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第四帖 夕顔
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04 YUHUGAHO (Ohoshima-bon)
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光る源氏の十七歳夏から立冬の日までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from the summer to the first day in the winter at the age of 17
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3 |
第三章 六条の貴婦人の物語 初秋の物語
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3 Tale of the Lady who lives in Roku-jo in the early fall
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3.1 |
第一段 霧深き朝帰りの物語
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3-1 Return from Roku-jo in the thick morning fog
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3.1.1 |
秋にもなりぬ。人やりならず、 心づくしに思し乱るることどもありて、 大殿には、絶え間置きつつ、 恨めしくのみ思ひ聞こえたまへり。
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秋にもなった。誰のせいからでもなく、自ら求めて物思いに心を尽くされることどもがあって、大殿邸には、と絶えがちなので、恨めしくばかりお思い申し上げていらっしゃった。
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秋になった。このごろの源氏はある発展を遂げた初恋のその続きの苦悶の中にいて、自然左大臣家へ通うことも途絶えがちになって恨めしがられていた。
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Aki ni mo nari nu. Hitoyari nara zu, kokorodukusi ni obosi midaruru koto-domo ari te, Ohotono ni ha, tayema oki tutu, uramesiku nomi omohi kikoye tamahe ri.
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3.1.2 |
六条わたりにも、 とけがたかりし御気色を おもむけ聞こえたまひて後、ひき返し、なのめならむは いとほしかし。されど、よそなりし御心惑ひのやうに、あながちなる事はなきも、 いかなることにかと見えたり。
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六条辺りの御方にも、気の置けたころのご様子をお靡かせ申し上げてから後は、うって変わって、通り一遍なお扱いのようなのは気の毒である。けれど、他人でいたころのご執心のように、無理無体なことがないのも、どうしたことかと思われた。
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六条の貴女との関係も、その恋を得る以前ほどの熱をまた持つことのできない悩みがあった。自分の態度によって女の名誉が傷つくことになってはならないと思うが、夢中になるほどその人の恋しかった心と今の心とは、多少懸隔のあるものだった。
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Rokudeu watari ni mo, toke gatakari si mikesiki wo omomuke kikoye tamahi te noti, hikikahesi, nanome nara m ha itohosi kasi. Saredo, yoso nari si mikokoromadohi no yau ni, anagati naru koto ha naki mo, ikanaru koto ni ka to miye tari.
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3.1.3 |
女は、いとものをあまりなるまで、思ししめたる御心ざまにて、 齢のほども似げなく、 人の漏り聞かむに、いとどかくつらき御夜がれの寝覚め寝覚め、思ししをるること、いとさまざまなり。
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この女性は、たいそうものごとを度を越すほどに、深くお思い詰めなさるご性格なので、年齢も釣り合わず、人が漏れ聞いたら、ますますこのような辛い君のお越しにならない夜な夜なの寝覚めを、お悩み悲しまれることが、とてもあれこれと多いのである。
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六条の貴女はあまりにものを思い込む性質だった。源氏よりは八歳上の二十五であったから、不似合いな相手と恋に墜ちて、すぐにまた愛されぬ物思いに沈む運命なのだろうかと、待ち明かしてしまう夜などには煩悶することが多かった。
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Womna ha, ito mono wo amari naru made, obosi sime taru mikokorozama ni te, yohahi no hodo mo nigenaku, hito no mori kika m ni, itodo kaku turaki ohom-yogare no nezame nezame, obosi siworuru koto, ito samazama nari.
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3.1.4 |
霧のいと深き朝、 いたくそそのかされたまひて、ねぶたげなる気色に、うち嘆きつつ出でたまふを、 中将のおもと、御格子一間上げて、 見たてまつり送りたまへ、 とおぼしく、御几帳引きやりたれば、御頭もたげて 見出だしたまへり。
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霧のたいそう深い朝、ひどくせかされなさって、眠そうな様子で、溜息をつきながらお出になるのを、中将のおもとが、御格子を一間上げて、お見送りなさいませ、という心遣いらしく、御几帳を引き開けたので、御頭をもち上げて外の方へ目をお向けになっていらっしゃる。
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霧の濃くおりた朝、帰りをそそのかされて、睡むそうなふうで歎息をしながら源氏が出て行くのを、貴女の女房の中将が格子を一間だけ上げて、女主人に見送らせるために几帳を横へ引いてしまった。それで貴女は頭を上げて外をながめていた。
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Kiri no ito hukaki asita, itaku sosonokasa re tamahi te, nebutage naru kesiki ni, uti-nageki tutu ide tamahu wo, Tyuuzyaunoomoto, mikausi hitoma age te, mi tatematuri okuri tamahe, to obosiku, mikityau hikiyari tare ba, migusi motage te miidasi tamahe ri.
