第十七帖 絵合


17 WEAHASE (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳春の後宮制覇の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, March in spring at the age of 31

3
第三章 後宮の物語 帝の御前の絵合せ


3  Tale of ladies on Court of Reizei  A contest of pictures in front of Mikado

3.1
第一段 帝の御前の絵合せの企画


3-1  A plan of picture-contest in front of Mikado

3.1.1   大臣参りたまひて 、かくとりどりに争ひ騒ぐ心ばへども、をかしく思して、
 内大臣が参上なさって、このようにそれぞれが優劣を競い合っている気持ちを、おもしろくお思いになって、
 源氏も参内して、双方から述べられる支持と批難の言葉をおもしろく聞いた。
  Otodo mawiri tamahi te, kaku toridori ni arasohi sawagu kokorobahe-domo, wokasiku obosi te,
3.1.2  「 同じくは、御前にて、この勝負 定めむ」
 「同じことなら、主上の御前において、この優劣の決着をつけましょう」
 「これは御前で最後の勝負を決めましょう」
  "Onaziku ha, Omahe nite, kono katimake sadame m."
3.1.3  と、 のたまひなりぬかかることもやと、かねて思しければ、中にもことなるは選りとどめたまへるに、かの「須磨」「明石」の二巻は、思すところありて、 取り交ぜさせたまへり
 と、おっしゃるまでになった。このようなこともあろうかと、以前からお思いになっていたので、その中でも特別なのは選び残していらっしゃったが、あの「須磨」「明石」の二巻は、お考えになるところがあって、お加えになったのであった。
 と源氏が言って、絵合わせはいっそう広く判者を求めることになった。こんなこともかねて思われたことであったから、須磨、明石の二巻を左の絵の中へ源氏は混ぜておいたのである。
  to, notamahi nari nu. Kakaru koto mo ya to, kanete obosi kere ba, naka ni mo kotonaru ha eri todome tamahe ru ni, kano Suma Akasi no hutamaki ha, obosu tokoro ari te, tori-maze sase tamahe ri.
3.1.4  中納言も、その御心劣らず。このころの世には、ただかくおもしろき紙絵をととのふることを、天の下いとなみたり。
 権中納言も、そのお気持ちは負けていない。最近の世では、ただこのような美しい紙絵を揃えること、世の中の流行になっていた。
 中納言も劣らず絵合わせの日に傑作を出そうとすることに没頭していた。世の中はもうよい絵を製作することと、捜し出すことのほかに仕事がないように見えた。
  Tyuunagon mo, sono mikokoro otora zu. Konokoro no yo ni ha, tada kaku omosiroki kamiwe wo totonohuru koto wo, amenosita itonami tari.
3.1.5  「 今あらため描かむことは、本意なきことなり。ただありけむ限りをこそ」
 「今新たに描くことは、つまらないことだ。ただ持っているものだけで」
 「今になって新しく作ることは意味のないことだ。持っている絵の中で優劣を決めなければ」
  "Ima aratame kaka m koto ha, ho'inaki koto nari. Tada ari kem kagiri wo koso."
3.1.6  とのたまへど、中納言は人にも見せで、 わりなき窓を開けて 、描かせたまひけるを、 院にもかかること聞かせたまひて、梅壺に御絵ども たてまつらせたまへり
 とおっしゃったが、権中納言は他人にも見せないで、秘密の部屋を準備して、お描かせになったが、院におかれても、このような騷ぎがあるとお耳にあそばして、梅壷に幾つかの御絵を差し上げなさった。
 と源氏は言っているが、中納言は人にも知らせず自邸の中で新画を多く作らせていた。院もこの勝負のことをお聞きになって、梅壺へ多くの絵を御寄贈あそばされた。
  to notamahe do, Tyuunagon ha hito ni mo mise de, warinaki mado wo ake te, kaka se tamahi keru wo, Win ni mo, kakaru koto kikase tamahi te, Mumetubo ni ohom-we-domo tatematura se tamahe ri.
