第十四帖 澪標


14 MIWOTUKUSI (Ohoshima-bon)


光る源氏の二十八歳初冬十月から二十九歳冬まで内大臣時代の物語


Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from October at the age of 28 to in winter at the age of 29

5
第五章 光る源氏の物語 冷泉帝後宮の入内争い


5  Tale of Hikaru-Genji  Competition between new Mikado's wives for love

5.1
第一段 斎宮と母御息所上京


5-1  Saigu and her mother return to Kyoto

5.1.1   まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば、御息所上りたまひてのち、変はらぬさまに何ごとも訪らひきこえたまふことは、ありがたきまで、情けを尽くしたまへど、「 昔だにつれなかりし御心ばへの、なかなかならむ名残は見じ」と、思ひ放ちたまへれば、渡りたまひなどすることはことになし。
 そう言えば、あの斎宮もお代わりになったので、御息所も上京なさって後、昔と変わりなく何くれとなくお見舞い申し上げなさることは、世にまたとないほど、お心を尽くしてなさるが、「昔でさえ冷淡であったお気持ちを、なまじ会うことによって、かえって、昔ながらのつらい思いをすることはするまい」と、きっぱりと思い絶っていらしたので、お出向きになることはない。
 この御代みよになった初めに斎宮もお変わりになって、六条の御息所みやすどころ伊勢いせから帰って来た。それ以来源氏はいろいろと昔以上の好意を表しているのであるが、なお若かった日すらも恨めしい所のあった源氏の心のいわば余炎ほどの愛を受けようとは思わない、もう二人に友人以上の交渉があってはならないと御息所は決めていたから、源氏も自身で訪ねて行くようなことはしないのである。
  Makoto ya, kano Saiguu mo kahari tamahi ni sika ba, Miyasumdokoro nobori tamahi te noti, kahara nu sama ni nanigoto mo toburahi kikoye tamahu koto ha, arigataki made, nasake wo tukusi tamahe do, "Mukasi dani turenakari si mikokorobahe no, nakanaka nara m nagori ha mi zi." to, omohi hanati tamahe re ba, watari tamahi nado suru koto ha koto ni nasi.
5.1.2   あながちに動かしきこえたまひてもわが心ながら知りがたく、とかくかかづらはむ御歩きなども、所狭う思しなりにたれば、強ひたるさまにもおはせず。
 無理してお心を動かし申しなさったところで、自分ながら先々どう変わるかわからず、あれこれと関わりになるお忍び歩きなども、窮屈にお思いになっていたので、無理してお出向きにもならない。
 しいて旧情をあたためることに同意をさせても、自分ながらもまた女を恨めしがらせる結果にならないとは保証ができないというように源氏は思っていたし、女の家へ通うことなども今では人目を引くことが多くなっていることでもあって、待つと言わない人をしいて訪ねて行くことはしなかった。
  Anagati ni ugokasi kikoye tamahi te mo, waga kokoro nagara siri gataku, tokaku kakaduraha m ohom-ariki nado mo, tokoroseu obosi nari ni tare ba, sihi taru sama ni mo, ohase zu.
5.1.3  斎宮をぞ、「 いかにねびなりたまひぬらむ」と、ゆかしう思ひきこえたまふ。
 斎宮を、「どんなにご成人なさったろう」と、お会いしてみたくお思いになる。
 斎宮がどんなにりっぱな貴女きじょになっておいでになるであろうと、それを目に見たく思っていた。
  Saiguu wo zo, "Ikani nebi nari tamahi nu ram?" to, yukasiu omohi kikoye tamahu.
5.1.4  なほ、かの六条の旧宮をいとよく修理しつくろひたりければ、みやびかにて住みたまひけり。よしづきたまへること、旧りがたくて、よき女房など多く、好いたる人の集ひ所にて、ものさびしきやうなれど、心やれるさまにて経たまふほどに、にはかに重くわづらひたまひて、もののいと心細く思されければ、 罪深き所ほとりに年経つるも、 いみじう思して、尼になりたまひぬ。
 昔どおり、あの六条の旧邸をたいそうよく修理なさったので、優雅にお住まいになっているのであった。風雅でいらっしゃること、変わらないままで、優れた女房などが多く、風流な人々の集まる所で、何となく寂しいようであるが、気晴らしをなさってお暮らしになっているうちに、急に重くお患いになられて、たいそう心細い気持ちにおなりになったので、仏道を忌む所辺りに何年も過ごしていたことも、ひどく気になさって、尼におなりになった。
 御息所は六条の旧邸をよく修繕してあくまでも高雅なふうに暮らしていた。洗練された趣味は今も豊かで、よい女房の多い所として風流男の訪問が絶えない。寂しいようではあるが思い上がった貴女にふさわしい生活であると見えたが、にわかに重い病気になって心細くなった御息所は、伊勢という神の境にあって仏教に遠ざかっていた幾年かのことが恐ろしく思われて尼になった。
  Naho, kano Rokudeu no hurumiya wo ito yoku suri si tukurohi tari kere ba, miyabika nite sumi tamahi keri. Yosiduki tamahe ru koto, huri gataku te, yoki nyoubau nado ohoku, sui taru hito no tudohi dokoro nite, mono-sabisiki yau nare do, kokoroyare ru sama nite he tamahu hodo ni, nihaka ni omoku wadurahi tamahi te, mono no ito kokorobosoku obosa re kere ba, tumi hukaki tokoro hotori ni tosi he turu mo, imiziu obosi te, ama ni nari tamahi nu.
5.1.5  大臣、聞きたまひて、かけかけしき筋にはあらねど、 なほさる方のものをも聞こえあはせ、人に思ひきこえつるを、かく思しなりにけるが口惜しうおぼえたまへば、おどろきながら渡りたまへり。飽かずあはれなる御訪らひ聞こえたまふ。
 内大臣、お聞きになって、色恋といった仲ではないが、やはり風雅に関することでのお話相手になるお方とお思い申し上げていたのを、このようにご決意なさったのが残念に思われなさって、驚いたままお出向きになった。いつ尽きるともないしみじみとしたお見舞いの言葉を申し上げになる。  源氏は聞いて、恋人として考えるよりも、首肯される意見を持つよき相談相手と信じていたその人の生命いのちが惜しまれて、驚きながら六条邸を見舞った。
  Otodo, kiki tamahi te, kakekakesiki sudi ni ha ara ne do, naho saru kata no mono wo mo kikoye ahase, hito ni omohi kikoye turu wo, kaku obosi nari ni keru ga kutiwosiu oboye tamahe ba, odoroki nagara watari tamahe ri. Aka zu ahare naru ohom-toburahi kikoye tamahu.
5.1.6  近き御枕上に御座よそひて、脇息におしかかりて、御返りなど聞こえたまふも、いたう弱りたまへるけはひなれば、「 絶えぬ心ざしのほどは、え見えたてまつらでや」と、口惜しうて、いみじう泣いたまふ。
 お近くの御枕元にご座所を設けて、脇息に寄り掛かって、お返事などを申し上げなさるのも、たいそう衰弱なさっている感じなので、「いつまでも変わらない心の中を、お分かり頂けないままになるのではないか」と、残念に思われて、ひどくお泣きになる。
 源氏は真心から御息所をいたわり、御息所を慰める言葉を続けた。病床の近くに源氏の座があって、御息所は脇息きょうそくに倚りかかりながらものを言っていた。非常に衰弱の見える昔の恋人のために源氏は泣いた。
  Tikaki ohom-makuragami ni omasi yosohi te, kehusoku ni osikakari te, ohom-kaheri nado kikoye tamahu mo, itau yowari tamahe ru kehahi nare ba, "Taye nu kokorozasi no hodo ha, e miye tatematura de ya?" to, kutiwosiu te, imiziu nai tamahu.
注釈225まことや、かの斎宮も替はりたまひにしかば御世代わりによって斎宮上京。源氏、御息所を見舞う。5.1.1
注釈226昔だに以下「名残は見じ」まで、御息所の心中。5.1.1
注釈227あながちに動かしきこえたまひても以下、源氏の心中と地の文が融合した文章。「たまひ」があるので、地の文である。5.1.2
注釈228わが心ながら知りがたく『集成』は「生霊事件でいったんうとましく思ったことがあるので、御息所への気持は、源氏自身にも自信が持てない」と注す。5.1.2
注釈229いかにねびなりたまひぬらむ源氏の心中。斎宮、二十歳。5.1.3
注釈230罪深き所ほとりに大島本は「つみふかきところほとりに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「罪深き所に」と「ほとり」を削除する。大島本の「ところほとり」は「ところ」と「ほとり」の合成本文であろう。伊勢神宮をさす。仏道から離れた生活であるので、こういう。源氏との愛執の罪の上に更に神域に長年過ごし、仏道から遠ざかっていたことを思う。5.1.4
注釈231いみじう思して『集成』は「仏道修行から遠ざかっていたので、来世にどんな報いがあるかと、恐ろしく思われて」と注す。5.1.4
注釈232なほさる方のものをも聞こえあはせ人に思ひきこえつるを「さる方」は風雅の方面をさす。「を」について、『集成』は「やはり、風雅に関することでお話相手になる方とお思い申していたのに」と逆接の意に、一方『完訳』は「やはり何かといえば恰好なお話相手になるお方と存じ上げていたのだから」と順接の意に解す。5.1.5
注釈233絶えぬ心ざしのほどはえ見えたてまつらでや源氏の心中。5.1.6
5.2
第二段 御息所、斎宮を源氏に託す


