第十四帖 澪標


14 MIWOTUKUSI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29

2
第二章 明石の物語 明石の姫君誕生


2  Tale of Akashi  A baby girl is born in Akashi

2.1
第一段 宿曜の予言と姫君誕生


2-1  Divination and birth of a girl

2.1.1   まことや、「かの明石に心苦しげなりしことはいかに」と、思し忘るる時なければ、公、私いそがしき紛れに、え思すままにも 訪ひたまはざりけるを、三月朔日のほど、「このころや」と思しやるに、人知れずあはれにて、御使ありけり。とく帰り参りて、
 そうそう、「あの明石で、いたいたしい様子であったことはどうなったろうか」と、お忘れになる時もないので、公、私にわたる忙しさにまぎれ、思うようにお訪ねになれなかったのだが、三月の初めころに、「このごろだろうか」とお思いやりになると、人知れず胸が痛んで、お使いがあったのである。早く帰って参って、
 源氏は明石あかしの君の妊娠していたことを思って、始終気にかけているのであったが、公私の事の多さに、使いを出して尋ねることもできない。三月の初めにこのごろが産期になるはずであると思うと哀れな気がして使いをやった。
  Makoto ya, "Kano Akasi ni, kokorogurusige nari si koto ha ikani?" to, obosi wasururu toki nakere ba, ohoyake, watakusi isogasiki magire ni, e obosu mama ni mo toburahi tamaha zari keru wo, yayohi no tuitati no hodo, "Kono koro ya?" to obosiyaru ni, hitosirezu ahare ni te, ohom-tukahi ari keri. Toku kaheri mawiri te,
2.1.2  「 十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ
 「十六日でした。女の子で、ご無事でございます」
 「先月の十六日に女のお子様がお生まれになりました」
  "Zihurokuniti ni nam. Womna nite, tahiraka ni monosi tamahu."
2.1.3  と告げきこゆ。 めづらしきさまにてさへあなるを思すに、おろかならず。「 などて、京に迎へて、かかることをもせさせざりけむ」と、口惜しう思さる。
 とご報告する。久々の御子誕生でしかも女の子であったのをお思いになると、喜びは一通りでない。「どうして、京に迎えて、こうした事をさせなかったのだろう」と、後悔されてならない。
 というしらせを聞いた源氏は愛人によってはじめての女の子を得た喜びを深く感じた。なぜ京へ呼んで産をさせなかったかと残念であった。
  to tuge kikoyu. Medurasiki sama nite sahe a' naru wo obosu ni, oroka nara zu. "Nadote, kyau ni mukahe te, kakaru koto wo mo se sase zari kem?" to, kutiwosiu obosa ru.
2.1.4  宿曜に、
 宿曜の占いで、
 源氏の運勢を占って、
  Sukuyeu ni,
2.1.5  「 御子三人。帝、后かならず並びて生まれたまふべし。中の劣りは、太政大臣にて位を極むべし
 「お子様は三人。帝、后がきっと揃ってお生まれになるであろう。その中の一番低い子は太政大臣となって位人臣を極めるであろう」
 子は三人で、みかどきさきが生まれる、いちばん劣った運命の子は太政大臣で、人臣の位をきわめるであろう、その中のいちばん低い女が女の子の母になるであろうと言われた。
  "Miko samnin. Mikado, Kisaki kanarazu narabi te mumare tamahu besi. Naka no otori ha, Daizyaudaizin nite kurawi wo kiwamu besi."
2.1.6  と、 勘へ申したりしこと、さしてかなふなめりおほかた、上なき位に昇り、世をまつりごちたまふべきこと、さばかりかしこかりしあまたの相人どもの聞こえ集めたるを、年ごろは世のわづらはしさにみな思し消ちつるを、当帝のかく位にかなひたまひぬることを、思ひのごとうれしと思す。みづからも、「 もて離れたまへる筋は、さらにあるまじきこと」と思す。
 と、勘申したことが、一つ一つ的中するようである。おおよそ、この上ない地位に昇り、政治を執り行うであろうこと、あれほど賢明であったおおぜいの相人連中がこぞって申し上げていたのを、ここ数年来は世情のやっかいさにすっかりお打ち消しになっていらしたが、今上の帝が、このように御即位なされたことを、思いの通り嬉しくお思いになる。ご自身も「及びもつかない方面は、まったくありえないことだ」とお考えになる。
 また源氏が人臣として最高の位置を占めることも言われてあったので、それは有名な相人そうにんたちの言葉が皆一致するところであったが、逆境にいた何年間はそんなことも心に否定するほかはなかったのである。当帝が即位されたことは源氏にうれしかったが、自身の上に高御座たかみくらの栄誉をねがわないことは少年の日と少しも異なっていなかった。あるまじいことと思っている。
  to, kamgahe mausi tari si koto, sasite, kanahu na' meri. Ohokata, kami naki kurawi ni nobori, yo wo maturigoti tamahu beki koto, sabakari kasikokari si amata no saunin-domo no kikoye atume taru wo, tosigoro ha yo no wadurahasisa ni mina obosi keti turu wo, Taudai no kaku kurawi ni kanahi tamahi nuru koto wo, omohi no goto uresi to obosu. Midukara mo, "Mote-hanare tamahe ru sudi ha, sarani aru maziki koto." to obosu.
2.1.7  「 あまたの皇子たちのなかに、すぐれてらうたきものに思したりしかど、ただ人に思しおきてける御心を思ふに、 宿世遠かりけり。内裏のかくておはしますを、あらはに人の知ることならねど、相人の言むなしからず」
 「大勢の親王たちの中で、特別にかわいがってくださったが、臣下にとお考えになったお心を思うと、帝位には遠い運命であったのだ。主上がこのように皇位におつきあそばしているのを、真相は誰も知ることでないが、相人の予言は、誤りでなかった」
 多くの皇子たちの中にすぐれてお愛しになった父帝が人臣の列に自分をお置きになった御精神を思うと、自分の運と天位とは別なものであると思う源氏であった。
  "Amata no Miko-tati no naka ni, sugurete rautaki mono ni obosi tari sika do, tadaudo ni obosi oki te keru mikokoro wo omohu ni, sukuse tohokari keri. Uti no kaku te ohasimasu wo, araha ni hito no siru koto nara ne do, Saunin no koto munasikara zu."
2.1.8  と、御心のうちに思しけり。今、行く末のあらましごとを思すに、
 と、ご心中お思いになるのであった。今、これから先の予想をなさると、
 源氏は相人の言葉のよく合う実証として、今帝の御即位が思われた。きさきが一人自分から生まれるということに明石のしらせが符合することから、
  to, mikokoro no uti ni obosi keri. Ima, yukusuwe no aramasigoto wo obosu ni,
2.1.9  「 住吉の神のしるべ、まことにかの人も世になべてならぬ宿世にて、ひがひがしき親も及びなき心をつかふにやありけむ。さるにては、 かしこき筋にもなるべき人の、あやしき世界にて 生まれたらむは、いとほしうかたじけなくもあるべきかな。 このほど過ぐして迎へてむ」
 「住吉の神のお導き、本当にあの人も世にまたとない運命で、偏屈な父親も大それた望みを抱いたのであったろうか。そういうことであれば、恐れ多い地位にもつくはずの人が、鄙びた田舎でご誕生になったようなのは、お気の毒にもまた恐れ多いことでもあるよ。いましばらくしてから迎えよう」
 住吉すみよしの神の庇護ひごによってあの人も后の母になる運命から、父の入道が自然片寄った婿選びに身命を打ち込むほどの狂態も見せたのであろう。后の位になるべき人を田舎いなかで生まれさせたのはもったいない気の毒なことであると源氏は思って、
  "Sumiyosi-no-Kami no sirube, makoto ni kano hito mo yo ni nabete nara nu sukuse nite, higahigasiki oya mo oyobinaki kokoro wo tukahu ni ya ari kem? Saru nite ha, kasikoki sudi ni mo naru beki hito no, ayasiki sekai nite mumare tara m ha, itohosiu katazikenaku mo aru beki kana! Kono hodo sugusi te mukahe te m."
2.1.10  と思して、 東の院、急ぎ造らすべきよし、もよほし仰せたまふ
 とお考えになって、東の院、急いで修理せよとの旨、ご催促なさる。
 しばらくすれば京へ呼ぼうと思って、東の院の建築を急がせていた。
  to obosi te, Himgasinowin, isogi tukurasu beki yosi, moyohosi ohose tamahu.
注釈51まことやかの明石に「まことや」語り手の話題転換の常套語句。「かの明石に」以下「いかに」まで、源氏の心中。2.1.1
注釈52心苦しげなりしことはいかに明石の君の妊娠をさす。「六月ばかりより心苦しきけしきありてなやみけり」(明石)とあった。2.1.1
注釈53訪ひたまはざりけるを「を」接続助詞、逆接。お尋ね申し上げなかったのだが。2.1.1
注釈54十六日になむ。女にて、たひらかにものしたまふ使者の詞。三月十六日、明石の姫君誕生。「なむ」係助詞、結びの省略、文は切れる。2.1.2
注釈55めづらしきさまにてさへあなるを「さへ」副助詞、添加の意。『集成』は「安産の上に、珍しく女の子だという報告をお考えになると、源氏のお喜びは一通りではない。源氏には、冷泉院、夕霧と男子が続いている。それに加えて、女子を重んじた当時の貴族の考え方による」と注す。2.1.3
注釈56などて京に迎へて以下「せさせざりけむ」まで、源氏の心中。2.1.3
注釈57御子三人帝后かならず並びて生まれたまふべし中の劣りは太政大臣にて位を極むべし宿曜の勘申の詞。源氏には子が三人生まれ、そのうちの二人は、帝、后と皇位に並び立ち、その人たちより劣った人は太政大臣となり位人臣を極めるだろう、という予言。2.1.5
注釈58勘へ申したりしこと、さしてかなふなめり「し」過去の助動詞。源氏がかつて聞いたというニュアンス。今、初めて語られる。「なめり」連語、「なる」断定の助動詞、「めり」推量の助動詞、主観的推量、のようであるというニュアンス。源氏が合点しているように語る。2.1.6
注釈59おほかた上なき位に昇り世をまつりごちたまふべきこと相人たちの噂。「上なき位」は帝位をさす。「べき」推量の助動詞、当然・推量。確信に満ちた強い推量。きっと源氏は帝位につき政治を行うだろうという噂。2.1.6
注釈60もて離れたまへる筋はさらにあるまじきこと源氏の心中。「もてはなれたまへる筋」は皇位につくことをさす。「さらに」副詞、「まじき」打消の推量、連体形、と呼応して、全然ありえないだろうという意。2.1.6
注釈61あまたの皇子たちのなかに以下「むなしからず」まで、源氏の心中。2.1.7
注釈62宿世遠かりけり「宿世」は皇位をさす。『集成』は「皇位とは縁のない運命だったのだ」。『完訳』は「帝の位など自分には無縁だったのだ」と訳す。2.1.7
注釈63住吉の神のしるべ以下「迎へてむ」まで、源氏の心中。源氏、住吉の神の霊験と宿曜の予言を信じ、明石姫君の将来を考え都に迎えることを思う。2.1.9
注釈64かしこき筋にもなるべき人の「かしこき筋」は皇后をさす。「も」係助詞、強調。「べき」推量の助動詞、当然。2.1.9
注釈65生まれたらむは「たら」完了の助動詞、未然形。「む」推量の助動詞、婉曲。生まれたというようなのは。2.1.9
注釈66このほど過ぐして『完訳』は「新体制の一応の整備後に」と注す。2.1.9
注釈67東の院急ぎ造らすべきよしもよほし仰せたまふ『完訳』は「前に妻妾たちのためにとあったが、新たに姫君のたまにも必要」と注す。2.1.10
校訂9 たまふ たまふ--たま(ま/+ふ<朱>) 2.1.5
2.2
第二段 宣旨の娘を乳母に選定


