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第十二帖 須磨


12 SUMA (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十六歳春三月下旬から二十七歳春三月上巳日まで無位無官時代の都と須磨の物語


Tale of Hikaru-Genji's commoner era in Kyoto and Suma from March at the age of 26 to March at the age of 27

4
第四章 光る源氏の物語 信仰生活と神の啓示の物語


4  Tale of Hikaru-Genji  Religious life on Suma and God's revelation

4.1
第一段 須磨で新年を迎える


4-1  Geuji greets the new Year in Suma

4.1.1   須磨には、年返りて、日長くつれづれなるに、 植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて、空のけしきうららかなるに、よろづのこと思し出でられて、うち泣きたまふ折多かり。
 須磨では、年も改まって、日が長くすることもない頃に、植えた若木の桜がちらほらと咲き出して、空模様もうららかな感じがして、さまざまなことがお思い出されなさって、ふとお泣きになる時が多くあった。
 須磨は日のながい春になってつれづれを覚える時間が多くなった上に、去年植えた若木の桜の花が咲き始めたのにも、かすんだ空の色にも京が思い出されて、源氏の泣く日が多かった。
  Suma ni ha, tosi kaheri te, hi nagaku turedure naru ni, uwe si wakagi no sakura honoka ni saki some te, sora no kesiki uraraka naru ni, yorodu no koto obosi ide rare te, uti-naki tamahu wori ohokari.
4.1.2   二月二十日あまり、去にし年、 京を別れし時、心苦しかりし人びとの御ありさまなど、いと恋しく、「 南殿の桜、盛りになりぬらむ一年の花の宴に、院の御けしき、内裏の主上のいときよらになまめいて、わが作れる句を誦じたまひし」も、思ひ出できこえたまふ。
 二月二十日過ぎ、過ぎ去った年、京を離れた時、気の毒に思えた人たちのご様子など、たいそう恋しく、「南殿の桜は、盛りになっただろう。去る年の花の宴の折に、院の御様子、主上がたいそう美しく優美に、わたしの作った句を朗誦なさった」のも、お思い出し申される。
 二月二十幾日である、去年京を出た時に心苦しかった人たちの様子がしきりに知りたくなった。また院の御代みよの最後の桜花の宴の日の父帝、えんな東宮時代の御兄陛下のお姿が思われ、源氏の詩をお吟じになったことも恋しく思い出された。
  Kisaragi no hatuka amari, inisitosi, kyau wo wakare si toki, kokorogurusikari si hitobito no ohom-arisama nado, ito kohisiku, "Naden no sakura, sakari ni nari nu ram. Hitotose no hananoen ni, Win no mikesiki, Uti-no-Uhe no ito kiyora ni namamei te, waga tukure ru ku wo zuzi tamahi si" mo, omohi ide kikoye tamahu.
4.1.3  「 いつとなく大宮人の恋しきに
   桜かざしし今日も来にけり
 「いつと限らず大宮人が恋しく思われるのに
  桜をかざして遊んだその日がまたやって来た
  いつとなく大宮人おほみやびとの恋しきに
  桜かざしし今日も来にけり
    "Itu to naku ohomiyabito no kohisiki ni
    sakura kazasi si kehu mo ki ni keri
4.1.4  いとつれづれなるに、大殿の三位中将は、今は宰相になりて、人柄のいとよければ、時世のおぼえ重くてものしたまへど、世の中あはれにあぢきなく、ものの折ごとに恋しくおぼえたまへば、「 ことの聞こえありて罪に当たるともいかがはせむ」と思しなして、にはかに参うでたまふ。
 何もすることもないころ、大殿の三位中将は、今では宰相に昇進して、人柄もとてもよいので、世間の信頼も厚くいらっしゃったが、世の中がしみじみつまらなく、何かあるごとに恋しく思われなさるので、「噂が立って罪に当たるようなことがあろうともかまうものか」とお考えになって、急にお訪ねになる。
 と源氏は歌った。源氏が日を暮らしびているころ、須磨の謫居たっきょへ左大臣家の三位さんみ中将がたずねて来た。現在は参議になっていて、名門の公子でりっぱな人物であるから世間から信頼されていることも格別なのであるが、その人自身は今の社会の空気が気に入らないで、何かのおりごとに源氏が恋しくなるあまりに、そのことで罰を受けても自分は悔やまないと決心してにわかに源氏と逢うために京を出て来たのである。
  Ito turedure naru ni, Ohoidono no Samwi-no-Tyuuzyau ha, ima ha Saisyau ni nari te, hitogara no ito yokere ba, tokiyo no oboye omoku te monosi tamahe do, yononaka ahare ni adikinaku, mono no wori goto ni kohisiku oboye tamahe ba, "Koto no kikoye ari te tumi ni ataru to mo ikaga ha se m." to obosi nasi te, nihaka ni maude tamahu.
4.1.5   うち見るより、めづらしううれしきにもひとつ涙ぞこぼれける
 一目見るなり、珍しく嬉しくて、同じく涙がこぼれるのであった。
親しい友人であって、しかも長く相見る時を得なかった二人はたまたま得た会合の最初にまず泣いた。
  Uti-miru yori, medurasiu uresiki ni mo, hitotu namida zo kobore keru.
