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第十五帖 蓬生
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15 YOMOGIHU (Ohoshima-bon)
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光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語
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Tale of Suetsumu era of Hikaru-Genji in Suma and Akashi, and returned to Kyoto later
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2 |
第二章 末摘花の物語 光る源氏帰京後
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2 Tale of Suetsumu Hikaru-Genji returned to Kyoto later
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2.1 |
第一段 顧みられない末摘花
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2-1 Suetsumu is forgotten by Genji
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2.1.1 |
さるほどに、げに世の中に赦されたまひて、都に帰りたまふと、天の下の喜びにて立ち騒ぐ。我もいかで、人より先に、深き心ざしを御覧ぜられむとのみ、思ひきほふ男、女につけて、高きをも下れるをも、 人の心ばへを見たまふに、あはれに思し知ること、さまざまなり。かやうに、あわたたしきほどに、さらに思ひ出でたまふけしき見えで月日経ぬ。
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そうこうしているうちに、はたして天下に赦免されなさって、都にお帰りになるというので、世の中の慶事として大騷ぎする。自分も何とか、人より先に、深い誠意をご理解いただこうとばかりに、競い合っている男、女につけても、身分の貴い人も賤しい人も、人の心の動きを御覧になるにつけ、しみじみと考えさせられること、さまざまである。このように、あわただしいうちに、まったくお思い出しになる様子もなく月日が過ぎた。
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そのうちに源氏宥免の宣旨が下り、帰京の段になると、忠実に待っていた志操の堅さをだれよりも先に認められようとする男女に、それぞれ有形無形の代償を喜んで源氏の払った時期にも、末摘花だけは思い出されることもなくて幾月かがそのうちたった。
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Saru hodo ni, geni yononaka ni yurusa re tamahi te, miyako ni kaheri tamahu to, amenosita no yorokobi ni te tati-sawagu. Ware mo ikade, hito yori saki ni, hukaki kokorozasi wo goranze rare m to nomi, omohi kihohu wotoko, womna ni tuke te, takaki wo mo kudare ru wo mo, hito no kokorobahe wo mi tamahu ni, ahare ni obosi siru koto, samazama nari. Kayau ni, awatatasiki hodo ni, sarani omohi ide tamahu kesiki miye de tukihi he nu.
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2.1.2 |
「 今は限りなりけり。年ごろ、あらぬさまなる御さまを、悲しういみじきことを思ひながらも、 萌え出づる春に逢ひたまはなむ ★と念じわたりつれど、 たびしかはらなどまで喜び思ふなる、御位改まりなどするを、よそにのみ聞くべきなりけり。悲しかりし折のうれはしさは、ただ ▼ わが身一つのためになれるとおぼえし、かひなき世かな」と、心くだけて、つらく悲しければ、人知れず音をのみ泣きたまふ。
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「今はもうお終いだ。長い年月、ご不運な生活を、悲しくお気の毒なことと思いながらも、万物の蘇る春にめぐりあっていただきたいと願っていたが、とるにたらない下賤な者までが喜んでいるという、ご昇進などするのを、他人事として聞かねばならないのだった。悲しかった時の嘆かしさは、ただ自分ひとりのために起こったのだと思ったが、嘆いても甲斐のない仲だわ」とがっかりして、辛く悲しいので、人知れず声を立ててお泣きになるばかりである。
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もう何の望みもかけられない。長い間不幸な境遇に落ちていた源氏のために、その勢力が宮廷に復活する日があるようにと念じ暮らしたものであるのに、賤しい階級の人でさえも源氏の再び得た輝かしい地位を喜んでいる時にも、ただよそのこととして聞いていねばならぬ自分でなければならなかったか、源氏が京から追われた時には自分一人の不幸のように悲しんだが、この世はこんな不公平なものであるのかと思って末摘花は恨めしく苦しく切なく一人で泣いてばかりいた。
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"Ima ha kagiri nari keri. Tosigoro, ara nu sama naru ohom-sama wo, kanasiu imiziki koto wo omohi nagara mo, moye iduru haru ni ahi tamaha nam to nenzi watari ture do, tabisikahara nado made yorokobi omohu naru, ohom-kurawi aratamari nado suru wo, yoso ni nomi kiku beki nari keri. Kanasikari si wori no urehasisa ha, tada waga mi hitotu no tame ni nare ru to oboye si, kahinaki yo kana!" to, kokoro kudake te, turaku kanasikere ba, hitosirezu ne wo nomi naki tamahu.
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2.1.3 |
大弐の北の方、
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大弍の北の方、
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大弐の夫人は、
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Daini-no-Kitanokata,
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2.1.4 |
「 さればよ。まさに、かくたづきなく、人悪ろき御ありさまを、数まへたまふ人はありなむや。仏、聖も、罪軽きをこそ導きよくしたまふなれ、かかる御ありさまにて、たけく世を思し、宮、上などのおはせし時のままにならひたまへる、御心おごりの、 いとほしきこと」
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「それ見たことか。いったい、このように不如意で、体裁の悪い人のご様子を、一人前にお扱いになる方がありましょうか。仏、聖も、罪の軽い人をよくお導きもなさるというものだが、このようなご様子で、偉そうに世間を見下しなさって、宮、上などが生きていらした時のままと同じようでいらっしゃる、ご高慢が、不憫なこと」
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私の言ったとおりじゃないか。どうしてあんな見る影もない人を源氏の君が奥様の一人だとお思いになるものかね、仏様だって罪の軽い者ほどよく導いてくださるのだ。手もつけられないほどの貧乏女でいて、いばっていて、宮様や奥さんのいらっしゃった時と同じように思い上がっているのだから始末が悪いなどと思っていっそう軽蔑的に末摘花を見た。
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"Sarebayo! Masani, kaku tadukinaku, hitowaroki ohom-arisama wo, kazumahe tamahu hito ha ari na m ya? Hotoke, hiziri mo, tumi karoki wo koso mitibiki yoku si tamahu nare, kakaru ohom-arisama nite, takeku yo wo obosi, Miya, Uhe nado no ohase si toki no mama ni narahi tamahe ru, mikokoroogori no, itohosiki koto."
