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第十二帖 須磨
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12 SUMA (Ohoshima-bon)
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光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語
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Tale of Hikaru-Genji's commoner era in Kyoto and Suma from March at the age of 26 to March at the age of 27
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3 |
第三章 光る源氏の物語 須磨の秋の物語
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3 Tale of Hikaru-Genji Fall on Suma
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3.1 |
第一段 須磨の秋
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3-1 Fall on Suma
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3.1.1 |
須磨には、いとど心尽くしの秋風に ★、海はすこし遠けれど、 行平中納言の、「関吹き越ゆる」と言ひけむ ★ 浦波、夜々はげにいと近く聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり。
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須磨では、ますます心づくしの秋風が吹いて、海は少し遠いけれども、行平中納言が、「関吹き越ゆる」と詠んだという波音が、夜毎夜毎にそのとおりに耳元に聞こえて、またとないほど淋しく感じられるものは、こういう所の秋なのであった。
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秋風が須磨の里を吹くころになった。海は少し遠いのであるが、須磨の関も越えるほどの秋の波が立つと行平が歌った波の音が、夜はことに高く響いてきて、堪えがたく寂しいものは謫居の秋であった。
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Suma ni ha, itodo kokorodukusi no akikaze ni, umi ha sukosi tohokere do, Yukihira-no-Tyuunagon no, "Seki huki koyuru" to ihi kem uranami, yoru yoru ha geni ito tikaku kikoye te, mata naku ahare naru mono ha, kakaru tokoro no aki nari keri.
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3.1.2 |
御前にいと人少なにて、うち休みわたれるに、一人目を覚まして、 ▼ 枕をそばだてて四方の嵐を聞きたまふに、波ただここもとに立ちくる心地して、涙落つともおぼえぬに、 ▼ 枕浮くばかりになりにけり。琴をすこしかき鳴らしたまへるが、我ながらいとすごう聞こゆれば、弾きさしたまひて、
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御前にはまったく人少なで、皆寝静まっている中で、独り目を覚まして、枕を立てて四方の嵐を聞いていらっしゃると、波がまるでここまで立ち寄せて来る感じがして、涙がこぼれたとも思われないうちに、枕が浮くほどになってしまった。琴を少し掻き鳴らしていらっしゃったが、自分ながらひどく寂しく聞こえるので、お弾きさしになって、
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居間に近く宿直している少数の者も皆眠っていて、一人の源氏だけがさめて一つ家の四方の風の音を聞いていると、すぐ近くにまで波が押し寄せて来るように思われた。落ちるともない涙にいつか枕は流されるほどになっている。琴を少しばかり弾いてみたが、自身ながらもすごく聞こえるので、弾きさして、
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Omahe ni ito hitozukuna nite, uti-yasumi watare ru ni, hitori me wo samasi te, makura wo sobadate te yomo no arasi wo kiki tamahu ni, nami tada kokomoto ni tati kuru kokoti si te, namida otu to mo oboye nu ni, makura uku bakari ni nari ni keri. Kin wo sukosi kaki-narasi tamahe ru ga, ware nagara ito sugou kikoyure ba, hiki-sasi tamahi te,
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3.1.3 |
「 恋ひわびて泣く音にまがふ浦波は 思ふ方より風や吹くらむ ★」 |
「恋いわびて泣くわが泣き声に交じって波音が聞こえてくるが それは恋い慕っている都の方から風が吹くからであろうか」 |
恋ひわびて泣く音に紛ふ浦波は 思ふ方より風や吹くらん
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"Kohi wabi te naku ne ni magahu uranami ha omohu kata yori kaze ya huku ram |
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3.1.4 |
と歌ひたまへるに、人びとおどろきて、めでたうおぼゆるに、忍ばれで、 あいなう起きゐつつ、鼻を忍びやかにかみわたす。
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とお詠みになったことに、供の人々が目を覚まして、素晴らしいと感じられたが、堪えきれずに、わけもなく起き出して座り直し座り直しして、鼻をひそかに一人一人かんでいる。
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と歌っていた。惟光たちは悽惨なこの歌声に目をさましてから、いつか起き上がって訳もなくすすり泣きの声を立てていた。
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to utahi tamahe ru ni, hitobito odoroki te, medetau oboyuru ni, sinoba re de, ainau oki wi tutu, hana wo sinobiyaka ni kami watasu.
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3.1.5 |
「 げに、いかに思ふらむ。我が身ひとつにより、親、兄弟、片時立ち離れがたく、ほどにつけつつ思ふらむ家を別れて、かく惑ひあへる」と思すに、いみじくて、「 いとかく思ひ沈むさまを、心細しと思ふらむ」と思せば、 昼は何くれとうちのたまひ紛らはし、つれづれなるままに、色々の紙を継ぎつつ、手習ひをしたまひ、めづらしきさまなる唐の綾などに、さまざまの絵どもを描きすさびたまへる屏風の面どもなど、いとめでたく見所あり。
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「なるほど、どのように思っていることだろう。自分一人のために、親、兄弟が片時でも離れにくく、身分相応に大事に思っているだろう家人に別れて、このようにさまよっているとは」とお思いになると、ひどく気の毒で、「まことこのように沈んでいる様子を、心細いと思っているだろう」とお思いになると、昼間は何かとおっしゃってお紛らわしになり、なすこともないままに、色々な色彩の紙を継いで手習いをなさり、珍しい唐の綾などに、さまざまな絵を描いて気を紛らわしなさった屏風の絵など、とても素晴らしく見所がある。
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その人たちの心を源氏が思いやるのも悲しかった。自分一人のために、親兄弟も愛人もあって離れがたい故郷に別れて漂泊の人に彼らはなっているのであると思うと、自分の深い物思いに落ちたりしていることは、その上彼らを心細がらせることであろうと源氏は思って、昼間は皆といっしょに戯談を言って旅愁を紛らそうとしたり、いろいろの紙を継がせて手習いをしたり、珍しい支那の綾などに絵を描いたりした。その絵を屏風に貼らせてみると非常におもしろかった。
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"Geni, ikani omohu ram? Waga mi hitotu ni yori, oya, harakara, katatoki tati-hanare gataku, hodo ni tuke tutu omohu ram ihe wo wakare te, kaku madohi ahe ru." to obosu ni, imiziku te, "Ito kaku omohi sidumu sama wo, kokorobososi to omohu ram." to obose ba, hiru ha nanikure to uti-notamahi magirahasi, turedure naru mama ni, iroiro no kami wo tugi tutu, tenarahi wo si tamahi, medurasiki sama naru kara no aya nado ni, samazama no we-domo wo kaki susabi tamahe ru byaubu no omote-domo nado, ito medetaku midokoro ari.
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3.1.6 |
人びとの語り聞こえし海山のありさまを、遥かに思しやりしを、御目に近くては、 げに及ばぬ磯のたたずまひ、 二なく描き集めたまへり。
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供の人々がお話申し上げた海や山の様子を、遠くからご想像なさっていらっしゃったが、お目に近くなさっては、なるほど想像も及ばない磯のたたずまいを、またとないほど素晴らしくたくさんお描きになった。
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源氏は京にいたころ、風景を描くのに人の話した海陸の好風景を想像して描いたが、写生のできる今日になって描かれる絵は生き生きとした生命があって傑作が多かった。
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Hitobito no katari kikoye si umi yama no arisama wo, haruka ni obosi yari si wo, ohom-me ni tikaku te ha, geni, oyoba nu iso no tatazumahi, ninaku kaki atume tamahe ri.
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3.1.7 |
「 このころの上手にすめる 千枝、常則などを召して、作り絵仕うまつらせばや」
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「近年の名人と言われる千枝や常則などを召して、彩色させたいものだ」
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「現在での大家だといわれる千枝とか、常則とかいう連中を呼び寄せて、ここを密画に描かせたい」
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"Konokoro no zyauzu ni su meru Tiyeda, Tunenori nado wo mesi te, tukuriwe tukaumatura se baya!"
