第二十帖 朝顔


20 ASAGAHO (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十二歳の晩秋九月から冬までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from September in late fall to winter at the age of 32

1
第一章 朝顔姫君の物語 昔の恋の再燃


1  Tale of Asagao  Love with a past girlfriend

1.1
第一段 九月、故桃園式部卿宮邸を訪問


1-1  Genji visits to Sikibukyo's residence at September

1.1.1   斎院は、御服にて下りゐたまひにきかし大臣、例の、思しそめつること、絶えぬ御癖にて、御訪らひなどいとしげう聞こえたまふ。 宮、わづらはしかりしことを思せば、御返りもうちとけて聞こえたまはず。いと口惜しと思しわたる。
 斎院は、御服喪のために退下なさったのである。大臣、例によって、いったん思い初めたこと、諦めないご性癖で、お見舞いなどたいそう頻繁に差し上げなさる。宮は、かつて困ったことをお思い出しになると、お返事も気を許して差し上げなさらない。たいそう残念だとお思い続けていらっしゃる。
 斎院は父宮の喪のために職をお辞しになった。源氏は例のように古い恋も忘れることのできぬ癖で、始終手紙を送っているのであったが、斎院御在職時代に迷惑をされたうわさの相手である人に、女王にょおうは打ち解けた返事をお書きになることもなかった。
  Saiwin ha, ohom-buku nite oriwi tamahi ni ki kasi. Otodo, rei no, obosi some turu koto, taye nu ohom-kuse nite, ohom-toburahi nado ito sigeu kikoye tamahu. Miya, wadurahasikari si koto wo obose ba, ohom-kaheri mo utitoke te kikoye tamaha zu. Ito kutiwosi to obosi wataru.
1.1.2   長月になりて、桃園宮に渡りたまひぬるを聞きて女五の宮のそこにおはすれば、そなたの御訪らひにことづけて参うでたまふ。 故院の、この御子たちをば、心ことにやむごとなく思ひきこえたまへりしかば、今も親しく 次々に聞こえ交はしたまふめり同じ寝殿の西東にぞ住みたまひける。ほどもなく荒れにける心地して、あはれにけはひしめやかなり。
 九月になって、桃園宮にお移りになったのを聞いて、女五の宮がそこにいらっしゃるので、その方のお見舞にかこつけて参上なさる。故院が、この内親王方を特別に大切にお思い申し上げていらっしゃったので、今でも親しくそれからそれへと交際なさっていらっしゃるようである。同じ寝殿の西と東とにお住みになっていらっしゃるのであった。早くも荒廃してしまった心地がして、しみじみともの寂しげな感じである。
 九月になって旧邸の桃園の宮へお移りになったのを聞いて、そこには御叔母おば女五にょごみやが同居しておいでになったから、そのお見舞いに託して源氏は訪問して行った。故院がこの御同胞はらからがたを懇切にお扱いになったことによって、今もそうした方々と源氏には親しい交際が残っているのである。同じ御殿の西と東に分かれて、老内親王と若い前斎院とは住んでおいでになった。
  Nagatuki ni nari te, Momozononomiya ni watari tamahi nuru wo kiki te, Womna-Go-no-Miya no soko ni ohasure ba, sonata no ohom-toburahi ni kotoduke te maude tamahu. Ko-Win no, kono Miko-tati wo ba, kokoro koto ni yamgotonaku omohi kikoye tamahe ri sika ba, ima mo sitasiku tugitugi ni kikoye kahasi tamahu meri. Onazi Sinden no nisi himgasi ni zo sumi tamahi keru. Hodo mo naku are ni keru kokoti si te, ahare ni kehahi simeyaka nari.
1.1.3  宮、対面したまひて、御物語聞こえたまふ。いと古めきたる御けはひ、しはぶきがちにおはす。 年長におはすれど故大殿の宮は、あらまほしく古りがたき御ありさまなるを、もて離れ、声ふつつかに、こちごちしくおぼえたまへるも、さるかたなり。
 宮が、ご対面なさって、お話を申し上げなさる。たいそうお年を召したご様子、とかく咳をしがちでいらっしゃる。姉上におあたりになるが、故大殿の宮は、申し分なく若々しいご様子なのに、それにひきかえ、お声もつやがなく、ごつごつとした感じでいらっしゃるのは、そうした人柄なのである。
 式部卿しきぶきょうの宮がおかくれになって何ほどの時がたっているのでもないが、もう宮のうちには荒れた色が漂っていて、しんみりとした空気があった。女五の宮が御対面あそばして源氏にいろいろなお話があった。老女らしい御様子でせきが多くお言葉に混じるのである。姉君ではあるが太政大臣の未亡人の宮はもっと若く、美しいところを今もお持ちになるが、これはまったく老人らしくて、女性に遠い気のするほどこちこちしたものごしでおありになるのも不思議である。
  Miya, taimen si tamahi te, ohom-monogatari kikoye tamahu. Ito hurumeki taru ohom-kehahi, sihabuki gati ni ohasu. Konokami ni ohasure do, ko-Ohotono no Miya ha, aramahosiku huri gataki ohom-arisama naru wo, mote-hanare, kowe hututuka ni, kotigotisiku oboye tamahe ru mo, saru kata nari.
1.1.4  「 院の上、隠れたまひてのち、よろづ心細くおぼえはべりつるに、年の積もるままに、いと涙がちにて過ぐしはべるを、この宮さへかくうち捨てたまへれば、いよいよあるかなきかに、とまりはべるを、かく立ち寄り訪はせたまふになむ、もの忘れしぬべくはべる」
 「院の上、お崩れあそばして後、いろいろと心細く思われまして、年をとるにつれて、ひどく涙がちに過ごしてきましたが、この宮までがこのように先立たれましたので、ますます生きているのか死んでいるのか分からないような状態で、この世に生き永らえておりましたところ、このようにお見舞いに立ち寄りくださったので、物思いも忘れられそうな気がします」
 「院の陛下がおかくれになってからは、心細いものに私はなって、年のせいからも泣かれる日が多いところへ、またこの宮が私を置いて行っておしまいになったので、もうあるかないかに生きているにすぎない私をたずねてくだすったことで、私は不幸だと思ったことももう忘れてしまいそうですよ」
  "Win-no-Uhe, kakure tamahi te noti, yorodu kokorobosoku oboye haberi turu ni, tosi no tumoru mama ni, ito namida gati nite sugusi haberu wo, kono Miya sahe kaku uti-sute tamahe re ba, iyoiyo arukanakika ni, tomari haberu wo, kaku tatiyori toha se tamahu ni nam, monowasure si nu beku haberu."
1.1.5  と聞こえたまふ。
 とお申し上げになる。
 と宮はお言いになった。
  to kikoye tamahu.
1.1.6  「 かしこくも古りたまへるかな」と思へど、うちかしこまりて、
 「恐れ多くもお年を召されたものだ」と思うが、かしこまって、
 ずいぶん老人としよりめいておしまいになったと思いながらも源氏はかしこまって申し上げた。
  "Kasikoku mo huri tamahe ru kana!" to omohe do, uti-kasikomari te,
1.1.7  「 院隠れたまひてのちは、さまざまにつけて、同じ世のやうにもはべらず、 おぼえぬ罪に当たりはべりて、知らぬ世に惑ひはべりしをたまたま、朝廷に数まへられたてまつりては、またとり乱り暇なくなどして、年ごろも、参りていにしへの御物語をだに聞こえうけたまはらぬを、いぶせく思ひたまへわたりつつなむ」
 「院がお崩れあそばしてから後は、さまざまなことにつけて、在世当時のようではございませんで、身におぼえのない罪に当たりまして、見知らない世界に流浪しましたが、偶然にも、朝廷からお召しくださいましてからは、また忙しく暇もない状態で、ここ数年は、参上して昔のお話だけでも申し上げたり承ったりできなかったのを、ずっと気にかけ続けてまいりました」
 「院がおかくれになりまして以来、すべてのことが同じこの世のことと思われませんような変わり方で、思いがけぬ所罰も受けまして、遠国に漂泊さすらえておりましたが、たまたま帰京が許されることになりますと、また雑務に追われてばかりおりますようなことで、長い前からお伺いいたして故院のお話を承りもし、お聞きもいただきたいと存じながら果たしえませんことで悶々もんもんとしておりました」
  "Win kakure tamahi te noti ha, samazama ni tuke te, onazi yo no yau ni mo habera zu, oboye nu tumi ni atari haberi te, sira nu yo ni madohi haberi si wo, tamatama, ohoyake ni kazumahe rare tatematuri te ha, mata tori-midari itoma naku nado si te, tosigoro mo, mawiri te inisihe no ohom-monogatari wo dani kikoye uketamahara nu wo, ibuseku omohi tamahe watari tutu nam."
