第十帖 賢木


10 SAKAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十三歳秋九月から二十五歳夏まで近衛大将時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Konoe-Daisho era from September at the age of 23 to summer at the age of 25

4
第四章 光る源氏の物語 雲林院参籠


4  Tale of Hikaru-Genji

4.1
第一段 秋、雲林院に参籠


4-1  Genji visits to the temple of Unrin-in in Murasaki-no

4.1.1   大将の君は、宮をいと恋しう思ひきこえたまへど、「 あさましき御心のほどを、時々は、思ひ知るさまにも見せたてまつらむ」と、念じつつ過ぐしたまふに、人悪ろく、つれづれに思さるれば、 秋の野も見たまひがてら、雲林院に詣でたまへり
 大将の君は、東宮をたいそう恋しくお思い申し上げになっているが、「情けないほど冷たいお心のほどを、時々は、お悟りになるようにお仕向け申そう」と、じっと堪えながらお過ごしなさるが、体裁が悪く、所在なく思われなさるので、秋の野も御覧になるついでに、雲林院に参詣なさった。
 源氏は中宮を恋しく思いながらも、どんなに御自身が冷酷であったかを反省おさせする気で引きこもっていたが、こうしていればいるほど見苦しいほど恋しかった。この気持ちを紛らそうとして、ついでに秋の花野もながめがてらに雲林院へ行った。
  Daisyau-no-Kimi ha, Miya wo ito kohisiu omohi kikoye tamahe do, "Asamasiki mikokoro no hodo wo, tokidoki ha, omohi-siru sama ni mo mise tatematura m." to, nenzi tutu sugusi tamahu ni, hitowaroku, turedure ni obosa rure ba, aki no no mo mi tamahi gatera, U'rinwin ni maude tamahe ri.
4.1.2  「 故母御息所の御兄の律師の籠もりたまへる坊にて、法文など読み、行なひせむ」と思して、二、三日おはするに、あはれなること多かり。
 「故母御息所のご兄妹の律師が籠もっていらっしゃる坊で、法文などを読み、勤行をしよう」とお思いになって、二、三日いらっしゃると、心打たれる事柄が多かった。
 源氏の母君の桐壺きりつぼ御息所みやすどころの兄君の律師りっしがいる寺へ行って、経を読んだり、仏勤めもしようとして、二、三日こもっているうちに身にしむことが多かった。
  "Ko-haha-Miyasumdokoro no ohom-seuto no Ri'si no komori tamahe ru bau nite, hohumon nado yomi, okonahi se m." to obosi te, ni, sam-niti ohasuru ni, ahare naru koto ohokari.
4.1.3  紅葉やうやう色づきわたりて、 秋の野のいとなまめきたるなど見たまひて、故里も忘れぬべく思さる。法師ばらの、才ある限り召し出でて、 論議せさせて聞こしめさせたまふ。 所からに、いとど世の中の常なさを思し明かしても、なほ、「 憂き人しもぞ」と、思し出でらるるおし明け方の月影に 、法師ばらの閼伽たてまつるとて、からからと鳴らしつつ、菊の花、濃き薄き紅葉など、折り散らしたるも、 はかなげなれど
 紅葉がだんだん一面に色づいてきて、秋の野がとても優美な様子などを御覧になって、邸のことなども忘れてしまいそうに思われなさる。法師たちで、学才のある者ばかりを召し寄せて、論議させてお聞きあそばす。場所柄のせいで、ますます世の中の無常を夜を明かしてお考えになっても、やはり、「つれない人こそ、恋しく思われる」と、思い出さずにはいらっしゃれない明け方の月の光に、法師たちが閼伽棚にお供え申そうとして、からからと鳴らしながら、菊の花、濃い薄い紅葉など、折って散らしてあるのも、些細なことのようだが、
 木立ちは紅葉もみじをし始めて、そして移ろうていく秋草の花の哀れな野をながめていては家も忘れるばかりであった。学僧だけを選んで討論をさせて聞いたりした。場所が場所であるだけ人生の無常さばかりが思われたが、その中でなお源氏は恨めしい人に最も心をかれている自分を発見した。朝に近い月光のもとで、僧たちが閼伽あかを仏に供える仕度したくをするのに、からからと音をさせながら、菊とか紅葉とかをその辺いっぱいに折り散らしている。
  Momidi yauyau iroduki watari te, aki no no no ito namameki taru nado mi tamahi te, hurusato mo wasure nu beku obosa ru. Hohusibara no, zae aru kagiri mesiide te, rongi se sase te, kikosimesa se tamahu. Tokorokara ni, itodo yononaka no tune nasa wo obosi akasi te mo, naho, "Uki hito simo zo." to, obosi ide raruru osiakegata no tukikage ni, hohusibara no aka tatematuru tote, karakara to narasi tutu, kiku no hana, koki usuki momidi nado, wori tirasi taru mo, hakanage nare do,
4.1.4  「 このかたのいとなみは、この世もつれづれならず、後の世はた、頼もしげなり。 さも、あぢきなき身をもて悩むかな
 「この方面のお勤めは、この世の所在なさの慰めになり、また来世も頼もしげである。それに引き比べ、つまらない身の上を持て余していることよ」
 こんなことは、ちょっとしたことではあるが、僧にはこんな仕事があって退屈を感じる間もなかろうし、未来の世界に希望が持てるのだと思うとうらやましい、自分は自分一人を持てあましているではないか
  "Kono kata no itonami ha, konoyo mo turedure nara zu, notinoyo hata, tanomosige nari. Samo, adikinaki mi wo mote-nayamu kana!"
4.1.5  など、思し続けたまふ。律師の、いと尊き声にて、
 などと、お思い続けなさる。律師が、とても尊い声で、
 などと源氏は思っていた。律師が尊い声で
  nado, obosi tuduke tamahu. Ri'si no, ito tahutoki kowe nite,
4.1.6  「 念仏衆生摂取不捨
 「念仏衆生摂取不捨」
 「念仏衆生ねんぶつしゆじやう摂取不捨せつしゆふしや
  "Nenbutu syuzyau sehusyu husya."
4.1.7  と、 うちのべて 行なひたまへるは、いとうらやましければ、「 なぞや」と思しなるに、まづ、姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞいと悪ろき心なるや
 と、声を引き延ばして読経なさっているのは、とても羨ましいので、「どうして自分は」とお考えになると、まず、姫君が心にかかって思い出されなさるのは、まことに未練がましい悪い心であるよ。
 と唱えて勤行ごんぎょうをしているのがうらやましくて、この世が自分に捨てえられない理由はなかろうと思うのといっしょに紫の女王にょおうが気がかりになったというのは、たいした道心でもないわけである。
  to, uti-nobe te okonahi tamahe ru ha, ito urayamasikere ba, "Nazo ya?" to obosi naru ni, madu, Himegimi no kokoro ni kakari te omohi ide rare tamahu zo, ito waroki kokoro naru ya!
4.1.8  例ならぬ日数も、おぼつかなくのみ思さるれば、 御文ばかりぞ、しげう聞こえたまふめる
 いつにない長い隔ても、不安にばかり思われなさるので、お手紙だけは頻繁に差し上げなさるようである。
 幾日かを外で暮らすというようなことをこれまで経験しなかった源氏は恋妻に手紙を何度も書いて送った。
  Rei nara nu hikazu mo, obotukanaku nomi obosa rure ba, ohom-humi bakari zo, sigeu kikoye tamahu meru.
4.1.9  「 行き離れぬべしやと、試みはべる道なれど、つれづれも慰めがたう、心細さまさりてなむ。 聞きさしたることありて、 やすらひはべるほど、いかに
 「現世を離れることができようかと、ためしにやって来たのですが、所在ない気持ちも慰めがたく、心細さが募るばかりで。途中までしか聞いていない事があって、ぐずぐずしておりますが、いかがお過ごしですか」
 出家ができるかどうかと試みているのですが、寺の生活は寂しくて、心細さがつのるばかりです。もう少しいて法師たちから教えてもらうことがあるので滞留しますが、あなたはどうしていますか。
  "Yuki hanare nu besi ya to, kokoromi haberu miti nare do, turedure mo nagusame gatau, kokorobososa masari te nam. Kikisasi taru koto ari te, yasurahi haberu hodo, ikani?"
4.1.10  など、 陸奥紙にうちとけ書きたまへるさへぞ、めでたき。
 などと、陸奥紙に、気楽にお書きになっているのまでが、素晴らしい。
 などと檀紙に飾り気もなく書いてあるのが美しかった。
  nado, Mitinokunigami ni uti-toke kaki tamahe ru sahe zo, medetaki.
4.1.11  「 浅茅生の露のやどりに君をおきて
   四方の嵐ぞ静心なき
 「浅茅生に置く露のようにはかないこの世にあなたを置いてきたので
  まわりから吹きつける世間の激しい風を聞くにつけ、気ががりでなりません
  あさぢふの露の宿りに君を置きて
  四方よもあらしぞしづ心なき
    "Asadihu no tuyu no yadori ni Kimi wo oki te
    yomo no arasi zo sidugokoro naki
4.1.12  など、こまやかなるに、女君もうち泣きたまひぬ。御返し、 白き色紙に
 などと情愛こまやかに書かれているので、女君もついお泣きになってしまった。お返事は、白い色紙に、
 という歌もある情のこもったものであったから紫夫人も読んで泣いた。返事は白い式紙しきしに、
  nado, komayaka naru ni, Womnagimi mo uti-naki tamahi nu. Ohom-kahesi, siroki sikisi ni,
4.1.13  「 風吹けばまづぞ乱るる色変はる
   浅茅が露にかかるささがに
 「風が吹くとまっ先に乱れて色変わりするはかない浅茅生の露の上に
  糸をかけてそれを頼りに生きている蜘蛛のようなわたしですから
  風吹けばづぞ乱るる色かはる
  浅茅あさぢが露にかかるささがに
    "Kaze huke ba madu zo midaruru iro kaharu
    Asadi ga tuyu ni kakaru sasagani
4.1.14   とのみありて、「 御手はいとをかしうのみなりまさるものかな」と、独りごちて、うつくしとほほ笑みたまふ。
 とだけあるので、「ご筆跡はとても上手になっていくばかりだなあ」と、独り言を洩らして、かわいいと微笑んでいらっしゃる。
 とだけ書かれてあった。「字はますますよくなるようだ」と独言ひとりごとを言って、微笑しながらながめていた。
  to nomi ari te, "Ohom-te ha ito wokasiu nomi nari masaru mono kana!" to, hitorigoti te, utukusi to hohowemi tamahu.
4.1.15   常に書き交はしたまへば 、わが御手にいとよく似て、今すこしなまめかしう、女しきところ書き添へたまへり。「 何ごとにつけても、けしうはあらず生ほし立てたりかし」と思ほす。
 いつも手紙をやりとりなさっているので、ご自分の筆跡にとてもよく似て、さらに少しなよやかで、女らしさが書き加わっていらっしゃった。「どのような事につけても、まあまあに育て上げたものよ」とお思いになる。
 始終手紙や歌を書き合っている二人は、夫人の字がまったく源氏のに似たものになっていて、それよりも少しえんな女らしいところが添っていた。どの点からいっても自分は教育に成功したと源氏は思っているのである。
  Tune ni kaki kahasi tamahe ba, waga ohom-te ni ito yoku ni te, imasukosi namamekasiu, womnasiki tokoro kaki sohe tamahe ri. "Nanigoto ni tuke te mo, kesiu ha ara zu ohositate tari kasi." to omohosu.
注釈261大将の君は宮をいと恋しう思ひきこえたまへど源氏は東宮を。4.1.1
注釈262あさましき御心のほどを時々は思ひ知るさまにも見せたてまつらむ源氏の心中。4.1.1
注釈263秋の野も見たまひがてら雲林院に詣でたまへり紫野にある寺院。もと淳和天皇の離宮、仁明天皇の皇子常康親王が伝領し出家して寺院となった。村上天皇の時には勅願によって堂塔が建てられ、重んじられた寺。4.1.1
注釈264故母御息所の御兄の律師母桐壺更衣の兄。源氏の伯父に当たる。4.1.2
注釈265秋の野のいとなまめきたるなど『休聞抄』は「秋の野になまめき立てる女郎花あなかしがまし花も一時」(古今集俳諧、一〇一六、僧正遍昭)を指摘する。4.1.3
注釈266論議問答形式による経文の義の議論。4.1.3
注釈267所からにいとど世の中の常なさを思し明かしても源氏、所柄いっそう世の無常を感じるが、藤壺が思い出され、出家には踏み切れない。藤壺執心を語る。4.1.3
注釈268憂き人しもぞと思し出でらるるおし明け方の月影に『源氏釈』は「天の戸を押し明け方の月見れば憂き人しもぞ恋しかりける」(新古今集恋四、一二六〇、読人しらず)を指摘。「憂き人」は藤壺をさす。やはり藤壺が恋しいの意。4.1.3
注釈269はかなげなれど『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はかなけれど」と校訂する。4.1.3
注釈270このかたのいとなみは以下「もてなやむかな」まで、源氏の思念。しかし、地の文が自然と源氏の心中文となっていく形態の文章。前半は、出家生活への憧れ。4.1.4
注釈271さもあぢきなき身をもて悩むかな反転して、我が人生を顧みる。「若紫」巻にも出家生活への憧れと「わが罪のほど恐ろしう、あぢきなきことに心をしめて」という反省が語られていた。4.1.4
注釈272念仏衆生摂取不捨律師の経文の声。『観無量寿経』の文句。念仏を唱える衆生は皆受け入れて捨てない、という意。4.1.6
注釈273うちのべて声を長く引いての意。4.1.7
注釈274行なひたまへるはいとうらやましければ大島本は「をこなひ給へるハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「行ひたまへるが」と校訂する。源氏の出家生活への憧れ。北山以来持ち続けていた。4.1.7
注釈275なぞやと思しなるにまづ姫君の心にかかりて思ひ出でられたまふぞ『集成』は「なぜ出家できないのか、そんなはずはない、というお考えになられるにつけて」の意に解す。「葵」巻にも「憂しと思ひしみにし世もなべて厭はしうなりたまひて、かかる絆だに添はざらましかば、願はしきさまにもなりなましと思すには、まづ対の姫君のさうざうしくてものしたまふらむありさまぞ、ふと思しやらるる」とあった。4.1.7
注釈276いと悪ろき心なるや語り手の源氏の心を批評。『岷江入楚』が「草子の評也」と指摘。『完訳』は「語り手の評。読者の非難を先取りしながら、源氏の苦衷を暗示」と注す。4.1.7
注釈277御文ばかりぞしげう聞こえたまふめる源氏は雲林院から二条院の紫の君のもとに手紙を頻繁に通わしていた。「める」(推量の助動詞)、語り手の主観的推量のニュアンス。4.1.8
注釈278行き離れぬべしやと試みはべる道なれど以下「やすらひはべるほどをいかに」まで、源氏の手紙文。「行き離れぬべしや」を『集成』は「俗世が捨てられるだろうか」の意に解す。4.1.9
注釈279聞きさしたることまだ教えを聞き残した所があるの意。4.1.9
注釈280やすらひはべるほどいかに大島本は「やすらひ侍ほといかに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はべるほどを」と格助詞「を」を補訂する。4.1.9
注釈281陸奥紙白く厚ぼったい雑用向きの用紙。4.1.10
注釈282浅茅生の露のやどりに君をおきて--四方の嵐ぞ静心なき源氏の贈歌。紫の君の身の上が心配でならないの意。『完訳』は「「あさぢふの露」が「四方のあらし」に吹き散る景に、世の「常なさを思しあか」す源氏の心を象徴」と指摘。4.1.11
注釈283白き色紙に白色の薄様の紙。陸奥紙の白色に応じたもの。4.1.12
注釈284風吹けばまづぞ乱るる色変はる--浅茅が露にかかるささがに紫の君の返歌。「色変はる」に源氏の心変わりをいい、「ささがに」(蜘蛛の糸)は自分をいう。源氏を頼りに生きているという意。4.1.13
注釈285とのみありて大島本は「とのミありて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とのみあり」と校訂する。4.1.14
注釈286御手はいとをかしうのみなりまさるものかな源氏の感想。紫の君の筆跡の上達を思う。4.1.14
注釈287常に書き交はしたまへば大島本は朱筆で「に」を補入する。4.1.15
注釈288何ごとにつけてもけしうはあらず生ほし立てたりかし源氏の感想。4.1.15
出典9 憂き人しもぞ 天の戸を押し開け方の月見れば憂き人しもぞ恋しかりける 新古今集恋四-一二六〇 読人しらず 4.1.3
出典10 念仏衆生摂取不捨 念仏衆生摂取不捨 観音無量寿経 4.1.6
校訂30 常に 常に--つね(ね/+に<朱>) 4.1.15
4.2
第二段 朝顔斎院と和歌を贈答


