第十五帖 蓬生


15 YOMOGIHU (Ohoshima-bon)


光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの末摘花の物語


Tale of Suetsumu era of Hikaru-Genji in Suma and Akashi, and returned to Kyoto later

4
第四章 末摘花の物語 その後の物語


4  Tale of Suetsumu  Suetsumu's happy days after Genji's visit

4.1
第一段 末摘花への生活援助


4-1  Genji aids Suetsumu in her life

4.1.1   祭、御禊などのほど、御いそぎどもにことつけて、人のたてまつりたる物いろいろに多かるを、さるべき限り御心加へたまふ。中にもこの宮にはこまやかに思し寄りて、むつましき人びとに仰せ言賜ひ、下部どもなど遣はして、蓬払はせ、めぐりの見苦しきに、 板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ。かう尋ね出でたまへりと、聞き伝へむにつけても、わが御ため面目なければ、渡りたまふことはなし。御文いとこまやかに書きたまひて、 二条院近き所を造らせたまふを、
 賀茂祭、御禊などのころ、ご準備などにかこつけて、人々が献上した物がいろいろと多くあったので、しかるべき夫人方にお心づけなさる。中でもこの宮には細々とお心をかけなさって、親しい人々にご命令をお下しになって、下べ連中などを遣わして、雑草を払わせ、周囲が見苦しいので、板垣というもので、しっかりと修繕させなさる。このようにお訪ねになったと、噂するにつけても、ご自分にとって不名誉なので、お渡りになることはない。お手紙をたいそう情愛こまやかにお認めになって、二条院近くの所をご建築なさっているので、
 賀茂祭り、斎院の御禊ごけいなどのあるころは、その用意の品という名義で諸方から源氏へ送って来る物の多いのを、源氏はまたあちらこちらへ分配した。その中でも常陸の宮へ贈るのは、源氏自身が何かと指図さしずをして、宮邸に足らぬ物を何かと多く加えさせた。親しい家司けいしに命じて下男などを宮家へやって邸内の手入れをさせた。庭のよもぎを刈らせ、応急に土塀どべいの代わりの板塀を作らせなどした。源氏が妻と認めての待遇をし出したと世間から見られるのは不名誉な気がして、自身で訪ねて行くことはなかった。手紙はこまごまと書いて送ることを怠らない。二条の院にすぐ近い地所へこのごろ建築させている家のことを、源氏は末摘花に告げて、
  Maturi, gokei nado no hodo, ohom-isogi-domo ni kototuke te, hito no tatematuri taru mono iroiro ni ohokaru wo, sarubeki kagiri mikokoro kuhahe tamahu. Naka ni mo kono Miya ni ha komayaka ni obosiyori te, mutumasiki hitobito ni ohosegoto tamahi, simobe-domo nado tukahasi te, yomogi haraha se, meguri no migurusiki ni, itagaki to ihu mono, uti-katame tukuroha se tamahu. Kau tadune ide tamahe ri to, kiki tutahe m ni tuke te mo, waga ohom-tame menboku nakere ba, watari tamahu koto ha nasi. Ohom-humi ito komayaka ni kaki tamahi te, Nideunowin tikaki tokoro wo tukura se tamahu wo,
4.1.2  「 そこになむ渡したてまつるべき。よろしき童女など、求めさぶらはせたまへ」
 「そこにお移し申し上げましょう。適当な童女など、お探しになって仕えさせなさい」
