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第七帖 紅葉賀
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07 MOMIDI-NO-GA (Ohoshima-bon)
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光る源氏の十八歳冬十月から十九歳秋七月までの宰相兼中将時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Chujo era from October in winter at the age of 18 to July in fall at the age of 19
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2 |
第二章 紫の物語 源氏、紫の君に心慰める
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2 Tale of Murasaki Genji comforts himself by seeing Murasaki
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2.1 |
第一段 紫の君、源氏を慕う
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2-1 Murasaki is harmonious to Genji
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2.1.1 |
幼き人は、見ついたまふ ままに、いとよき心ざま、容貌にて、何心もなくむつれまとはしきこえたまふ。「 しばし、殿の内の人にも誰れと知らせじ」と思して、なほ 離れたる対に、御しつらひ二なくして、我も明け暮れ入りおはして、よろづの御ことどもを 教へきこえたまひ、手本書きて習はせなどしつつ、ただほかなりける御むすめを迎へたまへらむやうにぞ思したる。
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幼い人は馴染まれるにつれて、とてもよい性質、容貌なので、無心に懐いてお側からお放し申されない。「暫くの間は、邸内の者にも誰それと知らせまい」とお思いになって、今も離れた対の屋に、お部屋の設備をまたとなく立派にして、ご自分も明け暮れお入りになって、ありとあらゆるお稽古事をお教え申し上げなさる。お手本を書いてお習字などさせては、まるで他で育ったご自分の娘をお迎えになったようなお気持ちでいらっしゃった。
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若紫は馴れていくにしたがって、性質のよさも容貌の美も源氏の心を多く惹いた。姫君は無邪気によく源氏を愛していた。家の者にも何人であるか知らすまいとして、今も初めの西の対を住居にさせて、そこに華麗な設備をば加え、自身も始終こちらに来ていて若い女王を教育していくことに力を入れているのである。手本を書いて習わせなどもして、今までよそにいた娘を呼び寄せた善良な父のようになっていた。
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Wosanaki hito ha, mitui tamahu mama ni, ito yoki kokorozama, katati nite, nanigokoro mo naku muture matohasi kikoye tamahu. "Sibasi, tono no uti no hito ni mo tare to sirase zi." to obosi te, naho hanare taru tai ni, ohom-siturahi ninaku si te, ware mo akekure iri ohasi te, yorodu no ohom-koto-domo wo wosihe kikoye tamahi, tehon kaki te naraha se nado si tutu, tada hoka nari keru ohom-musume wo mukahe tamahe ram yau ni zo obosi taru.
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2.1.2 |
政所、家司などをはじめ、ことに分かちて、心もとなからず仕うまつらせたまふ。惟光よりほかの人は、おぼつかなくのみ思ひきこえたり。かの父宮も、え知りきこえたまはざりけり。
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政所、家司などをはじめとして、別に分けて、心配がないようにお仕えさせなさる。惟光以外の人は、はっきり分からずばかり思い申し上げていた。あの父宮も、ご存知ないのであった。
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事務の扱い所を作り、家司も別に命じて貴族生活をするのに何の不足も感じさせなかった。しかも惟光以外の者は西の対の主の何人であるかをいぶかしく思っていた。
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Mandokoro, keisi nado wo hazime, kotoni wakati te, kokoromotonakara zu tukaumatura se tamahu. Koremitu yori hoka no hito ha, obotukanaku nomi omohi kikoye tari. Kano Titimiya mo, e siri kikoye tamaha zari keri.
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2.1.3 |
姫君は、なほ時々思ひ出できこえたまふ時、尼君を恋ひきこえたまふ折多かり。君のおはするほどは、紛らはしたまふを、夜などは、時々こそ泊まりたまへ、ここかしこの御いとまなくて、暮るれば出でたまふを、慕ひきこえたまふ折などあるを、 いとらうたく思ひきこえたまへり。
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姫君は、やはり時々お思い出しなさる時は、尼君をお慕い申し上げなさる時々が多い。君がおいでになる時は、気が紛れていらっしゃるが、夜などは、時々はお泊まりになるが、あちらこちらの方々にお忙しくて、暮れるとお出かけになるのを、お後を慕いなさる時などがあるのを、とてもかわいいとお思い申し上げていらっしゃった。
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女王は今も時々は尼君を恋しがって泣くのである。源氏のいる間は紛れていたが、夜などまれにここで泊まることはあっても、通う家が多くて日が暮れると出かけるのを、悲しがって泣いたりするおりがあるのを源氏はかわいく思っていた。
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Himegimi ha, naho, tokidoki omohi ide kikoye tamahu toki, Amagimi wo kohi kikoye tamahu wori ohokari. Kimi no ohasuru hodo ha, magirahasi tamahu wo, yoru nado ha, tokidoki koso tomari tamahe, koko kasiko no ohom-itoma naku te, kurure ba ide tamahu wo, sitahi kikoye tamahu wori nado aru wo, ito rautaku omohi kikoye tamahe ri.