4-2  Genji and Asagao send a mail each other

4.2.1   吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり。中将の君に、
 吹き通う風も近い距離なので、斎院にも差し上げなさった。中将の君に、
 斎院のいられる加茂はここに近い所であったから手紙を送った。女房の中将あてのには、
  Hukikahu kaze mo tikaki hodo nite, Saiwin ni mo kikoye tamahi keri. Tyuuzyau-no-Kimi ni,
4.2.2  「 かく、旅の空になむ、もの思ひにあくがれにけるを、思し知るにもあらじかし」
 「このように、旅の空に、物思いゆえに身も魂もさまよい出たのを、ご存知なはずはありますまいね」
 物思いがつのって、とうとう家を離れ、こんな所に宿泊していますことも、だれのためであるかとはだれもご存じのないことでしょう。
  "Kaku, tabi no sora ni nam, monoomohi ni akugare ni keru wo, obosi siru ni mo arazi kasi."
4.2.3  など、怨みたまひて、御前には、
 などと、恨み言を述べて、御前には、
 などと恨みが述べてあった。当の斎院には、
  nado, urami tamahi te, omahe ni ha,
4.2.4  「 かけまくはかしこけれどもそのかみの
   秋思ほゆる木綿欅かな
 「口に上して言うことは恐れ多いことですけれど
  その昔の秋のころのことが思い出されます
  かけまくもかしこけれどもそのかみの
  秋思ほゆる木綿襷ゆふだすきかな
    "Kakemaku ha kasikokere domo sonokami no
    aki omohoyuru yuhudasuki kana
4.2.5   昔を今に、と思ひたまふるもかひなく、 とり返されむもののやうに
 昔の仲を今に、と存じます甲斐もなく、取り返せるもののようにも」
 昔を今にしたいと思いましてもしかたのないことですね。自分の意志で取り返しうるもののように。
  Mukasi wo ima ni, to omohi tamahuru mo kahinaku, torikahesa re m mono no yau ni."
4.2.6  と、 なれなれしげに唐の浅緑の紙に、榊に木綿つけなど、神々しうしなして参らせたまふ。
 と、親しげに、唐の浅緑の紙に、榊に木綿をつけたりなど、神々しく仕立てて差し上げさせなさる。
 となれなれしく書いた浅緑色の手紙を、さかき木綿ゆうをかけ神々こうごうしくした枝につけて送ったのである。
  to, narenaresige ni, kara no asamidori no kami ni, sakaki ni yuhu tuke nado, kaugausiu si nasi te mawira se tamahu.
4.2.7  御返り、中将、
 お返事、中将、
 中将の返事は、
  Ohom-kaheri, Tyuuzyau,
4.2.8  「 紛るることなくて、来し方のことを思ひたまへ出づるつれづれのままには、思ひやりきこえさすること多くはべれど、かひなくのみなむ」
 「気の紛れることもなくて、過ぎ去ったことを思い出してはその所在なさに、お偲び申し上げること、多くございますが、何の甲斐もございません事ばかりで」
 同じような日ばかりの続きます退屈さからよく昔のことを思い出してみるのでございますが、それによってあなた様を聯想れんそうすることもたくさんございます。しかしここでは何も現在へは続いて来ていないのでございます、別世界なのですから。
  "Magiruru koto naku te, kisikata no koto wo omohi tamahe iduru turedure no mama ni ha, omohiyari kikoye sasuru koto ohoku habere do, kahinaku nomi nam."
4.2.9  と、すこし心とどめて多かり。御前のは、木綿の片端に、
 と、少し丹念に多く書かれていた。御前の歌は、木綿の片端に、
 まだいろいろと書かれてあった。女王のは木綿ゆうはしに、
  to, sukosi kokoro todome te ohokari. Omahe no ha, yuhu no katahasi ni,
4.2.10  「 そのかみやいかがはありし木綿欅
   心にかけてしのぶらむゆゑ
 「その昔どうだったとおっしゃるのでしょうか
  心にかけて偲ぶとおっしゃるわけは
  そのかみやいかがはありし木綿襷ゆふだすき
  心にかけて忍ぶらんゆゑ
    "Sonokami ya ikaga ha ari si yuhudasuki
    kokoro ni kake te sinobu ram yuwe
4.2.11   近き世に
 近い世には」