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3.1.8 |
と、心もとながりあへり。なつかしうめでたき御さまに、世のもの思ひ忘れて、近う馴れ仕うまつるをうれしきことにて、四、五人ばかりぞ、つとさぶらひける。
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と言って、皆残念がっていた。優しく立派なご様子に、世の中の憂さが忘れられて、お側に親しくお仕えできることを嬉しいことと思って、四、五人ほどが、ぴったりと伺候していたのであった。
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とも人々は言っていた。美しい源氏と暮らしていることを無上の幸福に思って、四、五人はいつも離れずに付き添っていた。
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to, kokoromotonagari ahe ri. Natukasiu medetaki ohom-sama ni, yo no monoomohi wasure te, tikau nare tukaumaturu wo uresiki koto nite, si, gonin bakari zo, tuto saburahi keru.
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3.1.9 |
前栽の花、色々咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるる廊に出でたまひて、 たたずみたまふさまの、ゆゆしうきよらなること、所からは、ましてこの世のものと見えたまはず。白き綾のなよよかなる、 紫苑色などたてまつりて、こまやかなる御直衣、帯しどけなくうち乱れたまへる御さまにて、
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前栽の花、色とりどりに咲き乱れて、風情ある夕暮れに、海が見える廊にお出ましになって、とばかり眺めていらっしゃる様子が、不吉なまでにお美しいこと、場所柄か、ましてこの世の方とはお見えにならない。白い綾で柔らかなのと、紫苑色のなどをお召しになって、濃い縹色のお直衣、帯をゆったりと締めてくつろいだお姿で、
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庭の秋草の花のいろいろに咲き乱れた夕方に、海の見える廊のほうへ出てながめている源氏の美しさは、あたりの物が皆素描の画のような寂しい物であるだけいっそう目に立って、この世界のものとは思えないのである。柔らかい白の綾に薄紫を重ねて、藍がかった直衣を、帯もゆるくおおように締めた姿で立ち
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Sensai no hana, iroiro saki midare, omosiroki yuhugure ni, umi miyara ruru rau ni ide tamahi te, tatazumi tamahu sama no, yuyusiu kiyora naru koto, tokorokara ha, masite konoyo no mono to miye tamaha zu. Siroki aya no nayoyoka naru, siwon iro nado tatematuri te, komayaka naru ohom-nahosi, obi sidokenaku uti-midare tamahe ru ohom-sama nite,
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3.1.10 |
「 釈迦牟尼仏の弟子」
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「釈迦牟尼仏の弟子」
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「釈迦牟尼仏弟子」
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"Sakamunibutu no desi."
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3.1.11 |
と名のりて、ゆるるかに読みたまへる、また世に知らず聞こゆ。
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と唱えて、ゆっくりと読経なさっているのが、また聞いたことのないほど美しく聞こえる。
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と名のって経文を暗誦みしている声もきわめて優雅に聞こえた。
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to nanori te, yururuka ni yomi tamahe ru, mata yo ni sira zu kikoyu.
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3.1.12 |
沖より舟どもの歌ひののしりて漕ぎ行くなども聞こゆ。ほのかに、ただ小さき鳥の浮かべると見やらるるも、心細げなるに、 雁の連ねて鳴く声、楫の音にまがへるを ★ ★、うち眺めたまひて、 涙こぼるるをかき払ひたまへる御手つき、黒き御数珠に 映えたまへる、故郷の 女恋しき人びと、心みな慰みにけり。
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沖の方をいくつもの舟が大声で歌いながら漕いで行くのが聞こえてくる。かすかに、まるで小さい鳥が浮かんでいるように遠く見えるのも、頼りなさそうなところに、雁が列をつくって鳴く声、楫の音に似て聞こえるのを、物思いに耽りながら御覧になって、涙がこぼれるのを袖でお払いなさるお手つき、黒い数珠に映えていらっしゃるお美しさは、故郷の女性を恋しがっている人々の、心がすっかり慰めてしまったのであった。
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幾つかの船が唄声を立てながら沖のほうを漕ぎまわっていた。形はほのかで鳥が浮いているほどにしか見えぬ船で心細い気がするのであった。上を通る一列の雁の声が楫の音によく似ていた。涙を払う源氏の手の色が、掛けた黒木の数珠に引き立って見える美しさは、故郷の女恋しくなっている青年たちの心を十分に緩和させる力があった。
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Oki yori hune-domo no utahi nonosiri te kogi yuku nado mo kikoyu. Honoka ni, tada tihisaki tori no ukabe ru to miyara ruru mo, kokorobosoge naru ni, kari no turane te naku kowe, kadi no oto ni magahe ru wo, uti-nagame tamahi te, namida koboruru wo kaki-harahi tamahe ru ohom-tetuki, kuroki ohom-zuzu ni haye tamahe ru, hurusato no womna kohisiki hitobito, kokoro mina nagusami ni keri.
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3.1.13 |
「 初雁は恋しき人の列なれや 旅の空飛ぶ声の悲しき」 |
「初雁は恋しい人の仲間なのだろうか 旅の空を飛んで行く声が悲しく聞こえる」 |
初雁は恋しき人のつらなれや 旅の空飛ぶ声の悲しき
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"Hatukari ha kohisiki hito no tura nare ya tabi no sora tobu kowe no kanasiki |
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3.1.14 |
とのたまへば、良清、
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とお詠みになると、良清、
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と源氏が言う。良清、
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to notamahe ba, Yosikiyo,
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3.1.15 |
「 かきつらね昔のことぞ思ほゆる 雁はその世の友ならねども」 |
「次々と昔の事が懐かしく思い出されます 雁は昔からの友達であったわけではないのだが」 |
かきつらね昔のことぞ思ほゆる 雁はそのよの友ならねども
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"Kaki-turane mukasi no koto zo omohoyuru Kari ha sono yo no tomo nara ne domo |
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3.1.16 |
民部大輔、
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民部大輔、
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民部大輔惟光、
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Minbu-no-Taihu,
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3.1.17 |
「 心から常世を捨てて鳴く雁を 雲のよそにも思ひけるかな」 |
「自分から常世を捨てて旅の空に鳴いて行く雁を ひとごとのように思っていたことよ」 |
心から常世を捨てて鳴く雁を 雲のよそにも思ひけるかな
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"Kokorokara tokoyo wo sute te naku kari wo kumo no yoso ni mo omohi keru kana |
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3.1.18 |
前右近将督、
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前右近将監、
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前右近丞が、
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Saki no Ukon-no-Zyou,
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3.1.19 |
「 常世出でて旅の空なる雁がねも 列に遅れぬほどぞ慰む |
「常世を出て旅の空にいる雁も 仲間に外れないでいるあいだは心も慰みましょう |
「常世出でて旅の空なるかりがねも 列に後れぬほどぞ慰む
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"Tokoyo ide te tabi no sora naru karigane mo tura ni okure nu hodo zo nagusamu |
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3.1.20 |
友まどはしては、いかにはべらまし」
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道にはぐれては、どんなに心細いでしょう」
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仲間がなかったらどんなだろうと思います」
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Tomo madohasi te ha, ikani habera masi."
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3.1.21 |
と言ふ。 親の常陸になりて、下りしにも誘はれで、参れるなりけり。下には思ひくだくべかめれど、ほこりかにもてなして、つれなきさまにしありく。
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と言う。親が常陸介になって、下ったのにも同行しないで、お供して参ったのであった。心中では悔しい思いをしているようであるが、うわべは元気よくして、何でもないように振る舞っている。
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と言った。常陸介になった親の任地へも行かずに彼はこちらへ来ているのである。煩悶はしているであろうが、いつもはなやかな誇りを見せて、屈託なくふるまう青年である。
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to ihu. Oya no Hitati ni nari te, kudari si ni mo sasoha re de, mawire ru nari keri. Sita ni ha omohikudaku beka' mere do, hokorika ni motenasi te, turenaki sama ni si ariku.