4.1.6   住まひたまへるさま、言はむかたなく唐めいたり。所のさま、絵に描きたらむやうなるに、 竹編める垣しわたして、石の階、松の柱、おろそかなるものから、めづらかにをかし。
 お住まいになっている様子、いいようもなく唐風である。その場所の有様、絵に描いたような上に、竹を編んで垣根をめぐらして、石の階段、松の柱、粗末ではあるが、珍しく趣がある。
 宰相は源氏の山荘が非常に唐風であることに気がついた。絵のような風光の中に、竹を編んだかきがめぐらされ、石の階段、松の黒木の柱などの用いられてあるのがおもしろかった。
  Sumahi tamahe ru sama, ihamkatanaku karamei tari. Tokoro no sama, we ni kaki tara m yau naru ni, take ame ru kaki si watasi te, isi no hasi, matu no hasira, orosoka naru monokara, meduraka ni wokasi.
4.1.7  山賤めきて、 ゆるし色の黄がちなるに、青鈍の狩衣、指貫、うちやつれて、ことさらに田舎びもてなしたまへるしも、いみじう、見るに笑まれてきよらなり。
 山人みたいに、許し色の黄色の下着の上に、青鈍色の狩衣、指貫、質素にして、ことさら田舎風にしていらっしゃるのが、実に、見るからににっこりせずにはいられないお美しさである。
 源氏は黄ばんだ薄紅の服の上に、青みのある灰色の狩衣かりぎぬ指貫さしぬきの質素な装いでいた。わざわざ都風を避けた服装もいっそう源氏を美しく引き立てて見せる気がされた。
  Yamagatumeki te, yurusiiro no kigati naru ni, awonibi no kariginu, sasinuki, uti-yature te, kotosara ni inakabi motenasi tamahe ru simo, imiziu, miru ni wema re te kiyora nari.
4.1.8  取り使ひたまへる 調度も、かりそめにしなして、御座所もあらはに見入れらる。碁、 双六盤、調度、弾棊の具など、田舎わざにしなして、念誦の具、行なひ勤めたまひけりと見えたり。もの参れるなど、ことさら所につけ、興ありてしなしたり。
 お使いになっていらっしゃる調度も、一時の間に合わせ物にして、ご座所もまる見えにのぞかれる。碁、双六の盤、お道具、弾棊の具などは、田舎風に作ってあって、念誦の具は、勤行なさっていたように見えた。お食事を差し上げる折などは、格別に場所に合わせて、興趣あるもてなしをした。
 室内の用具も簡単な物ばかりで、起臥きがする部屋も客の座から残らず見えるのである。碁盤、双六すごろくの盤、弾棊たぎの具なども田舎いなか風のそまつにできた物が置かれてあった。数珠じゅずなどがさっきまで仏勤めがされていたらしく出ていた。客の饗応きょうおうに出された膳部ぜんぶにもおもしろい地方色が見えた。
  Tori tukahi tamahe ru teudo mo, karisome ni si nasi te, omasidokoro mo araha ni miire raru. Go, sugurokuban, teudo, tagi no gu nado, winaka waza ni si nasi te, nenzu no gu, okonahi tutome tamahi keri to miye tari. Mono mawire ru nado, kotosara tokoro ni tuke, kyou ari te si nasi tari.
4.1.9  海人ども漁りして、貝つ物持て 参れるを、召し出でて御覧ず。浦に年経るさまなど問はせたまふに、さまざま安げなき身の愁へを申す。そこはかとなくさへづるも、「 心の行方は同じこと。何か異なる」と、あはれに見たまふ。 御衣どもなどかづけさせたまふを、生けるかひありと思へり。御馬ども近う立てて、見やりなる倉か何ぞなる稲取り出でて飼ふなど、めづらしう見たまふ。
 海人たちが漁をして、貝の類を持って参ったのを、召し出して御覧になる。海辺に生活する様子などを尋ねさせなさると、いろいろと容易でない身の辛さを申し上げる。とりとめもなくしゃべり続けるのも、「心労は同じことだ。何の身分の上下に関係あろうか」と、しみじみと御覧になる。御衣類をお与えさせになると、生きていた甲斐があると思った。幾頭ものお馬を近くに繋いで、向こうに見える倉か何かにある稲を取り出して食べさせているのを、珍しく御覧になる。
 漁から帰った海人あまたちが貝などを届けに寄ったので、源氏は客といる座敷の前へその人々を呼んでみることにした。漁村の生活について質問をすると、彼らは経済的に苦しい世渡りをこぼした。小鳥のように多弁にさえずる話も根本になっていることは処世難である、われわれも同じことであると貴公子たちはあわれんでいた。それぞれに衣服などを与えられた海人たちは生まれてはじめての生きがいを感じたらしかった。山荘の馬を幾ひきも並べて、それもここから見える倉とか納屋とかいう物から取り出す稲を食わせていたりするのが源氏にも客にも珍しかった。催馬楽さいばら
  Ama-domo asari si te, kahi tu mono mote mawire ru wo, mesi ide te goranzu. Ura ni tosi huru sama nado toha se tamahu ni, samazama yasuge naki mi no urehe wo mausu. Sokohakatonaku saheduru mo, "Kokoro no yukuhe ha onazi koto. Nanika kotonaru?" to, ahare ni mi tamahu. Ohom-zo-domo nado kaduke sase tamahu wo, ike ru kahi ari to omohe ri. Ohom-muma-domo tikau tate te, miyari naru kura ka nani zo naru ine tori ide te kahu nado, medurasiu mi tamahu.
