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第十七帖 絵合


17 WEAHASE (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳春の後宮制覇の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, March in spring at the age of 31

4
第四章 光る源氏の物語 光る源氏世界の黎明


4  Tale of Hikaru-Genji  Reign of Reizei in its glory

4.1
第一段 学問と芸事の清談


4-1  Arguments about study and art

4.1.1   夜明け方近くなるほどに、ものいとあはれに思されて、御土器など参るついでに、昔の御物語ども出で来て、
 夜明けが近くなったころに、何となくしみじみと感慨がこみ上げてきて、お杯など傾けなさる折に、昔のお話などが出てきて、
 明け方近くなって古い回想から湿った心持ちになった源氏は杯を取りながらそつの宮に語った。
  Yoakegata tikaku naru hodo ni, mono ito ahare ni obosa re te, ohom-kaharake nado mawiru tuide ni, mukasi no ohom-monogatari-domo ideki te,
4.1.2  「 いはけなきほどより、学問に心を入れてはべりしに、すこしも才などつきぬべくや御覧じけむ、院ののたまはせしやう、『 才学といふもの、世にいと重くするものなればにやあらむ、いたう進みぬる人の、命、幸ひと並びぬるは、いとかたきものになむ。品高く生まれ、 さらでも人に劣るまじきほどにて、あながちにこの道な深く習ひそ』と、諌めさせたまひて、 本才の方々のもの教へさせ たまひしに、つたなきこともなく、またとり立ててこのことと心得ることもはべらざりき。
 「幼いころから、学問に心を入れておりましたが、少し学才などがつきそうに御覧になったのでしょうか、故院が仰せになったことに、『学問の才能というものは、世間で重んじられるからであろうか、たいそう学問を究めた人で、長寿と、幸福とが並んだ者は、めったにいないものだ。高い身分に生まれ、そうしなくても人に劣ることのない身分なのだから、むやみにこの道に深入りするな』と、お諌めあそばして、正式な学問以外の芸を教えてくださいましたが、出来の悪いものもなく、また特にこのことはと上達したこともございませんでした。
 「私は子供の時代から学問を熱心にしていましたが、詩文の方面に進む傾向があると御覧になったのですか、院がこうおっしゃいました、文学というものは世間から重んぜられるせいか、そのほうのことを専門的にまでやる人の長寿と幸福を二つともそろって得ている人は少ない。不足のない身分は持っているのであるから、あながちに文学で名誉を得る必要はない。その心得でやらねばならないって。以来私に本格的な学問をいろいろとおさせになりましたが、できが悪い課目もなく、またすぐれた深い研究のできたこともありませんでした。
  "Ihakenaki hodo yori, gakumon ni kokoro wo ire te haberi si ni, sukosi mo zae nado tuki nu beku ya goranzi kem, Win no notamahase si yau, 'Saigaku to ihu mono, yo ni ito omoku suru mono nare ba ni ya ara m, itau susumi nuru hito no, inoti, saihahi to narabi nuru ha, ito kataki mono ni nam. Sina takaku mumare, sarade mo hito ni otoru maziki hodo nite, anagati ni kono miti na hukaku narahi so.' to, isame sase tamahi te, honzai no katagata no mono wosihe sase tamahi si ni, tutanaki koto mo naku, mata toritate te kono koto to kokorouru koto mo habera zari ki.
4.1.3 絵描くことのみなむ、あやしくはかなきものから、 いかにしてかは心ゆくばかり描きて見るべきと、思ふ折々はべりしを、おぼえぬ山賤になりて、四方の海の深き心を見しに、さらに 思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど、筆のゆく限りありて、心よりはことゆかずなむ 思うたまへられしを、ついでなくて、御覧ぜさすべきならねば、 かう好き好きしきやうなる、後の聞こえやあらむ
ただ、絵を描くことだけが、妙なつまらないことですが、どうしたら心のゆくほど描けるだろうかと、思う折々がございましたが、思いもよらない賤しい身の上となって、四方の海の深い趣を見ましたので、まったく思い至らぬ所のないほど会得できましたが、絵筆で描くにはは限界がありまして、心で思うとおりには事の運ばぬように存じられましたが、機会がなくて、御覧に入れるわけにも行きませんので、このように物好きのようなのは、後々に噂が立ちましょうか」
絵を描くことだけは、それは大きいことではありませんが、満足のできるほど精神を集中させて描いて見たいという希望がおりおり起こったものですが、思いがけなく放浪者になりました時に、はじめて大自然の美しさにも接する機会を得まして、描くべき物は十分に与えられたのですが、技巧がまずくて、思いどおりの物を紙上に表現することはできませんでした。そんなものですからこれだけをお目にかけることは恥ずかしくていたされませんから、今度のような機会に持ち出しただけなのですが、私の行為が突飛とっぴなように評されないかと心配しております」
We kaku koto nomi nam, ayasiku hakanaki monokara, ikani si te ka ha kokoro yuku bakari kaki te miru beki to, omohu woriwori haberi si wo, oboye nu yamagatu ni nari te, yomo no umi no hukaki kokoro wo mi si ni, sarani omohiyora nu kuma naku itara re ni sika do, hude no yuku kagiri ari te, kokoro yori ha koto yuka zu nam omou tamahe rare si wo, tuide naku te, goranze sasu beki nara ne ba, kau sukizukisiki yau naru, noti no kikoye ya ara m?"
4.1.4  と、親王に申したまへば、
 と、親王に申し上げなさると、

