は「悔しさもやらむ方なし」に係る。
【けどほく疎ましきに】- 接続助詞「に」そのうえ、という意で下に続ける。
【人声はせず】- 打消の助動詞「ず」連体形、下文に続く。
【などて、かくはかなき宿りは取りつるぞ】- 源氏の後悔。
4.4.34
右近(うこん)は、(もの)もおぼえず、(きみ)につと()ひたてまつりて、わななき()ぬべし
また、これもいかならむ」と、(こころ)そらにて(とら)へたまへり。
我一人(われひとり)さかしき(ひと)にて、(おぼ)しやる(かた)ぞなきや
右近は、何も考えられず、源氏の君にぴったりと寄り添い申して、震え死にそうである。
「また、この人もどうなるのだろうか」と、気も上の空で掴まえていらっしゃる。
自分一人がしっかりした人で、途方に暮れていらっしゃるのであったよ。
右近は夢中になって夕顔のそばへ寄り、このまま慄え死にをするのでないかと思われた。それがまた心配で、源氏は一所懸命に右近をつかまえていた。一人は死に、一人はこうした正体もないふうで、自身一人だけが普通の人間なのであると思うと源氏はたまらない気がした。 【死ぬべし】- 「べし」(推量の助動詞)は語り手の見た推量。
【また、これもいかならむ】- 源氏の不安な気持ち。「これ」は右近をさす。
【思しやる方ぞなきや】- 係助詞「ぞ」形容詞「なき」連体形、係結びの法則。間投助詞「や」詠嘆は語り手の詠嘆。
4.4.35
()はほのかにまたたきて、母屋(もや)(きは)()てたる屏風(びゃうぶ)(かみ)ここかしこの隈々(くまぐま)しくおぼえたまふに(もの)足音(あしおと)ひしひしと()()らしつつ、(うし)ろより()()心地(ここち)す。
惟光(これみつ)とく(まゐ)らなむ」と(おぼ)す。
ありか(さだ)めぬ(もの)にてここかしこ(たづ)ねけるほどに、()()くるほどの(ひさ)しさは、千夜(ちよ)()ぐさむ心地(ここち)したまふ。
灯火は微かにちらちらとして、母屋の境に立ててある屏風の上が、あちらこちらと陰って見えなさるうえに、魔性の物の足音が、みしみしと踏み鳴らしながら、後方から近寄って来る気がする。
「惟光よ、早く来て欲しい」とお思いになる。
居場所が定まらぬ者なので、あちこち探したうちに、夜の明けるまでの待ち遠しさは、千夜を過すような気がなさる。
灯はほのかに瞬いて、中央の室との仕切りの所に立てた屏風の上とか、室の中の隅々とか、暗いところの見えるここへ、後ろからひしひしと足音をさせて何かが寄って来る気がしてならない、惟光が早く来てくれればよいとばかり源氏は思った。彼は泊まり歩く家を幾軒も持った男であったから、使いはあちらこちらと尋ねまわっているうちに夜がぼつぼつ明けてきた。この間の長さは千夜にもあたるように源氏には思われたのである。 【隈々しくおぼえたまふに】- 接続助詞「に」順接、添加の意を表す。
【惟光、とく参らなむ】- 源氏の思い。「まゐら」未然形+終助詞「なむ」他に対する願望。惟光早く来てほしいの意。
【ありか定めぬ者にて】- 下二動詞「定め」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形。断定の助動詞「に」連用形、接続助詞「て」順接の確定条件。
【千夜を過ぐさむ心地】- 『源氏釈』は「暮るる間は千歳を過ぐす心地して待つは誠に久しかりけり」(後拾遺集恋二 六六七 藤原隆方)を指摘。『大系』他は「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鶏や鳴きなむ」(伊勢物語二十二段)を指摘する。
4.4.36
からうして(とり)(こゑ)はるかに()こゆるに、(いのち)をかけて(なに)(ちぎ)りに、かかる()()るらむ
()(こころ)ながら、かかる(すぢ)に、おほけなくあるまじき(こころ)(むく)いにかく、()方行(かたゆ)(さき)(ためし)なりぬべきことはあるなめり
(しの)ぶとも、()にあること(かく)れなくて、内裏(うち)()こし()さむをはじめて、(ひと)(おも)()はむこと、よからぬ(わらは)べの(くち)ずさびになるべきなめり
ありありて、をこがましき()をとるべきかな」と、(おぼ)しめぐらす。
ようやくのことで、鶏の声が遠くで聞こえるにつけ、「危険を冒して、何の因縁で、このような辛い目に遭うのだあろう。
我ながら、このようなことで、大それたあってはならない恋心の報復として、このような、後にも先にも語り草となってしまいそうなことが起こったのだろう。
隠していても、実際に起こった事は隠しきれず、主上のお耳に入るだろうことを始めとして、世人が推量し噂するだろうことは、良くない京童べの噂になりそうだ。
あげくのはて、馬鹿者の評判を立てられるにちがいないなあ」と、ご思案される。
やっとはるかな所で鳴く鶏の声がしてきたのを聞いて、ほっとした源氏は、こんな危険な目にどうして自分はあうのだろう、自分の心ではあるが恋愛についてはもったいない、思うべからざる人を思った報いに、こんな後にも前にもない例となるようなみじめな目にあうのであろう、隠してもあった事実はすぐに噂になるであろう、陛下の思召しをはじめとして人が何と批評することだろう、世間の嘲笑が自分の上に集まることであろう、とうとうついにこんなことで自分は名誉を傷つけるのだなと源氏は思っていた。 【からうして】- 清音。「カラウシテ[Caroxite]」(日葡辞書)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読んでいる。
【命をかけて】- 以下「名をとるべきかな」まで、源氏の後悔の思い。
【かかる目を見るらむ】- 推量の助動詞「らむ」終止形、原因理由推量。
【かかる筋に、おほけなくあるまじき心の報いに】- 「かかる筋」とは恋愛事をいう。「おほけなくあるまじき」とは身分を弁えずあってはならないという意。その「心の報い」というので、夕顔などの身分の女に対する恋心ではなく、また六条辺りの御方に対する恋心でもない。次の「若紫」巻で、藤壺宮にする恋心と判明する。
【なりぬべきことはあるなめり】- 「ぬべき」は完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。きっとなってしまいそうなの意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。
【口ずさびになるべきなめり】- 推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。
【をこがましき名をとるべきかな】- 推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。終助詞「かな」詠嘆の意。

