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4115940第一章 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語
411.16041第一段 紫の上のいない春を迎える
411.1.16142 (はる)(ひかり)()たまふにつけても、いとどくれ(まど)ひたるやうにのみ、御心(みこころ)ひとつは、(かな)しさの(あらた)まるべくもあらぬに、()には、(れい)のやうに(ひと)びと(まゐ)りたまひなどすれど、御心地悩(みここちなや)ましきさまにもてなしたまひて、御簾(みす)(うち)にのみおはします。兵部卿宮渡(ひゃうぶきゃうのみやわた)りたまへるにぞ、ただうちとけたる(かた)にて対面(たいめん)したまはむとて、御消息聞(おほんせうそこき)こえたまふ。 はるひかりたまふにつけても、いとどくれまどひたるやうにのみ、みこころひとつは、かなしさのあらたまるべくもあらぬに、には、れいのやうにひとびとまゐりたまひなどすれど、みここちなやましきさまにもてなしたまひて、みすうちにのみおはします。ひゃうぶきゃうのみやわたりたまへるにぞ、ただうちとけたるかたにてたいめんしたまはんとて、おほんせうそこきこえたまふ。
411.1.26243 「わが宿(やど)(はな)もてはやす(ひと)もなし<BR/>(なに)にか(はる)のたづね()つらむ」 "〔わがやどはなもてはやすひともなし<BR/>なににかはるのたづねつらん〕
411.1.36344 (みや)、うち(なみだ)ぐみたまひて、 みや、うちなみだぐみたまひて、
411.1.46445 ()をとめて()つるかひなくおほかたの<BR/>(はな)のたよりと()ひやなすべき」 "〔をとめてつるかひなくおほかたの<BR/>はなのたよりとひやなすべき〕
411.1.56546 紅梅(こうばい)(した)(あゆ)()でたまへる(おほん)さまの、いとなつかしきにぞ、これより(ほか)()はやすべき(ひと)なくや、と()たまへる。(はな)はほのかに(ひら)けさしつつ、をかしきほどの(にほ)ひなり。御遊(おほんあそ)びもなく、(れい)(かは)りたること(おほ)かり。 こうばいしたあゆでたまへるおほんさまの、いとなつかしきにぞ、これよりほかはやすべきひとなくや、とたまへる。はなはほのかにひらけさしつつ、をかしきほどのにほひなり。おほんあそびもなく、れいかはりたることおほかり。
411.1.66647 女房(にょうばう)なども、(とし)ごろ()にけるは、墨染(すみぞめ)(いろ)こまやかにて()つつ、(かな)しさも(あらた)めがたく、(おも)ひさますべき()なく()ひきこゆるに、()えて、御方々(おほんかたがた)にも(わた)りたまはず。(まぎ)れなく()たてまつるを(なぐさ)めにて、()(つか)うまつれる(とし)ごろ、まめやかに御心(みこころ)とどめてなどはあらざりしかど、時々(ときどき)見放(みはな)たぬやうに(おぼ)したりつる(ひと)びとも、なかなか、かかる(さび)しき御一人寝(おほんひとりね)になりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、(よる)御宿直(おほんとのゐ)などにも、これかれとあまたを、御座(おまし)のあたり()きさけつつ、さぶらはせたまふ。 にょうばうなども、としごろにけるは、すみぞめいろこまやかにてつつ、かなしさもあらためがたく、おもひさますべきなくひきこゆるに、えて、おほんかたがたにもわたりたまはず。まぎれなくたてまつるをなぐさめにて、つかうまつれるとしごろ、まめやかにみこころとどめてなどはあらざりしかど、ときどきみはなたぬやうにおぼしたりつるひとびとも、なかなか、かかるさびしきおほんひとりねになりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、よるおほんとのゐなどにも、これかれとあまたを、おましのあたりきさけつつ、さぶらはせたまふ。
411.26748第二段 雪の朝帰りの思い出
411.2.16849 つれづれなるままに、いにしへの物語(ものがたり)などしたまふ折々(をりをり)もあり。名残(なごり)なき御聖心(おほんひじりごころ)(ふか)くなりゆくにつけても、さしもあり()つまじかりけることにつけつつ、(なか)ごろ、もの(うら)めしう(おぼ)したるけしきの、時々見(ときどきみ)えたまひしなどを(おぼ)()づるに、 つれづれなるままに、いにしへのものがたりなどしたまふをりをりもあり。なごりなきおほんひじりごころふかくなりゆくにつけても、さしもありつまじかりけることにつけつつ、なかごろ、ものうらめしうおぼしたるけしきの、ときどきみえたまひしなどをおぼづるに、
411.2.26950 「などて、(たはぶ)れにても、またまめやかに心苦(こころぐる)しきことにつけても、さやうなる(こころ)()えたてまつりけむ。なに(ごと)もらうらうじくおはせし御心(みこころ)ばへなりしかば、(ひと)(ふか)(こころ)もいとよう見知(みし)りたまひながら、(ゑん)()てたまふことはなかりしかど、(ひと)わたりづつは、いかならむとすらむ」 "などて、たはぶれにても、またまめやかにこころぐるしきことにつけても、さやうなるこころえたてまつりけん。なにごともらうらうじくおはせしみこころばへなりしかば、ひとふかこころもいとようみしりたまひながら、ゑんてたまふことはなかりしかど、ひとわたりづつは、いかならんとすらん。"
411.2.37051 (おぼ)したりしを、すこしにても(こころ)(みだ)りたまひけむことの、いとほしう(くや)しうおぼえたまふさま、(むね)よりもあまる心地(ここち)したまふ。その(をり)のことの(こころ)()り、(いま)(ちか)(つか)うまつる(ひと)びとは、ほのぼの()こえ()づるもあり。 おぼしたりしを、すこしにてもこころみだりたまひけんことの、いとほしうくやしうおぼえたまふさま、むねよりもあまるここちしたまふ。そのをりのことのこころり、いまちかつかうまつるひとびとは、ほのぼのこえづるもあり。
411.2.47152 入道(にふだう)(みや)(わた)りはじめたまへりしほど、その(をり)はしも、(いろ)にはさらに()だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、(おも)ひたまへりしけしきのあはれなりし(なか)にも、雪降(ゆきふ)りたりし(あかつき)()ちやすらひて、わが()()()るやうにおぼえて、(そら)のけしき(はげ)しかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、(そで)のいたう()()らしたまへりけるをひき(かく)し、せめて(まぎ)らはしたまへりしほどの用意(ようい)などを、()もすがら、「(ゆめ)にても、またはいかならむ()にか」と、(おぼ)(つづ)けらる。 にふだうみやわたりはじめたまへりしほど、そのをりはしも、いろにはさらにだしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、おもひたまへりしけしきのあはれなりしなかにも、ゆきふりたりしあかつきちやすらひて、わがるやうにおぼえて、そらのけしきはげしかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、そでのいたうらしたまへりけるをひきかくし、せめてまぎらはしたまへりしほどのよういなどを、もすがら、"ゆめにても、またはいかならんにか。"と、おぼつづけらる。
411.2.57253 (あけぼの)にしも、曹司(ざうし)()るる女房(にょうばう)なるべし、 あけぼのにしも、ざうしるるにょうばうなるべし、
411.2.67354 「いみじうも()もりにける(ゆき)かな」 "いみじうももりにけるゆきかな。"
411.2.77455 ()(こゑ)()きつけたまへる、ただその(をり)心地(ここち)するに、(おほん)かたはらの(さび)しきも、いふかたなく(かな)し。 こゑきつけたまへる、ただそのをりここちするに、おほんかたはらのさびしきも、いふかたなくかなし。
411.2.87556 ()()には雪消(ゆきき)えなむと(おも)ひつつ<BR/>(おも)ひの(ほか)になほぞほどふる」 "〔にはゆききえなんとおもひつつ<BR/>おもひのほかになほぞほどふる〕
411.37657第三段 中納言の君らを相手に述懐