4.1.10  「 飛鳥井」すこし歌ひて、月ごろの御物語、泣きみ笑ひみ、
 「飛鳥井」を少し歌って、数月来のお話を、泣いたり笑ったりして、
 飛鳥井あすかいを二人で歌ってから、源氏の不在中の京の話を泣きもし、笑いもしながら、宰相はしだした。
  Asukawi sukosi utahi te, tukigoro no ohom-monogatari, nakimi warahimi,
4.1.11  「 若君の何とも世を思さでものしたまふ悲しさを、大臣の明け暮れにつけて思し嘆く」
 「若君が何ともご存知なくいらっしゃる悲しさを、大臣が明け暮れにつけてお嘆きになっている」
 若君が何事のあるとも知らずに無邪気でいることが哀れでならないと大臣が始終なげいている
  "Wakagimi no nani to mo yo wo obosa de monosi tamahu kanasisa wo, Otodo no akekure ni tuke te obosi nageku."
4.1.12  など語りたまふに、堪へがたく思したり。 尽きすべくもあらねば、なかなか片端もえまねばず
 などとお話になると、たまらなくお思いになった。お話し尽くせるものでないから、かえって少しも伝えることができない。
 という話のされた時、源氏は悲しみに堪えないふうであった。二人の会話を書き尽くすことはとうていできないことであるから省略する。
  nado katari tamahu ni, tahe gataku obosi tari. Tuki su beku mo ara ne ba, nakanaka katahasi mo e maneba zu.
4.1.13  夜もすがらまどろまず、文作り明かしたまふ。さ言ひながらも、 ものの聞こえをつつみて、急ぎ帰りたまふ。いとなかなかなり。御土器参りて、
 一晩中一睡もせず、詩文を作って夜をお明かしになる。そうは言うものの、世間の噂を気にして、急いでお帰りになる。かえって辛い思いがする。お杯を差し上げて、
 終夜眠らずに語って、そして二人で詩も作った。政府の威厳を無視したとはいうものの、宰相も事は好まないふうで、翌朝はもう別れて行く人になった。好意がかえってあとの物思いを作らせると言ってもよい。杯を手にしながら
  Yomosugara madoroma zu, humi tukuri akasi tamahu. Sa ihi nagara mo, mono no kikoye wo tutumi te, isogi kaheri tamahu. Ito nakanaka nari. Ohom-kaharake mawiri te,
4.1.14  「 酔ひの悲しび涙そそく春の盃の裏
 「酔ひの悲しびを涙そそぐ春の盃の裏」
 「酔悲泪灑春杯裏ゑひのかなしみのなみだをそそぐはるのさかづきのうち
  "Wehi no kanasibi namida sosoku haru no sakaduki no uti"
4.1.15  と、諸声に誦じたまふ。御供の人も涙を流す。 おのがじし、はつかなる別れ惜しむべかめり。
 と、一緒に朗誦なさる。お供の人も涙を流す。お互いに、しばしの別れを惜しんでいるようである。
 と二人がいっしょに歌った。供をして来ている者も皆涙を流していた。双方の家司たちの間に惜しまれる別れもあるのである。
  to, morogowe ni zuzi tamahu. Ohom-tomo no hito mo namida wo nagasu. Onogazisi, hatuka naru wakare wosimu beka' meri.
4.1.16  朝ぼらけの空に雁連れて渡る。主人の君、
 明け方の空に雁が列を作って飛んで行く。主の君は、
 朝ぼらけの空を行くかりの列があった。源氏は、
  Asaborake no sora ni kari ture te wataru. Aruzi-no-Kimi,
4.1.17  「 故郷をいづれの春か行きて見む
   うらやましきは帰る雁がね
 「ふる里をいつの春にか見ることができるだろう
  羨ましいのは今帰って行く雁だ
  故郷ふるさといづれの春か行きて見ん
  うらやましきは帰るかりがね
    "Hurusato wo idure no haru ka yuki te mi m
    Urayamasiki ha kaheru karigane
4.1.18  宰相、さらに立ち出でむ心地せで、
 宰相は、まったく立ち去る気もせず、
 と言った。宰相は出て行く気がしないで、
  Saisyau, sarani tatiide m kokoti se de,
4.1.19  「 あかなくに雁の常世を立ち別れ
   花の都に道や惑はむ
 「まだ飽きないまま雁は常世を立ち去りますが
  花の都への道にも惑いそうです
  飽かなくに雁の常世とこよを立ち別れ
  花の都に道やまどはん
    "Akanakuni kari no tokoyo wo tatiwakare
    hana no miyako ni miti ya madoha m
4.1.20  さるべき 都の苞など、由あるさまにてあり。主人の君、かくかたじけなき御送りにとて、 黒駒たてまつりたまふ
 しかるべき都へのお土産など、風情ある様に準備してある。主の君は、このような有り難いお礼にと思って、黒駒を差し上げなさる。
 と言って悲しんでいた。宰相は京から携えて来た心をこめた土産みやげを源氏に贈った。源氏からはかたじけない客を送らせるためにと言って、黒馬を贈った。
  Sarubeki miyako no tuto nado, yosi aru sama nite ari. Aruzi-no-Kimi, kaku katazikenaki ohom-okuri ni tote, kurokoma tatematuri tamahu.