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出典21 |
心尽くしの秋風 |
木の間より漏り来る月の影見れば心づくしの秋は来にけり |
古今集秋上-一八四 読人しらず |
3.1.1 |
出典22 |
関吹き越ゆる |
旅人は袂涼しくなりにけり関吹き越ゆる須磨の浦風 |
続古今集羈旅-八六八 在原行平 |
3.1.1 |
秋風の関吹き越ゆるたびごとに声うちそふる須磨の浦波 |
忠見集-8 |
出典23 |
枕をそばだてて |
遺愛寺鐘欹枕聴 香鑪峯雪撥簾看 |
白氏文集十六-九七八 |
3.1.2 |
出典24 |
枕浮くばかり |
独り寝の床に溜まれる涙には石の枕も浮きぬべらなり |
古今六帖五-三二四一 |
3.1.2 |
出典25 |
思ふ方より風や吹く |
波立たば沖の玉藻も寄りぬべく思ふ方より風は吹かなむ |
玉葉集雑二-二一〇六 凡河内躬恒 |
3.1.3 |
出典26 |
雁の連ねて鳴く声、楫の音 |
晴虹橋影出 秋鴈櫓声来 |
白氏文集五十四-二四九五 |
3.1.12 |
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3.2 |
第二段 配所の月を眺める
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3-2 Genji views the moon at Suma on August 15 on innocent
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3.2.1 |
月のいとはなやかにさし出でたるに、「 今宵は十五夜なりけり」と思し出でて、殿上の御遊び恋しく、「 所々眺めたまふらむかし」と思ひやりたまふにつけても、月の顔のみまもられたまふ。
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月がとても明るく出たので、「今夜は十五夜であったのだ」とお思い出しになって、殿上の御遊が恋しく思われ、「あちこち方で物思いにふけっていらっしゃるであろう」とご想像なさるにつけても、月の顔ばかりがじっと見守られてしまう。
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明るい月が出て、今日が中秋の十五夜であることに源氏は気がついた。宮廷の音楽が思いやられて、どこでもこの月をながめているであろうと思うと、月の顔ばかりが見られるのであった。
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Tuki no ito hanayaka ni sasi-ide taru ni, "Koyohi ha zihugoya nari keri." to obosi ide te, Tenzyau no ohom-asobi kohisiku, "Tokorodokoro nagame tamahu ram kasi." to omohiyari tamahu ni tuke te mo, tuki no kaho nomi mamora re tamahu.
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3.2.2 |
「 ▼ 二千里外故人心」
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「二千里の外故人の心」
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「二千里外故人心」
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"Zisenri no hoka kozin no kokoro."
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3.2.3 |
と誦じたまへる、例の涙もとどめられず。入道の宮の、「 霧や隔つる」とのたまはせしほど、言はむ方なく恋しく、折々のこと思ひ出でたまふに、よよと、泣かれたまふ。
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と朗誦なさると、いつものように涙がとめどなく込み上げてくる。入道の宮が、「九重には霧が隔てているのか」とお詠みになった折、何とも言いようもがなく恋しく、折々のことをお思い出しになると、よよと、泣かずにはいらっしゃれない。
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と源氏は吟じた。青年たちは例のように涙を流して聞いているのである。この月を入道の宮が「霧や隔つる」とお言いになった去年の秋が恋しく、それからそれへといろいろな場合の初恋人への思い出に心が動いて、しまいには声を立てて源氏は泣いた。
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to zuzi tamahe ru, rei no namida mo todome rare zu. Nihudau-no-Miya no, "Kiri ya hedaturu" to notamahase si hodo, ihamkatanaku kohisiku, woriwori no koto omohi ide tamahu ni, yoyo to, naka re tamahu.
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3.2.4 |
「 夜更けはべりぬ」
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「夜も更けてしまいました」
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「もうよほど更けました」
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"Yo huke haberi nu."
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3.2.5 |
と聞こゆれど、なほ入りたまはず。
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と申し上げたが、なおも部屋にお入りにならない。
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と言う者があっても源氏は寝室へはいろうとしない。
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to kikoyure do, naho iri tamaha zu.
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3.2.6 |
「 見るほどぞしばし慰むめぐりあはむ 月の都は遥かなれども」 |
「見ている間は暫くの間だが心慰められる、また廻り逢える 月の都は、遥か遠くであるが」 |
見るほどぞしばし慰むめぐり合はん 月の都ははるかなれども
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"Miru hodo zo sibasi nagusame m meguriaha m tuki no miyako ha haruka nare domo |
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3.2.7 |
その夜、主上のいとなつかしう昔物語などしたまひし御さまの、院に似たてまつりたまへりしも、恋しく思ひ出できこえたまひて、
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その夜、主上がとても親しく昔話などをなさった時の御様子、故院にお似申していらしたのも、恋しく思い出し申し上げなさって、
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その去年の同じ夜に、なつかしい御調子で昔の話をいろいろあそばすふうが院によく似ておいでになった帝も源氏は恋しく思い出していた。
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Sono yo, Uhe no ito natukasiu mukasimonogatari nado si tamahi si ohom-sama no, Win ni ni tatematuri tamahe ri si mo, kohisiku omohi ide kikoye tamahi te,
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3.2.8 |
「 ▼ 恩賜の御衣は今此に在り」
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「恩賜の御衣は今此に在る」
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「恩賜御衣今在此」
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"Onsi no gyoi ha ima koko ni ari."
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3.2.9 |
と誦じつつ入りたまひぬ。御衣はまことに 身を放たず、かたはらに置きたまへり。
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と朗誦なさりながらお入りになった。御衣は本当に肌身離さず、側にお置きになっていた。
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と口ずさみながら源氏は居間へはいった。恩賜の御衣もそこにあるのである。
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to zuzi tutu iri tamahi nu. Ohom-zo ha makoto ni mi wo hanata zu, katahara ni oki tamahe ri.
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3.2.10 |
「 憂しとのみひとへにものは思ほえで 左右にも濡るる袖かな」 |
「辛いとばかり一途に思うこともできず 恋しさと辛さとの両方に濡れるわが袖よ」 |
憂しとのみひとへに物は思ほえで 左右にも濡るる袖かな
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"Usi to nomi hitohe ni mono ha omohoye de hidari migi ni mo nururu sode kana |
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3.2.11 |
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とも歌われた。
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出典27 |
二千里外故人心 |
三五夜中新月色 二千里外故人心 |
白氏文集十四-七二四 |
3.2.2 |
出典28 |
恩賜の御衣は今此に在り |
去年今夜侍清涼 秋思詩篇独断腸 恩賜御衣今在此 捧持毎日拝余香 |
菅家後集-四八二 |
3.2.8 |
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3.3 |
第三段 筑紫五節と和歌贈答
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3-3 Genji and Gosechi compose and exchange waka
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3.3.1 |
そのころ、大弐は上りける。いかめしく類広く、娘がちにて所狭かりければ、北の方は舟にて上る。浦づたひに逍遥しつつ来るに、他よりもおもしろきわたりなれば、心とまるに、「 大将かくておはす」と聞けば、 あいなう、好いたる若き娘たちは、舟の内さへ恥づかしう、心懸想せらる。まして、 五節の君は、綱手引き過ぐるも口惜しきに、琴の声、風につきて遥かに聞こゆるに、所のさま、人の御ほど、物の音の心細さ、取り集め、心ある限りみな泣きにけり。
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その頃、大弍は上京した。ものものしいほど一族が多く、娘たちもおおぜいで大変だったので、北の方は舟で上京する。浦伝いに風景を見ながら来たところ、他の場所よりも美しい辺りなので、心惹かれていると、「大将が退居していらっしゃる」と聞くと、関係のないことなのに、色めいた若い娘たちは、舟の中にいてさえ気になって、改まった気持ちにならずにはいられない。まして、五節の君は、綱手を引いて通り過ぎるのも残念に思っていたので、琴の音が、風に乗って遠くから聞こえて来ると、場所の様子、君のお人柄、琴の音の淋しい感じなど、あわせて、風流を解する者たちは皆泣いてしまった。
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このころに九州の長官の大弐が上って来た。大きな勢力を持っていて一門郎党の数が多く、また娘たくさんな大弐ででもあったから、婦人たちにだけ船の旅をさせた。そして所々で陸を行く男たちと海の一行とが合流して名所の見物をしながら来たのであるが、どこよりも風景の明媚な須磨の浦に源氏の大将が隠栖していられるということを聞いて、若いお洒落な年ごろの娘たちは、だれも見ぬ船の中にいながら身なりを気に病んだりした。その中に源氏の情人であった五節の君は、須磨に上陸ができるのでもなくて哀愁の情に堪えられないものがあった。源氏の弾く琴の音が浦風の中に混じってほのかに聞こえて来た時、この寂しい海べと薄倖な貴人とを考え合わせて、人並みの感情を持つ者は皆泣いた。
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Sonokoro, Daini ha nobori keru. Ikamesiku rui hiroku, musumegati nite tokorosekari kere ba, Kitanokata ha hune nite noboru. Uradutahi ni seueu si tutu kuru ni, hoka yori mo omosiroki watari nare ba, kokoro tomaru ni, "Daisyau kaku te ohasu." to kike ba, ainau, sui taru wakaki musume-tati ha, hune no uti sahe hadukasiu, kokorogesau se raru. Masite, Goseti-no-Kimi ha, tunade hiki-suguru mo kutiwosiki ni, kin no kowe, kaze ni tuki te, haruka ni kikoyuru ni, tokoro no sama, hito no ohom-hodo, mono no ne no kokorobososa, tori-atume, kokoro aru kagiri mina naki ni keri.