5-2  Lady Rokujo entrusts her daughter to Genji

5.2.1   かくまでも思しとどめたりけるを、女も、よろづにあはれに思して、斎宮の御ことをぞ聞こえたまふ。
 こんなにまでもお心に掛けていたのを、女も、万感胸に迫る思いになって、斎宮の御事をお頼み申し上げになる。
 どれほど愛していたかをこの人に実証して見せることができないままで死別をせねばならぬかと残念でならないのである。この源氏の心が御息所に通じたらしくて、誠意の認められる昔の恋人に御息所は斎宮のことを頼んだ。
  Kaku made mo obosi todome tari keru wo, Womna mo, yorodu ni ahare ni obosi te, Saiguu no ohom-koto wo zo kikoye tamahu.
5.2.2  「 心細くてとまりたまはむを、かならず、ことに触れて数まへきこえたまへ。また見ゆづる人もなく、たぐひなき御ありさまになむ。かひなき身ながらも、今しばし世の中を思ひのどむるほどは、とざまかうざまにものを思し知るまで、見たてまつらむこと こそ思ひたまへつれ
 「心細い状況で先立たれなさるのを、きっと、何かにつけて面倒を見て上げてくださいまし。また他に後見を頼む人もなく、この上もなくお気の毒な身の上でございまして。何の力もないながらも、もうしばらく平穏に生き長らえていられるうちは、あれやこれや物の分別がおつきになるまでは、お世話申そうと存じておりましたが」
 「孤児になるのでございますから、何かの場合に子の一人と思ってお世話をしてくださいませ。ほかに頼んで行く人はだれもない心細い身の上なのです。私のような者でも、もう少し人生というもののわかる年ごろまでついていてあげたかったのです」
  "Kokorobosoku te tomari tamaha m wo, kanarazu, koto ni hure te kazumahe kikoye tamahe. Mata miyuduru hito mo naku, taguhi naki ohom-arisama ni nam. Kahinaki mi nagara mo, ima sibasi yononaka wo omohi nodomuru hodo ha, tozamakauzama ni mono wo obosi siru made, mi tatematura m koto koso omohi tamahe ture."
5.2.3  とても、消え入りつつ泣いたまふ。
 と言って、息も絶え絶えにお泣きになる。
 こう言ったあとで、そのまま気を失うのではないかと思われるほど御息所は泣き続けた。
  tote mo, kiyeiri tutu nai tamahu.
5.2.4  「 かかる御ことなくてだに、思ひ放ちきこえさすべきにもあらぬを、まして、心の及ばむに従ひては、何ごとも後見きこえむとなむ思うたまふる。 さらに、うしろめたくな思ひきこえたまひそ」
 「このようなお言葉がなくてでさえも、放ってお置き申すことはあるはずもないのに、ましてや、気のつく限りは、どのようなことでもご後見申そうと存じております。けっして、ご心配申されることはありません」
 「あなたのお言葉がなくてもむろん私は父と変わらない心で斎宮を思っているのですから、ましてあなたが御病中にもこんなに御心配になって私へお話しになることは、どこまでも責任を持ってお受け合いします。気がかりになどは少しもお思いになることはありませんよ」
  "Kakaru ohom-koto naku te dani, omohi hanati kikoye sasu beki ni mo ara nu wo, masite, kokoro no oyoba m ni sitagahi te ha, nanigoto mo usiromi kikoye m to nam omou tamahuru. Sarani, usirometaku na omohi kikoye tamahi so."
5.2.5  など聞こえたまへば、
 などと申し上げなさると、
 などと源氏が言うと、
  nado kikoye tamahe ba,
5.2.6  「 いとかたきことまことにうち頼むべき親などにて、見ゆづる人だに、女親に離れぬるは、いとあはれなることにこそはべるめれ。 まして、思ほし人めかさむにつけても、あぢきなき方やうち交り、人に心も置かれたまはむ。うたてある思ひやりごとなれど、かけてさやうの世づいたる筋に思し寄るな。憂き身を抓みはべるにも、女は、思ひの外にてもの思ひを添ふるものになむはべりければ、 いかでさる方をもて離れて、見たてまつらむと思うたまふる
 「とても難しいこと。本当に信頼できる父親などで、後を任せられる人がいてさえ、女親に先立たれた娘は、実にかわいそうなもののようでございます。ましてや、ご寵愛の人のようになるにつけても、つまらない嫉妬心が起こり、他の女の人からも憎まれたりなさいましょう。嫌な気のまわしようですが、けっして、そのような色めいたことはお考えくださいますな。悲しいわが身を引き比べてみましても、女というものは、思いも寄らないことで気苦労をするものでございましたので、何とかしてそのようなこととは関係なく、後見していただきたく存じます」
 「でもなかなかお骨の折れることでございますよ。あとを頼まれた人がほんとうの父親であっても、それでも母親のない娘は心細いことだろうと思われますからね。まして恋人の列になどお入れになっては、思わぬ苦労をすることでしょうし、またほかの方を不快にもさせることだろうと思います。悪い想像ですが決してそんなふうにお取り扱いにならないでね。私自身の経験から、あの人は恋愛もせず一生処女でいる人にさせたいと思います」
  "Ito kataki koto. Makoto ni uti-tanomu beki oya nado ni te, miyuduru hito dani, meoya ni hanare nuru ha, ito ahare naru koto ni koso haberu mere. Masite, omohosi hitomekasa m ni tuke te mo, adikinaki kata ya uti-maziri, hito ni kokoro mo oka re tamaha m. Utate aru omohiyarigoto nare do, kakete sayau no yodui taru sudi ni obosiyoru na. Uki mi wo tumi haberu ni mo, womna ha, omohi no hoka nite monoomohi wo sohuru mono ni nam haberi kere ba, ikade saru kata wo mote-hanare te, mi tatematura m to omou tamahuru."
5.2.7  など聞こえたまへば、「 あいなくものたまふかな」と思せど、
 などと申し上げなさるので、「つまらなことをおっしゃるな」とお思いになるが、
 御息所はこう言った。意外な忖度そんたくまでもするものであると思ったが源氏はまた、
  nado kikoye tamahe ba, "Ainaku mo notamahu kana!" to obose do,
5.2.8  「 年ごろに、よろづ思うたまへ知りにたるものを、昔の好き心の名残あり顔にのたまひなすも本意なくなむ。よし、おのづから」
 「ここ数年来、何事も思慮深くなっておりますものを、昔の好色心が今に残っているようにおっしゃいますのは、不本意なことです。いずれ、そのうちに」
 「近年の私がどんなにまじめな人間になっているかをご存じでしょう。昔の放縦な生活の名残なごりをとどめているようにおっしゃるのが残念です。自然おわかりになってくることでしょうが」
  "Tosigoro ni, yorodu omou tamahe siri ni taru mono wo, mukasi no sukigokoro no nagori ari gaho ni notamahi nasu mo ho'i naku nam. Yosi, onodukara."
5.2.9  とて、外は暗うなり、内は大殿油のほのかにものより通りて見ゆるを、「 もしもや」と思して、やをら御几帳のほころびより見たまへば、心もとなきほどの火影に、御髪いとをかしげにはなやかにそぎて、寄りゐたまへる、 絵に描きたらむさまして、いみじうあはれなり。帳の 東面に添ひ臥したまへるぞ、宮ならむかし。御几帳のしどけなく引きやられたるより、御目とどめて見通したまへれば、頬杖つきて、いともの悲しと思いたるさまなり。はつかなれど、いとうつくしげならむと見ゆ。
 と言って、外は暗くなり、内側は大殿油がかすかに物越しに透けて見えるので、「もしや」とお思いになって、そっと御几帳の隙間から御覧になると、頼りなさそうな燈火に、お髪がたいそう美しそうにくっきりと尼削ぎにして、寄り伏していらっしゃる、絵に描いたような様に見えて、ひどく胸を打つ。東面に添い伏していらっしゃるのが斎宮なのであろう。御几帳が無造作に押しやられている隙間から、お目を凝らして見通して御覧になると、頬杖をついてたいそう悲しくお思いの様子である。わずかしか見えないが、とても器量がよさそうに見える。
 と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影ほかげ病牀びょうしょう几帳きちょうをとおしてさしていたから、あるいは見えることがあろうかと静かに寄って几帳のほころびからのぞくと、明るくはない光の中に昔の恋人の姿があった。美しくはなやかに思われるほどに切り残した髪が背にかかっていて、脇息によった姿は絵のようであった。源氏は哀れでたまらないような気がした。帳台の東寄りの所で身を横たえている人は前斎宮でおありになるらしい。几帳のれ絹が乱れた間からじっと目を向けていると、宮は頬杖ほおづえをついて悲しそうにしておいでになる。少ししか見えないのであるが美人らしく見えた。
  tote, to ha kurau nari, uti ha ohotonoabura no honoka ni mono yori tohori te miyuru wo, "Mosi mo ya?" to obosi te, yawora mikityau no hokorobi yori mi tamahe ba, kokoromotonaki hodo no hokage ni, migusi ito wokasige ni hanayaka ni sogi te, yoriwi tamahe ru, we ni kaki tara m sama si te, imiziu ahare nari. Tyau no himgasiomote ni sohihusi tamahe ru zo, Miya nara m kasi. Mikityau no sidokenaku hikiyara re taru yori, ohom-me todome te mitohosi tamahe re ba, turaduwe tuki te, ito mono-ganasi to oboi taru sama nari. Hatuka nare do, ito utukusige nara m to miyu.
5.2.10  御髪のかかりたるほど、頭つき、けはひ、あてに気高きものから、 ひちちかに愛敬づきたまへるけはひ、しるく見えたまへば、心もとなくゆかしきにも、「 さばかりのたまふものを」と、思し返す。
 お髪の掛ったところ、頭の恰好、感じ、上品で気高い感じがする一方で、小柄で愛嬌がおありになる感じが、はっきりお見えになるので、心惹かれ好奇心がわいてくるが、「あれほどおっしゃっているのだから」と、お思い直しなさる。
 髪のかかりよう、頭の形などに気高けだかい美が備わりながらまた近代的なはなやかな愛嬌あいきょうのある様子もわかった。御息所があんなに阻止的に言っているのであるからと思って、源氏は動く心をおさえた。
  Migusi no kakari taru hodo, kasiratuki, kehahi, ate ni kedakaki monokara, hititika ni aigyauduki tamahe ru kehahi, siruku miye tamahe ba, kokoromotonaku yukasiki ni mo, "Sabakari notamahu mono wo." to, obosi kahesu.
5.2.11  「 いと苦しさまさりはべる。かたじけなきを、はや渡らせたまひね」
 「とても苦しさがひどくなりました。恐れ多いことですが、もうお引き取りあそばしませ」
 「私はとてもまた苦しくなってまいりました。失礼でございますからもうお帰りくださいませ」
  "Ito kurusisa masari haberu. Katazikenaki wo, haya watara se tamahi ne."
5.2.12  とて、人にかき臥せられたまふ。
 とおっしゃって、女房に臥せさせられなさる。
 と御息所は言って、女房の手を借りて横になった。
  tote, hito ni kaki-huse rare tamahu.
5.2.13  「 近く参り来たるしるしに、よろしう思さればうれしかるべきを、心苦しきわざかな。いかに思さるるぞ」
 「お側近くに伺った甲斐があって、いくらか具合がよくなられたのなら、嬉しく存じられるのですが、おいたわしいことです。いかがなお具合ですか」
 「私が伺ったので少しでも御気分がよくなればよかったのですが、お気の毒ですね。どんなふうに苦しいのですか」
  "Tikaku mawiri ki taru sirusi ni, yorosiu obosa re ba uresikaru beki wo, kokorogurusiki waza kana! Ikani obosa ruru zo?"
5.2.14  とて、覗きたまふけしきなれば、
 と言って、お覗きになる様子なので、
 と言いながら、源氏がとこをのぞこうとするので、御息所は女房に別れの言葉を伝えさせた。
  tote, nozoki tamahu kesiki nare ba,
5.2.15  「 いと恐ろしげにはべるや。乱り心地のいとかく限りなる折しも渡らせたまへるは、まことに 浅からずなむ思ひはべることを、すこしも聞こえさせつれば、さりともと、頼もしくなむ」
 「たいそうひどい格好でございますよ。病状が本当にこれが最期と思われる時に、ちょうどお越しくださいましたのは、まことに深いご宿縁であると思われます。気にかかっていたことを、少しでもお話申し上げましたので、死んだとしても、頼もしく思われます」
 「長くおいでくださいましては物怪もののけの来ている所でございますからおあぶのうございます。病気のこんなに悪くなりました時分に、おいでくださいましたことも深い御因縁のあることとうれしく存じます。平生思っておりましたことを少しでもお話のできましたことで、あなたは遺族にお力を貸してくださるでしょうと頼もしく思われます」
  "Ito osorosige ni haberu ya! Midarigokoti no ito kaku kagiri naru wori simo watara se tamahe ru ha, makoto ni asakara zu nam. Omohi haberu koto wo, sukosi mo kikoye sase ture ba, saritomo to, tanomosiku nam."
5.2.16  と 聞こえさせたまふ
 と、お申し上げになる。

