第二十一帖 乙女


21 WOTOME (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in summer at the age of 33 to October in winter at the age of 35

3
第三章 光る源氏周辺の人々の物語 内大臣家の物語


3  Tale of men around Hikaru-Genji  The Naidaijin family

3.1
第一段 斎宮女御の立后と光る源氏の太政大臣就任


3-1  Zen-Saigu ascends to the empress and Genji promotes Daijo-Daijin

3.1.1   かくて、后ゐたまふべきを
 そろそろ、立后の儀があってよいころであるが、
 皇后が冊立さくりつされることになっていたが、
  Kakute, Kisaki wi tamahu beki wo,
3.1.2  「 斎宮女御をこそは母宮も、後見と 譲りきこえたまひしかば」
 「斎宮の女御こそは、母宮も、自分の変わりのお世話役とおっしゃっていましたから」
 斎宮さいぐう女御にょごは母君から委託された方であるから、
  "Saiguu-no-Nyougo wo koso ha, haha-Miya mo, usiromi to yuduri kikoye tamahi sika ba."
3.1.3  と、大臣も ことづけたまふ源氏のうちしきり后にゐたまはむこと、世の人許しきこえず。
 と、大臣もご遺志にかこつけて主張なさる。皇族出身から引き続き后にお立ちになることを、世間の人は賛成申し上げない。
 自分としてはぜひこの方を推薦しなければならないという源氏の態度であった。御母后も内親王でいられたあとへ、またも王氏のきさきの立つことは一方に偏したことであると批難を加える者もあった。
  to, Otodo mo kotoduke tamahu. Genzi no uti-sikiri Kisaki ni wi tamaha m koto, yonohito yurusi kikoye zu.
3.1.4  「 弘徽殿の、まづ人より先に参りたまひにしもいかが」
 「弘徽殿の女御が、まず誰より先に入内なさったのもどうだらろうか」
 そうした人たちは弘徽殿こきでん女御にょごがだれよりも早く後宮こうきゅうにはいった人であるから、その人の后に昇格されるのが当然であるとも言うのである。
  "Koukiden no, madu hito yori saki ni mawiri tamahi ni si mo ikaga?"
3.1.5  など、うちうちに、こなたかなたに心寄せきこゆる人びと、おぼつかながりきこゆ。
 などと、内々に、こちら側あちら側につく人々は、心配申し上げている。
 双方に味方が現われて、だれもどうなることかと不安がっていた。
  nado, utiuti ni, konata kanata ni kokoroyose kikoyuru hitobito, obotukanagari kikoyu.
3.1.6   兵部卿宮と聞こえしは、今は式部卿にて、この御時にはましてやむごとなき 御おぼえにておはする、御女、本意ありて参りたまへり。同じごと、王女御にてさぶらひたまふを、
 兵部卿宮と申し上げた方は、今では式部卿になって、この御世となってからはいっそうご信任厚い方でいらっしゃる、その姫も、かねての望みがかなって入内なさっていた。同様に、王の女御として伺候していらっしゃるので、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮と申した方は今は式部卿しきぶきょうになっておいでになって、当代の御外戚として重んぜられておいでになる宮の姫君も、予定どおりに後宮へはいって、斎宮の女御と同じ王女御で侍しているのであるが、
  Hyaubukyau-no-Miya to kikoye si ha, ima ha Sikibukyau nite, kono ohom-toki ni ha masite yamgotonaki ohom-oboye nite ohasuru, ohom-musume, ho'i ari te mawiri tamahe ri. Onazi goto, Wau-no-Nyougo nite saburahi tamahu wo,
3.1.7  「 同じくは、御母方にて親しく おはすべきにこそは、母后のおはしまさぬ御代はりの後見に」
 「同じ皇族出身なら、御母方として親しくいらっしゃる方をこそ、母后のいらっしゃらない代わりのお世話役として相応しいだろう」
 他人でない濃い御親戚関係もあることであって、母后の御代わりとして后に立てられるのが合理的な処置であろうと、