3.1.7  年の内の節会どものおもしろく興あるを、昔の上手どものとりどりに描けるに、延喜の御手づから事の心書かせたまへるに、またわが御世の事も 描かせたまへる巻に、かの斎宮の下りたまひし日の大極殿の儀式、御心にしみて思しければ、描くべきやう詳しく 仰せられて、公茂が 仕うまつれるが、いといみじきをたてまつらせたまへり。
 一年の内の数々の節会のおもしろく興趣ある様を、昔の名人たちがそれぞれに描いた絵に、延喜の帝がお手ずからその趣旨をお書きあそばしたものや、また御自身の御世のこともお描かせになった巻に、あの斎宮がお下りになった日の、大極殿での儀式を、お心に刻みこまれてあったので、描くべきさまを詳しく仰せになって、巨勢公茂がお描き申したのが、たいそう素晴らしいのを差し上げなさった。
 宮中で一年じゅうにある儀式の中のおもしろいのを昔の名家が描いて、延喜えんぎの帝が御自身で説明をお添えになった古い巻き物のほかに、御自身の御代みよの宮廷にあったはなやかな儀式などをお描かせになった絵巻には、斎宮さいぐう発足の日の大極殿だいごくでんの別れの御櫛みぐしの式は、御心みこころんで思召されたことなのであったから、特に構図なども公茂画伯きんもちがはくに詳しくお指図さしずをあそばして製作された非常にりっぱな絵もあった。
  Tosi no uti no setiwe-domo no omosiroku kyou aru wo, mukasi no zyauzu-domo no toridori ni kake ru ni, Engi no ohom-tedukara koto no kokoro kaka se tamahe ru ni, mata waga miyo no koto mo kaka se tamahe ru maki ni, kano Saiguu no kudari tamahi si hi no Daigokuden no gisiki, mikokoro ni simi te obosi kere ba, kaku beki yau kuhasiku ohose rare te, Kimmoti ga tukaumature ru ga, ito imiziki wo tatematura se tamahe ri.
3.1.8  艶に透きたる沈の箱に、同じき心葉のさまなど、いと今めかし。御消息はただ言葉にて、院の殿上にさぶらふ 左近中将を御使にてあり。かの大極殿の御輿寄せたる所の、神々しきに、
 優美に透かし彫りのある沈の箱に、同じ趣旨の心葉のさまなど、実に現代的である。お便りはただ口上だけで、院の殿上に伺候する左近中将をご使者としてあった。あの大極殿の御輿を寄せた場面の、神々しい絵に、
じんの木の透かし彫りの箱に入れて、同じ木で作った上飾りを付けた新味のある御贈り物であった。御挨拶あいさつはただお言葉だけで院の御所への勤務もする左近の中将がお使いをしたのである。大極殿の御輿みこしの寄せてある神々しい所に御歌があった。
  En ni suki taru din no hako ni, onaziki kokoroba no sama nado, ito imamekasi. Ohom-seusoko ha tada kotoba nite, Win no tenzyau ni saburahu Sakon-no-Tyuuzyau wo ohom-tukahi nite ari. Kano Daigokuden no mikosi yose taru tokoro no, kaugausiki ni,
3.1.9  「 身こそかくしめの外なれそのかみの
   心のうちを忘れしもせず
 「わが身はこのように内裏の外におりますが
  あの当時の気持ちは今でも忘れずにおります
  身こそかくしめのほかなれそのかみの
  心のうちを忘れしもせず
    "Mi koso kaku sime no hoka nare sonokami no
    kokoro no uti wo wasure simo se zu