  Tikaki yo ni."
4.2.12  とぞある。
 とある。
 とだけ書いてあった。
  to zo aru.
4.2.13  「 御手、こまやかにはあらねど、らうらうじう草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまへらむかし」と 思ほゆるも、ただならず、恐ろしや
 「ご筆跡、こまやかな美しさではないが、巧みで、草書きなど美しくなったものだ。ましてや、お顔も、いよいよ美しくなられたろう」と想像されるのも、心が騒いで、恐ろしいことよ。
 斎院のお字には細かな味わいはないが、高雅で漢字のくずし方など以前よりももっと巧みになられたようである。ましてその人自身の美はどんなに成長していることであろうと、そんな想像をして胸をとどろかせていた。神罰を思わないように。
  "Ohom-te, komayaka ni ha ara ne do, raurauziu, sau nado wokasiu nari ni keri. Masite, asagaho mo nebimasari tamahe ra m kasi." to omohoyuru mo, tada nara zu, osorosi ya!
4.2.14  「 あはれ、このころぞかし。野の宮のあはれなりしこと」と思し出でて、「 あやしう、やうのもの」と、神恨めしう思さるる御癖の、見苦しきぞかし。わりなう思さば、さもありぬべかりし年ごろは、のどかに過ぐいたまひて、 今は悔しう思さるべかめるも、あやしき御心なりや
 「ああ、このころであったよ。野宮でのしみじみとした事は」とお思い出しになって、「不思議に、同じような事だ」と、神域を恨めしくお思いになられるご性癖が、見苦しいことである。是非にとお思いなら、望みのようにもなったはずのころには、のんびりとお過ごしになって、今となって悔しくお思いになるらしいのも、奇妙なご性質だことよ。
 源氏はまた去年の野の宮の別れがこのころであったと思い出して、自分の恋を妨げるものは、神たちであるとも思った。むずかしい事情が間にあればあるほど情熱のたかまる癖をみずから知らないのである。それを望んだのであったら加茂の女王との結婚は困難なことでもなかったのであるが、当時は暢気のんきにしていて、今さら後悔の涙を無限に流しているのである。
  "Ahare, konokoro zo kasi. Nonomiya no ahare nari si koto." to obosi ide te, "Ayasiu, yau no mono." to, Kami uramesiu obosa ruru ohom-kuse no, migurusiki zo kasi. Warinau obosa ba, samo ari nu bekari si tosigoro ha, nodoka ni sugui tamahi te, ima ha kuyasiu obosa ru beka' meru mo, ayasiki mikokoro nari ya!
4.2.15  院も、かくなべてならぬ御心ばへを見知りきこえたまへれば、たまさかなる御返りなどは、 えしももて離れきこえたまふまじかめりすこしあいなきことなりかし
 齋院も、このような一通りでないお気持ちをよくお見知り申し上げていらっしゃるので、時たまのお返事などには、あまりすげなくはお応え申すこともできないようである。少し困ったことである。
 斎院も普通の多情で書かれる手紙でないものを、これまでどれだけ受けておいでになるかしれないのであって、源氏をよく理解したお心から手紙の返事もたまにはお書きになるのである。厳正にいえば、神聖な職を持っておいでになって、少し謹慎が足りないともいうべきことであるが。
  Win mo, kaku nabete nara nu mikokorobahe wo misiri kikoye tamahe re ba, tamasaka naru ohom-kaheri nado ha, e simo mote-hanare kikoye tamahu mazika' meri. Sukosi ainaki koto nari kasi.
4.2.16   六十巻といふ書、読みたまひ、おぼつかなきところどころ解かせなどしておはしますを、「 山寺には、いみじき光行なひ出だしたてまつれり」と、「 仏の御面目あり」と、あやしの法師ばらまでよろこびあへり。しめやかにて、世の中を思ほしつづくるに、帰らむことももの憂かりぬべけれど、 人一人の御こと思しやるがほだしなれば、久しうもえおはしまさで、寺にも 御誦経いかめしうせさせたまふ。あるべき限り、上下の僧ども、そのわたりの山賤まで物賜び、尊きことの限りを尽くして出でたまふ。見たてまつり送るとて、 このもかのもに、あやしき しはふるひどもも集りてゐて、涙を落としつつ見たてまつる。 黒き御車のうちにて、藤の御袂にやつれたまへれば、ことに見えたまはねど、ほのかなる御ありさまを、世になく思ひきこゆべかめり。
 六十巻という経文、お読みになり、不明な所々を解説させたりなどしていらっしゃるのを、「山寺にとっては、たいそうな光明を修行の力でお祈り出し申した」と、「仏の御面目が立つことだ」と、賎しい法師連中までが喜び合っていた。静かにして、世の中のことをお考え続けなさると、帰ることも億劫な気持ちになってしまいそうだが、姫君一人の身の上をご心配なさるのが心にかかる事なので、長くはいらっしゃれないで、寺にも御誦経の御布施を立派におさせになる。伺候しているすべての、身分の上下を問わない僧ども、その周辺の山賎にまで、物を下賜され、あらゆる功徳を施して、お出になる。お見送り申そうとして、あちらこちらに、賎しい柴掻き人連中が集まっていて、涙を落としながら拝し上げる。黒いお車の中に、喪服を着て質素にしていらっしゃるので、よくはっきりお見えにならないが、かすかなご様子を、またとなく素晴らしい人とお思い申し上げているようである。
 天台の経典六十巻を読んで、意味の難解な所を僧たちに聞いたりなどして源氏が寺にとどまっているのを、僧たちの善行によって仏力ぶつりきでこの人が寺へつかわされたもののように思って、法師の名誉であると、下級の輩までも喜んでいた。静かな寺の朝夕に人生を観じては帰ることがどんなにいやなことに思われたかしれないのであるが、紫の女王一人が捨てがたいほだしになって、長く滞留せずに帰ろうとする源氏は、その前に盛んな誦経ずきょうを行なった。あるだけの法師はむろん、その辺の下層民にも物を多く施した。帰って行く時には、寺の前の広場のそこここにそうした人たちが集まって、涙を流しながら見送っていた。諒闇りょうあん中の黒い車に乗った喪服姿の源氏は平生よりもすぐれて見えるわけもないが、美貌びぼうに心のかれない人もなかった。
  Rokuzihu-kwan to ihu humi, yomi tamahi, obotukanaki tokorodokoro toka se nado si te ohasimasu wo, "Yamadera ni ha, imiziki hikari okonahi idasi tatemature ri." to, "Hotoke no ohom-menboku ari." to, ayasi no hohusibara made yorokobi ahe ri. Simeyaka nite, yononaka wo omohosi tudukuru ni, kahera m koto mo monoukari nu bekere do, hito hitori no ohom-koto obosiyaru ga hodasi nare ba, hisasiu mo e ohasimasa de, Tera ni mo mizukyau ikamesiu se sase tamahu. Aru beki kagiri, kami simo no sou-domo, sono watari no yamagatu made mono tabi, tahutoki koto no kagiri wo tukusi te ide tamahu. Mi tatematuri okuru tote, konomokanomo ni, ayasiki sihahuruhi-domo mo atumari te wi te, namida wo otosi tutu mi tatematuru. Kuroki mikuruma no uti ni te, hudi no ohom-tamoto ni yature tamahe re ba, koto ni miye tamaha ne do, honoka naru ohom-arisama wo, yo ni naku omohi kikoyu beka' meri.
注釈289吹き交ふ風も近きほどにて、斎院にも聞こえたまひけり源氏、朝顔斎院と和歌を贈答。朝顔姫君は今年春に斎院に卜定された。一年目は宮中の初斎院にいるはずだが、今、紫野にいる。本来、紫野には二年目に移るべきもの。何かの事情で早まったものか。4.2.1
注釈290かく旅の空になむ以下「あらじかし」まで、源氏の斎院への手紙文。4.2.2
注釈291かけまくはかしこけれどもそのかみの--秋思ほゆる木綿欅かな源氏の朝顔斎院への贈歌。「そのかみの秋」は物語に直接語られていないが、「帚木」巻の「式部卿宮の姫君に朝顔奉り給ひし歌など」とあったことをさすか。昔が思い出されて恋しいの意。4.2.4
注釈292昔を今に以下「もののやうに」まで、和歌に添えた言葉。『源氏釈』は「いにしへのしづのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」(伊勢物語)を指摘する。4.2.5
注釈293とり返されむもののやうに『一葉抄』は「取り返すものにもがなや世の中をありしながらのわが身と思はむ」(出典未詳)を指摘する。4.2.5
注釈294なれなれしげに『集成』は「事あり顔に」の意に、また『完訳』は「いかにも心やすげに」の意に解す。4.2.6
注釈295唐の浅緑の紙に榊に木綿つけなど榊の緑色に合わせて浅緑色の唐紙を用いた。4.2.6
注釈296紛るることなくて以下「かひなくのみなむ」まで、中将君の手紙の返事。4.2.8
注釈297そのかみやいかがはありし木綿欅--心にかけてしのぶらむゆゑ朝顔斎院の返歌。「そのかみ」「木綿襷」の語句を引用して返す。4.2.10
注釈298近き世に返歌に添えた言葉。引歌があるらしいが不明。4.2.11
注釈299御手こまやかにはあらねどらうらうじう『集成』は「味わいがあるというのではないが、巧みで」の意に、また『完訳』は「繊細な美しさではないけれども、書きなれた巧みさで」の意に解す。4.2.13
注釈300草などをかしうなりにけり。まして、朝顔もねびまさりたまへらむかし大島本は「ねひまさり給へらむかし」とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のまま(「たまへ」「ら」「む」「かし」)とする。『集成』は「たまふらむかし」と校訂する。源氏の想像。「朝顔」という呼称は「帚木」巻に「式部卿宮の姫君に朝顔奉りたまひし」云々を受ける。4.2.13
注釈301思ほゆるもただならず恐ろしや大島本は元の文字を擦り消して「とおもほゆるも」と重ね書きをする。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひやるも」と校訂する。「恐ろしや」は語り手の感情移入の表現。4.2.13
注釈302あはれこのころぞかし野の宮のあはれなりしこと源氏の心中。昨年の秋、御息所との別離を思い出す。4.2.14
注釈303あやしうやうのものと神恨めしう思さるる御癖の見苦しきぞかし「やうのもの」とは同様のものの意。『完訳』は「同じ秋に神域の女に心をうごかすという奇妙な類似」と注す。この前後、源氏の心中を語りながら、それに対する語り手の批評が語られる(以下「あいなきことなりかし」まで)。『集成』は「「あやしう」以下、草子地。「かし」は読者(聴き手)に念を押す気持を表す強意の助詞」と注す。4.2.14
注釈304今は悔しう思さるべかめるもあやしき御心なりや「べか」「める」「あやしき」「なり」「や」の語句は語り手の感情移入による表現。草子地といわれるゆえん。源氏の性格に対する批評の言である。『完訳』は「このあたり、語り手の評言を多用。非難を先取りしながら、源氏固有の色好み像を造型」と注す。4.2.14
注釈305えしももて離れきこえたまふまじかめり「まじか」「めり」も語り手の推量に基づく表現。4.2.15
注釈306すこしあいなきことなりかし語り手の朝顔斎院の態度に対する批評の言。4.2.15
注釈307六十巻といふ書、読みたまひ「六十巻」は天台六十巻の教典をさす。『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』(各十巻)とその注釈『法華玄義疏記』『法華文句疏記』『止観輔行伝弘決』(各十巻)をさす。4.2.16
注釈308山寺にはいみじき光行なひ出だしたてまつれり雲林院の僧たちの言葉。ただし、「山寺には」が地の文か詞の文かは不分明。『完訳』は「山寺には」の下に読点を付す。源氏の雲林院来臨を最高の言葉で表して喜んだもの。4.2.16
注釈309仏の御面目あり僧侶たちの言葉。『完訳』は「仏の御面目が立つこと」の意に解す。4.2.16
注釈310人一人の御こと思しやるがほだしなれば紫の君をさす。一説には藤壺をさすという説もある。世の無常を思い仏道修業に勤しむことよりも紫の君の身の上が心にかかることとして大事であるという源氏。4.2.16
注釈311御誦経いかめしうせさせたまふ御誦経に対するお布施を盛大におさせになるの意。4.2.16
注釈312このもかのもに歌ことばをかりた表現。『原中最秘抄』は「筑波嶺のこのもかのもに蔭はあれど君がみかげにますかげはなし」(古今集東歌、一〇九五)を指摘する。4.2.16
注釈313しはふるひどもも「しはふるひともゝ」(大横池)、「しはふる人ともゝ」(榊)、「しはふるひとゝも」(三)、「しはふるい人とも」(肖書)という異同がある。語義不明。4.2.16
注釈314黒き御車のうちにて藤の御袂にやつれたまへれば源氏の父桐壺院の喪に服している姿。4.2.16
出典11 昔を今に いにしへのしづのをだまき繰り返し昔を今になすよしもがな 伊勢物語-六五 4.2.5
出典12 とり返され 取り返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ 出典未詳-源氏釈所引 4.2.5
4.3
第三段 源氏、二条院に帰邸


