第十四帖 澪標


14 MIWOTUKUSI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29

3
第三章 光る源氏の物語 新旧後宮女性の動向


3  Tale of Hikaru-Genji  Old and new Mikado's wives

3.1
第一段 花散里訪問


3-1  Genji visits to Hanachirusato

3.1.1   かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ 、いとほしけれ。公事も繁く、所狭き御身に、思し憚るに添へても、 めづらしく御目おどろくことのなきほど思ひしづめたまふなめり
 このように、この方のお気持ちの御機嫌をとっていらっしゃる間に、花散里などをすっかり途絶えていらっしゃったのは、お気の毒なことである。公事も忙しく、気軽には動けないご身分であるため、ご遠慮されるのに加えても、目新しくお心を動かすことが来ない間、慎重にしていらっしゃるようである。
 こんなふうに紫の女王にょおう機嫌きげんを取ることにばかり追われて、花散里はなちるさとたずねる夜も源氏の作られないのは女のためにかわいそうなことである。このごろは公務も忙しい源氏であった。外出に従者も多く従えて出ねばならぬ身分の窮屈きゅうくつさもある上に、花散里その人がきわだつ刺戟しげきも与えぬ人であることを知っている源氏は、今日逢わねばと心のき立つこともないのであった。
  Kaku, kono mikokoro tori tamahu hodo ni, Hanatirusato nado wo kare hate tamahi nuru koso, itohosikere. Ohoyakegoto mo sigeku, tokoroseki ohom-mi ni, obosi habakaru ni sohe te mo, medurasiku ohom-me odoroku koto no naki hodo, omohi-sidume tamahu na' meri.
3.1.2   五月雨つれづれなるころ、公私もの静かなるに、思し起こして渡りたまへり。よそながらも、明け暮れにつけて、よろづに思しやり 訪らひきこえたまふを頼みにて、過ぐいたまふ所なれば、今めかしう心にくきさまに、そばみ恨みたまふべきならねば、心やすげなり。年ごろに、いよいよ荒れまさり、すごげにておはす。
 五月雨の降る所在ない頃、公私ともに暇なので、お思い立ってお出かけになった。訪れはなくても、朝に夕につけ、何から何までお気をつけてお世話申し上げていらっしゃるのを頼りとして、過ごしていらっしゃる所なので、今ふうに思わせぶりに、すねたり恨んだりなさることがないので、お心安いようである。この何年間に、ますます荒れがひどくなって、もの寂しい感じで暮らしていらっしゃる。
 五月雨さみだれのころは源氏もつれづれを覚えたし、ちょうど公務も閑暇ひまであったので、思い立ってその人の所へ行った。訪ねては行かないでも源氏の君はこの一家の生活を保護することを怠っていなかったのである。それにたよっている人は恨むことがあっても、ただみずからの薄命をなげく程度のものであったから源氏は気楽に見えた。何年かのうちに邸内やしきうちはいよいよ荒れて、すごいような広い住居すまいであった。
  Samidare turedure naru koro, ohoyake watakusi mono-siduka naru ni, obosi okosi te watari tamahe ri. Yoso nagara mo, akekure ni tuke te, yorodu ni obosiyari toburahi kikoye tamahu wo tanomi nite, sugui tamahu tokoro nare ba, imamekasiu kokoronikuki sama ni, sobami urami tamahu beki nara ne ba, kokoroyasuge nari. Tosigoro ni, iyoiyo are masari, sugoge ni te ohasu.
3.1.3  女御の君に御物語聞こえたまひて、 西の妻戸に夜更かして立ち寄りたまへり。月おぼろにさし入りて、いとど艶なる御ふるまひ、尽きもせず見えたまふ。いとどつつましけれど、端近ううち眺めたまひけるさまながら、のどやかにてものしたまふけはひ、いとめやすし。水鶏のいと近う鳴きたるを、
 女御の君にお話申し上げなさってから、西の妻戸の方には夜が更けてからお立ち寄りになった。月の光が朧ろに差し込んで、ますます優美なご態度、限りなく美しくお見えになる。ますます気後れするが、端近くに物思いに耽りながら眺めていらっしゃったそのままで、ゆったりとお振る舞いになるご様子、どこといって難がない。水鶏がとても近くで鳴いているので、
 姉の女御にょごの所で話をしてから、夜がふけたあとで西の妻戸をたたいた。おぼろな月のさし込む戸口からえんな姿で源氏ははいって来た。美しい源氏と月のさす所に出ていることは恥ずかしかったが、初めから花散里はそこに出ていたのでそのままいた。この態度が源氏の気持ちを楽にした。水鶏くいなが近くで鳴くのを聞いて、
  Nyougo-no-Kimi ni ohom-monogatari kikoye tamahi te, nisi no tumado ni yo hukasi te tatiyori tamahe ri. Tuki oboro ni sasi-iri te, itodo en naru ohom-hurumahi, tuki mo se zu miye tamahu. Itodo tutumasikere do, hasi tikau uti-nagame tamahi keru sama nagara, nodoyaka ni te monosi tamahu kehahi, ito meyasusi. Kuhina no ito tikau naki taru wo,
3.1.4  「 水鶏だにおどろかさずはいかにして
   荒れたる宿に月を入れまし
 「せめて水鶏だけでも戸を叩いて知らせてくれなかったら
  どのようにしてこの荒れた邸に月の光を迎え入れることができたでしょうか
  水鶏だに驚かさずばいかにして
  荒れたる宿に月を入れまし
    "Kuhina dani odorokasa zu ha ikani si te
    are taru yado ni tuki wo ire masi
3.1.5  と、 いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ
 と、たいそうやさしく、恨み言を抑えていらっしゃるので、
 なつかしい調子で言うともなくこう言う女が感じよく源氏に思われた。
  to, ito natukasiu, ihiketi tamahe ru zo,
3.1.6  「 とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ」
 「それぞれに捨てがたい人よ。このような人こそ、かえって気苦労することだ」
 どの人にも自身をく力のあるのを知って源氏は苦しかった。
  "Toridori ni sute gataki yo kana! Kakaru koso, nakanaka mi mo kurusikere."
3.1.7  と思す。
 とお思いになる。