第五段 源氏、二条院に帰る

4.5.1
からうして惟光朝臣参(これみつのあそんまゐ)れり。
夜中(よなか)(あかつき)といはず、御心(みこころ)(したが)へる(もの)今宵(こよひ)しもさぶらはで、()しにさへおこたりつるを(にく)しと(おぼ)すものから()()れて、のたまひ()でむことのあへなきに、ふとも物言(ものい)はれたまはず
右近(うこん)大夫(たいふ)のけはひ()くに(はじ)めよりのこと、うち(おも)()でられて()くを(きみ)もえ()へたまはで我一人(われひとり)さかしがり(いだ)()たまへりけるにこの(ひと)(いき)をのべたまひてぞ(かな)しきことも(おぼ)されける、とばかり、いといたく、えもとどめず()きたまふ
ようやくのことで、惟光朝臣が参上した。
夜中、早朝の区別なく、御意のままに従う者が、今夜に限って控えていなくて、お呼び出しにまで遅れて参ったのを、憎らしいとお思いになるものの、呼び入れて、おっしゃろうとする内容があっけないので、すぐには何もおっしゃれない。
右近は、大夫の様子を聞くと、初めからのことが、つい思い出されて泣くと、源氏の君も我慢がおできになれず、自分一人気丈夫に抱いていらっしゃったところ、この人を見てほっとなさって、悲しい気持ちにおなりになるのであったが、しばらくは、まことに大変にとめどもなくお泣きになる。
やっと惟光が出て来た。夜中でも暁でも源氏の意のままに従って歩いた男が、今夜に限ってそばにおらず、呼びにやってもすぐの間に合わず、時間のおくれたことを源氏は憎みながらも寝室へ呼んだ。孤独の悲しみを救う手は惟光にだけあることを源氏は知っている。惟光をそばへ呼んだが、自分が今言わねばならぬことがあまりにも悲しいものであることを思うと、急には言葉が出ない。右近は隣家の惟光が来た気配に、亡き夫人と源氏との交渉の最初の時から今日までが連続的に思い出されて泣いていた。源氏も今までは自身一人が強い人になって右近を抱きかかえていたのであったが、惟光の来たのにほっとすると同時に、はじめて心の底から大きい悲しみが湧き上がってきた。非常に泣いたのちに源氏は躊躇しながら言い出した。 【からうして】- 清音。「カラウシテ[Caroxite]」(日葡辞書)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「からうじて」と濁音に読んでいる。
【御心に従へる者の】- 格助詞「の」主格を表す。「おこたりつるを」に係る。
【召しにさへおこたりつるを】- 副助詞「さへ」添加を表す。控えていなかった上に遅刻までしたことを。
【憎しと思すものから】- 接続助詞「ものから」逆接の確定条件を表す。
【ふとも物言はれたまはず】- 大島本「ふともゝのいはれ給ハす」とある。『集成』『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は諸本に従って「ふとものも言はれたまはず」と校訂する。可能の助動詞「れ」連用形。とっさにお言葉も出ないほどである、の意。
【右近、大夫のけはひ聞くに】- 右近は惟光大夫が参上した様子を耳にすると、の意。「右近」は「初めよりのことうち思ひ出でられて」に続く。
【うち思ひ出でられて泣くを】- 自発の助動詞「られ」連用形。接続助詞「を」順接。--すると。
【君もえ堪へたまはで】- 係助詞「も」同類を表す。右近が泣き、源氏も泣き出す。「えもとどめず泣きたまふ」に係る。
【我一人】- 以下「思されける」まで、『完訳』は挿入句と解す。
【抱き持たまへりけるに】- 大島本「いたきも給へりけるに」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「抱き持ちたまへりけるに」と校訂。『新大系』は底本のままとする。源氏が夕顔を。今泉訳では「右近を」とする。接続助詞「に」順接。
【この人に息をのべたまひてぞ】- 惟光をさす。係助詞「ぞ」、過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。
【えもとどめず泣きたまふ】- 副詞「え」打消の助動詞「ず」連用形と呼応して不可能の意を表す。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。
4.5.2
ややためらひて、ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと()ふにもあまりてなむある。
かかるとみの(こと)には、誦経(ずきゃう)などをこそはすなれとてその(こと)どももせさせむ
(がん)なども()てさせむとて、阿闍梨(あざり)ものせよ、()ひつるは」とのたまふに、
やっと気持ちを落ち着けて、「ここで、まことに奇妙な事件が起こったが、驚くと言っても言いようのないほどだ。
このような危急のことには、誦経などをすると言うので、その手配をさせよう。
願文なども立てさせようと思って、阿闍梨に来るようにと、言ってやったのは」とおっしゃると、
「奇怪なことが起こったのだ。驚くという言葉では現わせないような驚きをさせられた。人のからだにこんな急変があったりする時には、僧家へ物を贈って読経をしてもらうものだそうだから、それをさせよう、願を立てさせようと思って阿闍梨も来てくれと言ってやったのだが、どうした」 【ここに、いとあやしきことの】- 以下「と言ひつるは」まで、源氏の詞。源氏の言葉の末尾、大島本のみ「やり」ナシ。『集成』『古典セレクション』は「言ひやりつるは」と本文を改める。「つる」(完了の助動詞完了)「は」(係助詞)。下に「いかに」などの語句が省略された形。
【誦経などをこそはすなれとて】- 「誦経」の「ず」は「じゅ」の直音表記。係助詞「こそ」、サ変動詞「す」終止形、伝聞推定の助動詞「なれ」已然形、係結びの法則。
【その事どももせさせむ】- 使役の助動詞「させ」未然形、推量の助動詞「む」終止形。阿闍梨に誦経をさせよう、の趣旨。
【阿闍梨】- 「阿闍梨」の「ざ」は「じゃ」の直音表記。
【言ひつるは】- 大島本「いひつるハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「言ひやりつるは」と校訂。『新大系』は底本のままとする。
4.5.3 「昨日、帰山してしまいました。
それにしても、
まことに奇
「昨日叡山へ帰りましたのでございます。まあ何ということでございましょう、奇怪なことでございます。前から少しはおからだが悪かったのでございますか」 【昨日、山へまかり上りにけり】- 以下「はべりつらむ」まで、惟光の返事。「山」は比叡山をさす。完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「けり」終止形。
【ことにもはべるかな】- 断定の助動詞「に」連用形、係助詞「も」強調のニュアンス、終助詞「かな」詠嘆を表す。
【御心地ものせさせたまふことやはべりつらむ】- 夕顔の健康状態についていう。尊敬の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連用形、最高敬語の形。会話文中なのでこのような言い方をする。係助詞「や」疑問の意、完了の助動詞「つ」終止形、推量の助動詞「らむ」連体形、原因推量の意、係結びの法則。
4.5.4
さることもなかりつ」とて、()きたまふさま、いとをかしげにらうたく、()たてまつる(ひと)いと(かな)しくて、おのれもよよと()きぬ
「そのようなこともなかった」と言って、お泣きになる様子、とても優美でいたわしく、拝見する人もほんとうに悲しくて、自分もおいおいと泣いた。
「そんなこともなかった」
 と言って泣く源氏の様子に、惟光も感動させられて、この人までが声を立てて泣き出した。
【さることもなかりつ】- 源氏の詞。
【見たてまつる人も】- 惟光。
【よよと泣きぬ】- 副詞「よよ」はしゃくりあげて泣くさま。おいおいと泣く。完了の助動詞「ぬ」終止形。
4.5.5
さいへど(とし)うちねび()(なか)のとあることと、しほじみぬる(ひと)こそ、もののをりふしは(たの)もしかりけれいづれもいづれも(わか)きどちにて、()はむ(かた)もなけれど、
そうは言っても、年も相当とり、世の中のあれやこれやと、経験を積んだ人は、非常の時には頼もしいのであるが、どちらもどちらも若者同士で、どうしようもないが、
老人はめんどうなものとされているが、こんな場合には、年を取っていて世の中のいろいろな経験を持っている人が頼もしいのである。源氏も右近も惟光も皆若かった。どう処置をしていいのか手が出ないのであったが、やっと惟光が、 【さいへど】- 惟光が来たとはいえ。
【年うちねび】- 惟光をいう。惟光は源氏と乳母兄弟とはいえ、必ずしも同い年ではない。『評釈』は「同年である」と注す。
【頼もしかりけれ】- 前の「人こそ」~「けれ」(過去の助動詞、詠嘆、已然形)の係結びであるが、文は逆接で以下に続く。いわゆる係結びの逆接用法。
【いづれもいづれも】- 『新大系』は源氏と惟光の二人とする。『古典セレクション』は源氏、惟光、右近の三人とする。
4.5.6
この院守(ゐんもり)などに()かせむことはいと便(びん)なかるべし。
この人一人(ひとひとり)こそ(むつま)しくもあらめ、おのづから(ものい)()らしつべき眷属(けんぞく)()ちまじりたらむ。
まづ、この(ゐん)()でおはしましね」と()ふ。
「この院の管理人などに聞かせるようなことは、まことに不都合なことでしょう。
この管理人一人は親密であっても、自然と口をすべらしてしまう身内も中にはいることでしょう。
まずは、この院をお出なさいましね」と言う。
「この院の留守役などに真相を知らせることはよくございません。当人だけは信用ができましても、秘密の洩れやすい家族を持っていましょうから。ともかくもここを出ていらっしゃいませ」
 と言った。
【この院守などに】- 以下「出でおはしましね」まで、惟光の詞。
【聞かせむことは】- 下二段動詞「聞かせ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。『集成』は「相談する」と解し、『完訳』は「耳に入ったら」と解す。『新大系』「評判が立つことを恐れる」と注す。聞かせるようなことは、の意。
【この人一人こそ】- 前に「むつましき下家司にて、殿にも仕うまつる者なりければ」とあった。係助詞「こそ」は「あらめ」已然形に係る、係結びの逆接用法。
【言ひ漏らしつべき】- 完了の助動詞「つ」終止形、確述の意、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。きっと言い漏らしてしまうにちがいない、というニュアンス。
【眷属】- 大島本は「くゑそく」と表記し、「ケンソクトヨム」と注記する。
【この院を出でおはしましね】- 完了の助動詞「ね」命令形。
4.5.7
さて、これより人少(ひとずく)ななる(ところ)いかでかあらむ」とのたまふ。
「ところで、ここより人少なな所がどうしてあろうか」とおっしゃる。
「でもここ以上に人の少ない場所はほかにないじゃないか」 【さて】- 以下「あらむ」まで、源氏の詞。
【いかでかあらむ】- 連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)反語表現。どうしてあろうか、ここしかない、の意。
4.5.8
げに、さぞはべらむ
かの故里(ふるさと)女房(にょうばう)などの、(かな)しびに()へず、()(まど)ひはべらむに(となり)しげく、とがむる里人多(さとびとおほ)くはべらむに、おのづから()こえはべらむを山寺(やまでら)こそ、なほかやうのこと、おのづから()きまじり、物紛(ものまぎ)るることはべらめ」と、(おも)ひまはして、
「なるほど、そうでございましょう。
あの元の家は、女房などが、悲しみに耐えられず、泣き取り乱すでしょうし、隣家が多く、見咎める住人も多くございましょうから、自然と噂が立ちましょうが、山寺は、何と言ってもこのようなことも、自然ありがちで、目立たないことでございましょう」と言って、思案して、
「それはそうでございます。あの五条の家は女房などが悲しがって大騒ぎをするでしょう、多い小家の近所隣へそんな声が聞こえますとたちまち世間へ知れてしまいます、山寺と申すものはこうした死人などを取り扱い馴れておりましょうから、人目を紛らすのには都合がよいように思われます」
 考えるふうだった惟光は、
【げに、さぞはべらむ】- 以下「ことはべらめ」まで、惟光の詞。副詞「げに」は源氏の言葉を受ける。係助詞「ぞ」推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【かの故里は】- 夕顔の宿の実家をさしていう。『新大系』は「惟光は五条の夕顔の宿りに知らせてもやはり最後には世間に評判になろう、と心配する。やや不自然な設定ながら、夕顔の死は「古里」に秘密にされることによって玉鬘の物語への長編化が試みられる。構想上の要請である」と注す。
【泣き惑ひはべらむに】- 「多くはべらむに」と並列の構文。接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【おのづから聞こえはべらむを】- 推量の助動詞「む」終止形、推量の意。接続助詞「を」逆接を表す。
4.5.9
(むかし)()たまへし女房(にょうばう)(あま)にてはべる東山(ひんがしやま)(あたり)に、(うつ)したてまつらむ。
惟光(これみつ)(ちち)朝臣(あそん)乳母(めのと)にはべりし(もの)みづはぐみて()みはべるなり
(あた)りは、(ひと)しげきやうにはべれど、いとかごかにはべり
「昔、親しくしておりました女房で、尼になって住んでおります東山の辺に、お移し申し上げましょう。
惟光めの父朝臣の乳母でございました者が、年老いて住んでいるのです。
周囲は、人が多いようでございますが、とても閑静でございます」
「昔知っております女房が尼になって住んでいる家が東山にございますから、そこへお移しいたしましょう。私の父の乳母をしておりまして、今は老人になっている者の家でございます。東山ですから人がたくさん行く所のようではございますが、そこだけは閑静です」 【昔、見たまへし女房の】- 以下「いとかごかにはべり」まで、惟光の詞。「見たまへし」は、謙譲の補助動詞「たまへ」連用形、過去の助動詞「し」連体形。格助詞「の」同格を表す。自分の過去の体験をいう。知己あるいは良く知った、の意。後文から父親の乳母であった女性とわかる。 【女房】-大島本は「女房」と表記する。御物本、榊原家本、池田本、三条西家本は「女はら」とある。肖柏本は大島本と同文。『集成』は「女ばら」と本文を改める。
【惟光が父の朝臣の乳母にはべりし者の】- 自分の名前を言って、こう言う。他のところでは「某の」と表現されることが多いが、実際はこのように言ったのである。惟光が「昔見たまへし女房」とこの「父朝臣の乳母」は同一人物をさす。父親の乳母だった女であるから相当な老尼である。
【みづはぐみて】- 大島本は「みつわくみて」と表記する。御物本は「は」の傍らに「わ」とある。「支離 ミツハサス ミツワクム」(黒川本色葉字類抄)。『集成』は「みつはくみて」と清音で読む。一般には「みづは(瑞歯)ぐみて」と濁音で読む。
【住みはべるなり】- 断定の助動詞「なり」終止形。「昔見たまへし女房」の詳細な説明だから。
【いとかごかにはべり】- 「かごか」は「かごやか」と同義(接尾語「やか」が付くと、それよりもやや強調された語気が伴う)。「静寂などの静か静かではなくこぢんまりとして人の出入りが少なく、人目に触れない、ざわざわしない意に中心があることは「かごか」「かごやか」の全用例を通じて認められる。普通、第二音節を濁るが、あるいは「かこやか」で「かこむ」「かこふ」と同根であり、四方を囲まれて、静かに籠る状態をいったものか」(小学館古語大辞典)。
4.5.10
()こえて、()けはなるるほどの(まぎ)れに御車寄(みくるまよ)す。
と申し上げて、夜がすっかり明けるころの騒がしさに紛れて、お車を寄せる。
と言って、夜と朝の入り替わる時刻の明暗の紛れに車を縁側へ寄せさせた。 【明けはなるるほどの紛れに】- 夜が明けて人通りが増えて来るころに紛れて源氏の車を某院に引き入れる。
4.5.11
この(ひと)(いだ)きたまふまじければ上蓆(うはむしろ)におしくくみて惟光乗(これみつの)せたてまつる。
いとささやかにて、(うと)ましげもなく、らうたげなり。
したたかにしもえせねば(かみ)はこぼれ()でたるも、()くれ(まど)ひて、あさましう(かな)(おぼ)せば、なり()てむさまを()(おぼ)せど、
この女をお抱きになれそうもないので、上筵に包んで、惟光がお乗せ申す。
とても小柄で、気味悪くもなく、かわいらしげである。
しっかりとしたさまにもくるめないので、髪の毛がこぼれ出ているのを見るにつけ、目の前が真っ暗になって、何とも悲しい、とお思いになると、最後の様子を見届けたい、とお思いになるが、
源氏自身が遺骸を車へ載せることは無理らしかったから、茣蓙に巻いて惟光が車へ載せた。小柄な人の死骸からは悪感は受けないできわめて美しいものに思われた。残酷に思われるような扱い方を遠慮して、確かにも巻かなんだから、茣蓙の横から髪が少しこぼれていた。それを見た源氏は目がくらむような悲しみを覚えて煙になる最後までも自分がついていたいという気になったのであるが、 【この人】- 夕顔をさす。
【え抱きたまふまじければ】- 副詞「え」は打消推量の助動詞「まじけれ」已然形と呼応して不可能の意を表す。
【上蓆におしくくみて】- 「上蓆(うはむしろ)」は御帳台に敷く上等な敷物。「おしくくむ」は、包む、くるむ、意。上等な敷物の上に寝かせて、それでくるんだような形にして牛車に乗せたものか。
【したたかにしもえせねば】- 死者に対して手荒に扱えないので、しっかりとしたさまにつつむことができない、意。
【あさましう悲し】- 源氏の気持ち。
【なり果てむさまを見む】- 源氏の思い。火葬の場に立ち会って、最後の様子を見届けようとする気持ち。
4.5.12
はや、御馬(おほんむま)にて二条院(にでうのゐん)おはしまさむ
人騒(ひとさわ)がしくなりはべらぬほどに」
「早く、お馬で、二条院へお帰りあそばすのがよいでしょう。
人騒がしくなりませぬうちに」
「あなた様はさっそく二条の院へお帰りなさいませ。世間の者が起き出しませんうちに」 【はや、御馬にて】- 以下「ほどに」まで、惟光の詞。
【おはしまさむ】- 推量の助動詞「む」終止形、適当の意。お帰りあそばすのがよいでしょう。
4.5.13 と言って、右近を添えて乗せると、徒歩で、源氏の君に馬はお譲り申して、裾を括り上げなどをして、かつ一方では、とても変で、奇妙な野辺送りだが、君のお悲しみの深いことを拝見すると、自分のことは考えずに行くが、源氏の君は何もお考えになれず、茫然自失の態で、お帰りになった。