411.3.17758 (れい)の、(まぎ)らはしには、御手水召(みてうづめ)して(おこな)ひしたまふ。(うづ)みたる火起(ひお)こし()でて、御火桶参(おほんひおけまゐ)らす。中納言(ちゅうなごん)(きみ)中将(ちゅうじゃう)(きみ)など、御前近(おまへちか)くて御物語聞(おほんものがたりき)こゆ。 れいの、まぎらはしには、みてうづめしておこなひしたまふ。うづみたるひおこしでて、おほんひおけまゐらす。ちゅうなごんきみちゅうじゃうきみなど、おまへちかくておほんものがたりきこゆ。
411.3.27859 (ひと)寝常(ねつね)よりも(さび)しかりつる(よる)のさまかな。かくてもいとよく(おも)()ましつべかりける()を、はかなくもかかづらひけるかな」 "ひとねつねよりもさびしかりつるよるのさまかな。かくてもいとよくおもましつべかりけるを、はかなくもかかづらひけるかな。"
411.3.37960 と、うちながめたまふ。「(われ)さへうち()てては、この(ひと)びとの、いとど(なげ)きわびむことの、あはれにいとほしかるべき」など、()わたしたまふ。(しの)びやかにうち(おこな)ひつつ、(きゃう)など()みたまへる御声(おほんこゑ)を、よろしう(おも)はむことにてだに(なみだ)とまるまじきを、まして、(そで)のしがらみせきあへぬまであはれに、()()()たてまつる(ひと)びとの心地(ここち)()きせず(おも)ひきこゆ。 と、うちながめたまふ。"われさへうちてては、このひとびとの、いとどなげきわびんことの、あはれにいとほしかるべき。"など、わたしたまふ。しのびやかにうちおこなひつつ、きゃうなどみたまへるおほんこゑを、よろしうおもはんことにてだになみだとまるまじきを、まして、そでのしがらみせきあへぬまであはれに、たてまつるひとびとのここちきせずおもひきこゆ。
411.3.48061 「この()につけては、()かず(おも)ふべきこと、をさをさあるまじう、(たか)()には()まれながら、また(ひと)よりことに、口惜(くちを)しき(ちぎ)りにもありけるかな、と(おも)ふこと()えず。()のはかなく()きを()らすべく、(ほとけ)などのおきてたまへる()なるべし。それをしひて()らぬ(かほ)にながらふれば、かく(いま)はの(ゆふ)(ちか)(すゑ)に、いみじきことのとぢめを()つるに、宿世(すくせ)のほども、みづからの(こころ)(きは)も、(のこ)りなく見果(みは)てて、(こころ)やすきに、(いま)なむ(つゆ)のほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴(めな)らす(ひと)びとの、(いま)はとて()(わか)れむほどこそ、今一際(いまひときは)心乱(こころみだ)れぬべけれ。いとはかなしかし。()ろかりける(こころ)のほどかな」 "このにつけては、かずおもふべきこと、をさをさあるまじう、たかにはまれながら、またひとよりことに、くちをしきちぎりにもありけるかな、とおもふことえず。のはかなくきをらすべく、ほとけなどのおきてたまへるなるべし。それをしひてらぬかほにながらふれば、かくいまはのゆふちかすゑに、いみじきことのとぢめをつるに、すくせのほども、みづからのこころきはも、のこりなくみはてて、こころやすきに、いまなんつゆのほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけにめならすひとびとの、いまはとてわかれんほどこそ、いまひときはこころみだれぬべけれ。いとはかなしかし。ろかりけるこころのほどかな。"
411.3.58162 とて、御目(おほんめ)おしのごひ(かく)したまふに、(まぎ)れず、やがてこぼるる御涙(おほんなみだ)を、()たてまつる(ひと)びと、ましてせきとめむかたなし。さて、うち()てられたてまつりなむが(うれ)はしさを、おのおのうち()でまほしけれど、さもえ()こえず、むせかへりてやみぬ。 とて、おほんめおしのごひかくしたまふに、まぎれず、やがてこぼるるおほんなみだを、たてまつるひとびと、ましてせきとめんかたなし。さて、うちてられたてまつりなんがうれはしさを、おのおのうちでまほしけれど、さもえこえず、むせかへりてやみぬ。
411.3.68263 かくのみ(なげ)()かしたまへる(あけぼの)、ながめ()らしたまへる夕暮(ゆふぐれ)などの、しめやかなる折々(をりをり)は、かのおしなべてには(おぼ)したらざりし(ひと)びとを、御前近(おまへちか)くて、かやうの御物語(おほんものがたり)などをしたまふ。 かくのみなげかしたまへるあけぼの、ながめらしたまへるゆふぐれなどの、しめやかなるをりをりは、かのおしなべてにはおぼしたらざりしひとびとを、おまへちかくて、かやうのおほんものがたりなどをしたまふ。
411.3.78364 中将(ちゅうじゃう)(きみ)とてさぶらふは、まだ(ちひ)さくより()たまひ()れにしを、いと(しの)びつつ()たまひ()ぐさずやありけむ、いとかたはらいたきことに(おも)ひて、()れきこえざりけるを、かく()せたまひて(のち)は、その(かた)にはあらず、(ひと)よりもらうたきものに(こころ)とどめたまへりし(かた)ざまにも、かの御形見(おほんかたみ)(すぢ)につけてぞ、あはれに(おも)ほしける。(こころ)ばせ容貌(かたち)などもめやすくて、うなゐ(まつ)におぼえたるけはひ、ただならましよりは、らうらうじと(おも)ほす。 ちゅうじゃうきみとてさぶらふは、まだちひさくよりたまひれにしを、いとしのびつつたまひぐさずやありけん、いとかたはらいたきことにおもひて、れきこえざりけるを、かくせたまひてのちは、そのかたにはあらず、ひとよりもらうたきものにこころとどめたまへりしかたざまにも、かのおほんかたみすぢにつけてぞ、あはれにおもほしける。こころばせかたちなどもめやすくて、うなゐまつにおぼえたるけはひ、ただならましよりは、らうらうじとおもほす。
411.48465第四段 源氏、面会謝絶して独居
411.4.18566 (うと)(ひと)にはさらに()えたまはず。上達部(かんだちめ)なども、むつましき御兄弟(おほんはらから)(みや)たちなど、(つね)(まゐ)りたまへれど、対面(たいめん)したまふことをさをさなし。 うとひとにはさらにえたまはず。かんだちめなども、むつましきおほんはらからみやたちなど、つねまゐりたまへれど、たいめんしたまふことをさをさなし。
411.4.28667 (ひと)()かはむほどばかりは、さかしく(おも)ひしづめ、心収(こころをさ)めむと(おも)ふとも、(つき)ごろにほけにたらむ()のありさま、かたくなしきひがことまじりて、(すゑ)()(ひと)にもて(なや)まれむ、(のち)()さへうたてあるべし。(おも)ひほれてなむ(ひと)にも()えざむなる、と()はれむも、(おな)じことなれど、なほ(おと)()きて(おも)ひやることのかたはなるよりも、見苦(みぐる)しきことの()()るは、こよなく(きは)まさりてをこなり」 "ひとかはんほどばかりは、さかしくおもひしづめ、こころをさめんとおもふとも、つきごろにほけにたらんのありさま、かたくなしきひがことまじりて、すゑひとにもてなやまれん、のちさへうたてあるべし。おもひほれてなんひとにもえざんなる、とはれんも、おなじことなれど、なほおときておもひやることのかたはなるよりも、みぐるしきことのるは、こよなくきはまさりてをこなり。"
411.4.38768 (おぼ)せば、大将(だいしゃう)(きみ)などにだに、御簾隔(みすへだ)ててぞ対面(たいめん)したまひける。かく、心変(こころがは)りしたまへるやうに、(ひと)()(つた)ふべきころほひをだに(おも)ひのどめてこそはと、(ねん)()ぐしたまひつつ、()()をも(そむ)きやりたまはず。御方々(おほんかたがた)にまれにもうちほのめきたまふにつけては、まづいとせきがたき(なみだ)(あめ)のみ()りまされば、いとわりなくて、いづ(かた)にもおぼつかなきさまにて()ぐしたまふ。 おぼせば、だいしゃうきみなどにだに、みすへだててぞたいめんしたまひける。かく、こころがはりしたまへるやうに、ひとつたふべきころほひをだにおもひのどめてこそはと、ねんぐしたまひつつ、をもそむきやりたまはず。おほんかたがたにまれにもうちほのめきたまふにつけては、まづいとせきがたきなみだあめのみりまされば、いとわりなくて、いづかたにもおぼつかなきさまにてぐしたまふ。
411.4.48869 (きさい)(みや)は、内裏(うち)(まゐ)らせたまひて、(さん)(みや)をぞ、さうざうしき御慰(おほんなぐさ)めには、おはしまさせたまひける。 きさいみやは、うちまゐらせたまひて、さんみやをぞ、さうざうしきおほんなぐさめには、おはしまさせたまひける。