  "Onaziku ha, ohom-hahagata nite sitasiku ohasu beki ni koso ha, haha-Gisaki no ohasimasa nu ohom-kahari no usiromi ni."
3.1.8  とことよせて、 似つかはしかるべく、とりどりに思し争ひたれど、なほ梅壺ゐたまひぬ。御幸ひの、 かく引きかへすぐれたまへりけるを、世の人おどろききこゆ。
 と理由をつけて、ふさわしかるべく、それぞれ競争なさったが、やはり梅壷が立后なさった。ご幸福が、うって変わってすぐれていらっしゃることを、世間の人は驚き申し上げる。
 そのほうを助ける人たちは言って、三女御の競争になったのであるが、結局梅壺うめつぼの前斎宮が后におなりになった。女王の幸運に世間は驚いた。
  to kotoyose te, nitukahasikaru beku, toridori ni obosi arasohi tare do, naho Mumetubo wi tamahi nu. Ohom-saihahi no, kaku hiki-kahe sugure tamaheri keru wo, yonohito odoroki kikoyu.
3.1.9   大臣、太政大臣に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ世の中のことども政りごちたまふべく譲りきこえたまふ。 人がら、いとすくよかにきらきらしくて、心もちゐなどもかしこくものしたまふ。学問を立ててしたまひければ、 韻塞には負けたまひしかど、公事にかしこくなむ。
 大臣は、太政大臣にお上がりになって、大将は、内大臣におなりになった。天下の政治をお執りになるようにお譲り申し上げなさる。性格は、まっすぐで、威儀も正しくて、心づかいなどもしっかりしていらっしゃる。学問をとり立てて熱心になさったので、韻塞ぎにはお負けになったが、政治では立派である。
 源氏が太政大臣になって、右大将が内大臣になった。そして関白の仕事を源氏はこの人に譲ったのであった。この人は正義の観念の強いりっぱな政治家である。学問を深くした人であるから韻塞いんふたぎの遊戯には負けたが公務を処理することに賢かった。
  Otodo, Daizyaudaizin ni agari tamahi te, Daisyau, Naidaizin ni nari tamahi nu. Yononaka no koto-domo maturigoti tamahu beku yuduri kikoye tamahu. Hitogara, ito sukuyoka ni, kirakirasiku te, kokoromotiwi nado mo kasikoku monosi tamahu. Gakumon wo tate te si tamahi kere ba, winhutagi ni ha make tamahi sika do, ohoyakegoto ni kasikoku nam.
3.1.10  腹々に御子ども十余人、おとなびつつものしたまふも、次々になり出でつつ、 劣らず栄えたる御家のうちなり。女は、 女御と今一所なむおはしける。わかむどほり腹にて、 あてなる筋は劣るまじけれど、その母君、按察使大納言の北の方になりて、さしむかへる子どもの数多くなりて、「それに混ぜて後の親に譲らむ、いとあいなし」 とて、とり放ちきこえたまひて、大宮にぞ預けきこえたまへりける。女御にはこよなく 思ひおとしきこえたまひつれど、人がら、容貌など、いとうつくしくぞおはしける。
 いく人もの妻妾にお子たちが十余人、いずれも大きく成長していらっしゃるが、次から次と立派になられて、負けず劣らず栄えているご一族である。女の子は、弘徽殿の女御ともう一人いらっしゃるのであった。皇族出身を母親として、高貴なお血筋では劣らないのであるが、その母君は、按察大納言の北の方となって、現在の夫との間に子どもの数が多くなって、「それらの子どもと一緒に継父に委ねるのは、まことに不都合なことだ」と思って、お引き離させなさって、大宮にお預け申していらっしゃるのであった。女御よりはずっと軽くお思い申し上げていらっしゃったが、性格や、器量など、とてもかわいらしくいらっしゃるのであった。
 幾人かの腹から生まれた子息は十人ほどあって、大人になって役人になっているのは次々に昇進するばかりであったが、女は女御のほかに一人よりない。それは親王家の姫君から生まれた人で、尊貴なことは嫡妻の子にも劣らないわけであるが、その母君が今は按察使大納言あぜちだいなごんの夫人になっていて、今の良人おっととの間に幾人かの子女が生まれている中において継父の世話を受けさせておくことはかわいそうであるといって、大臣は引き取ってわが母君の大宮に姫君をお託ししてあった。大臣は女御を愛するほどには決してこの娘を愛してはいないのであるが、性質も容貌ようぼうも美しい少女であった。