  to obosu.
3.1.8  「 おしなべてたたく水鶏におどろかば
   うはの空なる月もこそ入れ
 「どの家の戸でも叩く水鶏の音に見境なしに戸を開けたら
  わたし以外の月の光が入って来たら大変だ
 「おしなべてたたく水鶏に驚かば
  うはの空なる月もこそ入れ
    "Osinabete tataku kuhina ni odoroka ba
    uhanosora naru tuki mo koso ire
3.1.9   うしろめたう
 心配ですね」
 私は安心していられない」
  Usirometau."
3.1.10  とは、なほ言に聞こえたまへど、あだあだしき筋など、疑はしき御心ばへにはあらず。年ごろ、待ち過ぐしきこえたまへるも、さらにおろかには思されざりけり。「 空な眺めそ」と、頼めきこえたまひし折のことも、 のたまひ出でて
 とは、やはり言葉の上では申し上げなさるが、浮気めいたことなど、疑いの生じるご性質ではない。長い年月、お待ち申し上げていらしたのも、まったく並み大抵の気持ちとはお思いにならなかった。「空を眺めなさるな」と、お約束申された時のことも、お話し出されて、
 とは言っていたが、それは言葉の戯れであって、源氏は貞淑な花散里を信じ切っている。何に動揺することもなく長く留守るすの間を静かに待っていてくれた人を、源氏はおろそかには思っていなかった。当分悲しくならないがために空はながめないで暮らすようにと、行く前に源氏が言った夜のことなどを思い出して言うのであった。
  to ha, naho koto ni kikoye tamahe do, adaadasiki sudi nado, utagahasiki mikokorobahe ni ha ara zu. Tosigoro, mati sugusi kikoye tamahe ru mo, sarani oroka ni ha obosa re zari keri. "Sora na nagame so." to, tanome kikoye tamahi si wori no koto mo, notamahi ide te,
3.1.11  「 などて、たぐひあらじと、いみじうものを思ひ沈みけむ。憂き身からは、同じ嘆かしさにこそ」
 「どうして、またとない不幸だと、ひどく嘆き悲しんだのでしょう。辛い身の上にとっは、同じ悲しさですのに」
 「なぜあの時に私は非常に悲しいことだと思ったのでしょう。私などはあなたに幸福の帰って来た今だってもやはり寂しいのでしたのに」
  "Nadote, taguhi ara zi to, imiziu mono wo omohi sidumi kem? Uki mi kara ha, onazi nagekasisa ni koso."
3.1.12  とのたまへるも、おいらかにらうたげなり。 例の、いづこの御言の葉にかあらむ、尽きせずぞ語らひ慰めきこえたまふ。
 とおっしゃるのも、おっとりとしていらしてかわいらしい。例によって、どこからお出しになる言葉であろうか、言葉の限りを尽くしてお慰め申し上げになる。
 と恨みともなしにおおように言っているのが可憐かれんであった。例のように源氏は言葉を尽くして女を慰めていた。平生どうしまってあったこの人の熱情かと思われるようである。
