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18松風
1816044第一章 明石の物語 上洛と老夫婦の別れの秋
181.16145第一段 二条東院の完成、明石に上洛を促す
181.1.16246 (ひんがし)院造(ゐんつく)りたてて、花散里(はなちるさと)()こえし、(うつ)ろはしたまふ。西(にし)(たい)渡殿(わたどの)などかけて、政所(まどころ)家司(けいし)など、あるべきさまにし()かせたまふ。 ひんがしゐんつくりたてて、はなちるさとこえし、うつろはしたまふ。にしたいわたどのなどかけて、まどころけいしなど、あるべきさまにしかせたまふ。
181.1.26347 (ひんがし)(たい)は、明石(あかし)御方(おほんかた)(おぼ)しおきてたり。 ひんがしたいは、あかしおほんかたおぼしおきてたり。
181.1.36448 (きた)(たい)は、ことに(ひろ)(つく)らせたまひて、かりにても、あはれと(おぼ)して、()(すゑ)かけて(ちぎ)(たの)めたまひし(ひと)びと(つど)()むべきさまに、(へだ)(へだ)てしつらはせたまへるしも、なつかしう見所(みどころ)ありてこまかなる。 きたたいは、ことにひろつくらせたまひて、かりにても、あはれとおぼして、すゑかけてちぎたのめたまひしひとびとつどむべきさまに、へだへだてしつらはせたまへるしも、なつかしうみどころありてこまかなる。
181.1.46549 寝殿(しんでん)(ふた)げたまはず、時々渡(ときどきわた)りたまふ御住(おほんす)(どころ)にして、さるかたなる(おほん)しつらひどもし()かせたまへり。 しんでんふたげたまはず、ときどきわたりたまふおほんすどころにして、さるかたなるおほんしつらひどもしかせたまへり。
181.1.56650 明石(あかし)には御消息絶(おほんせうそこた)えず、(いま)はなほ(のぼ)りたまひぬべきことをばのたまへど、(をんな)は、なほ、わが()のほどを(おも)()るに、 あかしにはおほんせうそこたえず、いまはなほのぼりたまひぬべきことをばのたまへど、をんなは、なほ、わがのほどをおもるに、
181.1.66751 「こよなくやむごとなき(きは)(ひと)びとだに、なかなかさてかけ(はな)れぬ(おほん)ありさまのつれなきを()つつ、もの(おも)ひまさりぬべく()くを、まして、(なに)ばかりのおぼえなりとてか、さし()でまじらはむ。この若君(わかぎみ)御面伏(おほんおもてぶ)せに、(かず)ならぬ()のほどこそ(あら)はれめ。たまさかにはひ(わた)りたまふついでを()つことにて、人笑(ひとわら)へに、はしたなきこと、いかにあらむ」 "こよなくやんごとなききはひとびとだに、なかなかさてかけはなれぬおほんありさまのつれなきをつつ、ものおもひまさりぬべくくを、まして、なにばかりのおぼえなりとてか、さしでまじらはん。このわかぎみおほんおもてぶせに、かずならぬのほどこそあらはれめ。たまさかにはひわたりたまふついでをつことにて、ひとわらへに、はしたなきこと、いかにあらん。"
181.1.76852 (おも)(みだ)れても、また、さりとて、かかる(ところ)()()で、(かず)まへられたまはざらむも、いとあはれなれば、ひたすらにもえ(うら)(そむ)かず。(おや)たちも、「げに、ことわり」と(おも)(なげ)くに、なかなか、(こころ)()()てぬ。 おもみだれても、また、さりとて、かかるところで、かずまへられたまはざらんも、いとあはれなれば、ひたすらにもえうらそむかず。おやたちも、"げに、ことわり。"とおもなげくに、なかなか、こころてぬ。
181.26953第二段 明石方、大堰の山荘を修理
181.2.17054 (むかし)母君(ははぎみ)御祖父(おほんおほぢ)中務宮(なかつかさのみや)()こえけるが(らう)じたまひける(ところ)大堰川(おほゐがは)のわたりにありけるを、その御後(おほんのち)、はかばかしうあひ()(ひと)もなくて、(とし)ごろ()れまどふを(おも)()でて、かの(とき)より(つた)はりて宿守(やどもり)のやうにてある(ひと)()()りて(かた)らふ。 むかしははぎみおほんおほぢなかつかさのみやこえけるがらうじたまひけるところおほゐがはのわたりにありけるを、そのおほんのち、はかばかしうあひひともなくて、としごろれまどふをおもでて、かのときよりつたはりてやどもりのやうにてあるひとりてかたらふ。
181.2.27155 ()(なか)(いま)はと(おも)()てて、かかる()まひに(しづ)みそめしかども、(すゑ)()に、(おも)ひかけぬこと()()てなむ、さらに(みやこ)()みか(もと)むるを、にはかにまばゆき人中(ひとなか)、いとはしたなく、田舎(ゐなか)びにける心地(ここち)(しづ)かなるまじきを、(ふる)所尋(ところたづ)ねて、となむ(おも)()る。さるべき(もの)()(わた)さむ。修理(すり)などして、かたのごと人住(ひとす)みぬべくは(つくろ)ひなされなむや」 "なかいまはとおもてて、かかるまひにしづみそめしかども、すゑに、おもひかけぬことてなん、さらにみやこみかもとむるを、にはかにまばゆきひとなか、いとはしたなく、ゐなかびにけるここちしづかなるまじきを、ふるところたづねて、となんおもる。さるべきものわたさん。すりなどして、かたのごとひとすみぬべくはつくろひなされなんや。"
181.2.37256 ()ふ。(あづか)り、 ふ。あづかり、
181.2.47357 「この(とし)ごろ、(らう)ずる(ひと)もものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、下屋(しもや)にぞ(つくろ)ひて宿(やど)りはべるを、この(はる)のころより、(うち)大殿(おほとの)(つく)らせたまふ御堂近(みだうちか)くて、かのわたりなむ、いと気騷(けさわ)がしうなりにてはべる。いかめしき御堂(みだう)ども()てて、(おほ)くの(ひと)なむ、(つく)りいとなみはべるめる。(しづ)かなる御本意(おほんほい)ならば、それや(たが)ひはべらむ」 "このとしごろ、らうずるひともものしたまはず、あやしきやうになりてはべれば、しもやにぞつくろひてやどりはべるを、このはるのころより、うちおほとのつくらせたまふみだうちかくて、かのわたりなん、いとけさわがしうなりにてはべる。いかめしきみだうどもてて、おほくのひとなん、つくりいとなみはべるめる。しづかなるおほんほいならば、それやたがひはべらん。"
181.2.57458 (なに)か。それも、かの殿(との)御蔭(おほんかげ)に、かたかけてと(おも)ふことありて。おのづから、おひおひに(うち)のことどもはしてむ。まづ、(いそ)ぎておほかたのことどもをものせよ」 "なにか。それも、かのとのおほんかげに、かたかけてとおもふことありて。おのづから、おひおひにうちのことどもはしてん。まづ、いそぎておほかたのことどもをものせよ。"
181.2.67559 ()ふ。 ふ。
181.2.77660 「みづから(らう)ずる(ところ)にはべらねど、また()(つた)へたまふ(ひと)もなければ、かごかなるならひにて、(とし)ごろ(かく)ろへはべりつるなり。御荘(みさう)田畠(たはたけ)などいふことの、いたづらに()れはべりしかば、故民部大輔(こみんぶのたいふ)(きみ)(まう)(たま)はりて、さるべき(もの)などたてまつりてなむ、(らう)(つく)りはべる」 "みづかららうずるところにはべらねど、またつたへたまふひともなければ、かごかなるならひにて、としごろかくろへはべりつるなり。みさうたはたけなどいふことの、いたづらにれはべりしかば、こみんぶのたいふきみまうたまはりて、さるべきものなどたてまつりてなん、らうつくりはべる。"
181.2.87761 など、そのあたりの(たくは)へのことどもを(あや)ふげに(おも)ひて、(ひげ)がちにつなしにくき(かほ)を、(はな)などうち(あか)めつつ、はちぶき()へば、 など、そのあたりのたくはへのことどもをあやふげにおもひて、ひげがちにつなしにくきかほを、はななどうちあかめつつ、はちぶきへば、
181.2.97862 「さらに、その()などやうのことは、ここに()るまじ。ただ(とし)ごろのやうに(おも)ひてものせよ。(けん)などはここになむあれど、すべて()(なか)()てたる()にて、(とし)ごろともかくも(たづ)()らぬを、そのことも今詳(いまくは)しくしたためむ」 "さらに、そのなどやうのことは、ここにるまじ。ただとしごろのやうにおもひてものせよ。けんなどはここになんあれど、すべてなかてたるにて、としごろともかくもたづらぬを、そのこともいまくはしくしたためん。"