2-2  Genji elects a nurse for his daughter

2.2.1   さる所に、はかばかしき人しもありがたからむを思して、 故院にさぶらひし宣旨の娘、宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを、母なども亡せて、 かすかなる世に経けるがはかなきさまにて子産みたりと、 聞こしめしつけたるを、知る便りありて、ことのついでに まねびきこえける人召してさるべきさまにのたまひ契る
 あのような所には、まともな乳母などもいないだろうことをお考えになって、故院にお仕えしていた宣旨の娘、宮内卿兼宰相で亡くなった人の子であるが、母親なども亡くなって、不如意な生活を送っていた人が、頼みにならない結婚をして子を生んだと、お耳になさっていたので、知るつてがあって、何かのついでにお話し申した女房を召し寄せて、しかるべくお話をおまとめになる。
 明石のような田舎に相当な乳母めのとがありえようとは思われないので、父帝の女房をしていた宣旨せんじという女の娘で父は宮内卿くないきょう宰相だった人であったが、母にも死に別れ、寂しい生活をするうちに恋愛関係から子供を生んだという話を近ごろ源氏は聞き、そのうわさを伝えた人を呼び出して、宰相の娘に、源氏の姫君の乳母として明石へおもむくことの交渉を始めさせた。
  Saru tokoro ni, hakabakasiki hito si mo ari gatakara m wo obosi te, ko-Win ni saburahi si Senzi no musume, Kunaikyau-no-Saisyau nite nakunari ni si hito no ko nari si wo, haha nado mo use te, kasuka naru yo ni he keru ga, hakanaki sama ni te ko umi tari to, kikosimesi tuke taru wo, siru tayori ari te, koto no tuide ni manebi kikoye keru hito mesi te, sarubeki sama ni notamahi tigiru.
2.2.2  まだ若く、 何心もなき人にて、明け暮れ人知れぬあばら家に、眺むる心細さなれば、深うも思ひたどらず、この御あたりのことをひとへにめでたう思ひきこえて、 参るべきよし申させたり。いとあはれにかつは思して、 出だし立てたまふ
 まだ若く、世情にも疎い人で、毎日訪れる人もないあばらやで、物思いに沈んでいるような心細さなので、あれこれ深く考えもせずに、この方に関係のあることを一途に素晴らしいとお思い申し上げて、確かにお仕えする旨、お答え申し上げさせた。たいそう不憫に一方ではお思いにもなるが、出発させなさる。
 この女はまだ若くて無邪気な性質から、寂しいあばら屋で物思いをばかりして暮らす朝夕の生活に飽いていて、深くも考えずに、源氏の縁のかかった所に生活のできることほどよいこともないようにこれまでからこがれていて、すぐに承諾して来た。源氏は田舎いなか下りをしてくれる宰相の娘を哀れに思って、いろいろと出立の用意をしてやっていた。
  Mada wakaku, nanigokoro mo naki hito nite, akekure hito sire nu abaraya ni, nagamuru kokorobososa nare ba, hukau mo omohi tadora zu, kono ohom-atari no koto wo hitoheni medetau omohi kikoye te, mawiru beki yosi mausa se tari. Ito ahare ni katuha obosi te, idasitate tamahu.
2.2.3   もののついでに、いみじう忍びまぎれておはしまいたり。 さは聞こえながら、いかにせましと思ひ乱れけるを、いとかたじけなきに、よろづ思ひ慰めて、
 外出の折に、たいそう人目を忍んでお立ち寄りになった。そうは申し上げたものの、どうしようかしらと、思い悩んでいたが、じきじきのお出ましに、いろいろと気もやすまって、
 外出したついでに源氏はそっとわが子の新しい乳母の家へ寄った。快諾を伝えてもらったのであるが、なお女はどうしようかと煩悶はんもんしていた所へ源氏みずからが来てくれたので、それで旅に出る心も慰んで、あきらめもついた。
  Mono no tuide ni, imiziu sinobi magire te ohasimai tari. Saha kikoye nagara, ikani se masi to omohi midare keru wo, ito katazikenaki ni, yorodu omohi nagusame te,
2.2.4  「ただ、のたまはせむままに」
 「ただ、仰せのとおりに」
 「御意のとおりにいたします」
  "Tada, notamahase m mama ni."
2.2.5  と聞こゆ。吉ろしき日なりければ、急がし立てたまひて、
 と申し上げる。日柄も悪くなかったので、急いで出発させなさって、
 と言っていた。ちょうど吉日でもあったのですぐに立たせることに源氏はした。
to kikoyu. Yorosiki hi nari kere ba, isogasi tate tamahi te,
2.2.6  「 あやしう、思ひやりなきやうなれど、思ふさま殊なることにてなむ。みづからもおぼえぬ住まひに結ぼほれたりし例を思ひよそへて、しばし念じたまへ」
 「変なことで、いたわりのないようですが、特別のわけがあってです。わたし自身も思わぬ地方で苦労したことを思いよそえて、しばらくの間しんぼうしてください」
 「同情がないようだけれど、私は将来に特別な考えもある子なのだからね、それに私も経験して来た土地の生活だから、そう思ってまあ初めだけしばらく我慢をすればれてしまうよ」
  "Ayasiu, omohiyari naki yau nare do, omohu sama koto naru koto nite nam. Midukara mo oboye nu sumahi ni musubohore tari si tamesi wo omohi yosohe te, sibasi nenzi tamahe."
2.2.7  など、ことのありやう詳しう語らひたまふ。
 などと、事の次第を詳しくお頼みになる。
 と源氏は明石の入道家のことをくわしく話して聞かせた。
  nado, koto no ari yau kuhasiu katarahi tamahu.
2.2.8  主上の宮仕へ時々せしかば、見たまふ折もありしを、いたう衰へにけり。家のさまも言ひ知らず荒れまどひて、さすがに、大きなる所の、木立など疎ましげに、「 いかで過ぐしつらむ」と見ゆ。人のさま、若やかにをかしければ、御覧じ放たれず。 とかく戯れたまひて
 主上付きの宮仕えを時々していたので、御覧になる機会もあったが、すっかりやつれきっていた。家のありさまも、何とも言いようがなく荒れはてて、それでも、大きな邸で、木立なども気味悪いほどで、「どのように暮らしてきたのだろう」と思われる。人柄は、若々しく美しいので、お見過ごしになれない。何やかやと冗談をなさって、
 母といっしょに父帝のおそばに来ていたこともあって、時々は見た顔であったが、以前に比べると容貌ようぼうが衰えていた。家の様子などもずいぶんひどい荒れ方になっている。さすがに広いだけは広いが気味悪く思われるほど木などもしげりほうだいになっていて、こんな家にどうして暮らしてきたかと思われるほどである。若やかで美しいたちの女であったから、源氏が戯談じょうだんを言ったりするのにもおもしろい相手であった。
  Uhe no miyadukahe tokidoki se sika ba, mi tamahu wori mo ari si wo, itau otorohe ni keri. Ihe no sama mo ihisirazu are madohi te, sasuga ni, ohoki naru tokoro no, kodati nado utomasige ni, "Ikade sugusi tu ram?" to miyu. Hito no sama, wakayaka ni wokasikere ba, goranzi hanata re zu. Tokaku tahabure tamahi te,
2.2.9  「 取り返しつべき心地こそすれ。いかに
 「明石にやらずに自分のほうに置いておきたい気がする。どう思いますか」
 「私は取り返したい気がする。遠くへなどおまえをやりたくない。どう」
  "Torikahesi tu beki kokoti koso sure. Ikani?"
2.2.10  とのたまふにつけても、「 げに、同じうは、御身近うも仕うまつり馴れば、憂き身も慰みなまし」と見たてまつる。
 とおっしゃるにつけても、「おっしゃるとおり、同じことなら、ずっとお側近くにお仕えさせていただけるものなら、わが身の不幸も慰みましようものを」と拝する。
 と言われて、直接源氏のそばで使われる身になれたなら、過去のどんな不幸も忘れることができるであろうと、物哀れな気持ちに女はなった。
  to notamahu ni tuke te mo, "Geni, onaziu ha, ohom-mi tikau mo tukaumaturi nare ba, uki mi mo nagusami na masi." to mi tatematuru.
2.2.11  「 かねてより隔てぬ仲とならはねど
   別れは惜しきものにぞありける
 「以前から特に親しい仲であったわけではないが
  別れは惜しい気がするものであるよ
 「かねてより隔てぬ中とならはねど
  別れは惜しきものにぞありける
    "Kanete yori hedate nu naka to naraha ne do
    wakare ha wosiki mono ni zo ari keru
2.2.12   慕ひやしなまし
 追いかけて行こうかしら」
 いっしょに行こうかね」
  sitahi ya si na masi."
2.2.13  とのたまへば、うち笑ひて、
 とおっしゃると、にっこりして、
 と源氏が言うと、女は笑って、
  to notamahe ba, uti-warahi te,
2.2.14  「 うちつけの別れを惜しむかことにて
   思はむ方に慕ひやはせぬ
 「口から出まかせの別れを惜しむことばにかこつけて
  恋しい方のいらっしゃる所にお行きになりませんか
  うちつけの別れを惜しむかごとにて
  思はん方に慕ひやはせぬ
    "Utituke no wakare wo wosimu kakoto nite
    omoha m kata ni sitahi ya ha se nu
2.2.15   馴れて聞こゆるを、いたしと思す
 物馴れてお応えするのを、なかなかたいしたものだとお思いになる。
 と冷やかしもした。
  Nare te kikoyuru wo, itasi to obosu.
注釈68さる所にはかばかしき人しもありがたからむを源氏の心中を間接的に叙述。源氏、姫君の乳母を派遣する。2.2.1
注釈69故院にさぶらひし宣旨の娘宮内卿の宰相にて亡くなりにし人の子なりしを乳母の母は、桐壺院の宣旨。父は宮内卿兼参議(正四位下相当官)。れっきとした家柄だが、現在両親とも亡くなり、不遇な生活をしているという設定。2.2.1
注釈70かすかなる世に経けるが「が」格助詞、主格。『完訳』は「細々と不如意に暮していたのが」と訳す。2.2.1
注釈71はかなきさまにて子産みたり地の文から詞に移る、噂の直接的部分。『集成』は「見込みのない結婚をして」。『完訳』は「夫に顧みられぬ心細さで」と注す。2.2.1
注釈72聞こしめしつけたるを「を」接続助詞、順接。また格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お耳になさっていたが」、『完訳』は「お聞き及びになっておられたので」と訳す。2.2.1
注釈73まねびきこえける人召して「まねび」はそっくりそのように話したの意。源氏に宣旨の娘の噂話をした女房。2.2.1
注釈74さるべきさまにのたまひ契る明石の姫君の乳母になるよう契約する。2.2.1
注釈75何心もなき人にて深窓に育った姫君の性格をいう。2.2.2
注釈76参るべきよし「べき」推量の助動詞、当然の意。きっとお仕えする。『集成』は「ご奉公する旨」。『完訳』は「お仕えさせていただく由」と訳す。2.2.2
注釈77出だし立てたまふ出立させなさる。いったん出立したことを告げ、以下にその経緯を詳しく語る。2.2.2
注釈78もののついでに以下、源氏が宣旨の娘の家を訪問した場面。2.2.3
注釈79さは聞こえながら、いかにせまし『集成』は「(乳母)はあのように(お勤めすると)申し上げたものの、(やはり明石のような田舎に下ることは)どうしたものかと思案にくれていたのだが」。乳母の揺れる心。2.2.3
注釈80あやしう思ひやりなきやうなれど以下「しばし念じたまへ」まで、源氏の宣旨の娘への詞。2.2.6
注釈81いかで過ぐしつらむ源氏の心中。2.2.8
注釈82とかく戯れたまひて『集成』は「何やかやと色めいた振舞をなさって」。『完訳』「あれこれと冗談を仰せになって」と訳す。後者は「の給ひて」(家・横・池・三)の本文に従った訳。2.2.8
注釈83取り返しつべき心地こそすれいかに源氏の詞。『集成」は「昔のようになりたい気がするね。側に置いておきたい、の意」。『完訳』は「明石に遣らずに取り返したい」と注す。「取り返す物にもがなや世の中をありしながらの我が身と思はむ」(出典未詳、源氏釈所引)の古歌の文句を踏まえた発言であろう。2.2.9
注釈84げに同じうは以下「慰みなまし」まで、宣旨の娘の心中。「げに」は宣旨の娘の納得の気持ち。「なまし」連語。「な」完了の助動詞。「まし」推量の助動詞、反実仮想。非現実的な事態についての推量を強調的に表現する。きっと慰みもしように、残念ながらそれができない、というニュアンス。2.2.10
注釈85かねてより隔てぬ仲とならはねど--別れは惜しきものにぞありける源氏の宣旨の娘への贈歌。別れは辛いという、挨拶の歌。2.2.11
注釈86慕ひやしなまし大島本「したひやしなまし」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「慕ひやせまし」と校訂する。和歌に添えた詞。「し」サ変動詞、「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、仮想。--してしまおうかしら、というニュアンス2.2.12
注釈87うちつけの別れを惜しむかことにて--思はむ方に慕ひやはせぬ宣旨の娘の返歌。「思はむ方」は明石の君のいる地をさす。別れがつらいというなら、一緒に付いて行ったらいかがですか、と切り返した。
【かこと】-「カコト カゴト」(日葡辞書)。
2.2.14
注釈88馴れて聞こゆるをいたしと思す『集成』は「場馴れのしたご返歌ぶりを、なかなかやるものだと感心なさる」。『完訳』は「心得た体に申し上げるのを、これはたいしたものだと感心なさる」と訳す。2.2.15
校訂10 ものにぞあり ものにぞあり--物にさ(さ/#、+そあ)り 2.2.11
2.3
第三段 乳母、明石へ出発