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2.1.4 |
二、三日内裏にさぶらひ、大殿にもおはする折は、いといたく 屈しなどしたまへば、 心苦しうて、母なき子持たらむ心地して、歩きも 静心なくおぼえたまふ。僧都は、かくなむ、と聞きたまひて、あやしきものから、うれしとなむ思ほしける。 かの御法事などしたまふにも、いかめしうとぶらひきこえたまへり。
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二、三日宮中に伺候し、大殿にもいらっしゃる時は、とてもひどく塞ぎ込んだりなさるので、気の毒で、母親のいない子を持ったような心地がして、外出も落ち着いてできなくお思いになる。僧都は、これこれと、お聞きになって、不思議な気がする一方で、嬉しいことだとお思いであった。あの尼君の法事などをなさる時にも、立派なお供物をお届けなさった。
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二、三日御所にいて、そのまま左大臣家へ行っていたりする時は若紫がまったくめいり込んでしまっているので、母親のない子を持っている気がして、恋人を見に行っても落ち着かぬ心になっているのである。僧都はこうした報告を受けて、不思議に思いながらもうれしかった。尼君の法事の北山の寺であった時も源氏は厚く布施を贈った。
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Ni, samniti uti ni saburahi, Ohotono ni mo ohasuru wori ha, ito itaku ku'si nado si tamahe ba, kokorogurusiu te, haha naki ko mo' tara m kokoti si te, ariki mo sidugokoro naku oboye tamahu. Soudu ha, kaku nam, to kiki tamahi te, ayasiki mono kara, uresi to nam omohosi keru. Kano ohom-hohuzi nado si tamahu ni mo, ikamesiu toburahi kikoye tamahe ri.
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2.2 |
第二段 藤壺の三条宮邸に見舞う
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2-2 Genji visits Fujitsubo's residence on Samjo
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2.2.1 |
藤壺のまかでたまへる三条の宮に、御ありさまもゆかしうて、参りたまへれば、命婦、中納言の君、中務などやうの人びと対面したり。「 けざやかにももてなしたまふかな」と、やすからず思へど、しづめて、大方の御物語聞こえたまふほどに、兵部卿宮参りたまへり。
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藤壷が退出していらっしゃる三条の宮に、ご様子も知りたくて、参上なさると、命婦、中納言の君、中務などといった女房たちが応対に出た。「他人行儀なお扱いであるな」と、おもしろくなく思うが、落ち着けて、世間一般のお話を申し上げなさっているところに、兵部卿宮が参上なさった。
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藤壺の宮の自邸である三条の宮へ、様子を知りたさに源氏が行くと王命婦、中納言の君、中務などという女房が出て応接した。源氏はよそよそしい扱いをされることに不平であったが自分をおさえながらただの話をしている時に兵部卿の宮がおいでになった。
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Huditubo no makade tamahe ru Samdeunomiya ni, ohom-arisama mo yukasiu te, mawiri tamahe re ba, Myaubu, Tyuunagonnokimi, Nakatukasa nado yau no hitobito taime si tari. "Kezayaka ni mo motenasi tamahu kana!" to, yasukara zu omohe do, sidume te, ohokata no ohom-monogatari kikoye tamahu hodo ni, Hyaubukyaunomiya mawiri tamahe ri.