 そこへあなたを迎えようと思う、今から童女として使うのによい子供を選んでらしておおきなさい。
  "Soko ni nam watasi tatematuru beki. Yorosiki warahabe nado, motome saburahase tamahe."
4.1.3  など、人びとの上まで思しやりつつ、訪らひきこえたまへば、かくあやしき蓬のもとには、置き所なきまで、女ばらも空を仰ぎてなむ、そなたに向きて喜びきこえける。
 などと、女房たちのことまでお気を配りになって、お世話申し上げなさるので、このようにみすぼらしい蓬生の宿では、身の置きどころのないまで、女房たちも空を仰いで、そちらの方角を向いてお礼申し上げるのであった。
 ともその手紙には書いてあった。女房たちの着料までも気をつけて送って来る源氏に感謝して、それらの人々は源氏の二条の院のほうを向いて拝んでいた。
  nado, hitobito no uhe made obosiyari tutu, toburahi kikoye tamahe ba, kaku ayasiki yomogi no moto ni ha, okidokoro naki made, womnabara mo sora wo ahugi te nam, sonata ni muki te yorokobi kikoye keru.
4.1.4  なげの御すさびにても、おしなべたる世の常の人をば、目止め耳立てたまはず、世にすこしこれはと思ほえ、心地にとまる節あるあたりを尋ね寄りたまふものと、人の知りたるに、かく引き違へ、何ごともなのめにだにあらぬ御ありさまを、ものめかし出でたまふは、 いかなりける御心にかありけむ。これも昔の契りなめりかし
 かりそめのお戯れにしても、ありふれた普通の女性には、目を止めたり聞き耳を立てたりはなさらず、世間で少しでもこの人はと噂されたり、心に止まる点のある女性をお求めなさるものと、皆思っていたが、このように予想を裏切って、どのような点においても人並みでない方を、ひとかどの人物としてお扱いなさるのは、どのようなお心からであったのであろうか。これも前世からのお約束なのであろうよ。
 一時的の恋にも平凡な女を相手にしなかった源氏で、ある特色の備わった女性には興味を持って熱心に愛する人として源氏をだれも知っているのであるが、何一つすぐれた所のない末摘花をなぜ妻の一人としてこんな取り扱いをするのであろう。これも前生の因縁ごとであるに違いない。
  Nage no ohom-susabi nite mo, osinabe taru yo no tune no hito wo ba, me todome mimi tate tamaha zu, yo ni sukosi kore ha to omohoye, kokoti ni tomaru husi aru atari wo tadune yori tamahu mono to, hito no siri taru ni, kaku hikitagahe, nanigoto mo nanome ni dani ara nu ohom-arisama wo, monomekasi ide tamahu ha, ika nari keru mikokoro ni ka ari kem? Kore mo mukasi no tigiri na' meri kasi.
注釈151祭御禊などのほど四月の賀茂祭のころとなる。4.1.1
注釈152板垣といふもの、うち堅め繕はせたまふ二条東院に迎え入れるまでの一時的な修理という意味である。4.1.1
注釈153二条院近き所を大島本は「ちかきところ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いと近き」と、副詞「いと」を補訂する。4.1.1
注釈154そこになむ渡したてまつるべき以下「さぶらはせたまへ」まで、源氏の手紙文。その一部分。4.1.2
注釈155いかなりける御心にかありけむこれも昔の契りなめりかし『集成』は「草子地」と注す。4.1.4
4.2
第二段 常陸宮邸に活気戻る


