第十九帖 薄雲


19 USUGUMO (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十一歳冬十二月から三十二歳秋までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from December in winter at the age of 31 to fall at the age of 32

5
第五章 光る源氏の物語 春秋優劣論と六条院造営の計画


5  Tale of Hikaru-Genji  About spring or fall in season, and plan to build Rokujoin newly

5.1
第一段 斎宮女御、二条院に里下がり


5-1  A Buddhist priest wants to let Mikado know his father

5.1.1   斎宮の女御は、思ししもしるき御後見にて、やむごとなき御おぼえなり。御用意、ありさまなども、思ふさまにあらまほしう見えたまへれば、かたじけなきものに もてかしづききこえたまへり
 斎宮の女御は、ご期待どおりのご後見役で、たいそうな御寵愛である。お心づかい、態度なども、思うとおりに申し分なくお見えになるので、もったいない方と大切にお世話申し上げなさっていた。
 斎宮さいぐう女御にょごは予想されたように源氏の後援があるために後宮こうきゅうのすばらしい地位を得ていた。すべての点に源氏の理想にする貴女きじょらしさの備わった人であったから、源氏はたいせつにかしずいていた。
  Saiguu-no-Nyougo ha, obosi simo siruki ohom-usiromi nite, yamgotonaki ohom-oboye nari. Ohom-youi, arisama nado mo, omohu sama ni aramahosiu miye tamahe re ba, katazikenaki mono ni mote-kasiduki kikoye tamahe ri.
5.1.2   秋のころ、二条院にまかでたまへり 。寝殿の御しつらひ、いとど輝くばかりしたまひて、今は むげの親ざまにもてなして、扱ひきこえたまふ。
 秋ごろに、二条院に里下がりなさった。寝殿のご設備、いっそう輝くほどになさって、今ではまったくの実の親のような態度で、お世話申し上げていらっしゃる。
 この秋女御は御所から二条の院へ退出した。中央の寝殿を女御の住居に決めて、輝くほどの装飾をして源氏は迎えたのであった。もう院への御遠慮も薄らいで、万事を養父の心で世話をしているのである。
  Aki no koro, Nideunowin ni makade tamahe ri. Sinden no ohom-siturahi, itodo kakayaku bakari sitamahi te, ima ha muge no oyazama ni motenasi te, atukahi kikoye tamahu.
5.1.3   秋の雨いと静かに降りて、御前の前栽の色々乱れたる露のしげさに、 いにしへのことどもかき続け思し出でられて、御袖も濡れつつ、女御の御方に渡りたまへり。 こまやかなる鈍色の御直衣姿にて世の中の騒がしきなどことつけたまひて、やがて御精進なれば、数珠ひき隠してさまよくもてなしたまへる、尽きせずなまめかしき御ありさまにて、御簾の内に入りたまひぬ。
 秋の雨がとても静かに降って、お庭先の前栽が色とりどりに乱れている露がいっぱい置いているので、昔のことがらがそれからそれへと自然と続けて思い出されて、お袖も濡らし濡らして、女御の御方にお出向きになった。色の濃い鈍色のお直衣姿で、世の中が平穏でないのを口実になさって、そのまま御精進なので、数珠を袖に隠して、体裁よく振る舞っていらっしゃるのが、限りなく優美なご様子で、御簾の中にお入りになった。
 秋の雨が静かに降って植え込みの草の花のれ乱れた庭をながめて女院のことがまた悲しく思い出された源氏は、湿ったふうで女御の御殿へ行った。濃いにび色の直衣のうしを着て、病死者などの多いために政治の局にあたる者は謹慎をしなければならないというのに託して、実は女院のために源氏は続いて精進をしているのであったから、手に掛けた数珠じゅずを見せぬようにそでに隠した様子などがえんであった。御簾みすの中へ源氏ははいって行った。
  Aki no ame ito sidukani huri te, omahe no sensasi no iroiro midare taru tuyu no sigesa ni, inisihe no koto-domo kaki-tuduke obosi ide rare te, ohom-sode mo nure tutu, Nyougo no ohom-kata ni watari tamahe ri. Komayaka naru nibiiro no ohom-nahosisugata nite, yononaka no sawagasiki nado kototuke tamahi te, yagate ohom-sauzin nare ba, zuzu hiki-kakusi te, sama yoku motenasi tamahe ru, tuki se zu namamekasiki ohom-arisama nite, misu no uti ni iri tamahi nu.
注釈210斎宮の女御は思ししもしるき御後見にて斎宮女御は帝の後見役を果たし、御寵愛も厚い。斎宮女御は二十三歳、帝十四歳で、九歳年長。5.1.1
注釈211もてかしづききこえたまへり源氏が斎宮女御を。5.1.1
注釈212秋のころ二条院にまかでたまへり大島本は「秋(秋+の<朱>)ころ」とある。すなわち朱筆で「の」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「秋ごろ」と校訂する。斎宮、二条院に退出し、源氏と対面する。5.1.2
注釈213むげの親ざまに『集成』は「女御入内の時、源氏は朱雀院に遠慮して、表立って親代りという態度はとらなかった」。『完訳』は「源氏はもともと好色心を抱いていたが、彼女が入内した今では。「むげ」はおもしろからぬ気持」。『新大系』は「すっかり親になりきった態度で」と注す。5.1.2
注釈214秋の雨いと静かに降りて秋の雨の降る日、源氏、斎宮女御に対面。5.1.3
注釈215いにしへのことども六条御息所の思い出。野の宮の秋の訪問と離別、晩秋の死去など、秋にまつわる思い出。5.1.3
注釈216こまやかなる鈍色の御直衣姿にて源氏の喪服姿。深い服喪の気持を表明。5.1.3
注釈217世の中の騒がしきなどことつけたまひてやがて御精進なれば数珠ひき隠して『集成』は「ひそかに藤壺の冥福を祈る気持からである」と注す。5.1.3
注釈218さまよくもてなしたまへる大島本は「さまよく」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御さまよく」と訂正する。5.1.3
校訂31 秋のころ 秋のころ--秋(秋/+の<朱>)ころ 5.1.2
5.2
第二段 源氏、女御と往時を語る


5-2  Genji talks Saiguu about old days

5.2.1  御几帳ばかりを隔てて、みづから聞こえたまふ。
 御几帳だけを隔てて、ご自身でお話し申し上げなさる。
 几帳きちょうだけを隔てて王女御はおいになった。
  Mikityau bakari wo hedate te, midukara kikoye tamahu.
5.2.2  「 前栽どもこそ 残りなく 紐解きはべりにけれ いとものすさまじき年なるを、心やりて時知り顔なるも、あはれにこそ」
 「どの前栽もすっかり咲きほころびましたね。まことにおもしろくない年ですが、得意そうに時節を心得顔に咲いているのが、胸打たれますね」
 「庭の草花は残らず咲きましたよ。今年のような恐ろしい年でも、秋を忘れずに咲くのが哀れです」
  "Sensai-domo koso nokori naku himotoki haberi ni kere. Ito mono susamaziki tosi naru wo, kokoroyari te toki siri gaho naru mo, ahare ni koso."
