第十七帖 絵合


17 WEAHASE (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳春の後宮制覇の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, March in spring at the age of 31

1
第一章 前斎宮の物語 前斎宮をめぐる朱雀院と光る源氏の確執


1  Tale of zen-Saigu  A love triangle Suzaku-In and Hikaru-Genji on zen-Saigu

1.1
第一段 朱雀院、前斎宮の入内に際して贈り物する


1-1  Suzaku-In presents to zen-Saigu at her marriage

1.1.1   前斎宮の御参りのこと、中宮の御心に入れてもよほしきこえたまふ。 こまかなる御とぶらひまで、とり立てたる御後見もなしと思しやれど、 大殿は、院に聞こし召さむことを憚りたまひて、 二条院に渡したてまつらむことをも、このたびは思し止まりて、 ただ知らず顔にもてなしたまへれど、おほかたのことどもは、とりもちて親めききこえたまふ。
 前斎宮のご入内のこと、中宮が御熱心に御催促申される。こまごまとしたお世話まで、これといったご後見役もいないとご心配になるが、大殿は、朱雀院がお聞きあそばすことをはばかりなさって、二条の院にお迎え申すことをも、この度はご中止になって、まったく知らない顔に振る舞っていらっしゃるが、一通りの準備は、受け持って親のように世話してお上げになる。
 前斎宮ぜんさいぐう入内じゅだいを女院は熱心に促しておいでになった。こまごまとした入用の品々もあろうがすべてを引き受けてする人物がついていないことは気の毒であると、源氏は思いながらも院への御遠慮があって、今度は二条の院へお移しすることも中止して、傍観者らしく見せてはいたが、大体のことは皆源氏が親らしくしてする指図さしずで運んでいった。
  Saki-no-Saiguu no ohom-mawiri no koto, Tyuuguu no mikokoro ni ire te moyohosi kikoye tamahu. Komaka naru ohom-toburahi made, toritate taru ohom-usiromi mo nasi to obosiyare do, Ohotono ha, Win ni kikosimesa m koto wo habakari tamahi te, Nideunowin ni watasi tatematura m koto wo mo, kono tabi ha obosi tomari te, tada sirazugaho ni motenasi tamahe re do, ohokata no koto-domo ha, torimoti te oyameki kikoye tamahu.
1.1.2  院はいと口惜しく思し召せど、人悪ろければ、御消息など絶えにたるを、その日になりて、えならぬ御よそひども、御櫛の筥、 打乱の筥、香壺の筥ども、世の常ならず、くさぐさの御薫物ども、薫衣香、またなきさまに、百歩の外を多く過ぎ匂ふまで、心ことに調へさせたまへり。 大臣見たまひもせむにと、 かねてよりや思しまうけけむ、いと わざとがましかむめり
 朱雀院はたいそう残念に思し召されるが、体裁が悪いので、お手紙なども絶えてしまっていたが、その当日になって、何ともいえない素晴らしいご装束の数々、お櫛の箱、打乱の箱、香壷の箱など幾つも、並大抵のものでなく、いろいろのお薫物の数々、薫衣香のまたとない素晴らしいほどに、百歩の外を遠く過ぎても匂うくらいの、特別に心をこめてお揃えあそばした。内大臣が御覧になろうからと、前々から御準備あそばしていたのであろうか、いかにも特別誂えといった感じのようである。
 院は残念がっておいでになったが、負けた人は沈黙すべきであると思召おぼしめして、手紙をお送りになることも絶えた形であった。しかも当日になって院からのたいしたお贈り物が来た。御衣服、くしの箱、乱れ箱、香壺こうごの箱には幾種類かの薫香くんこうがそろえられてあった。源氏が拝見することを予想して用意あそばされた物らしい。
  Win ha ito kutiwosiku obosimese do, hitowarokere ba, ohom-seusoko nado taye ni taru wo, sono hi ni nari te, e nara nu ohom-yosohi-domo, migusi no hako, utimidarenohako, kaugo no hako-domo, yo no tune nara zu, kusagusa no ohom-takimono-domo, kunuekau, matanaki sama ni, hyakubu no hoka wo ohoku sugi nihohu made, kokoro koto ni totonohe sase tamahe ri. Otodo mi tamahi mo se m ni to, kanete yoriya obosi mauke kem, ito wazatogamasikam meri.
