第十九帖 薄雲


19 USUGUMO (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳冬十二月から三十二歳秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from December in winter at the age of 31 to fall at the age of 32

1
第一章 明石の物語 母子の雪の別れ


1  Tale of Akashi  Parting daughter from mother in snow days

1.1
第一段 明石、姫君の養女問題に苦慮する


1-1  Akashi worries herself about adoption of her daughter to Murasaki's

1.1.1   冬になりゆくままに川づらの住まひ 、いとど心細さまさりて、うはの空なる心地のみしつつ明かし暮らすを、君も、
 冬になるにしたがって、川辺の生活は、ますます心細さがつのっていって、上の空のような心地ばかりしながら毎日を暮らしているのを、君も、
 冬になって来て川沿いの家にいる人は心細い思いをすることが多く、気の落ち着くこともない日の続くのを、源氏も見かねて、
  Huyu ni nari yuku mama ni, kahadura no sumahi, itodo kokorobososa masari te, uhanosora naru kokoti nomi si tutu akasi kurasu wo, Kimi mo,
1.1.2  「 なほ、かくては、え過ぐさじ。かの、近き所に思ひ立ちね」
 「やはり、このまま過すことは、できまい。あの、邸に近い所に移ることを決心なさい」
 「これではたまらないだろう、私の言っている近い家へ引っ越す決心をなさい」
  "Naho, kakute ha, e sugusa zi. Kano, tikaki tokoro ni omohitati ne."
1.1.3  と、すすめたまへど、「 つらき所多く心見果てむも、 残りなき心地すべきをいかに言ひてか」などいふやうに思ひ乱れたり。
 と、お勧めになるが、「冷淡な気持ちを多くすっかり見てしまうのも、未練も残らないことになるだろうから、何と恨みを言ったらよいものだろうか」などというように思い悩んでいた。
 と勧めるのであったが、「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」という歌のように、恋人の冷淡に思われることも地理的に斟酌しんしゃくをしなければならないと、しいて解釈してみずから慰めることなどもできなくなって、男の心をあらわに見なければならないことは苦痛であろうと明石あかし躊躇ちゅうちょをしていた。
  to, susume tamahe do, "Turaki tokoro ohoku kokoro mi hate m mo, nokori naki kokoti su beki wo, ikani ihi te ka?" nado ihu yau ni omohi midare tari.
1.1.4  「 さらば、この若君を。かくてのみは、便なきことなり。 思ふ心あれば、かたじけなし。対に聞き置きて、常にゆかしがるを、しばし見ならはさせて、袴着の事なども、人知れぬさまならずしなさむとなむ思ふ」
 「それでは、この若君を。こうしてばかりいては、不都合なことです。将来に期するところもあるので、恐れ多いことです。対の君も耳にして、いつも見たがっているのですが、しばらくの間馴染ませて、袴着の祝いなども、ひっそりとではなく催そうと思う」
 「あなたがいやなら姫君だけでもそうさせてはどう。こうしておくことは将来のためにどうかと思う。私はこの子の運命に予期していることがあるのだから、その暁を思うともったいない。西のたいの人が姫君のことを知っていて、非常に見たがっているのです。しばらく、あの人に預けて、袴着はかまぎの式なども公然二条の院でさせたいと私は思う」
  "Saraba, kono Wakagimi wo. Kaku te nomi ha, binnaki koto nari. Omohu kokoro are ba, katazikenasi. Tai ni kikioki te, tune ni yukasigaru wo, sibasi mi narahasase te, hakamagi no koto nado mo, hito sire nu sama nara zu si nasa m to nam omohu."
1.1.5  と、まめやかに語らひたまふ。「 さ思すらむ」と思ひわたることなれば、いとど胸つぶれぬ。
 と、真剣にご相談になる。「きっとそのようにおっしゃるだろう」とかねて思っていたことなので、ますます胸がつぶれる思いがした。
 源氏はねんごろにこう言うのであったが、源氏がそう計らおうとするのでないかとは、明石が以前から想像していたことであったから、この言葉を聞くとはっと胸がとどろいた。
  to, mameyaka ni katarahi tamahu. "Sa obosu ram." to omohi wataru koto nare ba, itodo mune tubure nu.
1.1.6  「 改めてやむごとなき方にもてなされたまふとも、人の漏り聞かむことは、なかなかにや、つくろひがたく思されむ」
 「今さら尊い人として大切に扱われなさっても、人が漏れ聞くだろうことは、かえって、とりつくろいにくくお思いになるのではないでしょうか」
 「よいお母様の子にしていただきましても、ほんとうのことは世間が知っていまして、何かとうわさが立ちましては、ただ今の御親切がかえって悪い結果にならないでしょうか」
  "Aratame te yamgotonaki kata ni motenasa re tamahu tomo, hito no mori kika m koto ha, nakanaka ni ya, tukurohi gataku obosa re m."
1.1.7  とて、放ちがたく思ひたる、ことわりには あれど
 と言って、手放しがたく思っているのは、もっともなことではあるが、
 手放しがたいように女は思うふうである。
  tote, hanati gataku omohi taru, kotowari ni ha are do,
1.1.8  「うしろやすからぬ方にやなどは、な疑ひたまひそ。かしこには、年経ぬれど、かかる人もなきが、さうざうしくおぼゆるままに、 前斎宮のおとなびものしたまふをだにこそ、あながちに扱ひきこゆめれば、まして、かく 憎みがたげなめるほどを、おろかには 見放つまじき心ばへに」
 「安心できない取り扱いを受けやしまいかなどと、決してお疑いなさいますな。あちらには、何年にもなるのに、このような子どももいないのが、淋しい気がするので、前斎宮の大きくおなりでいらしゃるのをさえ、無理に親代わりのお世話申しているようなので、まして、このようにあどけない年頃の人を、いいかげんなお世話はしない性格です」
 「あなたが賛成しないのはもっともだけれど、継母の点で不安がったりはしないでおおきなさい。あの人は私の所へ来てずいぶん長くなるのだが、こんなかわいい者のできないのを寂しがってね、前斎宮ぜんさいぐうなどは幾つも年が違っていない方だけれど、娘として世話をすることに楽しみを見いだしているようなわけだから、ましてこんな無邪気な人にはどれほど深い愛を持つかしれない、と私が思うことのできる人ですよ」
  "Usiroyasukara nu kata ni ya nado ha, na utagahi tamahi so. Kasiko ni ha, tosi he nure do, kakaru hito mo naki ga, sauzausiku oboyuru mama ni, saki-no-Saiguu no otonabi monosi tamahu wo dani koso, anagati ni atukahi kikoyu mere ba, masite, kaku nikumi gatage na' meru hodo wo, oroka ni ha mihanatu maziki kokorobahe ni."
1.1.9  など、女君の御ありさまの思ふやうなることも語りたまふ。
 などと、女君のご様子が申し分ないことをお話になる。
 源氏は紫の女王にょおうの善良さを語った。