181.2.107963 など()ふにも、大殿(おほとの)のけはひをかくれば、わづらはしくて、その(のち)(もの)など(おほ)()()りてなむ、(いそ)(つく)りける。 などふにも、おほとののけはひをかくれば、わづらはしくて、そののちものなどおほりてなん、いそつくりける。
181.38064第三段 惟光を大堰に派遣
181.3.18165 かやうに(おも)()るらむとも()りたまはで、(のぼ)らむことをもの()がるも、心得(こころえ)(おぼ)し、「若君(わかぎみ)の、さてつくづくとものしたまふを、(のち)()(ひと)()(つた)へむ、今一際(いまひときは)人悪(ひとわ)ろき(きず)にや」と(おも)ほすに、(つく)()でてぞ、「しかしかの(ところ)をなむ(おも)()でたる」と()こえさせける。「(ひと)()じらはむことを(くる)しげにのみものするは、かく(おも)ふなりけり」と心得(こころえ)たまふ。「口惜(くちを)しからぬ(こころ)用意(ようい)かな」と(おぼ)しなりぬ。 かやうにおもるらんともりたまはで、のぼらんことをものがるも、こころえおぼし、"わかぎみの、さてつくづくとものしたまふを、のちひとつたへん、いまひときはひとわろききずにや。"とおもほすに、つくでてぞ、"しかしかのところをなんおもでたる。"とこえさせける。"ひとじらはんことをくるしげにのみものするは、かくおもふなりけり。"とこころえたまふ。"くちをしからぬこころよういかな。"とおぼしなりぬ。
181.3.28266 惟光朝臣(これみつのあそん)(れい)(しの)ぶる(みち)は、いつとなくいろひ(つか)うまつる(ひと)なれば、(つか)はして、さるべきさまに、ここかしこの用意(ようい)などせさせたまひけり。 これみつのあそんれいしのぶるみちは、いつとなくいろひつかうまつるひとなれば、つかはして、さるべきさまに、ここかしこのよういなどせさせたまひけり。
181.3.38367 「あたり、をかしうて、(うみ)づらに(かよ)ひたる(ところ)のさまになむはべりける」 "あたり、をかしうて、うみづらにかよひたるところのさまになんはべりける。"
181.3.48468 ()こゆれば、「さやうの()まひに、よしなからずはありぬべし」と(おぼ)す。 こゆれば、"さやうのまひに、よしなからずはありぬべし。"とおぼす。
181.3.58569 (つく)らせたまふ御堂(みだう)は、大覚寺(だいかくじ)(みなみ)にあたりて、滝殿(たきどの)(こころ)ばへなど、(おと)らずおもしろき(てら)なり。 つくらせたまふみだうは、だいかくじみなみにあたりて、たきどのこころばへなど、おとらずおもしろきてらなり。
181.3.68670 これは、川面(かはづら)に、えもいはぬ松蔭(まつかげ)に、(なに)のいたはりもなく()てたる寝殿(しんでん)のことそぎたるさまも、おのづから山里(やまざと)のあはれを()せたり。(うち)のしつらひなどまで(おぼ)()る。 これは、かはづらに、えもいはぬまつかげに、なにのいたはりもなくてたるしんでんのことそぎたるさまも、おのづからやまざとのあはれをせたり。うちのしつらひなどまでおぼる。
181.48771第四段 腹心の家来を明石に派遣
181.4.18872 (した)しき(ひと)びと、いみじう(しの)びて(くだ)(つか)はす。(のが)れがたくて、(いま)はと(おも)ふに、年経(としへ)つる(うら)(はな)れなむこと、あはれに、入道(にふだう)心細(こころぼそ)くて一人止(ひとりと)まらむことを(おも)(みだ)れて、よろづに(かな)し。「すべて、など、かく、心尽(こころづ)くしになりはじめけむ()にか」と、(つゆ)のかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。 したしきひとびと、いみじうしのびてくだつかはす。のがれがたくて、いまはとおもふに、としへつるうらはなれなんこと、あはれに、にふだうこころぼそくてひとりとまらんことをおもみだれて、よろづにかなし。"すべて、など、かく、こころづくしになりはじめけんにか。"と、つゆのかからぬたぐひうらやましくおぼゆ。
181.4.28973 (おや)たちも、かかる御迎(おほんむか)へにて(のぼ)(さいは)ひは、(とし)ごろ()ても()めても、(ねが)ひわたりし(こころ)ざしのかなふと、いとうれしけれど、あひ()()ぐさむいぶせさの()へがたう(かな)しければ、夜昼思(よるひるおも)ひほれて、(おな)じことをのみ、「さらば、若君(わかぎみ)をば()たてまつらでは、はべるべきか」と()ふよりほかのことなし。 おやたちも、かかるおほんむかへにてのぼさいはひは、としごろてもめても、ねがひわたりしこころざしのかなふと、いとうれしけれど、あひぐさんいぶせさのへがたうかなしければ、よるひるおもひほれて、おなじことをのみ、"さらば、わかぎみをばたてまつらでは、はべるべきか。"とふよりほかのことなし。
181.4.39074 母君(ははぎみ)も、いみじうあはれなり。(とし)ごろだに、(おな)(いほり)にも()まずかけ(はな)れつれば、まして()れによりてかは、かけ(とど)まらむ。ただ、あだにうち()(ひと)のあさはかなる(かた)らひだに、()なれそなれて、(わか)るるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたる(かしら)つき、(こころ)おきてこそ(たの)もしげなけれど、またさるかたに、「これこそは、()(かぎ)るべき()みかなれ」と、あり()てぬ(いのち)(かぎ)りに(おも)ひて、(ちぎ)()ぐし()つるを、にはかに()(はな)れなむも心細(こころぼそ)し。 ははぎみも、いみじうあはれなり。としごろだに、おないほりにもまずかけはなれつれば、ましてれによりてかは、かけとどまらん。ただ、あだにうちひとのあさはかなるかたらひだに、なれそなれて、わかるるほどは、ただならざめるを、まして、もてひがめたるかしらつき、こころおきてこそたのもしげなけれど、またさるかたに、"これこそは、かぎるべきみかなれ。"と、ありてぬいのちかぎりにおもひて、ちぎぐしつるを、にはかにはなれなんもこころぼそし。
181.4.49175 (わか)(ひと)びとの、いぶせう(おも)(しづ)みつるは、うれしきものから、見捨(みす)てがたき(はま)のさまを、「または、えしも(かへ)らじかし」と、()する(なみ)()へて、袖濡(そでぬ)れがちなり。 わかひとびとの、いぶせうおもしづみつるは、うれしきものから、みすてがたきはまのさまを、"または、えしもかへらじかし。"と、するなみへて、そでぬれがちなり。
181.59276第五段 老夫婦、父娘の別れの歌
181.5.19377 (あき)のころほひなれば、もののあはれ()(かさ)ねたる心地(ここち)して、その()とある(あかつき)に、秋風涼(あきかぜすず)しくて、(むし)()もとりあへぬに、(うみ)(かた)見出(みい)だしてゐたるに、入道(にふだう)(れい)の、後夜(ごや)より(ふか)()きて、(はな)すすりうちして、(おこ)なひいましたり。いみじう言忌(こといみ)すれど、(たれ)(たれ)もいとしのびがたし。 あきのころほひなれば、もののあはれかさねたるここちして、そのとあるあかつきに、あきかぜすずしくて、むしもとりあへぬに、うみかたみいだしてゐたるに、にふだうれいの、ごやよりふかきて、はなすすりうちして、おこなひいましたり。いみじうこといみすれど、たれたれもいとしのびがたし。
181.5.29478 若君(わかぎみ)は、いともいともうつくしげに、夜光(よるひか)りけむ(たま)心地(ここち)して、(そで)よりほかに(はな)ちきこえざりつるを、見馴(みな)れてまつはしたまへる(こころ)ざまなど、ゆゆしきまで、かく、(ひと)(たが)へる()をいまいましく(おも)ひながら、「片時見(かたときみ)たてまつらでは、いかでか()ぐさむとすらむ」と、つつみあへず。 わかぎみは、いともいともうつくしげに、よるひかりけんたまここちして、そでよりほかにはなちきこえざりつるを、みなれてまつはしたまへるこころざまなど、ゆゆしきまで、かく、ひとたがへるをいまいましくおもひながら、"かたときみたてまつらでは、いかでかぐさんとすらん。"と、つつみあへず。
