第十帖 賢木


10 SAKAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from September at the age of 23 to summer at the age of 25

3
第三章 藤壺の物語 塗籠事件


3  Tale of Fujitsubo

3.1
第一段 源氏、再び藤壺に迫る


3-1  Genji meets persistently to Fujitsubo

3.1.1   内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまはぬを、おぼつかなく思ほえたまふ。また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君をぞ、よろづに頼みきこえたまへるに、 なほ、この憎き御心のやまぬに、ともすれば御胸をつぶしたまひつつ、 いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、今さらにまた、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、 春宮の御ために かならずよからぬこと出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、 御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませたてまつらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、 いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づき参りたまへり。心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありける。
 内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上げなされないのを、気がかりに思われなさる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややもすれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになった。慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。
 御所へ参内することも気の進まない源氏であったが、そのために東宮にお目にかからないことを寂しく思っていた。東宮のためにはほかの後援者がなく、ただ源氏だけを中宮も力にしておいでになったが、今になっても源氏は宮を御当惑させるようなことを時々した。院が最後まで秘密の片はしすらご存じなしにおかくれになったことでも、宮は恐ろしい罪であると感じておいでになったのに、今さらまた悪名あくみょうの立つことになっては、自分はともかくも東宮のために必ず大きな不幸が起こるであろうと、宮は御心配になって、源氏の恋を仏力ぶつりきで止めようと、ひそかに祈祷きとうまでもさせてできる限りのことを尽くして源氏の情炎から身をかわしておいでになるが、ある時思いがけなく源氏が御寝所に近づいた。慎重に計画されたことであったから宮様には夢のようであった。
  Uti ni mawiri tamaha m koto ha, uhiuhisiku, tokoroseku obosi nari te, Touguu wo mi tatematuri tamaha nu wo, obotukanaku omohoye tamahu. Mata, tanomosiki hito mo monosi tamaha ne ba, tada kono Daisyau-no-Kimi wo zo, yorodu ni tanomi kikoye tamahe ru ni, naho, kono nikuki mikokoro no yama nu ni, tomosureba ohom-mune wo tubusi tamahi tutu, isasaka mo kesiki wo goranzi sira zu nari ni si wo omohu dani, ito osorosiki ni, imasara ni mata, saru koto no kikoye ari te, waga mi ha saru mono nite, Touguu no ohom-tame ni kanarazu yokara nu koto ideki na m, to obosu ni, ito osorosikere ba, ohom-inori wo sahe se sase te, kono koto omohi yama se tatematura m to, obosi itara nu koto naku nogare tamahu wo, ika naru wori ni ka ari kem, asamasiu te, tikaduki mawiri tamahe ri. Kokorohukaku tabakari tamahi kem koto wo, siru hito nakari kere ba, yume no yau ni zo ari keru.
3.1.2   まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果ては、御胸をいたう悩みたまへば、近うさぶらひつる 命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつりあつかふ。 男は、憂し、つらし、と思ひきこえたまふこと、限りなきに、 来し方行く先、かきくらす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、出でたまはずなりぬ。
 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁などは、驚きあきれてご介抱申し上げる。男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならないままになってしまった。
 源氏が御心みこころを動かそうとしたのは偽らぬ誠を盛った美しい言葉であったが、宮はあくまでも冷静をお失いにならなかった。ついにはお胸の痛みが起こってきてお苦しみになった。命婦みょうぶとかべんとか秘密にあずかっている女房が驚いていろいろな世話をする。源氏は宮が恨めしくてならない上に、この世が真暗まっくらになった気になって呆然ぼうぜんとして朝になってもそのまま御寝室にとどまっていた。
  Manebu beki yau naku kikoye tuduke tamahe do, Miya, ito koyonaku mote-hanare kikoye tamahi te, hatehate ha, ohom-mune wo itau nayami tamahe ba, tikau saburahi turu Myaubu, Ben nado zo, asamasiu mi tatematuri atukahu. Wotoko ha, usi, turasi, to omohi kikoye tamahu koto, kagiri naki ni, kisikata yukusaki, kakikurasu kokoti si te, utusigokoro use ni kere ba, akehate ni kere do, ide tamaha zu nari nu.
3.1.3  御悩みにおどろきて、人びと近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に 押し入れられて おはす。御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。宮は、ものをいとわびし、と思しけるに、御気上がりて、なほ悩ましうせさせたまふ。兵部卿宮、大夫など参りて、
 ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。宮は、何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。兵部卿宮、大夫などが参上して、
 御病気を聞き伝えて御帳台のまわりを女房が頻繁ひんぱんに往来することにもなって、源氏は無意識に塗籠ぬりごめ(屋内の蔵)の中へ押し入れられてしまった。源氏の上着などをそっと持って来た女房もおそろしがっていた。宮は未来と現在を御悲観あそばしたあまりに逆上のぼせをお覚えになって、翌朝になってもおからだは平常のようでなかった。兄君の兵部卿の宮とか中宮大夫などが参殿し、
  Ohom-nayami ni odoroki te, hitobito tikau mawiri te, sigeu magahe ba, ware ni mo ara de, nurigome ni osi-ire rare te ohasu. Ohom-zo-domo kakusi mo' taru hito no kokoti-domo, ito mutukasi. Miya ha, mono wo ito wabisi, to obosi keru ni, ohom-ke agari te, naho nayamasiu se sase tamahu. Hyaubukyau-no-Miya, Daibu nado mawiri te,
3.1.4  「僧召せ」
 「僧を呼べ」
 祈りの僧を迎えよう
  "Sou mese."