1.1.3  殿も渡りたまへるほどにて、「 かくなむ」と、女別当御覧ぜさす。ただ、御櫛の筥の片つ方を見たまふに、尽きせずこまかになまめきて、めづらしきさまなり。挿櫛の筥の心葉に、
 殿もお渡りになっていた時なので、「これこれの次第で」と言って、女別当が御覧に入れさせる。ちょっと、お櫛の箱の片端を御覧になると、この上もなく精巧で優美に、めったにない作りである。さし櫛の箱の心葉に、
 源氏の来ていた時であったから、女別当にょべっとうはその報告をして品々を見せた。源氏はただ櫛の箱だけを丁寧に拝見した。繊細な技巧でできた結構な品である。し櫛のはいった小箱につけられた飾りの造花に御歌が書かれてあった。
  Tono mo watari tamahe ru hodo nite, "Kaku nam." to, Nyobetau goranze sasu. Tada, migusi no hako no katatukata wo mi tamahu ni, tuki se zu komaka ni namameki te, medurasiki sama nari. Sasigusi no hako no kokoroba ni,
1.1.4  「 別れ路に添へし小櫛をかことにて
   遥けき仲と神やいさめし
 「別れの御櫛を差し上げましたが、それを口実に
  あなたとの仲を遠く離れたものと神がお決めになったのでしょうか
  別れに添へし小櫛を
  かごとにてはるけき中と神やいさめし
    "Wakaredi ni sohe si wogusi wo kakoto nite
    harukeki naka to Kami ya isame si
1.1.5  大臣、これを御覧じつけて、思しめぐらすに、 いとかたじけなくいとほしくて、わが御心のならひ、あやにくなる 身を抓みて
 大臣、これを御覧になって、いろいろとお考えめぐらすと、たいそう恐れ多く、おいたわしくて、ご自分の性癖の、ままならぬ恋に惹かれるわが身をつまされて、
 この御歌に源氏は心の痛くなるのを覚えた。もったいないことを計らったものであると、源氏は自身のかつてした苦しい思いに引き比べて院の今のお心持ちも想像することができてお気の毒でならない。
  Otodo, kore wo goranzi tuke te, obosi megurasu ni, ito katazikenaku itohosiku te, waga mikokoro no narahi, ayaniku naru mi wo tumi te,
1.1.6  「 かの下りたまひしほど、御心に思ほしけむこと、かう年経て帰りたまひて、その御心ざしをも遂げたまふべきほどに、かかる違ひ目のあるを、 いかに思すらむ。御位を去り、もの静かにて、世を恨めしとや思すらむ」など、「我になりて心動くべきふしかな」と、思し続けたまふに、いとほしく、「 何にかくあながちなることを思ひはじめて、心苦しく思ほし悩ますらむ。つらしとも、思ひきこえしかど、また、なつかしうあはれなる御心ばへを」など、思ひ乱れたまひて、とばかりうち眺めたまへり。
 「あのお下りになった時、お心にお思いになっただろうこと、このように何年も経ってお帰りになって、そのお気持ちを遂げられる時に、このように意に反することが起こったのを、どのようにお思いであろう。御位を去り、もの静かに過ごしていらして、世を恨めしくお思いだろうか」などと、「自分がその立場であったなら、きっと心を動かさずにはいられないだろう」と、お思い続けなさると、お気の毒になって、「どうしてこのような無理強引なことを思いついて、おいたわしくお苦しめ悩ますのだろう。恨めしいとも、お思い申したが、また一方では、お優しく情け深いお気持ちの方を」などと、お思い乱れなさって、しばらくは物思いに耽っていらっしゃった。
 斎王として伊勢へおいでになる時に始まった恋が、幾年かの後に神聖な職務を終えて女王にょおうが帰京され御希望の実現されてよい時になって、弟君の陛下の後宮こうきゅうへその人がはいられるということでどんな気があそばすだろう。閑暇かんかな地位へお退きになった現今の院は、何事もなしうる主権に離れた寂しさというようなものをお感じにならないであろうか、自分であれば世の中が恨めしくなるに違いないなどと思うと心が苦しくて、何故女王を宮中へ入れるようなよけいなことを自分は考えついて御心みこころを悩ます結果を作ったのであろう、お恨めしく思われた時代もあったが、もともと優しい人情深い方であるのにと、源氏は歎息たんそくをしながらしばらく考え込んでいた。
  "Kano kudari tamahi si hodo, mikokoro ni omohosi kem koto, kau tosi he te kaheri tamahi te, sono mikokorozasi wo mo toge tamahu beki hodo ni, kakaru tagahime no aru wo, ikani obosu ram? Mikurawi wo sari, mono-siduka nite, yo wo uramesi to ya obosu ram." nado, "Ware ni nari te kokoro ugoku beki husi kana!" to, obosi tuduke tamahu ni, itohosiku, "Nani ni kaku anagati naru koto wo omohi hazime te, kokorogurusiku omohosi mayamasu ram. Turasi to mo, omohi kikoye sika do, mata, natukasiu ahare naru mikokorobahe wo." nado, omohi midare tamahi te, tobakari uti-nagame tamahe ri.