と惟光は言って、遺骸には右近を添えて乗せた。自身の馬を源氏に提供して、自身は徒歩で、袴のくくりを上げたりして出かけたのであった。ずいぶん迷惑な役のようにも思われたが、悲しんでいる源氏を見ては、自分のことなどはどうでもよいという気に惟光はなったのである。
 源氏は無我夢中で二条の院へ着いた。
【右近を添へて乗すれば、徒歩より】- 惟光は右近を夕顔と共に牛車に乗せて、自分は徒歩で、の意。
【君に馬はたてまつりて】- 挿入句。
【おぼえぬ送りなれど】- 野辺送り。惟光が付き随った。
【御気色のいみじきを見たてまつれば】- 挿入句。
【身を捨てて行くに】- 接続助詞「に」弱い逆接の意。
【我かのさまにて、おはし着きたり】- 二条院にお帰りになった。源氏単独ではない。物語には語られていないが必ず前出の随身などが随行している。
4.5.14
(ひと)びといづこより、おはしますにか
なやましげに()えさせたまふ」など()へど、御帳(みちゃう)(うち)()りたまひて、(むね)をおさへて(おも)ふにいといみじければ、などて()()ひて()かざりつらむ
()(かへ)りたらむ(とき)いかなる心地(ここち)せむ
見捨(みす)てて()きあかれにけりと、つらくや(おも)はむ」と、心惑(こころまど)ひのなかにも、(おも)ほすに、御胸(おほんむね)せきあぐる心地(ここち)したまふ。
御頭(みぐし)(いた)く、()(あつ)心地(ここち)して、いと(くる)しく、(まど)はれたまへばかくはかなくて(われ)もいたづらになりぬるなめり」と(おぼ)す。
女房たちは、「どこから、お帰りあそばしましたのか。
ご気分が悪そうにお見えあそばします」などと言うが、御帳台の内側にお入りになって、胸を押さえて思うと、まことに悲しいので、「どうして、一緒に乗って行かなかったのだろうか。
もし生き返った場合、どのような気がするだろう。
見捨てて行ってしまったと、辛く思うであろうか」と、気が動転しているうちにも、お思いやると、お胸のせき上げてくる気がなさる。
お頭も痛く、身体も熱っぽい感じがして、とても苦しく、どうしてよいやら分からない気がなさるので、「こう元気がなくて、自分も死んでしまうのかも知れない」とお思いになる。
女房たちが、
 「どちらからのお帰りなんでしょう。御気分がお悪いようですよ」
 などと言っているのを知っていたが、そのまま寝室へはいって、そして胸をおさえて考えてみると自身が今経験していることは非常な悲しいことであるということがわかった。なぜ自分はあの車に乗って行かなかったのだろう、もし蘇生することがあったらあの人はどう思うだろう、見捨てて行ってしまったと恨めしく思わないだろうか、こんなことを思うと胸がせき上がってくるようで、頭も痛く、からだには発熱も感ぜられて苦しい。こうして自分も死んでしまうのであろうと思われるのである。
【人びと】- 二条院の女房たち。場面は、二条院に変わる。
【いづこより、おはしますにか】- 以下「見えさせたまふ」まで、女房たち同士の詞。「申す」「きこゆ」などの敬意表現がない。ひそひそ話の趣き。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問を表す。結びの省略。
【見えさせたまふ】- 「させ」(尊敬の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)、二重敬語。会話文中で使用される。
【御帳の内に】- 寝室。
【胸をおさへて思ふに】- 接続助詞「に」順接を表す。
【などて】- 以下「思はむ」まで、源氏の心。後悔。
【行かざりつらむ】- 打消の助動詞「ざり」連用形。完了の助動詞「つ」終止形、完了の意。推量の助動詞「らむ」連体形、理由を表す。反語表現の構文。どうして自分は行かなかったのだろう、行けばよかったの意。
【生き返りたらむ】- 完了の助動詞「たら」未然形、完了の意。推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。夕顔がもし生き返ったなら、というニュアンス。
【いかなる心地せむ】- 主語は夕顔。
【つらくや思はむ】- 係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【惑はれたまへば】- 自発の助動詞「れ」連体形。接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【かくはかなくて】- 以下「いたづらになりぬるなめり」まで、源氏の思い。
【なりぬるなめり】- 完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意、「な」は断定の助動詞「なる」連体形「る」が撥音便化しさらに無表記の形。推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。死んでしまいそうだ、というニュアンス。
4.5.15
日高(ひたか)くなれど、()()がりたまはねば、(ひと)びとあやしがりて、御粥(おほんかゆ)などそそのかしきこゆれど、(くる)しくて、いと心細(こころぼそ)(おぼ)さるるに内裏(うち)より御使(おほんつかひ)あり。
昨日(きのふ)(たづ)()でたてまつらざりしよりおぼつかながらせたまふ
大殿(おほとの)君達参(きんだちまゐ)りたまへど、頭中将(とうのちゅうじゃう)ばかりを、()ちながら、こなたに()りたまへ」とのたまひて、御簾(みす)(うち)ながらのたまふ。
日は高くなったが、起き上がりなさらないので、女房たちは不思議に思って、お粥などをお勧め申し上げるが、気分が悪くて、とても気弱くお思いになっているところに、内裏からお使者が来る。
昨日、お探し申し上げられなかったことで、御心配あそばしていらっしゃる。
大殿の公達が参上なさったが、頭中将だけを、「立ったままで、ここにお入り下さい」とおっしゃって、御簾の内側のままでお話しなさる。
八時ごろになっても源氏が起きぬので、女房たちは心配をしだして、朝の食事を寝室の主人へ勧めてみたが無駄だった。源氏は苦しくて、そして生命の危険が迫ってくるような心細さを覚えていると、宮中のお使いが来た。帝は昨日もお召しになった源氏を御覧になれなかったことで御心配をあそばされるのであった。左大臣家の子息たちも訪問して来たがそのうちの頭中将にだけ、
 「お立ちになったままでちょっとこちらへ」
 と言わせて、源氏は招いた友と御簾を隔てて対した。
【いと心細く思さるるに】- 自発の助動詞「るる」連体形。接続助詞「に」順接、--と、たところ、の意。
【昨日】- 以下「おぼつかながらせたまふ」まで、『完訳』は挿入句と解す。内裏からの使者の詞のようにも思われる一文である。「たてまつらざりし」の過去の助動詞「し」は自分の体験をいう時に使う言葉だからである。
【え尋ね出でたてまつらざりしより】- 謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は、源氏に対する敬意の表れ。主語は探索者。お訪ね申し上げられなかったので。
【おぼつかながらせたまふ】- 主語は帝。尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、最高敬語。地の文における使用は、原則として、帝、中宮、春宮、院などの方々だけ。
【立ちながら、こなたに入りたまへ】- 源氏の詞。「立ちながら」と言うのは、座ると死穢に触れるので、それを避けるために配慮してこう言ったもの。
【御簾の内ながら】- 御帳台の御簾。接続助詞「ながら」--のままで、の意。
4.5.16
乳母(めのと)にてはべる(もの)この五月(ごがち)のころほひより、(おも)わづらひはべりしが頭剃(かしらそ)()むこと()けなどして、そのしるしにや、よみがへりたりしを、このごろまたおこりて、(よわ)くなむなりにたる今一度(いまひとたび)とぶらひ()よ』と(まう)したりしかばいときなきよりなづさひし(もの)の、(いま)はのきざみに、つらしとや(おも)はむ、(おも)うたまへてまかれりしに
「乳母でございます者で、この五月のころから、重く患っておりました者が、髪を切り受戒などをして、その甲斐があってか、生き返っていましたが、最近、再発して、弱くなっていますのが、『今一度、見舞ってくれ』と申していたので、幼いころから馴染んだ人が、今はの際に、薄情なと思うだろうと、存じて参っていたところ、
「私の乳母の、この五月ごろから大病をしていました者が、尼になったりなどしたものですから、その効験でか一時快くなっていましたが、またこのごろ悪くなりまして、生前にもう一度だけ訪問をしてくれなどと言ってきているので、小さい時から世話になった者に、最後に恨めしく思わせるのは残酷だと思って、訪問しました 【乳母にてはべる者の】- 以下「聞こゆること」まで、源氏の詞。源氏の乳母、大弍の乳母をいう。前半は真実、後半は虚偽。格助詞「の」同格を表す。
【わづらひはべりしが】- 「が」は格助詞、主格を表す。患っておりました者が、の意。
【このごろ】- 「比日 コノゴロ」(図書寮本名義抄)。
【弱くなむなりにたる】- 係助詞「なむ」は「たる」連体形に係るが、この句が主格となって、以下の文に続く。完了の助動詞「に」連用形、完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【申したりしかば】- 完了の助動詞「たり」連用形、存続、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。申していたので、「まかれりしに」に係る。
【いときなきよりなづさひし者の、今はのきざみに、つらしとや思はむ、と思うたまへて】- 挿入句。主語は話者の源氏。過去の助動詞「し」連体形、自分の体験。格助詞「の」主格を表す。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。「思うたまへて」は動詞「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形+接続助詞「て」順接を表す。
【まかれりしに】- 完了の助動詞「り」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」順接、--していたところ。退出いたしておりましたところ。
4.5.17 その家にいた下人で、病気していた者が、急に暇をとる間もなく亡くなってしまったのを、恐れ遠慮して、日が暮れてから運び出したのを、聞きつけましたので、神事のあるころで、まことに不都合なこと、と存じ謹慎して、参内できないのです。
この早朝から、風邪でしょうか、頭がとても痛くて苦しうございますので、大変失礼したまま申し上げます次第」
ところがその家の召使の男が前から病気をしていて、私のいるうちに亡くなったのです。恐縮して私に隠して夜になってからそっと遺骸を外へ運び出したということを私は気がついたのです。御所では神事に関した御用の多い時期ですから、そうした穢れに触れた者は御遠慮すべきであると思って謹慎をしているのです。それに今朝方からなんだか風邪にかかったのですか、頭痛がして苦しいものですからこんなふうで失礼します」 【その家なりける下人の】- 「なり」「ける」は、その家にいたの意。格助詞「の」同格を表す。以下は源氏の虚言である。
【病しけるが】- 過去の助動詞「ける」連体形、格助詞「が」は主格を表す。病気だった者が。
【出であへで】- 横山本は「え〔え-補入〕いてあへて」、肖柏本と三条西家本は「えいてあへて」とある。河内本も「えいてあへて」、別本の陽明文庫本は「えいてあはす」とある。いずれも副詞「え」がある。家から出る余裕もなくの意。死の穢れを避けるために主人の家からその前に退出させるのが通例であった。
【怖ぢ憚りて】- 客人の源氏に遠慮した。
【取り出ではべりけるを】- 下人の死骸を運び出しましたのを。過去の助動詞「ける」連体形は係助詞「なむ」の結びであるが、下文に続き係結びの流れ。格助詞「を」目的格を表す。
【聞きつけはべりしかば】- 丁寧の補助動詞「はべり」、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。「え参らぬなり」に係る。
【神事なるころ】- 『古典セレクション』では「かむわざ」と振り仮名を付ける。大島本「神事」と表記。『新大系』「「かむわざ」と訓むか」と注す。神事の多い時期。今九月である。
【思うたまへかしこまりて】- 大島本「思たまへ・かしこまりて」とある。送り仮名が無い。『古典セレクション』は「思ひたまへ」と読み、『集成』『新大系』は「思うたまへ」と読む。「思うたまへ」は動詞「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。接続助詞「て」順接を表す。
【え参らぬなり】- 副詞「え」は打消の助動詞「ぬ」連体形と呼応して不可能の意を表す。断定の助動詞「なり」終止形。
【しはぶき病みにやはべらむ】- 挿入句。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【いと無礼にて聞こゆること】- 御帳台の中から簾越しで申し上げることを大変に失礼なことで、と詫びる。下に「許したまへ」などの語句が省略されている。
4.5.18
などのたまふ。
中将(ちゅうじゃう)
などとおっしゃる。
頭中将は、
などと源氏は言うのであった。中将は、
4.5.19 「それでは、そのような旨を奏上しましょう。
昨夜も、管弦の御遊の折に、畏れ多くもお探し申しあそばされて、御機嫌お悪うございました」と申し上げなさって、また引き返して、「どのような穢れにご遭遇あそばしたのですか。
ご説明なされたことは、本当とは存じられません」
「ではそのように奏上しておきましょう。昨夜も音楽のありました時に、御自身でお指図をなさいましてあちこちとあなたをお捜させになったのですが、おいでにならなかったので、御機嫌がよろしくありませんでした」 【さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ】- 以下「御気色悪しくはべりき」まで、頭中将の詞。接続詞「さらば」それでは、そうであるならば、の意。係助詞「こそ」は「はべらめ」(已然形に係る、係結びの法則。「奏す」は帝に申し上げるときに使用する語。推量の助動詞「め」已然形は意志を表す。
【求めたてまつらせたまひて】- 謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は源氏に対する敬意、尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形の二重敬語は、帝に対する最高敬語。接続助詞「て」は順接を表す。お探しになって、しかし探し当てられなかったので、とう内容が省略されて、「御気色悪しくはべりき」に続く。
【立ち返り】- 『新大系』は「一度去るしぐさをして引き返す。内裏のお使いとしての口上と別に、とってかえして真相を聞き出そうとする」と注す。
【いかなる行き触れに】- 以下「思うたまへられね」まで、頭中将の詞。
【かからせたまふぞや】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形の二重敬語は、会話文中における使用。係助詞「ぞ」文末に置かれて文全体を強調、係助詞「や」疑問の意。
【述べやらせたまふことこそ】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形の二重敬語は、会話文中における使用。係助詞「こそ」は打消の助動詞「ね」已然形に係る、係結びの法則。
【まことと思うたまへられね】- 大島本「まことゝ思給へられね」とある。送り仮名が無い。『古典セレクション』は「思ひたまへ」と読み、『集成』『新大系』は「思うたまへ」と読む。「思うたまへ」は「思ひ」連用形の音便形+謙譲の補助動詞「たまへ」未然形。可能の助動詞「られ」未然形。打消の助動詞「ね」已然形。
4.5.20 と言うので、胸がどきりとなさって、
と言って、帰ろうとしたがまた帰って来て、 【と言ふに】- 接続助詞「に」原因理由を表す。
【胸つぶれたまひて】- 源氏は頭中将から嘘を見破られたのでどきりとした。
4.5.21
かく、こまかにはあらでただ、おぼえぬ(けが)らひに()れたるよしを、(そう)したまへ。
いとこそたいだいしくはべれ
「このように、詳しくではなく、ただ、思いがけない穢れに触れた由を、奏上なさって下さい。
まったく不都合なことでございます」
「ねえ、どんな穢れにおあいになったのですか、さっきから伺ったのはどうもほんとうとは思われない」 【かく、こまかにはあらで】- 以下「たいだいしくはべれ」まで、源氏の詞。
【たいだいしくはべれ】- 『集成』は「不都合な次第でございます」と訳し、『古典セレクション』は「まったくもってのほかの申し訳ないことでございます」と訳す。係助詞「こそ」「はべれ」已然形の係結びの法則。
4.5.22
と、つれなくのたまへど、(こころ)のうちには、()ふかひなく(かな)しきことを(おぼ)すに、御心地(みここち)(なや)ましければ、(ひと)()見合(みあは)せたまはず。
蔵人弁(くらうどのべん)()()せて、まめやかにかかるよし(そう)せさせたまふ
大殿(おほとの)などにもかかることありて、(まゐ)らぬ御消息(おほんせうそこ)など()こえたまふ。
と、さりげなくおっしゃるが、心中は、どうしようもなく悲しい事とお思いになるにつけ、ご気分もすぐれないので、誰ともお顔を合わせなさらない。
蔵人の弁を呼び寄せて、きまじめにその旨を奏上させなさる。
大殿などにも、これこれの事情があって、参上できないお手紙などを差し上げなさる。
と、頭中将から言われた源氏ははっとした。
 「今お話ししたようにこまかにではなく、ただ思いがけぬ穢れにあいましたと申し上げてください。こんなので今日は失礼します」
 素知らず顔には言っていても、心にはまた愛人の死が浮かんできて、源氏は気分も非常に悪くなった。だれの顔も見るのが物憂かった。お使いの蔵人の弁を呼んで、またこまごまと頭中将に語ったような行触れの事情を帝へ取り次いでもらった。左大臣家のほうへもそんなことで行かれぬという手紙が行ったのである。
【蔵人弁】- 蔵人で弁官を兼官する者。蔵人は天皇に近侍して取り次いで奏上する。頭中将の弟と後の巻々からわかる。
【かかるよし】- ある穢れに触れてしばらく謹慎するという内容。
【奏せさせたまふ】- 「奏す」は帝に対して申し上げる時だけ使う語。使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏が蔵人の弁をして帝に奏上させなさる意。
【大殿などにも】- 左大臣家をさす。『集成』はそのルビに「おほいとの」と付けるが、御物本に「い」を補入している例がある。