4-3  Genji gets back to Nijo-in

4.3.1  女君は、日ごろのほどに、ねびまさりたまへる心地して、いといたうしづまりたまひて、世の中いかがあらむと思へるけしきの、心苦しうあはれにおぼえたまへば、 あいなき心のさまざま乱るるやしるからむ、「 色変はる」とありしもらうたうおぼえて、常よりことに語らひきこえたまふ。
 女君は、この数日間に、いっそう美しく成長なさった感じがして、とても落ち着いていらして、男君との仲が今後どうなって行くのだろうと思っている様子が、いじらしくお思いなさるので、困った心がさまざまに乱れているのがはっきりと目につくのだろうか、「色変わる」とあったのも、かわいらしく思われて、いつもよりも親密にお話し申し上げなさる。
 夫人は幾日かのうちに一段ときれいになったように思われた。高雅に落ち着いている中に、源氏の愛を不安がる様子の見えるのが可憐かれんであった。幾人かの人を思う幾つかの煩悶はんもんは外へ出て、この人の目につくほどのことがあったのであろう、「色変はる」というような歌をんできたのではないかと哀れに思って、源氏は常よりも強い愛を夫人に感じた。
  Womnagimi ha, higoro no hodo ni, nebi masari tamahe ru kokoti si te, ito itau sidumari tamahi te, yononaka ikaga ara m to omohe ru kesiki no, kokorogurusiu ahare ni oboye tamahe ba, ainaki kokoro no samazama midaruru ya sirukara m, "Iro kaharu" to ari si mo rautau oboye te, tune yori koto ni katarahi kikoye tamahu.
4.3.2   山づとに持たせたまへりし紅葉、御前のに御覧じ比ぶれば、ことに染めましける露の心も見過ぐしがたう、 おぼつかなさも、人悪るきまでおぼえたまへば、ただおほかたにて宮に参らせたまふ。命婦のもとに、
 山の土産にお持たせになった紅葉、お庭先のと比べて御覧になると、格別に一段と染めてあった露の心やりも、そのままにはできにくく、久しいご無沙汰も体裁悪いまで思われなさるので、ただ普通の贈り物として、宮に差し上げなさる。命婦のもとに、
 山から折って帰った紅葉もみじは庭のに比べるとすぐれてあかくきれいであったから、それを、長く何とも手紙を書かないでいることによって、また堪えがたい寂しさも感じている源氏は、ただ何でもない贈り物として、御所においでになる中宮ちゅうぐうの所へ持たせてやった。手紙は命婦みょうぶへ書いたのであった。
  Yamaduto ni mota se tamahe ri si momidi, omahe no ni goranzi kurabure ba, kotoni some masi keru tuyu no kokoro mo misugusi gatau, obotukanasa mo, hitowaruki made oboye tamahe ba, tada ohokata nite Miya ni mawira se tamahu. Myaubu no moto ni,
4.3.3  「 入らせたまひにけるを、めづらしきこととうけたまはるに、 宮の間の事、おぼつかなくなりはべりにければ、静心なく思ひたまへながら、行ひもつとめむなど、思ひ立ちはべりし日数を、 心ならずやとてなむ、日ごろになりはべりにける。 紅葉は、一人見はべるに、 錦暗う思ひたまふればなむ。折よくて御覧ぜさせたまへ」
 「参内あそばしたのを、珍しい事とお聞きいたしましたが、東宮との間の事、ご無沙汰いたしておりましたので、気がかりに存じながらも、仏道修行を致そうなどと、計画しておりました日数を、不本意なことになってはと、何日にもなってしまいました。紅葉は、独りで見ていますと、せっかくの美しさも残念に思われましたので。よい折に御覧下さいませ」
 珍しく御所へおはいりになりましたことを伺いまして、両宮様いずれへも御無沙汰ごぶさたしておりますので、その際にも上がってみたかったのですが、しばらく宗教的な勉強をしようとその前から思い立っていまして、日どりなどを決めていたものですから失礼いたしました。紅葉もみじは私一人で見ていましては、錦を暗い所へ置いておく気がしてなりませんから持たせてあげます。よろしい機会に宮様のお目にかけてください。
  "Ira se tamahi ni keru wo, medurasiki koto to uketamaharu ni, Miya no ahida no koto, obotukanaku nari haberi ni kere ba, sidugokoro naku omohi tamahe nagara, okonahi mo tutome m nado, omohitati haberi si hikazu wo, kokoronarazu ya tote nam, higoro ni nari haberi ni keru. Momidi ha, hitori mi haberu ni, nisiki kurau omohi tamahure ba nam. Wori yoku te goranze sase tamahe."
4.3.4  などあり。
 などとある。
 と言うのである。
  nado ari.
4.3.5   げに、いみじき枝どもなれば、 御目とまるに、例の、 いささかなるものありけり。人びと見たてまつるに、御顔の色も移ろひて、
 なるほど、立派な枝ぶりなので、お目も惹きつけられると、いつものように、ちょっとした文が結んであるのだった。女房たちが拝見しているので、お顔の色も変わって、
 実際珍しいほどにきれいな紅葉であったから、中宮も喜んで見ておいでになったが、その枝に小さく結んだ手紙が一つついていた。女房たちがそれを見つけ出した時、宮はお顔の色も変わって、
  Geni, imiziki eda-domo nare ba, ohom-me tomaru ni, rei no, isasaka naru mono ari keri. Hitobito mi tatematuru ni, ohom-kaho no iro mo uturohi te,
4.3.6  「 なほ、かかる心の絶えたまはぬこそ、いと疎ましけれ。あたら思ひやり深うものしたまふ人の、ゆくりなく、かうやうなること、折々混ぜたまふを、人もあやしと見るらむかし」
 「依然として、このようなお心がお止みにならないのが、ほんとうに嫌なこと。惜しいことに思慮深くいらっしゃる方が、考えもなく、このようなこと、時々お加えなさるのを、女房たちもきっと変だと思うであろう」
 まだあの心を捨てていない、同情心の深いりっぱな人格を持ちながら、こうしたことを突発的にする矛盾があの人にある、女房たちも不審を起こすに違いない
  "Naho, kakaru kokoro no taye tamaha nu koso, ito utomasikere. Atara omohiyari hukau monosi tamahu hito no, yukurinaku, kauyau naru koto, woriwori maze tamahu wo, hito mo ayasi to miru ram kasi."
4.3.7  と、心づきなく思されて、瓶に挿させて、廂の柱のもとにおしやらせたまひつ。
 と、気に食わなく思われなさって、瓶に挿させて、廂の柱のもとに押しやらせなさった。
 と反感をお覚えになって、かめさせて、ひさしの柱の所へ出しておしまいになった。
  to, kokorodukinaku obosa re te, kame ni sasa se te, hisasi no hasira no moto ni osiyara se tamahi tu.
注釈315あいなき心のさまざま乱るるや以下「らうたう」まで、源氏の心中を地の文で語る。『集成』は「(藤壺に焦がれる)自分の困った心の、あれこれ思い乱れる様子がはっきり(紫の上に)分るのか」の意に解す。4.3.1
注釈316色変はる紫の君の返歌「風吹けばまづぞ乱るる色変はる浅茅が露にかかるささがに」の言葉。4.3.1
注釈317山づとに持たせたまへりし源氏、山の紅葉を土産に持ち帰る。4.3.2
注釈318おぼつかなさも人悪るきまでおぼえたまへば大島本は「人悪るきまで」について、朱筆で「は(者)」をミセケチにして傍らに墨筆で「わ(王)」と訂正し、「る(流)」「きまて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は、諸本に従って「人わろき」と校訂する。藤壺への御無沙汰。4.3.2
注釈319入らせたまひにけるをめづらしきことと以下「御覧ぜさせたまへ」まで、源氏の手紙文。「入らせたまひにける」は藤壺が宮中に参内なさったの意。4.3.3
注釈320宮の間の事春宮の後見に関する事。4.3.3
注釈321心ならずや「打ち切らむ」などの語句が省略。4.3.3
注釈322紅葉は一人見はべるに錦暗う『源氏釈』は「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり」(古今集秋下、二九七、紀貫之)を指摘する。4.3.3
注釈323げにいみじき「げに」は藤壺と語り手の感想が一体化した表現。4.3.5
注釈324御目とまるに主語は藤壺。4.3.5
注釈325いささかなるもの源氏からの手紙。4.3.5
注釈326なほかかる心の以下「見るらむかし」まで、藤壺の心中。4.3.6
出典13 錦暗う思ひ 見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は夜の錦なりけり 古今集秋下-二九七 紀貫之 4.3.3
4.4
第四段 朱雀帝と対面


4-4  Genji visits the Imperial Court to meet Mikado of his brother

4.4.1  おほかたのことども、宮の御事に触れたることなどをば、うち頼めるさまに、 すくよかなる御返りばかり聞こえたまへるを、「 さも心かしこく、尽きせずも」と、恨めしうは見たまへど、何ごとも後見きこえならひたまひにたれば、「 人あやしと、見とがめもこそすれ」と思して、 まかでたまふべき日、参りたまへり
 一般の事柄で、宮の御事に関することなどは、頼りにしている様子に、素っ気ないお返事ばかりを申し上げなさるので、「なんと冷静に、どこまでも」と、愚痴をこぼしたく御覧になるが、どのような事でもご後見申し上げ馴れていらっしゃるので、「女房が変だと、怪しんだりしたら大変だ」とお思いになって、退出なさる予定の日に、参内なさった。