181.5.39579 ()(さき)をはるかに(いの)(わか)()に<BR/>()へぬは()いの(なみだ)なりけり "〔さきをはるかにいのわかに<BR/>へぬはいのなみだなりけり
181.5.49680 いともゆゆしや」 いともゆゆしや。"
181.5.59781 とて、おしのごひ(かく)す。尼君(あまぎみ) とて、おしのごひかくす。あまぎみ
181.5.69882 「もろともに(みやこ)()()このたびや<BR/>ひとり野中(のなか)(みち)(まど)はむ」 "〔もろともにみやここのたびや<BR/>ひとりのなかみちまどはん〕
181.5.79983 とて、()きたまふさま、いとことわりなり。ここら(ちぎ)()はして()もりぬる年月(としつき)のほどを(おも)へば、かう()きたることを(たの)みて、()てし()(かへ)るも、(おも)へばはかなしや。御方(おほんかた) とて、きたまふさま、いとことわりなり。ここらちぎはしてもりぬるとしつきのほどをおもへば、かうきたることをたのみて、てしかへるも、おもへばはかなしや。おほんかた
181.5.810084 「いきてまたあひ()むことをいつとてか<BR/>(かぎ)りも()らぬ()をば(たの)まむ "〔いきてまたあひんことをいつとてか<BR/>かぎりもらぬをばたのまん
181.5.910185 (おく)りにだに」 おくりにだに。"
181.5.1010286 (せち)にのたまへど、方々(かたがた)につけて、えさるまじきよしを()ひつつ、さすがに(みち)のほども、いとうしろめたなきけしきなり。 せちにのたまへど、かたがたにつけて、えさるまじきよしをひつつ、さすがにみちのほども、いとうしろめたなきけしきなり。
181.610387第六段 明石入道の別離の詞
181.6.110488 ()(なか)()てはじめしに、かかる(ひと)(くに)(おも)(くだ)りはべりしことども、ただ(きみ)(おほん)ためと、(おも)ふやうに()()れの(おほん)かしづきも(こころ)にかなふやうもやと、(おも)ひたまへ()ちしかど、()のつたなかりける(きは)(おも)()らるること(おほ)かりしかば、さらに、(みやこ)(かへ)りて、古受領(ふるずりゃう)(しづ)めるたぐひにて、(まづ)しき(いへ)蓬葎(よもぎむぐら)(もと)のありさま(あらた)むることもなきものから、公私(おほやけわたくし)に、をこがましき()(ひろ)めて、(おや)(おほん)なき(かげ)()づかしめむことのいみじさになむ、やがて()()てつる門出(かどで)なりけりと(ひと)にも()られにしを、その(かた)につけては、よう(おも)(はな)ちてけりと(おも)ひはべるに、(きみ)のやうやう大人(おとな)びたまひ、もの(おも)ほし()るべきに()へては、など、かう口惜(くちを)しき世界(せかい)にて(にしき)(かく)しきこゆらむと、(こころ)闇晴(やみは)()なく(なげ)きわたりはべりしままに、仏神(ほとけかみ)(たの)みきこえて、さりとも、かうつたなき()()かれて、山賤(やまがつ)(いほり)には()じりたまはじ、と(おも)心一(こころひと)つを(たの)みはべりしに、 "なかてはじめしに、かかるひとくにおもくだりはべりしことども、ただきみおほんためと、おもふやうにれのおほんかしづきもこころにかなふやうもやと、おもひたまへちしかど、のつたなかりけるきはおもらるることおほかりしかば、さらに、みやこかへりて、ふるずりゃうしづめるたぐひにて、まづしきいへよもぎむぐらもとのありさまあらたむることもなきものから、おほやけわたくしに、をこがましきひろめて、おやおほんなきかげづかしめんことのいみじさになん、やがててつるかどでなりけりとひとにもられにしを、そのかたにつけては、ようおもはなちてけりとおもひはべるに、きみのやうやうおとなびたまひ、ものおもほしるべきにへては、など、かうくちをしきせかいにてにしきかくしきこゆらんと、こころやみはなくなげきわたりはべりしままに、ほとけかみたのみきこえて、さりとも、かうつたなきかれて、やまがついほりにはじりたまはじ、とおもこころひとつをたのみはべりしに、
181.6.210589 (おも)()りがたくて、うれしきことどもを()たてまつりそめても、なかなか()のほどを、とざまかうざまに(かな)しう(なげ)きはべりつれど、若君(わかぎみ)のかう()でおはしましたる御宿世(おほんすくせ)(たの)もしさに、かかる(なぎさ)月日(つきひ)()ぐしたまはむも、いとかたじけなう、(ちぎ)りことにおぼえたまへば、()たてまつらざらむ心惑(こころまど)ひは、(しづ)めがたけれど、この()(なが)()()てし(こころ)はべり。君達(きみたち)は、()()らしたまふべき(ひかり)しるければ、しばし、かかる山賤(やまがつ)(こころ)(みだ)りたまふばかりの御契(おほんちぎ)りこそはありけめ。(てん)()まるる(ひと)の、あやしき()つの(みち)(かへ)るらむ一時(ひととき)(おも)ひなずらへて、今日(けふ)(なが)(わか)れたてまつりぬ。命尽(いのちつ)きぬと()こしめすとも、(のち)のこと(おぼ)しいとなむな。さらぬ(わか)れに、御心動(みこころうご)かしたまふな」と()(はな)つものから、「(けぶり)ともならむ(ゆふ)べまで、若君(わかぎみ)(おほん)ことをなむ、六時(ろくじ)(つと)めにも、なほ(こころ)ぎたなく、うち()ぜはべりぬべき」 おもりがたくて、うれしきことどもをたてまつりそめても、なかなかのほどを、とざまかうざまにかなしうなげきはべりつれど、わかぎみのかうでおはしましたるおほんすくせたのもしさに、かかるなぎさつきひぐしたまはんも、いとかたじけなう、ちぎりことにおぼえたまへば、たてまつらざらんこころまどひは、しづめがたけれど、このながてしこころはべり。きみたちは、らしたまふべきひかりしるければ、しばし、かかるやまがつこころみだりたまふばかりのおほんちぎりこそはありけめ。てんまるるひとの、あやしきつのみちかへるらんひとときおもひなずらへて、けふながわかれたてまつりぬ。いのちつきぬとこしめすとも、のちのことおぼしいとなむな。さらぬわかれに、みこころうごかしたまふな。"とはなつものから、"けぶりともならんゆふべまで、わかぎみおほんことをなん、ろくじつとめにも、なほこころぎたなく、うちぜはべりぬべき。"
181.6.310690 とて、これにぞ、うちひそみぬる。 とて、これにぞ、うちひそみぬる。
181.710791第七段 明石一行の上洛
181.7.110892 御車(おほんくるま)は、あまた(つづ)けむも所狭(ところせ)く、(かた)へづつ()けむもわづらはしとて、御供(おほんとも)(ひと)びとも、あながちに(かく)ろへ(しの)ぶれば、(ふね)にて(しの)びやかにと(さだ)めたり。(たつ)(とき)舟出(ふなで)したまふ。(むかし)(ひと)もあはれと()ひける(うら)朝霧隔(あさぎりへだ)たりゆくままに、いともの(がな)しくて、入道(にふだう)は、心澄(こころす)()つまじく、あくがれ(なが)めゐたり。ここら(とし)()て、(いま)さらに(かへ)るも、なほ(おも)()きせず、尼君(あまぎみ)()きたまふ。 おほんくるまは、あまたつづけんもところせく、かたへづつけんもわづらはしとて、おほんともひとびとも、あながちにかくろへしのぶれば、ふねにてしのびやかにとさだめたり。たつときふなでしたまふ。むかしひともあはれとひけるうらあさぎりへだたりゆくままに、いとものがなしくて、にふだうは、こころすつまじく、あくがれながめゐたり。ここらとして、いまさらにかへるも、なほおもきせず、あまぎみきたまふ。
181.7.210994 「かの(きし)心寄(こころよ)りにし海人舟(あまぶね)の<BR/>(そむ)きし(かた)()(かへ)るかな」 "〔かのきしこころよりにしあまぶねの<BR/>そむきしかたかへるかな〕
181.7.311095 御方(おほんかた) おほんかた
181.7.411196 「いくかへり()きかふ(あき)()ぐしつつ<BR/>浮木(うきぎ)()りてわれ(かへ)るらむ」 "〔いくかへりきかふあきぐしつつ<BR/>うきぎりてわれかへるらん〕
