第五十帖 東屋(大島本)

 6  6.1 6.1.1 6.1.2 6.1.3 6.1.4 6.1.5 6.1.6 6.1.7 6.1.8 6.1.9 6.1.10 6.1.11 6.1.12 6.1.13 6.1.14 6.1.15 6.1.16 6.1.17  6.2 6.2.1 6.2.2 6.2.3 6.2.4 6.2.5 6.2.6 6.2.7 6.2.8 6.2.9 6.2.10 6.2.11 6.2.12 6.2.13  6.3 6.3.1 6.3.2 6.3.3 6.3.4 6.3.5 6.3.6 6.3.7  6.4 6.4.1 6.4.2 6.4.3 6.4.4 6.4.5 6.4.6 6.4.7 6.4.8 6.4.9 6.4.10 6.4.11 6.4.12 6.4.13 6.4.14 6.4.15 6.4.16 6.4.17 6.4.18 6.4.19 6.4.20 6.4.21 6.4.22 6.4.23 6.4.24  6.5 6.5.1 6.5.2 6.5.3 6.5.4 6.5.5 6.5.6 6.5.7 6.5.8 6.5.9 6.5.10 6.5.11 6.5.12  6.6 6.6.1 6.6.2 6.6.3 6.6.4 6.6.5 6.6.6 6.6.7 6.6.8 6.6.9 6.6.10  6.7 6.7.1 6.7.2 6.7.3 6.7.4 6.7.5 6.7.6 6.7.7 6.7.8  6.8 6.8.1 6.8.2 6.8.3 6.8.4 6.8.5 6.8.6 6.8.7  6.9 6.9.1 6.9.2 6.9.3 6.9.4 6.9.5 6.9.6 6.9.7 6.9.8 6.9.9 6.9.10 6.9.11 6.9.12 6.9.13 6.9.14 6.9.15 6.9.16 6.9.17 6.9.18 6.9.19 6.9.20  

第六章 浮舟と薫の物語 薫、浮舟を伴って宇治へ行く


第一段 薫、宇治の御堂を見に出かける

  かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ、ならひにしことなれば、寝覚め寝覚めにもの忘れせず、あはれにのみおぼえたまひければ、「宇治の御堂造り果てつ」と聞きたまふに、みづからおはしましたり。
  久しう見たまはざりつるに、山の紅葉もめづらしうおぼゆ。こぼちし寝殿、こたみはいと晴れ晴れしう造りなしたり。昔いとことそぎて、聖だちたまへりし住まひを思ひ出づるに、この宮も恋しうおぼえたまひて、さま変へてけるも、口惜しきまで、常よりも眺めたまふ。
  もとありし御しつらひは、いと尊げにて、今片つ方を女しくこまやかになど、一方ならざりしを、網代屏風何かのあらあらしきなどは、かの御堂の僧坊の具に、ことさらになさせたまへり。山里めきたる具どもを、ことさらにせさせたまひて、いたうもことそがず、いときよげにゆゑゆゑしくしつらはれたり。
  遣水のほとりなる岩に居たまひて、
  「絶え果てぬ清水になどか亡き人の
  面影をだにとどめざりけむ
  涙を拭ひて、弁の尼君の方に立ち寄りたまへれば、いと悲しと見たてまつるに、ただひそみにひそむ。長押にかりそめに居たまひて、簾のつま引き上げて、物語したまふ。几帳に隠ろへて居たり。ことのついでに、
  「かの人は、さいつころ宮にと聞きしを、さすがにうひうひしくおぼえてこそ、訪れ寄らね。なほ、これより伝へ果てたまへ」
  とのたまへば、
  「一日、かの母君の文はべりき。忌違ふとて、ここかしこになむあくがれたまふめる。このころも、あやしき小家に隠ろへものしたまふめるも心苦しく、すこし近きほどならましかば、そこにも渡して心やすかるべきを、荒ましき山道に、たはやすくもえ思ひ立たでなむ、とはべりし」
  と聞こゆ。
  「人びとのかく恐ろしくすめる道に、まろこそ古りがたく分け来れ。何ばかりの契りにかと思ふは、あはれになむ」
  とて、例の、涙ぐみたまへり。
  「さらば、その心やすからむ所に、消息したまへ。みづからやは、かしこに出でたまはぬ」
  とのたまへば、
  「仰せ言を伝へはべらむことはやすし。今さらに京を見はべらむことはもの憂くて、宮にだにえ参らぬを」
  と聞こゆ。

第二段 薫、弁の尼に依頼して出る

  「などてか。ともかくも、人の聞き伝へばこそあらめ、愛宕の聖だに、時に従ひては出でずやはありける。深き契りを破りて、人の願ひを満てたまはむこそ尊からめ」
  とのたまへば、
  「人渡すことはべらぬに、聞きにくきこともこそ、出でまうで来れ」
  と、苦しげに思ひたれど、
  「なほ、よき折なるを
  と、例ならずしひて、
  「明後日ばかり、車たてまつらむ。その旅の所尋ねおきたまへ。ゆめをこがましうひがわざすまじきを」
  と、ほほ笑みてのたまへば、わづらはしく、「いかに思すことならむ」と思へど、「奥なくあはあはしからぬ御心ざまなれば、おのづからわが御ためにも、人聞きなどは包みたまふらむ」と思ひて、
  「さらば、承りぬ近きほどにこそ御文などを見せさせたまへかし。ふりはへさかしらめきて、心しらひのやうに思はれはべらむも、今さらに伊賀専女にや、と慎ましくてなむ」
  と聞こゆ。
  「文は、やすかるべきを、人のもの言ひ、いとうたてあるものなれば、右大将は、常陸守の娘をなむよばふなるなども、とりなしてむをや。その守の主、いと荒々しげなめり」
  とのたまへば、うち笑ひて、いとほしと思ふ
  暗うなれば出でたまふ。下草のをかしき花ども、紅葉など折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ甲斐なからずおはしぬべけれど、かしこまり置きたるさまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる内裏より、ただの親めきて、入道の宮にも聞こえたまへば、いとやむごとなき方は、限りなく思ひきこえたまへり。こなたかなたと、かしづききこえたまふ宮仕ひに添へてむつかしき私の心の添ひたるも、苦しかりけり。

第三段 弁の尼、三条の隠れ家を訪ねる

  のたまひしまだつとめて、睦ましく思す下臈侍一人、顔知らぬ牛飼つくり出でて遣はす
  「荘の者どもの田舎びたる召し出でつつ、つけよ」
  とのたまふ。かならず出づべくのたまへりければ、いとつつましく苦しけれど、うち化粧じくつろひて乗りぬ。野山のけしきを見るにつけても、いにしへよりの古事ども思ひ出でられて、眺め暮らしてなむ来着きける。いとつれづれに人目も見えぬ所なれば、引き入れて、
  「かくなむ、参り来つる
  と、しるべの男して言はせたれば、初瀬の供にありし若人、出で来て降ろす。あやしき所を眺め暮らし明かすに、昔語りもしつべき人の来たれば、うれしくて呼び入れたまひて親と聞こえける人の御あたりの人と思ふに、睦ましきなるべし
  「あはれに、人知れず見たてまつりしのちよりは思ひ出できこえぬ折なけれど、世の中かばかり思ひたまへ捨てたる身にて、かの宮にだに参りはべらぬを、この大将殿の、あやしきまでのたまはせしかば、思うたまへおこしてなむ」
  と聞こゆ。君も乳母も、めでたしと見おききこえてし人の御さまなれば、忘れぬさまにのたまふらむも、あはれなれど、にはかにかく思したばかるらむと、思ひも寄らず。

第四段 薫、三条の隠れ家の浮舟と逢う

  宵うち過ぐるほどに、「宇治より人参れり」とて、門忍びやかにうちたたく。「さにやあらむ」と思へど、弁の開けさせたれば、車をぞ引き入るなる。「あやし」と思ふに
  「尼君に、対面賜はらむ
  とて、この近き御庄の預りの名のりをせさせたまへれば、戸口にゐざり出でたり。雨すこしうちそそくに、風はいと冷やかに吹き入りて、言ひ知らず薫り来れば、「かうなりけり」と誰れも誰れも心ときめきしぬべき御けはひをかしければ、用意もなくあやしきに、まだ思ひあへぬほどなれば、心騷ぎて、
  「いかなることにかあらむ
  と言ひあへり。
  「心やすき所にて、月ごろの思ひあまることも聞こえさせむとてなむ」
  と言はせたまへり。
  「いかに聞こゆべきことにか」と、君は苦しげに思ひてゐたまへれば、乳母見苦しがりて、
  「しかおはしましたらむを、立ちながらや、帰したてまつりたまはむ。かの殿にこそ、かくなむ、と忍びて聞こえめ。近きほどなれば
  と言ふ。
  「うひうひしく。などてか、さはあらむ。若き御どちもの聞こえたまはむは、ふとしもしみつくべくもあらぬを。あやしきまで心のどかに、もの深うおはする君なれば、よも人の許しなくて、うちとけたまはじ」
  など言ふほど、雨やや降り来れば、空はいと暗し。宿直人のあやしき声したる、夜行うちして、
  「家の辰巳の隅の崩れ、いと危ふし。この、人の御車入るべくは、引き入れて御門鎖してよ。かかる人の御供人こそ、心はうたてあれ」
  など言ひあへるも、むくむくしく聞きならはぬ心地したまふ。
  「佐野のわたりに家もあらなくに
  など口ずさびて、里びたる簀子の端つ方に居たまへり。
  「さしとむる葎やしげき東屋の
  あまりほど降る雨そそきかな
  と、うち払ひたまへる、追風、いとかたはなるまで、東の里人も驚きぬべし。
  とざまかうざまに聞こえ逃れむ方なければ、南の廂に御座ひきつくろひて、入れたてまつる。心やすくしも対面したまはぬを、これかれ押し出でたり。遣戸といふもの鎖して、いささか開けたれば
  「飛騨の工も恨めしき隔てかな。かかるものの外には、まだ居ならはず」
  と愁へたまひて、いかがしたまひけむ、入りたまひぬ。かの人形の願ひものたまはで、ただ、
  「おぼえなき、もののはさまより見しより、すずろに恋しきこと。さるべきにやあらむ、あやしきまでぞ思ひきこゆる」
  とぞ語らひたまふべき人のさま、いとらうたげにおほどきたれば、見劣りもせず、いとあはれと思しけり。