2-3  Nurse starts to Akashi

2.3.1   車にてぞ京のほどは行き離れける。いと親しき人さし添へたまひて、 ゆめ漏らすまじく 、口がためたまひて遣はす。御佩刀、さるべきものなど、所狭きまで思しやらぬ隈なし。乳母にも、ありがたうこまやかなる御いたはりのほど、浅からず。
 車で京の中は出て行ったのであった。ごく親しい人をお付けになって、決して漏らさないよう、口止めなさってお遣わしになる。御佩刀、必要な物など、何から何まで行き届かない点はない。乳母にも、めったにないほどのお心づかいのほど、並々でない。
 京の間だけは車でやった。親しい侍を一人つけて、あくまでも秘密のうちに乳母めのとは送られたのである。守り刀ようの姫君の物、若い母親への多くの贈り物等が乳母に託されたのであった。乳母にも十分の金品が支給されてあった。
  Kuruma nite zo kyau no hodo ha yuki hanare keru. Ito sitasiki hito sasi-sohe tamahi te, yume morasu maziku, kutigatame tamahi te tukahasu. Mihakasi, sarubeki mono nado, tokoroseki made obosiyara nu kuma nasi. Menoto ni mo, arigatau komayaka naru ohom-itahari no hodo, asakara zu.
2.3.2  入道の思ひ かしづき思ふらむありさま、思ひやるも、ほほ笑まれたまふこと 多く、また、あはれに心苦しうも、ただこのことの御心にかかるも、 浅からぬにこそは文にも、「 おろかにもてなし思ふまじ」と、返す返すいましめたまへり。
 入道が大切にお育てしているであろう様子、想像すると、ついほほ笑まれなさることが多く、また一方で、しみじみといたわしく、ただこの姫君のことがお心から離れないのも、ご愛情が深いからであろう。お手紙にも、「いいかげんな思いで扱ってはならぬ」と、繰り返しご注意なさっていた。
 源氏は入道がどんなに孫を大事がっていることであろうと、いろいろな場合を想像することで微笑がされた。母になった恋人も哀れに思いやられた。このごろの源氏の心は明石の浦へ傾き尽くしていた。手紙にも姫君を粗略にせぬようにと繰り返し繰り返しいましめてあった。
  Nihudau no omohi kasiduki omohu ram arisama, omohi-yaru mo, hohowema re tamahu koto ohoku, mata, ahare ni kokorogurusiu mo, tada kono koto no mikokoro ni kakaru mo, asakara nu ni koso ha. Ohom-humi ni mo, "Oroka ni motenasi omohu mazi." to, kahesugahesu imasime tamahe ri.
2.3.3  「 いつしかも袖うちかけむをとめ子が
   世を経て撫づる岩の生ひ先
 「早くわたしの手元に姫君を引き取って世話をしてあげたい
  天女が羽衣で岩を撫でるように幾千万年も姫の行く末を祝って
  いつしかもそでうちかけんをとめ子が
  世をへてでん岩のおひさき
    "Itusika mo sode uti-kake m wotomego ga
    yo wo he te naduru iha no ohisaki
2.3.4  津の国までは舟にて、それよりあなたは馬にて、急ぎ行き着きぬ。
 摂津の国までは舟で、それから先は、馬で急いで行き着いた。
 こんな歌も送ったのである。摂津の国境くにざかいまでは船で、それからは馬に乗って乳母は明石へ着いた。
  Tu-no-kuni made ha hune nite, sore yori anata ha muma nite, isogi iki tuki nu.
2.3.5  入道待ちとり、喜びかしこまりきこゆること、限りなし。そなたに向きて拝みきこえて、ありがたき御心ばへを思ふに、いよいよいたはしう、恐ろしきまで思ふ。
 入道、待ち迎えて、喜び恐縮申すこと、この上ない。そちらの方角を向いて拝み恐縮申し上げて、並々ならないお心づかいを思うと、ますます大事に恐れ多いまでに思う。
 入道は非常に喜んでこの一行を受け取った。感激して京のほうを拝んだほどである。
  Nihudau matitori, yorokobi kasikomari kikoyuru koto, kagiri nasi. Sonata ni muki te ogami kikoye te, arigataki mikokorobahe wo omohu ni, iyoiyo itahasiu, osorosiki made omohu.
2.3.6  稚児のいとゆゆしきまでうつくしうおはすること、たぐひなし。「 げに、かしこき御心に、かしづききこえむと思したるは、むべなりけり」と見たてまつるに、あやしき道に出で立ちて、夢の心地しつる嘆きもさめにけり。いとうつくしうらうたうおぼえて、扱ひきこゆ。
 幼い姫君がたいそう不吉なまでに美しくいらっしゃること、またと類がない。「なるほど、恐れ多いお心から、大切にお育て申そうとお考えになっていらっしゃるのは、もっともなことであった」と拝すると、辺鄙な田舎に旅出して、夢のような気持ちがした悲しみも忘れてしまった。たいそう美しくかわいらしく思えて、お世話申し上げる。
 そしていよいよ姫君は尊いものに思われた。おそろしいほどたいせつなものに思われた。乳母が小さい姫君の美しい顔を見て、聡明そうめいな源氏が将来を思って大事にするのであると言ったことはもっともなことであると思った。来る途中で心細いように、恐ろしいように思った旅の苦痛などもこれによって忘れてしまうことができた。非常にかわいく思って乳母は幼い姫君を扱った。
  Tigo no ito yuyusiki made utukusiu ohasuru koto, taguhi nasi. "Geni, kasikoki mikokoro ni, kasiduki kikoye m to obosi taru ha, mube nari keri." to mi tatematuru ni, ayasiki miti ni idetati te, yume no kokoti si turu nageki mo same ni keri. Ito utukusiu rautau oboye te, atukahi kikoyu.
2.3.7   子持ちの君も、月ごろものをのみ思ひ沈みて、いとど弱れる心地に、生きたらむともおぼえざりつるを、この御おきての、すこしもの思ひ慰めらるるにぞ、頭もたげて、 御使にも二なきさまの心ざしを尽くす。 とく参りなむと急ぎ苦しがれば、思ふことどもすこし聞こえ続けて、
 子持ちの君も、ここ数か月は物思いに沈んでばかりいて、ますます身も心も弱って、生きているとも思えなかったが、こうしたご配慮があって、少し物思いも慰められたので、頭を上げて、お使いの者にもできる限りのもてなしをする。早く帰参したいと急いで迷惑がっているので、思っていることを少し申し上げ続けて、
 若い母は幾月かの連続した物思いのために衰弱したからだで出産をして、なお命が続くものとも思っていなかったが、この時に見せられた源氏の至誠にはおのずから慰められて、力もついていくようであった。送って来た侍に対しても入道は心をこめた歓待をした。あまり丁寧な待遇に侍は困って、「こちらの御様子を聞こうとお待ちになっていらっしゃるでしょうから早く帰京いたしませんと」とも言うのであった。明石の君は感想を少し書いて、
  Komoti-no-Kimi mo, tukigoro mono wo nomi omohi sidumi te, itodo yoware ru kokoti ni, iki tara m tomo oboye zari turu wo, kono ohom-okite no, sukosi monoomohi nagusame raruru ni zo, kasira motage te, ohom-tukahi ni mo ninaki sama no kokorozasi wo tukusu. Toku mawiri na m to isogi kurusigare ba, omohu koto-domo sukosi kikoye tuduke te,
2.3.8  「 ひとりして撫づるは袖のほどなきに
   覆ふばかりの蔭をしぞ待つ
 「わたし一人で姫君をお世話するには行き届きませんので
  大きなご加護を期待しております
  一人してづるはそでのほどなきに
  おほふばかりのかげをしぞ待つ
    "Hitori site naduru ha sode no hodo naki ni
    ohohu bakari no kage wo si zo matu
2.3.9  と聞こえたり。あやしきまで御心にかかり、ゆかしう思さる。
 と申し上げた。不思議なまでにお心にかかり、早く御覧になりたくお思いになる。
 と歌も添えて来た。怪しいほど源氏は明石の子が心にかかって、見たくてならぬ気がした。
  to kikoye tari. Ayasiki made mikokoro ni kakari, yukasiu obosa ru.
注釈89車にてぞ京のほどは行き離れける乳母、明石へ出立。初め牛車で、後、舟に乗り換えて明石へ下る。2.3.1
注釈90ゆめ漏らすまじく大島本は「夢に(に#)」と「に」を抹消する。『新大系』はその抹消に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と訂正以前本文に従って「ゆめに」と校訂する。2.3.1
注釈91かしづき思ふらむありさま「らむ」推量の助動詞、視界外推量。源氏が都から想像しているニュアンス。2.3.2
注釈92浅からぬにこそは「こそ」係助詞、下に「あらめ」などの語句が省略。結びの省略。「浅からぬ」の内容について、『集成』は「ご愛情が」、『完訳』は「明石の君と源氏の宿縁が」と解す。2.3.2
注釈93おろかにもてなし思ふまじ源氏の文の要旨。「まじ」打消推量の助動詞、禁止。疎略に扱ったり思ったりしてはならない。2.3.2
注釈94いつしかも袖うちかけむをとめ子が--世を経て撫づる岩の生ひ先源氏の独詠歌。「君が代は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ」(拾遺集賀、二九九、読人しらず)を踏まえる。姫君の長寿を祝い、早く迎えて育てたいという歌の意。2.3.3
注釈95げにかしこき御心にかしづききこえむと思したるはむべなりけり乳母の心中。「げに」は乳母が姫君の美しさを見て納得した気持ち。2.3.6
注釈96子持ちの君も明石の君をいう。「御息所」と同義だが、そのようには呼称されない。2.3.7
注釈97御使にも乳母宣旨の娘を送っ来た使者。2.3.7
注釈98とく参りなむ使者の心中。早く都に帰参したい。2.3.7
注釈99ひとりして撫づるは袖のほどなきに--覆ふばかりの蔭をしぞ待つ明石君の返歌。源氏の「袖」「撫づる」の語句を受けて返す。「大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)を引歌とする。源氏の広大な庇護を期待。2.3.8
出典1 撫づる岩 君が世は天の羽衣まれに着て撫づとも尽きぬ巌ならなむ 拾遺集賀-二九九 読人しらず 2.3.3
出典2 覆ふばかりの 大空を覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ 後撰集春中-六四 読人しらず 2.3.8
校訂11 ゆめ ゆめ--夢に(に/#) 2.3.1
校訂12 多く 多く--おほゝ(ゝ/$く<朱>) 2.3.2
校訂13 御--(/+御) 2.3.2
校訂14 をとめ子が をとめ子が--おとめこの(の/$か) 2.3.3
2.4
第四段 紫の君に姫君誕生を語る