1.1.8  など聞こえたまふを、
 などと申し上げなさると、

  nado kikoye tamahu wo,
1.1.9  「 いともいともあさましくいづ方につけても定めなき世を、同じさまにて見たまへ過ぐす 命長さの恨めしきこと多くはべれど、かくて、世に 立ち返りたまへる御よろこびになむ、ありし年ごろを 見たてまつりさしてましかば、口惜しからましとおぼえはべり」
 「とてもとても驚くほどの、どれをとってみても定めない世の中を、同じような状態で過ごしてまいりました寿命の長いことの恨めしく思われることが多くございますが、こうして、政界にご復帰なさったお喜びを、あの時代を拝見したままで死んでしまったら、どんなにか残念であったであろうかと思われました」
 「あなたの不幸だったころの世の中はまあどうだったろう。昔の御代もそうした時代も同じようにながめていねばならぬことで私は長生きがいやでしたが、またあなたがお栄えになる日を見ることができたために、私の考えはまた違ってきましたよ。あの中途で死んでいたらと思うのでね、長生きがよくなったのですよ」
  "Ito mo ito mo asamasiku, idukata ni tuke te mo sadame naki yo wo, onazi sama nite mi tamahe sugusu inoti nagasa no uramesiki koto ohoku habere do, kaku te, yo ni tatikaheri tamahe ru ohom-yorokobi ni nam, arisi tosigoro wo mi tatematuri sasi te masika ba, kutiwosikara masi to oboye haberi."
1.1.10  と、うちわななきたまひて、
 と、声をお震わせになって、
 ぶるぶるとお声が震う。また続けて、
  to, uti-wananaki tamahi te,
1.1.11  「 いときよらにねびまさりたまひにけるかな。童にものしたまへりしを見たてまつりそめし時、世にかかる光の出でおはしたることと驚かれはべりしを、時々見たてまつるごとに、ゆゆしくおぼえはべりてなむ。内裏の上なむ、いとよく 似たてまつらせたまへりと、人びと聞こゆるを、さりとも、劣りたまへらむとこそ、推し量りはべれ」
 「まことに美しくご成人なさいましたね。子どもでいらっしゃったころに、初めてお目にかかった時、真実にこんなにも美しい人がお生まれになったと驚かずにはいられませんでしたが、時々お目にかかるたびに、不吉なまでに思われました。今上の帝が、とてもよく似ていらっしゃると、人々が申しますが、いくら何でも見劣りあそばすだろうと、推察いたします」
 「ますますきれいですね。子供でいらっしった時にはじめてあなたを見て、こんな人も生まれてくるものだろうかとびっくりしましたね。それからもお目にかかるたびにあなたのきれいなのに驚いてばかりいましたよ。今の陛下があなたによく似ていらっしゃるという話ですが、そのとおりには行かないでしょう、やはりいくぶん劣っていらっしゃるだろうと私は想像申し上げますよ」
  "Ito kiyora ni nebi masari tamahi ni keru kana! Waraha ni monosi tamahe ri si wo mi tatematuri some si toki, yo ni kakaru hikari no ide ohasi taru koto to odoroka re haberi si wo, tokidoki mi tatematuru goto ni, yuyusiku oboye haberi te nam. Uti-no-Uhe nam, ito yoku ni tatematura se tamahe ri to, hitobito kikoyuru wo, saritomo, otori tamahe ra m to koso, osihakari habere."
1.1.12  と、長々と聞こえたまへば、
 と、くどくどと申し上げなさるので、
 長々と宮は語られるのであるが、
  to, naganaga to kikoye tamahe ba,
1.1.13  「 ことにかくさし向かひて人のほめぬわざかな」と、をかしく思す。
 「ことさらに面と向かって人は褒めないものを」と、おかしくお思いになる。
面と向かって美貌びぼうをほめる人もないものであると源氏はおかしく思った。
  "Kotoni kaku sasimukahi te hito no home nu waza kana!" to, wokasiku obosu.
1.1.14  「 山賤になりて、いたう思ひくづほれはべりし年ごろののち、こよなく衰へにてはべるものを。内裏の御容貌は、いにしへの世にも並ぶ人なくやとこそ、ありがたく見たてまつりはべれ。あやしき御推し量りになむ」
 「田舎者になって、ひどく元気をなくしておりました年月の後は、すっかり衰えてしまいましたものを。今上の御容貌は、昔の世にも並ぶ方がいないのではいかと、世に類いないお方と拝見しております。変なご推察です」
 「さすらい人になっておりましたころから非常に私も衰えてしまいました。陛下の御美貌は古今無比とお見上げ申しております。あなた様の御想像は誤っておりますよ」
  "Yamagatu ni nari te, itau omohi-kuduhore haberi si tosigoro no noti, koyonaku otorohe nite haberu mono wo! Uti no ohom-katati ha, inisihe no yo ni mo narabu hito naku ya to koso, arigataku mi tatematuri habere. Ayasiki ohom-osihakari ni nam."
1.1.15  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と源氏は言った。
  to kikoye tamahu.
1.1.16  「 時々見たてまつらば、いとどしき命や延びはべらむ。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きみな去りぬる心地なむ」
 「時々お目にかかれたら、長い寿命がますます延びそうでございます。今日は老いも忘れ、憂き世の嘆きもみな消えてしまった感じがします」
 「では時々陛下を拝んでおればいっそう長生きをする私になりますね。私は今日でもう人生のいやなことも皆忘れてしまいましたよ」
  "Tokidoki mi tatematura ba, itodosiki inoti ya nobi habera m. Kehu ha oyi mo wasure, ukiyo no nageki mina sari nuru kokoti nam."
1.1.17  とても、また泣いたまふ。
 と言っては、またお泣きになる。
 こんなお話のあとでも五の宮はお泣きになるのである。
  tote mo, mata nai tamahu.
1.1.18  「 三の宮うらやましく、さるべき御ゆかり添ひて、親しく見たてまつりたまふを、うらやみはべる。この亡せたまひぬるも、さやうにこそ悔いたまふ折々ありしか」
 「三の宮が羨ましく、しかるべきご縁ができて、親しくお目にかかることがおできになれるのを、羨ましく思います。こちらのお亡くなりになった方も、そのように言って後悔なさる折々がありました」
 「お姉様の三の宮がおうらやましい。あなたのお子さんを孫にしておられる御縁で始終あなたにお逢いしておられるのだからね。ここのおくなりになった宮様もその思召しだけがあって、実現できなかったことで歎息たんそくをあそばしたことがよくあるのです」
  "Sam-no-Miya urayamasiku, sarubeki ohom-yukari sohi te, sitasiku mi tatematuri tamahu wo, urayami haberu. Kono use tamahi nuru mo, sayau ni koso kuyi tamahu woriwori ari sika."
1.1.19  とのたまふにぞ、 すこし耳とまりたまふ
 とおっしゃるので、少し耳がおとまりになる。
 というお話だけには源氏も耳のとまる気がした。
  to notamahu ni zo, sukosi mimi tomari tamahu.