1.1.7  「 この御返りは、いかやうにか聞こえさせたまふらむ。また、御消息もいかが」
 「このご返歌は、どのように申し上げあそばすのでしょうか。また、お手紙はどのように」
 「この御返歌はどうなさるだろう、またお手紙もあったでしょうがお答えにならないではいけないでしょう」
  "Kono ohom-kaheri ha, ikayau ni ka kikoye sase tamahu ram? Mata, ohom-seusoko mo ikaga?"
1.1.8  など、聞こえたまへど、いとかたはらいたければ、 御文はえ引き出でず。宮は悩ましげに 思ほして、御返りいともの憂くしたまへど、
 などと、お尋ね申し上げなさるが、とても具合が悪いので、お手紙はお出しになれない。宮はご気分も悪そうにお思いになって、ご返事をとても億劫になさったが、
 などと源氏は言ってもいたが、女房たちはお手紙だけは源氏に見せることをしなかった。宮は気分がおすぐれにならないで、御返歌をしようとされないのを、
  nado, kikoye tamahe do, ito kataharaitakere ba, ohom-humi ha e hikiide zu. Miya ha nayamasige ni omohosi te, ohom-kaheri ito monouku si tamahe do,
1.1.9  「 聞こえたまはざらむも、いと情けなく、かたじけなかるべし」
 「ご返事申されないのも、とても情けなく、恐れ多いことでしょう」
 「それではあまりに失礼で、もったいないことでございます」
  "Kikoye tamaha zara m mo, ito nasake naku, katazikenakaru besi."
1.1.10  と、人びとそそのかしわづらひきこゆるけはひを聞きたまひて、
 と、女房たちが催促申し上げ困っている様子をお聞きになって、
 こんなことを言って、女房たちが返事をお書かせしようと苦心している様子を知ると、源氏は、
  to, hitobito sosonokasi wadurahi kikoyuru kehahi wo kiki tamahi te,
1.1.11  「 いとあるまじき御ことなり。しるしばかり聞こえさせたまへ
 「とても良くないことです。かたちだけでもご返事差し上げなさいませ」
 「むろんお返事をなさらないではいけません。ちょっとだけでよいのですからお書きなさい」
  "Ito aru maziki ohom-koto nari. Sirusi bakari kikoye sase tamahe."
1.1.12  と聞こえたまふも、いと恥づかしけれど、いにしへ思し出づるに、いとなまめき、きよらにて、いみじう泣きたまひし御さまを、そこはかとなくあはれと見たてまつりたまひし 御幼心も、ただ今のこととおぼゆるに、故御息所の御ことなど、かきつらねあはれに思されて、ただかく、
 と申し上げなさるにつけても、ひどく恥ずかしいが、昔のことをお思い出しになると、たいそう優しくお美しくいらして、ひどくお泣きになったご様子を、どことなくしみじみと拝見なさった子供心にも、つい昨日のことと思われると、故御息所のお事など、それからそれへとしみじみと悲しく思い出さずにはいらっしゃれないので、ただこのように、
 と言った。源氏にそう言われることが斎宮にはまたお恥ずかしくてならないのであった。昔を思い出して御覧になると、えんに美しいみかどが別れを惜しんでお泣きになるのを、少女心おとめごころにおいたわしくお思いになったことも目の前に浮かんできた。同時に、母君のことも思われてお悲しいのであった。
  to kikoye tamahu mo, ito hadukasikere do, inisihe obosiiduru ni, ito namameki, kiyora ni te, imiziu naki tamahi si ohom-sama wo, sokohakatonaku ahare to mi tatematuri tamahi si ohom-wosanagokoro mo, tada ima no koto to oboyuru ni, ko-Miyasumdokoro no ohom-koto nado, kakiturane ahare ni obosa re te, tada kaku,
1.1.13  「 別るとて遥かに言ひし一言も
   かへりてものは今ぞ悲しき
 「別れの御櫛をいただいた時に仰せられた一言が
  帰京した今となっては悲しく思われます
  別るとてはるかに言ひしひとこと
  かへりて物は今ぞ悲しき
    "Wakaru tote haruka ni ihi si hitokoto mo
    kaheri te mono ha ima zo kanasiki
1.1.14   とばかりやありけむ。御使の禄、品々に賜はす。大臣は、御返りをいとゆかしう思せど、え聞こえたまはず。
 と、ぐらいにあったのであろうか。お使いへの禄、身分に応じてお与えになる。大臣は、お返事をひどく御覧になりたくお思いになったが、お口にはお出しになれない。
 とだけお書きになったようである。お使いの幾人かはそれぞれ差のあるいただき物をして帰った。源氏は斎宮の御返歌を知りたかったのであるが、それも見たいとは言えなかった。
  to bakari ya ari kem? Ohom-tukahi no roku, sinazina ni tamaha su. Otodo ha, ohom-kaheri wo ito yukasiu obose do, e kikoye tamaha zu.