2-4  Genji tells a birth of his daughter to Murasaki

2.4.1   女君には、言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを聞きあはせたまふこともこそ、と思して、
 女君には、言葉に表してろくにお話申し上げなさっていないのを、他からお聞きになることがあってはいけない、とお思いになって、
夫人には明石の話をあまりしないのであるが、ほかから聞こえて来て不快にさせてはと思って、源氏は明石の君の出産の話をした。
  Womnagimi ni ha, koto ni arahasi te wosawosa kikoye tamaha nu wo, kikiahase tamahu koto mo koso, to obosi te,
2.4.2  「 さこそあなれ。あやしうねぢけたるわざ なりや。さも おはせなむと思ふあたりには、 心もとなくて、思ひの外に、 口惜しくなむ女にてあなれば、いとこそものしけれ。尋ね知らでもありぬべきことなれど、さはえ思ひ捨つまじきわざなりけり。呼びにやりて見せたてまつらむ。憎みたまふなよ」
 「こう言うことなのだそうです。妙にうまく行かないものですね。そうおありになって欲しいと思うところには、待ち遠しくて、思っていないところで、残念なことです。女の子だそうなので、何ともつまりません。放っておいてもよいことなのですが、そうもできそうにないことなのです。呼びにやってお見せ申し上げましょう。お憎みなさいますなよ」
 「人生は意地の悪いものですね。そうありたいと思うあなたにはできそうでなくて、そんな所に子が生まれるなどとは。しかも女の子ができたのだからね、悲観してしまう。うっちゃって置いてもいいのだけれど、そうもできないことでね、親であって見ればね。京へ呼び寄せてあなたに見せてあげましょう。憎んではいけませんよ」
  "Sakoso a' nare. Ayasiu nediketaru waza nari ya! Samo ohase nam to omohu atari ni ha, kokoromotonaku te, omohi no hoka ni, kutiwosiku nam. Womna nite a' nare ba, ito koso monosikere. Tadune sira de mo ari nu beki koto nare do, saha e omohi sutu maziki waza nari keri. Yobi ni yari te mise tatematura m. Nikumi tamahu na yo."
2.4.3  と聞こえたまへば、面うち赤みて、
 とお申し上げになると、お顔がぽっと赤くなって、