4-2  Restoration of happy life

4.2.1  今は限りと、あなづり果てて、 さまざまに迷ひ散りあかれし 上下の人びと、我も我も参らむと争ひ出づる人もあり。心ばへなど、はた、埋もれいたきまでよくおはする御ありさまに、心やすくならひて、ことなることなきなま受領などやうの家にある人は、ならはずはしたなき心地するもありて、 うちつけの心みえに参り帰り、君は、いにしへにもまさりたる御勢のほどにて、ものの思ひやりもまして添ひたまひにければ、こまやかに思しおきてたるに、にほひ出でて、宮の内やうやう人目見え、木草の葉もただすごくあはれに見えなされしを、遣水かき払ひ、前栽のもとだちも涼しうしなしなどして、ことなるおぼえなき下家司の、ことに 仕へまほしきは、かく御心とどめて思さるることなめりと 見取りて、御けしき賜はりつつ、 追従し仕うまつる
 もうこれまでだと、馬鹿にしきって、それぞれさまよい離散して行った上下の女房たち、我も我もとお仕えし直そうと、争って願い出て来る者もいる。気立てなど、それはそれはで、引っ込み思案なまでによくていらっしゃるご様子ゆえに、気楽な宮仕えに慣れて、これといったところのないつまらない受領などのような家にいる女房は、今までに経験したこともないきまりの悪い思いをするのもいて、げんきんな心をあけすけにして帰って参り、源氏の君は、以前にも勝るご権勢となって、何かにつけて物事の思いやりもさらにお加わりになったので、細々と指図して置かれているので、明るく活気づいて、宮邸の中がだんだんと人の姿も多くなり、木や草の葉もただすさまじくいたわしく見えたのを、遣水を掃除し、前栽の根元をさっぱりなどさせて、大して目をかけていただけない下家司で、格別にお仕えしたいと思う者は、このようにご寵愛になるらしいと見てとって、ご機嫌を伺いながら、追従してお仕え申し上げている。
 もう暗い前途があるばかりのように見切りをつけて、女王の家を去った人々、それは上から下まで幾人もある旧召使が、われもわれもと再勤を願って来た。善良さはまれに見るほどの女性である末摘花のもとに使われて、気楽に暮らした女房たちが、ただの地方官の家などに雇われて、気まずいことの多いのにあきれて帰って来る者もある。見えすいたような追従も皆言ってくる。昔よりいっそう強い勢力を得ている源氏は、思いやりも深くなった今の心から、たすけ起こそうとしている女王の家は、人影もにぎやかに見えてきて、しげりほうだいですごいものに見えた木や草も整理されて、流れに水の通るようになり、立ち木や草の姿も優美に清い感じのするものになっていった。職をしがっている下家司しもけいし級の人は、源氏が一人の夫人の家として世話をやく様子を見て、仕えたいと申し込んで来て、宮家に執事もできた。
  Ima ha kagiri to, anaduri hate te, samazama ni mayohi tiri akare si uhe simo no hitobito, ware mo ware mo mawira m to arasohi iduru hito mo ari. Kokorobahe nado, hata, mumore itaki made yoku ohasuru ohom-arisama ni, kokoroyasuku narahi te, kotonaru koto naki nama-zuryau nado yau no ihe ni aru hito ha, naraha zu hasitanaki kokoti suru mo ari te, utituke no kokoromiye ni mawiri kaheri, Kimi ha, inisihe ni mo masari taru ohom-ikihohi no hodo nite, mono no omohiyari mo masite sohi tamahi ni kere ba, komayaka ni obosioki te taru ni, nihohi ide te, Miya no uti yauyau hitome miye, ki kusa no ha mo tada sugoku ahare ni miye nasa re si wo, yarimidu kaki-harahi, sensai no motodati mo suzusiu si nasi nado si te, koto naru oboye naki simogeisi no, koto ni tukahe mahosiki ha, kaku mikokoro todome te obosa ruru koto na' meri to mitori te, mikesiki tamahari tutu, tuisyou si tukaumaturu.
注釈156さまざまに迷ひ散りあかれし大島本は「まよひちり」とある。諸本は「きをひちり」(御横為榊池肖三)とある。書陵部本が大島本と同文。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は「きほひ散り」と校訂する。『完訳』は「源氏の庇護で豊になると、戻って来る者もいる。「競ひ散り」「あらそい出づる」とあり、離散も帰参も、先を競う軽薄さ」と注す。4.2.1
注釈157うちつけの心みえに参り帰り大島本は「まいりかへり」とある。『新大系』は底本のままとし、文を続ける。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「参り帰る」と校訂し、文を結ぶ。『集成』は「てきめんに変る心をあけすけに」と注す。4.2.1
注釈158追従し仕うまつる下家司の態度も女房と同様にげんきんな心の変わりようである。4.2.1
校訂20 上下 上下--*うへしも 4.2.1
校訂21 仕へ 仕へ--つか(か/+へ<朱>) 4.2.1
校訂22 見取り 見取り--み(み/+と)り 4.2.1
4.3
第三段 末摘花のその後


