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第七帖 紅葉賀
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07 MOMIDI-NO-GA (Ohoshima-bon)
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光る源氏の十八歳冬十月から十九歳秋七月までの宰相兼中将時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from October in winter at the age of 18 to July in fall at the age of 19
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1 |
第一章 藤壺の物語 源氏、藤壺の御前で青海波を舞う
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1 Tale of Fujitsubo Genji dances in front of Fujitsubo
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1.1 |
第一段 御前の試楽
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1-1 Genji dances Seigaiha on the rehearsal
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1.1.1 |
朱雀院の行幸は、神無月の十日あまりなり ★。 世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、 御方々、物見たまはぬことを 口惜しがりたまふ。 主上も、 藤壺の見たまはざらむを、飽かず 思さるれば、 試楽を御前にて、せさせたまふ。
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朱雀院への行幸は、神無月の十日過ぎである。常の行幸とは違って、格別興趣あるはずの催しであったので、御方々、御覧になれないことを残念にお思いになる。主上も、藤壷が御覧になれないのを、もの足りなく思し召されるので、試楽を御前において、お催しあそばす。
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朱雀院の行幸は十月の十幾日ということになっていた。その日の歌舞の演奏はことに選りすぐって行なわれるという評判であったから、後宮の人々はそれが御所でなくて陪観のできないことを残念がっていた。帝も藤壺の女御にお見せになることのできないことを遺憾に思召して、当日と同じことを試楽として御前でやらせて御覧になった。
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Suzyakuwin no gyaugau ha, kamnaduki no towoka amari nari. Yo no tune nara zu, omosirokaru beki tabi no koto nari kere ba, ohom-katagata, mono mi tamaha nu koto wo kutiwosigari tamahu. Uhe mo, Huditubo no mi tamaha zara m wo, akazu obosa rure ba, sigaku wo gozen nite, se sase tamahu.
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1.1.2 |
源氏中将は、青海波をぞ舞ひたまひける。 片手には 大殿の頭中将。容貌、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。
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源氏中将は、青海波をお舞いになった。一方の舞手には大殿の頭中将。容貌、心づかい、人よりは優れているが、立ち並んでは、やはり花の傍らの深山木である。
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源氏の中将は青海波を舞ったのである。二人舞の相手は左大臣家の頭中将だった。人よりはすぐれた風采のこの公子も、源氏のそばで見ては桜に隣った深山の木というより言い方がない。
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Genzinotyuuzyau ha, Seigaiha wo zo mahi tamahi keru. Katate ni ha Ohotono no Tounotyuuzyau. Katati, youi, hito ni ha koto naru wo, tati narabi te ha, naho hana no katahara no miyamagi nari.
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1.1.3 |
入り方の日かげ、さやかにさしたるに、楽の声まさり、もののおもしろきほどに、同じ舞の足踏み、おももち、世に見えぬさまなり。詠などしたまへるは、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」と聞こゆ。おもしろくあはれなるに、 帝、涙を拭ひたまひ、 上達部、親王たちも、みな泣きたまひぬ。詠はてて、袖うちなほしたまへるに、待ちとりたる楽のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、 常よりも光ると見えたまふ。
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入り方の日の光、鮮やかに差し込んでいる時に、楽の声が高まり、感興もたけなわの時に、同じ舞の足拍子、表情は、世にまたとない様子である。朗唱などをなさっている声は、「これが、仏の御迦陵頻伽のお声だろうか」と聞こえる。美しくしみじみと心打つので、帝は、涙をお拭いになさり、上達部、親王たちも、皆落涙なさった。朗唱が終わって、袖をさっとお直しになると、待ち構えていた楽の音が賑やかに奏され、お顔の色が一段と映えて、常よりも光り輝いてお見えになる。
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夕方前のさっと明るくなった日光のもとで青海波は舞われたのである。地をする音楽もことに冴えて聞こえた。同じ舞ながらも面づかい、足の踏み方などのみごとさに、ほかでも舞う青海波とは全然別な感じであった。舞い手が歌うところなどは、極楽の迦陵頻伽の声と聞かれた。源氏の舞の巧妙さに帝は御落涙あそばされた。陪席した高官たちも親王方も同様である。歌が終わって袖が下へおろされると、待ち受けたようににぎわしく起こる楽音に舞い手の頬が染まって常よりもまた光る君と見えた。
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Irigata no hikage, sayaka ni sasi taru ni, gaku no kowe masari, mono no omosiroki hodo ni, onazi mahi no asibumi, omomoti, yo ni miye nu sama nari. Ei nado si tamahe ru ha, "Kore ya, hotoke no ohom-Kareubinga no kowe nara m" to kikoyu. Omosiroku ahare naru ni, Mikado, namida wo nogohi tamahi, kamdatime, miko-tati mo, mina naki tamahi nu. Ei hate te, sode uti-nahosi tamahe ru ni, mati tori taru gaku no nigihahasiki ni, kaho no iroahi masari te, tune yori mo hikaru to miye tamahu.