 ただのこと、東宮の御上についてのことなどには信頼あそばされることを、丁寧に感情を隠して告げておよこしになる中宮を、どこまでも理智りちだけをお見せになると源氏は恨んでいた。東宮のお世話はことごとく源氏がしていて、それを今度に限って冷淡なふうにしてみせては人が怪しがるであろうと思って、源氏は中宮が御所をお出になる日に行った。
  Ohokata no koto-domo, Miya no ohom-koto ni hure taru koto nado wo ba, uti-tanome ru sama ni, sukuyoka naru ohom-kaheri bakari kikoye tamahe ru wo, "Samo kokorokasikoku, tukisezu mo." to, uramesiu ha mi tamahe do, nanigoto mo usiromi kikoye narahi tamahi ni tare ba, "Hito ayasi to, mitogame mo koso sure." to obosi te, makade tamahu beki hi, mawiri tamahe ri.
4.4.2   まづ、内裏の御方に参りたまへれば 、のどやかにおはしますほどにて、昔今の御物語聞こえたまふ。 御容貌も、院にいとよう似たてまつりたまひて、今すこしなまめかしき気添ひて、なつかしうなごやかにぞおはします 。かたみにあはれと見たてまつりたまふ。
 まず最初、帝の御前に参上なさると、くつろいでいらっしゃるところで、昔今のお話を申し上げなさる。御容貌も、院にとてもよくお似申していらして、さらに一段と優美な点が付け加わって、お優しく穏やかでおいであそばす。お互いに懐かしく思ってお会いなさる。
 まずみかどのほうへ伺ったのである。帝はちょうどお閑暇ひまで、源氏を相手に昔の話、今の話をいろいろとあそばされた。帝の御容貌は院によく似ておいでになって、それへえんな分子がいくぶん加わった、なつかしみと柔らかさに満ちた方でましますのである。帝も源氏と同じように、源氏によって院のことをお思い出しになった。
  Madu, Uti no ohom-kata ni mawiri tamahe re ba, nodoyaka ni ohasimasu hodo nite, mukasi ima no ohom-monogatari kikoye tamahu. Ohom-katati mo, Win ni ito you ni tatematuri tamahi te, imasukosi namamekasiki ke sohi te, natukasiu nagoyaka ni zo ohasimasu. Katamini ahare to mi tatematuri tamahu.
4.4.3   尚侍の君の御ことも、なほ 絶えぬさまに聞こし召し、けしき御覧ずる折もあれど
 尚侍の君の御ことも、依然として仲が切れていないようにお聞きあそばし、それらしい様子を御覧になる折もあるが、
 尚侍ないしのかみとの関係がまだ絶えていないことも帝のお耳にはいっていたし、御自身でお気づきになることもないのではなかったが、
  Kam-no-Kimi no ohom-koto mo, naho taye nu sama ni kikosimesi, kesiki goranzuru wori mo are do,
4.4.4  「 何かは今はじめたることならばこそあらめ。さも心交はさむに、似げなかるまじき人のあはひなりかし」
 「どうして、今に始まったことならばともかく、前から続いていたことなのだ。そのように心を通じ合っても、おかしくはない二人の仲なのだ」
 それもしかたがない、今はじめて成り立った間柄ではなく、自分の知るよりも早く源氏のほうがその人の情人であったのであるからと思召おぼしめして、恋愛をするのに最もふさわしい二人であるから、
  "Nanikaha, ima hazime taru koto nara ba koso ara me. Samo kokoro kahasa m ni, nigenakaru maziki hito no ahahi nari kasi."
4.4.5  とぞ 思しなして咎めさせたまはざりける
 と、しいてそうお考えになって、お咎めあそばさないのであった。
 やむをえないともお心の中で許しておいでになって、源氏をとがめようなどとは、少しも思召さないのである。
  to zo obosi nasi te, togame sase tamaha zari keru.
4.4.6  よろづの御物語、 文の道のおぼつかなく思さるることどもなど、 問はせたまひて 、また、 好き好きしき歌語りなども、かたみに聞こえ交はさせたまふついでに、かの斎宮の下りたまひし日のこと、容貌のをかしくおはせしなど、語らせたまふに、我もうちとけて、野の宮のあはれなりし曙も、 みな聞こえ出でたまひてけり
 いろいろなお話、学問上で不審にお思いあそばしている点など、お尋ねあそばして、また、色めいた歌の話なども、お互いに打ち明けお話し申し上げなさる折に、あの斎宮がお下りになった日のこと、ご容貌が美しくおいであそばしたことなど、お話しあそばすので、自分も気を許して、野宮のしみじみとした明け方の話も、すっかりお話し申し上げてしまったのであった。
 詩文のことで源氏に質問をあそばしたり、また風流な歌の話をかわしたりするうちに、斎宮の下向の式の日のこと、美しい人だったことなども帝は話題にあそばした。源氏も打ち解けた心持ちになって、野の宮のあけぼのの別れの身にしんだことなども皆お話しした。
  Yorodu no ohom-monogatari, humi no miti no obotukanaku obosa ruru koto-domo nado, toha se tamahi te, mata, sukizukisiki utagatari nado mo, katamini kikoye kaha sase tamahu tuide ni, kano Saiguu no kudari tamahi si hi no koto, katati no wokasiku ohase si nado, katara se tamahu ni, ware mo utitoke te, nonomiya no ahare nari si akebono mo, mina kikoye ide tamahi te keri.
4.4.7   二十日の月、やうやうさし出でて、をかしきほどなるに、
 二十日の月、だんだん差し昇ってきて、風情ある時分なので、
 二十日はつかの月がようやく照り出して、夜の趣がおもしろくなってきたころ、帝は、
  Hatuka no tuki, yauyau sasi-ide te, wokasiki hodo naru ni,
4.4.8  「 遊びなども、せまほしきほどかな
 「管弦の御遊なども、してみたい折だね」
 「音楽が聞いてみたいような晩だ」
  "Asobi nado mo, se mahosiki hodo kana!"
4.4.9  とのたまはす。
 と仰せになる。
 と仰せられた。
  to notamahasu.
4.4.10  「 中宮の、今宵、まかでたまふなる、とぶらひにものしはべらむ。院ののたまはせおくことはべりしかば。また、後見仕うまつる人もはべらざめるに。春宮の御ゆかり、いとほしう思ひたまへられはべりて」
 「中宮が、今夜、御退出なさるそうで、そのお世話に参りましょう。院の御遺言あそばしたことがございましたので。他に、御後見申し上げる人もございませんようなので。東宮の御縁、気がかりに存じられまして」
 「私は今晩中宮が退出されるそうですから御訪問に行ってまいります。院の御遺言を承っていまして、だれもほかにお世話をする人もない方でございますから、親切にしてさしあげております。東宮と私どもとの関係からもお捨てしておけませんのです」
  "Tyuuguu no, koyohi, makade tamahu naru, toburahi ni monosi habera m. Win no notamaha se oku koto haberi sika ba. Mata, usiromi tukaumaturu hito mo habera za' meru ni. Touguu no ohom-yukari, itohosiu omohi tamahe rare haberi te."
4.4.11   と奏したまふ
 とお断り申し上げになる。
 と源氏は奏上した。
  to sousi tamahu.
4.4.12  「 春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば、とりわきて心ざしものすれど、 ことにさしわきたるさまにも、何ごとをかはとてこそ。年のほどよりも、御手などのわざとかしこうこそものしたまふべけれ。何ごとにも、はかばかしからぬ みづからの 面起こしになむ」
 「東宮を、わたしの養子にしてなどと、御遺言あそばされたので、とりわけ気をつけてはいるのだが、特別に区別した扱いにするのも、今さらどうかしらと思って。お年の割に、御筆跡などが格別に立派でいらっしゃるようだ。何事においても、ぱっとしないわたしの面目をほどこしてくれることになる」
 「院は東宮を自分の子と思って愛するようにと仰せなすったからね、自分はどの兄弟よりも大事に思っているが、目に立つようにしてもと思って、自分で控え目にしている。東宮はもう字などもりっぱなふうにお書きになる。すべてのことが平凡な自分の不名誉をあの方が回復してくれるだろうと頼みにしている」
  "Touguu wo ba, Ima no Miko ni nasi te nado, notamahase oki sika ba, toriwaki te kokorozasi monosure do, kotoni sasiwaki taru sama ni mo, nanigoto wo kaha tote koso. Tosi no hodo yori mo, ohom-te nado no wazato kasikou koso monosi tamahu bekere. Nanigoto ni mo, hakabakasikara nu midukara no omoteokosi ni nam."
4.4.13  と、のたまはすれば、
 と、仰せになるので、