  to kikoye sase tamahu.
5.2.17  「 かかる御遺言の列に思しけるも、いとどあはれになむ。故院の御子たち、あまたものしたまへど、親しくむつび思ほすも、をさをさなきを、 主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば 、さこそは頼みきこえはべらめ。すこしおとなしきほどになりぬる齢ながら、あつかふ人もなければ、さうざうしきを」
 「このようなご遺言を承る一人にお考えくださったのも、ますます恐縮に存じます。故院の御子たちが、大勢いらっしゃるが、親しく思ってくださる方は、ほとんどおりませんが、院の上がご自分の皇女たちと同じようにお考え申されていらしたので、そのようにお頼み申しましょう。多少一人前といえるような年齢になりましたが、お世話するような姫君もいないので、寂しく思っていたところでしたから」
 「大事な御遺言を私にしてくださいましたことをうれしく存じます。院の皇女がたはたくさんいらっしゃるのですが、私と親しくしてくださいます方はあまりないのですから、斎宮を院が御自身の皇女の列に思召おぼしめされましたとおりに私も思いまして、兄弟としてむつまじくいたしましょう。それに私はもう幾人もの子があってよい年ごろになっているのですから、私の物足りなさを斎宮は補ってくださるでしょう」
  "Kakaru ohom-yuigon no tura ni obosi keru mo, itodo ahare ni nam. Ko-Win no Miko-tati, amata monosi tamahe do, sitasiku mutubi omohosu mo, wosawosa naki wo, Uhe no onazi Miko-tati no uti ni kazumahe kikoye tamahi sika ba, sakoso ha tanomi kikoye habera me. Sukosi otonasiki hodo ni nari nuru yohahi nagara, atukahu hito mo nakere ba, sauzausiki wo."
5.2.18  など聞こえて、帰りたまひぬ。御訪らひ、今すこしたちまさりて、しばしば聞こえたまふ。
 などと申し上げて、お帰りになった。お見舞い、以前よりもっとねんごろに頻繁にお訪ねになる。
 などと言い置いて源氏は帰った。それからは源氏の見舞いの使いが以前よりもまた繁々しげしげ行った。
  nado kikoye te, kaheri tamahi nu. Ohom-toburahi, ima sukosi tati-masari te, sibasiba kikoye tamahu.
注釈234かくまでも思しとどめたりけるを『完訳』は「「けり」は、源氏の深い志にあらためて気づく気持。次の「女」も男女関係を強調した呼称で、御息所の源氏への感動の文脈を形成」と注す。5.2.1
注釈235心細くてとまりたまはむを以下「思ひたまへつれ」まで、御息所の詞。源氏に斎宮の事を頼む。
【とまりたまはむを】-「を」、接続助詞、順接また逆接。あるいは格助詞、目的格とも解せる。『集成』は「お一人であとにお残りになりますが」。『完訳』は「心細い有様でこの世にお残りになるでしょうから」と解す。
5.2.2
注釈236こそ思ひたまへつれ「こそ」係助詞。「つれ」完了の助動詞、已然形。係結び、逆接用法。強調と余意・余情の表現。『完訳』は「逆接の文脈で、下に、しかし今は生命尽きた、の意を補い読む」と注す。5.2.2
注釈237かかる御ことなくてだに以下「な思ひきこえたまひそ」まで、源氏の詞。承知しているので心配するな、と慰める。「だに」副助詞、下文に「まして」副詞と呼応した文脈。5.2.4
注釈238さらにうしろめたく「さらに」副詞、下の「な」--「そ」に係って、全然心配するな、という禁止の意。5.2.4
注釈239いとかたきこと以下「思うたまふる」まで、御息所の詞。斎宮を愛人のように扱うなと頼む。5.2.6
注釈240まことにうち頼むべき親など「親」は実の父親。「べき」推量の助動詞、可能。5.2.6
注釈241まして思ほし人めかさむにつけても上の「だに」--「まして」の構文。『完訳』は「それにもまして絶望的な不孝とは--、の気持で続く」と注す。「む」推量の助動詞、仮定また婉曲のニュアンス。『集成』は「まして(父親でもないあなたが面倒をみて下さる際に)ご寵愛の人といったお扱いをなさるとしたら」と訳す。5.2.6
注釈242いかでさる方をもて離れて見たてまつらむと思うたまふる『集成』は「普通の結婚をして妻妾の一人となることを望まぬ気持」。『完訳』は「色恋とは無縁に、の意。娘の生涯の独身をも望んでいるか」と注す。5.2.6
注釈243あいなくものたまふかな源氏の心中。『完訳』は「痛くもない腹を探られる思い。実際には娘への関心がひそむ」と注す。5.2.7
注釈244年ごろによろづ以下「よしおのづから」まで、源氏の詞。けっして昔のような考えでないから心配することはないという。5.2.8
注釈245もしもやと大島本は「もしもや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「もしや」と「も」を削除する。源氏の心中。斎宮を垣間見できようかと期待。源氏の好色心。5.2.9
注釈246絵に描きたらむさましていみじうあはれなり絵に描いた人のように美しい。尼姿の御息所に対する褒め言葉。5.2.9
注釈247東面に添ひ臥したまへるぞ宮ならむかし「ぞ」係助詞、強調のニュアンス。「かし」終助詞、念押し。語り手の語調。5.2.9
注釈248ひちちかに『小学館古語大辞典』に「ひちちかぴちぴちして活気のあるさま。くりくりとして元気なさま。〔語誌〕「ひちち」は「ひちひち」の約で、これに形容動詞語幹をつくる「か」の付いたものであろうが、史記桃源抄に肥満する意で「ひちらぐ」という動詞を使った例があるから、「ひち」はくりくりと太ったさまをいう語ではあるまいか。(山口佳紀)」とある。5.2.10
注釈249さばかりのたまふものを源氏の心中。御息所の言葉を思い出して、自制する。5.2.10
注釈250いと苦しさまさりはべる以下「はや渡らせたまひね」まで、御息所の詞。源氏にお引き取りを願う。5.2.11
注釈251近く参り来たるしるしに以下「いかに思さるるぞ」まで、源氏の詞。御息所の病状の安否を気づかう。5.2.13
注釈252いと恐ろしげにはべるや以下「頼もしくなむ」まで、御息所の詞。源氏に対する感謝とお礼。5.2.15
注釈253浅からずなむ「なむ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。宿縁の深さをいう。5.2.15
注釈254思ひはべることを娘斎宮の将来に関すること。5.2.15
注釈255聞こえさせたまふ「聞こえさす」丁重な謙譲語。厳粛なお礼の言葉。5.2.16
注釈256かかる御遺言の列に以下「さうざうしきを」まで、源氏の詞。斎宮を養女にしたい旨を申し出る。5.2.17
注釈257主上の同じ御子たちのうちに数まへきこえたまひしかば故桐壺院が斎宮を自分のお子の一人として扱ってくださった。「葵」巻に見える。5.2.17
校訂32 たまひ たまひ--(/+給) 5.2.17
5.3
第三段 六条御息所、死去