注釈1前斎宮の御参りのこと源氏三十一歳春の物語。源氏二十九歳の秋、六条御息所死去し、一年の喪中期間をおいて、その娘前斎宮が冷泉帝に入内する話題。1.1.1
注釈2こまかなる以下「御後見もなし」まで、源氏の心中。1.1.1
注釈3大殿は院に「大殿」は源氏をさし、「院」は朱雀院をさす。あえて内大臣源氏を強調した。1.1.1
注釈4二条院に渡したてまつらむことをも既に「澪標」巻に語られていた。1.1.1
注釈5ただ知らず顔にもてなしたまへれど朱雀院が前斎宮に好意を寄せていることに対して。1.1.1
注釈6打乱の筥大島本は「うちみたれのハこ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うちみだり」と校訂する。1.1.2
注釈7大臣見たまひもせむに朱雀院の心中。1.1.2
注釈8かねてよりや思しまうけけむ語り手の推測を介在させた表現。1.1.2
注釈9わざとがましかむめり大島本は「わさとかましかむめり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「わざとがましかめり」と「む」を削除する。「わざとがましかるめり」の「る」が撥音便化して「わざとがましかむめり」と表記。推量の助動詞「めり」の主体は語り手。1.1.2
注釈10別れ路に添へし小櫛をかことにて--遥けき仲と神やいさめし朱雀院から前斎宮への贈歌。遂げられない恋の怨みを含んだ歌。1.1.4
注釈11いとかたじけなく『完訳』は「以下、源氏の反省的な心中」と注す。源氏の心を地の文で語る。1.1.5
注釈12身を抓みて心中文の後の「思し続けたまふに」に掛かる。1.1.5
注釈13かの下りたまひしほど以下「心動くべきふしかな」まで、途中「など」の引用句を挟んで、源氏の心中。朱雀院に同情し、もし自分がその立場だったらと、深く自分の行為を反省する。1.1.6
注釈14いかに思すらむ以下「思すらん」まで、源氏が朱雀院の心中を忖度した文。1.1.6
注釈15何にかく以下「御心ばへを」まで、源氏の心中。自分の行動を後悔し、朱雀院の人柄を賞揚する。1.1.6
注釈16この御返りは以下「御消息もいかが」まで、源氏の詞。女別当を介して、前斎宮に申し上げた。「御消息」は朱雀院からの手紙をさす。どのように書かれていたか、という意。1.1.7
注釈17御文はえ引き出でず朱雀院からの和歌は見せたが、手紙の方は見せることができないという意。1.1.8
注釈18思ほして大島本は「お(お+も)ほして」と「も」を補訂する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おぼして」と校訂する。1.1.8
注釈19聞こえたまはざらむも以下「かたじけなかるべし」まで、女房たちの詞。返事を差し上げることを催促。1.1.9
注釈20いとあるまじき御ことなりしるしばかり聞こえさせたまへ源氏の詞。朱雀院に形ばかりのお礼の返事を差し上げるよう、言う。1.1.11
注釈21御幼心も斎宮下向当時十四歳、現在は二十二歳。1.1.12
注釈22別るとて遥かに言ひし一言も--かへりてものは今ぞ悲しき斎宮の返歌。「遥かに言ひし一言」は、斎宮下向の儀式で別れの御櫛を挿す時に、「帰りたまふな」という言葉をさす。斎宮の帰京は、御世交替または親族に不幸があった場合である。斎宮の帰京「帰りて」は朱雀帝の退位により、「今ぞ」の状況は母六条御息所の死去後の孤独な生活をさす。1.1.13
注釈23とばかりやありけむ『集成』は「とだけ、書いていたであろうか。草子地」。『完訳』は「とぐらいお書きになったようである」「読者の想像に委ねる語り口」と注す。1.1.14
校訂1 かくなむ かくなむ--かくな(な/+む) 1.1.3
校訂2 思ほして 思ほして--お(お/+も)ほして 1.1.8
1.2
第二段 源氏、朱雀院の心中を思いやる


1-2  Genji guesses Suzaku-In's mind

1.2.1  「 院の御ありさまは、女にて見たてまつらまほしきを、この御けはひも 似げなからず、いとよき御あはひなめるを、内裏は、まだいといはけなくおはしますめるに、かく 引き違へきこゆるを、人知れず、ものしとや思すらむ」など、 憎きことをさへ思しやりて、胸つぶれたまへど、 今日になりて思し止むべきことにしあらねば、事どもあるべきさまにのたまひおきて、むつましう思す 修理宰相を詳しく仕うまつるべくのたまひて、内裏に参りたまひぬ。
 「院のご様子は、女性として拝見したい美しさだが、この宮のご様子も不似合いでなく、とても似つかわしいお間柄のようであるが、主上は、まだとてもご幼少でいらっしゃるようなので、このように無理にお運び申すことを、人知れず、不快にお思いでいらっしゃろうか」などと、立ち入ったことまで想像なさって、胸をお痛めになるが、今日になって中止するわけにもいかないので、万事しかるべきさまにお命じになって、ご信頼になっている参議兼修理大夫に委細お世話申し上げるべくお命じになって、宮中に参内なさった。