第六段 十七日夜、夕顔の葬送

4.6.1 日が暮れて、惟光が参上した。
これこれの穢れがあるとおっしゃったので、お見舞いの人々も、皆立ったままで退出するので、人目は多くない。
呼び寄せて、
日が暮れてから惟光が来た。行触れの件を発表したので、二条の院への来訪者は皆庭から取り次ぎをもって用事を申し入れて帰って行くので、めんどうな人はだれも源氏の居間にいなかった。惟光を見て源氏は、 【日暮れて】- 場面は夕方となる。
【参れり】- 完了の助動詞「り」完了、参上して控えている、というニュアンス。
【かかる穢らひありとのたまひて】- 接続助詞「て」確定条件で続ける。--ので。主語は源氏。
【参る人びと】- 二条院にお見舞いに参上する人々。
【皆立ちながらまかづれば】- 「まかづれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【召し寄せて】- 源氏が惟光を呼び寄せて。
4.6.2 「どうであったか。
もうだめだと見えてしまったか」
「どうだった、だめだったか」 【いかにぞ。今はと見果てつや】- 源氏の質問。どうだ、夕顔は亡くなってしまったのか、というニュアンス。係助詞「ぞ」文全体の強調、係助詞「や」疑問。
4.6.3
のたまふままに(そで)御顔(おほんかほ)()しあてて()きたまふ。
惟光(これみつ)()()く、
とおっしゃると同時に、袖をお顔に押し当ててお泣きになる。
惟光も泣きながら、
と言うと同時に袖を顔へ当てて泣いた。惟光も泣く泣く言う、 【のたまふままに】- 連語「ままに」(名詞「まま」+格助詞「に」)と同時にの意。おっしゃるやいなやというニュアンス。
4.6.4 「もはやご最期のようでいらっしゃいます。
いつまでも一緒に籠っておりますのも不都合なので、明日は、日柄がよろしうございますので、あれこれ葬儀のことを、大変に尊い老僧で、知っております者に、連絡をつけました」と申し上げる。
「もう確かにお亡れになったのでございます。いつまでお置きしてもよくないことでございますから、それにちょうど明日は葬式によい日でしたから、式のことなどを私の尊敬する老僧がありまして、それとよく相談をして頼んでまいりました」 【今は限りにこそは】- 以下「言ひ語らひつけはべりぬる」まで、惟光の答え。係助詞「こそ」「めれ」已然形に係る係結びの法則。
【ものしたまふめれ】- 推量の助動詞「めれ」已然形、惟光の主観の加わった想像。のようでいらっしゃいます、というニュアンス。
【長々と籠もりはべらむも便なきを】- 推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。係助詞「も」強調のニュアンス。接続助詞「を」順接、ので、から、の意で下文に続ける。「言ひ語らひつけはべりぬる」に係る。
【明日なむ、日よろしくはべれば】- 葬儀を行うのに日柄がよいの意。大島本のみ「侍らは」(仮定形)とある。榊原家本は「侍は」とある。諸本に従って「はべれば」(順接続の確定条件)と本文を改める。係助詞「なむ」は「はべれ」に係るが、下文に続き結びの流れとなっている。
【とかくの事】- 葬儀に関する事。
【いと尊き老僧の、あひ知りてはべるに】- 格助詞「の」同格を表す。--で、の意。丁寧の補助動詞「はべる」連体形と格助詞「に」の間に「者」が省略されている形。
【言ひ語らひつけはべりぬる】- 完了の助動詞「ぬる」連体形、連体中止法。余情。
4.6.5 「付き添っていた女はどうしたか」とおっしゃると、
「いっしょに行った女は」 【添ひたりつる女はいかに】- 源氏の質問。「女」は右近をさす。完了の助動詞「たり」連用形、存続の意。完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。
4.6.6 「その者も、同様に、生きられそうにございませんようです。
自分も死にたいと取り乱しまして、今朝は谷に飛び込みそうになったのを拝見しました。
『あの前に住んでいた家の人に知らせよう』と申しますが、『今しばらく、落ち着きなさい、と。
事情をよく考えてからに』と、宥めておきました」
「それがまたあまりに悲しがりまして、生きていられないというふうなので、今朝は渓へ飛び込むのでないかと心配されました。五条の家へ使いを出すというのですが、よく落ち着いてからにしなければいけないと申して、とにかく止めてまいりました」 【それなむ、また、え生くまじくはべるめる】- 以下「こしらへおきはべりつる」まで、惟光の返事。係助詞「なむ」は「はべるめる」連体形に係る、係り結びの法則。強調のニュアンス。副詞「え」は打消の助動詞「まじく」連用形と呼応して不可能の意を表す。推量の助動詞「める」連体形は話者惟光の主観的推量、--のようだ、--らしい、の意を表す。
【我も後れじと惑ひはべりて】- 「我」は右近をさす。
【谷に落ち入りぬとなむ見たまへつる】- 『河海抄』は「世の中の憂きたびごとに身を投げば深き谷こそ浅くなりなめ」(古今集俳諧歌 一〇六一 読人知らず)を指摘する。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意。落ち入ってしまいかねないほどと。係助詞「なむ」は完了の助動詞「つる」連体形に係る、係結びの法則。
【かの故里人に告げやらむ】- 右近の詞を惟光が間接話法で言ったもの。「故里人」は夕顔の宿に残った女房たち。
【しばし、思ひしづめよ、と】- 大島本「しハし思ひしつめよと」とある。他の青表紙本は引用の格助詞「と」ナシ。『集成』『古典セレクション』は「しばし思ひしづめよ」と校訂。『新大系』は底本のままとする。以下「思ひめぐらして」まで、惟光が右近に言った言葉を引用。
【となむ、こしらへおきはべりつる】- 係助詞「なむ」は完了の助動詞「つる」連体形に係る、係結びの法則。
4.6.7 と、ご報告申すにつれて、とても悲しくお思いになって、
惟光の報告を聞いているうちに、源氏は前よりもいっそう悲しくなった。 【と、語りきこゆるままに】- 主語は惟光。連語「ままに」時間的経過、--につれて。
【いといみじと思して】- 主語は源氏。
4.6.8 「わたしも、とても気分が悪くて、どうなってしまうのであろうかと思われる」とおっしゃる。
「私も病気になったようで、死ぬのじゃないかと思う」
 と言った。
【我も、いと心地悩ましく】- 以下「おぼゆる」まで、源氏の詞。
【いかなるべきにかとなむおぼゆる】- 推量の助動詞「べき」連体形、推量の意。断定の助動詞「に」連用形。係助詞「か」疑問。係助詞「なむ」「おぼゆる」連体形に係る、係結びの法則。
4.6.9 「何を、この上くよくよお考えあそばしますか。
そうなる運命に、万事決まっていたのでございましょう。
誰にも聞かせまいと存じますので、惟光めが身を入れて、万事始末いたします」などと申す。
「そんなふうにまでお悲しみになるのでございますか、よろしくございません。皆運命でございます。どうかして秘密のうちに処置をしたいと思いまして、私も自身でどんなこともしているのでございますよ」 【何か、さらに】- 以下「ものしはべる」まで、惟光の詞。感動詞「何か」なんの、なんですか。
【ものせさせたまふ】- 尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、二重敬語。源氏に対する最高敬語、会話文中での使用。
【さるべきにこそ、よろづのことはべらめ】- 「さるべき」は前世からの約束事。格助詞「に」指定。係助詞「こそ」は「はべらめ」已然形に係る、係結びの法則。
【人にも漏らさじと思うたまふれば】- 打消推量の助動詞「じ」終止形、話者惟光の--するまいという打消しの意志。「思う」は「思ひ」連用形のウ音便形、謙譲の補助動詞「たまふれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件、-存じますので。
【惟光おり立ちて】- 会話文中で自分の名前をいう例である。「なにがし」などと表現されることもあるが、身分の下の者が上の者に向かって言う場合は、はっきりこう言った。また責任をもって事に当たります、という表明。
【よろづはものしはべる】- 丁寧の補助動詞「はべる」連体形、連体中止法。
4.6.10 「そうだ。
そのように何事も思ってはみるが、いい加減な遊び心から、人を死なせてしまった非難を受けねばならないのが、まことに辛いのだ。
少将命婦などにも聞かせるな。
尼君はましてこのようなことなど、お叱りになるから、恥ずかしい気がしよう」と、口封じなさる。
「そうだ、運命に違いない。私もそう思うが軽率な恋愛漁りから、人を死なせてしまったという責任を感じるのだ。君の妹の少将の命婦などにも言うなよ。尼君なんかはまたいつもああいったふうのことをよくないよくないと小言に言うほうだから、聞かれては恥ずかしくてならない」 【さかし】- 以下「おぼゆべき」まで、源氏の詞。
【人をいたづらになしつるかごと負ひぬべきが】- 完了の助動詞「つる」連体形。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述の意+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。格助詞「が」主格を表す。
【少将の命婦などにも聞かすな】- 惟光の姉妹か。下に「尼君まして」とあるので、惟光の縁者であろう。終助詞「な」強い禁止を表す。
【尼君】- 大弍の乳母をさす。
【諌めらるるを】- 尊敬の助動詞「らるる」連体形、軽い敬意。接続助詞「を」順接、--ので、から。
【心恥づかしくなむおぼゆべき】- 係助詞「なむ」は「推量の助動詞「べき」連体形、当然の意に係る、係結びの法則。
【口かためたまふ】- 「口堅 クチカタメ」(易林本節用集)「クチガタメ[Cuchigatame]ヲスル」(日葡辞書)。『集成』『古典セレクション』は「口がため」と濁音に読み、『新大系』は清音に読む。『岩波古語辞典』では動詞(下二段)の場合は清音、名詞の場合は濁音としている。今、清音で読んでおく。
4.6.11 「その他の法師たちなどにも、すべて、説明は別々にしてございます」
「山の坊さんたちにもまるで話を変えてしてございます」 【さらぬ法師ばら】- 以下「異にはべる」まで、惟光の詞。連語「さらぬ」(動詞「さら」未然形+打消の助動詞「ぬ」連体形)その他の。接尾語「ばら」複数を表す。「殿ばら」「宮ばら」「法師ばら」など、身分の高い者にもついたが、時代が下るとともに軽蔑する者につくようになっていった。「奴ばら」「海賊ばら」など。
【言ひなすさま異にはべる】- 「はべる」連体形、連体中止法。
4.6.12 と申し上げるので、頼りになさっている。
と惟光が言うので源氏は安心したようである。 【と聞こゆるにぞ、かかりたまへる】- 係助詞「ぞ」は完了の助動詞「る」連体形に係る、係結びの法則、強調。『古典セレクション』は「「かかる」は、生死がかかっている、の意。ただ一つの頼りとしてすがりつく思いだ」と注す。
4.6.13
ほの()女房(にょうばう)などあやしく(なに)ごとならむ、(けが)らひのよしのたまひて、内裏(うち)にも(まゐ)りたまはず、また、かくささめき(なげ)きたまふ」と、ほのぼのあやしがる。
わずかに会話を聞く女房などは、「変だわ、何事だろうか、穢れに触れた旨をおっしゃって、宮中へも参内なさらず、また、このようにひそひそと話して嘆いていらっしゃる」と、ぼんやり不思議がる。
主従がひそひそ話をしているのを見た女房などは、
 「どうも不思議ですね、行触れだとお言いになって参内もなさらないし、また何か悲しいことがあるようにあんなふうにして話していらっしゃる」
 腑に落ちぬらしく言っていた。
【ほの聞く女房など】- 源氏と惟光とのひそひそ話をかすかに聞く、ちょっと聞く意。
【あやしく】- 以下「嘆きたまふ」まで、女房たちのひそひそ声。
4.6.14 「重ねて無難に取り計らえ」と、葬式の作法をおっしゃるが、
「葬儀はあまり簡単な見苦しいものにしないほうがよい」
 と源氏が惟光に言った。
【さらに事なくしなせ】- 源氏の詞。副詞「さらに」重ねて、引き続き、の意。また下に打消しの語を伴って決して--ないようにの意を表す。ここは重ねて無難に取り計らえ、の意。
【そのほどの作法】- 葬儀。火葬に付する儀礼。
4.6.15 「いやいや、大げさにする必要もございません」
「そうでもございません。これは大層にいたしてよいことではございません」 【何か、ことことしくすべきにもはべらず】- 惟光の返事。感動詞「何か」なんですか、なんの、にの意。源氏があれこれとこまかく指図したことに対して否定する言葉。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意は下の打消の助動詞「ず」終止形と呼応して、--する必要はない。大げさにする必要はございません、と惟光は言う。
4.6.16 と言って立つのが、とても悲しく思わずにはいらっしゃれないので、
と否定してから、惟光が立って行こうとするのを見ると、急にまた源氏は悲しくなった。 【とて立つが】- 格助詞「が」希望や好悪などの主観的な意味の対象を表す。と言って席を立つのが悲しく思われる、の意。接続助詞「が」は平安末期に成立。源氏物語では格助詞とされる。
【いと悲しく思さるれば】- 自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。思わずにはいられないのニュアンス。惟光が側を離れるのを寂しく思うと共に、夕顔の葬儀が簡略に行われるのを悲しむ。
4.6.17 「きっと不都合なことと思うだろうが、今一度、あの亡骸を見ないのが、とても心残りだから、馬で行ってみたい」
「よくないことだとおまえは思うだろうが、私はもう一度遺骸を見たいのだ。それをしないではいつまでも憂鬱が続くように思われるから、馬ででも行こうと思うが」 【便なしと】- 以下「馬にてものせむ」まで、源氏の詞。
【思ふべけれど】- 主語はあなた、惟光。推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。きっと思うだろうが。
【かの亡骸を見ざらむが】- 推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。格助詞「が」対象を表す。見ないのが、心の残りである。
【いといぶせかるべきを】- 接続助詞「を」順接を表す。--ので。
【馬にてものせむ】- 格助詞「にて」手段を表す。馬で。推量の助動詞「む」終止形、意志。
4.6.18 とおっしゃるので、とんでもない事だとは思うが、
主人の望みを、とんでもない軽率なことであると思いながらも惟光は止めることができなかった。 【とのたまふを】- 接続助詞「を」順接を表す。おっしゃるので。
【いとたいだいしきこととは思へど】- 主語は惟光。「たいだいし」は軽々しくあるまじきことだ、の意。『集成』は「全くおだやかならぬことだとは思うが」と解し、『完訳』は「軽率きわまりない、の意」と解す。
4.6.19 「そのようにお思いになるならば、仕方ございません。
早く、お出かけあそばして、夜が更けない前にお帰りあそばしませ」
「そんなに思召すのならしかたがございません。では早くいらっしゃいまして、夜の更けぬうちにお帰りなさいませ」 【さ思されむは】- 以下「おはしませ」まで、惟光の詞。自発の助動詞「れ」未然形、推量の助動詞「む」連体形、仮定の意。係助詞「は」仮定条件を表す。そのようにお思いになられるようでしたらの意。
【いかがせむ】- 連語「いかがはせむ」(副詞「いかが」+係助詞「は」+サ変動詞「せ」未然形+推量の助動詞「む」連体形)反語表現。どうしよう、どうすることもできない。
【夜更けぬ先に帰らせおはしませ】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の意+「おはしませ」(「おはす」よりさらに高い敬語表現)。会話文中の最高敬語表現。
4.6.20
(まう)せば、このごろの(おほん)やつれにまうけたまへる、(かり)御装束着替(おほんさうぞくきか)へなどして()でたまふ。
と申し上げるので、最近のお忍び用にお作りになった、狩衣のご衣装に着替えなどしてお出かけになる。
と惟光は言った。五条通いの変装のために作らせた狩衣に着更えなどして源氏は出かけたのである。 【このごろの御やつれに】- 「比日 コノゴロ」(図書寮本名義抄)。上代には清音「このころ」。
4.6.21
御心地(みここち)かきくらし、いみじく()へがたければ、かくあやしき(みち)()()ちても(あやふ)かりし物懲(ものご)りにいかにせむと(おぼ)しわづらへど、なほ(かな)しさのやる(かた)なく、ただ(いま)(から)()ではまたいつの()にかありし容貌(かたち)をも()」と、(おぼ)(ねん)じて、(れい)大夫(たいふ)随身(ずいじん)()して()でたまふ。
お心はまっ暗闇で、大変に堪らないので、このような変な道に出かけようとするにつけても、危なかった懲り事のために、どうしようかとお悩みになるが、やはり悲しみの晴らしようがなく、「現在の亡骸を見ないでは、再び来世で生前の姿を見られようか」と、悲しみを堪えなさって、いつものように惟光大夫、随身を連れてお出掛けになる。
病苦が朝よりも加わったこともわかっていて源氏は、軽はずみにそうした所へ出かけて、そこでまたどんな危険が命をおびやかすかもしれない、やめたほうがいいのではないかとも思ったが、やはり死んだ夕顔に引かれる心が強くて、この世での顔を遺骸で見ておかなければ今後の世界でそれは見られないのであるという思いが心細さをおさえて、例の惟光と随身を従えて出た。 【かくあやしき道に出で立ちても】- 係助詞「も」強調を表す。
【危かりし物懲りに】- 過去の助動詞「し」連体形、自分の体験。昨夜十六日の夜、某院で怪異に遭遇した経験。格助詞「に」動作の原因・理由を表す。--のために。
【ただ今の骸を見では】- 以下「容貌をも見む」まで、源氏の気持ちを叙述する。係助詞「は」否定の語の下に付いて、接続助詞的に順接の仮定条件を表す。見なくては、見なければ。
【またいつの世にかありし容貌をも見む】- 再び来世で、の意。係助詞「か」「見む」連体形、係結びの法則。反語表現。見ることができようか、できまい。
4.6.22
道遠(みちとほ)くおぼゆ
十七日(じふしちにち)(つき)さし()でて、河原(かはら)のほど御前駆(おほんさき)()もほのかなるに鳥辺野(とりべの)(かた)など()やりたるほどなど、ものむつかしきも(なに)ともおぼえたまはず、かき(みだ)心地(ここち)したまひて、おはし()きぬ。
道中が遠く感じられる。
十七日の月がさし昇って、河原の辺りでは、御前駆の松明も仄かであるし、鳥辺野の方角などを見やった時など、何となく気味悪いのも、何ともお感じにならず、心乱れなさって、お着きになった。
非常に路のはかがゆかぬ気がした。十七日の月が出てきて、加茂川の河原を通るころ、前駆の者の持つ松明の淡い明りに鳥辺野のほうが見えるというこんな不気味な景色にも源氏の恐怖心はもう麻痺してしまっていた。ただ悲しみに胸が掻き乱されたふうで目的地に着いた。 【道遠くおぼゆ】- 二条院から五条辺までの距離。早く逢いたいという、心理的な遠さ。
【十七日の月】- 別名、立ち待ちの月。宵のうちに出る。
【河原のほど】- 二条院から清水寺の方へ向かう途中の鴨川の辺り。
【御前駆の火もほのかなるに】- 御前駆が持っている松明の火。微行なので松明の火も弱くしている。接続助詞「に」順接を表す。添加の意はない。
【鳥辺野の方】- 鳥辺野は当時の火葬場。五条から七条辺にかけて東山麓をさす。
【ものむつかしきも】- 係助詞「も」強調の意。
4.6.23
(あた)りさへすごきに板屋(いたや)のかたはらに堂建(だうた)てて(おこな)へる(あま)()まひ、いとあはれなり。
御燈明(みあかし)(かげ)ほのかに()きて()ゆ。
その()には、女一人泣(をんなひとりな)(こゑ)のみして、()(かた)に、法師(ほふし)ばら()三人物語(さんにんものがたり)しつつわざとの声立(こゑた)てぬ念仏(ねんぶつ)ぞする。
寺々(てらでら)初夜(そや)も、みな(おこな)()てていとしめやかなり。
清水(きよみづ)(かた)ぞ、光多(ひかりおほ)()え、(ひと)のけはひもしげかりける。
この尼君(あまぎみ)()なる大徳(だいとこ)声尊(こゑたふと)くて、(きゃう)うち()みたるに(なみだ)(のこ)りなく(おぼ)さる。
周囲一帯までがぞっとする所だが、板屋の隣に堂を建ててお勤めしている尼の家は、まことにもの寂しい感じである。
御燈明の光が、微かに隙間から見える。
その家には、女一人の泣く声ばかりして、外の方に、法師たち二、三人が話をしいしい、特に声を立てない念仏を唱えている。
寺々の初夜も、皆、お勤めが終わって、とても静かである。
清水寺の方角は、光が多く見え、人の気配がたくさんあるのであった。
この尼君の子である大徳が尊い声で、経を読んでいるので、涙も涸れんばかりに思わずにはいらっしゃれない。
凄い気のする所である。そんな所に住居の板屋があって、横に御堂が続いているのである。仏前の燈明の影がほのかに戸からすいて見えた。部屋の中には一人の女の泣き声がして、その室の外と思われる所では、僧の二、三人が話しながら声を多く立てぬ念仏をしていた。近くにある東山の寺々の初夜の勤行も終わったころで静かだった。清水の方角にだけ灯がたくさんに見えて多くの参詣人の気配も聞かれるのである。主人の尼の息子の僧が尊い声で経を読むのが聞こえてきた時に、源氏はからだじゅうの涙がことごとく流れて出る気もした。 【すごきに】- 接続助詞「に」弱い逆接の意。--だが、の意。
【女一人泣く声】- 右近の泣き声をいう。
【物語しつつ】- 「つつ」は同じ動作の繰り返しの意。話をしては念仏を唱え、また念仏を唱えては話をするということであろう。
【わざとの声立てぬ念仏】- 無言念仏、声を出さないで唱える念仏。葬送の前に行う。
【寺々の初夜も、みな行ひ果てて】- 午後六時から十時ころまでに行う勤行。
【清水の方】- 清水寺の方角。千手観音を本尊とし、当時から信仰が篤かった。
【経うち読みたるに】- 接続助詞「に」順接。原因・理由を表す。
4.6.24
()りたまへれば、火取(ひと)(そむ)けて、右近(うこん)屏風隔(びゃうぶへだ)てて()したり。
いかにわびしからむと、()たまふ。
(おそ)ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか(かは)りたるところなし。
()をとらへて、
お入りになると、灯火を遺骸から背けて、右近は屏風を隔てて臥していた。
どんなに侘しく思っているだろう、と御覧になる。
気味悪さも感じられず、とてもかわいらしい様子をして、まだ少しも変わった所がない。
手を握って、
中へはいって見ると、灯をあちら向きに置いて、遺骸との間に立てた屏風のこちらに右近は横になっていた。どんなに佗しい気のすることだろうと源氏は同情して見た。遺骸はまだ恐ろしいという気のしない物であった。美しい顔をしていて、まだ生きていた時の可憐さと少しも変わっていなかった。 【火取り背けて、右近は屏風隔てて】- 燈火を夕顔から離して屏風を間に立てて右近が横になっている様子。すなわち夕顔を死人として扱っている様子を源氏は見る。
【いかにわびしからむ】- 源氏の気持ち。夕顔に対して、また右近に対してという両説あるが、死者であっても差し支えない。『古典セレクション』は「死人がこうした感情を抱くはずはないが、薄暗い中に一人ぼっちで捨てておかれた姿を見ると、源氏の心が痛むのである」と注す。
4.6.25 「わたしに、もう一度、声だけでもお聞かせ下さい。
どのような前世からの因縁があったのだろうか、少しの間に、心の限りを尽くして愛しいと思ったのに、残して逝って、途方に暮れさせなさるのが、あまりのこと」
「私にもう一度、せめて声だけでも聞かせてください。どんな前生の縁だったかわずかな間の関係であったが、私はあなたに傾倒した。それだのに私をこの世に捨てて置いて、こんな悲しい目をあなたは見せる」 【我に、今一度】- 以下「いみじきこと」まで、源氏の詞。
【声をだに聞かせたまへ】- 副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。「せたまへ」は尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまへ」命令形、最高敬語。
【いかなる昔の契りにかありけむ】- 「昔の契り」は前世からの因縁、の意。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「か」疑問、過去推量の助動詞「けむ」連体形、係結びの法則。
【あはれに思ほえしを】- 過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「を」逆接を表す。
【惑はしたまふが】- 格助詞「が」主格を表す。
4.6.26
と、(こゑ)()しまず()きたまふこと、(かぎ)りなし。
と、声も惜しまず、お泣きになること、際限がない。
もう泣き声も惜しまずはばからぬ源氏だった。 【と、声も惜しまず】- 係助詞「も」強調の意。
4.6.27
大徳(だいとこ)たちも、(たれ)とは()らぬにあやしと(おも)ひて、(みな)涙落(なみだお)としけり。
大徳たちも、この方たちを誰とは知らないが、子細があると思って、皆、涙を落としたのだった。
僧たちもだれとはわからぬながら、死者に断ちがたい愛着を持つらしい男の出現を見て、皆涙をこぼした。 【大徳たちも、誰とは知らぬに】- 夕顔や源氏を誰とも知らない。惟光は他の大徳たちにはそれぞれ異なった説明をして事情を隠していた。係助詞「も」同類を表す。源氏が泣いたのと同様に。接続助詞「に」逆接を表す。
4.6.28
右近(うこん)を、いざ、二条(にでう)」とのたまへど、
右近に、「さあ、二条へ」とおっしゃるが、
源氏は右近に、
 「あなたは二条の院へ来なければならない」
 と言ったのであるが、
【いざ、二条へ】- 青表紙本系の御物本、榊原家本、池田本は「二条」。大島本は「院」を朱筆で補入、横山本も「院」を補入する。肖柏本と三条西家本と書陵部本は「二条院」とある。定家本には「院」が無かったものであろう。『集成』『古典セレクション』は「二条」の本文を採用する。『新大系』は「二条院」の補入本文を採用。
4.6.29 「長年、幼うございました時から、片時もお離れ申さず、馴れ親しみ申し上げてきた方に、急にお別れ申して、どこに帰ったらよいのでございましょう。
どのようにおなりになったと、皆に申せましょう。
悲しいことはさておいて、皆にとやかく言われましょうことが、辛いことで」と言って、泣き崩れて、「煙と一緒になって、後をお慕い申し上げましょう」と言う。
「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわかにお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。奥様がどうおなりになったかということを、どうほかの人に話ができましょう。奥様をお亡くししましたほかに、私はまた皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
 こう言って右近は泣きやまない。
 私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」
【年ごろ】- 以下「いみじきこと」まで、右近の返事。
【幼くはべりしより】- 主人の夕顔に自分が幼かった時から。「はべり」は自分に対して用いた丁寧語表現。過去の助動詞「し」連体形、自己の体験を表す。右近は夕顔の乳母子であるらしいことが分かる。
【離れたてまつらず】- 「たてまつる」(謙譲の補助動詞)、主人の夕顔にお離れ申さず。
【馴れきこえつる人に】- 主語は右近。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、完了の助動詞「つる」連体形、完了。「人」は主人の夕顔をさしていう。右近がお親しみ申し上げてきた方(夕顔)に。
【いづこにか帰りはべらむ】- 「いづこにか--む」(係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則)は、疑問また反語表現。途方に暮れている気持ち。どこに帰ったらよいのでございましょうか、どこにも帰る所はございませんの意。