5-3  Lady Rokujo passed away in late fall

5.3.1   七、八日ありて亡せたまひにけり。あへなう思さるるに、世もいとはかなくて、もの心細く思されて、内裏へも参りたまはず、とかくの御ことなど掟てさせたまふ。また頼もしき人もことにおはせざりけり。 古き斎宮の宮司など、仕うまつり馴れたるぞ、わづかにことども定めける。
 七、八日あって、お亡くなりになったのであった。あっけなくお思いなさるにつけて、人の寿命もまことはかなくて、何となく心細くお思いになって、内裏へも参内なさらず、あれこれと御葬送のことなどをお指図なさる。他に頼りになる人が格別いらっしゃらないのであった。かつての斎宮の宮司など、前々から出入りしていた者が、なんとか諸事を取り仕切ったのであった。
 そうして七、八日ののちに御息所は死んだ。無常の人生が悲しまれて、心細くなった源氏は参内もせずに引きこもっていて、御息所の葬儀についての指図さしずを下しなどしていた。前の斎宮司の役人などで親しく出入りしていた者などがわずかに来て葬式の用意に奔走するにすぎない六条邸であった。
  Nanuka, yauka ari te use tamahi ni keri. Ahenau obosa ruru ni, yo mo ito hakanaku te, mono-kokorobosoku obosa re te, Uti he mo mawiri tamaha zu, tokaku no ohom-koto nado okite sase tamahu. Mata tanomosiki hito mo koto ni ohase zari keri. Huruki Saiguu no Miyadukasa nado, tukaumaturi nare taru zo, waduka ni koto-domo sadame keru.
5.3.2  御みづからも渡りたまへり。宮に御消息聞こえたまふ。
 君ご自身もお越しになった。宮にご挨拶申し上げなさる。
侍臣を送ったあとで源氏自身も葬家へ来た。斎宮に弔詞を取り次がせると、
  Ohom-midukara mo watari tamahe ri. Miya ni ohom-seusoko kikoye tamahu.
5.3.3  「 何ごともおぼえはべらでなむ
 「何もかもどうしてよいか分からずにおります」
 「ただ今は何事も悲しみのためにわかりませんので」
  "Nanigoto mo oboye habera de nam."
5.3.4  と、女別当して、聞こえたまへり。
 と、女別当を介して、お伝え申された。
 と女別当にょべっとうを出してお言わせになった。
  to, Nyobe'tau site, kikoye tamahe ri.
5.3.5  「 聞こえさせ、のたまひ置きしこともはべしを、今は、隔てなきさまに思されば、うれしくなむ」
 「お話し申し上げ、またおっしゃられたことがございましたので、今は、隔意なくお思いいただければ、嬉しく存じます」
 「私に御遺言をなすったこともありますから、ただ今からは私をむつまじい者と思召おぼしめしてくださいましたらしあわせです」
  "Kikoyesase, notamahi oki si koto mo habe si wo, ima ha, hedate naki sama ni obosa re ba, uresiku nam."
5.3.6  と聞こえたまひて、人びと召し出でて、あるべきことども仰せたまふ。いと頼もしげに、年ごろの御心ばへ、取り返しつべう見ゆ。いといかめしう、殿の人びと、数もなう仕うまつらせたまへり。 あはれにうち眺めつつ、御精進にて、御簾下ろしこめて 行はせたまふ
 と申し上げなさって、女房たちを呼び出して、なすべきことどもをお命じになる。たいそう頼もしい感じで、長年の冷淡なお気持ちも、償われそうに見える。実に厳かに、邸の家司たち、大勢お仕えさせなさった。しみじみと物思いに耽りながら、ご精進の生活で、御簾を垂れこめて勤行をおさせになる。
 と源氏は言ってから、宮家の人々を呼び出していろいろすることを命じた。非常に頼もしい態度であったから、昔は多少恨めしがっていた一家の人々の感情も解消されていくようである。源氏のほうから葬儀員が送られ、無数の使用人が来て御息所の葬儀はきらやかに執行されたのであった。源氏は寂しい心を抱いて、昔を思いながら居間の御簾みすろしこめて精進の日を送り仏勤めをしていた。
  to kikoye tamahi te, hitobito mesi ide te, arubeki koto-domo ohose tamahu. Ito tanomosige ni, tosigoro no mikokorobahe, torikahesi tu beu miyu. Ito ikamesiu, Tono no hitobito, kazu mo nau tukaumatura se tamahe ri. Ahare ni uti-nagame tutu, ohom-sauzin nite, misu orosi kome te okonaha se tamahu.
5.3.7  宮には、常に訪らひきこえたまふ。やうやう御心静まりたまひては、みづから御返りなど聞こえたまふ。つつましう思したれど、御乳母など、「 かたじけなし」と、そそのかしきこゆるなりけり。
 宮には、常にお見舞い申し上げなさる。だんだんとお心がお静まりになってからは、ご自身でお返事などを申し上げなさる。気詰りにお思いになっていたが、御乳母などが、「恐れ多うございます」と、お勧め申し上げるのであった。
 前斎宮へは始終見舞いの手紙を送っていた。宮のお悲しみが少し静まってきたころからは御自身で返事もお書きになるようになった。それを恥ずかしく思召すのであったが、乳母めのとなどから、「もったいないことでございますから」と言って、自筆で書くことをお勧められになるのである。
  Miya ni ha, tuneni toburahi kikoye tamahu. Yauyau mikokoro sidumari tamahi te ha, midukara ohom-kaheri nado kikoye tamahu. Tutumasiu obosi tare do, ohom-menoto nado, "Katazikenasi." to, sosonokasi kikoyuru nari keri.
5.3.8   雪、霙、かき乱れ荒るる日、「 いかに、宮のありさま、かすかに眺めたまふらむ」と思ひやりきこえたまひて、御使たてまつれたまへり。
 雪、霙、降り乱れる日、「どんなに、宮邸の様子は、心細く物思いに沈んでいられるだろうか」とご想像なさって、お使いを差し向けなさった。
 雪がみぞれとなり、また白く雪になるような荒日和あれびよりに、宮がどんなに寂しく思っておいでになるであろうと想像をしながら源氏は使いを出した。
  Yuki, mizore, kaki-midare aruru hi, "Ikani, Miya no arisama, kasuka ni nagame tamahu ram?" to omohiyari kikoye tamahi te, ohom-tukahi tatemature tamahe ri.
5.3.9  「 ただ今の空を、いかに御覧ずらむ
 「ただ今の空の様子を、どのように御覧になっていられますか。
  こういう天気の日にどういうお気持ちでいられますか。
  "Tada ima no sora wo, ikani goranzu ram?
5.3.10    降り乱れひまなき空に亡き人の
   天翔るらむ宿ぞ悲しき
  雪や霙がしきりに降り乱れている中空を、亡き母宮の御霊が
  まだ家の上を離れずに天翔けっていらっしゃるのだろうと悲しく思われます
  降り乱れひまなき空にき人の
  あまがけるらん宿ぞ悲しき
    Huri midare hima naki sora ni naki hito no
    amakakeru ram yado zo kanasiki
5.3.11   空色の紙の、曇らはしきに書いたまへり。若き人の御目にとどまるばかりと、心してつくろひたまへる、いと目もあやなり。
 空色の紙の、曇ったような色にお書きになっていた。若い宮のお目にとまるほどにと、心をこめてお書きになっていらっしゃるのが、たいそう見る目にも眩しいほどである。
 という手紙を送ったのである。紙は曇った空色のが用いられてあった。若い人の目によい印象があるようにと思って、骨を折って書いた源氏の字はまぶしいほどみごとであった。
  Sorairo no kami no, kumorahasiki ni kai tamahe ri. Wakaki hito no ohom-me ni todomaru bakari to, kokoro si te tukurohi tamahe ru, ito me mo aya nari.
5.3.12  宮は、いと聞こえにくくしたまへど、これかれ、
 宮は、ひどくお返事申し上げにくくお思いになるが、誰彼が、
 宮は返事を書きにくく思召したのであるが
  Miya ha, ito kikoye nikuku si tamahe do, kore kare,
5.3.13  「人づてには、いと便なきこと」
 「ご代筆では、とても不都合なことです」
 「われわれから御挨拶あいさつをいたしますのは失礼でございますから」
  "Hitodute ni ha, ito bin naki koto."
5.3.14  と責めきこゆれば、 鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして
 と、お責め申し上げるので、鈍色の紙で、たいそう香をたきしめた優美な紙に、墨つきの濃淡を美しく交えて、
 と女房たちがお責めするので、灰色の紙の薫香くんこうのにおいを染ませたえんなのへ、目だたぬような書き方にして、
  to seme kikoyure ba, nibiiro no kami no, ito kaubasiu en naru ni, sumituki nado magirahasi te,
5.3.15  「 消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
   わが身それとも思ほえぬ世に
 「消えそうになく生きていますのが悲しく思われます
  毎日涙に暮れてわが身がわが身とも思われません世の中に
  消えがてにふるぞ悲しきかきくらし
  わが身それとも思ほえぬ世に
    "Kiye gateni huru zo kanasiki kaki-kurasi
    wagami sore to mo omohoye nu yo ni
5.3.16  つつましげなる書きざま、いとおほどかに、御手すぐれてはあらねど、らうたげにあてはかなる筋に見ゆ。
 遠慮がちな書きぶり、とてもおっとりしていて、ご筆跡は優れてはいないが、かわいらしく上品な書風に見える。
 とお書きになった。おとなしい書風で、そしておおようで、すぐれた字ではないが品のあるものであった。
  Tutumasige naru kakizama, ito ohodoka ni, ohom-te sugure te ha ara ne do, rautage ni atehaka naru sudi ni miyu.
注釈258七八日ありて亡せたまひにけり源氏が見舞ってから、七、八日後に六条御息所死去する。5.3.1
注釈259何ごともおぼえはべらでなむ斎宮の詞。女別当をして伝える。5.3.3
注釈260聞こえさせのたまひ置きしことも以下「うれしくなむ」まで、源氏の詞。「聞こえさせ」謙譲語の主語は源氏。「のたまひおきし」尊敬語の主語は御息所。5.3.5
注釈261あはれにうち眺めつつ主語は源氏。5.3.6
注釈262行はせたまふ「せ」について、『集成』は「僧に勤行をおさせになる」と使役の助動詞の意に解し、『完訳』は「お勤行をなさる」と尊敬の助動詞、源氏自身のことと解す。5.3.6
注釈263かたじけなし乳母の詞。その要旨であろう。代筆では恐れ多いの意。5.3.7
注釈264雪霙かき乱れ荒るる日『完訳』は「厳冬のころであろう。次の「降りみだれ--」の歌が御息所死後の四十九日に近いとすれば、御息所の死は初冬ごろとみられる」と注す。5.3.8
注釈265いかに宮のありさま以下「ながめたまふらむ」まで、源氏の心中。斎宮を気づかう。5.3.8
注釈266ただ今の空をいかに御覧ずらむ源氏の斎宮への手紙。和歌を付ける。5.3.9
注釈267降り乱れひまなき空に亡き人の--天翔るらむ宿ぞ悲しき源氏の斎宮への贈歌。『完訳』は「死後四十九日間は霊魂が家を離れないとする仏教観によるか。ここでは、亡母の娘への切実な執心をも思う」と注す。ほとんど技巧のない和歌。次の斎宮の返歌が技巧的なのと対照的である。5.3.10
注釈268空色の紙の曇らはしきに書いたまへり『集成』は「薄い縹色(藍色)の紙の黒ずんだのに書いておありになる。周囲の景色に合せたものである」。『完訳』「葵の上の喪中にも「空の色」の料紙」と注す。5.3.11
注釈269鈍色の紙の、いと香ばしう艶なるに、墨つきなど紛らはして紙の色と墨の色とが似ていて判然としない書きざま。『集成』は「薄鼠色の紙に筆跡が見え隠れし、次の「消えがてに」の歌意にふさわしいものとなる」と注す。5.3.14
注釈270消えがてにふるぞ悲しきかきくらし--わが身それとも思ほえぬ世に源氏の「降り乱れ」を受けて「消えがてに降る」と返す。「降る」「経る」の掛詞。「消え」「降る」「かきくらし」は「雪」「霙」の縁語。「わが身それとも」に「霙」を折り込む。大変に技巧的な和歌である。5.3.15
校訂33 古き 古き--ふか(か/る<朱>)き 5.3.1
5.4
第四段 斎宮を養女とし、入内を計画