181.7.511297 (おも)(かた)(かぜ)にて、(かぎ)りける日違(ひたが)へず()りたまひぬ。(ひと)見咎(みとが)められじの(こころ)もあれば、(みち)のほども(かろ)らかにしなしたり。 おもかたかぜにて、かぎりけるひたがへずりたまひぬ。ひとみとがめられじのこころもあれば、みちのほどもかろらかにしなしたり。
18211398第二章 明石の物語 上洛後、源氏との再会
182.111499第一段 大堰山荘での生活始まる
182.1.1115100 (いへ)のさまもおもしろうて、(とし)ごろ()つる(うみ)づらにおぼえたれば、所変(ところか)へたる心地(ここち)もせず。(むかし)のこと(おも)()でられて、あはれなること(おほ)かり。(つく)()へたる(らう)など、ゆゑあるさまに、(みづ)(なが)れもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、()みつかばさてもありぬべし。 いへのさまもおもしろうて、としごろつるうみづらにおぼえたれば、ところかへたるここちもせず。むかしのことおもでられて、あはれなることおほかり。つくへたるらうなど、ゆゑあるさまに、みづながれもをかしうしなしたり。まだこまやかなるにはあらねども、みつかばさてもありぬべし。
182.1.2116101 (した)しき家司(けいし)(おほ)(たま)ひて、(おほん)まうけのことせさせたまひけり。(わた)りたまはむことは、とかう(おぼ)したばかるほどに、()ごろ()ぬ。 したしきけいしおほたまひて、おほんまうけのことせさせたまひけり。わたりたまはんことは、とかうおぼしたばかるほどに、ごろぬ。
182.1.3117103 なかなかもの(おも)(つづ)けられて、()てし家居(いへゐ)(こひ)しう、つれづれなれば、かの御形見(おほんかたみ)(きん)()()らす。(をり)の、いみじう(しの)びがたければ、人離(ひとはな)れたる(かた)にうちとけてすこし()くに、松風(まつかぜ)はしたなく(ひび)きあひたり。尼君(あまぎみ)、もの(かな)しげにて()()したまへるに、()()がりて、 なかなかものおもつづけられて、てしいへゐこひしう、つれづれなれば、かのおほんかたみきんらす。をりの、いみじうしのびがたければ、ひとはなれたるかたにうちとけてすこしくに、まつかぜはしたなくひびきあひたり。あまぎみ、ものかなしげにてしたまへるに、がりて、
182.1.4118104 ()()へて一人帰(ひとりかへ)れる山里(やまざと)に<BR/>()きしに()たる松風(まつかぜ)()く」 "〔へてひとりかへれるやまざとに<BR/>きしにたるまつかぜく〕
182.1.5119105 御方(おほんかた) おほんかた
182.1.6120106 故里(ふるさと)()()(とも)()ひわびて<BR/>さへづることを()れか()くらむ」 "〔ふるさとともひわびて<BR/>さへづることをれかくらん〕
182.2121107第二段 大堰山荘訪問の暇乞い
182.2.1122108 かやうにものはかなくて()かし()らすに、大臣(おとど)、なかなか静心(しづこころ)なく(おぼ)さるれば、人目(ひとめ)をもえ(はばか)りあへたまはで、(わた)りたまふを、女君(をんなぎみ)は、かくなむとたしかに()らせたてまつりたまはざりけるを、(れい)の、()きもや()はせたまふとて、消息聞(せうそこき)こえたまふ。 かやうにものはかなくてかしらすに、おとど、なかなかしづこころなくおぼさるれば、ひとめをもえはばかりあへたまはで、わたりたまふを、をんなぎみは、かくなんとたしかにらせたてまつりたまはざりけるを、れいの、きもやはせたまふとて、せうそこきこえたまふ。
182.2.2123109 (かつら)()るべきことはべるを、いさや、(こころ)にもあらでほど()にけり。(とぶ)らはむと()ひし(ひと)さへ、かのわたり(ちか)()ゐて、()つなれば、心苦(こころぐる)しくてなむ。嵯峨野(さがの)御堂(みだう)にも、(かざ)りなき(ほとけ)御訪(おほんとぶ)らひすべければ、(ふつか)三日(みか)ははべりなむ」 "かつらるべきことはべるを、いさや、こころにもあらでほどにけり。とぶらはんとひしひとさへ、かのわたりちかゐて、つなれば、こころぐるしくてなん。さがのみだうにも、かざりなきほとけおほんとぶらひすべければ、ふつかみかははべりなん。"
182.2.3124110 ()こえたまふ。 こえたまふ。
182.2.4125111 (かつら)(ゐん)といふ(ところ)、にはかに(つく)らせたまふと()くは、そこに()ゑたまへるにや」と(おぼ)すに、(こころ)づきなければ、「()(のえ)さへ(あらた)めたまはむほどや、()(どほ)に」と、(こころ)ゆかぬ()けしきなり。 "かつらゐんといふところ、にはかにつくらせたまふとくは、そこにゑたまへるにや。"とおぼすに、こころづきなければ、"のえさへあらためたまはんほどや、どほに。"と、こころゆかぬけしきなり。
182.2.5126112 (れい)の、(くら)(くる)しき御心(みこころ)、いにしへのありさま、名残(なごり)なしと、世人(よひと)()ふなるものを」、(なに)やかやと御心(みこころ)とりたまふほどに、()たけぬ。 "れいの、くらくるしきみこころ、いにしへのありさま、なごりなしと、よひとふなるものを。"、なにやかやとみこころとりたまふほどに、たけぬ。
182.3127113第三段 源氏と明石の再会
182.3.1128114 (しの)びやかに、御前疎(ごぜんうと)きは()ぜで、御心(みこころ)づかひして(わた)りたまひぬ。たそかれ(どき)におはし()きたり。(かり)御衣(おほんぞ)にやつれたまへりしだに、()()らぬ心地(ここち)せしを、まして、さる御心(みこころ)してひきつくろひたまへる御直衣姿(おほんなほしすがた)()になくなまめかしうまばゆき心地(ここち)すれば、(おも)ひむせべる(こころ)(やみ)()るるやうなり。 しのびやかに、ごぜんうときはぜで、みこころづかひしてわたりたまひぬ。たそかれどきにおはしきたり。かりおほんぞにやつれたまへりしだに、らぬここちせしを、まして、さるみこころしてひきつくろひたまへるおほんなほしすがたになくなまめかしうまばゆきここちすれば、おもひむせべるこころやみるるやうなり。
182.3.2129115 めづらしう、あはれにて、若君(わかぎみ)()たまふも、いかが(あさ)(おぼ)されむ。(いま)まで(へだ)てける年月(としつき)だに、あさましく(くや)しきまで(おも)ほす。 めづらしう、あはれにて、わかぎみたまふも、いかがあさおぼされん。いままでへだてけるとしつきだに、あさましくくやしきまでおもほす。
182.3.3130116 大殿腹(おほとのばら)(きみ)をうつくしげなりと、世人(よひと)もて(さわ)ぐは、なほ時世(ときよ)によれば、(ひと)()なすなりけり。かくこそは、すぐれたる(ひと)山口(やまぐち)はしるかりけれ」 "おほとのばらきみをうつくしげなりと、よひともてさわぐは、なほときよによれば、ひとなすなりけり。かくこそは、すぐれたるひとやまぐちはしるかりけれ。"
182.3.4131117 と、うち()みたる(かほ)何心(なにごころ)なきが、愛敬(あいぎゃう)づき、(にほ)ひたるを、いみじうらうたしと(おぼ)す。 と、うちみたるかほなにごころなきが、あいぎゃうづき、にほひたるを、いみじうらうたしとおぼす。
182.3.5132118 乳母(めのと)の、(くだ)りしほどは(おとろ)へたりし容貌(かたち)、ねびまさりて、(つき)ごろの御物語(おほんものがたり)など、()()こゆるを、あはれに、さる塩屋(しほや)のかたはらに()ぐしつらむことを、(おぼ)しのたまふ。 めのとの、くだりしほどはおとろへたりしかたち、ねびまさりて、つきごろのおほんものがたりなど、こゆるを、あはれに、さるしほやのかたはらにぐしつらんことを、おぼしのたまふ。
182.3.6133119 「ここにも、いと里離(さとはな)れて、(わた)らむこともかたきを、なほ、かの本意(ほい)ある(ところ)(うつ)ろひたまへ」 "ここにも、いとさとはなれて、わたらんこともかたきを、なほ、かのほいあるところうつろひたまへ。"
182.3.7134120 とのたまへど、 とのたまへど、
182.3.8135121 「いとうひうひしきほど()ぐして」 "いとうひうひしきほどぐして。"
182.3.9136122 ()こゆるも、ことわりなり。夜一夜(よひとよ)、よろづに(ちぎ)(かた)らひ、()かしたまふ。 こゆるも、ことわりなり。よひとよ、よろづにちぎかたらひ、かしたまふ。