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1.1.4 |
春宮の女御、かくめでたきにつけても、ただならず思して、「 神など、空にめでつべき容貌かな。うたてゆゆし」とのたまふを、 若き女房などは、心憂しと耳とどめけり。藤壺は、「 おほけなき心のなからましかば、ましてめでたく見えまし」と思すに、夢の心地なむしたまひける。
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春宮の女御は、このように立派に見えるのにつけても、おもしろからずお思いになって、「神などが、空から魅入りそうな容貌だこと。嫌な、不吉だこと」とおっしゃるのを、若い女房などは、厭味なと、聞きとがめるのであった。藤壷は、「大それた心のわだかまりがなかったならば、いっそう素晴らしく見えたろうに」とお思いになると、夢のような心地がなさるのであった。
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東宮の母君の女御は舞い手の美しさを認識しながらも心が平らかでなかったのである。「神様があの美貌に見入ってどうかなさらないかと思われるね、気味の悪い」こんなことを言うのを、若い女房などは情けなく思って聞いた。藤壺の宮は自分にやましい心がなかったらまして美しく見える舞であろうと見ながらも夢のような気があそばされた。
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Touguunonyougo, kaku medetaki ni tuke te mo, tada nara zu obosi te, "Kami nado, sora ni mede tu beki katati kana! Utate yuyusi." to notamahu wo, wakaki nyoubou nado ha, kokorousi to mimi todome keri. Huditubo ha, "Ohokenaki kokoro no nakara masika ba, masite medetaku miye masi." to obosu ni, yume no kokoti nam si tamahi keru.
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1.1.5 |
宮は、やがて御宿直なりけり。
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宮は、そのまま御宿直なのであった。
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その夜の宿直の女御はこの宮であった。
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Miya ha, yagate ohom-tonowi nari keri.
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1.1.6 |
「 今日の試楽は、青海波に事みな尽きぬな。いかが見たまひつる」
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「今日の試楽は、青海波に万事尽きてしまったな。どう御覧になりましたか」
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「今日の試楽は青海波が王だったね。どう思いましたか」
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"Kehu no sigaku ha, Seigaiha ni koto mina tuki nu na! Ikaga mi tamahi turu?"
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1.1.7 |
と、聞こえたまへば、 あいなう、御いらへ聞こえにくくて、
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と、お尋ね申し上げあそばすと、心ならずも、お答え申し上げにくくて、
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宮はお返辞がしにくくて、
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to, kikoye tamahe ba, ainau, ohom-irahe kikoye nikuku te,
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1.1.8 |
「 殊にはべりつ」とばかり聞こえたまふ。
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「格別でございました」とだけお返事申し上げなさる。
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「特別に結構でございました」とだけ。
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"Koto ni haberi tu." to bakari kikoye tamahu.
