第十三帖 明石


13 AKASI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十七歳春から二十八歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語


Tale of Hikaru-Genji's parting and comeback, from March at the age of 27 to in fall at the age of 28

4
第四章 明石の君の物語 明石の浦の別れの秋の物語


4  Tale of Akashi  A parting from Akashi in fall

4.1
第一段 七月二十日過ぎ、帰京の宣旨下る


4-1  Mikad's letter comes for Genji to come back to Kyoto

4.1.1   年変はりぬ内裏に御薬のことありて世の中さまざまにののしる当代の御子は右大臣の女、承香殿の女御の御腹に男御子生まれたまへる、二つになりたまへば、いといはけなし。 春宮にこそは譲りきこえたまはめ。朝廷の御後見をし、世をまつりごつべき人を思しめぐらすに、この源氏のかく沈みたまふこと、いとあたらしうあるまじきことなれば、つひに 后の御諌めを背きて、 赦されたまふべき定め出で来ぬ
 年が変わった。主上におかせられては御不例のことがあって、世の中ではいろいろと取り沙汰する。今上の御子は、右大臣の娘で、承香殿の女御がお生みになった男御子がいらっしゃるが、二歳におなりなので、たいそう幼い。東宮に御譲位申されることであろう。朝廷の御後見をし、政権を担当すべき人をお考え廻らすと、この源氏の君がこのように沈んでいらっしゃること、まことに惜しく不都合なことなので、ついに皇太后の御諌言にも背いて、御赦免になられる評定が下された。
 春になったがみかど御悩ごのうがあって世間も静かでない。当帝の御子は右大臣のむすめ承香殿じょうきょうでん女御にょごの腹に皇子があった。それはやっとお二つの方であったから当然東宮へ御位みくらいはお譲りになるのであるが、朝廷の御後見をして政務を総括的に見る人物にだれを決めてよいかと帝はお考えになった末、源氏の君を不運の中に沈淪ちんりんさせておいて、起用しないことは国家の損失であると思召おぼしめして、太后が御反対になったにもかかわらず赦免の御沙汰ごさたが、源氏へ下ることになった。
  Tosi kahari nu. Uti ni ohom-kusuri no koto ari te, yononaka samazama ni nonosiru. Taudai-no-Miko ha, Udaizin no musume, Syoukyauden-no-Nyougo no ohom-hara ni Wotokomiko mumare tamahe ru, hutatu ni nari tamahe ba, ito ihake nasi. Touguu ni koso ha yuduri kikoye tamaha me. Ohoyake no ohom-usiromi wo si, yo wo maturigotu beki hito wo obosi megurasu ni, kono Genzi no kaku sidumi tamahu koto, ito atarasiu aru maziki koto nare ba, tuhini Kisaki no ohom-isame wo somuki te, yurusa re tamahu beki sadame ide ki nu.
4.1.2   去年より、后も御もののけ悩みたまひ、さまざまのもののさとししきり、騒がしきを、 いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや、よろしうおはしましける御目の悩みさへ、このころ重くならせたまひて、もの心細く思されければ、 七月二十余日のほどに、また重ねて、京へ帰りたまふべき宣旨下る
 去年から、皇太后も御物の怪をお悩みになり、さまざまな前兆ががしきりにあり、世間も騒がしいので、厳重な御物忌みなどをなさった効果があってか、悪くなくおいであそばした御眼病までもが、この頃重くおなりあそばして、何となく心細く思わずにはいらっしゃれなかったので、七月二十日過ぎに、再度重ねて、帰京なさるよう宣旨が下る。
 去年から太后も物怪もののけのために病んでおいでになり、そのほか天のさとしめいたことがしきりに起こることでもあったし、祈祷きとうと御精進しょうじんで一時およろしかった御眼疾もまたこのごろお悪くばかりなっていくことに心細く思召して、七月二十幾日に再度御沙汰ごさたがあって、京へ帰ることを源氏は命ぜられた。
  Kozo yori, Kisaki mo ohom-mononoke nayami tamahi, samazama no mono no satosi sikiri, sawagasiki wo, imiziki ohom-tutusimi-domo wo si tamahu sirusi ni ya, yorosiu ohasimasi keru ohom-me no nayami sahe, konokoro omoku nara se tamahi te, mono-kokorobosoku obosa re kere ba, Sitigwati nizihuyoniti no hodo ni, mata kasane te, Kyau he kaheri tamahu beki senzi kudaru.
4.1.3   つひのことと思ひしかど、世の常なきにつけても、「いかになり果つべき にか」と嘆きたまふを、 かうにはかなれば、うれしきに添へても、また、この浦を今はと思ひ離れむことを思し嘆くに、入道、 さるべきことと思ひながら、うち聞くより胸ふたがりておぼゆれど、「 思ひのごと栄えたまはばこそは、我が思ひの叶ふにはあらめ」など、思ひ直す。
 いつかはこうなることと思っていたが、世の中の定めないことにつけても、「どういうことになってしまうのだろうか」とお嘆きになるが、このように急なので、嬉しいと思うとともに、また一方で、この浦を今を限りと離れることをお嘆き悲しみになるが、入道は、当然そうなることとは思いながら、聞くなり胸のつぶれる気持ちがするが、「思い通りにお栄えになってこそ、自分の願いも叶うことなのだ」などと、思い直す。
 いずれはそうなることと源氏も期していたのではあるが、無常の人生であるから、それがまたどんな変わったことになるかもしれないと不安がないでもなかったのに、にわかな宣旨せんじ帰洛きらくのことの決まったのはうれしいことではあったが、明石あかしの浦を捨てて出ねばならぬことは相当に源氏を苦しませた。入道も当然であると思いながらも、胸にふたがされたほど悲しい気持ちもするのであったが、源氏が都合よく栄えねば自分のかねての理想は実現されないのであるからと思い直した。
  Tuhi no koto to omohi sika do, yo no tune naki ni tuke te mo, "Ikani nari hatu beki ni ka?" to nageki tamahu wo, kau nihaka nare ba, uresiki ni sohe te mo, mata, kono ura wo ima ha to omohi hanare m koto wo obosi nageku ni, Nihudau, sarubeki koto to omohi nagara, uti-kiku yori mune hutagari te oboyure do, "Omohi no goto sakaye tamaha ba koso ha, waga omohi no kanahu ni ha ara me." nado, omohi nahosu.
注釈525年変はりぬ源氏二十八歳。4.1.1
注釈526内裏に御薬のことありて帝の病気の事を間接的婉曲に表現。4.1.1
注釈527世の中さまざまにののしる世間でいろいろと取り沙汰する意。4.1.1
注釈528当代の御子は『集成』は「以下「ゆづりきこえたまはめ」までは世間の取り沙汰を書く趣」。世間の噂から帝の心中そして地の文へと文章が推移していく書き方。4.1.1
注釈529右大臣の女承香殿の女御の御腹に男御子生まれたまへる二つになりたまへば後に登場する鬚黒大将の父。承香殿の女御は「賢木」巻に初出。男御子、二歳。4.1.1
注釈530春宮にこそは譲りきこえたまはめ東宮、後の冷泉院。現在十歳、まだ元服前。『集成』は、ここまで世間の取り沙汰とする。『完訳』は「帝は東宮への譲位を考慮」と注し、「当然御位を東宮にお譲り申しあげることになるのであろうが」、読点で下文に続ける。4.1.1
注釈531后の御諌めを大島本は「御いさめ越」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御諌めをも」と「も」を補訂する。4.1.1
注釈532赦されたまふべき定め出で来ぬ主語は源氏。「れ」受身の助動詞。4.1.1
注釈533去年より、后も御もののけ悩みたまひ弘徽殿皇太后の病気は前に「大宮もそこはかとなうわづらひたまひて」とあった。4.1.2
注釈534いみじき御つつしみどもをしたまふしるしにや「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。語り手の疑問の挿入句。下の「よろしうおはしましける」に係る。4.1.2
注釈535七月二十余日のほどに、また重ねて、京へ帰りたまふべき宣旨下る二度めの召還という書き方。物語は「年変りぬ」から「七月二十余日」までいっきにとぶ。4.1.2
注釈536つひのことと思ひしかど以下「いかになりはつべきにか」まで、源氏の心中。前半は間接的に叙述。「いかに成はつへきにか」の部分が直接叙述。4.1.3
注釈537かうにはかなれば三年に満たずに赦免されたことをいう。4.1.3
注釈538さるべきこと源氏の赦免と復帰の予想。4.1.3
注釈539思ひのごと以下「叶ふにはあらめ」まで、明石入道の心中。4.1.3
校訂49 にか にか--(/+に)か 4.1.3
4.2
第二段 明石の君の懐妊