182.4137123第四段 源氏、大堰山荘で寛ぐ
182.4.1138124 (つくろ)ふべき(ところ)(ところ)(あづ)かり、今加(いまくは)へたる家司(けいし)などに(おほ)せらる。(かつら)(ゐん)(わた)りたまふべしとありければ、(ちか)御荘(みさう)(ひと)びと、(まゐ)(あつ)まりたりけるも、皆尋(みなたづ)(まゐ)りたり。前栽(せんさい)どもの()()したるなど、(つくろ)はせたまふ。 つくろふべきところところあづかり、いまくはへたるけいしなどにおほせらる。かつらゐんわたりたまふべしとありければ、ちかみさうひとびと、まゐあつまりたりけるも、みなたづまゐりたり。せんさいどものしたるなど、つくろはせたまふ。
182.4.2139125 「ここかしこの立石(たていし)どもも皆転(みなまろ)()せたるを、(なさ)けありてしなさば、をかしかりぬべき(ところ)かな。かかる(ところ)をわざと(つくろ)ふも、あいなきわざなり。さても()ぐし()てねば、()(とき)もの()く、(こころ)とまる、(くる)しかりき」 "ここかしこのたていしどももみなまろせたるを、なさけありてしなさば、をかしかりぬべきところかな。かかるところをわざとつくろふも、あいなきわざなり。さてもぐしてねば、ときものく、こころとまる、くるしかりき。"
182.4.3140126 など、()(かた)のことものたまひ()でて、()きみ(わら)ひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。 など、かたのことものたまひでて、きみわらひみ、うちとけのたまへる、いとめでたし。
182.4.4141127 尼君(あまぎみ)、のぞきて()たてまつるに、()いも(わす)れ、もの(おも)ひも()るる心地(ここち)してうち()みぬ。 あまぎみ、のぞきてたてまつるに、いもわすれ、ものおもひもるるここちしてうちみぬ。
182.4.5142128 (ひんがし)渡殿(わたどの)(した)より()づる(みづ)(こころ)ばへ、(つくろ)はせたまふとて、いとなまめかしき袿姿(うちきすがた)うちとけたまへるを、いとめでたううれしと()たてまつるに、閼伽(あか)()などのあるを()たまふに、(おぼ)()でて、 ひんがしわたどのしたよりづるみづこころばへ、つくろはせたまふとて、いとなまめかしきうちきすがたうちとけたまへるを、いとめでたううれしとたてまつるに、あかなどのあるをたまふに、おぼでて、
182.4.6143129 尼君(あまぎみ)は、こなたにか。いとしどけなき姿(すがた)なりけりや」 "あまぎみは、こなたにか。いとしどけなきすがたなりけりや。"
182.4.7144130 とて、御直衣召(おほんなほしめ)()でて、たてまつる。几帳(きちゃう)のもとに()りたまひて、 とて、おほんなほしめでて、たてまつる。きちゃうのもとにりたまひて、
182.4.8145131 罪軽(つみかろ)()ほし()てたまへる、(ひと)のゆゑは、御行(おほんおこ)なひのほどあはれにこそ、(おも)ひなしきこゆれ。いといたく(おも)()ましたまへりし御住(おほんす)みかを()てて、()()(かへ)りたまへる(こころ)ざし、(あさ)からず。またかしこには、いかにとまりて、(おも)ひおこせたまふらむと、さまざまになむ」 "つみかろほしてたまへる、ひとのゆゑは、おほんおこなひのほどあはれにこそ、おもひなしきこゆれ。いといたくおもましたまへりしおほんすみかをてて、かへりたまへるこころざし、あさからず。またかしこには、いかにとまりて、おもひおこせたまふらんと、さまざまになん。"
182.4.9146132 と、いとなつかしうのたまふ。 と、いとなつかしうのたまふ。
182.4.10147133 ()てはべりし()を、(いま)さらにたち(かへ)り、(おも)ひたまへ(みだ)るるを、()(はか)らせたまひければ、命長(いのちなが)さのしるしも、(おも)ひたまへ()られぬる」と、うち()きて、「荒磯蔭(あらいそかげ)に、心苦(こころぐる)しう(おも)ひきこえさせはべりし二葉(ふたば)(まつ)も、(いま)(たの)もしき御生(おほんお)(さき)と、(いは)ひきこえさするを、(あさ)()ざしゆゑや、いかがと、かたがた心尽(こころつ)くされはべる」 "てはべりしを、いまさらにたちかへり、おもひたまへみだるるを、はからせたまひければ、いのちながさのしるしも、おもひたまへられぬる。"と、うちきて、"あらいそかげに、こころぐるしうおもひきこえさせはべりしふたばまつも、いまたのもしきおほんおさきと、いはひきこえさするを、あさざしゆゑや、いかがと、かたがたこころつくされはべる。"
182.4.11148134 など()こゆるけはひ、よしなからねば、昔物語(むかしものがたり)に、親王(みこ)()みたまひけるありさまなど、(かた)らせたまふに、(つくろ)はれたる(みづ)(おと)なひ、かことがましう()こゆ。 などこゆるけはひ、よしなからねば、むかしものがたりに、みこみたまひけるありさまなど、かたらせたまふに、つくろはれたるみづおとなひ、かことがましうこゆ。
182.4.12149135 ()()れし(ひと)(かへ)りてたどれども<BR/>清水(しみづ)宿(やど)主人顔(あるじがほ)なる」 "〔れしひとかへりてたどれども<BR/>しみづやどあるじがほなる〕
182.4.13150136 わざとはなくて、()()つさま、みやびかによし、と()きたまふ。 わざとはなくて、つさま、みやびかによし、ときたまふ。
182.4.14151137 「いさらゐははやくのことも(わす)れじを<BR/>もとの主人(あるじ)面変(おもが)はりせる "〔いさらゐははやくのこともわすれじを<BR/>もとのあるじおもがはりせる
182.4.15152138 あはれ」 あはれ。"
182.4.16153139 と、うち(なが)めて、()ちたまふ姿(すがた)、にほひ、()()らず、とのみ(おも)ひきこゆ。 と、うちながめて、ちたまふすがた、にほひ、らず、とのみおもひきこゆ。
182.5154140第五段 嵯峨御堂に出向き大堰山荘に宿泊
182.5.1155141 御寺(みてら)(わた)りたまうて、(つき)ごとの十四(じふし)五日(じふご)晦日(つごもり)()(おこな)はるべき普賢講(ふげんかう)阿弥陀(あみだ)釈迦(さか)念仏(ねんぶつ)三昧(さんまい)をばさるものにて、またまた(くは)(おこな)はせたまふべきことなど、(さだ)()かせたまふ。(だう)(かざ)り、(ほとけ)御具(おほんぐ)など、めぐらし(おほ)せらる。(つき)(あか)きに(かへ)りたまふ。 みてらわたりたまうて、つきごとのじふしじふごつごもりおこなはるべきふげんかうあみださかねんぶつさんまいをばさるものにて、またまたくはおこなはせたまふべきことなど、さだかせたまふ。だうかざり、ほとけおほんぐなど、めぐらしおほせらる。つきあかきにかへりたまふ。
182.5.2156142 ありし()のこと、(おぼ)()でらるる、折過(をりす)ぐさず、かの(きん)御琴(おほんこと)さし()でたり。そこはかとなくものあはれなるに、え(しの)びたまはで、()()らしたまふ。まだ調(しら)べも()はらず、ひきかへし、その折今(をりいま)心地(ここち)したまふ。 ありしのこと、おぼでらるる、をりすぐさず、かのきんおほんことさしでたり。そこはかとなくものあはれなるに、えしのびたまはで、らしたまふ。まだしらべもはらず、ひきかへし、そのをりいまここちしたまふ。
182.5.3157143 (ちぎ)りしに()はらぬ(こと)調(しら)べにて<BR/>()えぬ(こころ)のほどは()りきや」 "〔ちぎりしにはらぬことしらべにて<BR/>えぬこころのほどはりきや〕
182.5.4158144 (をんな) をんな
182.5.5159145 ()はらじと(ちぎ)りしことを(たの)みにて<BR/>(まつ)(ひび)きに()()へしかな」 "〔はらじとちぎりしことをたのみにて<BR/>まつひびきにへしかな〕
182.5.6160146 ()こえ()はしたるも、()げなからぬこそは、()にあまりたるありさまなめれ。こよなうねびまさりにける容貌(かたち)、けはひ、え(おも)ほし()つまじう、若君(わかぎみ)、はた、()きもせずまぼられたまふ。 こえはしたるも、げなからぬこそは、にあまりたるありさまなめれ。こよなうねびまさりにけるかたち、けはひ、えおもほしつまじう、わかぎみ、はた、きもせずまぼられたまふ。