【いかになりたまひにき】- 主語は夕顔。完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「き」終止形。
【とか、人にも言ひはべらむ】- 係助詞「か」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び、反語表現。何と言いましょうか、何とも言えません。
【人に言ひ騒がれはべらむが】- 受身の助動詞「れ」連用形、推量の助動詞「む」連体形、格助詞「が」主格を表す。
【煙にたぐひて、慕ひ参りなむ】- 右近の詞。現在、荼毘にふしているところである。「まゐり」連用形、完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志。後を追ってしまおうの意。自分の意志、希望を言う。なお終助詞「なむ」は他に対するあつらえの願望を表し、自分の願望は「ばや」で表す。
4.6.30
道理(ことわり)なれどさなむ()(なか)はある
(わか)れと()ふもの、(かな)しからぬはなし。
とあるもかかるも(おな)(いのち)(かぎ)りあるものになむある。
(おも)(なぐさ)めて、(われ)(たの)め」と、のたまひこしらへてかく()()()こそは()きとまるまじき心地(ここち)すれ」
「ごもっともだが、世の中はそのようなものである。
別れというもので、悲しくないものはない。
先立つのも残されるのも、同じく寿命で定まったものである。
気を取り直して、わたしを頼れ」と、お慰めになりながらも、「このように言う我が身こそが、生きながらえられそうにない気がする」
「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないのだ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。気を静めて私を信頼してくれ」
 と言う源氏が、また、
 「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」
【道理なれど】- 以下「我を頼め」まで、源氏の詞。力強く右近を諌め励ます。
【さなむ世の中はある】- 倒置表現。係助詞「なむ」「ある」連体形、係結びの法則、強調。
【とあるもかかるも】- 『古典セレクション』は「長生きするのも、あるいは早死にをするのも、結局は、どちらにしても」と注す。
【のたまひこしらへて】- 大島本「の給こしらへて」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「のたまひこしらへても」と「も」を補う。『新大系』は底本のまま。
【かく言ふ我が身こそは】- 以下「心地すれ」まで、源氏の詞。係助詞「こそ」「すれ」已然形の係結びの法則。
4.6.31 とおっしゃるのも、頼りない話であるよ。
と言うのであるから心細い。 【とのたまふも、頼もしげなしや】- 語り手の評言。『岷江入楚』所引三光院実枝説に「右近か心なり又草子の地歟云々」と指摘。終助詞「や」詠嘆の意。
4.6.32 惟光が、「夜は、明け方になってしまいましょう。
早くお帰りあそばしますように」
「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」 【夜は、明け方になりはべりぬらむ】- 以下「はや帰らせたまひなむ」まで、惟光の詞。夕顔の火葬は終了に近づく。完了の助動詞「ぬ」終止形、推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【はや帰らせたまひなむ】- 尊敬の助動詞「せ」連用形+尊敬の補助動詞「たまひ」連用形、最高敬語。会話文中での用法。完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」終止形、勧誘の意。早くお帰りあそばしますように。
4.6.33
()こゆれば、(かへ)りみのみせられて(むね)もつと(ふた)がりて()でたまふ。
と申し上げるので、振り返り振り返りばかりされて、胸をひしと締め付けられた思いでお出になる。
惟光がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途についた。 【返りみのみせられて】- 副助詞「のみ」限定と強調。自発の助動詞「られ」連用形。
4.6.34
(みち)いと(つゆ)けきに、いとどしき朝霧(あさぎり)いづこともなく(まど)心地(ここち)したまふ。
ありしながらうち()したりつるさま、うち()はしたまへりしが()御紅(おほんくれなゐ)御衣(おほんぞ)()られたりつるなどいかなりけむ(ちぎ)りにか(みち)すがら(おぼ)さる
御馬(おほんむま)にも、はかばかしく()りたまふまじき(おほん)さまなれば、また、惟光添(これみつそ)(たす)けておはしまさするに(つつみ)のほどにて御馬(おほんむま)よりすべり()りていみじく御心地惑(みここちまど)ひければ、
道中とても露っぽいところに、更に大変な朝霧で、どこだか分からないような気がなさる。
生前の姿のままで横たわっていた様子、互いにお掛け合いになって寝たのや、その自分の紅のご衣装がそのまま着せ掛けてあったことなどが、どのような前世の因縁であったのかと、道すがらお思いにならずにはいらっしゃれない。
お馬にも、しっかりとお乗りになることができそうにないご様子なので、再び、惟光が介添えしてお連れしていくと、堤の辺りで、馬からすべり下りて、ひどくご惑乱なさったので、
露の多い路に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味わわれた。某院の閨にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、その夜上に掛けて寝た源氏自身の紅の単衣にまだ巻かれていたこと、などを思って、全体あの人と自分はどんな前生の因縁があったのであろうと、こんなことを途々源氏は思った。馬をはかばかしく御して行けるふうでもなかったから、惟光が横に添って行った。加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。失心したふうで、 【道いと露けきに、いとどしき朝霧に】- 景情一致の描写。露は源氏の涙を象徴し、朝霧は源氏の心の状態を象徴する。自然の景色が源氏の心象風景となっている。源氏物語の表現世界における特色の一つ。「露けきに」の「に」は接続助詞、添加の意。露っぽいうえに。「朝霧に」の「に」は格助詞、事の起こるもとを表す。朝霧によって。
【うち交はしたまへりしが】- 夜共寝する時に、着物を互いに着せ掛け合って寝たのが。『集成』は「か」を削除する。『古典セレクション』は底文のままで、「「が」は衍字と見て、「たまへりしわが」の意にとっておく」と注す。「が」格助詞、主格を表す。「道すがら思さる」と続く。「我が御紅の」云々と並列の構文。
【着られたりつるなど】- 自発の助動詞「られ」連用形、完了の助動詞「たり」連用形、存続の意、完了の助動詞「つる」連体形、完了の意。『完訳』は「「られ」は自発の意。おのずから着たように遺骸に掛けてある」と注し、さらに『古典セレクション』では「古代日本語では無生物を主語として受身の述語を用いることはない」と注して本居宣長の「源氏物語玉の小櫛」の注を引用する。『今泉訳』でも「御自分のあの紅の御着物が、あのまま着せてあつたさまなど」と訳している。
【いかなりけむ契りにか】- 源氏の心。
【道すがら思さる】- 自発の助動詞「る」終止形。
【おはしまさするに】- 使役の助動詞「する」連体形。惟光が源氏をして、の意。接続助詞「に」順接。
【堤のほどにて】- 清水から二条院へ帰る途上の鴨川の土手。
【御馬よりすべり下りて】- 『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「馬よりすべり下りて」と「御」を削除する。『新大系』は底本のままとする。
4.6.35 「こんな道端で、野垂れ死んでしまうのだろうか。
まったく、帰り着けそうにない気がする」
「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。二条の院まではとうてい行けない気がする」 【かかる道の空にて】- 以下「心地なむする」まで、源氏の詞。
【はふれぬべきにやあらむ】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、完了の意、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意、ラ変動詞「あら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。野たれ死んでしまうのであろうかの意。「はふる」について、『小学館古語大辞典』では「第二音節の清濁から「棄」「葬」の意の「はぶる」とは一応区別したが、意味の共通性、および清濁の明白な用例が少ないことから、「はふ(放)る」「はぶ(棄)る」を別語とすることにはなお疑問が残る。平安時代以後、四段活用「はふる」に代わって、「はふらす」「はふらかす」が下二段活用「はふる」に対する他動詞として用いられた」という。『岩波古語辞典』では「殯 ハブル」(名義抄)を挙げ、「はぶる」「はぶらかす」共に濁音とする。『集成』『新大系』は清音で読むが、『古典セレクション』は「はぶれ」と濁音で読み、「「はぶれ」は、放ち捨てる意の「はふる」(他動詞四段)の自動詞形(下二段)。野たれ死にする、の意」と注す。
【さらに、え行き着くまじき心地なむする】- 副詞「さらに」打消の推量の助動詞「まじき」連体形を伴って、全然--ない、の意を表す。副詞「え」も「まじき」に係って不可能の意を表す。係助詞「なむ」サ変動詞「する」連体形に係る、係り結びの法則、強調の意を表す。
4.6.36
とのたまふに、惟光心地惑(これみつここちまど)ひて、()がはかばかしくはさのたまふともかかる(みち)()()でたてまつるべきかは」と(おも)ふに、いと(こころ)あわたたしければ、(かは)(みづ)()(あら)ひて、清水(きよみづ)観音(かんおん)(ねん)じたてまつりても、すべなく(おも)(まど)ふ。
とおっしゃるので、惟光も困惑して、「自分がしっかりしていたら、あのようにおっしゃっても、このような所にお連れ出し申し上げるべきではなかった」と反省すると、とても気ぜわしく落ち着いていられないので、鴨川の水で手を洗い清めて、清水の観音をお拝み申しても、どうしようもなく途方に暮れる。
と言った。惟光の頭も混乱状態にならざるをえない。自分が確とした人間だったら、あんなことを源氏がお言いになっても、軽率にこんな案内はしなかったはずだと思うと悲しかった。川の水で手を洗って清水の観音を拝みながらも、どんな処置をとるべきだろうと煩悶した。 【我がはかばかしくは】- 以下「たてまつるべきかは」まで、惟光の反省と後悔。形容詞「はかばかしく」未然形+係助詞「は」順接の仮定条件を表す。自分がしっかりしていたら。
【さのたまふとも】- 主語は源氏。「さ」は「今一度かの亡骸を」さす。接続助詞「とも」逆接の仮定条件を表す。
【率て出でたてまつるべきかは】- 推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、係助詞「かは」(疑問の係助詞「か」+係助詞「は」の連語)反語。お連れ申し上げてよいものであったか、いや、お連れ申し上げるべきではなかった、の意。
【川の水に手を洗ひて、清水の観音を】- 鴨川の水で手を洗い清めて、清水寺御本尊の千手観音を祈る。主語は惟光。
4.6.37
(きみ)も、しひて御心(みこころ)()こして(こころ)のうちに(ほとけ)(ねん)じたまひて、また、とかく(たす)けられたまひてなむ二条院(にでうのゐん)(かへ)りたまひける。
源氏の君も、無理に気を取り直して、心中に仏を拝みなさって、再び、あれこれ助けられなさって、二条院へお帰りになるのであった。
源氏もしいて自身を励まして、心の中で御仏を念じ、そして惟光たちの助けも借りて二条の院へ行き着いた。 【君も、しひて御心を起こして】- 係助詞「も」同類を表す。惟光同様に源氏の君も、の意。
【とかく助けられたまひてなむ】- 惟光に助けられて。受身の助動詞「られ」連用形。係助詞「なむ」、過去の助動詞「ける」連体形に係る、係結びの法則。
4.6.38 奇妙な深夜のお忍び歩きを、女房たちは、「みっともないこと。
近ごろ、いつもより落ち着きのないお忍び歩きが、うち続く中でも、昨日のご様子が、とても苦しそうでいらっしゃいましたが。
どうしてこのように、ふらふらお出歩きなさるのでしょう」と、嘆き合っていた。
毎夜続いて不規則な時間の出入りを女房たちが、
 「見苦しいことですね、近ごろは平生よりもよく微行をなさる中でも昨日はたいへんお加減が悪いふうだったでしょう。そんなでおありになってまたお出かけになったりなさるのですから、困ったことですね」
 こんなふうに歎息をしていた。
【夜深き御歩き】- 「夜深し」は明け方から見て夜が深いの意。夕方から見た場合は「夜更く」と表現する。
【見苦しきわざかな】- 以下「たどり歩きたまふらむ」まで、二条院の女房たちのささやき。終助詞「かな」詠嘆を表す。
【御忍び歩きの】- 格助詞「の」主格を表す。
【昨日の御気色の】- 「昨日の」の格助詞「の」は連体修飾語、「御気色の」の格助詞「の」は主語を表す。
【いと悩ましう思したりしに】- 完了の助動詞「たらい」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形。接続助詞「に」逆接の意。文は下に続いていると解せるが、女房たちが「嘆きあへり」という場面なので、複数の会話としてとらえて、句点とした。
【いかでかく、たどり歩きたまふらむ】- 推量の助動詞「らむ」終止形、原因推量の意。どうしてこのようにうろうろお出歩きなさるのでしょうかの意。
4.6.39
まことに、()したまひぬるままに、いといたく(くる)しがりたまひて、()三日(さんにち)になりぬるにむげに(よわ)るやうにしたまふ。
内裏(うち)にも、()こしめし、(なげ)くこと(かぎ)りなし。
御祈(おほんいの)り、方々(かたがた)(ひま)なくののしる。
(まつり)(はらへ)修法(すほふ)など、()()くすべくもあらず。
()にたぐひなくゆゆしき(おほん)ありさまなれば、()(なが)くおはしますまじきにやと、(あめ)(した)(ひと)(さわ)ぎなり。
ほんとうに、お臥せりになったままで、とてもひどくお苦しみになって、二、三日にもなったので、すっかり衰弱のようでいらっしゃる。
帝におかせられても、お耳にあそばされ、嘆かれることはこの上ない。
御祈祷を、方々の寺々にひっきりなしに大騒ぎする。
祭り、祓い、修法など、数え上げたらきりがない。
この世にまたとなく美しいご様子なので、長生きあそばされないのではないかと、国中の人々の騷ぎである。
源氏白身が予言をしたとおりに、それきり床について煩ったのである。重い容体が二、三日続いたあとはまた甚しい衰弱が見えた。源氏の病気を聞こし召した帝も非常に御心痛あそばされてあちらでもこちらでも間断なく祈祷が行なわれた。特別な神の祭り、祓い、修法などである。何にもすぐれた源氏のような人はあるいは短命で終わるのではないかといって、一天下の人がこの病気に関心を持つようにさえなった。 【二、三日になりぬるに】- 完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。接続助詞「に」順接の確定条件。寝込んでから二、三日になってしまったので。源氏は、十五日の夜、夕顔の家で一夜を共にした。十六日の早朝、某の院に連れ出し、その日の夜の宵過ぎに物の怪に襲われて夕顔頓死。十七日朝、いったん二条院に帰り、いろいろと見舞いを受けた後、日が暮れて、夕顔の亡骸に会いに行き、その夜火葬に付して、十八日朝、鳥辺野から帰ってきた。それ以来すっかり寝込んでしまっている。
【修法】- 大島本「すほう」と表記し、「法<ワウ>トヨム」と注記する。「ス」は「シュ」の直音化。「シュホフ」(色葉字類抄)。「しゅほふ」と清音で読む。『新大系』は清音で読むが、『集成』『古典セレクション』は「ずほふ」と濁音で読んでいる。
【ゆゆしき御ありさま】- 不吉なまでに美し過ぎるご様子。
【世に長くおはしますまじきにや】- 世の人々の噂。「おはします」は、「神仏、上皇、皇族、皇族待遇の人の動作にいう。オハシより一層高い尊敬の意を表わす」(岩波古語辞典)。打消推量の助動詞「まじき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問を表す。
4.6.40
(くる)しき御心地(みここち)にも、かの右近(うこん)()()せて(つぼね)など(ちか)くたまひて、さぶらはせたまふ
惟光(これみつ)心地(ここち)(さわ)(まど)へど、(おも)ひのどめてこの(ひと)のたづきなしと(おも)ひたるをもてなし(たす)けつつさぶらはす。
苦しいご気分ながらも、あの右近を呼び寄せて、部屋などを近くにお与えになって、お仕えさせなさる。
惟光は、気が気でなくどうしてよいかわからないでいるが、気を落ち着けて、この右近が主人を亡くして悲しんでいるのを、支え助けてやりながら仕えさせる。
病床にいながら源氏は右近を二条の院へ伴わせて、部屋なども近い所へ与えて、手もとで使う女房の一人にした。惟光は源氏の病の重いことに顛倒するほどの心配をしながら、じっとその気持ちをおさえて、馴染のない女房たちの中へはいった右近のたよりなさそうなのに同情してよく世話をしてやった。 【かの右近を召し寄せて】- その後、右近が二条院に入ったことがわかる。
【さぶらはせたまふ】- 使役の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。右近に部屋を与えて、源氏付きの女房として仕えさせる、意。
【惟光、心地も騒ぎ惑へど、思ひのどめて】- 惟光は主人の源氏の大変な病気衰弱ということで気が気でないが、気を落ち着けて、という意。
【この人のたづきなしと思ひたるを】- 右近が主人の夕顔を亡くして心細く思っているのを。格助詞「を」目的格を表す。
4.6.41
(きみ)は、いささか(ひま)ありて(おぼ)さるる(とき)は、()()でて使(つか)ひなどすればほどなく()じらひつきたり。
(ぶく)いと(くろ)くして容貌(かたち)などよからねど、かたはに見苦(みぐる)しからぬ若人(わかうど)なり。
源氏の君は、少し気分のよろしく思われる時は、呼び寄せてご用を言いつけたりなどなさるので、まもなく馴染んだ。
喪服は、とても黒いのを着て、器量など良くはないが、不器量で見苦しいというほどでもない若い女性である。
源氏の病の少し楽に感ぜられる時などには、右近を呼び出して居まの用などをさせていたから、右近はそのうち二条の院の生活に馴れてきた。濃い色の喪服を着た右近は、容貌などはよくもないが、見苦しくも思われぬ若い女房の一人と見られた。 【召し出でて使ひなどすれば】- 源氏は右近を呼び出して女房として召し使ったりなどしたので。
【服、いと黒くして】- 右近の喪服姿をいう。主人の服喪なので特に黒色を着用。なお『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「黒う」と校訂するが、『新大系』は底本のまま「黒く」とする。
【かたはに見苦しからぬ若人】- 右近は夕顔の乳母子らしいので、年齢も同じか少し上であろう。
4.6.42 「不思議に短かったご宿縁に引かれて、わたしもこの世に生きていられないような気がする。
長年の主人を亡くして、心細く思っていましょう慰めにも、もし生きながらえたら、いろいろと面倒を見たいと思ったが、まもなく自分も後を追ってしまいそうなのが、残念なことだなあ」
「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだろう。長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが、私もあの人のあとを追うらしいので、おまえには気の毒だね」 【あやしう】- 以下「口惜しくもあるべきかな」まで、源氏の詞。
【あるまじきなめり】- 打消推量の助動詞「まじき」連体形、「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意。生きていられないような気がする。
【心細く思ふらむ慰めにも】- 推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量の意。源氏が右近の心中を想像するニュアンス。
【もしながらへば、よろづに育まむ】- 源氏が夕顔を。ハ行下二「ながらへ」未然形+接続助詞「ば」は順接の仮定条件を表す。推量の助動詞「む」終止形、意志。もし生き長らえることができたらいろいろと世話をしよう。
【とこそ思ひしか】- 係助詞「こそ」過去の助動詞「しか」已然形、係結びの逆接用法。読点で下文に続く。と思っていたが、の意。
【ほどなくまたたち添ひぬべきが】- 大島本「ほとなく」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ほどもなく」と「も」を補う。『新大系』は底本のまま。「たち添ふ」とは夕顔の後を追う意。完了の助動詞「ぬ」終止形、確述、推量の助動詞「べき」連体形、推量の意。格助詞「が」動作の対象を表す。後を追ってしまいそうだ。
【口惜しくもあるべきかな】- 係助詞「も」強調。推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。終助詞「かな」詠嘆の意。
4.6.43
と、(しの)びやかにのたまひて、(よわ)げに()きたまへば()ふかひなきことをばおきて「いみじく()し」と(おも)ひきこゆ
と、ひっそりとおっしゃって、弱々しくお泣きになるので、今さら言ってもしかたないことはさて措いても、「はなはだもったいないことだ」とお思い申し上げる。
と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。 【弱げに泣きたまへば】- 尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。主語は源氏。
【言ふかひなきことをばおきて】- 言ってもはじまらないこと。すなわち、夕顔の死をさす。主語は右近に移る。連語「をば」(格助詞「を」+係助詞「は」の濁音化)動作の対象を特に取り立てて強調。
【思ひきこゆ】- 右近が源氏を、お思い申し上げる。
4.6.44
殿(との)のうちの(ひと)(あし)(そら)にて(おも)(まど)ふ。
内裏(うち)より、御使(おほんつかひ)(あめ)(あし)よりもけにしげし
(おぼ)(なげ)きおはしますを()きたまふにいとかたじけなくて、せめて(つよ)(おぼ)しなる
大殿(おほとの)経営(けいめい)したまひて大臣(おとど)日々(ひび)(わた)りたまひつつさまざまのことせさせたまふ、しるしにや二十余日(にじふよにち)いと(おも)わづらひたまひつれどことなる名残(なごり)のこらず、おこたるさまに()えたまふ。
お邸の人々は、足も地に着かないほどどうしてよいか分からないでいる。
内裏から、御勅使が、雨脚よりも格段に頻繁にある。
ご心配あそばされていらっしゃるのをお聞きになると、まことに恐れ多くて、無理に気を強くお持ちになる。
大殿邸でも懸命にお世話なさって、左大臣が、毎日お越しになっては、さまざまな加持祈祷をおさせなさる、その効果があってか、二十余日間、ひどく重く患っていらしゃったが、格別の余病もなく、回復された様子にお見えになる。
二条の院の男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨の脚よりもしげく参入した。帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、そのことによって病から脱しようとみずから励むようになった。左大臣も徹底的に世話をした、大臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷をしたせいでか、二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。 【殿のうちの人】- 源氏の二条院の人々。女房や家人たち。
【雨の脚よりもけにしげし】- 係助詞「も」強調。副詞「けに(異)」はいっそう、いよいよ、の意。
【思し嘆きおはしますを聞きたまふに】- 「思し嘆き」の主語は帝。「思し」は「思ふ」の尊敬語。「おはします」は「おはす」よりさらに一段高い敬語表現。二重敬語、お嘆きあそばしていらっしゃるのを、の意。「聞きたまふ」の主語は源氏。接続助詞「に」順接。
【せめて強く思しなる】- 主語は源氏。
【大殿も経営したまひて】- 大島本に「ヲホイトノトモヲホトノトモヨム」と注記する。源氏の舅の左大臣家。「経営」は結婚や饗応、葬送などの行事のために奔走すること。ここでは病気平癒のために奔走して世話を焼くこと。
【日々に渡りたまひつつ】- 接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返し。毎日毎日繰り返し二条院にお越しになっては、の意。
【さまざまのこと】- 「こと」は加持祈祷の類をいう。
【せさせたまふ、しるしにや】- 使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、名詞「しるし」に係る。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。左大臣が僧をしてさせなさる、そのかいあってか。
【二十余日】- 底本の大島本には「廿よ日」とある。音訓混ぜずに音読みして「にじゅうよにち」と読んでおく。病気の期間。
【わづらひたまひつれど】- 大島本「わつらひ給つれと」とある。「つ」は「へ」とも紛らわしい字体である。『集成』『新大系』は「つ」と読み、『古典セレクション』は「へ」と読んでいる。
4.6.45
(けが)らひ()みたまひしも、(ひと)つに()ちぬる()なればおぼつかながらせたまふ御心(みこころ)わりなくて内裏(うち)御宿直所(おほんとのゐどころ)(まゐ)りたまひなどす。
大殿(おほとの)()御車(みくるま)にて(むか)へたてまつりたまひて御物忌(おほんものいみ)なにやと、むつかしう(つつし)ませたてまつりたまふ
(われ)にもあらず、あらぬ()によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。
死穢によって籠っていらっしゃった忌中明けの日が、病気回復の床上げの日と同日の夜になったので、御心配あそばされていらっしゃるお気持ちが、どうにも恐れ多いので、宮中のご宿直所に参内などなさる。
大殿は、ご自分のお車でお迎え申し上げなさって、御物忌みや何やかやと、うるさくお慎みさせ申し上げなさる。
ぼんやりとして、別世界にでも生き返ったように、暫くの間はお感じになっていた。
行触れの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏は逢いたく思召す帝の御心中を察して、御所の宿直所にまで出かけた。退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて邸へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。この世界でない所へ蘇生した人間のように当分源氏は思った。 【穢らひ忌みたまひしも、一つに満ちぬる夜なれば】- 死穢の謹慎期間の忌明けと病気回復の時期が同時になったの意。夕顔の死は、八月十六日の夜、それから三十日忌中となる。今は、九月十五、六日ころ。
【おぼつかながらせたまふ御心、わりなくて】- 尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまふ」連体形、最高敬語。帝が。「わりなくて」と思う主体は源氏。
【内裏の御宿直所】- 源氏は淑景舎(桐壺)を宿直所とする。
【迎へたてまつりたまひて】- 左大臣は参内した源氏を自邸に迎える。
【慎ませたてまつりたまふ】- 使役の助動詞「せ」連用形、謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、左大臣の源氏に対する敬意、尊敬の補助動詞「たまふ」終止形、左大臣に対する敬意。左大臣は自邸で源氏をして慎みをさせ申し上げなさるというニュアンス。