  Harabara ni ohom-kodomo zihu yo nin, otonabi tutu monosi tamahu mo, tugitugi ni nari ide tutu, otora zu sakaye taru ohom-ihe no uti nari. Womna ha, Nyougo to ima hito tokoro nam ohasi keru. Wakamdohori bara nite, ate naru sudi ha otoru mazikere do, sono hahagimi, Azeti-no-Dainagon no kitanokata ni nari te, sasi-mukahe ru kodomo no kazu ohoku nari te, "Sore ni maze te noti no oya ni yudura m, ito ainasi." tote, tori-hanati kikoye tamahi te, Ohomiya ni zo aduke kikoye tamahe ri keru. Nyougo ni ha koyonaku omohi otosi kikoye tamahi ture do, hitogara, katati nado, ito utukusiku zo ohasi keru.
注釈105かくて后ゐたまふべきを冷泉帝即位して五年になる。后が今まで未決定のままであった。3.1.1
注釈106斎宮女御をこそは以下「譲りきこえたまひしかば」まで、源氏の詞。3.1.2
注釈107母宮も後見と大島本は「うしろミ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御後見」と「御」を補訂する。冷泉帝の母宮である藤壺の宮をさす。3.1.2
注釈108ことづけたまふ『集成』は「母宮のご遺志を持ち出して主張される」と注す。3.1.3
注釈109源氏のうちしきり后にゐたまはむことこの場合の「源氏」は皇族出身の意。桐壺帝の藤壺の宮に引き続いて冷泉帝の前斎宮の女御の立后をいう。3.1.3
注釈110弘徽殿の以下「いかが」まで、世間の風評。斎宮女御より二年前に入内した(「絵合」巻)。3.1.4
注釈111兵部卿宮と聞こえしは今は式部卿にて藤壺の宮の兄、紫の上の父宮をさす。3.1.6
注釈112御おぼえにておはする連体中止法。述語であるとともに「御むすめ」をも修飾する。3.1.6
注釈113同じくは以下「後見に」まで、式部卿の宮方の主張。文末は地の文に流れる表現である。3.1.7
注釈114おはすべきにこそは大島本は「こそハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「こそ」と「は」を削除する。3.1.7
注釈115似つかはしかるべく大島本は「につかハしかるへく」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「べくと」と「と」を補訂する。3.1.8
注釈116かく引きかへすぐれたまへりけるを母六条御息所の人生との比較。3.1.8
注釈117大臣太政大臣に上がりたまひて大将内大臣になりたまひぬ源氏は太政大臣に、かつての頭中将は内大臣に昇進。3.1.9
注釈118人がらいとすくよかに以下、内大臣の性格について語る。『完訳』は「内大臣の性格。「すくよか」は剛直で意志を貫く性格。「きらきらし」は派手好みで威を張る性格」と注す。3.1.9
注釈119韻塞には負けたまひしかど「賢木」巻の韻塞ぎをさす。3.1.9
注釈120劣らず栄えたる御家源氏に劣らずの意。3.1.10
注釈121女御と今一所大島本は「いまひと所」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「今一所と」と「と」を補訂する。3.1.10
注釈122あてなる筋は劣るまじけれど『完訳』は「家筋の尊さでは弘徽殿の女御に負けをとるまいけれども」と注す。3.1.10
注釈123思ひおとしきこえたまひつれど大島本は「給つれと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまへれど」と校訂する。3.1.10
校訂11 譲り 譲り--ゆへ(へ/$つ<朱>)り 3.1.2
校訂12 世の中 世の中--よの(よの/$<朱>)よのなか 3.1.9
校訂13 きらきらしく きらきらしく--きゝく(ゝく/$ら/\<朱>)しく 3.1.9
校訂14 とて とて--(/+とて<朱>) 3.1.10
3.2
第二段 夕霧と雲居雁の幼恋