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2.2.2 |
この君おはすと聞きたまひて、対面したまへり。 いとよしあるさまして、色めかしうなよびたまへるを、「 女にて見むはをかしかりぬべく」、人知れず見たてまつりたまふにも、かたがた むつましくおぼえたまひて、こまやかに御物語など聞こえたまふ。宮も、この御さまの常よりことになつかしううちとけたまへるを、「 いとめでたし」と見たてまつりたまひて、 婿になどは思し寄らで、「 女にて見ばや」と、色めきたる御心には思ほす。
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この君がいらっしゃるとお聞きになって、お会いなさった。とても風情あるご様子をして、色っぽくなよなよとしていらっしゃるのを、「女性として見るにはきっと素晴らしいに違いなかろう」と、こっそりと拝見なさるにつけても、あれこれと睦まじくお思いになられて、懇ろにお話など申し上げなさる。宮も、君のご様子がいつもより格別に親しみやすく打ち解けていらっしゃるのを、「じつに素晴らしい」と拝見なさって、婿でいらっしゃるなどとはお思いよりにもならず、「女としてお会いしたいものだ」と、色っぽいお気持ちにお考えになる。
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源氏が来ていると聞いてこちらの座敷へおいでになった。貴人らしい、そして艶な風流男とお見えになる宮を、このまま女にした顔を源氏はかりに考えてみてもそれは美人らしく思えた。藤壺の宮の兄君で、また可憐な若紫の父君であることにことさら親しみを覚えて源氏はいろいろな話をしていた。兵部卿の宮もこれまでよりも打ち解けて見える美しい源氏を、婿であるなどとはお知りにならないで、この人を女にしてみたいなどと若々しく考えておいでになった。
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Kono Kimi ohasu to kiki tamahi te, taime si tamahe ri. Ito yosi aru sama si te, iromekasiu nayobi tamahe ru wo, "Womna ni te mi m ha wokasikari nu beku", hito sire zu mi tatematuri tamahu ni mo, katagata mutumasiku oboye tamahi te, komayaka ni ohom-monogatari nado kikoye tamahu. Miya mo, kono ohom-arisama no tune yori koto ni natukasiu utitoke tamahe ru wo, "Ito medetasi" to mi tatematuri tamahi te, muko ni nado ha obosi yora de, "Womna ni te mi baya" to, iromeki taru mikokoro ni ha omohosu.
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2.2.3 |
暮れぬれば、 御簾の内に入りたまふを、うらやましく、 昔は、主上の御もてなしに、いとけ近く、人づてならで、ものをも聞こえたまひしを、こよなう疎みたまへるも、つらうおぼゆるぞ わりなきや。
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日が暮れたので、御簾の内側にお入りになるのを、羨ましく、昔はお上の御待遇で、とても近くで直接にお話申し上げになさったのに、すっかり疎んじていらっしゃるのも、辛く思われるとは、理不尽なことであるよ。
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夜になると兵部卿の宮は女御の宮のお座敷のほうへはいっておしまいになった。源氏はうらやましくて、昔は陛下が愛子としてよく藤壺の御簾の中へ自分をお入れになり、今日のように取り次ぎが中に立つ話ではなしに、宮口ずからのお話が伺えたものであると思うと、今の宮が恨めしかった。
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Kure nure ba, misu no uti ni iri tamahu wo, urayamasiku, mukasi ha, Uhe no ohom-motenasi ni, ito kedikaku, hitodute nara de, mono wo mo kikoye tamahi si wo, koyonau utomi tamahe ru mo, turau oboyuru zo warinaki ya!
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2.2.4 |
「 しばしばもさぶらふべけれど、事ぞとはべらぬほどは、おのづからおこたりはべるを、 さるべきことなどは、 仰せ言もはべらむこそ、うれしく」
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「しばしばお伺いすべきですが、特別の事でもない限りは、参上するのも自然滞りがちになりますが、しかるべき御用などは、お申し付けございましたら、嬉しく」
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「たびたび伺うはずですが、参っても御用がないと自然怠けることになります。命じてくださることがありましたら、御遠慮なく言っておつかわしくださいましたら満足です」
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"Sibasiba mo saburahu bekere do, koto zo to habera nu hodo ha, onodukara okotari haberu wo, sarubeki koto nado ha, ohosegoto mo habera m koso, uresiku."