5.2.3  とて、柱に寄りゐたまへる夕ばえ、いとめでたし。昔の御ことども、かの野の宮に立ちわづらひし曙などを、聞こえ出でたまふ。いとものあはれと思したり。
 と言って、柱に寄りかかっていらっしゃる夕映えのお姿、たいそう見事である。昔のお話、あの野宮をさまよった朝の話などを、お話し申し上げなさる。まことにしみじみとお思いになった。
 こう言いながら柱によりかかっている源氏は美しかった。御息所みやすどころのことを言い出して、野の宮に行ってなかなか逢ってもらえなかった秋のことも話した。故人を切に恋しく思うふうが源氏に見えた。
  tote, hasira ni yoriwi tamahe ru yuhubaye, ito medetasi. Mukasi no ohom-koto-domo, kano Nonomiya ni tati-wadurahi si akebono nado wo, kikoye ide tamahu. Ito mono ahare to obosi tari.
5.2.4  宮も、「 かくれば」とにや 、すこし泣きたまふけはひ、いとらうたげにて、うち身じろきたまふほども、あさましくやはらかになまめきておはすべかめる。「 見たてまつらぬこそ、口惜しけれ」と、 胸のうちつぶるるぞ、うたてあるや
 宮も、「こうだから」とであろうか、少しお泣きになる様子、とても可憐な感じで、ちょっとお身じろぎなさる気配も、驚くほど柔らかく優美でいらっしゃるようだ。「拝見しないのは、まことに残念だ」と、胸がどきどきするのは、困ったことであるよ。
 宮も「いにしへの昔のことをいとどしくかくればそでぞ露けかりける」というように、少しお泣きになる様子が非常に可憐かれんで、みじろぎの音も類のない柔らかさに聞こえた。えんな人であるに相違ない、今日までまだよく顔を見ることのできないことが残念であると、ふと源氏の胸が騒いだ。困った癖である。
  Miya mo, "Kakure ba" to ni ya, sukosi naki tamahu kehahi, ito rautage nite, uti-miziroki tamahu hodo mo, asamasiku yaharaka ni namameki te ohasu beka' meru. "Mi tatematura nu koso, kutiwosikere." to, mune no uti-tubururu zo, utate aru ya!
5.2.5  「 過ぎにし方、ことに思ひ悩むべき こともなくてはべりぬべかりし世の中にも、なほ心から、好き好きしきことにつけて、もの思ひの絶えずもはべりけるかな。 さるまじきことどもの、心苦しきが、あまたはべりし中に、つひに心も解けず、 むすぼほれて止みぬること、二つなむはべる。
 「過ぎ去った昔、特に思い悩むようなこともなくて過せたはずでございました時分にも、やはり性分で、好色沙汰に関しては、物思いも絶えずございましたなあ。よくない恋愛事の中で、気の毒なことをしたことが多数ありました中で、最後まで心も打ち解けず、思いも晴れずに終わったことが、二つあります。
 「私は過去の青年時代に、みずから求めて物思いの多い日を送りました。恋愛するのは苦しいものなのですよ。悪い結果を見ることもたくさんありましたが、とうとうしまいまで自分の誠意がわかってもらえなかった二つのことがあるのですが、
  "Sugi ni si kata, koto ni omohi nayamu beki koto mo naku te haberi nu bekari si yononaka ni mo, naho kokorokara, sukizukisiki koto ni tuke te, monoomohi no taye zu mo haberi keru kana! Sarumaziki koto-domo no, kokorogurusiki ga, amata haberi si naka ni, tuhini kokoro mo toke zu, musubohore te yami nuru koto, hutatu nam haberu.
5.2.6  一つは、この過ぎたまひにし御ことよ。あさましうのみ思ひつめて止みたまひにしが、長き世の愁はしきふしと思ひたまへられしを、 かうまでも仕うまつり、御覧ぜらるるをなむ、慰めに思うたまへなせど、 燃えし煙の、むすぼほれたまひけむは 、なほいぶせうこそ思ひたまへらるれ」
 一つは、あなたのお亡くなりになった母君の御ことですよ。驚くほど物を思いつめてお亡くなりになってしまったことが、生涯の嘆きの種と存じられましたが、このようにお世話申して、親しくしていただけるのを、せめて罪滅ぼしのように存じておりますが、燃えた煙が、解けぬままになってしまわれたのだろうとは、やはり気がかりに存じられてなりません」
 その一つはあなたのお母様のことです。お恨ませしたままお別れしてしまって、このことで未来までの煩いになることを私はしてしまったかと悲しんでいましたが、こうしてあなたにお尽くしすることのできることで私はみずから慰んでいるもののなおそれでもおかくれになったあなたのお母様のことを考えますと、私の心はいつも暗くなります」
  Hitotu ha, kono sugi tamahi ni si ohom-koto yo! Asamasiu nomi omohitume te yami tamahi ni si ga, nagaki yo no urehasiki husi to omohi tamahe rare si wo, kau made mo tukaumaturi, goranze raruru wo nam, nagusame ni omou tamahe nase do, moye si keburi no, musubohore tamahi kem ha, naho ibuseu koso omohi tamahe rarure."
5.2.7  とて、 今一つはのたまひさしつ。
 とおっしゃって、もう一つは話されずに終わった。
 もう一つのほうの話はしなかった。
  tote, imahitotu ha notamahi sasi tu.
5.2.8  「 中ごろ、身のなきに沈みはべりしほど、方々に思ひたまへしことは、片端づつかなひにたり。 東の院にものする人の、そこはかとなくて、心苦しうおぼえわたりはべりしも、おだしう思ひなりにてはべり。心ばへの憎からぬなど、我も人も見たまへあきらめて、いとこそさはやか なれ
 「ひところ、身を沈めておりましたとき、あれこれと考えておりましたことは、少しづつ叶ってきました。東の院にいる人が、頼りない境遇で、ずっと気の毒に思っておりましたのも、安心できる状態になっております。気立てがよいところなど、わたしも相手もよく理解し合っていて、とてもさっぱりとしたものです。
 「私の何もかもが途中で挫折ざせつしてしまったころ、心苦しくてなりませんでしたことがどうやら少しずつよくなっていくようです。今東の院に住んでおります妻は、寄るべの少ない点で絶えず私の気がかりになったものですが、それも安心のできるようになりました。善良な女で、私と双方でよく理解し合っていますから朗らかなものです。
  "Nakagoro, mi no naki ni sidumi haberi si hodo, katagata ni omohi tamahe si koto ha, katahasi dutu kanahi ni tari. Himgasi-no-win ni monosuru hito no, sokohakatonaku te, kokorogurusiu oboye watari haberi si mo, odasiu omohi nari ni te haberi. Kokorobahe no nikukara nu nado, ware mo hito mo mi tamahe akirame te, ito koso sahayaka nare.
