第二十帖 朝顔


20 ASAGAHO (Ohoshima-bon)


光る源氏の内大臣時代
三十二歳の晩秋九月から冬までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, from September in late fall to winter at the age of 32

2
第二章 朝顔姫君の物語 老いてなお旧りせぬ好色心


2  Tale of Asagao  Everlasting amorous love

2.1
第一段 朝顔姫君訪問の道中


2-1  On the way to Asagao's

2.1.1   夕つ方、神事なども止まりてさうざうしきに、つれづれと思しあまりて、五の宮に例の近づき参りたまふ。 雪うち散りて艶なるたそかれ時に、なつかしきほどに馴れたる御衣どもを、いよいよたきしめたまひて、心ことに化粧じ暮らしたまへれば、 いとど心弱からむ人はいかがと見えたり。さすがに、まかり申しはた、聞こえたまふ。
 夕方、神事なども停止となって物寂しいので、することもない思いに耐えかねて、五の宮にいつものお伺いをなさる。雪がちょっとちらついて風情ある黄昏時に、優しい感じに着馴れたお召し物に、ますます香をたきしめなさって、念入りにおめかしして一日をお過ごしになったので、ますますなびきやすい人はどんなにかと見えた。それでも、お出かけのご挨拶はご挨拶として、申し上げなさる。
 冬の初めになって今年は神事がいっさい停止されていて寂しい。つれづれな源氏はまた五の宮を訪ねに行こうとした。雪もちらちらと降ってえんな夕方に、少し着て柔らかになった小袖こそでになお薫物たきものを多くしたり、化粧に時間を費やしたりして恋人をおうとしている源氏であるから、それを見ていて気の弱い女性はどんな心持ちがするであろうとあやぶまれた。さすがに出かけの声をかけに源氏は夫人の所へ来た。
  Yuhutukata, kamwaza nado mo tomari te sauzausiki ni, turedure to obosi amari te, Go-no-Miya ni rei no tikaduki mawiri tamahu. Yuki uti-tiri te en naru tasokare doki ni, natukasiki hodo ni nare taru ohom-zo-domo wo, iyoiyo takisime tamahi te, kokoro koto ni kesauzi kurasi tamahe re ba, itodo kokoroyowakara m hito ha ikaga to miye tari. Sasuga ni, makari mausi hata, kikoye tamahu.
2.1.2  「 女五の宮の悩ましくしたまふなるを、訪らひきこえになむ」
 「女五の宮がご病気でいらっしゃるというのを、お見舞い申し上げようと思いまして」
 「女五の宮様が御病気でいらっしゃるからお見舞いに行って来ます」
  "Womna-Go-no-Miya no nayamasiku si tamahu naru wo, toburahi kikoye ni nam."
2.1.3  とて、 ついゐたまへれど、見もやりたまはず、若君をもてあそび、紛らはしおはする側目の、ただならぬを、
 と言って、軽く膝をおつきになるが、振り向きもなさらず、若君をあやして、さりげなくいらっしゃる横顔が、ただならぬ様子なので、
 ちょっとすわってこう言う源氏のほうを、夫人は見ようともせずに姫君の相手をしていたが、不快な気持ちはよく見えた。
  tote, tui-wi tamahe re do, mi mo yari tamaha zu, Wakagimi wo moteasobi, magirahasi ohasuru sobame no, tada nara nu wo,
2.1.4  「 あやしく、御けしきの 変はれるべきころかな。 罪もなしや塩焼き衣のあまり目馴れ、見だてなく 思さるるにやとて、とだえ置くを、またいかが」
 「不思議と、ご機嫌の悪くなったこのごろですね。罪もありませんね。塩焼き衣のように、あまりなれなれしくなって、珍しくなくお思いかと思って、家を空けていましたが、またどのようにお考えになってか」
 「始終このごろは機嫌きげんが悪いではありませんか、無理でないかもしれない。長くいっしょにいてはあなたに飽かれると思って、私は時々御所で宿直とのいをしたりしてみるのが、それでまたあなたは不愉快になるのですね」
  "Ayasiku, mi-kesiki no kahare ru beki koro kana! Tumi mo nasi ya! Sihoyakigoromo no amari me nare, midate naku obosa ruru ni ya tote, todaye oku wo, mata ikaga?"
2.1.5  など聞こえたまへば、
 などと申し上げなさると、