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2.2.5 |
など、すくすくしうて出でたまひぬ。命婦も、たばかりきこえむかたなく、宮の御けしきも、 ありしよりは、いとど憂きふしに思しおきて、 心とけぬ御けしきも、 恥づかしくいとほしければ、何のしるしもなくて、過ぎゆく。「 はかなの契りや」と思し乱るること、かたみに尽きせず。
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などと、堅苦しい挨拶をしてお出になった。命婦も、手引き申し上げる手段もなく、宮のご様子も以前よりは、いっそう辛いことにお思いになっていて、お打ち解けにならないご様子も、恥ずかしくおいたわしくもあるので、何の効もなく、月日が過ぎて行く。「何とはかない御縁か」と、お悩みになること、お互いに嘆ききれない。
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などと堅い挨拶をして源氏は帰って行った。王命婦も策動のしようがなかった。宮のお気持ちをそれとなく観察してみても、自分の運命の陥擠であるものはこの恋である、源氏を忘れないことは自分を滅ぼす道であるということを過去よりもまた強く思っておいでになる御様子であったから手が出ないのである。はかない恋であると消極的に悲しむ人は藤壺の宮であって、積極的に思いつめている人は源氏の君であった。
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nado, sukusukusiu te ide tamahi nu. Myaubu mo, tabakari kikoye m kata naku, Miya no mikesiki mo, arisi yori ha, itodo uki husi ni obosi oki te, kokoro toke nu mikesiki mo, hadukasiku itohosikere ba, nani no sirusi mo naku te, sugi yuku. "Hakana no tigiri ya!" to obosi midaruru koto, katamini tuki se zu.
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2.3 |
第三段 故祖母君の服喪明ける
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2-3 Out of mourning for Murasaki's grandmother
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2.3.1 |
少納言は、「 おぼえずをかしき世を見るかな。これも、故尼上の、この御ことを思して、御行ひにも祈りきこえたまひし仏の御しるしにや」とおぼゆ。「 大殿、いとやむごとなくて おはします。ここかしこあまたかかづらひたまふをぞ、まことに大人びたまはむほどは、むつかしきこともや」とおぼえける。されど、かくとりわきたまへる御おぼえのほどは、いと頼もしげなりかし。
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少納言は、「思いがけず嬉しい運が回って来たこと。これも、故尼上が、姫君様をご心配なさって、御勤行にもお祈り申し上げなさった仏の御利益であろうか」と思われる。「大殿は、本妻として歴としていらっしゃる。あちらこちら大勢お通いになっているのを、本当に成人されてからは、厄介なことも起きようか」と案じられるのだった。しかし、このように特別になさっていらっしゃるご寵愛のうちは、とても心強い限りである。
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少納言は思いのほかの幸福が小女王の運命に現われてきたことを、死んだ尼君が絶え間ない祈願に愛孫のことを言って仏にすがったその効験であろうと思うのであったが、権力の強い左大臣家に第一の夫人があることであるし、そこかしこに愛人を持つ源氏であることを思うと、真実の結婚を見るころになって面倒が多くなり、姫君に苦労が始まるのではないかと恐れていた。しかしこれには特異性がある。少女の日にすでにこんなに愛している源氏であるから将来もたのもしいわけであると見えた。
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Seunagon ha, "Oboye zu wokasiki yo wo miru kana! Kore mo, ko-Amauhe no, kono ohom-koto wo obosi te, ohom-okonahi ni mo inori kikoye tamahi si hotoke no ohom-sirusi ni ya?" to oboyu. "Ohoidono, ito yamgotonaku te ohasimasu. Koko kasiko amata kakadurahi tamahu wo zo, makoto ni otonabi tamaha m hodo ha, mutukasiki koto mo ya?" to oboye keru. Saredo, kaku tori-waki tamahe ru ohom-oboye no hodo ha, ito tanomosige nari kasi.
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2.3.2 |
御服、母方は三月こそはとて、晦日には脱がせたてまつりたまふを、また親もなくて生ひ出でたまひしかば、まばゆき色にはあらで、紅、紫、山吹の地の限り織れる御小袿などを着たまへるさま、いみじう 今めかしくをかしげなり。
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ご服喪は、母方の場合は三箇月であると、晦日には忌明け申し上げさせなさるが、他に親もなくてご成長なさったので、派手な色合いではなく、紅、紫、山吹の地だけで織った御小袿などを召していらっしゃる様子、たいそう当世風でかわいらしげである。
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母方の祖母の喪は三か月であったから、師走の三十日に喪服を替えさせた。母代わりをしていた祖母であったから除喪のあとも派手にはせず濃くはない紅の色、紫、山吹の落ち着いた色などで、そして地質のきわめてよい織物の小袿を着た元日の紫の女王は、急に近代的な美人になったようである。
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Ohom-buku, hahagata ha mituki koso ha tote, tugomori ni ha nuga se tatematuri tamahu wo, mata oya mo naku te ohiide tamahi sika ba, mabayuki iro ni ha ara de, kurenawi, murasaki, yamabuki no di no kagiri ore ru ohom-koutiki nado wo ki tamahe ru sama, imiziu imamekasiku wokasige nari.