1.1.20  「 さも、さぶらひ馴れなましかば、今に思ふさまにはべらまし。皆さし放たせたまひて」
 「そういうふうにも、親しくお付き合いさせていただけたならば、今も嬉しいことでございましたでしょうに。すっかり見限りなさいまして」
 「そうなっておりましたら私はすばらしい幸福な人間だったでしょう。宮様がたは私に御愛情が足りなかったとより思われません」
  "Samo, saburahi nare na masika ba, ima ni omohu sama ni habera masi. Mina sasi-hanata se tamahi te."
1.1.21  と、恨めしげにけしきばみきこえたまふ。
 と、恨めしそうに様子ぶって申し上げなさる。
 と源氏は恨めしいふうに、しかも言外に意を響かせても言った。
  to, uramesige ni kesikibami kikoye tamahu.
注釈1斎院は御服にて下りゐたまひにきかし朝顔君は父桃園式部卿宮の薨去により喪に服し、斎院を退下。式部卿宮の薨去は「薄雲」に語られている。1.1.1
注釈2大臣例の思しそめつること絶えぬ御癖にて『完訳』は「一度でも逢った女は捨てることのない、源氏の心長い性格」と注す。「癖」は良い意味のニュアンスではない。1.1.1
注釈3宮わづらはしかりしことを思せば『集成』は「賢木の巻に、源氏が雲林院滞在中、斎院に文通したことが見え、源氏と斎院の文通のことが右大臣と弘徽殿の大后の間で話題になっている。そのことは斎院の耳にも入っていたのであろう」。『完訳』は「姫君が源氏を「わづらはしかりし」と思う過去の具体的な事実は不明。情交はなかったらしい」と注す。1.1.1
注釈4長月になりて桃園宮に渡りたまひぬるを聞きて父桃園式部卿宮の薨去は夏ころ。朝顔の君は斎院退下直後は別の所にいて、九月に桃園宮に移った。1.1.2
注釈5女五の宮のそこにおはすれば桃園式部卿宮と兄妹。故桐壺の妹宮。葵の上の母は三の宮。1.1.2
注釈6故院のこの御子たちをば故桐壺院が。「の」格助詞、主格を表す。1.1.2
注釈7次々に聞こえ交はしたまふめり『集成』は「それからそれへとお付合いしていられるようだ」。『完訳』は「そうした方々と互いに親しくお便りを取り交わし申しておられるようである」と訳す。「めり」推量の助動詞、語り手の主観的推量を表す。1.1.2
注釈8同じ寝殿の西東にぞ住みたまひける寝殿の西の間に朝顔の君、東の間に女五の宮。1.1.2
注釈9年長におはすれど下文によって「故大殿の宮」すなわち葵の上の母宮、三の宮が主語と知れる。1.1.3
注釈10故大殿の宮故大殿すなわち故太政大臣。「薄雲」巻に薨去が語られている。葵の上の母。1.1.3
注釈11院の上隠れたまひてのち以下「もの忘れしぬべくはべる」まで、女五の宮の詞。お礼の挨拶。1.1.4
注釈12かしこくも古りたまへるかな源氏の心中。五の宮はひどく年をとったなという感想。『完訳』は「「かしこくも」は、高貴な身分へのもったいない気持とともに、甚だしい老化の意を表す。次の「うちかしこまり」とも照応」と注す。1.1.6
注釈13院隠れたまひてのちは以下「思ひたまへわたりつれ」まで、源氏の詞。御無沙汰を詫びた挨拶。1.1.7
注釈14おぼえぬ罪に当たりはべりて知らぬ世に惑ひはべりしを官位の剥奪と須磨明石流離の生活をさす。1.1.7
注釈15たまたま朝廷に数まへられたてまつりては『完訳』は「「たまたま」に注意。人力を超えた偶然による」と注す。1.1.7
注釈16いともいともあさましく以下「おぼえはへり」まで、五の宮の詞。1.1.9
注釈17いづ方につけても桐壺院の崩御と源氏の流離をさす。1.1.9
注釈18命長さの恨めしきこと「寿則辱多し」(荘子、外篇)。「人生莫羨苦長命 命長感旧多悲辛(人生羨む莫かれ苦だ長命なるを 命長ければ旧に感じて悲辛多意し)」(白氏文集巻六十九「感旧」)。1.1.9
注釈19見たてまつりさしてましかば「ましかば」--「口惜しからまし」反実仮想の構文。1.1.9
注釈20いときよらに以下「推し量りはべれ」まで、五の宮の詞。源氏の美しさを面と向かって礼讃。世間では今上帝と似ていて美しいというが、それ以上だと、かたはら痛いことまで口にする。1.1.11
注釈21似たてまつらせたまへりと大島本は「給へり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへる」と校訂する。1.1.11
注釈22ことにかくさし向かひて人のほめぬわざかな源氏の心中。1.1.13
注釈23山賤になりて以下「御推し量りになむ」まで、源氏の詞。五の宮の言葉を否定し謙遜する。1.1.14
注釈24時々見たてまつらば以下「去りぬる心地なむ」まで、五の宮の詞。1.1.16
注釈25三の宮うらやましくさるべき御ゆかり添ひて親しく見たてまつりたまふをうらやみはべる以下「折々ありしか」まで、五の宮の詞。前の「同じさまにて見たまへ過ぐす命長さの恨めしきこと」とも関連して、皇族の独身老女の孤独な悲哀が語られている。
【うらやみはべる】-「はべる」連体中止法。余意余情のニュアンス。
1.1.18
注釈26すこし耳とまりたまふ話題が朝顔の君に関することになったので、関心をよせた。1.1.19
注釈27さも、さぶらひ馴れなましかば以下「皆さし放たせたまひて」まで、源氏の詞。「ましかば」--「まし」反実仮想の構文。1.1.20
出典1 命長さの恨めしきこと多く 寿則多辱 荘子-天地 1.1.9
校訂1 立ち返り 立ち返り--たちか(か/$か)へり 1.1.9
1.2
第二段 朝顔姫君と対話


1-2  Genji talks with Asagao

1.2.1   あなたの御前を見やりたまへば枯れ枯れなる前栽の心ばへもことに見渡されて、のどやかに眺めたまふらむ御ありさま、容貌も、いとゆかしくあはれにて、え念じたまはで、
 あちらのお前の方にお目をやりなさると、うら枯れた前栽の風情も格別に見渡されて、のんびりと物思いに耽っていらっしゃるらしいご様子、ご器量も、たいそうお目にかかりたくしみじみと思われて、我慢することがおできになれず、
 女王にょおうのお住まいになっているほうの庭を遠く見ると、枯れ枯れになった花草もなお魅力を持つもののように思われて、それを静かな気分でながめていられる麗人が直ちに想像され、源氏は恋しかった。逢いたい心のおさえられないままに、
  Anata no omahe wo miyari tamahe ba, karegare naru sensai no kokorobahe mo kotoni miwatasa re te, nodoyaka ni nagame tamahu ram ohom-arisama, katati mo, ito yukasiku ahare ni te, e nenzi tamaha de,
1.2.2  「 かくさぶらひたるついでを過ぐしはべらむは、心ざしなきやうなるを、あなたの御訪らひ聞こゆべかりけり」
 「このようにお伺いした機会を逃しては、無愛想になりますから、あちらへのお見舞いも申し上げなくてはなりませんでした」
 「こちらへ伺いましたついでにおたずねいたさないことは、志のないもののように、誤解を受けましょうから、あちらへも参りましょう」
  "Kaku saburahi taru tuide wo sugusi habera m ha, kokorozasi naki yau naru wo, anata no ohom-toburahi kikoyu bekari keri."
1.2.3  とて、やがて簀子より渡りたまふ。
 と言って、そのまま簀子からお渡りになる。
 と源氏は言って、縁側伝いに行った。
  tote, yagate sunoko yori watari tamahu.