  nado kikoye tamahe ba,
2.1.6  「 馴れゆくこそ、げに、憂きこと多かりけれ
 「馴じんで行くのは、おっしゃるとおり、いやなことが多いものですね」
 「ほんとうに長く同じであるものは悲しい目を見ます」
  "Nare yuku koso, geni, uki koto ohokari kere."
2.1.7  とばかりにて、うち背きて臥したまへるは、見捨てて出でたまふ道、もの憂けれど、 宮に御消息聞こえたまひてければ 、出でたまひぬ。
 とだけ言って、顔をそむけて臥せっていらっしゃるのは、そのまま見捨ててお出かけになるのも、気も進まないが、宮にお手紙を差し上げてしまっていたので、お出かけになった。
 とだけ言って向こうを向いて寝てしまった女王を置いて出て行くことはつらいことに源氏は思いながらも、もう御訪問のしらせを宮に申し上げたのちであったから、やむをえず二条の院を出た。
  to bakari nite, uti-somuki te husi tamahe ru ha, misute te ide tamahu miti, monoukere do, Miya ni ohom-seusoko kikoye tamahi te kere ba, ide tamahi nu.
2.1.8  「 かかりけることもありける世を、うらなくて過ぐしけるよ
 「このようなこともある夫婦仲だったのに、安心しきって過ごしてきたことだわ」
 こんな日も自分の上にめぐってくるのを知らずに、源氏を信頼して暮らしてきた
  "Kakari keru koto mo ari keru yo wo, uranaku te sugusi keru yo!"
2.1.9  と思ひ続けて、臥したまへり。 鈍びたる御衣どもなれど、色合ひ重なり、好ましくなかなか見えて、雪の光にいみじく艶なる御姿を見出だして、
 とお思い続けて、臥せっていらっしゃる。鈍色めいたお召し物であるが、色合いが重なって、かえって好ましく見えて、雪の光にたいそう優美なお姿を御覧になって、
 と寂しい気持ちに夫人はなっていた。喪服のにび色ではあるが濃淡の重なりのえんな源氏の姿が雪のあかりでよく見えるのを、
  to omohi tuduke te, husi tamahe ri. Nibi taru ohom-zo-domo nare do, iroahi kasanari, konomasiku nakanaka miye te, yuki no hikari ni imiziku en naru ohom-sugata wo miidasi te,
2.1.10  「 まことに離れまさりたまはば
 「ほんとうに心がますます離れて行ってしまわれたならば」
 寝ながらのぞいていた夫人はこの姿を見ることもまれな日になったら
  "Makoto ni kare masari tamaha ba."
2.1.11  と、忍びあへず思さる。
 と、堪えきれないお気持ちになる。
 と思うと悲しかった。
  to, sinobi ahe zu obosa ru.
2.1.12  御前など忍びやかなる限りして、
 御前駆なども内々の人ばかりで、
 前駆も親しい者ばかりを選んであったが、
  Gozen nado sinobiyaka naru kagiri si te,
2.1.13  「 内裏より他の歩きは、もの憂きほどになりにけりや。桃園宮の心細きさまにてものしたまふも、式部卿宮に年ごろは譲りきこえつるを、今は頼むなど思しのたまふも、ことわりに、いとほしければ」
 「宮中以外の外出は、億劫になってしまったよ。桃園宮が心細い様子でいらっしゃっるのも、式部卿宮に長年お任せ申し上げていたが、これからは頼むなどとおっしゃるのも、もっともなことで、お気の毒なので」
 「参内する以外の外出はおっくうになった。桃園の女五にょごみや様は寂しいお一人ぼっちなのだからね、式部卿しきぶきょうの宮がおいでになった間は私もお任せしてしまっていたが、今では私がたよりだとおっしゃるのでね、それもごもっともでお気の毒だから」
  "Uti yori hoka no ariki ha, monouki hodo ni nari ni keri ya! Momozono-no-Miya no kokorobosoki sama nite monosi tamahu mo, Sikibukyau-no-Miya ni tosigoro ha yuduri kikoye turu wo, ima ha tanomu nado obosi notamahu mo, kotowari ni, itohosikere ba."
2.1.14  など、 人びとにものたまひなせど、
 などと、人々にもしいておっしゃるが、
 などと、前駆を勤める人たちにも言いわけらしく源氏は言っていたが、
  nado, hitobito ni mo notamahi nase do,
2.1.15  「 いでや。御好き心の古りがたきぞ、あたら御疵なめる」
 「さあどんなものでしょう。ご好心が変わらないのは、惜しい玉の瑕のようです」
 「りっぱな方だけれど、恋愛をおやめにならない点が傷だね。
  "Ideya! Ohom-sukigokoro no huri gataki zo, atara ohom-kizu na' meru."
2.1.16  「軽々しきことも出で来なむ」
 「よからぬ事がきっと起こるでしょう」
 御家庭がそれで済むまいと心配だ」
  "Karugarusiki koto mo ideki na m."
2.1.17  など、つぶやきあへり。
 などと、呟き合っていた。
 とそうした人たちも言っていた。
  nado, tubuyaki ahe ri.
注釈77夕つ方神事なども止まりて十一月の神事が諒闇によって停止。大島本等「ゆふつかた」とある。『集成』は肖柏本・三条西家本に従って「冬つ方」と校訂する。2.1.1
注釈78雪うち散りて艶なるたそかれ時に源氏、雪の日に朝顔の姫君のもとへ外出。2.1.1
注釈79いとど心弱からむ人はいかがと見えたり語り手の実景描写といった感じ。源氏の美しさを讃美。2.1.1
注釈80女五の宮の悩ましく以下「訪らひきこえになむ」まで、源氏の詞。女五の宮の病気見舞いのためという。2.1.2
注釈81ついゐたまへれど見もやりたまはず『完訳』は「腰を浮かせ、挨拶もそこそこの体」と注す。「見もやりたまはず」の主語は紫の上。2.1.3
注釈82あやしく御けしきの以下「またいかが」まで、源氏の詞。2.1.4
注釈83罪もなしや『集成』は「しかし何も悪いことをしているわけではありませんよ」。『完訳』は「このわたしには思いあたる咎もないのですが」と訳す。2.1.4
注釈84塩焼き衣のあまり目馴れ見だてなく「須磨の海人の塩焼き衣なれゆけばうとくのみこそなりまさりけれ」(源氏釈所引、出典未詳)。2.1.4
注釈85馴れゆくこそげに憂きこと多かりけれ紫の上の返事。「馴れ行くは憂き世なればや須磨の海人の塩焼き衣間遠なるらむ」(新古今集恋三、一二一〇、女御徽子女王)を踏まえる。2.1.6
注釈86宮に御消息聞こえたまひてければ訪問の際には、予め消息を遣わしてから出かけたのである。2.1.7
注釈87かかりけることもありける世をうらなくて過ぐしけるよ紫の上の心中。源氏に浮気心が生じることを疑うことなく過ごしてきたうかつさに気づく。2.1.8
注釈88鈍びたる御衣どもなれど源氏の服装。藤壺の宮の喪に服している。2.1.9
注釈89まことに離れまさりたまはば紫の上の心中。2.1.10
注釈90内裏より他の歩きは以下「いとほしければ」まで、源氏の詞。2.1.13
注釈91人びとにも『集成』は「供人たちにも」。『完訳』は「女房たちにも」と注す。2.1.14
注釈92いでや御好き心の以下「出で来なむ」まで、人々の詞。2.1.15
出典4 塩焼き衣のあまり目馴れ 須磨の浦の塩焼き衣馴れ行けば憂き頼みこそなりまさりけり 源氏釈所引、出典未詳 2.1.4
出典5 馴れゆくこそ 馴れ行けば憂き世なればや須磨の海人の塩焼衣まどほなるらむ 新古今集恋三-一二一〇 徽子女王 2.1.6
校訂7 御けしきの 御けしきの--御けしきの(の/+の$<朱>) 2.1.4
校訂8 たまひて たまひて--たま(ま/+ひ)て 2.1.7
2.2
第二段 宮邸に到着して門を入る