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2.1.5 |
と、いとどをこがましげに思ひて、
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と、ますます馬鹿らしく思って、
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to, itodo wokogamasige ni omohi te,
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2.1.6 |
「 なほ、思ほし立ちね。 世の憂き時は、見えぬ山路をこそは尋ぬなれ ★。田舎などは、むつかしきものと思しやるらめど、ひたぶるに人悪ろげには、よも、もてなしきこえじ」
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「やはり、ご決心なさい。何かとうまく行かない時は、何も見なくてすむ山奥へ入りこむというものですよ。地方などは、むさ苦しい所とお思いでしょうが、むやみに体裁の悪いもてなしは、けっして、致しません」
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「ぜひ決心をして九州へおいでなさい。世の中が悲しくなる時には、人は進んでも旅へ出るではありませんか。田舎とはいやな所のようにお思いになるかしりませんが、私は受け合ってあなたを楽しくさせます」
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"Naho, omohositati ne. Yo no uki toki ha, miye nu yamadi wo koso ha tadunu nare. Winaka nado ha, mutukasiki mono to obosiyaru rame do, hitaburuni hitowaroge ni ha, yomo, motenasi kikoye zi."
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2.1.7 |
など、いとよく言へば、むげに屈んじにたる女ばら、
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などと、とても言葉巧みに言うと、すっかり元気をなくしている女房たちは、
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口前よく熱心に同行を促すと、貧乏に飽いた女房などは、
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nado, ito yoku ihe ba, mugeni kunzi ni taru womnabara,
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2.1.8 |
「 さもなびきたまはなむ。たけきこともあるまじき御身を、いかに思して、かく立てたる御心ならむ」
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「そのようにご承知なさってほしい。たいしたこともなさそうなお身の上を、どうお考えになって、このように意地をお張りになるのだろう」
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「そうなればいいのに、何のたのむ所もない方が、どうしてまた意地をお張りになるのだろう」
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"Samo nabiki tamaha nam. Takeki koto mo aru maziki ohom-mi wo, ikani obosi te, kaku tate taru mikokoro nara m?"
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2.1.9 |
と、もどきつぶやく。
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と、ぶつぶつと非難する。
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と言って、末摘花を批難した。
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to, modoki tubuyaku.
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2.1.10 |
侍従も、かの大弐の甥だつ人、語らひつきて、とどむべくもあらざりければ、心よりほかに出で立ちて、
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侍従も、あの大弍の甥に当たる人に、契りを結んで、残して行くはずもなかったので、不本意ながら出発することになって、
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侍従も大弐の甥のような男の愛人になっていて、京へ残ることもできない立場から、その意志でもなく女王のもとを去って九州行きをすることになっていた。
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Zizyuu mo, kano Daini no wohi-datu hito, katarahituki te, todomu beku mo ara zari kere ba, kokoro yori hoka ni ide tati te,
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2.1.11 |
「 見たてまつり置かむが、いと心苦しきを」
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「お残し申したままで出立するのが、とても心残りです」
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「京へお置きして参ることは気がかりでなりませんからいらっしゃいませ」
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"Mi tatematuri oka m ga, ito kokorogurusiki wo."
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2.1.12 |
とて、そそのかしきこゆれど、なほ、かくかけ離れて久しうなりたまひぬる人に頼みをかけたまふ。御心のうちに、「 さりとも、あり経ても、思し出づるついで あらじやは。あはれに心深き契りを したまひしに、わが身は憂くて、かく忘られ たるにこそあれ、風のつてにても、我かくいみじきありさまを聞きつけたまはば、かならず訪らひ出でたまひてむ」と、年ごろ思しければ、おほかたの御家居も、ありしよりけにあさましけれど、わが心もて、はかなき御調度どもなども 取り失はせたまはず、心強く同じさまにて念じ過ごしたまふなりけり。
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と言って、お誘い申し上げるが、やはり、このように離れてしばらくになってしまった方に期待をかけなさっている。お心の中では、「いくら何でも、時のたつうちには、お思い出しくださる機会のないことがあろうか。しみじみと深いお約束をなさったのだから、わが身の上はつらくて、このように忘れられているようであるが、風の便りにでも、わたしのこのようにひどい暮らしをお耳になさったら、きっとお訪ねになってくださるにちがいない」と、長年お思いになっていたので、おおよそのお住まいも以前より実に荒廃してひどいが、ご自分のお考えで、ちょっとした御調度類なども失くさないようにさせなさって、辛抱強く同じように堪え忍んでてお過ごしになっているのであった。
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と誘うのであるが、女王の心はなお忘れられた形になっている源氏を頼みにしていた。どんなに時がたっても自分の思い出される機会のないわけはない、あれほど堅い誓いを自分にしてくれた人の心は変わっていないはずであるが、自分の運の悪いために捨てられたとも人からは見られるようなことになっているのであろう、風の便りででも自分の哀れな生活が源氏の耳にはいればきっと救ってくれるに違いないと、これはずっと以前から女王の信じているところであって、邸も家も昔に倍した荒廃のしかたではあるが、部屋の中の道具類をそこばくの金に変えていくようなことは、源氏の来た時に不都合であるからと忍耐を続けているのである。
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tote, sosonokasi kikoyure do, naho, kaku kakehanare te hisasiu nari tamahi nuru hito ni tanomi wo kake tamahu. Mikokoro no uti ni, "Saritomo, ari he te mo, obosi iduru tuide ara zi yaha! Ahare ni kokoro hukaki tigiri wo si tamahi si ni, waga mi ha uku te, kaku wasura re taru ni koso are, kaze no tute nite mo, ware kaku imiziki arisama wo kikituke tamaha ba, kanarazu toburahi ide tamahi te m." to, tosigoro obosi kere ba, ohokata no ohom-ihewi mo, arisi yori keni asamasikere do, waga kokoro mote, hakanaki mideudo-domo nado mo tori usinahase tamaha zu, kokoroduyoku onazi sama nite nenzi sugosi tamahu nari keri.