  to notamahe ru mo, oyiraka ni rautage nari. Rei no, iduko no ohom-kotonoha ni ka ara m, tukise zu zo katarahi nagusame kikoye tamahu.
注釈148かく、この御心とりたまふほどに、花散里などを離れ果てたまひぬるこそ大島本は「花ちる里(里+なと<朱>)を」と朱筆で「なと」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び大島本の訂正以前本文に従って「花散里を」と校訂する。そして大島本は「あ(あ#か<朱>)れはて」と朱筆で「あ」を抹消して「か」と訂正する。『集成』『新大系』は底本の訂正に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「あれはて」と校訂する。五月雨のつれづれなる頃、源氏、花散里を訪問。3.1.1
注釈149めづらしく御目おどろくことのなきほど「御目」は源氏の目。『完訳』は「花散里から目新しく働きかけ、源氏の心が動くということなく」と注す。3.1.1
注釈150思ひしづめたまふなめり「なめり」連語。断定の助動詞「なる」の連体形+推量の助動詞「めり」。語り手の断定の気持ちを婉曲的にいう表現。--であるらしい、--であるようだ、というニュアンス。3.1.1
注釈151五月雨つれづれなるころ花散里の物語と夏五月雨の季節の類同的発想。「花散里」「須磨」「蓬生」巻に語られている。3.1.2
注釈152訪らひきこえたまふを源氏は花散里を使者をしてお世話申し上げさせなさる。ご自身は出向かない。3.1.2
注釈153西の妻戸に大島本は「西のつまとに」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「西の妻戸には」と「は」を補訂する。3.1.3
注釈154水鶏だにおどろかさずはいかにして--荒れたる宿に月を入れまし花散里の贈歌。「だに」副助詞、最小限の期待。せめて--だけでも。「月」は源氏を喩える。「まし」仮想の助動詞。水鶏が鳴いて教えてくれたから、あなたを招じいれたのです、の意。3.1.4
注釈155いとなつかしう、言ひ消ちたまへるぞ『集成』は「とても親しみをそそる調子で、怨めしさを抑えておっしゃるのが」と注す。3.1.5
注釈156とりどりに以下「苦しけれ」まで、源氏の心中。3.1.6
注釈157おしなべてたたく水鶏におどろかば--うはの空なる月もこそ入れ源氏の返歌。花散里の「水鶏だに」「月を入れまし」を受けて「おしなべてたたく水鶏」「うはの空なる月もこそ入れ」と切り返す。3.1.8
注釈158うしろめたう和歌に添えた言葉。3.1.9
注釈159空な眺めそ「須磨」巻(第一章第四段)で源氏が花散里に詠み贈った和歌の一部の語句。3.1.10
注釈160のたまひ出でて主語は花散里。3.1.10
注釈161などてたぐひあらじと以下「嘆かしさにこそ」まで、花散里の詞。3.1.11
注釈162例のいづこの御言の葉にかあらむ『集成』は「女の心を捉えるうまい言葉が次々に出てくることに、なかばあきれたという気持の草子地」。3.1.12
校訂21 花散里などを離れ 花散里などを離れ--花散里(里/+なと<朱>)あ(あ/#か<朱>)れ 3.1.1
3.2
第二段 筑紫の五節と朧月夜尚侍