5.2.9  かく立ち返り、朝廷の御後見仕うまつるよろこびなどは、さしも心に深く染まず、かやうなる好きがましき方は、静めがたうのみはべるを、おぼろけに 思ひ忍びたる御後見とは、思し知らせたまふらむや。 あはれとだにのたまはせずは、いかにかひなくはべらむ」
 このように帰って来て、朝廷のご後見致します喜びなどは、それほど心に深く思いませんが、このような好色めいた心は、鎮めがたくばかりおりますが、並々ならぬ我慢を重ねたご後見とは、ご存知でいらっしゃいましょうか。せめて同情するとだけでもおっしゃっていただけなければ、どんなにか張り合いのないことでしょう」
 私がまた世の中へ帰って朝政にあずかるような喜びは私にたいしたこととは思われないで、そうした恋愛問題のほうがたいせつに思われる私なのですから、どんな抑制を心に加えてあなたの御後見だけに満足していることか、それをご存じになっていますか、御同情でもしていただかなければかいがありません」
  Kaku tatikaheri, ohoyake no ohom-usiromi tukaumaturu yorokobi nado ha, sasimo kokoro ni hukaku sima zu, kayau naru sukigamasiki kata ha, sidume gatau nomi haberu wo, oboroke ni omohi sinobi taru ohom-usiromi to ha, obosi sira se tamahu ram ya? Ahare to dani notamahase zu ha, ikani kahinaku habera m."
5.2.10  とのたまへば、むつかしうて、御応へもなければ、
 とおっしゃるので、困ってしまって、お返事もないので、
 と源氏は言った。面倒めんどうな話になって、宮は何ともお返辞をあそばさないのを見て、
  to notamahe ba, mutukasiu te, ohom-irahe mo nakere ba,
5.2.11  「 さりや。あな心憂
 「やはり、そうですか。ああ情けない」
 「そうですね、そんなことを言って私が悪い」
  "Sariya! Ana kokorou."
5.2.12  とて、異事に言ひ紛らはしたまひつ。
 と言って、他の話題に転じて紛らしておしまいになった。
 と話をほかへ源氏は移した。
  tote, kotokoto ni ihimagirahasi tamahi tu.
5.2.13  「 今は、いかでのどやかに、生ける世の限り、思ふこと残さず、後の世の勤めも心にまかせて、籠もりゐなむと思ひはべるを、 この世の思ひ出にしつべきふしのはべらぬこそ、さすがに口惜しうはべりぬべけれ。 かならず幼き人のはべる、生ひ先いと待ち遠なりや。かたじけなくとも、なほ、 この門広げさせたまひて、はべらずなりなむ後にも、 数まへさせたまへ
 「今では、何とか心安らかに、生きている間は心残りがないように、来世のためのお勤めを思う存分に、籠もって過ごしたいと思っておりますが、この世の思い出にできることがございませんのが、何といっても残念なことでございます。きっと、幼い姫君がおりますが、将来が待ち遠しいことですよ。恐れ多いことですが、何といっても、この家を繁栄させなさって、わたしが亡くなりました後も、お見捨てなさらないでください」
 「今の私の望みは閑散な身になって風流三昧ざんまいに暮らしうることと、のちの世の勤めも十分にすることのほかはありませんが、この世の思い出になることを一つでも残すことのできないのはさすがに残念に思われます。ただ二人の子供がございますが、老い先ははるかで待ち遠しいものです。失礼ですがあなたの手でこの家の名誉をお上げくだすって、私のくなりましたのちも私の子供らをまもっておやりください」
  "Ima ha, ikade nodoyaka ni, ike ru yo no kagiri, omohu koto nokosa zu, notinoyo no tutome mo kokoro ni makase te, komori wi na m to omohi haberu wo, konoyo no omohiide ni si tu beki husi no habera nu koso, sasugani kutiwosiu haberi nu bekere. Kanarazu, wosanaki hito no haberu, ohisaki ito matidoho nari ya, katazikenaku tomo, naho, kono kado hiroge sase tamahi te, habera zu nari na m noti ni mo, kazumahe sase tamahe."
5.2.14  など聞こえたまふ。
 などと申し上げなさる。
 などと言った。
  nado kikoye tamahu.
5.2.15  御応へは、いとおほどかなるさまに、からうして一言ばかりかすめたまへるけはひ、いとなつかしげなるに聞きつきて、しめじめと暮るるまでおはす。
 お返事は、とてもおっとりとした様子で、やっと一言ほどわずかにおっしゃる感じ、たいそう優しそうなのに聞き入って、しんみりと日が暮れるまでいらっしゃる。
 宮のお返事はおおようで、しかも一言をたいした努力でお言いになるほどのものであるが、源氏の心はまったくそれにきつけられてしまって、日の暮れるまでとどまっていた。
  Ohom-irahe ha, ito ohodoka naru sama ni, karausite hitokoto bakari kasume tamahe ru kehahi, ito natukasige naru ni kiki tuki te, simezime to kururu made ohasu.
