第十九帖 薄雲


19 USUGUMO (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳冬十二月から三十二歳秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from December in winter at the age of 31 to fall at the age of 32

4
第四章 冷泉帝の物語 出生の秘密と譲位ほのめかし


4  Tale of Reizei  Mikado gets to know his father and thinks to hand over the throne to Genji

4.1
第一段 夜居僧都、帝に密奏


4-1  A Buddhist priest wants to let Mikado know his father

4.1.1   御わざなども過ぎて、事ども静まりて、帝、もの心細く思したり。この入道の宮の御母后の御世より伝はりて、次々の御祈りの師にてさぶらひける僧都、故宮にもいとやむごとなく親しきものに思したりしを、朝廷にも重き御おぼえにて、いかめしき御願ども多く立てて、世にかしこき聖なりける、年七十ばかりにて、今は終りの行なひをせむとて籠もりたるが、 宮の御事によりて出でたるを、内裏より召しありて、常にさぶらはせたまふ。
 ご法事なども終わって、諸々の事柄も落ち着いて、帝、何となく心細くお思いであった。この入道の宮の母后の御代から伝わって、代々のご祈祷の僧としてお仕えしてきた僧都、故宮におかれてもたいそう尊敬なさって信頼していらっしゃったが、帝におかせられても御信任厚くて、重大な御勅願をいくつもお立てになって、実にすぐれた僧侶であったが、年は七十歳ほどで、今は自分の後生を願うための勤行をしようと思って籠もっていたのだが、宮の御事のために出て来ていたのを、宮中からお召しがあって、いつも伺候させてお置きになる。
 御葬儀に付帯したことの皆終わったころになってかえって帝はお心細く思召おぼしめした。女院の御母后の時代から祈りの僧としてお仕えしていて、女院も非常に御尊敬あそばされ、御信頼あそばされた人で、朝廷からも重い待遇を受けて、大きな御祈願がこの人の手で多く行なわれたこともある僧都そうずがあった。年は七十くらいである。もう最後の行をするといって山にこもっていたが僧都は女院の崩御によって京へ出て来た。宮中から御召しがあって、しばしば御所へ出仕していたが、
  Mi-waza nado mo sugi te, koto-domo sidumari te, Mikado, mono-kokorobosoku obosi tari. Kono Nihudau-no-Miya no ohom-haha-Gisaki no miyo yori tutahari te, tugitugi no ohom-inori no si nite saburahi keru Soudu, ko-Miya ni mo ito yamgotonaku sitasiki mono ni obosi tari si wo, Ohoyake ni mo omoki ohom-oboye nite, ikamesiki ohom-gwan-domo ohoku tate te, yo ni kasikoki hiziri nari keru, tosi sitizihu bakari nite, ima ha wohari no okonahi wo se m tote komori taru ga, Miya no ohom-koto ni yori te ide taru wo, Uti yori mesi ari te, tune ni saburaha se tamahu.
4.1.2  このごろは、なほもとのごとく参りさぶらはるべきよし、大臣も勧めのたまへば、
 これからは、やはり以前同様に参内してお仕えするように、大臣もお勧めおっしゃるなるので、
近ごろはまた以前のように君側くんそくのお勤めをするようにと源氏から勧められて、
  Konogoro ha, naho moto no gotoku mawiri saburaharu beki yosi, Otodo mo susume notamahe ba,
4.1.3  「 今は、夜居など、いと堪へがたうおぼえはべれど、仰せ言のかしこきにより、 古き心ざしを添へて
 「今では、夜居のお勤めなどは、とても堪えがたく思われますが、お言葉の恐れ多いのによって、昔からのご厚志に感謝を込めて」
 「もう夜居よいなどはこの健康でお勤めする自信はありませんが、もったいない仰せでもございますし、おかくれになりました女院様への御奉公になることと思いますから」
  "Ima ha, yowi nado, ito tahe gatau oboye habere do, ohosegoto no kasikoki ni yori, huruki kokorozasi wo sohe te."
4.1.4  とて、さぶらふに、静かなる暁に、人も近くさぶらはず、あるはまかでなどしぬるほどに、古代にうちしはぶきつつ、世の中のことども奏したまふついでに、
 と言って、お仕えしたが、静かな暁に、誰もお側近くにいないで、ある人は里に退出などしていた折に、老人っぽく咳をしながら、世の中の事どもを奏上なさるついでに、
 と言いながら夜居の僧として帝に侍していた。静かな夜明けにだれもおそばに人がいず、いた人は皆退出してしまった時であった。僧都は昔風にせき払いをしながら、世の中のお話を申し上げていたが、その続きに、
  tote, saburahu ni, siduka naru akatuki ni, hito mo tikaku saburaha zu, aru ha makade nado si nuru hodo ni, kotai ni uti-sihabuki tutu, yononaka no koto-domo sousi tamahu tuide ni,
4.1.5  「 いと奏しがたくかへりては罪にもやまかり当たらむと思ひたまへ憚る方多かれど、 知ろし召さぬに、罪重くて天眼恐ろしく思ひたまへらるることを、心にむせびはべりつつ、命終りはべりなば、 何の益かははべらむ。仏も 心ぎたなしとや思し召さむ」
 「まことに申し上げにくく、申し上げたらかえって罪に当たろうかと憚り存じられることが多いのですが、御存じでないために、罪が重くて、天眼が恐ろしく存じられますことを、心中に嘆きながら、寿命が終わってしまいましたならば、何の益がございましょうか。仏も不正直なとお思いになるでしょう」
 「まことに申し上げにくいことでございまして、かえってそのことが罪を作りますことになるかもしれませんから、躊躇ちゅうちょはいたされますが、陛下がご存じにならないでは相当な大きな罪をお得になることでございますから、天の目の恐ろしさを思いまして、私は苦しみながらくなりますれば、やはり陛下のおためにはならないばかりでなく、仏様からも卑怯ひきょう者としてお憎しみを受けると思いまして」
  "Ito sousi gataku, kaherite ha tumi ni mo ya makari atara m to omohi tamahe habakaru kata ohokare do, sirosimesa nu ni, tumi omoku te, tengen osorosiku omohi tamahe raruru koto wo, kokoro ni musebi haberi tutu, inoti wohari haberi na ba, nani no yaku kaha habera m? Hotoke mo kokorogitanasi to ya obosimesa m."
4.1.6  とばかり奏しさして、えうち出でぬことあり。
 とだけ申し上げかけて、それ以上言えないことがある。
 こんなことを言い出した。しかもすぐにはあとを言わずにいるのである。
  to bakari sousi sasi te, e uti-ide nu koto ari.
注釈146御わざなども過ぎて四十九日忌までの七日ごとの法事。4.1.1
注釈147宮の御事藤壺の病気平癒の祈祷。4.1.1
注釈148今は夜居など以下「心ざしに添へて」まで、僧都の返事。応諾。4.1.3
注釈149古き心ざしを添へて『集成』は「昔からご奉仕してまいりました志も取り添えまして(お勤めいたしましょう)」。『完訳』は「昔から代々のご恩顧にお報いする気持をこめて」と訳す。4.1.3
注釈150いと奏しがたく以下「思し召さむ」まで、僧都の詞。4.1.5
注釈151かへりては罪にもやまかり当たらむと『集成』は「かえって罪科に当りもいたしましょうかと」。『完訳』は「お話し申してはかえって仏罰をもこうむることになろうかと」と訳す。4.1.5
注釈152知ろし召さぬに罪重くて『集成』は「ご存じでいらせられぬと」「拙僧の罪も重くて。帝が、源氏が実の父であることをご存じなく、源氏に対して父としての礼を尽しておられぬために天変も起っている。真相を知る自分が、帝にそのことをお知らせしない罪は重い、という」。『完訳』は「僧都が告げないので帝が真実を知らぬための、僧都の罪。一説には、真実を知らぬ帝自身の罪」と注す。4.1.5
注釈153天眼恐ろしく大島本は「天けん(△△△&けん)」とある。すなわち元の本文(判読不明)を擦り消して「けん」と重ね書きする。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「天の眼(まなこ)」と校訂する。『新大系』は「「天眼」は、遠近や昼夜などの区別なく物事を見通す力。青表紙他本多く「天の眼(まなこ)」は「天眼」の和語。このあたり、帝の出生の秘密に関する」と注す。4.1.5
注釈154何の益かははべらむ反語表現。何の益がございましょうか、まった無益なことになりましょう、の意。4.1.5
注釈155心ぎたなし『集成』は「未練がましい」。『完訳』は「不正直な」と訳す。4.1.5
4.2
第二段 冷泉帝、出生の秘密を知る