3-2  Genji's girlfriend, Gosechi and Oborozukiyo

3.2.1  かやうのついでにも、五節を思し忘れず、「 また見てしがな」と、心にかけたまへれど、いとかたきことにて、え紛れたまはず。
 このような折にも、あの五節をお忘れにならず、「また会いたいものだ」と、心に掛けていらっしゃるが、たいそう難しいことで、お忍びで行くこともできない。
 こんな機会がまた作られたならば、大弐だいに五節ごせちに逢いたいと源氏は願っていたが、五節の訪問も実現がむずかしいと見なければならない。
  Kayau no tuide ni mo, Goseti wo obosi wasure zu, "Mata mi te si gana." to, kokoro ni kake tamahe re do, ito kataki koto nite, e magire tamaha zu.
3.2.2  女、もの思ひ絶えぬを、親はよろづに思ひ言ふこともあれど、 世に経むことを思ひ絶えたり
 女は、物思いが絶えないのを、親はいろいろと縁談を勧めることもあるが、普通の結婚生活を送ることを断念していた。
 女は源氏を忘れることができないで、物思いの多い日を送っていて、親が心配してかれこれと勧める結婚話には取り合わずに、人並みの女の幸福などはいらないと思っていた。
  Womna, monoomohi taye nu wo, oya ha yorodu ni omohi ihu koto mo are do, yo ni he m koto wo omohi taye tari.
3.2.3   心やすき殿造りしては、「 かやうの人集へても思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば、さる人の後見にも」と思す。
 気兼ねのいらない邸を造ってからは、「このような人々を集めて、思い通りにお世話なさる子どもが出て来たら、その人の後見にもしよう」とお思いになる。
 源氏は東の院は本邸でなく、そんな人たちを集めて住ませようと建築をさせているのであったから、もし理想どおりにかしずき娘ができてくることがあったら、顧問格の女として才女の五節などは必要な人物であると源氏は思っていた。
  Kokoroyasuki tonodukuri si te ha, "Kayau no hito tudohe te mo, omohu sama ni kasiduki tamahu beki hito mo ide monosi tamaha ba, saru hito no usiromi ni mo." to obosu.
3.2.4  かの院の造りざま、なかなか見どころ多く、 今めいたり。よしある受領などを選りて、当て当てに催したまふ。
 東の院の造りようは、かえって見所が多く今風である。風流を解する受領など選んで、それぞれに分担させて急がせなさる。
 東の院はおもしろい設計で建てられているのである。近代的な生活に適するような明るい家である。地方官の中のよい趣味を持つ一人一人に殿舎をわり当てにして作らせていた。
  Kano win no tukurizama, nakanaka midokoro ohoku, imamei tari. Yosi aru zuryau nado wo eri te, ateate ni moyohosi tamahu.
3.2.5  尚侍の君、なほえ思ひ放ちきこえたまはず。 こりずまに立ち返り、御心ばへもあれど、女は憂きに懲りたまひて、昔のやうにもあひしらへきこえたまはず。なかなか、所狭う、さうざうしう世の中、思さる。
 尚侍の君を、今でもお諦め申すことがおできになれない。失敗に懲りもせずに再び、お気持ちをお見せになることもあるが、女は嫌なことに懲りなさって、昔のようにお相手申し上げなさらない。かえって、窮屈で、間柄を物足りないと、お思いになる。
 源氏は今も尚侍ないしのかみを恋しく思っていた。懲りたことのない人のように、またあぶないこともしかねないほど熱心になっているが、環境のために恋には奔放な力を見せた女もつつましくなっていて、昔のように源氏の誘惑に反響を見せるようなこともない。源氏は自身の地位ができて世の中が窮屈になり、冷たいものになり、物足りなくなったと感じていた。
  Naisi no Kam-no-Kimi, naho e omohi hanati kikoye tamaha zu. Korizuma ni tatikaheri, mikokorobahe mo are do, Womna ha, uki ni kori tamahi te, mukasi no yau ni mo ahi sirahe kikoye tamaha zu. Nakanaka, tokoroseu, sauzausiu yononaka, obosa ru.
注釈163また見てしがな源氏の心中。3.2.1
注釈164世に経むことを思ひ絶えたり「世」は結婚生活をいう。3.2.2
注釈165心やすき殿造りしては以下「さる人の後見にも」まで、源氏の心中。二条の東院をさす。3.2.3
注釈166かやうの人集へても花散里、五節などをさす。3.2.3
注釈167思ふさまにかしづきたまふべき人も出でものしたまはば諸説がある。『集成』の「思い通りに養育なさるべきお子でもお生れになったならば」は、第四子誕生を想定。『完訳』の「紫の上などの出産を想定。なお、宿曜とは矛盾。後の玉鬘の物語の構想と関係するか」「思いどおり養育しようとお思いになる子でもお生れになったら」は、玉鬘物語の構想を考える。『新大系』は「(明石姫君のように后がねではなく源氏の)思い通りにかわいがることのできそうな子」と注す。3.2.3
注釈168こりずまに「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)の第一句の文句による。3.2.5
出典4 こりずまに こりずまにまたもなき名は立ちぬべし人憎からぬ世にしすまへば 古今集恋三-六三一 読人しらず 3.2.5
校訂22 絶え 絶え--たへ(へ/$え<朱>) 3.2.2
校訂23 今めい 今めい--いま(いま/#<朱>)いまめひ 3.2.4
3.3
第三段 旧後宮の女性たちの動向