182.5.7161147 「いかにせまし。(かく)ろへたるさまにて()()でむが、心苦(こころぐる)しう口惜(くちを)しきを、二条(にでう)(ゐん)(わた)して、(こころ)のゆく(かぎ)りもてなさば、(のち)のおぼえも罪免(つみまぬか)れなむかし」 "いかにせまし。かくろへたるさまにてでんが、こころぐるしうくちをしきを、にでうゐんわたして、こころのゆくかぎりもてなさば、のちのおぼえもつみまぬかれなんかし。"
182.5.8162148 (おも)ほせど、また、(おも)はむこといとほしくて、えうち()でたまはで、(なみだ)ぐみて()たまふ。(をさな)心地(ここち)に、すこし()ぢらひたりしが、やうやううちとけて、もの()(わら)ひなどして、むつれたまふを()るままに、(にほ)ひまさりてうつくし。(いだ)きておはするさま、()るかひありて、宿世(すくせ)こよなしと()えたり。 おもほせど、また、おもはんこといとほしくて、えうちでたまはで、なみだぐみてたまふ。をさなここちに、すこしぢらひたりしが、やうやううちとけて、ものわらひなどして、むつれたまふをるままに、にほひまさりてうつくし。いだきておはするさま、るかひありて、すくせこよなしとえたり。
183163149第三章 明石の物語 桂院での饗宴
183.1164150第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう
183.1.1165151 またの()(きゃう)(かへ)らせたまふべければ、すこし大殿籠(おほとのご)もり()ぐして、やがてこれより()でたまふべきを、(かつら)(ゐん)(ひと)びと(おほ)(まゐ)(つど)ひて、ここにも殿上人(てんじゃうびと)あまた(まゐ)りたり。御装束(おほんさうぞく)などしたまひて、 またのきゃうかへらせたまふべければ、すこしおほとのごもりぐして、やがてこれよりでたまふべきを、かつらゐんひとびとおほまゐつどひて、ここにもてんじゃうびとあまたまゐりたり。おほんさうぞくなどしたまひて、
183.1.2166152 「いとはしたなきわざかな。かく()あらはさるべき(くま)にもあらぬを」 "いとはしたなきわざかな。かくあらはさるべきくまにもあらぬを。"
183.1.3167153 とて、(さわ)がしきに()かれて()でたまふ。心苦(こころぐる)しければ、さりげなく(まぎ)らはして()ちとまりたまへる戸口(とぐち)に、乳母(めのと)若君抱(わかぎみいだ)きてさし()でたり。あはれなる()けしきに、かき()でたまひて、 とて、さわがしきにかれてでたまふ。こころぐるしければ、さりげなくまぎらはしてちとまりたまへるとぐちに、めのとわかぎみいだきてさしでたり。あはれなるけしきに、かきでたまひて、
183.1.4168154 ()では、いと(くる)しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いと里遠(さととほ)しや」 "では、いとくるしかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いとさととほしや。"
183.1.5169155 とのたまへば、 とのたまへば、
183.1.6170156 (はる)かに(おも)ひたまへ()えたりつる(とし)ごろよりも、(いま)からの(おほん)もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽(こころづ)くしに」 "はるかにおもひたまへえたりつるとしごろよりも、いまからのおほんもてなしの、おぼつかなうはべらんは、こころづくしに。"
183.1.7171157 など()こゆ。若君(わかぎみ)()をさし()でて、()ちたまへるを(した)ひたまへば、ついゐたまひて、 などこゆ。わかぎみをさしでて、ちたまへるをしたひたまへば、ついゐたまひて、
183.1.8172158 「あやしう、もの(おも)()えぬ()にこそありけれ。しばしにても(くる)しや。いづら。など、もろともに()でては、()しみたまはぬ。さらばこそ、人心地(ひとごこち)もせめ」 "あやしう、ものおもえぬにこそありけれ。しばしにてもくるしや。いづら。など、もろともにでては、しみたまはぬ。さらばこそ、ひとごこちもせめ。"
183.1.9173159 とのたまへば、うち(わら)ひて、女君(をんなぎみ)に「かくなむ」と()こゆ。 とのたまへば、うちわらひて、をんなぎみに"かくなん"とこゆ。
183.1.10174160 なかなかもの(おも)(みだ)れて()したれば、とみにしも(うご)かれず。あまり上衆(じゃうず)めかしと(おぼ)したり。(ひと)びともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり()でて、几帳(きちゃう)にはた(かく)れたるかたはら()、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、皇女(みこ)たちといはむにも()りぬべし。 なかなかものおもみだれてしたれば、とみにしもうごかれず。あまりじゃうずめかしとおぼしたり。ひとびともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざりでて、きちゃうにはたかくれたるかたはら、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、みこたちといはんにもりぬべし。
183.1.11175161 帷子引(かたびらひ)きやりて、こまやかに(かた)らひたまふとて、とばかり(かへ)()たまへるに、さこそ(しづ)めつれ、見送(みおく)りきこゆ。 かたびらひきやりて、こまやかにかたらひたまふとて、とばかりかへたまへるに、さこそしづめつれ、みおくりきこゆ。
183.1.12176162 いはむかたなき(さか)りの御容貌(おほんかたち)なり。いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿(おほんすがた)など、「かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫(おほんさしぬき)(すそ)まで、なまめかしう愛敬(あいぎゃう)のこぼれ()づるぞ、あながちなる()なしなるべき。 いはんかたなきさかりのおほんかたちなり。いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにけるおほんすがたなど、"かくてこそものものしかりけれ。"と、おほんさしぬきすそまで、なまめかしうあいぎゃうのこぼれづるぞ、あながちなるなしなるべき。
183.1.13177163 かの、()けたりし蔵人(くらうど)も、(かへ)りなりにけり。靭負尉(ゆげひのじょう)にて、今年(ことし)かうぶり()てけり。(むかし)(あらた)め、心地(ここち)よげにて、御佩刀取(みはかしと)りに()()たり。人影(ひとかげ)()つけて、 かの、けたりしくらうども、かへりなりにけり。ゆげひのじょうにて、ことしかうぶりてけり。むかしあらため、ここちよげにて、みはかしとりにたり。ひとかげつけて、
183.1.14178164 ()(かた)のもの(わす)れしはべらねど、かしこければえこそ。浦風(うらかぜ)おぼえはべりつる(あかつき)寝覚(ねざめ)にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」 "かたのものわすれしはべらねど、かしこければえこそ。うらかぜおぼえはべりつるあかつきねざめにも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて。"
183.1.15179165 と、けしきばむを、 と、けしきばむを、
183.1.16180166 八重立(やへた)(やま)は、さらに島隠(しまがく)れにも(おと)らざりけるを、(まつ)(むかし)のと、たどられつるに、(わす)れぬ(ひと)もものしたまひけるに、(たの)もし」 "やへたやまは、さらにしまがくれにもおとらざりけるを、まつむかしのと、たどられつるに、わすれぬひともものしたまひけるに、たのもし。"
