第十六帖 関屋


16 SEKIYA (Ohoshima-bon)


光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語


Tale of Utsusemi  Ara of Hikaru-Genji in Suma and Akashi, and returned to Kyoto later

3
第三章 空蝉の物語 夫の死去後に出家


3  Tale of Utsusemi  Into religion after her husband's death

3.1
第一段 夫常陸介死去


3-1  Her husband's death

3.1.1   かかるほどに、この常陸守、老いの積もりにや、悩ましくのみして、もの心細かりければ、子どもに、ただこの君の御ことをのみ言ひ置きて、
 こうしているうちに、常陸介は、年取ったためか、病気がちになって、何かと心細い気がしたので、子どもたちに、もっぱらこの君のお事だけを遺言して、
 そのうち常陸介ひたちのすけは老齢のせいか病気ばかりするようになって、前途を心細がり、悲観してしまい、息子むすこたちに空蝉のことばかりをくどく遺言していた。
  Kakaru hodo ni, kono Hitati-no-Kami, oyi no tumori ni ya, nayamasiku nomi si te, mono-kokorobosokari kere ba, kodomo ni, tada kono Kimi no ohom-koto wo nomi ihioki te,
3.1.2  「 よろづのこと、ただこの御心にのみ任せて、ありつる世に変はらで仕うまつれ」
 「万事の事、ただこの母君のお心にだけ従って、わたしの在世中と変わりなくお仕えせよ」
 「何もかも私の妻の意志どおりにせい。私の生きている時と同じように仕えねばならん」
  "Yorodu no koto, tada kono mikokoro ni nomi makase te, ari turu yo ni kahara de tukaumature."
3.1.3  とのみ、明け暮れ言ひけり。
 とばかり、明けても暮れても言うのであった。
 と繰り返すのである。
  to nomi, akekure ihi keri.
3.1.4  女君、「 心憂き宿世ありて、この人にさへ後れて、いかなるさまにはふれ惑ふべきにかあらむ」と 思ひ嘆きたまふを見るに
 女君の、「辛い運命の下に生まれて、この人にまで先立たれて、どのように落ちぶれて途方に暮れることになっていくのだろうか」と、思い嘆いていらっしゃるのを見ると、
 空蝉は薄命な自分はこの良人おっとにまで死別して、またもけわしい世の中に漂泊さすらえるのであろうかとなげいている様子を、常陸介は病床に見ると死ぬことが苦しく思われた。
  Womnagimi, "Kokorouki sukuse ari te, kono hito ni sahe okure te, ika naru sama ni hahure madohu beki ni ka ara m?" to omohi nageki tamahu wo miru ni,
3.1.5  「 命の限りあるものなれば、惜しみ止むべき方もなし。いかでか、この人の御ために残し置く魂もがな。 わが子どもの心も知らぬを
 「命には限りがあるものだから、惜しんだとて止めるすべはない。何とかして、この方のために残して置く魂があったらいいのだが。わが子どもの気心も分からないから」
 生きていたいと思っても、それは自己の意志だけでどうすることもできないことであったから、
  "Inoti no kagiri aru mono nare ba, wosimi todomu beki kata mo nasi. Ikadeka, kono hito no ohom-tame ni nokosi oku tamasihi mo gana. Waga kodomo no kokoro mo sira nu wo."
3.1.6  と、うしろめたう悲しきことに、言ひ思へど、心にえ止めぬものにて、亡せぬ。
 と、気掛かりで悲しいことだと、口にしたり思ったりしたが、思いどおりに行かないもので、亡くなってしまった。
せめて愛妻のために魂だけをこの世に残して置きたい、自分の息子たちの心も絶対には信ぜられないのであるからと、言いもし、思いもして悲しんだがやはり死んでしまった。
  to, usirometau kanasiki koto ni, ihi omohe do, kokoro ni e todome nu mono nite, use nu.
注釈37かかるほどに、この常陸守常陸国は親王が大守となり遥任なので、介が実質上の守となるので、「常陸守」と呼称された。3.1.1
注釈38よろづのことただこの御心に以下「仕うまつれ」まで、常陸介の遺言。万事空蝉の心に従って、自分の生前と同様に仕えなさい、という主旨。3.1.2
注釈39心憂き宿世ありて以下「惑ふべきにかあらむ」まで、空蝉の心中。地の文から心中文に自然と流れていく形で、その始まりは判然としない。3.1.4
注釈40思ひ嘆きたまふを見るに「思い嘆く」空蝉には敬語がつき、「見る」常陸介にはつかない。3.1.4
注釈41命の限り以下「心も知らぬを」まで、常陸介の心中。3.1.5
注釈42わが子どもの心も知らぬを『集成』は「わが子とはいえ気心も知れないのに」と訳す。「を」間投助詞、詠嘆の意。3.1.5
3.2
第二段 空蝉、出家す