第五段 薫と浮舟、宇治へ出発

  ほどもなう明けぬ心地するに、鶏などは鳴かで、大路近き所におほどれたる声して、いかにとか聞きも知らぬ名のりをして、うち群れて行くなどぞ聞こゆる。かやうの朝ぼらけに見れば、ものいただきたる者の、「鬼のやうなるぞかし」と聞きたまふも、かかる蓬のまろ寝にならひたまはぬ心地も、をかしくもありけり。
  宿直人も門開けて出づる音する。おのおの入りて臥しなどするを聞きたまひて、人召して、車妻戸に寄せさせたまふ。かき抱きて乗せたまひつ。誰れも誰れも、あやしう、あへなきことを思ひ騒ぎて、
  「九月にもありけるを。心憂のわざや。いかにしつることぞ」
  と嘆けば、尼君も、いといとほしく、思ひの外なることどもなれど、
  「おのづから思すやうあらむ。うしろめたうな思ひたまひそ。長月は、明日こそ節分と聞きしか
  と言ひ慰む。今日は、十三日なりけり。尼君、
  「こたみは、え参らじ宮の上、聞こし召さむこともあるに、忍びて行き帰りはべらむも、いとうたてなむ」
  と聞こゆれど、まだきこのことを聞かせたてまつらむも、心恥づかしくおぼえたまひて
  「それは、のちにも罪さり申したまひてむ。かしこもしるべなくては、たづきなき所を」
  と責めてのたまふ。
  「人一人や、はべるべき
  とのたまへば、この君に添ひたる侍従と乗りぬ。乳母、尼君の供なりし童などもおくれて、いとあやしき心地してゐたり。

第六段 薫と浮舟の宇治への道行き

  「近きほどにや」と思へば、宇治へおはするなりけり。牛などひき替ふべき心まうけしたまへりけり。河原過ぎ、法性寺のわたりおはしますに、夜は明け果てぬ。
  若き人は、いとほのかに見たてまつりて、めできこえて、すずろに恋ひたてまつるに、世の中のつつましさもおぼえず。君ぞいとあさましきに、ものもおぼえでうつぶし臥したるを、
  「石高きわたりは、苦しきものを
  とて、抱きたまへり。羅の細長を、車の中に引き隔てたれば、はなやかにさし出でたる朝日影に、尼君はいとはしたなくおぼゆるにつけて、「故姫君の御供にこそ、かやうにても見たてまつりつべかりしか。あり経れば、思ひかけぬことをも見るかな」と、悲しうおぼえて、包むとすれど、うちひそみつつ泣くを、侍従はいと憎く、「ものの初めに形異にて乗り添ひたるをだに思ふに、なぞ、かくいやめなる」と、憎くをこにも思ふ。老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞと、おろそかにうち思ふなりけり。
  君も、見る人は憎からねど、空のけしきにつけても、来し方の恋しさまさりて、山深く入るままにも、霧立ちわたる心地したまふうち眺めて寄りゐたまへる袖の重なりながら長やかに出でたりけるが、川霧に濡れて、御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを落としがけの高き所に見つけて、引き入れたまふ。
  「形見ぞと見るにつけては朝露の
  ところせきまで濡るる袖かな
  と、心にもあらず一人ごちたまふを聞きて、いとどしぼるばかり、尼君の袖も泣き濡らすを、若き人、「あやしう見苦しき世かな」。心ゆく道に、いとむつかしきこと、添ひたる心地す。忍びがたげなる鼻すすり聞きたまひて、我も忍びやかにうちかみて、「いかが思ふらむ」といとほしければ
  「あまたの年ごろ、この道を行き交ふたび重なるを思ふに、そこはかとなくものあはれなるかな。すこし起き上がりて、この山の色も見たまへ。いと埋れたりや」
  と、しひてかき起こしたまへば、をかしきほどに、さし隠して、つつましげに見出だしたるまみなどは、いとよく思ひ出でらるれど、おいろかにあまりおほどき過ぎたるぞ、心もとなかめる。「いといたう児めいたるものから、用意の浅からずものしたまひしはや」と、なほ行く方なき悲しさは、むなしき空にも満ちぬべかめり

第七段 宇治に到着、薫、京に手紙を書く

  おはし着きて、
  「あはれ、亡き魂や宿りて見たまふらむ。誰によりて、かくすずろに惑ひありくものにもあらなくに」
  と思ひ続けたまひて、降りてはすこし心しらひて、立ち去りたまへり女は、母君の思ひたまはむことなど、いと嘆かしけれど、艶なるさまに、心深くあはれに語らひたまふに、思ひ慰めて降りぬ。
  尼君は、ことさらに降りで、廊にぞ寄するを、「わざと思ふべき住まひにもあらぬを、用意こそあまりなれ」と見たまふ。御荘より、例の、人びと騒がしきまで参り集まる。女の御台は、尼君の方より参る。道は茂かりつれど、このありさまは、いと晴れ晴れし。
  川のけしきも山の色も、もてはやしたる造りざまを見出だして、日ごろのいぶせさ、慰みぬる心地すれど、「いかにもてないたまはむとするにか」と、浮きてあやしうおぼゆ
  殿は、京に御文書きたまふ
  「なりあはぬ仏の御飾りなど見たまへおきて、今日吉ろしき日なりければ、急ぎものしはべりて、乱り心地の悩ましきに、物忌なりけるを思ひたまへ出でてなむ、今日明日ここにて慎みはべるべき」
  など、母宮にも姫宮にも聞こえたまふ。

第八段 薫、浮舟の今後を思案す

  うちとけたる御ありさま、今すこしをかしくて入りおはしたるも恥づかしけれどもて隠すべくもあらで居たまへり。女の装束など、色々にきよくと思ひてし重ねたれど、すこし田舎びたることもうち混じりてぞ昔のいと萎えばみたりし御姿の、あてになまめかしかりしのみ思ひ出でられて、
  「髪の裾のをかしげさなどは、こまごまとあてなり。宮の御髪のいみじくめでたきにも劣るまじかりけり」
  と見たまふ。かつは、
  「この人をいかにもてなしてあらせむとすらむ。ただ今、ものものしげにて、かの宮に迎へ据ゑむも、音聞き便なかるべし。さりとて、これかれある列にて、おほぞうに交じらはせむは本意なからむ。しばし、ここに隠してあらむ」
  と思ふも、見ずはさうざうしかるべく、あはれにおぼえたまへば、おろかならず語らひ暮らしたまふ。故宮の御ことものたまひ出でて、昔物語をかしうこまやかに言ひ戯れたまへど、ただいとつつましげにて、ひたみちに恥ぢたるを、さうざうしう思す。
  「あやまりても、かう心もとなきはいとよし。教へつつも見てむ。田舎びたるされ心もてつけて、品々しからず、はやりかならましかば、形代不用ならまし」
  と思ひ直したまふ。