  to, notamaha sure ba,
4.4.14  「 おほかた、したまふわざなど、いとさとく大人びたるさまにものしたまへど、まだ、いと片なりに」
 「おおよそ、なさることなどは、とても賢く大人のような様子でいらっしゃるが、まだ、とても不十分で」
 「それはいろんなことを大人のようになさいますが、まだ何と申しても御幼齢ですから」
  "Ohokata, si tamahu waza nado, ito satoku otonabi taru sama ni monosi tamahe do, mada, ito katanari ni."
4.4.15  など、その御ありさまも奏したまひて、まかでたまふに、 大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁といふが、世にあひ、はなやかなる若人にて、 思ふことなきなるべし妹の麗景殿の御方に行くに大将の御前駆を忍びやかに追へばしばし立ちとまりて
 などと、その御様子も申し上げなさって、退出なさる時に、大宮のご兄弟の藤大納言の子で、頭の弁という者が、時流に乗って、今を時めく若者なので、何も気兼ねすることのないのであろう、妹の麗景殿の御方に行くところに、大将が先払いをひそやかにすると、ちょっと立ち止まって、
 源氏は東宮の御勉学などのことについて奏上をしたのちに退出して行く時皇太后の兄である藤大納言の息子むすことうべんという、得意の絶頂にいる若い男は、妹の女御にょごのいる麗景殿れいげいでんに行く途中で源氏を見かけて、
  nado, sono ohom-arisama mo sousi tamahi te, makade tamahu ni, Ohomiya no ohom-seuto no Tou-Dainagon no ko no, Tou-no-Ben to ihu ga, yo ni ahi, hanayaka naru wakaudo nite, omohu koto naki naru besi, imouto no Reikeiden no ohom-Kata ni yuku ni, Daisyau no ohom-saki wo sinobiyaka ni ohe ba, sibasi tatitomari te,
4.4.16  「 白虹日を貫けり。太子畏ぢたり
 「白虹が日を貫いた。太子は、懼ぢた」
 「白虹はくこう日を貫けり、太子ぢたり」
  "Hakukou hi wo turanuke ri. Taisi wodi tari."
4.4.17  と、いとゆるるかにうち誦じたるを、大将、いとまばゆしと聞きたまへど、 咎むべきことかは。后の御けしきは、いと恐ろしう、わづらはしげにのみ聞こゆるを、 かう親しき人びとも、けしきだち言ふべかめることどももあるに、わづらはしう思されけれど、つれなうのみもてなしたまへり。
 と、たいそうゆっくりと朗誦したのを、大将、まことに聞きにくいとお聞きになったが、何の咎め立てできることであろうか。后の御機嫌は、ひどく恐ろしく、厄介な噂ばかり聞いているうえに、このように一族の人々までも、態度に現して非難して言うらしいことがあるのを、厄介に思われなさったが、知らないふりをなさっていた。
 と漢書の太子丹が刺客を秦王しんのうに放った時、その天象てんしょうを見て不成功を恐れたという章句をあてつけにゆるやかに口ずさんだ。源氏はきまり悪く思ったがとがめる必要もなくそのまま素知らぬふうで行ってしまったのであった。
  to, ito yururuka ni uti-zyuzi taru wo, Daisyau, ito mabayusi to kiki tamahe do, togamu beki koto kaha. Kisaki no mikesiki ha, ito osorosiu, wadurahasige ni nomi kikoyuru wo, kau sitasiki hitobito mo, kesikidati ihu beka' meru koto-domo mo aru ni, wadurahasiu obosa re kere do, turenau nomi motenasi tamahe ri.
注釈327すくよかなる『集成』は「堅苦しい」の意に、また『完訳』は「他人行儀な」の意に解す。4.4.1
注釈328さも心かしこく尽きせずも源氏の感想。『集成』は「なんと冷静に、どこまでも(自分につれなくなさることか)」の意に解す。『完訳』は「源氏は、自分の恋慕を巧みに避ける藤壺の態度を、賢明で、どこまでも用心深いと受けとめる」と注す。4.4.1
注釈329人あやしと見とがめもこそすれ源氏の心中。4.4.1
注釈330まかでたまふべき日参りたまへり藤壺が宮中を退出する日に源氏は参内した。4.4.1
注釈331まづ内裏の御方に参りたまへれば源氏、朱雀帝の御前に参上。4.4.2
注釈332御容貌も院にいとよう似たてまつりたまひて今すこしなまめかしき気添ひてなつかしうなごやかにぞおはします朱雀帝像。4.4.2
注釈333尚侍の君朧月夜尚侍。この二月に任官。4.4.3
注釈334絶えぬさまに聞こし召しけしき御覧ずる折もあれど主語は帝。4.4.3
注釈335何かは以下「あはひなりかし」まで、帝の心中。4.4.4
注釈336今はじめたることならばこそあらめ「こそ」「あらめ」は逆接の文脈。朱雀帝が源氏と朧月夜尚侍との関係を咎めない理由。
【こそあらめ】-青表紙諸本、以下「ありそめにけることなれは」とある。大島本はナシ。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』等は「ありそめにけることなれば」を補入する。
4.4.4
注釈337思しなして「なす」があることによって、しいてそう思うというニュアンス。4.4.5
注釈338咎めさせたまはざりける大島本は朱筆で「給」を補入する。4.4.5
注釈339文の道学問上の事。漢籍の学問。4.4.6
注釈340問はせたまひて大島本は朱筆で「か(可)」をミセケチにし傍らに「ハ(八)」と訂正する。帝が源氏に御下問あそばし、それに対して、源氏が帝にお答え申し上げるという形式である。4.4.6
注釈341好き好きしき歌語りなどもかたみに聞こえ交はさせたまふついでに歌にまつわる恋愛話。お互いの体験談へと話が移る。『完訳』は「恋の話題、とりわけ帝と斎宮、源氏と御息所の神を恐れぬ不謹慎な秘事に及び、二人はいよいよ親密。「かたみに」の繰返しにも注意」と注す。4.4.6
注釈342みな聞こえ出でたまひてけり「て」(完了の助動詞、確述)「けり」(過去の助動詞)は、そこまではしなくともよいのに、してしまったのである、という語り手の強調のニュアンスが加わる。『完訳』は「秘すべき内容なのに、の気持」と注す。4.4.6
注釈343二十日の月やうやうさし出でて九月二十日の月。午後十時頃に出る。4.4.7
注釈344遊びなどもせまほしきほどかな帝の詞。4.4.8
注釈345中宮の今宵まかでたまふなる以下「思ひたまへられはべりて」まで、源氏の返事。帝の提案を断る。4.4.10
注釈346と奏したまふ大島本は朱筆で「こ(己)」をミセケチにし傍らに「う(宇)」と訂正する。4.4.11
注釈347春宮をば、今の皇子になしてなど、のたまはせ置きしかば以下「面起こしに」まで、帝の詞。桐壺院が春宮を朱雀帝の養子にするようにとの遺言をいう。春宮の立派さを褒める。
【今の皇子になして】-自分の養子にするようにとの意。
4.4.12
注釈348ことにさしわきたるさまにも何ごとをかは特別に何をして上げるということもなく、すでにれっきとした春宮である、の意。4.4.12
注釈349みづからの大島本は朱筆で「か」を補入する。4.4.12
注釈350おほかた以下「いと片なりに」まで、源氏の詞。4.4.14
注釈351大宮の御兄の藤大納言の子の、頭の弁右大臣方の弘徽殿大后の兄弟の藤大納言の子の頭の弁。右大臣も藤原氏であることがわかる。4.4.15
注釈352思ふことなきなるべし「べし」(推量の助動詞)は語り手の推量。4.4.15
注釈353妹の麗景殿の御方に行くに頭の弁の妹の麗景殿女御。「に」は格助詞、時間または所を表す。行く時に、行くところにの意。4.4.15
注釈354大将の御前駆を忍びやかに追へば「の」は格助詞、主格を表す。「ば」は接続助詞、単純な順接を表す。源氏が先払いをひそやかにすると、または、して行くとの意。『集成』は「先払いをひそやかにするので」の意に解す。4.4.15
注釈355しばし立ちとまりて主語は頭の弁。4.4.15
注釈356白虹日を貫けり太子畏ぢたり『史記』『漢書』にある文句。源氏が皇太子を擁して帝に謀叛を企てているようだが、成功しないぞと、あてこすって言ったもの。4.4.16
注釈357咎むべきことかは語り手の何の非難することもできないという評言。4.4.17
注釈358かう親しき人びともけしきだち言ふべかめることどももあるに弘徽殿大后のみならず、その近親者までが態度に表して非難しているようだの意。4.4.17
出典14 白虹日を貫けり。太子畏ぢたり 昔者荊軻慕燕丹之義 白虹貫日太子畏之 史記-鄒陽伝 4.4.16
校訂31 たまへれば たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは 4.4.2
校訂32 なまめかしき なまめかしき--なる(る/$ま<朱>)めかしき 4.4.2
校訂33 たまは たまは--(/+給<朱>)は 4.4.5
校訂34 問はせ 問はせ--とか(か/$は<朱>)せ 4.4.6
校訂35 奏し 奏し--そこ(こ/$う<朱>)し 4.4.11
校訂36 みづから みづから--身つ(つ/+か<朱>)ら 4.4.12
4.5
第五段 藤壺に挨拶