3-3  Old and new Mikado's wives

3.3.1   院はのどやかに思しなりて時々につけて、をかしき御遊びなど、好ましげにておはします。女御、更衣、みな例のごとさぶらひたまへど、 春宮の御母女御のみぞ、とり立てて時めきたまふこともなく、尚侍の君の御おぼえにおし消たれたまへりしを、かく引き変へ、めでたき御幸ひにて、離れ出でて宮に添ひたてまつりたまへる。
 院は気楽な御心境になられて、四季折々につけて、風雅な管弦の御遊など、御機嫌よろしうおいであそばす。女御、更衣、みな院の御所に伺候していらっしゃるが、東宮の御母女御だけは、特別にはなやかにおなりになることもなく、尚侍の君のご寵愛に圧倒されていらっしゃったのが、このようにうって変わって、結構なご幸福で、離れて東宮にお付き添い申し上ていらっしゃった。
 院は暢気のんきにおなりあそばされて、よくお好きの音楽の会などをあそばして風流に暮らしておいでになった。女御にょご更衣こういも御在位の時のままに侍しているが、東宮の母君の女御だけは、以前取り立てて御寵愛ちょうあいがあったというのではなく、尚侍にけおされた後宮の一人に過ぎなかったが、思いがけぬ幸福に恵まれた結果になって、一人だけ離れて御所の中の東宮の御在所に侍しているのである。
  Win ha nodoyaka ni obosi nari te, tokidoki ni tuke te, wokasiki ohom-asobi nado, konomasige ni te ohasimasu. Nyougo, Kaui, mina rei no goto saburahi tamahe do, Touguu no ohom-haha Nyougo nomi zo, toritate te tokimeki tamahu koto mo naku, Kam-no-Kimi no ohom-oboye ni osiketa re tamahe ri si wo, kaku hikikahe, medetaki ohom-saihahi nite, hanare ide te Miya ni sohi tatematuri tamahe ru.
3.3.2  この大臣の御宿直所は、昔の淑景舎なり。梨壺に春宮はおはしませば、近隣の御心寄せに、何ごとも聞こえ通ひて、宮をも後見たてまつりたまふ。
 この内大臣のご宿直所は、昔から淑景舎である。梨壷に東宮はいらっしゃるので、隣同士の誼で、どのようなこともお話し合い申し上げなさって、東宮をもご後見申し上げになさる。
 源氏の現在の宿直所とのいどころもやはり昔の桐壺きりつぼであって、梨壺なしつぼに東宮は住んでおいでになるのであったから、御近所であるために源氏はその御殿とお親しくして、自然東宮の御後見もするようになった。
  Kono Otodo no ohom-tonowidokoro ha, mukasi no Sigeisya nari. Nasitubo ni Touguu ha ohasimase ba, tikadonari no mikokoroyose ni, nanigoto mo kikoye kayohi te, Miya wo mo usiromi tatematuri tamahu.
3.3.3   入道后の宮、御位をまた改めたまふべきならねば、太上天皇になずらへて、御封賜らせたまふ。 院司どもなりて、さまことにいつくし。御行なひ、功徳のことを、常の御いとなみにておはします。年ごろ、世に憚りて出で入りも難く、見たてまつりたまはぬ嘆きをいぶせく思しけるに、思すさまにて、参りまかでたまふもいとめでたければ、大后は、「憂きものは世なりけり」と思し嘆く。