 院は美男でいらせられるし、女王もそれにふさわしい配偶のように思われる、少年でいらせられる帝の女御にょごにおさせすることは、女王の心に不満足なことであるかもしれないなどと思いやりのありすぎることまでも考えてみると、源氏は胸が騒いでならなかったが、今日になって中止のできることでもなかったから儀式その他についての注意を言い置いて、親しい修理大夫参議しゅりだゆうさんぎである人にすべてを委託して源氏は六条邸を出て御所へ参った。
  "Win no ohom-arisama ha, womna nite mi tatematura mahosiki wo, kono ohom-kehahi mo nigenakara zu, ito yoki ohom-ahahi na' meru wo, Uti ha, mada ito ihakenaku ohasimasu meru ni, kaku hikitagahe kikoyuru wo, hitosirezu, monosi to ya obosu ram?" nado, nikuki koto wo sahe obosiyari te, mune tubure tamahe do, kehu ni nari te obosi-todomu beki koto ni si ara ne ba, koto-domo aru beki sama ni notamahi oki te, mutumasiu obosu Suri-no-Saisyau wo kuhasiku tukaumaturu beku notamahi te, Uti ni mawiri tamahi nu.
1.2.2  「 うけばりたる親ざまには、聞こし召されじ」と、院をつつみきこえたまひて、御訪らひばかりと、見せたまへり。よき女房などは、もとより多かる宮なれば、里がちなりしも参り集ひて、いと二なく、けはひあらまほし。
 「表立った親のようには、お考えいただかれないように」と、院にご遠慮申されて、ただご挨拶程度と、お見せになった。優れた女房たちが、もともと大勢いる宮邸なので、里に引き籠もりがちであった女房たちも参集して、実にまたとなく、その感じは理想的である。
 養父として一切を源氏が世話していることにしては院へ済まないという遠慮から、単に好意のある態度を取っているというふうを示していた。もとからよい女房の多い宮であったから、実家に引いていがちだった人たちも皆出て来て、すでにはなやかな女御の形態が調ったように見えた。
  "Ukebari taru oyazama ni ha, kikosimesa re zi." to, Win wo tutumi kikoye tamahi te, ohom-toburahi bakari to, mise tamahe ri. Yoki nyoubau nado ha, motoyori ohokaru Miya nare ba, satogati nari si mo mawiri tudohi te, ito ninaku, kehahi aramahosi.
1.2.3  「 あはれ、おはせましかば、いかにかひありて、思しいたづかまし」と、昔の御心ざま思し出づるに、「 おほかたの世につけては、惜しうあたらしかりし人の御ありさまぞや。さこそえあらぬものなりけれ。よしありし方は、なほすぐれて」、物の折ごとに思ひ出できこえたまふ。
 「ああ、生きていらしたら、どんなにかお世話の仕甲斐のあることに思って、お世話なさったことだろう」と、故人のご性質をお思い出しになるにつけ、「特別な関係を抜きにして考えれば、まことに惜しむべきお人柄であったよ。ああまではいらっしゃれないものだ。風流な面では、やはり優れて」と、何かの時々にはお思い出し申し上げなさる。
 御息所みやすどころが生きていたならば、どんなにこうしたことをよろこぶことであろう、聡明そうめいな後見役として女御の母であるのに最も適した性格であったと源氏は故人が思い出されて、恋人としてばかりでなく、あの人を失ったことはこの世の損失であるとも源氏は思った。洗練された高い趣味の人といっても、あれほどにすぐれた人は見いだせないのであると、源氏は物のおりごとに御息所を思った。
  "Ahare, ohase masika ba, ikani kahi ari te, obosi-itaduka masi." to, mukasi no mikokorozama obosi iduru ni, "Ohokata no yo ni tuke te ha, wosiu atarasikari si hito no ohom-arisama zo ya! Sakoso e ara nu mono nari kere! Yosi ari si kata ha, naho sugure te", mono no wori goto ni omohiide kikoye tamahu.