第九段 薫と浮舟、琴を調べて語らう

  ここにありける琴、箏の琴召し出でて、「かかることはた、ましてえせじかし」と、口惜しければ、一人調べて、
  「宮亡せたまひてのち、ここにてかかるものに、いと久しう手触れざりつかし」
  と、めづらしく我ながらおぼえて、いとなつかしくまさぐりつつ眺めたまふに、月さし出でぬ。
  「宮の御琴の音の、おどろおどろしくはあらで、いとをかしくあはれに弾きたまひしはや」
  と思し出でて、
  「昔、誰れも誰れもおはせし世に、ここに生ひ出でたまへらましかば、今すこしあはれはまさりなまし。親王の御ありさまは、よその人だに、あはれに恋しくこそ、思ひ出でられたまへ。などて、さる所には、年ごろ経たまひしぞ」
  とのたまへば、いと恥づかしくて白き扇をまさぐりつつ、添ひ臥したるかたはらめ、いと隈なう白うて、なまめいたる額髪の隙など、いとよく思ひ出でられてあはれなり。まいて、「かやうのこともつきなからず教へなさばや」と思して、
  「これは、すこしほのめかいたまひたりやあはれ、吾が妻といふ琴は、さりとも手ならしたまひけむ」
  など問ひたまふ。
  「その大和言葉だに、つきなくならひにければ、まして、これは」
  と言ふ。いとかたはに心後れたりとは見えず。ここに置きて、え思ふままにも来ざらむことを思すが、今より苦しきは、なのめには思さぬなるべし。琴は押しやりて、
  「楚王の台の上の夜の琴の声
  と誦じたまへるも、かの弓をのみ引くあたりにならひて、「いとめでたく、思ふやうなり」と、侍従も聞きゐたりけり。さるは、扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば、ひとへにめできこゆるぞ、後れたるなめるかし。「ことこそあれ、あやしくも、言ひつるかな」と思す。
  尼君の方より、くだもの参れり。箱の蓋に、紅葉、蔦など折り敷きて、ゆゑゆゑなからず取りまぜて、敷きたる紙に、ふつつかに書きたるもの、隈なき月にふと見ゆれば、目とどめたまふほどに、くだもの急ぎにぞ見えける
  「宿り木は色変はりぬる秋なれど
  昔おぼえて澄める月かな
  と古めかしく書きたるを、恥づかしくもあはれにも思されて、
  「里の名も昔ながらに見し人の
  面変はりせる閨の月影
  わざと返り事とはなくてのたまふ侍従なむ伝へけるとぞ
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
  あの大将殿は、いつものように、秋が深まってゆくころ、習慣になっている事なので、夜の寝覚めごとに忘れず、しみじみとばかり思われなさったので、「宇治の御堂を造り終わった」と聞きなさると、ご自身でお出かけになった。
  久しく御覧にならなかったので、山の紅葉も珍しく思われる。解体した寝殿は、今度は立派に造り変えなさった。昔とても簡略にして、僧坊めいていらした住まいを思い出すと、この宮邸も恋しく思い出されなさって、様変りさせてしまったのも、残念なまでに、いつもより眺めていらっしゃる。
  もとからあったご設備は、たいへん尊重して、もう一方を女性向きにこまやかに整えるなどして、一様ではなかったが、網代屏風や何やらの粗末な物などは、あの御堂の僧坊の道具として、特別に役立たせなさった。山里めいた道具類を、特別に作らせなさって、ひどく簡略にせず、たいそう美しく奥ゆかしく作らせてあった。
  遣水の辺にある岩にお座りになって、
  「涸れてしまわないこの清水にどうして亡くなった人の
  面影だけでもとどめておかなかったのだろう」
  涙を拭いながら、弁の尼君の方にお立ち寄りになると、とても悲しいと拝見すると、ただべそをかくばかりである。長押にちょっとお座りになって、簾の端を引き上げて、お話なさる。几帳に隠れて座っていた。話のついでに、
  「あの人は、最近宮邸にいると聞いたが、やはりきまり悪く思われて、尋ねていません。やはり、こちらからすっかりお伝え下さい」
  とおっしゃると、
  「先日、あの母君の手紙がございました。物忌みの方違えするといって、あちらこちらと移っていらしたようです。最近も、粗末な小家に隠れていらっしゃるらしいのも気の毒で、少し近い所であったら、そこに移して安心でしょうが、荒々しい山道で、簡単には思い立つことができないで、とございました」
  と申し上げる。
  「人びとがこのように恐ろしがっているような山道を、自分は相変わらず分け入って来るのだ。どれほどの前世からの約束事があってかと思うと、感慨無量です」
  と言って、いつものように、涙ぐんでいらっしゃった。
  「それでは、その気楽な隠れ家に、お便りしてください。ご自身で、あちらに出向いてくださいませんか」
  とおっしゃると、
  「お言葉をお伝えしますことは簡単です。今さら京に出ますことは億劫で、宮邸にさえ参りませんのに」
  と申し上げる。
  「どうしてそんなことが。どうするにせよ、誰かが伝え聞いて言うならともかく、愛宕の聖でさえ、場合によっては出ないことがあろうか。固い誓いを破って、人の願いをお満たしになるのが尊いことです」
  とおっしゃると、
  「衆生済度の徳もございませんのに、聞き苦しい噂も、出て来ましょう」
  と言って、困ったことに思っていたが、
  「やはり、ちょうどよい機会だから」
  と、いつもと違って無理強いして、
  「明後日ぐらいに、車を差し向けましょう。その仮住まいの家を調べておいてください。けっして馬鹿げたまちがいはしませんから」
  と、にっこりしておっしゃるので、やっかいで、「どのようにお考えなのだろう」と思うが、「浅薄で軽々しくないご性質なので、自然とご自分のためにも、外聞はお慎みになっていらっしゃるだろう」と思って、
  「それでは、承知いたしました。お近くですから。お手紙などをおやりくださいませ。わざわざ利口ぶって、取り持ちを買って出たようにとられますのも、今さら伊賀専女のようではないかしら、と気がひけます」
  と申し上げる。
  「手紙は、簡単でしょうが、人の噂が、とてもうるさいものですから、右大将は、常陸介の娘に求婚しているそうだなどとも、取り沙汰しようから。その介の殿は、とても荒々しい人のようですね」
  とおっしゃると、ふと笑って、お気の毒にと思う。
  暗くなったのでお出になる。木の下草が美しい花々や、紅葉などを折らせなさって、宮に御覧にお入れなさる。ご結婚の効がなくはなくいらっしゃるようだが、畏れ敬っているような感じで、たいそうお親しみ申し上げずにいるようである。帝から、普通の親のように、入道の宮にもお頼み申し上げなさっているので、たいそう重々しい点では、この上なくお思い申し上げていらっしゃった。あちらからもこちらからも、大切にされなさるお世話に加えて、やっかいな執心が加わったのが、つらいことであった。
  お約束になった日のまだ早朝に、腹心の家来とお思いになる下臈の侍を一人、顔を知られていない牛飼童を用意して遣わす。
  「荘園の連中で田舎者じみたのを召し出して、付き添わせよ」
  とおっしゃる。必ず京に出て来るようにとおっしゃっていたので、とても気がひけてつらいけれど、ちょっと化粧をして車に乗った。野山の様子を見るにつけても、若いころからの古い出来事が自然と思い出されて、物思いに耽りながら着いたのであった。とてもひっそりとして人の出入りもない所なので、車を引き入れて、
  「これこれで、参りました」
  と、案内の男を介して言わせると、初瀬のお供をした若い女房が、出てきて車から降ろす。粗末な家で物思いに耽りながら明かし暮らしていたので、昔話もできる人が来たので、嬉しくなって呼び入れなさって、父親と申し上げた方のご身辺の人と思うと、慕わしくなるのであろう。
  「しみじみと、人知れずお目にかかりまして後は、お思い出し申し上げない時はありませんが、世の中をこのように捨てた身なので、あちらの宮邸にさえ参りませんが、この大将殿が、不思議なまでにお頼みになるので、思い起こして参りました」
  と申し上げる。姫君も乳母も、素晴らしいお方と拝見していたお方のご様子なので、忘れないふうにおっしゃるというのも、嬉しいが、急にこのようにご計画なさるとは、思い寄らなかった。
  宵を少し過ぎたころに、「宇治から参った者です」と言って、門をそっと叩く。「そうかしら」と思うが、弁が開けさせると、車を引き入れる。妙だと思うと、
  「尼君に、お目にかかりたい」
  と言って、その近くの荘園の支配人の名を名乗らせなさったので、戸口にいざり出た。雨が少し降りそそいで、風がとても冷やかに吹きこんで、何ともいえない良い匂いが漂ってくるので、「そうであったのか」と、皆が皆心をときめかせるにちがいないご様子が結構なので、心づもりもなくむさくるしいうえに、まだ予想もしていなかった時なので、気が動転して、
  「どうしたことであろうか」
  と言い合っていた。
  「気楽な所で、いく月もの間の抑えきれない思いを申し上げたいと思いまして」
  と言わせなさった。
  「どのように申し上げたらよいものか」と思って、君はつらそうに思っていらしたので、乳母が見苦しがって、
  「このようにいらっしゃったのを、お座りもいただかず、このままお帰し申し上げることができましょうか。あちらの殿にも、これこれです、とそっと申し上げましょう。近い所ですから」
  と言う。
  「気がきかないことを。どうして、そうすることがありましょう。若い方どうしがお話し申し上げなさるのに、急に深い仲になるものでもありますまい。不思議なまでに気長で、慎重でいらっしゃる君なので、けっして相手の許しがなくては、気をお許しになりますまい」
  などと言っているうちに、雨が次第に降って来たので、空はたいそう暗い。宿直人で変な声をした者が、夜警をして、
  「家の辰巳の隅の崩れが、とても危険だ。こちらの、客のお車は入れるものなら、引き入れてご門を閉めよ。この客人の供人は、気がきかない」
  などと言い合っているのも、気持ち悪く聞き馴れない気がなさる。
  「佐野の辺りに家もないのに」
  などと口ずさんで、田舎めいた簀子の端の方に座っていらっしゃった。
  「戸口を閉ざすほど葎が茂っているためか
  東屋であまりに待たされ雨に濡れることよ」
  と、露を払っていらっしゃる、その追い風が、とても尋常でないほど匂うので、東国の田舎者も驚くにちがいない。
  あれやこれやと言い逃れるすべもないので、南の廂にお座席を設けて、お入れ申し上げる。気安くお会いなさらないのを、誰彼らが押し出した。遣戸という物を錠をかけて、少し開けてあったので、
  「飛騨の大工までが恨めしい仕切りですね。このような物の外には、まだ座ったことがありません」
  とお嘆きになって、どのようになさったのか、お入りになってしまった。あの人形の願いもおしゃっらず、ただ、
  「思いがけず、何かの間から覗き見して以来、何となく恋しいこと。そのような運命であったのか、不思議なまでにお思い申し上げています」
  とお口説きになるのであろう。女の様子は、とてもかわいらしくおっとりしているので、見劣りもせず、とてもしみじみとお思いになった。
  まもなく夜が明けてしまう気がするのに、鶏などは鳴かないで、大路に近い所で間のびした声で、何とも聞いたことのない物売りの呼び上げる声がして、連れ立って行くのなどが聞こえる。このような朝ぼらけに見ると、品物を頭の上に乗せている姿が、「鬼のような恰好だ」とお聞きになっているのも、このような蓬生の宿でごろ寝をした経験もおありでないので、興味深くもあった。