4-2  Akashi-no-Kimi gets pregant Genji's baby

4.2.1  そのころは、夜離れなく語らひたまふ。 六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり。かく別れたまふべきほどなれば、 あやにくなるにやありけむ、ありしよりもあはれに思して、「 あやしうもの思ふべき身にもありけるかな」と思し乱る。
 そのころは、毎夜お通いになってお語らいになる。六月頃から懐妊の兆候が現れて苦しんでいるのであった。このようにお別れなさらねばならない時なので、あいにくご愛情もいや増すというのであろうか、以前よりもいとしくお思いになって、「不思議と物思いせずにはいられない、わが身であることよ」とお悩みになる。
 その時分は毎夜山手の家へ通う源氏であった。今年の六月ごろから女は妊娠していた。別離の近づくことによってあやにくなと言ってもよいように源氏は女を深く好きになった。どこまでも恋の苦から離れられない自分なのであろうと源氏は煩悶はんもんしていた。
  Sonokoro ha, yogare naku katarahi tamahu. Rokugwati bakari yori kokorogurusiki kesiki ari te nayami keri. Kaku wakare tamahu beki hodo nare ba, ayaniku naru ni ya ari kem, arisi yori mo ahare ni obosi te, "Ayasiu mono omohu beki mi ni mo ari keru kana!" to obosi midaru.
4.2.2  女は、さらにも言はず思ひ沈みたり。 いとことわりなりや。思ひの外に悲しき道に出で立ちたまひしかど、「 つひには行きめぐり来なむ」と、かつは 思し慰めき。
 女は、さらにいうまでもなく思い沈んでいる。まことに無理もないことであるよ。思いもかけない悲しい旅路にお立ちになったが、「けっきょくは帰京するであろう」と、一方ではお慰めになっていた。
 女はもとより思い乱れていた。もっともなことである。思いがけぬ旅に京は捨ててもまた帰る日のないことなどは源氏の思わなかったことであった。慰める所がそれにはあった。
  Womna ha, sarani mo iha zu omohi sidumi tari. Ito kotowari nari ya! Omohi no hoka ni kanasiki miti ni idetati tamahi sika do, "Tuhini ha yuki meguri ki na m." to, katu ha obosi nagusame ki.
4.2.3  このたびはうれしき方の 御出で立ちの、「 またやは帰り見るべき」と思すに、あはれなり。
 今度は嬉しい都へのご出発であるが、「二度とここに来るようなことはあるまい」とお思いになると、しみじみと感慨無量である。
 今度は幸福な都へ帰るのであって、この土地との縁はこれで終わると見ねばならないと思うと、源氏は物哀れでならなかった。
  Konotabi ha uresiki kata no ohom-idetati no, "Mata ya ha kaherimiru beki." to obosu ni, ahare nari.
4.2.4  さぶらふ人びと、ほどほどにつけてはよろこび思ふ。京よりも御迎へに人びと参り、心地よげなるを、主人の入道、 涙にくれて、月も立ちぬ
 お供の人々は、それぞれ身分に応じて喜んでいる。京からもお迎えに人々が参り、愉快そうにしているが、主人の入道、涙にくれているうちに、月が替わった。
 侍臣たちにも幸運は分かたれていて、だれもおどる心を持っていた。京の迎えの人たちもその日からすぐに下って来た者が多数にあって、それらも皆人生が楽しくばかり思われるふうであるのに、主人の入道だけは泣いてばかりいた。そして七月が八月になった。
  Saburahu hitobito, hodohodo ni tuke te ha yorokobi omohu. Kyau yori mo ohom-mukahe ni hitobito mawiri, kokotiyoge naru wo, aruzi no Nihudau, namida ni kure te, tuki mo tati nu.
4.2.5  ほどさへあはれなる空のけしきに、「 なぞや、心づから今も昔も、すずろなることにて身をはふらかすらむ」と、さまざまに思し乱れたるを、 心知れる人びとは
 季節までもしみじみとした空の様子なので、「どうして、自分から求めて今も昔も、埒もない恋のために憂き身をやつすのだろう」と、さまざまにお思い悩んでいられるのを、事情を知っている人々は、
 色の身にしむ秋の空をながめて、自分は今も昔も恋愛のために絶えない苦を負わされる、思い死にもしなければならないようにと源氏は思いもだえていた。女との関係を知っている者は、
  Hodo sahe ahare naru sora no kesiki ni, "Nazo ya, kokorodukara ima mo mukasi mo, suzuro naru koto nite mi wo hahurakasu ram?" to, samazama ni obosi midare taru wo, kokoro sire ru hitobito ha,
4.2.6  「 あな憎、例の御癖ぞ
 「ああ、困った方だ。いつものお癖だ」
 「反感が起こるよ。例のお癖だね」
  "Ana niku! Rei no ohom-kuse zo."
4.2.7  と、 見たてまつりむつかるめり
 と拝、忌ま忌ましがっているようである。
 と言って、困ったことだと思っていた。
  to, mi tatematuri mutukaru meri.
4.2.8  「 月ごろは、つゆ人にけしき見せず、時々はひ紛れなどしたまへるつれなさを」
 「ここ数月来、全然、誰にもそぶりもお見せにならず、時々人目を忍んでお通いになっていらっしゃった冷淡さだったのに」
 源氏が長い間この関係を秘密にしていて、人目を紛らして通っていたことが近ごろになって人々にわかったのであったから、
  "Tukigoro ha, tuyu hito ni kesiki mise zu, tokidoki hahi magire nado si tamahe ru turenasa wo."
4.2.9  「このころ、あやにくに、 なかなかの人の心づくしにか
 「最近は、あいにくと、かえって、女が嘆きを増すことであろうに」
 「女からいえば一生の物思いを背負い込んだようなものだ」
  "Kono koro, ayaniku ni, nakanaka no, hito no kokorodukusi ni ka."
4.2.10  と、つきしろふ。少納言、しるべして聞こえ出でし初めのこと など、ささめきあへるを、 ただならず思へり
 と、互いに陰口をたたき合う。源少納言は、ご紹介申した当初の頃のことなどを、ささやき合っているのを、おもしろからず思っていた。
 とも言ったりした。少納言がよく話していた女であるともその連中が言っていた時、良清よしきよは少しくやしかった。
  to, tukisirohu. Seunagon, sirube si te kikoye ide si hazime no koto nado, sasameki ahe ru wo, tadanarazu omohe ri.
注釈540六月ばかりより心苦しきけしきありて悩みけり妊娠の悪阻をいう。4.2.1
注釈541あやにくなるにやありけむ語り手の挿入句。『集成』は「源氏はあいにくと愛情が増すのであろうか」。『完訳』は「語り手の感想。間近な離別が、かえって執着をつのらせる。それが「あやにく」(皮肉な)」と注し「あいにくと執着がまさるのであろうか」と注す。4.2.1
注釈542あやしうもの思ふべき身にもありけるかな源氏の心中。4.2.1
注釈543いとことわりなりや語り手の批評。『完訳』は「語り手の、明石の君の苦悩は当然であるとする言辞」と注す。4.2.2
注釈544つひには行きめぐり来なむ源氏の心中。「な」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、強調のニュアンス。きっといつの日にかは帰れよう。4.2.2
注釈545御出で立ちの「の」格助詞、提示。--だが、それは、の意。同例、「相おはします人の、そなたにて見れば」(桐壺)、「煩ひ給ふさまの、そこはかとなく」(柏木)。4.2.3
注釈546またやは帰り見るべき「やは」係助詞、反語。「べき」推量の助動詞、連体形に係る。源氏の心中。4.2.3
注釈547涙にくれて、月も立ちぬ「くれて」は涙に「暮れて」と月が「暮れて」の意を掛けた表現。季節は中秋の八月となる。4.2.4
注釈548なぞや心づから以下「身をはふらかすらむ」まで、源氏の心中。4.2.5
注釈549心知れる人びとは源氏と明石の君の関係を知る供人。4.2.5
注釈550あな憎例の御癖ぞ供人の詞。「帚木」巻に「まれには、あながちに引き違へ心尽くしなることを、御心に思しとどむる癖なむ、あやにくにて」とあった癖。4.2.6
注釈551見たてまつりむつかるめり「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手が眼前に見て供人たちの心中を推量しているニュアンス。臨場感ある描写。4.2.7
注釈552月ごろは以下「人の心づくしにか」まで、供人の詞。4.2.8
注釈553人の心づくしにか大島本は「心つくしにか」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「心づくしに」と「か」を削除する。4.2.9
注釈554ただならず思へり主語は源少納言良清。4.2.10
校訂50 思し 思し--おほしめし(めし/#) 4.2.2
校訂51 なかなかの なかなかの--中/\(/\/+の) 4.2.9
校訂52 など など--な(な/+と) 4.2.10
4.3
第三段 離別間近の日