4-2  Reizei knows that his father is Genji

4.2.1  主上、「 何事ならむ。この世に恨み残るべく思ふことやあらむ。法師は、聖といへども、あるまじき横様の嫉み深く、うたてあるものを」と思して、
 帝は、「何事だろう。この世に執着の残るよう思うことがあるのだろうか。法師は、聖僧といっても、道に外れた嫉妬心が深くて、困ったものだから」とお思いになって、
 帝は何のことであろう、今日もまだ意志の通らぬことがあって、それの解決を見た上でなければ清い往生のできぬような不安があるのかもしれない。僧というものは俗を離れた世界に住みながら嫉妬しっと排擠はいせいが多くてうるさいものだそうであるからと思召して、
  Uhe, "Nanigoto nara m? Konoyo ni urami nokoru beku omohu koto ya ara m? Hohusi ha, hiziri to ihedomo, aru maziki yokozama no sonemi hukaku, utate aru mono wo." to obosi te,
4.2.2  「 いはけなかりし時より 、隔て思ふことなきを、そこには、かく忍び残されたることありけるをなむ、つらく思ひぬる」
 「幼かった時から、隔てなく思っていたのに、そなたには、そのように隠してこられたことがあったとは、つらく思いますぞ」
 「私は子供の時から続いてあなたを最も親しい者として信用しているのであるが、あなたのほうには私に言えないことを持っているような隔てがあったのかと思うと少し恨めしい」
  "Ihakenakari si toki yori, hedate omohu koto naki wo, soko ni ha, kaku sinobi nokosa re taru koto ari keru wo nam, turaku omohi nuru."
4.2.3  とのたまはすれば、
 と仰せになると、
 と仰せられた。
  to notamahasure ba,
4.2.4  「 あなかしこさらに、仏の諌め守りたまふ真言の深き道をだに、隠しとどむることなく広め仕うまつりはべり。まして、心に隈あること、何ごとにかはべらむ。
 「ああ恐れ多い。少しも、仏の禁じて秘密になさる真言の深い道でさえ、隠しとどめることなくご伝授申し上げております。まして、心に隠していることは、何がございましょうか。
 「もったいない。私は仏様がお禁じになりました真言秘密の法も陛下には御伝授申し上げました。私個人のことで申し上げにくいことが何ございましょう。
  "Ana kasiko! Sarani, Hotoke no isame mamori tamahu Singon no hukaki miti wo dani, kakusi todomuru koto naku hirome tukaumaturi haberi. Masite, kokoro ni kuma aru koto, nanigoto ni ka habera m?
4.2.5  これは来し方行く先の大事とはべることを、過ぎおはしましにし院、后の宮、ただ今世をまつりごちたまふ大臣の御ため、 すべて、かへりてよからぬ事にや漏り出ではべらむ。かかる老法師の身には、たとひ愁へはべりとも、何の悔かはべらむ。 仏天の告げあるによりて奏しはべるなり。
 これは、過去来世にわたる重大事でございますが、お隠れあそばしました院、后の宮、現在政治をお執りになっている大臣の御ために、すべて、かえってよくないこととして漏れ出すことがありはしまいか。このような老法師の身には、たとい災いがありましょうとも、何の悔いもありません。仏天のお告げがあることによって申し上げるのでございます。
 この話は過去未来に広く関聯かんれんしたことでございましておかくれになりました院、女院様、現在国務をお預かりになる内大臣のおためにもかえって悪い影響をお与えすることになるかもしれません。老いた僧の身の私はどんな難儀になりましても後悔などはいたしません。仏様からこの告白はお勧めを受けてすることでございます。
  Kore ha kisikata yukusaki no daizi to haberu koto wo, sugi ohasimasi ni si Win, Kisai-no-Miya, tada ima yo wo maturigoti tamahu Otodo no ohom-tame, subete, kaheri te yokara nu koto ni ya mori ide habera m? Kakaru oyihohusi no mi ni ha, tatohi urehe haberi tomo, nani no kuyi ka habera m? Bututen no tuge aru ni yori te sousi haberu nari.
4.2.6  わが君はらまれおはしましたりし時より、 故宮の深く思し嘆くことありて、 御祈り仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし詳しくは法師の心にえ悟りはべらず。事の違ひめありて、大臣横様の罪に当たりたまひし時、いよいよ懼ぢ思し召して、重ねて御祈り ども承はりはべりしを、大臣も聞こし召してなむ、またさらに言加へ仰せられて、御位に即きおはしまししまで仕うまつることどもはべりし。
 わが君がご胎内にいらっしゃった時から、故宮には深くご悲嘆なられることがあって、ご祈祷をおさせになる仔細がございました。詳しいことは法師の心には理解できません。思いがけない事件が起こって、大臣が無実の罪に当たりなさった時、ますます恐ろしくお思いあそばされて、重ねてご祈祷を承りましたが、大臣もご理解あそばして、またさらにご祈祷を仰せつけになって、御即位あそばした時までお勤め申した事がございました。
 陛下がおはらまれになりました時から、故宮はたいへんな御心配をなさいまして、私に御委託あそばしたある祈祷きとうがございました。くわしいことは世捨て人の私に想像ができませんでございました。大臣おとどが一時失脚をなさいまして難儀においになりましたころ宮の御恐怖は非常なものでございまして、重ねてまたお祈りを私へ仰せつけになりました。大臣おとどがそれをお聞きになりますと、また御自身のほうからも同じ御祈祷をさらに増してするようにと御下命がございまして、それは御位におきあそばすまで続けました祈祷でございました。
  Waga Kimi harama re ohasimasi tari si toki yori, ko-Miya no hukaku obosi nageku koto ari te, ohom-inori tukaumatura se tamahu yuwe nam haberi si. Kuhasiku ha hohusi no kokoro ni e satori habera zu. Koto no tagahime ari te, Otodo yokosama no tumi ni atari tamahi si toki, iyoiyo odi obosimesi te, kasane te ohom-inori-domo uketamahari haberi si wo, Otodo mo kikosimesi te nam, mata sarani koto kuhahe ohose rare te, ohom-kurawi ni tuki ohasimasi si made tukaumaturu koto-domo haberi si.
4.2.7   その承りしさま
 その承りましたご祈祷の内容は」
 そのお祈りの主旨はこうでございました」
  Sono uketamahari si sama."
4.2.8  とて、詳しく奏するを聞こし召すに、 あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざまに御心乱れたり
 と言って、詳しく奏上するのをお聞きあそばすと、驚くほどめったにないことで、恐ろしくも悲しくも、さまざまにお心がお乱れになった。
 と言って、くわしく僧都の奏上するところを聞こし召して、お驚きになった帝の御心みこころは恥ずかしさと、恐しさと、悲しさとの入り乱れて名状しがたいものであった。
  tote, kuhasiku sousuru wo kikosimesu ni, asamasiu meduraka ni te, osorosiu mo kanasiu mo, samazama ni mi-kokoro midare tari.
4.2.9  とばかり、御応へもなければ、僧都、「 進み奏しつるを便なく思し召すにや」と、わづらはしく思ひて、やをらかしこまりてまかづるを、召し止めて、
 しばらくの間、返事もないので、僧都、「進んで奏上したのを不都合にお思いになったのだろうか」と、困ったことに思って、静かに恐縮して退出するのを、お呼び止めになって、
 何とも仰せがないので、僧都は進んで秘密をお知らせ申し上げたことを御不快に思召すのかと恐懼きょうくして、そっと退出しようとしたのを、帝はおとどめになった。
  Tobakari, ohom-irahe mo nakere ba, Soudu, "Susumi sousi turu wo binnaku obosimesu ni ya" to, wadurahasiku omohi te, yawora kasikomari te makaduru wo, mesi todome te,
4.2.10  「 心に知らで過ぎなましかば、後の世までの咎めあるべかりけることを、今まで忍び籠められたりけるをなむ、 かへりてはうしろめたき心なりと思ひぬる。またこの事を知りて漏らし伝ふる たぐひやあらむ」
 「知らずに過ぎてしまったならば、来世までも罪があるに違いなかったことを、今まで隠しておられたのを、かえって安心のならない人だと思った。またこの事を知っていて誰かに漏らすような人はいるだろうか」
 「それを自分が知らないままで済んだなら後世ごせまでも罪を負って行かなければならなかったと思う。今まで言ってくれなかったことを私はむしろあなたに信用がなかったのかと恨めしく思う。そのことをほかにも知った者があるだろうか」
  "Kokoro ni sira de sugi na masika ba, noti no yo made no togame aru bekari keru koto wo, ima made sinobi kome rare tari keru wo nam, kaherite ha usirometaki kokoro nari to omohi nuru. Mata kono koto wo siri te morasi tutahuru taguhi ya ara m?"