  宿直人も門を開けて出る音がする。それぞれ中に入って横になる音などをお聞きになって、人を呼んで、車を妻戸に寄せさせなさる。抱き上げてお乗せになった。誰も彼もが、おかしな、どうしようもないことだとあわてて、
  「九月でもありますのに。情けないことです。どうなさるのですか」
  と嘆くと、尼君も、とてもお気の毒になって、意外なことだったが、
  「自然とお考えのことがあるのでしょう。不安にお思いなさるな。九月は、明日が節分だと聞きました」
  と言って慰める。今日は、十三日であった。尼君は、
  「今回は、同行できません。宮の上が、お聞きになることもありましょうから、こっそりと行ったり来たりいたしますのも、まことに具合が悪うございます」
  と申し上げるが、早々にこの事をお聞かせ申し上げるのも、恥ずかしく思われなさって、
  「それは、後からお詫び申してもお済みになることでしょう。あちらでも案内する人がいなくては、頼りない所ですから」
  とお責めになる。
  「誰か一人、お供しなさい」
  とおっしゃると、この君に付き添っている侍従と乗った。乳母は、尼君の供をして来た童女などもとり残されて、まことに何が何やら分からぬ気持ちでいた。
  「近い所にか」と思うと、宇治へいらっしゃるのであった。牛なども取り替える準備をなさっていた。加茂の河原を過ぎ、法性寺の付近をお通りになるころに、夜はすっかり明けた。
  若い女房は、とてもかすかに拝見して、お誉め申して、何となくお慕い申し上げるので、世間の思惑も何とも思わない。女君はとても驚いて、何も考えられずうつ伏しているのを、
  「大きな石のある道は、つらいものだ」
  と言って、抱いていらっしゃった。薄物の細長を、車の中に垂れて仕切っていたので、明るく照り出した朝日に、尼君はとても恥ずかしく思われるにつけて、「故姫君のお供をして、このように拝見したかったものだ。生き永らえると、思いもかけないことにあうものだ」と、悲しく思われて、抑えようとするが、つい顔がゆがんで泣くのを、侍従はとても憎らしく、「ご結婚早々に尼姿で乗り添っているだけでも不吉に思うのに、何で、こうしてめそめそするのか」と、憎らしく愚かにも思う。年老いた人は、何となく涙もろいものだ、と簡単に考えるのであった。
  君も、相手の女は憎くないが、空の様子につけても、故人への恋しさがつのって、山深く入って行くにしたがって、霧が立ち渡ってくる気がなさる。物思いに耽って寄り掛かっていらっしゃる袖が、重なりながら長々と外に出ているのが、川霧に濡れて、お召し物が紅色なところに、お直衣の花が大変に色変わりしているのを、急坂の下る所で見つけて、引き入れなさる。
  「故姫君の形見だと思って見るにつけ
  朝露がしとどに置くように涙に濡れることだ」
  と、心にもなく独り言をおっしゃるのを聞いて、ますます袖をしぼるほどに、尼君の袖も泣き濡れているのを、若い女房は、「妙な見苦しいことだ」。嬉しいはずの道中に、とてもやっかいな事が、加わった気持ちがする。堪えきれない鼻水をすする音をお聞きになって、自分もこっそりと鼻をかんで、「どのように思っているだろうか」とお気の毒なので、
  「長年、この道をいく度も行き来したことを思うと、何となく感慨無量な気持ちがします。少し起き上がって、この山の景色を御覧なさい。とてもふさぎこんでいらっしゃいませんか」
  と、無理に起こしなさると、美しい感じに、ちょっと隠して、遠慮深そうに外を見い出しなさっている目もとなどは、とてもよく似て思い出されるが、おだやかであまりにおっとりとし過ぎているのが、不安な気がする。「とてもたいそう子供っぽくいらしたが、思慮深くいらっしゃったな」と、やはり癒されない悲しみは、空しい大空いっぱいにもなってしまいそうである。
  宇治にお着きになって、
  「ああ、亡き方の魂がとどまって御覧になっていようか。誰のために、このようにあてもなく彷徨い歩こうというのか」
  と思い続けられなさって、降りてからは少し気をきかせて、側を立ち去りなさった。女は、母君がどうお思いになるかが、とても気がかりであるが、優雅な態度で、愛情深くしみじみとお話なさるので、慰められて降りた。
  尼君は、こちらで特に降りないで、渡廊の方に寄せたのを、「わざわざ気をつかうべき住まいでもないのに、心づかいが過ぎる」と御覧になる。御荘園から、いつものように、人びとが騒がしいほど参集する。女のお食事は、尼君の方から差し上げる。道中は草が茂っていたが、こちらの様子は、たいそう晴れ晴れとしている。
  川の様子も山の景色も、上手に取り入れた建物の造りを眺めやって、日頃の鬱陶しい思いが慰められた気がするが、「どのようになさるおつもりか」と、不安で変な感じがする。
  殿は、京にお手紙をお書きになる。
  「まだ完成しない仏像のお飾りなどを拝見しておりましたが、今日が吉日なので、急いで参りまして、気分が良くないうえに、物忌であったのを思い出しまして、今日明日はこちらで慎んでおります」
  などと、母宮にも姫宮にも申し上げなさる。
  くつろいでいらっしゃるご様子で、いま一段と魅力的になって入っていらっしゃったのも恥ずかしい気がするが、身を隠すわけにもいかず座っていらっしゃった。女の装束などは、色とりどりに美しくと思って襲着していたが、少し田舎風なところが混じっていて、故人がとても柔らかくなったお召し物のお姿で、上品に優美であったことばかりが思い出されたが、
  「髪の裾の美しさなどは、たっぷりと上品である。宮の御髪がたいそう素晴らしかったのにも劣らないようだ」
  と御覧になる。一方では、
  「この人をどのように扱ったらよいのだろう。今すぐに、重々しくあの自邸に迎え入れるのも、外聞がよくないだろう。そうかといって、大勢いる女房と同列にして、いい加減に暮らさせるのは望ましくないだろう。しばらくの間は、ここに隠しておこう」
  と思うのも、会わなかったら寂しくかわいそうに思われなさるので、並々ならず一日中お話なさる。故宮の御事もお話し出して、昔話を興趣深く情をこめて冗談もおっしゃるが、ただとても遠慮深そうにして、ひたすら恥ずかしがっているのを、物足りないとお思いになる。
  「間違っても、このように頼りないのはとてもよい。教えながら世話をしよう。田舎風のしゃれ気があって、品が悪く、軽はずみだったならば、身代わりにならなかったろうに」
  と思い直しなさる。
  ここにあった琴や、箏の琴を召し出して、「このような事は、またいっそうできないだろう」と、残念なので、独りで調べて、
  「宮がお亡くなりになって以後、ここでこのような物に、実に久しく手を触れなかった」
  と、珍しく自分ながら思われて、たいそうやさしく弄びながら物思いに耽っていらっしゃると、月が出た。
  「宮のお琴の音色が、仰々しくはなくて、とても美しくしみじみとお弾きになったなあ」
  とお思い出しになって、
  「昔、皆が生きていらっしゃった時に、ここで大きくおなりになったら、もう一段と感慨は深かったでしょうに。親王のご様子は、他人でさえ、しみじみと恋しく思い出され申します。どうして、そのような場所に、長年いられたのですか」
  とおっしゃると、とても恥ずかしくて、白い扇を弄びながら、添い臥していらっしゃる横顔は、とてもどこからどこまで色白で、優美な額髪の間などは、まことによく思い出されて感慨深い。それ以上に、「このような音楽の技芸もふさわしく教えたい」とお思いになって、
  「これは、少しお弾きになったことがありますか。ああ、吾が妻という和琴は、いくらなんでもお手を触れたことがありましょう」
  などとお尋ねになる。
  「その和歌でさえ、聞きつけずにいましたのに、まして、和琴などは」
  と言う。まったく見苦しく気がきかないようには見えない。ここに置いて、思い通りに通って来られないことをお思いになるのが、今からつらいのは、並一通りにはお思いでないのだろう。琴は押しやって、
  「楚王の台の上の夜の琴の声」
  と朗誦なさるのも、あの弓ばかりを引く所に住み馴れて、「とても素晴らしく、理想的である」と、侍従も聞いているのであった。一方では、扇の色も心を配らねばならない閨の故事を知らないので、一途にお誉め申し上げているのは、教養のないことである。「事もあろうに、変なことを、言ってそまったなあ」とお思いになる。
  尼君のもとから、果物を差し上げた。箱の蓋に、紅葉や、蔦などを折り敷いて、風流にとりまぜて、敷いてある紙に、不器用に書いてあるものが、明るい月の光にふと見えたので、目を止めなさっていると、果物を欲しがっているように見えた。
  「宿木は色が変わってしまった秋ですが
  昔が思い出される澄んだ月ですね」
  と古風に書いてあるのを、恥ずかしくもしみじみともお思いになって、
  「里の名もわたしも昔のままですが
  昔の人が面変わりしたかと思われる閨の月光です」
  特に返歌というわけではなくおっしゃったのを、侍従が伝えたとか。
Last updated 4/24/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
  例年のように秋のふけて行くころになれば、寝ざめ寝ざめに故人のことばかりの思われて悲しい薫は、御堂の竣成したしらせがあったのを機に宇治の山荘へ行った。
  かなり久しく出て来なかったのであったから、山の紅葉も珍しい気がしてながめられた。毀ったあとへ新たにできた寝殿は晴れ晴れしいものになっているのであった。簡素に僧のように八の宮の暮らしておいでになった昔を思うと、その方の恋しく思われる薫は、改築したことさえ後悔される気になり、平生よりも愁わしいふうであたりをながめていた。
  当時の山荘の半分は寺に似た気分が出ていたが、半分は繊細に優しく女王たちの住居らしく設備われてあったのを、網代屏風というような荒々しい装飾品は皆薫の計らいで御堂の坊のほうへ運ばせてしまい、そして風雅な山荘に適した道具類を別に造らせて、ことさら簡素に見せようともせず、きれいに上品な貴人の家らしく飾らせてあった。
  小流れのそばの岩に薫は腰を掛けていたが、その座は離れにくかった。
  絶えはてぬ清水になどかなき人の
  面影をだにとどめざりけん
  と歌い、涙をふきながら弁の尼の室のほうへ来た薫を、尼は悲しがって見た。座敷の長押へ仮なように身体を置いて、御簾の端を引き上げながら薫は話した。弁の尼は几帳で姿を包んでいた。薫は話のついでに、
  「あの話の人ね、せんだって二条の院に来ていられると聞いていましたがね、今さら愛を求めに歩く男のようなことは私にできなくて、そのままにしていますよ。やはりこの話はあなたから言ってくださるほうがいい」
  人型の姫君のことを言いだした。
  「この間あのお母様から手紙がまいりました。謹慎日の場所を捜しあぐねて、あちらこちらとお変わらせしていますってね。そして現在もみじめな小家などにお置きしているのがおかわいそうなのですが、もう少し近い所ならお住ませするのにそちらは最も安心のできる所と思いますが、荒い山路が中にあることを思うと躊躇がされて実行ができませんと、こんなことを書いて来ておりました」
 