411.4.58970 (ばば)ののたまひしかば」 "ばばののたまひしかば。"
411.4.69071 とて、(たい)御前(おまへ)紅梅(こうばい)は、いと()()きて後見(うしろみ)ありきたまふを、いとあはれと()たてまつりたまふ。 とて、たいおまへこうばいは、いときてうしろみありきたまふを、いとあはれとたてまつりたまふ。
411.4.79172 如月(きさらぎ)になれば、(はな)()どもの(さか)りなるも、まだしきも、(こずゑ)をかしう(かす)みわたれるに、かの御形見(おほんかたみ)紅梅(こうばい)に、(うぐひす)のはなやかに()()でたれば、()()でて御覧(ごらん)ず。 きさらぎになれば、はなどものさかりなるも、まだしきも、こずゑをかしうかすみわたれるに、かのおほんかたみこうばいに、うぐひすのはなやかにでたれば、でてごらんず。
411.4.89273 ()ゑて()(はな)のあるじもなき宿(やど)に<BR/>()らず(がほ)にて()ゐる(うぐひす) "〔ゑてはなのあるじもなきやどに<BR/>らずがほにてゐるうぐひす〕"
411.4.99374 と、うそぶき(あり)かせたまふ。 と、うそぶきありかせたまふ。
411.59475第五段 春深まりゆく寂しさ
411.5.19576 春深(はるふか)くなりゆくままに、御前(おまへ)のありさま、いにしへに(かは)らぬを、めでたまふ(かた)にはあらねど、静心(しづごころ)なく、(なに)ごとにつけても(むね)いたう(おぼ)さるれば、おほかたこの()(ほか)のやうに、(とり)()()こえざらむ(やま)(すゑ)ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ。 はるふかくなりゆくままに、おまへのありさま、いにしへにかはらぬを、めでたまふかたにはあらねど、しづごころなく、なにごとにつけてもむねいたうおぼさるれば、おほかたこのほかのやうに、とりこえざらんやますゑゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ。
411.5.29677 山吹(やまぶき)などの、心地(ここち)よげに()(みだ)れたるも、うちつけに(つゆ)けくのみ()なされたまふ。(ほか)(はな)は、一重散(ひとへち)りて、八重咲(やへさ)花桜盛(はなざくらさか)()ぎて、樺桜(かばざくら)(ひら)け、(ふぢ)(おく)れて(いろ)づきなどこそはすめるを、その(おそ)()(はな)(こころ)をよく()きて、いろいろを()くし()ゑおきたまひしかば、(とき)(わす)れず(にほ)()ちたるに、若宮(わかみや) やまぶきなどの、ここちよげにみだれたるも、うちつけにつゆけくのみなされたまふ。ほかはなは、ひとへちりて、やへさはなざくらさかぎて、かばざくらひらけ、ふぢおくれていろづきなどこそはすめるを、そのおそはなこころをよくきて、いろいろをくしゑおきたまひしかば、ときわすれずにほちたるに、わかみや
411.5.39778 「まろが(さくら)()きにけり。いかで(ひさ)しく()らさじ。()のめぐりに(とばり)()てて、帷子(かたびら)()げずは、(かぜ)もえ()()らじ」 "まろがさくらきにけり。いかでひさしくらさじ。のめぐりにとばりてて、かたびらげずは、かぜもえらじ。"
411.5.49879 と、かしこう(おも)()たり、と(おも)ひてのたまふ(かほ)のいとうつくしきにも、うち()まれたまひぬ。 と、かしこうおもたり、とおもひてのたまふかほのいとうつくしきにも、うちまれたまひぬ。
411.5.59980 (おほ)ふばかりの袖求(そでもと)めけむ(ひと)よりは、いとかしこう(おぼ)()りたまへりしかし」など、この(みや)ばかりをぞもてあそびに()たてまつりたまふ。 "おほふばかりのそでもとめけんひとよりは、いとかしこうおぼりたまへりしかし。"など、このみやばかりをぞもてあそびにたてまつりたまふ。
411.5.610081 (きみ)()れきこえむことも(のこ)(すく)なしや。(いのち)といふもの、(いま)しばしかかづらふべくとも、対面(たいめん)はえあらじかし」 "きみれきこえんことものこすくなしや。いのちといふもの、いましばしかかづらふべくとも、たいめんはえあらじかし。"
411.5.710182 とて、(れい)の、(なみだ)ぐみたまへれば、いとものしと(おぼ)して、 とて、れいの、なみだぐみたまへれば、いとものしとおぼして、
411.5.810283 (ばば)ののたまひしことを、まがまがしうのたまふ」 "ばばののたまひしことを、まがまがしうのたまふ。"
411.5.910384 とて、伏目(ふしめ)になりて、御衣(おほんぞ)(そで)()きまさぐりなどしつつ、(まぎ)らはしおはす。 とて、ふしめになりて、おほんぞそできまさぐりなどしつつ、まぎらはしおはす。
411.5.1010486 (すみ)()高欄(かうらん)におしかかりて、御前(おまへ)(には)をも、御簾(みす)(うち)をも、()わたして(なが)めたまふ。女房(にょうばう)なども、かの御形見(おほんかたみ)色変(いろか)へぬもあり、(れい)(いろ)あひなるも、(あや)などはなやかにはあらず。みづからの御直衣(おほんなほし)も、(いろ)()(つね)なれど、ことさらやつして、無紋(むもん)をたてまつれり。(おほん)しつらひなども、いとおろそかにことそぎて、(さび)しく心細(こころぼそ)げにしめやかなれば、 すみかうらんにおしかかりて、おまへにはをも、みすうちをも、わたしてながめたまふ。にょうばうなども、かのおほんかたみいろかへぬもあり、れいいろあひなるも、あやなどはなやかにはあらず。みづからのおほんなほしも、いろつねなれど、ことさらやつして、むもんをたてまつれり。おほんしつらひなども、いとおろそかにことそぎて、さびしくこころぼそげにしめやかなれば、
411.5.1110587 (いま)はとて()らしや()てむ()(ひと) "〔いまはとてらしやてんひと
411.5.1210688 (こころ)とどめし(はる)垣根(かきね)を」 こころとどめしはるかきねを〕
411.5.1310789 (ひと)やりならず(かな)しう(おぼ)さるる。 ひとやりならずかなしうおぼさるる。
411.610890第六段 女三の宮の方に出かける
411.6.110991 いとつれづれなれば、入道(にふだう)(みや)御方(おほんかた)(わた)りたまふに、若宮(わかみや)(ひと)(いだ)かれておはしまして、こなたの若君(わかぎみ)(はし)(あそ)び、花惜(はなを)しみたまふ(こころ)ばへども(ふか)からず、いといはけなし。 いとつれづれなれば、にふだうみやおほんかたわたりたまふに、わかみやひといだかれておはしまして、こなたのわかぎみはしあそび、はなをしみたまふこころばへどもふかからず、いといはけなし。
411.6.211092 (みや)は、(ほとけ)御前(おまへ)にて、(きゃう)をぞ()みたまひける。(なに)ばかり(ふか)(おぼ)しとれる御道心(おほんだうしん)にもあらざりしかども、この()(うら)めしく御心乱(みこころみだ)るることもおはせず、のどやかなるままに、(まぎ)れなく(おこな)ひたまひて、一方(ひとかた)(おも)(はな)れたまへるも、いとうらやましく、「かくあさへたまへる(をんな)御心(みこころ)ざしにだに(おく)れぬること」と口惜(くちを)しう(おぼ)さる。 みやは、ほとけおまへにて、きゃうをぞみたまひける。なにばかりふかおぼしとれるおほんだうしんにもあらざりしかども、このうらめしくみこころみだるることもおはせず、のどやかなるままに、まぎれなくおこなひたまひて、ひとかたおもはなれたまへるも、いとうらやましく、"かくあさへたまへるをんなみこころざしにだにおくれぬること。"とくちをしうおぼさる。
411.6.311193 閼伽(あか)(はな)の、夕映(ゆふば)えしていとおもしろく()ゆれば、 あかはなの、ゆふばえしていとおもしろくゆれば、