3.1.10  とのみあり。聞こえたまはざらむも、いとかたじけなければ、苦しう思しながら、昔の御簪の端をいささか折りて、
 とだけある。お返事申し上げなさらないのも、たいそう恐れ多いので、辛くお思いになりながら、昔のお簪の端を少し折って、
 と言うのである。返事を差し上げないこともおそれおおいことであると思われて、斎宮の女御は苦しく思いながら、昔のその日の儀式に用いられたかんざしの端を少し折って、それに書いた。
  to nomi ari. Kikoye tamaha zara m mo, ito katazikenakere ba, kurusiu obosi nagara, mukasi no ohom-kamzasi no hasi wo isasaka wori te,
3.1.11  「 しめのうちは昔にあらぬ心地して
   神代のことも今ぞ恋しき
 「内裏の中は昔とすっかり変わってしまった気がして
  神にお仕えしていた昔のことが今は恋しく思われます
  しめのうちは昔にあらぬここちして
  神代のことも今ぞ恋しき
    "Sime no uti ha mukasi ni ara nu kokoti si te
    Kamiyo no koto mo ima zo kohisiki
3.1.12  とて、縹の唐の紙に包みて参らせたまふ。御使の禄など、いとなまめかし。
 とお書きになって、縹の唐の紙に包んで差し上げなさる。ご使者への禄などは、たいそう優美である。
 あい色の唐紙に包んでお上げしたのであった。
  tote, hanada no kara no kami ni tutumi te mawira se tamahu. Ohom-tukahi no roku nado, ito namamekasi.
3.1.13  院の帝御覧ずるに、限りなくあはれと思すにぞ、ありし世を取り返さまほしく思ほしける。 大臣をもつらしと思ひきこえさせたまひけむかし。過ぎにし方の御報いにやありけむ。
 院の帝が御覧になって、限りなくお心がお動きになるにつけ、御在位中のころを取り戻したく思し召すのであった。内大臣をひどいとお思い申しあそばしたことであろう。過去の御報いでもあったのであろうか。
 院はこれを限りもなく身にんで御覧になった。このことで御位みくらいも取り返したく思召した。源氏をも恨めしく思召されたに違いない。かつて源氏に不合理な厳罰をお加えになった報いをお受けになったのかもしれない。
  Win-no-Mikado goranzuru ni, kagiri naku ahare to obosu ni zo, ari si yo wo torikahesa mahosiku omohosi keru. Otodo wo mo turasi to omohi kikoye sase tamahi kem kasi. Sugi ni si kata no ohom-mukuyi ni ya ari kem?
3.1.14   院の御絵は、后の宮より伝はりて、あの女御の御方にも多く参るべし。尚侍の君も、かやうの御好ましさは人にすぐれて、をかしきさまにとりなしつつ集めたまふ。
 院の御絵は、大后の宮から伝わって、あの弘徽殿の女御のお方にも多く集まっているのであろう。尚侍の君も、このようなご趣味は人一倍優れていて、興趣深い絵を描かせては集めていらっしゃる。
 院のお絵は太后の手を経て弘徽殿こきでん女御にょごのほうへも多く来ているはずである。尚侍ないしのかみも絵の趣味を多く持っている人であったから、めいの女御のためにいろいろと名画を集めていた。
  Win no ohom-we ha, Kisainomiya yori tutahari te, ano Nyougo-no-ohomkata ni mo ohoku mawiru besi. Naisi-no-Kamnokimi mo, kayau no ohom-konomasisa ha hito ni sugure te, wokasiki sama ni torinasi tutu atume tamahu.
