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第十四帖 澪標
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14 MIWOTUKUSI (Ohoshima-bon)
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光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語
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Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29
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2 |
第二章 明石の物語 明石の姫君誕生
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2 Tale of Akashi A baby girl is born in Akashi
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2.1 |
第一段 宿曜の予言と姫君誕生
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2-1 Divination and birth of a girl
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2.1.1 |
まことや、「かの明石に、 心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも 訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて、
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そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。早く帰って参って、
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源氏は明石の君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
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Makoto ya, "Kano Akasi ni, kokorogurusige nari si koto ha ikani?" to, obosi wasururu toki nakere ba, ohoyake, watakusi isogasiki magire ni, e obosu mama ni mo toburahi tamaha zari keru wo, yayohi no tuitati no hodo, "Kono koro ya?" to obosiyaru ni, hitosirezu ahare ni te, ohom-tukahi ari keri. Toku kaheri mawiri te,
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2.1.2 |
「 十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ」
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「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」
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「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
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"Zihurokuniti ni nam. Womna nite, tahiraka ni monosi tamahu."
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2.1.3 |
と告げきこゆ。 めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろかならず。「 などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。
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とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
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という報せを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。
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to tuge kikoyu. Medurasiki sama nite sahe a' naru wo obosu ni, oroka nara zu. "Nadote, kyau ni mukahe te, kakaru koto wo mo se sase zari kem?" to, kutiwosiu obosa ru.
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2.1.4 |
宿曜に、
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宿曜の占いで、
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源氏の運勢を占って、
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Sukuyeu ni,
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2.1.5 |
「 御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし ★」
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「お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
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子は三人で、帝と后が生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。
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"Miko samnin. Mikado, Kisaki kanarazu narabi te mumare tamahu besi. Naka no otori ha, Daizyaudaizin nite kurawi wo kiwamu besi."
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2.1.6 |
と、 勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり。 おほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。みづからも、「 もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。
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と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
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また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人たちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座の栄誉を希わないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。
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to, kamgahe mausi tari si koto, sasite, kanahu na' meri. Ohokata, kami naki kurawi ni nobori, yo wo maturigoti tamahu beki koto, sabakari kasikokari si amata no saunin-domo no kikoye atume taru wo, tosigoro ha yo no wadurahasisa ni mina obosi keti turu wo, Taudai no kaku kurawi ni kanahi tamahi nuru koto wo, omohi no goto uresi to obosu. Midukara mo, "Mote-hanare tamahe ru sudi ha, sarani aru maziki koto." to obosu.
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2.1.7 |
「 あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、 宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」
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「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
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多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。
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"Amata no Miko-tati no naka ni, sugurete rautaki mono ni obosi tari sika do, tadaudo ni obosi oki te keru mikokoro wo omohu ni, sukuse tohokari keri. Uti no kaku te ohasimasu wo, araha ni hito no siru koto nara ne do, Saunin no koto munasikara zu."
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2.1.8 |
と、御心のうちに思しけり。今、行く末のあらましごとを思すに、
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と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、
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源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。后が一人自分から生まれるということに明石の報せが符合することから、
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to, mikokoro no uti ni obosi keri. Ima, yukusuwe no aramasigoto wo obosu ni,
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2.1.9 |
「 住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、 かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて 生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。 このほど過ぐして迎へてむ」
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「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」
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住吉の神の庇護によってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎で生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、
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"Sumiyosi-no-Kami no sirube, makoto ni kano hito mo yo ni nabete nara nu sukuse nite, higahigasiki oya mo oyobinaki kokoro wo tukahu ni ya ari kem? Saru nite ha, kasikoki sudi ni mo naru beki hito no, ayasiki sekai nite mumare tara m ha, itohosiu katazikenaku mo aru beki kana! Kono hodo sugusi te mukahe te m."
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2.1.10 |
と思して、 東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ。
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とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
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しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。
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to obosi te, Himgasinowin, isogi tukurasu beki yosi, moyohosi ohose tamahu.
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2.2 |
第二段 宣旨の娘を乳母に選定
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2-2 Genji elects a nurse for his daughter
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2.2.1 |
さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、 故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、 かすかなる世に経けるが、 はかなきさまにて子産みたりと、 聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでに まねびきこえける人召して、 さるべきさまにのたまひ契る。
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あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
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明石のような田舎に相当な乳母がありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨という女の娘で父は宮内卿宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、その噂を伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へ赴くことの交渉を始めさせた。
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Saru tokoro ni, hakabakasiki hito si mo ari gatakara m wo obosi te, ko-Win ni saburahi si Senzi no musume, Kunaikyau-no-Saisyau nite nakunari ni si hito no ko nari si wo, haha nado mo use te, kasuka naru yo ni he keru ga, hakanaki sama ni te ko umi tari to, kikosimesi tuke taru wo, siru tayori ari te, koto no tuide ni manebi kikoye keru hito mesi te, sarubeki sama ni notamahi tigiru.