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2.1.13 |
音泣きがちに、いとど思し沈みたるは、ただ山人の赤き木の実一つを顔に放たぬと見えたまふ、御側目などは、おぼろけの人の見たてまつりゆるすべきにもあらずかし。 詳しくは聞こえじ。いとほしう、もの言ひさがなきやうなり。
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声を立てて泣き暮らしながら、ますます悲嘆に暮れていらっしゃるのは、まるで山人が赤い木の実一つを顔から放さないようにお見えになる、その横顔などは、普通の男性ではとても堪えて拝見できないご容貌である。詳しくお話し申し上げられない。お気の毒で、あまりに口が悪いようであるから。
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気をめいらせて泣いている時のほうが多い末摘花の顔は、一つの木の実だけを大事に顔に当てて持っている仙人とも言ってよい奇怪な物に見えて、異性の興味を惹く価値などはない。気の毒であるからくわしい描写はしないことにする。
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Ne naki gati ni, itodo obosi sidumi taru ha, tada yamabito no akaki konomi hitotu wo kaho ni hanata nu to miye tamahu, ohom-sobame nado ha, oboroke no hito no mi tatematuri yurusu beki ni mo ara zu kasi. Kuhasiku ha kikoye zi. Itohosiu, monoihi saganaki yau nari.
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出典4 |
萌え出づる春に |
岩そそく垂氷の上の早蕨の萌え出づる春になりにけるかな |
古今六帖一-七 志貴皇子 |
2.1.2 |
出典5 |
わが身一つのためになれる |
世の中は昔よりやは憂かりけむわが身一つのためになれるか |
古今集雑下-九四八 読人しらず |
2.1.2 |
出典6 |
世の憂き時は、見えぬ山路を |
世の憂き目見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ |
古今集雑下-九五五 物部吉名 |
2.1.6 |
み吉野の山のあなたに宿もがな世の憂き時の隠れがにせむ |
古今集雑下-九五〇 読人しらず |
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2.2 |
第二段 法華御八講
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2-2 Memorial service, Hokke-hakkou, by Genji
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2.2.1 |
冬になりゆくままに、いとど、かき付かむかたなく、悲しげに眺め過ごしたまふ。かの殿には、故院の御料の御八講、世の中ゆすりてしたまふ。ことに僧などは、なべてのは召さず、才すぐれ行なひにしみ、尊き限りを 選らせたまひければ、この禅師の君参りたまへりけり。
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冬になってゆくにつれて、ますます、すがりつくべきてだてもなく、悲しそうに物思いに沈んでお過ごしになる。あの殿におかれては、故院の御追善の御八講を、世間でも大騷ぎとなって盛大に催しなさる。特に僧侶などは、普通の僧はお召しにならず、学問の優れ修行を積んだ、高徳の僧だけをお選びあそばしたので、この禅師の君も参上なさっていた。
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冬にはいればはいるほど頼りなさはひどくなって、悲しく物思いばかりして暮らす女王だった。源氏のほうでは故院のための盛んな八講を催して、世間がそれに湧き立っていた。僧などは平凡な者を呼ばずに学問と徳行のすぐれたのを選んで招じたその物事に、
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Huyu ni nari yuku mama ni, itodo, kakituka m kata naku, kanasige ni nagame sugosi tamahu. Kano tono ni ha, ko-Win no goreu no miha'kau, yononaka yusuri te si tamahu. Kotoni sou nado ha, nabete no ha mesa zu, zae sugure okonahi ni simi, tahutoki kagiri wo era se tamahi kere ba, kono Zenzi-no-Kimi mawiri tamahe ri keri.
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2.2.2 |
帰りざまに立ち寄りたまひて、
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帰りがけにお立ち寄りになって、
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女王の兄の禅師も出た帰りに妹君を訪ねて来た。
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Kaherizama ni tatiyori tamahi te,
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2.2.3 |
「 しかしか。権大納言殿の御八講に 参りてはべるなり。いとかしこう、生ける浄土の飾りに劣らず、いかめしうおもしろきことどもの限りをなむしたまひつる。仏菩薩の変化の身にこそものしたまふめれ。五つの濁り深き世に、などて生まれたまひけむ」
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「これこれでした。権大納言殿の御八講に参上しておったのです。たいそう立派で、この世の極楽浄土の装飾に負けず、荘厳で興趣のぜいをお尽くしになっていた。仏か菩薩の化身でいらっしゃるのだろう。五濁に深く染まっているこの世に、どうしてお生まれになったのだろう」
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「源大納言さんの八講に行ったのです。たいへんな準備でね、この世の浄土のように法要の場所はできていましたよ。音楽も舞楽もたいしたものでしたよ。あの方はきっと仏様の化身だろう、五濁の世にどうして生まれておいでになったろう」
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"Sikasika. Gon-Dainagondono no miha'kau ni mawiri te haberu nari. Ito kasikou, ike ru Zyaudo no kazari ni otora zu, ikamesiu omosiroki koto-domo no kagiri wo nam si tamahi turu. Butu Bosatu no henge no mi ni koso monosi tamahu mere. Itutu no nigori hukaki yo ni, nadote mumare tamahi kem?"
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2.2.4 |
と言ひて、やがて出でたまひぬ。
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と言って、そのまますぐにお帰りになってしまった。
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こんな話をして禅師はすぐに帰った。
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to ihi te, yagate ide tamahi nu.