3.1.5  など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへる。
 などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。
 などと言われているのを源氏は苦しく聞いていたのである。日が暮れるころにやっと御病悩はおさまったふうであった。
  nado sawagu wo, Daisyau, ito wabisiu kiki ohasu. Karausite, kure yuku hodo ni zo okotari tamahe ru.
3.1.6  かく籠もりゐたまへらむとは 思しもかけず、人びとも、また御心惑はさじとて、 かくなむとも 申さぬなるべし。昼の御座にゐざり出でておはします。よろしう思さるるなめりとて、 宮もまかでたまひなどして、御前人少なになりぬ。 例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの物のうしろなどにぞさぶらふ。命婦の君などは、
 このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれしかじかでとも申し上げないのだろう。昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復そばしたらしいと思って、兵部卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこちらの物蔭などに控えている。命婦の君などは、
 源氏が塗籠で一日を暮らしたとも中宮様はご存じでなかった。命婦や弁なども御心配をさせまいために申さなかったのである。宮は昼の御座へ出てすわっておいでになった。御恢復かいふくになったものらしいと言って、兵部卿の宮もお帰りになり、お居間の人数が少なくなった。平生からごく親しくお使いになる人は多くなかったので、そうした人たちだけが、そこここの几帳きちょうの後ろや襖子からかみかげなどに侍していた。命婦などは、
  Kaku komori wi tamahe ra m to ha obosi mo kake zu, hitobito mo, mata mikokoro madohasa zi tote, kaku nam to mo mausa nu naru besi. Hiru no omasi ni wizari ide te ohasimasu. Yorosiu obosa ruru na' meri tote, Miya mo makade tamahi nado si te, omahe hitozukuna ni nari nu. Rei mo kedikaku narasa se tamahu hito sukunakere ba, koko kasiko no mono no usiro nado ni zo saburahu. Myaubu-no-Kimi nado ha,
3.1.7  「 いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう
 「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」
 「どう工夫くふうして大将さんをそっと出してお帰ししましょう。またそばへおいでになると今夜も御病気におなりあそばすでしょうから、宮様がお気の毒ですよ」
  "Ikani tabakari te, idasi tatematura m. Koyohi sahe, ohom-ke agara se tamaha m, itohosiu."
3.1.8   などうちささめき扱ふ
 などと、ひそひそとささやきもてあましている。
 などとささやいていた。
  nado, uti-sasameki atukahu.
3.1.9  君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。 めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。
 君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。珍しく嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。
 源氏は塗籠の戸を初めから細目にあけてあった所へ手をかけて、そっとあけてから、屏風びょうぶと壁の間を伝って宮のお近くへ出て来た。ご存じのない宮のお横顔を蔭からよく見ることのできる喜びに源氏は胸をおどらせ涙も流しているのである。
  Kimi ha, nurigome no to no hosome ni aki taru wo, yawora osiake te, mibyaubu no hasama ni tutahi iri tamahi nu. Medurasiku uresiki ni mo, namida oti te mi tatematuri tamahu.
3.1.10  「 なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ
 「やはり、とても苦しい。死んでしまうのかしら」
 「まだ私は苦しい。死ぬのではないかしら」
  "Naho, ito kurusiu koso are. Yo ya tuki nu ram?"
3.1.11  とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。 御くだものをだに、とて参り据ゑたり。箱の蓋などにも、 なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。 世の中をいたう思し悩めるけしきにて、のどかに眺め入りたまへる、 いみじうらうたげなり髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさなど、ただ、かの対の姫君に違ふところなし年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「 あさましきまでおぼえたまへるかな 」と見たまふままに、 すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ
 と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。お果物だけでも、といって差し上げた。箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。世の中をとても深く思い悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。髪の生え際、頭の恰好、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。ここ数年来、少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、少し執心の晴れる心地がなさる。
 とも言って外のほうをながめておいでになる横顔が非常にえんである。これだけでも召し上がるようにと思って、女房たちが持って来たお菓子の台がある、そのほかにも箱のふたなどに感じよく調理された物が積まれてあるが、宮はそれらにお気がないようなふうで、物思いの多い様子をして静かに一所をながめておいでになるのがお美しかった。髪の質、頭の形、髪のかかりぎわなどの美しさは西の対の姫君とそっくりであった。よく似たことなどを近ごろは初めほど感ぜずにいた源氏は、今さらのように驚くべく酷似した二女性であると思って、苦しい片恋のやり場所を自分は持っているのだという気が少しした。
  tote, to no kata wo miidasi tamahe ru kataharame, ihisirazu namamekasiu miyu. Ohom-kudamono wo dani, tote mawiri suwe tari. Hako no huta nado ni mo, natukasiki sama nite are do, miire tamaha zu. Yononaka wo itau obosi nayame ru kesiki nite, nodoka ni nagame iri tamahe ru, imiziu rautage nari. Kamzasi, kasiratuki, migusi no kakari taru sama, kagirinaki nihohasisa nado, tada, kano Tai-no-Himegimi ni tagahu tokoro nasi. Tosigoro, sukosi omohi wasure tamahe ri turu wo, "Asamasiki made oboye tamahe ru kana!" to mi tamahu mama ni, sukosi mono-omohi no harukedokoro aru kokoti si tamahu.