411.6.411294 (はる)心寄(こころよ)せたりし(ひと)なくて、(はな)(いろ)もすさまじくのみ()なさるるを、(ほとけ)御飾(おほんかざ)りにてこそ()るべかりけれ」とのたまひて、「(たい)(まへ)山吹(やまぶき)こそ、なほ()()えぬ(はな)のさまなれ。(ふさ)(おほ)きさなどよ。品高(しなたか)くなどはおきてざりける(はな)にやあらむ、はなやかににぎははしき(かた)は、いとおもしろきものになむありける。()ゑし(ひと)なき(はる)とも()らず(がほ)にて、(つね)よりも(にほ)ひかさねたるこそ、あはれにはべれ」 "はるこころよせたりしひとなくて、はないろもすさまじくのみなさるるを、ほとけおほんかざりにてこそるべかりけれ。"とのたまひて、"たいまへやまぶきこそ、なほえぬはなのさまなれ。ふさおほきさなどよ。しなたかくなどはおきてざりけるはなにやあらん、はなやかににぎははしきかたは、いとおもしろきものになんありける。ゑしひとなきはるともらずがほにて、つねよりもにほひかさねたるこそ、あはれにはべれ。"
411.6.511395 とのたまふ。(おほん)いらへに、 とのたまふ。おほんいらへに、
411.6.611496 (たに)には(はる)も」 "たににははるも。"
411.6.711597 と、何心(なにごころ)もなく()こえたまふを、「ことしもこそあれ、心憂(こころう)くも」と(おぼ)さるるにつけても、「まづ、かやうのはかなきことにつけては、そのことのさらでもありなむかし、と(おも)ふに、(たが)ふふしなくてもやみにしかな」と、いはけなかりしほどよりの(おほん)ありさまを、「いで、(なに)ごとぞやありし」と(おぼ)()づるには、まづ、その(をり)かの(をり)、かどかどしうらうらうじう、(にほ)(おほ)かりし(こころ)ざま、もてなし、(こと)()のみ(おも)(つづ)けられたまふに、(れい)(なみだ)もろさは、ふとこぼれ()でぬるもいと(くる)し。 と、なにごころもなくこえたまふを、"ことしもこそあれ、こころうくも。"とおぼさるるにつけても、"まづ、かやうのはかなきことにつけては、そのことのさらでもありなんかし、とおもふに、たがふふしなくてもやみにしかな。"と、いはけなかりしほどよりのおほんありさまを、"いで、なにごとぞやありし。"とおぼづるには、まづ、そのをりかのをり、かどかどしうらうらうじう、にほおほかりしこころざま、もてなし、ことのみおもつづけられたまふに、れいなみだもろさは、ふとこぼれでぬるもいとくるし。
411.711698第七段 明石の御方に立ち寄る
411.7.111799 夕暮(ゆふぐれ)(かすみ)たどたどしく、をかしきほどなれば、やがて明石(あかし)御方(おほんかた)(わた)りたまへり。(ひさ)しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなき(をり)なれば、うち(おどろ)かるれど、さまようけはひ(こころ)にくくもてつけて、「なほこそ(ひと)にはまさりたれ」と()たまふにつけては、またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそ、ゆゑよしをももてなしたまへりしか」と、(おぼ)(くら)べらるるにも、面影(おもかげ)(こひ)しう、(かな)しさのみまされば、「いかにして(なぐさ)むべき(こころ)ぞ」と、いと(くら)(くる)しう、こなたにては、のどやかに昔物語(むかしものがたり)などしたまふ。 ゆふぐれかすみたどたどしく、をかしきほどなれば、やがてあかしおほんかたわたりたまへり。ひさしうさしものぞきたまはぬに、おぼえなきをりなれば、うちおどろかるれど、さまようけはひこころにくくもてつけて、"なほこそひとにはまさりたれ。"とたまふにつけては、またかうざまにはあらで、"かれはさまことにこそ、ゆゑよしをももてなしたまへりしか。"と、おぼくらべらるるにも、おもかげこひしう、かなしさのみまされば、"いかにしてなぐさむべきこころぞ。"と、いとくらくるしう、こなたにては、のどやかにむかしものがたりなどしたまふ。
411.7.2118100 (ひと)をあはれと(こころ)とどめむは、いと()ろかべきことと、いにしへより(おも)()て、すべていかなる(かた)にも、この()(しふ)とまるべきことなく、(こころ)づかひをせしに、おほかたの()につけて、()のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまに(おも)ひめぐらししに、(いのち)をもみづから()てつべく、野山(のやま)(すゑ)にはふらかさむに、ことなる(さは)りあるまじくなむ(おも)ひなりしを、(すゑ)()に、(いま)(かぎ)りのほど(ちか)()にてしも、あるまじきほだし(おほ)うかかづらひて、(いま)まで()ぐしてけるが、心弱(こころよわ)うも、もどかしきこと」 "ひとをあはれとこころとどめんは、いとろかべきことと、いにしへよりおもて、すべていかなるかたにも、このしふとまるべきことなく、こころづかひをせしに、おほかたのにつけて、のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまにおもひめぐらししに、いのちをもみづからてつべく、のやますゑにはふらかさんに、ことなるさはりあるまじくなんおもひなりしを、すゑに、いまかぎりのほどちかにてしも、あるまじきほだしおほうかかづらひて、いままでぐしてけるが、こころよわうも、もどかしきこと。"
411.7.3119101 など、さして(ひと)(すぢ)(かな)しさにのみはのたまはねど、(おぼ)したるさまのことわりに心苦(こころぐる)しきを、いとほしう()たてまつりて、 など、さしてひとすぢかなしさにのみはのたまはねど、おぼしたるさまのことわりにこころぐるしきを、いとほしうたてまつりて、
411.7.4120102 「おほかたの人目(ひとめ)に、(なに)ばかり()しげなき(ひと)だに、(こころ)のうちのほだし、おのづから(おほ)うはべるなるを、ましていかでかは(こころ)やすくも(おぼ)()てむ。さやうにあさへたることは、かへりて軽々(かるがる)しきもどかしさなども()()でて、なかなかなることなどはべるを、(おぼ)したつほど、(にぶ)きやうにはべらむや、つひに()()てさせたまふ(かた)(ふか)うはべらむと、(おも)ひやられはべりてこそ。 "おほかたのひとめに、なにばかりしげなきひとだに、こころのうちのほだし、おのづからおほうはべるなるを、ましていかでかはこころやすくもおぼてん。さやうにあさへたることは、かへりてかるがるしきもどかしさなどもでて、なかなかなることなどはべるを、おぼしたつほど、にぶきやうにはべらんや、つひにてさせたまふかたふかうはべらんと、おもひやられはべりてこそ。
411.7.5121103 いにしへの(ためし)などを()きはべるにつけても、(こころ)におどろかれ、(おも)ふより(たが)ふふしありて、()(いと)ふついでになるとか。それはなほ()るきこととこそ。なほ、しばし(おぼ)しのどめさせたまひて、(みや)たちなどもおとなびさせたまひて、まことに(うご)きなかるべき(おほん)ありさまに、()たてまつりなさせたまはむまでは、(みだ)れなくはべらむこそ、(こころ)やすくも、うれしくもはべるべけれ」 いにしへのためしなどをきはべるにつけても、こころにおどろかれ、おもふよりたがふふしありて、いとふついでになるとか。それはなほるきこととこそ。なほ、しばしおぼしのどめさせたまひて、みやたちなどもおとなびさせたまひて、まことにうごきなかるべきおほんありさまに、たてまつりなさせたまはんまでは、みだれなくはべらんこそ、こころやすくも、うれしくもはべるべけれ。"
411.7.6122104 など、いとおとなびて()こえたるけしき、いとめやすし。 など、いとおとなびてこえたるけしき、いとめやすし。
411.8123105第八段 明石の御方に悲しみを語る
411.8.1124106 「さまで(おも)ひのどめむ心深(こころぶか)さこそ、(あさ)きに(おと)りぬべけれ」 "さまでおもひのどめんこころぶかさこそ、あさきにおとりぬべけれ。"
411.8.2125107 などのたまひて、(むかし)よりものを(おも)ふことなど(かた)()でたまふ(なか)に、 などのたまひて、むかしよりものをおもふことなどかたでたまふなかに、
411.8.3126108 故后(こきさい)(みや)(かく)れたまへりし(はる)なむ、(はな)(いろ)()ても、まことに(こころ)あらばとおぼえし。それは、おほかたの()につけて、をかしかりし(おほん)ありさまを、(をさな)くより()たてまつりしみて、さるとぢめの(かな)しさも、(ひと)よりことにおぼえしなり。 "こきさいみやかくれたまへりしはるなん、はないろても、まことにこころあらばとおぼえし。それは、おほかたのにつけて、をかしかりしおほんありさまを、をさなくよりたてまつりしみて、さるとぢめのかなしさも、ひとよりことにおぼえしなり。