2-2  Get in to the gate of her residence

2.2.1   宮には、北面の人しげき方なる御門は、入りたまはむも軽々しければ、西なるがことことしきを、人入れさせたまひて、宮の御方に御消息あれば、「 今日しも渡りたまはじ」と思しけるを、驚きて開けさせたまふ。
 宮邸では、北面にある人が多く出入りするご門は、お入りになるのも軽率なようなので、西にあるのが重々しい正門なので、供人を入れさせなさって、宮の御方にご案内を乞うと、「今日はまさかお越しになるまい」とお思いでいたので、驚いて門を開けさせなさる。
 桃園のおやしきは北側にある普通の人の出入りする門をはいるのは自重の足りないことに見られると思って、西の大門から人をやって案内を申し入れた。こんな天気になったから、先触れはあっても源氏は出かけて来ないであろうと宮は思っておいでになったのであるから、驚いて大門をおあけさせになるのであった。
  Miya ni ha, kitaomote no hito sigeki kata naru mi-kado ha, iri tamaha m mo karogarosikere ba, nisi naru ga kotokotosiki wo, hito ire sase tamahi te, Miya-no-ohom-kata ni ohom-seusoko are ba, "Kehu simo watari tamaha zi." to obosi keru wo, odoroki te ake sase tamahu.
2.2.2   御門守、寒げなるけはひ、うすすき出で来て、とみにもえ開けやらず。これより他の男はたなきなるべし。ごほごほと引きて、
 御門番が、寒そうな様子で、あわてて出てきて、すぐには開けられない。この人以外の男性はいないのであろう。ごろごろと引いて、
 出て来た門番の侍が寒そうな姿で、背中がぞっとするというふうをして、門の扉をかたかたといわせているが、これ以外の侍はいないらしい。
  Mi-kadomori, samuge naru kehahi, ususuki ideki te, tomi ni mo e ake yara zu. Kore yori hoka no wonoko hata naki naru besi. Gohogoho to hiki te,
2.2.3  「 錠のいといたく銹びにければ、開かず
 「錠がひどく錆びついてしまっているので、開かない」
 「ひどく錠がびていてあきません」
  "Zyo no ito itaku sabi ni kere ba, aka zu."
2.2.4  と愁ふるを、あはれと聞こし召す。
 と困っているのを、しみじみとお聞きになる。
 とこぼすのを、源氏は身にんで聞いていた。
  to urehuru wo, ahare to kikosimesu.
2.2.5  「 昨日今日と思すほどに 三年のあなたにもなりにける世かな。かかるを見つつ、かりそめの宿りをえ思ひ捨てず、木草の色にも心を移すよ」と、思し知らるる。口ずさびに、
 「昨日今日のこととお思いになっていたうちに、はや三年も昔になってしまった世の中だ。このような世を見ながら、仮の宿を捨てることもできず、木や草の花にも心をときめかせるとは」と、つくづくと感じられる。口ずさみに、
 宮のお若いころ、自身の生まれたころを源氏が考えてみるとそれはもう三十年の昔になる、物の錆びたことによって人間の古くなったことも思われる。それを知りながら仮の世の執着が離れず、人に心のかれることのやむ時がない自分であると源氏は恥じた。
  "Kinohu kehu to obosu hodo ni, mi-tose no anata ni mo nari ni keru yo kana! Kakaru wo mi tutu, karisome no yadori wo e omohi sute zu, ki kusa no iro ni mo kokoro wo utusu yo!" to, obosi sira ruru. Kutizusabi ni,
2.2.6  「 いつのまに蓬がもととむすぼほれ
   雪降る里と荒れし垣根ぞ
 「いつの間にこの邸は蓬がおい茂り
  雪に埋もれたふる里となってしまったのだろう
  いつのまによもぎがもとと結ぼほれ
  雪ふる里と荒れし垣根かきね
    "Itu no ma ni yomogi ga moto to musubohore
    yuki huru sato to are si kakine zo
2.2.7  やや久しう、ひこしらひ開けて、入りたまふ。
 やや暫くして、無理やり引っ張り開けて、お入りになる。
 源氏はこんなことを口ずさんでいた。やや長くかかって古い門の抵抗がやっと征服された。
  Yaya hisasiu, hikosirahi ake te, iri tamahu.
注釈93宮には北面の桃園式部卿宮邸。北門が通用門、西門が正門となっている。2.2.1
注釈94今日しも渡りたまはじと思しけるを源氏は前に訪問の手紙を出していたのだが、五の宮はそれが今日とは思っていなかった。2.2.1
注釈95御門守寒げなるけはひうすすき出で来てとみにもえ開けやらず零落の邸の光景。「末摘花」巻の常陸宮邸に類似。2.2.2
注釈96錠のいといたく銹びにければ開かず御門守の詞。2.2.3
注釈97昨日今日と思すほどに以下「心を移すよ」まで、源氏の心中。「思す」は語り手の敬語が介入。2.2.5
注釈98三年大島本は「みそ(そ$<朱>)とせ」とある。すなわち「そ」を朱筆でミセケチにする。諸本は「みそとせ」(御池冬耕肖三)とある。『新大系』は底本の訂正に従う。『集成』『古典セレクション』は「三十年」と校訂する。なお河内本「みとせ」。別本の保坂本「みそとせ」、国冬本「みそ(そ補入)とせ」とある。『集成』は「夕霧の巻にも「昨日今日と思ふほどに、三十年よりあなたのことになる世にこそあれ」とあり、人の死後、月日のたつことの早さを言う当時の諺と思われる」。『新大系』は「「三年」が何をさすか不明。式部卿宮の死去は今年の夏。三年も経った感じだとして時の経過のはかなさを思う表現か」と注す。2.2.5
注釈99いつのまに蓬がもととむすぼほれ--雪降る里と荒れし垣根ぞ源氏の歌。「降る」と「古」の掛詞。2.2.6
校訂9 三年 三年--みそ(そ/$<朱>)とせ 2.2.5
2.3
第三段 宮邸で源典侍と出会う