3.1.12   気高う恥づかしげなるさまなども 、さらに異人とも思ひ分きがたきを、 なほ、限りなく昔より思ひしめきこえてし心の思ひなしにや、「 さまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな」と、たぐひなくおぼえたまふに、心惑ひして、やをら御帳のうちに かかづらひ入りて御衣の褄を引きならしたまふ。けはひしるく、さと匂ひたるに、あさましうむくつけう思されて、やがてひれ伏したまへり。「 見だに向きたまへかし」と 心やましうつらうて、引き寄せたまへるに、御衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、 御髪の取り添へられたりければ、いと心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。
 気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられたなあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の褄を引き動かしなさる。気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。
 高雅な所も別人とは思えないのであるが、初恋の宮は思いなしか一段すぐれたものに見えた。華麗な気の放たれることは昔にましたお姿であると思った源氏は前後も忘却して、そっと静かに帳台へ伝って行き、宮のお召し物のつま先を手で引いた。源氏の服の薫香くんこうがさっと立って、宮は様子をお悟りになった。驚きと恐れに宮は前へひれ伏しておしまいになったのである。せめて見返ってもいただけないのかと、源氏は飽き足らずも思い、恨めしくも思って、おすそを手に持って引き寄せようとした。宮は上着を源氏の手にとめて、御自身は外のほうへお退きになろうとしたが、宮のおぐしはお召し物とともに男の手がおさえていた。宮は悲しくてお自身の薄倖はっこうであることをお思いになるのであったが、非常にいたわしい御様子に見えた。
  Kedakau hadukasige naru sama nado mo, sarani kotobito to mo omohiwaki gataki wo, naho, kagirinaku mukasi yori omohisime kikoye te si kokoro no omohinasi ni ya, "Sama koto ni, imiziu nebi masari tamahi ni keru kana!" to, taguhinaku oboye tamahu ni, kokoromadohi si te, yawora mityau no uti ni kakadurahi iri te, ohom-zo no tuma wo hiki-narasi tamahu. Kehahi siruku, sato nihohi taru ni, asamasiu mukutukeu obosa re te, yagate hirehusi tamahe ri. "Mi dani muki tamahe kasi." to kokoroyamasiu turau te, hikiyose tamahe ru ni, ohom-zo wo subesi oki te, wizari noki tamahu ni, kokoro ni mo ara zu, migusi no tori sohe rare tari kere ba, ito kokorouku, sukuse no hodo, obosisira re te, imizi, to obosi tari.
3.1.13  男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを泣く泣く怨みきこえたまへど、 まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。ただ、
 男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、
 源氏も今日の高い地位などは皆忘れて、魂も顛倒てんとうさせたふうに泣き泣き恨みを言うのであるが、宮は心の底からおくやしそうでお返辞もあそばさない。ただ、
  Wotoko mo, kokora yo wo mote-sidume tamahu mikokoro, mina midare te, utusizama ni mo ara zu, yorodu no koto wo nakunaku urami kikoye tamahe do, makoto ni kokorodukinasi, to obosi te, irahe mo kikoye tamaha zu. Tada,
3.1.14  「 心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ
 「気分が、とてもすぐれませんので。このようでない時であったら、申し上げましょう」
 「私はからだが今非常によくないのですから、こんな時でない機会がありましたら詳しくお話をしようと思います」
  "Kokoti no, ito nayamasiki wo. Kakara nu wori mo ara ba, kikoye te m."
3.1.15  とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。
とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。
とお言いになっただけであるのに、源氏のほうでは苦しい思いを告げるのに千言万語を費やしていた。
  to notamahe do, tuki se nu mikokoro no hodo wo ihi tuduke tamahu.
3.1.16   さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむあらざりしことにはあらねど、改めて、いと口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。
 そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前にも関係がないではなかった仲だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れなさって、今夜もそのまま明けて行く。
 さすがに身にんでお思われになることも混じっていたに違いない。以前になかったことではないが、またも罪を重ねることは堪えがたいことであると思召おぼしめす宮は、柔らかい、なつかしいふうは失わずに、しかも迫る源氏を強く避けておいでになる。ただこんなふうで今夜も明けていく。
  Sasuga ni, imizi to kiki tamahu husi mo maziru ram. Ara zari si koto ni ha ara ne do, aratame te, ito kutiwosiu obosa rure ba, natukasiki monokara, ito you notamahi nogare te, koyohi mo ake yuku.
3.1.17  せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、
 しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、
 この上で力で勝つことはなすに忍びない清い気高けだかさの備わった方であったから、源氏は、
  Semete sitagahi kikoye zara m mo katazikenaku, kokorohadukasiki ohom-kehahi nare ba,
3.1.18  「 ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけなき心もはべらじ
 「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えもございません」
 「私はこれだけで満足します。せめて今夜ほどに接近するのをお許しくだすって、今後も時々は私の心を聞いてくださいますなら、私はそれ以上の無礼をしようとは思いません」
  "Tada, kabakari nite mo, tokidoki, imiziki urehe wo dani, haruke haberi nu beku ha, nani no ohokenaki kokoro mo habera zi."
3.1.19   など、たゆめきこえたまふべしなのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなることも添ふなるを、まして、たぐひなげなり
 などと、ご安心申し上げなさるのだろう。ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたことも多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。
 こんなふうに言って油断をおさせしようとした。今後の場合のために。こうした深刻な関係でなくても、これに類したあぶない逢瀬おうせを作る恋人たちは別れが苦しいものであるから、まして源氏にここは離れがたい。
  nado, tayume kikoye tamahu besi. Nanome naru koto dani, kayau naru nakarahi ha, ahare naru koto mo sohu naru wo, masite, taguhi nage nari.