1.2.4   暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影あはれに、追風なまめかしく吹き通し、 けはひあらまほし。簀子はかたはらいたければ、南の廂に入れたてまつる。
 暗くなってきた時分であるが、鈍色の御簾に、黒い御几帳の透き影がしみじみと見え、追い風が優美に吹き通して、風情は申し分ない。簀子では不都合なので、南の廂の間にお入れ申し上げる。
 もう暗くなったころであったが、にび色の縁の御簾みすに黒い几帳きちょうの添えて立てられてある透影すきかげは身にしむものに思われた。薫物たきものの香が風について吹き通うえんなお住居すまいである。外は失礼だと思って、女房たちの計らいで南の端の座敷の席が設けられた。
  Kurau nari taru hodo nare do, nibiiro no misu ni, kuroki mikityau no sukikage ahare ni, ohikaze namamekasiku hukitohosi, kehahi aramahosi. Sunoko ha kataharaitakere ba, minami no hisasi ni ire tatematuru.
1.2.5   宣旨、対面して、御消息は聞こゆ。
 宣旨が、対面して、ご挨拶はお伝え申し上げる。
 女房の宣旨せんじが応接に出て取り次ぐ言葉を待っていた。
  Senzi, taimen si te, ohom-seusoko ha kikoyu.
1.2.6  「 今さらに若々しき心地する御簾の前かな。 神さびにける年月の労数へられはべるに、今は内外も許させたまひてむとぞ頼みはべりける」
 「今さら、若者扱いの感じがします御簾の前ですね。神さびるほど古い年月の年功も数えられますので、今は御簾の内への出入りもお許しいただけるものと期待しておりましたが」
 「今になりまして、お居間の御簾の前などにお席をいただくことかと私はちょっと戸惑いがされます。どんなに長い年月にわたって私は志を申し続けてきたことでしょう。その労にむくいられて、お居間へ伺うくらいのことは許されていいかと信じてきましたが」
  "Imasara ni, wakawakasiki kokoti suru misu no mahe kana! Kamisabi ni keru tosituki no rau kazohe rare haberu ni, ima ha naige mo yurusa se tamahi te m to zo tanomi haberi keru."
1.2.7  とて、飽かず思したり。
 と言って、物足りなくお思いでいらっしゃる。
 と言って、源氏は不満足な顔をしていた。
  tote, akazu obosi tari.
1.2.8  「 ありし世は皆夢に見なして、今なむ、覚めてはかなきにやと、思ひたまへ定めがたくはべるに、労などは、 静かにやと定めきこえさすべうはべらむ」
 「今までのことはみな夢と思い、今、夢から覚めてはかない気がするのかと、はっきりと分別しかねておりますが、年功などは、静かに考えさせていただきましょう」
 「昔というものは皆夢でございまして、それがさめたのちのはかない世かと、それもまだよく決めて思われません境地にただ今はおります私ですから、あなた様の労などは静かに考えさせていただいたのちにめなければと存じます」
  "Ari si yo ha mina yume ni minasi te, ima nam, same te hakanaki ni ya to, omohi tamahe sadame gataku haberu ni, rau nado ha, siduka ni ya to sadame kikoye sasu beu habera m."
1.2.9  と、聞こえ出だしたまへり。「 げにこそ定めがたき世なれ」と、はかなきことにつけても思し続けらる。
 とお答え申し上げさせなさった。「なるほど無常な世である」と、ちょっとしたことにつけても自然とお思い続けられる。
 女王の言葉の伝えられたのはこれだった。だからこの世は定めがたい、頼みにしがたいのだと、こんな言葉の端からも源氏は悲しまれた。
  to, kikoye idasi tamahe ri. "Geni koso sadame gataki yo nare!" to, hakanaki koto ni tuke te mo obosi tuduke raru.
1.2.10  「 人知れず神の許しを待ちし間に
   ここらつれなき世を過ぐすかな
 「誰にも知られず神の許しを待っていた間に
  長年つらい世を過ごしてきたことよ
  「人知れず神の許しを待ちしまに
  ここらつれなき世を過ぐすかな
    "Hito sire zu Kami no yurusi wo mati si ma ni
    kokora turenaki yo wo sugusu kana
1.2.11   今は、何のいさめにか、かこたせたまはむとすらむ。なべて、世にわづらはしきことさへはべりしのち、さまざまに思ひたまへ集めしかな。いかで片端をだに」
 今は、どのような戒めにか、かこつけなさろうとするのでしょう。総じて、世の中に厄介なことまでがございました後、いろいろとつらい思いをするところがございました。せめてその一部なりとも」
 ただ今はもう神に託しておのがれになることもできないはずです。一方で私が不幸な目にあっていました時以来の苦しみの記録の片端でもお聞きくださいませんか」
  Ima ha, nani no isame ni ka, kakota se tamaha m to su ram? Nabete, yo ni wadurahasiki koto sahe haberi si noti, samazama ni omohi tamahe atume si kana! Ikade katahasi wo dani."
1.2.12  と、あながちに聞こえたまふ、御用意なども、昔よりも今すこしなまめかしきけさへ添ひたまひにけり。 さるは、いといたう過ぐしたまへど、御位のほどには合はざめり
 と、たって申し上げなさる、そのお心づかいなども、昔よりもう一段と優美さまでが増していらっしゃった。その一方で、とてもたいそうお年も召していらっしゃるが、ご身分には相応しくないようである。
 源氏は女王と直接に会見することをこう言って強要するのである。そうした様子なども昔の源氏に比べて、より優美なところが多く添ったように思われた。その時代に比べると年はずっと行ってしまった源氏ではあるが、位の高さにはつりあわぬ若々しさは保存されていた。
  to, anagati ni kikoye tamahu, ohom-youi nado mo, mukasi yori mo ima sukosi namamekasiki ke sahe sohi tamahi ni keri. Saruha, ito itau sugusi tamahe do, ohom-kurawi no hodo ni ha aha za' meri.
1.2.13  「 なべて世のあはればかりを問ふからに
   誓ひしことと神やいさめむ
 「一通りのお見舞いの挨拶をするだけでも
  誓ったことに背くと神が戒めるでしょう
  なべて世の哀ればかりを問ふからに
  誓ひしことを神やいさめん
    "Nabete yo no ahare bakari wo tohu kara ni
    tikahi si koto to Kami ya isame m
1.2.14  とあれば、
 とあるので、
 と斎院のお歌が伝えられる。
  to are ba,
1.2.15  「 あな、心憂その世の罪は、みな科戸の風にたぐへてき」
 「ああ、情けない。あの当時の罪は、みな科戸の風にまかせて吹き払ってしまったのに」
 「そんなことをおとがめになるのですか。その時代の罪は皆科戸しなどの風に追ってもらったはずです」
  "Ana, kokorou! Sono yo no tumi ha, mina Sinatonokaze ni taguhe te ki."
1.2.16  とのたまふ愛敬も、こよなし。
 とおっしゃる魅力も、この上ない。
 源氏の愛嬌あいきょうはこぼれるようであった。
  to notamahu aigyau mo, koyonasi.
1.2.17  「 みそぎを、神は、いかがはべりけむ
 「その罪を払う禊を、神は、どのようにお聞き届けたのでございましょうか」
 「この御禊みそぎを神は(恋せじとみたらし川にせし御禊みそぎ神は受けずもなりにけるかな)お受けになりませんそうですね」
  "Misogi wo, Kami ha, ikaga haberi kem?"
1.2.18  など、はかなきことを聞こゆるも、 まめやかには、いとかたはらいたし。世づかぬ御ありさまは、年月に添へても、もの深くのみ引き入りたまひて、え聞こえたまはぬを、見たてまつり悩めり。
 などと、ちょっとしたことを申し上げるのも、まじめな話、とても気が気でない。結婚しようとなさらないご態度は、年月とともに強く、ますます引っ込み思案になりなさって、お返事もなさらないのを、困ったことと拝するようである。
 宣旨は軽く戯談じょうだんにしては言っているが、心の中では非常に気の毒だと源氏に同情していた。羞恥しゅうち深い女王は次第に奥へ身を引いておしまいになって、もう宣旨にも言葉をお与えにならない。
  nado, hakanaki koto wo kikoyuru mo, mameyaka ni ha, ito kataharaitasi. Yoduka nu ohom-arisama ha, tosituki ni sohe te mo, mono-hukaku nomi hikiiri tamahi te, e kikoye tamaha nu wo, mi tatematuri naya' meri.