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1.1.9 |
「 片手もけしうはあらずこそ見えつれ。舞のさま、手づかひなむ、家の子は殊なる。この世に名を得たる舞の男どもも、げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋を、えなむ見せぬ。試みの日、かく尽くしつれば、 紅葉の蔭やさうざうしくと思へど、見せたてまつらむの心にて、用意せさせつる」など聞こえたまふ。
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「相手役も、悪くはなく見えた。舞の様子、手捌きは、良家の子弟は格別であるな。世間で名声を博している舞の男どもも、確かに大したものであるが、大様で優美な趣きを、表すことができない。試楽の日に、こんなに十分に催してしまったので、紅葉の木陰は寂しかろうかと思うが、お見せ申したいとの気持ちで、念入りに催させた」などと、お話し申し上げあそばす。
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「もう一人のほうも悪くないようだった。曲の意味の表現とか、手づかいとかに貴公子の舞はよいところがある。専門家の名人は上手であっても、無邪気な艶な趣をよう見せないよ。こんなに試楽の日に皆見てしまっては朱雀院の紅葉の日の興味がよほど薄くなると思ったが、あなたに見せたかったからね」など仰せになった。
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"Katate mo kesiu ha ara zu koso miye ture. Mahi no sama, tedukahi nam, ihenoko ha koto naru. Kono yo ni na wo e taru mahi no wonoko-domo mo, geni ito kasikokere do, kokosiu namamei taru sudi wo, e nam mise nu. Kokoromi no hi, kaku tukusi ture ba, momidi no kage ya sauzausiku to omohe do, mise tatematura m no kokoro nite, youi se sase turu." nado kikoye tamahu.
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1.2 |
第二段 試楽の翌日、源氏藤壺と和歌を贈答
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1-2 Genji and Fujitsubo compose and exchange waka the next day
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1.2.1 |
つとめて、中将君、
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翌朝、中将の君、
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翌朝源氏は藤壺の宮へ手紙を送った。
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Tutomete, Tyuuzyaunokimi,
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1.2.2 |
「 いかに御覧じけむ。世に知らぬ乱り心地ながらこそ。
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「どのように御覧になりましたでしょうか。何とも言えないつらい気持ちのままで。
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どう御覧くださいましたか。苦しい思いに心を乱しながらでした。
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"Ikani goranzi kem? Yo ni sira nu midarigokoti nagara koso.
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1.2.3 |
もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや |
つらい気持ちのまま立派に舞うことなどはとてもできそうもないわが身が 袖を振って舞った気持ちはお分りいただけたでしょうか |
物思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の 袖うち振りし心知りきや
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Mono omohu ni tati mahu beku mo ara nu mi no sode uti-huri si kokoro siri ki ya |
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1.2.4 |
あなかしこ」
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恐れ多いことですが」
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失礼をお許しください。
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Ana kasiko."
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1.2.5 |
とある御返り、目もあやなりし御さま、容貌に、見たまひ忍ばれずやありけむ ★、
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とあるお返事、目を奪うほどであったご様子、容貌に、お見過ごしになれなかったのであろうか、
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とあった。目にくらむほど美しかった昨日の舞を無視することがおできにならなかったのか、宮はお書きになった。
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to aru ohom-kaheri, me mo ayanari si ohom-sama, katati ni, mi tamahi sinoba re zu ya ari kem,
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1.2.6 |
「 唐人の袖振ることは遠けれど 立ち居につけてあはれとは見き |
「唐の人が袖振って舞ったことは遠い昔のことですが その立ち居舞い姿はしみじみと拝見いたしました |
から人の袖ふることは遠けれど 起ち居につけて哀れとは見き
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"Karahito no sode huru koto ha tohokere do tatiwi ni tuke te ahare to ha mi ki |
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1.2.7 |
大方には」
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並々のことには」
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一観衆として。
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Ohokata ni ha."