4-3  Those days in front of the parting day

4.3.1   明後日ばかりになりて、例のやうにいたくも更かさで渡りたまへり。さやかにもまだ見たまはぬ容貌など、「 いとよしよししう、気高きさまして、めざましうもありけるかな」と、見捨てがたく口惜しう思さる。「 さるべきさまにして迎へむ」と思しなりぬ。 さやうにぞ語らひ慰めたまふ
 明後日ほどになって、いつものようにあまり夜が更けないうちにお越しになった。まだはっきりと御覧になっていない容貌などを、「とても風情があり、気高い様子をしていて、目を見張るような美しさだ」と、見捨てにくく残念にお思いになる。「しかるべき手筈を整えて迎えよう」とお考えになった。そのように約束してお慰めになる。
 出発が明後日に近づいた夜、いつもよりは早く山手の家へ源氏は出かけた。まだはっきりとは今日までよく見なかった女は、貴女きじょらしい気高けだかい様子が見えて、この身分にふさわしくない端麗さが備わっていた。捨てて行きがたい気がして、源氏はなんらかの形式で京へ迎えようという気になったのであった。そんなふうに言って女を慰めていた。
  Asate bakari ni nari te, rei no yau ni itaku mo hukasa de watari tamahe ri. Sayaka ni mo mada mi tamaha nu katati nado, "Ito yosiyosisiu, kedakaki sama si te, mezamasiu mo ari keru kana!" to, misute gataku kutiwosiu obosaru. "Sarubeki sama ni si te mukahe m." to obosi nari nu. Sayau ni zo katarahi nagusame tamahu.
4.3.2  男の御容貌、ありさまはた、さらにも言はず。年ごろの御行なひにいたく面痩せたまへるしも、言ふ方なくめでたき御ありさまにて、 心苦しげなるけしきにうち涙ぐみつつ、あはれ深く契りたまへるは、「 ただかばかりを、幸ひにても、などか止まざらむ」とまでぞ 見ゆめれど、めでたきにしも、我が身のほどを思ふも、尽きせず。 波の声、秋の風には、なほ響きことなり。塩焼く煙かすかにたなびきて、とりあつめたる所のさまなり
 男のお顔だち、お姿は、改めていうまでもない。長い間のご勤行にひどく面痩せなさっていらっしゃるのが、いいようもなく立派なご様子で、痛々しいご様子に涙ぐみながら、しみじみと固いお約束なさるのは、「ただ一時の逢瀬でも、幸せと思って、諦めてもいいではないか」とまで思われもするが、ご立派さにつけて、わが身のほどを思うと、悲しみは尽きない。波の音、秋の風の中では、やはり響きは格別である。塩焼く煙が、かすかにたなびいて、何もかもが悲しい所の様子である。
 女からもつくづくと源氏の見られるのも今夜がはじめてであった。長い苦労のあとは源氏の顔にせが見えるのであるが、それがまた言いようもなくえんであった。あふれるような愛を持って、涙ぐみながら将来の約束を女にする源氏を見ては、これだけの幸福をうければもうこの上を願わないであきらめることもできるはずであると思われるのであるが、女は源氏が美しければ美しいだけ自身の価値の低さが思われて悲しいのであった。秋風の中で聞く時にことに寂しい波の音がする。塩を焼く煙がうっすり空の前に浮かんでいて、感傷的にならざるをえない風景がそこにはあった。
  Wotoko no ohom-katati, arisama hata, sarani mo iha zu. Tosigoro no ohom-okonahi ni itaku omoyase tamahe ru simo, ihukata naku medetaki ohom-arisama nite, kokorogurusige naru kesiki ni uti-namidagumi tutu, ahare hukaku tigiri tamahe ru ha, "Tada kabakari wo, saihahi ni te mo, nadoka yama zara m?" to made zo miyu mere do, medetaki ni simo, waga mi no hodo wo omohu mo, tuki se zu. Nami no kowe, aki no kaze ni ha, naho hibiki koto nari. Siho yaku keburi kasuka ni tanabiki te, tori-atume taru tokoro no sama nari.
4.3.3  「 このたびは立ち別るとも藻塩焼く
   煙は同じ方になびかむ
 「今はいったんお別れしますが、藻塩焼く煙のように
  上京したら一緒に暮らしましょう
  このたびは立ち別るとも藻塩もしほ焼く
  煙は同じかたになびかん
    "Kono tabi ha tati-wakaru to mo mosiho yaku
    keburi ha onazi kata ni nabika m
4.3.4  とのたまへば、
 とお詠みになると、
 と源氏が言うと、
  to notamahe ba,
4.3.5  「 かきつめて海人のたく藻の思ひにも
   今はかひなき恨みだにせじ
 「何とも悲しい気持ちでいっぱいですが
  今は申しても甲斐のないことですから、お恨みはいたしません
  かきつめて海人あまの焼くの思ひにも
  今はかひなき恨みだにせじ
    "Kaki-tume te ama no taku mo no omohi ni mo
    ima ha kahinaki urami dani se zi
4.3.6  あはれにうち泣きて、言少ななるものから、 さるべき節の御応へなど浅からず聞こゆ。 この、常にゆかしがりたまふ物の音などさらに聞かせたてまつらざりつるを、いみじう恨みたまふ。
 せつなげに涙ぐんで、言葉少なではあるが、しかるべきお返事などは心をこめて申し上げる。あの、いつもお聴きになりたがっていらした琴の音色など、まったくお聴かせ申さなかったのを、たいそうお恨みになる。
 とだけ言って、可憐かれんなふうに泣いていて多くは言わないのであるが、源氏に時々答える言葉には情のこまやかさが見えた。源氏が始終聞きたく思っていた琴を今日まで女のこうとしなかったことを言って源氏は恨んだ。
  Ahare ni uti-naki te, kotozukuna naru monokara, sarubeki husi no ohom-irahe nado asakara zu kikoyu. Kono, tune ni yukasigari tamahu mono no ne nado, sarani kikase tatematura zari turu wo, imiziu urami tamahu.
4.3.7  「 さらば、形見にも偲ぶばかりの一琴をだに
 「それでは、形見として思い出になるよう、せめて一節だけでも」
 「ではあとであなたに思い出してもらうために私も弾くことにしよう」
  "Saraba, katami ni mo sinobu bakari no hito koto wo dani."
4.3.8  とのたまひて、京より持ておはしたりし 琴の御琴取りに遣はして、心ことなる調べをほのかにかき鳴らしたまへる、深き夜の澄めるは、たとへむ方なし。
 とおっしゃって、京から持っていらした琴のお琴を取りにやって、格別に風情のある一曲をかすかに掻き鳴らしていらっしゃる、夜更けの澄んだ音色は、たとえようもなく素晴しい。
 と源氏は、京から持って来た琴を浜の家へ取りにやって、すぐれたむずかしい曲の一節を弾いた。深夜の澄んだ気の中であったから、非常に美しく聞こえた。
  to notamahi te, Kyau yori mo'te ohasi tari si kin no ohom-koto tori ni tukahasi te, kokoro koto naru sirabe wo honoka ni kaki-narasi tamahe ru, hukaki yoru no sume ru ha, tatohe m kata nasi.
4.3.9  入道、え堪へで箏の琴取りてさし入れたり。 みづからも、いとど涙さへそそのかされて、とどむべき方なきに、 誘はるるなるべし、忍びやかに調べたるほど、いと上衆めきたり。 入道の宮の御琴の音を、ただ今のまたなきものに思ひきこえたるは、「今めかしう、あなめでた」と、聞く人の心ゆきて、容貌さへ思ひやらるることは、げに、いと限りなき御琴の音なり。
 入道も、たまりかねて箏の琴を取って差し入れた。娘自身も、ますます涙まで催されて、止めようもないので、気持ちをそそられるのであろう、ひっそりと音色を調べた具合、まことに気品のある奏法である。入道の宮のお琴の音色を、今の世に類のないものとお思い申し上げていたのは、「当世風で、ああ、素晴らしい」と、聴く人の心がほれぼれとして、御器量までが自然と想像されることは、なるほど、まことにこの上ないお琴の音色である。
 入道は感動して、娘へも促すように自身で十三絃の琴を几帳きちょうの中へ差し入れた。女もとめどなく流れる涙に誘われたように、低い音で弾き出した。きわめて上手じょうずである。入道の宮の十三絃の技は現今第一であると思うのは、はなやかにきれいな音で、聞く者の心も朗らかになって、弾き手の美しさも目に髣髴ほうふつと描かれる点などが非常な名手と思われる点である。
  Nihudau, e tahe de saunokoto tori te sasi-ire tari. Midukara mo, itodo namida sahe sosonoka sare te, todomu beki kata naki ni, sasoha ruru naru besi, sinobiyaka ni sirabe taru hodo, ito zyauzumeki tari. Nihudau-no-Miya no ohom-koto no ne wo, tada ima no matanaki mono ni omohi kikoye taru ha, "Imamekasiu, ana medeta!" to, kiku hito no kokoro yuki te, katati sahe omohiyara ruru koto ha, geni, ito kagiri naki ohom-koto no ne nari.