1.2.19  「 好き好きしきやうになりぬるを
 「好色めいたふうになってしまって」
 「あまりに哀れに自分が見えすぎますから」
  "Sukizukisiki yau ni nari nuru wo."
1.2.20  など、浅はかならずうち嘆きて立ちたまふ。
 などと、深く嘆息してお立ちになる。
 と深い歎息たんそくをしながら源氏は立ち上がった。
  nado, asahaka nara zu uti-nageki te tati tamahu.
1.2.21  「 齢の積もりには、面なくこそなるわざなりけれ。 世に知らぬやつれを、今ぞ、とだに 聞こえさすべくやは、もてなしたまひける
 「年をとると、臆面もなくなるものですね。世に類ないやつれた姿を、この今は、と御覧くださいとだけでも申し上げられるほどにも、扱って下さったでしょうか」
 「年が行ってしまうと恥ずかしい目にあうものです。こんな恋の憔悴しょうすい者にせめて話を聞いてやろうという寛大な気持ちをお見せになりましたか。そうじゃない」
  "Yohahi no tumori ni ha, omonaku koso naru waza nari kere! Yo ni sira nu yature wo, ima zo, to dani kikoye sasu beku yaha, motenasi tamahi keru."
1.2.22  とて、出でたまふ名残、所狭きまで、例の聞こえあへり。
 と言って、お出になった後は、うるさいまでに、例によってお噂申し上げていた。
 こんな言葉を女房に残して源氏の帰ったあとで、女房らはどこの女房も言うように源氏をたたえた。
  tote, ide tamahu nagori, tokoroseki made, rei no kikoye ahe ri.
1.2.23   おほかたの、空もをかしきほどに、木の葉の音なひにつけても、過ぎにしもののあはれとり返しつつ、その折々、をかしくもあはれにも、深く見えたまひし御心ばへなども、 思ひ出できこえさす
 ただでさえも、空は風情があるころなので、木の葉の散る音につけても、過ぎ去った過去のしみじみとした情感が甦ってきて、その当時の、嬉しかったり悲しかったりにつけ、深くお見えになったお気持ちのほどを、お思い出し申し上げなさる。
 空の色も身にしむ夜で、木の葉の鳴る音にも昔が思われて、女房らは古いころからの源氏との交渉のあったある場面場面のおもしろかったこと、身にんだことも心に浮かんでくると言って斎院にお話し申していた。
  Ohokata no, sora mo wokasiki hodo ni, konoha no otonahi ni tuke te mo, sugi ni si mononoahare torikahesi tutu, sono woriwori, wokasiku mo ahare ni mo, hukaku miye tamahi si mi-kokorobahe nado mo, omohiide kikoye sasu.
注釈28あなたの御前を見やりたまへば源氏、目を寝殿の西面の朝顔の君の方に向ける。1.2.1
注釈29枯れ枯れなる前栽の心ばへ晩秋の庭先の様子。1.2.1
注釈30かくさぶらひたる以下「聞こゆべかりけり」まで、源氏の詞。五の宮に辞去の挨拶、朝顔の君訪問を述べる。1.2.2
注釈31暗うなりたるほどなれど、鈍色の御簾に、黒き御几帳の透影朝顔の君の部屋の様子。暗くなって、喪中の鈍色または薄墨色の几帳の帷子がやはり鈍色の御簾に透けて黒く見える様子。1.2.4
注釈32けはひあらまほし『集成』は「風情は申し分なく奥ゆかしい」と訳す。1.2.4
注釈33宣旨対面して朝顔の君の女房。1.2.5
注釈34今さらに以下「頼みはべりける」まで、源氏の詞。親しい対面を要求。1.2.6
注釈35若々しき心地する御簾の前若い男性を相手にしたようなよそよそしい応対ぶりだという。1.2.6
注釈36神さびにける年月の労数へられはべるに斎院にちなんで「神さびにける」という。昔から長い年月の意。『完訳』は「官人が在任中の労を、年数を冠して、「--年の労」と申告して昇進を願い出るのになぞらえた表現」と注す。1.2.6
注釈37ありし世は以下「定めきこえさすべうはべらむ」まで、朝顔の返事。『完訳』は「ありし世は夢に見なして涙さへとまらぬ宿ぞ悲しかりける」(栄華物語・岩蔭、紫式部)を指摘。父宮在世中をさす。1.2.8
注釈38静かにやと大島本は「しつかにやと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「静かにや」と「と」を削除する。1.2.8
注釈39げにこそ定めがたき世なれ源氏の心中。朝顔の「思ひたまへ定めがたく」の分別しがたいを受けて「定めがたき世」無常な世だと思う。1.2.9
注釈40人知れず神の許しを待ちし間に--ここらつれなき世を過ぐすかな源氏から朝顔への歌。朝顔が斎院であったことにちなんで「神の許し」という。長年待ち続けたという気持ち。1.2.10
注釈41今は何のいさめにか以下「片端をだに」まで、歌に続けた源氏の詞。1.2.11
注釈42さるは、いといたう過ぐしたまへど、御位のほどには合はざめり「さるは」「めり」推量の助動詞、主観的推量。『新大系』は「「さるは」以下、あらためて語り手が源氏の風姿を批評し直す。実は、ほんとに魅力がありすぎていらっしゃるが、(その若々しさは)御位の高さには不似合いのように見える」と注す。源氏の若々しさを強調して従一位の高さには不釣合だとする語り手の批評。1.2.12
注釈43なべて世のあはればかりを問ふからに--誓ひしことと神やいさめむ朝顔の返歌。「神」「世」の語句を受けて、「神の許し」を「神や諌めむ」と切り返す。1.2.13
注釈44あな心憂以下「たぐへてき」まで、源氏の詞。1.2.15
注釈45その世の罪『集成』は「須磨流謫時代のことはもうすんだ過去のこと」。『新大系』は「斎院時代の姫君との文通をさすか」と注す。1.2.15
注釈46みそぎを神はいかがはべりけむ宣旨の詞。朝顔に代わって答える。「恋せじと御手洗川にせし禊神はうけずもなりにけるかな」(伊勢物語)を踏まえる。1.2.17
注釈47まめやかにはいとかたはらいたし朝顔の姫君の心情を評す。『完訳』は「自分が宣旨に言わせたと、源氏に思われる、いたたまれなさ」と注す。1.2.18
注釈48好き好きしきやうになりぬるを源氏の呟き。お見舞いのつもりが、が省略されている。1.2.19
注釈49齢の積もりには以下「もてなしたまひける」まで、源氏の詞。1.2.21
注釈50世に知らぬやつれを今ぞとだに「君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ恋する人のなれる姿を」(源氏釈所引、出典未詳)。1.2.21
注釈51聞こえさすべくやは、もてなしたまひける「やは」反語。『集成』は「申し上げられるほどにもおあしらい下さったでしょうか、冷たいお方だ」と訳す。1.2.21
注釈52おほかたの空もをかしきほどに木の葉の音なひにつけても過ぎにしもののあはれとり返しつつ晩秋の風景描写から朝顔の心情描写へと続く。1.2.23
注釈53思ひ出できこえさす『集成』は、主語を女房たち。『完訳』は、主語を朝顔の姫君とする。1.2.23
出典2 みそぎを、神は 恋せじと御禊は神もうけずかと人を忘るる罪深くして 源氏釈所引、出典未詳 1.2.17
恋せじと御手洗河にせし御禊神はうけずもなりにけるかな 古今集恋一-五〇一 読人しらず
出典3 世に知らぬやつれ 君が門今ぞ過ぎ行く出でて見よ恋する人のなれる姿を 源氏釈所引、出典未詳 1.2.21
1.3
第三段 帰邸後に和歌を贈答しあう


1-3  They compose and exchange waka after comeback to his home

1.3.1  心やましくて立ち出でたまひぬるは、まして、寝覚がちに思し続けらる。とく御格子参らせたまひて、 朝霧を眺めたまふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひて たてまつれたまふ
 お気持ちの収まらないままお帰りになったので、以前にもまして、夜も眠れずにお思い続けになる。早く御格子を上げさせなさって、朝霧を眺めなさる。枯れたいくつもの花の中に、朝顔があちこちにはいまつわって、あるかなきかに花をつけて、色艶も格別に変わっているのを、折らせなさってお贈りになる。
 不満足な気持ちで帰って行った源氏はましてその夜が眠れなかった。早く格子こうしを上げさせて源氏は庭の朝霧をながめていた。枯れた花の中に朝顔が左右の草にまつわりながらあるかないかに咲いて、しかも香さえも放つ花を折らせた源氏は、前斎院へそれを贈るのであった。
  Kokoroyamasiku te tatiide tamahi nuru ha, masite, nezame gati ni obosi tuduke raru. Toku mikausi mawira se tamahi te, asagiri wo nagame tamahu. Kare taru hana-domo no naka ni, asagaho no korekare ni hahi matuhare te, aru ka naki ka ni saki te, nihohi mo koto ni kahare ru wo, wora se tamahi te tatemature tamahu.