5-4  Genji adopts Saigu as his daughter and to give her marriage to Mikado

5.4.1  下りたまひしほどより、なほあらず思したりしを、「 今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし」と思すには、例の、引き返し、
 下向なさった時から、ただならずお思いであったが、「今はいつでも心に掛けて、どのようにも言い寄ることができるのだ」とお思いになる一方では、いつものように思い返して、
 斎宮になって伊勢へお行きになったころから源氏はこの方に興味を持っていたのである。もう今は忌垣いがきの中の人でもなく、保護者からも解放された一人の女性と見てよいのであるから、恋人として思う心をささやいてよい時になったのであると、こんなふうに思われるのと同時に、それはすべきでない、おかわいそうであると思った。
  Kudari tamahi si hodo yori, naho ara zu obosi tari si wo, "Ima ha kokoro ni kake te, tomokakumo kikoyeyori nu beki zo kasi." to obosu ni ha, rei no, hikikahesi,
5.4.2  「 いとほしくこそ。故御息所の、いとうしろめたげに心おきたまひしを。ことわりなれど、 世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを、引き違へ、心清くてあつかひきこえむ。 主上の今すこしもの思し知る齢にならせたまひなば、内裏住みせさせたてまつりて、 さうざうしきに、かしづきぐさにこそ」と思しなる。
 「気の毒なことだ。故御息所が、とても気がかりに心配していらしたのだから。当然のことであるが、世間の人々も、同じようにきっと想像するにちがいないことだから、予想をくつがえして、潔白にお世話申し上げよう。主上がもう少し御分別がおつきになる年ごろにおなりあそばしたら、後宮生活をおさせ申し上げて、娘がいなくて物寂しいから、そうお世話する人として」とお考えになった。
 御息所がその点を気づかっていたことでもあるし、世間もその疑いを持って見るであろうことが、自分は全然違った清い扱いを宮にしよう、陛下が今少し大人らしくものを認識される時を待って、前斎宮を後宮に入れよう、子供が少なくて寂しい自分は養女をかしずくことに楽しみを見いだそうと源氏は思いついた。
  "Itohosiku koso. Ko-Miyasumdokoro no, ito usirometage ni kokorooki tamahi si wo. Kotowari nare do, yononaka no hito mo, sayauni omohiyori nu beki koto naru wo, hikitagahe, kokorokiyoku te atukahi kikoye m. Uhe no ima sukosi mono obosi siru yohahi ni nara se tamahi na ba, Utizumi se sase tatematuri te, sauzausiki ni, kasidukigusa ni koso." to obosi naru.
5.4.3  いとまめやかにねむごろに聞こえたまひて、さるべき折々は渡りなどしたまふ。
 たいそう誠実で懇切なお便りをさし上げなさって、しかるべき時々にはお出向きなどなさる。
親切に始終尋ねの手紙を送っていて、何かの時には自身で六条邸へ行きもした。
  Ito mameyaka ni nemgoro ni kikoye tamahi te, sarubeki woriwori ha watari nado si tamahu.
5.4.4  「 かたじけなくとも、昔の御名残に思しなずらへて、気遠からずもてなさせたまはばなむ、本意なる心地すべき」
 「恐れ多いことですが、亡き御母君のご縁の者とお思いくださって、親しくお付き合いいただければ、本望でございます」
 「失礼ですが、お母様の代わりと思ってくだすって、御遠慮のないおつきあいをくだすったら、私の真心がわかっていただけたという気がするでしょう」
  "Katazikenaku tomo, mukasi no ohom-nagori ni obosi nazurahe te, kedohokara zu motenasa se tamaha ba nam, ho'i naru kokoti su beki."
5.4.5  など聞こえたまへど、わりなくもの恥ぢをしたまふ奥まりたる人ざまにて、ほのかにも御声など聞かせたてまつらむは、いと 世になくめづらかなることと思したれば、人びとも聞こえわづらひて、かかる 御心ざまを愁へきこえあへり。
 などと申し上げなさるが、むやみに恥ずかしがりなさる内気な人柄なので、かすかにでもお声などをお聞かせ申すようなことは、とてもこの上なくとんでもないこととお思いになっていたので、女房たちもお返事に困って、このようなご性分をお困り申し上げあっていた。
 などと言うのであるが、宮は非常に内気で羞恥しゅうち心がお強くて、異性にほのかな声でも聞かせることは思いもよらぬことのようにお考えになるのであったから、女房たちも勧めかねて、宮のおとなしさを苦労にしていた。
  nado kikoye tamahe do, warinaku mono-hadi wo si tamahu okumari taru hitozama nite, honoka ni mo ohom-kowe nado kika se tatematura m ha, ito yo ni naku meduraka naru koto to obosi tare ba, hitobito mo kikoye wadurahi te, kakaru mikokoro zama wo urehe kikoye ahe ri.
5.4.6  「 女別当、内侍などいふ人びと、あるは、離れたてまつらぬわかむどほりなどにて、心ばせある人々多かるべし。この、人知れず思ふ方のまじらひをせさせたてまつらむに、人に劣りたまふまじかめり。いかでさやかに、御容貌を見てしがな」
 「女別当、内侍などという女房たち、ある者は、同じ御血縁の王孫などで、教養のある人々が多くいるのであろう。この、ひそかに思っている後宮生活をおさせ申すにしても、けっして他の妃たちに劣るようなことはなさそうだ。何とかはっきりと、ご器量を見たいものだ」
 女別当にょべっとう内侍ないし、そのほか御親戚関係の王家の娘などもお付きしているのである。自分の心に潜在している望みが実現されることがあっても、他の恋人たちの中に混じって劣る人ではないらしいこの人の顔を見たいものであると、
  "Nyobe'tau, Naisi nado ihu hitobito, aruha, hanare tatematura nu wakamdohori nado nite, kokorobase aru hitobito ohokaru besi. Kono, hito sire zu omohu kata no mazirahi wo se sase tatematura m ni, hito ni otori tamahu mazika' meri. Ikade sayaka ni, ohom-katati wo mi te si gana."
5.4.7  と思すも、 うちとくべき御親心にはあらずやありけむ
 とお思いになるのも、すっかり心の許すことのできる御親心ではなかったのであろうか。
 こんなことも思っている源氏であったから、養父として打ちとけない人が聡明そうめいであったのであろう。
  to obosu mo, uti-toku beki ohom-oyagokoro ni ha ara zu ya ari kem?
5.4.8  わが御心も定めがたければ、 かく思ふといふことも、人にも漏らしたまはず。御わざなどの御ことをも取り分きてせさせたまへば、ありがたき御心を、宮人もよろこびあへり。
 ご自分でもお気持ちが揺れ動いていたので、こう考えているということも、他人にはお漏らしにならない。ご法事の事なども、格別にねんごろにおさせになるので、ありがたいご厚志を、宮家の人々も皆喜んでいた。
 自身の心もまだどうなるかしれないのであるから、前斎宮を入内じゅだいさせる希望などは人に言っておかぬほうがよいと源氏は思っていた。故人の仏事などにとりわけ力を入れてくれる源氏に六条邸の人々は感謝していた。
  Waga mikokoro mo sadame gatakere ba, kaku omohu to ihu koto mo, hito ni mo morasi tamaha zu. Ohom-waza nado no ohom-koto wo mo toriwaki te se sase tamahe ba, arigataki mikokoro wo, Miyabito mo yorokobi ahe ri.
5.4.9  はかなく過ぐる月日に添へて、いとどさびしく、心細きことのみまさるに、さぶらふ人びとも、やうやう あかれ行き などして、下つ方の京極わたりなれば、人気遠く、 山寺の入相の声々に添へても、音泣きがちにてぞ、過ぐしたまふ。同じき御親と聞こえしなかにも、片時の間も 立ち離れたてまつりたまはで、ならはしたてまつりたまひて、斎宮にも親添ひて下りたまふことは、例なきことなるを、 あながちに誘ひきこえたまひし御心に、限りある道にては、たぐひきこえたまはずなりにしを、干る世なう思し嘆きたり。
 とりとめもなく過ぎて行く月日につれて、ますます心寂しく、心細いことばかりが増えていくので、お仕えしている女房たちも、だんだんと散り散りに去っていったりなどして、下京の京極辺なので、人の気配も気遠く、山寺の入相の鐘の声々が聞こえてくるにつけても、声を上げて泣く有様で、日を送っていらっしゃる。同じ御母親と申した中でも、片時の間もお離れ申されず、いつもご一緒申していらっしゃって、斎宮にも親が付き添ってお下りになることは、先例のないことであるが、無理にお誘い申し上げなさったお心のほどなのであるが、死出の旅路には、ご一緒申し上げられなかったことを、涙の乾く間もなくお嘆きになっていた。
 六条邸は日がたつにしたがって寂しくなり、心細さがふえてくる上に、御息所みやすどころの女房なども次第に下がって行く者が多くなって、京もずっとしもの六条で、東に寄った京極通りに近いのであるから、郊外ほどの寂しさがあって、山寺の夕べの鐘の音にも斎宮の御涙は誘われがちであった。同じく母といっても、宮と御息所は親一人子一人で、片時離れることもない十幾年の御生活であった。斎宮が母君とごいっしょに行かれることはあまり例のないことであったが、しいてごいっしょにお誘いになったほどの母君が、死の道だけはただ一人でおいでになったとお思いになることが、斎宮の尽きぬお悲しみであった。
  Hakanaku suguru tukihi ni sohe te, itodo sabisiku, kokorobosoki koto nomi masaru ni, saburahu hitobito mo, yauyau akare yuki nado si te, simotukata no Kyaugoku watari nare ba, hito ke-dohoku, yamadera no iriahi no kowegowe ni sohe te mo, ne naki gati nite zo, sugusi tamahu. Onaziki ohom-oya to kikoye si naka ni mo, katatoki no ma mo tati-hanare tatematuri tamaha de, narahasi tatematuri tamahi te, Saiguu ni mo oya sohi te kudari tamahu koto ha, rei naki koto naru wo, anagati ni izanahi kikoye tamahi si mikokoro ni, kagiri aru miti nite ha, taguhi kikoye tamaha zu nari ni si wo, hiru yo nau obosi nageki tari.
5.4.10  さぶらふ人びと、貴きも賤しきもあまたあり。されど、大臣の、
 お仕えしている女房たち、身分の高い人も低い人も多数いる。けれども、内大臣が、
 女房たちを仲介にして求婚をする男は各階級に多かったが、源氏は乳母めのとたちに、
  Saburahu hitobito, takaki mo iyasiki mo amata ari. Saredo, Otodo no,
5.4.11  「 御乳母たちだに、心にまかせたること、引き出だし仕うまつるな
 「御乳母たちでさえ、自分勝手なことをしでかしてはならないぞ」
 「自分勝手なことをして問題を起こすようなことを宮様にしてはならない」
  "Ohom-menoto-tati dani, kokoro ni makase taru koto, hikiidasi tukaumaturu na."
5.4.12  など、親がり申したまへば、「 いと恥づかしき御ありさまに、便なきこと聞こし召しつけられじ」と言ひ思ひつつ、はかなきことの情けも、さらにつくらず。
 などと、親ぶって申していらっしゃったので、「とても立派で気の引けるご様子なので、不始末なことをお耳に入れまい」と言ったり思ったりしあって、ちょっとした色めいた事も、まったくない。
 と親らしい注意を与えていたので、源氏を不快がらせるようなことは慎まねばならぬとおのおの思いもしいさめ合いもしているのである。それで情実のためにどう計らおうというようなことも皆はしなかった。
  nado, oyagari mausi tamahe ba, "Ito hadukasiki ohom-arisama ni, binnaki koto kikosimesi tuke rare zi." to ihi omohi tutu, hakanaki koto no nasake mo, sarani tukura zu.
注釈271今は心にかけて、ともかくも聞こえ寄りぬべきぞかし源氏の心中。5.4.1
注釈272いとほしくこそ以下「かしづきぐさにこそ」まで、源氏の心中。養女として冷泉帝に入内させることを決意。5.4.2
注釈273世の中の人も、さやうに思ひ寄りぬべきことなるを『集成』は「御息所と同じように邪推をしそうなことだから」と注す。5.4.2
注釈274主上の今すこしもの思し知る齢に冷泉帝は、現在十一歳。すでにこの年二月に元服も済んでいる。5.4.2
注釈275さうざうしきにかしづきぐさにこそ「こそ」係助詞、結びの省略。強調と余意・余情のニュアンス。同主旨のことを御息所の前でも述べていたが、ここは心中文なので、より源氏の本心に近い考え。5.4.2
注釈276かたじけなくとも以下「心地すべき」まで、源氏の詞。自分を親同様に考えてください、という主旨を述べる。5.4.4
注釈277女別当内侍などいふ人びと以下「御容貌見てしがな」まで、源氏の心中。斎宮への好色心をのぞかせる。「て」完了の助動詞、確述。「し」副助詞、強調。「がな」願望の終助詞。斎宮の器量を見たいものだ、という強い願望のニュアンス。5.4.6
注釈278うちとくべき御親心にはあらずやありけむ語り手が源氏の心中を忖度した文。『完訳』「恋情を断念しきれていない、とする語り手の評言。次の源氏自身の心内と相応ずる」と注す。5.4.7
注釈279かく思ふ斎宮を養女として入内させる、ということをさす。5.4.8
注釈280あかれ行き大島本は「あ(あ+か)れゆき」と「か」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従ってに従って「散(あ)れゆき」と校訂する。5.4.9
注釈281山寺の入相の声々に添へても「山寺の入相の鐘の声ごとに今日も暮れぬと聞くぞ悲しき」(拾遺集哀傷、一三二九、読人しらず)を引歌とする。5.4.9
注釈282立ち離れたてまつりたまはでならはしたてまつりたまひて主語は斎宮。この前後の物語は斎宮を主人公にして語っている文脈。「たてまつり」謙譲の補助動詞、斎宮の母御息所に対する敬意、「たまは」尊敬の補助動詞、斎宮に対する敬意。次の「たてまつり」「たまひ」も同じ。5.4.9
注釈283あながちに誘ひきこえたまひし御心に「に」格助詞、また接続助詞にも解せる。『集成』の「あえて、母君をお誘い申し上げなさったほどのお気持なので」は順接の文脈。『完訳』の「無理にお誘い申しあげなさったお心であったのに」は逆接の文脈に解す。5.4.9
注釈284御乳母たちだに心にまかせたること引き出だし仕うまつるな源氏の詞。斎宮の結婚への仲立ちを禁じる。「だに」副助詞、最小限の意。乳母たちでさえしてはならぬ、まして他の女房たちは、というニュアンス。5.4.11
注釈285いと恥づかしき以下「聞こし召しつけられじ」まで、女房たちの詞と心中。5.4.12
校訂34 世に 世に--(/+よ)に 5.4.5
校訂35 御心ざまを 御心ざまを--御心さま(ま/+を) 5.4.5
校訂36 あかれ あかれ--あ(あ/+か)れ 5.4.9
校訂37 仕う 仕う--つ(つ/+かう) 5.4.11
5.5
第五段 朱雀院と源氏の斎宮をめぐる確執