  to kikoye tamahe ba, omote uti-akami te,
2.4.4  「 あやしう、つねにかやうなる筋のたまひつくる心のほどこそ、われながら疎ましけれ。もの憎みは、いつならふべきにか」
 「変ですこと、いつもそのようなことを、ご注意をいただく私の心の程が、自分ながら嫌になりますわ。嫉妬することは、いつ教えていただいたのかしら」
 「いつも私がそんな女であるとしてあなたに言われるかと思うと私自身もいやになります。けれど女が恨みやすい性質になるのはこんなことばかりがあるからなのでしょう」
  "Ayasiu, tune ni kayau naru sudi notamahi tukuru kokoro no hodo koso, ware nagara utomasi kere. Mono-nikumi ha, itu narahu beki ni ka?"
2.4.5  と怨じたまへば、いとよくうち笑みて、
 とお恨みになると、すっかり笑顔になって、
 と女王にょおううらんだ。
  to wenzi tamahe ba, ito yoku uti-wemi te,
2.4.6  「 そよ誰がならはしにかあらむ。思はずにぞ見えたまふや。人の心より外なる思ひやりごとして、もの怨じなどしたまふよ。思へば悲し」
 「そうですね。誰が教えこたとでしょう。意外にお見受けしますよ。皆が思ってもいないほうに邪推して、嫉妬などなさいます。考えると悲しい」
 「そう、だれがそんな習慣をつけたのだろう。あなたは実際私の心持ちをわかろうとしてくれない。私の思っていないことを忖度そんたくして恨んでいるから私としては悲しくなる」
  "Soyo. Taga narahasi ni ka ara m? Omoha zu ni zo miye tamahu ya. Hito no kokoro yori hoka naru omohiyari goto site, mono-wenzi nado si tamahu yo! Omohe ba kanasi."
2.4.7  とて、果て果ては涙ぐみたまふ。 年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども、折々の御文の通ひなど思し出づるには、「 よろづのこと、すさびにこそあれ」と思ひ消たれたまふ。
 とおっしゃって、しまいには涙ぐんでいらっしゃる。長い年月恋しくてたまらなく思っていらしたお二人の心の中や、季節折々のお手紙のやりとりなどをお思い出しなさると、「全部が、一時の慰み事であったのだわ」と、打ち消される気持ちになる。
 と言っているうちに源氏は涙ぐんでしまった。どんなにこの人が恋しかったろうと別居時代のことを思って、おりおり書き合った手紙にどれほど悲しい言葉が盛られたものであろうと思い出していた源氏は、明石の女のことなどはそれに比べて命のある恋愛でもないと思われた。
  tote, hatehate ha namidagumi tamahu. Tosigoro aka zu kanasi to omohi kikoye tamahi si mikokoro no uti-domo, woriwori no ohom-humi no kayohi nado obosi iduru ni ha, "Yorodu no koto, susabi ni koso are." to omohiketa re tamahu.
2.4.8  「 この人を、かうまで思ひやり言問ふは、なほ思ふやうのはべるぞ。まだきに聞こえば、またひが心得たまふべければ」
 「この人を、これほどまで考えてやり見舞ってやるのは、実は考えていることがあるからですよ。今のうちからお話し申し上げたら、また誤解なさろうから」
 「子供に私が大騒ぎして使いを出したりしているのも考えがあるからですよ。今から話せばまた悪くあなたが取るから」
  "Kono hito wo, kau made omohiyari kototohu ha, naho omohu yau no haberu zo. Madaki ni kikoye ba, mata higakokoro e tamahu bekere ba."
2.4.9  とのたまひさして、
 と言いさしなさって、
 とその話を続けずに、
  to notamahi sasi te,
2.4.10  「人がらのをかしかりしも、所からにや、めづらしうおぼえきかし」
 「人柄が美しく見えたのも、場所柄でしょうか、めったにないように思われました」
 「すぐれた女のように思ったのは場所のせいだったと思われる。とにかく平凡でない珍しい存在だと思いましたよ」
  "Hitogara no wokasikari si mo, tokorokara ni ya, medurasiu oboye ki kasi."
2.4.11  など語りきこえたまふ。
 などと、お話し申し上げになる。
 などと子の母について語った。
  nado katari kikoye tamahu.
2.4.12  あはれなりし夕べの煙、言ひしことなど、まほならねど、その夜の容貌ほの見し、琴の音のなまめきたりしも、すべて御心とまれるさまにのたまひ出づるにも、
 しみじみとした夕べの煙、歌を詠み交わしたことなど、はっきりとではないが、その夜の顔かたちをかすかに見たこと、琴の音色が優美であったことも、すべて心惹かれた様子にお話し出すにつけても、
 別れの夕べに前の空を流れた塩焼きの煙のこと、女の言った言葉、ほんとうよりも控え目な女の容貌ようぼうの批評、名手らしい琴のきようなどを忘られぬふうに源氏の語るのを聞いている女王は、
  Ahare nari si yuhube no keburi, ihi si koto nado, maho nara ne do, sono yo no katati hono-mi si, koto no ne no namameki tari si mo, subete mikokoro tomare ru sama ni notamahi iduru ni mo,
2.4.13  「 われはまたなくこそ悲しと思ひ嘆きしか、すさびにても、心を分けたまひけむよ」
 「わたしはこの上なく悲しく嘆いていたのに、一時の慰み事にせよ、心をお分けになったとは」
 その時代に自分は一人でどんなに寂しい思いをしていたことであろう、
  "Ware ha mata naku koso kanasi to omohi nageki sika, susabi ni te mo, kokoro wo wake tamahi kem yo!"
2.4.14  と、ただならず、思ひ続けたまひて、「 われは、われ」と、うち背き眺めて、 「あはれなりし世のありさま」など、独り言のやうにうち嘆きて、
 と、穏やかならず、次から次へと恨めしくお思いになって、「わたしは、わたし」と、背を向けて物思わしげに、「しみじみと心の通いあった二人の仲でしたのにね」と、独り言のようにふっと嘆いて、
 仮にもせよ良人おっとは心を人に分けていた時代にと思うと恨めしくて、明石の女のために歎息たんそくをしている良人は良人であるというように、横のほうを向いて、
 「どんなに私は悲しかったろう」
歎息しながら独言ひとりごとのようにこう言ってから、
  to, tadanarazu, omohi tuduke tamahi te, "Ware ha, ware." to, uti-somuki nagame te, "Ahare nari si yo no arisama." nado, hitorigoto no yau ni uti-nageki te,
2.4.15  「 思ふどちなびく方にはあらずとも
   われぞ煙に先立ちなまし
 「愛しあっている同士が同じ方向になびいているのとは違って
  わたしは先に煙となって死んでしまいたい
  思ふどちなびく方にはあらずとも
  われぞ煙に先立ちなまし
    "Omohudoti nabiku kata ni ha ara zu tomo
    ware zo keburi ni sakidati na masi
2.4.16  「 何とか。心憂や
 「何とおっしゃいます。嫌なことを。
 「何ですって、情けないじゃありませんか、
  "Nani to ka? Kokorou ya!
2.4.17    誰れにより世を海山に行きめぐり
   絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
  いったい誰のために憂き世を海や山にさまよって
  止まることのない涙を流して浮き沈みしてきたのでしょうか
  たれにより世をうみやまに行きめぐり
  絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ
    Tare ni yori yo wo umi yama ni yuki meguri
    taye nu namida ni uki sidumu mi zo
2.4.18   いでや、いかでか見えたてまつらむ。 命こそかなひがたかべいものなめれ。はかなきことにて、人に心おかれじと思ふも、 ただ一つゆゑぞや
 さあ、何としてでも本心をお見せ申しましょう。寿命だけは思うようにならないもののようですが。つまらないことで、恨まれまいと思うのも、ただあなた一人のためですよ」
 そうまで誤解されては私はもう死にたくなる。つまらぬことで人の感情を害したくないと思うのも、ただ一つの私の願いのあなたとながく幸福でいたいためじゃないのですか」
  Ideya, ikadeka miye tatematura m? Inoti koso kanahi gataka' bei mono na' mere. Hakanaki koto nite, hito ni kokorooka re zi to omohu mo, tada hitotu yuwe zo ya!"
2.4.19  とて、箏の御琴引き寄せて、掻き合せすさびたまひて、そそのかしきこえたまへど、かの、すぐれたりけむもねたきにや、手も触れたまはず。いとおほどかにうつくしう、たをやぎたまへるものから、さすがに執念きところつきて、もの怨じしたまへるが、なかなか愛敬づきて腹立ちなしたまふを、 をかしう見どころありと思す。
 と言って、箏のお琴を引き寄せて、調子合わせに軽くお弾きになって、お勧め申し上げなさるが、あの、上手だったというのも癪なのであろうか、手もお触れにならない。とてもおっとりと美しくしなやかでいらっしゃる一方で、やはりしつこいところがあって、嫉妬なさっているのが、かえって愛らしい様子でお腹立ちになっていらっしゃるのを、おもしろく相手にしがいがある、とお思いになる。
源氏は十三絃のき合わせをして、けと女王に勧めるのであるが、名手だと思ったと源氏に言われている女がねたましいか手も触れようとしない。おおようで美しく柔らかい気持ちの女性であるが、さすがに嫉妬しっとはして、恨むことも腹を立てることもあるのが、いっそう複雑な美しさを添えて、この人をより引き立てて見せることだと源氏は思っていた。
  tote, sau no ohom-koto hikiyose te, kaki ahase susabi tamahi te, sosonokasi kikoye tamahe do, kano, sugure tari kem mo netaki ni ya, te mo hure tamaha zu. Ito ohodoka ni utukusiu, tawoyagi tamahe ru monokara, sasugani sihuneki tokoro tuki te, mono-wenzi si tamahe ru ga, nakanaka aigyauduki te haradati nasi tamahu wo, wokasiu midokoro ari to obosu.
注釈100女君には言にあらはしてをさをさ聞こえたまはぬを「を」格助詞、目的格。お話し申し上げになってないのを。源氏、紫の君に姫君のことを話す。2.4.1
注釈101聞きあはせたまふこともこそ源氏の心中。「もこそ」連語、係助詞「も」+係助詞「こそ」。将来の事態を予測して危ぶむ気持ちを表す。お聞き合わなさることがあるといけないの意。2.4.1
注釈102さこそあなれ以下「憎みたまふなよ」まで、源氏の詞。「さ」は明石で姫君が誕生したことをいう。「こそ」係助詞、「なれ」伝聞推定の助動詞、已然形、伝聞の意。係結び、強調のニュアンス。2.4.2
注釈103おはせなむと「なむ」終助詞、他者に対するあつらえの願望の意。「おはす」は、いらっしゃって、の意。間接的言い回し。お子がお生まれになってほしい、意。2.4.2
注釈104心もとなくて『完訳』は「前の予言「御子三人」では紫の上の出産は望めないが、「心もとなし」(待ち遠しい)と可能性を残した言い方をする」と注す。2.4.2
注釈105口惜しくなむ「なむ」係助詞、結びの省略。最後まで言い切らない、余意・余情を残した言い方。いかにも残念で--、というニュアンス。2.4.2
注釈106女にてあなればいとこそものしけれ「なれ」伝聞推定の助動詞。「こそ」係助詞。「ものしけれ」形容詞、已然形、係結び。強調のニュアンス。『集成』は「わざと軽視した言い方をするのである」「全く気に入りません」。『完訳』は「前の喜びとは矛盾。源氏の本心でない」「まことにおもしろくありません」と注す。2.4.2
注釈107あやしうつねにかやうなる筋以下「いつならふべきにか」まで、紫の君の返事。「かやうなる筋」は嫉妬するなという注意。「に」断定の助動詞、連用形。「か」係助詞、反語、下に「ありけむ」などの語句が省略、結びの省略。余意・余情を残した言い方。2.4.4
注釈108そよ以下「思へば悲し」まで、源氏の詞。2.4.6
注釈109誰がならはしにかあらむ「か」係助詞、反語、「む」推量の助動詞。誰が教えたことでしょうか、誰も教えてないの意。2.4.6
注釈110年ごろ飽かず恋しと思ひきこえたまひし御心のうちども「年ごろ」は源氏の流離の時期」。紫の君の心中に即した叙述。「御心のうちども」の接尾語「ども」は、複数を表し、源氏と紫の君が相互にという意。2.4.7
注釈111よろづのことすさびにこそあれ紫の君の心中。一応の安堵感。2.4.7
注釈112この人をかうまで以下「心得たまふべけれ」まで、源氏の詞。「この人」は明石の君をさす。2.4.8
注釈113われはまたなくこそ以下「心を分けたまひけむよ」まで、紫の君の心中。再び嫉妬の炎が燃え上がる。2.4.13
注釈114われはわれ「君は君我は我とて隔てねば心々にあらむものかは」(和泉式部日記)。『集成』は「あなたはあなた、私は私で、お互いに別々の心なのですね、の意」と注す。2.4.14
注釈115「あはれなりし世のありさま」など大島本は「あはれなりしよの有さまなと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あはれなりし世のありさまかな」と校訂する。紫の君の詞。「し」過去の助動詞。「世」は夫婦仲。仲睦まじかった過去を回想。2.4.14
注釈116思ふどちなびく方にはあらずとも--われぞ煙に先立ちなまし紫の君の歌。『集成』は「前に、源氏が「あはれなりし夕の煙、言ひしことなど」を語り出した時、明石の上の返歌の前に、当然源氏の贈歌を語っているはずであるから、それを受けて詠んだのである。すなわち「このたびは立ち別るとも藻塩焼く煙は同じかたになびかむ」に応じたもの」と注す。「思ふどち靡く方」「煙」は源氏の「煙」「同じ方」を受けた表現。「なまし」連語、完了の助動詞「ぬ」未然形「な」+仮想の助動詞「まし」。非現実的な事態についての推量を強調して表す。死んでしまいたいものです。2.4.15
注釈117何とか心憂や源氏の詞。紫の君に対する反論。2.4.16
注釈118誰れにより世を海山に行きめぐり--絶えぬ涙に浮き沈む身ぞ源氏の返歌。「うみ」に「憂み」と「海」を掛ける。「海」と「浮き沈み」は縁語。反語表現。みなあなたのために辛抱してきたのです、の意。2.4.17
注釈119いでやいかでか以下「一つゆゑぞや」まで、源氏の詞。2.4.18
注釈120命こそかなひがたかべいものなめれ「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集離別、三八七、白女)を踏まえる。2.4.18
注釈121ただ一つゆゑぞや紫の君一人のため。2.4.18
注釈122をかしう見どころあり源氏の心中。紫の君の嫉妬をかわいいと思う。2.4.19
校訂15 なりや。さも なりや。さも--なりさ(さ/#)や(や/+さ)も 2.4.2
2.5
第五段 姫君の五十日の祝