4.2.11  とのたまはす。
 と仰せになる。
 と仰せられる。
  to notamahasu.
4.2.12  「 さらに、なにがしと王命婦とより他の人、この事のけしき見たるはべらず。 さるによりなむ、いと恐ろしうはべる。天変しきりにさとし、世の中静かならぬは、このけなり。いときなく、ものの心知ろし召すまじかりつるほどこそはべりつれ、やうやう御齢足りおはしまして、何事もわきまへさせたまふべき時に至りて、咎をも示すなり。 よろづのこと、親の御世より始まるにこそはべるなれ。何の罪とも知ろし召さぬが恐ろしきにより、思ひたまへ消ちてしことを、さらに心より出しはべりぬること」
 「いえまったく、拙僧と王命婦以外の人は、この事の様子を知っている者はございません。それだから、実に恐ろしいのでございます。天変地異がしきりに現れ、世の中が平穏でないのは、このせいです。御幼少で、物の道理を御分別おできになれなかった間はよろしうございましたが、だんだんと御年齢が加わっていらっしゃいまして、何事も御分別あそばせるころになったので、咎を示すのです。万事、親の御代より始まるもののようでございます。何の罪とも御存知あそばさないのが恐ろしいので、忘れ去ろうとしていたことを、あえて申し上げた次第です」
 「決してございません。私と王命婦おうみょうぶ以外にこの秘密をうかがい知った者はございません。その隠れた事実のために恐ろしい天のさとしがしきりにあるのでございます。世間に何となく不安な気分のございますのもこのためなのでございます。御幼年で何のおわきまえもおありあそばさないころは天もとがめないのでございますが、大人におなりあそばされた今日になって天が怒りを示すのでございます。すべてのことは御両親の御代みよから始められなければなりません。何の罪ともしろし召さないことが恐ろしゅうございますから、いったん忘却の中へ追ったことを私はまた取り出して申し上げました」
  "Sarani, nanigasi to Wau-Myaubu to yori hoka no hito, kono koto no kesiki mi taru habera zu. Saru ni yori nam, ito osorosiu haberu. Tenben sikiri ni satosi, yononaka siduka nara nu ha, kono ke nari. Itokinaku, mono no kokoro sirosimesu mazikari turu hodo koso haberi ture, yauyau ohom-yohahi tari ohasimasi te, nanigoto mo wakimahe sase tamahu beki toki ni itari te, toga wo mo simesu nari. Yorodu no koto, oya no mi-yo yori hazimaru ni koso haberu nare. Nani no tumi to mo sirosimesa nu ga osorosiki ni yori, omohi tamahe keti te si koto wo, sarani kokoro yori idasi haberi nuru koto."
4.2.13  と、泣く泣く聞こゆるほどに、 明け果てぬれば、まかでぬ
 と、泣く泣く申し上げるうちに、夜がすっかり明けてしまったので、退出した。
 泣く泣く僧都の語るうちに朝が来たので退出してしまった。
  to, nakunaku kikoyuru hodo ni, ake hate nure ba, makade nu.
4.2.14   主上は、夢のやうにいみじきことを聞かせたまひて、いろいろに思し乱れさせたまふ。
 主上は、夢のような心地で重大な事をお聞きあそばして、さまざまにお思い乱れなさる。
 みかどは隠れた事実を夢のようにお聞きになって、いろいろと御煩悶はんもんをあそばされた。
  Uhe ha, yume no yau ni imiziki koto wo kika se tamahi te, iroiro ni obosi midare sase tamahu.
4.2.15  「 故院の御ためもうしろめたく、大臣のかくただ人にて世に仕へたまふも、あはれにかたじけなかりける事」
 「故院の御為にもお気がとがめ、大臣がこのように臣下として朝廷に仕えていらっしゃるのも、もったいないこと」
 故院のためにも済まないこととお思われになったし、源氏が父君でありながら自分の臣下となっているということももったいなく思召された。
  "Ko-Win no ohom-tame mo usirometaku, Otodo no kaku tadaudo nite yo ni tukahe tamahu mo, ahare ni katazikenakari keru koto."
4.2.16  かたがた思し悩みて、日たくるまで 出でさせたまはねば、「かくなむ」と聞きたまひて、大臣も驚きて参りたまへるを、御覧ずるにつけても、いとど忍びがたく思し召されて、御涙のこぼれさせたまひぬるを、
 あれこれと御煩悶なさって、日が高くなるまでお出ましにならないので、「これこれしかじかである」とお聞きになって、大臣も驚いて参内なさったのを、お目にかかりあそばすにつけても、ますます堪えがたくお思いになって、お涙がこぼれあそばしたのを、
 お胸が苦しくて朝の時が進んでも御寝室をお離れにならないのを、こうこうとしらせがあって源氏の大臣が驚いて参内した。お出ましになって源氏の顔を御覧になるといっそう忍びがたくおなりあそばされた。帝は御落涙になった。
  Katagata obosi-nayami te, hi takuru made ide sase tamaha ne ba, "Kaku nam." to kiki tamahi te, Otodo mo odoroki te mawiri tamahe ru wo, goranzuru ni tuke te mo, itodo sinobi gataku obosimesa re te, ohom-namida no kobore sase tamahi nuru wo,
4.2.17  「 おほかた故宮の御事を、干る世なく思し召したるころなればなめり」
 「おおかた故母宮の御事を、涙の乾く間もなくお悲しみになっているころだからなのだろう」
 源氏は女院をお慕いあそばされる御親子の情から、夜も昼もお悲しいのであろう
  "Ohokata ko-Miya no ohom-koto wo, hiru yo naku obosimesi taru koro nare ba na' meri."
4.2.18  と見たてまつりたまふ。
 と拝し上げなさる。
 と拝見した、
  to mi tatematuri tamahu.
注釈156何事ならむ以下「うたてあるものを」まで、帝の心中。4.2.1
注釈157いはけなかりし時より以下「つらく思ひぬる」まで、帝の詞。4.2.2
注釈158あなかしこ以下「その承りしさま」まで、僧都の詞。4.2.4
注釈159さらに「隠しとどむることなく」に係る。4.2.4
注釈160すべてかへりてよからぬ事にや漏り出ではべらむ『集成』は「(このまにしておきますと)かえってお為にならぬこととして世間に取り沙汰される恐れもございましょう」。『完訳』は「このまま内密にしておきますと、世間に取り沙汰されて、すべてかえってよからぬ結果となりはしないでしょうか」と訳す。4.2.5
注釈161仏天の告げあるによりて『集成』は「仏と天部の諸神(仏法の守護神)」。『完訳』は「「仏天」は仏の尊称。一説には仏と天。この「仏天の告げ」は「天変のさとし」とは別途の啓示」と注す。4.2.5
注釈162故宮の深く大島本は「故宮の」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「故宮」と「の」を削除する。4.2.6
注釈163御祈り仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし『完訳』は「秘事露顕を防ぎ、源氏の思慕を抑えさせるための祈祷であろう」と注す。4.2.6
注釈164詳しくは法師の心にえ悟りはべらず男女関係の問題であることをほのめかす。4.2.6
注釈165その承りしさま『完訳』は「以下、僧都の詳述を略す筆法」と注す。4.2.7
注釈166あさましうめづらかにて恐ろしうも悲しうもさまざまに御心乱れたり『集成』は「思いもかけぬ驚くべきことで。実の父が源氏であることをはじめてご承知になった気持」と注す。4.2.8
注釈167進み奏しつるを便なく思し召すにや僧都の心中。4.2.9
注釈168心に知らで過ぎなましかば以下「たぐひやあらむ」まで、帝の詞。4.2.10
注釈169かへりてはうしろめたき大島本は「かへりてハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かへりて」と「は」を削除する。4.2.10
注釈170さらになにがしと王命婦とより他の人以下「心より出しはべりぬること」まで、僧都の詞。「さらに」は「はべらず」に係る。4.2.12
注釈171さるによりなむいと恐ろしうはべる『集成』は「それだからこそ、大層恐ろしく存じられます。誰も知る者のない秘密だからこそ仏天の照覧が恐ろしい、の意」。『完訳』は「真相を知らせなかったら、天変が続き帝に天譴が下るだろう、それが恐ろしい」と注す。4.2.12
注釈172よろづのこと親の御世より始まるにこそはべるなれ「こそ」「なれ」伝聞推定の助動詞。万事親の因果が子に出現するという仏教思想。4.2.12
注釈173明け果てぬればまかでぬ夜が明けて僧都退出。4.2.13
注釈174主上は、夢のやうに僧都退出後の帝、苦悩煩悶する。翌日の物語。4.2.14
注釈175故院の御ためも以下「かたじけなかりける事」まで、帝の心中。4.2.15
注釈176出でさせたまはねば夜の御殿から。4.2.16
注釈177おほかた以下「ころなればなめり」まで、源氏の心中。4.2.17
校訂21 いはけなかり いはけなかり--いは(は/$は<朱>)けなかり 4.2.2
校訂22 ども ども--とん(ん/$も<朱>) 4.2.6
校訂23 たぐひや たぐひや--たくひ(ひ/+や) 4.2.10
4.3
第三段 帝、譲位の考えを漏らす