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2.2.2 |
まだ若く、 何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、 参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、 出だし立てたまふ。
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まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
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この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しい荒ら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでから焦れていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
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Mada wakaku, nanigokoro mo naki hito nite, akekure hito sire nu abaraya ni, nagamuru kokorobososa nare ba, hukau mo omohi tadora zu, kono ohom-atari no koto wo hitoheni medetau omohi kikoye te, mawiru beki yosi mausa se tari. Ito ahare ni katuha obosi te, idasitate tamahu.
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2.2.3 |
もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。 さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、
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外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
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外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶していた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
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Mono no tuide ni, imiziu sinobi magire te ohasimai tari. Saha kikoye nagara, ikani se masi to omohi midare keru wo, ito katazikenaki ni, yorodu omohi nagusame te,
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2.2.4 |
「ただ、のたまはせむままに」
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「ただ、仰せのとおりに」
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「御意のとおりにいたします」
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"Tada, notamahase m mama ni."
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2.2.5 |
と聞こゆ。吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、
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と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
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と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
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to kikoyu. Yorosiki hi nari kere ba, isogasi tate tamahi te,
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2.2.6 |
「 あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」
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「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
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「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすれば馴れてしまうよ」
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"Ayasiu, omohiyari naki yau nare do, omohu sama koto naru koto nite nam. Midukara mo oboye nu sumahi ni musubohore tari si tamesi wo omohi yosohe te, sibasi nenzi tamahe."
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2.2.7 |
など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。
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などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
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と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。
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nado, koto no ari yau kuhasiu katarahi tamahu.
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2.2.8 |
主上の宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「 いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。 とかく戯れたまひて、
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主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、
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母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌が衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木なども繁りほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談を言ったりするのにもおもしろい相手であった。
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Uhe no miyadukahe tokidoki se sika ba, mi tamahu wori mo ari si wo, itau otorohe ni keri. Ihe no sama mo ihisirazu are madohi te, sasuga ni, ohoki naru tokoro no, kodati nado utomasige ni, "Ikade sugusi tu ram?" to miyu. Hito no sama, wakayaka ni wokasikere ba, goranzi hanata re zu. Tokaku tahabure tamahi te,
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2.2.9 |
「 取り返しつべき心地こそすれ。いかに」
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「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」
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「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
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"Torikahesi tu beki kokoti koso sure. Ikani?"
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2.2.10 |
とのたまふにつけても、「 げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。
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とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
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と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
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to notamahu ni tuke te mo, "Geni, onaziu ha, ohom-mi tikau mo tukaumaturi nare ba, uki mi mo nagusami na masi." to mi tatematuru.
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2.2.11 |
「 かねてより隔てぬ仲とならはねど 別れは惜しきものにぞありける ★ |
「以前から特に親しい仲であったわけではないが 別れは惜しい気がするものであるよ |
「かねてより隔てぬ中とならはねど 別れは惜しきものにぞありける
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"Kanete yori hedate nu naka to naraha ne do wakare ha wosiki mono ni zo ari keru |
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2.2.12 |
慕ひやしなまし」
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追いかけて行こうかしら」
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いっしょに行こうかね」
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sitahi ya si na masi."
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2.2.13 |
とのたまへば、うち笑ひて、
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とおっしゃると、にっこりして、
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と源氏が言うと、女は笑って、
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to notamahe ba, uti-warahi te,
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2.2.14 |
「 うちつけの別れを惜しむかことにて 思はむ方に慕ひやはせぬ」 |
「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて 恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか」 |
うちつけの別れを惜しむかごとにて 思はん方に慕ひやはせぬ
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"Utituke no wakare wo wosimu kakoto nite omoha m kata ni sitahi ya ha se nu |
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2.2.15 |
馴れて聞こゆるを、いたしと思す。
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物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
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と冷やかしもした。
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Nare te kikoyuru wo, itasi to obosu.