  to, Miko ni mausi tamahe ba,
4.1.5  「 何の才も、心より放ちて習ふべきわざならねど、道々に物の師あり、学び所あらむは、事の深さ浅さは知らねど、おのづから移さむに跡ありぬべし。筆取る道と碁打つこととぞ、あやしう魂のほど見ゆるを、深き労なく見ゆる おれ者も、さるべきにて、書き打つたぐひも出で来れど、家の子の中には、なほ 人に抜けぬる人 、何ごとをも好み得けるとぞ見えたる。
 「何の芸道も、心がこもっていなくては習得できるものではありませんが、それぞれの道に師匠がいて、学びがいのあるようなものは、度合の深さ浅さは別として、自然と学んだだけの事は後に残るでしょう。書画の道と碁を打つことは、不思議と天分の差が現れるもので、深く習練したと思えぬ凡愚の者でも、その天分によって、巧みに描いたり打ったりする者も出て来ますが、名門の子弟の中には、やはり抜群の人がいて、何事にも上達すると見えました。
 「何の芸でも頭がなくては習えませんが、それでもどの芸にも皆師匠があって、導く道ができているものですから、深さ浅さは別問題として、師匠の真似まねをして一通りにやるだけのことはだれにもまずできるでしょう。ただ字を書くことと囲碁だけは芸を熱心に習ったとも思われない者からもひょっくりりっぱな書を書く者、碁の名人が出ているものの、やはり貴族の子の中からどんな芸も出抜けてできる人が出るように思われます。
  "Nani no zae mo, kokoro yori hanati te narahu beki waza nara ne do, mitimiti ni mono no si ari, manabi dokoro ara m ha, koto no hukasa asasa ha sira ne do, onodukara utusa m ni ato ari nu besi. Hude toru miti to go utu koto to zo, ayasiu tamasihi no hodo miyuru wo, hukaki rau naku miyuru oremono mo, sarubeki nite, kaki utu taguhi mo idekure do, ihenoko no naka ni ha, naho hito ni nuke nuru hito, nanigoto wo mo konomi e keru to zo miye taru.
4.1.6 院の御前にて、親王たち、内親王、 いづれかは さまざまとりどりの才 習はさせたまはざりけむ。その中にも、とり立てたる御心に入れて、 伝へ受けとらせたまへるかひありて 、『 文才をばさるものにて言はず、さらぬことの中には、琴弾かせたまふことなむ一の才にて、次には横笛、琵琶、箏の琴をなむ、次々に習ひたまへる』と、主上も思しのたまはせき。世の人、しか思ひきこえさせたるを、絵はなほ筆のついでにすさびさせたまふあだことと こそ思ひたまへしか、いとかう、まさなきまで、いにしへの墨がきの上手ども、跡をくらうなしつべかめるは、かへりて、けしからぬわざなり」
故院のお膝もとで、親王たち、内親王、どなたもいろいろさまざまなお稽古事を習わさせなかったことがありましょうか。その中でも、特にご熱心になって、伝授を受けご習得なさった甲斐があって、『詩文の才能は言うまでもなく、それ以外のことの中では、琴の琴をお弾きになることが第一番で、次には、横笛、琵琶、箏の琴を次々とお習いになった』と、故院も仰せになっていました。世間の人、そのようにお思い申し上げていましたが、絵はやはり筆のついでの慰み半分の余技と存じておりましたが、たいそうこんなに不都合なくらいに、昔の墨描きの名人たちが逃げ出してしまいそうなのは、かえって、とんでもないことです」
院が御自身の親王、内親王たちに皆何かの芸はお仕込みになったわけですが、その中でもあなたへは特別に御熱心に御教授あそばしましたし、熱心にもお習いになったのですから、詩文のほうはむろんごりっぱだし、そのほかではきんをおきになることが第一の芸で、次は横笛、琵琶びわ、十三げんという順によくおできになる芸があると院も仰せになりました。世間もそう信じているのですが、絵などはほんのお道楽だと私も今までは思っていましたのに、あまりにお上手じょうず過ぎて墨絵描きの画家が恥じて死んでしまう恐れがある傑作をお見せになるのは、けしからんことかもしれません」