5-5  A love triangle feud with Suzaku and Genji to Saigu

5.5.1  院にも、かの下りたまひし大極殿のいつかしかりし儀式に、ゆゆしきまで見えたまひし御容貌を、忘れがたう思しおきければ、
 院におかせられても、あのお下りになった大極殿での厳かであった儀式の折に、不吉なまでに美しくお見えになったご器量を、忘れがたくお思いおかれていらしたので、
 院は宮が斎宮としてお下りになる日の荘厳だった大極殿だいごくでんの儀式に、この世の人とも思われぬ美貌びぼうを御覧になった時から、恋しく思召されたのであって、帰京後に、
  Win ni mo, kano kudari tamahi si Daigokuden no itukasikari si gisiki ni, yuyusiki made miye tamahi si ohom-katati wo, wasure gatau obosi oki kere ba,
5.5.2  「 参りたまひて、斎院など、御はらからの宮々おはしますたぐひにて、さぶらひたまへ
 「院に参内なさって、斎院など、ご姉妹の宮たちがいらっしゃるのと同じようにして、お暮らしになりなさい」
 「院の御所へ来て、私の妹の宮などと同じようにして暮らしては」
  "Mawiri tamahi te, Saiwin nado, ohom-harakara no miya miya ohasimasu taguhi nite, saburahi tamahe."
5.5.3  と、御息所にも聞こえたまひき。されど、「 やむごとなき人びとさぶらひたまふに、数々なる御後見もなくてや」と思しつつみ、「 主上は、いとあつしうおはしますも恐ろしう、またもの思ひや加へたまはむ」と、憚り過ぐしたまひしを、今は、まして誰かは仕うまつらむと、 人びと思ひたるを、ねむごろに院には思しのたまはせけり。
 と、御息所にも申し上げあそばした。けれども、「高貴な方々が伺候していらっしゃるので、大勢のお世話役がいなくては」とご躊躇なさり、「院の上は、とても御病気がちでいらっしゃるのも心配で、その上物思いの種が加わるだろうか」と、ご遠慮申してこられたのに、今となっては、まして誰が後見を申そう、と女房たちは諦めていたが、懇切に院におかれては仰せになるのであった。
 と宮のことを、故人の御息所へお申し込みになったこともあるのである。御息所のほうでは院に寵姫ちょうきが幾人も侍している中へ、後援者らしい者もなくて行くことはみじめであるし、院が始終御病身であることも、母の自分と同じ未亡人の悲しみをさせる結果になるかもしれぬと院参を躊躇ちゅうちょしたものであったが、今になってはましてだれが宮のお世話をして院の後宮へなどおはいりになることができようと女房たちは思っているのである。院のほうでは御熱心に今なおその仰せがある。
  to, Miyasumdokoro ni mo kikoye tamahi ki. Saredo, "Yamgotonaki hitobito saburahi tamahu ni, kazukazu naru ohom-usiromi mo naku te ya." to obosi tutumi, "Uhe ha, ito atusiu ohasimasu mo osorosiu, mata mono-omohi ya kuhahe tamaha m." to, habakari sugusi tamahi si wo, ima ha, masite tare kaha tukaumatura m to, hitobito omohi taru wo, nemgoro ni Win ni ha obosi notamahase keri.
5.5.4   大臣、聞きたまひて、「 院より御けしきあらむを、引き違へ、横取りたまはむを、かたじけなきこと」と思すに、人の御ありさまのいとらうたげに、見放たむはまた口惜しうて、入道の宮にぞ聞こえたまひける。
 内大臣は、お聞きになって、「院からご所望があるのを、背いて、横取りなさるのも恐れ多いこと」とお思いになるが、宮のご様子がとてもかわいらしいので、手放すのもまた残念な気がして、入道の宮にご相談申し上げになるのであった。
 源氏はこの話を聞いて、院が望んでおいでになる方を横取りのようにして宮中へお入れすることは済まないと思ったが、宮の御様子がいかにも美しく可憐かれんで、これを全然ほかの所へ渡してしまうことが残念な気になって、入道の宮へ申し上げた。こんな隠れた事実があって決断ができないということをお話しした。
  Otodo, kiki tamahi te, "Win yori mikesiki ara m wo, hikitagahe, yokodori tamaha m wo, katazikenaki koto." to obosu ni, hito no ohom-arisama no ito rautage ni, mi hanata m ha mata kutiwosiu te, Nihudau-no-Miya ni zo kikoye tamahi keru.
5.5.5  「 かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに、母御息所、いと重々しく心深きさまにものしはべりしを、あぢきなき好き心にまかせて、さるまじき名をも流し、憂きものに思ひ置かれはべりにしをなむ、世にいとほしく思ひたまふる。この世にて、その恨みの心とけず過ぎはべりにしを、今はとなりての際に、この斎宮の御ことをなむ、ものせられしかば、 さも聞き置き、心にも残すまじうこそは、さすがに見おきたまひけめ、と思ひたまふるにも、忍びがたう。おほかたの世につけてだに、心苦しきことは 見聞き過ぐされぬわざにはべるを、いかで、なき蔭にても、かの恨み忘るばかり、と思ひたまふるを、内裏にも、さこそおとなびさせたまへど、いときなき御齢におはしますを、 すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを御定めに
 「これこれのことで、思案いたしておりますが、母御息所は、とても重々しく思慮深い方でおりましたが、つまらない浮気心から、とんでもない浮き名までも流して、嫌な者と思われたままになってしまいましたが、本当にお気の毒に存じられてなりません。この世では、その恨みが晴れずに終わってしまったが、ご臨終となった際に、この斎宮のご将来を、ご遺言されましたので、信頼できる者とかねてお思いになって、心中の思いをすっかり残さず頼もうと、恨みは恨みとしても、やはりお考えになっていてくださったのだと存じますにつけても、たまらない気がして。直接関わりあいのない事柄でさえも、気の毒なことは見過ごしがたい性分でございますので、何とかして、亡くなった後からでも、生前のお恨みが晴れるほどに、と存じておりますが、主上におかせられましても、あのように大きうおなりあそばしていますが、まだご幼年でおいであそばしますから、少し物事の分別のある方がお側におられてもよいのではないかと存じましたが、ご判断に」
 「お母様の御息所はきわめて聡明そうめいな人だったのですが、私の若気のあやまちから浮き名を流させることになりました上、私は一生恨めしい者と思われることになったのですが、私は心苦しく思っているのでございます。私は許されることなしにその人を死なせてしまいましたが、くなります少し前に斎宮のことを言い出したのでございます。私としましては、さすがに聞いた以上は遺言を実行する誠意のある者として頼んで行くのであると思えてうれしゅうございまして、無関係な人でも、孤児の境遇になった人には同情されるものなのですから、まして以前のことがございまして、亡くなりましたあとでも、昔の恨みを忘れてもらえるほどのことをしたいと思いまして、斎宮の将来をいろいろと考えている次第なのですが、陛下もずいぶん大人らしくはなっていらっしゃいますが、お年からいえばまだお若いのですから、少しお年上の女御にょごが侍していられる必要があるかとも思われるのでございます。それもしかしながらあなた様がこうするようにと仰せになるのにしたがわせていただこうと思います」
  "Kaukau no koto wo nam, omou tamahe wadurahu ni, haha-Miyasumdokoro, ito omoomosiku kokorohukaki sama ni monosi haberi si wo, adikinaki sukigokoro ni makase te, sarumaziki na wo mo nagasi, uki mono ni omohi oka re haberi ni si wo nam, yo ni itohosiku omohi tamahuru. Konoyo nite, sono urami no kokoro toke zu sugi haberi ni si wo, imaha to nari te no kiha ni, kono Saiguu no ohom-koto wo nam, monose rare sika ba, samo kiki oki, kokoro ni mo nokosu maziu koso ha, sasuga ni mi oki tamahi keme, to omohi tamahuru ni mo, sinobi gatau. Ohokata no yo ni tuke te dani, kokorogurusiki koto ha mi kiki sugusa re nu waza ni haberu wo, ikade, naki kage nite mo, kano urami wasuru bakari, to omohi tamahuru wo, Uti ni mo, sakoso otonabi sase tamahe do, itokinaki ohom-yohahi ni ohasimasu wo, sukosi mono no kokoro siru hito ha saburaha re te mo yoku ya to omohi tamahuru wo, ohom-sadame ni."