注釈219前栽どもこそ以下「あはれにこそ」まで、源氏の詞。5.2.2
注釈220紐解きはべりにけれ「百草の花の紐解く秋の野に思ひたはれむ人なとがめそ」(古今集秋上、二四六、読人しらず)を踏まえる。5.2.2
注釈221いとものすさまじき年なるを『集成』は「まことに何の興もない諒暗の年ですのに」と訳す。5.2.2
注釈222かくればとにや『集成』は「いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖ぞ露けかりける」(河海抄所引、出典未詳)。『完訳』は「わが思ふ人は草葉の露なれやかくれば袖のまづそほつらむ」(拾遺集恋二、七六一、読人しらず)を指摘。5.2.4
注釈223見たてまつらぬこそ口惜しけれ源氏の心中、間接的に語る。5.2.4
注釈224胸のうちつぶるるぞうたてあるや『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の評。源氏への非難を先取りし、読者をひきつける手法」と注す。5.2.4
注釈225過ぎにし方以下「思ひたまへらるれ」まで、源氏の詞。5.2.5
注釈226さるまじきことどもの心苦しきが『集成』は「いろいろかんばしからぬ色恋沙汰で相手の女に悪かったと思われることが」。『完訳』は「理不尽な恋ゆえにお気の毒なことになってしまったことが」と訳す。5.2.5
注釈227かうまでも仕うまつり御覧ぜらるるを源氏が斎宮女御をお世話し、また斎宮女御からお付き合いいただける、意。5.2.6
注釈228燃えし煙のむすぼほれたまひけむは藤原定家は「むすぼほれ燃えし煙もいかがせむ君だにこめよ長き契りを」(奥入所引、出典未詳)を指摘する。5.2.6
注釈229今一つは藤壺に関する件。5.2.7
注釈230中ごろ身のなきに以下「かひなくはべらむ」まで、源氏の詞。5.2.8
注釈231東の院にものする人花散里をさす。5.2.8
注釈232あはれとだにのたまはせずは『完訳』は「相手との魂の交感を切実に願望。「だに」の語気に注意」「せめて、かわいそうとだけでもおっしゃってくださいませんのなら」と注す。5.2.9
注釈233さりやあな心憂源氏の詞。『集成』は「やはりそうなのですね。なんと情けない。自分の意を汲んでくれないことに対する怨み言」と注す。5.2.11
注釈234今はいかでのどやかに以下「数まへさせたまへ」まで、源氏の詞。源氏一門の将来と特に明石姫君の入内の世話を依頼。5.2.13
注釈235この世の思ひ出にしつべきふしのはべらぬこそ『集成』は「実の娘の入内といった晴れがましい経験がない、ということであろう」。『完訳』は「明石の姫君の入内を思っての発言。一説に、斎宮の女御との恋」。『新大系』は「暗に、女御との恋をさすか」と注す。5.2.13
注釈236かならず大島本「かならす」とある。「数まへさせたまへ」に係る。青表紙本諸本には「かすならぬ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「数ならぬ」と校訂する。5.2.13
注釈237幼き人明石の姫君をさす。四歳。5.2.13
注釈238この門広げさせたまひて源氏一門の繁栄。冷泉帝との間に皇子が生まれることを望む。5.2.13
注釈239数まへさせたまへ明石の姫君の将来を依頼。5.2.13
出典11 紐解き 百草の花の紐解く秋の野を思ひ戯れむ人な咎めそ 古今集秋上-二四六 読人しらず 5.2.2
出典12 かくれば いにしへの昔のことをいとどしくかくれば袖に露けかりけり 源氏釈所引、出典未詳 5.2.4
出典13 燃えし煙の 結ぼほれ燃えし煙をいかがせむ君だにこめよ長き契りを 源氏釈所引、出典未詳 5.2.6
校訂32 ども ども--とん(ん/$も<朱>) 5.2.2
校訂33 ことも ことも--ことん(ん/$も<朱>) 5.2.5
校訂34 むすぼほれ むすぼほれ--む(む/+す<朱>)ほゝれ 5.2.5
校訂35 なれ なれ--なれは(は/$<朱>) 5.2.8
校訂36 思ひ 思ひ--(/+思<朱>) 5.2.9
5.3
第三段 女御に春秋の好みを問う


5-3  Genji asks Saiguu which have a liking better spring or fall

5.3.1  「 はかばかしき方の望みはさるものにて、年のうち行き交はる時々の花紅葉、空のけしきにつけても、心の行く こともしはべりにしがな。 春の花の林、秋の野の盛りを、とりどりに人争ひはべりける、そのころの、げにと心寄るばかりあらはなる定めこそはべらざなれ。
 「頼もしい方面の望みはそれとして、一年の間の移り変わる四季折々の花や紅葉、空の様子につけても、心のゆく楽しみをしてみたいものですね。春の花の林や、秋の野の盛りについて、それぞれに論争しておりましたが、その季節の、まことにそのとおりと納得できるようなはっきりとした判断はないようでございます。
 「人聞きのよい人生の望みなどはたいして持ちませんが、四季時々の美しい自然を生かせるようなことで、私は満足を得たいと思っています。春の花の咲く林、秋の野のながめを昔からいろいろに優劣が論ぜられていますが、道理だと思って、どちらかに加担のできるほどのことはまだだれにも言われておりません。
  "Hakabakasiki kata no nozomi ha sarumono nite, tosi no uti yuki kaharu tokidoki no hana momidi, sora no kesiki ni tuke te mo, kokoro no yuku koto mo si haberi ni si gana! Haru no hana no hayasi, aki no no no sakari wo, toridori ni hito arasohi haberi keru, sonokoro no, geni to kokoroyoru bakari araha naru sadame koso habera za' nare.
5.3.2  唐土には、 春の花の錦に如くものなしと言ひはべめり。大和言の葉には、 秋のあはれを取り立てて思へる 。いづれも 時々につけて 見たまふに、目移りて、えこそ 花鳥の色をも音をもわきまへはべらね。
 唐土では、春の花の錦に匹敵するものはないと言っているようでございます。和歌では、秋のしみじみとした情緒を格別にすぐれたものとしています。どちらも季節折々につけて見ておりますと、目移りして、花や鳥の色彩や音色の美しさを判別することができません。
 支那しなでは春の花の錦が最上のものに言われておりますし、日本の歌では秋の哀れが大事に取り扱われています。どちらもその時その時に感情が変わっていって、どれが最もよいとは私らに決められないのです。
  Morokosi ni ha, haru no hana no nisiki ni siku mono nasi to ihi habe' meri. Yamato-kotonoha ni ha, aki no ahare wo toritate te omohe ru. Idure mo tokidoki ni tuke te mi tamahu ni, me uturi te, e koso hana tori no iro wo mo ne wo mo wakimahe habera ne.
5.3.3  狭き垣根のうちなりとも、その折の心見知るばかり、春の花の木をも植ゑわたし、秋の草をも堀り移して、いたづらなる野辺の虫をも棲ませて、人に御覧ぜさせむと思ひたまふるを、いづ方にか御心寄せはべるべからむ」
 狭い邸の中だけでも、その季節の情趣が分かる程度に、春の花の木を一面に植え、秋の草をも移植して、つまらない野辺の虫たちを棲ませて、皆様にも御覧に入れようと存じておりますが、どちらをお好きでしょうか」
 狭いやしきの中ででも、あるいは春の花の木をもっぱら集めて植えたり、秋草の花を多く作らせて、野に鳴く虫を放しておいたりする庭をこしらえてあなたがたにお見せしたく思いますが、あなたはどちらがお好きですか、春と秋と」
  Sebaki kakine no uti nari tomo, sono wori no kokoro misiru bakari, haru no hana no ki wo mo uwe watasi, aki no kusa wo mo hori utusi te, itadura naru nobe no musi wo mo suma se te, hito ni goranze sase m to omohi tamahuru wo, idukata ni ka mi-kokoroyose haberu bekara m?"
5.3.4  と聞こえたまふに、いと聞こえにくきことと思せど、むげに絶えて御応へ聞こえたまはざらむもうたてあれば、
 と申し上げなさると、とてもお答え申しにくいこととお思いになるが、まるっきり何ともお答え申し上げなさらないのも具合が悪いので、
 源氏にこうお言われになった宮は、返辞のしにくいことであるとはお思いになったが、何も言わないことはよろしくないとお考えになって、
  to kikoye tamahu ni, ito kikoye nikuki koto to obose do, mugeni taye te ohom-irahe kikoye tamaha zara m mo utate are ba,
5.3.5  「 まして、いかが思ひ分きはべらむ。げに、 いつとなきなかに、あやしと聞きし夕べ こそ、 はかなう消えたまひにし露のよすがにも、思ひたまへられぬべけれ
 「まして、どうして優劣を弁えることができましょうか。おっしゃるとおり、どちらも素晴らしいですが、いつとても恋しくないことはない中で、不思議にと聞いた秋の夕べが、はかなくお亡くなりになった露の縁につけて、自然と好ましく存じられます」
 「私などはまして何もわかりはいたしませんで、いつも皆よろしいように思われますけれど、そのうちでも怪しいと申します夕べ(いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べは怪しかりけり)は私のためにもくなりました母の思い出される時になっておりまして、特別な気がいたします」
  "Masite, ikaga omohi waki habera m. Geni, ituto naki naka ni, ayasi to kiki si yuhube koso, hakanau kiye tamahi ni si tuyu no yosuga ni mo, omohi tamahe rare nu bekere."