  nado, Womnagimi no ohom-arisama no omohu yau naru koto mo katari tamahu.
1.1.10  「 げに、いにしへは、いかばかりのことに定まりたまふべきにかと、つてにも ほの聞こえし御心の、名残なく静まりたまへるは、おぼろけの御宿世にもあらず、人の御ありさまも、ここらの御なかにすぐれたまへるにこそは」と思ひやられて、「 数ならぬ人の並びきこゆべきおぼえにもあらぬを、 さすがに、立ち出でて、人もめざましと思すことやあらむ。わが身は、とてもかくても同じこと。生ひ先遠き人の御うへも、つひには、かの御心にかかるべきにこそあめれ。さりとならば、げにかう何心なきほどにや譲りきこえまし」と思ふ。
 「ほんとに、昔は、どれほどの方に落ち着かれるのだろうかと、噂にちらっと聞いたご好色心がすっかりお静まりになったのは、並大抵のご宿縁ではなく、お人柄のご様子もおおぜいの方々の中でも優れていらっしゃるからこそだろう」と想像されて、「一人前でもない者がご一緒させていただける扱いでもないのに、それにもかかわらず、さし出たら、あの方も身の程知らずなと、お思いになるやも知れぬ。自分の身は、どうなっても同じこと。将来のある姫君のお身の上も、ゆくゆくは、あの方のお心次第であろう。そうとならば、なるほどこのように無邪気な間にお譲り申し上げようかしら」と思う。
 それはほんとうであるに違いない、昔はどこへ源氏の愛は落ち着くものか想像もできないといううわさ田舎いなかにまで聞こえたものであった源氏の多情な、恋愛生活が清算されて、皆過去のことになったのは今の夫人を源氏が得たためであるから、だれよりもすぐれた女性に違いないと、こんなことを明石は考えて、何の価値もない自分は決してそうした夫人の競争者ではないが、京へ源氏に迎えられて自分が行けば、夫人に不快な存在と見られることがあるかもしれない。自分はどうなるもこうなるも同じことであるが、長い未来を持つ子は結局夫人の世話になることであろうから、それならば無心でいる今のうちに夫人の手へ譲ってしまおうかという考えが起こってきた。
  "Geni, inisihe ha, ikabakari no koto ni sadamari tamahu beki ni ka to, tute ni mo hono-kikoye si mi-kokoro no, nagori naku sidumari tamahe ru ha, oboroke no ohom-sukuse ni mo ara zu, hito no ohom-arisama mo, kokora no ohom-naka ni sugure tamahe ru ni koso ha." to omohiyara re te, "Kazu nara nu hito no narabi kikoyu beki oboye ni mo ara nu wo, sasuga ni, tatiide te, hito mo mezamasi to obosu koto ya ara m. Waga mi ha, totemokakutemo onazi koto. Ohisaki tohoki hito no ohom-uhe mo, tuhini ha, kano mi-kokoro ni kakaru beki ni koso a' mere. Sari to nara ba, geni kau nanigokoronaki hodo ni ya yuduri kikoye masi." to omohu.
1.1.11  また、「手を放ちて、うしろめたからむこと。つれづれも慰む方なくては、 いかが明かし暮らすべからむ。何につけてか、たまさかの御立ち寄りもあらむ」など、さまざまに思ひ乱るるに、身の憂きこと、限りなし。
 また一方では、「手放したら、不安でたまらないだろうこと。所在ない気持ちを慰めるすべもなくなっては、どのようにして毎日を暮らしてゆけようか。何を目当てとして、たまさかのお立ち寄りがあるだろうか」などと、さまざまに思い悩むにつけ、身の上のつらいこと、際限がない。
 しかしまた気がかりでならないことであろうし、つれづれを慰めるものを失っては、自分は何によって日を送ろう、姫君がいるためにたまさかにたずねてくれる源氏が、立ち寄ってくれることもなくなるのではないかとも煩悶はんもんされて、結局は自身の薄倖はっこうを悲しむ明石であった。
  Mata, "Te wo hanati te, usirometakara m koto. Turedure mo nagusamu kata naku te ha, ikaga akasi kurasu bekara m? Nani ni tuke te ka, tamasaka no ohom-tatiyori mo ara m?" nado, samazama ni omohi midaruru ni, mi no uki koto, kagiri nasi.
注釈1冬になりゆくままに明石の祖母、母、孫娘の三人が秋に上京して季節は冬へと移っていく。女たちの心細さが冬の季節とともに深まっていく。1.1.1
注釈2川づらの住まひ大島本は「か(か+は)つら」とある。すなわち「は」を補入する。三条西家本も同じく「は」を補入している。他本は「かつら」(横池耕)、「かはつら」(御肖)とある。河内本は一本(宮)を除いて他は「かはつら」。別本もすべて「かはつら」。『集成』『新大系』は底本の補入に従って「川づら」とする。『古典セレクション』は「桂」と校訂する。その「校訂付記」に、青表紙本では他に穂久邇文庫本・伝後柏原院等筆本・吉田幸一氏本が「かつら」とある由である。しかし、地理的に「大堰」は「桂」ではない。「松風」巻でも「桂」と「大堰」を語り分けている。1.1.1
注釈3なほかくては以下「思ひたちね」まで、源氏の詞。二条東院へ移転するよう勧告。1.1.2
注釈4つらき所多く以下「いかに言ひてか」まで、明石の君の心中。「宿変へて待つにも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな」(後撰集恋三、七〇五、読人しらず)と「恨みての後さへ人のつらからばいかに言ひてか音をも泣かまし」(拾遺集恋五、九八五、読人しらず)を引歌とする。不安な気持ちを古歌に託して重層化する。1.1.3
注釈5残りなき心地すべきを『集成』は「身も蓋もない思いがされるだろうから」。『完訳』は「それこそすべておしまいという気持になるだろうから」と訳す。1.1.3
注釈6さらばこの若君を以下「しなさむと思ふ」まで、源氏の詞。姫君の引き取り、二条院で袴着の儀を催すことを申し出る。1.1.4
注釈7思ふ心あればかたじけなし将来、入内させ立后させようという考え。「かたじけなし」が使われるゆえん。1.1.4
注釈8さ思すらむと思ひわたることなれば明石の君は源氏は姫君を紫の君の養女として引き取ることを予測していた。1.1.5
注釈9改めてやむごとなき方に以下「思されむ」まで、明石の詞。『集成』は「姫君が紫の上のお子として大切に扱われなさっても」と訳す。1.1.6
注釈10前斎宮『集成』は「ぜんさいぐう」。『完訳』は「さきのさいぐう」と読む。横山本「さきの斎宮」。耕雲本「せんさい宮」とある。前斎宮、二十二歳。1.1.8
注釈11憎みがたげなめるほど明石の姫君、三歳。1.1.8
注釈12げにいにしへは以下「すぐれたまへるにこそは」まで、明石の心中。紫の君の宿縁と人柄のすばらしさを思う。1.1.10
注釈13ほの聞こえし御心『集成』は「ほのかにお噂を耳にした浮気なご性分」と訳す。1.1.10
注釈14数ならぬ人の以下「譲りきこえまし」まで、明石の君の心中。姫君を紫の君に譲ることを決心。1.1.10
注釈15さすがに立ち出でて『集成』は「それを押して人並みなお扱いを受けたら」。『完訳』は「おめおめ顔出ししたら」と訳す。1.1.10
注釈16いかが明かし暮らすべからむ大島本は「いかゝ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかがは」と「は」を補訂する。1.1.11
出典1 つらき所多く 宿変へて松にも見えずなりぬればつらき所の多くもあるかな 後撰集恋三-七〇五 女 1.1.3
出典2 いかに言ひてか 恨みての後さへ人のつらからばいかに言ひてか音をも泣かまし 拾遺集恋五-九八五 読人しらず 1.1.3
校訂1 川づらの 川づらの--か(か/+は)つらの 1.1.1
校訂2 あれど あれど--あれ(れ/+と) 1.1.7
校訂3 見放つ 見放つ--見(見/+は)なつ 1.1.8
1.2
第二段 尼君、姫君を養女に出すことを勧める