4.3.10   これはあくまで弾き澄まし、心にくくねたき音ぞまされる。 この御心にだに、初めてあはれになつかしう、まだ耳なれたまはぬ手など、心やましきほどに 弾きさしつつ、飽かず思さるるにも、「 月ごろ、など強ひても、聞きならさざりつらむ」と、悔しう思さる。 心の限り行く先の契りをのみしたまふ
 これはどこまでも冴えた音色で、奥ゆかしく憎らしいほどの音色が優れていた。この君でさえ、初めてしみじみと心惹きつけられる感じで、まだお聴きつけにならない曲などを、もっと聴いていたいと感じさせる程度に、弾き止め弾き止めして、物足りなくお思いになるにつけても、「いく月も、どうして無理してでも、聴き親しまなかったのだろう」と、残念にお思いになる。心をこめて将来のお約束をなさるばかりである。
 これはあくまでも澄み切った芸で、真の音楽として批判すれば一段上の技倆ぎりょうがあるとも言えると、こんなふうに源氏は思った。源氏のような音楽の天才である人が、はじめて味わう妙味であると思うような手もあった。飽満するまでには聞かせずにやめてしまったのであるが、源氏はなぜ今日までにしいても弾かせなかったかと残念でならない。熱情をこめた言葉で源氏はいろいろに将来を誓った。
  Kore ha akumade hiki-sumasi, kokoro nikuku netaki ne zo masare ru. Kono mikokoro ni dani, hazime te ahare ni natukasiu, mada mimi nare tamaha nu te nado, kokoroyamasiki hodo ni hikisasi tutu, akazu obosa ruru ni mo, "Tukigoro, nado sihite mo, kiki narasa zari tu ram." to, kuyasiu obosa ru. Kokoro no kagiri yukusaki no tigiri wo nomi si tamahu.
4.3.11  「 琴は、また掻き合はするまでの形見に
 「琴は、再び掻き合わせをするまでの形見に」
 「この琴はまた二人で合わせて弾く日まで形見にあげておきましょう」
  "Kin ha, mata kaki ahasuru made no katami ni."
4.3.12  とのたまふ。女、
 とおっしゃる。女、
 と源氏が琴のことを言うと、女は、
  to notamahu. Womna,
4.3.13  「 なほざりに頼め置くめる一ことを
   尽きせぬ音にやかけて偲ばむ
 「軽いお気持ちでおっしゃるお言葉でしょうが
  その一言を悲しくて泣きながら心にかけて、お偲び申します
  なほざりに頼めおくめる一ことを
  つきせぬにやかけてしのばん
    "Nahozari ni tanome oku meru hitokoto wo
    tuki se nu ne ni ya kakete sinoba m
4.3.14  言ふともなき口すさびを、恨みたまひて、
 と言うともなく口ずさみなさるのを、お恨みになって、
 言うともなくこう言うのを、源氏は恨んで、
  Ihu to mo naki kutisusabi wo, urami tamahi te,
4.3.15  「 逢ふまでのかたみに契る中の緒の
   調べはことに変はらざらなむ
 「今度逢う時までの形見に残した琴の中の緒の調子のように
  二人の仲の愛情も、格別変わらないでいて欲しいものです
  ふまでのかたみに契る中の
  しらべはことに変はらざらなん
    "Ahu made no katami ni tigiru naka no wo no
    sirabe ha koto ni kahara zara nam
4.3.16   この音違はぬさきにかならずあひ見む
 この琴の絃の調子が狂わないうちに必ず逢いましょう」
 と言ったが、なおこの琴の調子が狂わない間に必ず逢おうとも言いなだめていた。
  Kono ne tagaha nu saki ni kanarazu ahi mi m."
4.3.17  と 頼めたまふめり。されど、ただ別れむほどのわりなさを思ひ 咽せたるも、いとことわりなり。
 とお約束なさるようである。それでも、ただ別れる時のつらさを思ってむせび泣いているのも、まことに無理はない。
 信頼はしていても目の前の別れがただただ女には悲しいのである。もっともなことと言わねばならない。
  to tanome tamahu meri. Saredo, tada wakare m hodo no warinasa wo omohi muse taru mo, ito kotowari nari.
注釈555明後日ばかりになりて源氏と明石の君の離別が目前となる。4.3.1
注釈556いとよしよししう以下「ありけるかな」まで、源氏の明石の君を明るい中で初めて見た感想。4.3.1
注釈557さるべきさまにして迎へむ源氏の心中。『集成』は「しかるべき扱いにして都に迎えようという気になられた。身分が身分なので処遇の問題は微妙である」と注す。4.3.1
注釈558さやうにぞ語らひ慰めたまふ「さやう」は「さるべきさまにして迎へてむ」をさす。明石の君にも口に出して約束。4.3.1
注釈559心苦しげなるけしきに源氏の態度をいう。4.3.2
注釈560ただかばかりを幸ひにてもなどか止まざらむ明石の君の心中。「などか」連語(「など」副詞+「か」係助詞)、反語。「ざら」打消の助動詞、「む」推量の助動詞、意志。どうしてあきらめられないだろうか、あきらめてもいいではないか、という自問自答のニュアンス。4.3.2
注釈561見ゆめれど「めれ」推量の助動詞、視界内推量。明石の君の推量。4.3.2
注釈562波の声、秋の風には、なほ響きことなり。塩焼く煙かすかにたなびきて、とりあつめたる所のさまなり明石の浜の秋の季節描写。海岸の物寂しい風景に源氏と明石の君の別れを語る。4.3.2
注釈563このたびは立ち別るとも藻塩焼く--煙は同じ方になびかむ源氏の贈歌。「たひ」に「旅」と「度」を掛ける。「立ち」と「煙」が縁語。一時は別れ別れになるがやがて都に迎えようの意。4.3.3
注釈564かきつめて海人のたく藻の思ひにも--今はかひなき恨みだにせじ明石の君の返歌。源氏の「焼く」「煙」を受けて「火」と返す。「ものおもひ」に「物思ひ」と「藻」「火」、「かひなき」に「効」と「貝」、「うらみ」に「恨み」と「浦」を響かせる。恨みさえもしませんの意。4.3.5
注釈565さるべき節の別れに臨んでの返歌。心をとり乱さずに申し上げたことをいう。4.3.6
注釈566この常にゆかしがりたまふ物の音など「この」は源氏をさす。「物の音」は琴の音。明石の君は琴が上手だと入道から聞かされていた。4.3.6
注釈567さらに聞かせたてまつらざりつるを「さらに」副詞、「ざり」打消の助動詞に係って、全然、まったく、一度も--でないの意。4.3.6
注釈568さらば形見にも偲ぶばかりの一琴をだに源氏の詞。「だに」副助詞、最小限の願望。「ひとこと」に「一言」と「一琴」を掛ける。4.3.7
注釈569琴の御琴取りに遣はして岡辺の家から浜辺の家に取りにやる。4.3.8
注釈570みづからもいとど涙さへそそのかされて「みづから」は明石の君をさす。「さへ」副助詞、添加。琴ばかりでなく涙までがのニュアンス。「そそのかす」は琴を勧められる、涙が催されるの両方の意。4.3.9
注釈571誘はるるなるべし「なる」断定の助動詞。「べし」推量の助動詞。語り手の推量の挿入句。4.3.9
注釈572入道の宮の御琴の音を『集成』は「以下、明石上の弾奏を藤壺のそれと思い比べる源氏の心」と注す。以下「きゝならさゝりつらむ」まで、源氏の心に添った叙述。4.3.9
注釈573これは明石の君の弾奏をさす。4.3.10
注釈574この御心にだに「この」は源氏をさす。「だに」副助詞、限定。源氏のような人でさえ。源氏のような人とは、音楽に関して幅広い知識と深い教養を身につけた人というニュアンス。下の「初めて」「耳馴れたまはぬ手」に係る。4.3.10
注釈575弾きさしつつ「つつ」接尾語、同一動作の反復の意。4.3.10
注釈576月ごろなど強ひても聞きならさざりつらむ源氏の心中。後悔。4.3.10
注釈577心の限り行く先の契りをのみしたまふ「かぎり」名詞、極限、極み、ありったけというニュアンス。「のみ」副助詞、限定・強調。--だけ、そればかりというニュアンス。『集成』は「心をこめて再会のお約束をなさるばかりだ」。『完訳』は「心底から固く将来のことをお約束になる」と訳す。4.3.10
注釈578琴はまた掻き合はするまでの形見に源氏の詞。『集成』は「ここに残してゆこう」の余意を指摘。4.3.11
注釈579なほざりに頼め置くめる一ことを--尽きせぬ音にやかけて偲ばむ明石の君の贈歌。「ひとこと」に「一言」と「一琴」を掛ける。「琴」と「音」は縁語。「に」断定の助動詞。「や」係助詞、疑問。「む」推量の助動詞、推量、連体形、係結び。強調のニュアンス。4.3.13
注釈580逢ふまでのかたみに契る中の緒の--調べはことに変はらざらなむ源氏の返歌。「かたみ」に「形見」と「互いに」。「中のを」に琴の「中の緒」と二人の「仲」。「ことに」に「異に」と「琴に」を掛ける。「なむ」終助詞、願望。互いに心変わりせずにいたいものだの意。4.3.15
注釈581この音違はぬさきにかならずあひ見む『集成』は地の文に解す。4.3.16
注釈582頼めたまふめり「めり」推量の助動詞、視界内推量。語り手がその場に居合わせて見ているような語り方。4.3.17
校訂53 咽せ 咽せ--むせひ(ひ/#) 4.3.17
4.4
第四段 離別の朝