183.1.17181167 など()ふ。 などふ。
183.1.18182168 「こよなしや。(われ)(おも)ひなきにしもあらざりしを」 "こよなしや。われおもひなきにしもあらざりしを。"
183.1.19183169 など、あさましうおぼゆれど、 など、あさましうおぼゆれど、
183.1.20184170 (いま)、ことさらに」 "いま、ことさらに。"
183.1.21185171 と、うちけざやぎて、(まゐ)りぬ。 と、うちけざやぎて、まゐりぬ。
183.2186172第二段 桂院に到着、饗宴始まる
183.2.1187173 いとよそほしくさし(あゆ)みたまふほど、かしかましう()(はら)ひて、御車(おほんくるま)(しり)に、頭中将(とうのちゅうじゃう)兵衛督乗(ひゃうゑのかみの)せたまふ。 いとよそほしくさしあゆみたまふほど、かしかましうはらひて、おほんくるましりに、とうのちゅうじゃうひゃうゑのかみのせたまふ。
183.2.2188174 「いと軽々(かるがる)しき(かく)()()あらはされぬるこそ、ねたう」 "いとかるがるしきかくあらはされぬるこそ、ねたう。"
183.2.3189175 と、いたうからがりたまふ。 と、いたうからがりたまふ。
183.2.4190176 昨夜(よべ)(つき)に、口惜(くちを)しう御供(おほんとも)(おく)れはべりにけると(おも)ひたまへられしかば、今朝(けさ)(きり)()けて(まゐ)りはべりつる。(やま)(にしき)は、まだしうはべりけり。野辺(のべ)(いろ)こそ、(さか)りにはべりけれ。なにがしの朝臣(あそん)の、小鷹(こたか)にかかづらひて、()(おく)れはべりぬる、いかがなりぬらむ」 "よべつきに、くちをしうおほんともおくれはべりにけるとおもひたまへられしかば、けさきりけてまゐりはべりつる。やまにしきは、まだしうはべりけり。のべいろこそ、さかりにはべりけれ。なにがしのあそんの、こたかにかかづらひて、おくれはべりぬる、いかがなりぬらん。"
183.2.5191177 など()ふ。 などふ。
183.2.6192179 今日(けふ)は、なほ桂殿(かつらどの)に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる御饗応(おほんあるじ)(さわ)ぎて、鵜飼(うかひ)ども()したるに、海人(あま)のさへづり(おぼ)()でらる。 "けふは、なほかつらどのに。"とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなるおほんあるじさわぎて、うかひどもしたるに、あまのさへづりおぼでらる。
183.2.7193180 ()(とま)りぬる君達(きんだち)小鳥(ことり)しるしばかりひき()けさせたる(をぎ)(えだ)など、(つと)にして(まゐ)れり。大御酒(おほみき)あまたたび順流(ずんなが)れて、(かは)のわたり(あや)ふげなれば、()ひに(まぎ)れておはしまし()らしつ。 とまりぬるきんだちことりしるしばかりひきけさせたるをぎえだなど、つとにしてまゐれり。おほみきあまたたびずんながれて、かはのわたりあやふげなれば、ひにまぎれておはしましらしつ。
183.3194181第三段 饗宴の最中に勅使来訪
183.3.1195182 おのおの絶句(ぜく)など(つく)りわたして、(つき)はなやかにさし()づるほどに、大御遊(おほみあそ)(はじ)まりて、いと(いま)めかし。 おのおのぜくなどつくりわたして、つきはなやかにさしづるほどに、おほみあそはじまりて、いといまめかし。
183.3.2196183 ()きもの、琵琶(びは)和琴(わごん)ばかり、(ふえ)ども上手(じゃうず)(かぎ)りして、(をり)()ひたる調子吹(てうしふ)()つるほど、川風吹(かはかぜふ)()はせておもしろきに、月高(つきたか)くさし()がり、よろづのこと()める()のやや()くるほどに、殿上人(てんじゃうびと)(よたり)五人(いつたり)ばかり()れて(まゐ)れり。 きもの、びはわごんばかり、ふえどもじゃうずかぎりして、をりひたるてうしふつるほど、かはかぜふはせておもしろきに、つきたかくさしがり、よろづのことめるのややくるほどに、てんじゃうびとよたりいつたりばかりれてまゐれり。
183.3.3197184 (うへ)にさぶらひけるを、御遊(おほんあそ)びありけるついでに、 うへにさぶらひけるを、おほんあそびありけるついでに、
183.3.4198185 今日(けふ)は、六日(むいか)御物忌明(おほんものいみあ)()にて、かならず(まゐ)りたまふべきを、いかなれば」 "けふは、むいかおほんものいみあにて、かならずまゐりたまふべきを、いかなれば。"
183.3.5199186 (おほ)せられければ、ここに、かう(とま)らせたまひにけるよし()こし()して、御消息(おほんせうそこ)あるなりけり。御使(おほんつかひ)は、蔵人弁(くらうどのべん)なりけり。 おほせられければ、ここに、かうとまらせたまひにけるよしこしして、おほんせうそこあるなりけり。おほんつかひは、くらうどのべんなりけり。
183.3.6200187 (つき)のすむ(かは)のをちなる(さと)なれば<BR/>(かつら)(かげ)はのどけかるらむ "〔つきのすむかはのをちなるさとなれば<BR/>かつらかげはのどけかるらん
183.3.7201188 うらやましう」 うらやましう。"
183.3.8202189 とあり。かしこまりきこえさせたまふ。 とあり。かしこまりきこえさせたまふ。
183.3.9203190 (うへ)御遊(おほんあそ)びよりも、なほ(ところ)からの、すごさ()へたるものの()をめでて、また()(くは)はりぬ。ここにはまうけの(もの)もさぶらはざりければ、大堰(おほゐ)に、 うへおほんあそびよりも、なほところからの、すごさへたるもののをめでて、またくははりぬ。ここにはまうけのものもさぶらはざりければ、おほゐに、
183.3.10204191 「わざとならぬまうけの(もの)や」 "わざとならぬまうけのものや。"
183.3.11205192 と、()ひつかはしたり。()りあへたるに(したが)ひて(まゐ)らせたり。衣櫃二荷(きぬびつふたかけ)にてあるを、御使(おほんつかひ)(べん)はとく(かへ)(まゐ)れば、(をんな)装束(さうぞく)かづけたまふ。 と、ひつかはしたり。りあへたるにしたがひてまゐらせたり。きぬびつふたかけにてあるを、おほんつかひべんはとくかへまゐれば、をんなさうぞくかづけたまふ。
183.3.12206193 久方(ひさかた)(ひかり)(ちか)()のみして<BR/>朝夕霧(あさゆふきり)()れぬ山里(やまざと) "〔ひさかたひかりちかのみして<BR/>あさゆふきりれぬやまざと〕"
183.3.13207194 行幸待(ぎゃうがうま)ちきこえたまふ(こころ)ばへなるべし。「(なか)()ひたる」と、うち()んじたまふついでに、かの淡路島(あはぢしま)(おぼ)()でて、躬恒(みつね)が「(ところ)からか」とおぼめきけむことなど、のたまひ()でたるに、ものあはれなる()()きどもあるべし。 ぎゃうがうまちきこえたまふこころばへなるべし。"なかひたる"と、うちんじたまふついでに、かのあはぢしまおぼでて、みつねが"ところからか"とおぼめきけんことなど、のたまひでたるに、ものあはれなるきどもあるべし。
183.3.14208195 「めぐり()()()るばかりさやけきや<BR/>淡路(あはぢ)(しま)のあはと()(つき) "〔めぐりるばかりさやけきや<BR/>あはぢしまのあはとつき〕"
183.3.15209196 頭中将(とうのちゅうじゃう) とうのちゅうじゃう
183.3.16210197 浮雲(うきぐも)にしばしまがひし月影(つきかげ)の<BR/>すみはつる()ぞのどけかるべき」 "〔うきぐもにしばしまがひしつきかげの<BR/>すみはつるぞのどけかるべき〕
183.3.17211198 左大弁(さだいべん)、すこしおとなびて、故院(こゐん)御時(おほんとき)にも、むつましう(つか)うまつりなれし(ひと)なりけり。 さだいべん、すこしおとなびて、こゐんおほんときにも、むつましうつかうまつりなれしひとなりけり。
183.3.18212199 (くも)(うへ)のすみかを()てて夜半(よは)(つき)<BR/>いづれの(たに)にかげ(かく)しけむ」 "〔くもうへのすみかをててよはつき<BR/>いづれのたににかげかくしけん〕