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3.3.2 |
帥、御消息聞こえたり。
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大宰の帥は、ご挨拶を申し上げた。
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大弐は源氏へ挨拶をした。
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Soti, ohom-seusoko kikoye tari.
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3.3.3 |
「 いと遥かなるほどよりまかり上りては、まづいつしかさぶらひて、都の御物語もとこそ、思ひたまへはべりつれ、思ひの外に、かくておはしましける御宿をまかり過ぎはべる、かたじけなう悲しうもはべるかな。あひ知りてはべる人びと、さるべきこれかれ、参で来向ひてあまたはべれば、所狭さを思ひたまへ憚りはべることどもはべりて、えさぶらはぬこと。ことさらに参りはべらむ」
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「大変に遠い所から上京しては、まずはまっ先にお訪ね申して、都のお噂をもと存じておりましたが、意外なことに、こうしていらっしゃるお住まいを通り過ぎますこと、もったいなくも、また悲しうもございます。知り合いの者たちや、縁ある誰彼が、出迎えに多数来ておりますので、人目を憚ること多くございまして、お伺いできませんこと。また改めて参上いたします」
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「はるかな田舎から上ってまいりました私は、京へ着けばまず伺候いたしまして、あなた様から都のお話を伺わせていただきますことを空想したものでございました。意外な政変のために御隠栖になっております土地を今日通ってまいります。非常にもったいないことと存じ、悲しいことと思うのでございます。親戚と知人とがもう京からこの辺へ迎えにまいっておりまして、それらの者がうるそうございますから、お目にかかりに出ないのでございますが、またそのうち別に伺わせていただきます」
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"Ito haruka naru hodo yori makari nobori te ha, madu itusika saburahi te, miyako no ohom-monogatari mo to koso, omohi tamahe haberi ture, omohi no hoka ni, kaku te ohasimasi keru ohom-yado wo makari sugi haberu, katazikenau kanasiu mo haberu kana! Ahi siri te haberu hitobito, sarubeki korekare, ma'deki mukahi te amata habere ba, tokorosesa wo omohi tamahe habakari haberu koto-domo haberi te, e saburaha nu koto. Kotosara ni mawiri habera m."
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3.3.4 |
など聞こえたり。 子の筑前守ぞ参れる。 この殿の、蔵人になし顧みたまひし人なれば、いとも悲し、いみじと思へども、また見る人びとのあれば、聞こえを思ひて、しばしもえ立ち止まらず。
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などと申し上げた。子の筑前守が参上した。この殿が、蔵人にして目をかけてやった人なので、とても悲しく辛いと思うが、また人の目があるので、噂を憚って、暫くの間も立ち留まっていることもできない。
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というのであって、子の筑前守が使いに行ったのである。源氏が蔵人に推薦して引き立てた男であったから、心中に悲しみながらも人目をはばかってすぐに帰ろうとしていた。
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nado kikoye tari. Ko no Tikuzen-no-Kami zo mawire ru. Kono Tono no, Kuraudo ni nasi kaherimi tamahi si hito nare ba, ito mo kanasi. Imizi to omohe domo, mata miru hitobito no are ba, kikoye wo omohi te, sibasi mo e tatitomara zu.
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3.3.5 |
「 都離れて後、昔親しかりし人びと、あひ見ること難うのみなりにたるに、かくわざと立ち寄りものしたること」
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「都を離れて後は、昔から親しかった人々に会うことは難しくなっていたが、このようにわざわざ立ち寄ってくれたとは」
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「京を出てからは昔懇意にした人たちともなかなか逢えないことになっていたのに、わざわざ訪ねて来てくれたことを満足に思う」
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"Miyako hanare te noti, mukasi sitasikari si hitobito, ahi miru koto katau nomi nari ni taru ni, kaku waza to tatiyori monosi taru koto."
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3.3.6 |
とのたまふ。 御返りもさやうになむ。
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とおっしゃる。お返事も同様にあった。
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と源氏は言った。大弐への返答もまたそんなものであった。
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to notamahu. Ohom-kaheri mo sayau ni nam.
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3.3.7 |
守、泣く泣く帰りて、おはする 御ありさま語る。帥よりはじめ、迎への人びと、まがまがしう泣き満ちたり。五節は、とかくして聞こえたり。
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守は、泣く泣く戻って、いらっしゃるご様子を話す。帥をはじめとして、迎えの人々も、不吉なほど一同泣き満ちた。五節は、やっとの思いでお便りを差し上げた。
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筑前守は泣く泣く帰って、源氏の住居の様子などを報告すると、大弐をはじめとして、京から来ていた迎えの人たちもいっしょに泣いた。五節の君は人に隠れて源氏へ手紙を送った。
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Kami, nakunaku kaheri te, ohasuru ohom-arisama kataru. Soti yori hazime, mukahe no hitobito, magamagasiu naki miti tari. Goseti ha, tokaku si te kikoye tari.
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3.3.8 |
「 琴の音に弾きとめらるる綱手縄 たゆたふ心君知るらめや |
「琴の音に引き止められた綱手縄のように ゆらゆら揺れているわたしの心をお分かりでしょうか |
琴の音にひきとめらるる綱手縄 たゆたふ心君知るらめや
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"Koto no ne ni hiki-tome raruru tunadenaha tayutahu kokoro Kimi siru rame ya |
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3.3.9 |
好き好きしさも、人な咎めそ ★」
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色めいて聞こえるのも、お咎めくださいますな」
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音楽の横好きをお笑いくださいますな。
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Sukizukisisa mo, hito na togame so."
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3.3.10 |
と聞こえたり。ほほ笑みて見たまふ、いと恥づかしげなり。
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と申し上げた。苦笑して御覧になるさま、まったく気後れする感じである。
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と書かれてあるのを、源氏は微笑しながらながめていた。若い娘のきまり悪そうなところのよく出ている手紙である。
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to kikoye tari. Hohowemi te mi tamahu, ito hadukasige nari.