1-2  Mother advices to Akashi to adopt her daughter to Murasaki

1.2.1   尼君、思ひやり深き人にて
 尼君、思慮の深い人なので、
 尼君は思慮のある女であったから、
  Amagimi, omohiyari hukaki hito nite,
1.2.2  「 あぢきなし。見たてまつらざらむことは、いと胸いたかりぬべけれど、つひにこの御ためによかるべからむことをこそ思はめ。浅く思してのたまふことにはあらじ。ただうち頼みきこえて、渡したてまつりたまひてよ。母方からこそ、帝の御子も際々におはすめれ。この大臣の君の、世に二つなき御ありさまながら、世に仕へたまふは、 故大納言の、今ひときざみなり劣りたまひて、更衣腹と言はれたまひし、けぢめにこそはおはすめれ。まして、ただ人はなずらふべきことにもあらず。
 「つまりません。お目にかかれないことは、とても胸の痛いことにちがいありませんが、結局は、姫君の御ためによいことだろうことを考えなさい。浅いお考えでおっしゃることではあるまい。ただご信頼申し上げて、お渡し申されよ。母方の身分によって、帝の御子もそれぞれに差がおありになるようです。この大臣の君が、世に二人といない素晴らしいご様子でありながら、朝廷にお仕えなさっているのは、故大納言が、いま一段劣っていらっしゃって、更衣腹と言われなさった、その違いなのでいらっしゃるようです。ましてや、臣下の場合では、比較することもできません。
 「あなたが姫君を手放すまいとするのはまちがっている。ここにおいでにならなくなることは、どんなに苦しいことかはしれないけれど、あなたは母として姫君の最も幸福になることを考えなければならない。姫君を愛しないでおっしゃることでこれはありませんよ。あちらの奥様を信頼してお渡しなさいよ。母親次第で陛下のお子様だって階級ができるのだからね。源氏の大臣がだれよりもすぐれた天分を持っていらっしゃりながら、御位みくらいにおきにならずに一臣下で仕えていらっしゃるのは、大納言さんがもう一段出世ができずにおくれになって、お嬢さんが更衣こういにしかなれなかった、その方からお生まれになったことで御損をなすったのですよ。まして私たちの身分は問題にならないほど恥ずかしいものなのですからね。
  "Adikinasi. Mi tatematura zara m koto ha, ito mune itakari nu bekere do, tuhini kono ohom-tame ni yokaru bekara m koto wo koso omoha me. Asaku obosi te notamahu koto ni ha ara zi. Tada uti-tanomi kikoye te, watasi tatematuri tamahi te yo. Hahagata kara koso, Mikado no miko mo kihagiha ni ohasu mere. Kono Otodo-no-Kimi no, yo ni hutatu naki ohom-arisama nagara, yo ni tukahe tamahu ha, ko-Dainagon no, ima hitokizami nari otori tamahi te, Kauibara to iha re tamahi si, kedime ni koso ha ohasu mere. Masite, tadaudo ha nazurahu beki koto ni mo ara zu.
1.2.3  また、 親王たち、大臣の御腹といへどなほさし向かひたる劣りの所には、人も思ひ落とし、親の御もてなしも、え等しからぬものなり。まして、これは、やむごとなき御方々にかかる人、出でものしたまはば、こよなく消たれたまひなむ。ほどほどにつけて、親にもひとふしもてかしづかれぬる人こそ、やがて落としめられぬはじめとはなれ。御袴着のほども、いみじき心を尽くすとも、かかる 深山隠れにては、何の栄かあらむ。ただ任せきこえたまひて、もてなしきこえたまはむありさまをも、聞きたまへ」
 また、親王方、大臣の御腹といっても、やはり正妻の劣っているところよりは、世間も軽視し、父親のご待遇も、同等にできないものなのです。まして、この姫君は、身分の高い女君方にこのような姫君が、お生まれになったら、すっかり忘れ去られてしまうでしょう。身分相応につけ、父親にひとかどに大切にされた人こそは、そのまま軽んぜられないもととなるのです。御袴着の祝いも、どんなに一生懸命におこなっても、このような人里離れた所では、何の見栄えがありましょう。ただお任せ申し上げなさって、そのおもてなしくださるご様子を、見ていらっしゃい」
 また親王様だって、大臣の家だって、良い奥様から生まれたお子さんと、劣った生母を持つお子さんとは人の尊敬のしかたが違うし、親だって公平にはおできにならないものです。姫君の場合を考えれば、まだ幾人もいらっしゃるりっぱな奥様方のどっちかで姫君がお生まれになれば、当然肩身の狭いほうのお嬢さんにおなりになりますよ。一体女というものは親からたいせつにしてもらうことで将来の運も招くことになるものよ。袴着はかまぎの式だっても、どんなに精一杯のことをしても大井の山荘ですることでははなやかなものになるわけはない。そんなこともあちらへおまかせして、どれほど尊重されていらっしゃるか、どれほどりっぱな式をしてくだすったかと聞くだけで満足をすることになさいね」
  Mata, Miko-tati, Otodo no ohom-hara to ihe do, naho sasimukahi taru otori no tokoro ni ha, hito mo omohi otosi, oya no ohom-motenasi mo, e hitosikara nu mono nari. Masite, kore ha, yamgotonaki ohom-katagata ni kakaru hito, ide monosi tamaha ba, koyonaku keta re tamahi na m. Hodohodo ni tuke te, oya ni mo hitohusi mote-kasiduka re nuru hito koso, yagate otosime rare nu hazime to ha nare. Ohom-hakamagi no hodo mo, imiziki kokoro wo tukusu tomo, kakaru miyamagakure nite ha, nani no haye ka ara m? Tada makase kikoye tamahi te, motenasi kikoye tamaha m arisama wo mo, kiki tamahe."
1.2.4  と教ふ。
 と教える。
 と娘におしえた。
  to wosihu.
1.2.5   さかしき人の心の占どもにも、もの問はせなどするにも 、なほ「渡りたまひてはまさるべし」とのみ言へば、思ひ弱りにたり。
 賢い人の将来の予想などにも、また占わせたりなどをしても、やはり「お移りになった方が良いでしょう」とばかり言うので、気が弱くなってきた。
 賢い人に聞いて見ても、占いをさせてみても、二条の院へ渡すほうに姫君の幸運があるとばかり言われて、明石は子を放すまいと固執する力が弱って行った。
  Sakasiki hito no kokoro no ura-domo ni mo, mono toha se nado suru ni mo, naho "Watari tamahi te ha masaru besi." to nomi ihe ba, omohi-yowari ni tari.
1.2.6  殿も、しか思しながら、思はむところのいとほしさに、しひてもえのたまはで、
 殿も、そのようにお思いになりながら、悲しむ人の気の毒さに、無理におっしゃることもできないで、
 源氏もそうしたくは思いながらも、女の気持ちを尊重してしいて言うことはしなかった。手紙のついでに、
  Tono mo, sika obosi nagara, omoha m tokoro no itohosisa ni, sihite mo e notamaha de,
1.2.7  「 御袴着のことは、いかやうにか
 「袴着のお祝いは、どのようにか」
 袴着の仕度にかかりましたか
  "Ohom-hakamagi no koto ha, ikayau ni ka?"
1.2.8  とのたまへる御返りに、
 とおっしゃるお返事に、
 と書いた返事に、
  to notamahe ru ohom-kaheri ni,
1.2.9  「 よろづのこと、かひなき身にたぐへきこえては、げに生ひ先もいとほしかるべくおぼえはべるを、たち交じりても、いかに人笑へにや」
 「何事につけても、ふがいないわたくしのもとにお置き申しては、お言葉どおり将来もおかわいそうに思われますが、またご一緒させていただいても、どんなにもの笑いになりましょうやら」