4-3  Reizei drops a hint to hand over the throne and to retire

4.3.1   その日、式部卿の親王亡せたまひぬるよし奏するに、いよいよ世の中の騒がしきことを嘆き思したり。かかる ころなれば、大臣は里にもえまかでたまはで、つとさぶらひたまふ。
 その日、式部卿の親王がお亡くなりになった旨を奏上するので、ますます世の中の穏やかならざることをお嘆きになった。このような状況なので、大臣は里にもご退出になることができず、付ききりでいらっしゃる。
 その日に式部卿しきぶきょう親王の薨去が奏上された。いよいよ天の示しが急になったというように帝はお感じになったのであった。こんなころであったからこの日は源氏も自邸へ退出せずにずっとおそばに侍していた。
  Sono hi, Sikibukyau-no-Miko use tamahi nuru yosi sousuru ni, iyoiyo yononaka no sawagasiki koto wo nageki obosi tari. Kakaru koro nare ba, Otodo ha sato ni mo e makade tamaha de, tuto saburahi tamahu.
4.3.2  しめやかなる御物語のついでに、
 しんみりとしたお話のついでに、
 しんみりとしたお話の中で、
  Simeyaka naru ohom-monogatari no tuide ni,
4.3.3  「 世は尽きぬるにやあらむ。もの心細く例ならぬ心地なむするを、天の下もかくのどかならぬに、よろづあわたたしくなむ。故宮の思さむところによりてこそ、 世間のことも思ひ憚りつれ、今は心やすきさまにても過ぐさまほしくなむ」
 「わが寿命は終わってしまうのであろうか。何となく心細くいつもと違った心地がします上に、世の中もこのように穏やかでないので、万事落ち着かない気がします。故宮がご心配なさるからと思って、帝位のことも遠慮しておりましたが、今では安楽な状態で世を過ごしたく思っています」
 「もう世の終わりが来たのではないだろうか。私は心細くてならないし、天下の人心もこんなふうに不安になっている時だから私はこの地位に落ち着いていられない。女院がどう思召すかと御遠慮をしていて、位を退くことなどは言い出せなかったのであるが、私はもう位を譲って責任の軽い身の上になりたく思う」
  "Yo ha tuki nuru ni ya ara m? Mono-kokorobosoku rei nara nu kokoti nam suru wo, amenosita mo kaku nodoka nara nu ni, yorodu awatatasiku nam. Ko-Miya no obosa m tokoro ni yori te koso, seken no koto mo omohi habakari ture, ima ha kokoroyasuki sama nite mo sugusa mahosiku nam."
4.3.4  と語らひきこえたまふ。
 と御相談申し上げなさる。
 こんなことを帝は仰せられた。
  to katarahi kikoye tamahu.
4.3.5  「 いとあるまじき御ことなり。世の静かならぬことは、かならず政事の直く、ゆがめるにもよりはべらず。さかしき世にしもなむ、よからぬことどももはべりける。 聖の帝の世にも、横様の乱れ出で来ること、唐土にもはべりける。わが国にもさなむはべる。まして、ことわりの齢 どもの、時至りぬるを、思し嘆くべきことにもはべらず」
 「まったくとんでもないお考えです。世の中が静かでないことは、必ずしも政道が真っ直ぐ、また曲がっていることによるのではございません。すぐれた世でも、よくないことどもはございました。聖の帝の御世にも、横ざまの乱れが出てきたこと、唐土にもございました。わが国でもそうでございます。まして、当然の年齢の方々が寿命の至るのも、お嘆きになることではございません」
 「それはあるまじいことでございます。死人が多くて人心が恐怖状態になっておりますことは、必ずしも政治の正しいのと正しくないのとによることではございません。聖主の御代みよにも天変と地上の乱のございますことは支那しなにもございました。ここにもあったのでございます。まして老人たちの天命が終わってくなってまいりますことは大御心おおみこころにおかけあそばすことではございません」
  "Ito aru maziki ohom-koto nari. Yo no siduka nara nu koto ha, kanarazu maturigoto no nahoku, yugame ru ni mo yori habera zu. Sakasiki yo ni simo nam, yokara nu koto-domo mo haberi keru. Hiziri no mikado no yo ni mo, yokosama no midare idekuru koto, Morokosi ni mo haberi keru. Waga kuni ni mo sa nam haberu. Masite, kotowari no yohahi-domo no, toki itari nuru wo, obosi-nageku beki koto ni mo habera zu."
4.3.6  など、すべて多くのことどもを聞こえたまふ。 片端まねぶも、いとかたはらいたしや
 などと、なにかにつけたくさんのことがらを申し上げなさる。その一部分を語り伝えるのも、とても気がひける。
 などと源氏は言って、譲位のことを仰せられた帝をおいさめしていた。問題が間題であるからむずかしい文字は省略する。
  nado, subete ohoku no koto-domo wo kikoye tamahu. Katahasi manebu mo, ito kataharaitasi ya!
4.3.7  常よりも黒き御装ひに、やつしたまへる御容貌、違ふところなし。主上も、年ごろ御鏡にも、思しよることなれど、聞こし召ししことの後は、またこまかに見たてまつり たまひつつ、ことに いとあはれに思し召さるれば、「 いかで、このことをかすめ聞こえばや」と思せど、さすがに、 はしたなくも思しぬべきことなれば、若き御心地につつましくて、 ふともえうち出できこえたまはぬほどは、ただおほかたのことどもを、常よりことになつかしう聞こえさせたまふ。
 いつもより黒いお召し物で、喪に服していらっしゃるご容貌、違うところがない。主上も、いく年もお鏡を御覧になるにつけ、お気づきなっていることであるが、お聞きあそばしたことの後は、またしげしげとお顔を御覧になりながら、格別にいっそうしみじみとお思いなされるので、「何とかして、このことをちらっと申し上げたい」とお思いになるが、何といってもやはり、きまりが悪くお思いになるに違いないことなので、お若い心地から遠慮されて、すぐにお話申し上げられないあいだは、世間一般の話をいつもより特に親密にお話し申し上げあそばす。
 じみな黒い喪服姿の源氏の顔と竜顔りゅうがんとは常よりもなおいっそうよく似てほとんど同じもののように見えた。帝も以前から鏡にうつるお顔で源氏に似たことは知っておいでになるのであるが、僧都の話をお聞きになった今はしみじみとその顔に御目が注がれて熱い御愛情のお心にわくのをお覚えになる帝は、どうかして源氏にそのことを語りたいと思召すのであったが、さすがに御言葉にはあそばしにくいことであったから、お若い帝は羞恥しゅうちをお感じになってお言い出しにならなかった。
  Tune yori mo kuroki ohom-yosohi ni, yatusi tamahe ru ohom-katati, tagahu tokoro nasi. Uhe mo, tosigoro ohom-kagami ni mo, obosi-yoru koto nare do, kikosimesi si koto no noti ha, mata komaka ni mi tatematuri tamahi tutu, koto ni ito ahare ni obosimesa rure ba, "Ikade, kono koto wo kasume kikoye baya!" to obose do, sasuga ni, hasitanaku mo obosi nu beki koto nare ba, wakaki mi-kokoti ni tutumasiku te, huto mo e uti-ide kikoye tamaha nu hodo ha, tada ohokata no koto-domo wo, tune yori koto ni natukasiu kikoye sase tamahu.
4.3.8  うちかしこまりたまへるさまにて、いと御けしきことなるを、かしこき人の御目には、あやしと見たてまつりたまへど、いとかく、さださだと聞こし召したらむとは思さざりけり。
 慇懃にかしこまっていらっしゃるご態度で、とても御様子が違っているのを、すぐれた人のお眼には、妙だと拝し上げなさったが、とてもこのように、はっきりとお聞きあそばしたとはお思いもよりなさらなかったのであった。
 そんな間帝はただの話も常よりはなつかしいふうにお語りになり、敬意をお見せになったりもあそばして、以前とは変わった御様子がうかがわれるのを、聡明そうめいな源氏は、不思議な現象であると思ったが、僧都がお話し申し上げたほど明確に秘密を帝がお知りになったとは想像しなかった。
  Uti-kasikomari tamahe ru sama nite, ito mi-kesiki koto naru wo, kasikoki hito no ohom-me ni ha, ayasi to mi tatematuri tamahe do, ito kaku, sadasada to kikosimesi tara m to ha obosa zari keri.
注釈178その日式部卿の親王亡せたまひぬるよし奏するに桐壺帝の弟宮、桃園式部卿宮、朝顔斎院の父宮。4.3.1
注釈179世は尽きぬるにやあらむ以下「過ぐさまほしくなむ」まで、帝の詞。譲位したい希望を述べる。4.3.3
注釈180世間のことも思ひ憚りつれ『新大系』「「世間の事」は、自分が帝位にあることをいう。「心やすきさま」は、譲位後の安寧な生活をさす」と注す。「こそ」「つれ」已然形、係結び。逆接用法。4.3.3
注釈181いとあるまじき御ことなり以下「思し嘆くべきことにもはべらず」まで、源氏の詞。強く諌止する。4.3.5
注釈182聖の帝の世にも大島本は「世にも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「世に」と「も」を削除する。4.3.5
注釈183片端まねぶもいとかたはらいたしや『集成』は「その一端をお話しするのも、とても気のひけることです。政道に関することへの言及を女として憚る草子地」と注す。4.3.6
注釈184いとあはれに思し召さるれば大島本は「いと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いとど」と校訂する。4.3.7
注釈185いかでこのことをかすめ聞こえばや冷泉帝の心中。出生の秘密を知ったことを源氏に。4.3.7
注釈186はしたなくも思しぬべきこと主語は源氏。4.3.7
校訂24 ころ ころ--こゝ(ゝ/#)ろ 4.3.1
校訂25 ども ども--とん(ん/$も<朱>) 4.3.5
校訂26 たまひつつ たまひつつ--*給ふつゝ 4.3.7
校訂27 ふとも ふとも--ふとん(ん/$も<朱>) 4.3.7
4.4
第四段 帝、源氏への譲位を思う