4-4  The morning of the parting day

4.4.1   立ちたまふ暁は、夜深く出でたまひて、御迎への人びとも騒がしければ、心も空なれど、人まをはからひて、
 ご出立になる朝は、まだ夜の深いうちにお出になって、お迎えの人々も騒がしいので、心も上の空であるが、人のいない隙間を見はからって、
 もう出立の朝になって、しかも迎えの人たちもおおぜい来ている騒ぎの中に、時間と人目を盗んで源氏は女へ書き送った。
  Tati tamahu akatuki ha, yobukaku ide tamahi te, ohom-mukahe no hitobito mo sawagasi kere ba, kokoro mo sora nare do, hitoma wo hakarahi te,
4.4.2  「 うち捨てて立つも悲しき浦波の
   名残いかにと思ひやるかな
 「あなたを置いて明石の浦を旅立つわたしも悲しい気がしますが
  後に残ったあなたはさぞやどのような気持ちでいられるかお察しします
  うち捨てて立つも悲しき浦波の
  名残なごりいかにと思ひやるかな
    "Uti-sute te tatu mo kanasiki uranami no
    nagori ikani to omohiyaru kana
4.4.3  御返り、
 お返事は、
 返事、
  Ohom-kaheri,
4.4.4  「 年経つる苫屋も荒れて憂き波の
   返る方にや身をたぐへまし
 「長年住みなれたこの苫屋も、あなた様が立ち去った後は荒れはてて
  つらい思いをしましょうから、いっそ打ち返す波に身を投げてしまおうかしら
  年経つる苫屋とまやも荒れてうき波の
  帰る方にや身をたぐへまし
    "Tosi he turu tomaya mo are te uki nami no
    kaheru kata ni ya mi wo taguhe masi
4.4.5  と、うち思ひけるままなるを見たまふに、 忍びたまへど、ほろほろとこぼれぬ。心知らぬ人びとは、
 と、気持ちのままなのを御覧になると、堪えていらっしゃったが、ほろほろと涙がこぼれてしまった。事情を知らない人々は、
 これは実感そのまま書いただけの歌であるが、手紙をながめている源氏はほろほろと涙をこぼしていた。
  to, uti-omohi keru mama naru wo mi tamahu ni, sinobi tamahe do, horohoro to kobore nu. Kokoro sira nu hitobito ha,
4.4.6  「 なほかかる御住まひなれど 、年ごろといふばかり馴れたまへるを、今はと思すは、さもあることぞかし」
 「やはりこのようなお住まいであるが、一年ほどもお住み馴れになったので、いよいよ立ち去るとなると、悲しくお思いになるのももっともなことだ」
 女の関係を知らない人々はこんな住居すまいも、一年以上いられて別れて行く時は名残があれほど惜しまれるものなのであろうと単純に同情していた。
  "Naho kakaru ohom-sumahi nare do, tosigoro to ihu bakari nare tamahe ru wo, imaha to obosu ha, samo aru koto zo kasi."
4.4.7  など見たてまつる。
 などと、拝見する。