5.3.6  と、しどけなげにのたまひ消つも、いとらうたげなるに、え忍びたまはで、
 と、とりつくろわないようにおっしゃって言いさしなさるのが、実にかわいらしいので、堪えることがおできになれず、
 お言葉じりのしどけなくなってしまう様子などの可憐かれんさに、源氏は思わずのりを越した言葉を口に出した。
  to, sidokenage ni notamahi ketu mo, ito rautage naru ni, e sinobi tamaha de,
5.3.7  「 君もさはあはれを交はせ人知れず
   わが身にしむる秋の夕風
 「あなたもそれでは情趣を交わしてください、誰にも知られず
  自分ひとりでしみじみと身にしみて感じている秋の夕風ですから
  「君もさは哀れをかはせ人知れず
  わが身にしむる秋の夕風
    "Kimi mo saha ahare wo kahase hito sire zu
    waga mi ni simuru aki no yuhukaze
5.3.8  忍びがたき折々もはべりかし」
 我慢できないことも度々ございますよ」
 忍びきれないおりおりがあるのです」
  Sinobi gataki woriwori mo haberi kasi."
5.3.9  と聞こえたまふに、「いづこの御応へかはあらむ。 心得ず」と思したる御けしきなりこのついでに、え籠めたまはで、恨みきこえたまふことどもあるべし
 と申し上げなさると、「どのようなお返事ができよう。分かりません」とお思いのご様子である。この機会に、抑えきれずに、お恨み申し上げなさることがあるにちがいない。
 宮のお返辞のあるわけもない。に落ちないとお思いになるふうである。いったんおさえたものが外へあふれ出たあとは、その勢いで恋も恨みも源氏の口をついて出てきた。
  to kikoye tamahu ni, "Iduko no ohom-irahe kaha ara m? Kokoroe zu." to obosi taru mi-kesiki nari. Kono tuide ni, e kome tamaha de, urami kikoye tamahu koto-domo aru besi.
5.3.10  今すこし、 ひがこともしたまひつべけれども、 いとうたてと思いたるも、ことわりに、わが御心も、「若々しうけしからず」と思し返して、うち嘆きたまへるさまの、もの深うなまめかしきも、心づきなうぞ思しなりぬる。
 もう少しで、間違いもしでかしなさるところであるが、とてもいやだとお思いでいるのも、もっともなので、またご自分でも「若々しく良くないことだ」とお思い返しなさって、お嘆きになっていらっしゃる様子が、思慮深く優美なのも、気にくわなくお思いになった。
 それ以上にも事を進ませる可能性はあったが、宮があまりにもあきれてお思いになる様子の見えるのも道理に思われたし、自身の心もけしからぬことであると思い返されもして源氏はただ歎息たんそくをしていた。えんな姿ももう宮のお目にはうとましいものにばかり見えた。
  Ima sukosi, higakoto mo si tamahi tu bekere domo, ito utate to oboi taru mo, kotowari ni, waga mi-kokoro mo, "Wakawakasiu kesikara zu." to obosi kahesi te, uti-nageki tamahe ru sama no, mono-hukau namamekasiki mo, kokorodukinau zo obosi nari nuru.
5.3.11  やをらづつひき入りたまひぬるけしきなれば、
 少しずつ奥の方へお入りになって行く様子なので、
 柔らかにみじろぎをして少しずつあとへ引っ込んでお行きになるのを知って、
  Yawora dutu hikiiri tamahi nuru kesiki nare ba,
5.3.12  「 あさましうも、疎ませたまひぬるかな。まことに心深き人は、 かくこそあらざなれ。よし、今よりは、憎ませたまふなよ。つらからむ」
 「驚くほどお嫌いになるのですね。ほんとうに情愛の深い人は、このようにはしないものと言います。よし、今からは、お憎みにならないでください。つらいことでしょう」
 「そんなに私が不愉快なものに思われますか、高尚こうしょう貴女きじょはそんなにしてお見せになるものではありませんよ。ではもうあんなお話はよしましょうね。これから私をお憎みになってはいけませんよ」
  "Asamasiu mo, utoma se tamahi nuru kana! Makoto ni kokoro hukaki hito ha, kaku koso ara za' nare. Yosi, ima yori ha, nikuma se tamahu na yo! Turakara m."
5.3.13  とて、渡りたまひぬ。
 とおっしゃって、お渡りになった。
 と言って源氏は立ち去った。
  tote, watari tamahi nu.
5.3.14   うちしめりたる御匂ひのとまりたるさへ、疎ましく思さる。人びと、御格子など参りて、
 しっとりとした香が残っているのまでが、不愉快にお思いになる。女房たち、御格子などを下ろして、
 しめやかな源氏の衣服の香の座敷に残っていることすらを宮は情けなくお思いになった。女房たちが出て来て格子こうしなどをめたあとで、
  Uti-simeri taru ohom-nihohi no tomari taru sahe, utomasiku obosa ru. Hitobito, mikausi nado mawiri te,
5.3.15  「 この御茵の移り香、言ひ知らぬもの かな
 「この御褥の移り香は、何とも言えないですね」
 「このお敷き物の移り香の結構ですこと、
  "Kono ohom-sitone no uturiga, ihi sira nu mono kana!"
5.3.16  「いかでかく取り集め、 柳の枝に咲かせたる 御ありさまならむ」
 「どうしてこう、何から何まで柳の枝に花を咲かせたようなご様子なのでしょう」
 どうしてあの方はこんなにすべてのよいものを備えておいでになるのでしょう。柳の枝に桜を咲かせたというのはあの方ね。
  "Ikade kaku toriatume, yanagi no eda ni saka se taru ohom-arisama nara m."
5.3.17  「ゆゆしう」
 「気味が悪いまでに」
 どんな前生ぜんしょうをお持ちになる方でしょう」
  "Yuyusiu."
5.3.18  と聞こえあへり。
 とお噂申し上げていた。
 などと言い合っていた。
  to kikoye ahe ri.