4.1.21  「 ゆゆしう思されぬべけれど風に当たりては、嘶えぬべければ なむ」
 「縁起でもなくお思いになるかも知れませんが、風に当たったら、きっと嘶くでしょうから」
 「妙なものを差し上げるようですが、ここの風の吹いた時に、あなたのそばでいななくようにと思うからですよ」
  "Yuyusiu obosa re nu bekere do, kaze ni atari te ha, ibaye nu bekere ba nam."
4.1.22  と申したまふ。世にありがたげなる御馬のさまなり。
 とお申し上げになる。世にめったにないほどの名馬の様である。
 と言った。珍しいほどすぐれた馬であった。
  to mausi tamahu. Yo ni arigatage naru ohom-muma no sama nari.
4.1.23  「 形見に偲びたまへ
 「わたしの形見として思い出してください」
 「これは形見だと思っていただきたい」
  "Katami ni sinobi tamahe."
4.1.24  とて、いみじき笛の名ありけるなどばかり、人咎めつべきことは、かたみにえしたまはず。
 と言って、たいそう立派な笛で高名なのを贈るぐらいで、人が咎め立てするようなことは、お互いにすることはおできになれない。
 宰相も名高い品になっている笛を一つ置いて行った。人目に立って問題になるようなことは双方でしなかったのである。
  tote, imiziki hue no na ari keru nado bakari, hito togame tu beki koto ha, katamini e si tamaha zu.
4.1.25  日やうやうさし上がりて、心あわたたしければ、顧みのみしつつ出でたまふを、見送りたまふけしき、いとなかなかなり。
 日がだんだん高くさしのぼって、心せわしいので、振り返り振り返りしながらお立ちになるのを、お見送りなさる様子、まったくなまじお会いせねばよかったと思われるくらいである。
 上って来た日に帰りを急ぎ立てられる気がして、宰相は顧みばかりしながら座を立って行くのを、見送るために続いて立った源氏は悲しそうであった。
  Hi yauyau sasiagari te, kokoro awatatasikere ba, kaherimi nomi si tutu ide tamahu wo, miokuri tamahu kesiki, ito nakanaka nari.
4.1.26  「 いつまた対面は
 「いつ再びお目にかからせていただけましょう」
 「いつまたお逢いすることができるでしょう。このまま無限にあなたが捨て置かれるようなことはありません」
  "Itu mata taimen ha?"
4.1.27  と申したまふに、主人、
 と申し上げると、主人の君は、
 と宰相は言った。
  to mausi tamahu ni, Aruzi,
4.1.28  「 雲近く飛び交ふ鶴も空に見よ
   我は春日の曇りなき身ぞ
 「雲の近くを飛びかっている鶴よ、雲上人よ、はっきりと照覧あれ
  わたしは春の日のようにいささかも疚しいところのない身です
 「雲近く飛びかふたづも空に見よ
  われは春日の曇りなき身ぞ
    "Kumo tikaku tobi kahu tadu mo sora ni mi yo
    ware ha haruhi no kumori naki mi zo
4.1.29  かつは頼まれながら、 かくなりぬる人、昔のかしこき人だに、はかばかしう世にまたまじらふこと難くはべりければ、何か、都のさかひをまた見むとなむ思ひはべらぬ」
 一方では当てにしながら、このように勅勘を蒙った人は、昔の賢人でさえ、満足に世に再び出ることは難しかったのだから、どうして、都の地を再び見ようなどとは思いませぬ」
 みずからやましいと思うことはないのですが、一度こうなっては、昔のりっぱな人でももう一度世に出た例は少ないのですから、私は都というものをぜひまた見たいとも願っていませんよ」
  Katuha tanoma re nagara, kaku nari nuru hito, mukasi no kasikoki hito dani, hakabakasiu yo ni mata mazirahu koto kataku haberi kere ba, nanika, miyako no sakahi wo mata mi m to nam omohi habera nu."
4.1.30  などのたまふ。宰相、
 などとおっしゃる。宰相は、
 こう源氏は答えて言うのであった。
  nado notamahu. Saisyau,
4.1.31  「 たづかなき雲居にひとり音をぞ鳴く
   翼並べし友を恋ひつつ
 「頼りない雲居にわたしは独りで泣いています
  かつて共に翼を並べた君を恋い慕いながら
 「たづかなき雲井にひとをぞ鳴く
  つばさ並べし友を恋ひつつ
    "Tadukanaki kumowi ni hitori ne wo zo naku
    tubasa narabe si tomo wo kohi tutu
4.1.32  かたじけなく馴れきこえはべりて、 いとしもと悔しう思ひたまへらるる 折多く
 もったいなく馴れなれしくお振る舞い申して、かえって悔しく存じられます折々の多いことでございます」
 失礼なまでお親しくさせていただいたころのことをもったいないことだと後悔される事が多いのですよ」
  Katazikenaku nare kikoye haberi te, ito simo to kuyasiu omohi tamahe raruru wori ohoku."
4.1.33  など、しめやかにもあらで帰りたまひぬる名残、いとど悲しう眺め暮らしたまふ。
 などと、しんみりすることなくてお帰りになった、その後、ますます悲しく物思いに沈んでお過ごしになる。
 と宰相は言いつつ去った。友情がしばらく慰めたあとの源氏はまた寂しい人になった。
  nado, simeyaka ni mo ara de kaheri tamahi nuru nagori, itodo kanasiu nagame kurasi tamahu.