注釈90大臣参りたまひて源氏、参内し物語絵を争っている所に参上する。3.1.1
注釈91同じくは御前にてこの勝負定めむ源氏の詞。物語絵合せの続きを帝御前において催すことに決定。3.1.2
注釈92のたまひなりぬ『完訳』は「「なり」に注意。源氏個人の意志よりも、宮廷全体の関心による」と注す。3.1.3
注釈93かかることもや源氏の心中。かねてからの心づもり。3.1.3
注釈94取り交ぜさせたまへり大島本は「給へり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへりけり」と「けり」を補訂する。源氏に対して二重敬語表現を用いる。3.1.3
注釈95今あらため描かむことは以下「限りをこそ」まで、源氏の詞。持ち合わせの絵で競うことを提案。3.1.5
注釈96わりなき窓を開けて当時の諺か。秘密の部屋を用意しての意。3.1.6
注釈97院にも朱雀院。「に」格助詞、尊敬のニュアンスを添える。3.1.6
注釈98かかること梅壺方と弘徽殿方との絵合せの競技をさす。3.1.6
注釈99たてまつらせたまへり「たてまつら」謙譲の意を含む動詞。「せ」尊敬の助動詞。「たまへ」尊敬の補助動詞。「り」完了の助動詞。朱雀院が梅壺女御に御献上あそばした。3.1.6
注釈100描かせたまへる「せ」使役の助動詞。「たまへ」尊敬の補助動詞。「る」完了の助動詞。延喜の帝が昔の名人に描かせように、朱雀院も当代の名人にお描かせになった。3.1.7
注釈101仰せられて「仰せらる」連語、最高敬語。「仰せ」+「らる」受身また尊敬の助動詞が、発令者に重点が置かれると、最高敬語になる。3.1.7
注釈102左近中将系図不詳の人。3.1.8
注釈103身こそかくしめの外なれそのかみの--心のうちを忘れしもせず朱雀院から斎宮女御への贈歌。「そのかみ」に「神」を掛ける。「注連(しめ)」は「神」の縁語。「注連の外」は内裏を離れた院の御所にいる意。「そのかみ」は斎宮であった当時をさす。3.1.9
注釈104しめのうちは昔にあらぬ心地して--神代のことも今ぞ恋しき斎宮女御の返歌。院の「注連」「そのかみ」同様に「注連」「昔」「神代」の語句を用いて、「忘れしもせず」に対して「今ぞ恋しき」と、自分も同じ気持ちであることをいう。3.1.11
注釈105大臣をも以下「御報ひにやありけむ」まで、語り手の文章。「けむ」過去推量の助動詞は、語り手の推量。『集成』は「草子地」。『完訳』「語り手の想像、推測」と注す。3.1.13
注釈106院の御絵は后の宮より伝はりてあの女御の御方にも朱雀院の母弘徽殿大后からその妹の四君の夫権中納言の娘弘徽殿女御へ。弘徽殿大后と弘徽殿女御は伯母と姪、という関係。3.1.14
校訂16 たまひて たまひて--たま(ま/+ひ)て 3.1.1
校訂17 定めむ」 定めむ」と--さためむ(む/+と) 3.1.2
校訂18 窓を 窓を--ま△(△/#)とを 3.1.6
校訂19 仕うまつれるが 仕うまつれるが--つか(か/+う)まつれるか 3.1.7
3.2
第二段 三月二十日過ぎ、帝の御前の絵合せ


3-2  There is a picture-contest in front of Mikado at March 20 past

3.2.1   その日と定めて、にはかなるやうなれど、をかしきさまにはかなうしなして、左右の御絵ども参らせたまふ。 女房のさぶらひに御座よそはせて、北南方々別れてさぶらふ。殿上人は、後涼殿の簀子に、おのおの心寄せつつさぶらふ。
 何日と決めて、急なようであるが、興趣深いさまにちょっと設備をして、左右の数々の御絵を差し出させなさる。女房が伺候する所に玉座を設けて、北と南とにそれぞれ分かれて座る。殿上人は、後涼殿の簀子に、それぞれが心を寄せながら控えている。
 定められた絵合わせの日になると、それはいくぶんにわかなことではあったが、おもしろく意匠をした風流な包みになって、左右の絵が会場へ持ち出された。女官たちの控え座敷に臨時の玉座が作られて、北側、南側と分かれて判者が座についた。それは清涼殿せいりょうでんのことで、西の後涼殿の縁には殿上役人が左右に思い思いの味方をしてすわっていた。
  Sono hi to sadame te, nihaka naru yau nare do, wokasiki sama ni hakanau si nasi te, hidari migi no ohom-we-domo mawirase tamahu. Nyoubau no saburahi ni omasi yosohase te, kita minami katagata wakare te saburahu. Tenzyaubito ha, Kourauden no sunoko ni, onoono kokoroyose tutu saburahu.
