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第十三帖 明石
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13 AKASI (Ohoshima-bon)
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光る源氏の二十七歳春から二十八歳秋まで、明石の浦の別れと政界復帰の物語
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Tale of Hikaru-Genji's parting and comeback, from March at the age of 27 to in fall at the age of 28
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5 |
第五章 光る源氏の物語 帰京と政界復帰の物語
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5 Tale of Hikaru-Genji Comeback to Kyoto and political world
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5.1 |
第一段 難波の御祓い
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5-1 Shinto-Purification at Naniwa
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5.1.1 |
君は、難波の方に渡りて御祓へしたまひて、住吉にも、 平らかにて、いろいろの願果たし申すべきよし、 御使して申させたまふ。にはかに 所狭うて、みづからはこのたびえ詣でたまはず、ことなる御逍遥などなくて、急ぎ 入りたまひぬ。
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君は、難波の方面に渡ってお祓いをなさって、住吉の神にも、お蔭で無事であったので、改めていろいろと願ほどき申し上げる旨を、お使いの者に申させなさる。急に大勢の供回りとなったので、ご自身は今回はお参りすることがおできになれず、格別のご遊覧などもなくて、急いで京にお入りになった。
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源氏は浪速に船を着けて、そこで祓いをした。住吉の神へも無事に帰洛の日の来た報告をして、幾つかの願を実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣しなかった。途中の見物などもせずにすぐに京へはいったのであった。
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Kimi ha, Naniha no kata ni watari te ohom-harahe si tamahi te, Sumiyosi ni mo, tahiraka ni te, iroiro no gwan hatasi mausu beki yosi, ohom-tukahi si te mausa se tamahu. Nihakani tokoroseu te, midukara ha konotabi e maude tamaha zu, koto naru ohom-seuyeu nado naku te, isogi iri tamahi nu.
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5.1.2 |
二条院に おはしまし着きて、都の人も、 御供の人も、夢の心地して行き合ひ、 喜び泣きどもゆゆしきまで立ち騷ぎたり。
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二条院にお着きあそばして、都の人も、お供の人も、夢のような心地がして再会し、喜んで泣くのも縁起が悪いくらいまで大騷した。
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二条の院へ着いた一行の人々と京にいた人々は夢心地で逢い、夢心地で話が取りかわされた。喜び泣きの声も騒がしい二条の院であった。
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Nideunowin ni ohasimasi tuki te, miyako no hito mo, ohom-tomo no hito mo, yume no kokoti si te yukiahi, yorokobinaki-domo yuyusiki made tati-sawagi tari.
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5.1.3 |
女君も、 かひなきものに思し捨てつる命、うれしう 思さるらむかし ★。いとうつくしげにねびととのほりて、御もの思ひのほどに、所狭かりし御髪のすこし へがれたるしも、いみじうめでたきを、「 今はかくて見るべきぞかし」と、御心落ちゐるにつけては、また、 かの飽かず別れし人の思へりしさま、心苦しう 思しやらる。 なほ世とともに、かかる方にて御心の暇ぞなきや。
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女君も、生きていても甲斐ないとまでお思い棄てていた命、嬉しくお思いのことであろう。とても美しくご成人なさって、ご苦労の間に、うるさいほどあったお髪が少し減ったのも、かえってたいそう素晴らしいのを、「今はもうこうして毎日お会いできるのだ」と、お心が落ち着くにつけて、また一方では、心残りの別れをしてきた人が悲しんでいた様子、痛々しくお思いやらずにはいられない。やはり、いつになっても、このような方面では、お心の休まる時のないことよ。
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紫夫人も生きがいなく思っていた命が、今日まであって、源氏を迎ええたことに満足したことであろうと思われる。美しかった人のさらに完成された姿を二年半の時間ののちに源氏は見ることができたのである。寂しく暮らした間に、あまりに多かった髪の量の少し減ったまでもがこの人をより美しく思わせた。こうしてこの人と永久に住む家へ帰って来ることができたのであると、源氏の心の落ち着いたのとともに、またも別離を悲しんだ明石の女がかわいそうに思いやられた。源氏は恋愛の苦にどこまでもつきまとわれる人のようである。
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Womnagimi mo, kahinaki mono ni obosi sute turu inoti, uresiu obosa ru ram kasi. Ito utukusige ni nebi totonohori te, ohom-monoomohi no hodo ni, tokorosekari si migusi no sukosi hegare taru simo, imiziu medetaki wo, "Ima ha kakute miru beki zo kasi." to, mikokoro oti wiru ni tuke te ha, mata, kano aka zu wakare si hito no omohe ri si sama, kokorogurusiu obosiyara ru. Naho yo to tomoni, kakaru kata nite mikokoro no itoma zo naki ya!