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1.2.8 |
とあるを、限りなうめづらしう、「 かやうの方さへ、たどたどしからず、ひとの朝廷まで思ほしやれる御后言葉の、かねても」と、ほほ笑まれて、持経のやうにひき広げて見ゐたまへり。
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とあるのを、この上なく珍しく、「このようなことにまで、お詳しくいらっしゃり、唐国の朝廷まで思いをはせられるお后としてのお和歌を、もう今から」と、自然とほほ笑まれて、持経のように広げてご覧になっていた。
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たまさかに得た短い返事も、受けた源氏にとっては非常な幸福であった。支那における青海波の曲の起源なども知って作られた歌であることから、もう十分に后らしい見識を備えていられると源氏は微笑して、手紙を仏の経巻のように拡げて見入っていた。
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to aru wo, kagirinau medurasiu, "Kayau no kata sahe, tadotadosikara zu, hito no mikado made omohosi yare ru ohom-kisakikotoba no, kanete mo." to, hohowema re te, dikyau no yau ni hiki hiroge te mi wi tamaheri.
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注釈25 | つとめて中将君 | 1.2.1 |
注釈26 | いかに御覧じけむ世に知らぬ乱り心地ながらこそ | 1.2.2 |
注釈27 | もの思ふに立ち舞ふべくもあらぬ身の--袖うち振りし心知りきや | 1.2.3 |
注釈28 | あなかしこ | 1.2.4 |
注釈29 | とある御返り目もあやなりし御さま容貌に見たまひ忍ばれずやありけむ | 1.2.5 |
注釈30 | 唐人の袖振ることは遠けれど--立ち居につけてあはれとは見き | 1.2.6 |
注釈31 | 大方には | 1.2.7 |
注釈32 | かやうの方さへ | 1.2.8 |
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1.3 |
第三段 十月十余日、朱雀院へ行幸
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1-3 Mikado goes to Suzaku-in at 10 something in October
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1.3.1 |
行幸には、親王たちなど、世に残る人なく仕うまつりたまへり。春宮もおはします。例の、楽の舟ども漕ぎめぐりて、唐土、高麗と、尽くしたる舞ども、種多かり。楽の声、鼓の音、世を響かす。
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行幸には、親王たちなど、宮廷を挙げて一人残らず供奉なさった。春宮もお出ましになる。恒例によって、楽の舟々が漕ぎ廻って、唐楽、高麗楽のと、数々を尽くした舞は、幾種類も多い。楽の声、鼓の音、四方に響き渡る。
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行幸の日は親王方も公卿もあるだけの人が帝の供奉をした。必ずあるはずの奏楽の船がこの日も池を漕ぎまわり、唐の曲も高麗の曲も舞われて盛んな宴賀だった。
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Gyaugau ni ha, Miko-tati nado, yo ni nokoru hito naku tukaumaturi tamahe ri. Touguu mo ohasimasu. Rei no, gaku no hune-domo kogi meguri te, Morokosi, Koma to, tukusi taru mahi-domo, kusa ohokari. Gaku no kowe, tudumi no oto, yo wo hibikasu.
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1.3.2 |
一日の源氏の御夕影、 ゆゆしう思されて、御誦経など所々にせさせたまふを、聞く人もことわりとあはれがり聞こゆるに、 春宮の女御は、あながちなりと、憎みきこえたまふ。
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先日の源氏の夕映えのお姿、不吉に思し召されて、御誦経などを方々の寺々におさせになるのを、聞く人ももっともであると感嘆申し上げるが、春宮の女御は、大仰であると、ご非難申し上げなさる。
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試楽の日の源氏の舞い姿のあまりに美しかったことが魔障の耽美心をそそりはしなかったかと帝は御心配になって、寺々で経をお読ませになったりしたことを聞く人も、御親子の情はそうあることと思ったが、東宮の母君の女御だけはあまりな御関心ぶりだとねたんでいた。
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Hitohi no Genzi no ohom-yuhukage, yuyusiu obosa re te, mizyukyau nado tokorodokoro ni se sase tamahu wo, kiku hito mo kotowari to aharegari kikoyuru ni, Touguunonyougo ha, anagati nari to, nikumi kikoye tamahu.