  nado mi tatematuru.
4.4.8   良清などは、「 おろかならず思すなめりかし」と、憎くぞ思ふ。
 良清などは、「並々ならずお思いでいらっしゃるようだ」と、いまいましく思っている。
 良清などはよほどお気に入った女なのであろうと憎く思った。
  Yosikiyo nado ha, "Oroka nara zu obosu nameri kasi." to, nikuku zo omohu.
4.4.9  うれしきにも、「 げに、今日を限りに、この渚を別るること」などあはれがりて、口々しほたれ 言ひあへることどもあめりされど、何かはとてなむ
 嬉しいにつけても、「なるほど、今日限りで、この浦を去ることよ」などと、名残を惜しみ合って、口々に涙ぐんで挨拶をし合っているようだ。けれど、いちいちお話する必要もあるまい。
 侍臣たちは心中のうれしさをおさえて、今日限りに立って行く明石の浦との別れに湿っぽい歌を作りもしていたが、それは省いておく。
  Uresiki ni mo, "Geni, kehu wo kagiri ni, kono nagisa wo wakaruru koto" nado aharegari te, kutiguti sihotare ihi ahe ru koto-domo a' meri. Saredo, nanikaha tote nam.
4.4.10  入道、今日の御まうけ、いといかめしう仕うまつれり。人びと、下の品まで、旅の装束めづらしきさまなり。いつの間にかしあへけむと見えたり。御よそひは言ふべくもあらず。 御衣櫃あまたかけさぶらはす 。まことの都の苞にしつべき御贈り物ども、ゆゑづきて、思ひ寄らぬ隈なし。今日たてまつるべき狩の御装束に、
 入道、今日のお支度を、たいそう盛大に用意した。お供の人々、下々のまで、旅の装束を立派に整えてある。いつの間にこんなに準備したのだろうかと思われた。ご装束はいうまでもない。御衣櫃を幾棹となく荷なわせお供をさせる。実に都への土産にできるお贈り物類、立派な物で、気のつかないところがない。今日お召しになるはずの狩衣のご装束に、
 出立の日の饗応きょうおうを入道は派手はでに設けた。全体の人へ餞別せんべつにりっぱな旅装一そろいずつを出すこともした。いつの間にこの用意がされたのであるかと驚くばかりであった。源氏の衣服はもとより質を精選して調製してあった。幾個かの衣櫃ころもびつが列に加わって行くことになっているのである。今日着て行く狩衣かりぎぬの一所に女の歌が、
  Nihudau, kehu no ohom-mauke, ito ikamesiu tukaumature ri. Hitobito, simo no sina made, tabi no sauzoku medurasiki sama nari. Itu no ma ni ka si ahe kem to miye tari. Ohom-yosohi ha ihu beku mo ara zu. Mizobitu amata kake saburaha su. Makoto no miyako no tuto ni si tu beki ohom-okurimono-domo, yuweduki te, omohiyora nu kuma nasi. Kehu tatematuru beki kari no ohom-sauzoku ni,
4.4.11  「 寄る波に立ちかさねたる旅衣
   しほどけしとや人の厭はむ
 「ご用意致しました旅のご装束は寄る波の
  涙に濡れていまので、嫌だとお思いになりましょうか
  寄る波にたち重ねたる旅衣
  しほどけしとや人のいとはん
    "Yoru nami ni tati-kasane taru tabigoromo
    sihodokesi to ya hito no itoha m
4.4.12  とあるを御覧じつけて、騒がしけれど、
 とあるのを御発見なさって、騒がしい最中であるが、
 と書かれてあるのを見つけて、立ちぎわではあったが源氏は返事を書いた。
  to aru wo goranzi tuke te, sawagasikere do,
4.4.13  「 かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの
   日数隔てむ中の衣を
 「お互いに形見として着物を交換しましょう
  また逢える日までの間の二人の仲の、この中の衣を
  かたみにぞかふべかりける逢ふことの
  日数へだてん中の衣を
    "Katami ni zo kahu bekari keru ahu koto no
    hikazu hedate m naka no koromo wo
4.4.14  とて、「 心ざしあるを」とて、たてまつり替ふ。御身になれたるどもを遣はす。 げに、今一重偲ばれたまふべきことを添ふる形見なめり。えならぬ御衣に匂ひの移りたるを、 いかが人の心にも染めざらむ
 とおっしゃって、「せっかくの好意だから」と言って、お召し替えになる。お身につけていらしたのをお遣わしになる。なるほど、もう一つお偲びになるよすがを添えた形見のようである。素晴らしいお召し物に移り香が匂っているのを、どうして相手の心にも染みないことがあろうか。
 というのである。「せっかくよこしたのだから」と言いながらそれに着かえた。今まで着ていた衣服は女の所へやった。思い出させる恋の技巧というものである。自身のにおいのんだ着物がどれだけ有効な物であるかを源氏はよく知っていた。
  tote, "Kokorozasi aru wo" tote, tatematuri kahu. Ohom-mi ni nare taru domo wo tukahasu. Geni, ima hitohe sinoba re tamahu beki koto wo sohuru katami na' meri. E nara nu ohom-zo ni nihohi no uturi taru wo, ikaga hito no kokoro ni mo sime zara m?
4.4.15  入道、
 入道は、