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2.2.5 |
言少なに、世の人に似ぬ御あはひにて、かひなき世の物語をだにえ聞こえ合はせたまはず。「 さても、かばかりつたなき身のありさまを、あはれにおぼつかなくて過ぐしたまふは、心憂の仏菩薩や」と、つらうおぼゆるを、「 げに、限りなめり」と、やうやう思ひなりたまふに、大弐の北の方、にはかに来たり。
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言葉少なで、世間の人と違ったご兄妹どうしであって、ちょっとした世間話でさえお交わしなされない。「それにしても、このように不甲斐ない身の上を、悲しく不安なままに放ってお過ごしになるとは、辛い仏菩薩様だわ」と、辛く思われるが、「いかにも、これきりの縁なのだろう」と、だんだんお考えになっているところに、大弐の北の方が、急に来た。
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普通の兄弟のようには話し合わない二人であるから、生活苦も末摘花は訴えることができないのである。それにしてもこの不幸なみじめな女を捨てて置くというのは、情けない仏様であると末摘花は恨めしかった。こんな気のした時から、自分はもう顧みられる望みがないのだろうとようやく思うようになった。そんなころであるが大弐の夫人が突然訪ねて来た。
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Koto zukuna ni, yonohito ni ni nu ohom-ahahi nite, kahinaki yo no monogatari wo dani e kikoye ahase tamaha zu. "Satemo, kabakari tutanaki mi no arisama wo, ahare ni obotukanaku te sugusi tamahu ha, kokorou' no Butu Bosatu ya!" to, turau oboyuru wo, "Geni, kagiri na' meri." to, yauyau omohi nari tamahu ni, Daini-no-Kitanokata, nihakani ki tari.
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2.3 |
第三段 叔母、末摘花を誘う
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2-3 Her aunt tempts Suetsumu to go to Tsukushi together
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2.3.1 |
例はさしもむつびぬを、誘ひ立てむの心にて、たてまつるべき御装束など調じて、よき車に乗りて、面もち、けしき、ほこりかにもの思ひなげなるさまして、 ゆくりもなく走り来て、門開けさするより、人悪ろく寂しきこと、 限りもなし。左右の戸もみなよろぼひ倒れにければ、男ども助けてとかく開け騒ぐ。いづれか、この寂しき宿にもかならず分けたる 跡あなる三つの径と、たどる。
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いつもはそんなに親しくしないのに、お誘い申そうとの考えで、お召しになるご装束など準備して、よい車に乗って、顔つき、態度も、得意に物思いのない様子で、予告もなくやって来て、門を開けさせるや、見苦しく寂しい様子、この上もない。左右の戸もみな傾き倒れてしまっていたので、男どもが手助けして、あれこれと大騷ぎして開ける。どれがそれか、この寂しい宿にも必ず踏み分けた跡があるという三つの道はと、探し当てて行く。
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平生はそれほど親密にはしていないのであるが、つれて行きたい心から、作った女王の衣裳なども持って、よい車に乗って来た得意な顔の夫人がにわかに常陸の宮邸へ現われたのである。門をあけさせている時から目にはいってくるものは荒廃そのもののような寂しい庭であった。門の扉も安定がなくなっていて倒れたのを、供の者が立て直したりする騒ぎである。この草の中にもどこかに三つだけの道はついているはずであると皆が捜した。
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Rei ha sasimo mutubi nu wo, sasohi tate m no kokoro nite, tatematuru beki ohom-sauzoku nado teuzi te, yoki kuruma ni nori te, omomoti, kesiki, hokorika ni mono-omohi nage naru sama si te, yukuri mo naku hasiri ki te, kado ake sasuru yori, hitowaroku sabisiki koto, kagiri mo nasi. Hidari migi no to mo mina yorobohi tahure ni kere ba, wonoko-domo tasuke te tokaku ake sawagu. Idure ka, kono sabisiki yado ni mo kanarazu wake taru ato a' naru mitu no miti to, tadoru.
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2.3.2 |
わづかに南面の格子上げたる間に寄せたれば、いとどはしたなしと思したれど、あさましう煤けたる几帳さし出でて、侍従出で来たり。容貌など、衰へにけり。年ごろいたうつひえたれど、なほものきよげによしあるさまして、かたじけなくとも、取り変へつべく見ゆ。
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かろうじて南面の格子を上げている一間に車を寄せたので、ますますどうしてよいか分からなくお思いになったが、あきれるくらい煤けた几帳を差し出して、侍従が出て来た。容貌など、衰えてしまっていた。長年のうちにひどくやせ細っているが、やはりどことなく品のある感じで、恐れ多いことであるが、姫君と取り替えたいくらいに見える。
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そしてやっと建物の南向きの縁の所へ車を着けた。きまりの悪い迷惑なことと思いながら女王は侍従を応接に出した。煤けた几帳を押し出しながら侍従は客と対したのである。容貌は以前に比べてよほど衰えていた。しかしやつれながらもきれいで、女王の顔に代えたい気がする。
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Wadukani minamiomote no kausi age taru ma ni yose tare ba, itodo hasitanasi to obosi tare do, asamasiu susuke taru kityau sasi-ide te, Zizyuu ideki tari. Katati nado, otorohe ni keri. Tosigoro itau tuhiye tare do, naho mono-kiyoge ni yosi aru sama si te, katazikenaku tomo, torikahe tu beku miyu.