3-2  Into religion

3.2.1  しばしこそ、「さのたまひしものを」など、情けつくれど、 うはべこそあれ、つらきこと多かり。とあるもかかるも 世の道理なれば、身一つの憂きことにて、嘆き明かし暮らす。ただ、この河内守のみぞ、 昔より好き心ありて、すこし情けがりける。
 暫くの間は、「あのようにご遺言なさったのだから」などと、情けのあるように振る舞っていたが、うわべだけのことであって、辛いことが多かった。それもこれもみな世の道理なので、わが身一つの不幸として、嘆きながら毎日を暮らしている。ただ、この河内守だけは、昔から好色心があって、少し優しげに振る舞うのであった。
 息子たちが、当分は、「あんなに父が頼んでいったのだから」と表面だけでも言っていてくれたが、空蝉の堪えられないような意地の悪さが追い追いに見えて来た。世間ありきたりの法則どおりに継母はこうして苦しめられるのであると思って、空蝉はすべてを自身の薄命のせいにして悲しんでいた。河内守だけは好色な心から、継母に今も追従をして、
  Sibasi koso, "Sa notamahi si mono wo." nado, nasake tukure do, uhabe koso are, turaki koto ohokari. Toaru mo kakaru mo yo no kotowari nare ba, mi hitotu no uki koto nite, nageki akasi kurasu. Tada, kono Kahati-no-Kami nomi zo, mukasi yori sukigokoro ari te, sukosi nasakegari keru.
3.2.2  「あはれにのたまひ置きし、数ならずとも、思し疎までのたまはせよ」
 「しみじみとご遺言なさってもおり、至らぬ者ですが、何なりとご遠慮なさらずにおっしゃってください」
 「父があんなにあなたのことを頼んで行かれたのですから、無力ですが、それでもあなたの御用は勤めたいと思いますから、遠慮をなさらないでください」
  "Ahare ni notamahi oki si, kazu nara zu tomo, obosi utoma de notamahase yo."
3.2.3  など追従し寄りて、いとあさましき心の見えければ、
 などと機嫌をとって近づいて来て、実にあきれた下心が見えたので、
 などと言って来るのである。あさましい下心したごころも空蝉は知っていた。
  nado tuisyou si yori te, ito asamasiki kokoro no miye kere ba,
3.2.4  「 憂き宿世ある身にて、かく生きとまりて、果て果ては、めづらしきことどもを聞き添ふるかな」と、人知れず思ひ知りて、人にさなむとも知らせで、尼になりにけり。
 「辛い運命の身で、このように生き残って、終いには、とんでもない事まで耳にすることよ」と、人知れず思い悟って、他人にはそれとは知らせずに、尼になってしまったのであった。
 不幸な自分は良人に死に別れただけで済まず、またまたこんな情けないことが近づいてこようとすると悲しがって、だれにも相談をせずに尼になってしまった。
  "Uki sukuse aru mi nite, kaku iki tomari te, hatehate ha, medurasiki koto-domo wo kiki sohuru kana!" to, hitosirezu omohi siri te, hito ni sa nam to mo sirase de, ama ni nari ni keri.
3.2.5  ある人びと、いふかひなしと、思ひ嘆く。守も、いとつらう、
 仕えている女房たち、何とも言いようがないと、悲しみ嘆く。河内守もたいそう辛く、
 常陸介の息子や娘もさすがにこれを惜しがった。河内守は恨めしかった。
  Aru hitobito, ihukahinasi to, omohi nageku. Kami mo, ito turau,
3.2.6  「 おのれを厭ひたまふほどに。残りの御齢は多くものしたまふらむ。いかでか過ぐしたまふべき」
 「わたしをお嫌いになってのことに。まだ先の長いお年でいらっしゃろうに。これから先、どのようにしてお過ごしになるのか」
 「私をきらって尼におなりになったってまだ今後長く生きて行かねばならないのだから、どうして生活をするつもりだろう、余計なことをしたものだ」
  "Onore wo itohi tamahu hodo ni. Nokori no ohom-yohahi ha ohoku monosi tamahu ram. Ikadeka sugusi tamahu beki?"
3.2.7  などぞ、 あいなのさかしらやなどぞ、はべるめる
 などと、つまらぬおせっかいだなどと、申しているようである。
 などと言った。
  nado zo, aina' no sakasira ya nado zo, haberu meru.
注釈43うはべこそあれ「こそ」係助詞、「あれ」已然形、逆接用法で下文に続く。3.2.1
注釈44世の道理なれば『完訳』は「継子が継母を疎略にすることをいう」と注す。3.2.1
注釈45昔より好き心ありて前に「紀伊守、好き心に、この継母のありさまを、あたらしきものに思ひて」(「帚木」巻)とあった。3.2.1
注釈46憂き宿世ある身にて以下「聞き添ふるかな」まで、空蝉の心中。3.2.4
注釈47おのれを以下「過ぐしたまふべき」まで、河内守の心中また詞。3.2.6
注釈48あいなのさかしらやなどぞはべるめる『集成』は「つまらぬおせっかいだ、などと人は申しているようです。世間の評判を伝える語り手の言葉。草子地」。『完訳』は「現身を不憫がる河内守への、世人の批評」と注す。3.2.7
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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