  Nihudau,
4.4.16  「 今はと世を離れはべりにし身なれども、今日の御送りに仕うまつらぬこと」
 「きっぱりと世を捨てました出家の身ですが、今日のお見送りにお供申しませんことが」
 「もう捨てました世の中ですが、今日のお送りのできませんことだけは残念です」
  "Imaha to yo wo hanare haberi ni si mi nare domo, kehu no ohom-okuri ni tukaumatura nu koto."
4.4.17  など申して、 かひをつくるもいとほしながら、若き人は 笑ひぬべし。
 などと申し上げて、べそをかいているのも気の毒だが、若い人ならきっと笑ってしまうであろう。
 などと言っている入道が、両手で涙を隠しているのがかわいそうであると源氏は思ったが、他の若い人たちの目にはおかしかったに違いない。
  nado mausi te, kahi wo tukuru mo itohosi nagara, wakaki hito ha warahi nu besi.
4.4.18  「 世をうみにここらしほじむ身となりて
   なほこの岸をえこそ離れね
 「世の中が嫌になって長年この海浜の汐風に吹かれて暮らして来たが
  なお依然として子の故に此岸を離れることができずにおります
  「世をうみにここらしほじむ身となりて
  なほこの岸をえこそ離れね
    "Yo wo umi ni kokora sihozimu mi to nari te
    naho kono kisi wo e koso hanare ne
4.4.19   心の闇は、いとど惑ひぬべく はべれば、境までだに」と聞こえて、
 娘を思う親の心は、ますます迷ってしまいそうでございますから、せめて国境までなりとも」と申し上げて、
 子供への申しわけにせめて国境まではお供をさせていただきます」と入道は言ってから、
  Kokoro no yami ha, itodo madohi nu beku habere ba, sakahi made dani." to kikoye te,
4.4.20  「 好き好きしきさまなれど、思し出でさせたまふ折はべらば」
 「あだめいた事を申すようでございますが、もしお思い出しあそばすことがございましたら」
 「出すぎた申し分でございますが、思い出しておやりくださいます時がございましたら御音信をいただかせてくださいませ」
  "Sukizukisiki sama nare do, obosi ide sase tamahu wori habera ba."
4.4.21  など、御けしき賜はる。いみじうものをあはれと思して、所々うち赤みたまへる御まみのわたりなど、言はむかたなく見えたまふ。
 などと、ご内意を頂戴する。たいそう気の毒にお思いになって、お顔の所々を赤くしていらっしゃるお目もとのあたりがなどが、何ともいいようなくお見えになる。
 などと頼んだ。悲しそうで目のあたりの赤くなっている源氏の顔が美しかった。
  nado, mikesiki tamaharu. Imiziu mono wo ahare to obosi te, tokorodokoro uti-akami tamahe ru ohom-mami no watari nado, ihamkatanaku miye tamahu.
4.4.22  「 思ひ捨てがたき筋もあめれば、今いととく 見直したまひてむ。ただこの住みかこそ見捨てがたけれ。いかがすべき」とて、
 「放っておきがたい事情もあるので、きっと今すぐにお思い直しくださるでしょう。ただ、この住まいが見捨てがたいのです。どうしたものでしょう」とおっしゃって、
 「私には当然の義務であることもあるのですから、決して不人情な者でないとすぐにまたよく思っていただくような日もあるでしょう。私はただこの家と離れることが名残なごり惜しくてならない、どうすればいいことなんだか」と言って、
  "Omohi sute gataki sudi mo a' mere ba, ima ito toku minahosi tamahi te m. Tada kono sumika koso misute gatakere. Ikaga su beki." tote,
4.4.23  「 都出でし春の嘆きに劣らめや
   年経る浦を別れぬる秋
 「都を立ち去ったあの春の悲しさに決して劣ろうか
  年月を過ごしてきたこの浦を離れる悲しい秋は
  都でし春のなげきに劣らめや
  年ふる浦を別れぬる秋
    "Miyako ide si haru no nageki ni otora me ya
    tosi huru ura wo wakare nuru aki
4.4.24  とて、おし拭ひたまへるに、 いとどものおぼえず、しほたれまさる。立ちゐもあさましうよろぼふ。
 とお詠みになって、涙を拭っていらっしゃると、ますます分別を失って、涙をさらに流す。立居もままならず転びそうになる。
 と涙をそでで源氏はぬぐっていた。これを見ると入道は気も遠くなったようにしおれてしまった。それきり起居たちいもよろよろとするふうである。
  tote, osi-nogohi tamahe ru ni, itodo mono oboye zu, sihotare masaru. Tatiwi mo asamasiu yorobohu.
注釈583立ちたまふ暁は源氏、出立の朝。4.4.1
注釈584うち捨てて立つも悲しき浦波の--名残いかにと思ひやるかな源氏の贈歌。「立つ」「浦波」「余波」は縁語。後に残された明石の君の気持ちを思いやった歌。4.4.2
注釈585年経つる苫屋も荒れて憂き波の--返る方にや身をたぐへまし明石の君の返歌。「返る方に身をたぐへまし」について、『完訳』は「投身をも想像する」「あなたがお帰りになる京の方へ、できることならこの身もいっしょに添わせてやりたい、お後を慕って身を投げてしまいたいです」と注す。「まし」推量の助動詞、仮想し、躊躇を含み、相手に判断を求める気持ち。--しようかしら。「帰る」の主語が、源氏と波との両方であるため、後を慕って都に上りたいと、海に入りたいとの、両義性を含んだ表現。4.4.4
注釈586忍びたまへどほろほろとこぼれぬ主語は源氏。4.4.5
注釈587なほかかる御住まひなれど以下「あることぞかし」まで、供人の心中。4.4.6
注釈588おろかならず思すなめりかし良清の心中。「思す」の主語は源氏。「な」(断定の助動詞、連体形、活用語尾、撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。良清が源氏の様を見ながら推量しているニュアンス。4.4.8
注釈589げに今日を限りにこの渚を別るること供人の心中。『完訳』は「源氏の悲嘆が納得される」と注す。4.4.9
注釈590言ひあへることどもあめり「あ」(動詞、連体形、活用語尾、撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。語り手がその場で見て推量しているニュアンス。4.4.9
注釈591されど何かはとてなむ語り手の省略の言葉。『集成』は「けれども、書きとめるにおよばないと思って。家来たちの歌などは省略したとことわる草子地」。『完訳』は「詳しく語るまでもないとする、語り手の省筆の弁」と注す。4.4.9
注釈592御衣櫃あまたかけさぶらはす大島本は「あまたかけたまハす」とある。主語は明石入道。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「あまたかけさぶらはす」と校訂する。4.4.10
注釈593寄る波に立ちかさねたる旅衣--しほどけしとや人の厭はむ明石の君の贈歌。「たち」は「裁ち」と「立ち」の掛詞。「波」「立つ」「塩どけし」は縁語。「寄る波に」から「旅衣」まで下句に係る序詞。「人」は源氏をさす。4.4.11
注釈594かたみにぞ換ふべかりける逢ふことの--日数隔てむ中の衣を源氏の返歌。「旅衣」に対して「中の衣」と返す。「かたみに」に「形見」と「互いに」。「中の」は「中の衣」と「仲」。「隔てむ」は上からは「日数隔てむ」、下へは「隔てむ中の衣」と両方に係る掛詞。4.4.13
注釈595心ざしあるを源氏の心中。4.4.14
注釈596げに今一重偲ばれたまふべきことを添ふる形見なめり「げに」語り手の納得。「今一重」は一層の意と衣の縁で「一重」との掛詞。「偲ばれ給ふ」の主語は源氏。「れ」受身の助動詞。「なめり」は「な」(断定の助動詞、連体形、活用語尾が撥音便化して無表記)「めり」(推量の助動詞、視界内推量)。語り手がその場で見て心中を推量しているニュアンス。4.4.14
注釈597いかが人の心にも染めざらむ「人」は明石の君をさす。語り手の推量、反語表現で強調。4.4.14
注釈598今はと世を離れ以下「仕うまつらぬこと」まで、明石の入道の詞。4.4.16
注釈599かひをつくるべそをかく意。また海辺の縁で「貝」を連想させる語句。4.4.17
注釈600世をうみにここらしほじむ身となりて--なほこの岸をえこそ離れね入道の贈歌。「うみ」に「海」と「憂み」。「この岸」の「こ」に「子」と「此」を掛け、「此岸」を「彼岸」の対で用いる。「潮じむ」は「海」の縁語。娘のことが案じられてならない。4.4.18
注釈601心の闇はいとど惑ひぬべく以下「境までだに」まで、入道の詞。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。「境」は、播磨国と摂津国境。「だに」副助詞、最小限の願望。4.4.19
注釈602好き好きしきさまなれど以下「折はべらば」まで、入道の詞。「折はべらば」の下に、お便りをください、の意が込められている。4.4.20
注釈603思ひ捨てがたき筋以下「いかがすべき」まで、源氏の詞。明石の君が源氏の子を懐妊していることをさす。4.4.22
注釈604見直したまひてむ「見直し」の主語は明石の君。「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、きっと思い直して下さるであろうの意。4.4.22
注釈605都出でし春の嘆きに劣らめや--年経る浦を別れぬる秋源氏の返歌。一昨年の春三月二十日余りに離京した。その時の別離の悲しみに変わらないという。4.4.23
注釈606いとどものおぼえず以下の主語は明石入道。4.4.24
出典15 心の闇 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 4.4.19
校訂54 御住まひ 御住まひ--御すさ(さ/#ま)ひ 4.4.6
校訂55 良清 良清--よしきよと(と/#) 4.4.8
校訂56 さぶらはす さぶらはす--*たまはす 4.4.10
校訂57 笑ひ 笑ひ--わ(わ/+ら)ひ 4.4.17
4.5
第五段 残された明石の君の嘆き