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2.3.3 |
「 出で立ちなむことを思ひながら、心苦しきありさまの見捨てたてまつりがたきを。侍従の迎へになむ参り来たる。心憂く思し隔てて、御みづからこそあからさまにも渡らせたまはね、この人をだに許させたまへとてなむ。などかうあはれげなるさまには」
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「旅立とうと思いながらも、お気の毒な様子がお見捨て申し上げにくくて。侍従の迎えに参上しました。お嫌いになりよそよそしくして、ご自身ではちょっとでもお越しあそばされませんが、せめてこの人だけはお許しいただきたく思いまして。どうしてこのような寂しいさまで」
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「もう出発しなければならないのですが、こちらのことが気がかりなものですから、今日は侍従の迎えがてらお訪ねしました。私の好意をくんでくださらないで、御自分がちょっとでも来てくださることを御承知にならないことはやむをえませんが、せめて侍従だけをよこしていただくお許しをいただきに来たのです。まあお気の毒なふうで暮らしていらっしゃるのですね」
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"Idetati na m koto wo omohi nagara, kokorogurusiki arisama no misute tatematuri gataki wo! Zizyuu no mukahe ni nam mawiri ki taru. Kokorouku obosi hedate te, ohom-midukara koso akarasama ni mo watara se tamaha ne, kono hito wo dani yurusa se tamahe tote nam. Nado kau aharege naru sama ni ha?"
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2.3.4 |
とて、 うちも泣くべきぞかし。されど、行く道に心をやりて、いと心地よげなり。
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と言って、つい泣き出してしまうはずのところだ。けれども旅先に思いを馳せて、とても気分よさそうである。
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こう言ったのであるから、続いて泣いてみせねばならないのであるが、実は大弐夫人は九州の長官夫人になって出発して行く希望に燃えているのである。
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tote, uti mo naku beki zo kasi. Saredo, yuku miti ni kokoro wo yari te, ito kokotiyoge nari.
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2.3.5 |
「 故宮おはせしとき、おのれをば面伏せなりと思し捨てたりしかば、疎々しきやうになりそめにしかど、年ごろも、何かは。やむごとなきさまに思しあがり、大将殿などおはしまし通ふ御宿世のほどを、かたじけなく思ひたまへられしかばなむ、むつびきこえさせむも、憚ること多くて、過ぐしはべるを、世の中のかく定めもなかりければ、数ならぬ身は、なかなか心やすくはべるものなりけり。及びなく見たてまつりし御ありさまの、いと悲しく心苦しきを、近きほどはおこたる折も、のどかに頼もしくなむはべりけるを、かく遥かにまかりなむとすれば、うしろめたくあはれになむおぼえたまふ」
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「故宮がご存命でいらした時、わたしを不名誉な者とお思い捨てになっていらしたので、疎遠なようになってしまいましたが、今までにも、どうしてそう思ったでしょうか。高貴なお身の上に気位い高くお持ちになり、大将殿などがお通いになるご運勢のほどを、もったいなくも存ぜずにはいられませんでしたので、親しく交際させていただきますのも、遠慮いたすことが多くて、ご無沙汰いたしておりましたが、世の中がこのように定めないものなので、人数にも入らない身の上は、かえって気安いものでございました。及びもつかなく拝見いたしましたご様子が、実に悲しく気の毒なのを、近くにいますうちは御無沙汰いたしていた折も、そのうちにと呑気に思っておりましたが、このように遥か遠くに下ってしまうことになると、気がかりで悲しく存じられます」
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「宮様がおいでになったころ、私の結婚相手が悪いからって、交際するのをおきらいになったものですから、私らもついかけ離れた冷淡なふうになっていましたものの、それからもこちら様は源氏の大将さんなどと御結婚をなさるような御幸運でいらっしゃいましたから、晴れがましくてお出入りもしにくかったのです。しかし人間世界は幸福なことばかりもありませんからね、その中でわれわれ階級の者がかえって気楽なんですよ。及びもない懸隔のあるお家でしたが、こちらはお気の毒なことになってしまいまして、私も心配なんですが、近くにおりますうちは、何かの場合に力にもなれると思っていましたものの、遠い所へ出て行くことになりますと、とてもあなたのことが気になってなりません」
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"Ko-Miya ohase si toki, onore wo ba omotebuse nari to obosi sute tari sika ba, utoutosiki yau ni nari some ni sika do, tosigoro mo, nanikaha. Yamgotonaki sama ni obosiagari, Daisyaudono nado ohasimasi kayohu ohom-sukuse no hodo wo, katazikenaku omohi tamahe rare sika ba nam, mutubi kikoye sase m mo, habakaru koto ohoku te, sugusi haberu wo, yononaka no kaku sadame mo nakari kere ba, kazu nara nu mi ha, nakanaka kokoroyasuku haberu mono nari keri. Oyobinaku mi tatematuri si ohom-arisama no, ito kanasiku kokorogurusiki wo, tikaki hodo ha okotaru wori mo, nodoka ni tanomosiku nam haberi keru wo, kaku haruka ni makari nam to sure ba, usirometaku ahare ni nam oboye tamahu."
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2.3.6 |
など語らへど、心解けても応へたまはず。
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などと話を持ち掛けるが、心を許してお返事もなさらない。
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と夫人は言うのであるが、女王は心の動いたふうもなかった。
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nado katarahe do, kokorotoke te mo irahe tamaha zu.
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2.3.7 |
「 いとうれしきことなれど、世に似ぬさまにて、何かは。かうながらこそ朽ちも失せめとなむ思ひはべる」
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「とても嬉しいことですが、世間離れしたわたしなどには、どうして一緒に行けましょうか。こうしたまま朽ち果てようと存じております」
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「御好意はうれしいのですが、人並みの人にもなれない私はこのままここで死んで行くのが何よりもよく似合うことだろうと思います」
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"Ito uresiki koto nare do, yo ni ni nu sama nite, nanikaha! Kau nagara koso kuti mo use me to nam omohi haberu."