1.3.2  「 けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地しはべりて、うしろでもいとどいかが御覧じけむと、ねたく。されど、
 「きっぱりとしたおあしらいに、体裁の悪い感じがいたしまして、後ろ姿もますますどのように御覧になったかと、悔しくて。けれども、
 あまりに他人らしくお扱いになりましたから、きまりも悪くなって帰りましたが、哀れな私の後ろ姿をどうお笑いになったことかと口惜くちおしい気もしますが、しかし、
  "Kezayaka nari si ohom-motenasi ni, hitowaroki kokoti si haberi te, usirode mo itodo ikaga goranzi kem to, netaku. Saredo,
1.3.3    見し折のつゆ忘られぬ朝顔の
   花の盛りは過ぎやしぬらむ
  昔拝見したあなたがどうしても忘れられません
  その朝顔の花は盛りを過ぎてしまったのでしょうか
  見し折りのつゆ忘られぬ朝顔の
  花の盛りは過ぎやしぬらん
    Mi si wori no tuyu wasura re nu asagaho no
    hana no sakari ha sugi ya si nu ram
1.3.4  年ごろの積もりも、あはれとばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは」
 長年思い続けてきた苦労も、気の毒だとぐらいには、いくな何でも、ご理解いただけるだろうかと、一方では期待しつつ」
 どんなに長い年月の間あなたをお思いしているかということだけは知っていてくださるはずだと思いまして、私はなげきながらも希望を持っております。
  Tosigoro no tumori mo, ahare to bakari ha, saritomo, obosi siru ram ya to nam, katuha."
1.3.5  など聞こえたまへり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知らぬ やうにや」と思し、人びとも御硯とりまかなひて、聞こゆれば、
 などと申し上げなさった。穏やかなお手紙の風情なので、「返事をせずに気をもませるのも、心ないことか」とお思いになって、女房たちも御硯を調えて、お勧め申し上げるので、
 という手紙を源氏は書いたのである。真正面から恋ばかりを言われているのでもない中年の源氏のおとなしい手紙に対して、返事をせぬことも感情の乏しい女と思われることであろうと女王もお思いになり、女房たちもそう思ってすずりの用意などしたのでお書きになった。
  nado kikoye tamahe ri. Otonabi taru ohom-humi no kokorobahe ni, "Obotukanakara m mo, misira nu yau ni ya?" to obosi, hitobito mo ohom-suzuri tori-makanahi te, kikoyure ba,
1.3.6  「 秋果てて霧の籬にむすぼほれ
   あるかなきかに移る朝顔
 「秋は終わって霧の立ち込める垣根にしぼんで
  今にも枯れそうな朝顔の花のようなわたしです
  秋はてて霧のまがきにむすぼほれ
  あるかなきかにうつる朝顔
    "Aki hate te kiri no magaki ni musubohore
    aru ka naki ka ni uturu asagaho
1.3.7   似つかはしき御よそへにつけても、露けく」
 似つかわしいお喩えにつけても、涙がこぼれて」
 秋にふさわしい花をお送りくださいましたことででももの哀れな気持ちになっております。
  Nitukahasiki ohom-yosohe ni tuke te mo, tuyukeku."
1.3.8  とのみあるは、 何のをかしきふしもなきを、いかなるにか、置きがたく御覧ずめり。青鈍の紙の、なよびかなる墨つきはしも、 をかしく見ゆめり人の御ほど、書きざまなどに繕はれつつ、その折は罪なきことも、 つきづきしくまねびなすには、ほほゆがむこともあめればこそ、さかしらに書き紛らはしつつ、おぼつかなきことも多かり けり。
 とばかりあるのは、何のおもしろいこともないが、どういうわけか、手放しがたく御覧になっていらっしゃるようである。青鈍色の紙に、柔らかな墨跡は、たいそう趣深く見えるようだ。ご身分、筆跡などによってとりつくろわれて、その時は何の難もないことも、いざもっともらしく伝えるとなると、事実を誤り伝えることがあるようなので、ここは勝手にとりつくろって書くようなので、変なところも多くなってしまった。
 とだけ書かれた手紙はたいしておもしろいものでもないはずであるが、源氏はそれを手から放すのも惜しいようにじっとながめていた。青鈍あおにび色の柔らかい紙に書かれた字は美しいようであった。書いた人の身分、書き方などが補ってその時はよい文章、よい歌のように思われたことも、改めて本の中へ書き載せるとつたない点の現われてくるものであるから、手紙の文章や歌というようなものは、この話の控え帳に筆者は大部分省くことにしていたので、採録したものにも書き誤りがあるであろうと思われる。
  to nomi aru ha, nani no wokasiki husi mo naki wo, ikanaru ni ka, oki gataku goranzu meri. Awonibi no kami no, nayobika naru sumi tuki ha simo, wokasiku miyu meri. Hito no ohom-hodo, kakizama nado ni tukuroha re tutu, sono wori ha tumi naki koto mo, tukidukisiku manebi nasu ni ha, hohoyugamu koto mo a' mere ba koso, sakasira ni kaki magirahasi tutu, obotukanaki koto mo ohokari keri.
1.3.9  立ち返り、今さらに若々しき御文書きなども、似げなきこと、と思せども、 なほかく昔よりもて離れぬ御けしきながら、口惜しくて過ぎぬるを思ひつつ、 えやむまじくて思さるれば、さらがへりて、まめやかに聞こえたまふ。
 昔に帰って、今さら若々しい恋文書きなども似つかわしくないこと、とお思いになるが、やはりこのように昔から離れぬでもないご様子でありながら、不本意なままに過ぎてしまったことを思いながら、とてもお諦めになることができず、若返って、真剣になって文を差し上げなさる。
 今になってまた若々しい恋の手紙を人に送るようなことも似合わしくないことであると源氏は思いながらも、昔から好意も友情もその人に持たれながら、恋の成り立つまでにはならなかったのを思うと、もうあとへは退けない気になっていて、再び情火を胸に燃やしながら心をこめた手紙を続いて送っていた。
  Tatikaheri, imasara ni wakawakasiki ohom-humigaki nado mo, nigenaki koto, to obose domo, naho kaku mukasi yori mote-hanare nu mi-kesiki nagara, kutiwosiku te sugi nuru wo omohi tutu, e yamu maziku te obosa rure ba, saragaheri te, mameyaka ni kikoye tamahu.