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2.3 |
第三段 乳母、明石へ出発
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2-3 Nurse starts to Akashi
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2.3.1 |
車にてぞ京のほどは行き離れける。いと親しき人さし添へたまひて、 ゆめ漏らすまじく ★、口がためたまひて遣はす。御佩刀、さるべきものなど、所狭きまで思しやらぬ隈なし。乳母にも、ありがたうこまやかなる御いたはりのほど、浅からず。
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車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。
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京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母は送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。
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Kuruma nite zo kyau no hodo ha yuki hanare keru. Ito sitasiki hito sasi-sohe tamahi te, yume morasu maziku, kutigatame tamahi te tukahasu. Mihakasi, sarubeki mono nado, tokoroseki made obosiyara nu kuma nasi. Menoto ni mo, arigatau komayaka naru ohom-itahari no hodo, asakara zu.
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2.3.2 |
入道の思ひ かしづき思ふらむありさま、思ひやるも、ほほ笑まれたまふこと 多く、また、あはれに心苦しうも、ただこのことの御心にかかるも、 浅からぬにこそは。 御文にも、「 おろかにもてなし思ふまじ」と、返す返すいましめたまへり。
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入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
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源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返し誡めてあった。
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Nihudau no omohi kasiduki omohu ram arisama, omohi-yaru mo, hohowema re tamahu koto ohoku, mata, ahare ni kokorogurusiu mo, tada kono koto no mikokoro ni kakaru mo, asakara nu ni koso ha. Ohom-humi ni mo, "Oroka ni motenasi omohu mazi." to, kahesugahesu imasime tamahe ri.
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2.3.3 |
「 いつしかも袖うちかけむをとめ子が ★ 世を経て撫づる岩の生ひ先 ★」 |
「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい 天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って」 |
いつしかも袖うちかけんをとめ子が 世をへて撫でん岩のおひさき
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"Itusika mo sode uti-kake m wotomego ga yo wo he te naduru iha no ohisaki |
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2.3.4 |
津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、急ぎ行き着きぬ。
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摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
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こんな歌も送ったのである。摂津の国境までは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。
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Tu-no-kuni made ha hune nite, sore yori anata ha muma nite, isogi iki tuki nu.
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2.3.5 |
入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること、限りなし。そなたに向きて拝みきこえて、ありがたき御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。
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入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
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入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。
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Nihudau matitori, yorokobi kasikomari kikoyuru koto, kagiri nasi. Sonata ni muki te ogami kikoye te, arigataki mikokorobahe wo omohu ni, iyoiyo itahasiu, osorosiki made omohu.
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2.3.6 |
稚児のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。「 げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり」と見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさめにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、扱ひきこゆ。
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幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
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そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明な源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。
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Tigo no ito yuyusiki made utukusiu ohasuru koto, taguhi nasi. "Geni, kasikoki mikokoro ni, kasiduki kikoye m to obosi taru ha, mube nari keri." to mi tatematuru ni, ayasiki miti ni idetati te, yume no kokoti si turu nageki mo same ni keri. Ito utukusiu rautau oboye te, atukahi kikoyu.
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2.3.7 |
子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、 御使にも二なきさまの心ざしを尽くす。 とく参りなむと急ぎ苦しがれば、思ふことどもすこし聞こえ続けて、
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子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、
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若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
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Komoti-no-Kimi mo, tukigoro mono wo nomi omohi sidumi te, itodo yoware ru kokoti ni, iki tara m tomo oboye zari turu wo, kono ohom-okite no, sukosi monoomohi nagusame raruru ni zo, kasira motage te, ohom-tukahi ni mo ninaki sama no kokorozasi wo tukusu. Toku mawiri na m to isogi kurusigare ba, omohu koto-domo sukosi kikoye tuduke te,
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2.3.8 |
「 ひとりして撫づるは袖のほどなきに 覆ふばかりの蔭をしぞ待つ ★」 |
「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので 大きなご加護を期待しております」 |
一人して撫づるは袖のほどなきに 覆ふばかりの蔭をしぞ待つ
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"Hitori site naduru ha sode no hodo naki ni ohohu bakari no kage wo si zo matu |
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2.3.9 |
と聞こえたり。あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。
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と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。
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と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。
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to kikoye tari. Ayasiki made mikokoro ni kakari, yukasiu obosa ru.