2-5  Celebration of fiftieth day from the birthday

2.5.1  「 五月五日にぞ、五十日には当たるらむ」と、人知れず数へたまひて、ゆかしうあはれに思しやる。「 何ごとも、いかにかひあるさまにもてなし、うれしからまし。口惜しのわざや。 さる所にしも、心苦しきさまにて、出で来たるよ」と思す。「 男君ならましかば、かうしも御心にかけたまふまじきを、かたじけなういとほしう、 わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる
 「五月五日が、五十日に当たるだろう」と、人知れず日数を数えなさって、どうしているかといとしくお思いやりになる。「どのようなことでも、どんなにも立派にでき、嬉しいことであろうに。残念なことだ。よりによって、あのような土地に、おいたわしくお生まれになったことよ」とお思いになる。「男君であったならば、こんなにまではお心におかけなさらないのだが、恐れ多くもおいたわしく、ご自分の運命も、このご誕生に関連して不遇もあったのだ」とご理解なさる。
 五月の五日が五十日いかの祝いにあたるであろうと源氏は人知れず数えていて、その式が思いやられ、その子が恋しくてならないのであった。紫の女王に生まれた子であったなら、どんなにはなやかにそれらの式を自分は行なってやったことであろうと残念である。あの田舎いなかで父のいぬ場所で生まれるとはあわれな者であると思っていた。男の子であれば源氏もこうまでこの事実に苦しまなかったであろうが、きさきの望みを持ってよい女の子にこの引け目をつけておくことが堪えられないように思われて、自分の運はこの一点で完全でないとさえ思った。
  "Gogwati no ituka ni zo, ika ni ha ataru ram." to, hitosirezu kazohe tamahi te, yukasiu ahare ni obosiyaru. "Nanigoto mo, ikani kahi aru sama ni motenasi, uresikara masi. Kutiwosi no waza ya! Saru tokoro ni simo, kokorogurusiki sama nite, ideki taru yo!" to obosu. "Wotokogimi nara masika ba, kau simo mikokoro ni kake tamahu maziki wo, katazikenau itohosiu, waga ohom-sukuse mo, kono ohom-koto ni tuke te zo kataho nari keri." to obosa ruru.
2.5.2  御使出だし立てたまふ。
 お使いの者をお立てになる。
 五十日いかのために源氏は明石へ使いを出した。
  Ohom-tukahi idasitate tamahu.
2.5.3  「かならずその日違へずまかり着け」
 「必ずその日に違わずに到着せよ」
「ぜひ当日着くようにして行け」
  "Kanarazu sono hi tagahe zu makari tuke!"
2.5.4  とのたまへば、 五日に行き着きぬ。思しやることも、ありがたうめでたきさまにて、まめまめしき御訪らひもあり。
 とおっしゃったので、五日に到着した。ご配慮のほども、世にまたなく結構な有様で、実用的なお見舞いの品々もある。
 と源氏に命ぜられてあった使いは五日に明石へ着いた。華奢かしゃな祝品の数々のほかには実用品も多く添えて源氏は贈ったのである。
  to notamahe ba, ituka ni iki tuki nu. Obosiyaru koto mo, arigatau medetaki sama nite, mamemamesiki ohom-toburahi mo ari.
2.5.5  「 海松や時ぞともなき蔭にゐて
   何のあやめもいかにわくらむ
 「海松は、いつも変わらない蔭にいたのでは、今日が五日の節句の
  五十日の祝とどうしてお分りになりましょうか
  海松や時ぞともなきかげにゐて
  何のあやめもいかにわくらん
    "Umimatu ya toki zo to mo naki kage ni wi te
    nani no ayame mo ikani waku ram?
2.5.6   心のあくがるるまでなむ。なほ、かくてはえ過ぐすまじきを、思ひ立ちたまひね。さりとも、うしろめたきことは、よも」
 飛んで行きたい気持ちです。やはり、このまま過していることはできないから、ご決心をなさい。いくらなんでも、心配なさることは、決してありません」
 からだから魂が抜けてしまうほど恋しく思います。私はこの苦しみに堪えられないと思う。ぜひ京へ出て来ることにしてください。こちらであなたに不愉快な思いをさせることは断じてない。
  Kokoro no akugaruru made nam. Naho, kakute ha e sugusu maziki wo, omohitati tamahi ne. Saritomo, usirometaki koto ha, yomo."
2.5.7  と書いたまへり。
 と書いてある。
 という手紙であった。
  to kai tamahe ri.
2.5.8  入道、例の、喜び泣きしてゐたり。かかる折は、 生けるかひもつくり出でたる、ことわりなりと見ゆ。
 入道は、いつもの喜び泣きをしていた。このような時には、生きていた甲斐があるとべそをかくのも、無理はないと思われる。
 入道は例のように感激して泣いていた。源氏の出立の日の泣き顔とは違った泣き顔である。
  Nihudau, rei no, yorokobinaki si te wi tari. Kakaru wori ha, ike ru kahi mo tukuri ide taru, kotowari nari to miyu.
2.5.9  ここにも、よろづ所狭きまで思ひ設けたりけれど、この御使なくは、 闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ。乳母も、この 女君のあはれに思ふやうなるを、語らひ人にて、世の慰めにしけり。 をさをさ劣らぬ人も、類に触れて迎へ取りてあらすれど、こよなく衰へたる宮仕へ人などの、 巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ、これは、こよなうこめき思ひあがれり。
 ここでも、万事至らぬところのないまで盛大に準備していたが、このお使いが来なかったら、闇夜の錦のように何の見栄えもなく終わってしまったであろう。乳母も、この女君が感心するくらい理想的な人柄なのを、よい相談相手として、憂き世の慰めにしているのであった。さして劣らない女房を、縁故を頼って迎えて付けさせているが、すっかり落ちぶれはてた宮仕え人で、出家や隠棲しようとしていた人々が残っていたというのであるが、この人は、この上なくおっとりとして気位高かった。
 明石でも式の用意は派手はでにしてあった。見て報告をする使いが来なかったなら、それがどんなに晴れをしなかったことだろうと思われた。乳母めのとも明石の君の優しい気質に馴染なじんで、よい友人を得た気になって、京のことは思わずに暮らしていた。入道の身分に近いほどの家のむすめもここに来て女房勤めをしているようなのが幾人かはあるが、それがどうかといえば京の宮仕えにり尽くされたような年配の者が生活の苦からのがれるために田舎いなか下りをしたのが多いのに、この乳母はまだ娘らしくて、しかも思い上がった心を持っていて、自身の見た京を語り、宮廷を語り、縉紳しんしんの家の内部の派手な様子を語って聞かせることができた。
  Koko ni mo, yorodu tokoroseki made omohi-mauke tari kere do, kono ohom-tukahi naku ha, yami no yo nite koso kure nu bekari kere! Menoto mo, kono Womnagimi no ahare ni omohu yau naru wo, katarahibito nite, yo no nagusame ni si keri. Wosawosa otora nu hito mo, rui ni hure te mukahe tori te ara sure do, koyonaku otorohe taru miyadukahebito nado no, ihaho no naka tadunuru ga oti tomare ru nado koso are, kore ha, koyonau komeki omohiagare ri.