3.2.2  左は、紫檀の箱に蘇芳の花足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染の唐の綺なり。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物なり。姿、用意など、なべてならず見ゆ。
 左方は、紫檀の箱に蘇芳の華足、敷物には紫地の唐の錦、打敷は葡萄染めの唐の綺である。童六人、赤色に桜襲の汗衫、衵は紅に藤襲の織物である。姿、心用意など、並々でなく見える。
 左の紫檀したんの箱に蘇枋すおうの木の飾り台、敷き物は紫地の唐錦からにしき帛紗ふくさは赤紫の唐錦である。六人の侍童の姿は朱色の服の上に桜襲さくらがさね汗袗かざみあこめは紅の裏に藤襲ふじがさねの厚織物で、からだのとりなしがきわめて優美である。
  Hidari ha, sitan no hako ni suhau no kesoku, sikimono ni ha murasakidi no kara no nisiki, utisiki ha ebizome no kara no ki nari. Waraha rokunin, akairo ni sakuragasane no kazami, akome ha kurenawi ni hudigasane no orimono nari. Sugata, youi nado, nabete nara zu miyu.
3.2.3  右は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、あしゆひの組、花足の心ばへなど、今めかし。童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵着たり。
 右方は、沈の箱に浅香の下机、打敷は青地の高麗の錦、脚結いの組紐、華足の趣など、現代的である。童、青色に柳の汗衫、山吹襲の衵を着ている。
 右は沈の木の箱に浅香せんこう下机したづくえ、帛紗は青地の高麗錦こうらいにしき、机のあしの組みひもの飾りがはなやかであった。侍童らは青色に柳の色の汗袗かざみ山吹襲やまぶきかさねあこめを着ていた。
  Migi ha, din no hako ni senkau no sitadukuwe, utisiki ha awodi no Koma no nisiki, asiyuhi no kumi, kesoku no kokorobahe nado, imamekasi. Waraha, awoiro ni yanagi no kazami, yamabukigasane no akome ki tari.
3.2.4   皆、御前に舁き立つ。主上の女房、前後と、装束き分けたり。
 皆、御前に御絵を並べ立てる。主上つきの女房、前に後に、装束の色を分けている。
 双方の侍童がこの絵の箱を御前にえたのである。
  Mina, omahe ni kaki-tatu. Uhe no nyoubau, mahe sirihe to, sauzoki wake tari.
3.2.5  召しありて、内大臣、権中納言、参りたまふ。その日、帥宮も参りたまへり。いとよしありておはするうちに、絵を好みたまへば、 大臣の、下にすすめたまへるやうやあらむことことしき召しにはあらで、殿上におはするを、仰せ言ありて 御前に参りたまふ。
 お召しがあって、内大臣、権中納言、参上なさる。その日、帥宮も参上なさった。たいそう風流でいらっしゃるうちでも、絵を特にお嗜みでいらっしゃるので、内大臣が、内々お勧めになったのでもあろうか、仰々しいお招きではなくて、殿上の間にいらっしゃるのを、御下命があって御前に参上なさる。
 源氏の内大臣と権中納言とが御前へ出た。太宰帥だざいのそつの宮も召されて出ておいでになった。この方は芸術に趣味をお持ちになる方であるが、ことに絵画がお好きであったから、初めに源氏からこのお話もしてあった。公式のお召しではなくて、殿上の間に来ておいでになったのに仰せが下ったのである。
  Mesi ari te, Uti-no-Otodo, Gon-Tyuunagon, mawiri tamahu. Sono hi, Soti-no-Miya mo mawiri tamahe ri. Ito yosi ari te ohasuru uti ni, we wo konomi tamahe ba, Otodo no, sita ni susume tamahe ru yau ya ara m, kotokotosiki mesi ni ha ara de, tenzyau ni ohasuru wo, ohosegoto ari te, gozen ni mawiri tamahu.