注釈240はかばかしき方の望みは以下「いづ方にか御心寄せはべるべからむ」まで、源氏の詞。話題転じて、春秋優劣論。5.3.1
注釈241春の花の林秋の野の盛りを春の花の木と秋の野の草花とを比較。春秋優劣論。5.3.1
注釈242春の花の錦に如くものなし「晋の石季倫金谷に居り春花林に満ちて五十里の錦障を作る」(源氏釈所引、出典未詳)。「春に逢うて遊楽せざる、恐らくは是れ無心の人」(河海抄所引、出典未詳)。前者は『蒙求』「季倫錦障」と、後者は『白氏文集』巻第六十三「春遊」と関連するか。5.3.2
注釈243秋のあはれを取り立てて思へる「春はただ花のひとへに咲くばかりもののあはれは秋ぞまされる」(拾遺集雑下、五一一、読人しらず)を踏まえる。5.3.2
注釈244見たまふに青表紙本諸本にも異同なし。「見たまふるに」とあるべきところ。「たまふ」は下二段活用の謙譲の補助動詞が適切な表現。5.3.2
注釈245花鳥の色をも音をも「花鳥の色をも音をもいたづらにもの憂かる身は過ぐすのみなり」(後撰集夏、二一二、藤原雅正)を踏まえる。5.3.2
注釈246ましていかが以下「思ひたまへられぬべけれ」まで、斎宮女御の返事。秋に心引かれると答える。5.3.5
注釈247いつとなきなかにあやしと聞きし夕べ「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」(古今集恋一、五四六、読人しらず)を踏まえる。5.3.5
注釈248はかなう消えたまひにし露のよすがにも思ひたまへられぬべけれ「消えたまひにし」は、自分の母御息所に対する敬語表現。「られ」自発の助動詞。5.3.5
注釈249君もさはあはれを交はせ人知れず--わが身にしむる秋の夕風源氏の歌。『新大系』は「恋情をこめて親交を求める歌」と注す。5.3.7
注釈250心得ずと思したる御けしきなり『完訳』は「おっしゃることが合点がゆかぬといった御面持をしていらっしゃる」と訳す。5.3.9
注釈251このついでにえ籠めたまはで恨みきこえたまふことどもあるべし『集成』は「草子地。かねて省筆の筆法である」。『完訳』は「語り手の推測。彼女への恋情を訴えたにちがいないとする」と注す。5.3.9
注釈252いとうたて斎宮女御の心中。間接的に語る。5.3.10
注釈253あさましうも以下「つらからむ」まで、源氏の詞。5.3.12
注釈254かくこそあらざなれ『集成』は「自嘲気味の言葉」と注す。「なれ」伝聞推定の助動詞。5.3.12
注釈255うちしめりたる御匂ひ源氏のお召物の匂い。5.3.14
注釈256この御茵の移り香以下「ゆゆしう」まで、女房たちの詞。源氏を賞賛する。5.3.15
注釈257柳の枝に咲かせたる大島本は「やなきのえたに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「柳が枝に」と校訂する。「梅が香を桜の花に匂はせて柳が枝に咲かせてしがな」(後拾遺集春上、八二、中原致時)を踏まえる。5.3.16
出典14 秋のあはれ 春はただ花のひとへに咲くばかりもののあはれは秋ぞまされる 拾遺集雑下-五一一 読人しらず 5.3.2
出典15 時々につけて 春秋に思ひ乱れて分きかねつ時につけつつ移る心は 拾遺集雑下-五〇九 紀貫之 5.3.2
出典16 花鳥の色をも音をも 花鳥の色をも音をもいたづらにもの憂かる身には過ぐすのみなりけり 後撰集夏-二一二 藤原雅正 5.3.2
出典17 あやしと聞きし夕べ いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり 古今集恋一-五四六 読人しらず 5.3.5
出典18 柳の枝に咲かせ 梅が香を桜の花に匂はせて柳が枝に咲かせてしがな 後拾遺集春上-八二 中原致時 5.3.16
校訂37 ことも ことも--ことん(ん/$も<朱>) 5.3.1
校訂38 ひがことも ひがことも--ひかことん(ん/$も<朱>) 5.3.10
校訂39 かな かな--(/+かな) 5.3.15
5.4
第四段 源氏、紫の君と語らう


5-4  Genji talks Murasaki after talking Saiguu

5.4.1   対に渡りたまひて、とみにも入りたまはず、いたう眺めて、端近う臥したまへり。燈籠遠くかけて、近く人びとさぶらはせたまひて、物語などせさせたまふ。
 西の対にお渡りになって、すぐにもお入りにならず、たいそう物思いに耽って、端近くに横におなりになった。燈籠を遠くに掛けて、近くに女房たちを伺候させなさって、話などをさせになる。
 西の対に帰った源氏はすぐにも寝室へはいらずに物思わしいふうで庭をながめながら、端の座敷にからだを横たえていた。燈籠とうろうを少し遠くへ掛けさせ、女房たちをそばに置いて話をさせなどしているのであった。
  Tai ni watari tamahi te, tomini mo iri tamaha zu, itau nagame te, hasi tikau husi tamahe ri. Touro tohoku kake te, tikaku hitobito saburaha se tamahi te, monogatari nado se sase tamahu.
5.4.2  「 かうあながちなることに胸ふたがる癖の、なほありけるよ」
 「このように無理な恋に胸がいっぱいになる癖が、いまも残っていたことよ」
 思ってはならぬ人が恋しくなって、悲しみに胸のふさがるような癖がまだ自分には残っているのでないかと、
  "Kau anagati naru koto ni mune hutagaru kuse no, naho arikeru yo!"
5.4.3  と、わが身ながら思し知らる。
 と、自分自身反省せずにはいらっしゃれない。
 源氏は自身のことながらも思われた。
  to, waga mi nagara obosi sira ru.
5.4.4  「 これはいと似げなきことなり。恐ろしう罪深き方は多うまさりけめど、 いにしへの好きは、思ひやりすくなきほどの過ちに、仏神も許したまひけむ」 と、思しさますも、「 なほ、この道は、うしろやすく深き方のまさりけるかな」
 「これはまことに相応しくないことだ。恐ろしく罪深いことは多くあったろうが、昔の好色は、思慮の浅いころの過ちであったから、仏や神もお許しになったことだろう」と、心をお鎮めになるにつけても、「やはり、この恋の道は、危なげなく思慮深さが増してきたものだな」
 これはまったく似合わしからぬ恋である、おそろしい罪であることはこれ以上であるかもしれぬが若き日の過失は、思慮の足らないためと神仏もお許しになったのであろう、今もまたその罪を犯してはならないと、
  "Kore ha ito nigenaki koto nari. Osorosiu tumi hukaki kata ha ohou masari keme do, inisihe no suki ha, omohiyari sukunaki hodo no ayamati ni, Hotoke Kami mo yurusi tamahi kem." to, obosi samasu mo, "Naho, kono miti ha, usiroyasuku hukaki kata no masari keru kana!"
5.4.5  と、思し知られたまふ。
 とお思い知られなさる。
 源氏はみずから思われてきたことによって、
  to, obosi sira re tamahu.