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2.3.8 |
とのみのたまへば、
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とだけおっしゃるので、
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とだけ末摘花は言う。
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to nomi notamahe ba,
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2.3.9 |
「 げに、しかなむ思さるべけれど、 生ける身を捨て、かくむくつけき住まひするたぐひははべらずやあらむ。大将殿の造り磨きたまはむにこそは、引きかへ玉の台にもなりかへらめとは、頼もしうははべれど、ただ今は、 式部卿宮の御女よりほかに、 心分けたまふ方もなかなり。昔より好き好きしき御心にて、なほざりに通ひたまひける所々、 皆思し離れにたなり。まして、かうものはかなきさまにて、薮原に過ぐしたまへる人をば、心きよく我を頼みたまへるありさまと尋ねきこえたまふこと、いとかたくなむあるべき」
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「なるほど、そのようにお思いになるのもごもっともですが、せっかく生きている身をだいなしにして、このように気味の悪い所に暮らしている例はございませんでしょう。大将殿がお手入れしてくだされば、うって変わって元の美しい御殿にもなり変わろうと、頼もしうございますが、ただ今のところは、式部卿宮の姫君より他には、心をお分けになる方もないということです。昔から浮気なお心で、かりそめにお通いになった人々は、みなすっかりお心が離れておしまいになったということです。ましてや、このようにみすぼらしい様子で、薮原にお過ごしになっていらっしゃる人を、貞淑に自分を頼っていらっしゃる様子だと、お訪ね申されることは、とても難しいことです」
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「それはそうお思いになるのはごもっともですが、生きている人間であって、こんなひどい場所に住んでいるのなどはほかにめったにないでしょう。大将さんが修繕をしてくだすったら、またもう一度玉の台にもなるでしょうと期待されますがね。近ごろはどうしたことでしょう、兵部卿の宮の姫君のほかはだれも嫌いになっておしまいになったふうですね。昔から恋愛関係をたくさん持っていらっしゃった方でしたが、それも皆清算しておしまいになりましたってね。ましてこんなみじめな生き方をしていらっしゃる人を、操を立てて自分を待っていてくれたかと受け入れてくださることはむずかしいでしょうね」
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"Geni, sika nam obosa ru bekere do, ike ru mi wo sute, kaku mukutuke ki sumahi suru taguhi ha habera zu ya ara m? Daisyaudono no tukuri migaki tamaha m ni koso ha, hikikahe tamanoutena ni mo nari kahera me to ha, tanomosiu ha habere do, tada ima ha, Sikibukyau-no-Miya no ohom-Musume yori hoka ni, kokoro wake tamahu kata mo naka' nari. Mukasi yori sukizukisiki mikokoro nite, nahozari ni kayohi tamahi keru tokorodokoro, mina obosi hanare ni ta' nari. Masite, kau mono-hakanaki sama nite, yabuhara ni sugusi tamahe ru hito wo ba, kokorokiyoku ware wo tanomi tamahe ru arisama to tadune kikoye tamahu koto, ito kataku nam aru beki."
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2.3.10 |
など言ひ知らするを、げにと思すも、いと悲しくて、つくづくと泣きたまふ。
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などと説得するが、本当にそのとおりだとお思いになるのも、実に悲しくて、しみじみとお泣きになる。
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こんなよけいなことまで言われてみると、そうであるかもしれないと末摘花は悲しく泣き入ってしまった。
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nado ihi sirasuru wo, geni to obosu mo, ito kanasiku te, tukuduku to naki tamahu.
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2.4 |
第四段 侍従、叔母に従って離京
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2-4 Jiju goes to Tsukusi with Suetsumu's aunt
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2.4.1 |
されど、動くべうもあらねば、よろづに言ひわづらひ暮らして、
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けれども、動きそうにもないので、一日中いろいろと説得したものの困りはてて、
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しかも九州行きを肯うふうは微塵もない。夫人はいろいろと誘惑を試みたあとで、
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Saredo, ugoku beu mo ara ne ba, yoroduni ihi wadurahi kurasi te,
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2.4.2 |
「 さらば、侍従をだに」
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「それでは、侍従だけでも」
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「では侍従だけでも」
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"Saraba, Zizyuu wo dani."
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2.4.3 |
と、日の暮るるままに急げば、心あわたたしくて、泣く泣く、
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と、日が暮れるままに急ぎ立てるので、気がせいて、泣く泣く、
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と日の暮れていくのを見てせきたてた。侍従は名残を惜しむ間もなくて、泣く泣く女王に、
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to, hi no kururu mama ni isoge ba, kokoro awatatasiku te, nakunaku,
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2.4.4 |
「 さらば、まづ今日は。 かう責めたまふ送りばかりにまうではべらむ。かの聞こえたまふもことわりなり。また、思しわづらふもさることにはべれば、中に見たまふるも心苦しくなむ」
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「それでは、ともかく今日のところは。このようにお勧めになるお見送りだけでも参りましょう。あのように申されることもごもっともなことです。また一方、お迷いになることもごもっともなことですので、間に立って拝見するのも辛くて」
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「それでは、今日はあんなにおっしゃいますから、お送りにだけついてまいります。あちらがああおっしゃるのももっともですし、あなた様が行きたく思召さないのも御無理だとは思われませんし、私は中に立ってつらくてなりませんから」
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"Saraba, madu kehu ha. Kau seme tamahu okuri bakari ni maude habera m. Kano kikoye tamahu mo kotowari nari. Mata, obosi wadurahu mo saru koto ni habere ba, naka ni mi tamahuru mo kokorogurusiku nam."
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2.4.5 |
と、忍びて聞こゆ。
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と、小声で申し上げる。
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と言う。
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to, sinobi te kikoyu.
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2.4.6 |
この人さへうち捨ててむとするを、恨めしうもあはれにも思せど、言ひ止むべき方もなくて、いとど音をのみたけきことにてものしたまふ。
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この人までが自分を見捨てて行ってしまおうとするのが、恨めしくも悲しくもお思いになるが、引き止めるすべもないので、ますます声を立てて泣くことばかりでいらっしゃる。
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この人までも女王を捨てて行こうとするのを、恨めしくも悲しくも末摘花は思うのであるが、引き止めようもなくてただ泣くばかりであった。
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Kono hito sahe uti-sute te m to suru wo, uramesiu mo ahare ni mo obose do, ihi todomu beki kata mo naku te, itodo ne wo nomi takeki koto nite monosi tamahu.