3.2.6  この判仕うまつりたまふ。いみじう、げに描き尽くしたる絵どもあり。さらにえ定めやりたまはず。
 この判者をお勤めになる。たいそう、なるほど上手に筆の限りを尽くしたいくつもの絵がある。全然判定することがおできになれない。
 この方に今日の審判役を下命された。評判どおりに入念にかれた絵巻が多かった。優劣をにわかにお決めになるのは困難なようである。
  Kono han tukaumaturi tamahu. Imiziu, geni kaki tukusi taru we-domo ari. Sarani e sadame yari tamaha zu.
3.2.7   例の四季の絵も、いにしへの上手どものおもしろきことどもを選びつつ、筆とどこほらず描きながしたるさま、たとへむかたなしと見るに、 紙絵は限りありて、山水のゆたかなる心ばへをえ見せ尽くさぬものなれば、 ただ筆の飾り、人の心に作り立てられて、今のあさはかなるも、 昔のあと恥なく 、にぎははしく、あなおもしろと見ゆる筋はまさりて、多くの争ひども、今日は方々に興あることも多かり。
 例の四季の絵も、昔の名人たちがおもしろい画題を選んでは、筆もすらすらと描き流してある風情、譬えようがないと見ると、紙絵は紙幅に限りがあって、山水の豊かな趣を現し尽くせないものなので、ただ筆先の技巧、絵師の趣向の巧みさに飾られているだけで、当世風の浅薄なのも、昔のに劣らず、華やかで実におもしろい、と見える点では優れていて、多数の論争なども、今日は両方ともに興味深いことが多かった。
 例の四季を描いた絵も、大家がよい題材を選んで筆力も雄健に描き流した物は価値が高いように見えるが、今度は皆紙絵であるから、山水画の豊かに描かれた大作などとは違って、凡庸な者に思われている今の若い絵師も昔の名画に近い物を作ることができ、それにはまた現代人の心をくものも多量に含まれていて、左右はそうした絵の優劣を論じ合っているが、今日の論争は双方ともまじめであったからおもしろかった。
  Rei no siki no we mo, inisihe no zyauzu-domo no omosiroki koto-domo wo erabi tutu, hude todokohora zu kakinagasi taru sama, tatohe m kata nasi to miru ni, kamiwe ha kagiri ari te, yamamidu no yutaka naru kokorobahe wo e mise tukusa nu mono nare ba, tada hude no kazari, hito no kokoro ni tukuri-tate rare te, ima no asahaka naru mo, mukasi no ato hadi naku, nigihahasiku, ana omosiro to miyuru sudi ha masari te, ohoku no arasohi-domo, kehu ha katagata ni kyou aru koto mo ohokari.
3.2.8  朝餉の御障子を開けて、中宮もおはしませば、 深うしろしめしたらむと思ふに、 大臣もいと優におぼえたまひて、所々の判ども心もとなき折々に、時々さし応へたまひけるほど、あらまほし。
 朝餉の間の御障子を開けて、中宮も御覧になっていらっしゃるので、深く絵に御精通であろうと思うと、内大臣もたいそう素晴らしいとお思いになって、所々の判定の不安な折々には、時々ご意見を述べなさった様子、理想的である。
 襖子からかみをあけて朝餉あさがれいに女院は出ておいでになった。絵の鑑識に必ず自信がおありになるのであろうと思って、源氏はそれさえありがたく思われた。
  Asagarehi no misauzi wo ake te, Tyuuguu mo ohasimase ba, hukau sirosimesi tara m to omohu ni, Otodo mo ito iu ni oboye tamahi te, tokorodokoro no han-domo kokoromotonaki woriwori ni, tokidoki sasiirahe tamahi keru hodo, aramahosi.