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3.1.5 |
前栽の色々乱れたるを、 過ぎがてにやすらひたまへるさま、 げにたぐひなし。 廊の方へおはするに、 中将の君、御供に参る。 紫苑色の折にあひたる、羅の裳、鮮やかに引き結ひたる腰つき、 たをやかになまめきたり。
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前栽の花が色とりどりに咲き乱れているのを、見過ごしにくそうにためらっていらっしゃる姿が、評判どおり二人といない。渡廊の方へいらっしゃるので、中将の君が、お供申し上げる。紫苑色で季節に適った、薄絹の裳、それをくっきりと結んだ腰つきは、しなやかで優美である。
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いろいろに咲いた植え込みの花に心が引かれるようで、立ち止まりがちに源氏は歩いて行く。非常に美しい。廊のほうへ行くのに中将が供をして行った。この時節にふさわしい淡紫の薄物の裳をきれいに結びつけた中将の腰つきが艶であった。
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Sensai no iroiro midare taru wo, sugi gateni yasurahi tamahe ru sama, geni taguhi nasi. Rau no kata he ohasuru ni, Tyuuzyaunokimi, ohom-tomo ni mawiru. Siwoniro no wori ni ahi taru, usumono no mo, azayaka ni hiki-yuhi taru kosituki, tawoyaka ni, namameki tari.
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3.1.6 |
見返りたまひて、 隅の間の高欄に、しばし、 ひき据ゑたまへり。 うちとけたらぬもてなし、髪の下がりば、 めざましくも、と見たまふ。
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振り返りなさって、隅の間の高欄に、少しの間、お座らせになった。きちんとした態度、黒髪のかかり具合、見事なものよ、と御覧になる。
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源氏は振り返って曲がり角の高欄の所へしばらく中将を引き据えた。なお主従の礼をくずさない態度も額髪のかかりぎわのあざやかさもすぐれて優美な中将だった。
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Mikaheri tamahi te, sumi no ma no kauran ni, sibasi, hiki-suwe tamahe ri. Utitoke tara nu motenasi, kami no sagariba, mezamasiku mo, to mi tamahu.
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3.1.7 |
「 咲く花に移るてふ名はつつめども 折らで過ぎ憂き今朝の朝顔 |
「咲いている花に心を移したという風評は憚られますが やはり手折らずには素通りしがたい今朝の朝顔の花です |
「咲く花に移るてふ名はつつめども 折らで過ぎうき今朝の朝顔
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"Saku hana ni uturu tehu na ha tutume domo wora de sugi uki kesa no asagaho |
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3.1.8 |
いかがすべき」
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どうしよう」
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どうすればいい」
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Ikaga su beki?"
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3.1.9 |
とて、 手をとらへたまへれば、 いと馴れてとく、
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と言って、手を捉えなさると、まことに馴れたふうに素早く、
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こう言って源氏は女の手を取った。物馴れたふうで、すぐに、
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tote, te wo torahe tamahe re ba, ito nare te toku,
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3.1.10 |
「 朝霧の晴れ間も待たぬ気色にて 花に心を止めぬとぞ見る」 |
「朝霧の晴れる間も待たないでお帰りになるご様子なので 朝顔の花に心を止めていないものと思われます」 |
朝霧の晴れ間も待たぬけしきにて 花に心をとめぬとぞ見る
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"Asagiri no harema mo mata nu kesiki ni te hana ni kokoro wo tome nu to zo miru |
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3.1.11 |
と、 おほやけごとにぞ聞こえなす。
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と、主人のことにしてお返事申し上げる。
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と言う。 源氏の焦点をはずして主人の侍女としての挨拶をしたのである。
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to, ohoyakegoto ni zo kikoye nasu.