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2.4.7 |
形見に添へたまふべき身馴れ衣も、しほなれたれば、年経ぬるしるし見せたまふべきものなくて、わが御髪の落ちたりけるを取り集めて、鬘にしたまへるが、九尺余ばかりにて、いときよらなるを、をかしげなる箱に入れて、昔の薫衣香のいとかうばしき、一壺具して賜ふ。
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形見にお与えになるべき着用の衣も垢じみているので、長年の奉公に報いるべき物がなくて、ご自分のお髪の抜け落ちたのを集めて、鬘になさっていたのが、九尺余りの長さで、たいそうみごとなのを、風流な箱に入れて、昔の薫衣香のたいそう香ばしいのを、一壷添えてお与えになる。
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形見に与えたい衣服も皆悪くなっていて長い間のこの人の好意に酬いる物がなくて、末摘花は自身の抜け毛を集めて鬘にした九尺ぐらいの髪の美しいのを、雅味のある箱に入れて、昔のよい薫香一壺をそれにつけて侍従へ贈った。
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Katami ni sohe tamahu beki minaregoromo mo, sihonare tare ba, tosi he nuru sirusi mise tamahu beki mono naku te, waga migusi no oti tari keru wo tori-atume te, kadura ni si tamahe ru ga, kiusaku yo bakari nite, ito kiyora naru wo, wokasige naru hako ni ire te, mukasi no kunoekau no ito kaubasiki, hitotubo gusi te tamahu.
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2.4.8 |
「 絶ゆまじき筋を頼みし玉かづら 思ひのほかにかけ離れぬる |
「あなたを絶えるはずのない間柄だと信頼していましたが 思いのほかに遠くへ行ってしまうのですね |
「絶ゆまじきすぢを頼みし玉かづら 思ひのほかにかけ離れぬる
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"Tayu maziki sudi wo tanomi si tamakadura omohi no hoka ni kakehanare nuru |
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2.4.9 |
故ままの、のたまひ置きしこともありしかば、かひなき身なりとも、見果ててむとこそ思ひつれ。うち捨てらるるもことわりなれど、誰に見ゆづりてかと、恨めしうなむ」
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亡くなった乳母が、遺言なさったこともありましたから、不甲斐ない我が身であっても、最後までお世話してくれるものと思っていましたのに。見捨てられるのももっともなことですが、この後誰に世話を頼むのかと、恨めしくて」
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死んだ乳母が遺言したこともあるからね、つまらない私だけれど一生あなたの世話をしたいと思っていた。あなたが捨ててしまうのももっともだけれど、だれがあなたの代わりになって私を慰めてくれる者があると思って立って行くのだろうと思うと恨めしいのよ」
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Ko-Mama no, notamahioki si koto mo ari sika ba, kahinaki mi nari tomo, mi hate te m to koso omohi ture. Uti-sute raruru mo kotowari nare do, tare ni miyuduri te ka to, uramesiu nam."
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2.4.10 |
とて、いみじう泣いたまふ。この人も、ものも聞こえやらず。
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と言って、ひどくお泣きになる。この人も、何も申し上げることができない。
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と言って、女王は非常に泣いた。侍従も涙でものが言えないほどになっていた。
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tote, imiziu nai tamahu. Kono hito mo, mono mo kikoye yara zu.
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2.4.11 |
「 ままの遺言は、さらにも聞こえさせず、年ごろの忍びがたき世の憂さを過ぐしはべりつるに、かくおぼえぬ道にいざなはれて、遥かにまかりあくがるること」とて、
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「乳母の遺言は、もとより申し上げるまでもなく、長年の堪えがたい生活を堪えて参りましたのに、このように思いがけない旅路に誘われて、遥か遠くに彷徨い行くことになるとは」と言って、
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「乳母が申し上げましたことはむろんでございますが、そのほかにもごいっしょに長い間苦労をしてまいりましたのに、思いがけない縁に引かれて、しかも遠方へまで行ってしまいますとは」と言って、また、
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"Mama no yuigon ha, sarani mo kikoye sase zu, tosigoro no sinobi gataki yo no usa wo sugusi haberi turu ni, kaku oboye nu miti ni izanaha re te, haruka ni makari akugaruru koto." tote,
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2.4.12 |
「 玉かづら絶えてもやまじ行く道の 手向の神もかけて誓はむ |
「お別れしましてもお見捨て申しません 行く道々の道祖神にかたくお誓いしましょう |
「玉かづら絶えてもやまじ行く道の たむけの神もかけて誓はん
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"Tamakadura taye te mo yama zi yuku miti no Tamuke-no-Kami mo kake te tikaha m |
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2.4.13 |
命こそ知りはべらね」
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寿命だけは分りませんが」
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命のございます間はあなた様に誠意をお見せします」
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Inoti koso siri habera ne."
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2.4.14 |
など言ふに、
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などと言うと、
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などとも言う。
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nado ihu ni,
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2.4.15 |
「 いづら。暗うなりぬ」
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「どこにいますか。暗くなってしまいます」
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「侍従はどうしました。暗くなりましたよ」
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"Idura? Kurau nari nu."
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2.4.16 |
と、つぶやかれて、心も空にて引き出づれば、 ▼ かへり見のみせられける。
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と、ぶつぶつ言われて、心も上の空のまま引き出したので、振り返りばかりせずにはいられないのであった。
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と大弐夫人に小言を言われて、侍従は夢中で車に乗ってしまった。そしてあとばかりが顧みられた。
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to, tubuyaka re te, kokoro mo sora nite hiki idure ba, kaherimi nomi se rare keru.