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3.3.11 |
「 心ありて引き手の綱のたゆたはば うち過ぎましや須磨の浦波 |
「わたしを思う心があって引手綱のように揺れるというならば 通り過ぎて行きましょうか、この須磨の浦を |
心ありてひくての綱のたゆたはば 打ち過ぎましや須磨の浦波
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"Kokoro ari te hiki te no tuna no tayutaha ba uti-sugi masi ya Suma no uranami |
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3.3.12 |
いさりせむとは思はざりしはや ★」
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さすらおうとは思ってもみないことであった」
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漁村の海人になってしまうとは思わなかったことです。
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Isari se m to ha omoha zari si haya!"
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3.3.13 |
とあり。 駅の長に句詩取らする人もありけるを、まして、落ちとまりぬべくなむおぼえける。
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とある。駅長に口詩をお与えになった人もあったが、それ以上に、このまま留まってしまいそうに思うのであった。
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これは源氏の書いた返事である。明石の駅長に詩を残した菅公のように源氏が思われて、五節は親兄弟に別れてもここに残りたいと思うほど同情した。
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to ari. Mumaya no wosa ni kusi tora suru hito mo ari keru wo, masite, oti-tomari nu beku nam oboye keru.
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出典29 |
人な咎めそ |
いで我を人な咎めそ大船のゆたのたゆたに物思ふころぞ |
古今集恋一-五〇八 読人しらず |
3.3.9 |
出典30 |
いさりせむとは |
思ひきやひなの別れに衰へて海人のなはたきいさりせむとは |
古今集雑上-九六一 小野篁 |
3.3.12 |
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3.4 |
第四段 都の人々の生活
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3-4 People's life in Kyoto
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3.4.1 |
都には、月日過ぐるままに、帝を初めたてまつりて、恋ひきこゆる折ふし多かり。 春宮は、まして、常に思し出でつつ 忍びて泣きたまふ。見たてまつる 御乳母、まして命婦の君は、いみじうあはれに見たてまつる。
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都では、月日が過ぎて行くにつれて、帝をおはじめ申して、恋い慕い申し上げる折節が多かった。東宮は、まして誰よりも、いつでもお思い出しなさっては忍び泣きなさる。拝見する御乳母や、それ以上に王命婦の君は、ひどく悲しく拝し上げる。
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京では月日のたつにしたがって光源氏のない寂寥を多く感じた。陛下もそのお一人であった。まして東宮は常に源氏を恋しく思召して、人の見ぬ時には泣いておいでになるのを、乳母たちは哀れに拝見していた。王命婦はその中でもことに複雑な御同情をしているのである。
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Miyako ni ha, tukihi suguru mama ni, Mikado wo hazime tatematuri te, kohi kikoyuru worihusi ohokari. Touguu ha, masite, tuneni obosi ide tutu sinobi te naki tamahu. Mi tatematuru ohom-menoto, masite Myaubu-no-Kimi ha, imiziu ahare ni mi tatematuru.
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3.4.2 |
入道の宮は、春宮の御ことをゆゆしうのみ思ししに、大将もかくさすらへたまひぬるを、いみじう思し嘆かる。
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入道の宮は、東宮のお身の上をそら恐ろしくばかりお思いであったが、大将もこのように流浪の身となっておしまいになったのを、ひどく悲しくお嘆きになる。
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入道の宮は東宮の御地位に動揺をきたすようなことのないかが常に御不安であった。源氏までも失脚してしまった今日では、ただただ心細くのみ思っておいでになった。
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Nihudau-no-Miya ha, Touguu no ohom-koto wo yuyusiu nomi obosi si ni, Daisyau mo kaku sasurahe tamahi nuru wo, imiziu obosi nageka ru.
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3.4.3 |
御兄弟の親王たち、むつましう聞こえたまひし上達部など、初めつ方は とぶらひきこえたまふなどありき。 あはれなる文を作り交はし、それにつけても、世の中にのみめでられたまへば、后の宮聞こしめして、いみじうのたまひけり。
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ご兄弟の親王たち、お親しみ申し上げていらした上達部など、初めのうちはお見舞い申し上げなさることもあった。しみじみとした漢詩文を作り交わし、それにつけても、世間から素晴らしいとほめられてばかりいらっしゃるので、后宮がお聞きあそばして、きついことをおっしゃったのだった。
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源氏の御弟の宮たちそのほか親しかった高官たちは初めのころしきりに源氏と文通をしたものである。人の身にしむ詩歌が取りかわされて、それらの源氏の作が世上にほめられることは非常に太后のお気に召さないことであった。
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Ohom-harakara no miko-tati, mutumasiu kikoye tamahi si kamdatime nado, hazime tu kata ha toburahi kikoye tamahu nado ari ki. Ahare naru humi wo tukuri kahasi, sore ni tuke te mo, yononaka ni nomi mede rare tamahe ba, Kisainomiya kikosimesi te, imiziu notamahi keri.
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3.4.4 |
「 朝廷の勘事なる人は、心に任せて この世のあぢはひをだに知ること難うこそあなれ。おもしろき家居して、世の中を誹りもどきて、 かの鹿を馬と言ひけむ人のひがめるやうに追従する」
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「朝廷の勅勘を受けた者は、勝手気ままに日々の享楽を味わうことさえ難しいというものを。風流な住まいを作って、世の中を悪く言ったりして、あの鹿を馬だと言ったという人のように追従しているとは」
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「勅勘を受けた人というものは、自由に普通の人らしく生活することができないものなのだ。風流な家に住んで現代を誹謗して鹿を馬だと言おうとする人間に阿る者がある」
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"Ohoyake no kauzi naru hito ha, kokoro ni makase te konoyo no adihahi wo dani siru koto katau koso a' nare. Omosiroki ihewi si te, yononaka wo sosiri modoki te, kano sika wo muma to ihi kem hito no higame ru yau ni tuisyou suru."
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3.4.5 |
など、悪しきことども聞こえければ、 わづらはしとて、消息聞こえたまふ人なし。
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などと、良くないことが聞こえてきたので、厄介なことだと思って、手紙を差し上げなさる方もいない。
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とお言いになって、報復の手の伸びて来ることを迷惑に思う人たちは警戒して、もう消息を近来しなくなった。
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nado, asiki koto-domo kikoye kere ba, wadurahasi tote, seusoko kikoye tamahu hito nasi.
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3.4.6 |
二条院の姫君は、ほど経るままに、思し慰む折なし。 東の対にさぶらひし人びとも、みな渡り参りし初めは、「 などかさしもあらむ」と思ひしかど、見たてまつり馴るるままに、なつかしうをかしき御ありさま、まめやかなる御心ばへも、思ひやり深うあはれなれば、まかで散るもなし。 なべてならぬ際の人びとには、ほの見えなどしたまふ。「 そこらのなかにすぐれたる御心ざしもことわりなりけり」と見たてまつる。
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二条院の姫君は、時が経つにつれて、お心のやすらぐ折がない。東の対にお仕えしていた女房たちも、みな移り参上した当初は、「まさかそんなに優れた方ではあるまい」と思っていたが、お仕えし馴れていくうちに、お優しく美しいご様子、日常の生活面についてのお心配りも、思慮深く立派なので、お暇を取って出て行く者もいない。身分のある女房たちには、ちらっとお姿をお見せなどなさる。「たくさんいる夫人方の中でも格別のご寵愛も、もっともなことだわ」と拝見する。
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二条の院の姫君は時がたてばたつほど、悲しむ度も深くなっていった。東の対にいた女房もこちらへ移された初めは、自尊心の多い彼女たちであるから、たいしたこともなくて、ただ源氏が特別に心を惹かれているだけの女性であろうと女王を考えていたが、馴れてきて夫人のなつかしく美しい容姿に、誠実な性格に、暖かい思いやりのある人扱いに敬服して、だれ一人暇を乞う者もない。良い家から来ている人たちには夫人も顔を合わせていた。だれよりも源氏が愛している理由がわかったように彼女たちは思うのであった。
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Nideu-no-Win no Himegimi ha, hodo huru mama ni, obosi nagusamu wori nasi. Himgasinotai ni saburahi si hitobito mo, mina watari mawiri si hazime ha, "Nadoka sasimo ara m." to omohi sika do, mi tatematuri naruru mama ni, natukasiu wokasiki ohom-arisama, mameyaka naru mikokorobahe mo, omohiyari hukau ahare nare ba, makade tiru mo nasi. Nabete nara nu kiha no hitobito ni ha, hono-miye nado si tamahu. "Sokora no naka ni sugure taru mikokorozasi mo kotowari nari keri." to mi tatematuru.