Win no gozen nite, Miko-tati, Naisinwau, idure kaha, samazama toridori no zae naraha sase tamaha zari kem? Sono naka ni mo, toritate taru mikokoro ni ire te, tutahe uke tora se tamahe ru kahi ari te, 'Monzai wo ba saru mono nite iha zu, sara nu koto no naka ni ha, kin hika se tamahu koto nam iti no zae nite, tugi ni ha yokobue, biwa, saunokoto wo nam, tugitugi ni narahi tamahe ru.' to, Uhe mo obosi notamahase ki. Yonohito, sika omohi kikoye sase taru wo, we ha naho hude no tuide ni susabi sase tamahu adakoto to koso omohi tamahe sika, ito kau, masanaki made, inisihe no sumigaki no zyauzu-domo, ato wo kurau nasi tu beka' meru ha, kaherite, kesikara nu waza nari."
4.1.7  と、うち乱れて聞こえたまひて、酔ひ泣きにや、院の御こと聞こえ出でて、皆 うちしほれたまひぬ
 と、酔いに乱れて申し上げなさって、酔い泣きであろうか、故院の御事を申し上げて、皆涙をお流しになった。
 宮はしまいには戯談じょうだんをお言いになったが酔い泣きなのか、故院のお話をされてしおれておしまいになった。
  to, uti-midare te kikoye tamahi te, wehinaki ni ya, Win no ohom-koto kikoye ide te, mina uti-sihore tamahi nu.
注釈123夜明け方近くなるほどに絵合せ後の宴会で、源氏と帥宮、才芸について語り合う。4.1.1
注釈124いはけなきほどより以下「きこえやあらむ」まで、源氏の詞。4.1.2
注釈125才学といふもの以下「な深く習ひそ」まで、故院の詞を引用。4.1.2
注釈126さらでも学問をすることをさす。4.1.2
注釈127本才の方々のもの教へ『集成』は「実際の役に立つ技能。儀式、典礼など、政治家に必要な知識、技能。作詩、書道、舞、楽など諸方面が「かたがた」という」と注す。4.1.2
注釈128いかにしてかは連語。手段に迷う気持ち。どのようにしたら--だろうか、の意。4.1.3
注釈129思ひ寄らぬ隈なく至られにしかど『集成』「もはや思い及ばぬ所もないほど、十分に会得されましたが」。『完訳』は「まったく思い至らぬところのない境地にしぜん到達いたしましたけれども」。助動詞「れ」について、『集成』は可能の意、『完訳』は自発の意に解釈。4.1.3
注釈130思うたまへられしを「たまへ」下二段、謙譲の補助動詞。助動詞「られ」自発の意。4.1.3
注釈131かう好き好きしきやうなる後の聞こえやあらむ『集成』は「(そんなものを)この機会に持ち出したりして、いかにも物好きなようなのは、後世から批判されるかもしれません」と訳す。4.1.3
注釈132何の才も以下「けしからぬわざなり」まで、帥宮の詞。4.1.5
注釈133人に抜けぬる人大島本は「ぬけぬる人の(の#<朱墨>)」とある。すなわち「の」を朱筆と墨筆で抹消する。『集成』『新大系』は底本の抹消に従って「人」とする。『古典セレクション』は底本の訂正以前本文と諸本に従って「人の」と校訂する。4.1.5
注釈134いづれかは下文の「習はさせたまはざりけむ」に係る反語表現。『完訳』は「院の御前で、親王や内親王たちは、いずれも芸能のそれぞれをお習いにならなかった方はございませんでしょう」と訳す。4.1.6
注釈135さまざま大島本は「さま」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「さまざま」と「さま」を補訂する。4.1.6
注釈136習はさせたまはざりけむ「させ」使役の助動詞。主語は院。院が親王や内親王たちに。4.1.6
注釈137伝へ受けとらせたまへるかひありて大島本は「う(う=つイ<墨朱>)たへ」とある。すなわち本行本文「う」の右傍らに朱筆と墨筆で「つイ」と異本との校合を記す。『集成』『新大系』『古典セレクション』は「つたへ」と校訂する。「せたまへ」二重敬語。主語は源氏。4.1.6
注釈138文才をばさるものにて以下「習ひたまへる」まで、院の詞を引用。4.1.6
注釈139こそ思ひたまへしか「こそ」係助詞、「しか」已然形の係結びは、逆接用法で、下文に続く。4.1.6
注釈140うちしほれたまひぬ大島本は「しほ△(△#)れ給ぬ」とある。すなわち元の文字(不明)を抹消して「しほれ」とする。『新大系』は底本の抹消に従って「しほれ」と整定する。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「しほたれ」と校訂する。4.1.7
校訂24 たまひしに たまひしに--たま(ま/+い)しに 4.1.2
校訂25 おれ者も おれ者も--をれもの(の/+も) 4.1.5
校訂26 人--人の(の/#) 4.1.5
校訂27 さまざま さまざま--*さま 4.1.6
校訂28 伝へ 伝へ--う(う/=つイ)たへ 4.1.6
校訂29 うちしほれ うちしほれ--うちしほた(た/#)れ 4.1.7
4.2
第二段 光る源氏体制の夜明け