4-5  Grief of Akashi's remained

4.5.1  正身の心地、たとふべき方なくて、 かうしも人に見えじと思ひ沈むれど、身の憂きをもとにて、 わりなきことなれど、うち捨てたまへる 恨みのやる方なきに、たけきこととは、ただ涙に沈めり。母君も 慰めわびては
 娘ご本人の気持ちは、たとえようもないくらいで、こんなに深く悲嘆していると誰にも見せまいと気持ちを沈めていたが、わが身のつたなさがもとで、無理のないことであるが、お残しになって行かれた恨みの晴らしようがないが、せいぜいできることは、ただ涙に沈むばかりである。母君も慰めるのに困って、
 明石の君の心は悲しみに満たされていた。外へは現わすまいとするのであるが、自身の薄倖はっこうであることが悲しみの根本になっていて、捨てて行く恨めしい源氏がまた恋しい面影になって見えるせつなさは、泣いて僅かにらすほかはどうしようもない。母の夫人もなだめかねていた。
  Sauzimi no kokoti, tatohu beki kata naku te, kau simo hito ni miye zi to omohi-sidumure do, mi no uki wo moto nite, warinaki koto nare do, uti-sute tamahe ru urami no yaru kata naki ni, takeki koto to ha, tada namida ni sidume ri. Hahagimi mo nagusame wabi te ha,
4.5.2  「 何に、かく心尽くしなることを思ひそめけむ。すべて、ひがひがしき人に従ひける心のおこたりぞ」
 「どうして、こんなに気を揉むようなことを思いついたのでしょう。あれもこれも、偏屈な主人に従ったわたしの失敗でした」
 「どうしてこんなに苦労の多い結婚をさせたろう。固意地かたいじな方の言いなりに私までもがついて行ったのがまちがいだった」
  "Nani ni, kaku kokorodukusi naru koto wo omohi-some kem? Subete, higahigasiki hito ni sitagahi keru kokoro no okotari zo."
4.5.3  と言ふ。
 と言う。
 と夫人は歎息たんそくしていた。
  to ihu.
4.5.4  「 あなかまや思し捨つまじきこともものしたまふめれば、さりとも、 思すところあらむ。思ひ慰めて、御湯などをだに参れ。あな、ゆゆしや」
 「まあ、静かに。お捨て置きになれない事情もおありになるようですから、今は別れたといっても、お考えになっていることがございましょう。気持ちを落ち着かせて、せめてお薬湯などでも召し上がれ。ああ、縁起でもない」
 「うるさい、これきりにあそばされないことも残っているのだから、お考えがあるに違いない。湯でも飲んでまあ落ち着きなさい。ああ苦しいことが起こってきた」
  "Ana kama ya! Obosi sutu maziki koto mo monosi tamahu mere ba, saritomo, obosu tokoro ara m. Omohi nagusame te, ohom-yu nado wo dani mawire. Ana, yuyusi ya!"
4.5.5  とて、 片隅に寄りゐたり。乳母、母君など、ひがめる心を言ひ合はせつつ、
 と言って、片隅に座っていた。乳母、母君などは、偏屈な心をそしり合いながら、
 入道はこう妻と娘に言ったままで、室の片隅かたすみに寄っていた。妻と乳母めのととが口々に入道を批難した。
  tote, katasumi ni yoriwi tari. Menoto, Hahagimi nado, higame ru kokoro wo ihiahase tutu,
4.5.6  「 いつしか、いかで思ふさまにて見たてまつらむと、年月を頼み過ぐし、今や、思ひ叶ふと こそ頼みきこえつれ、心苦しきことをも、 もののはじめに見るかな」
 「早く早く、何とか願い通りにしてお世話申そうと、長い年月を期待して過ごしてき、今や、その願いが叶ったと頼もしくお思い申したのに、気の毒にも、事の初めから味わおうとは」
 「お嬢様を御幸福な方にしてお見上げしたいと、どんなに長い間祈って来たことでしょう。いよいよそれが実現されますことかと存じておりましたのに、お気の毒な御経験をあそばすことになったのでございますね。最初の御結婚で」
  "Itusika, ikade omohu sama nite mi tatematura m to, tosituki wo tanomi sugusi, ima ya, omohi kanahu to koso tanomi kikoye ture, kokorogurusiki koto wo mo, mono no hazime ni miru kana!"
4.5.7  と嘆くを見るにも、いとほしければ、 いとどほけられて、昼は日一日、寝をのみ寝暮らし、夜はすくよかに起きゐて、「 数珠の行方も知らずなりにけり」とて、手をおしすりて仰ぎゐたり。
 と嘆くのを見るにつけても、かわいそうなので、ますます頭がぼんやりしてきて、昼は一日中、寝てばかり暮らし、夜はすっくと起き出して、「数珠の在りかも分からなくなってしまった」と言って、手をすり合わさせて茫然としていた。
 こう言ってなげく人たちもかわいそうに思われて、そんなこと、こんなことで入道の心は前よりずっとぼけていった。昼は終日寝ているかと思うと、夜は起き出して行く。「数珠じゅずの置き所も知れなくしてしまった」と両手をり合わせて絶望的な歎息たんそくをしているのであった。
  to nageku wo miru ni mo, itohosikere ba, itodo hoke rare te, hiru ha hi hitohi, i wo nomi ne kurasi, yoru ha sukuyoka ni oki wi te, "Zuzu no yukuhe mo sira zu nari ni keri." tote, te wo osi-suri te ahugi wi tari.
4.5.8  弟子どもにあはめられて、月夜に出でて 行道するものは、遣水に倒れ入りにけり。よしある岩の片側に腰もつきそこなひて、病み臥したるほどになむ、すこしもの紛れける。
 弟子たちに軽蔑されて、月夜に庭先に出て行道をしたにはしたのだが、遣水の中に落ち込んだりするのであった。風流な岩の突き出た角に腰をぶっつけて怪我をして、寝込むことになってようやく、物思いも少し紛れるのであった。
 弟子でしたちに批難されては月夜に出て御堂みどう行道ぎょうどうをするが池に落ちてしまう。風流に作った庭の岩角いわかどに腰をおろしそこねて怪我けがをした時には、その痛みのある間だけ煩悶はんもんをせずにいた。
  Desi-domo ni ahame rare te, tukiyo ni ide te gyaudau suru mono ha, yarimidu ni tahure iri ni keri. Yosi aru iha no katasoba ni kosi mo tuki sokonahi te, yami husi taru hodo ni nam, sukosi mono-magire keru.
注釈607かうしも人に見えじ明石の君の心中。4.5.1
注釈608わりなきことなれど語り手の挿入句。『完訳』は「自分の運命に原因があるとしながら、次に源氏への「恨み」を抱くところから、語り手が「わりなき」(理屈に合わぬ)と評す」と注す。4.5.1
注釈609恨みのやる方なきに大島本は「うらみのやるかたなきに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「恨みのやる方なきに、面影にそひて忘れがたきに」と「面影にそひて忘れがたきに」を補訂する。4.5.1
注釈610慰めわびては大島本は「なくさめわひてハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「慰めわびて」と「は」を削除する。4.5.1
注釈611何にかく以下「心のおこたりぞ」まで、母君の詞。偏屈な夫の言い分に従った自分の責任だといって慰める。4.5.2
注釈612あなかまや以下「あなゆゆしや」まで、入道の詞。慰め。4.5.4
注釈613思し捨つまじきこと娘が源氏の子を懐妊していることをさす。4.5.4
注釈614思すところあらむ主語は源氏。4.5.4
注釈615片隅に寄りゐたり『集成』は「口では強がりを言うものの、意気銷沈のてい」。『完訳』は「強弁はしながら、内心では自信を失って小さくなっている様子」と注す。4.5.5
注釈616いつしかいかで以下「もののはじめに見るかな」まで、乳母の詞。「いつしか」は早く早くの意。4.5.6
注釈617こそ頼みきこえつれ「こそ」係助詞。「つれ」完了の助動詞、已然形、係結び、逆接用法で、下文に続く。4.5.6
注釈618いとどほけられて「られ」自発の助動詞。以下、入道の源氏が去って以後の日常の様子。4.5.7
注釈619数珠の行方も知らずなりにけり入道の詞。4.5.7
注釈620行道するものは「は」係助詞、区別・強調のニュアンス。『集成』は「一念発起、月夜に庭に出て行道したまではよかったが、なんと遣水にころげ込んでしまった」。『完訳』は「「--するものは--けり」は、これはしたり、と揶揄する語法」、「月夜に出て行道しようとしたところ、これはしたり、遣水の中にころげ落ちるという始末なのであった」と訳す。4.5.8
校訂58 ものの ものの--*物 4.5.6
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渋谷栄一校訂(C)
Last updated 9/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 6/14/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2003年7月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2006年1月6日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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