 何事も無力な母のそばにおりましては気の毒でございます。先日のお言葉のようにい先が哀れに思われます。しかし、そちらへこの子が出ましてはまたどんなにお恥ずかしいことばかりでしょう。
  "Yorodu no koto, kahinaki mi ni taguhe kikoye te ha, geni ohisaki mo itohosikaru beku oboye haberu wo, tatimaziri te mo, ikani hitowarahe ni ya?"
1.2.10  と聞こえたるを、いとどあはれに思す。
 と申し上げたので、ますますお気の毒にお思いになる。
 と言って来たのを源氏は哀れに思った。
  to kikoye taru wo, itodo ahare ni obosu.
1.2.11  日など取らせたまひて、忍びやかに、さるべきことなどのたまひおきてさせたまふ。放ちきこえむことは、なほいとあはれにおぼゆれど、「 君の御ためによかるべきことをこそは」と念ず。
 吉日などをお選びになって、ひっそりと、しかるべき事がらをお決めになって準備させなさる。手放し申すことは、やはりとてもつらく思われるが、「姫君のご将来のために良いことを第一に」と我慢する。
 源氏はいよいよ二条の院ですることになった姫君の袴着の吉日を選ばせて、式の用意を命じていた。式は式でも紫夫人の手へ姫君を渡しきりにすることは今でも堪えがたいことに明石は思いながらも、何事も姫君の幸福を先にして考えねばならぬと悲痛な決心をしていた。
  Hi nado torase tamahi te, sinobiyaka ni, sarubeki koto nado notamahi oki te sase tamahu. Hanati kikoye m koto ha, naho ito ahare ni oboyure do, "Kimi no ohom-tame ni yokaru beki koto wo koso ha." to nenzu.
1.2.12  「 乳母をもひき別れなむこと。明け暮れのもの思はしさ、つれづれをもうち語らひて、慰めならひつるに、いとど たつきなきことさへ取り添へ、いみじくおぼゆべきこと」と、君も泣く。
 「乳母とも離れてしまうこと。朝な夕なの物思い、所在ない時を話相手にして、つね日頃慰めてきたのに、ますます頼りとするものがなくなることまで加わって、どんなにか悲しい思いをせねばならないこと」と、女君も泣く。
 乳母めのとと別れてしまわねばならぬことでもあったから、「気がめいってならない時とか、つれづれな時とかに、どんなにあなたの友情が私を助けてくだすったかしれないのに、これから先を思うと、お嬢さんのいなくなることといっしょにまたそれがどんなに寂しいことでしょう」
  "Menoto wo mo hiki-wakare na m koto. Akekure no mono-omohasisa, turedure wo mo uti-katarahi te, nagusame narahi turu ni, itodo tatuki naki koto sahe torisohe, imiziku oboyu beki koto." to, Kimi mo naku.
1.2.13  乳母も、
 乳母も、
 と乳母めのとに言って明石は泣いた。
  Menoto mo,
1.2.14  「 さるべきにや、おぼえぬさまにて、見たてまつりそめて、 年ごろの御心ばへの、忘れがたう恋しう おぼえたまふべきを、うち絶えきこゆることはよもはべらじ。つひにはと頼みながら、しばしにても、よそよそに、思ひのほかの交じらひしはべらむが、安からずも はべるべきかな
 「そうなるはずの宿縁だったのでしょうか、思いがけないことで、お目にかかるようになって、長い間のお心配りが、忘れがたくきっと恋しく思われなさいましょうが、ふっつり縁が切れることは決してありますまい。行く末はと期待しながら、しばらくの間であっても、別れ別れになって、思いもかけないご奉公をしますのが、不安でございましょうねえ」
 「前生の因縁だったのでございましょうね、不意にお宅で御厄介ごやっかいになることになりましてから、長い間どんなに御親切にしていただいたことでしょう。私の心に御好意はりつけられておりますから、これきり疎遠にいたしますようなことは決してないと思われますし、またごいっしょに暮らさせていただく日の参りますことも信じておりますが、しばらくでも別々になりまして、知らない方たちの中へはいってまいりますことは苦しゅうございます」
  "Sarubeki ni ya, oboye nu sama nite, mi tatematuri some te, tosigoro no mi-kokorobahe no, wasure gatau kohisiu oboye tamahu beki wo, uti-taye kikoyuru koto ha yo mo habera zi. Tuhini ha to tanomi nagara, sibasi nite mo, yosoyoso ni, omohi no hoka no mazirahi si habera m ga, yasukara zu mo haberu beki kana!"
1.2.15  など、うち泣きつつ過ぐすほどに、 師走にもなりぬ
 などと、泣き泣き日を過ごしているうちに、十二月にもなってしまった。
 と乳母めのとも言うのであった。こんなことを毎日言っているうちに十二月にもなった。
  nado, uti-naki tutu sugusu hodo ni, Sihasu ni mo nari nu.
注釈17尼君思ひやり深き人にて「思ひやり」は思慮の意。1.2.1
注釈18あぢきなし以下「ありさまをも聞きたまへ」まで、尼君の詞。1.2.2
注釈19故大納言源氏の母桐壺更衣の父、按察使大納言をさす。1.2.2
注釈20親王たち大臣の御腹といへど母親が親王方や大臣の娘と言っても。明石の君の場合は播磨国司の娘。1.2.3
注釈21なほさし向かひたる劣りの所には『集成』は「また、たとえ親王や大臣の姫君のお子といっても、身分は低くてもやはり現に北の方である人が生んだお子たちに比べては」。『完訳』は「また親王様や大臣の姫君の御腹といっても、やはりその母君が北の方でないのだったら、身分はよし劣っていても北の方の腹に生れた方より」と訳す。すなわち、母親が単に親王や大臣の娘というだけでは、だめ。身分は劣ってもやはり北の方の娘のほうが上という考え方である。紫の君は式部卿宮の妾の娘、明石は身分は低いが国司の本妻の娘といえる。1.2.3
注釈22深山隠れ「深山隠れ」歌語。「かたちこそ深山隠れの朽木なれ心は花になさばなりなむ」(古今集雑上、八七五、兼芸法師)。1.2.3
注釈23さかしき人の心の占どもにももの問はせなどするにも源氏辞去後。明石、姫君を手放すことを決意。「心の占」歌語。「かく恋ひむものとは我も思ひにき心の占ぞまさしかりける」(古今集恋四、七〇〇、読人しらず)。1.2.5
注釈24御袴着のことはいかやうにか大島本は「御はかまきの事(事+ハ<朱墨>)」とある。すなわち朱筆と墨筆で「は」を補入している。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「こと」と整定する。源氏の手紙文。主旨。1.2.7
注釈25よろづのこと以下「人笑へにや」まで、明石の返事。姫君を引き渡すことを言う。1.2.9
注釈26君の御ためによかるべきことをこそは明石の心中。姫君にとって最善の方法を選択。1.2.11
注釈27乳母をも明石の君と乳母の離別前の語らいの場面。以下「おぼゆべきこと」まで、明石の心中。姫君を手放し、乳母とも別れねばならない悲しい気持ち。1.2.12
注釈28たつきなきことさへ取り添へ大島本は「たつきなき事」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことを」と「を」を補訂する。1.2.12
注釈29さるべきにや以下「はべるべきかな」まで、乳母の詞。こうなるのも前世からのご縁かと考える。1.2.14
注釈30年ごろの御心ばへ乳母になって三年になる。1.2.14
注釈31おぼえたまふべきを『集成』は「「おぼえたまふ」の「たまふ」は、明石の上に対する敬語。直訳すれば、(自分に)思われなさる」と注す。1.2.14
注釈32はべるべきかな--など大島本は「侍へきかななと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かなと」と「な」を削除する。1.2.14
注釈33師走にもなりぬ源氏、三十一歳の十二月。巻頭の「冬になりゆくままに」から歳末の十二月へと推移。1.2.15
出典3 心の占ども かく恋ひむものとも我は思ひにき心のうらぞまさしかりける 古今集恋四-七〇〇 読人しらず 1.2.5
校訂4 ことは ことは--事(事/+は) 1.2.7
1.3
第三段 明石と乳母、和歌を唱和