2-3  Happen to meet Gen'nonaisi, old amorous lady

2.3.1   宮の御方に、例の、御物語聞こえたまふに、古事どものそこはかとなきうちはじめ、聞こえ尽くしたまへど、 御耳もおどろかず、ねぶたきに、宮も欠伸うちしたまひて、
 宮の御方に、例によって、お話申し上げなさると、昔の事をとりとめもなく話し出しはじめて、はてもなくお続きになるが、ご関心もなく、眠いが、宮もあくびをなさって、
 源氏はまず宮のお居間のほうで例のように話していたが、昔話の取りとめもないようなのが長く続いて源氏は眠くなるばかりであった。宮もあくびをあそばして、
  Miya-no-ohom-kata ni, rei no, ohom-monogatari kikoye tamahu ni, hurukoto-domo no sokohakatonaki uti-hazime, kikoye tukusi tamahe do, ohom-mimi mo odoroka zu, nebutaki ni, Miya mo akubi uti-si tamahi te,
2.3.2  「 宵まどひをしはべれば、ものもえ聞こえやらず
 「宵のうちから眠くなっていましたので、終いまでお話もできません」
 「私は宵惑よいまどいなものですから、お話がもうできないのですよ」
  "Yohimadohi wo si habere ba, mono mo e kikoye yara zu."
2.3.3  とのたまふほどもなく、 鼾とか、聞き知らぬ音すれば、よろこびながら立ち出でたまはむとするに、またいと古めかしきしはぶきうちして、参りたる人あり。
 とおっしゃる間もなく、鼾とかいう、聞き知らない音がするので、これさいわいとお立ちになろうとすると、またたいそう年寄くさい咳払いをして、近寄ってまいる者がいる。
 とお言いになったかと思うと、いびきという源氏に馴染なじみの少ない音が聞こえだしてきた。源氏は内心に喜びながら宮のお居間を辞して出ようとすると、また一人の老人らしいせきをしながら御簾みすぎわに寄って来る人があった。
  to notamahu hodo mo naku, ibiki to ka, kiki sira nu oto sure ba, yorokobi nagara tatiide tamaha m to suru ni, mata ito hurumekasiki sihabuki uti-si te, mawiri taru hito ari.
2.3.4  「 かしこけれど、聞こし召したらむと頼みきこえさするを、世にある者とも数まへさせたまはぬになむ。院の上は、祖母殿と笑はせたまひし」
 「恐れながら、ご存じでいらっしゃろうと心頼みにしておりましたのに、生きている者の一人としてお認めくださらないので。院の上は、祖母殿と仰せになってお笑いあそばしました」
 「もったいないことですが、ご存じのはずと思っておりますものの私の存在をとっくにお忘れになっていらっしゃるようでございますから、私のほうから、出てまいりました。院の陛下がお祖母ばあさんとお言いになりました者でございますよ」
  "Kasikokere do, kikosimesi tara m to tanomi kikoye sasuru wo, yo ni aru mono to mo kazumahe sase tamaha nu ni nam. Win-no-Uhe ha, obaotodo to waraha se tamahi si."
2.3.5  など、名のり 出づるにぞ、思し出づる。
 などと、名乗り出したので、お思い出しになった。
 と言うので源氏は思い出した。
  nado, nanori iduru ni zo, obosi iduru.
2.3.6   源典侍といひし人は、尼になりて、この宮の御弟子にてなむ行なふと聞きしかど、今まであらむとも尋ね知りたまはざりつるを、 あさましうなりぬ
 源典侍と言った人は、尼になって、この宮のお弟子として勤行していると聞いていたが、今まで生きていようとはお確かめ知りにならなかったので、あきれる思いをなさった。
 源典侍げんてんじといわれていた人は尼になって女五の宮のお弟子でし分でお仕えしていると以前聞いたこともあるが、今まで生きていたとは思いがけないことであるとあきれてしまった。
  Gen-no-Naisinosuke to ihi si hito ha, ama ni nari te, kono Miya no ohom-desi nite nam okonahu to kiki sika do, ima made ara m to mo tadune siri tamaha zari turu wo, asamasiu nari nu.
2.3.7  「 その世のことは、みな昔語りになりゆくを、はるかに思ひ出づるも、心細きに、うれしき御声かな。 親なしに臥せる旅人と、育みたまへかし」
 「その当時のことは、みな昔話になってゆきますが、遠い昔を思い出すと、心細くなりますが、なつかしく嬉しいお声ですね。親がいなくて臥せっている旅人と思って、お世話してください」
 「あのころのことは皆昔話になって、思い出してさえあまりに今と遠くて心細くなるばかりなのですが、うれしい方がおいでになりましたね。『親なしにせる旅人』と思ってください」
  "Sono yo no koto ha, mina mukasigatari ni nari yuku wo, haruka ni omohiiduru mo, kokorobosoki ni, uresiki ohom-kowe kana! Oya nasi ni huse ru tabibito to, hagukumi tamahe kasi."
2.3.8  とて、 寄りゐたまへる御けはひにいとど昔思ひ出でつつ、古りがたくなまめかしきさまにもてなして、いたうすげみにたる口つき、思ひやらるる声づかひの、さすがに舌つきにて、うちされむとはなほ思へり。
 と言って、物に寄りかかっていらっしゃるご様子に、ますます昔のことを思い出して、相変わらずなまめかしいしなをつくって、たいそうすぼんだ口の恰好、想像される声だが、それでもやはり、甘ったるい言い方で戯れかかろうと今も思っている。
 と言いながら、御簾のほうへからだを寄せる源氏に、典侍ないしのすけはいっそう昔が帰って来た気がして、今も好色女らしく、歯の少なくなった曲がった口もとも想像される声で、甘えかかろうとしていた。
  tote, yoriwi tamahe ru ohom-kehahi ni, itodo mukasi omohiide tutu, huri gataku namamekasiki sama ni motenasi te, itau sugemi ni taru kutituki, omohi yara ruru kowadukahi no, sasuga ni sitatuki nite, uti-sare m to ha naho omohe ri.
2.3.9  「 言ひこしほどに」など聞こえかかる、 まばゆさよ。「 今しも来たる老いのやうに」など、 ほほ笑まれたまふものから、ひきかへ、これもあはれなり。
 「言い続けてきたうちに」などとお申し上げかけてくるのは、こちらの顔の赤くなる思いがする。「今急に老人になったような物言いだ」など、と苦笑されるが、また一方で、これも哀れである。
 「とうとうこんなになってしまったじゃありませんか」などとおくめんなしに言う。今はじめて老衰にあったような口ぶりであるとおかしく源氏は思いながらも、一面では哀れなことに予期もせず触れた気もした。
  "Ihi ko si hodo ni." nado kikoye kakaru, mabayusa yo! "Ima simo ki taru oyi no yau ni." nado, hohowema re tamahu monokara, hikikahe, kore mo ahare nari.