第七段 忌み明ける

4.7.1
九月二十日(くがちはつか)のほどにぞおこたり()てたまひて、いといたく面痩(おもや)せたまへれど、なかなか、いみじくなまめかしくて、ながめがちに、ねをのみ()きたまふ。
()たてまつりとがむる(ひと)もありて、御物(おほんもの)()なめり」など()ふもあり。
九月二十日のころに、病状がすっかりご回復なさって、とてもひどく面やつれしていらっしゃるが、かえって、たいそう優美で、物思いに沈みがちに、声を立てて泣いてばかりいらっしゃる。
拝見して怪しむ女房もいて、「お物の怪がお憑きのようだわ」などと言う者もいる。
九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、痩せるには痩せたがかえって艶な趣の添った源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。その様子に不審を抱く人もあって、物怪が憑いているのであろうとも言っていた。 【九月二十日のほどにぞ】- 忌明けからさらに数日経過して、九月二十日ころ。季節は晩秋のころとなる。係助詞「ぞ」は「おこたり果てたまひ」に係るが、下文に続き、結びの流れとなっている。
【御物の怪なめり】- 「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。源氏の身近で見ている女房のひそひそ声。
4.7.2
右近(うこん)()()でてのどやかなる夕暮(ゆふぐれ)に、物語(ものがたり)などしたまひて、
右近を呼び出して、気分もゆったりとした夕暮に、お話などなさって、
源氏は右近を呼び出して、ひまな静かな日の夕方に話をして、 【右近を召し出でて】- 主語は源氏。
4.7.3 「やはり、とても不思議だ。
どうして誰とも知られまいと、お隠しになっていたのか。
本当に賤しい身分であったとしても、あれほど愛しているのを知らず、隠していらっしゃったので、辛かった」とおっしゃると、
「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。たとえどんな身分でも、私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわけだと思って恨めしかった」
 とも言った。
【なほ、いとなむあやしき】- 以下「つらかりし」まで、源氏の詞。係助詞「なむ」は「あやしき」連体形に係る、係結びの法則、強調のニュアンス。
【知られじ】- 主語は夕顔。受身の助動詞「れ」連用形、打消推量の助動詞「じ」終止形、意志の打消し。誰とも知られまいの意。
【隠いたまへりしぞ】- 「隠い」は「隠し」のイ音便形。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「ぞ」文末にあって文全体を強調。
【海人の子なりとも】- 前に夕顔の返事「海人の子なれば」とあったのをさす。断定の助動詞「なり」終止形、接続助詞「とも」既定の事態を仮定条件として下文に続ける。
【さばかりに思ふを知らで】- 「思ふ」は源氏が愛する意。「知らで」は夕顔が理解しないで、の意。接続助詞「で」活用語の未然形に接続して打消の意を表す。
【隔てたまひしかばなむ】- 尊敬の補助動詞「たまひ」連用形。過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。係助詞「なむ」は「つらかりし」の過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。
4.7.4
などてか(ふか)(かく)しきこえたまふことははべらむ。
いつのほどにてかは(なに)ならぬ御名(おほんな)のりを()こえたまはむ
(はじ)めより、あやしうおぼえぬさまなりし(おほん)ことなれば、(うつつ)ともおぼえずなむある』とのたまひて、御名隠(おほんながく)しも、さばかりにこそは』と()こえたまひながらなほざりにこそ(まぎ)らはしたまふらめ』となむ、()きことに(おぼ)したりし」と()こゆれば、
「どうして、深くお隠し申し上げなさる必要がございましょう。
いつの折にか、たいした名でもないお名前を申し上げなさることができましょう。
初めから、不思議な思いもかけなかったご関係なので、『現実の事とは思えない』とおっしゃって、『お名前を隠していらしたのも、あなた様でいらっしゃるからでしょう』と存じ上げておられながら、『いい加減な遊び事として、お名前を隠していらっしゃるのだろう』と辛いことに、お思いになっていました」と申し上げるので、
「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。そうしたお話をなさいます機会がなかったのじゃございませんか。最初があんなふうでございましたから、現実の関係のように思われないとお言いになって、それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで行くものでもないから、自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては寂しがっていらっしゃいました」
 右近がこう言う。
【などてか】- 以下「思したりし」まで、右近の返事。「などてか」の主語は夕顔。「--はべらむ」反語表現の構文。
【いつのほどにてかは】- 知り合って日も浅いのに、いつの機会に、の意。係助詞「か」疑問の意、係助詞「は」取り立てて強調するニュアンス。
【聞こえたまはむ】- 推量の助動詞「む」連体形、「いつのほどにてかは」「たまはむ」連体形の係結び。反語表現。「などてか」の文と並列される。
【現ともおぼえずなむある】- 夕顔の言を右近が代弁する。
【御名隠しも、さばかりにこそは】- 夕顔の言を右近が代弁する。下に「おはすらめ」などの語句が省略された形。「さばかり」の「さ」は源氏をさす。おおかた源氏の君でいらっしゃるからにちがいなかろう、という意。はっきり明言はしないのが当時の作法。
【聞こえたまひながら】- 主語は夕顔。「聞こえ」は、夕顔の源氏に対する敬語。接続助詞「ながら」逆接を表す。
【なほざりにこそ紛らはしたまふらめ】- 夕顔の言を右近が代弁する。主語は源氏。係助詞「こそ」推量の助動詞「らめ」已然形、原因推量の意、の係結び。源氏の心中を推量するニュアンス。
【思したりし】- 主語は夕顔。「思し」は「思ふ」の尊敬語、完了の助動詞「たり」連体形、存続。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「なむ」との係結び。身近に見てきた体験として語るニュアンス。
4.7.5
あいなかりける心比(こころくら)べどもかな
(われ)は、しか(へだ)つる(こころ)もなかりき
ただ、かやうに(ひと)(ゆる)されぬ()()ひをなむ、まだ()らはぬことなる
内裏(うち)(いさ)めのたまはするをはじめつつむこと(おほ)かる()にて、はかなく(ひと)にたはぶれごとを()ふも所狭(ところせ)う、()りなしうるさき()のありさまになむあるをはかなかりし(ゆふ)べよりあやしう(こころ)にかかりて、あながちに()たてまつりしもかかるべき(ちぎ)りこそはものしたまひけめ(おも)ふも、あはれになむ
またうち(かへ)し、つらうおぼゆる。
「つまらない意地の張り合いであったな。
自分は、そのように隠しておく気はなかった。
ただ、このように人から許されない忍び歩きを、まだ経験ないことなのだ。
主上が御注意あそばすことを始め、憚ることの多い身分で、ちょっと人に冗談を言っても、窮屈で、取り沙汰が大げさな身の上の有様なので、ふとした夕方の事から、妙に心に掛かって、無理算段してお通い申したのも、このような運命がおありだったのだろうと思うにつけても、お気の毒で。
また反対に、恨めしく思われてならない。
「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から、むやみに私の心はあの人へ惹かれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない二人の縁だったからだと思われる。しかしまた恨めしくも思うよ。
【あいなかりける心比べどもかな】- 以下「心のうちにも思はむ」まで、源氏の詞。
【我は、しか隔つる心もなかりき】- 副詞「しか」そのように、の意。「なほざりにこそ紛らはしたまふらめ」を受ける。係助詞「も」強調を表す。過去の助動詞「き」終止形、自己の体験。
【まだ慣らはぬことなる】- 断定の助動詞「なる」連体形は、係助詞「なむ」の係結び。
【内裏に諌めのたまはするをはじめ】- 帝をさす。源氏は右近を前にして父帝を「内裏」と言っている。
【はかなく人にたはぶれごとを言ふも】- 接続助詞「も」逆接の仮定条件を表す。
【取りなしうるさき身のありさまになむあるを】- 係助詞「なむ」、「ある」連体形、係結の法則。接続助詞「を」順接を表す。--ので。「あながちに見たてまつりしも」に係る。
【はかなかりし夕べより】- 「夕顔」巻冒頭の出会いをさす。
【見たてまつりしも】- 主語は源氏。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形は源氏の夕顔に対する敬語。過去の助動詞「し」連体形、自らの体験をいうニュアンス。
【ものしたまひけめ】- 尊敬の補助動詞「たまひ」連用形は夕顔に対する敬語。係助詞「こそ」過去推量の助動詞「けめ」已然形の係結び。おありだったのだろうの意。
【と思ふも、あはれになむ】- 係助詞「も」強調を表す。係助詞「なむ」、下に「ある」などの語句が省略された形。最後まで言い切らない、余情及び悲しみの深さを表す。
4.7.6 こう長くはない宿縁であったれば、どうして、あれほど心底から愛しく思われなさったのだろう。
もう少し詳しく話せ。
今はもう、何を隠す必要があろう。
七日毎に仏画を描かせても、誰のためと、心中にも祈ろうか」とおっしゃると、
こんなに短い縁よりないのなら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。まあ今でもよいから詳しく話してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像を描かせて寺へ納めても、名を知らないではね。それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提のためにと思いたいじゃないか」
 と源氏が言った。
【かう長かるまじきにては】- 打消推量の助動詞「まじき」連体形、断定の助動詞「に」連用形、連語「ては」(接続助詞「て」+係助詞「は」)特に取り立てて提示する。上の事実が実現した場合、確定的事実、恒常的事実、仮定的事実の三通りがある。『今泉訳』は「かう永くつづきさうもない御縁だつたのに」と確定的事実に、『古典セレクション』は「こうして長続きするはずのなかった縁だったにしては」と仮定的事実に訳す。
【など、さしも心に染みて、あはれとおぼえたまひけむ】- 「心に染みて」「あはれと」思う人は源氏だが、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形はその思われた人、夕顔に対する敬語。過去推量の助動詞「けむ」終止形。『今泉訳』「どうしてあれ程奥底からかはいくお思はれになつたのだらう」と訳す。しかし「心に染みて」以下を夕顔を主語とする節もある。『古典セレクション』は「どうしてあの人はあんなにも胸にしみて、いとしく思われなさったのだろう」と訳す。
【今は、何ごとを隠すべきぞ】- 推量の助動詞「ぞ」連体形、係助詞「ぞ」文の終わりにあって文全体を強調。
【七日七日に仏描かせても】- 七日毎の法事をいう。三十日の忌明け過ぎは、五七日、六七日、七七日をさす。使役の助動詞「せ」連用形、絵師をして仏画を描かせる意。
4.7.7 「どうして、お隠し申し上げましょう。
ご自身が、お隠し続けていらしたことを、お亡くなりになった後に、口軽く言い洩らしてはいかがなものか、と存じおりますばかりです。
「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなかったことを、お亡れになってからおしゃべりするのは済まないような気がしただけでございます。 【何か、隔てきこえさせはべらむ】- 以下「御覧ぜられたてまつりたまふめりし」まで、右近の返事。連語「なにか」(代名詞「なに」+係助詞「か」)強い反語を表す。「きこえさせ」は補助動詞的用法、「きこゆ」よりも一段と深い謙譲表現。推量の助動詞「む」連体形、係結びの法則。
【自ら、忍び過ぐしたまひしことを】- 主語は夕顔。過去の助動詞「し」連体形、以下、右近が身近で見てきたニュアンスで語る。
【口さがなくやは】- 「言ひ漏らさむは」などの語句が省略。また係助詞「やは」の下に「はべらむ」連体形などの語句が省略されている。
【と思うたまふばかりになむ】- 「思う」は「思ひ」がウ音便化した形。謙譲の補助動詞「たまふ」下二段、終止形。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「なむ」。下に「はべる」連体形などの語が省略された形。
4.7.8
(おや)たちは、はや()せたまひにき。
三位中将(さんゐのちゅうじゃう)となむ()こえし。
いとらうたきものに(おも)ひきこえたまへりしかど()()のほどの(こころ)もとなさを(おぼ)すめりしに(いのち)さへ()へたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭中将(とうのちゅうじゃう)なむ、まだ少将(せうしゃう)にものしたまひし(とき)見初(みそ)めたてまつらせたまひて三年(みとせ)ばかりは、(こころざし)あるさまに(かよ)ひたまひしを、
ご両親は、早くお亡くなりになりました。
三位中将と申しました。
とてもかわいい娘とお思い申し上げられていましたが、ご自分の出世が思うにまかせぬのをお嘆きのようでしたが、お命までままならず亡くなってしまわれた後、ふとした縁で、頭中将殿が、まだ少将でいらした時に、お通い申し上げあそばすようになって、三年ほどの間は、ご誠意をもってお通いになりましたが、
御両親はずっと前にお亡くなりになったのでございます。殿様は三位中将でいらっしゃいました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく思召したでしょうが、その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くてお亡くなりになりましたあとで、ちょっとしたことが初めで頭中将がまだ少将でいらっしったころに通っておいでになるようになったのでございます。三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、
【三位中将】- 「三位」は上達部に入る。夕顔は上の品の出身ということになる。
【いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど】- 父親の三位中将が娘の夕顔を。謙譲の補助動詞「きこえ」連用形、父親の娘に対する敬意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、右近の三位中将に対する敬意。完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ど」逆接の確定条件を表す。
【我が身のほどの】- 父三位中将ご自身の出世。
【思すめりしに】- 「思す」は「思ふ」の尊敬語、三位中将に対する敬語。推量の助動詞「めり」連用形、視界内推量。右近が側で見てきたニュアンス。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」弱い順接を表す。右近の観察として語る。
【命さへ】- 副助詞「さへ」は「我が身のほどの心もとなさ」の上に、「命」(寿命)まで「堪へたまはず」というニュアンス。
【頭中将】- 左大臣家の嫡男。右大臣家の四の君の婿君。また、葵の上の兄。源氏の従兄弟で義兄弟。以上が右近の承知しているところであろう。
【見初めたてまつらせたまひて】- 謙譲の補助動詞「たてまつら」未然形は夕顔を敬った表現、尊敬の助動詞「せ」連用形、尊敬の補助動詞「たまひ」連用形は二重敬語、頭中将を敬った表現。会話文中の通例。お通い申し上げあそばすようになって、の意。
4.7.9 去年の秋ごろ、あの右大臣家から、とても恐ろしい事を言って寄こしたので、ものをむやみに怖がるご性質ゆえに、どうしてよいか分からなくお怖がりになって、西の京に、御乳母が住んでおります所に、こっそりとお隠れなさいました。
そこもとてもむさ苦しい所ゆえ、お住まいになりにくくて、山里に移ってしまおうと、お思いになっていたところ、今年からは方塞がりの方角でございましたので、方違えしようと思って、賤しい家においでになっていたところを、お見つけ申されてしまった事と、お嘆きのようでした。
昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいになりまして、西の右京のほうに奥様の乳母が住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃいましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって、郊外へ移ろうとお思いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角避けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でございますから侘しがっておいでになったようでございます。 【去年の秋ごろ、かの右の大殿より】- 「帚木」巻の雨夜の品定めの頭中将の話と符合する。
【聞こえ参で来しに】- 「参(ま)で」は「まゐりいで」が縮まった形。過去の助動詞「し」連体形、接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【物怖ぢをわりなくしたまひし御心に】- 夕顔の性質を語る挿入句。
【せむかたなく思し怖ぢて】- 主語は夕顔に移る。
【西の京に、御乳母住みはべる所に】- 朱雀大路を境にして西側。右京。西の京は、当時寂しい所であった。「御」とあるので、夕顔のもう一人の乳母をさす。
【はひ隠れたまへりし】- 完了の助動詞「り」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「なむ」との係結びの法則。こっそりと隠れていらっしゃった。
【それもいと見苦しきに】- 接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【山里に移ろひなむと】- ハ四段「移ろひ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、意志の意。引っ越してしまおうというニュアンス意。
【今年よりは塞がりける方に】- 今年から方角が悪くなった。『完訳』は「三年塞がり・大塞がり」と注す。
【違ふとて】- 方違えをしようとしての意。
【あやしき所に】- 五条の夕顔の宿をさす。
【見あらはされたてまつりぬること】- 受身の助動詞「され」連用形、謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形、夕顔を敬った表現、完了の助動詞「ぬる」連体形、完了の意。あなた様から発見申されてしまった、の意。夕顔の言を代わって右近がいう。
【思し嘆くめりし】- 主語は夕顔。推量の助動詞「めり」連用形、主観的推量を表す。過去の助動詞「し」連体形、連体中止法、余情表現。身近で見てきたというニュアンス。
4.7.10
()(ひと)()ず、ものづつみをしたまひて(ひと)物思(ものおも)気色(けしき)()えむを()づかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、御覧(ごらん)ぜられたてまつりたまふめりしか
世間の人と違って、引っ込み思案をなさって、他人から物思いしている様子を見られるのを、恥ずかしいこととお思いなさって、さりげないふうを装って、お目にかかっていらっしゃるようでございました」
普通の人とはまるで違うほど内気で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」 【人に物思ふ気色を見えむを】- ヤ下二段「見え」未然形、見られる意。推量の助動詞「む」連体形、婉曲を表す。
【御覧ぜられたてまつりたまふめりしか】- 一語一語見れば、「御覧ぜ」未然形は「見る」の尊敬語で、その動作の主体者源氏を敬った表現。受身の助動詞「られ」連用形は、「御覧になられる」人すなわち夕顔。謙譲の補助動詞「たてまつり」連用形は、夕顔を謙らせて源氏を敬った表現であろう。とすると、夕顔が源氏に「御覧ぜられ」「たてまつり」「たまふ」ということで、「御覧ぜらる」全体の主体者は夕顔ということになる。尊敬の補助動詞「たまふ」終止形は、「たてまつる」人すなわち夕顔を敬った表現。推量の助動詞「めり」連用形、主観的推量、過去の助動詞「しか」已然形。係助詞「こそ」が無くて已全然形止めは異例。『今泉訳』は「あなた様にも何気ない風を装つて御覧になつておいただきの御様子に見えました」と訳す。『古典セレクション』では「たださりげないふうにして、お目にかかっていらっしゃるようでございました」と訳す。右近の見聞きした体験として語る。
4.7.11
と、(かた)()づるにさればよ」と、(おぼ)しあはせて、いよいよあはれまさりぬ。
と、話し出すと、「そうであったのか」と、お思い合わせになって、ますます不憫さが増した。
右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人がますます恋しく思われた。 【と、語り出づるに】- 「語り出づる」連体形+接続助詞「に」順接を表す。
【さればよ】- 源氏の心。連語「さればよ」(感動詞「されば」+間投助詞「よ」)予想が適中した気持ちを「表す。頭中将が雨夜の品定めで語った「常夏の女」と同人かと思い当たる。
4.7.12 「幼い子を行く方知れずにしたと、頭中将が残念がっていたのは、そのような子でもいたのか」とお尋ねになる。
「小さい子を一人行方不明にしたと言って中将が憂鬱になっていたが、そんな小さい人があったのか」
 と問うてみた。
【幼き人惑はしたりと、中将の愁へしは、さる人や】- 源氏の問い。娘のことを尋ねる。完了の助動詞「たり」終止形。「中将」は頭中将。過去の助動詞「し」連体形、係助詞「は」取り立てて強調のニュアンス。連体詞「さる」。係助詞「や」の下に「ありし」連体形などの語句が省略。
4.7.13 「さようでございます。
一昨年の春に、お生まれになりました。
女の子で、とてもかわいらしくて」と話す。
「さようでございます。一昨年の春お生まれになりました。お嬢様で、とてもおかわいらしい方でございます」 【しか】- 以下「いとらうたげになむ」まで、右近の返事。副詞「しか」相手の言葉を受けて肯定して相づちをうつ。
【一昨年の春ぞ、ものしたまへりし】- 「ものし」は生まれるの意。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、完了の意、過去の助動詞「し」連体形、係助詞「ぞ」の係り結び。一昨年の春に生まれたという。
【女にて、いとらうたげになむ】- 後の玉鬘。数え年三歳。係助詞「なむ」の下に「はべりし」連体形などの語句が省略。
4.7.14
さて、いづこにぞ
(ひと)にさとは()らせで、(われ)()させよ。
あとはかなく、いみじと(おも)御形見(おほんかたみ)に、いとうれしかるべくなむ」とのたまふ。
かの中将(ちゅうじゃう)にも(つた)ふべけれど()ふかひなきかこと()ひなむ
とざまかうざまにつけて、(はぐく)まむに(とが)あるまじきを
そのあらむ乳母(めのと)などにも、ことざまに()ひなして、ものせよかし」など(かた)らひたまふ。
「それで、どこに。
誰にもそうとは知らせないで、わたしに下さい。
あっけなくて、悲しいと思っている人のお形見として、どんなにか嬉しいことだろう」とおっしゃる。
「あの中将にも伝えるべきだが、言っても始まらない恨み言を言われるだろう。
あれこれにつけて、お育てするに不都合はあるまいからね。
その一緒にいる乳母などにも違ったふうに言い繕って、連れて来てくれ」などと相談をもちかけなさる。
「で、その子はどこにいるの、人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」
 源氏はこう言って、また、
 「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、当分は恨みを言われるのがつらい。私の従兄の中将の子である点からいっても、私の恋人だった人の子である点からいっても、私の養女にして育てていいわけだから、その西の京の乳母にも何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
 と言った。
【さて、いづこにぞ】- 以下「うれしかるべくなむ」まで、源氏の問い。接続詞「さて」そして、それで、の意。係助詞「ぞ」の下に「ものする」連体形などの語が省略。
【いとうれしかるべくなむ】- 推量の助動詞「べく」連用形、当然の意。係助詞「なむ」の下に「思ふ」連体形などの語が省略。
【かの中将にも】- 以下「ものせよかし」まで、続けて源氏の詞。頭中将をさしていう。
【伝ふべけれど】- 推量の助動詞「べけれ」已然形、当然の意。接続助詞「ど」逆接を表す。伝えるべきだが、の意。
【かこと負ひなむ】- ハ四動詞「負ひ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、確述の意。推量の助動詞「む」連体形。きっと負うことになろう。「かこと」は「カコト」[Cacoto]「カゴト」[Cagoto](日葡辞書)両方ある。『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『古典セレクション』は「かごと」と濁音で読んでいる。
【育まむに咎あるまじきを】- 推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。接続助詞「に」順接を表す。間投助詞「を」詠嘆の意。
【そのあらむ乳母など】- 玉鬘の乳母。
4.7.15 「それならば、
とても嬉しいことでございましょう。あの西の京でご成
育なさるのは、不憫でございまして。これといった後見人もいないという
「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。あの西の京でお育ちになってはあまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができないということであっちへお預けになったのでございます」
 と右近は言っていた。
【さらば、いとうれしくなむはべるべき】- 以下「かしこに」まで、右近の返事。接続詞「さらば」そうであるならば。係助詞「なむ」は推量の助動詞「べき」連体形、当然の意に係る、係結びの法則。
【生ひ出でたまはむは、心苦しくなむ】- 主語は夕顔の娘。推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。お育ちなさるようなことはのニュアンス。係助詞「なむ」の下には「はべるべき」連体形などの語句が省略。
【はかばかしく扱ふ人なしとて】- 五条の家ではしっかりした養育者もいないということで、の意。
【かしこに】- 西の京の乳母の家をさしていう。
【など聞こゆ】- 【など】-大島本と御物本は「なと」とある。横山本は「なん〔ん-補入〕と」、他は「なんと」とある。『集成』『古典セレクション』は「なむ」と改める。『新大系』は「など」のまま。
4.7.16 夕暮の静かなころに、空の様子はとてもしみじみと感じられ、お庭先の前栽は枯れ枯れになり、虫の音も鳴き弱りはてて、紅葉がだんだん色づいて行くところが、絵に描いたように美しいのを見渡して、思いがけず結構な宮仕えをすることになったと、あの夕顔の宿を思い出すのも恥ずかしい。
竹薮の中に家鳩という鳥が、太い声で鳴くのをお聞きになって、あの先日の院でこの鳥が鳴いたのを、とても怖いと思っていた様子が、まぶたにかわいらしくお思い出されるので、
静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などがうら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。そしてもう少しずつ紅葉の色づいた絵のような景色を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。五条のタ顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩という鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった顔が今も可憐に思い出されてならない。 【夕暮の静かなるに、空の気色いとあはれに、御前の前栽枯れ枯れに、虫の音も鳴きかれて、紅葉のやうやう色づくほど】- 晩秋の物寂しい様子。源氏、右近の心象風景となって語られる。景情一致の描写。人を亡くした悲しみや寂しさ、それと時の推移が風景描写に象徴的に語られている。
【見わたして】- 主語は右近。
【心よりほかにをかしき交じらひかな】- 右近の感慨。
【かの夕顔の宿りを思ひ出づるも恥づかし】- 作者は夕顔のいた五条の家を「夕顔の宿り」と名付けている。 【恥づかし】-右近と語り手が一体となった感想。
【聞きたまひて】- 主語は源氏。
【かのありし院に】- 某の院をさす。
【この鳥の鳴きしを】- 家鳩をさす。某の院では梟の鳴き声が語られていたが、家鳩が鳴いたという描写はない。『古典セレクション』では「昼間その声がしたのであろう」と注す。
【いと恐ろしと思ひたりしさまの】- 主語は夕顔。完了の助動詞「たり」連用形、存続の意。過去の助動詞「し」連体形。この描写もない。新たに付加したもの。
【面影にらうたく思し出でらるれば】- 大島本「おほしいてらるれハ」とある。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ほし出でらるれば」と校訂する。『新大系』は底本のまま。『古典セレクション』は「夕顔が幻となって。実体のないものが目に見えることを、「面影に見ゆ」などという」と注す。ここは下に「思し出でらる」とあるので、まぶたに思い浮かぶぐらいの意であろう。自発の助動詞「るれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
4.7.17
(とし)はいくつにかものしたまひし
あやしく()(ひと)()ず、あえかに()えたまひしも、かく(なが)かるまじくてなりけり」とのたまふ。
「年はいくつにおなりだったか。
不思議に普通の人と違って、か弱くお見えであったのも、このように長生きできなかったからなのだね」とおっしゃる。
「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命の人だったからだね」 【年はいくつにかものしたまひし】- 以下「なりけり」まで、源氏の問い。夕顔の年齢を尋ねる。係助詞「か」は、過去の助動詞「し」連体形に係る、係結びの法則。
【かく長かるまじくてなりけり】- 接続助詞「て」。このように長生きできなくて、そういうわけだったのだね、というニュアンス。「なりけり」の前に副詞「さ」などの語が省略されたものか。
4.7.18 「十九歳におなりだったでしょうか。
右近めは、亡くなった乳母があとに残して逝きましたので、三位の君様がわたしをかわいがって下さって、お側離れず一緒に、お育て下さいましたのを思い出しますと、どうして生きておられましょう。
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位様がかわいがってくださいまして、お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。 【十九にやなりたまひけむ】- 以下「年ごろならひはべりけること」まで、右近の返事。夕顔は十九歳であったろうかと答える。断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意は、過去推量の助動詞「けむ」連体形に係る、係結びの法則。
【右近は】- 目上の人の前では自分の呼称は、例えば「右近」と名乗るのが作法であった。
【亡くなりにける御乳母の捨て置きてはべりければ】- 右近の母をさしていう。「亡くなり」は死ぬの意。完了の助動詞「に」連用形、完了の意。過去の助動詞「ける」連体形。「御乳母」とは夕顔の乳母という意味で敬語が使われている。「捨て置き」は後に遺すの意。丁寧の補助動詞「はべり」連用形、過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。丁寧語が使われ尊敬語でないところに自分の母親である関係がうかがえる。右近の母親、夕顔の乳母は早く亡くなってしまったが、右近はそのまま乳母子として夕顔に仕え、一緒に育って来たという経緯がわかる。
【三位の君の】- 右近は夕顔の父親を「三位の君」と呼んでいる。
【らうたがりたまひて】- 右近を。
【かの御あたり去らず】- 夕顔の側をさしていう。
【思ひたまへ出づれば】- ハ四動詞「思ひ」連用形、謙譲の補助動詞「たまへ」連用形。「出づれ」已然形+接続助詞「ば」順接を表す。
【いかでか世にはべらむずらむ】- 連語「いかでか」(副詞「いかで」+係助詞「か」)、動詞「はべら」未然形、推量の助動詞「むず」終止形、意志を表す。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。どうして生きていられましょうか、生きてはいられない。なお他の青表紙本系諸本は「はへらんとすらん」とある。『集成』『古典セレクション』は「はべらんとすらん」と改める。『新大系』は底本のまま。
4.7.19
いとしも(ひと)にと(くや)しくなむ
ものはかなげにものしたまひし(ひと)御心(みこころ)を、(たの)もしき(ひと)にて、(とし)ごろならひはべりけること」と()こゆ。
どうしてこう深く親しんだのだろうと、悔やまれて。
気弱そうでいらっしゃいました女君のお気持ちを、頼むお方として、長年仕えてまいりましたことでございます」と申し上げる。
そんなことを思いますと、あの方のお亡くなりになりましたあとで、平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」 【いとしも人にと】- 『源氏釈』に「思ふとていとしも人にむつれけむしかならひてぞ見ねば恋しき」(出典未詳)を指摘する。『拾遺集』には「思ふとていとこそ人に馴れざらめしか習ひてぞ見ねば恋しき」(恋四、九〇〇、読人しらず)の類歌がある。引歌として、『集成』は『源氏釈』所引の歌を指摘し、『古典セレクション』では『拾遺抄』巻第八、恋下、三二六、読人知らず歌を指摘する。『拾遺抄』歌が『源氏釈』所引歌と一致する。
【悔しくなむ】- 係助詞「なむ」の下に「思ひたまふる」連体形などの語句が省略。
4.7.20
はかなびたるこそはらうたけれ。
かしこく(ひと)になびかぬ、いと(こころ)づきなきわざなり。
(みづか)らはかばかしくすくよかならぬ(こころ)ならひに(をんな)はただやはらかに、とりはづして(ひと)(あざむ)かれぬべきがさすがにものづつみし、()(ひと)(こころ)には(したが)はむなむあはれにて、()(こころ)のままにとり(なほ)して()むに、なつかしくおぼゆべき」などのたまへば、
「頼りなげな人こそ、女はかわいらしいのだ。
利口で我の強い人は、とても好きになれないものだ。
自分自身がてきぱきとしっかりしていない性情だから、女はただ素直で、うっかりすると男に欺かれてしまいそうなのが、そのくせ引っ込み思案で、男の心にはついていくのが、愛しくて、自分の思いのままに育てて一緒に暮らしたら、慕わしく思われることだろう」などと、おっしゃると、
「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで、おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていげればよいと思う」
 源氏がこう言うと、
【はかなびたるこそは】- 以下「おぼゆべき」まで、源氏の詞。源氏の女性論が語られる。係助詞「こそ」は「らうたけれ」已然形に係る、係結びの法則。強調を表す。
【自らはかばかしくすくよかならぬ心ならひに】- 自分自身、すなわち、源氏自身をさしていう。「心ならひに」まで挿入句。
【人に欺かれぬべきが】- 受身の助動詞「れ」連用形、完了の助動詞「ぬ」終止形、確述を表す。推量の助動詞「べき」連体形、推当然の意。格助詞「が」主格を表す。男にだまされてしまいそうなのが、の意。
【見む人の心には従はむなむ】- 「見」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。結婚相手すなわち夫をいう。「従は」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲の意。係助詞「なむ」は「おぼゆべき」連体形に係る、係結びの法則。
4.7.21 「こちらのお好みには、きっとお似合いだったでしょうと、存じられますにつけても、残念なことでございますわ」と言って泣く。
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡れになったことが残念で」と右近は言いながら泣いていた。 【この方の御好みには】- 以下「はべるわざかな」まで、右近の詞。「この方」は源氏をさす。
【もて離れたまはざりけり】- 主語は夕顔。外れていらっしゃらなかった、の意。
【と思ひたまふるにも】- 謙譲の補助動詞「たまふる」連体形。
4.7.22 空が少し曇って、風も冷たく感じられる折柄、とても感慨深く物思いに沈んで、
空は曇って冷ややかな風が通っていた。寂しそうに見えた源氏は、 【空のうち曇りて、風冷やかなるに、いといたく眺めたまひて】- 晩秋の天候描写は、源氏と右近の心象風景でもある。「風冷やかなるに」の「に」は格助詞、時間を表す。
4.7.23 「契った人の火葬の煙をあの雲かと思って見ると
この夕方の空も親しく思われるよ」
見し人の煙を雲とながむれば
夕の空もむつまじきかな
【見し人の煙を雲と眺むれば--夕べの空もむつましきかな】- 源氏の独詠歌。夕顔を偲ぶ歌。「見し人」は夕顔をさす。火葬の煙を雲に見立てる。『岷江入楚』は「見し人の煙となりし夕べより名もむつましき塩釜の浦」(紫式部集)を指摘する。また『源注余滴』は「見し人の雲となりにし空なれば降る雪さへも珍しきかな」(斎宮集)を指摘する。
4.7.24
(ひと)りごちたまへど、えさし(いら)へも()こえず
かやうにて、おはせましかば(おも)ふにも、胸塞(むねふた)がりておぼゆ。
(みみ)かしかましかりし(きぬた)(おと)(おぼ)()づるさへ(こひ)しくて(まさ)(なが)()」とうち(ずん)じて、()したまへり。
と独り詠じられたが、ご返歌も申し上げられない。
このように、生きていらしたならば、と思うにつけても、胸が一杯になる。
耳障りであった砧の音を、お思い出しになるのまでが、恋しくて、「八月九月正に長き夜」と口ずさんで、お臥せりになった。
と独言のように言っていても、返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。源氏はうるさかった砧の音を思い出してもその夜が恋しくて、「八月九月正長夜、千声万声無止時」と歌っていた。 【えさし答へも聞こえず】- 主語は右近。副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。
【かやうにて、おはせましかば】- 夕顔が。推量の助動詞「ましか」未然形、反実仮想を表す+接続助詞「ば」、下に「うれしからまし」などの語句が省略。反実仮想の構文。右近の心。「かやうにて」は源氏と夕顔が二人並んでいる様を仮想する。
【耳かしかましかりし砧の音を】- 「白妙の衣うつ砧の音も、かすかにこなたかなた聞きわたされ」(第四章二段)とあった。「かしかましか」ったのは「ごほごほと、鳴る神よりも、おどろおどろしく踏み轟かす唐臼の音」(同)であった。第三音は清音。近世以降「かしがまし」と濁音化した。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「かしがまし」と濁音に読んでいる。
【思し出づるさへ恋しくて】- 副助詞「さへ」一つを挙げて他を類推させる意。思い出すだけでも夕顔のことが恋しく思われるので。
【正に長き夜】- 『白氏文集』巻十九の「八月九月正に長き夜 千声万声了む時なし」(聞夜砧)の詩句。