 入道后の宮は、御位を再びお改めになるべきでもないので、太上天皇に准じて御封を賜りあそばす。院司たちが任命されて、その様子は格別立派である。御勤行、功徳のことを、毎日のお仕事になさっている。ここ数年来、世間に遠慮して参内も難しく、お会い申されないお悲しみに、胸塞がる思いでいらっしゃったが、お思いの通りに、参内退出なさるのもまことに結構なので、大后は、「嫌なものは世の移り変わりよ」とお嘆きになる。
 入道の宮をまた新たに御母后ごぼこうの位にあそばすことは無理であったから、太上天皇に準じて女院にょいんにあそばされた。封国が決まり、院司の任命があって、これはまた一段立ちまさったごりっぱなお身の上と見えた。仏法に関係した善行功徳をお営みになることを天職のように思召おぼしめして、精励しておいでになった。長い間御所への出入りも御遠慮しておいでになったが、今はそうでなく自由なお気持ちで宮中へおはいりになり、おになりあそばすのであった。皇太后は人生を恨んでおいでになった。
  Nihudau-Kisainomiya, mikurawi wo mata aratame tamahu beki narane ba, Daizyau-Tenwau ni nazurahe te, mibu tamahara se tamahu. Winzi-domo nari te, sama koto ni itukusi. Ohom-okonahi, kudoku no koto wo, tune no ohom-itonami ni te ohasimasu. Tosigoro, yo ni habakari te ide iri mo kataku, mi tatematuri tamaha nu nageki wo ibuseku obosi keru ni, obosu sama nite, mawiri makade tamahu mo ito medetakere ba, Ohokisaki ha, "Uki mono ha yo nari keri." to obosi nageku.
3.3.4  大臣はことに触れて、 いと恥づかしげに仕まつり、心寄せきこえたまふもなかなかいとほしげなるを、人もやすからず、聞こえけり。
 内大臣は何かにつけて、たいそう恥じ入るほどにお仕え申し上げ、好意をお寄せ申し上げなさるので、かえって見ていられないようなのを、人々もそんなにまでなさらずともよかろうにと、お噂申し上げるのだった。
 何かの場合に源氏はこの方にも好意のある計らいをして敬意を表していた。太后としてはおつらいことであろうとささやく者が多かった。
  Otodo ha koto ni hure te, ito kadukasige ni tukamaturi, kokoroyose kikoye tamahu mo, nakanaka itohosige naru wo, hito mo yasukara zu, kikoye keri.
注釈169院はのどやかに思しなりて朱雀院や東宮などの動向。3.3.1
注釈170春宮の御母女御のみぞ「のみ」は「なく」に係るが、「ぞ」係助詞は「添ひたてまつりたまへる」に係る。その間、挿入句となる。3.3.1
注釈171入道后の宮御位をまた改めたまふべきならねば御子の冷泉帝が即位したので、その母である藤壺は皇太后になるのだが、出家の身なのでそうならず、太上天皇に准じて御封を賜る待遇を受けた。歴史上、一条天皇の母后藤原詮子が東三条院と呼ばれ、女院となった例を踏まえる。3.3.3
注釈172院司どもなりて「なりて」は任命されての意。3.3.3
注釈173いと恥づかしげに仕まつり心寄せきこえたまふも源氏が弘徽殿大后に対して。3.3.4
注釈174なかなかいとほしげなるを『集成』は「(大后の昔の仕打ちを思うと)かえって見ていられないほどであるのを」と訳す。3.3.4
校訂24 時々に 時々に--時々(々/+に) 3.3.1
3.4
第四段 冷泉帝後宮の入内争い