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2.4 |
第四段 新年を迎える
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2-4 In newyear Murasaki plays dolls
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2.4.1 |
男君は、朝拝に参りたまふとて、さしのぞきたまへり。
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男君は、朝拝に参内なさろうとして、お立ち寄りになった。
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源氏は宮中の朝拝の式に出かけるところで、ちょっと西の対へ寄った。
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Wotokogimi ha, teuhai ni mawiri tamahu tote, sasi-nozoki tamahe ri.
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2.4.2 |
「 今日よりは、大人しくなりたまへりや」
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「今日からは大人らしくなられましたか」
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「今日からは、もう大人になりましたか」
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"Kehu yori ha, otonasiku nari tamahe ri ya?"
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2.4.3 |
とて、うち笑みたまへる、いとめでたう愛敬づきたまへり。いつしか、雛をし据ゑて、そそきゐたまへる。三尺の御厨子一具に、品々しつらひ据ゑて、また小さき屋ども作り集めて、 たてまつりたまへるを、ところせきまで遊びひろげたまへり。
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と言って微笑んでいらっしゃる、とても素晴らしく魅力的である。早くも、お人形を並べ立てて、忙しくしていらっしゃる。三尺の御厨子一具と、お道具を色々と並べて、他に小さい御殿をたくさん作って、差し上げなさっていたのを、辺りいっぱいに広げて遊んでいらっしゃる。
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と笑顔をして源氏は言った。光源氏の美しいことはいうまでもない。紫の君はもう雛を出して遊びに夢中であった。三尺の据棚二つにいろいろな小道具を置いて、またそのほかに小さく作った家などを幾つも源氏が与えてあったのを、それらを座敷じゅうに並べて遊んでいるのである。
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tote, uti-wemi tamahe ru, ito medetau aigyauduki tamahe ri. Itusika, hihina wo si suwe te, sosoki wi tamahe ru. Samzyaku no midusi hitoyorohi ni, sinazina siturahi suwe te, mata tihisaki ya-domo tukuri atume te, tatematuri tamahe ru wo, tokoroseki made asobi hiroge tamahe ri.
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2.4.4 |
「 儺やらふとて、犬君がこれをこぼちはべりにければ、つくろひはべるぞ」
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「追儺をやろうといって、犬君がこれを壊してしまったので、直しておりますの」
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「儺追いをするといって犬君がこれをこわしましたから、私よくしていますの」
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"Na yarahu tote, Inuki ga kore wo koboti haberi ni kere ba, tukurohi haberu zo."
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2.4.5 |
とて、いと大事と思いたり。
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と言って、とても大事件だとお思いである。
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と姫君は言って、一所懸命になって小さい家を繕おうとしている。
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tote, ito daizi to oboi tari.
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2.4.6 |
「 げに、いと心なき人のしわざにもはべるなるかな。今つくろはせはべらむ。今日は 言忌して、な泣いたまひそ」
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「なるほど、とてもそそっかしい人のやったことらしいですね。直ぐに直させましょう。今日は涙を慎んで、お泣きなさるな」
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「ほんとうにそそっかしい人ですね。すぐ直させてあげますよ。今日は縁起を祝う日ですからね、泣いてはいけませんよ」
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"Geni, ito kokoronaki hito no siwaza ni mo haberu naru kana! Ima tukuroha se habera m. Kehu ha kotoimi si te, na nai tamahi so."
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2.4.7 |
とて、出でたまふけしき、ところせきを、人びと端に出でて見たてまつれば、 姫君も立ち出でて見たてまつりたまひて、雛のなかの源氏の君つくろひ立てて、内裏に参らせなどしたまふ。
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と言って、お出かけになる様子、辺り狭しのご立派さを、女房たちは端に出てお見送り申し上げるので、姫君も立って行ってお見送り申し上げなさって、お人形の中の源氏の君を着飾らせて、内裏に参内させる真似などなさる。
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言い残して出て行く源氏の春の新装を女房たちは縁に近く出て見送っていた。紫の君も同じように見に立ってから、雛人形の中の源氏の君をきれいに装束させて真似の参内をさせたりしているのであった。
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tote, ide tamahu kesiki, tokoroseki wo, hitobito hasi ni ide te mi tatemature ba, Himegimi mo tatiide te mi tatematuri tamahi te, hihina no naka no Genzinokimi tukurohi tate te, uti ni mawira se nado si tamahu.