  「私だけはだれも皆恐ろしがるその山道をいつまでも飽かずに出て来る人なのですね。どんな深い宿縁があってのことかと思うのは身にしむことですよ」
  例のように薫は涙ぐんでいた。
  「ではその小さい簡単な家というのへ手紙をやってください。あなた自身で出かけてくれませんか」
  と言う。
  「あなた様の御用を勤めますことは喜んでいたしますが、京へ出ますことはいやでございましてね、二条の院へさえ私はまだ伺わないのでございます」
 
  「いいではありませんか、いちいちあちらへ報告されるのであれば遠慮もいるでしょうが、愛宕山にこもった上人も利生方便のためには京へ出るではありませんか。仏へ立てた誓いを破った人の願いのかなうようにされることも大功徳じゃありませんか」
 
  「でも『人わたすことだになきを』(何をかもながらの橋と身のなりにけん)と申しますような老朽した尼が、ある事件に策動したという評判でも立ちましてはね」
  と言い、弁が躊躇して行こうとしないのを、
  「ちょうどそんな仮住みをしているのは都合がよいというものですから、そうしてください」
  例の薫のようでもなくしいて言い、
  「明後日あたりに車をよこしましょう。そして仮住居の場所を車の者へ教えておいてください。私が訪ねて行くことがあっても無法なことなどできるものではないから安心なさい」
  と微笑しながら言うのを弁は聞いていて、迷惑なことが引き起こされるのではなかろうかと思いながらも、大将は浮薄な性質の人ではないのであるから、自分のためにも慎重に考えていてくれるに違いないという気になった。
  「それでは承知いたしました。お邸とは近いのでございますから、そちらへお手紙を持たせておつかわしくださいませ。平生行きません所へそのお話を私が独断で来てするように思われますのも、今さら伊賀刀女(そのころ媒介をし歩いた種類の女)になりましたようできまりが悪うございます」
 