3.1.20  明け果つれば、 二人していみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの心苦しければ、
 明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なのが、おいたわしいので、
 夜が明けてしまったので王命婦と弁とが源氏の退去をいろいろに言って頼んだ。宮様は半ば死んだようになっておいでになるのである。
  Ake hature ba, hutari si te, imiziki koto-domo wo kikoye, Miya ha, nakaba ha naki yau naru mikesiki no kokorogurusikere ba,
3.1.21  「 世の中にありと聞こし召されむも 、いと恥づかしければ、 やがて亡せはべりなむも、また、 この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと
 「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」
 「恥知らずの男がまだ生きているかとお思われしたくありませんから、私はもうそのうち死ぬでしょう。そしたらまた死んだ魂がこの世に執着を持つことで罰せられるのでしょう」
  "Yononaka ni ari to kikosimesa re m mo, ito hadukasikere ba, yagate use haberi na m mo, mata, konoyo nara nu tumi to nari haberi nu beki koto."
3.1.22  など聞こえたまふも、むくつけきまで 思し入れり
 などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。
 恐ろしい気がするほど源氏は真剣になっていた。
  nado kikoye tamahu mo, mukutukeki made obosi ire ri.
3.1.23  「 逢ふことのかたきを今日に限らずは
   今幾世をか嘆きつつ経む
 「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
  いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
  「逢ふことのかたきを今日に限らずば
  なほ幾世をかなげきつつ経ん
    "Ahu koto no kataki wo kehu ni kagira zu ha
    ima ikuyo wo ka nageki tutu he m
3.1.24   御ほだしにもこそ
 御往生の妨げにもなっては」
 どうなってもこうなっても私はあなたにつきまとっているのですよ」
  Ohom-hodasi ni mo koso."
3.1.25  と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、
と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、
 宮は吐息といきをおつきになって、
  to kikoye tamahe ba, sasuga ni, uti-nageki tamahi te,
3.1.26  「 長き世の恨みを人に残しても
   かつは心をあだと知らなむ
 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
  そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい
  長き世の恨みを人に残しても
  かつは心をあだとしらなん
    "Nagaki yo no urami wo hito ni nokosi te mo
    katu ha kokoro wo ada to sira nam
3.1.27  はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御ためも苦しければ、我にもあらで、出でたまひぬ。
 わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになることも、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。
 とお言いになった。源氏の言葉をわざと軽く受けたようにしておいでになる御様子の優美さに源氏は心をかれながらも宮の御軽蔑けいべつを受けるのも苦しく、わがためにも自重しなければならないことを思って帰った。
  Hakanaku ihinasa se tamahe ru sama no, ihu yosi naki kokoti sure do, hito no obosa m tokoro mo, waga ohom-tame mo kurusikere ba, ware ni mo ara de, ide tamahi nu.
注釈178内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて主語は藤壺。以下、藤壺の心中に即した叙述。3.1.1
注釈179なほこの憎き御心のやまぬに大島本は朱筆で「猶このにくき御心のやまぬに」を補入する。3.1.1
注釈180いささかもけしきを御覧じ知らずなりにしを思ふだに桐壺院が源氏との関係を少しも御存知ならずじまいであった、と藤壺は思う。以下「よからぬこと出で来なむ」まで、藤壺の心中叙述。3.1.1
注釈181春宮の御ために大島本は「に」を補入する。3.1.1
注釈182御祈りをさへせさせて『集成』は「『伊勢物語』六十五段の、男が、自分の恋慕の思いがなくなるようにと、仏神に祈り、祓えまでしたという話を念頭に置いたものでろう」と注す。3.1.1
注釈183いかなる折にかありけむあさましうて語り手の挿入句。3.1.1
注釈184まねぶべきやうなく筆に尽くしがたいほど言葉巧みにという語り手の謙辞。3.1.2
注釈185命婦弁などぞ「若紫」巻で源氏を手引した王命婦と藤壺の乳母子の弁。3.1.2
注釈186男は『完訳』は「理不尽な恋におぼれた源氏を「男」と呼ぶのに対し、自制的にふるまう藤壺「宮」と呼ぶ点に注意」と注す。3.1.2
注釈187来し方行く先かきくらす心地して『集成』は「過去も未来も真暗になったような気がして。激しい悲しみに心がとざされた状態の形容」と注す。3.1.2
注釈188押し入れられて大島本は「れ」を補入する。3.1.3
注釈189思しもかけず主語は藤壺。3.1.6
注釈190かくなむとも源氏がまだいるということをさす。3.1.6
注釈191申さぬなるべし「なる」(断定の助動詞)「べし」(推量の助動詞)。語り手が女房たちの気持ちを推測したもの。3.1.6
注釈192宮もまかでたまひなどして「も」(係助詞)「など」は、同類のものがあるニュアンス。中宮大夫が先に帰って、最後に身内の兵部卿宮が帰ったりなどしての意。3.1.6
注釈193例もけ近くならさせたまふ人少なければ藤壺の御前は常に人少なであるという。3.1.6
注釈194いかにたばかりて出だしたてまつらむ今宵さへ御気上がらせたまはむいとほしう王命婦の心中。
【いとほしうなど】-大島本は朱筆で「なと」を補入する。
3.1.7