2.3.10  「 この盛りに挑みたまひし女御、更衣、あるはひたすら亡くなりたまひ、あるはかひなくて、はかなき世にさすらへたまふもあべかめり。入道の宮などの御齢よ。あさましとのみ思さるる世に、 年のほど身の残り少なげさに心ばへなども、ものはかなく見えし人の、生きとまりて、のどやかに行なひをもうちして過ぐしけるは、なほすべて定めなき世なり」
 「その女盛りのころに、寵愛を競い合いなさった女御、更衣、ある方はお亡くなりになり、またある方は見るかげもなく、はかないこの世に落ちぶれていらっしゃる方もあるようだ。入道の宮などの御寿命の短さよ。あきれるばかりの世の中の無常に、年からいっても余命残り少なそうで、心構えなども、頼りなさそうに見えた人が、生き残って、静かに勤行をして過ごしていたのは、やはりすべて定めない世のありさまなのだ」
 この女が若盛りのころの後宮こうきゅう女御にょご更衣こういはどうなったかというと、みじめなふうになって生き長らえている人もあるであろうが大部分は故人である。入道の宮などのお年はどうであろう、この人の半分にも足らないでおかくれになったではないか、はかないのが姿である人生であるからと源氏は思いながらも、人格がいいともいえない、ふしだらな女が長生きをして気楽に仏勤めをして暮らすようなことも不定ふじょうと仏のお教えになったこの世の相であると、
  "Kono sakari ni idomi tamahi si nyougo, kaui, aru ha hitasura nakunari tamahi, aru ha kahinaku te, hakanaki yo ni sasurahe tamahu mo a' beka' meri. Nihudau-no-Miya nado no ohom-yohahi yo! Asamasi to nomi obosa ruru yo ni, tosi no hodo mi no nokori sukunagesa ni, kokorobahe nado mo, mono hakanaku miye si hito no, iki tomari te, nodoyaka ni okonahi wo mo uti-si te sugusi keru ha, naho subete sadame naki yo nari."
2.3.11  と思すに、ものあはれなる御けしきを、心ときめきに思ひて、若やぐ。
 とお思いになると、何となくしみじみとしたご様子を、心のときめくことかと誤解して、はしゃぐ。
 こんなふうに感じて、気分がしんみりとしてきたのを、典侍は自身の魅力の反映が源氏に現われてきたものと解して、若々しく言う。
  to obosu ni, mono-ahare naru mi-kesiki wo, kokoro tokimeki ni omohi te, wakayagu.
2.3.12  「 年経れどこの契りこそ忘られね
   親の親とか言ひし一言
 「何年たってもあなたとのご縁が忘れられません
  親の親とかおっしゃった一言がございますもの
  年れどこの契りこそ忘られね
  親の親とか言ひし一こと
    "Tosi hure do kono tigiri koso wasura re ne
    oya no oya to ka ihi si hitokoto
2.3.13  と聞こゆれば、疎ましくて、
 と申し上げると、気味が悪くて、
 源氏は悪感おかんを覚えて、
  to kikoyure ba, utomasiku te,
2.3.14  「 身を変へて後も待ち見よこの世にて
   親を忘るるためしありやと
 「来世に生まれ変わった後まで待って見てください
  この世で子が親を忘れる例があるかどうかと
  「身を変へてあとも待ち見よこの世にて
  親を忘るるためしありやと
    "Mi wo kahe te noti mo mati mi yo kono yo nite
    oya wo wasururu tamesi ari ya to
2.3.15   頼もしき契りぞや。今のどかにぞ、聞こえさすべき」
 頼もしいご縁ですね。いずれゆっくりと、お話し申し上げましょう」
 頼もしい縁ですよ。そのうちにまた」
  Tanomosiki tigiri zo ya! Ima nodoka ni zo, kikoye sasu beki."
2.3.16  とて、立ちたまひぬ。
 とおっしゃって、お立ちになった。
 と言って立ってしまった。
  tote, tati tamahi nu.
注釈100宮の御方に寝殿の東表の間、源氏、女五の宮対面。2.3.1
注釈101御耳もおどろかずねぶたきに主語は源氏。『集成』は「お相手に辟易している体」と注す。2.3.1
注釈102宵まどひをしはべればものもえ聞こえやらず女五の宮の詞。「宵まどひ」は宵のうちから眠くなること。老人の習癖。2.3.2
注釈103鼾とか聞き知らぬ音「とか」「聞き知らぬ」。源氏のような高貴な方の知らない下品な世界のものというニュアンス。2.3.3
注釈104かしこけれど以下「笑はせたまひし」まで、源典侍の詞。色好みで名高い老女の源典侍の登場。源氏の古りがたい好色心を対比させていよう。この巻全体の時間の流れ、老い、醜さ、など主題が語られている。源氏の古りがたき恋もまた醜い様相をおびている。2.3.4
注釈105源典侍といひし人は「紅葉賀」巻で五十七、八歳であった。現在七十または七十一歳。2.3.6
注釈106あさましうなりぬ『集成』は「あきれる思いでいらっしゃる」。『完訳』は「びっくりなさった」と訳す。2.3.6
注釈107その世のことは以下「育みたまへかし」まで、源氏の詞。2.3.7
注釈108親なしに臥せる旅人「しなてるや片岡山に飯に飢ゑ臥せる旅人あはれ親なし」(拾遺集哀傷、一三五〇、聖徳太子)を踏まえる。2.3.7
注釈109寄りゐたまへる御けはひに主語は源氏。2.3.8
注釈110いとど昔思ひ出でつつ古りがたくなまめかしきさまに主語は源典侍。2.3.8
注釈111言ひこしほどに源典侍の詞。「身を憂しと言ひこしほどに今はまた人の上とも嘆くべきかな」(源氏釈所引、出典未詳)。『集成』は「お互いに年を取りました、それゆえ、お相手としては五分五分、というほどの下意であろう」と注す。2.3.9
注釈112まばゆさよ源氏とともに語り手の気持ち。『集成』は「閉口千万だ」。『完訳』は「まったく見られたものでない」と訳す。2.3.9
注釈113今しも来たる老いのやうに源氏の心中。2.3.9
注釈114この盛りに以下「定めなき世なり」まで、源氏の心中。若くして逝った藤壺と生き永らえて勤行している源典侍を比べ、世の無常を思う。2.3.10
注釈115年のほど身の残り少なげさに源典侍をさす。2.3.10
注釈116年経れどこの契りこそ忘られね--親の親とか言ひし一言源典侍の贈歌。「この契り」に「子の契り」を掛ける。「親の親」は典侍自身をいう。「親の親と思はましかばとひてまし我が子の子にはあらぬなるべし」(拾遺集雑下、五四五、源重之の母)を踏まえる。2.3.12
注釈117身を変へて後も待ち見よこの世にて--親を忘るるためしありやと源氏の返歌。「この契り」を「身を変へて」の来世の意と「この世にて」と切り返す。「この世」と「子の世」の掛詞。2.3.14
注釈118頼もしき契りぞや以下「聞こえさすべき」まで、歌に続けた源氏の詞。2.3.15
出典6 親なしに臥せる旅人 しなてるや片岡山に飯に飢ゑて臥せる旅人あはれ親なし 拾遺集哀傷-一三五〇 聖徳太子 2.3.7
出典7 言ひこしほどに 身を憂しと言ひ来しほどに今日はまた人の上とも嘆くべきかな 源氏釈所引、出典未詳 2.3.9
出典8 親の親とか 親の親と思はましかば問ひてまし我が子の子には 拾遺集雑下-五四五 源重之母 2.3.12
校訂10 出づる 出づる--いつ(つ/+る) 2.3.5
校訂11 ほほ笑まれ ほほ笑まれ--をほ(をほ/$ほゝ)ゑまれ 2.3.9
校訂12 心ばへ 心ばへ--こ(こ/+こ)ろはへ 2.3.10
2.4
第四段 朝顔姫君と和歌を詠み交わす