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5.1.4 |
その人のことどもなど聞こえ出でたまへり。 思し出でたる御けしき浅からず見ゆるを、 ただならずや見たてまつりたまふらむ、わざとならず、「 ▼ 身をば思はず」など、ほのめかしたまふぞ、をかしうらうたく思ひきこえたまふ。 ▼ かつ、「見るにだに飽かぬ御さまを、 いかで隔てつる年月ぞ」と、あさましきまで思ほすに、取り返し、 世の中もいと恨めしうなむ。
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その女のことなどをお話し申し上げなさった。お思い出しになるご様子が一通りのお気持ちでなく見えるので、並々のご愛着ではないと拝見するのであろうか、さりげなく、「わたしの身の上は思いませんが」などと、ちらっと嫉妬なさるのが、しゃれていていじらしいとお思い申し上げなさる。また一方で、「見ていてさえ見飽きることのないご様子を、どうして長い年月会わずにいられたのだろうか」と、信じられないまでの気持ちがするので、今さらながら、まことに世の中が恨めしく思われる。
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源氏は夫人に明石の君のことを話した。女王はどう感じたか、恨みを言うともなしに「身をば思はず」(忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな)などとはかなそうに言っているのを、美しいとも可憐であるとも源氏は思った。見ても見ても見飽かぬこの人と別れ別れにいるようなことは何がさせたかと思うと今さらまた恨めしかった。
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Sono hito no koto-domo nado kikoye ide tamahe ri. Obosi ide taru mikesiki asakara zu miyuru wo, tada nara zu ya mi tatematuri tamahu ram, wazato nara zu, "Mi wo ba omoha zu" nado, honomekasi tamahu zo, wokasiu rautaku omohi kikoye tamahu. Katu, "Miru ni dani aka nu ohom-sama wo, ikade hedate turu tosituki zo." to, asamasiki made omohosu ni, torikahesi, yononaka mo ito uramesiu nam.
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5.1.5 |
ほどもなく、元の御位あらたまりて、員より外の権大納言になりたまふ。 次々の人も、さるべき限りは元の官返し賜はり、世に許さるるほど、枯れたりし木の春にあへる心地して、いとめでたげなり。
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まもなく、元のお位に復して、員外の権大納言におなりになる。以下の人々も、しかるべき者は皆元の官を返し賜わり、世に復帰するのは、枯れていた木が春にめぐりあった有様で、たいそうめでたい感じである。
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間もなく源氏は本官に復した上、権大納言も兼ねる辞令を得た。侍臣たちの官位もそれぞれ元にかえされたのである。枯れた木に春の芽が出たようなめでたいことである。
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Hodo mo naku, moto no ohom-kurawi aratamari te, kazu yori hoka no Gon-no-Dainagon ni nari tamahu. Tugitugi no hito mo, sarubeki kagiri ha moto no tukasa kahesi tamahari, yo ni yurusa ruru hodo, kare tari si ki no haru ni ahe ru kokoti si te, ito medetage nari.
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出典16 |
身をば思はず |
忘らるる身をば思はず誓ひてし人の命の惜しくもあるかな |
拾遺集恋四-八七〇 右近 |
5.1.4 |
出典17 |
かつ、「見るにだに飽かぬ |
陸奥の安積の沼の花かつみかつ見る人に恋ひやわたらむ |
古今集恋四-六七七 読人しらず |
5.1.4 |
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5.2 |
第二段 源氏、参内
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5-2 Genji goes to Dairi to meet Mikado
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5.2.1 |
召しありて、内裏に参りたまふ。御前にさぶらひたまふに、 ねびまさりて、「 いかで、さるものむつかしき住まひに年経たまひつらむ」と見たてまつる。女房などの、 院の御時さぶらひて、老いしらへるどもは、悲しくて、今さらに泣き騒ぎめできこゆ。
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お召しがあって、参内なさる。御前に伺候していられると、いよいよ立派になられて、「どうしてあのような辺鄙な土地で、長年お暮らしになったのだろう」と拝見する。女房などの中で、故院の御在世中にお仕えして、年老いた連中は、悲しくて、今さらのように泣き騒いでお褒め申し上げる。
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お召しがあって源氏は参内した。お常御殿に上がると、源氏のさらに美しくなった姿をあれで田舎住まいを長くしておいでになったのかと人は驚いた。前代から宮中に奉仕していて、年を取った女房などは、悲しがって今さらまた泣き騒いでいた。
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Mesi ari te, Uti ni mawiri tamahu. Omahe ni saburahi tamahu ni, nebi masari te, "Ikade, saru mono-mutukasiki sumahi ni tosi he tamahi tu ram?" to mi tatematuru. Nyoubau nado no, Win no ohom-toki saburahi te, oyisiraheru-domo ha, kanasiku te, imasara ni naki sawagi mede kikoyu.