4-2  Beginning Hikaru-Genji era

4.2.1  二十日あまりの月さし出でて、こなたは、まださやかならねど、 おほかたの空をかしきほどなるに、書司の御琴召し出でて、和琴、権中納言賜はりたまふ。さはいへど、人にまさりてかき立てたまへり。親王、箏の御琴、大臣、琴、琵琶は少将の命婦仕うまつる。上人の中にすぐれたるを召して、拍子賜はす。いみじうおもしろし。
 二十日過ぎの月がさし出して、こちら側は、まだ明るくないけれども、いったいに空の美しいころなので、書司のお琴をお召し出しになって、和琴、権中納言がお引き受けなさる。そうは言っても、他の人以上に上手にお弾きになる。帥親王、箏の御琴、内大臣、琴の琴、琵琶は少将の命婦がおつとめする。殿上人の中から勝れた人を召して、拍子を仰せつけになる。たいそう興趣深い。
 二十幾日の月が出てまだここへはさしてこないのであるが、空には清い明るさが満ちていた。書司に保管されてある楽器が召し寄せられて、中納言が和琴わごんき手になったが、さすがに名手であると人を驚かす芸であった。帥の宮は十三絃、源氏は琴、琵琶の役は少将の命婦に仰せつけられた。殿上役人の中の音楽の素養のある者が召されて拍子を取った。まれなよい合奏になった。
  Hatuka amari no tuki sasi-ide te, konata ha, mada sayaka nara ne do, ohokata no sora wokasiki hodo naru ni, Humnotukasa no ohom-koto mesi ide te, wagon, Gon-Tyuunagon tamahari tamahu. Saha ihe do, hito ni masari te kaki-tate tamahe ri. Miko, sau no ohom-koto, Otodo, kin, biha ha Seusyau-no-Myaubu tukaumaturu. Uhebito no naka ni sugure taru wo mesi te, hausi tamaha su. Imiziu omosirosi.
4.2.2   明け果つるままに、花の色も人の御容貌ども、ほのかに見えて、鳥のさへづるほど、心地ゆき、めでたき朝ぼらけなり。禄どもは、中宮の御方より賜はす。親王は、御衣 また重ねて賜はりたまふ
 夜が明けていくにつれて、花の色も人のお顔形なども、ほのかに見えてきて、鳥が囀るころは、快い気分がして、素晴らしい朝ぼらけである。禄などは、中宮の御方から御下賜なさる。親王は御衣をまた重ねて頂戴なさる。
 夜が明けて桜の花も人の顔もほのかに浮き出し、小鳥のさえずりが聞こえ始めた。美しい朝ぼらけである。下賜品は女院からお出しになったが、なお親王はみかどからも御衣ぎょいを賜わった。
  Ake haturu mama ni, hana no iro mo hito no ohom-katati-domo, honoka ni miye te, tori no saheduru hodo, kokoti yuki, medetaki asaborake nari. Roku-domo ha, Tyuuguu no ohom-kata yori tamaha su. Miko ha, ohom-zo mata kasane te tamahari tamahu.
注釈141おほかたの空をかしきほどなるに三月二十日過ぎの天象模様。4.2.1
注釈142明け果つるままに花の色も人の御容貌どもほのかに見えて鳥のさへづるほど心地ゆきめでたき朝ぼらけなり大島本は「御かたちとも」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「御容貌も」と校訂する。冷泉朝の開幕を象徴する表現。4.2.2
注釈143また重ねて賜はりたまふ帝から頂戴することをいう。4.2.2
4.3
第三段 冷泉朝の盛世