4-3  In after years about Suetsumu

4.3.1   二年ばかりこの古宮に眺めたまひて、東の院といふ所になむ、後は渡したてまつりたまひける。対面したまふことなどは、いとかたけれど、近きしめのほどにて、おほかたにも渡りたまふに、さしのぞきなどしたまひつつ、いとあなづらはしげにもてなしきこえたまはず。
 二年ほどこの古いお邸に寂しくお過ごしになって、東の院という所に、後はお移し申し上げたのであった。お逢いになることなどは、とても難しいことであるが、近い敷地内なので、普通にお渡りになった時、お立ち寄りなどなさっては、そう軽々しくお扱い申し上げなさらない。
 末摘花は二年ほどこの家にいて、のちには東の院へ源氏に迎えられ、夫婦として同室に暮らすようなことはめったになかったのであるが、近い所であったから、ほかの用で来た時に話して行くようなことくらいはよくして、軽蔑けいべつした扱いは少しもしなかったのである。
  Hutatose bakari kono hurumiya ni nagame tamahi te, himgasinowin to ihu tokoro ni nam, noti ha watasi tatematuri tamahi keru. Taimen si tamahu koto nado ha, ito katakere do, tikaki sime no hodo nite, ohokata ni mo watari tamahu ni, sasi-nozoki nado si tamahi tutu, ito anadurahasige ni motenasi kikoye tamaha zu.
4.3.2   かの大弐の北の方、上りて驚き思へるさま、侍従が、うれしきものの、今しばし待ちきこえざりける心浅さを、恥づかしう思へるほどなどを、今すこし問はず語りも せまほしけれど、いと頭いたう、うるさく、もの憂ければなむ。今またもついであらむ折に、 思ひ出でて聞こゆべき、 とぞ
 あの大弐の北の方が、上京して来て驚いた様子や、侍従が、嬉しく思う一方で、もう少しお待ち申さなかった思慮の浅さを、恥ずかしく思っていたところなどを、もう少し問わず語りもしたいが、ひどく頭が痛く、厄介で、億劫に思われるので。今後また機会のある折に思い出してお話し申し上げよう、ということである。
 大弐の夫人が帰京した時に、どんな驚き方をしたか、侍従が女王の幸福を喜びながらも、時が待ち切れずに姫君を捨てて行った自身のあやまちをどんなに悔いたかというようなことも、もう少し述べておきたいのであるが、筆者は頭が痛くなってきたから、またほかの機会に思い出して書くことにする。
  Kano Daini-no-Kitanokata, nobori te odoroki omohe ru sama, Zizyuu ga, uresiki monono, ima sibasi mati kikoye zari keru kokoroasasa wo, hadukasiu omohe ru hodo nado wo, ima sukosi tohazugatari mo se mahosikere do, ito kasira itau, urusaku, monoukere ba nam. Ima mata mo tuide ara m wori ni, omohiide te kikoyu beki,to zo.
注釈159二年ばかりこの古宮に眺めたまひて東の院といふ所になむ後は渡したてまつりたまひける二年後、末摘花は二条東院に移り住むことになる。
【眺めたまひて】-『集成』は「さびしくお暮しになって」。『完訳』は「無聊の日々をお過しになるが」と訳す。
4.3.1
注釈160かの大弐の北の方、上りて『集成』は「「かの大弍の北の方」以下「聞こゆべき」まで、物語の語り手の言葉。実際に、末摘花の身の上を見聞したことのある者が語る体」。『完訳』は「以下、語り手の言辞。省筆しながらも、叔母・侍従の複雑な反応を暗示して、物語をしめくくる」と注す。4.3.2
注釈161せまほしけれど大島本は「せましけれと」とある。「せまほしけれと」の「ほ」脱字であろう。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「せまほしけれど」と補訂する。4.3.2
注釈162思ひ出でて大島本は「思いてゝ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひ出でてなむ」と、副詞「なむ」を補訂する。4.3.2
注釈163とぞ『集成』「--ということです。最初の語り手の話を聞き伝えた者が付け加えた体の言葉」と注す。4.3.2
Last updated 10/9/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/9/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/24/2006
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-4)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 10/9/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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