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5.2.2 |
主上も、恥づかしうさへ思し召されて、御よそひなどことに引きつくろひて出でおはします。御心地、例ならで、日ごろ経させたまひければ、いたう衰へさせたまへるを、昨日今日ぞ、すこしよろしう思されける。御物語しめやかにありて、夜に入りぬ。
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主上も、恥ずかしくまで思し召されて、御装束なども格別におつくろいになってお出ましになる。お加減が、すぐれない状態で、ここ数日おいであそばしたので、ひどくお弱りあそばしていらっしゃったが、昨日今日は、少しよろしくお感じになるのであった。お話をしみじみとなさって、夜に入った。
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帝も源氏にお逢いになるのを晴れがましく思召されて、お身なりなどをことにきれいにあそばしてお出ましになった。ずっと御病気でおありになったために、衰弱が御見えになるのであるが、昨今になって陛下の御気分はおよろしかった。しめやかにお話をあそばすうちに夜になった。
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Uhe mo, hadukasiu sahe obosimesa re te, ohom-yosohi nado koto ni hiki-tukurohi te ide ohasimasu. Mikokoti, rei nara de, higoro he sase tamahi kere ba, itau otorohe sase tamahe ru wo, kinohu kehu zo, sukosi yorosiu obosa re keru. Ohom-monogatari simeyaka ni ari te, yoru ni iri nu.
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5.2.3 |
十五夜の月おもしろう静かなるに、昔のこと、 かき尽くし思し出でられて ★、しほたれさせたまふ。 もの心細く思さるるなるべし。
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十五夜の月が美しく静かなので、昔のことを、一つ一つ自然とお思い出しになられて、お泣きあそばす。何となく心細くお思いあそばさずにはいられないのであろう。
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十五夜の月の美しく静かなもとで昔をお忍びになって帝はお心をしめらせておいでになった。お心細い御様子である。
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Zihugoya no tuki omosirou siduka naru ni, mukasi no koto, kaki-tukusi obosi ide rare te, sihotare sase tamahu. Mono-kokorobosoku obosa ruru naru besi.
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5.2.4 |
「 遊びなどもせず、昔聞きし物の音なども聞かで、久しうなりにけるかな」
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「管弦の催しなどもせず、昔聞いた楽の音なども聞かないで、久しくなってしまったな」
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「音楽をやらせることも近ごろはない。あなたの琴の音もずいぶん長く聞かなんだね」
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"Asobi nado mo se zu, mukasi kiki si mono no ne nado mo kika de, hisasiu nari ni keru kana!"
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5.2.5 |
とのたまはするに、
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と仰せになるので、
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と仰せられた時、
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to notamahasuru ni,
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5.2.6 |
「 わたつ海にしなえうらぶれ蛭の児の ★ 脚立たざりし年は経にけり」 |
「海浜でうちしおれて落ちぶれながら蛭子のように 立つこともできず三年を過ごして来ました」 |
わたつみに沈みうらぶれひるの子の 足立たざりし年は経にけり
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"Watatumi ni sinaye urabure hirunoko no asi tata zari si tosi ha he ni keri |
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5.2.7 |
と聞こえたまへり。いとあはれに心恥づかしう思されて、
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とお応え申し上げなさった。とても胸をうち心恥しく思わずにはいらっしゃれないで、
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と源氏が申し上げると、帝は兄君らしい憐みと、君主としての過失をみずからお認めになる情を優しくお見せになって、
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to kikoye tamahe ri. Ito ahare ni kokorohadukasiu obosa re te,
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5.2.8 |
「 宮柱めぐりあひける時しあれば 別れし春の恨み残すな」 |
「こうしてめぐり会える時があったのだから あの別れた春の恨みはもう忘れてください」 |
宮ばしらめぐり逢ひける時しあれば 別れし春の恨み残すな
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"Miyabasira meguriahi keru toki si are ba wakare si haru no urami nokosu na |
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5.2.9 |
いとなまめかしき御ありさまなり。
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実に優美な御様子である。
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と仰せられた。艶な御様子であった。
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Ito namamekasiki ohom-arisama nari.