注釈413須磨には年返りて須磨で新年を迎える。源氏、二十七歳。4.1.1
注釈414植ゑし若木の桜ほのかに咲き初めて空のけしきうららかなるに二月中旬頃であろうか。4.1.1
注釈415二月二十日あまり須磨での現時点をさす。4.1.2
注釈416京を別れし時前に「三月二十日あまりのほどになむ都離れたまひける」とあった。4.1.2
注釈417南殿の桜盛りになりぬらむ大島本は「南殿のさくらさかりに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「桜は盛りに」と係助詞「は」を補訂する。「らむ」推量の助動詞、視界外の推量。以下「誦じたまひし」まで、源氏の心中文であるが、その引用句がなく、地の文に流れている。4.1.2
注釈418一年の花の宴に源氏、二十歳の春、「二月の二十日あまり、南殿の桜の宴せさせたまふ」(花宴)とあった。ちょうど同じ時期。4.1.2
注釈419いつとなく大宮人の恋しきに--桜かざしし今日も来にけり源氏の独詠歌。都を恋うる歌。「ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮しつ」(和漢朗詠集、春興、赤人)を踏まえる。4.1.3
注釈420ことの聞こえありて罪に当たるともいかがはせむ宰相中将の心中。4.1.4
注釈421うち見るよりめづらしううれしきにも源氏と宰相中将の二人が主語。4.1.5
注釈422ひとつ涙ぞこぼれける「嬉しきも憂きも心は一つにて分れぬものは涙なりけり」(後撰集雑二、一一八八、読人しらず)を踏まえる。4.1.5
注釈423住まひたまへるさま言はむかたなく唐めいたり以下、宰相中将の目を通して語る。4.1.6
注釈424竹編める垣しわたして石の階松の柱『白氏文集』の「五架三間新草堂 石階松柱竹編墻」の表現を踏まえた造り。4.1.6
注釈425ゆるし色の黄がちなるに「聴色」は誰が着てもよい色。4.1.7
注釈426調度も大島本は「てうとも」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「調度ども」と校訂する。4.1.8
注釈427双六盤大島本は「こすくろくはむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「双六の盤」と格助詞「の」を補訂する。4.1.8
注釈428心の行方は同じこと。何か異なる源氏の心中。4.1.9
注釈429御衣どもなどかづけさせたまふを生けるかひありと思へり「かづく」「かひ」など海人に関係ある語句を選んで表現。「させ」使役の助動詞。4.1.9
注釈430飛鳥井「飛鳥井(あすかひ)に宿りはすべしやおけ蔭もよしみもひもさむし御秣もよし」(催馬楽)という歌詞。「御馬ども近う立てて--稲取り出て飼ふなど」という実景から、歌い出したもの。4.1.10
注釈431若君の以下「思し嘆く」まで、宰相中将の詞。4.1.11
注釈432尽きすべくもあらねばなかなか片端もえまねばず語り手の省筆の弁。『弄花抄』は「記者筆也」と指摘。4.1.12
注釈433酔ひの悲しび涙そそく春の盃の裏『白氏文集』律詩の「酔悲灑涙春盃裏 吟苦支頤暁燭前」の詩句。4.1.14
注釈434故郷をいづれの春か行きて見む--うらやましきは帰る雁がね源氏の宰相中将への贈歌。『菅家後集』「聞旅雁」の「我為遷客汝来賓 共是蕭々旅漂身 欹枕思量帰去日 我知何歳汝明春」を踏まえる。4.1.17
注釈435あかなくに雁の常世を立ち別れ--花の都に道や惑はむ宰相中将返歌。「雁」に「仮」を掛ける。4.1.19
注釈436都の苞など宰相中将が都から持ってきたみやげの品々。4.1.20
注釈437黒駒たてまつりたまふ『河海抄』は「よそにありて雲居に見ゆる妹が家に早く到らむ歩め黒駒」(拾遺集恋四、九一〇、人麿)、「我が帰る道の黒駒心あらば君は来ずともおのれ嘶け」(拾遺集恋四、九一一、読人しらず)を引歌として指摘する。4.1.20
注釈438ゆゆしう思されぬべけれど以下「嘶えぬべければ」まで、源氏の詞。4.1.21
注釈439風に当たりては嘶えぬべければ『文選』古詩十九首の「胡馬依北風 越鳥巣南枝」を踏まえる。『集成』は「中将の帰路を祝った言葉」と注す。4.1.21
注釈440形見に偲びたまへ『集成』は源氏の詞と解し、『完訳』は宰相中将の詞と解す。4.1.23
注釈441いつまた対面はと申したまふに大島本は「いつ又たいめむハと申給に」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いつまた対面たまはらんとすらん。さりともかくやは」と申したまふに」と校訂する。4.1.26
注釈442雲近く飛び交ふ鶴も空に見よ--我は春日の曇りなき身ぞ源氏の歌。以下「思ひはべらぬ」まで、源氏の詞。4.1.28
注釈443かくなりぬる人大島本は「かくなりぬる人」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かくなりぬる人は」と係助詞「は」を補訂する。4.1.29
注釈444たづかなき雲居にひとり音をぞ鳴く--翼並べし友を恋ひつつ宰相中将の返歌。『集成』は「たつかなき」とすべて清音に、『新大系』は「たづかなき」と「づ」を濁音に、『古典セレクション』は「たづがなき」と「づが」を濁音に読む。「たつかなき」は「たつきなき」と同意。「田鶴が鳴き」を掛ける。