4-5  Genji greets Fujitsubo in the Imperial Court

4.5.1  「 御前にさぶらひて、今まで、更かしはべりにける
 「御前に伺候して、今まで、夜を更かしてしまいました」
 「ただ今まで御前におりまして、こちらへ上がりますことが深更になりました」
  "Omahe ni saburahi te, ima made, hukasi haberi ni keru."
4.5.2  と、聞こえたまふ。
 と、ご挨拶申し上げなさる。
 と源氏は中宮に挨拶あいさつをした。
  to, kikoye tamahu.
4.5.3  月のはなやかなるに、「 昔、かうやうなる折は、御遊びせさせたまひて、今めかしうもてなさせたまひし」など、 思し出づるに、同じ御垣の内ながら、変はれること多く悲し。
 月が明るく照っているので、「昔、このような時には、管弦の御遊をあそばされて、華やかにお扱いしてくださった」などと、お思い出しになると、同じ宮中ながらも、変わってしまったことが多く悲しい。
 明るい月夜になった御所の庭を中宮はながめておいでになって、院が御位みくらいにおいでになったころ、こうした夜分などには音楽の遊びをおさせになって自分をお喜ばせになったことなどと昔の思い出がお心に浮かんで、ここが同じ御所の中であるようにも思召しがたかった。
  Tuki no hanayaka naru ni, "Mukasi, kauyau naru wori ha, ohom-asobi se sase tamahi te, imamekasiu motenasa se tamahi si." nado, obosi iduru ni, onazi mikaki no uti nagara, kahare ru koto ohoku kanasi.
4.5.4  「 九重に霧や隔つる雲の上の
   月をはるかに思ひやるかな
 「宮中には霧が幾重にもかかっているのでしょうか
  雲の上で見えない月をはるかにお思い申し上げますことよ
  九重ここのへに霧や隔つる雲の上の
  月をはるかに思ひやるかな
    "Kokonohe ni kiri ya hedaturu kumo no uhe no
    tuki wo haruka ni omohiyaru kana
4.5.5  と、命婦して、聞こえ伝へたまふ。ほどなければ、御けはひも、ほのかなれど、なつかしう聞こゆるに、つらさも忘られて、まづ涙ぞ落つる。
 と、命婦を取り次ぎにして、申し上げさせなさる。それほど離れた距離ではないので、御様子も、かすかではあるが、慕わしく聞こえるので、辛い気持ちも自然と忘れられて、まっ先に涙がこぼれた。
 これを命婦みょうぶから源氏へお伝えさせになった。宮のお召し物の動く音などもほのかではあるが聞こえてくると、源氏は恨めしさも忘れてまず涙が落ちた。
  to, Myaubu site, kikoye tutahe tamahu. Hodo nakere ba, ohom-kehahi mo, honoka nare do, natukasiu kikoyuru ni, turasa mo wasura re te, madu namida zo oturu.
4.5.6  「 月影は見し世の秋に変はらぬを
   隔つる霧のつらくもあるかな
 「月の光は昔の秋と変わりませんのに
  隔てる霧のあるのがつらく思われるのです
  「月影は見し世の秋に変はらねど
  隔つる霧のつらくもあるかな
    "Tukikage ha mi si yo no aki ni kahara nu wo
    hedaturu kiri no turaku mo aru kana
4.5.7   霞も人のとか、昔もはべりけることにや」
 霞も仲を隔てるとか、昔もあったことでございましょうか」
 かすみが花を隔てる作用にも人の心が現われるとか昔の歌にもあったようでございます」
  Kasumi mo hito no to ka, mukasi mo haberi keru koto ni ya?"
4.5.8  など聞こえたまふ。
 などと、申し上げなさる。
 などと源氏は言った。
  nado kikoye tamahu.
4.5.9  宮は、春宮を飽かず思ひきこえたまひて、よろづのことを聞こえさせたまへど、 深うも思し入れたらぬを、いとうしろめたく思ひきこえたまふ。例は、いととく大殿籠もるを、「 出でたまふまでは起きたらむ」と 思すなるべし。恨めしげに思したれど、さすがに、え慕ひきこえたまはぬを、いとあはれと、見たてまつりたまふ。
 宮は、春宮をいつまでも名残惜しくお思い申し上げなさって、あらゆる事柄をお話し申し上げなさるが、深くお考えにならないのを、ほんとうに不安にお思い申し上げなさる。いつもは、とても早くお寝みになるのを、「お帰りになるまでは起きていよう」とお考えなのであろう。残念そうにお思いでいたが、そうはいうものの、後をお慕い申し上げることのおできになれないのを、とてもいじらしいと、お思い申し上げなさる。
 中宮は悲しいお別れの時に、将来のことをいろいろ東宮へ教えて行こうとあそばすのであるが、深くもお心にはいっていないらしいのを哀れにお思いになった。平生は早くおやすみになるのであるが、宮のお帰りあそばすまで起きていようと思召すらしい。御自身を残して母宮の行っておしまいになることがお恨めしいようであるが、さすがに無理に引き止めようともあそばさないのが御親心には哀れであるに違いなかった。
  Miya ha, Touguu wo akazu omohi kikoye tamahi te, yorodu no koto wo kikoye sase tamahe do, hukau mo obosi ire tara nu wo, ito usirometaku omohi kikoye tamahu. Rei ha, ito toku ohotonogomoru wo, "Ide tamahu made ha oki tara m." to obosu naru besi. Uramesige ni obosi tare do, sasuga ni, e sitahi kikoye tamaha nu wo, ito ahare to, mi tatematuri tamahu.
注釈359御前にさぶらひて今まで更かしはべりにける源氏の藤壺への詞。場面は朱雀帝の御前。そこから藤壺方へ挨拶を言上したもの。4.5.1
注釈360昔、かうやうなる折は以下「もてなさせたまひし」まで、藤壺の心中。4.5.3
注釈361思し出づるに主語は藤壺。4.5.3
注釈362九重に霧や隔つる雲の上の--月をはるかに思ひやるかな藤壺から源氏への贈歌。「霧」は帝の周辺の悪意ある人々をいい、「月」は帝をいう。4.5.4
注釈363月影は見し世の秋に変はらぬを--隔つる霧のつらくもあるかな源氏の返歌。「霧」「雲」「月」の語句を用い、「月」は宮中の意であるが、また、藤壺の意もこめて、よそよそしくあしらう藤壺に対して、恨めしく思われる、という意を訴える。4.5.6
注釈364霞も人の『奥入』は「山桜見に行く道を隔つれば霞も人の心なるべし」(出典未詳)を指摘する。また『紫明抄』は第五句が「人の心なりけり」とある。『後拾遺集』(春上、七八、藤原隆経朝臣)は第五句「人の心ぞ霞なりける」とある。以下「はべりけることにや」まで、和歌に添えた言葉。4.5.7
注釈365深うも思し入れたらぬを主語は春宮。4.5.9
注釈366出でたまふまでは起きたらむ春宮の心中。4.5.9
注釈367思すなるべし「なる」「べし」は語り手の断定と推量。4.5.9
出典15 霞も人の 山桜見に行く道を隔つれば人の心ぞ霞なりける 出典未詳-奥入所引 4.5.7
4.6
第六段 初冬のころ、源氏朧月夜と和歌贈答