2.5.10  聞きどころある世の物語などして、大臣の君の御ありさま、世にかしづかれたまへる御おぼえのほども、女心地にまかせて限りなく語り尽くせば、「 げに、かく 思し出づばかりの名残とどめたる身も、いとたけく」やうやう思ひなりけり。 御文ももろともに見て、心のうちに、
 聞くに値する世間話などをして、大臣の君のご様子、世間から大切にされていらっしゃるご評判なども、女心にまかせて果てもなく話をするので、「なるほど、このようにお思い出してくださるよすがを残した自分も、たいそう偉いものだ」とだんだん思うようになるのであった。お手紙を一緒に見て、心の中で、
 源氏の大臣がどれほど社会から重んぜられているかということも、女心にしたいだけの誇張もして始終話した。乳母の話から、その人が別れたのちの今日までも好意を寄せて、また自分の生んだ子を愛してくれているのは幸福でなくて何であろうと明石の君はようやくこのごろになって思うようになった。乳母は源氏の手紙をいっしょに読んでいて、
  Kiki dokoro aru yo no monogatari nado si te, Otodo-no-Kimi no ohom-arisama, yo ni kasiduka re tamahe ru ohom-oboye no hodo mo, womnagokoti ni makase te kagiri naku katari tukuse ba, "Geni, kaku obosi idu bakari no nagori todome taru mi mo, ito takeku" yauyau omohi nari keri. Ohom-humi mo morotomoni mi te, kokoro no uti ni,
2.5.11  「 あはれ、かうこそ思ひの外に、めでたき宿世はありけれ。憂きものはわが身こそありけれ」
 「ああ、こんなにも意外に、幸福な運命のお方もあるものだわ。不幸なのはわたしだわ」
 人間にはこんなに意外な幸運を持っている人もあるのである、みじめなのは自分だけであると悲しまれたが、
  "Ahare, kau koso omohi no hoka ni, medetaki sukuse ha ari kere! Uki mono ha waga mi koso ari kere."
2.5.12  と、思ひ続けらるれど、「 乳母のことはいかに」など、こまやかに 訪らはせたまへるも、かたじけなく、何ごとも慰めけり。
 と、自然と思い続けられるが、「乳母はどうしているか」などと、やさしく案じてくださっているのも、もったいなくて、どんなに嫌なことも慰められるのであった。
 乳母はどうしているかということも奥に書かれてあって、源氏が自分に関心を持っていることを知ることができたので満足した。
  to, omohi tuduke rarure do, "Menoto no koto ha ikani?" nado, komayaka ni toburaha se tamahe ru mo, katazikenaku, nanigoto mo nagusame keri.
2.5.13  御返りには、
 お返事には、
 返事は、
  Ohom-kaheri ni ha,
2.5.14  「 数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を
   今日もいかにと問ふ人ぞなき
 「人数に入らないわたしのもとで育つわが子を
  今日の五十日の祝いはどうしているかと尋ねてくれる人は他にいません
  数ならぬみ島がくれに鳴くたづ
  今日もいかにとふ人ぞなき
    "Kazu nara nu Misima gakure ni naku tadu wo
    kehu mo ikani to tohu hito zo naki
2.5.15   よろづに思うたまへ結ぼほるるありさまを、かく たまさかの御慰めにかけはべる命のほども、はかなくなむ。げに、後ろやすく思うたまへ置くわざもがな」
 いろいろと物思いに沈んでおります様子を、このように時たまのお慰めに掛けておりますわたしの命も心細く存じられます。仰せの通りに、安心させていただきたいものです」
 いろいろに物思いをいたしながら、たまさかのおたよりを命にしておりますのもはかない私でございます。仰せのように子供の将来に光明を認めとうございます。
  Yorodu ni omou tamahe musubohoruru arisama wo, kaku tamasaka no ohom-nagusame ni kake haberu inoti no hodo mo, hakanaku nam. Geni, usiroyasuku omou tamahe oku waza mo gana."
2.5.16  とまめやかに聞こえたり。
 と、心からお頼み申し上げた。
 というので、信頼した心持ちが現われていた。
  to mameyaka ni kikoye tari.
注釈123五月五日にぞ、五十日には当たるらむ源氏の心中。五月五日が姫君の生後五十日の祝いの日に当たろう、と思いやる。2.5.1
注釈124何ごともいかに以下「出で来たるよ」まで、源氏の心中。下に反実仮想の助動詞「まし」がある構文。もし、京で誕生したのならという仮想のもとに残念に思う。2.5.1
注釈125さる所にしも「しも」副助詞、強調のニュアンス。よりによってあのような土地に。2.5.1
注釈126男君ならましかば以下「かたほなりけり」まで、語り手が源氏の心中を要約した文。よって源氏に対する敬意が「かけたまふ」「わが御宿世」と紛れ込む。源氏の心中にそった地の文という見方もできる。2.5.1
注釈127わが御宿世も、この御ことにつけてぞかたほなりけり」と思さるる「ぞ」係助詞、「かたほなりけり」を飛び越えて、「思さるる」連体形に係る。『集成』は「ご自身のご運勢も、このお方の誕生のために、一時欠けることもあったのだとお考えになる。須磨、明石の流離は、立后を予言されている姫君誕生をもたらすためだったと思う」。完訳「ご自分の運勢も、この姫君出生の御事のために禍があったのだと、お考えになる」と注す。2.5.1
注釈128海松や時ぞともなき蔭にゐて--何のあやめもいかにわくらむ源氏の贈歌。「海松」は姫君を喩える。「松」は生い先長いことを予祝するもの。「あやめ」は五日の節句「菖蒲」に因む。また「文目」を掛ける。「いか」は「五十日」と「如何」を掛ける。姫君へのお祝いと心遣いの歌。2.5.5
注釈129心のあくがるるまで以下「うしろめたきことはよも」まで、歌に添えた文。「よも」の下には「あるまじ」などの語句が省略。2.5.6
注釈130生けるかひもつくり出でたる「かひ」は「生ける甲斐」と「かひ作る」(べそをかく)の言葉遊び的表現。2.5.8
注釈131闇の夜にてこそ暮れぬべかりけれ「見る人もなくて散りぬる奥山の紅葉は闇の夜の錦なりけり」(古今集秋下、二九七、紀貫之)を踏まえる。2.5.9
注釈132女君のあはれに思ふやうなるを語らひ人にて『完訳』は「乳母と明石の君を、ほぼ同等に語る。女君の身分の低さに注意」と注す。2.5.9
注釈133をさをさ劣らぬ人もこの乳母にさして劣らない女房。2.5.9
注釈134巌の中尋ぬるが落ち止まれるなどこそあれ「が」格助詞、主格を表す。出家や隠棲を志していた者が、の意。「こそ」係助詞、「あれ」已然形、逆接用法、読点で、下文に続く。「いかならむ巌の中に住まばかは世の憂き事の聞こえこざらむ」(古今集雑下、九五二、読人しらず)による。2.5.9
注釈135げにかく以下「いとたけく」まで、明石の君の心中を間接的に語った地の文。「げに」は明石の君が納得した気持ち。2.5.10
注釈136御文ももろともに見て主語は乳母。明石の君と乳母が対等に語られる。2.5.10
注釈137あはれかうこそ以下「ありけれ」まで、乳母の心中。2.5.11
注釈138乳母のことはいかに源氏の手紙の一節の要旨。2.5.12
注釈139訪らはせたまへるも「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞、二重敬語。乳母の感謝の気持ちが二重敬語になって表出したもの。2.5.12
注釈140数ならぬみ島隠れに鳴く鶴を--今日もいかにと問ふ人ぞなき明石の君の返歌。源氏の「蔭にゐて」「いかにわくらむ」の語句を受けて「み島隠れ」「いかにと問ふ人ぞなく」と返す。「数ならぬ」は明石の君の身を卑下していったもの。姫君を「田鶴」に譬え、「み」に「身」、「いかに」に「五十日に」を掛ける。2.5.14
注釈141よろづに以下「置くわざもがな」まで、手紙文。2.5.15
校訂16 五日に 五日に--五日(日/+に) 2.5.4
校訂17 げに げに--よ(よ/$け)に 2.5.10
校訂18 たまさか たまさか--給ま(給ま/$たまさ<朱>)か 2.5.15
2.6
第六段 紫の君、嫉妬を覚える