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出典1 |
撫づる岩 |
君が世は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ |
拾遺集賀-二九九 読人しらず |
2.3.3 |
出典2 |
覆ふばかりの |
大空を覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ |
後撰集春中-六四 読人しらず |
2.3.8 |
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2.4 |
第四段 紫の君に姫君誕生を語る
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2-4 Genji tells a birth of his daughter to Murasaki
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2.4.1 |
女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを、 聞きあはせたまふこともこそ、と思して、
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女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
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夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
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Womnagimi ni ha, koto ni arahasi te wosawosa kikoye tamaha nu wo, kikiahase tamahu koto mo koso, to obosi te,
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2.4.2 |
「 さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざ なりや。さも おはせなむと思ふあたりには、 心もとなくて、思ひの外に、 口惜しくなむ。 女にてあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ」
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「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」
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「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
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"Sakoso a' nare. Ayasiu nediketaru waza nari ya! Samo ohase nam to omohu atari ni ha, kokoromotonaku te, omohi no hoka ni, kutiwosiku nam. Womna nite a' nare ba, ito koso monosikere. Tadune sira de mo ari nu beki koto nare do, saha e omohi sutu maziki waza nari keri. Yobi ni yari te mise tatematura m. Nikumi tamahu na yo."
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2.4.3 |
と聞こえたまへば、面うち赤みて、
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とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、
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to kikoye tamahe ba, omote uti-akami te,
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2.4.4 |
「 あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」
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「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
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「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
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"Ayasiu, tune ni kayau naru sudi notamahi tukuru kokoro no hodo koso, ware nagara utomasi kere. Mono-nikumi ha, itu narahu beki ni ka?"
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2.4.5 |
と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、
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とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
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と女王は怨んだ。
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to wenzi tamahe ba, ito yoku uti-wemi te,
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2.4.6 |
「 そよ。 誰がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」
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「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」
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「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度して恨んでいるから私としては悲しくなる」
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"Soyo. Taga narahasi ni ka ara m? Omoha zu ni zo miye tamahu ya. Hito no kokoro yori hoka naru omohiyari goto site, mono-wenzi nado si tamahu yo! Omohe ba kanasi."
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2.4.7 |
とて、果て果ては涙ぐみたまふ。 年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「 よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ。
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とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
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と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
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tote, hatehate ha namidagumi tamahu. Tosigoro aka zu kanasi to omohi kikoye tamahi si mikokoro no uti-domo, woriwori no ohom-humi no kayohi nado obosi iduru ni ha, "Yorodu no koto, susabi ni koso are." to omohiketa re tamahu.
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2.4.8 |
「 この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」
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「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
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「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
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"Kono hito wo, kau made omohiyari kototohu ha, naho omohu yau no haberu zo. Madaki ni kikoye ba, mata higakokoro e tamahu bekere ba."
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2.4.9 |
とのたまひさして、
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と言いさしなさって、
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とその話を続けずに、
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to notamahi sasi te,
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2.4.10 |
「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」
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「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
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「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
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"Hitogara no wokasikari si mo, tokorokara ni ya, medurasiu oboye ki kasi."
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2.4.11 |
など語りきこえたまふ。
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などと、お話し申し上げになる。
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などと子の母について語った。
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nado katari kikoye tamahu.
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2.4.12 |
あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、
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しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
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別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌の批評、名手らしい琴の弾きようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、
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Ahare nari si yuhube no keburi, ihi si koto nado, maho nara ne do, sono yo no katati hono-mi si, koto no ne no namameki tari si mo, subete mikokoro tomare ru sama ni notamahi iduru ni mo,
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2.4.13 |
「 われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」
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「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
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その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、
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"Ware ha mata naku koso kanasi to omohi nageki sika, susabi ni te mo, kokoro wo wake tamahi kem yo!"
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2.4.14 |
と、ただならず、思ひ続けたまひて、「 われは、われ」と、うち背き眺めて、 「あはれなりし世のありさま」など、独り言のやうにうち嘆きて、
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と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、
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仮にもせよ良人は心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息をしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、 「どんなに私は悲しかったろう」 歎息しながら独言のようにこう言ってから、
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to, tadanarazu, omohi tuduke tamahi te, "Ware ha, ware." to, uti-somuki nagame te, "Ahare nari si yo no arisama." nado, hitorigoto no yau ni uti-nageki te,
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2.4.15 |
「 思ふどちなびく方にはあらずとも われぞ煙に先立ちなまし」 |
「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って わたしは先に煙となって死んでしまいたい」 |
思ふどち靡く方にはあらずとも 我ぞ煙に先立ちなまし
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"Omohudoti nabiku kata ni ha ara zu tomo ware zo keburi ni sakidati na masi |
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2.4.16 |
「 何とか。心憂や。
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「何とおっしゃいます。嫌なことを。
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「何ですって、情けないじゃありませんか、
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"Nani to ka? Kokorou ya!