2-4  Genji and Asagao compose and exchange waka

2.4.1   西面には御格子参りたれど、厭ひきこえ顔ならむもいかがとて、一間、二間は下ろさず。 月さし出でて、薄らかに積もれる雪の光りあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり
 西面では御格子を下ろしていたが、お嫌い申しているように思われるのもどうかと、一間、二間は下ろしてない。月が顔を出して、うっすらと積もった雪の光に映えて、かえって趣のある夜の様子である。
 西のほうはもう格子がろしてあったが、迷惑がるように思われてはと斟酌しんしゃくして一間二間はそのままにしてあった。月が出て淡い雪の光といっしょになった夜の色が美しかった。
  Nisiomote ni ha mikausi mawiri tare do, itohi kikoye gaho nara m mo ikaga tote, hitoma, hutama ha orosa zu. Tuki sasi-ide te, usuraka ni tumore ru yuki no hikari ahi te, nakanaka ito omosiroki yo no sama nari.
2.4.2  「 ありつる老いらくの心げさうも、良からぬものの世のたとひとか聞きし」と思し出でられて、をかしくなむ。今宵は、いとまめやかに聞こえたまひて、
 「さきほどの老いらくの懸想ぶりも、似つかわしくないものの例とか聞いた」とお思い出されなさって、おかしくなった。今宵は、たいそう真剣にお話なさって、
 今夜は真剣なふうに恋を訴える源氏であった。
  "Arituru oyiraku no kokorogesau mo, yokara nu mono no yo no tatohi to ka kiki si." to obosi ide rare te, wokasiku nam. Koyohi ha, ito mameyaka ni kikoye tamahi te,
2.4.3  「 一言、憎しなども人伝てならでのたまはせむを、思ひ絶ゆるふしにもせむ」
 「せめて一言、憎いなどとでも、人伝てではなく直におっしゃっていただければ、思いあきらめるきっかけにもしましょう」
 「ただ一言、それは私を憎むということでも御自身のお口から聞かせてください。私はそれだけをしていただいただけで満足してあきらめようと思います」
  "Hitokoto, nikusi nado mo, hitodute nara de notamahase m wo, omohi tayuru husi ni mo se m."
2.4.4  と、おり立ちて責めきこえたまへど、
 と、身を入れて強くお訴えになるが、
 熱情を見せてこう言うが、
  to, oritati te seme kikoye tamahe do,
2.4.5  「 昔、われも人も若やかに、罪許されたりし世にだに、故宮などの心寄せ思したりしを、なほあるまじく恥づかしと思ひきこえてやみにしを、世の末に、さだすぎ、つきなきほどにて、 一声もいとまばゆからむ」
 「昔、自分も相手も若くて、過ちが許されたころでさえ、亡き父宮などが好感を持っていらっしゃったのを、やはりとんでもなく気がひけることだとお思い申して終わったのに、晩年になり、盛りも過ぎ、似つかわしくない今頃になって、その一言をお聞かせするのも気恥ずかしいことだろう」
 女王にょおうは、自分も源氏もまだ若かった日、源氏が今日のような複雑な係累もなくて、どんなことも若さのとがで済む時代にも、父宮などの希望された源氏との結婚問題を、自分はその気になれずにいなんでしまった。ましてこんなに年が行って衰えた今になっては、一言でも直接にものを言ったりすることは恥ずかしくてできない
  "Mukasi, ware mo hito mo wakayaka ni, tumi yurusa re tari si yo ni dani, ko-Miya nado no kokoroyose obosi tari si wo, naho aru maziku hadukasi to omohi kikoye te yami ni si wo, yo no suwe ni, sada sugi, tukinaki hodo nite, hitokowe mo ito mabayukara m."
2.4.6  と思して、さらに動きなき御心なれば、「 あさましう、つらし」と思ひきこえたまふ。
 とお思いになって、まったく動じようとしないお気持ちなので、「あきれるほどに、つらい」とお思い申し上げなさる。
とお思いになって、だれが勧めてもそうしようとされないのを、源氏は非常に恨めしく思った。
  to obosi te, sarani ugoki naki mi-kokoro nare ba, "Asamasiu, turasi." to omohi kikoye tamahu.
2.4.7   さすがに、はしたなくさし放ちてなどはあらぬ人伝ての御返りなどぞ、 心やましきや。夜もいたう更けゆくに、風のけはひ、はげしくて、まことにいともの心細くおぼゆれば、 さまよきほど、おし拭ひたまひて、
 そうかといって、不体裁に突き放してというのではない取次ぎのお返事などが、かえってじれることである。夜もたいそう更けてゆくにつれ、風の具合が、激しくなって、ほんとうにもの心細く思われるので、体裁よいところで、お拭いになって、
さすがに冷淡にはお取り扱いにはならないで、人づてのお返辞はくださるというのであったから、源氏は悶々もんもんとするばかりであった。次第に夜がふけて、風の音もはげしくなる。心細さに落ちる涙をぬぐいながら源氏は言う。
  Sasuga ni, hasitanaku sasi-hanati te nado ha ara nu hitodute no ohom-kaheri nado zo, kokoroyamasiki ya! Yo mo itau huke yuku ni, kaze no kehahi, hagesiku te, makoto ni ito mono-kokorobosoku oboyure ba, sama yoki hodo, osi-nogohi tamahi te,
2.4.8  「 つれなさを昔に懲りぬ心こそ
   人のつらきに添へてつらけれ
 「昔のつれない仕打ちに懲りもしないわたしの心までが
  あなたがつらく思う心に加わってつらく思われるのです
  「つれなさを昔に懲りぬ心こそ
  人のつらさに添へてつらけれ
    "Turenasa wo mukasi ni kori nu kokoro koso
    hito no turaki ni sohe te turakere
2.4.9   心づからの
 自然とどうしようもございません」
 『心づから』(恋しさも心づからのものなれば置き所なくもてぞ煩ふ)苦しみます」
  Kokorodukara no."
2.4.10  と のたまひすさぶるを
 と口に上るままにおっしゃると、

  to notamahi susaburu wo,
2.4.11  「 げに
 「ほんとうに」
 「あまりにお気の毒でございますから」と言って、
  "Geni."
2.4.12  「かたはらいたし」
 「見ていて気が気でありませんわ」