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3.5 |
第五段 須磨の生活
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3-5 Genji's life in Suma
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3.5.1 |
かの御住まひには、久しくなるままに、え念じ過ぐすまじうおぼえたまへど、「 我が身だにあさましき宿世とおぼゆる住まひに、いかでかは、うち具しては、つきなからむ」さまを思ひ返したまふ。所につけて、よろづのことさま変はり、 見たまへ知らぬ下人のうへをも、見たまひ慣らはぬ御心地に、 めざましうかたじけなう、みづから思さる。煙のいと近く時々立ち来るを、「 これや海人の塩焼くならむ ★」と思しわたるは、おはします 後の山に、柴といふものふすぶるなりけり。めづらかにて、
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あちらのお暮らしは、生活が長くなるにしたがって、とても我慢できなくお思いになったが、「自分の身でさえ驚くばかりの運命だと思われる住まいなのに、どうして、一緒に暮らせようか、いかにもふさわしくない」さまをお考え直しになる。場所が場所なだけに、すべて様子が違って、ご存じでない下人の身の上をも、見慣れていらっしゃらなかったことなので、心外にももったいなくも、ご自身思わずにはいらっしゃれない。煙がとても近くに時々立ち上るのを、「これが海人が塩を焼く煙なのだろう」とずっとお思いになっていたのは、お住まいになっている後ろの山で、柴というものをいぶしているのであった。珍しいので、
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須磨のほうでは紫の女王との別居生活がこのまま続いて行くことは堪えうることでないと源氏は思っているのであるが、自分でさえ何たる宿命でこうした生活をするのかと情けない家に、花のような姫君を迎えるという事はあまりに思いやりのないことであるとまた思い返されもするのである。下男や農民に何かと人の小言を言う事なども居間に近い所で行なわれる時、あまりにもったいないことであると源氏自身で自身を思うことさえもあった。近所で時々煙の立つのを、これが海人の塩を焼く煙なのであろうと源氏は長い間思っていたが、それは山荘の後ろの山で柴を燻べている煙であった。これを聞いた時の作、
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Kano ohom-sumahi ni ha, hisasiku naru mama ni, e nenzi sugusu maziu oboye tamahe do, "Waga mi dani asamasiki sukuse to oboyuru sumahi ni, ikadekaha, uti-gusi te ha, tuki nakara m" sama wo omohi-kahesi tamahu. Tokoro ni tuke te, yorodu no koto sama kahari, mi tamahe sira nu simobito no uhe wo mo, mi tamahi naraha nu mikokoti ni, mezamasiu katazikenau, midukara obosa ru. Keburi no ito tikaku tokidoki tati kuru wo, "Kore ya ama no siho yaku nara m?" to obosi wataru ha, ohasimasu usiro no yama ni, siba to ihu mono husuburu nari keri. Meduraka ni te,
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3.5.2 |
「 山賤の庵に焚けるしばしばも 言問ひ来なむ恋ふる里人」 |
「賤しい山人が粗末な家で焼いている柴のように しばしば訪ねて来てほしいわが恋しい都の人よ」 |
山がつの庵に焚けるしばしばも 言問ひ来なむ恋ふる里人
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"Yamagatu no ihori ni take ru sibasiba mo kototohi ko nam kohuru satobito |
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3.5.3 |
冬になりて雪降り荒れたるころ、空のけしきもことにすごく眺めたまひて、琴を弾きすさびたまひて、良清に歌うたはせ、大輔、横笛吹きて、 遊びたまふ。心とどめてあはれなる手など弾きたまへるに、他物の声どもはやめて、涙をのごひあへり。
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冬になって雪が降り荒れたころ、空模様もことにぞっとするほど寂しく御覧になって、琴を心にまかせてお弾きになって、良清に歌をうたわせ、大輔、横笛を吹いて、お遊びなさる。心をこめてしみじみとした曲をお弾きになると、他の楽器の音はみなやめて、涙を拭いあっていた。
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冬になって雪の降り荒れる日に灰色の空をながめながら源氏は琴を弾いていた。良清に歌を歌わせて、惟光には笛の役を命じた。細かい手を熱心に源氏が弾き出したので、他の二人は命ぜられたことをやめて琴の音に涙を流していた。
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Huyu ni nari te yuki huri are taru koro, sora no kesiki mo koto ni sugoku nagame tamahi te, kin wo hiki-susabi tamahi te, Yosikiyo ni uta utahase, Taihu, yokobue huki te, asobi tamahu. Kokoro todome te ahare naru te nado hiki tamahe ru ni, kotomono no kowe-domo ha yame te, namida wo nogohi ahe ri.
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3.5.4 |
昔、胡の国に遣しけむ女を思しやりて、「 ましていかなりけむ。この世に 我が思ひきこゆる人などをさやうに放ちやりたらむこと」など思ふも、 あらむことのやうに ゆゆしうて、
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昔、胡の国に遣わしたという女のことをお思いやりになって、「自分以上にどんな気持ちであったろう。この世で自分の愛する人をそのように遠くにやったりしたら」などと思うと、実際に起こるように不吉に思われて、
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漢帝が北夷の国へおつかわしになった宮女の琵琶を弾いてみずから慰めていた時の心持ちはましてどんなに悲しいものであったであろう、それが現在のことで、自分の愛人などをそうして遠くへやるとしたら、とそんなことを源氏は想像したが、やがてそれが真実のことのように思われて来て、悲しくなった。源氏は
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Mukasi, Ko no kuni ni tukahasi kem womna wo obosiyari te, "Masite ika nari kem? Konoyo ni waga omohi kikoyuru hito nado wo sayau ni hanati yari tara m koto." nado omohu mo, ara m koto no yau ni yuyusiu te,
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3.5.5 |
「 ▼ 霜の後の夢」
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「胡角一声霜の後の夢」
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「胡角一声霜後夢」
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"Simo no noti no yume"
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3.5.6 |
と誦じたまふ。
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と朗誦なさる。
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と王昭君を歌った詩の句が口に上った。
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to zuzi tamahu.
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3.5.7 |
月いと明うさし入りて、 はかなき旅の御座所、奥まで隈なし。 床の上に夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごく見ゆるに、
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月がたいそう明るく差し込んで、仮そめの旅のお住まいでは、奥の方まで素通しである。床の上から夜の深い空も見える。入り方の月の光が、寒々と見えるので、
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月光が明るくて、狭い家は奥の隅々まで顕わに見えた。深夜の空が縁側の上にあった。もう落ちるのに近い月がすごいほど白いのを見て、
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Tuki ito akau sasi iri te, hakanaki tabi no omasidokoro, oku made kuma nasi. Yuka no uhe ni yobukaki sora mo miyu. Irigata no tukikage, sugoku miyuru ni,
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3.5.8 |
「 ▼ ただ是れ西に行くなり」
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「ただ月は西へ行くのである」
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「唯是西行不左遷」
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"Tada kore nisi ni yuku nari"
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3.5.9 |
と、ひとりごちたまて、
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と独り口ずさみなさって、
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と源氏は歌った。
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to, hitorigoti tama' te,
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3.5.10 |
「 いづ方の雲路に我も迷ひなむ ★ 月の見るらむことも恥づかし」 |
「どの方角の雲路にわたしも迷って行くことであろう 月が見ているだろうことも恥ずかしい」 |
何方の雲路にわれも迷ひなん 月の見るらんことも恥かし
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"Idukata no kumodi ni ware mo mayohi na m tuki no miru ram koto mo hadukasi |
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3.5.11 |
と ひとりごちたまひて、例のまどろまれぬ暁の空に、千鳥いとあはれに鳴く。
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と独詠なさると、いつものようにうとうととなされぬ明け方の空に、千鳥がとても悲しい声で鳴いている。
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とも言った。例のように源氏は終夜眠れなかった。明け方に千鳥が身にしむ声で鳴いた。
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to hitorigoti tamahi te, rei no madoroma re nu akatuki no sora ni, tidori ito ahare ni naku.