注釈195うちささめき扱ふ弁にささやいたものであろう。3.1.8
注釈196めづらしくうれしきにも明るい中で藤壺の顔を見るのは少年の日以来のことである。3.1.9
注釈197なほいと苦しうこそあれ世や尽きぬらむ藤壺の独り言。3.1.10
注釈198御くだものをだに女房の詞を間接引用。3.1.11
注釈199なつかしきさまにてつい手が出したくなるようなの意。3.1.11
注釈200世の中をいたう思し悩めるけしきにて源氏との仲を悩む。3.1.11
注釈201いみじうらうたげなり『集成』は「とても弱々しい感じである」の意に解す。3.1.11
注釈202髪ざし頭つき御髪のかかりたるさま限りなき匂はしさなどただかの対の姫君に違ふところなし紫の君を「対の姫君」と呼称。『完訳』は「北山での発見以来、藤壺の形代としてきたが、あらためてその酷似を確認し感動を深める」と注す。3.1.11
注釈203年ごろすこし思ひ忘れたまへりつるを『集成』は「長年、少し(紫の上が藤壺に似ていることを)忘れていられたのに。藤壺に対面する機会がなかったため、二人がよく似ていることを思い起さなかったのである」と注す。3.1.11
注釈204あさましきまでおぼえたまへるかな大島本は「つ」をミセケチにして「へ」と訂正する。源氏の感想。3.1.11
注釈205すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ紫の君が藤壺に酷似していることを再確認して、物思いを晴らすあてがあるようだと、源氏は思う。3.1.11
注釈206気高う恥づかしげなるさまなども大島本は朱筆で「かしけなる」を補入する。3.1.12
注釈207なほ限りなく昔より思ひしめきこえてし心の思ひなしにや語り手が源氏の心を推量した挿入句。3.1.12
注釈208さまことにいみじうねびまさりたまひにけるかな源氏の藤壺を見ての感想。歳月の経過を思わせる。3.1.12
注釈209かかづらひ入りてまつわりつくように入り込む。3.1.12
注釈210御衣の褄を引きならしたまふ『集成』は「藤壺のお召し物の褄を引き動かしなさる」の意に解し、『完訳』は「自分の衣服の端を引いて衣ずれの音をさせ、藤壺に気づかせる」の意に解す。3.1.12
注釈211見だに向きたまへかし源氏の心中。せめて振り向いて下さいの意。3.1.12
注釈212心やましうつらうて『集成』は「うらめしう」、『完訳』は「じれったく情けない気がして」の意に解す。3.1.12
注釈213御髪の取り添へられたりければ『完訳』は「御衣とともに髪の一部も源氏につかまり、逃れがたい運命を思う。「心憂し」は、わが身のつたなさを思う気持で、「宿世」に重なる。若紫以来の思念」と注す。3.1.12
注釈214まことに心づきなし藤壺の心。3.1.13
注釈215心地のいと悩ましきをかからぬ折もあらば聞こえてむ藤壺の詞。3.1.14
注釈216さすがにいみじと聞きたまふふしもまじるらむ藤壺の心中を推量した語り手の挿入句。『岷江入楚』所引三光院実枝が「作者のをしはかりにかけり」と指摘。3.1.16
注釈217あらざりしことにはあらねど改めて子まで生した仲をいう。『完訳』は「源氏との過失をさす。今回も情交があったらと仮定」という。3.1.16
注釈218ただかばかりにても時々いみじき愁へをだにはるけはべりぬべくは何のおほけなき心もはべらじ源氏の訴え。3.1.18
注釈219などたゆめきこえたまふべし語り手の推測を交えた表現。『首書源氏物語』所引或抄は「草子の地よりをしはかりたる也」と指摘。3.1.19
注釈220なのめなることだにかやうなる仲らひはあはれなることも添ふなるをましてたぐひなげなり「だに」「まして」の呼応、「添ふ」「なる」(伝聞推定の助動詞)「なり」(断定の助動詞)、語り手の感慨を交えた表現。「細流抄」は「草子地也」と指摘、『評釈』は「語り手は今宵の仕儀にも感嘆する」という。3.1.19
注釈221二人して王命婦と弁とをさす。3.1.20
注釈222いみじきことどもを聞こえこのまでは大変な事になると帰宅を促す。3.1.20
注釈223世の中にありと聞こし召されむも大島本は「あり」の「り」が「可」と読める字体であるのを朱筆で抹消して傍らに「里」と訂正する。以下「罪となりはべりぬべきこと」まで、源氏の執心の限りの恨みをこめた詞。「あり」はこの世に源氏が生きていることをいう。それを聞かれるのがまことに「恥づかし」。3.1.21
注釈224やがて亡せはべりなむも「む」(推量の助動詞)仮定の意。3.1.21
注釈225この世ならぬ罪となりはべりぬべきこと自分にとって現世執着ゆえに往生の妨げとなる意。3.1.21
注釈226思し入れり大島本は朱筆で「る」(累)を抹消し傍らに「り」(里)と訂正する。3.1.22
注釈227逢ふことのかたきを今日に限らずは--今幾世をか嘆きつつ経む源氏の贈歌。「かたき」に「難き」と「敵」を掛ける。「いまいく世」は生まれ変わる生々世々。3.1.23
注釈228御ほだしにもこそ和歌に添えた詞。『完訳』は「当時の仏教観では、自分の執着は相手の往生の妨げともなる」と注す。3.1.24
注釈229長き世の恨みを人に残しても--かつは心をあだと知らなむ藤壺の返歌。『完訳』は「「ながき世」が源氏の「いま幾世」とに照応。「あだ」は源氏の「かたき」の類語「かたき」からの連想、源氏を移り気の人として切り返す」という。「なむ」(希望の助動詞)、心はまた一方ですぐに変わるものと御承知下さいの意。3.1.26
校訂19 なほ、この憎き御心のやまぬに なほ、この憎き御心のやまぬに--(/+猶このにくき御心のやまぬに<朱>) 3.1.1
校訂20 御ために 御ために--御ため(め/+に) 3.1.1
校訂21 入れられて 入れられて--いれら(ら/+れ)て 3.1.3
校訂22 など など--(/+なと<朱>) 3.1.8
校訂23 たまへる たまへる--給つ(つ/$へ)る 3.1.11
校訂24 かしげなる かしげなる--(/+かしけなる<朱>) 3.1.12
校訂25 ありと ありと--あか(か/$り<朱>)と 3.1.21
校訂26 入れり 入れり--いれる(る/$り<朱>) 3.1.22
3.2
第二段 藤壺、出家を決意


3-2  Fujitsubo determines to become a nun

3.2.1  「 いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。いとほしと思し知るばかり」と思して、御文も聞こえたまはず。うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、 籠もりおはして 、起き臥し、「 いみじかりける人の御心かな」と、人悪ろく恋しう悲しきに、 心魂も失せにけるにや、悩ましうさへ思さる。もの心細く、「 なぞや、世に経れば憂さこそまされ 」と、 思し立つにはこの女君のいとらうたげにて 、あはれにうち頼みきこえたまへるを、 振り捨てむこと、いとかたし
 「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。気の毒だとお気づきになるだけでも」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もっていらして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きていると嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。