4-4  Reizei thinks to hand over the throne to Genji

4.4.1  主上は、王命婦に詳しきことは、問はまほしう思し召せど、
 主上は、王命婦に詳しいことは、お尋ねになりたくお思いになったが、
 帝は王命婦おうみょうぶにくわしいことを尋ねたく思召したが、
  Uhe ha, Wau-Myaubu ni kuhasiki koto ha, toha mahosiu obosimese do,
4.4.2  「 今さらに、しか忍びたまひけむこと知りにけりと、 かの人にも思はれじ。ただ、大臣にいかでほのめかし問ひきこえて、先々のかかる事の例はありけりやと 問ひ聞かむ
 「今さら、そのようにお隠しになっていらっしゃったことを知ってしまったと、あの人にも思われまい。ただ、大臣に何とかそれとなくお尋ね申し上げて、昔にもこのような例はあったろうかと聞いてみたい」
 今になって女院が秘密を秘密とすることに苦心されたことを、自分が知ったことは命婦にも思われたくない、ただ大臣にだけほのめかして、歴史の上にこうした例があるということを聞きたい
  "Imasara ni, sika sinobi tamahi kem koto siri ni keri to, kano hito ni mo omoha re zi. Tada, Otodo ni ikade honomekasi tohi kikoye te, sakizaki no kakaru koto no rei ha ari keri ya to tohi kika m."
4.4.3  とぞ思せど、さらについでもなければ、いよいよ御学問をせさせたまひつつ、さまざまの書 どもを御覧ずるに、
 とお思いになるが、まったくその機会もないので、ますます御学問をあそばしては、さまざまの書籍を御覧になるのだが、
 と思召されるのであったが、そうしたお話をあそばす機会がお見つかりにならないためにいよいよ御学問に没頭あそばされて、いろいろの書物を御覧になったが、
  to zo obose do, sarani tuide mo nakere ba, iyoiyo ohom-gakumon wo se sase tamahi tutu, samazama no humi-domo wo goranzuru ni,
4.4.4  「 唐土には、現はれても忍びても、乱りがはしき事いと多かりけり。日本には、さらに御覧じ得るところなし。たとひあらむにても、かやうに忍びたらむことをば、 いかでか伝へ知るやうのあらむとする。一世の源氏、また納言、大臣になりて後に、さらに親王にもなり、 位にも即きたまひつるもあまたの例ありけり人柄のかしこきにことよせて、さもや譲りきこえまし
 「唐土には、公然となったのもまた内密のも、血統の乱れている例がとても多くあった。日本には、まったく御覧になっても見つからない。たといあったとしても、このように内密のことを、どうして伝え知る方法があるというのか。一世の源氏、また納言、大臣となって後に、さらに親王にもなり、皇位にもおつきになったのも、多数の例があったのであった。人柄のすぐれたことにかこつけて、そのようにお譲り申し上げようか」
支那にはそうした事実が公然認められている天子も、隠れた事実として伝記に書かれてある天子も多かったが、この国の書物からはさらにこれにあたる例を御発見あそばすことはできなかった。皇子の源氏になった人が納言になり、大臣になり、さらに親王になり、即位される例は幾つもあった。りっぱな人格を尊敬することに託して、自分は源氏に位を譲ろうかとも思召すのであった。
  "Morokosi ni ha, arahare te mo sinobi te mo, midarigahasiki koto ito ohokari keri. Hinomoto ni ha, sarani goranzi uru tokoro nasi. Tatohi ara m nite mo, kayau ni sinobi tara m koto wo ba, ikadeka tutahe siru yau no ara m to suru. Iti'se-no-Genzi, mata nahugon, daizin ni nari te noti ni, sara ni miko ni mo nari, kurawi ni mo tuki tamahi turu mo, amata no rei ari keri. Hitogara no kasikoki ni kotoyose te, samoya yuduri kikoye masi."
4.4.5  など、よろづにぞ思しける。
 などと、いろいろお考えになったのであった。