5.4.6  女御は、秋のあはれを知り顔に応へ聞こえてけるも、「悔しう恥づかし」と、御心ひとつにものむつかしうて、悩ましげにさへしたまふを、 いとすくよかにつれなくて、常よりも親がりありきたまふ。
 女御は、秋の情趣を知っているようにお答え申し上げたのも、「悔しく恥ずかしい」と、独り心の中でくよくよなさって、悩ましそうにさえなさっているのを、実にさっぱりと何くわぬ顔で、いつもよりも親らしく振る舞っていらっしゃる。
 年が行けば分別ができるものであるとも悟った。王女御は身にしむ秋というものを理解したふうにお返辞をされたことすらお悔やみになった。恥ずかしく苦しくて、無気味で病気のようになっておいでになるのを、源氏は素知らぬふうで平生以上に親らしく世話などやいていた。
  Nyougo ha, aki no ahare wo sirigaho ni irahe kikoye te keru mo, "Kuyasiu hadukasi." to, mi-kokoro hitotu ni mono-mutukasiu te, nayamasige ni sahe si tamahu wo, ito sukuyoka ni turenaku te, tune yori mo oyagari ariki tamahu.
5.4.7  女君に、
 女君に、
 源氏は夫人に、
  Womnagimi ni,
5.4.8  「 女御の、秋に心を寄せたまへりしもあはれに、君の、春の曙に心しめたまへるもことわりに こそあれ。時々につけたる木草の花によせても、御心とまるばかりの遊びなどしてしがなと、公私のいとなみしげき身こそふさはしからね、いかで思ふことしてしがなと、ただ、御ためさうざうしくやと思ふこそ、心苦しけれ」
 「女御が、秋に心を寄せていらっしゃるのも感心されますし、あなたが、春の曙に心を寄せていらっしゃるのももっともです。季節折々に咲く木や草の花を鑑賞しがてら、あなたのお気に入るような催し事などをしてみたいものだと、公私ともに忙しい身には相応しくないが、何とかして望みを遂げたいものですと、ただ、あなたにとって寂しくないだろうかと思うのが、気の毒なのです」
 「女御の秋がよいとお言いになるのにも同情されるし、あなたの春が好きなことにも私は喜びを感じる。季節季節の草木だけででも気に入った享楽をあなたがたにさせたい。いろいろの仕事を多く持っていてはそんなことも望みどおりにはできないから、早く出家が遂げたいものの、あなたの寂しくなることが思われてそれも実現難になりますよ」
  "Nyougo no, aki ni kokoro wo yose tamahe ri si mo ahare ni, Kimi no, haru no akebono ni kokoro sime tamahe ru mo kotowari ni koso are. Tokidoki ni tuke taru ki kusa no hana ni yose te mo, mi-kokoro tomaru bakari no asobi nado si te si gana to, ohoyake watakusi no itonami sigeki mi koso husahasikara ne, ikade omohu koto si te si gana to, tada, ohom-tame sauzausiku ya to omohu koso, kokorogurusikere!"
5.4.9  など 語らひきこえたまふ
 などと親密にお話申し上げになる。
 などと語っていた。
  nado katarahi kikoye tamahu.
注釈258対に渡りたまひて二条院西の対。紫の上がいる対の屋。5.4.1
注釈259かうあながちなることに以下「ありけるよ」まで、源氏の心中。好色心を反省。5.4.2
注釈260これはいと似げなきことなり以下「許したまひけむ」まで、源氏の心中。斎宮女御への自制心と藤壺との恋は若く思慮浅かったがゆえの過ちで、仏神も許してくれよう、と考える。5.4.4
注釈261いにしへの好きは『集成』は「昔の好色沙汰。藤壺との密通」。『新大系』は「藤壺への恋慕をさす」と注す。5.4.4
注釈262と思しさますも源氏の心中文の間に語り手の文章が介在した形。5.4.4
注釈263なほこの道は以下「まさりけるかな」まで、再び源氏の心中。5.4.4
注釈264いとすくよかに主語は源氏。5.4.6
注釈265女御の秋に心を寄せたまへりしも以下「心苦しけれ」まで、源氏の詞。紫の上に春の曙が好きですねという。5.4.8
注釈266語らひきこえたまふ作庭の相談をもちかける意。5.4.9
校訂40 こそ こそ--(/+こ<朱>)そ 5.4.8
5.5
第五段 源氏、大堰の明石を訪う


5-5  Genji visits to Akashi in Ohoi-villa

5.5.1  「 山里の人も、いかに」など、絶えず思しやれど、所狭さのみまさる御身にて、渡りたまふこと、いとかたし。
 「山里の人も、どうしているだろうか」などと、絶えず案じていらっしゃるが、窮屈さばかりが増していくお身の上で、お出かけになること、まことにむずかしい。
 大井の山荘の人もどうしているかと絶えず源氏は思いやっているが、ますます窮屈な位置に押し上げられてしまった今では、通って行くことが困難にばかりなった。
  "Yamazato no hito mo, ikani?" nado, tayezu obosiyare do, tokorosesa nomi masaru ohom-mi nite, watari tamahu koto, ito katasi.
5.5.2  「 世の中をあぢきなく憂しと思ひ知るけしき、 などかさしも思ふべき。心やすく立ち出でて、おほぞうの住まひはせじと思へる」を、「 おほけなし」とは思すものから、いとほしくて、例の、不断の御念仏にことつけて渡りたまへり。
 「夫婦仲をつまらなくつらいと思っている様子だが、どうしてそのように考える必要があろう。気安く出て来て、並々の生活はするまいと思っている」が、「思い上がった考えだ」とはお思いになる一方で、不憫に思って、いつもの、不断の御念仏にかこつけて、お出向きになった。
 悲観的に人生を見るようになった明石あかしを、源氏はそうした寂しい思いをするのも心がらである、自分の勧めに従って町へ出て来ればよいのであるが、他の夫人たちといっしょに住むのがいやだと思うような思い上がりすぎたところがあるからであると見ながらも、また哀れで、例の嵯峨さがの御堂の不断の念仏に託して山荘をたずねた。
  "Yononaka wo adikinaku usi to omohi siru kesiki, nadoka sasimo omohu beki. kokoroyasuku tatiide te, ohozou no sumahi ha se zi to omohe ru." wo, "Ohokenasi." to ha obosu monokara, itohosiku te, rei no, hudan no ohom-nenbutu ni kototuke te watari tamahe ri.