2-6  Murasaki's jealousy

2.6.1  うち返し見たまひつつ、「あはれ」と、長やかにひとりごちたまふを、女君、しり目に見おこせて、
 何度も御覧になりながら、「ああ」と、長く嘆息して独り言をおっしゃるのを、女君は、横目で御覧やりになって、
 何度も同じ手紙を見返しながら、「かわいそうだ」と長く声を引いて独言ひとりごとを言っているのを、夫人は横目にながめて、
  Uti-kahesi mi tamahi tutu, "Ahare!" to, nagayaka ni hitorigoti tamahu wo, Womnagimi, sirime ni miokose te,
2.6.2  「 浦よりをちに漕ぐ舟の」
 「浦から遠方に漕ぎ出す舟のように」
 「浦よりをちぐ船の」
  "Ura yori woti ni kogu hune no."
2.6.3  と、忍びやかにひとりごち、眺めたまふを、
 と、ひっそりと独り言を言って、物思いに沈んでいらっしゃるのを、
 (我をばよそに隔てつるかな)と低く言って、物思わしそうにしていた。
  to, sinobiyaka ni hitorigoti, nagame tamahu wo,
2.6.4  「 まことは、かくまでとりなしたまふよ。こは、ただ、かばかりのあはれぞや。所のさまなど、うち思ひやる時々、来し方のこと忘れがたき独り言を、ようこそ聞き 過ぐいたまはね」
 「ほんとうに、こんなにまで邪推なさるのですね。これは、ただ、これだけの愛情ですよ。土地の様子など、ふと想像する時々に、昔のことが忘れられないで漏らす独り言を、よくお聞き過しなさらないのですね」
 「そんなにあなたに悪く思われるようにまで私はこの女を愛しているのではない。それはただそれだけの恋ですよ。そこの風景が目に浮かんできたりする時々に、私は当時の気持ちになってね、つい歎息たんそくが口から出るのですよ。なんでも気にするのですね」
  "Makoto ha, kaku made torinasi tamahu yo! Koha, tada, kabakari no ahare zo ya! Tokoro no sama nado, uti-omohiyaru tokidoki, kisikata no koto wasure gataki hitorigoto wo, you koso kiki sugui tamaha ne."
2.6.5  など、恨みきこえたまひて、上包ばかりを 見せたてまつらせたまふ筆などの いとゆゑづきて、 やむごとなき人苦しげなるを、「 かかればなめり」と、思す。
 などと、お恨み申されて、上包みだけをお見せ申し上げになさる。筆跡などがとても立派で、高貴な方も引け目を感じそうなので、「これだからであろう」と、お思いになる。
 などと、恨みを言いながら上包みに書かれた字だけを夫人に見せた。品のよい手跡で貴女きじょも恥ずかしいほどなのを見て、夫人はこうだからであると思った。
  nado, urami kikoye tamahi te, uhadutumi bakari wo mise tatematura se tamahu. Hude nado no ito yuweduki te, yamgotonaki hito kurusige naru wo, "Kakare ba na' meri." to, obosu.
注釈142浦よりをちに以下「漕ぐ舟の」まで、紫の君の詞。「み熊野の浦よりをちに漕ぐ船の我をばよそに隔てつるかな」(古今六帖、浦)の第二句、三句を口ずさんだ。真意は第五句の「我をばよそに隔てつるかな」にある。2.6.2
注釈143まことはかくまで以下「過ぐいたまふかな」まで、源氏の詞。2.6.4
注釈144見せたてまつらせたまふ大島本は「見せたてまつらせ給ふ」とある。『新大系』『集成』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「見せたてまつりたまふ」と校訂する。2.6.5
注釈145筆などの大島本は「ふん(ん#て)なとの」と「ん」をミセケチにして「て」と傍記する。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「手などの」と校訂する。2.6.5
注釈146やむごとなき人苦しげなるを『集成』は「身分の高い女もたじろぎそうなのを」。『完訳』は「高貴なお方とてひけめを感じそうなみごとさを」と訳す。2.6.5
注釈147かかればなめり紫の君の心中。2.6.5
出典3 浦よりをちに漕ぐ舟の み熊野の浦よりをちに漕ぐ舟の我をばよそに隔てつるかな 新古今集恋一-一〇四八 伊勢 2.6.2
校訂19 過ぐい 過ぐい--すん(ん/#く)い 2.6.4
校訂20 筆--ふん(ん/#て) 2.6.5
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/3/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Latest updated 6/21/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年4月28日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2006年1月6日

Last updated 10/3/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2024/9/21に出力されました。
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