注釈24院の御ありさまは源氏参内し、故六条御息所を回想する。以下「ものしとや思すらむ」まで、源氏の心中。1.2.1
注釈25似げなからずいとよき御あはひなめるを内裏はまだいといはけなくおはしますめるに朱雀院三十四歳、斎宮二十二歳、冷泉帝十三歳。朱雀院と斎宮は結婚するのにも適当な年齢のお間柄であるが、冷泉帝はまだ子供であると、源氏は思う。斎宮の冷泉帝入内を強引な政略結婚であることを自ら認めている。1.2.1
注釈26引き違へきこゆるを『集成』は「こうして、無理の多い筋にお運び申し上げるのも」。『完訳』は「このように院のお気持にさからってお取り持ちするのを」と訳す。1.2.1
注釈27憎きことをさへ思しやりて語り手の挿入句。『完訳』は「宮の内心を想像する源氏を、いやな気づかいと、語り手が批評」と注す。1.2.1
注釈28今日になりて思し止むべきことにしあらねば源氏の反省と後悔は、斎宮入内の中止まで考えさせたが、もはや不可能の事態まで進行。1.2.1
注釈29修理宰相参議兼修理大夫、従四位下相当官。1.2.1
注釈30うけばりたる親ざまには聞こし召されじ源氏の心中。朱雀院に気兼ねする気持ち。1.2.2
注釈31あはれおはせましかば以下「思しいたづかまし」まで、源氏の心中。御息所が生きていたらどんなに甲斐あったことだろう、と思う。1.2.3
注釈32おほかたの世につけては以下「なをすぐれて」まで、源氏の心中。ただし、その引用句はなく、地の文に続く。『完訳』は「心内語が直接、地の文に続く」と注す。1.2.3
1.3
第三段 帝と弘徽殿女御と斎宮女御


1-3  A competition between Kouki-den and zen-Saigu for Mikado's love

1.3.1   中宮も内裏にぞおはしましける。主上は、 めづらしき人参りたまふと聞こし召しければ、いとうつくしう御心づかひしておはします。ほどよりはいみじうされおとなびたまへり。宮も、
 中宮も宮中においであそばしたのであった。主上は、新しい妃が入内なさるとお耳にあそばしたので、たいそういじらしく緊張なさっていらっしゃる。お年よりはたいそうおませで大人びていらっしゃる。中宮も、
 このごろは女院も御所に来ておいでになった。帝は新しい女御の参ることをお聞きになって、少年らしく興奮しておいでになった。御年齢よりはずっと大人びた方なのである。女院も、
  Tyuuguu mo Uti ni zo ohasimasi keru. Uhe ha, medurasiki hito mawiri tamahu to kikosimesi kere ba, ito utukusiu mikokorodukahi si te ohasimasu. Hodo yori ha imiziu sare otonabi tamahe ri. Miya mo,
1.3.2  「 かく恥づかしき人参りたまふを、御心づかひして、見えたてまつらせたまへ」
 「このような立派な妃が入内なさるのだから、よくお気をつけてお会い申されませ」
 「りっぱな方が女御に上がって来られるのですから、お気をおつけになってお逢いなさい」
  "Kaku hadukasiki hito mawiri tamahu wo, mikokorodukahi si te, miye tatematura se tamahe."
1.3.3  と聞こえたまひけり。
 と申し上げなさるのであった。
 と御注意をあそばした。
  to kikoye tamahi keri.
1.3.4  人知れず、「 大人は恥づかしうやあらむ 」と思しけるを、いたう夜更けて 参う上りたまへり。いとつつましげにおほどかにて、ささやかにあえかなるけはひのしたまへれば、いとをかし、と思しけり。
 お心の中で、「大人の妃は気がおけるのではなかろうか」とお思いであったが、たいそう夜が更けてからご入内なさった。実に慎み深くおっとりしていて、小柄で華奢な感じがしていらっしゃるので、たいそうおきれいな、とお思いになったのであった。
 帝は人知れず大人の女御は恥ずかしいであろうと思召されたが、深更になってから上の御局みつぼねへ上がって来た女御は、おとなしいおおような、そして小柄な若々しい人であったから自然に愛をお感じになった。
  Hitosirezu, "Otona ha hadukasiu ya ara m?" to obosi keru wo, itau yo huke te maunobori tamahe ri. Ito tutumasige ni ohodoka nite, sasayaka ni ayeka naru kehahi no si tamahe re ba, ito wokasi, to obosi keri.
1.3.5   弘徽殿には、御覧じつきたれば、睦ましうあはれに心やすく思ほし、これは、人ざまもいたうしめり、恥づかしげに、大臣の御もてなしもやむごとなくよそほしければ、あなづりにくく思されて、御宿直などは 等しくしたまへど、うちとけたる御童遊びに、昼など渡らせたまふことは、あなたがちにおはします。
 弘徽殿女御には、おなじみになっていらしたので、親しくかわいく気がねなくお思いになり、この方は、人柄も実に落ち着いて、気が置けるほどで、内大臣のご待遇も丁重で重々しいので、軽々しくはお扱いできにくく自然お思いになって、御寝の伺候などは対等になるが、気を許した子供どうしのお遊びなどに、昼間などにお出向きになることは、あちら方に多くいらっしゃる。
 弘徽殿こきでんの女御は早くからおそばに上がっていたからその人をむつまじい者に思召され、この新女御しんにょごは品よく柔らかい魅力があるとともに、源氏が大きな背景を作って、きわめて大事に取り扱う点で侮りがたい人に思召されて宿直とのいに召される数は正しく半々になっていたが、少年らしくお遊びになる相手には弘徽殿がよくて、昼などおいでになることは弘徽殿のほうが多かった。
  Koukiden ni ha, goranzi tuki tare ba, mutumasiu ahare ni kokoroyasuku omohosi, kore ha, hito zama mo itau simeri, hadukasige ni, Otodo no ohom-motenasi mo yamgotonaku yosohosikere ba, anaduri nikuku obosa re te, ohom-tonowi nado ha hitosiku si tamahe do, utitoke taru ohom-warahaasobi ni, hiru nado watara se tamahu koto ha, anatagati ni ohasimasu.