注釈54朝霧を眺めたまふ枯れたる花どもの中に朝顔のこれかれにはひまつはれてあるかなきかに咲きて歌語として、「朝霧」は後朝の情調、いぶせさを象徴。「朝顔」は蔓草として恋情の連綿とした気持ちを表象する。1.3.1
注釈55たてまつれたまふ朝顔の君に後朝の文を。1.3.1
注釈56けざやかなりし以下「かつは」まで、源氏の文。1.3.2
注釈57見し折のつゆ忘られぬ朝顔の--花の盛りは過ぎやしぬらむ源氏の贈歌。「見し」にかつての逢瀬の体験をいう。「つゆ」は「露」(名詞)と「つゆ」(副詞)の掛詞。また「露」は「朝顔」の縁語。『集成』は「「朝顔」は、女の寝起きの顔の意を掛ける。「見しをりの」は、帚木の巻に「式部卿の宮の姫君に、朝顔奉りたまひし歌などを----」とあった時のことであろう。一体いつお逢いできるのでしょうか、と嘆く意」。『完訳』は「「朝顔」は朝の素顔でもあり、「見し」とともに情交を暗示。実際にはなかった関係を、帚木巻以来の呼称とも応じて表現」「花の盛りが衰えたかと、相手を揶揄して、相手の反応を強く要請する」と注す。1.3.3
注釈58秋果てて霧の籬にむすぼほれ--あるかなきかに移る朝顔朝顔の返歌。「朝顔」はそのまま受けて、「露」を「霧」に「盛り過ぐ」を「移る」とずらして、おっしゃるとおり盛りを過ぎてひっそりとあるかなきかの状態で生きておりますと応える。『新大系』は「「朝顔」は、はかなさを象徴する花でもあり、こおこでは「霧のまがき」とともに自らのはかない運命を表現して、贈歌を切り返す」と注す。1.3.6
注釈59何のをかしきふしもなきを以下の文章ははしばしに語り手の感情が移入されている。1.3.8
注釈60をかしく見ゆめり『完訳』は「源氏の心中を、語り手が推測」と注す。1.3.8
注釈61人の御ほど『集成』は「以下、草子地」。『完訳』は「以下、語り手の弁」と注す。1.3.8
注釈62つきづきしくまねびなすにはほほゆがむこともあめればこそさかしらに書き紛らはしつつおぼつかなきことも多かり『集成』は「事実を誤り伝えることもあるようですから、(それを書き手としては)勝手にとりつくろって書き書きしますので、ほんとうはどうだったか、はっきりしないところも多いのです。このお歌もほんとうはもっとお上手だったかもしれません、という気持」。『新大系』は「(男女の手紙は)その人のご身分や書きやうなどでとりつくろわれ、その当座は難がないように見えても、後にそれをもっともらしく語り伝えるとなると、誤り伝えることもあるようだから、(書き手としては)勝手に書いてはつくろい、(そのために)はっきりしないところも多いものだ。物語とは語り伝えられてきた内容を書き記すもの、という前提によって源氏の歌のきわどい表現を陳弁する。この場合の手紙も、本来の事実とは異なる可能性あるとする」と注す。1.3.8
注釈63なほかく昔よりもて離れぬ御けしきながら「ぬ」打消の助動詞。「御気色」は朝顔の態度をいう。1.3.9
注釈64えやむまじくて大島本は「えやむましくて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「えやむまじく」と「て」を削除する。1.3.9
校訂2 やうにや」と やうにや」と--やうに(に/+や<朱>)と 1.3.5
校訂3 似つかはしき 似つかはしき--につら(ら/$か)はしき 1.3.7
校訂4 書き紛らはし 書き紛らはし--かき(き/+まき)らはし 1.3.8
1.4
第四段 源氏、執拗に朝顔姫君を恋う


1-4  Genji loves Asagao forever

1.4.1   東の対に離れおはして宣旨を迎へつつ語らひたまふ。さぶらふ人びとの、さしもあらぬ際のことをだに、なびきやすなるなどは、過ちもしつべく、めできこゆれど、宮は、そのかみだにこよなく思し離れたりしを、今は、まして、誰も思ひなかるべき御齢、おぼえにて、「 はかなき木草につけたる御返りなどの、折過ぐさぬも、軽々しくや、とりなさるらむ」など、人の物言ひを憚りたまひつつ、うちとけたまふべき御けしきもなければ、 古りがたく同じさまなる御心ばへを、世の人に変はり、めづらしくもねたくも思ひきこえたまふ。
 東の対に独り離れていらっしゃって、宣旨を呼び寄せ呼び寄せしてはご相談なさる。宮に伺候する女房たちで、それほどでない身分の男にさえ、すぐになびいてしまいそうな者は、間違いも起こしかねないほど、お褒め申し上げるが、宮は、その昔でさえきっぱりとお考えにもならなかったのに、今となっては、昔以上に、どちらも色恋に相応しくないお年、ご身分であるので、「ちょっとした木や草につけてのお返事などの、折々の興趣を見過さずにいるのも、軽率だと、受け取られようか」などと、人の噂を憚り憚りなさっては、心をうちとけなさるご様子もないので、昔のままで同じようなお気持ちを、世間の女性とは違って、珍しくまた妬ましくもお思い申し上げなさる。
 東の対のほうに離れていて、前斎院の宣旨を源氏は呼び寄せて相談をしていた。女房たちのだれの誘惑にもなびいて行きそうな人々は狂気にもなるほど源氏をほめて夢中になっているこんな家の中で、朝顔の女王だけは冷静でおありになった。お若い時すらも友情以上のものをこの人にお持ちにならなかったのであるから、今はまして自分もその人も恋愛などをする年ではなくなっていて、花や草木のことの言われる手紙にもすぐに返事を出すようなことは人の批評することがうるさいと、それも遠慮をされるようになっていつまでたってもお心の動く様子はなかった。初めの態度はどこまでもお続けになる朝顔の女王の普通の型でない点が、珍重すべきおもしろいことにも思われてならない源氏であった。
  Himgasinotai ni hanare ohasi te, Senzi wo mukahe tutu katarahi tamahu. Saburahu hitobito no, sasimo ara nu kiha no koto wo dani, nabiki yasu naru nado ha, ayamati mo si tu beku, mede kikoyure do, Miya ha, sonokami dani koyonaku obosi hanare tari si wo, ima ha, masite, tare mo omohi nakaru beki ohom-yohahi, oboye nite, "Hakanaki ki kusa ni tuke taru ohom-kaheri nado no, wori sugusa nu mo, karugarusiku ya, torinasa ru ram?" nado, hito no monoihi wo habakari tamahi tutu, utitoke tamahu beki mi-kesiki mo nakere ba, huri gataku onazi sama naru mi-kokorobahe wo, yo no hito ni kahari, medurasiku mo netaku mo omohi kikoye tamahu.
1.4.2  世の中に漏り聞こえて、
 世間に噂が漏れ聞こえて、
 世間はもうそのうわさをして、
  Yononaka ni mori kikoye te,
1.4.3  「 前斎院を、ねむごろに 聞こえたまへばなむ、女五の宮などもよろしく思したなり。似げなからぬ御あはひならむ」
 「前斎院を、熱心にお便りを差し上げなさるので、女五の宮なども結構にお思いのようです。似つかわしくなくもないお間柄でしょう」
 「源氏の大臣は前斎院に御熱心でいられるから、女五の宮へ御親切もお尽くしになるのだろう、結婚されて似合いの縁というものであろう」
  "Zen-Saiwin wo, nemgoro ni kikoye tamahe ba nam, Womna-Go-no-Miya nado mo yorosiku obosi ta' nari. Nigenakara nu ohom-ahahi nara m."