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2.4.17 |
年ごろわびつつも行き離れざりつる人の、かく別れぬることを、いと心細う思すに、世に用ゐらるまじき老人さへ、
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長年辛い思いをしながらも、お側を離れなかった人が、このように離れて行ってしまったことを、たいそう心細くお思いになると、世間では役に立ちそうにもない老女房までが、
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困りながらも長い間離れて行かなかった人が、こんなふうにして別れて行ったことで、女王はますます心細くなった。だれも雇い手のないような老いた女房までが、
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Tosigoro wabi tutu mo yuki hanare zari turu hito no, kaku wakare nuru koto wo, ito kokorobosou obosu ni, yo ni motiwi raru maziki oyibito sahe,
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2.4.18 |
「 いでや、ことわりぞ。いかでか立ち止まりたまはむ。われらも、えこそ 念じ果つまじけれ」
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「いやはや、無理もないことです。どうしてお残りになることがありましょうか。わたしたちも、とても我慢できそうにありませんわ」
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「もっともですよ。どうしてこのままいられるものですか。私たちだってもう我慢ができませんよ」
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"Ideya, kotowari zo. Ikadeka tati-tomari tamaha m? Warera mo, e koso nenzi hatu mazikere."
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2.4.19 |
と、おのが身々につけたるたよりども思ひ出でて、止まるまじう思へるを、人悪ろく聞きおはす。
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と、それぞれに関係ある縁故を思い出して、残っていられないと思っているのを、体裁の悪いことだと聞いていらっしゃる。
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こんなことを言って、ほかへ勤める手蔓を捜し始めて、ここを出る決心をしたらしいことを言い合うのを聞くことも末摘花の身にはつらいことであった。
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to, onoga mi mi ni tuke taru tayori-domo omohi-ide te, tomaru maziu omohe ru wo, hitowaroku kiki ohasu.
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出典7 |
かへり見のみ |
君が住む宿の梢のゆくゆくと隠るるまでにかへり見しはや |
拾遺集別-三五一 菅原道真 |
2.4.16 |
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2.5 |
第五段 常陸宮邸の寂寥
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2-5 Suetsumu's terrible lonely days
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2.5.1 |
霜月ばかりになれば、雪、霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日、夕日をふせぐ蓬葎の蔭に深う積もりて、 越の白山思ひやらるる雪のうちに ★、出で入る下人だになくて、つれづれと眺めたまふ。はかなきことを聞こえ慰め、 泣きみ笑ひみ紛らはしつる人さへなくて、夜も 塵がましき御帳のうちも、かたはらさびしく、もの悲しく思さる。
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霜月ころになると、雪、霰の降る日が多くなって、他では消える間もあるが、朝日、夕日をさえぎる雑草や葎の蔭に深く積もって、越の白山が思いやられる雪の中で、出入りする下人さえもいなくて、所在なく物思いに沈んでいらっしゃる。とりとめもないお話を申し上げてお慰めし、泣いたり笑ったりしながらお気を紛らした人さえいなくなって、夜も塵の積った御帳台の中も、寄り添う人もなく、何となく悲しく思わずにはいらっしゃれない。
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十一月になると雪や霙の日が多くなって、ほかの所では消えている間があっても、ここでは丈の高い枯れた雑草の蔭などに深く積もったものは量が高くなるばかりで越の白山をそこに置いた気がする庭を、今はもうだれ一人出入りする下男もなかった。こんな中につれづれな日を送るよりしかたのない末摘花の女王であった。泣き合い笑い合うこともあった侍従がいなくなってからは、夜の塵のかかった帳台の中でただ一人寂しい思いをして寝た。
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Simotuki bakari ni nare ba, yuki, arare gati nite, hoka ni ha kiyuru ma mo aru wo, asahi, yuhuhi wo husegu yomogi mugura no kage ni hukau tumori te, Kosi-no-Sirayama omohiyara ruru yuki no uti ni, ide iru simobito dani naku te, turedure to nagame tamahu. Hakanaki koto wo kikoye nagusame, nakimi-warahimi magirahasi turu hito sahe naku te, yoru mo tiri gamasiki mityau no uti mo, katahara sabisiku, mono-ganasiku obosa ru.
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2.5.2 |
かの殿には、 めづらし人に、いとどもの騒がしき御ありさまにて、いとやむごとなく思されぬ所々には、わざともえ訪れたまはず。まして、「その人はまだ世にやおはすらむ」とばかり思し出づる折もあれど、尋ねたまふべき 御心ざしも急がであり経るに、 年変はりぬ。
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あちらの殿では、久々に再会した方に、ますます夢中なご様子で、たいして重要にお思いでない方々には、特別ご訪問もおできになれない。まして、「あの人はまだ生きていらっしゃるだろうか」という程度にお思い出しになる時もあるが、お訪ねになろうというお気持ちも急に起こらずにいるうちに、年も変わった。
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源氏は長くこがれ続けた紫夫人のもとへ帰りえた満足感が大きくて、ただの恋人たちの所などへは足が向かない時期でもあったから、常陸の宮の女王はまだ生きているだろうかというほどのことは時々心に上らないことはなかったが、捜し出してやりたいと思うことも、急ぐことと思われないでいるうちにその年も暮れた。
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Kano Tono ni ha, medurasi' bito ni, itodo mono-sawagasiki ohom-arisama nite, ito yamgotonaku obosa re nu tokorodokoro ni ha, wazato mo e otodure tamaha zu. Masite, "Sono hito ha mada yo ni ya ohasu ram?" to bakari obosi iduru wori mo are do, tadune tamahu beki mikokorozasi mo isoga de ari huru ni, tosi kahari nu.
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出典8 |
越の白山思ひやらるる |
君が行く越の白山知らねども雪のまにまに跡は訪ねむ |
古今集別-三九一 藤原兼輔 |
2.5.1 |
音に聞く越の白山白雪の降り積もりてのことにぞありける |
公任集-一七八 |
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Last updated 10/9/2009(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 10/9/2009(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 3/24/2006 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-4) |
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Last updated 10/9/2009 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C) |
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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