1.3.6  権中納言は、 思ふ心ありて 聞こえたまひけるに、かく参りたまひて、御女にきしろふさまにてさぶらひたまふを、方々にやすからず思すべし。
 権中納言は、考えるところがあってご入内おさせ申したのだが、このように入内なさって、ご自分の娘と競争する形で伺候なさるのを、何かにつけて穏やかならずお思いのようである。
 権中納言はきさきにも立てたい心で後宮に入れた娘に、競争者のできたことで不安を感じていた。
  Gon-Tyuunagon ha, omohu kokoro ari te kikoye tamahi keru ni, kaku mawiri tamahi te, ohom-musume ni kisirohu sama nite saburahi tamahu wo, katagata ni yasukara zu obosu besi.
注釈33中宮も内裏にぞおはしましける「中宮」は藤壺の宮。1.3.1
注釈34めづらしき人前齋宮をさす。『集成』は「新しいお妃」。『完訳』は「立派なお方」と訳す。1.3.1
注釈35かく恥づかしき人以下「見えたてまつらせたまへ」まで、藤壺の冷泉帝への詞。1.3.2
注釈36大人は恥づかしうやあらむ冷泉帝の心中。1.3.4
注釈37参う上りたまへり当時、入内の儀式は夜に行われた。1.3.4
注釈38弘徽殿には弘徽殿女御、権中納言の娘。冷泉帝より一歳年上、十四歳。「澪標」巻で入内、既に二年を経過。冷泉帝の両妃に対する複雑な心境を長文で語る。1.3.5
注釈39等しくしたまへど大島本は「ひとしくしまへと」と「た」を脱字する。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「したまへど」と補訂する。1.3.5
注釈40思ふ心ありて立后をいう。1.3.6
校訂3 大人は 大人は--おとな(な/+は) 1.3.4
校訂4 心--心の(の/$<朱>) 1.3.6
1.4
第四段 源氏、朱雀院と語る


1-4  Genji talks with Suzaku-In

1.4.1   院には、かの櫛の筥の御返り御覧ぜしにつけても、御心離れがたかりけり。
 院におかせられては、あの櫛の箱のお返事を御覧になったにつけても、お諦めにくくお思いであった。
 院はくしの箱の返歌を御覧になってからいっそう恋しく思召された。
  Win ni ha, kano kusi no hako no ohom-kaheri goranze si ni tuke te mo, mikokoro hanare gatakari keri.
1.4.2  そのころ、大臣の参りたまへるに、御物語こまやかなり。ことのついでに、斎宮の下りたまひしこと、先々ものたまひ出づれば、聞こえ出でたまひて、 さ思ふ心なむありしなどは、えあらはしたまはず。大臣も、 かかる御けしき聞き顔にはあらで、ただ「 いかが思したる」とゆかしさに、とかうかの御事をのたまひ出づるに、あはれなる御けしき、あさはかならず見ゆれば、いといとほしく思す。
 そのころ、内大臣が参上なさったので、しみじみとお話なさった。事のついでに、斎宮がお下りになったこと、以前にもお話し出されたので、お口に出されたが、あのように恋い慕っていたお気持ちがあったなどとは、お打ち明けになれない。大臣も、このようなご意向を知っているふうに顔にはお出しにならず、ただ「どうお思いでいらっしゃるか」とだけ知りたくて、何かとあの御事をお話に出されると、御傷心の御様子、並々ならず窺えるので、たいそう気の毒にお思いになる。
 ちょうどそのころに源氏は院へ伺候した。親しくお話を申し上げているうちに、斎宮が下向されたことから、院の御代みよの斎宮の出発の儀式にお話が行った。院も回想していろいろとお語りになったが、ぜひその人を得たく思っていたとはお言いにならないのである。源氏はその問題を全然知らぬ顔もしながら、どう思召していられるかが知りたくて、話をその方向へ向けた時、院の御表情に失恋の深い御苦痛が現われてきたのをお気の毒に思った。
  Sonokoro, Otodo no mawiri tamahe ru ni, ohom-monogatari komayaka nari. Koto no tuide ni, Saiguu no kudari tamahi si koto, sakizaki mo notamahi idure ba, kikoyeide tamahi te, sa omohu kokoro nam ari si nado ha, e arahasi tamaha zu. Otodo mo, kakaru mikesiki kikigaho ni ha ara de, tada "Ikaga obosi taru?" to yukasisa ni, tokau kano ohom-koto wo notamahi iduru ni, ahare naru mikesiki, asahaka nara zu miyure ba, ito itohosiku obosu.