第五章 空蝉の物語(2)


第一段 紀伊守邸の女たちと和歌の贈答

5.1.1 あの、伊予介の家の小君は、参上する折はあるが、特別に以前のような伝言もなさらないので、嫌なとお見限りになられたのを、つらいと思っていた折柄、このようにご病気でいらっしゃるのを聞いて、やはり悲しい気がするのであった。
遠くへ下るのなどが、何といっても心細い気がするので、お忘れになってしまったかと、試しに、
今も伊予介の家の小君は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時にはさすがに歎かれた。それに良人の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で、 【かの、伊予の家の小君、参る折あれど】- 物語は「空蝉の物語」に変わる。「伊予の家の小君」、すなわち伊予介の妻空蝉の弟小君のこと。源氏のもとに「参る」。こう語り出す。
【ことにありしやうなる言伝てもしたまはねば】- 主語は源氏。
【憂しと思し果てにけるを、いとほしと思ふに】- 「憂しと思し果てにける」の主語は源氏。「いとほしと思ふ」の主語は空蝉。自分自身に対して、つらいと思う意。「思ふに」の「に」は格助詞。時間を表す。思っていた折柄。
【かくわづらひたまふを聞きて】- 「わづらひたまふ」の主語は源氏。病気であることをさす。「聞きて」の主語は空蝉。
【嘆き】- 御物本、横山本、榊原家本、池田本は「なき」とある。大島本、肖柏本、三条西家本、書陵部本は「なけき」とある。なお、河内本は「なき」とあり、別本の陽明文庫本は「なけき」とある。『古典セレクション』は諸本に従って「泣き」と校訂する。『集成』『新大系』は底本のまま「嘆き」とする。
【遠く下りなどするを】- 前に「娘をばさるべき人に預けて、北の方をば率て下りぬべし」(第二章)とあったことを受ける。夫の伊予介は空蝉を伴って任国に下る。以下、空蝉をの心を視点にして語る。 【下りなど】-大島本のみ「くたりなと」とある。副助詞「など」婉曲のニュアンスを添える。他は「くたりなむと」とある。『集成』『古典セレクション』共に本文を「なむと」と改める。『新大系』は底本のまま。完了の助動詞「な」未然形、確述の意、推量の助動詞「む」終止形、意志の意。
【思し忘れぬるか】- 完了の助動詞「ぬる」連体形、源氏の君はわたしのことをお忘れになってしまっただろうか、の意。空蝉の心。
5.1.2
(うけたまは)り、(なや)むを(こと)()でては、えこそ
「承りまして、案じておりますが、口に出しては、とても、
このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。 【承り、悩むを】- 以下「まことになむ」まで、空蝉の手紙文。「悩むを」「承り」と倒置されたような文であるが、「承り」の前に「御病気と」などの内容が省略され、「悩むを」案じておりますが、と後から具体的に書いた文と考えられる。
【えこそ】- 副詞「え」は打消しの語句と呼応して不可能の意を表す。係助詞「こそ」の下に「問はね」已然形などの語句が続くところを、次の和歌に続かせた文脈。
5.1.3 お見舞いできませんことをなぜかとお尋ね下さらずに月日が経ましたが
わたしもどんなにか思い悩んでいます
問はぬをもなどかと問はで程ふるに
いかばかりかは思ひ乱るる
【問はぬをもなどかと問はでほどふるに--いかばかりかは思ひ乱るる】- 空蝉の贈歌。「問はぬ」の主語は空蝉、「などかと問はぬ」の主語は源氏、「いかばかりかは思ひ乱るる」の主語は再び空蝉。
5.1.4 『益田の池の生きている甲斐ない』とは本当のことで」
苦しかるらん君よりもわれぞ益田のいける甲斐なきという歌が思われます。 【益田』はまことになむ】- 空蝉の和歌に添えた文句。『源氏釈』は「ねぬなはの苦しかるらむ人よりもわれも益田の生けるかひなき」(拾遺集、恋四、八九四、読人しらず)を指摘。「生けるかひなき」(生きている甲斐がない)を言おうとする。
5.1.5
()こえたり。
めづらしきにこれもあはれ(わす)れたまはず。
と申し上げた。
久しぶりにうれしいので、この女へも愛情はお忘れにならない。
こんな手紙を書いた。
 思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決して醒めていたのではないのである。
【めづらしきに】- 主語は源氏に転じる。久しぶりでうれしい気持ち。
5.1.6 「生きている甲斐がないとは、誰が言ったらよい言葉でしょうか。
生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。 【生けるかひなきや】- 以下「はかなしや」まで、源氏の返信。引歌「ねぬなはの」の文句「生けるかひなき」を引用して言う。
【誰が言はましことにか】- 推量の助動詞「まし」連体形、反実仮想を表す。誰の言う言葉でしょうか、あなたではなく、わたしが言いたい言葉です、の意。『新大系』『古典セレクション』は「言はましごと」と濁音に読み、『集成』は「言はましこと」と清音に読む。
5.1.7 あなたとのはかない仲は嫌なものと知ってしまったのに
またもあなたの言の葉に期待を掛けて生きていこうと思います
うつせみの世はうきものと知りにしを
また言の葉にかかる命よ
【空蝉の世は憂きものと知りにしを--また言の葉にかかる命よ】- 源氏の返歌。「空蝉の」は「世」の枕詞。また空蝉が脱ぎ置いていった薄衣をさし、「世」は源氏と空蝉との男女の仲。完了の助動詞「に」連用形、過去の助動詞「し」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
5.1.8 頼りないことよ」
はかないことです。 【はかなしや】- 源氏の返歌に添えた文句。
5.1.9
と、御手(おほんて)もうちわななかるるに(みだ)()きたまへる、いとどうつくしげなり。
なほ、かのもぬけを(わす)れたまはぬを、いとほしうもをかしうも(おも)ひけり。
と、お手も震えなさるので、乱れ書きなさっているのが、ますます美しそうである。
今だに、あの脱ぎ衣をお忘れにならないのを、気の毒にもおもしろくも思うのであった。
病後の慄えの見える手で乱れ書きをした消息は美しかった。蝉の脱殻が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。 【御手もうちわななかるるに】- 自発の助動詞「るる」連体形+接続助詞「に」順接、原因理由を表す。
【なほ、かのもぬけを】- 主語は空蝉。脱ぎ捨てた小袿をさす。
【いとほしうもをかしうも】- 主語は空蝉。「いとほし」は源氏に対する気の毒なという同情の感情、「をかし」は源氏から今でも思われていることに心ときめかす感情。
5.1.10
かやうに(にく)からずは、()こえ()はせど、(ぢか)くとは(おも)ひよらず、さすがに、()ふかひなからずは()えたてまつりてやみなむ(おも)ふなりけり。
このように愛情がなくはなく、やりとりなさるが、身近にとは思ってもいないが、とはいえ、情趣を解さない女だと思われない格好で終わりにしたい、と思うのであった。
こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。 【言ふかひなからずは見えたてまつりてやみなむ】- 空蝉の心。『集成』は「木石のような女だと思われてしまいたくない」と解す。「やみ」連用形+完了の助動詞「な」未然形、推量の助動詞「む」終止形、意志を表す。
5.1.11
かの(かた)(かた)蔵人少将(くらうどのせうしゃう)をなむ(かよ)はす()きたまふ。
あやしや。
いかに(おも)ふらむ」と、少将(せうしゃう)(こころ)のうちもいとほしく、また、かの(ひと)気色(けしき)ゆかしければ、小君(こぎみ)して、()(かへ)(おも)(こころ)は、()りたまへりや」と()(つか)はす。
あのもう一方は、蔵人少将を通わせていると、お聞きになる。
「おかしなことだ。
どう思っているだろう」と、少将の気持ちも同情し、また、あの女の様子も興味があるので、小君を使いにして、「死ぬほど思っている気持ちは、お分かりでしょうか」と言っておやりになる。
もう一人の女は蔵人少将と結婚したという噂を源氏は聞いた。それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだろうと、その良人に同情もされたし、またあの空蝉の継娘はどんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。
 死ぬほど煩悶している私の心はわかりますか。
【かの片つ方は】- 軒端荻をいう。
【蔵人少将をなむ通はす】- 系図不詳の人。軒端荻は蔵人少将と結婚。係助詞「なむ」は「通はす」連体形に係る、係結びの法則。
【あやしや。いかに思ふらむ】- 源氏の心。源氏が蔵人少将の心中を推測している文。間投助詞「や」詠嘆の意。「あやしや」は源氏の心とも、また蔵人少将の心ともとれる。「いかに思ふらむ」の主語は蔵人少将。推量の助動詞「らむ」連体形、視界外推量。『新大系』は「女が心を通わせているらしい別の男がいる、と疑う少将の心を推し量る」と注す。『古典セレクション』では「軒端荻が意外にも処女ではなかったことを知って変だと思うだろう、の意」と注す。
【かの人の気色も】- 軒端荻をさす。
【死に返り思ふ心は、知りたまへりや】- 源氏の消息。その主旨。係助詞「や」疑問の意。
5.1.12 「一夜の逢瀬なりとも軒端の荻を結ぶ契りをしなかったら
わずかばかりの恨み言も何を理由に言えましょうか」
ほのかにも軒ばの荻をむすばずば
露のかごとを何にかけまし
【ほのかにも軒端の荻を結ばずは--露のかことを何にかけまし】- 源氏の贈歌。「荻を結ぶ」は契りを結ぶの象徴表現。「結ぶ」「掛く」は「露」の縁語。打消の助動詞「ず」連用形+係助詞「は」仮定条件を表す。カ下二「かけ」未然形+仮想の助動詞「まし」終止形。 【かこと】-『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『岩波古語辞典』は「かこと」、『小学館古語大辞典』は「かごと」を見出語とする。『日葡辞書』にも両方の表記がある。『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読む。
5.1.13
(たか)やかなる(をぎ)()けて、(しの)びて」とのたまへれど、()(あやま)ちて少将(せうしゃう)()つけて、(われ)なりけりと(おも)ひあはせばさりとも、(つみ)ゆるしてむ」と(おも)ふ、御心(みこころ)おごりぞ、あいなかりける
丈高い荻に結び付けて、「こっそりと」とおっしゃっていたが、「間違って、少将が見つけて、わたしだったのだと分かってしまったら、それでも、許してくれよう」と思う、高慢なお気持ちは、困ったものである。
その手紙を枝の長い荻につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相して少将に見つかった時、妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。 【取り過ちて】- 以下「罪ゆるしてむ」まで、源氏の心。
【我なりけりと思ひあはせば】- 「我」は源氏をさす。「思ひあはせ」未然形+接続助詞「ば」順接の仮定条件を表す。
【さりとも、罪ゆるしてむ】- 接続詞「さりとも」逆接を表す。いくらなんでも、そうはいっても。完了の助動詞「て」未然形、確述+推量の助動詞「む」終止形、当然の意。きっと許すことだろうというニュアンス。
【御心おごりぞ、あいなかりける】- 『岷江入楚』所引「三光院実枝説」は「草子地なり」と指摘。語り手の源氏の態度に対する評言。係助詞「ぞ」過去の助動詞「ける」連体形、係結びの法則。強調のニュアンス。
5.1.14
少将(せうしゃう)のなき(をり)()すれば、心憂(こころう)しと(おも)へどかく(おぼ)()でたるも、さすがにて御返(おほんかへ)り、(くち)ときばかりをかことにて()らす。
少将のいない時に見せると、嫌なことと思うが、このように思い出してくださったのも、やはり嬉しくて、お返事を、早いのだけを申し訳にして与える。
しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄であろうと書いて小君に返事を渡した。 【心憂しと思へど】- 主語は軒端荻。
【かく思し出でたるも、さすがにて】- 「思し出でたる」の主語は源氏。副詞「さすが」、それでも、やはり、の意。断定の助動詞「に」連用形+接続助詞「て」。その間に形容詞「うれしく」連用形などの語が省略。
【かこと】- 『集成』『新大系』は「かこと」と清音で読む。『岩波古語辞典』は「かこと」、『小学館古語大辞典』は「かごと」を見出語とする。『日葡辞書』にも両方の表記がある。『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読む。
5.1.15 「ほのめかされるお手紙を見るにつけても下荻のような
身分の賤しいわたしは、
ほのめかす風につけても下荻の
半は霜にむすぼほれつつ
【ほのめかす風につけても下荻の--半ばは霜にむすぼほれつつ】- 軒端荻の返歌。源氏の贈歌の語句を「ほのかにも」を「ほのめかす」に、「軒端荻の」を「下荻」に、「露」を「霜」に、「結ぶ」は「結ぼほる」と巧みに少しずつ変えて返す。「風」と「荻」、「霜」と「結ぼほる」は縁語。源氏の便りを「風」に、自分を「下荻」に喩える。
5.1.16 筆跡は下手なのを、分からないようにしゃれて書いている様子は、品がない。
灯火で見た顔を、自然と思い出されなさる。
「気を許さず対座していたあの人は、今でも思い捨てることのできない様子をしていたな。
何の嗜みもありそうでなく、はしゃいで得意でいたことよ」とお思い出しになると、憎めなくなる。
相変わらず、「性懲りも無く、また浮き名が立ってしまいそうな」好色心のようである。
下手であるのを酒落れた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。灯の前にいた夜の顔も連想されるのである。碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに悪い顔だちであるにもせよ、それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。一方は何の深味もなく、自身の若い容貌に誇ったふうだったと源氏は思い出して、やはりそれにも心の惹かれるのを覚えた。まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。 【手は悪しげなるを】- 「手」は筆跡。格助詞「を」目的格を表す。
【品なし】- 語り手の軒端荻の筆跡に対する評言。
【思し出でらる】- 「らる」自発の助動詞。
【うちとけで】- 以下「誇りたりしよ」まで、源氏の心。空蝉と軒端荻の人柄を比較する。カ下二「うちとけ」連用形+接続助詞「で」打消の意。
【向ひゐたる人】- 空蝉をさす。
【え疎み果つまじきさまもしたりしかな】- 副詞「え」打消推量の助動詞「まじき」連体形と呼応して不可能の意を表す。過去の助動詞「し」連体形+終助詞「かな」詠嘆。自己の体験。
【何の心ばせありげもなく】- 軒端荻についていう。
【なほ「こりずまに、またもあだ名立ちぬべき」御心のすさびなめり】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、確述+推量の助動詞「べき」連体形、当然の意。「なめり」は断定の助動詞「なる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量を表す。『湖月抄』は「地」(草子地)と指摘。語り手の物語の今後の展開を推測した文である。 【こりずまに】-『源氏釈』は「こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集、恋三、六三一、 読人しらず)を指摘する。

第六章 夕顔の物語(3)