【翼並べし】-『史記』「留侯世家」の「羽翼已成」を踏まえた表現。
4.1.31
注釈445いとしもと悔しう『源氏釈』は「思ふとていとこそ人になれざらめしかならひてぞ見ねば恋しき」(拾遺集恋四、九〇〇、読人しらず)を引歌として指摘する。4.1.32
注釈446折多く--など大島本は「おりおほくなと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「多くなむと」と「む」を補訂する。4.1.32
出典34 桜かざしし今日 百敷の大宮人はいとまあれや桜かざして今日も暮らしつ 和漢朗詠集上-二五 山辺赤人 4.1.3
出典35 ひとつ涙 うれしきも憂きも心は一つにて別れぬものは涙なりけり 後撰集雑二-一一八八 読人しらず 4.1.5
出典36 竹編める垣しわたして、石の階、松の柱 五架三間新草堂 石階桂柱竹編牆 白氏文集十六-九七五 4.1.6
出典37 飛鳥井 飛鳥井に 宿りはすべし や おけ 蔭もよし 御甕も寒し 御秣もよし 催馬楽-飛鳥井 4.1.10
出典38 酔ひの悲しび涙そそく春の盃の裏 酔悲*(水+麗)涙春盃裏 吟苦支頤暁燭前 白氏文集十七-一一〇七 4.1.14
出典39 風に当たりては、嘶えぬ 胡馬依北風 越鳥巣南枝 文選二十九-二四九 4.1.21
出典40 いとしもと悔しう 思ふとていとこそ人に慣れざらめしか慣らひてぞ見ねば恋しき 拾遺集恋四-九〇〇 読人しらず 4.1.32
校訂35 参れるを 参れるを--まいれな(な/$る)を 4.1.9
校訂36 ものの ものの--もの(の/+の<朱>) 4.1.13
校訂37 おのがじし おのがじし--をのか(か/+しゝ) 4.1.15
4.2
第二段 上巳の祓と嵐


4-2  Sinto purification at March 3 and a storm

4.2.1  弥生の朔日に出で来たる巳の日、
 三月の上旬にめぐって来た巳の日に、
 今年は三月の一日にの日があった。
  Yayohi no tuitati ni ideki taru mi no hi,
4.2.2  「 今日なむ、かく思すことある人は、御禊したまふべき」
 「今日は、このようにご心労のある方は、御禊をなさるのがようございます」
 「今日です、お試みなさいませ。不幸な目にあっている者が御禊みそぎをすれば必ず効果があるといわれる日でございます」
  "Kehu nam, kaku obosu koto aru hito ha, misogi si tamahu beki."
4.2.3  と、なまさかしき人の聞こゆれば、海づらもゆかしうて出でたまふ。いとおろそかに、軟障ばかりを引きめぐらして、この国に通ひける陰陽師召して、祓へせさせたまふ。舟にことことしき人形乗せて流すを 見たまふに、よそへられて、
 と、知ったかぶりの人が申し上げるので、海辺も見たくてお出かけになる。ひどく簡略に、軟障だけを引きめぐらして、この国に行き来していた陰陽師を召して、祓いをおさせなになる。舟に仰々しい人形を乗せて流すのを御覧になるにつけても、わが身になぞらえられて、
 賢がって言う者があるので、海の近くへまた一度行ってみたいと思ってもいた源氏は家を出た。ほんの幕のような物を引きまわして仮の御禊場みそぎばを作り、旅の陰陽師おんみょうじを雇って源氏ははらいをさせた。船にやや大きい禊いの人形を乗せて流すのを見ても、源氏はこれに似た自身のみじめさを思った。
  to, nama-sakasiki hito no kikoyure ba, umidura mo yukasiu te ide tamahu. Ito orosoka ni, zenzyau bakari wo hiki megurasi te, kono kuni ni kayohi keru Omyauzi mesi te, harahe se sase tamahu. Hune ni kotokotosiki hitokata nose te nagasu wo mi tamahu ni, yosohe rare te,
4.2.4  「 知らざりし大海の原に流れ来て
   ひとかたにやはものは悲しき
 「見も知らなかった大海原に流れきて
  人形に一方ならず悲しく思われることよ
  知らざりし大海の原に流れ来て
  一方にやは物は悲しき
    "Sira zari si ohoumi no hara ni nagare ki te
    hitokata ni yaha mono ha kanasiki
4.2.5  とて、ゐたまへる御さま、さる晴れに出でて、言ふよしなく見えたまふ。
 と詠んで、じっとしていらっしゃるご様子、このような広く明るい所に出て、何とも言いようのないほど素晴らしくお見えになる。
 と歌いながら沙上しゃじょうの座に着く源氏は、こうした明るい所ではまして水ぎわだって見えた。
  tote, wi tamahe ru ohom-sama, saru hare ni ide te, ihu yosi naku miye tamahu.