注釈107その日と定めて帝御前における絵合を三月二十日過ぎに決定。3.2.1
注釈108女房のさぶらひに御座よそはせて台盤所に帝の玉座を設ける。3.2.1
注釈109皆御前に舁き立つ『集成』は「机を肩にして運び、帝の御前に並べ立てる」と注す。3.2.4
注釈110大臣の下にすすめたまへるやうやあらむ「やうやあらむ」、「や」疑問の係助詞、「む」推量の助動詞。語り手の推測。挿入句。3.2.5
注釈111ことことしき『日葡辞書』に「コトコトシイ」とある。3.2.5
注釈112御前に大島本は「御こせむ」とある。『集成』『新大系』は「御」を衍字と看做して「御前(ごぜん)」と整定する。『古典セレクション』は諸本に従って「御前(おまへ)」と校訂する。3.2.5
注釈113例の四季の絵も以下「たとへむかたなし」まで、帥宮の目を通して語る文章。その始まりは地の文、やがて心中文へと変移する。この四季絵は左方。朱雀院が斎宮女御に贈った絵。3.2.7
注釈114紙絵は限りありて『集成』は「画面が狭くて」。『完訳』は「紙絵は、屏風絵などに比べて紙幅に限りのあること」。紙絵そのものについていう。両方が四季の紙絵を出品。3.2.7
注釈115ただ筆の飾り以下「あなおもしろ」まで、帥宮の目を通して語る文章。右方の四季絵についていう。3.2.7
注釈116昔のあと恥なく大島本は「むかしのあと△(△#)」とある。すなわち「と」の次に一文字有ったのを、抹消している。『集成』『新大系』は底本の抹消に従って「あと」と整定する。『古典セレクション』は諸本に従って「跡に」と校訂する。3.2.7
注釈117深うしろしめしたらむ源氏の心中。藤壺が絵に精通していることを思う。3.2.8
注釈118大臣もいと優におぼえたまひて『完訳』は「源氏には自分の旅日記の絵の用意があるだけに、藤壺に大きな期待を寄せる」と注す。3.2.8
校訂20 御前に 御前に--*御こせむに 3.2.5
校訂21 あと あと--あとに(に/#) 3.2.7
3.3
第三段 左方、勝利をおさめる


3-3  Genji overcame Gon-Cyunagon on picture-contest

3.3.1  定めかねて夜に入りぬ。左はなほ数一つある果てに、「須磨」の巻出で来たるに、中納言の御心、騒ぎにけり。あなたにも心して、果ての巻は心ことにすぐれたるを選り置きたまへるに、かかるいみじきものの上手の、心の限り思ひすまして静かに描きたまへるは、たとふべきかたなし。
 勝負がつかないで夜に入った。左方、なお一番残っている最後に、「須磨」の絵巻が出て来たので、権中納言のお心、動揺してしまった。あちらでも心づもりして、最後の巻は特に優れた絵を選んでいらっしゃったのだが、このような大変な絵の名人が、心ゆくばかり思いを澄ませて心静かにお描きになったのは、譬えようがない。
 判者が断定のしきれないような時に、お伺いを女院へするのに対して、短いお言葉の下されるのも感じのよいことであった。左右の勝ちがまだ決まらずに夜が来た。最後の番に左から須磨の巻が出てきたことによって中納言の胸は騒ぎ出した。右もことに最後によい絵巻が用意されていたのであるが、源氏のような天才が清澄な心境に達した時に写生した風景画は何者の追随をも許さない。
  Sadame kane te yo ni iri nu. Hidari ha naho kazu hitotu aru hate ni, Suma no maki ideki taru ni, Tyuunagon no mikokoro, sawagi ni keri. Anata ni mo kokoro si te, hate no maki ha kokoro koto ni sugure taru wo eri oki tamahe ru ni, kakaru imiziki mono no zyauzu no, kokoro no kagiri omohi sumasi te siduka ni kaki tamahe ru ha, tatohu beki kata nasi.