  nado, yorodu ni zo obosi keru.
注釈187今さらに以下「問ひ聞かむ」まで、帝の心中。4.4.2
注釈188かの人王命婦をさす。4.4.2
注釈189問ひ聞かむ--とぞ思せど大島本は「(+とひ<朱>)きかむと」とある。すなわち朱筆で「とひ」を補入する。『集成』『新大系』は底本の補入に従う。『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「聞かむ」と校訂する。4.4.2
注釈190唐土には現はれても忍びても以下「さもや譲りきこえまし」まで、帝の心中。『集成』は「公然のこととしても秘密のことでも」。『完訳』は「表沙汰になったのにしても、内密のものにしても」と訳す。4.4.4
注釈191いかでか伝へ知るやうのあらむ反語表現。『集成』は「どうして後世の人が知り得るわけがあろう」。『完訳』は「どうして後世に知るすべがあろう」と訳す。4.4.4
注釈192位にも即きたまひつるも大島本は「つき給つるも」とある。「つ」は「へ」に近似した字体である。『集成』は「たまへる」と整定する。4.4.4
注釈193あまたの例ありけり一世の源氏で皇位に即いた例として、光仁天皇、桓武天皇、光孝天皇、宇多天皇。親王になった例として、是忠親王、是貞親王、兼明親王、盛明親王がある。4.4.4
注釈194人柄のかしこきにことよせてさもや譲りきこえまし源氏に譲位することを思う。4.4.4
校訂28 問ひ 問ひ--(/+とひ<朱>) 4.4.2
校訂29 ども ども--とん(ん/$も) 4.4.3
4.5
第五段 源氏、帝の意向を峻絶