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2.4.17 |
誰れにより世を海山に行きめぐり 絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ |
いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって 止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか |
たれにより世をうみやまに行きめぐり 絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
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Tare ni yori yo wo umi yama ni yuki meguri taye nu namida ni uki sidumu mi zo |
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2.4.18 |
いでや、いかでか見えたてまつらむ。 命こそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、人に心おかれじと思ふも、 ただ一つゆゑぞや」
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さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
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そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたと永く幸福でいたいためじゃないのですか」
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Ideya, ikadeka miye tatematura m? Inoti koso kanahi gataka' bei mono na' mere. Hakanaki koto nite, hito ni kokorooka re zi to omohu mo, tada hitotu yuwe zo ya!"
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2.4.19 |
とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、 をかしう見どころありと思す。
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と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
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源氏は十三絃の掻き合わせをして、弾けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬はして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
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tote, sau no ohom-koto hikiyose te, kaki ahase susabi tamahi te, sosonokasi kikoye tamahe do, kano, sugure tari kem mo netaki ni ya, te mo hure tamaha zu. Ito ohodoka ni utukusiu, tawoyagi tamahe ru monokara, sasugani sihuneki tokoro tuki te, mono-wenzi si tamahe ru ga, nakanaka aigyauduki te haradati nasi tamahu wo, wokasiu midokoro ari to obosu.
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2.5 |
第五段 姫君の五十日の祝
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2-5 Celebration of fiftieth day from the birthday
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2.5.1 |
「 五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「 何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。 さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「 男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、 わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる。
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「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
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五月の五日が五十日の祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎で父のいぬ場所で生まれるとは憐れな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、后の望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。
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"Gogwati no ituka ni zo, ika ni ha ataru ram." to, hitosirezu kazohe tamahi te, yukasiu ahare ni obosiyaru. "Nanigoto mo, ikani kahi aru sama ni motenasi, uresikara masi. Kutiwosi no waza ya! Saru tokoro ni simo, kokorogurusiki sama nite, ideki taru yo!" to obosu. "Wotokogimi nara masika ba, kau simo mikokoro ni kake tamahu maziki wo, katazikenau itohosiu, waga ohom-sukuse mo, kono ohom-koto ni tuke te zo kataho nari keri." to obosa ruru.
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2.5.2 |
御使出だし立てたまふ。
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お使いの者をお立てになる。
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五十日のために源氏は明石へ使いを出した。
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Ohom-tukahi idasitate tamahu.
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2.5.3 |
「かならずその日違へずまかり着け」
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「必ずその日に違わずに到着せよ」
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「ぜひ当日着くようにして行け」
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"Kanarazu sono hi tagahe zu makari tuke!"
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2.5.4 |
とのたまへば、 五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。
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とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
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と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢な祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。
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to notamahe ba, ituka ni iki tuki nu. Obosiyaru koto mo, arigatau medetaki sama nite, mamemamesiki ohom-toburahi mo ari.
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2.5.5 |
「 海松や時ぞともなき蔭にゐて 何のあやめもいかにわくらむ |
「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の 五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか |
海松や時ぞともなきかげにゐて 何のあやめもいかにわくらん
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"Umimatu ya toki zo to mo naki kage ni wi te nani no ayame mo ikani waku ram? |
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2.5.6 |
心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」
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飛んで行きたい気持ちです。やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
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からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
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Kokoro no akugaruru made nam. Naho, kakute ha e sugusu maziki wo, omohitati tamahi ne. Saritomo, usirometaki koto ha, yomo."
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2.5.7 |
と書いたまへり。
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と書いてある。
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という手紙であった。
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to kai tamahe ri.
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2.5.8 |
入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、 生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。
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入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。
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入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。
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Nihudau, rei no, yorokobinaki si te wi tari. Kakaru wori ha, ike ru kahi mo tukuri ide taru, kotowari nari to miyu.
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2.5.9 |
ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、 闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この 女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。 をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、 巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。
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ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。
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明石でも式の用意は派手にしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母も明石の君の優しい気質に馴染んで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家の女もここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えに磨り尽くされたような年配の者が生活の苦から脱れるために田舎下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳の家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。
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Koko ni mo, yorodu tokoroseki made omohi-mauke tari kere do, kono ohom-tukahi naku ha, yami no yo nite koso kure nu bekari kere! Menoto mo, kono Womnagimi no ahare ni omohu yau naru wo, katarahibito nite, yo no nagusame ni si keri. Wosawosa otora nu hito mo, rui ni hure te mukahe tori te ara sure do, koyonaku otorohe taru miyadukahebito nado no, ihaho no naka tadunuru ga oti tomare ru nado koso are, kore ha, koyonau komeki omohiagare ri.