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3.5.12 |
「 友千鳥諸声に鳴く暁は ひとり寝覚の床も頼もし」 |
「友千鳥が声を合わせて鳴いている明け方は 独り寝覚めて泣くわたしも心強い気がする」 |
友千鳥諸声に鳴く暁は 一人寝覚めの床も頼もし
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"Tomotidori morogowe ni naku akatuki ha hitori nezame no toko mo tanomosi |
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3.5.13 |
また起きたる人もなければ、返す返すひとりごちて臥したまへり。
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他に起きている人もいないので、繰り返し独り言をいって臥せっていらっしゃった。
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だれもまだ起きた影がないので、源氏は何度もこの歌を繰り返して唱えていた。
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Mata oki taru hito mo nakere ba, kahesugahesu hitorigoti te husi tamahe ri.
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3.5.14 |
夜深く御手水参り、 ▼ 御念誦などしたまふも、めづらしきことのやうに、めでたうのみおぼえたまへば、え見たてまつり捨てず、家にあからさまにもえ出でざりけり。
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深夜にお手を洗い、御念誦などをお唱えになるのも、珍しいことのように、ただもう立派にお見えになるので、お見捨て申し上げることができず、家にちょっとでも退出することもできなかった。
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まだ暗い間に手水を済ませて念誦をしていることが侍臣たちに新鮮な印象を与えた。この源氏から離れて行く気が起こらないで、仮に京の家へ出かけようとする者もない。
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Yobukaku miteudu mawiri, ohom-nenzu nado si tamahu mo, medurasiki koto no yau ni, medetau nomi oboye tamahe ba, e mi tatematuri sute zu, ihe ni akarasama ni mo e ide zari keri.
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出典31 |
海人の塩焼く |
須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり |
古今集恋四-七〇八 読人しらず |
3.5.1 |
出典32 |
霜の後の夢 |
胡角一声霜後夢 漢宮万里月前腸 |
和漢朗詠集下-七〇二 大江朝綱 |
3.5.5 |
出典33 |
ただ是れ西に行くなり |
唯是西行不左遷 |
菅家後集-五一一 |
3.5.8 |
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3.6 |
第六段 明石入道の娘
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3-6 Akasi's daughter
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3.6.1 |
明石の浦は、ただはひ渡るほどなれば、良清の朝臣、かの入道の娘を思ひ出でて、文など遣りけれど、返り事もせず、 父入道ぞ、
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明石の浦は、ほんの這ってでも行けそうな距離なので、良清の朝臣、あの入道の娘を思い出して、手紙などをやったのだが、返事もせず、父の入道が、
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明石の浦は這ってでも行けるほどの近さであったから、良清朝臣は明石の入道の娘を思い出して手紙を書いて送ったりしたが返書は来なかった。
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Akasi no ura ha, tada hahi wataru hodo nare ba, Yosikiyo-no-Asom, kano Nihudau no musume wo omohi ide te, humi nado yari kere do, kaherikoto mo se zu, titi Nihudau zo,
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3.6.2 |
「 聞こゆべきことなむ。あからさまに対面もがな」
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「申し上げたいことがある。ちょっとお会いしたい」
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父親の入道から相談したいことがあるからちょっと逢いに来てほしいと言って来た。
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"Kikoyu beki koto nam. Akarasama ni taimen mo gana."
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3.6.3 |
と言ひけれど、「 うけひかざらむものゆゑ、行きかかりて、むなしく帰らむ後手もをこなるべし」と、屈じいたうて行かず。
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と言ったが、「承知してくれないようなのに、出かけて行って、空しく帰って来るような後ろ姿もばからしい」と、気がふさいで行かない。
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求婚に応じてくれないことのわかった家を訪問して、失望した顔でそこを出て来る恰好は馬鹿に見えるだろうと、良清は悪いほうへ解釈して行こうとしない。
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to ihi kere do, "Ukehika zara m mono yuwe, yuki kakari te, munasiku kahera m usirode mo woko naru besi." to, kunzi itau te ika zu.
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3.6.4 |
世に知らず心高く思へるに、国の内は 守のゆかりのみこそはかしこきことにすめれど、ひがめる心はさらに さも思はで年月を経けるに、この君かくておはすと聞きて、母君に語らふやう、
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世にまたとないほど気位高く思っているので、播磨の国中では守の一族だけがえらい者と思っているようだが、偏屈な気性はまったくそのようなことも思わず歳月を送るうちに、この君がこうして来ていらっしゃると聞いて、母君に言うことには、
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すばらしく自尊心は強くても、現在の国の長官の一族以外にはだれにも尊敬を払わない地方人の心理を知らない入道は、娘への求婚者を皆門外に追い払う態度を取り続けていたが、源氏が須磨に隠栖をしていることを聞いて妻に言った。
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Yo ni sira zu kokoro takaku omohe ru ni, kuni no uti ha kami no yukari nomi koso ha kasikoki koto ni su mere do, higame ru kokoro ha sarani samo omoha de tosituki wo he keru ni, kono Kimi kaku te ohasu to kiki te, Hahagimi ni katarahu yau,
|
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3.6.5 |
「 桐壺の更衣の御腹の、源氏の光る君こそ、朝廷の御かしこまりにて、須磨の浦に ものしたまふなれ。 吾子の御宿世にて、 おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、 この君にをたてまつらむ」
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「桐壷の更衣がお生みになった、源氏の光る君は、朝廷の勅勘を蒙って、須磨の浦にこもっていらっしゃるという。わが娘のご運勢によって、思いがけないことがあるのです。何とかこのような機会に、娘を差し上げたいものです」
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「桐壺の更衣のお生みした光源氏の君が勅勘で須磨に来ていられるのだ。私の娘の運命についてある暗示を受けているのだから、どうかしてこの機会に源氏の君に娘を差し上げたいと思う」
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"Kiritubo-no-Kaui no ohom-hara no, Genzi no Hikarukimi koso, ohoyake no ohom-kasikomari nite, Suma no ura ni monosi tamahu nare. Ako no ohom-sukuse nite, oboye nu koto no aru nari. Ikade kakaru tuide ni, kono Kimi ni wo tatematura m."
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3.6.6 |
と言ふ。母、
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と言う。母は、
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to ihu. Haha,
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3.6.7 |
「 あな、かたはや。京の人の語るを聞けば、やむごとなき御妻ども、いと多く持ちたまひて、そのあまり、忍び忍び 帝の御妻さへあやまちたまひて、かくも 騒がれたまふなる人は、まさにかくあやしき山賤を、心とどめたまひてむや」
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「まあ、とんでもない。京の人の話すのを聞くと、ご立派な奥方様たちをとてもたくさんお持ちになっていらして、その他にも、こっそりと帝のお妃まで過ちを犯しなさって、このような騷ぎになられた方が、いったいこのような賤しい田舎者に心をとめてくださいましょうか」
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「それはたいへんまちがったお考えですよ。あの方はりっぱな奥様を何人も持っていらっしって、その上陛下の御愛人をお盗みになったことが問題になって失脚をなすったのでしょう。そんな方が田舎育ちの娘などを眼中にお置きになるものですか」
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"Ana, kataha ya! Kyau no hito no kataru wo kike ba, yamgotonaki mime-domo, ito ohoku moti tamahi te, sono amari, sinobi sinobi Mikado no mime sahe ayamati tamahi te, kaku mo sawaga re tamahu naru hito ha, masani kaku ayasiki yamagatu wo, kokoro todome tamahi te m ya."