  "Kataharaitasi."
2.4.13  と、人びと、例の、聞こゆ。
 と、女房たちは、例によって、申し上げる。
 女房らが女王に返歌をされるように勧めた。
  to, hitobito, rei no, kikoyu.
2.4.14  「 あらためて何かは見えむ人のうへに
   かかりと聞きし心変はりを
 「今さらどうして気持ちを変えたりしましょう
  他人ではそのようなことがあると聞きました心変わりを
  「改めて何かは見えん人の上に
  かかりと聞きし心変はりを
    "Aratamete nanikaha miye m hito no uhe ni
    kakari to kiki si kokorogahari wo
2.4.15   昔に変はることは、ならはず
 昔と変わることは、今もできません」
 私はそうしたふうに変わっていきません」
  Mukasi ni kaharu koto ha, naraha zu."
2.4.16  など聞こえたまへり。
 などとお答え申し上げなさった。
 と女房が斎院のお言葉を伝えた。
  nado kikoye tamahe ri.
注釈119西面に寝殿の西表の間。朝顔の居所。2.4.1
注釈120月さし出でて、薄らかに積もれる雪の 光りあひて、なかなかいとおもしろき夜のさまなり冬の夜の雪の光と心象風景。季節と物語の類同的発想。「末摘花」巻参照。2.4.1
注釈121ありつる老いらくの心げさうも良からぬものの世のたとひとか『河海抄』所引「枕草子」に「清少納言枕草子、すさまじきもの、おうなのけさう、しはすの月夜云々」。現存本にはない。『二中歴』十列に「冷物、十二月月夜--老女仮借--」とある。2.4.2
注釈122一言憎しなども以下「思ひ絶ゆるふしにもせむ」まで、源氏の詞。『完訳』は「今はただ思ひ絶えなむとばかり人づてならで言ふよしもがな」(後拾遺集恋三、七五〇、藤原道雅)を指摘する。2.4.3
注釈123昔われも人も以下「いとまばゆからむ」まで、朝顔の心中。2.4.5
注釈124一声源氏の「一言」を受ける。2.4.5
注釈125あさましうつらし源氏の心中。2.4.6
注釈126さすがにはしたなく『集成』は「源氏の気持になりかわっての草子地」と注す。2.4.7
注釈127心やましきや源氏の心に即した感想。2.4.7
注釈128さまよきほど大島本は「さまよきほと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ほどに」と「に」を補訂する。2.4.7
注釈129つれなさを昔に懲りぬ心こそ--人のつらきに添へてつらけれ源氏の歌。「つれなさ」「つらきにそへて」「つらけれ」同語同音を反復した執拗な恋情を訴えた歌。2.4.8
注釈130心づからの歌に添えた言葉。「恋しきも心づからのわざなれば置きどころもなくもてぞわづらふ」(中務集)。2.4.9
注釈131のたまひすさぶるを『集成』は「お口に上るままおっしゃるのを」。『完訳』は「言いつのられるのを」と訳す。2.4.10
注釈132げにかたはらいたし女房の詞。2.4.11
注釈133あらためて何かは見えむ人のうへに--かかりと聞きし心変はりを朝顔の姫君の返歌。「人のつらきに」を受けて「人の上にかかりと聞きし」と切り返す。2.4.14
注釈134昔に変はることはならはず歌に添えた詞。
【ならはず」--など】-大島本は「ならハすなと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「なむと」と「む」を補訂する。
2.4.15
出典9 人伝てならで 今はただ思ひ絶えなむとばかりを人づてならで言ふよしもがな 後拾遺集恋三-七五〇 藤原道雅 2.4.3
出典10 心づからの 恋しきも心づからのわざなればおきどころなくもてわづらふ 中務集-二四九 2.4.9
校訂13 光りあひて 光りあひて--ひかり△(△/#)あひ(ひ/+て) 2.4.1
2.5
第五段 朝顔姫君、源氏の求愛を拒む