 あれほど冷酷に扱われた自分はもうその方に顔もお見せしたくない。同情をお感じになるまでは沈黙をしているばかりであると源氏は思って、それ以来宮へお手紙を書かないでいた。ずっともう御所へも東宮へも出ずに引きこもっていて、夜も昼も冷たいお心だとばかり恨みながらも、自分の今の態度を裏切るように恋しさがつのった。魂もどこかへ行っているようで、病気にさえかかったらしく感ぜられた。心細くて人間的な生活を捨てないからますます悲しみが多いのである、自分などは僧房の人になるべきであると、こんな決心をしようとする時にいつも思われるのは若い夫人のことであった。優しく自分だけを頼みにして生きている妻を捨てえようとは思われないのであった。
  "Iduko wo omote nite kaha, mata mo miye tatematura m? Itohosi to obosi siru bakari." to obosi te, ohom-humi mo kikoye tamaha zu. Uti-taye te, Uti, Touguu ni mo mawiri tamaha zu, komori ohasi te, okihusi, "Imizikari keru hito no mikokoro kana!" to, hitowaroku kohisiu kanasiki ni, kokorodamasihi mo use ni keru ni ya, nayamasiu sahe obosa ru. Mono-kokorobosoku, "Nazoya, yo ni hure ba usa koso masare." to, obosi tatu ni ha, kono Womnagimi no ito rautage nite, ahare ni uti-tanomi kikoye tamahe ru wo, hurisute m koto, ito katasi.
3.2.2  宮も、その名残、例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、命婦などはいとほしがりきこゆ。宮も、春宮の御ためを思すには、「 御心置きたまはむこと、いとほしく、世をあぢきなきものに思ひなりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、 さすがに苦しう思さるべし
 宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもなさらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろうか」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。
 宮のお心も非常に動揺したのである。源氏はその時きり引きこもって手紙も送って来ないことで命婦などは気の毒がった。宮も東宮のためには源氏に好意を持たせておかねばならないのに、自分の態度から人生を悲観して僧になってしまわれることになってはならぬとさすがに思召すのであった。
  Miya mo, sono nagori, rei ni mo ohasimasa zu. Kau kotosarameki te komoriwi, otodure tamaha nu wo, Myaubu nado ha itohosigari kikoyu. Miya mo, Touguu no ohom-tame wo obosu ni ha, "Mikokorooki tamaha m koto, itohosiku, yo wo adikinaki mono ni omohi nari tamaha ba, hitamiti ni obosi tatu koto mo ya?" to, sasuga ni kurusiu obosa ru besi.
3.2.3  「 かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきことに のたまふなる位をも去りなむ」と、やうやう思しなる。院の思しのたまはせしさまの、 なのめならざりしを思し出づるにも、「 よろづのこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。 戚夫人の見けむ目のやうにはあらずとも、かならず、人笑へなることは、ありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取るに、春宮、見たてまつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。
 「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后が、けしからんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。故院が御配慮あそばして仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、こっそりと参内なさった。
 そうといってああしたことが始終あってはきずを捜し出すことの好きな世間はどんなうわさを作るかが想像される。自分が尼になって、皇太后に不快がられている后の位から退いてしまおうと、こうこのごろになって宮はお思いになるようになった。院が自分のためにどれだけ重い御遺言をあそばされたかを考えると何ごとも当代にそれが実行されていないことが思われる。漢の初期のせき夫人が呂后りょこうさいなまれたようなことまではなくても、必ず世間の嘲笑ちょうしょうを負わねばならぬ人に自分はなるに違いないと中宮はお思いになるのである。これを転機にして尼の生活にはいるのがいちばんよいことであるとお考えになったが、東宮にお逢いしないままで姿を変えてしまうことはおかわいそうなことであるとお思いになって、目だたぬ形式で御所へおはいりになった。
  "Kakaru koto taye zu ha, itodosiki yo ni, ukina sahe moriide na m. Ohokisaki no, aru maziki koto ni notamahu naru kurawi wo mo sari na m." to, yauyau obosi naru. Win no obosi notamahase si sama no, nanomenarazari si wo obosi iduru ni mo, "Yorodu no koto, arisi ni mo ara zu, kahari yuku yo ni koso a' mere. Sekihuzin no mi kem me no yau ni ha ara zu tomo, kanarazu, hitowarahe naru koto ha, ari nu beki mi ni koso a' mere." nado, yo no utomasiku, sugusi gatau obosa rure ba, somuki na m koto wo obositoru ni, Touguu, mi tatematura de omogahari se m koto, ahare ni obosa rure ba, sinobiyaka nite mawiri tamahe ri.