4-5  Genji denied Mikado's idea

4.5.1   秋の司召に、太政大臣になりたまふべきこと、うちうちに定め申したまふついでになむ、帝、思し寄する筋のこと、漏らしきこえたまひけるを、大臣、いとまばゆく、恐ろしう思して、さらにあるまじきよしを申し返したまふ。
 秋の司召で、太政大臣におなりになるようなことを、内々にお定め申しなさる機会に、帝が、かねてお考えの意向を、お洩らし申し上げられたので、大臣、とても目も上げられず、恐ろしくお思いになって、決してあってはならないことである趣旨のご辞退を申し上げなさる。
 秋の除目じもくに源氏を太政大臣に任じようとあそばして、内諾を得るためにお話をあそばした時に、帝は源氏を天子にしたいかねての思召しをはじめておらしになった。源氏はまぶしくも、恐ろしくも思って、あるまじいことに思うと奏上した。
  Aki no tukasamesi ni, Daizyau-Daizin ni nari tamahu beki koto, utiuti ni sadame mausi tamahu tuide ni nam, Mikado, obosi yosuru sudi no koto, morasi kikoye tamahi keru wo, Otodo, ito mabayuku, osorosiu obosi te, sarani arumaziki yosi wo mausi kahesi tamahu.
4.5.2  「 故院の御心ざし、あまたの皇子たちの御中に、 とりわきて思し召しながら、位を譲らせたまはむことを思し召し寄らずなりにけり。 何か、その御心改めて、及ばぬ際には昇りはべらむ。ただ、もとの御おきてのままに、朝廷に仕うまつりて、今すこしの齢かさなりはべりなば、のどかなる行なひに籠もりはべりなむと思ひたまふる」
 「故院のお志、多数の親王たちの中で、特別に御寵愛くださりながら、御位をお譲りあそばすことをお考えあそばしませんでした。どうして、その御遺志に背いて、及びもつかない位につけましょうか。ただ、もとのお考えどおりに、朝廷にお仕えして、もう少し年を重ねたならば、のんびりとした仏道にひき籠もりましょうと存じております」
 「故院はおおぜいのお子様の中で特に私をお愛しになりながら、御位みくらいをお譲りになることはお考えにもならなかったのでございます。その御意志にそむいて、及びない地位に私がどうしてなれましょう。故院の思召しどおりに私は一臣下として政治に携わらせていただきまして、今少し年を取りました時に、静かな出家の生活にもはいろうと存じます」
  "Ko-Win no mi-kokorozasi, amata no Miko-tati no ohom-naka ni, toriwaki te obosimesi nagara, kurawi wo yudura se tamaha m koto wo obosimesi yora zu nari ni keri. Nanika, sono mi-kokoro aratame te, oyoba nu kiha ni ha nobori habera m. Tada, moto no ohom-okite no mama ni, ohoyake ni tukaumaturi te, ima sukosi no yohahi kasanari haberi na ba, nodoka naru okonahi ni komori haberi na m to omohi tamahuru."
4.5.3  と、常の御言の葉に変はらず奏したまへば、 いと口惜しうなむ思しける
 と、いつものお言葉と変わらずに奏上なさるので、まことに残念にお思いになった。
 と平生の源氏らしく御辞退するだけで、御心を解したふうのなかったことを帝は残念に思召した。
  to, tune no ohom-kotonoha ni kahara zu sousi tamahe ba, ito kutiwosiu nam obosi keru.
4.5.4  太政大臣になりたまふべき定めあれど、 しばし、と思すところありてただ御位添ひて、牛車聴されて参りまかでしたまふを、帝、飽かず、かたじけなき ものに思ひきこえたまひて、なほ親王になりたまふべきよしを思しのたまはすれど、
 太政大臣におなりになるよう決定があるが、今しばらく、とお考えになるところがあって、ただ位階が一つ昇進して、牛車を聴されて、参内や退出をなさるのを、帝、もの足りなく、もったいないこととお思い申し上げなさって、やはり親王におなりになるよう仰せになるが、
 太政大臣に任命されることも今しばらくのちのことにしたいと辞退した源氏は、位階だけが一級進められて、牛車で禁門を通過する御許可だけを得た。帝はそれも御不満足なことに思召して、親王になることをしきりにお勧めあそばされたが、
  Daizyau-Daizin ni nari tamahu beki sadame are do, sibasi, to obosu tokoro ari te, tada mi-kurawi sohi te, usiguruma yurusa re te mawiri makade si tamahu wo, Mikado, akazu, katazikenaki mono ni omohi kikoye tamahi te, naho miko ni nari tamahu beki yosi wo obosi notamahasure do,
4.5.5  「 世の中の御後見したまふべき人なし。権中納言、大納言になりて、右大将かけたまへるを、今一際あがりなむに、何ごとも譲りてむ。さて後に、ともかくも、静かなるさまに」
 「政治のご後見をおできになる人がいない。権中納言が、大納言になって右大将を兼任していらっしゃるが、もう一段昇進したならば、何ごとも譲ろう。その後に、どうなるにせよ、静かに暮らそう」
 そうして帝の御後見をする政治家がいなくなる、中納言が今度大納言になって右大将を兼任することになったが、この人がもう一段昇進したあとであったなら、親王になって閑散な位置へ退くのもよいと源氏は思っていた。
  "Yononaka no ohom-usiromi si tamahu beki hito nasi. Gon-Tyuunagon, Dainagon ni nari te, Udaisyau kake tamahe ru wo, ima hitokiha agari nam ni, nanigoto mo yuduri te m. Sate noti ni, tomokakumo, siduka naru sama ni."
4.5.6  とぞ思しける。なほ思しめぐらすに、
 とお思いになっていた。さらにあれこれ、お考えめぐらすと、