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2.4.8 |
「 今年だにすこし大人びさせたまへ。十にあまりぬる人は、雛遊びは忌みはべるものを。かく御夫などまうけたてまつりたまひては、あるべかしうしめやかにてこそ、見えたてまつらせたまはめ。御髪参るほどをだに、もの憂くせさせたまふ」
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「せめて今年からはもう少し大人らしくなさいませ。十歳を過ぎた人は、お人形遊びはいけないものでございますのに。このようにお婿様をお持ち申されたからには、奥方様らしくおしとやかにお振る舞いになって、お相手申し上げあそばしませ。お髪をお直しする間さえ、お嫌がりあそばして」
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「もう今年からは少し大人におなりあそばせよ。十歳より上の人はお雛様遊びをしてはよくないと世間では申しますのよ。あなた様はもう良人がいらっしゃる方なんですから、奥様らしく静かにしていらっしゃらなくてはなりません。髪をお梳きするのもおうるさがりになるようなことではね」
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"Kotosi dani sukosi otonabi sase tamahe. Towo ni amari nuru hito ha, hihinaasobi ha imi haberu mono wo. Kaku ohom-wotoko nado mauke tatematuri tamahi te ha, aru bekasiu simeyaka ni te koso, miye tatematura se tamaha me. Migusi mawiru hodo wo dani, monouku se sase tamahu."
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2.4.9 |
など、少納言聞こゆ。御遊びにのみ心入れたまへれば、恥づかしと思はせたてまつらむとて言へば、心のうちに、「 我は、さは、夫まうけてけり。この人びとの夫とてあるは、醜くこそあれ。我はかくをかしげに若き人をも持たりけるかな」と、今ぞ思ほし知りける。 さはいへど、御年の数添ふしるしなめりかし。かく幼き御けはひの、ことに触れてしるければ、殿のうちの人びとも、あやしと思ひけれど、いとかう世づかぬ御添臥ならむとは思はざりけり。
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などと少納言も、お諌め申し上げる。お人形遊びにばかり夢中になっていらっしゃるので、これではいけないと思わせ申そうと思って言うと、心の中で、「わたしは、それでは、夫君を持ったのだわ。この女房たちの夫君というのは、何と醜い人たちなのであろう。わたしは、こんなにも魅力的で若い男性を持ったのだわ」と、今になってお分かりになるのであった。何と言っても、お年を一つ取った証拠なのであろう。このように幼稚なご様子が、何かにつけてはっきり分かるので、殿の内の女房たちも変だと思ったが、とてもこのように夫婦らしくないお添い寝相手だろうとは思わなかったのである。
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などと少納言が言った。遊びにばかり夢中になっているのを恥じさせようとして言ったのであるが、女王は心の中で、私にはもう良人があるのだって、源氏の君がそうなんだ。少納言などの良人は皆醜い顔をしている、私はあんなに美しい若い人を良人にした、こんなことをはじめて思った。というのも一つ年が加わったせいかもしれない。何ということなしにこうした幼稚さが御簾の外まで来る家司や侍たちにも知れてきて、怪しんではいたが、だれもまだ名ばかりの夫人であるとは知らなんだ。
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nado, Seunagon kikoyu. Ohom-asobi ni nomi kokoro ire tamahe re ba, hadukasi to omoha se tatematura m tote ihe ba, kokoro no uti ni, "Ware ha, saha, wotoko mauke te keri. Kono hitobito no wotoko tote aru ha, minikuku koso are. Ware ha kaku wokasige ni wakaki hito wo mo mo' tari keru kana!" to, ima zo omohosi siri keru. Sahaihedo, ohom-tosi no kazu sohu sirusi na' meri kasi. Kaku wosanaki ohom-kehahi no, koto ni hure te sirukere ba, tono no uti no hitobito mo, ayasi to omohi kere do, ito kau yoduka nu ohom-sohibusi nara m to ha omoha zari keri.
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Last updated 9/20/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 4/15/2009(ver.2-3) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 5/1/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-1) |
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Last updated 4/15/2009 (ver.2-3) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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