411.8.4127109 みづから()()(こころ)ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり。年経(としへ)ぬる(ひと)(おく)れて、心収(こころをさ)めむ(かた)なく(わす)れがたきも、ただかかる(なか)(かな)しさのみにはあらず。(をさな)きほどより()ほしたてしありさま、もろともに()いぬる(すゑ)()にうち()てられて、わが()(ひと)()も、(おも)(つづ)けらるる(かな)しさの、()へがたきになむ。すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしき(すぢ)も、(ひろ)(おも)ひめぐらす(かた)方々添(かたがたそ)ふことの、(あさ)からずなるになむありける」 みづからこころざしにも、もののあはれはよらぬわざなり。としへぬるひとおくれて、こころをさめんかたなくわすれがたきも、ただかかるなかかなしさのみにはあらず。をさなきほどよりほしたてしありさま、もろともにいぬるすゑにうちてられて、わがひとも、おもつづけらるるかなしさの、へがたきになん。すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしきすぢも、ひろおもひめぐらすかたかたがたそふことの、あさからずなるになんありける。"
411.8.5128110 など、夜更(よふ)くるまで、昔今(むかしいま)御物語(おほんものがたり)に、「かくても()かしつべき(よる)を」と(おぼ)しながら、(かへ)りたまふを、(をんな)もものあはれに(おも)ふべし。わが御心(みこころ)にも、「あやしうもなりにける(こころ)のほどかな」と、(おぼ)()らる。 など、よふくるまで、むかしいまおほんものがたりに、"かくてもかしつべきよるを。"とおぼしながら、かへりたまふを、をんなもものあはれにおもふべし。わがみこころにも、"あやしうもなりにけるこころのほどかな。"と、おぼらる。
411.8.6129111 さてもまた、(れい)御行(おほんおこな)ひに、夜中(よなか)になりてぞ、(ひる)御座(おまし)に、いとかりそめに()()したまふ。つとめて、御文(おほんふみ)たてまつりたまふに、 さてもまた、れいおほんおこなひに、よなかになりてぞ、ひるおましに、いとかりそめにしたまふ。つとめて、おほんふみたてまつりたまふに、
411.8.7130112 「なくなくも(かへ)りにしかな(かり)()は<BR/>いづこもつひの常世(とこよ)ならぬに」 "〔なくなくもかへりにしかなかりは<BR/>いづこもつひのとこよならぬに〕
411.8.8131113 昨夜(よべ)(おほん)ありさまは(うら)めしげなりしかど、いとかく、あらぬさまに(おぼ)しほれたる(おほん)けしきの心苦(こころぐる)しさに、()(うへ)はさしおかれて、(なみだ)ぐまれたまふ。 よべおほんありさまはうらめしげなりしかど、いとかく、あらぬさまにおぼしほれたるおほんけしきのこころぐるしさに、うへはさしおかれて、なみだぐまれたまふ。
411.8.9132114 (かり)がゐし苗代水(なはしろみづ)()えしより<BR/>(うつ)りし(はな)(かげ)をだに()ず」 "〔かりがゐしなはしろみづえしより<BR/>うつりしはなかげをだにず〕
411.8.10133115 ()りがたくよしある()きざまにも、なまめざましきものに(おぼ)したりしを、(すゑ)()には、かたみに(こころ)ばせを見知(みし)るどちにて、うしろやすき(かた)にはうち(たの)むべく、(おも)()はしたまひながら、またさりとて、ひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし(こころ)おきてを、「(ひと)はさしも見知(みし)らざりきかし」など(おぼ)()づ。 りがたくよしあるきざまにも、なまめざましきものにおぼしたりしを、すゑには、かたみにこころばせをみしるどちにて、うしろやすきかたにはうちたのむべく、おもはしたまひながら、またさりとて、ひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりしこころおきてを、"ひとはさしもみしらざりきかし。"などおぼづ。
411.8.11134116 せめてさうざうしき(とき)は、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふ折々(をりをり)もあり。(むかし)(おほん)ありさまには、名残(なごり)なくなりにたるべし。 せめてさうざうしきときは、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふをりをりもあり。むかしおほんありさまには、なごりなくなりにたるべし。
412135117第二章 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語
412.1136118第一段 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす
412.1.1137119 (なつ)御方(おほんかた)より、御衣更(おほんころもがへ)御装束(おほんさうぞく)たてまつりたまふとて、 なつおほんかたより、おほんころもがへおほんさうぞくたてまつりたまふとて、
412.1.2138120 夏衣裁(なつごろもた)()へてける今日(けふ)ばかり<BR/>(ふる)(おも)ひもすすみやはせぬ」 "〔なつごろもたへてけるけふばかり<BR/>ふるおもひもすすみやはせぬ〕
412.1.3139121 御返(おほんかへ)し、 おほんかへし、
412.1.4140122 羽衣(はごろも)(うす)きに()はる今日(けふ)よりは<BR/>空蝉(うつせみ)()ぞいとど(かな)しき」 "〔はごろもうすきにはるけふよりは<BR/>うつせみぞいとどかなしき〕
412.1.5141123 (まつり)()、いとつれづれにて、「今日(けふ)物見(ものみ)るとて、(ひと)びと心地(ここち)よげならむかし」とて、御社(みやしろ)のありさまなど(おぼ)しやる。 まつり、いとつれづれにて、"けふものみるとて、ひとびとここちよげならんかし。"とて、みやしろのありさまなどおぼしやる。
412.1.6142124 女房(にょうばう)など、いかにさうざうしからむ。(さと)(しの)びて()でて()よかし」などのたまふ。 "にょうばうなど、いかにさうざうしからん。さとしのびてでてよかし。"などのたまふ。
412.1.7143126 中将(ちゅうじゃう)(きみ)の、東面(ひんがしおもて)にうたた()したるを、(あゆ)みおはして()たまへば、いとささやかにをかしきさまして、()()がりたり。つらつきはなやかに、(にほ)ひたる(かほ)をもて(かく)して、すこしふくだみたる(かみ)のかかりなど、をかしげなり。(くれなゐ)()ばみたる気添(けそ)ひたる(はかま)萱草色(かんざういろ)単衣(ひとへ)、いと()鈍色(にびいろ)(くろ)きなど、うるはしからず(かさ)なりて、()唐衣(からぎぬ)()ぎすべしたりけるを、とかく()きかけなどするに、(あふひ)をかたはらに()きたりけるを()りて()りたまひて、 ちゅうじゃうきみの、ひんがしおもてにうたたしたるを、あゆみおはしてたまへば、いとささやかにをかしきさまして、がりたり。つらつきはなやかに、にほひたるかほをもてかくして、すこしふくだみたるかみのかかりなど、をかしげなり。くれなゐばみたるけそひたるはかまかんざういろひとへ、いとにびいろくろきなど、うるはしからずかさなりて、からぎぬぎすべしたりけるを、とかくきかけなどするに、あふひをかたはらにきたりけるをりてりたまひて、
412.1.8144127 「いかにとかや。この()こそ(わす)れにけれ」とのたまへば、 "いかにとかや。このこそわすれにけれ。"とのたまへば、
412.1.9145128 「さもこそはよるべの(みづ)水草(みくさ)ゐめ<BR/>今日(けふ)のかざしよ()さへ(わす)るる」 "〔さもこそはよるべのみづみくさゐめ<BR/>けふのかざしよさへわするる〕
412.1.10146129 と、()ぢらひて()こゆ。げにと、いとほしくて、 と、ぢらひてこゆ。げにと、いとほしくて、
412.1.11147130 「おほかたは(おも)()ててし()なれども<BR/>(あふひ)はなほや()みをかすべき」 "〔おほかたはおもててしなれども<BR/>あふひはなほやみをかすべき〕