2-5  Asagao refuses Genji's love

2.5.1  いふかひなくて、いとまめやかに怨じきこえて出でたまふも、いと若々しき心地したまへば、
 何とも言いようがなくて、とても真剣に恨み言を申し上げなさってお帰りになるのも、たいそう若々しい感じがなさるので、
 力の抜けた気がしながらも、言うべきことは言い残して帰って行く源氏は、自身がみじめに思われてならなかった。
  Ihukahinaku te, ito mameyaka ni wenzi kikoye te ide tamahu mo, ito wakawakasiki kokoti si tamahe ba,
2.5.2  「 いとかく、世の例になりぬべきありさま、漏らしたまふなよ。ゆめゆめ。 いさら川などもなれなれしや
 「ひどくこう、世の中のもの笑いになってしまいそうな様子、お漏らしなさるなよ。きっときっと。いさら川などと言うのも馴れ馴れしいですね」
 「こんなことは愚かな男の例としてうわさにもなりそうなことですから人には言わないでください。『いさや川』(犬上いぬがみのとこの山なるいさや川いさとこたへてわが名もらすな)などというのも恋の成り立った場合の歌で、ここへは引けませんね」
  "Ito kaku, yo no tamesi ni nari nu beki arisama, morasi tamahu na yo! yume yume. Isaragaha nado mo narenaresi ya!"
2.5.3  とて、せちにうちささめき語らひたまへど、 何ごとにかあらむ。人びとも、
 と言って、しきりにひそひそ話しかけていらっしゃるが、何のお話であろうか。女房たちも、
 と言って源氏はなお女房たちに何事かを頼んで行った。
  tote, setini uti-sasameki katarahi tamahe do, nanigoto ni ka ara m? Hitobito mo,
2.5.4  「 あな、かたじけな。あながちに情けおくれても、もてなしきこえたまふらむ」
 「何とも、もったいない。どうしてむやみにつれないお仕打ちをなさるのでしょう」
 「もったいない気がしました。なぜああまで気強くなさるのでしょう。少し近くへお出ましになっても、まじめに求婚をしていらっしゃるだけですから、失礼なことなどの起こってくる気づかいはないでしょうのに、
  "Ana, katazikena! Anagati ni nasake okure te mo, motenasi kikoye tamahu ram."
2.5.5  「軽らかにおし立ちてなどは見えたまはぬ御けしきを。心苦しう」
 「軽々しく無体なこととはお見えにならない態度なのに。お気の毒な」
お気の毒な」
  "Karuraka ni ositati te nado ha miye tamaha nu mi-kesiki wo. Kokorogurusiu."
2.5.6  と言ふ。
 と言う。
 とあとで言う者もあった。
  to ihu.
2.5.7   げに、人のほどの、をかしきにも、あはれにも、思し知らぬにはあらねど、
 なるほど、君のお人柄の、素晴らしいのも、慕わしいのも、お分かりにならないのではないが、
 斎院は源氏の価値をよく知っておいでになって愛をお感じにならないのではないが、
  Geni, hito no hodo no, wokasiki ni mo, ahare ni mo, obosi sira nu ni ha ara ne do,
2.5.8  「 もの思ひ知るさまに見えたてまつるとて、おしなべての世の人のめできこゆらむ列にや思ひなされむ。かつは、軽々しき心のほども見知りたまひぬべく、恥づかしげなめる御ありさまを」 と思せば、「 なつかしからむ情けも、いとあいなし。よその御返りなどは、うち絶えで、おぼつかなかるまじきほどに 聞こえたまひ、人伝ての御応へ、はしたなからで過ぐしてむ。 年ごろ、沈みつる罪失ふばかり御行なひをとは思し立てど、「 にはかにかかる御ことをしも、もて離れ顔にあらむも、なかなか今めかしきやうに見え聞こえて、人のとりなさじやは」と、世の人の口さがなさを思し知りにしかば、かつ、さぶらふ人にもうちとけたまはず、いたう御心づかひしたまひつつ、やうやう御行なひをのみしたまふ。
 「ものの情理をわきまえた人のように見ていただいたとしても、世間一般の人がお褒め申すのとひとしなみに思われるだろう。また一方では、至らぬ心のほどもきっとお見通しになるに違いなく、気のひけるほど立派なお方だから」とお思いになると、「親しそうな気持ちをお見せしても、何にもならない。さし障りのないお返事などは、引き続き、御無沙汰にならないくらいに差し上げなさって、人を介してのお返事、失礼のないようにしていこう。長年、仏事に無縁であった罪が消えるように仏道の勤行をしよう」とは決意はなさるが、「急にこのようなご関係を、断ち切ったようにするのも、かえって思わせぶりに見えもし聞こえもして、人が噂しはしまいか」と、世間の人の口さがないのをご存知なので、一方では、伺候する女房たちにも気をお許しにならず、たいそうご用心なさりながら、だんだんとご勤行一途になって行かれる。
好意を見せても源氏の外貌がいぼうだけを愛している一般の女と同じに思われることはいやであると思っておいでになった。接近させて下にかくしたこの恋を源氏に看破されるのもつらく女王はお思いになるのである。友情で書かれた手紙には友情でむくいることにして、源氏が来れば人づてで話す程度のことにしたいとお思いになって、御自身は神に奉仕していた間怠っていた仏勤めを、取り返しうるほど十分にできる尼になりたいとも願っておいでになるのであるが、この際にわかにそうしたことをするのも源氏へ済まない、反抗的の行為であるとも必ず言われるであろうと、世間が作るうわさというものの苦しさを経験されたお心からお思いになった。女房たちが源氏に買収されてどんな行為をするかもしれぬという懸念から女王はその人たちに対してもお気をお許しにならなかった。そして追い追い宗教的な生活へ進んでお行きになるのであった。
  "Mono omohi siru sama ni miye tatematuru tote, osinabete no yo no hito no mede kikoyu ram tura ni ya omohi nasa re m? Katuha, karugarusiki kokoro no hodo mo misiri tamahi nu beku, hadukasige na' meru ohom-arisama wo." to obose ba, "Natukasikara m nasake mo, ito ainasi. Yoso no ohom-kaheri nado ha, uti-taye de, obotukanakaru maziki hodo ni kikoye tamahi, hitodute no ohom-irahe, hasitanakara de sugusi te m. Tosigoro, sidumi turu tumi usinahu bakari ohom-okonahi wo." to ha obosi tate do, "Nihaka ni kakaru ohom-koto wo simo, mote-hanare gaho ni ara m mo, nakanaka imamekasiki yau ni miye kikoye te, hito no torinasa zi yaha!" to, yo no hito no kuti saganasa wo obosi siri ni sika ba, katu, saburahu hito ni mo utitoke tamaha zu, itau mi-kokorodukahi si tamahi tutu, yauyau ohom-okonahi wo nomi si tamahu.
2.5.9   御兄弟の君達あまたものしたまへど、ひとつ御腹ならねば、いとうとうとしく、 宮のうちいとかすかになり行くままに、さばかりめでたき人の、ねむごろに御心を尽くしきこえたまへば、皆人、心を寄せきこゆるも、ひとつ心と見ゆ。
 ご兄弟の君達は多数いらっしゃるが、同腹ではないので、まったく疎遠で、宮邸の中がたいそうさびれて行くにつれて、あのような立派な方が、熱心にご求愛なさるので、一同そろって、お味方申すのも、誰の思いも同じと見える。
 女王は男の兄弟も幾人か持っておいでになるのであるが同腹でなかったから親しんで来る者もない。
  Ohom-harakara no Kimdati amata monosi tamahe do, hitotu-ohom-hara nara ne ba, ito utoutosiku, Miya no uti ito kasuka ni nari yuku mama ni, sabakari medetaki hito no, nemgoro ni mi-kokoro wo tukusi kikoye tamahe ba, minahito, kokoro wo yose kikoyuru mo, hitotukokoro to miyu.
注釈135いとかく世の例に以下「なれなれしや」まで、源氏の詞。2.5.2
注釈136いさら川などもなれなれしや「犬上の鳥篭の山なるいさら川いさと答えて我が名漏らすな」(古今六帖、名を惜しむ)。『完訳』は「情交もないのに、あったかのように、この歌を持ち出すのが、「馴れ馴れし」」と注す。2.5.2
注釈137何ごとにかあらむ『集成』は「草子地」。『完訳』は「女房の心に即した語り手の評」と注す。2.5.3
注釈138あなかたじけな以下「心苦しう」まで、女房の詞。2.5.4
注釈139げに人のほどの「げに」は朝顔の姫君と語り手の気持ちが一体化した表現。『完訳』は「姫君の心内に即した叙述。部分的に直接話法が混じる」と注す。2.5.7
注釈140もの思ひ知るさまに以下「御ありさまを」まで、朝顔の姫君の心中。2.5.8
注釈141と思せば語り手の叙述。2.5.8
注釈142なつかしからむ情けも以下「行なひを」まで、再び朝顔の姫君の心中。2.5.8
注釈143聞こえたまひ『完訳』は「間接話法ゆえの尊敬語」と注す。2.5.8
注釈144年ごろ沈みつる罪失ふばかり御行なひを斎院として仏道から離れていたことを「沈みつる罪」と自覚する。2.5.8
注釈145とは思し立てど語り手の叙述。2.5.8
注釈146にはかにかかる御ことをしも以下「人のとりなさじやは」まで、再び朝顔の姫君の心中。2.5.8
注釈147御兄弟の君達あまたものしたまへど朝顔の姫君の兄弟。物語には登場しない。2.5.9
注釈148宮のうちいとかすかになり行くままにさばかりめでたき人のねむごろに故桃園式部卿宮邸の荒廃、その女主人への源氏の求愛、取り巻きの女房の心理。故常陸宮邸の末摘花の物語に類似。2.5.9
出典11 いさら川 犬上の鳥籠の山なる名取川いさと答へよ我が名洩すな 古今集墨滅歌-一一〇八 読人しらず 2.5.2
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 10/31/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 7/21/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年7月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 10/31/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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