1-3  Akashi and nurse talk and comfort with waka each other

1.3.1   雪、霰がちに、心細さまさりて、「 あやしくさまざまに、もの思ふべかりける身かな」と、うち嘆きて、常よりも この君を撫でつくろひつつ見ゐたり。
 雪、霰の日が多く、心細い気持ちもいっそうつのって、「不思議と何かにつけ、物思いがされるわが身だわ」と、悲しんで、いつもよりもこの姫君を撫でたり身なりを繕ったりしながら見ていた。
 雪やみぞれの降る日が多くて、心細い気のする明石は、いろいろな形でせねばならない苦労の多い自分であると悲しんで、平生よりもしみじみ姫君を愛撫あいぶしていた。
  Yuki, arare-gati ni, kokorobososa masari te, "Ayasiku samazama ni, mono omohu bekari keru mi kana!" to, uti-nageki te, tune yori mo kono Kimi wo nade tukurohi tutu mi wi tari.
1.3.2   雪かきくらし降りつもる朝、来し方行く末のこと、残らず思ひつづけて、例はことに 端近なる出で居などもせぬを、汀の氷など見やりて、白き衣どものなよよかなるあまた着て、眺めゐたる様体、頭つき、うしろでなど、「 限りなき人と聞こゆとも、かうこそはおはすらめ」と人びとも見る。落つる涙をかき払ひて、
 雪が空を暗くして降り積もった翌朝、過ぎ去った日々のことや将来のこと、何もかもお考え続けて、いつもは特に端近な所に出ていることなどはしないのだが、汀の氷などを眺めやって、白い衣の柔らかいのを幾重にも重ね着て、物思いに沈んでいる容姿、頭の恰好、後ろ姿などは、「どんなに高貴なお方と申し上げても、こんなではいらっしゃろう」と女房たちも見る。落ちる涙をかき払って、
 大雪になった朝、過去未来が思い続けられて、平生は縁に近く出るようなこともあまりないのであるが、端のほうに来て明石はみぎわの氷などにながめ入っていた。柔らかな白を幾枚か重ねたからだつき、頭つき、後ろ姿は最高の貴女きじょというものもこうした気高けだかさのあるものであろうと見えた。こぼれてくる涙を払いながら、
  Yuki kaki-kurasi huri tumoru asita, kisikata yukusuwe no koto, nokora zu omohi tuduke te, rei ha koto ni hasidika naru idewi nado mo se nu wo, migiha no kohori nado miyari te, siroki kinu-domo no nayoyoka naru amata ki te, nagame wi taru yaudai, kasiratuki, usirode nado, "Kagirinaki hito to kikoyu tomo, kau koso ha ohasu rame." to hitobito mo miru. Oturu namida wo kakiharahi te,
1.3.3  「 かやうならむ日、ましていかにおぼつかなからむ」と、 らうたげにうち嘆きて、
 「このような日は、今にもましてどんなにか心淋しいことでしょう」と、痛々しげに嘆いて、
 「こんな日にはまた特別にあなたが恋しいでしょう」と可憐かれんに言って、また乳母めのとに言った。
  "Kayau nara m hi, masite ikani obotukanakara m?" to, rautage ni uti-nageki te,
1.3.4  「 雪深み深山の道は晴れずとも
   なほ文かよへ跡絶えずして
 「雪が深いので奥深い山里への道は通れなくなろうとも
  どうか手紙だけはください、跡の絶えないように
  雪深き深山みやまのみちは晴れずとも
  なほふみ通へ跡たえずして
    "Yuki hukami miyama no miti ha hare zu tomo
    naho humi kayohe ato taye zu si te
1.3.5  とのたまへば、乳母、うち泣きて、
 とおっしゃると、乳母、泣いて、
 乳母も泣きながら、
  to notamahe ba, Menoto, uti-naki te,
1.3.6  「 雪間なき吉野の山を訪ねても
   心のかよふ跡絶えめやは
 「雪の消える間もない吉野の山奥であろうとも必ず訪ねて行って
  心の通う手紙を絶やすことは決してしません
  雪間なき吉野よしのの山をたづねても
  心の通ふ跡絶えめやは
    "Yukima naki Yosino no yama wo tadune te mo
    kokoro no kayohu ato taye me yaha
1.3.7  と言ひ慰む。
 と言って慰める。
 と慰めるのであった。
  to ihi nagusam.
注釈34雪霰がちに心細さまさりて十二月の雪や霰の降る日、明石の君、姫君を愛撫。『完訳』は「以下、別離の迫る明石の君の心を、厳冬十二月の凍つく情景を通して語る」。源氏物語の季節と物語の主題との連関性。1.3.1
注釈35あやしくさまざまにもの思ふべかりける身かな明石の心中。1.3.1
注釈36この君を姫君をさす。1.3.1
注釈37雪かきくらし降りつもる朝雪の朝の場面。明石、乳母と歌を唱和。1.3.2
注釈38端近なる出で居などもせぬを汀の氷など見やりて明石の君、端近に出て庭の池の水際の氷を眺めやる姿態。『完訳』は「「白き衣」とともに、寒冷の色彩による映像」と注す。1.3.2
注釈39限りなき人と聞こゆともかうこそはおはすらめ女房の心中。明石の君の貴夫人に劣らぬすばらしさを礼讃。1.3.2
注釈40かやうならむ日ましていかにおぼつかなからむ明石の心中。姫君を手放した後の寂寥感を思う。1.3.3
注釈41らうたげに『集成』は「いたいたしげに」。『完訳』は「いかにもいたわしく」と訳す。1.3.3
注釈42雪深み深山の道は晴れずとも--なほ文かよへ跡絶えずして明石の君から乳母への歌。「文」と「踏み」の掛詞。「雪」と「晴」、「踏み」と「跡」は縁語。手紙を通わすよう願望。1.3.4
注釈43雪間なき吉野の山を訪ねても--心のかよふ跡絶えめやは乳母から明石の君への唱和歌。「雪」「通ふ」「跡」を引用し、「深山」は「吉野の山」、「文通へ」は「心の通ふ」、「跡絶えずして」は「跡絶えめやは」と言い換えて、明石君の気持ちに応える。1.3.6
校訂5 とも とも--とん(ん/#も) 1.3.4
1.4
第四段 明石の母子の雪の別れ