第一段 四十九日忌の法要

6.1.1
かの(ひと)四十九日(なななぬか)(しの)びて比叡(ひえ)法華堂(ほけだう)にて(こと)そがず、装束(さうぞく)よりはじめてさるべきものども、こまかに、誦経(ずきゃう)などせさせたまひぬ
(きゃう)(ほとけ)(かざ)りまでおろかならず、惟光(これみつ)(あに)阿闍梨(あざり)いと(たふと)(ひと)にて、()なうしけり。
あの人の四十九日忌を、人目を忍んで比叡山の法華堂において、略さずに、装束をはじめとして、お布施に必要な物どもを、心をこめて準備し、読経などをおさせになった。
経巻や、仏像の装飾まで簡略にせず、惟光の兄の阿闍梨が、大変に高徳の僧なので、見事に催したのであった。
源氏はタ顔の四十九日の法要をそっと叡山の法華堂で行なわせることにした。それはかなり大層なもので、上流の家の法会としてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光の兄の阿闍梨は人格者だといわれている僧で、その人が皆引き受けてしたのである。 【かの人の四十九日】- 大島本に「ナヽナヌカトヨム」と注記する。故夕顔の四十九日の法事。
【比叡の法華堂にて】- 比叡山延暦寺の法華三昧堂。
【装束よりはじめて】- お布施としての供物。
【さるべきものども、こまかに、誦経などせさせたまひぬ】- 文末を『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「せさせたまふ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。しかるべきお布施の物どもを心こめて準備して読経などをおさせなさった。
【惟光が兄の阿闍梨】- この巻の冒頭に登場。
6.1.2
御書(おほんふみ)()にて、(むつま)しく(おぼ)文章博士(もんじゃうはかせめ)して、願文作(がんもんつく)らせたまふ。
その(ひと)となくて、あはれと(おも)ひし(ひと)のはかなきさまになりにたるを阿弥陀仏(あみだぶつ)(ゆづ)りきこゆるよし、あはれげに()()でたまへれば
ご学問の師で、親しくしておられる文章博士を呼んで、願文を作らせなさる。
誰それと言わないで、愛しいと思っていた女性が亡くなってしまったのを、阿弥陀様にお譲り申す旨を、しみじみとお書き表しになったので、
源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文を書かせた。普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。 【御書の師】- 源氏の御学問の先生。
【文章博士】- 大島本「もんさうはかせ」と表記し、「文章博士<モンジヤウハカセ>トヨム」と注記する。御物本、池田本、肖柏本は「もんしやうはかせ」、横山本は「文章博士」と表記する。初出の人。源氏には文章博士が親しく学問の指導をしていたことがわかる。
【あはれと思ひし人のはかなきさまになりにたるを】- 格助詞「の」主格を表す。完了の助動詞「に」連用形、完了の意+完了の助動詞「たる」連体形、存続の意。
【あはれげに書き出でたまへれば】- 主語は源氏。その草稿をさす。尊敬の補助動詞「たまへ」已然形+完了の助動詞「れ」已然形、完了の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。『完訳』は「胸迫るように君が草案をお書き出しになると」と、その場で書いているように解す。
6.1.3 「まったくこのまま、何も書き加えることはございませんようです」と申し上げる。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」
 博士はこう言った。
【ただかくながら、加ふべきことはべらざめり】- 文章博士の詞。ハ四段「加ふ」終止形、推量の助動詞「べき」連体形、当然の意、「ざ」は打消の助動詞「ざる」連体形の「る」が撥音便化しさらに無表記の形+推量の助動詞「めり」終止形、主観的推量の意を表す。
6.1.4
(しの)びたまへど、御涙(おほんなみだ)もこぼれて、いみじく(おぼ)したれば
堪えていらっしゃったが、お涙もこぼれて、ひどくお悲しみでいるので、
激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがたいように見えた。その博士は、 【いみじく思したれば】- ひどく悲しく思う。完了の助動詞「たれ」已然形、存続の意+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
6.1.5
何人(なにびと)ならむ
その(ひと)()こえもなくて、かう(おぼ)(なげ)かすばかりなりけむ宿世(すくせ)(たか)さ」
「どのような方なのでしょう。
誰それと噂にも上らないで、これほどにお嘆かせになるほどだった、宿運の高いこと」
「何という人なのだろう、そんな方のお亡くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」 【何人ならむ】- 以下「宿世の高さ」まで、文章博士の詞。
【かう思し嘆かすばかりなりけむ】- 使役の助動詞「す」終止形+副助詞「ばかり」、断定の助動詞「なり」連用形、過去推量の助動詞「けむ」連体形、「宿世」に係る。。お嘆かせになるほどであったようなというニュアンス。
6.1.6
()ひけり。
(しの)びて調(てう)ぜさせたまへりける装束(さうぞく)(はかま)()()せさせたまひて、
と言うのであった。
内々にお作らせになっていた布施の装束の袴をお取り寄させなさって、
とのちに言った。作らせた故人の衣裳を源氏は取り寄せて、袴の腰に、 【忍びて調ぜさせたまへりける装束の袴】- 使役の助動詞「させ」連用形、尊敬の補助動詞「たまへ」已然形、完了の助動詞「り」連用形、過去の助動詞「ける」連体形。お布施用の袴。
6.1.7 「泣きながら今日はわたしが結ぶ袴の下紐を
いつの世にかまた再会して心打ち解けて下紐を解いて逢うことができようか」
泣く泣くも今日はわが結ふ下紐を
いづれの世にか解けて見るべき
【泣く泣くも今日は我が結ふ下紐を--いづれの世にかとけて見るべき】- 源氏の独詠歌。「とけて」に下紐を「解いて」と心「解けて」の意を掛ける。また「見る」に「逢う」の意を掛ける。
6.1.8
このほどまでは(ただよ)ふなるをいづれの(みち)(さだ)まりて(おもむ)くらむ」と(おも)ほしやりつつ、念誦(ねんず)をいとあはれにしたまふ。
頭中将(とうのちゅうじゃう)()たまふにも、あいなく胸騒(むねさわ)ぎてかの撫子(なでしこ)()()つありさま、()かせまほしけれどかことに()ぢてうち()でたまはず。
「この日までは霊魂が中有に彷徨っているというが、どの道に定まって行くことのだろうか」とお思いやりになりながら、念誦をとても心こめてなさる。
頭中将とお会いになる時にも、むやみに胸がどきどきして、あの撫子が成長している有様を、聞かせてやりたいが、非難されるのを警戒して、お口にはお出しにならない。
と書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は、支配者によって未来のどの道へ赴かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経の章句を唱えることばかりを源氏はしていた。頭中将に逢うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫子にたとえたという子供の近ごろの様子などを知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。 【このほどまでは漂ふなるを】- 以下「赴くらむ」まで、源氏の心。「このほど」は四十九日忌。ハ四段「漂ふ」終止形+伝聞推定の助動詞「なる」連体形+接続助詞「を」逆接を表す。
【いづれの道に定まりて赴くらむ】- 六道すなわち、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天の道。カ四段「赴く」終止形+推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量を表す。
【念誦】- 『岩波古語辞典』に「心に念じ、口に仏の名号・経文などを唱えること」「念誦 ネンジュ」(色葉字類抄)とある。
【あいなく胸騒ぎて】- 『完訳』は「「あいなく」は語り手の評。動じなくともよいのに、あいにくと」と注す。
【かの撫子】- 夕顔の遺児、後の玉鬘。「帚木」巻で、頭中将が女の歌の中に「撫子」と詠んでよこしたという話を踏まえて、「撫子」と呼ぶ。
【聞かせまほしけれど】- 使役の助動詞「せ」未然形、希望の助動詞「まほしけれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【かことに怖ぢて】- 『集成』『新大系』は「かこと」と清音に読むが、『古典セレクション』は「かごと」と濁音に読んでいる。
6.1.9
かの夕顔(ゆふがほ)宿(やど)りにはいづ(かた)にと(おも)(まど)へど、そのままにえ(たづ)ねきこえず
右近(うこん)だに(おとづ)れねばあやしと(おも)(なげ)きあへり。
(たし)かならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば惟光(これみつ)をかこちけれど、いとかけ(はな)気色(けしき)なく()ひなして、なほ(おな)じごと()(あり)きければ、いとど(ゆめ)心地(ここち)して、もし、受領(ずりゃう)()どもの()()きしきが、(とう)(きみ)()ぢきこえて、やがて、()(くだ)りにけるにや」とぞ、(おも)()りける。
あの夕顔の宿では、どこに行ってしまったのかと心配するが、そのままで尋ね当て申すことができない。
右近までもが音信ないので、不思議だと思い嘆き合っていた。
はっきりしないが、様子からそうではあるまいかと、ささめき合っていたので、惟光のせいにしたが、まるで問題にもせず、関係なく言い張って、相変わらず同じように通って来たので、ますます夢のような気がして、「もしや、受領の子息で好色な者が、頭の君に恐れ申して、そのまま、連れて下ってしまったのだろうか」と、想像するのだった。
あの五条の家では女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近までもそれきり便りをして来ないことを不思議に思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通って来る人は源氏の君ではないかといわれていたことから、惟光になんらかの消息を得ようともしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のようにばかり思った。あるいは地方官の息子などの好色男が、頭中将を恐れて、身の上を隠したままで父の任地へでも伴って行ってしまったのではないかとついにはこんな想像をするようになった。 【かの夕顔の宿りには】- 夕顔が仮住まいしていた五条の家を「夕顔の宿り」と呼ぶ。
【そのままにえ尋ねきこえず】- 副詞「え」は打消の助動詞「ず」と呼応して不可能の意を表す。謙譲の補助動詞「きこえ」未然形は間接的に夕顔を敬った表現。
【右近だに訪れねば】- 副助詞「だに」は下に打消の助動詞「ね」已然形を伴って、せめてそれだけでもと思うのにそれさえない、という気持ちを表す。
【確かならねど、けはひをさばかりにや】- 「さばかり」を『集成』『完訳』共に「源氏」と解す。
【ささめきしかば】- 過去の助動詞「しか」已然形+接続助詞「ば」順接の確定条件を表す。
【いとかけ離れ】- 主語は惟光。
【もし、受領の子どもの】- 以下「下りにけるにや」まで、女房たちの想像。完了の助動詞「に」連用形、完了の意、過去の助動詞「ける」連体形、断定の助動詞「に」連用形、係助詞「や」疑問の意。下ってしまったのではないかという、事態が強調されるニュアンス。
6.1.10
この家主人(いへあるじ)ぞ、西(にし)(きゃう)乳母(めのと)(むすめ)なりける
三人(みたり)その()はありて、右近(うこん)他人(ことびと)なりければ(おも)(へだ)てて(おほん)ありさまを()かせぬなりけり」と、()()ひけり。
右近(うこん)はた、かしかましく()(さわ)がむを(おも)ひて(きみ)(いま)さらに()らさじと(しの)びたまへば、若君(わかぎみ)(うへ)をだにえ()かずあさましく行方(ゆくへ)なくて()ぎゆく。
この家の主人は、西の京の乳母の娘なのであった。
三人乳母子がいたが、右近は他人だったので、「分け隔てして、ご様子を知らせないのだわ」と、泣き慕うのであった。
右近は右近で、口やかましく非難するだろうことを思って、源氏の君も今になって洩らすまいと、お隠しになっているので、若君の噂さえ聞けず、まるきり消息不明のまま過ぎて行く。
この家の持ち主は西の京の乳母の娘だった。乳母の娘は三人で、右近だけが他人であったから便りを聞かせる親切がないのだと恨んで、そして皆夫人を恋しがった。右近のほうでは夫人を頓死させた責任者のように言われるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくないと思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が両方の間にたっていった。 【この家主人ぞ、西の京の乳母の女なりける】- 夕顔の宿の主人、揚名介の妻をさす。夕顔には右近の母と西の京の乳母の二人がいた。係助詞「ぞ」--「なりける」(断定の助動詞、連用形+過去の助動詞、連体形)係結びの法則。もう一人の乳母の娘が夕顔の宿の女主人であった、明かされる。
【右近は他人なりければ】- 右近はもう一人の乳母の子で他人。
【思ひ隔てて】- 以下「なりけり」まで、残された女房たちの嘆き。
【御ありさまを】- 夕顔の様子をさす。主人にあたるので「御」という敬語が付く。
【かしかましく言ひ騒がむを思ひて】- 大島本「いひさハかんを」とある。『集成』『新大系』は諸本に従って「言ひ騒がれむを」と校訂。『古典セレクション』は底本のまま。右近は他の女房や乳母子たちが非難するだろうことを思って。推量の助動詞「む」連体形、推量の意。「カシカマシイ」(和英語林集成)。『集成』『新大系』は清音に読むが、『古典セレクション』は「かしがましく」と濁音に読む。
【若君の上をだにえ聞かず】- 前に「撫子」とあった玉鬘をさす。主語は右近。「上」は噂の意。副助詞「だに」最小限を表す。撫子の噂さえ聞くことができない、というニュアンス。
6.1.11
(きみ)は、(ゆめ)をだに()ばや」と、(おぼ)しわたるにこの法事(ほふじ)したまひて、またの()ほのかに、かのありし(ゐん)ながら()ひたりし(をんな)のさま(おな)じやうにて()えければ、()れたりし(ところ)()みけむ(もの)(われ)見入(みい)れけむたよりに、かくなりぬること」と、(おぼ)()づるにもゆゆしくなむ
源氏の君は、「せめて夢にでも逢いたい」と、お思い続けていると、この法事をなさって、次の夜に、ぼんやりと、あの某院そのままに、枕上に現れた女の様子も同じようにして見えたので、「荒れ果てた邸に住んでいた魔物が、わたしに取りついたことで、こんなことになってしまったのだ」と、お思い出しになるにつけても、気味の悪いことである。
源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡で法事をした次の晩、ほのかではあったが、やはりその人のいた場所は某の院で、源氏が枕もとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。このことで、荒廃した家などに住む妖怪が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険だったことを知って恐ろしかった。 【夢をだに見ばや】- 副助詞「だに」最小限を表す。せめて--だけでも。終助詞「ばや」自らの願望を表す。せめて夢の中でも逢いたい。
【思しわたるに】- 接続助詞「に」順接を表す。
【ありし院ながら】- 夕顔が亡くなった某院をさす。
【添ひたりし女のさま】- 枕上に現れた女の姿。前に「御枕上にいとをかしげなる女ゐて」とあった。厳密には「添ひ」ではなく「居」である。
【荒れたりし所に住みけむ物の】- 以下「かくなりぬること」まで、源氏の心。「けむ」は過去推量の助動詞。住んでいたのであろう、というニュアンス。源氏は某院の「物の怪」を荒れた邸に住みついた霊魂と考えている。
【ゆゆしくなむ】- 係助詞。結びの省略。「ありける」などの語句が省略。余情を残して言いさしたかたち。

第七章 空蝉の物語(3)


第一段 空蝉、伊予国に下る

7.1.1
伊予介(いよのすけ)神無月(かんなづき)朔日(ついたち)ごろに(くだ)
女房(にょうばう)(くだ)らむにとてたむけ(こころ)ことにせさせたまふ
また、内々(うちうち)にもわざとしたまひて、こまやかにをかしきさまなる(くし)扇多(あふぎおほ)くして、(ぬさ)などわざとがましくて、かの小袿(こうちき)(つか)はす。
伊予介は、神無月の朔日ころに下る。
女方が下って行くのでということで、餞別を格別に気を配っておさせになる。
別に、内々にも特別になさって、きめ細かな美しい格好の櫛や、扇を、たくさん用意して、幣帛などを特別に大げさにして、あの小袿もお返しになる。
伊予介が十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、普通の場合よりも多くの餞別品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉の脱殼と言った夏の薄衣も返してやった。 【伊予介、神無月の朔日ごろに下る】- 物語は空蝉物語に転じる。十月の上旬、初冬のころになる。
【女房の下らむにとて】- 北の方(空蝉)とその女房を含めた女方をさす。推量の助動詞「む」連体形、接続助詞「に」順接。『古典セレクション』は「上長者としての源氏の表向きの言葉を直叙する」と注す。
【心ことにせさせたまふ】- 尊敬の助動詞「させ」連用形+尊敬の補助動詞「たまふ」終止形。源氏と伊予介では身分の格差が違い過ぎるので、二重敬語で表現したのであろう。
【かの小袿】- 源氏が持ち帰った空蝉の小袿。「うちき」と清音で読む。図書寮本『類聚名義抄』による。
7.1.2 「再び逢う時までの形見の品ぐらいに思って持っていましたが
すっかり涙で朽ちるまでになってしまいました」
逢ふまでの形見ばかりと見しほどに
ひたすら袖の朽ちにけるかな
【逢ふまでの形見ばかりと見しほどに--ひたすら袖の朽ちにけるかな】- 源氏の贈歌。副助詞「ばかり」程度を表す。過去の助動詞「し」連体形。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「ける」連体形+終助詞「かな」詠嘆を表す。『異本紫明抄』は「逢ふまでの形見とてこそとどめけめ涙に浮かぶ藻屑なりけり」(古今集 恋四 四二〇 藤原興風)を指摘。『集成』は「この歌は、空蝉の巻の筋立てに影響を与えたと考えられる」という。
7.1.3 こまごまとした事柄があるが、煩雑になるので書かない。
細々しい手紙の内容は省略する。 【こまかなることどもあれど、うるさければ書かず】- 語り手の省筆の文。『細流抄』は「草子地也」と指摘、『全集』は「草子地。物語の筆録者の弁という体裁」という。
7.1.4 お使いの者は、帰ったけれど、小君を使いにして、小袿のお礼だけは申し上げさせた。
贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君を使いにして小袿の返歌だけをした。 【御使、帰りにけれど】- 源氏からの使者。完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「けれ」已然形+接続助詞「ど」逆接を表す。
【小君して】- 主語は空蝉。後から私的に弟の小君を使者として。
【小袿の御返りばかりは聞こえさせたり】- 副助詞「ばかり」程度を表す。「聞こえさせ」連用形、「聞こゆ」よりさらに謙った表現。完了の助動詞「たり」終止形。
7.1.5 「蝉の羽の衣替えの終わった後の夏衣は
返してもらっても自然と泣かれるばかりです」
蝉の羽もたち変へてける夏ごろも
かへすを見ても音は泣かれけり
【蝉の羽もたちかへてける夏衣--かへすを見てもねは泣かれけり】- 空蝉の返歌。「たち」は衣を「裁つ」と冬「立つ」の掛詞。「かへす」は「衣」の縁語。自発の助動詞「れ」連用形+過去の助動詞「けり」終止形、詠嘆の意。『集成』は「鳴く声はまだ聞かねども蝉の羽のうすき衣は裁ちぞ着てける」(拾遺集 夏 七九 大中臣能宣)と「忘らるる身を空蝉の唐衣返すはつらき心なりけり」(後撰集 恋四 八〇四 源巨城)の二首を指摘する。
7.1.6
(おも)へど、あやしう(ひと)()心強(こころづよ)さにても、ふり(はな)れぬるかな」と(おも)(つづ)けたまふ。
今日(けふ)冬立(ふゆた)()なりけるも、しるく、うちしぐれて、(そら)気色(けしき)いとあはれなり。
(なが)()らしたまひて
「考えても、不思議に人並みはずれた意志の強さで、振り切って行ってしまったなあ」と思い続けていらっしゃる。
今日はちょうど立冬の日であったが、いかにもそれと、さっと時雨れて、空の様子もまことに物寂しい。
一日中物思いに過されて、
源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまうのだと歎かれて、運命の冷たさというようなものが感ぜられた。
 今日から冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく、時雨がこぼれたりして、空の色も身に沁んだ。終日源氏は物思いをしていて、
【思へど、あやしう】- 以下「ふり離れぬるかな」まで、源氏の心。空蝉の意志の強さ。
【ふり離れぬるかな】- 完了の助動詞「ぬる」連体形+終助詞「かな」詠嘆の意。振り切って去っていってしまったなあ。
【今日ぞ冬立つ日なりけるも、しるく】- 係助詞「ぞ」は過去の助動詞「ける」連体形に係るが、文が係助詞「も」と続き、いわゆる結びの消滅。今日は立冬の日であったが、いかにもその日らしく。
【眺め暮らしたまひて】- 主語は源氏。
7.1.7 「亡くなった人も今日別れて行く人もそれぞれの道に
どこへ行くのか知れない秋の暮れだなあ」
過ぎにしも今日別るるも二みちに
行く方知らぬ秋の暮かな
【過ぎにしも今日別るるも二道に--行く方知らぬ秋の暮かな】- 源氏の独詠歌。「過ぎにしも」(完了の助動詞「に」連用形+過去の助動詞「し」連体形+係助詞「も」)は夕顔、「今日別るるも」は空蝉をさす。「二道」は死出の道と旅路。『河海抄』は「過ぎにしも今行く末も二道になべて別れのなき世なりせば」(斎宮女御集)を指摘する。
7.1.8 やはり、このような秘密の恋は辛いものだと、お知りになったであろう。
このような煩わしいことは、努めてお隠しになっていらしたのもお気の毒なので、みな書かないでおいたのに、「どうして、帝の御子であるからといって、それを知っている人までが、欠点がなく何かと褒めてばかりいる」と、作り話のように受け取る方がいらっしゃったので。
あまりにも慎みのないおしゃべりの罪は、免れがたいことで。
などと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。
 こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が非常に隠していたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって、その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかといって、仮作したもののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に済まない気がする。
【なほ、かく人知れぬことは】- 以下の叙述は、語り手の感想を交えた文章。『細流抄』は「これより草子地也」と指摘。萩原広道の『評釈』は「地。空蝉と夕顔との事を一つにすべて結びたる詞也。苦しかりけりとおぼし知ぬらんとは心しらひの多くて苦しき事とこれらによりて知り給ふべしと地より評じたる也」とある。
【思し知りぬらむかし】- 完了の助動詞「ぬ」終止形、確述。推量の助動詞「らむ」終止形、視界外推量。終助詞「かし」念押しの意。きっとお分かりになったことであろう。
【かやうのくだくだしきことは】- 以下の文、『花鳥余情』は「物語の作者の詞也」と指摘。『評釈』は「語り伝えた古女房が筆記編集者に語った言葉である。自己批判であり自己弁護である」とある。
【いとほしくて、みな漏らしとどめたるを】- 主語は語り手。接続助詞「を」逆接を表す。
【など、帝の御子ならむからに】- 以下「ものほめがちなる」まで、読者の声を引用。断定の助動詞「なら」未然形、推量の助動詞「む」連体形、婉曲。格助詞「から」原因理由を表す。御子であるからといって。
【見む人さへ】- 源氏を実際見知っている人、すなわち第一次の語り手。副助詞「さへ」添加の意。
【ものしたまひければなむ】- 係助詞「なむ」。下に「ものしはべりぬる」などの語句が省略。源氏の裏話を書いたのです、の意。余情を残して言いさした形。
【あまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく】- 自己批判めかした文。余韻を残して言いさした形でこの巻を語り収める。「帚木」冒頭文章と呼応して、中品の物語にいったんけりをつけた。
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底本 大島本
校訂 Last updated 09/09/2010(ver.2-2)
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現代語訳 与謝野晶子
電子化 上田英代(古典総合研究所)
底本 角川文庫 全訳源氏物語
渋谷栄一訳
との突合せ
宮脇文経
2003年8月14日
Last updated 3/7/2009(ver.2-1)
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