  「手紙を書くことはなんでもありませんがね、人はいろいろな噂をしたがるものですからね、右大将は常陸守の娘に恋をしているというようなことが言われそうで危険ですよ。その常陸の旦那は荒武者なんだってね」
  と薫が言ったので弁は笑ったが、心では姫君がかわいそうに思われた。
  暗くなりかかったので大将は帰って行くのであった。林の下草の美しい花や、紅葉を折らせた薫は夫人の宮にそれらをお見せした。りっぱな方なのであるが敬遠した形で、良人らしい親しみを薫は持たないらしい。帝からは普通の父親のように始終尼宮へお手紙で頼んでおいでになるのでもあって、薫は女二の宮をたいせつな人にはしていた。宮中、院の御所へのお勤め以外にまた一つの役目がふえたように思われるのもこの人に苦しいことであった。
  薫は弁に約束した日の早朝に、親しい下級の侍に、人にまだ顔を知られていぬ牛付き男をつれさせて山荘へ迎えに出した。
  荘園のほうにいる男たちの中から田舎者らしく見えるのを選んでつけさせるよう
  に薫は命じてあった。ぜひ出てくるようにとの薫の手紙であったから、弁の尼はこの役を勤めることが気恥ずかしく、気乗りもせず思いながら化粧をして車に乗った。野路山路の景色を見ても、薫が宇治へ来始めたころからのことばかりがいろいろと思われ、総角の姫君の死を悲しみ続けて目ざす家へ弁は着いた。簡単な住居であったから、気楽に門の中へ車を入れ、
  自身の来たことをついて来た侍に言わせると、
  姫君の初瀬詣での時に供をした若い女房が出て来て、車から下りるのを助けてくれた。つまらぬ庭ばかりをながめて日を送っていた姫君は、話のできる人の来たのを喜んで居間へ通した。親であった方に近く奉公した人と思うことで親しまれるのであるらしい。
  「はじめてお目にかかりました時から、あなたに昔の姫君のお姿がそのまま残っていますことで、始終恋しくばかりお思いするのでしたが、こんなにも世の中から離れてしまいました身の上では兵部卿の宮様のほうへも伺いにくくてまいれませんほどで、ついお訪ねもできないのでございました。それなのに、右大将が御自分のためにぜひあなたへお話を申しに行けとやかましくおっしゃるものですから、思い立って出てまいりました」
  と弁は言った。姫君も乳母もりっぱな風采を知っていた大将であったから、まだあの話を忘れずに続けて申し込んでくれることに喜びは覚えたのであるが、こんなに急に策を立てて接近しようと薫がしていたことには気づかない。
  夜の八時過ぎに宇治から用があって人が来たと言って、ひそかに門がたたかれた。弁は薫であろうと思っているので、門をあけさせたから、車はずっと中へはいって来た。家の人は皆不思議に思っていると、
  尼君に面会させてほしい
  と言い、宇治の荘園の預かりの人の名を告げさせると、尼君は妻戸の口へいざって出た。小雨が降っていて風は冷ややかに室の中へ吹き入るのといっしょにかんばしいかおりが通ってきたことによって、来訪者の何者であるかに家の人は気づいた。だれもだれも心ときめきはされるのであるが、何の用意もない時であるのに、あわてて、
  どんな相談を客は尼としてあったのであろう
  と言い合った。
  「静かな所で、今日までどんなに私が思い続けて来たかということもお聞かせしたいと思って来ました」
  と薫は姫君へ取り次がせた。
  どんな言葉で話に答えていけばよいかと心配そうにしている姫君を、困ったものであるというように見ていた乳母が、
  「わざわざおいでになった方を、庭にお立たせしたままでお帰しする法はございませんよ。本家の奥様へ、こうこうでございますとそっと申し上げてみましょう。近いのですから」
  と言った。
  「そんなふうに騒ぐことではありませんよ。若い方どうしがお話をなさるだけのことで、そんなにものが進むことですか。怪しいほどにもおあせりにならない落ち着いた方ですもの、人の同意のないままで恋を成立させようとは決してなさいますまい」
  こう言ってとめたのは弁の尼であった。雨脚がややはげしくなり、空は暗くばかりなっていく。宿直の侍が怪しい語音で家の外を見まわりに歩き、
  「建物の東南のくずれている所があぶない、お客の車を中へ入れてしまうものなら入れさせて門をしめてしまってくれ、こうした人の供の人間に油断ができないのだよ」
  などと言い合っている声の聞こえてくるようなことも薫にとって気味の悪いはじめての経験であった。
  「さののわたりに家もあらなくに」(わりなくも降りくる雨か三輪が崎)
  などと口ずさみながら、田舎めいた縁の端にいるのであった。
  さしとむるむぐらやしげき東屋の
  あまりほどふる雨そそぎかな
  と言い、雨を払うために振った袖の追い風のかんばしさには、東国の荒武者どもも驚いたに違いない。
  室内へ案内することをいろいろに言って望まれた家の人は、断わりようがなくて南の縁に付いた座敷へ席を作って薫は招じられた。姫君は話すために出ることを承知しなかったが、女房らが押し出すようにして客の座へ近づかせた。遣戸というものをしめ、声の通うだけの隙があけてある所で、
  「飛騨の匠が恨めしくなる隔てですね。よその家でこんな板の戸の外にすわることなどはまだ私の経験しないことだから苦しく思われます」
  などと訴えていた薫は、どんなにしたのか姫君の居室のほうへはいってしまった。人型としてほしかったことなどは言わず、
  ただ宇治で思いがけぬ隙間からのぞいた時から恋しい人になったことを言い、
  これが宿縁というものか怪しいまで心が惹かれているということをささやいた。可憐なおおような姫君に薫は期待のはずれた気はせず深い愛を覚えた。
  そのうち夜は明けていくようであったが、鶏などは鳴かず、大通りに近い家であったから、通行する者がだらしない声で、何とかかとか、有る名でないような名を呼び合って何人もの行く物音がするのであった。こんな未明の街で見る行商人などというものは、頭へ物を載せているのが鬼のようであると聞いたが、そうした者が通って行くらしいと、泊まり馴れない小家に寝た薫はおもしろくも思った。
  宿直した侍も門をあけて出て行く音がした。また夜番をした者などが部屋へ寝にはいったらしい音を聞いてから、薫は人を呼んで車を妻戸の所へ寄せさせた。そして姫君を抱いて乗せた。家の人たちはだれも皆結婚の翌朝のこうしたことをあっけないように言って騒ぎ、
  「それに結婚に悪い月の九月でしょう。心配でなりません、どうしたことでしょう」
  とも言うのを、弁は気の毒に思い、「すぐおつれになるなどとは意外なことに違いありませんが、
  殿様にはお考えがあることでしょう。心配などはしないほうがいいのですよ。九月でも明日が節分になっていますから」
  と慰めていた。この日は十三日であった。尼は、
  「今度はごいっしょにまいらないことにいたしましょう。二条の院の奥様が私のまいったことをお聞きになることもあるでしょうから、伺わないわけにはまいりません。そっと来てそっと帰ったなどとお思われましても義理が立ちません」
  と言い、同行をしようとしないのであったが、すぐに中の君に今度のことを聞かれるのも心恥ずかしいことに薫は思い、
  「それはまたあとでお目にかかってお詫びをすればいいではありませんか。あちらへ行って知っている者がそばにいないでは心細い所ですからね。ぜひおいでなさい」
  と薫はいっしょにここを出ていくように勧めた。そして、
  「だれかお付きが一人来られますか」
  と言ったので、姫君の始終そばにいる侍従という女房が行くことになり、尼君はそれといっしょに陪乗した。姫君の乳母や、尼の供をして来た童女なども取り残されて茫然としていた。
  近いどこかの場所へ行くことかと侍従などは思っていたが、宇治へ車は向かっているのであった。途中で付け変える牛の用意も薫はさせてあった。河原を過ぎて法性寺のあたりを行くころに夜は明け放れた。
  若い侍従はほのかに宇治で見かけた時から美貌な薫に好意を持っていたのであるから、だれが見て何と言おうとも意に介しない覚悟ができていた。姫君ははなはだしい衝動を受けたあとで、失心したようにうつ伏しになっていたのを、
  「石の多い所は、そうしていれば苦しいものですよ」
  と言い、薫は途中から抱きかかえた。薄物の細長を中に掛けて隔ては作ってあったが、はなやかに出た朝日の光に前方も後方もあらわに見えるようになってからは、弁は自身の尼姿が恥じられるとともに、薫を良人として大姫君のいで立って行くこうした供をする日を期していたにもかかわらず、その女王は亡くなってしまい、長生きをした咎に意外な姫君と薫の同車する片端にいることになったと思われることで悲しくなり、隠そうとするのであるが悲しい表情の現われて、泣きもするのを侍従は憎らしがった。縁起を祝う結婚の初めに、尼姿で同車して来たのさえ不都合であるのに、涙目まで見せるではないかと蔑んだ。弁の感情がどう細かに動いているかも知らず、老人は泣き虫であるからしかたがないと思うからである。
  薫も姫君を愛すべき人とは見ているのであるが、秋の空の気配にも昔の恋しさがつのり山を深く行くに従って霧が立ち渡っているように視野をさえぎる涙を覚えた。外をながめながら後ろの板へよりかかっていた薫の重なった袖が、長く外へ出ていて、川霧に濡れ、紅い下の単衣の上へ、直衣の縹の色がべったり染まったのを、車の落とし掛けの所に見つけて薫は中へ引き入れた。
  かたみぞと見るにつけても朝霧の
  所せきまで濡るる袖かな
  この歌を心にもなく薫が口に出したのを聞いていて尼は袖を絞るほどにも涙で濡らしていた。若い侍従は奇怪な現象である、うれしいはずの晴れの旅ではないかと不快がっていた。おさえ切れぬらしい弁の忍び泣きの声を聞いていて、自身も涙をすすり上げた薫は、新婦がどう思うことであろうと心苦しくなって、
  「長い間この路を通って行ったものだと思うと、なんということなしに身にしむものが覚えられますよ。少し起き上がってこの辺の山の景色なども御覧なさい。あまりに引っ込んでばかりいるではありませんか」
  と、慰めるように言って、しいて身体を起こさせると、姫君は美しい形に扇で顔をさし隠しながら、恥ずかしそうにあたりを見まわした目つきなどは総角の姫君を思い出させるのに十分であったが、おおように過ぎてたよりないところがこの人にはあって、あぶなっかしい気がされなくもなかった。若々しくはありながら自己を護る用意の備わった人であったのをこれに比べて思うことによって、昔を思う薫の悲しみは大空をさえもうずめるほどのものになった。
  山荘へ着いた時に薫は、
  その人でない新婦を伴って来たことを、この家にとまっているかもしれぬ故人の霊に恥じたが、こんなふうに体面も思わぬような恋をすることになったのはだれのためでもない、昔が忘れられないからではないか
  などと思い続けて、家へはいってからは新婦をいたわる心でしばらく離れていた。女は母がどう思うであろうと歎かわしい心を、艶な風采の人からしんみりと愛をささやかれることに慰めて車から下りて来たのであった。
  尼君は主人たちの寝殿の戸口へは下りずに、別な廊のほうへ車をまわさせて下りたのを、それほど正式にせずともよい山荘ではないかと薫は思ったのであった。荘園のほうからは例のように人がたくさん来た。薫の食事はそちらから運ばれ、姫君のは弁の尼が調じて出した。山中の途は陰気であったが山荘のながめは晴れ晴れしかった。
  自然の川をも山をも巧みに取り扱った新しい庭園をながめて、昨日までの仮住居の退屈さが慰められる姫君であったが、どう自分を待遇しようとする大将なのであろうとその点が不安でならなかった。
  薫は京へ手紙を書いていた。
  未完成でした仏堂の装飾などについて、いろいろ指図を要することがありまして、昨夜はそれに時を費やし、また今日はそれを備えつけるのに吉日でしたから、急に宇治へ出かけたのでした。ここまで来ますと疲れが出ましたのとともに、謹慎日であることに気がついたものですから、明日までずっと滞留することにしようと思います。
  というような文意で、母宮へも、夫人の宮へも書かれたのである。
  部屋着になって、直衣姿の時よりももっと艶に見える薫のはいって来たのを見ると、姫君は恥ずかしくなったが、顔を隠すこともできずそのままでいた。母の夫人の作らせた美服をいろいろと重ねて着ているが、少し田舎風なところが混じって見えるのにも、昔の恋人が着古したものを着ながらも貴女らしい艶なところの多かったことの思い出される薫であった。
  姫君の髪の裾はきわだって品よく美しかった。女二の宮のお髪のすばらしさにも劣らないであろう
  と薫は思った。そんなことから、
  この人をどう取り扱うべきであろう、今すぐに妻の一人としてどこかの家へ迎えて住ませることは、世間から非難を受けることであろうし、そうかといって他の侍妾らといっしょに女房並みに待遇しては自分の本意にそむくなどと思われて心を苦しめていたが、当分は山荘へこのまま隠しておこう
  と思うようになった。しかし始終逢うことができないでは物足らず寂しいであろうと考えられ、愛着の覚えられるままにこまやかに将来を誓いなどしてその日を暮らした。八の宮のことも話題にして、昔の話もこまごまと語って聞かせ、戯れもまた言ってみるのであったが、女はただ恥ずかしがってばかりいて、何も言わぬのを物足らず薫は思ったが、
  欠点らしくは見えても、こうしたたよりないところのあるのは、よく教育していけばよいのである、田舎風に洒落たところができていて、品悪く蓮葉であれば、人型もまた無用とするかもしれないのである
  と思い直しもした。
  山荘に備えつけてあった琴や十三絃を出させて、こうしたたしなみはましてないであろうと残念な気のする薫は一人で弾きながら、
  宮がお亡れになったのち、この家で楽器などというものに久しく手を触れたことがなかった
  と、自身の爪音さえも珍しく思われ、なつかしい絃声を手探りで出し、目は昔の夢を見るように外へ注いでいるうちに、月も出てきた。
  宮の琴の音は、音量の豊かなものではなかったが、美しい声が出て身にしむところがあった
  と思い、
  「あなたが宮様もお姉様もおいでになったころに、ここで大人になっていたら、あなたの価値はもっとりっぱになっていたでしょうね。宮様の御様子は子でない私でさえ始終恋しく思い出されるのですよ。どうしてあなたは遠い国などから長く帰れなかったのだろう」
  薫のこう言うのを恥ずかしく聞いて、手で白い扇をもてあそびながら横たわっている姫君の顔色は、透くように白くて、艶な額髪の所などが総角の姫君をよく思い出させ、薫は心の惹かれるのを覚えた。ほかの教育はともかく、こうした音楽などは自分の手で教えて行きたいと薫は思い、
  「こんなものを少しやってみたことがありますか。吾が妻という琴などは弾いたでしょう」
  などと問うてみた。
  「そうしたやまと言葉も使い馴れないのですもの、まして音楽などは」
  姫君はこう答えた。機智もありそうには見えた。この山荘に置いて、思いのままに来て逢うことのできないのを今すでに薫は苦痛と覚えるのは深く愛を感じているからなのであろう。楽器は向こうへ押しやって、
  「楚王台上夜琴声」
  と薫が歌い出したのを、姫君の上に描いていた美しい夢が現実のことになったように侍従は聞いて思っていた。その詩は前の句に「斑女閨中秋扇色」という女の悲しい故事の言われてあることも知らない無学さからであったのであろう。悪いものを口にしたと薫はあとで思った。
  尼君のほうから菓子などが運ばれてきた。箱の蓋へ楓や蔦の紅葉を敷いてみやびやかに菓子の盛られてある下の紙に、書いてある字が明るい月光で目についたのを、よく読もうと顔を寄せているのが、食欲が急に起こったように他からは見えておかしかった。
  やどり木は色変はりぬる秋なれど
  昔おぼえて澄める月かな
  と古風に書かれてある歌の心に、薫は羞恥を覚え、哀れも感じて、
  里の名も昔ながらに見し人の
  面がはりせる閨の月かげ
  返事ともなくこう口ずさんでいたのを、侍従が弁の尼へ伝えたそうである。
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年8月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年9月7日