1-4  Parting daughter from mother in snow days

1.4.1   この雪すこし解けて渡りたまへり。例は待ちきこゆるに、 さならむとおぼゆることにより、胸うちつぶれて、 人やりならず、おぼゆ
 この雪が少し解けてお越しになった。いつもはお待ち申し上げているのに、きっとそうであろうと思われるために、胸がどきりとして、誰のせいでもない、自分の身分低いせいだと思わずにはいられない。
 この雪が少し解けたころに源氏が来た。平生は待たれる人であったが、今度は姫君をつれて行かれるかと思うことで、源氏の訪れに胸騒ぎのする明石であった。
  Kono yuki sukosi toke te watari tamahe ri. Rei ha mati kikoyuru ni, sa nara m to oboyuru koto ni yori, mune uti-tubure te, hitoyarinara zu, oboyu.
1.4.2  「 わが心にこそあらめ。いなびきこえむをしひてやは、あぢきな」とおぼゆれど、「軽々しきやうなり」と、せめて思ひ返す。
 「自分の一存によるのだわ。お断り申し上げたら無理はなさるまい。つまらないことを」と思わずにはいられないが、「軽率なようなことだわ」と、無理に思い返す。
 自分の意志で決まることである、謝絶すればしいてとはお言いにならないはずである、自分がしっかりとしていればよいのであると、こんな気も明石はしたが、約束を変更することなどは軽率に思われることであると反省した。
  "Waga kokoro ni koso ara me. Inabi kikoye m wo sihite yaha, adiki na!" to oboyure do, "Karugarusiki yau nari." to, semete omohikahesu.
1.4.3  いとうつくしげにて、 前にゐたまへるを見たまふに
 とてもかわいらしくて、前に座っていらっしゃるのを御覧になると、
 美しい顔をして前にすわっている子を見て源氏は、
  Ito utukusige ni te, mahe ni wi tamahe ru wo mi tamahu ni,
1.4.4  「 おろかには思ひがたかりける人の宿世かな
 「おろそかには思えない宿縁の人だなあ」
 この子が間に生まれた明石と自分の因縁は並み並みのものではないと思った。
  "Oroka ni ha omohi gatakari keru hito no sukuse kana!"
1.4.5  と思ほす。この春より 生ふす御髪、 尼削ぎのほどにて 、ゆらゆらとめでたく、つらつき、まみの薫れるほどなど、言へばさらなり。よそのものに思ひやらむほどの 心の闇、推し量りたまふに、いと心苦しければ、 うち返しのたまひ明かす
 とお思いになる。今年の春からのばしている御髪、尼削ぎ程度になって、ゆらゆらとしてみごとで、顔の表情、目もとのほんのりとした美しさなど、いまさら言うまでもない。他人の養女にして遠くから眺める母親の心惑いを推量なさると、まことに気の毒なので、繰り返して安心するように言って夜を明かす。
 今年から伸ばした髪がもう肩先にかかるほどになっていて、ゆらゆらとみごとであった。顔つき、目つきのはなやかな美しさも類のない幼女である。これを手放すことでどんなに苦悶くもんしていることかと思うと哀れで、一夜がかりで源氏は慰め明かした。
  to omohosu. Kono haru yori ohusu migusi, amasogi no hodo nite, yurayura to medetaku, turatuki, mami no kawore ru hodo nado, ihe ba sara nari. Yoso no mono ni omohiyara m hodo no kokoro no yami, osihakari tamahu ni, ito kurusikere ba, utikahesi notamahi akasu.
1.4.6  「 何か。かく口惜しき身のほどならずだにもてなしたまはば」
 「いいえ。取るに足りない身分でないようにお持てなしさえいただけしましたら」
 「いいえ、それでいいと思っております。私の生みましたという傷も隠されてしまいますほどにしてやっていただかれれば」
  "Nanika? Kaku kutiwosiki mi no hodo nara zu dani motenasi tamaha ba."
1.4.7  と聞こゆるものから、念じあへずうち泣くけはひ、 あはれなり
 と申し上げるものの、堪え切れずにほろっと泣く様子、気の毒である。
 と言いながらも、忍びきれずに泣く明石が哀れであった。
  to kikoyuru monokara, nenzi ahe zu uti-naku kehahi, ahare nari.
1.4.8   姫君は、何心もなく御車に乗らむことを急ぎたまふ。寄せたる所に、 母君みづから抱きて出でたまへり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「 乗りたまへ」と引くも、いみじうおぼえて、
 姫君は、無邪気に、お車に乗ることをお急ぎになる。寄せてある所に、母君自身抱いて出ていらっしゃった。片言で、声はとてもかわいらしくて、袖をつかまえて、「お乗りなさい」と引っ張るのも、ひどく堪らなく悲しくて、
 姫君は無邪気に父君といっしょに車へ早く乗りたがった。車の寄せられてある所へ明石は自身で姫君を抱いて出た。片言の美しい声で、そでをとらえて母に乗ることを勧めるのが悲しかった。
  Himegimi ha, nanigokoro mo naku, mi-kuruma ni nora m koto wo isogi tamahu. Yose taru tokoro ni, Hahagimi midukara idaki te ide tamahe ri. Katakoto no, kowe ha ito utukusiu te, sode wo torahe te, "Nori tamahe." to hiku mo, imiziu oboye te,
1.4.9  「 末遠き二葉の松に引き別れ
   いつか木高きかげを見るべき
 「幼い姫君にお別れしていつになったら
  立派に成長した姿を見ることができるのでしょう
  末遠き二葉の松に引き分かれ
  いつか木高きかげを見るべき
    "Suwe tohoki hutaba no matu ni hiki-wakare
    ituka kodakaki kage wo miru beki
1.4.10  えも言ひやらず、いみじう泣けば、
 最後まで言い切れず、ひどく泣くので、
 とよくも言われないままで非常に明石は泣いた。
  E mo ihiyara zu, imiziu nake ba,
1.4.11  「 さりや。あな苦し」と思して、
 「無理もない。ああ、気の毒な」とお思いになって、
 こんなことも想像していたことである、心苦しいことをすることになったと源氏は歎息たんそくした。
  "Sariya. Ana kurusi!" to obosi te,
1.4.12  「 生ひそめし根も深ければ武隈の
   松に小松の千代をならべむ
 「生まれてきた因縁も深いのだから
  いづれ一緒に暮らせるようになりましょう
  「めし根も深ければ武隈たけくま
  松に小松の千代を並べん
    "Ohi some si ne mo hukakere ba Takekuma no
    matu ni komatu no tiyo wo narabe m
1.4.13  のどかにを」
 安心なさい」
 気を長くお待ちなさい」
  nodoka ni wo!"
1.4.14  と、慰めたまふ。さることとは思ひ静むれど、えなむ堪へざりける。 乳母の少将とて、あてやかなる人ばかり、御佩刀、天児やうの物取りて乗る。人だまひによろしき若人、童女など乗せて、 御送りに参らす
 と、慰めなさる。そうなることとは思って気持ちを落ち着けるが、とても堪えきれないのであった。乳母の少将と言った、気品のある女房だけが、御佩刀、天児のような物を持って乗る。お供の車には見苦しくない若い女房、童女などを乗せて、お見送りに行かせた。
 と慰めるほかはないのである。道理はよくわかっていて抑制しようとしても明石あかしの悲しさはどうしようもないのである。乳母めのとと少将という若い女房だけが従って行くのである。守り刀、天児あまがつなどを持って少将は車に乗った。女房車に若い女房や童女などをおおぜい乗せて見送りに出した。
  to, nagusame tamahu. Saru koto to ha omohi sidumure do, e nam tahe zari keru. Menoto no Seusyau tote, ateyaka naru hito bakari, mihakasi, amagatu yau no mono tori te noru. Hitodamahi ni yorosiki wakaudo, waraha nado nose te, ohom-okuri ni mawirasu.
1.4.15   道すがら、とまりつる人の心苦しさを、「 いかに。罪や得らむ」と思す。
 道中、後に残った人の気の毒さを、「どんなにつらかろう。罪を得ることだろうか」とお思いになる。
 源氏は道々も明石の心を思って罪を作ることに知らず知らず自分はなったかとも思った。
  Mitisugara, tomari turu hito no kokorogurusisa wo, "Ikani? Tumi ya u ram." to obosu.
注釈44この雪すこし解けて雪が少し解けたころに、源氏が姫君を迎えに大堰山荘を訪問する。1.4.1
注釈45さならむとおぼゆることにより姫君引き取りをさす。雪が止み、路上の雪が解ければ、源氏はきっと姫君を引き取りに来るだろうという予想。1.4.1
注釈46人やりならずおぼゆ『集成』は「姫君と別れなくてはならぬのは、誰のせいでもない、自分のせいだとくやまれる」。『完訳』は「これも自らまねいたものだと思わずにはいられない」。自分の身分の低いことに起因すると考える。1.4.1
注釈47わが心にこそあらめ以下「あぢきな」まで、明石の心中。後悔の念。1.4.2
注釈48前にゐたまへるを見たまふに「前」は明石の君の前。「見たまふ」の主語は源氏。1.4.3
注釈49おろかには思ひがたかりける人の宿世かな源氏の心中。姫君を見て、明石の君との宿縁の深さを思う。1.4.4
注釈50生ふす大島本は「おほ(ほ#ふ△<朱墨>、△#)す」とある。すなわち、本行本文の「ほ」をして朱筆と墨筆で抹消して「ふ△」と訂正する。△は抹消されて判読不明だが、元「イ」とあったものか。とすると、イ本校合による訂正となる。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は訂正以前本文の表記に従う。1.4.5
注釈51尼削ぎのほどにて大島本は「あま(ま+そき)」とある。すなわち「そき」を補入する。御物本も同じく補入する。他の諸本は「あま」(横池耕三)とある。『集成』『新大系」は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「尼のほどにて」と整訂する。1.4.5
注釈52心の闇引歌、「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。1.4.5
注釈53うち返しのたまひ明かす『集成』は「繰り返し安心するようにおっしゃって夜を明かされる。「のたまひ明かす」を、説明すると解するのは誤り」と注す。『完訳』は「繰り返し夜一夜得心いくようにお言い聞かせになる」と訳す。1.4.5
注釈54何かかく以下「もてなしたまはば」まで、明石の返事。姫君のことを依頼する。1.4.6
注釈55あはれなり語り手の評。『完訳』は「人の胸をうつ痛ましさである」と訳す。1.4.7
注釈56姫君は何心もなく母親の心痛と姫君の無邪気さを対比、連続して語るが、場面は翌日に移る。1.4.8
注釈57御車に乗らむことを急ぎたまふ「む」推量の助動詞、意志を表す。姫君の車に無心に乗りたがって気持ちを語る。1.4.8
注釈58母君みづから抱きて出でたまへり母君自ら姫君を抱くのは特別。普段は乳母などが抱く。「出でたまへり」と敬語表現がある。母子別れの場面の圧巻。1.4.8
注釈59乗りたまへ姫君の詞であるが、前に「片言の」とあるから、語り手が言い換えた間接話法でもあろうか。1.4.8
注釈60末遠き二葉の松に引き別れ--いつか木高きかげを見るべき明石の君の歌。「二葉の松」は姫君を譬喩。「松」と「引き」は子の日にちなむ縁語。将来立派に成長することを祈念する。1.4.9
注釈61さりやあな苦し源氏の心中。明石の君に同情。1.4.11
注釈62生ひそめし根も深ければ武隈の--松に小松の千代をならべむ源氏の返歌。「武隈の松」は明石の君を、「小松」は姫君を喩える。「いつか--見るべき」という明石の君の問いに対して、「武隈の松」に「小松の千代」を「並べむ」と応える。『集成』は「母子の深い宿縁もあることなのだから、いずれあなたと姫君は末長く暮すことになるでしょう」。『完訳』は「小松の生いはじめた根ざしも深いのだから、武隈の相生の松の間に並べて先々を見届けよう」「生れてきた因縁も深いのだから、やがて私たち二人で、この姫君と末長くいっしょに暮すことになるでしょう」と訳す。1.4.12
注釈63乳母の少将とて大島本は「めのとの少将」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「乳母、少将」と校訂し、二人解する。1.4.14
注釈64御送りに参らす主語は明石の君。「す」使役の助動詞。自らは送りに行かない。1.4.14
注釈65道すがら場面、大堰から二条院への道中に移る。牛車の中の源氏。1.4.15
注釈66いかに罪や得らむ源氏の心中。明石の心中を推察し、自責の念に駆られる。1.4.15
出典4 心の闇 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 1.4.5
出典5 武隈の 植ゑし時契りやしけむ武隈の松を再びあひ見つるかな 後撰集雑三-一二四一 藤原元善 1.4.12
校訂6 生ふす 生ふす--おほ(ほ/#ふ)す 1.4.5
校訂7 尼削ぎ 尼削ぎ--あま(ま/+そき) 1.4.5
1.5
第五段 姫君、二条院へ到着