4.2.6  海の面うらうらと凪ぎわたりて、行方も知らぬに、来し方行く先思し続けられて、
 海の表面もうららかに凪わたって、際限も分からないので、過去のこと将来のことが次々と胸に浮かんできて、
 少しかすんだ空と同じ色をした海がうらうらとぎ渡っていた。果てもない天地をながめていて、源氏は過去未来のことがいろいろと思われた。
  Umi no omote uraura to nagi watari te, yukuhe mo sira nu ni, kosikata yukusaki obosi tuduke rare te,
4.2.7  「 八百よろづ神もあはれと思ふらむ
   犯せる罪のそれとなければ
 「八百万の神々もわたしを哀れんでくださるでしょう
  これといって犯した罪はないのだから
  八百やほよろづ神もあはれと思ふらん
  犯せる罪のそれとなければ
    "Yahoyorodu kami mo ahare to omohu ram
    wokase ru tumi no sore to nakere ba
4.2.8  とのたまふに、にはかに風吹き出でて、空もかき暮れぬ。御祓へもし果てず、立ち騒ぎたり。 肱笠雨とか降りきて 、いとあわたたしければ、みな帰りたまはむとするに、笠も取りあへず。 さる心もなきに、よろづ吹き散らし、またなき風なり。 波いといかめしう立ちて、人びとの 足をそらなり。海の面は、衾を張りたらむやうに光り満ちて、雷鳴りひらめく。落ちかかる心地して、からうして たどり来て
 とお詠みになると、急に風が吹き出して、空もまっ暗闇になった。お祓いもし終えないで、騒然となった。肱笠雨とかいうものが降ってきて、ひどくあわただしいので、皆がお帰りになろうとするが、笠も手に取ることができない。こうなろうとは思いもしなかったが、いろいろと吹き飛ばし、またとない大風である。波がひどく荒々しく立ってきて、人々の足も空に浮いた感じである。海の表面は、衾を広げたように一面にきらきら光って、雷が鳴りひらめく。落ちてきそうな気がして、やっとのことで、家にたどり着いて、
 と源氏が歌い終わった時に、風が吹き出して空が暗くなってきた。御禊みそぎの式もまだまったく終わっていなかったが人々は立ち騒いだ。肱笠雨ひじがさあめというものらしくにわか雨が降ってきてこの上もなくあわただしい。一行は浜べから引き上げようとするのであったが笠を取り寄せる間もない。そんな用意などは初めからされてなかった上に、海の風は何も何も吹き散らす。夢中で家のほうへ走り出すころに、海のほうは蒲団ふとんひろげたようにふくれながら光っていて、雷鳴と電光が襲うてきた。すぐ上に落ちて来る恐れも感じながら人々はやっと家に着いた。
  to notamahu ni, nihakani kaze huki ide te, sora mo kaki-kure nu. Ohom-harahe mo si hate zu, tati-sawagi tari. Hidikasaame to ka huri ki te, ito awatatasikere ba, mina kaheri tamaha m to suru ni, kasa mo tori ahe zu. Saru kokoro mo naki ni, yorodu huki tirasi, matanaki kaze nari. Nami ito ikamesiu tati te, hitobito no asi wo sora nari. Umi no omote ha, husuma wo hari tara m yau ni hikari miti te, kami nari hirameku. Oti kakaru kokoti si te, karausite tadori ki te,
4.2.9  「 かかる目は見ずもあるかな
 「このような目には遭ったこともないな」
 「こんなことに出あったことはない。
  "Kakaru me ha mi zu mo aru kana!"
4.2.10  「風などは吹くも、けしきづきてこそあれ。あさましうめづらかなり」
 「風などは、吹くが、前触れがあって吹くものだ。思いもせぬ珍しいことだ」
 風の吹くことはあっても、前から予告的に天気が悪くなるものであるが、
  "Kaze nado ha huku mo, kesikiduki te koso are. Asamasiu meduraka nari."
4.2.11  と惑ふに、なほ止まず鳴りみちて、 雨の脚当たる所、徹りぬべく、はらめき落つ。「かくて世は尽きぬるにや」と、心細く思ひ惑ふに、君は、のどやかに経うち誦じておはす。
 と困惑しているが、依然として止まず鳴りひらめいて、雨脚の当たる所、地面を突き通してしまいそうに、音を立てて落ちてくる。「こうして世界は滅びてしまうのだろうか」と、心細く思いうろたえているが、君は、落ち着いて経を誦していらっしゃる。
 こんなににわかに暴風雨になるとは」こんなことを言いながら山荘の人々はこの天候を恐ろしがっていたが雷鳴もなおやまない。雨のあしの当たる所はどんな所も突き破られるような強雨ごううが降るのである。こうして世界が滅亡するのかと皆が心細がっている時に、源氏は静かに経を読んでいた。
  to madohu ni, naho yama zu nari miti te, ame no asi ataru tokoro, tohori nu beku, harameki otu. "Kakute yo ha tuki nuru ni ya?" to, kokorobosoku omohi madohu ni, Kimi ha, nodoyaka ni kyau uti-zuzi te ohasu.
4.2.12  暮れぬれば、雷すこし鳴り止みて、風ぞ、夜も吹く。
 日が暮れたので、雷は少し鳴り止んだが、風は、夜も吹く。
 日が暮れるころから雷は少し遠ざかったが、風は夜も吹いていた。
  Kure nure ba, kami sukosi nari yami te, kaze zo, yoru mo huku.
4.2.13  「 多く立てつる願の力なるべし
 「たくさん立てた願の力なのでしょう」
 神仏へ人々が大願を多く立てたその力のあらわれがこれであろう。
  "Ohoku tate turu gwan no tikara naru besi."
4.2.14  「今しばし、かくあらば、波に引かれて入りぬべかりけり」
 「もうしばらくこのままだったら、波に呑みこまれて海に入ってしまうところだった」
 「もう少し暴風雨が続いたら、なみに引かれて海へ行ってしまうに違いない。
  "Ima sibasi, kaku ara ba, nami ni hika re te iri nu bekari keri."