4-3  Reign of Reizei in its glory

4.3.1   そのころのことには、この絵の定めをしたまふ。
 その当時のことぐさには、この絵日記の評判をなさる。
 この当座はだれもだれも絵合わせの日の絵のうわさをし合った。
  Sonokoro no koto ni ha, kono we no sadame wo sitamahu.
4.3.2  「 かの浦々の巻は、中宮にさぶらはせたまへ
 「あの浦々の巻は、中宮にお納めください」
 「須磨、明石の二巻は女院の御座右に差し上げていただきたい」
  "Kano ura ura no maki ha, Tyuuguu ni saburaha se tamahe."
4.3.3  と聞こえさせたまひければ、これが初め、 残りの巻々ゆかしがらせたまへど
 とお申し上げさせになったので、この初めの方や、残りの巻々を御覧になりたくお思いになったが、
 こう源氏は申し出た。女院はこの二巻の前後の物も皆見たく思召すとのことであったが、
  to kikoye sase tamahi kere ba, kore ga hazime, nokori no makimaki yukasigara se tamahe do,
4.3.4  「 今、次々に
 「いずれそのうちに、ぼつぼつと」
 「またおりを見まして」
  "Ima, tugitugi ni."
4.3.5  と聞こえさせたまふ。 主上にも御心ゆかせたまひて思し召したるを、 うれしく見たてまつりたまふ
 とお申し上げさせになる。主上におかせられても、御満足に思し召していらっしゃるのを、嬉しくお思い申し上げなさる。
 と源氏は御挨拶あいさつを申した。帝が絵合わせに満足あそばした御様子であったのを源氏はうれしく思った。
  to kikoye sase tamahu. Uhe ni mo mikokoro yuka se tamahi te obosimesi taru wo, uresiku mi tatematuri tamahu.
4.3.6  はかなきことにつけても、かうもてなしきこえたまへば、権中納言は、「 なほ、おぼえ圧さるべきにや」と、心やましう 思さるべかめり。主上の御心ざしは、もとより思ししみにければ、 なほ、こまやかに思し召したるさまを、 人知れず見たてまつり知りたまひてぞ、頼もしく、「 さりとも」と 思されける
 ちょっとしたことにつけても、このようにお引き立てになるので、権中納言は、「やはり、世間の評判も圧倒されるのではなかろうか」と、悔しくお思いのようである。主上の御愛情は、初めから馴染んでいらっしゃったので、やはり、御寵愛厚い御様子を、人知れず拝見し存じ上げていらっしゃったので、頼もしく思い、「いくら何でも」とお思になるのであった。
 二人の女御のいどみから始まったちょっとした絵の上のことでも源氏は大形おおぎょうに力を入れて梅壺うめつぼを勝たせずには置かなかったことから中納言は娘の押されて行く運命も予感して口惜くちおしがった。帝は初めに参った女御であって、御愛情に特別なもののあることを、女御の父の中納言だけは想像のできる点もあって、頼もしくは思っていて、すべては自分の取り越し苦労であるとしいて思おうとも中納言はしていた。