412.1.12148131 など、一人(ひとり)ばかりをば(おぼ)(はな)たぬけしきなり。 など、ひとりばかりをばおぼはなたぬけしきなり。
412.2149132第二段 五月雨の夜、夕霧来訪
412.2.1150133 五月雨(さみだれ)は、いとど(なが)めくらしたまふより(ほか)のことなく、さうざうしきに、十余日(じふよにち)(つき)はなやかにさし()でたる雲間(くもま)のめづらしきに、大将(だいしゃう)君御前(きみおまへ)にさぶらひたまふ。 さみだれは、いとどながめくらしたまふよりほかのことなく、さうざうしきに、じふよにちつきはなやかにさしでたるくもまのめづらしきに、だいしゃうきみおまへにさぶらひたまふ。
412.2.2151134 花橘(はなたちばな)の、月影(つきかげ)にいときはやかに()ゆる(かを)りも、追風(おひかぜ)なつかしければ、千代(ちよ)()らせる(こゑ)もせなむ、と()たるるほどに、にはかに()()づる村雲(むらくも)のけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしう()()(あめ)()ひて、さと()(かぜ)灯籠(とうろ)()きまどはして、空暗(そらくら)心地(ここち)するに、「(まど)()(こゑ)」など、めづらしからぬ古言(ふること)を、うち(じゅん)じたまへるも、(をり)からにや、(いも)垣根(かきね)におとなはせまほしき御声(おほんこゑ)なり。 はなたちばなの、つきかげにいときはやかにゆるかをりも、おひかぜなつかしければ、ちよらせるこゑもせなん、とたるるほどに、にはかにづるむらくものけしき、いとあやにくにて、いとおどろおどろしうあめひて、さとかぜとうろきまどはして、そらくらここちするに、"まどこゑ"など、めづらしからぬふることを、うちじゅんじたまへるも、をりからにや、いもかきねにおとなはせまほしきおほんこゑなり。
412.2.3152135 (ひと)()みは、ことに(かは)ることなけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。(ふか)山住(やまず)みせむにも、かくて()()らはしたらむは、こよなう心澄(こころす)みぬべきわざなりけり」などのたまひて、「女房(にょうばう)、ここに、くだものなど(まゐ)らせよ。(をのこ)ども()さむもことことしきほどなり」などのたまふ。 "ひとみは、ことにかはることなけれど、あやしうさうざうしくこそありけれ。ふかやまずみせんにも、かくてらはしたらんは、こよなうこころすみぬべきわざなりけり。"などのたまひて、"にょうばう、ここに、くだものなどまゐらせよ。をのこどもさんもことことしきほどなり。"などのたまふ。
412.2.4153136 (こころ)には、ただ(そら)(なが)めたまふ(おほん)けしきの、()きせず心苦(こころぐる)しければ、「かくのみ(おぼ)(まぎ)れずは、御行(おほんおこな)ひにも心澄(こころす)ましたまはむこと(かた)くや」と、()たてまつりたまふ。「ほのかに()御面影(おほんおもかげ)だに(わす)れがたし。ましてことわりぞかし」と、(おも)ひゐたまへり。 こころには、ただそらながめたまふおほんけしきの、きせずこころぐるしければ、"かくのみおぼまぎれずは、おほんおこなひにもこころすましたまはんことかたくや。"と、たてまつりたまふ。"ほのかにおほんおもかげだにわすれがたし。ましてことわりぞかし。"と、おもひゐたまへり。
412.3154137第三段 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ
412.3.1155138 昨日今日(きのふけふ)(おも)ひたまふるほどに、御果(おほんは)てもやうやう(ちか)うなりはべりにけり。いかやうにかおきて(おぼ)しめすらむ」 "きのふけふおもひたまふるほどに、おほんはてもやうやうちかうなりはべりにけり。いかやうにかおきておぼしめすらん。"
412.3.2156139 (まを)したまへば、 まをしたまへば、
412.3.3157140 (なに)ばかり、()(つね)ならぬことをかはものせむ。かの(こころ)ざしおかれたる極楽(ごくらく)曼陀羅(まんだら)など、このたびなむ供養(くやう)ずべき。(きゃう)などもあまたありけるを、なにがし僧都(そうづ)(みな)その(こころ)くはしく()きおきたなれば、また(くは)へてすべきことどもも、かの僧都(そうづ)()はむに(したが)ひてなむものすべき」などのたまふ。 "なにばかり、つねならぬことをかはものせん。かのこころざしおかれたるごくらくまんだらなど、このたびなんくやうずべき。きゃうなどもあまたありけるを、なにがしそうづみなそのこころくはしくきおきたなれば、またくはへてすべきことどもも、かのそうづはんにしたがひてなんものすべき。"などのたまふ。
412.3.4158141 「かやうのこと、もとよりとりたてて(おぼ)しおきてけるは、うしろやすきわざなれど、この()にはかりそめの御契(おほんちぎ)りなりけりと()たまふには、形見(かたみ)といふばかりとどめきこえたまへる(ひと)だにものしたまはぬこそ、口惜(くちを)しうはべれ」 "かやうのこと、もとよりとりたてておぼしおきてけるは、うしろやすきわざなれど、このにはかりそめのおほんちぎりなりけりとたまふには、かたみといふばかりとどめきこえたまへるひとだにものしたまはぬこそ、くちをしうはべれ。"
412.3.5159142 (まを)したまへば、 まをしたまへば、
412.3.6160143 「それは、(かり)ならず、命長(いのちなが)(ひと)びとにも、さやうなることのおほかた(すく)なかりける。みづからの口惜(くちを)しさにこそ。そこにこそは、(かど)(ひろ)げたまはめ」などのたまふ。 "それは、かりならず、いのちながひとびとにも、さやうなることのおほかたすくなかりける。みづからのくちをしさにこそ。そこにこそは、かどひろげたまはめ。"などのたまふ。
412.3.7161144 (なに)ごとにつけても、(しの)びがたき御心弱(みこころよわ)さのつつましくて、()ぎにしこといたうものたまひ()でぬに、()たれつる(やま)ほととぎすのほのかにうち()きたるも、「いかに()りてか」と、()(ひと)ただならず。 なにごとにつけても、しのびがたきみこころよわさのつつましくて、ぎにしこといたうものたまひでぬに、たれつるやまほととぎすのほのかにうちきたるも、"いかにりてか。"と、ひとただならず。
412.3.8162145 ()(ひと)(しの)ぶる(よひ)村雨(むらさめ)に<BR/>()れてや()つる(やま)ほととぎす」 "〔ひとしのぶるよひむらさめに<BR/>れてやつるやまほととぎす〕
412.3.9163146 とて、いとど(そら)(なが)めたまふ。大将(だいしゃう) とて、いとどそらながめたまふ。だいしゃう
412.3.10164147 「ほととぎす(きみ)につてなむふるさとの<BR/>花橘(はなたちばな)(いま)(さか)りと」 "〔ほととぎすきみにつてなんふるさとの<BR/>はなたちばないまさかりと〕
412.3.11165148 女房(にょうばう)など、(おほ)()(あつ)めたれど、とどめつ。大将(だいしゃう)(きみ)は、やがて御宿直(おほんとのゐ)にさぶらひたまふ。(さび)しき御一人寝(おほんひとりね)心苦(こころぐる)しければ、時々(ときどき)かやうにさぶらひたまふに、おはせし()は、いと気遠(けどほ)かりし御座(おまし)のあたりの、いたうも()(はな)れぬなどにつけても、(おも)()でらるることも(おほ)かり。 にょうばうなど、おほあつめたれど、とどめつ。だいしゃうきみは、やがておほんとのゐにさぶらひたまふ。さびしきおほんひとりねこころぐるしければ、ときどきかやうにさぶらひたまふに、おはせしは、いとけどほかりしおましのあたりの、いたうもはなれぬなどにつけても、おもでらるることもおほかり。
412.4166149第四段 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ
412.4.1167150 いと(あつ)きころ、(すず)しき(かた)にて(なが)めたまふに、(いけ)(はちす)(さか)りなるを()たまふに、「いかに(おほ)かる」など、まづ(おぼ)()でらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、()()れにけり。ひぐらしの(こゑ)はなやかなるに、御前(おまへ)撫子(なでしこ)夕映(ゆふば)えを、一人(ひとり)のみ()たまふは、げにぞかひなかりける。 いとあつきころ、すずしきかたにてながめたまふに、いけはちすさかりなるをたまふに、"いかにおほかる。"など、まづおぼでらるるに、ほれぼれしくて、つくづくとおはするほどに、れにけり。ひぐらしのこゑはなやかなるに、おまへなでしこゆふばえを、ひとりのみたまふは、げにぞかひなかりける。
412.4.2168151 「つれづれとわが()()らす(なつ)()を<BR/>かことがましき(むし)(こゑ)かな」 "〔つれづれとわがらすなつを<BR/>かことがましきむしこゑかな〕
412.4.3169152 (ほたる)のいと(おほ)()()ふも、「夕殿(せきでん)蛍飛(ほたると)んで」と、(れい)の、古事(ふること)もかかる(すぢ)にのみ口馴(くちな)れたまへり。 ほたるのいとおほふも、"せきでんほたるとんで"と、れいの、ふることもかかるすぢにのみくちなれたまへり。
412.4.4170153 (よる)()(ほたる)()ても(かな)しきは<BR/>(とき)ぞともなき(おも)ひなりけり」 "〔よるほたるてもかなしきは<BR/>ときぞともなきおもひなりけり〕
413171154第三章 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語
413.1172155第一段 紫の上の一周忌法要
413.1.1173156 七月七日(しちがつなぬか)も、(れい)(かは)りたること(おほ)く、御遊(おほんあそ)びなどもしたまはで、つれづれに(なが)()らしたまひて、星逢(ほしあ)()(ひと)もなし。まだ夜深(よぶか)う、一所起(ひとところお)きたまひて、妻戸押(つまどお)()けたまへるに、前栽(せんさい)(つゆ)いとしげく、渡殿(わたどの)()よりとほりて()わたさるれば、()でたまひて、 しちがつなぬかも、れいかはりたることおほく、おほんあそびなどもしたまはで、つれづれにながらしたまひて、ほしあひともなし。まだよぶかう、ひとところおきたまひて、つまどおけたまへるに、せんさいつゆいとしげく、わたどのよりとほりてわたさるれば、でたまひて、
413.1.2174157 七夕(たなばた)()()(くも)のよそに()て<BR/>(わか)れの(には)(つゆ)ぞおきそふ」 "〔たなばたくものよそにて<BR/>わかれのにはつゆぞおきそふ〕
413.1.3175158 (かぜ)(おと)さへただならずなりゆくころしも、御法事(おほんほふじ)(いとな)みにて、ついたちころは(まぎ)らはしげなり。「(いま)まで()にける月日(つきひ)よ」と(おぼ)すにも、あきれて()かし()らしたまふ。 かぜおとさへただならずなりゆくころしも、おほんほふじいとなみにて、ついたちころはまぎらはしげなり。"いままでにけるつきひよ。"とおぼすにも、あきれてかしらしたまふ。
413.1.4176159 御正日(おほんしゃうにち)には、上下(かみしも)(ひと)びと皆斎(みないもひ)して、かの曼陀羅(まんだら)など、今日(けふ)供養(くやう)ぜさせたまふ。(れい)(よひ)御行(おほんおこな)ひに、御手水(みてうづ)など(まゐ)らする中将(ちゅうじゃう)(きみ)(あふぎ)に、 おほんしゃうにちには、かみしもひとびとみないもひして、かのまんだらなど、けふくやうぜさせたまふ。れいよひおほんおこなひに、みてうづなどまゐらするちゅうじゃうきみあふぎに、
413.1.5177160 君恋(きみこ)ふる(なみだ)(きは)もなきものを<BR/>今日(けふ)をば(なに)()てといふらむ」 "〔きみこふるなみだきはもなきものを<BR/>けふをばなにてといふらん〕
413.1.6178161 ()きつけたるを、()りて()たまひて、 きつけたるを、りてたまひて、
413.1.7179162 人恋(ひとこ)ふるわが()(すゑ)になりゆけど<BR/>(のこ)(おほ)かる(なみだ)なりけり」 "〔ひとこふるわがすゑになりゆけど<BR/>のこおほかるなみだなりけり〕
413.1.8180163 と、()()へたまふ。 と、へたまふ。
413.1.9181164 九月(くがつ)になりて、九日(ここぬか)綿(わた)おほひたる(きく)御覧(ごらん)じて、 くがつになりて、ここぬかわたおほひたるきくごらんじて、
413.1.10182165 「もろともにおきゐし(きく)白露(しらつゆ)も<BR/>一人袂(ひとりたもと)にかかる(あき)かな」 "〔もろともにおきゐしきくしらつゆも<BR/>ひとりたもとにかかるあきかな〕
413.2183166第二段 源氏、出家を決意
413.2.1184167 神無月(かんなづき)には、おほかたも時雨(しぐれ)がちなるころ、いとど(なが)めたまひて、夕暮(ゆふぐれ)(そら)のけしきも、えもいはぬ心細(こころぼそ)さに、「()りしかど」と(ひと)りごちおはす。雲居(くもゐ)(わた)(かり)(つばさ)も、うらやましくまぼられたまふ。 かんなづきには、おほかたもしぐれがちなるころ、いとどながめたまひて、ゆふぐれそらのけしきも、えもいはぬこころぼそさに、"りしかど"とひとりごちおはす。くもゐわたかりつばさも、うらやましくまぼられたまふ。
413.2.2185169 大空(おほぞら)をかよふ幻夢(まぼろしゆめ)にだに<BR/>()えこぬ(たま)行方(ゆくへ)たづねよ」 "〔おほぞらをかよふまぼろしゆめにだに<BR/>えこぬたまゆくへたづねよ〕
413.2.3186170 (なに)ごとにつけても、(まぎ)れずのみ、月日(つきひ)()へて(おぼ)さる。 なにごとにつけても、まぎれずのみ、つきひへておぼさる。
413.2.4187171 五節(ごせち)などいひて、()(なか)そこはかとなく(いま)めかしげなるころ、大将殿(だいしゃうどの)(きみ)たち、童殿上(わらはてんじゃう)したまへる()(まゐ)りたまへり。(おな)じほどにて、二人(ふたり)いとうつくしきさまなり。御叔父(おほんをぢ)頭中将(とうのちゅうじゃう)蔵人少将(くらうどのせうしゃう)など、小忌(をみ)にて、青摺(あをずり)姿(すがた)ども、きよげにめやすくて、(みな)うち(つづ)き、もてかしづきつつ、もろともに(まゐ)りたまふ。(おも)ふことなげなるさまどもを()たまふに、いにしへ、あやしかりし日蔭(ひかげ)(をり)、さすがに(おぼ)()でらるべし。 ごせちなどいひて、なかそこはかとなくいまめかしげなるころ、だいしゃうどのきみたち、わらはてんじゃうしたまへるまゐりたまへり。おなじほどにて、ふたりいとうつくしきさまなり。おほんをぢとうのちゅうじゃうくらうどのせうしゃうなど、をみにて、あをずりすがたども、きよげにめやすくて、みなうちつづき、もてかしづきつつ、もろともにまゐりたまふ。おもふことなげなるさまどもをたまふに、いにしへ、あやしかりしひかげをり、さすがにおぼでらるべし。
413.2.5188172 宮人(みやびと)豊明(とよのあかり)といそぐ今日(けふ)<BR/>日影(ひかげ)()らで()らしつるかな」 "〔みやびととよのあかりといそぐけふ<BR/>ひかげらでらしつるかな〕
413.2.6189173 今年(ことし)をばかくて(しの)()ぐしつれば、(いま)は」と、()()りたまふべきほど(ちか)(おぼ)しまうくるに、あはれなること、()きせず。やうやうさるべきことども、御心(みこころ)のうちに(おぼ)(つづ)けて、さぶらふ(ひと)びとにも、ほどほどにつけて、物賜(ものたま)ひなど、おどろおどろしく、(いま)なむ(かぎ)りとしなしたまはねど、(ちか)くさぶらふ(ひと)びとは、御本意遂(おほんほいと)げたまふべきけしきと()たてまつるままに、(とし)()れゆくも心細(こころぼそ)く、(かな)しきこと(かぎ)りなし。 "ことしをばかくてしのぐしつれば、いまは。"と、りたまふべきほどちかおぼしまうくるに、あはれなること、きせず。やうやうさるべきことども、みこころのうちにおぼつづけて、さぶらふひとびとにも、ほどほどにつけて、ものたまひなど、おどろおどろしく、いまなんかぎりとしなしたまはねど、ちかくさぶらふひとびとは、おほんほいとげたまふべきけしきとたてまつるままに、としれゆくもこころぼそく、かなしきことかぎりなし。
413.3190174第三段 源氏、手紙を焼く