3.2.4  大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにことつけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「 むげに、思し屈しにける」と、 心知るどちは、いとほしがりきこゆ。
 大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話は、いつもと同じようだが、「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。
 源氏はそんな時でなくても十二分に好意を表するならわしであったが、病気にたくして供奉ぐぶもしなかった。贈り物その他は常に変わらないが、来ようとしないことはよくよく悲観しておいでになるに違いないと、事情を知っている人たちは同情した。
  Daisyau-no-Kimi ha, saranu koto dani, obosiyora nu koto naku tukaumaturi tamahu wo, mikokoti nayamasiki ni kototuke te, ohom-okuri ni mo mawiri tamaha zu. Ohokata no ohom-toburahi ha, onazi yau nare do, "Muge ni, obosi ku'si ni keru." to, kokorosiru-doti ha, itohosigari kikoyu.
3.2.5   宮は、いみじううつくしうおとなびたまひてめづらしううれしと思して、むつれきこえたまふを、 かなしと見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふにつけても、世のありさま、あはれにはかなく、移り変はることのみ多かり。
 宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるにつけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。
 東宮はしばらくの間に美しく御成長しておいでになった。ひさびさ母宮とお逢いになった喜びに夢中になって、甘えて御覧になったりもするのが非常におかわいいのである。この方から離れて信仰の生活にはいれるかどうかと御自身で疑問が起こる。しかも御所の中の空気は、時の推移に伴う人心の変化をいちじるしく見せて人生は無常であるとお教えしないではおかなかった。
  Miya ha, imiziu utukusiu otonabi tamahi te, medurasiu uresi to obosi te, muture kikoye tamahu wo, kanasi to mi tatematuri tamahu ni mo, obositatu sudi ha ito katakere do, Uti watari wo mi tamahu ni tuke te mo, yo no arisama, ahare ni hakanaku, uturikaharu koto nomi ohokari.
3.2.6  大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しければ、宮の御ためにも危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、
 大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、
 太后の復讐心ふくしゅうしんに燃えておいでになることも面倒めんどうであったし、宮中への出入りにも不快な感を与える官辺のことも堪えられぬほど苦しくて、自分が現在の位置にいることは、かえって東宮を危うくするものでないかなどとも煩悶はんもんをあそばすのであった。
  Ohokisaki no mikokoro mo ito wadurahasiku te, kaku ideiri tamahu ni mo, hasitanaku, koto ni hure te kurusikere ba, Miya no ohom-tame ni mo ayahuku yuyusiu, yorodu ni tuke te omohosi midare te,
3.2.7  「 御覧ぜで、久しからむほどに容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さるべき」
 「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそばしますか」
 「長くお目にかからないでいるに、私の顔がすっかり変わってしまったら、どうお思いになりますか」
  "Goranze de, hisasikara mu hodo ni, katati no kotozama nite utatege ni kahari te habera ba, ikaga obosa ru beki?"
3.2.8  と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、
 とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、
 と中宮がお言いになると、じっと東宮はお顔を見つめてから、
  to kikoye tamahe ba, ohom-kaho uti-mamori tamahi te,
3.2.9  「 式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ
 「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」
 「式部のようにですか。そんなことはありませんよ」
  "Sikibu ga yau ni ya? Ikadeka, saha nari tamaha m."
3.2.10  と、笑みてのたまふ。 いふかひなくあはれにて
 と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、
 とお笑いになった。たよりない御幼稚さがおかわいそうで、
  to, wemi te notamahu. Ihukahinaku ahare nite,
3.2.11  「 それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、 髪はそれよりも短くて 、黒き衣などを着て、夜居の僧のやうになりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」
 「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」
 「いいえ。式部は年寄りですから醜いのですよ。そうではなくて、髪なんか式部よりも短くなって、黒い着物などを着て、夜居よいのお坊様のように私はなろうと思うのですから、今度などよりもっと長くお目にかかれませんよ」
  "Sore ha, oyi te habere ba minikuki zo. Saha ara de, kami ha sore yori mo mizikaku te, kuroki kinu nado wo ki te, yowinosou no yau ni nari habera m to sure ba, mi tatematura m koto mo, itodo hisasikaru beki zo."
3.2.12  とて泣きたまへば、まめだちて、
 と言ってお泣きになると、真剣になって、
 宮がお泣きになると、東宮はまじめな顔におなりになって、
  tote, naki tamahe ba, mamedati te,
3.2.13  「 久しうおはせぬは、恋しきものを
 「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」
 「長く御所へいらっしゃらないと、私はお逢いしたくてならなくなるのに」
  "Hisasiu ohase nu ha, kohisiki mono wo!"
3.2.14  とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらにて、まみのなつかしげに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、 ただかの御顔を脱ぎすべたまへり御歯のすこし朽ちて、口の内黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり。「 いと、かうしもおぼえたまへるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さるるも、 世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり
 と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。
 とお言いになったあとで、涙がこぼれるのを、恥ずかしくお思いになって顔をおそむけになった。お肩にゆらゆらとするおぐしがきれいで、お目つきの美しいことなど、御成長あそばすにしたがってただただ源氏の顔が一つまたここにできたとより思われないのである。お歯が少し朽ちて黒ばんで見えるお口にみをお見せになる美しさは、女の顔にしてみたいほどである。こうまで源氏に似ておいでになることだけが玉のきずであると、中宮がお思いになるのも、取り返しがたい罪で世間を恐れておいでになるからである。
  tote, namida no oture ba, hadukasi to obosi te, sasuga ni somuki tamahe ru, migusi ha yurayura to kiyora nite, mami no natukasige ni nihohi tamahe ru sama, otonabi tamahu mama ni, tada kano ohom-kaho wo nugisube tamahe ri. Ohom-ha no sukosi kuti te, kuti no uti kuromi te, wemi tamahe ru kawori utukusiki ha, womna nite mi tatematura mahosiu kiyora nari. "Ito, kau simo oboye tamahe ru koso, kokoroukere." to, tamanokizu ni obosa ruru mo, yo no wadurahasisa no, sora-osorosiu oboye tamahu nari keri.