4.2.15  「高潮といふものになむ、とりあへず人そこなはるるとは聞けど、いと、かかることは、まだ知らず」
 「高潮というものに、何を取る余裕もなく人の命がそこなわれるとは聞いているが、まこと、このようなことは、まだ見たこともない」
 海嘯つなみというものはにわかに起こって人死ひとじにがあるものだと聞いていたが、今日のは雨風が原因になっていてそれとも違うようだ」
  "Takasiho to ihu mono ni nam, tori ahe zu hito sokonaha ruru to ha kike do, ito, kakaru koto ha, mada sira zu."
4.2.16  と言ひあへり。
 と言い合っていた。
 などと人々は語っていた。
  to ihi ahe ri.
4.2.17  暁方、みなうち休みたり。 君もいささか寝入りたまへれば、 そのさまとも見えぬ人来て
 明け方、みな寝んでいた。君もわずかに寝入りなさると、誰ともわからない者が来て、
 夜の明け方になって皆が寝てしまったころ、源氏は少しうとうととしたかと思うと、人間でない姿の者が来て、
  Akatukigata, mina uti-yasumi tari. Kimi mo isasaka neiri tamahe re ba, sono sama to mo miye nu hito ki te,
4.2.18  「 など、宮より召しあるには参りたまはぬ
 「どうして、宮からお召しがあるのに参らないのか」
 「なぜ王様が召していらっしゃるのにあちらへ来ないのか」
  "Nado, Miya yori mesi aru ni ha mawiri tamaha nu?"
4.2.19  とて、たどりありくと見るに、おどろきて、「 さは、海の中の龍王の、いといたう ものめでするものにて、見入れたるなりけり」と思すに、いとものむつかしう、この住まひ堪へがたく思しなりぬ。
 と言って、手探りで捜してしるように見ると、目が覚めて、「さては海龍王が、美しいものがひどく好きなもので、魅入ったのであったな」とお思いになると、とても気味が悪く、ここの住まいが耐えられなくお思いになった。
 と言いながら、源氏を求めるようにしてその辺を歩きまわる夢を見た。さめた時に源氏は驚きながら、それではあの暴風雨も海の竜王りゅうおうが美しい人間に心をかれて自分に見入っての仕業しわざであったと気がついてみると、恐ろしくてこの家にいることが堪えられなくなった。
  tote, tadori ariku to miru ni, odoroki te, "Saha, umi no naka no Riuwau no, ito itau mono-mede suru mono nite, miire taru nari keri." to obosu ni, ito mono-mutukasiu, kono sumahi tahe gataku obosi nari nu.
注釈447今日なむ以下「御禊したまふべき」まで、供人の詞。4.2.2
注釈448見たまふに大島本は「見給ふに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「見たまふにも」と係助詞「も」を補訂する。4.2.3
注釈449知らざりし大海の原に流れ来て--ひとかたにやはものは悲しき源氏の独詠歌。「一方」と「人形」の掛詞。4.2.4
注釈450八百よろづ神もあはれと思ふらむ--犯せる罪のそれとなければ源氏の独詠歌。身の潔白を訴え、八百万の神に同情を乞う。4.2.7
注釈451肱笠雨とか降りきて「肱笠雨」は催馬楽の「妹が門」に「妹が門夫が門行き過ぎかねてや我が行かべ肱笠の雨もや降らなむ死出田長雨宿り宿りてまからむ死出田長」とある語句。4.2.8
注釈452波いといかめしう立ちて大島本は「たちて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「立ち来て」と「来」を補訂する。4.2.8
注釈453さる心もなきに暴風雨に対する用意。4.2.8
注釈454足をそらなり『古典セレクション』は「「足をそら(空)なり」は慣用表現。地に足がつかず、あわてふためくさま」と注す。「殿のうちの人、足をそらにて思ひまどふ」(夕顔)。4.2.8
注釈455たどり来て『完訳』は「手探りでやって来て」と注す。4.2.8
注釈456かかる目は見ずもあるかな以下「めづらかなり」まで、供人たちの詞。4.2.9
注釈457雨の脚当たる所、徹りぬべく『集成』は「雨の降るのが白く糸を引いたようになる様をいう」と注す。4.2.11
注釈458多く立てつる願の力なるべし以下「まだ知らず」まで、供人たちの詞。4.2.13
注釈459そのさまとも見えぬ人来て『集成』は「何者の姿とも判じがたい人が現れて」の意に解す。4.2.17
注釈460など宮より召しあるには参りたまはぬ異形の人の詞。『完訳』は「源氏は、海に呑まれかけただけに、この「宮」を離宮の意に解し、海神住吉の神殿に誘われたぐらいに直感したのであろう。なお、その源氏の理解とは別に、「宮」は宮中の意とも解しうる」と注す。4.2.18
注釈461さは海の中の以下「見入れたるなりけり」まで、源氏の心中。4.2.19
注釈462ものめでする『集成』は「美しいものを大層ひどく好む」と注す。4.2.19
出典41 肱笠雨 婦が門 夫が門 行き過ぎかねてや 我が行かば 肱笠の 雨もや降らなむ 郭公 雨宿り 笠宿り 舎りてまからむ 催馬楽-婦が門 4.2.8
校訂38 君も 君も--きて(て/$み)も 4.2.17
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/15/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/1/2003
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2003年7月2日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年11月8日

Last updated 9/15/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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