5.5.6  など聞こえたまへば、
 などと申し上げなさると、
 と言うと、
  nado kikoye tamahe ba,
5.5.7  「 いとよう思し寄りけるを、院にも、思さむことは、げにかたじけなう、いとほしかるべけれど、かの御遺言をかこちて、知らず顔に参らせたてまつりたまへかし。今はた、さやうのこと、わざとも思しとどめず、御行なひがちになりたまひて、かう聞こえたまふを、 深うしも思しとがめじと思ひたまふる
 「とてもよくお考えくださいました。院におかせられても、お思いあそばしますことは、なるほどもったいなくお気の毒なことですが、あのご遺言にかこつけて、知らないふりをしてご入内申し上げなさい。今では、そのようことは、特別にお思いではなく、御勤行がちになられていますので、このように申し上げなさっても、さほど深くお咎めになることはありますまいと存じます」
 「非常によいことを考えてくださいました。院もそんなに御熱心でいらっしゃることは、お気の毒なようで、済まないことかもしれませんが、お母様の御遺言であったからということにして、何もお知りにならない顔で御所へお上げになればよろしいでしょう。このごろ院は実際そうしたことに淡泊なお気持ちになって、仏勤めばかりに気を入れていらっしゃるということも聞きますから、そういうことになさいましてもお腹だちになるようなことはないでしょう」
  "Ito you obosiyori keru wo, Win ni mo, obosa m koto ha, geni katazikenau, itohosikaru bekere do, kano ohom-yuigon wo kakoti te, sirazugaho ni mawirase tatematuri tamahe kasi. Ima hata, sayau no koto, wazato mo obosi todome zu, ohom-okonahigati ni nari tamahi te, kau kikoye tamahu wo, hukau simo obosi togame zi to omohi tamahuru."
5.5.8  「 さらば、御けしきありて 数まへさせたまはばもよほしばかりの言を、添ふるになしはべらむ。とざまかうざまに、思ひたまへ残すことなきに、かくまでさばかりの心構へも、まねびはべるに、 世人やいかにとこそ、憚りはべれ」
 「それでは、ご意向があって、一人前に扱っていただけるならば、促す程度のことを、口添えをすることに致しましょう。あれこれと、十分に遺漏なく配慮尽くし、これほどまで深く考えておりますことを、そっくりそのままお話しましたが、世間の人々はどのように取り沙汰するだろうかと、心配でございます」
 「ではあなた様の仰せが下ったことにしまして、私としてはそれに賛成の意を表したというぐらいのことにいたしておきましょう。私はこんなに院を御尊敬して、御感情を害することのないようにと百方考えてかかっているのですが、世間は何と批評をいたすことでしょう」
  "Saraba, mikesiki ari te, kazumahe sase tamaha ba, moyohosi bakari no koto wo, sohuru ni nasi habera m. Tozamakauzama ni, omohi tamahe nokosu koto naki ni, kaku made sabakari no kokorogamahe mo, manebi haberu ni, yohito ya ikani to koso, habakari habere."
5.5.9  など聞こえたまて、後には、「 げに、知らぬやうにて、ここに 渡したてまつりてむ」と思す
 などと申し上げなさって、後には、「仰せのとおり、知らなかったようにして、ここにお迎えしてしまおう」とお考えになる。
 などと源氏は申していた。のちにはまた何事も素知らぬ顔で二条の院へ斎宮を迎えて、入内じゅだいは自邸からおさせしようという気にも源氏はなった。
  nado kikoye tama' te, noti ni ha, "Geni, sira nu yau ni te, koko ni watasi tatematuri te m." to obosu.
5.5.10   女君にもしかなむ思ひ語らひきこえて
 女君にも、このように考えていることをご相談申し上げなさって、
 夫人にその考えを言って、
  Womnagimi ni mo, sika nam omohi katarahi kikoye te,
5.5.11  「 過ぐいたまはむに、いとよきほどなるあはひならむ」
 「お話相手にしてお過ごしになるのに、とてもよいお年頃どうしでしょう」
 「あなたのいい友だちになると思う。仲よくして暮らすのに似合わしい二人だと思う」
  "Sugui tamaha m ni, ito yoki hodo naru ahahi nara m."
5.5.12  と、聞こえ知らせたまへば、 うれしきことに思して御渡りのことをいそぎたまふ。
 と、お話し申し上げなさると、嬉しいこととお思いになって、ご移転のご準備をなさる。
 と語ったので、女王にょおうも喜んで斎宮の二条の院へ移っておいでになる用意をしていた。
  to, kikoye sira se tamahe ba, uresiki koto ni obosi te, ohom-watari no koto wo isogi tamahu.
注釈286参りたまひて斎院など御はらからの宮々おはしますたぐひにてさぶらひたまへ朱雀院の詞。斎院は桐壺院の女三宮、母弘徽殿大后。「葵」巻で斎院になり、「賢木」巻で桐壺院崩御により、朝顔姫君と交替した。朱雀院の姉妹と同様に院の御所でお暮らしなさいという勧誘、実質的には結婚の申し込み。5.5.2
注釈287やむごとなき人びと以下「御うしろみもなくてや」まで、御息所の心中。5.5.3
注釈288主上はいとあつしう以下「思ひや加へたまはむ」まで、再び御息所の心中。「主上」は朱雀院をさす。5.5.3
注釈289人びと思ひたるを大島本は「おもひたるを」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「思ひたゆるを」と校訂する。5.5.3
注釈290大臣聞きたまひて源氏、藤壺に相談して、斎宮を横取りして冷泉帝後宮に入内させる。5.5.4
注釈291院より御けしきあらむを以下「かたじけなきこと」まで、源氏の心中。「御けしき」は朱雀院から齋宮に入内要請の意向をさす。「たまは」尊敬の補助動詞は朱雀院に対する敬意。客体を敬った用い方。『集成』は「そのお心に背いて、斎宮を横取りなさったりしては、恐れ多いこと」。5.5.4
注釈292かうかうのことをなむ、思うたまへわづらふに以下「御定めに」まで、源氏の藤壺への詞。最初の部分、「かうかうの事を」と間接話法的に要約されている。5.5.5
注釈293さも聞き置き『集成』は「私を、そのような、後事を託するに足る者と、かねて聞き置いて」。『完訳』は「さてはこの私を頼りにできる者と聞き置いていて」と訳す。5.5.5
注釈294見聞き過ぐされぬわざにはべるを主語は源氏。「れ」可能の助動詞。5.5.5
注釈295すこし物の心知る人はさぶらはれてもよくやと思ひたまふるを斎宮の冷泉帝後宮への入内を言う。「を」について、接続助詞、順接の意。また格助詞にも解せる。5.5.5
注釈296御定めに--など「御定めに」の下に「従ひはべらむ」などの語句が省略。『完訳』は「藤壺を強く説得しておきながら、相手に判断をまかせる巧みさに注意。事は藤壺の意志で運ぶ」と注す。5.5.5
注釈297いとよう思し寄りけるを以下「思ひたまふる」まで、藤壺の返事。「を」について、『集成』は「ようこそお考え下さったことですが」と逆接の接続助詞に解して文を続け、『完訳』は「よくぞお気がつかれました」と間投助詞に解して文を結ぶ。5.5.7
注釈298深うしも思しとがめじと思ひたまふる『完訳』は「藤壺の判断の明快さは、源氏のような朱雀院に対する複雑な思念がないからであろう」と注す。5.5.7
注釈299さらば御けしきありて以下「はばかりはべれ」まで、源氏の詞。引用句がなく、間髪を置かず会話が展開する。主上の母藤壺からのご意向があって、の意。5.5.8
注釈300数まへさせたまはば帝の妃の一人として、の意。5.5.8
注釈301もよほしばかりの言を『集成』は「わきからお勧めする程度の」。『完訳』は「お口添えするだけのことに」と訳す。5.5.8
注釈302世人やいかにとこそ『完訳』は「源氏と斎宮が愛人関係かと世人が疑うのではないか、と懸念」と注す。5.5.8
注釈303げに知らぬやうにて前の「知らず顔に参らせたてまつりたまへかし」を受ける。5.5.9
注釈304渡したてまつりてむと思す「て」完了の助動詞、確述。「む」推量の助動詞、意志。源氏の強い意志を表すニュアンス。5.5.9
注釈305女君にも紫の君をさす。5.5.10
注釈306しかなむ思ひ語らひきこえて大島本は「しかなん思ひかたらひきこえて」とある。伏見天皇本が大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しかなん思ふ。語らひきこえて」と校訂する。5.5.10
注釈307過ぐいたまはむに以下「あはひならむ」まで、源氏の詞。斎宮を養女として迎え取ることを打ち明ける。5.5.11
注釈308うれしきことに思して紫の君の心。この段の藤壺、紫の君の人物描写について、明石の君物語の段における人物描写に比較して、いささか大雑把で短絡的な語り方がなされている。『完訳』は「高貴な同年輩への期待。いささかの嫉妬もない」と注す。5.5.12
校訂38 御定め 御定め--御(御/+さ)ため 5.5.5
校訂39 さらば さらば--さえ(え/$ら<朱>)は 5.5.8
校訂40 御渡り 御渡り--御(御/#)御わたり 5.5.12
5.6
第六段 冷泉帝後宮の入内争い