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1.3.3 |
垣代など、殿上人、地下も、心殊なりと世人に思はれたる有職の限りととのへさせたまへり。 宰相二人、左衛門督、右衛門督、左右の楽のこと行ふ。舞の師どもなど、世になべてならぬを 取りつつ、おのおの籠りゐてなむ習ひける。
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垣代などには、殿上人、地下人でも、優秀だと世間に評判の高い精通した人たちだけをお揃えあそばしていた。宰相二人、左衛門督、右衛門督が、左楽と右楽とを指揮する。舞の師匠たちなど、世間で一流の人たちをそれぞれ招いて、各自家に引き籠もって練習したのであった。
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楽人は殿上役人からも地下からもすぐれた技倆を認められている人たちだけが選り整えられたのである。参議が二人、それから左衛門督、右衛門督が左右の楽を監督した。舞い手はめいめい今日まで良師を選んでした稽古の成果をここで見せたわけである。
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Kaisiro nado, tenzyaubito, dige mo, kokoro koto nari to yohito ni omohare taru iusoku no kagiri totonohe sase tamahe ri. Saisyau hutari, Sawemonnokami, Uwemonnokami, hidari migi no gaku no koto okonahu. Mahi no si-domo nado, yo ni nabete nara nu wo tori tutu, onoono komori wi te nam narahi keru.
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1.3.4 |
木高き紅葉の蔭に、四十人の垣代、言ひ知らず吹き立てたる物の音どもにあひたる松風、まことの 深山おろしと聞こえて吹きまよひ、色々に散り交ふ木の葉のなかより、青海波のかかやき出でたるさま、いと恐ろしきまで見ゆ。かざしの紅葉いたう 散り過ぎて、顔のにほひにけおされたる心地すれば、御前なる菊を折りて、 左大将さし替へたまふ。
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木高い紅葉の下に、四十人の垣代、何とも言い表しようもなく見事に吹き鳴らしている笛の音に響き合っている松風、本当の深山颪と聞こえて吹き乱れ、色とりどりに散り乱れる木の葉の中から、青海波の光り輝いて舞い出る様子、何とも恐ろしいまでに見える。插頭の紅葉がたいそう散って薄くなって、顔の照り映える美しさに圧倒された感じがするので、御前に咲いている菊を折って、左大将が差し替えなさる。
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四十人の楽人が吹き立てた楽音に誘われて吹く松の風はほんとうの深山おろしのようであった。いろいろの秋の紅葉の散りかう中へ青海波の舞い手が歩み出た時には、これ以上の美は地上にないであろうと見えた。挿しにした紅葉が風のために葉数の少なくなったのを見て、左大将がそばへ寄って庭前の菊を折ってさし変えた。
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Kodakaki momidi no kage ni, yoso bito no kaisiro, ihi sira zu huki tate taru mononone-domo ni ahi taru matukaze, makoto no miyamaorosi to kikoye te huki mayohi, iroiro ni tiri kahu konoha no naka yori, Seigaiha no kakayaki ide taru sama, ito osorosiki made miyu. Kazasi no momidi itau tiri sugi te, kaho no nihohi ni keosare taru kokoti sure ba, omahe naru kiku wo wori te, Sadaisyau sasi-kahe tamahu.