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5.2.10 |
院の御ために、八講行はるべきこと、まづ 急がせたまふ。春宮を見たてまつりたまふに、こよなくおよすげさせたまひて、 めづらしう思しよろこびたるを、限りなく あはれと見たてまつりたまふ。 御才もこよなくまさらせたまひて、世をたもたせたまはむに、憚りあるまじく、かしこく見えさせたまふ。
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故院の御追善供養のために、法華御八講を催しなさることを、何より先にご準備させなさる。東宮にお目にかかりなさると、すっかりと御成人あそばして、珍しくお喜びになっているのを、感慨無量のお気持ちで拝しなさる。御学問もこの上なくご上達になって、天下をお治めあそばすにも、何の心配もいらないように、ご立派にお見えあそばす。
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源氏は院の御為に法華経の八講を行なう準備をさせていた。東宮にお目にかかると、ずっとお身大きくなっておいでになって、珍しい源氏の出仕をお喜びになるのを、限りもなくおかわいそうに源氏は思った。学問もよくおできになって、御位におつきになってもさしつかえはないと思われるほど御聡明であることがうかがわれた。
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Win no ohom-tame ni, Ha'kau okonaha ru beki koto, madu isoga se tamahu. Touguu wo mi tatematuri tamahu ni, koyonaku oyosuge sase tamahi te, medurasiu obosi yorokobi taru wo, kagirinaku ahare to mi tatematuri tamahu. Ohom-zae mo koyonaku masara se tamahi te, yo wo tamota se tamaha m ni, habakari aru maziku, kasikoku miye sase tamahu.
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5.2.11 |
入道の宮にも、御心すこし静めて、御対面のほどにも、 あはれなることどもあらむかし。
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入道の宮にも、お心が少し落ち着いて、ご対面の折には、しみじみとしたお話がきっとあったであろう。
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少し日がたって気の落ち着いたころに御訪問した入道の宮ででも、感慨無量な御会談があったはずである。
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Nihudau-no-Miya ni mo, mikokoro sukosi sidume te, ohom-taimen no hodo ni mo, ahare naru koto-domo ara m kasi.
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注釈640 | 召しありて内裏に参りたまふ | 5.2.1 |
注釈641 | ねびまさりて | 5.2.1 |
注釈642 | いかでさるものむつかしき住まひに年経たまひつらむ | 5.2.1 |
注釈643 | 院の御時さぶらひて | 5.2.1 |
注釈644 | 主上も恥づかしう | 5.2.2 |
注釈645 | 十五夜の月おもしろう静かなるに | 5.2.3 |
注釈646 | かき尽くし思し出でられて | 5.2.3 |
注釈647 | もの心細く思さるるなるべし | 5.2.3 |
注釈648 | 遊びなどもせず | 5.2.4 |
注釈649 | わたつ海にしなえうらぶれ蛭の児の--脚立たざりし年は経にけり | 5.2.6 |
注釈650 | と聞こえたまへり | 5.2.7 |
注釈651 | 宮柱めぐりあひける時しあれば--別れし春の恨み残すな | 5.2.8 |
注釈652 | 急がせたまふ | 5.2.10 |
注釈653 | めづらしう思しよろこびたるを | 5.2.10 |
注釈654 | あはれと見たてまつりたまふ | 5.2.10 |
注釈655 | 御才もこよなくまさらせたまひて、世をたもたせたまはむに、憚りあるまじく、かしこく見えさせたまふ | 5.2.10 |
注釈656 | あはれなることどもあらむかし | 5.2.11 |
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出典18 |
蛭の児 |
かぞいろはいかにあはれと思ふらむ三年になりぬ足立たずして |
和漢朗詠下-六九七 大江朝綱 |
5.2.6 |
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5.3 |
第三段 明石の君への手紙、他
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5-3 Mail to Akashi-no-Kimi, and etc.
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5.3.1 |
まことや、かの明石には、 返る波に御文遣はす。 ひき隠して こまやかに書きたまふめり。
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そうそう、あの明石には、送って来た者たちの帰りにことづけて、お手紙をお遣はしになる。人目に立たないようにして情愛こまやかにお書きになるようである。
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源氏は明石から送って来た使いに手紙を持たせて帰した。夫人にはばかりながらこまやかな情を女に書き送ったのである。毎夜毎夜悲しく思っているのですか、
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Makoto ya, kano Akasi ni ha, kaheru nami ni ohom-humi tukahasu. Hiki-kakusi te komayaka ni kaki tamahu meri.