  Hakanaki koto ni tuke te mo, kau motenasi kikoye tamahe ba, Gon-Tyuunagon ha, "Naho, oboye osaru beki ni ya?" to, kokoroyamasiu obosa ru beka' meri. Uhe no mikokorozasi ha, motoyori obosi simi ni kere ba, naho, komayaka ni obosimesi taru sama wo, hitosirezu mi tatematuri siri tamahi te zo, tanomosiku, "Saritomo" to obosa re keru.
4.3.7  さるべき節会どもにも、「 この御時よりと、末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ」と思し、私ざまのかかるはかなき御遊びも、めづらしき筋にせさせたまひて、いみじき盛りの御世なり。
 しかるべき節会などにつけても、「この帝のご時代から始まったと、末の世の人々が言い伝えるであろうような新例を加えよう」とお思いになり、私的なこのようなちょっとしたお遊びも、珍しい趣向をお凝らしになって、大変な盛りの御代である。
 宮中の儀式などもこの御代みよから始まったというものを起こそうと源氏は思うのであった。絵合わせなどという催しでも単なる遊戯でなく、美術の鑑賞の会にまで引き上げて行なわれるような盛りの御代が現出したわけである。
  Sarubeki setiwe-domo ni mo, "Kono ohom-toki yori to, suwe no hito no ihitutahu beki rei wo sohe m." to obosi, watakusizama no kakaru hakanaki ohom-asobi mo, medurasiki sudi ni se sase tamahi te, imiziki sakari no miyo nari.
注釈144そのころのことにはその当時の話題としては、の意。4.3.1
注釈145かの浦々の巻は中宮にさぶらはせたまへ源氏の詞。須磨、明石の絵日記は藤壺の宮に献上する。4.3.2
注釈146残りの巻々ゆかしがらせたまへど大島本は「のこりのまきまき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「また残りの巻々」と「また」を補訂する。主語は藤壺。「せ」尊敬の助動詞、「たまへ」尊敬の補助動詞。最高敬語。4.3.3
注釈147今次々に源氏の詞。4.3.4
注釈148主上にも御心ゆかせたまひて主語は帝。「せ」尊敬の助動詞、「たまひ」尊敬の補助動詞、最高敬語。4.3.5
注釈149うれしく見たてまつりたまふ主語は源氏。4.3.5
注釈150なほおぼえ圧さるべきにや権中納言の心中。「おぼえ」は世の評判。4.3.6
注釈151思さるべかめり「べかめり」連語、推量の助動詞。この主観的推量は語り手。4.3.6
注釈152なほこまやかに『完訳』は「以下、権中納言の心中」と解す。4.3.6
注釈153人知れず見たてまつり知りたまひてぞ主語は権中納言。4.3.6
注釈154さりとも権中納言の心中。『集成』は「いくら源氏方の勢力が強くとも、まさかお見捨てになるまい」。『完訳』は「わが女御への帝寵は衰えまい」と注す。4.3.6
注釈155思されける「れ」自発の助動詞。自然とそのように思われるの意。4.3.6
注釈156この御時よりと末の人の言ひ伝ふべき例を添へむ源氏の心中。『集成』は「聖代と仰がれるような立派な前例を遺すのが補佐の役目である。以下、今上の治世を聖代と印象づける筆致」と注す。4.3.7
4.4
第四段 嵯峨野に御堂を建立