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3.6.8 |
と言ふ。腹立ちて、
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と言う。腹を立てて、
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と妻は言った。入道は腹を立てて、
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to ihu. Haradati te,
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3.6.9 |
「 え知りたまはじ。思ふ心ことなり。さる心をしたまへ。ついでして、ここにもおはしまさせむ」
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「ご存知あるまい。考えが違うのです。その心づもりをしなさい。機会を作って、ここにお出でいただこう」
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「あなたに口を出させないよ。私には考えがあるのだ。結婚の用意をしておきなさい。機会を作って明石へ源氏の君をお迎えするから」
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"E siri tamaha zi. Omohu kokoro koto nari. Saru kokoro wo si tamahe. Tuide si te, koko ni mo ohasimasa se m."
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3.6.10 |
と、 心をやりて言ふもかたくなしく見ゆ。まばゆきまでしつらひかしづきけり。母君、
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と、思いのままに言うのも頑固に見える。眩しいくらい立派に飾りたて大事にお世話していた。母君は、
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と勝手ほうだいなことを言うのにも、風変わりな性格がうかがわれた。娘のためにはまぶしい気がするほどの華奢な設備のされてある入道の家であった。
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to, kokoro wo yari te ihu mo katakunasiku miyu. Mabayuki made siturahi kasiduki keri. Hahagimi,
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3.6.11 |
「 などか、めでたくとも、 ものの初めに、罪に当たりて流されておはしたらむ人をしも思ひかけむ。さても 心をとどめたまふべくはこそあらめ、たはぶれにてもあるまじきことなり」
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「どうして、ご立派な方とはいえ、初めての縁談に、罪に当たって流されていらしたような方を考えるのでしょう。それにしても、心をおとめくださるようならともかくも、冗談にもありそうにないことです」
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「なぜそうしなければならないのでしょう。どんなにごりっぱな方でも娘のはじめての結婚に罪があって流されて来ていらっしゃる方を婿にしようなどと、私はそんな気がしません。それも愛してくださればよろしゅうございますが、そんなことは想像もされない。戯談にでもそんなことはおっしゃらないでください」
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"Nadoka, medetaku tomo, mono no hazime ni, tumi ni atari te nagasa re te ohasi tara m hito wo simo omohikake m? Satemo kokoro wo todome tamahu beku ha koso ara me, tahabure nite mo aru maziki koto nari."
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3.6.12 |
と言ふを、 いといたくつぶやく。
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と言うので、ひどくぶつぶつと不平を言う。
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と妻が言うと、入道はくやしがって、何か口の中でぶつぶつ言っていた。
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to ihu wo, ito itaku tubuyaku.
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3.6.13 |
「 罪に当たることは、唐土にも我が朝廷にも、かく世にすぐれ、 何ごとも人にことになりぬる人の、かならずあることなり。いかにものしたまふ君ぞ。 故母御息所は、おのが叔父にものしたまひし按察使大納言の娘なり。いとかうざくなる名をとりて、宮仕へに出だしたまへりしに、国王すぐれて時めかしたまふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて亡せたまひにしかど、この君のとまりたまへる、いとめでたしかし。女は心高くつかふべきものなり。おのれ、かかる田舎人なりとて、思し捨てじ」
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「罪に当たることは、唐土でもわが国でも、このように世の中に傑出して、何事でも人に抜きんでた人には必ずあることなのだ。どういうお方でいらっしゃると思うか。亡くなった母御息所は、わたしの叔父でいらした按察大納言の御娘である。まことに素晴らしい評判をとって、宮仕えにお出しなさったところ、国王も格別に御寵愛あそばすこと、並ぶ者がなかったほどであったが、皆の嫉妬が強くてお亡くなりになってしまったが、この君が生いきていらっしゃる、大変に喜ばしいことである。女は気位を高く持つべきなのだ。わたしが、このような田舎者だからといって、お見捨てになることはあるまい」
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「罪に問われることは、支那でもここでも源氏の君のようなすぐれた天才的な方には必ずある災厄なのだ、源氏の君は何だと思う、私の叔父だった按察使大納言の娘が母君なのだ。すぐれた女性で、宮仕えに出すと帝王の恩寵が一人に集まって、それで人の嫉妬を多く受けて亡くなられたが、源氏の君が残っておいでになるということは結構なことだ。女という者は皆桐壺の更衣になろうとすべきだ。私が地方に土着した田舎者だといっても、その古い縁故でお近づきは許してくださるだろう」
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"Tumi ni ataru koto ha, Morokosi ni mo waga mikado ni mo, kaku yo ni sugure, nanigoto mo hito ni koto ni nari nuru hito no, kanarazu aru koto nari. Ikani monosi tamahu Kimi zo? Ko-haha-Miyasumdokoro ha, onoga wodi ni monosi tamahi si Azeti-no-Dainagon no musume nari. Ito kauzaku naru na wo tori te, miyadukahe ni idasi tamahe ri si ni, Kokuwau sugurete tokimekasi tamahu koto, narabi nakari keru hodo ni, hito no sonemi omoku te use tamahi ni sika do, kono Kimi no tomari tamahe ru, ito medetasi kasi. Womna ha kokoro takaku tukahu beki mono nari. Onore, kakaru winakabito nari tote, obosi sute zi."
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3.6.14 |
など言ひゐたり。
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などと言っていた。
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などと入道は言っていた。
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nado ihi wi tari.
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3.6.15 |
この娘、すぐれたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさまなどぞ、 げに、やむごとなき人に劣るまじかりける。身のありさまを、口惜しきものに思ひ知りて、
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この娘、すぐれた器量ではないが、優しく上品らしく、賢いところなどは、なるほど、高貴な女性に負けないようであった。わが身の境遇を、ふがいない者とわきまえて、
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この娘はすぐれた容貌を持っているのではないが、優雅な上品な女で、見識の備わっている点などは貴族の娘にも劣らなかった。境遇をみずから知って、上流の男は自分を眼中にも置かないであろうし、
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Kono Musume, sugure taru katati nara ne do, natukasiu atehaka ni, kokorobase aru sama nado zo, geni, yamgotonaki hito ni otoru mazikari keru. Mi no arisama wo, kutiwosiki mono ni omohi siri te,
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3.6.16 |
「 高き人は、我を何の数にも思さじ。ほどにつけたる世をば さらに見じ。命長くて、思ふ人びとに後れなば、尼にもなりなむ、海の底にも入りなむ」
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「身分の高い方は、わたしを物の数のうちにも入れてくださるまい。身分相応の結婚はまっぴら嫌。長生きして、両親に先立たれてしまったら、尼にもなろう、海の底にも沈みもしよう」
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それかといって身分相当な男とは結婚をしようと思わない、長く生きていることになって両親に死に別れたら尼にでも自分はなろう、海へ身を投げてもいいという信念を持っていた。
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"Takaki hito ha, ware wo nani no kazu ni mo obosa zi. Hodo ni tuke taru yo wo ba sarani mi zi. Inoti nagaku te, omohu hitobito ni okure na ba, ama ni mo nari na m, umi no soko ni mo iri na m."
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3.6.17 |
などぞ思ひける。
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などと思っているのであった。
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nado zo omohi keru.
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3.6.18 |
父君、所狭く思ひかしづきて、年に二たび、住吉に詣でさせけり。神の御しるしをぞ、人知れず頼み思ひける。
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父君は、仰々しく大切に育てて、一年に二度、住吉の神に参詣させるのであった。神の御霊験を、心ひそかに期待しているのであった。
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入道は大事がって年に二度ずつ娘を住吉の社へ参詣させて、神の恩恵を人知れず頼みにしていた。
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Titigimi, tokoroseku omohi kasiduki te, tosi ni hutatabi, Sumiyosi ni maude sase keri. Kami no ohom-sirusi wo zo, hitosirezu tanomi omohi keru.
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Last updated 9/21/2010(ver.2-3) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 9/15/2009(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 1/1/2003 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3) |
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Last updated 9/15/2009 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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