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1.3.5 |
日暮れかかるほどに、けしきばかりうちしぐれて、空のけしきさへ見知り顔なるに、さるいみじき姿に、菊の色々移ろひ、えならぬをかざして、今日はまたなき手を尽くしたる 入綾のほど、そぞろ寒く、この世のことともおぼえず。もの見知るまじき下人などの、木のもと、岩隠れ、山の木の葉に埋もれたるさへ、すこしものの心知るは涙落としけり。
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日の暮れかかるころに、ほんの少しばかり時雨が降って、空の様子までが感涙を催しているのに、そうした非常に美しい姿で、菊が色とりどりに変色し、その素晴らしいのを冠に插して、今日は又とない秘術を尽くした入綾の舞の時には、ぞくっと寒気がし、この世の舞とは思われない。何も分るはずのない下人どもで、木の下、岩の陰、築山の木の葉に埋もれている者までが、少し物の情趣を理解できる者は感涙に咽ぶのであった。
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日暮れ前になってさっと時雨がした。空もこの絶妙な舞い手に心を動かされたように。美貌の源氏が紫を染め出したころの白菊を冠に挿して、今日は試楽の日に超えて細かな手までもおろそかにしない舞振りを見せた。終わりにちょっと引き返して来て舞うところなどでは、人が皆清い寒気をさえ覚えて、人間界のこととは思われなかった。物の価値のわからぬ下人で、木の蔭や岩の蔭、もしくは落ち葉の中にうずもれるようにして見ていた者さえも、少し賢い者は涙をこぼしていた。
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Hi kure kakaru hodo ni, kesiki bakari uti-sigure te, sora no kesiki sahe misiri gaho naru ni, saru imiziki sugata ni, kiku no iroiro uturohi, e nara nu wo kazasi te, kehu ha matanaki te wo tukusi taru iriaya no hodo, sozorosamuku, kono yo no koto to mo oboye zu. Mono mi siru maziki simobito nado no, ko no moto, iha gakure, yama no konoha ni udumore taru sahe, sukosi mono no kokoro siru ha namida otosi keri.
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1.3.6 |
承香殿の御腹の四の御子、まだ童にて、秋風楽舞ひたまへるなむ、さしつぎの見物なりける。これらにおもしろさの尽きにければ、こと事に目も移らず、 かへりてはことざましにやありけむ。
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承香殿の女御の第四皇子、まだ童姿で、秋風楽をお舞いになったのが、これに次ぐ見物であった。これらに興趣も尽きてしまったので、他の事には関心も移らず、かえって興ざましであったろうか。
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承香殿の女御を母にした第四親王がまだ童形で秋風楽をお舞いになったのがそれに続いての見物だった。この二つがよかった。あとのはもう何の舞も人の興味を惹かなかった。ないほうがよかったかもしれない。
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Syoukyauden no ohom-hara no Sinomiko, mada waraha nite, Siuhuuraku mahi tamahe ru nam, sasitugi no mimono nari keru. Korera ni omosirosa no tuki ni kere ba, kotogoto ni me mo utura zu, kaheri te ha kotozamasi ni ya ari kem.
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1.3.7 |
その夜、 源氏中将、正三位したまふ。頭中将、正下の加階したまふ。上達部は、皆さるべき限りよろこびしたまふも、この君にひかれたまへるなれば、人の目をもおどろかし、心をもよろこばせたまふ、 昔の世ゆかしげなり。
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その夜、源氏の中将、正三位になられる。頭中将、正四位下に昇進なさる。上達部は、皆しかるべき人々は相応の昇進をなさるのも、この君の昇進につれて恩恵を蒙りなさるので、人の目を驚かし、心をも喜ばせなさる、前世が知りたいほどである。
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今夜源氏は従三位から正三位に上った。頭中将は正四位下が上になった。他の高官たちにも波及して昇進するものが多いのである。当然これも源氏の恩であることを皆知っていた。この世でこんなに人を喜ばしうる源氏は前生ですばらしい善業があったのであろう。
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Sono yo, Genzinotyuuzyau, zyauzamwi si tamahu. Tounotiuzyau, zyauge no kakai si tamahu. Kamdatime ha, mina sarubeki kagiri yorokobi si tamahu mo, kono Kimi ni hika re tamahe ru nare ba, hito no me wo mo odorokasi, kokoro wo mo yorokoba se tamahu, mukasi no yo yukasige nari.