4-4  Genji builds a temple in Sagano

4.4.1  大臣ぞ、なほ常なきものに世を思して、 今すこしおとなびおはしますと見たてまつりて、なほ世を背きなむと深く 思ほすべかめる
 内大臣は、やはり無常なものと世の中をお思いになって、主上がもう少し御成人あそばすのを拝したら、やはり出家しようと深くお思いのようである。
 しかも源氏は人生の無常を深く思って、帝がいま少し大人におなりになるのを待って、出家がしたいと心の底では思っているようである。
  Otodo zo, naho tune naki mono ni yo wo obosi te, ima sukosi otonabi ohasimasu to mi tatematuri te, naho yo wo somuki na m to hukaku omohosu beka' meru.
4.4.2  「 昔のためしを見聞くにも、齢 足らで、官位高く昇り、 世に抜けぬる人の、長くえ保たぬわざなりけり。この御世には、身のほどおぼえ過ぎにたり。中ごろなきになりて沈みたりし愁へに代はりて、今までもながらふるなり。 今より後の栄えは、なほ命うしろめたし。静かに籠もりゐて、後の世のことをつとめ、かつは齢をも延べむ」と思ほして、 山里ののどかなるを占めて、御堂を造らせたまひ、 仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに末の君たち、思ふさまにかしづき出だして見むと思し召すにぞ、とく捨てたまはむことは、かたげなる。 いかに思しおきつるにかと、いと知りがたし
 「昔の例を見たり聞いたりするにも、若くして高位高官に昇り、世に抜きん出てしまった人で、長生きはできないものなのだ。この御代では、身のほど過ぎてしまった。途中で零落して悲しい思いをした代わりに、今まで生き永らえたのだ。今後の栄華は、やはり命が心配である。静かに引き籠もって、後の世のことを勤め、また一方では寿命を延ばそう」とお思いになって、山里の静かな所を手に入れて、御堂をお造らせになり、仏像や経巻のご準備をさせていらっしゃるらしいけれども、幼少のお子たちを、思うようにお世話しようとお思いになるにつけても、早く出家するのは、難しそうである。どのようにお考えなのかと、まことに分からない。
 昔の例を見ても、年が若くて官位の進んだ、そして世の中に卓越した人は長く幸福でいられないものである、自分は過分な地位を得ている、以前不幸な日のあったことで、ようやくまだ今日まで運が続いているのである、今後もなお順境に身を置いていては長命のほうがあぶない、静かに引きこもって後世ごせのための仏勤めをして長寿を得たいと、源氏はこう思って、郊外の土地を求めて御堂みどうを建てさせているのであった。仏像、経巻などもそれとともに用意させつつあった。しかし子供たちをよく教育してりっぱな人物、すぐれた女性にしてみようと思う精神と出家のことは両立しないのであるから、どっちがほんとうの源氏の心であるかわからない。
  "Mukasi no tamesi wo mi kiku ni mo, yohahi tara de, tukasa kurawi takaku nobori, yo ni nuke nuru hito no, nagaku e tamota nu waza nari keri. Kono miyo ni ha, mi no hodo oboye sugi ni tari. Nakagoro naki ni nari te sidumi tari si urehe ni kahari te, ima made mo nagarahuru nari. Ima yori noti no sakaye ha, naho inoti usirometasi. Siduka ni komori wi te, noti no yo no koto wo tutome, katuha inoti wo mo nobe m." to omohosi te, yamazato no nodoka naru wo sime te, midau wo tukura se tamahi, Hotoke kyau no itonami sohe te se sase tamahu meru ni, suwe no kimtati, omohu sama ni kasiduki idasi te mi m to obosimesu ni zo, toku sute tamaha m koto ha, katage naru. Ikani obosi oki turu ni ka to, ito siri gatasi.
注釈157今すこしおとなび以下「世を背きなむ」まで、源氏の心中。4.4.1
注釈158思ほすべかめる「べかめる」連語、推量の助動詞。源氏の心中を推量。この主観的推量は語り手。4.4.1
注釈159昔のためしを以下「齢をも延べむ」まで、源氏の心中。4.4.2
注釈160世に抜けぬる人の長くえ保たぬわざなりけり「の」格助詞。『完訳』は「世にぬきんでてしまった人は、とても長寿を保つことができなかったのだった」と訳す。4.4.2
注釈161今より後の栄えはなほ命うしろめたし『集成』は「今後も栄華を貪っては、やはり命が心配だ」。『完訳』は「今よりのちの栄華は、やはり寿命がともなわず危ぶまれる」と訳す。4.4.2
注釈162山里ののどかなるを占めて御堂を造らせ次の「松風」巻によれば、嵯峨野の御堂。清涼寺がモデルとされる。4.4.2
注釈163仏経のいとなみ添へてせさせたまふめるに「させ」使役の助動詞。「める」推量の助動詞。この主観的推量は語り手。以下の文章にも語り手の言辞がうかがえる。4.4.2
注釈164末の君たち思ふさまにかしづき出だして見む源氏の心中を間接的に語る表現。夕霧十歳、明石姫君三歳。4.4.2
注釈165いかに思しおきつるにかといと知りがたし『集成』は「草子地」。『完訳』は「源氏の人生の奥行の深さを暗示させる、語り手の言辞」と注す。4.4.2
校訂30 足らで 足らで--たえ(え/$ら)て 4.4.2
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-3)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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