5.5.3  住み馴るるままに、いと心すごげなる所のさまに、いと深からざらむことにてだに、あはれ添ひぬべし。まして、 見たてまつるにつけても、 つらかりける御契りの、さすがに、浅からぬを思ふに、なかなかにて慰めがたきけしきなれば、こしらへかねたまふ。
 住み馴れていくにしたがって、とてももの寂しい場所の様子なので、たいして深い事情がない人でさえ、きっと悲哀を増すであろう。まして、お逢い申し上げるにつけても、つらかった宿縁の、とはいえ、浅くないのを思うと、かえって慰めがたい様子なので、なだめかねなさる。
 住みれるにしたがってますますすごい気のする山荘に待つ恋人などというものは、この源氏ほどの深い愛情を持たない相手をも引きつける力があるであろうと思われる。ましてたまさかに逢えたことで、恨めしい因縁のさすがに浅くないことも思って歎く女はどう取り扱っていいかと、源氏は力限りの愛撫あいぶを試みて慰めるばかりであった。
  Sumi naruru mama ni, ito kokorosugoge naru tokoro no sama ni, ito hukakara zara m koto nite dani, ahare sohi nu besi. Masite, mi tatematuru ni tuke te mo, turakari keru ohom-tigiri no, sasuga ni, asakara nu wo omohu ni, nakanaka ni te nagusame gataki kesiki nare ba, kosirahe kane tamahu.
5.5.4   いと木繁き中より、篝火どもの影の、遣水の螢に見えまがふもをかし
 たいそう茂った木立の間から、いくつもの篝火の光が、遣水の上を飛び交う螢のように見えるのも趣深く感じられる。
 木のしげった中からさすかがりの光が流れのほたると同じように見える庭もおもしろかった。
  Ito ko sigeki naka yori, kagaribi-domo no kage no, yarimidu no hotaru ni miye magahu mo wokasi.
5.5.5  「 かかる住まひにしほじまざらましかば、めづらかにおぼえまし」
 「このような生活に馴れていなかったら、さぞ珍しく思えたでしょうに」
 「過去に寂しい生活の経験をしていなかったら、私もこの山荘で逢うことが心細くばかり思われることだろう」
  "Kakaru sumahi ni sihozima zara masika ba, meduraka ni oboye masi."
5.5.6  とのたまふに、
 とおっしゃると、
 と源氏が言うと、
  to notamahu ni,
5.5.7  「 漁りせし影忘られぬ篝火は
   身の浮舟や慕ひ来にけむ
 「あの明石の浦の漁り火が思い出されますのは
  わが身の憂さを追ってここまでやって来たのでしょうか
  「いさりせしかげ忘られぬ篝火かがりび
  身のうき船や慕ひ来にけん
    "Isari se si kage wasura re nu kagaribi ha
    mi no ukihune ya sitahi ki ni kem
5.5.8   思ひこそ、まがへられはべれ
 間違われそうでございます」
 あちらの景色けしきによく似ております。不幸な者につきもののような灯影ほかげでございます」
  Omohi koso, magahe rare habere."
5.5.9  と聞こゆれば、
 と申し上げると、
 と明石が言った。
  to kikoyure ba,
5.5.10  「 浅からぬしたの思ひを知らねばや
   なほ篝火の影は騒げる
 「わたしの深い気持ちを御存知ないからでしょうか
  今でも篝火のようにゆらゆらと心が揺れ動くのでしょう
  「浅からぬ下の思ひを知らねばや
  なほ篝火の影は騒げる
    "Asakara nu sita no omohi wo sira ne baya
    naho kagaribi no kage ha sawage ru
5.5.11   誰れ憂きもの
 誰が憂きものと、させたでしょう」
 だれが私の人生観を悲しいものにさせたのだろう」
  Tare uki mono."
5.5.12  と、おし返し 恨みたまへる
 と、逆にお恨みになっていらっしゃる。
 と源氏のほうからも恨みを言った。
  to, osi-kahesi urami tamahe ru.
5.5.13  おほかたもの静かに思さるるころなれば、尊きことどもに御心とまりて、 例よりは日ごろ経たまふにや、すこし思ひ紛れけむ、とぞ
 だいたいに自然と物静かな思いにおなりの時候なので、尊い仏事にご熱心になって、いつもよりは長くご滞在になったのであろうか、少し物思いも慰められたろう、と言うことである。
 少し閑暇ひまのできたころであったから、御堂みどうの仏勤めにも没頭することができて、二、三日源氏が山荘にとどまっていることで女は少し慰められたはずである。
  Ohokata mono-siduka ni obosa ruru koro nare ba, tahutoki koto-domo ni mi-kokoro tomari te, rei yori ha higoro he tamahu ni ya, sukosi omohi magire kem, to zo.
注釈267山里の人もいかになど源氏、大堰山荘の明石の君を気づかう。5.5.1
注釈268世の中をあぢきなく以下「おほけなし」まで、源氏の心中。5.5.2
注釈269などかさしも思ふべき反語表現。どうしてそんなにも思うことがあろう、悲観する必要はない。5.5.2
注釈270おほけなし『集成』は「身のほどを知らぬ」。『完訳』は「それは身の程をわきまえぬ思いあがりというもの」と注す。5.5.2
注釈271見たてまつるに明石の君が源氏を。5.5.3
注釈272つらかりける御契りのさすがに浅からぬを思ふに『集成』は「ままならぬ源氏との仲ではあるが、さすがに姫君まで生した浅からぬ因縁を思うと」と注す。「ける」過去の助動詞。源氏との過去をふりかえった感慨。5.5.3
注釈273いと木繁き中より篝火どもの影の遣水の螢に見えまがふもをかし大堰川の鵜飼の篝火が螢の光に見える。螢の歌語的世界。源氏の抑制された恋情を象形。景情一致の場面。5.5.4
注釈274かかる住まひに以下「おぼえまし」まで、源氏の詞。「ましかば--まし」反実仮想の構文。5.5.5
注釈275漁りせし影忘られぬ篝火は--身の浮舟や慕ひ来にけむ明石の君の歌。「漁り」「篝火」「浮舟」は縁語。「浮き」「憂き」の掛詞。5.5.7
注釈276思ひこそまがへられはべれ歌に添えた詞。『集成』は「まるであの頃のような思いがいたされます」と訳す。5.5.8
注釈277浅からぬしたの思ひを知らねばや--なほ篝火の影は騒げる源氏の返歌。「篝火の影となる身のわびしきは流れて下に燃ゆるなりけり」(古今集恋一、五三〇、読人しらず)を踏まえる。「思ひ」に「火」を掛ける。5.5.10
注釈278誰れ憂きもの歌に添えた詞。「うたかたを思へば悲し世の中を誰憂きものと知らせそめけむ」(古今六帖、三、うたかた)の第四句の言葉。5.5.11
注釈279恨みたまへる連体形中止法。余情余韻を残す。5.5.12
注釈280例よりは日ごろ経たまふにやすこし思ひ紛れけむとぞ『集成』は「人の話を伝え聞いて書き留めたという体の草子地」。『新大系』は「伝聞形式によって巻末を結ぶ」と注す。5.5.13
出典19 篝火の影 篝火の影となる身のわびしきは流れて下に燃ゆるなりけり 古今集恋一-五三〇 読人しらず 5.5.10
出典20 誰れ憂きもの うたかたも思へば悲し世の中を誰れ憂きものと知らせそめけむ 古今六帖三-一七二六 5.5.11
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/27/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/15/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年7月14日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 10/27/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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