1.4.4  など言ひけるを、対の上は伝へ聞きたまひて、しばしは、
 などと言っていたのを、対の上は伝え聞きなさって、暫くの間は、
 とも言うのが、紫夫人の耳にも伝わって来た。
  nado ihi keru wo, Tai-no-Uhe ha tutahe kiki tamahi te, sibasi ha,
1.4.5  「 さりとも、さやうならむこともあらば、隔てては思したらじ」
 「いくら何でも、もしそういうことがあったとしたら、お隠しになることはあるまい」
 当座はそんなことがあっても自分へ源氏は話して聞かせるはずである
  "Saritomo, sayau nara m koto mo ara ba, hedate te ha obosi tara zi."
1.4.6  と思しけれど、うちつけに目とどめきこえたまふに、御けしきなども、例ならずあくがれたるも心憂く、
 とお思いになっていらっしゃったが、さっそく気をつけて御覧になると、お振る舞いなども、いつもと違って魂が抜け出たようなのも情けなくて、
と思っていたが、それ以来気をつけて見ると、源氏の様子はそわそわとして、何かに心の奪われていることがよくわかるのであった。
  to obosi kere do, utituke ni me todome kikoye tamahu ni, mi-kesiki nado mo, rei nara zu akugare taru mo kokorouku,
1.4.7  「 まめまめしく思しなるらむことを、つれなく戯れに言ひなしたまひけむよと、同じ筋にはものしたまへど、おぼえことに、昔よりやむごとなく聞こえたまふを、御心など移りなば、はしたなくもあべいかな。年ごろの御もてなしなどは、立ち並ぶ方なく、さすがにならひて、人に押し消たれむこと」
 「真剣になって思いつめていらっしゃるらしいことを、素知らぬ顔で冗談のように言いくるめなさったのだわと、同じ皇族の血筋でいらっしゃるが、声望も格別で、昔から重々しい方として聞こえていらっしゃった方なので、お心などが移ってしまったら、みっともないことになるわ。長年のご寵愛などは、わたしに立ち並ぶ者もなく、ずっと今まできたのに、今さら他人に負かされようとは」
こんなにまじめに打ち込んで結婚までを思う恋を、自分にはただ気紛れですることのように良人おっとは言っていた。同じ女王ではあっても世間から重んぜられていることは自分と比較にならない人である。その人に良人の愛が移ってしまったなら自分はみじめであろう、と夫人はなげかれた。さすがに第一の夫人として源氏の愛をほとんど一身に集めてきた人であったから、今になって心の満たされない取り扱いを受けることは、外へ対しても堪えがたいことであると夫人は思うのである。
  "Mamemamesiku obosi naru ram koto wo, turenaku tahabure ni ihinasi tamahi kem yo to, onazi sudi ni ha monosi tamahe do, oboye koto ni, mukasi yori yamgotonaku kikoye tamahu wo, mi-kokoro nado uturi naba, hasitanaku mo a' bei kana! Tosigoro no ohom-motenasi nado ha, tatinarabu kata naku, sasuga ni narahi te, hito ni osiketa re m koto."
1.4.8  など、人知れず思し嘆かる。
 などと、人知れず嘆かずにはいらっしゃれない。

  nado, hito sire zu obosi nageka ru.
1.4.9  「 かき絶え名残なきさまにはもてなしたまはずとも、 いとものはかなきさまにて見馴れたまへる年ごろの睦び、あなづらはしき方にこそはあらめ
 「すっかりお見限りになることはないとしても、幼少のころから親しんでこられた長年の情愛は、軽々しいお扱いになるのだろう」
 顧みられないというようなことはなくても、源氏が重んじる妻は他の人で、自分は少女時代から養ってきた、どんな薄遇をしても甘んじているはずの妻にすぎないことになるのであろうと、こんなことを思って夫人は煩悶はんもんしているが、たいしたことでないことはあまり感情を害しない程度の夫人の恨み言にもなって、
  "Kaki-taye nagori naki sama ni ha motenasi tamaha zu to mo, ito mono-hakanaki sama nite minare tamahe ru tosigoro no mutubi, anadurahasiki kata ni koso ha ara me."
1.4.10  など、さまざまに思ひ乱れたまふに、 よろしきことこそ、うち怨じなど憎からず聞こえたまへ、 まめやかにつらしと思せば、色にも出だしたまはず。
 など、あれこれと思い乱れなさるが、それほどでもないことなら、嫉妬などもご愛嬌に申し上げなさるが、心底つらいとお思いなので、顔色にもお出しにならない。
それで源氏の恋愛行為が牽制けんせいされることにもなるのであったが、今度は夫人の心の底から恨めしく思うことであったから、何ともその問題に触れようとしない。
  nado, samazama ni omohi midare tamahu ni, yorosiki koto koso, uti-wenzi nado nikukara zu kikoye tamahe, mameyaka ni turasi to obose ba, iro ni mo idasi tamaha zu.
1.4.11   端近う眺めがちに、内裏住みしげくなり、役とは御文を書きたまへば、
 端近くに物思いに耽りがちで、宮中にお泊まりになることが多くなり、仕事と言えば、お手紙をお書きになることで、
 外をながめて物思いを絶えずするのが源氏であって、御所の宿直とのいの夜が多くなり、役のようにして自宅ですることは手紙を書くことであった。、
  Hasi tikau nagame gati ni, utizumi sigeku nari, yaku to ha ohom-humi wo kaki tamahe ba,
1.4.12  「 げに、人の言葉むなしかるまじきなめり。けしきをだにかすめたまへかし」
 「なるほど、世間の噂は嘘ではないようだ。せめて、ほんの一言おっしゃってくださればよいのに」
 噂に誤りがないらしいと夫人は思って、少しくらいは打ち明けて話してもよさそうなものであると、
  "Geni, hito no kotoba munasikaru maziki na' meri. Kesiki wo dani kasume tamahe kasi."
1.4.13  と、疎ましくのみ思ひきこえたまふ。
 と、いやなお方だとばかりお思い申し上げていらっしゃる。
 飽き足りなくばかり思った。
  to, utomasiku nomi omohi kikoye tamahu.
注釈65東の対に離れおはして二条院東の対。源氏の居室。宣旨を迎えて相談する。1.4.1
注釈66はかなき木草に以下「とりなさるらむ」まで、朝顔の心中。1.4.1
注釈67古りがたく同じさまなる御心ばへを朝顔の姫君の昔に変わらぬ態度。1.4.1
注釈68前斎院をねむごろに大島本は「せむ斎院(院+を<朱>)」とある。すなわち朱筆で「を」を補入する。『新大系』は底本の補入に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本及び底本の訂正以前本文に従って「前斎院」と校訂する。以下「御あはひならむ」まで、世人の噂。1.4.3
注釈69さりとも以下「思したらじ」まで、紫の上の心中。噂を否定。源氏を信頼。真実なら自分に打ち明けるはずと期待。1.4.5
注釈70まめまめしく思しなるらむことを以下「人に押し消たれむこと」まで、紫の上の心中。真実らしいことに気づき、疑念をいだく。1.4.7
注釈71かき絶え名残なきさまには以下「こそはあらめ」まで、紫の上の心中。1.4.9
注釈72いとものはかなきさまにて見馴れたまへる年ごろの睦びあなづらはしき方にこそはあらめ『集成』は「幼少の頃からの親の庇護もない私と共に暮してこられた今まで長年の二人の仲では、つい軽くご覧になることになるのであろう」。『完訳』は「この自分はまったくこれといって取るに足りない身とて、長年連れ添ってくださった気安さから、軽いお扱いとなるのだろう」と訳す。1.4.9
注釈73よろしきことこそ係助詞「こそ」--「聞こえたまへ」係結び、已然形、逆接用法。読点で下文に続く。1.4.10
注釈74まめやかにつらし紫の上の心中、間接的叙述。1.4.10
注釈75端近う眺めがちに源氏の態度。1.4.11
注釈76げに人の言葉以下「かすめたまへかし」まで、紫の上の心中。1.4.12
校訂5 宣旨 宣旨--せむ(む/$)し 1.4.1
校訂6 前斎院を 前斎院を--前斎院(院/+を<朱>) 1.4.3
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渋谷栄一校訂(C)
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渋谷栄一注釈(C)
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年7月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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