5-6  Competition between new Mikado's wives for love

5.6.1   入道の宮、兵部卿宮の、姫君をいつしかとかしづき騷ぎたまふめるを、「 大臣の隙ある仲にて、いかがもてなしたまはむ」と、心苦しく思す。
 入道の宮は、兵部卿の宮が、姫君を早く入内させたいとお世話に大騒ぎしていらっしゃるらしいのを、「内大臣とお仲が悪いので、どのようにご待遇なさるのかしら」と、お心を痛めていらっしゃる。
 入道の宮は兵部卿ひょうぶきょうの宮が、後宮入りを目的にして姫君を教育していられることを知っておいでになるのであったから、源氏と宮が不和になっている今日では、その姫君に源氏はどんな態度を取ろうとするのであろうと心苦しく思召した。
  Nihudau-no-Miya, Hyaubukyau-no-Miya no, Himegimi wo itusika to kasiduki sawagi tamahu meru wo, "Otodo no hima aru naka nite, ikaga motenasi tamaha m?" to, kokorogurusiku obosu.
5.6.2  権中納言の御女は、弘徽殿の女御と聞こゆ。 大殿の御子にて、いとよそほしうもてかしづきたまふ。 主上もよき御遊びがたきに思いたり
 権中納言の御娘は、弘徽殿の女御と申し上げる。大殿のお子として、たいそう美々しく大切にお世話なされている。主上もちょうどよい遊び相手に思し召されていた。
 中納言の姫君は弘徽殿こきでん女御にょごと呼ばれていた。太政大臣の猶子ゆうしになっていて、その一族がすばらしい背景を作っているはなやかな後宮人であった。陛下もよいお遊び相手のように思召された。
  Gon-Tyuunagon no ohom-musume ha, Koukiden-no-Nyougo to kikoyu. Ohotono no miko nite, ito yosohosiu mote-kasiduki tamahu. Uhe mo yoki ohom-asobigataki ni oboi tari.
5.6.3  「 宮の中の君も同じほどにおはすれば、うたて雛遊びの心地すべきを、おとなしき御後見は、いと うれしかべいこと」
 「宮の中の君も同じお年頃でいらっしゃるので、困ったお人形遊びの感じがしようから、年長のご後見は、まこと嬉しいこと」
 「兵部卿の宮の中姫君なかひめぎみも弘徽殿の女御と同じ年ごろなのだから、それではあまりおひな様遊びの連中がふえるばかりだから、少し年の行った女御がついていて陛下のお世話を申し上げることはうれしいことですよ」
  "Miya no Naka-no-Kimi mo onazi hodo ni ohasure ba, utate hihinaasobi no kokoti su beki wo, otonasiki ohom-usiromi ha, ito uresika' bei koto."
5.6.4  と思しのたまひて、 さる御けしき聞こえたまひつつ、大臣のよろづに思し至らぬことなく、公方の御後見はさらにもいはず、明け暮れにつけて、こまかなる御心ばへの、いとあはれに見えたまふを、 頼もしきものに思ひきこえたまひていとあつしくのみおはしませば、参りなどしたまひても、 心やすくさぶらひたまふこともかたきを、すこしおとなびて、添ひさぶらはむ御後見は、かならずあるべきことなりけり。
 とお思いになり仰せにもなって、そのようなご意向を幾度も奏上なさる一方で、内大臣が万事につけ行き届かぬ所なく、政治上のご後見は言うまでもなく、日常のことにつけてまで、細かいご配慮が、たいそう情愛深くお見えになるので、頼もしいことにお思い申し上げていたが、いつもご病気がちでいらっしゃるので、参内などなさっても、心安くお側に付いていることも難しいので、少しおとなびた方で、お側にお付きするお世話役が、是非とも必要なのであった。
 と入道の宮は人へ仰せられて、前斎宮の入内の件を御自身の意志として宮家へお申し入れになったのであった。源氏が当帝のために行き届いた御後見をする誠意に御信頼あそばされて、御自身はおからだがお弱いために御所へおはいりになることはあっても、ながくはおとどまりになることがおできにならないで、退出しておしまいになるため、そんな点でも少し大人になった女御はあるべきであった。
  to obosi notamahi te, saru mikesiki kikoye tamahi tutu, Otodo no yorodu ni obosi itara nu koto naku, ohoyakegata no ohom-usiromi ha sarani mo iha zu, akekure ni tuke te, komaka naru mikokorobahe no, ito ahare ni miye tamahu wo, tanomosiki mono ni omohi kikoye tamahi te, ito atusiku nomi ohasimase ba, mawiri nado si tamahi te mo, kokoroyasuku saburahi tamahu koto mo kataki wo, sukosi otonabi te, sohi saburaha m ohom-usiromi ha, kanarazu aru beki koto nari keri.
注釈309入道の宮「兵部卿の宮の姫君を」以下「いかがもてなしたまはむ」までを飛び越えて、「心苦しく思す」に係る。5.6.1
注釈310大臣の隙ある仲にていかがもてなしたまはむ藤壺の心中、心配。5.6.1
注釈311大殿の御子にて権中納言の娘は祖父の太政大臣の養女となって入内。源氏物語では女御として入内するのは大臣または親王の娘で、大納言以下の娘は更衣として入内している。娘の格上げをはかったもの。5.6.2
注釈312主上もよき御遊びがたきに思いたり冷泉帝十一歳、弘徽殿女御十二歳。ちょうど良い釣り合い。5.6.2
注釈313宮の中の君も同じほどにおはすれば以下「いとうれしかべいこと」まで、藤壺の詞。やや年嵩の斎宮入内を歓迎を表明する。そして、その文章が巻末まで一続きに続く。5.6.3
注釈314さる御けしき聞こえたまひつつ「聞こえ」の対象について、『集成』は「そういうご意向を源氏に申し上げなさっては」と「源氏」に解し、『完訳』は「そのようなご意向を帝に幾度もほのめかし申しあげなさって」と「帝」に解す。「つつ」は同じ動作の繰り返し。5.6.4
注釈315頼もしきものに思ひきこえたまひて主語は藤壺。5.6.4
注釈316いとあつしくのみおはしませば主語は藤壺。病気がちであるという。5.6.4
注釈317心やすくさぶらひたまふこともかたきを『集成』は「宮中は病を忌む上に、十分な療養(加持祈祷)ができないからである」と注す。5.6.4
校訂41 うれしかべい うれしかべい--うれしかる(る/$)へい 5.6.3
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/3/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Latest updated 6/21/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年4月28日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2006年1月6日

Last updated 10/3/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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