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2.5.10 |
聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、「 げに、かく ★思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけく」やうやう思ひなりけり。 御文ももろともに見て、心のうちに、
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聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、
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源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、
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Kiki dokoro aru yo no monogatari nado si te, Otodo-no-Kimi no ohom-arisama, yo ni kasiduka re tamahe ru ohom-oboye no hodo mo, womnagokoti ni makase te kagiri naku katari tukuse ba, "Geni, kaku obosi idu bakari no nagori todome taru mi mo, ito takeku" yauyau omohi nari keri. Ohom-humi mo morotomoni mi te, kokoro no uti ni,
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2.5.11 |
「 あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」
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「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」
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人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、
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"Ahare, kau koso omohi no hoka ni, medetaki sukuse ha ari kere! Uki mono ha waga mi koso ari kere."
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2.5.12 |
と、思ひ続けらるれど、「 乳母のことはいかに」など、こまやかに 訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。
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と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
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乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。
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to, omohi tuduke rarure do, "Menoto no koto ha ikani?" nado, komayaka ni toburaha se tamahe ru mo, katazikenaku, nanigoto mo nagusame keri.
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2.5.13 |
御返りには、
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お返事には、
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返事は、
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Ohom-kaheri ni ha,
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2.5.14 |
「 数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を 今日もいかにと問ふ人ぞなき |
「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を 今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません |
数ならぬみ島がくれに鳴く鶴を 今日もいかにと訪ふ人ぞなき
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"Kazu nara nu Misima gakure ni naku tadu wo kehu mo ikani to tohu hito zo naki |
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2.5.15 |
よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かく たまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」
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いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」
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いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
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Yorodu ni omou tamahe musubohoruru arisama wo, kaku tamasaka no ohom-nagusame ni kake haberu inoti no hodo mo, hakanaku nam. Geni, usiroyasuku omou tamahe oku waza mo gana."
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2.5.16 |
とまめやかに聞こえたり。
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と、心からお頼み申し上げた。
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というので、信頼した心持ちが現われていた。
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to mameyaka ni kikoye tari.
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2.6 |
第六段 紫の君、嫉妬を覚える
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2-6 Murasaki's jealousy
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2.6.1 |
うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、
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何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
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何度も同じ手紙を見返しながら、「かわいそうだ」と長く声を引いて独言を言っているのを、夫人は横目にながめて、
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Uti-kahesi mi tamahi tutu, "Ahare!" to, nagayaka ni hitorigoti tamahu wo, Womnagimi, sirime ni miokose te,
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2.6.2 |
「 ▼ 浦よりをちに漕ぐ舟の」
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「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」
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「浦より遠に漕ぐ船の」
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"Ura yori woti ni kogu hune no."
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2.6.3 |
と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、
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と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
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(我をば他に隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
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to, sinobiyaka ni hitorigoti, nagame tamahu wo,
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2.6.4 |
「 まことは、かくまでとりなしたまふよ。こは、ただ、かばかりのあはれぞや。所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き 過ぐいたまはね」
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「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけの愛情ですよ。土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
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「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息が口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
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"Makoto ha, kaku made torinasi tamahu yo! Koha, tada, kabakari no ahare zo ya! Tokoro no sama nado, uti-omohiyaru tokidoki, kisikata no koto wasure gataki hitorigoto wo, you koso kiki sugui tamaha ne."
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2.6.5 |
など、恨みきこえたまひて、上包ばかりを 見せたてまつらせたまふ。 筆などの ★いとゆゑづきて、 やむごとなき人苦しげなるを、「 かかればなめり」と、思す。
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などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
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などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女も恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
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nado, urami kikoye tamahi te, uhadutumi bakari wo mise tatematura se tamahu. Hude nado no ito yuweduki te, yamgotonaki hito kurusige naru wo, "Kakare ba na' meri." to, obosu.
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出典3 |
浦よりをちに漕ぐ舟の |
み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟の我をばよそに隔てつるかな |
新古今集恋一-一〇四八 伊勢 |
2.6.2 |
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Last updated 9/21/2010(ver.2-3) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 10/3/2009(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Latest updated 6/21/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 10/3/2009 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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