かの大将殿は、例の、秋深くなりゆくころ】- 薫の宇治行きは慣例化。
宇治の御堂造り果てつ」と聞きたまふに】- 故八宮の寝殿を解体して阿闍梨の山寺の御堂に造り変えて寄進した。「宿木」巻(第七章第二段)に語られている。
寝殿、こたみはいと晴れ晴れしう造りなしたり】- 旧寝殿は解体して山寺に寄進。改めて寝殿を新築した。
この宮も】- 故八宮。
さま変へてけるも】- 寝殿の様子をいう。『完訳』は「往時の面影をとどめないのが残念」と注す。
もとありし御しつらひは】- 元の建物は寝殿の西面と母屋が仏間で西廂間が八宮の居間であった。「椎本」巻に語られている。
今片つ方を女しく】- 寝殿の東廂間が姫君たちの部屋であった。
ことさらになさせたまへり】- 『集成』は「〔供養のため〕特に役立てるようになさった」と注す。
いたう】- いたう--い(い/+た)う
絶え果てぬ清水になどか亡き人の--面影をだにとどめざりけむ】- 薫の独詠歌。「亡き人」は八宮や大君。
絶え果てぬ清水になどか亡き人の--面影をだにとどめざりけむ】- 薫の独詠歌。「亡き人」は八宮や大君。
いと悲しと見たてまつるに】- 弁尼が薫を悲しい気持ちで拝する。
かの人は】- 以下「伝へ果てたまへ」まで、薫の詞。「かの人」は浮舟をさしていう。
一日、かの母君の】- 以下「なむとはべりし」まで、弁尼の詞。
忌違ふとて】- 方違いをするといって。
すこし近きほどならましかば】- 宇治が京から近い所であったなら。反実仮想の構文。
人びとのかく】- 以下「あはれになむ」まで、薫の詞。
まろこそ古りがたく分け来れ】- 『集成』は「「まろ」は、親しい間で用いる一人称」。『完訳』は「自分だけはいつまでも昔を忘れず踏み分けてやって来る意。大君への絶えざる追慕をいう。それを「--契り」と、宿世ゆえとする」と注す。
さらば、その心やすからむ所に】- 以下「出でたまはぬ」まで、薫の詞。浮舟の隠れ家をさしていう。
みづからやは】- 弁尼自身で、の意。「やは」疑問、依頼の意。
仰せ言を】- 以下「え参らぬを」まで、弁尼の詞。
宮にだに】- 匂宮邸。
などてか】- 以下「尊からめ」まで、薫の詞。
人の願ひを】- 「人」は一般の人、凡人をさす。
人渡すことも】- 以下「出でまうで来れ」まで、弁尼の心中の思い。『異本紫明抄』は「人わたすことだになきを何しかも長柄の橋と身のなりぬらむ」(後撰集雑一、一一一七、七条后)を指摘。「人渡す」は衆生済度の和訳。
人渡すこと】- 人渡すことだになきを何しかも長柄の橋と身のなりぬらむ
なほ、よき折なるを】- 薫の詞。
明後日ばかり】- 以下「ひがわざすまじくを」まで、薫の詞。
たてまつらむ】- たてまつらむ--たてまつれ(れ/#ら)ん
いかに思すことならむ】- 弁尼の心中。薫の考えをいぶかしがる。
奥なく】- 以下「包みたまふらむ」まで、弁尼の心中。
わが御ためにも】- 薫御自身のためにも。
さらば、承りぬ】- 以下「慎ましくてなむ」まで、弁尼の詞。
近きほどにこそ】- 下に「おはすれ」などの語句が省略。浮舟は薫の三条宮邸の近くの隠れ家にいます、の意。
ほどにこそ】- ほどにこそ--程に(に/+こそ<朱>)
御文などを見せさせたまへかし】- 『完訳』は「前もって薫から浮舟に手紙を遣わしてほしいとする。尼の身で媒に積極的になりすぎるのを憚る」と注す。三条西家本には仮名で「おほむふみ」とある。
伊賀専女にや】- 言葉巧みに媒をする老女、の意。
文は、やすかるべきを】- 以下「荒々しげなめり」まで、薫の詞。
右大将は、常陸守の娘をなむよばふなる】- 噂として言うだろうことを仮想して言う。
その守の主】- 常陸介。『集成』は「「ぬし」は軽い敬語」と注す。
いとほしと思ふ】- 『集成』は「お気の毒にと思う。大君追慕のあまり、常陸の介ごとき者の継子に執心するのもいたわしく思う」と注す。
暗うなれば出でたまふ】- 薫、宇治の山荘を出る。
折らせたまひて、宮に御覧ぜさせたまふ】- 「せ」使役の助動詞。「宮」は正室の女二宮。
甲斐なからず】- 女二宮との結婚の甲斐。
かしこまり置きたるさまにて、いたうも馴れきこえたまはずぞあめる】- 語り手の推測を交えた叙述。『完訳』は「薫は、畏れ敬って遇するが、打ち解けて親しみ申さない。薫の捨てがたい大君執心ゆえ」と注す。
内裏より、ただの親めきて、入道の宮にも聞こえたまへば】- 女二宮の父帝からも薫の母入道の宮にも、の意。帝と入道の宮は兄妹の関係。「ただの親めきて」は挿入句。
こなたかなたと、かしづききこえたまふ宮仕ひに添へて】- こちら薫の母入道の宮とあちら父帝から大切に後見申される女二宮への奉仕に加えて。薫には女二宮との結婚が「宮仕え」と意識される。
むつかしき私の心の添ひたるも】- 浮舟への執心。「私の心」と対比される。
のたまひしまだつとめて】- 約束した日の早朝。前に「明後日ばかり」とあった日。
遣はす】- 宇治へ弁尼を迎えに遣わす。
荘の者ども】- 以下「つけよ」まで、薫が使者に言った詞。
のたまへりければ】- 主語は薫。
乗りぬ】- 主語は弁尼。
来着きける】- 弁尼、浮舟の隠れ家に着く。
かくなむ、参り来つる】- 弁尼が案内の男に言わせた詞。
初瀬の供にありし若人】- 浮舟の初瀬詣でに従っていた若い女房。
うれしくて呼び入れたまひて】- 主語は浮舟。
親と聞こえける人の御あたりの人と】- 父八宮に近侍した人、弁尼。
睦ましきなるべし】- 語り手の浮舟の心中を推量した叙述。
あはれに、人知れず】- 以下「思ひたまへおこしてなむ」まで、弁尼の詞。
見たてまつりしのちよりは】- 浮舟を。
思ひ出できこえぬ折なけれど】- 浮舟を。
かの宮に】- 中君のいる匂宮邸。
めでたしと見おききこえてし人】- 薫をさす。二条院で拝見した。
忘れぬさまにのたまふらむも】- 主語は薫。薫が浮舟を。
かく思したばかるらむと】- 「かく」は以下の薫の来訪をさす。
宇治より人参れり」と】- 三条の浮舟の隠れ家に来ている弁尼のもとに、宇治から使者が来た、と言わせる。
さにやあらむ】- 弁尼、薫の使者かと合点する。
引き入るなる】- 「なる」は伝聞推定の助動詞。浮舟の女房の認知。臨場感ある表現。
あやし」と思ふに】- 『完訳』は「使者なら馬が当然なのに、車なので身分の高い人の来訪かと、浮舟づきの女房が不審がる」と注す。
尼君に、対面賜はらむ】- 薫が荘園の管理人に言わせた詞。
雨すこしうちそそくに、風はいと冷やかに吹き入りて】- 湿気と微風によって薫の薫香が一際香る。
かうなりけり」と】- 「心騒ぎて」にかかる。
誰れも誰れも】- 以下「ほどなれば」まで、挿入句。
いかなることにかあらむ】- 女房の詞。
心やすき所にて】- 以下「とてなむ」まで、薫が供人に言わせた詞。
いかに聞こゆべきことにか】- 浮舟の心中。
しかおはしましたらむを】- 以下「近きほどなれば」まで、乳母の詞。
かの殿に】- 常陸介邸にいる浮舟母に。
近きほどなれば】- 浮舟の三条の隠れ家は常陸介邸に近い距離にある。
うひうひしく】- 以下「うちとけたまはじ」まで、弁尼の詞。『完訳』は「それでは女君が幼い人のようではないか、の気持。以下、今さら母君との相談など不要だとする」と注す。
たまはむは】- たまはむは--給はんと(と/$は<朱>)
あやしきまで心のどかに、もの深うおはする君なれば】- 薫の性格。不思議なほど気長で思慮深い人。
人の許し】- 浮舟の承諾、同意。
家の辰巳の隅の】- 以下「心はうたてあれ」まで、宿直人の声。
佐野のわたりに家もあらなくに】- 薫の口ずさみ。『奥入』は「苦しくも降り来る雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」(万葉集巻三、長奥麻呂)を指摘。
佐野のわたりに家もあらなくに】- 苦しくも降り来る雨か三輪の崎佐野のわたりに家もあらなくに
さしとむる葎やしげき東屋の--あまりほど降る雨そそきかな】- 薫の独詠歌。催馬楽「東屋」の歌詞を踏まえる。
東屋の--あまりほど降る雨そそきかな】- 東屋の 真屋のあまりの その 雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ (かすがひ)も (とざし)もあらばこそ その殿戸 我鎖さめ おし開いて来ませ 我や人妻
さしとむる葎やしげき東屋の--あまりほど降る雨そそきかな】- 薫の独詠歌。催馬楽「東屋」の歌詞を踏まえる。
東屋の--あまりほど降る雨そそきかな】- 東屋の 真屋のあまりの その 雨そそぎ 我立ち濡れぬ 殿戸開かせ (かすがひ)も (とざし)もあらばこそ その殿戸 我鎖さめ おし開いて来ませ 我や人妻
東の里人も】- 宿直人などをさす。
心やすくしも対面したまはぬを】- 主語は浮舟。
遣戸といふもの鎖して、いささか開けたれば】- 遣戸は高貴な人の邸宅では用いない建具。「といふもの」は薫の気持ちに即した叙述。閉めてあった遣戸を少し開けた、という文脈。
飛騨の工も】- 以下「まだ居ならはず」まで、薫の詞。
いかがしたまひけむ】- 挿入句。『全集』は「そのいきさつに立ち入らぬ語り手の推量的な叙述」と注す。
おぼえなき、もののはさまより】- 以下「思ひきこゆる」まで、薫の詞。宇治で垣間見たことをいう。
さるべきにやあらむ】- 前世からの因縁か、の意。口説きの常套句。
とぞ語らひたまふべき】- 『一葉抄』は「双紙の詞也推量したる心也」と指摘。語り手の推量。
人のさま】- 浮舟。相手浮舟の様子、のニュアンス。「女」とはない。
ほどもなう明けぬ心地するに】- 『対校』は「長しとも思ひぞはてぬ昔よりあふ人からの秋の夜なれば」(古今集恋三、六三六、凡河内躬恒)を指摘。
大路近き所に】- 三条大路に近い隠れ家。
おほどれたる声して】- 『完訳』は「間のびした物売りの声」と注す。
おほどれたる】- おほどれたる--おほ(ほ/+と)れたる
名のりをして】- 売り物の名を呼び上げる声がして。
かかる蓬のまろ寝】- 「蓬」は荒れた邸、「まろ寝」は帯も解かずに寝る旅寝。歌語的表現。
かき抱きて乗せたまひつ】- 薫は浮舟を牛車に。
九月にもありけるを】- 以下「いかにしつることぞ」まで、女房の詞。九月は季の末なので、結婚は忌まれた。
おのづから】- 以下「聞きしか」まで、弁尼の詞。
長月は、明日こそ節分と聞きしか】- 長月は明日が秋の季節の末、明後日は立冬。後文に「今日は十三日」とあるので、十四日は秋の末日、十五日は立冬。『集成』は「ここは、明日立冬の前日ゆえ、多少のことはこだわるに及ぶまい、の意か」と注す。
こたみは、え参らじ】- 以下「うたてなむ」まで、弁尼の詞。
宮の上】- 中君。
まだきこのことを】- 早々にこのこと、浮舟を薫が世話するようになったことを。
心恥づかしくおぼえたまひて】- 主語は薫。
それは、のちにも】- 以下「たづきなき所を」まで、薫の詞。『完訳』は「後日でも申し訳が立とう」と訳す。
かしこもしるべなくては】- 宇治の邸をさす。弁尼を宇治へ誘う。