183.3.19213200 心々(こころごころ)にあまたあめれど、うるさくてなむ。 こころごころにあまたあめれど、うるさくてなん。
183.3.20214201 気近(けぢか)ううち(しづ)まりたる御物語(おほんものがたり)、すこしうち(みだ)れて、千年(ちとせ)見聞(みき)かまほしき(おほん)ありさまなれば、()(のえ)()ちぬべけれど、今日(けふ)さへはとて、(いそ)(かへ)りたまふ。 けぢかううちしづまりたるおほんものがたり、すこしうちみだれて、ちとせみきかまほしきおほんありさまなれば、のえちぬべけれど、けふさへはとて、いそかへりたまふ。
183.3.21215202 (もの)ども品々(しなじな)にかづけて、(きり)()()()()じりたるも、前栽(せんさい)(はな)()えまがひたる(いろ)あひなど、ことにめでたし。近衛府(このゑづかさ)名高(なだか)舎人(とねり)(もの)(ふし)どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「其駒(そのこま)」など(みだ)(あそ)びて、()ぎかけたまふ色々(いろいろ)(あき)(にしき)(かぜ)()きおほふかと()ゆ。 ものどもしなじなにかづけて、きりじりたるも、せんさいはなえまがひたるいろあひなど、ことにめでたし。このゑづかさなだかとねりものふしどもなどさぶらふに、さうざうしければ、〔そのこま〕などみだあそびて、ぎかけたまふいろいろあきにしきかぜきおほふかとゆ。
183.3.22216203 ののしりて(かへ)らせたまふ(ひび)き、大堰(おほゐ)にはもの(へだ)てて()きて、名残(なごり)さびしう(なが)めたまふ。「御消息(おほんせうそこ)をだにせで」と、大臣(おとど)御心(みこころ)にかかれり。 ののしりてかへらせたまふひびき、おほゐにはものへだててきて、なごりさびしうながめたまふ。"おほんせうそこをだにせで。"と、おとどみこころにかかれり。
184217204第四章 紫の君の物語 嫉妬と姫君への関心
184.1218205第一段 二条院に帰邸
184.1.1219206 殿(との)におはして、とばかりうち(やす)みたまふ。山里(やまざと)御物語(おほんものがたり)など()こえたまふ。 とのにおはして、とばかりうちやすみたまふ。やまざとおほんものがたりなどこえたまふ。
184.1.2220207 暇聞(いとまき)こえしほど()ぎつれば、いと(くる)しうこそ。この()(もの)どもの(たづ)()て、いといたう()ひとどめしに、()かされて。今朝(けさ)は、いとなやまし」 "いとまきこえしほどぎつれば、いとくるしうこそ。このものどものたづて、いといたうひとどめしに、かされて。けさは、いとなやまし。"
184.1.3221208 とて、大殿籠(おほとのご)もれり。(れい)の、(こころ)とけず()えたまへど、見知(みし)らぬやうにて、 とて、おほとのごもれり。れいの、こころとけずえたまへど、みしらぬやうにて、
184.1.4222209 「なずらひならぬほどを、(おぼ)(くら)ぶるも、(わる)きわざなめり。(われ)(われ)(おも)ひなしたまへ」 "なずらひならぬほどを、おぼくらぶるも、わるきわざなめり。われわれおもひなしたまへ。"
184.1.5223210 と、(をし)へきこえたまふ。 と、をしへきこえたまふ。
184.1.6224211 ()れかかるほどに、内裏(うち)(まゐ)りたまふに、ひきそばめて(いそ)()きたまふは、かしこへなめり。側目(そばめ)こまやかに()ゆ。うちささめきて(つか)はすを、御達(ごたち)など、(にく)みきこゆ。 れかかるほどに、うちまゐりたまふに、ひきそばめていそきたまふは、かしこへなめり。そばめこまやかにゆ。うちささめきてつかはすを、ごたちなど、にくみきこゆ。
184.2225212第二段 源氏、紫の君に姫君を養女とする件を相談
184.2.1226213 その()は、内裏(うち)にもさぶらひたまふべけれど、()けざりつる()けしきとりに、夜更(よふ)けぬれど、まかでたまひぬ。ありつる御返(おほんかへ)()(まゐ)れり。え()(かく)したまはで、御覧(ごらん)ず。ことに(にく)かるべきふしも()えねば、 そのは、うちにもさぶらひたまふべけれど、けざりつるけしきとりに、よふけぬれど、まかでたまひぬ。ありつるおほんかへまゐれり。えかくしたまはで、ごらんず。ことににくかるべきふしもえねば、
184.2.2227214 「これ、()(かく)したまへ。むつかしや。かかるものの()らむも、(いま)はつきなきほどになりにけり」 "これ、かくしたまへ。むつかしや。かかるもののらんも、いまはつきなきほどになりにけり。"
184.2.3228215 とて、御脇息(おほんけふそく)()りゐたまひて、御心(みこころ)のうちには、いとあはれに(こひ)しう(おぼ)しやらるれば、()をうち(なが)めて、ことにものものたまはず。(ふみ)(ひろ)ごりながらあれど、女君(をんなぎみ)()たまはぬやうなるを、 とて、おほんけふそくりゐたまひて、みこころのうちには、いとあはれにこひしうおぼしやらるれば、をうちながめて、ことにものものたまはず。ふみひろごりながらあれど、をんなぎみたまはぬやうなるを、
184.2.4229216 「せめて、見隠(みかく)したまふ御目尻(おほんまじり)こそ、わづらはしけれ」 "せめて、みかくしたまふおほんまじりこそ、わづらはしけれ。"
184.2.5230217 とて、うち()みたまへる御愛敬(おほんあいぎゃう)所狭(ところせ)きまでこぼれぬべし。 とて、うちみたまへるおほんあいぎゃうところせきまでこぼれぬべし。
184.2.6231218 さし()りたまひて、 さしりたまひて、
184.2.7232219 「まことは、らうたげなるものを()しかば、(ちぎ)(あさ)くも()えぬを、さりとて、ものめかさむほども(はばか)(おほ)かるに、(おも)ひなむわづらひぬる。(おな)(こころ)(おも)ひめぐらして、御心(みこころ)(おも)(さだ)めたまへ。いかがすべき。ここにて(はぐく)みたまひてむや。(ひる)()(よはひ)にもなりにけるを、(つみ)なきさまなるも(おも)()てがたうこそ。いはけなげなる(しも)(かた)も、(まぎ)らはさむなど(おも)ふを、めざましと(おぼ)さずは、()()ひたまへかし」 "まことは、らうたげなるものをしかば、ちぎあさくもえぬを、さりとて、ものめかさんほどもはばかおほかるに、おもひなんわづらひぬる。おなこころおもひめぐらして、みこころおもさだめたまへ。いかがすべき。ここにてはぐくみたまひてんや。ひるよはひにもなりにけるを、つみなきさまなるもおもてがたうこそ。いはけなげなるしもかたも、まぎらはさんなどおもふを、めざましとおぼさずは、ひたまへかし。"
184.2.8233220 ()こえたまふ。 こえたまふ。
184.2.9234221 (おも)はずにのみとりなしたまふ御心(みこころ)(へだ)てを、せめて見知(みし)らず、うらなくやはとてこそ。いはけなからむ御心(みこころ)には、いとようかなひぬべくなむ。いかにうつくしきほどに」 "おもはずにのみとりなしたまふみこころへだてを、せめてみしらず、うらなくやはとてこそ。いはけなからんみこころには、いとようかなひぬべくなん。いかにうつくしきほどに。"
184.2.10235222 とて、すこしうち()みたまひぬ。稚児(ちご)をわりなうらうたきものにしたまふ御心(みこころ)なれば、「()て、(いだ)きかしづかばや」と(おぼ)す。 とて、すこしうちみたまひぬ。ちごをわりなうらうたきものにしたまふみこころなれば、"て、いだきかしづかばや。"とおぼす。
184.2.11236223 「いかにせまし。(むか)へやせまし」と(おぼ)(みだ)る。(わた)りたまふこといとかたし。嵯峨野(さがの)御堂(みだう)念仏(ねんぶつ)など()()でて、(つき)二度(ふたたび)ばかりの御契(おほんちぎ)りなめり。(とし)のわたりには、()ちまさりぬべかめるを、(およ)びなきことと(おも)へども、なほいかがもの(おも)はしからぬ。 "いかにせまし。むかへやせまし。"とおぼみだる。わたりたまふこといとかたし。さがのみだうねんぶつなどでて、つきふたたびばかりのおほんちぎりなめり。としのわたりには、ちまさりぬべかめるを、およびなきこととおもへども、なほいかがものおもはしからぬ。