1.4.3  「 めでたしと、思ほししみにける御容貌、いかやうなるをかしさにか」と、ゆかしう思ひきこえたまへど、さらにえ見たてまつりたまはぬを、ねたう思ほす。
 「素晴らしい器量だと、御執着していらっしゃるご容貌、いったいどれほどの美しさなのか」と、拝見したくお思い申されるが、まったく拝見おできになれないのを悔しくお思いになる。
 美しい人としてそれほど院が忘れがたく思召す前斎宮は、どんな美貌びぼうをお持ちになるのであろうと源氏は思って、おりがあればお顔を見たいと思っているが、その機会の与えられないことを口惜くちおしがっていた。
  "Medetasi to, omohosi simi ni keru ohom-katati, ikayau naru wokasisa ni ka?" to, yukasiu omohi kikoye tamahe do, sarani e mi tatematuri tamaha nu wo, netau omohosu.
1.4.4  いと重りかにて、夢にもいはけたる御ふるまひなどの あらばこそ、おのづからほの見えたまふついでもあらめ、心にくき御けはひのみ深さまされば、見たてまつりたまふままに、いとあらまほしと思ひきこえたまへり。
 まことに重々しくて、仮にも子どもっぽいお振る舞いなどがあれば、自然とちらりとお見せになることもあろうが、奥ゆかしいお振る舞いが深くなっていく一方なので、拝見するにつれて、実に理想的だとお思い申し上げた。
 貴女らしい奥深さをあくまで持っていて、うかとして人に見られるすきのあるような人でない斎宮の女御を源氏は一面では敬意の払われる養女であると思って満足しているのであった。
  Ito omorika ni te, yume ni mo ihake taru ohom-hurumahi nado no ara ba koso, onodukara hono-miye tamahu tuide mo ara me, kokoronikuki ohom-kehahi nomi hukasa masare ba, mi tatematuri tamahu mama ni, ito aramahosi to omohi kikoye tamahe ri.
1.4.5  かく隙間なくて、二所さぶらひたまへば、 兵部卿宮、すがすがともえ思ほし立たず、「 帝、おとなびたまひなば、さりとも、え思ほし捨てじ」とぞ、待ち過ぐしたまふ。二所の御おぼえども、とりどりに挑みたまへり。
 このように隙間もない状態で、お二方が伺候していらっしゃるので、兵部卿宮、すらすらとはご決意になれず、「主上が、御成人あそばしたら、いくらなんでも、お見捨てあそばすことはあるまい」と、その時機をお待ちになる。お二方の御寵愛は、それぞれに競い合っていらっしゃる。
 こんなふうに隙間すきまもないふうに二人の女御が侍しているのであったから、兵部卿ひょうぶきょうの宮は女王の後宮入りを実現させにくくて煩悶はんもんをしておいでになったが、帝が青年におなりになったなら、外戚の自分の娘を疎外あそばすことはなかろうとなお希望をつないでおいでになった。宮廷の二人の女御ははなやかにいどみ合った。
  Kaku sukima naku te, hutatokoro saburahi tamahe ba, Hyaubukyau-no-Miya, sugasuga to mo e omohositata zu, "Mikado, otonabi tamahi na ba, saritomo, e omohosi sute zi." to zo, mati sugusi tamahu. Hutatokoro no ohom-oboye-domo, toridori ni idomi tamahe ri.
注釈41院には朱雀院。1.4.1
注釈42さ思ふ心なむありし朱雀院の心中を語り手が間接的に語る。斎宮を恋い慕っていた気持ちをさす。1.4.2
注釈43かかる御けしき朱雀院が斎宮を妃にと所望していたことをさす。1.4.2
注釈44いかが思したる源氏が朱雀院の心中を忖度。1.4.2
注釈45めでたしと思ほし以下「をかしさにか」まで、源氏の心中。朱雀院の斎宮への執着の深さから好色心を触発される。1.4.3
注釈46あらばこそ係助詞「こそ」は「あらめ」に係るが、逆接で文は続く。1.4.4
注釈47兵部卿宮すがすがともえ思ほし立たず中君入内の件である。「澪標」巻にその希望が語られていた。1.4.5
注釈48帝おとなびたまひなばさりともえ思ほし捨てじ兵部卿宮の心中。帝のもうしばらくの成長に期待をよせる。1.4.5
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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