人一人や、はべるべき】- 薫の詞。
この君に】- 浮舟。
侍従】- 浮舟付きの女房。初出。
近きほどにや」と思へば】- 浮舟や侍従などの気持ち。
おはするなりけり】- 「けり」は、初めて気づいた気持ちを表す。
河原過ぎ、法性寺のわたり】- 加茂河原を過ぎ、九条河原の法性寺付近。現在の東福寺あたり。
若き人は】- 浮舟の女房、侍従。
ほのかに見たてまつりて】- 侍従が薫を。『完訳』は「薫の美しい風姿に接して、浮き立つ気分である」と注す。
君ぞ】- 浮舟。
石高きわたりは、苦しきものを】- 薫の詞。大きな石ころのある道、の意。
抱きたまへり】- 薫が浮舟を。
故姫君の御供にこそ】- 以下「見るかな」まで、弁尼の心中。これが大君のお供であったらよかったのに、と思う。
ものの初めに】- 以下「いやめなる」まで、侍従の思い。浮舟の新婚生活に。
形異にて】- 尼姿をいう。
なぞ】- なぞ--(/+な)そ
老いたる者は、すずろに涙もろにあるものぞと、お】- 三光院は「侍従か心を察してかけり」と指摘。『集成』は「草子地」。『完訳』は「弁の複雑な心中を理解しえぬとする」と注す。
君も】- 薫。
空のけしきにつけても、来し方の恋しさ】- 『完訳』は「晩秋の景に、大君追慕が触発される。浮舟を抱きながら、薫は亡き人の面影を追い続ける。彼女はしょせん大君の形代にすぎない」と注す。
霧立ちわたる心地したまふ】- 『完訳』は「宇治に近づくにつれて薫は憂愁に捉えられる。「霧」はその象徴」と注す。
うち眺めて寄りゐたまへる袖の】- 主語は薫。薫の直衣の袖。
重なりながら長やかに】- 薫の直衣の袖と浮舟の袖とが重なって。
御衣の紅なるに、御直衣の花のおどろおどろしう移りたるを】- 一つには薫の下着の袿と上着の直衣が重なって、『集成』は「下のお召し物(袿)が紅なのに、表着の御直衣の花色(薄い藍色)が、ひどく色変りして見えるのを。紅と薄藍の重なったのが、二藍(紫に近い色)に見える」と注す。また一つには浮舟の御衣と薫の直衣が重なって、『完訳』は「浮舟の衣の紅に薫の直衣の花色(縹色)が重なり、二藍色(青みがかった紫色)に見える」と注す。
落としがけ】- 『集成』は「おとしかけ」と清音、『完訳』は「おとしがけ」と濁音。
形見ぞと見るにつけては朝露の--ところせきまで濡るる袖かな】- 薫の独詠歌。『完訳』は「浮舟を亡き大君の形見と見て詠嘆する歌。「露」に涙を響かす」と注す。
形見ぞと見るにつけては朝露の--ところせきまで濡るる袖かな】- 薫の独詠歌。『完訳』は「浮舟を亡き大君の形見と見て詠嘆する歌。「露」に涙を響かす」と注す。
聞きて、いとどしぼるばかり】- 主語は弁尼。「故姫君の御供にこそ」とあったのを受けて「いとど」となる。薫の歌に共感。
若き人】- 侍従。薫の真意を理解していない。
あやしう見苦しき世かな】- 以下「むつかしきこと添ひたる」あたりまで、侍従の心中の思い。『完訳』は「心中叙述がそのまま地の文に続く」と注す。
忍びがたげなる鼻すすり】- 弁尼の鼻水。
聞きたまひて、我も】- 薫をさす。
いかが思ふらむ」といとほしければ】- 薫は浮舟の心中を忖度。
あまたの年ごろ】- 以下「いと埋れたりや」まで、薫の詞。『完訳』は「大君を思い多年通い続けた宇治行を回顧。半ば独り言である」と注す。
かき起こしたまへば】- 薫が浮舟を。
いとよく思ひ出でらるれど】- 浮舟の姿態から薫は亡き大君を思い出す。『集成』は「〔亡き大君に〕とてもよく似ているけれども」。『完訳』は「まったく亡き姫宮を思い起さずにはいられぬ顔だちであるけれども」と訳す。
心もとなかめる】- 推量助動詞「める」の主観的推量は薫と語り手の推測が一体化した表現。
いといたう児めいたるものから】- 以下「ものしたまひしはや」まで、薫の心中。大君の人柄を思う。
行く方なき悲しさは、むなしき空にも】- 『源氏釈』は「我が恋はむなしき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし」(古今集恋一、四八八、読人しらず)を指摘。
行く方なき】- 我が恋は虚しき空に満ちぬらし思ひやれども行く方もなし
満ちぬべかめり】- 「べかめり」は語り手の推測。
あはれ、亡き魂や】- 以下「ものにもあらなくに」まで、薫の感想。亡き大君の霊魂の存在を思う。『完訳』は「大君の亡き魂に見守られている自分であると実感」と注す。
すこし心しらひて、立ち去りたまへり】- 『集成』は「少し気を利かせて。浮舟を休息させるため」と注す。
女は】- 浮舟。「女」という呼称に注意。
語らひたまふに】- 主語は薫。
尼君は、ことさらに降りで、廊にぞ寄するを】- 『完訳』は「薫や浮舟は寝殿の正面に下車、弁は自分の住む廊に車を回す」と注す。
わざと思ふべき】- 以下「あまりなれ」まで、薫の感想。
いぶせさ、慰みぬる心地すれど】- 主語は浮舟。三条あたりの隠れ家生活と比較。
浮きてあやしうおぼゆ】- 『完訳』は「浮舟特有の語「浮き」に注意」と注す。
殿は、京に御文書きたまふ】- 薫は京の母女三宮や正室の女二宮に手紙を書き送る。「殿」のニュアンスについて『集成』は「一家の主人といった語感がある」と注す。
なりあはぬ仏の】- 以下「慎みはべるべき」まで、薫の文。御堂はすでに完成している。ここは内部の仏の飾りについていうものか。
母宮にも姫宮にも】- 薫の母女三宮と正室の女二宮。
うちとけたる御ありさま】- 薫の態度。
恥づかしけれど】- 主語は浮舟。
もて隠す】- もて隠す--△△(△△/#もて)かくす
女の装束】- 浮舟の衣装。
色々にきよくと思ひてし】- 主語は浮舟の母。その思い入れが窺える。
うち混じりてぞ】- 係助詞「ぞ」は、結びの流れ、あるいは省略、文が切れているとみるべきか。
昔のいと萎えばみたりし御姿の、あてになまめかしかりし】- 故大君の生前の姿。
髪の裾の】- 以下「劣るまじかりけり」まで、薫の目に移った浮舟の姿。正室の女二宮と比較。
をかしげさ】- をかしげさ--おかしけ(け/+さ)
宮の】- 薫の正室、女二宮。
この人をいかにもてなして】- 以下「隠してあらむ」まで、薫の心中の思い。浮舟の処遇をめぐって悩む。
かの宮に】- 薫の自邸三条の宮邸。
しばし、ここに隠して】- 浮舟を宇治に。
故宮の御ことも】- 故八宮のこと。
昔物語】- 八宮生前中の話。
いと】- いと--△△(△△/#いと)
あやまりても】- 以下「不用ならまし」まで、薫の心中の思い。
田舎びたるされ心】- 以下「ましかば--不用ならまし」の反実仮想の構文。「品々しからず」「はやりか」は並列の関係。
ましかば】- ましかば--ましかしも(しも/$かはイ)
かかることはた、ましてえせじかし】- 薫の心中の思い。浮舟は楽器を嗜むまい、と想像。
宮亡せたまひてのち】- 以下「手触れざりつかし」まで、薫の心中の思い。「宮」は八宮。
宮の御琴の音の】- 以下「あはれに弾きたまひしはや」まで、薫の心中の思い。故八宮の琴の琴を回想。
昔、誰れも誰れもおはせし世に】- 以下「年ごろへたまひしぞ」まで、薫の詞。八宮や大君の生存中。「ましかば--まし」反実仮想の構文。
親王の御ありさま】- 八宮の人柄。
よその人だに】- 『集成』は「他人の私でさえ」と訳す。
いと恥づかしくて】- 主語は浮舟。
白き扇を】- 『集成』は「骨に白い紙を張った、いはゆる「かはぼり」の扇である。夏扇」と注す。
いとよく思ひ出でられてあはれなり】- 『集成』は「まざまざと亡き人の面影が思い出されて胸が迫ってくる」。『完訳』は「じっさいに亡き姫宮その人を思い出さずにはいられないので、大将は感慨も無量である」と注す。
かやうのことも】- 琴の嗜み。
これは、すこし】- 以下「手ならしたまひけむ」まで、薫の詞。「これ」は後文から東琴と知られる。浮舟が東国育ちなので話題にする。
ほのめかいたまひたりや】- 琴に手を触れる、弾く、の意。
あはれ、吾が妻といふ琴】- 吾が妻、東琴、すなわち和琴。
その大和言葉だに】- 以下「ましてこれは」まで、浮舟の詞。「大和言葉」は和歌の意。和歌さえ知らぬ、まして和琴は知らない、の意。
ここに置きて】- 浮舟を宇治に置いて。
なのめには思さぬなるべし】- 『休聞抄』は「双」と指摘。『完訳』は「薫の浮舟執心。語り手の推測」と注す。
楚王の台の上の夜の琴の声】- 薫の口ずさみ。『和漢朗詠集』中の詩句。夏の白扇のように捨てられた女の話が省略されている。
楚王の台の上の夜の琴の声】- 班女閨中秋扇色 楚王台上夜琴声<班女が(ねや)の中の秋の扇の色 楚王が(うてな)の上の夜の(きん)の声>
いとめでたく、思ふやうなり】- 侍従の感想。薫の口ずさんだ詩句の内容を理解せず、美声に感嘆している。
さるは、扇の色も心おきつべき閨のいにしへをば知らねば】- 以下「後れたるなめるかし」まで、語り手の批評。『万水一露』は「草子の詞也」と指摘。『集成』は「今、浮舟は「白き扇をまさぐりつつ」あるので、不吉な符号に気づくべきなのである。以下、草子地」と注す。
ことこそあれ、あやしくも、言ひつるかな】- 薫の心中の思い。「楚王台上夜琴声」の詩句を口ずさんだことを後悔。
ふつつかに書きたるもの】- 『集成』は「筆太に書いてあるのが。老人らしい太い字」と注す。
くだもの急ぎにぞ見えける】- 『一葉抄』は「双紙地也」と指摘。『評釈』は「字を読み解こうとして、のぞきこむ薫を、「くだものいそぎにぞ見えける」とひやかす」。『集成』は「まるで、くだものを早く欲しがっているように見えた。たわむれに取りなした草子地」と注す。
宿り木は色変はりぬる秋なれど--昔おぼえて澄める月かな】- 弁尼から薫への贈歌。『集成』は「上の句、大君から浮舟に変ったことを暗に言い、月を薫に喩える。「澄める」に「住める」の意を掛ける。去年の秋の、「宿木」を詠み込んだ薫との贈答を踏まえたもの」と注す。
宿り木は色変はりぬる秋なれど--昔おぼえて澄める月かな】- 弁尼から薫への贈歌。『集成』は「上の句、大君から浮舟に変ったことを暗に言い、月を薫に喩える。「澄める」に「住める」の意を掛ける。去年の秋の、「宿木」を詠み込んだ薫との贈答を踏まえたもの」と注す。
恥づかしくもあはれにも】- 浮舟のこと、大君のことを思って複雑な心境である。
里の名も昔ながらに見し人の--面変はりせる閨の月影】- 薫の返歌。「昔」「月」の語句を受けて返す。
里の名も昔ながらに見し人の--面変はりせる閨の月影】- 薫の返歌。「昔」「月」の語句を受けて返す。
わざと返り事とはなくてのたまふ】- ことさら返歌として返した、というのでなく。
侍従なむ伝へけるとぞ】- 侍従が薫の歌を弁尼に。『細流抄』は「例の作者のかける也」と指摘。『集成』は「お側にいた侍従が伝えたとか。語り手の存在を示す草子地」。『完訳』は「侍従が語り手に組み込まれる」と注す。

表示設定 行番号 本文 渋谷栄一訳 与謝野晶子訳 注釈等の記述 見出し 絵入源氏物語の挿絵 著作権 罫線
章段