3.3.2  親王よりはじめたてまつりて、涙とどめたまはず。その世に、「 心苦し悲し」と思ほししほどよりも、おはしけむありさま、御心に思ししことども、ただ今のやうに見え、所のさま、おぼつかなき浦々、磯の隠れなく描きあらはしたまへり。
 親王をはじめまいらせて、感涙を止めることがおできになれない。あの当時に、「お気の毒に、悲しいこと」とお思いになった時よりも、お過ごしになったという所の様子、どのようなお気持ちでいらしたかなど、まるで目の前のことのように思われ、その土地の風景、見たこともない浦々、磯を隈なく描き現していらっしゃった。
 判者の親王をはじめとしてだれも皆涙を流して見た。その時代に同情しながら想像した須磨よりも、絵によって教えられる浦住まいはもっと悲しいものであった。作者の感情が豊かに現われていて、現在をもその時代に引きもどす力があった。須磨からする海のながめ、寂しい住居すまい、崎々浦々が皆あざやかに描かれてあった。
  Miko yori hazime tatematuri te, namida todome tamaha zu. Sono yo ni, "Kokorogurusi kanasi" to omohosi si hodo yori mo, ohasi kem arisama, mikokoro ni obosi si koto-domo, tada ima no yau ni miye, tokoro no sama, obotukanaki ura ura, iso no kakure naku kaki arahasi tamahe ri.
3.3.3  草の手に仮名の所々に書きまぜて、 まほの詳しき日記にはあらず 、あはれなる歌なども まじれる、たぐひゆかし。誰も こと事思ほさず、さまざまの御絵の興、これに皆移り果てて、あはれにおもしろし。よろづ皆おしゆづりて、左、 勝つになりぬ。
 草書体に仮名文字を所々に書き交ぜて、正式の詳しい日記ではなく、しみじみとした歌などが混じっている、その残りの巻が見たいくらいである。誰も他人事とは思われず、いろいろな御絵に対する興味、これにすっかり移ってしまって、感慨深く興趣深い。万事みなこの絵日記に譲って、左方、勝ちとなった。
 草書で仮名混じりの文体の日記がその所々には混ぜられてある。身にしむ歌もあった。だれも他の絵のことは忘れて恍惚こうこつとなってしまった。圧巻はこれであると決まって左が勝ちになった。
  Sou no te ni kana no tokorodokoro ni kaki maze te, maho no kuhasiki niki ni ha ara zu, ahare naru uta nado mo mazire ru, taguhi yukasi. Tare mo kotogoto omohosa zu, samazama no ohom-we no kyou, kore ni mina uturi hate te, ahare ni omosirosi. Yorodu mina osi-yuduri te, hidari, katu ni nari nu.
注釈119心苦し悲しこの座の方々の心中。源氏の須磨明石流謫を悲しく気の毒に思ったこと。3.3.2
注釈120まほの詳しき日記にはあらず正式の詳細な日記、すなわち、漢文体で書かれた日記ではなく、の意。3.3.3
注釈121まじれるたぐひゆかし「まじれる」連体中止、下には係らず、理由を表す連文節となって、一呼吸置いて「類ゆかし」という文が続く。3.3.3
注釈122こと事思ほさず『完訳』は「誰も誰ももう他のことは念頭になく」と注す。3.3.3
校訂22 詳しき 詳しき--くはは(は/$)しき 3.3.3
校訂23 勝つに 勝つに--かへ(へ/$つ<朱>)に 3.3.3
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/14/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 10/14/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2024/9/21に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 4.00: Copyright (c) 2003,2024 宮脇文経