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5.3.2 |
「 波のよるよるいかに、
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「波の寄せる夜々は、どのように、
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"Nami no yoru yoru ikani?
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5.3.3 |
嘆きつつ明石の浦に朝霧の 立つやと人を思ひやるかな」 |
お嘆きになりながら暮らしていらっしゃる明石の浦に 嘆きの息が朝霧となって立ちこめているのではないかと想像しています」 |
歎きつつ明石の浦に朝霧の 立つやと人を思ひやるかな
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Nageki tutu Akasinoura ni asagiri no tatu ya to hito wo omohiyaru kana |
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5.3.4 |
かの帥の娘五節、 あいなく、人知れぬもの思ひさめぬる心地して、 まくなぎつくらせてさし置かせけり。
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あの大宰帥の娘の五節は、どうにもならないことだが、人知れずご好意をお寄せ申していたのもさめてしまった感じがして、目くばせさせて置いて行かせたのであった。
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こんな内容であった。大弐の娘の五節は、一人でしていた心の苦も解消したように喜んで、どこからとも言わせない使いを出して、二条の院へ歌を置かせた。
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Kano Soti no musume Goseti, ainaku, hito sire nu mono-omohi same nuru kokoti si te, makunagi tukura se te, sasi-oka se keri.
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5.3.5 |
「 須磨の浦に心を寄せし舟人の やがて朽たせる袖を見せばや」 |
「須磨の浦で好意をお寄せ申した舟人が そのまま涙で朽ちさせてしまった袖をお見せ申しとうございます」 |
須磨の浦に心を寄せし船人の やがて朽たせる袖を見せばや
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"Sumanoura ni kokoro wo yose si hunabito no yagate kutase ru sode wo mise baya |
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5.3.6 |
「 手などこよなくまさりにけり」と、見おほせたまひて、遣はす。
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「筆跡などもたいそう上手になったな」と、お見抜きになって、お遣わしになる。
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字は以前よりずっと上手になっているが、五節に違いないと源氏は思って返事を送った。
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"Te nado koyonaku masari ni keri." to, mi ohose tamahi te, tukahasu.
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5.3.7 |
「 帰りてはかことやせまし寄せたりし ★ 名残に袖の干がたかりしを」 |
「かえってこちらこそ愚痴を言いたいくらいです、ご好意を寄せていただいて それ以来涙に濡れて袖が乾かないものですから」 |
かへりてはかごとやせまし寄せたりし 名残に袖の乾がたかりしを
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"Kaherite ha kakoto ya se masi yose tari si nagori ni sode no hi gatakari si wo |
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5.3.8 |
「飽かずをかし」と思しし名残なれば、おどろかされたまひて、いとど思し出づれど、 このごろは、さやうの御振る舞ひ、さらに つつみたまふめり。
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「いかにもかわいい」とお思いになった昔の思い出もあるので、はっとびっくりさせられなさって、ますますいとしくお思い出しになるが、最近は、そのようなお忍び歩きはまったく慎んでいらっしゃるようである。
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源氏はずいぶん好きであった女であるから、誘いかけた手紙を見ては訪ねたい気がしきりにするのであるが、当分は不謹慎なこともできないように思われた。
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"Aka zu wokasi" to obosi si nagori nare ba, odorokasa re tamahi te, itodo obosi idure do, konogoro ha, sayau no ohom-hurumahi, sarani tutumi tamahu meri.
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5.3.9 |
花散里などにも、ただ御消息などばかりにて、おぼつかなく、なかなか恨めしげなり。
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花散里などにも、ただお手紙などばかりなので、心もとなく思われて、かえって恨めしい様子である。
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花散里などへも手紙を送るだけで、逢いには行こうとしないのであったから、かえって京に源氏のいなかったころよりも寂しく思っていた。
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Hanatirusato nado ni mo, tada ohom-seusoko nado bakari nite, obotukanaku, nakanaka uramesige nari.
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出典19 |
帰りては |
いたづらに立ち返りにし白波の名残に袖のひる時もなし |
後撰集恋四-八八四 藤原朝忠 |
5.3.7 |
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Last updated 9/21/2010(ver.2-3) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 9/27/2009(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 6/14/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 9/27/2009 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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