注釈230いづこを面にてかはまたも見えたてまつらむ以下「思し知るばかり」まで、源氏の心中。3.2.1
注釈231籠もりおはして大島本は朱筆で「る」(留)を抹消し傍らに「り」(里)と訂正する。3.2.1
注釈232いみじかりける人の御心かな源氏の藤壺に対する感想。3.2.1
注釈233心魂も失せにけるにや語り手の疑問また源氏自身の内省を差し挟んだような挿入句。3.2.1
注釈234なぞや世に経れば憂さこそまされ源氏の気持ち。『源氏釈』は「世に経れば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏みならしてむ(古今集雑下、九五一、読人しらず)を指摘する。3.2.1
注釈235思し立つには出家をさす。3.2.1
注釈236この女君のいとらうたげにて大島本は「に」を補入する。紫の君をさす。3.2.1
注釈237振り捨てむこといとかたし紫の君を捨てて出家をすることはできない、というのが源氏の心。3.2.1
注釈238御心置きたまはむこといとほしく以下「思し立つこともや」まで、藤壺の心中。3.2.2
注釈239さすがに苦しう思さるべしそうはいっても無碍に源氏を遠ざけることのできない藤壺の心境を、語り手が「思さるべし」と推量した文。3.2.2
注釈240かかること絶えずは以下「位をも去りなむ」まで、藤壺の心中。3.2.3
注釈241のたまふなる「なる」伝聞推定の助動詞。3.2.3
注釈242なのめならざりしを並大抵の御配慮ではなかったの意。『集成』は「弘徽殿の大后を越えて藤壺を中宮に立てたのは、東宮の後楯にしようとの思し召しであった」と注す。3.2.3
注釈243よろづのことありしにもあらず以下「身にこそあめれ」まで、藤壺の心中。3.2.3
注釈244戚夫人の見けむ目のやうに漢高祖の戚夫人は、高祖に寵愛され、子の趙王を太子に立てようとしたが、高祖が崩御して後に、呂太后の子孝恵が即位すると、母子ともに囚えられ虐殺された(史記、呂后本紀)。『完訳』は「物語の状況や人間関係なども、この史実に類似」と注す。3.2.3
注釈245むげに思し屈しにける源氏の態度をいう。3.2.4
注釈246心知るどちは王命婦と弁である。3.2.4
注釈247宮はいみじううつくしうおとなびたまひて春宮、この時六歳。3.2.5
注釈248めづらしううれし春宮の気持ち。3.2.5
注釈249かなし藤壺の気持ち。いとしい。3.2.5
注釈250御覧ぜで久しからむほどに以下「思さるべき」まで、藤壺の詞。3.2.7
注釈251容貌の異ざまにて出家した姿をいう。3.2.7
注釈252式部がやうにやいかでかさはなりたまはむ春宮の詞。「いかでか--む」は反語構文。『完訳』は「東宮づきの、見なれた女房であろう。異様な格好の人物として想起されたが、老齢ゆえの異様さであることが後の叙述から分る」と注す。3.2.9
注釈253いふかひなくあはれにて『集成』は「(あまりのいわけなさに)力が脱け、胸がしめつけられるようで」の意に解す。『完訳』は「出家の悲愴な決意を理解しえない東宮の幼さが頼りなく不憫」と注す。3.2.10
注釈254それは老いてはべれば醜きぞ以下「いとど久しかるべきぞ」まで、藤壺の詞。3.2.11
注釈255髪はそれよりも短くて大島本は朱筆で「も」をミセケチにして傍らに「て」と訂正する。3.2.11
注釈256久しうおはせぬは、恋しきものを春宮の詞。3.2.13
注釈257ただかの御顔を脱ぎすべたまへり源氏に生き写しであるという。『古典セレクション』は「抜きすべたまへり」と整定し、「抜いて移しかえる、の意と解すべきであろう。通説は「脱ぎ」をあてて、脱いで移しかえる意。また「脱ぎ据ゑ」とする説もある。いずれにせよ、酷似するさまをいう」と注する。3.2.14
注釈258御歯のすこし朽ちて口の内黒みて笑みたまへる薫りうつくしきは女にて見たてまつらまほしうきよらなり子供の虫歯のかわいらしさと、美しさを「女にて」「きよら」と表現する。3.2.14
注釈259いとかうしもおぼえたまへるこそ心憂けれ藤壺の感想。3.2.14
注釈260世のわづらはしさの空恐ろしうおぼえたまふなりけり『岷江入楚』所引三光院実枝説は「草子地なり」と指摘。3.2.14
出典8 世に経れば憂さこそまされ 世にふれば憂さこそまされみ吉野の岩のかけ道踏み慣らしてむ 古今集雑下-九五一 読人しらず 3.2.1
校訂27 籠もり 籠もり--こもる(る/$り<朱>) 3.2.1
校訂28 らうたげにて らうたげにて--らうたけ(け/+に)て 3.2.1
校訂29 短くて 短くて--みしかくも(も/$て<朱>) 3.2.11
Last updated 9/20/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/5/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
小林繁雄(青空文庫)

2003年7月13日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月30日

Last updated 9/5/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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