1-5  Akashi's daughter is adopted into Murasaki in Nijo-in

1.5.1   暗うおはし着きて、御車寄するより、はなやかにけはひことなるを、田舎びたる心地どもは、「 はしたなくてや交じらはむ」と思ひつれど、 西表をことにしつらはせたまひて、小さき御調度ども、うつくしげに調へさせたまへり。乳母の局には、西の渡殿の、北に当れるをせさせたまへり。
 暗くなってお着きになって、お車を寄せるや、華やかな感じ格別なので、田舎暮らしに慣れた人々の心地には、「さぞや、きまりの悪い奉公をすることになろうか」と思ったが、西面の部屋を特別に用意させなさって、数々の小さいお道具類をかわいらしげに準備させておありになった。乳母の部屋には、西の渡殿の北側に当たる所を用意させておありになった。
 暗くなってから着いた二条の院のはなやかな空気はどこにもあふれるばかりに見えて、田舎にれてきた自分らがこの中で暮らすことはきまりの悪い恥ずかしいことであると、二人の女は車からりるのに躊躇ちゅうちょさえした。西向きの座敷が姫君の居間として設けられてあって、小さい室内の装飾品、手道具がそろえられてあった。乳母の部屋は西の渡殿の北側の一室にできていた。
  Kurau ohasi tuki te, mi-kuruma yosuru yori, hanayaka ni kehahi koto naru wo, winakabi taru kokoti-domo ha, "Hasitanaku te ya maziraha m?" to omohi ture do, nisiomote wo koto ni siturahase tamahi te, tihisaki ohom-deudo-domo, utukusige ni totonohe sase tamahe ri. Menoto no tubone ni ha, nisi no watadono no, kita ni atare ru wo se sase tamahe ri.
1.5.2  若君は、道にて寝たまひにけり。抱き下ろされて、泣きなどはしたまはず。こなたにて御くだもの参りなどしたまへど、やうやう見めぐらして、母君の見えぬをもとめて、らうたげにうちひそみたまへば、乳母召し出でて、慰め紛らはしきこえたまふ。
 若君は、途中でお眠りになってしまっていた。抱きおろされても、泣いたりなどなさらない。こちらでお菓子をお召し上がりなどなさるが、だんだんと見回して、母君が見えないのを探して、いじらしげにべそかいていらっしゃるので、乳母をお呼び出しになって、慰めたり気を紛らわしてさし上げなさる。
 姫君は途中で眠ってしまったのである。抱きおろされて目がさめた時にも泣きなどはしなかった。夫人の居間で菓子を食べなどしていたが、そのうちあたりを見まわして母のいないことに気がつくと、かわいいふうに不安な表情を見せた。源氏は乳母を呼んでなだめさせた。
  Wakagimi ha, miti nite ne tamahi ni keri. Idaki orosa re te, naki nado ha si tamaha zu. Konata nite ohom-kudamono mawiri nado si tamahe do, yauyau mi megurasi te, Hahagimi no miye nu wo motome te, rautage ni uti-hisomi tamahe ba, Menoto mesiide te, nagusame magirahasi kikoye tamahu.
1.5.3  「 山里のつれづれ、ましていかに」と思しやるはいとほしけれど、 明け暮れ思すさまにかしづきつつ、見たまふはものあひたる心地したまふらむ
 「山里の所在なさは、以前にもましてどんなにであろうか」とお思いやりになると気の毒であるが、朝な夕なにお思いどおりにお世話しいしい、それを御覧になるのは、満足のいく心地がなさるだろう。
 残された母親はましてどんなに悲しがっていることであろうと、想像されることは、源氏に心苦しいことであったが、こうして最愛の妻と二人でこのかわいい子をこれから育てていくことは非常な幸福なことであるとも思った。
  "Yamazato no turedure, masite, ikani?" to obosiyaru ha itohosikere do, akekure obosu sama ni kasiduki tutu, mi tamahu ha, mono ahi taru kokoti si tamahu ram.
1.5.4  「 いかにぞや、人の思ふべき瑕 なきことは、このわたりに出でおはせで」
 「どうしてなのか、世間が非難する欠点のない子は、こちらにはお生まれにならないで」
 どうしてあの人に生まれて、この人に生まれてこなかったか、自分の娘として完全にきずのない所へはなぜできてこなかったのかと、
  "Ikani zo ya? Hito no omohu beki kizu naki koto ha, kono watari ni ide ohase de."
1.5.5  と、口惜しく思さる。
 と、残念にお思いになる。
 さすがに残念にも源氏は思うのであった。
  to, kutiwosiku obosa ru.
1.5.6  しばしは、人びともとめて泣きなどしたまひしかど、おほかた心やすくをかしき心ざまなれば、 上にいとよくつき睦びきこえたまへれば、「 いみじううつくしきもの得たり」と思しけり。こと事なく抱き扱ひ、もてあそびきこえたまひて、乳母も、おのづから近う仕うまつり馴れにけり。また、 やむごとなき人の乳ある、添へて参りたまふ
 しばらくの間は、女房たちを探して泣いたりなどなさったが、だいたいが素直でかわいらしい性質なので、上にたいそうよく懐いてお慕いになるので、「とてもかわいらしい子を得た」とお思いになった。余念もなく抱いたり、あやしなさったりして、乳母も、自然とお側近くにお仕えするように慣れてしまった。また、身分の高い人で乳の出る人を、加えてお仕えなさる。
 当座は母や祖母や、大井の家で見れた人たちの名を呼んで泣くこともあったが、大体が優しい、美しい気質の子であったから、よく夫人に親しんでしまった。女王にょおう可憐かれんなものを得たと満足しているのである。専心にこの子の世話をして、抱いたり、ながめたりすることが夫人のまたとない喜びになって、乳母も自然に夫人に接近するようになった。ほかにもう一人身分ある女の乳の出る人が乳母に添えられた。
  Sibasi ha, hitobito motome te naki nado si tamahi sika do, ohokata kokoroyasuku wokasiki kokorozama nare ba, Uhe ni ito yoku tuki mutubi kikoye tamahe re ba, "Imiziu utukusiki mono e tari." to obosi keri. Kotogoto naku idaki atukahi, moteasobi kikoye tamahi te, Menoto mo, onodukara tikau tukaumaturi nare ni keri. Mata, yamgotonaki hito no ti aru, sohe te mawiri tamahu.
1.5.7  御袴着は、何ばかりわざと思しいそぐことはなけれど、けしきことなり。御しつらひ、雛遊びの心地してをかしう見ゆ。参りたまへる客人ども、ただ明け暮れのけぢめしなければ、あながちに目も立たざりき。ただ、姫君の襷引き結ひたまへる胸つきぞ、うつくしげさ添ひて 見えたまひつる
 御袴着のお祝いは、どれほども特別にご準備なさることもないが、その儀式は格別である。お飾り付けは、雛遊びを思わせる感じでかわいらしく見える。参上なさったお客たち、常日頃からも来客で賑わっているので、特に目立つこともなかった。ただ、姫君が襷を掛けていらっしゃる胸元が、かわいらしさが加わってお見えになった。
 袴着はかまぎはたいそうな用意がされたのでもなかったが世間並みなものではなかった。その席上の飾りがひな遊びの物のようで美しかった。列席した高官たちなどはこんな日にだけ来るのでもなく、毎日のように出入りするのであったから目だたなかった。ただその式で姫君が袴のひもを互いちがいに襷形たすきがたに胸へ掛けて結んだ姿がいっそうかわいく見えたことを言っておかねばならない。
  Ohom-hakamagi ha, nani bakari wazato obosi isogu koto ha nakere do, kesiki koto nari. Ohom-siturahi, hihinaasobi no kokoti si te wokasiu miyu. Mawiri tamahe ru marauto-domo, tada akekure no kedime si nakere ba, anagati ni me mo tata zari ki. Tada, Himegimi no tasuki hiki-yuhi tamahe ru munetuki zo, utukusigesa sohi te miye tamahi turu.
注釈67暗うおはし着きて二条院へ到着。場面、二条院の寝殿か。「暗く」なって到着。とすると、その出立は午後になってからか。1.5.1
注釈68はしたなくてや交じらはむ乳母、少将の女房の心中。1.5.1
注釈69西表をことにしつらはせたまひて『集成』は「寝殿の西側であろう」。『完訳』は「西の対の西向きの座敷」と注す。西の対ならば南北に縦長。ここは東西に仕切っているから寝殿であろう。1.5.1
注釈70山里のつれづれましていかに源氏の心中。明石の君を思う。「まして」は姫君がいたころとの比較。1.5.3
注釈71明け暮れ思すさまにかしづきつつ見たまふは『完訳』は「紫の上が明けても暮れても申し分なく君の思いどおりに大事に育てていらっしゃるのをごらんになって」と訳す。1.5.3
注釈72ものあひたる心地したまふらむ語り手の想像。1.5.3
注釈73いかにぞや以下「出でおはせで」まで、源氏の心中。姫君を引き取って育てている満足な気持から反転して、紫に子の生まれないことを残念に思う。1.5.4
注釈74上に紫の上をいう。「蓬生」巻に「二条の上」「対の上」とあるが、並びの巻を除いては、初めての「上」の呼称。姫君を引き取って、養女として以後、「上」という呼称で待遇される。以下の巻でも「上」と呼称される。1.5.6
注釈75いみじううつくしきもの得たり紫の上の心中。1.5.6
注釈76やむごとなき人の乳ある添へて参りたまふ源氏は先の乳母の他に、もう一人、高貴な身分で乳の出る乳母を加えた。1.5.6
注釈77見えたまひつる大島本は「みえ給つる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへる」と整定する。1.5.7
校訂8 なき なき--なく(く/$き) 1.5.4
1.6
第六段 歳末の大堰の明石