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3.1.12 |
をかしげなる 侍童の、姿このましう、 ことさらめきたる、 指貫の裾、露けげに、花の中に混りて、朝顔折りて参るほどなど、 絵に描かまほしげなり。
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かわいらしい男童で、姿が目安く、格別の格好をしているのが、指貫の裾を、露っぽく濡らし、花の中に入り混じって、朝顔を手折って差し上げるところなど、絵に描きたいほどである。
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美しい童侍の恰好のよい姿をした子が、指貫の袴を露で濡らしながら、草花の中へはいって行って朝顔の花を持って来たりもするのである、この秋の庭は絵にしたいほどの趣があった。
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Wokasige naru saburahiwaraha no, sugata konomasiu, kotosara meki taru, sasinuki no suso, tuyukege ni, hana no naka ni maziri te, asagaho wori te mawiru hodo nado, we ni kaka mahosige nari.
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3.1.13 |
大方に、 うち見たてまつる人だに、心とめたてまつらぬはなし。 物の情け知らぬ山がつも、花の蔭には、 なほやすらはまほしきにや、 この御光を見たてまつるあたりは、ほどほどにつけて、我がかなしと思ふ女を、仕うまつらせばやと願ひ、もしは、口惜しからずと思ふ妹など持たる人は、卑しきにても、なほ、この御あたりにさぶらはせむと、思ひ寄らぬはなかりけり。
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通り一遍に、ちょっと拝見する人でさえ、心を止め申さない者はない。物の情趣を解さない山人も、花の下では、やはり休息したいものではないか、このお美しさを拝する人々は、身分身分に応じて、自分のかわいいと思う娘を、ご奉公に差し上げたいと願い、あるいは、恥ずかしくないと思う姉妹などを持っている人は、下仕えであっても、やはり、このお方の側にご奉公させたいと、思わない者はいなかった。
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源氏を遠くから知っているほどの人でもその美を敬愛しない者はない、情趣を解しない山の男でも、休み場所には桜の蔭を選ぶようなわけで、その身分身分によって愛している娘を源氏の女房にさせたいと思ったり、相当な女であると思う妹を持った兄が、ぜひ源氏の出入りする家の召使にさせたいとか皆思った。
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Ohokata ni, uti-mi tatematuru hito dani, kokoro tome tatematura nu ha nasi. Mono no nasake sira nu yamagatu mo, hana no kage ni ha, naho yasuraha mahosiki ni ya, kono ohom-hikari wo mi tatematuru atari ha, hodohodo ni tuke te, waga kanasi to omohu musume wo, tukaumatura se baya to negahi, mosiha, kutiwosikara zu to omohu imouto nado mo' taru hito ha, iyasiki ni te mo, naho, kono ohom-atari ni saburahase m to, omohi yora nu ha nakari keri.
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3.1.14 |
まして、さりぬべきついでの御言の葉も、なつかしき御気色を 見たてまつる人の、すこし物の心思ひ知るは、 いかがはおろかに思ひきこえむ。 明け暮れうちとけてしもおはせぬを、 心もとなきことに思ふべかめり。
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まして、何かの折のお言葉でも、優しいお姿を拝する人で、少し物の情趣を解せる人は、どうしていい加減にお思い申し上げよう。一日中くつろいだご様子でおいでにならないのを、物足りなく不満なことと思うようである。
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まして何かの場合には優しい言葉を源氏からかけられる女房、この中将のような女はおろそかにこの幸福を思っていない。情人になろうなどとは思いも寄らぬことで、女主人の所へ毎日おいでになればどんなにうれしいであろうと思っているのであった。
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Masite, sarinubeki tuide no ohom-kotonoha mo, natukasiki mikesiki wo mi tatematuru hito no, sukosi mono no kokoro omohi siru ha, ikaga ha oroka ni omohi kikoye m. Akekure utitoke te simo ohase nu wo, kokoromotonaki koto ni omohu beka' meri.
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Last updated 09/09/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 8/31/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 6/25/2003 渋谷栄一訳(C)(ver.1-3-1) |
現代語訳 | 与謝野晶子 |
電子化 | 上田英代(古典総合研究所) |
底本 | 角川文庫 全訳源氏物語 |
渋谷栄一訳 との突合せ | 宮脇文経 2003年8月14日 |
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Last updated 9/04/2012 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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