3-2  Childish love in Yugiri and Kumoi-no-kari

3.2.1  冠者の君、一つにて生ひ出でたまひしかど、おのおの十に余りたまひて後は、御方ことにて、
 冠者の君は、同じ所でご成長なさったが、それぞれが十歳を過ぎてから後は、住む部屋を別にして、
 そうしたわけで源氏の若君とこの人は同じ家で成長したのであるが、双方とも十歳を越えたころからは、別な場所に置かれて、
  Kwanza-no-Kimi, hitotu nite ohiide tamahi sika do, onoono towo ni amari tamahi te noti ha, ohom-kata koto nite,
3.2.2  「 むつましき人なれど、男子にはうちとくまじきものなり
 「親しい縁者ですが、男の子には気を許すものではありません」
 どんなに親しい人でも男性には用心をしなければならぬと、
  "Mutumasiki hito nare do, wonokogo ni ha uti-toku maziki mono nari."
3.2.3  と、父大臣聞こえたまひて、けどほくなりにたるを、幼心地に思ふことなきにしもあらねば、 はかなき花紅葉につけても、雛遊びの追従をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひ交はして、 けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。
 と、父大臣が訓戒なさって、離れて暮らすようになっていたが、子供心に慕わしく思うことなきにしもあらずなので、ちょっとした折々の花や紅葉につけても、また雛遊びのご機嫌とりにつけても、熱心にくっついてまわって、真心をお見せ申されるので、深い情愛を交わし合いなさって、きっぱりと今でも恥ずかしがりなさらない。
 大臣は娘をおしえてむつませないのを、若君の心に物足らぬ気持ちがあって、花や紅葉もみじを贈ること、ひな遊びの材料を提供することなどに真心を見せて、なお遊び相手である地位だけは保留していたから、姫君もこの従弟いとこを愛して、男に顔を見せぬというような、普通の慎みなどは無視されていた。
  to, titi-Otodo kikoye tamahi te, kedohoku nari ni taru wo, wosanagokoti ni omohu koto naki ni simo ara ne ba, hakanaki hana momidi ni tuke te mo, hihinaasobi no tuisyou wo mo, nemgoro ni matuhare ariki te, kokorozasi wo miye kikoye tamahe ba, imiziu omohikahasi te, kezayaka ni ha ima mo hadi kikoye tamaha zu.
3.2.4   御後見どもも
 お世話役たちも、
 乳母めのとなどという後見役の者も、
  Ohom-usiromi-domo mo,
3.2.5  「 何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れ はしたなめはきこえむ」
 「何の、子どもどうしのことなので、長年親しくしていらっしゃったお間柄を、急に引き離して、どうしてきまり悪い思いをさせることができようか」
 この少年少女には幼い日からついた習慣があるのであるから、にわかに厳格に二人の間を隔てることはできない
  "Nanikaha, wakaki mi-kokoro-doti nare ba, tosigoro minarahi tamahe ru ohom-ahahi wo, nihaka nimo, ikagaha mote-hanare hasitaname ha kikoye m."
3.2.6  と見るに、女君こそ 何心なくおはすれど男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、 おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ、よそよそになりては、 これをぞ静心なく思ふべき
 と思っていると、女君は何の考えもなくいらっしゃるが、男君は、あんなにも子どものように見えても、だいそれたどんな仲だったのであろうか、離れ離れになってからは、逢えないことを気が気でなく思うのである。
 と大目に見ていたが、姫君は無邪気一方であっても、少年のほうの感情は進んでいて、いつの間にか情人の関係にまでいたったらしい。東の院へ学問のために閉じこめ同様になったことは、このことがあるために若君を懊悩おうのうさせた。
  to miru ni, Womnagimi koso nanigokoronaku ohasure do, Wotoko ha, sakoso monogenaki hodo to mi kikoyure, ohokenaku, ikanaru ohom-nakarahi ni ka ari kem, yosoyoso ni nari te ha, kore wo zo sidukokoro naku omohu beki.
3.2.7  まだ片生ひなる手の生ひ先うつくしきにて、書き交はしたまへる文どもの、心幼くて、おのづから落ち散る折あるを、 御方の人びとは、ほのぼの知れるもありけれど、「 何かは、かくこそ」と、誰にも聞こえむ。見隠しつつあるなるべし。
 まだ未熟ながら将来の思われるかわいらしい筆跡で、書き交わしなさった手紙が、不用意さから、自然と落としているときもあるのを、姫君の女房たちは、うすうす知っている者もいたのだが、「どうして、こんな関係である」と、どなたに申し上げられようか。知っていながら隠しているのであろう。
 まだ子供らしい、そして未来の上達の思われる字で、二人の恋人が書きかわしている手紙が、幼稚な人たちのすることであるから、抜け目があって、そこらに落ち散らされてもあるのを、姫君付きの女房が見て、二人の交情がどの程度にまでなっているかを合点する者もあったが、そんなことは人に訴えてよいことでもないから、だれも秘密はそっとそのまま秘密にしておいた。
  Mada kataohi naru te no ohisaki utukusiki nite, kakikahasi tamahe ru humi-domo no, kokoro wosanaku te, onodukara oti tiru wori aru wo, ohom-kata no hitobito ha, honobono sire ru mo ari kere do, "Nanikaha, kaku koso." to, tare ni mo kikoye m. Mi kakusi tutu aru naru besi.
注釈124むつましき人なれど男子にはうちとくまじきものなり父内大臣の雲居雁に対する訓戒。3.2.2
注釈125はかなき花紅葉につけても以下、夕霧の雲居雁に対する動作行動。源氏の藤壺に対する行為についても、「幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる」(「桐壺」第三章五段)とあった。3.2.3
注釈126何かは以下「はしたなめきこえむ」まで、後見人たちの考え。3.2.5
注釈127はしたなめは大島本は「ハしたなめは(△&は)」とある。すなわち元の文字(判読不明)の上に重ね書きして「は(者)」と訂正する。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「はしたなめ」と「は」を削除する。3.2.5
注釈128何心なくおはすれど大島本は「なに心なくおハすれと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「何心なく幼くおはすれど」と「幼く」を補訂する。3.2.6
注釈129男はさこそ係助詞「こそ」は「見きこゆれ」已然形に係る逆接用法。3.2.6
注釈130おほけなくいかなる御仲らひにかありけむ『集成』は「あんなにお話にもならぬお年頃とお見受けしていたのに、いっぱしに、どんなお二人の仲になったことやら。すでに二人が深い仲になったことを暗示する草子地」。『完訳』は「だいそれたどんな仲だったか。二人の逢瀬を暗示する語り手の弁」と注す。3.2.6
注釈131これをぞ静心なく思ふべき『集成』は「これも草子地」と注す。3.2.6
注釈132御方の人びと雲居雁方の女房。3.2.7
注釈133何かはかくこそと以下「あるなるべし」まで、語り手の推測として語る。3.2.7
校訂15 けざやかに けざやかに--けさやにゝ(にゝ/$かに<朱>) 3.2.3
校訂16 御後見どもも 御後見どもも--御うしろみとも(も/+も) 3.2.4
3.3
第三段 内大臣、大宮邸に参上