3-4  Competition between new Mikado's wives for love

3.4.1   兵部卿親王、年ごろの御心ばへのつらく思はずにて、ただ世の聞こえをのみ思し憚りたまひしことを、大臣は憂きものに思しおきて、昔のやうにもむつびきこえたまはず。
 兵部卿親王は、ここ数年来のお心が冷たく案外な仕打ちで、ただ世間のおもわくだけを気になさっていらしたことを、内大臣は恨めしくお思いになっておられて、昔のようにお親しみ申し上げなさらない。
 兵部卿ひょうぶきょう親王は源氏の官位剥奪はくだつ時代に冷淡な態度をお見せになって、ただ世間の聞こえばかりをはばかって、御娘に対してもなんらの保護をお与えにならなかったことで、当時の源氏は恨めしい思いをさせられて、もう昔のように親しい御交際はしていなかった。
  Hyaubukyau-no-Miko, tosigoro no mikokorobahe no turaku omoha zu ni te, tada yo no kikoye wo nomi obosi habakari tamahi si koto wo, Otodo ha uki mono ni obosi oki te, mukasi no yau ni mo mutubi kikoye tamaha zu.
3.4.2  なべての世には、あまねくめでたき御心なれど、この御あたりは、なかなか情けなき節も、うち交ぜたまふを、入道の宮は、 いとほしう本意なきことに見たてまつりたまへり。
 世間一般に対しては、誰に対しても結構なお心なのであるが、この宮あたりに対しては、むしろ冷淡な態度も、ままおとりになるのを、入道の宮は、困ったことで不本意なことだ、とお思い申し上げていらっしゃった。
 一般の人にはあまねく慈悲を分かとうとする人であったが、兵部卿の宮一家にだけはやや復讐ふくしゅう的な扱いもするのを、入道の宮は苦しく思召された。
  Nabete no yo ni ha, amaneku medetaki mikokoro nare do, kono ohom-atari ha, nakanaka nasakenaki husi mo, uti-maze tamahu wo, Nihudau-no-Miya ha, itohosiu ho'i naki koto ni mi tatematuri tamahe ri.
3.4.3  世の中のこと、ただなかばを分けて、太政大臣、この大臣の御ままなり。
 天下の政事は、まったく二分して、太政大臣と、この内大臣のお心のままである。
 現代には二つの大きな勢力があって、一つは太政大臣、一つは源氏の内大臣がそれで、この二人の意志で何事も断ぜられ、何事も決せられるのであった。
  Yononaka no koto, tada nakaba wo wake te, Ohokiotodo, kono Otodo no ohom-mama nari.
3.4.4   権中納言の御女、その年の八月に参らせたまふ祖父殿ゐたちて、儀式などいとあらまほし。
 権中納言の御娘、その年の八月に入内させなさる。祖父大臣が率先なさって、儀式などもたいそう立派である。
 権中納言の娘がその年の八月に後宮へはいった。すべての世話は祖父の大臣がしていてはなやかな仕度したくであった。
  Gon-Tyuunagon no ohom-musume, sono tosi no Hatigwati ni mawira se tamahu. Ohodi-dono witati te, gisiki nado ito aramahosi.
3.4.5   兵部卿宮の中の君も、さやうに心ざしてかしづきたまふ名高きを、大臣は、 人よりまさりたまへとしも思さずなむありける。 いかがしたまはむとすらむ
 兵部卿宮の中の君も、そのように志して、大切にお世話なさっているとの評判は高いが、内大臣は、他より一段と勝るようにとも、お考えにはならないのであった。どうなさるおつもりであろうか。
 兵部卿親王も第二の姫君を後宮へ入れる志望を持っておいでになって、大事におかしずきになる評判のあるのを、源氏はその姫君に光栄あれとも思われないのであった。源氏はまたどんな人を後宮へ推薦しようとしているかそれはわからない。
  Hyaubukyau-no-Miya no Naka-no-Kimi mo, sayauni kokorozasi te kasiduki tamahu nadakaki wo, Otodo ha, hito yori masari tamahe to simo obosa zu nam ari keru. Ikaga si tamaha m to su ram?
注釈175兵部卿親王紫の君の父親。藤壺入道の宮の兄。皇族第一の実力者。3.4.1
注釈176いとほしう本意なきこと藤壺の心中を間接的に叙述。3.4.2
注釈177権中納言の御女その年の八月に参らせたまふもとの頭中将の娘、八月に冷泉帝後宮に入内。もと左大臣家、いま、太政大臣家。一般臣家の第一の実力者が娘を後宮に入内させる。3.4.4
注釈178祖父殿ゐたちて『完訳』は「太政大臣が率先し采配を振り。孫娘の格上げに養女としたか」と注す。3.4.4
注釈179兵部卿宮の中の君もさやうに心ざして兵部卿宮の中の君も入内の予定。3.4.5
注釈180人よりまさりたまへ源氏の心中を間接的に叙述。『集成』は「すぐれたお身の上(帝の后)になられよともお考えにならないのだった」と注す。3.4.5
注釈181いかがしたまはむとすらむ語り手の文。読者に先の期待を持たせてこの段を締め括る。『完訳』は「源氏の今後の対処に注目しようとする、語り手の評言」と注す。3.4.5
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現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年4月28日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2006年1月6日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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