413.3.1191175 ()ちとまりてかたはなるべき(ひと)御文(おほんふみ)ども、()れば()し、と(おぼ)されけるにや、すこしづつ(のこ)したまへりけるを、もののついでに御覧(ごらん)じつけて、()らせたまひなどするに、かの須磨(すま)のころほひ、所々(ところどころ)よりたてまつれたまひけるもある(なか)に、かの御手(おほんて)なるは、ことに()()はせてぞありける。 ちとまりてかたはなるべきひとおほんふみども、ればし、とおぼされけるにや、すこしづつのこしたまへりけるを、もののついでにごらんじつけて、らせたまひなどするに、かのすまのころほひ、ところどころよりたてまつれたまひけるもあるなかに、かのおほんてなるは、ことにはせてぞありける。
413.3.2192176 みづからしおきたまひけることなれど、「(ひさ)しうなりける()のこと」と(おぼ)すに、ただ(いま)のやうなる(すみ)つきなど、「げに千年(ちとせ)形見(かたみ)にしつべかりけるを、()ずなりぬべきよ」と(おぼ)せば、かひなくて、(うと)からぬ(ひと)びと、()三人(さんにん)ばかり、御前(おまへ)にて()らせたまふ。 みづからしおきたまひけることなれど、"ひさしうなりけるのこと"とおぼすに、ただいまのやうなるすみつきなど、"げにちとせかたみにしつべかりけるを、ずなりぬべきよ。"とおぼせば、かひなくて、うとからぬひとびと、さんにんばかり、おまへにてらせたまふ。
413.3.3193177 いと、かからぬほどのことにてだに、()ぎにし(ひと)(あと)()るはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それとも見分(みわ)かれぬまで、()りおつる御涙(おほんなみだ)水茎(みづぐき)(なが)()ふを、(ひと)もあまり心弱(こころよわ)しと()たてまつるべきが、かたはらいたうはしたなければ、()しやりたまひて、 いと、かからぬほどのことにてだに、ぎにしひとあとるはあはれなるを、ましていとどかきくらし、それともみわかれぬまで、りおつるおほんなみだみづぐきながふを、ひともあまりこころよわしとたてまつるべきが、かたはらいたうはしたなければ、しやりたまひて、
413.3.4194178 死出(しで)山越(やまこ)えにし(ひと)(した)ふとて<BR/>(あと)()つつもなほ(まど)ふかな」 "〔しでやまこえにしひとしたふとて<BR/>あとつつもなほまどふかな〕
413.3.5195179 さぶらふ(ひと)びとも、まほにはえ()(ひろ)げねど、それとほのぼの()ゆるに、心惑(こころまど)ひどもおろかならず。この()ながら(とほ)からぬ御別(おほんわか)れのほどを、いみじと(おぼ)しけるままに()いたまへる(こと)()、げにその(をり)よりもせきあへぬ(かな)しさ、やらむかたなし。いとうたて、(いま)ひときはの御心惑(みこころまど)ひも、女々(めめ)しく人悪(ひとわ)るくなりぬべければ、よくも()たまはで、こまやかに()きたまへるかたはらに、 さぶらふひとびとも、まほにはえひろげねど、それとほのぼのゆるに、こころまどひどもおろかならず。このながらとほからぬおほんわかれのほどを、いみじとおぼしけるままにいたまへること、げにそのをりよりもせきあへぬかなしさ、やらんかたなし。いとうたて、いまひときはのみこころまどひも、めめしくひとわるくなりぬべければ、よくもたまはで、こまやかにきたまへるかたはらに、
413.3.6196180 「かきつめて()るもかひなし藻塩草(もしほぐさ)<BR/>(おな)雲居(くもゐ)(けぶり)とをなれ」 "〔かきつめてるもかひなしもしほぐさ<BR/>おなくもゐけぶりとをなれ〕
413.3.7197181 ()きつけて、皆焼(みなや)かせたまふ。 きつけて、みなやかせたまふ。
413.4198182第四段 源氏、出家の準備
413.4.1199183 御仏名(おほんぶつみゃう)も、今年(ことし)ばかりにこそは」と(おぼ)せばにや、(つね)よりもことに、錫杖(しゃくじゃう)声々(こゑごゑ)などあはれに(おぼ)さる。()(すゑ)ながきことを()(ねが)ふも、(ほとけ)()きたまはむこと、かたはらいたし。 "おほんぶつみゃうも、ことしばかりにこそは。"とおぼせばにや、つねよりもことに、しゃくじゃうこゑごゑなどあはれにおぼさる。すゑながきことをねがふも、ほとけきたまはんこと、かたはらいたし。
413.4.2200184 (ゆき)いたう()りて、まめやかに()もりにけり。導師(だうし)のまかづるを、御前(おまへ)()して、(さかづき)など、(つね)作法(さほふ)よりもさし()かせたまひて、ことに(ろく)など(たま)はす。(とし)ごろ(ひさ)しく(まゐ)り、朝廷(おほやけ)にも(つか)うまつりて、御覧(ごらん)()れたる御導師(おほんだうし)の、(かしら)はやうやう色変(いろか)はりてさぶらふも、あはれに(おぼ)さる。(れい)の、(みや)たち、上達部(かんだちめ)など、あまた(まゐ)りたまへり。 ゆきいたうりて、まめやかにもりにけり。だうしのまかづるを、おまへして、さかづきなど、つねさほふよりもさしかせたまひて、ことにろくなどたまはす。としごろひさしくまゐり、おほやけにもつかうまつりて、ごらんれたるおほんだうしの、かしらはやうやういろかはりてさぶらふも、あはれにおぼさる。れいの、みやたち、かんだちめなど、あまたまゐりたまへり。
413.4.3201185 (むめ)(はな)の、わづかにけしきばみはじめて(ゆき)にもてはやされたるほど、をかしきを、御遊(おほんあそ)びなどもありぬべけれど、なほ今年(ことし)までは、ものの()もむせびぬべき心地(ここち)したまへば、(とき)によりたるもの、うち(ずん)じなどばかりぞせさせたまふ。 むめはなの、わづかにけしきばみはじめてゆきにもてはやされたるほど、をかしきを、おほんあそびなどもありぬべけれど、なほことしまでは、もののもむせびぬべきここちしたまへば、ときによりたるもの、うちずんじなどばかりぞせさせたまふ。
413.4.4202186 まことや、導師(だうし)(さかづき)のついでに、 まことや、だうしさかづきのついでに、
413.4.5203187 (はる)までの(いのち)()らず(ゆき)のうちに<BR/>(いろ)づく(むめ)今日(けふ)かざしてむ」 "〔はるまでのいのちらずゆきのうちに<BR/>いろづくむめけふかざしてん〕
413.4.6204188 御返(おほんかへ)し、 おほんかへし、
413.4.7205189 千世(ちよ)春見(はるみ)るべき(はな)(いの)りおきて<BR/>わが()(ゆき)とともにふりぬる」 "〔ちよはるみるべきはないのりおきて<BR/>わがゆきとともにふりぬる〕
413.4.8206190 (ひと)びと(おほ)()みおきたれど、もらしつ。 ひとびとおほみおきたれど、もらしつ。
413.4.9207191 その()ぞ、()でたまへる。御容貌(おほんかたち)(むかし)御光(おほんひかり)にもまた(おほ)()ひて、ありがたくめでたく()えたまふを、この()りぬる(よはひ)(そう)は、あいなう(なみだ)もとどめざりけり。 そのぞ、でたまへる。おほんかたちむかしおほんひかりにもまたおほひて、ありがたくめでたくえたまふを、このりぬるよはひそうは、あいなうなみだもとどめざりけり。
413.4.10208192 年暮(としく)れぬと(おぼ)すも、心細(こころぼそ)きに、若宮(わかみや)の、 としくれぬとおぼすも、こころぼそきに、わかみやの、
413.4.11209193 ()やらはむに、音高(おとたか)かるべきこと、(なに)わざをせさせむ」 "やらはんに、おとたかかるべきこと、なにわざをせさせん。"
413.4.12210194 と、(はし)りありきたまふも、「をかしき(おほん)ありさまを()ざらむこと」と、よろづに(しの)びがたし。 と、はしりありきたまふも、"をかしきおほんありさまをざらんこと。"と、よろづにしのびがたし。
413.4.13211195 「もの(おも)ふと()ぐる月日(つきひ)()らぬまに<BR/>(とし)もわが()今日(けふ)()きぬる」 "〔ものおもふとぐるつきひらぬまに<BR/>としもわがけふきぬる〕
413.4.14212196 朔日(ついたち)のほどのこと、「(つね)よりことなるべく」と、おきてさせたまふ。親王(みこ)たち、大臣(おとど)御引出物(ひきいでもの)品々(しなじな)(ろく)どもなど、(なに)となう(おぼ)しまうけて、とぞ。 ついたちのほどのこと、"つねよりことなるべく。"と、おきてさせたまふ。みこたち、おとどひきいでものしなじなろくどもなど、なにとなうおぼしまうけて、とぞ。