1-6  Akashi's lonely days in the year-end

1.6.1   大堰には、尽きせず恋しきにも身のおこたりを嘆き添へたり。さこそ言ひしか、尼君もいとど涙もろなれど、かくもてかしづかれたまふを聞くはうれしかりけり。 何ごとをか、なかなか訪らひきこえたまはむ、ただ御方の人びとに、乳母よりはじめて、世になき色あひを思ひいそぎてぞ、 贈りきこえたまひける
 大堰では、いつまでも恋しく思われるにつけ、わが身のつたなさを嘆き加えていた。そうは言ったものの、尼君もひとしお涙もろくなっているが、このように大切にされていらっしゃるのを聞くのは嬉しかった。いったい、どんなことを、なまじお見舞い申し上げなされようか、ただ、お付きの人々に、乳母をはじめとして、非常に立派な色合いの装束を思い立って、準備してお贈り申し上げなさるのであった。
 大井の山荘では毎日子を恋しがって明石が泣いていた。自身の愛が足らず、考えが足りなかったようにも後悔していた。尼君も泣いてばかりいたが、姫君の大事がられている消息の伝わってくることはこの人にもうれしかった。十分にされていて袴着の贈り物などここから持たせてやる必要は何もなさそうに思われたので、姫君づきの女房たちに、乳母をはじめ新しい一重ねずつの華美な衣裳を寄贈おくるだけのことにした。
  Ohowi ni ha, tuki se zu kohisiki ni mo, mi no okotari wo nageki sohe tari. Sakoso ihi sika, Amagimi mo itodo namida moro nare do, kaku motekasiduka re tamahu wo kiku ha uresikari keri. Nanigoto wo ka, nakanaka toburahi kikoye tamaha m, tada Ohomkata no hitobito ni, Menoto yori hazime te, yo ni naki iroahi wo omohi isogi te zo, okuri kikoye tamahi keru.
1.6.2  「 待ち遠ならむも、いとどさればよ」と思はむに、いとほしければ、年の内に忍びて渡りたまへり。
 「訪れが間遠になるのも、ますます、思ったとおりだ」と思うだろうと、気の毒なので、年の内にこっそりとおいでになった。
 子さえ取ればあとは無用視するように女が思わないかと気がかりに思って年内にまた源氏は大井へ行った。
  "Matidoho nara m mo, itodo sareba yo." to omoha m ni, itohosikere ba, tosi no uti ni sinobi te watari tamahe ri.
1.6.3  いとどさびしき住まひに、明け暮れのかしづきぐさをさへ離れきこえて、思ふらむことの心苦しければ、御文なども絶え間なく遣はす。
 ますます寂しい生活で、朝な夕なのお世話する相手にさえお別れ申して、寂しい思いをしていることが気の毒なので、お手紙なども絶え間なくお遣わしになる。
 寂しい山荘住まいをして、唯一の慰めであった子供に離れた女に同情して源氏は絶え間なく手紙を送っていた。
  Itodo sabisiki sumahi ni, akekure no kasidukigusa wo sahe hanare kikoye te, omohu ram koto no kokorogurusikere ba, ohom-humi nado mo, tayema naku tukahasu.
1.6.4  女君も、今はことに 怨じきこえたまはず、うつくしき人に罪ゆるしきこえたまへり。
 女君も、今では特にお恨み申し上げなさらず、かわいらしい姫君に免じて大目に見てさし上げていらっしゃった。
 夫人ももうこのごろではかわいい人に免じて恨むことが少なくなった。
  Womnagimi mo, ima ha koto ni wenzi kikoye tamaha zu, utukusiki hito ni tumi yurusi kikoye tamahe ri.
注釈78大堰には尽きせず恋しきにも歳暮、大堰山荘の明石の君と尼君の心境。1.6.1
注釈79身のおこたり『集成』は「姫君を手放した自分のふがいなさ」。『完訳』は「姫君を手放してしまった自分の迂闊さ」と訳す。わが身の運命のつたなさ、の意。1.6.1
注釈80何ごとをかなかなか訪らひきこえたまはむ語り手と明石の気持ちが一体化したところの表現。敬語「たまふ」がなければ、心中文となる。1.6.1
注釈81贈りきこえたまひける正月用の装束。明石に敬語がついている。1.6.1
注釈82待ち遠ならむ以下「いとどさればよ」まで、源氏の心中。明石の心中を思う。歳暮、源氏、大堰山荘を訪問を語る。しかしその描写なし。1.6.2
注釈83怨じきこえたまはず紫の上が明石の君を。「きこえ」という謙譲語が、次の「罪ゆるしきこえたまへり」にも使用されている。明石の君の地位・待遇の向上が窺われる。1.6.4
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月14日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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