4-6  Genji and Oborozukiyo send a mail each other

4.6.1   大将、頭の弁の誦じつることを思ふに、御心の鬼に、世の中わづらはしうおぼえたまひて、尚侍の君にも訪れきこえたまはで、久しうなりにけり。
 大将、頭の弁が朗誦したことを考えると、お気が咎めて、世の中が厄介に思われなさって、尚侍の君にもお便りを差し上げなさることもなく、長いことになってしまった。
 源氏は頭の弁の言葉を思うと人知れぬ昔の秘密も恐ろしくて、尚侍にも久しく手紙を書かないでいた。
  Daisyau, Tou-no-Ben no zuzi turu koto wo omohu ni, mikokoronooni ni, yononaka wadurahasiu oboye tamahi te, Kam-no-Kimi ni mo otodure kikoye tamaha de, hisasiu nari ni keri.
4.6.2   初時雨、いつしかとけしきだつにいかが思しけむ、かれより、
 初時雨、早くもその気配を見せたころ、どうお思いになったのであろうか、向こうから、
 時雨しぐれが降りはじめたころ、どう思ったか尚侍のほうから、
  Hatusigure, itusika to kesikidatu ni, ikaga obosi kem, kare yori,
4.6.3  「 木枯の吹くにつけつつ待ちし間に
   おぼつかなさのころも経にけり
 「木枯が吹くたびごとに訪れを待っているうちに
  長い月日が経ってしまいました
  木枯こがらしの吹くにつけつつ待ちし
  おぼつかなさのころも経にけり
    "Kogarasi no huku ni tuke tutu mati si ma ni
    obotukanasa no koro mo he ni keri
4.6.4   と聞こえたまへり 。折もあはれに、あながちに 忍び書きたまへらむ 御心ばへも、憎からねば、 御使とどめさせて、唐の紙ども入れさせたまへる御厨子開けさせたまひて、なべてならぬを選り出でつつ、筆なども心ことにひきつくろひたまへるけしき、艶なるを、御前なる人びと、「 誰ればかりならむ」と つきしろふ
 と差し上げなさった。時節柄しみじみとしたころであり、無理をしてこっそりお書きになったらしいお気持ちも、いじらしいので、お使いを留めさせて、唐の紙をお入れあそばしている御厨子を開けさせなさって、特別上等なのをあれこれ選び出しなさって、筆を念入りに整えて認めていらっしゃる様子、優美なので、御前の女房たちは、「どなたのであろう」と、互いにつっ突き合っている。
 こんな歌を送ってきた。ちょうど物の身にしむおりからであったし、どんなに人目を避けてこの手紙が書かれたかを想像しても恋人の情がうれしく思われたし、返事をするために使いを待たせて、唐紙からかみのはいった置きだなの戸をあけて紙を選び出したり、筆を気にしたりして源氏が書いている返事はただ事であるとは女房たちの目にも見えなかった。相手はだれくらいだろうとひじや目で語っていた。
  to kikoye tamahe ri. Wori mo ahare ni, anagati ni sinobi kaki tamahe ra m mikokorobahe mo, nikukara ne ba, ohom-tukahi todome sase te, kara no kami-domo ire sase tamahe ru midusi ake sase tamahi te, nabete nara nu wo eri ide tutu, hude nado mo kokoro koto ni hikitukurohi tamahe ru kesiki, en naru wo, omahe naru hitobito, "Tare bakari nara m?" to tukisirohu.
4.6.5  「 聞こえさせても、かひなきもの懲りにこそ、むげにくづほれにけれ。 身のみもの憂きほどに
 「お便り差し上げても、何の役にも立たないのに懲りまして、すっかり気落ちしておりました。自分だけが情けなく思われていたところに、
 どんなに苦しい心を申し上げてもお返事がないので、そのかいのないのに私の心はすっかりめいり込んでいたのです。
  "Kikoyesase te mo, kahinaki monogori ni koso, muge ni kuduhore ni kere. Mi nomi monouki hodo ni,
4.6.6    あひ見ずてしのぶるころの涙をも
   なべての空の時雨とや見る
  お逢いできずに恋い忍んで泣いている涙の雨までを
  ありふれた秋の時雨とお思いなのでしょうか
  あひ見ずて忍ぶる頃の涙をも
  なべての秋のしぐれとや見る
    Ahi mi zu te sinoburu koro no namida wo mo
    nabete no sora no sigure to ya miru
4.6.7  心の通ふならば、いかに 眺めの空ももの忘れしはべらむ」
 心が通じるならば、どんなに物思いに沈んでいる気持ちも、紛れることでしょう」
 心が通うものでしたなら、通っても来るものでしたなら、空も寂しい色とばかりは見えないでしょう。
  Kokoro no kayohu nara ba, ikani nagame no sora mo mono-wasure si habera m."
4.6.8  など、 こまやかになりにけり
 などと、つい情のこもった手紙になってしまった。
 などと情熱のある文字がつらねられた。
  nado, komayaka ni nari ni keri.
4.6.9  かうやうに おどろかしきこゆるたぐひ 多かめれど、情けなからずうち返りごちたまひて、 御心には深う染まざるべし
 このようにお便りを差し上げる人々は多いようであるが、無愛想にならないようお返事をなさって、お気持ちには深くしみこまないのであろう。
 こんなふうに女のほうから源氏を誘い出そうとする手紙はほかからも来るが、情のある返事を書くにとどまって、深くは源氏の心にしまないものらしかった。
  Kauyau ni odorokasi kikoyuru taguhi ohoka' mere do, nasakenakara zu uti-kaherigoti tamahi te, mikokoro ni ha hukau sima zaru besi.
注釈368大将、頭の弁の誦じつることを思ふに「白虹日を貫けり、太子畏ぢたり」をさす。4.6.1
注釈369初時雨いつしかとけしきだつに「時雨」は晩秋から初冬の景物。季節は晩秋から初冬に移る。4.6.2
注釈370いかが思しけむ挿入句。語り手の推量。『完訳』は「異例の、女からの贈歌に注目する、語り手の言辞」と注す。4.6.2
注釈371木枯の吹くにつけつつ待ちし間に--おぼつかなさのころも経にけり朧月夜尚侍から源氏への贈歌。源氏から便りがないことを嘆いた歌。4.6.3
注釈372と聞こえたまへり大島本は「と」を墨筆で補入する。4.6.4
注釈373忍び書きたまへらむ大島本は朱筆で「つ(川)」をミセケチにし傍らに「へ(部)」と訂正する。『新大系』は訂正に従って「たまへ」を採用する。『集成』『古典セレクション』は訂正以前の形を採用し「たまひつ」とする。4.6.4
注釈374御使とどめさせて「させ」は使役の助動詞。4.6.4
注釈375誰ればかりならむ女房のささやき。4.6.4
注釈376つきしろふ『集成』は「つきじろふ」と濁音で読む。『新大系』『古典セレクション』は「つきしろふ」と清音で読む。4.6.4
注釈377聞こえさせても以下「もの忘れしはべらむ」まで、源氏の朧月夜尚侍への返書。4.6.5
注釈378身のみもの憂きほどに『源氏釈』は「数ならぬ身のみもの憂くおもほえて待たるるまでもなりにけるかな」(後撰集雑四、一二六〇、読人しらず)を指摘する。4.6.5
注釈379あひ見ずてしのぶるころの涙をも--なべての空の時雨とや見る源氏の返歌。4.6.6
注釈380眺めの空も「ながめ」は「長雨」と「眺め」の掛詞。「時雨」の縁語。4.6.7
注釈381こまやかになりにけりつい情がこもってしまった、という語り手の感情移入の表現。4.6.8
注釈382おどろかしきこゆるたぐひ朧月夜尚侍の方から。4.6.9
注釈383多かめれど「めり」(推量の助動詞)は、語り手の推量。4.6.9
注釈384御心には深う染まざるべし「べし」(推量の助動詞)は語り手の推測。『岷江入楚』所引三光院説が「草子地也」と指摘。源氏の心には。4.6.9
出典16 身のみもの憂き 数ならぬ身のみもの憂く思ほえて待たるるまでもなりにけるかな 後撰集雑四-一二六〇 読人しらず 4.6.5
校訂37 と--(/+と) 4.6.4
校訂38 たまへらむ たまへらむ--給つ(つ/$へ<朱>)らむ 4.6.4
Last updated 9/20/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/5/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 5/19/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
小林繁雄(青空文庫)

2003年7月13日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年10月30日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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