 源氏はこんなふうな態度を帝がおとりあそばすことになったことで苦しんでいた。
  to zo obosi keru. Naho obosi megurasu ni,
4.5.7  「 故宮の御ためにもいとほしう、また主上のかく思し召し悩めるを見たてまつりたまふもかたじけなきに、誰れかかることを漏らし奏しけむ」
 「故后宮のためにも気の毒であり、また主上のこのようにお悩みでいらっしゃるのを拝し上げなさるにも恐れ多くて、誰がこのようなことを洩らしお耳に入れ申したのだろうか」
 故中宮のためにもおかわいそうなことで、また陛下には御煩悶はんもんをおさせする結果になっている秘密奏上をだれがしたか
  "Ko-Miya no ohom-tame ni mo itohosiu, mata Uhe no kaku obosimesi nayame ru wo mi tatematuri tamahu mo katazikenaki ni, tare kakaru koto wo morasi sousi kem?"
4.5.8  と、あやしう思さる。
 と、不思議に思わずにはいらっしゃれない。
 と怪しく思った。
  to, ayasiu obosa ru.
4.5.9   命婦は、御匣殿の替はりたる所に移りて、曹司たまはりて参りたり。大臣、対面したまひて、
 王命婦は、御匣殿が替わったところに移って、お部屋を賜って出仕していた。大臣、お目にかかりなさって、
 命婦は御匣殿みくしげどのがほかへ移ったあとの御殿に部屋をいただいて住んでいたから、源氏はそのほうへたずねて行った。
  Myaubu ha, Mikusigedono no kahari taru tokoro ni uturi te, zausi tamahari te mawiri tari. Otodo, taimen si tamahi te,
4.5.10  「 このことを、もし、もののついでに、露ばかりにても 漏らし奏したまふことやありし」
 「このことを、もしや、何かの機会に、少しでも洩らしお耳に入れ申されたことはありましたか」
 「あのことをもし何かの機会に少しでも陛下のお耳へお入れになったのですか」
  "Kono koto wo, mosi, mono no tuide ni, tuyu bakari nite mo morasi sousi tamahu koto ya ari si?"
4.5.11  と 案内したまへど
 とお尋ねになるが、
 と源氏は言ったが、
  to a'nai si tamahe do,
4.5.12  「 さらに。かけても聞こし召さむことを、いみじきことに思し召して、かつは、 罪得ることにやと、主上の御ためを、なほ思し召し嘆きたりし」
 「けっして。少しでも帝のお耳に入りますことを、大変だと思し召しで、しかしまた一方では、罪を得ることではないかと、主上の御身の上を、やはりお案じあそばして嘆いていらっしゃいました」
 「私がどういたしまして。宮様は陛下が秘密をお悟りになることを非常に恐れておいでになりましたが、また一面では陛下へ絶対にお知らせしないことで陛下が御仏のとがをお受けになりはせぬかと御煩悶をあそばしたようでございました」
  "Sarani. Kakete mo kikosimesa m koto wo, imiziki koto ni obosimesi te, katuha, tumi uru koto ni ya to, Uhe no ohom-tame wo, naho obosimesi nageki tari si."
4.5.13  と聞こゆるにも、ひとかたならず心深くおはせし御ありさまなど、尽きせず恋ひきこえたまふ。
 と申し上げるにつけても、並々ならず思慮深い方でいらっしゃったご様子などを、限りなく恋しくお思い出し申し上げなさる。
 命婦はこう答えていた。こんな話にも故宮の御感情のこまやかさが忍ばれて源氏は恋しく思った。
  to kikoyuru ni mo, hitokatanarazu kokoro-bukaku ohase si ohom-arisama nado, tuki se zu kohi kikoye tamahu.
注釈195秋の司召に季節は秋に推移。秋の司召は京官を任命。4.5.1
注釈196故院の御心ざし以下「思ひたまふる」まで、源氏の詞。4.5.2
注釈197とりわきて思し召しながら桐壺院が源氏を。4.5.2
注釈198何か「昇りはべらむ」に係る。反語表現。4.5.2
注釈199いと口惜しうなむ思しける帝の心中。間接的表現。4.5.3
注釈200しばしと思すところありて真に政界で実力が発揮できる官職は内大臣である。太政大臣は名目的になる。養女の斎宮女御の立后はまだである(「少女」巻)。4.5.4
注釈201ただ御位添ひて牛車聴されて太政大臣の位階、従一位に昇り、牛車で建礼門までの出入りが許される。4.5.4
注釈202世の中の御後見以下「静かなるさまに」まで、源氏の心中。4.5.5
注釈203故宮の御ためにも以下「漏らし奏しけむ」まで、源氏の心中。『集成』は「亡き藤壺の宮にとってもお気の毒のことであり。帝が秘密を知られたことを察しての、源氏の心中」。『完訳』「藤壺があの世で秘密露顕を知って成仏できないだろうと」と注す。4.5.7
注釈204命婦は御匣殿の替はりたる所に移りて曹司たまはりて源氏、王命婦に質す。王命婦、御匣殿別当が転出した後任に就任して曹司を賜って出仕している。『完訳』は「出家の身の彼女がその後任になるのは不審」と注す。4.5.9
注釈205このことを以下「ことやありし」まで、源氏の詞。『古典セレクション』は「もし物のついでに」以下を源氏の詞とする。4.5.10
注釈206漏らし奏したまふ主語は藤壺。藤壺が帝に。4.5.10
注釈207案内したまへど『集成』は「事情をお尋ねになるが」。『完訳』は「探りをお入れになるけれど」と訳す。4.5.11
注釈208さらにかけても以下「嘆きたりし」まで、王命婦の返事。否定する。4.5.12
注釈209罪得ること『集成』は「帝がご存知なければ、源氏に子としての礼を尽せないことになるからである」。『完訳』は「しかし一方では、秘密を打ち明けねば帝が仏罰を受けようかと」と注す。4.5.12
校訂30 ものに ものに--もの(も/+にイ) 4.5.4
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月14日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 10/27/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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