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1.4 |
第四段 葵の上、源氏の態度を不快に思う
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1-4 Aoi is disleased for Genji's flighty behavior
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1.4.1 |
宮は、そのころまかでたまひぬれば、例の、隙もやとうかがひありきたまふをことにて、 大殿には騒がれたまふ。いとど、 かの若草たづね取りたまひてしを、「 二条院には人迎へたまふなり ★」と人の聞こえければ、いと 心づきなしと思いたり。
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宮は、そのころご退出なさったので、例によって、お会いできる機会がないかと窺い回るのに夢中であったので、大殿では穏やかではいらっしゃれない。その上、あの若草をお迎えになったのを、「二条院では女の人をお迎えになったそうだ」と、誰かが申し上げたので、まことに気に食わないとお思いになっていた。
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それがあってから藤壺の宮は宮中から実家へお帰りになった。逢う機会をとらえようとして、源氏は宮邸の訪問にばかりかかずらっていて、左大臣家の夫人もあまり訪わなかった。その上紫の姫君を迎えてからは、二条の院へ新たな人を入れたと伝えた者があって、夫人の心はいっそう恨めしかった。
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Miya ha, sonokoro makade tamahi nure ba, rei no, hima mo ya to ukagahi ariki tamahu wo koto nite, Ohoidono ni ha sawaga re tamahu. Itodo, kano Wakakusa tadune tori tamahi te si wo, "Nideunowin ni ha hito mukahe tamahu nari." to hito no kikoye kere ba, ito kokorodukinasi to oboi tari.
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1.4.2 |
「 うちうちのありさまは知りたまはず、さも思さむはことわりなれど、心うつくしく、例の人のやうに怨みのたまはば、我もうらなくうち語りて、慰めきこえてむものを、思はずにのみとりないたまふ心づきなさに、 さもあるまじきすさびごとも出で来るぞかし。人の御ありさまの、かたほに、そのことの 飽かぬとおぼゆる疵もなし。人よりさきに見たてまつりそめてしかば、あはれにやむごとなく思ひきこゆる心をも、知りたまはぬほどこそあらめ、つひには思し直されなむ」と、「 おだしく軽々しからぬ御心のほども、おのづから」と、頼まるる方はことなりけり。
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「内々の様子はご存知なく、そのようにお思いになるのはごもっともであるが、素直で、普通の女性のように恨み言をおっしゃるのならば、自分も腹蔵なくお話して、お慰め申し上げようものを、心外なふうにばかりお取りになるのが不愉快なので、起こさなくともよい浮気沙汰まで起こるのだ。相手のご様子は、不十分で、どこが不満だと思われる欠点もない。誰よりも先に結婚した方なので、愛しく大切にお思い申している気持ちを、まだご存知ないのであろうが、いつかはお思い直されよう」と、「安心できる軽率でないご性質だから、いつかは」と、期待できる点では格別なのであった。
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真相を知らないのであるから恨んでいるのがもっともであるが、正直に普通の人のように口へ出して恨めば自分も事実を話して、自分の心持ちを説明もし慰めもできるのであるが、一人でいろいろな忖度をして恨んでいるという態度がいやで、自分はついほかの人に浮気な心が寄っていくのである。とにかく完全な女で、欠点といっては何もない、だれよりもいちばん最初に結婚した妻であるから、どんなに心の中では尊重しているかしれない、それがわからない間はまだしかたがない。将来はきっと自分の思うような妻になしうるだろうと源氏は思って、その人が少しのことで源氏から離れるような軽率な行為に出ない性格であることも源氏は信じて疑わなかったのである。永久に結ばれた夫婦としてその人を思う愛にはまた特別なものがあった。
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"Utiuti no arisama ha siri tamaha zu, samo obosa m ha kotowari nare do, kokoroutukusiku, rei no hito no yau ni urami notamaha ba, ware mo uranaku uti-katari te, nagusame kikoye te m mono wo, omoha zu ni nomi tori-nai tamahu kokorodukinasa ni, samo arumaziki susabigoto mo idekuru zo kasi. Hito no ohom-arisama no, kataho ni, sono koto no aka nu to oboyuru kizu mo nasi. Hito yori saki ni mi tatematuri some te sika ba, ahare ni yamgotonaku omohi kikoyuru kokoro wo mo, siri tamaha nu hodo koso ara me, tuhini ha obosi nahosa re nam." to, "Odasiku karugarusikara nu mikokoro no hodo mo, onodukara." to, tanoma ruru kata ha koto nari keri.
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Last updated 9/20/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 4/15/2009(ver.2-3) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 5/1/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-1) |
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Last updated 4/15/2009 (ver.2-3) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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