3-3  Naidaijin comes to his mothers residence

3.3.1   所々の大饗どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、 時雨うちして、荻の上風もただならぬ夕暮に 、大宮の御方に、内大臣参りたまひて、姫君渡しきこえたまひて、御琴など弾かせたてまつりたまふ。宮は、よろづのものの上手におはすれば、いづれも伝へたてまつりたまふ。
 あちらとこちらの新任の大饗の宴が終わって、朝廷の御用もなく、のんびりとしていたころ、時雨がさあっと降って、荻の上風もしみじみと感じられる夕暮に、大宮のお部屋に、内大臣が参上なさって、姫君をそこへお呼びになって、お琴などをお弾かせなさる。大宮は、何事も上手でいらっしゃるので、それらをみなお教えになる。
 きさきの宮、両大臣家の大饗宴きょうえんなども済んで、ほかの催し事が続いて仕度したくされねばならぬということもなくて、世間の静かなころ、秋の通り雨が過ぎて、おぎの上風も寂しい日の夕方に、大宮のお住居すまいへ内大臣が御訪問に来た。大臣は姫君を宮のお居間に呼んで琴などをかせていた。宮はいろいろな芸のおできになる方で、姫君にもよく教えておありになった。
  Tokorodokoro no daikyau-domo mo hate te, yononaka no ohom-isogi mo naku, nodoyaka ni nari nuru koro, sigure uti-si te, ogi no uhakaze mo tada nara nu yuhugure ni, Ohomiya no ohom-kata ni, Uti-no-Otodo mawiri tamahi te, Himegimi watasi kikoye tamahi te, ohom-koto nado hika se tatematuri tamahu. Miya ha, yorodu no mono no zyauzu ni ohasure ba, idure mo tutahe tatematuri tamahu.
3.3.2  「 琵琶こそ、女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものにはべれ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさはべらずなりにたり。 何の親王、くれの源氏
 「琵琶は、女性が弾くには見にくいようだが、いかにも達者な感じがするものです。今の世に、正しく弾き伝えている人は、めったにいなくなってしまいました。何々親王、何々の源氏とか」
 「琵琶びわは女がくとちょっと反感も起こりますが、しかし貴族的なよいものですね。今日はごまかしでなくほんとうに琵琶の弾けるという人はあまりなくなりました。何親王、何の源氏」
  "Biha koso, womna no si taru ni nikuki yau nare do, raurauziki mono ni habere. Ima no yo ni makotosiu tutahe taru hito, wosawosa habera zu nari ni tari. Nani no Miko, kure no Genzi."
3.3.3  など数へたまひて、
 などとお数えになって、
 などと大臣は数えたあとで、
  nado kazohe tamahi te,
3.3.4  「 女の中には、太政大臣の、 山里に籠め置きたまへる人こそ、いと上手と聞きはべれ。物の 上手の後にはべれど末になりて、山賤にて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひてのたまふ折々はべれ。こと事よりは、遊びの方の才はなほ広う合はせ、かれこれに 通はしはべるこそ、かしこけれ、独り事にて、上手となりけむこそ、珍しきことなれ」
 「女性の中では、太政大臣が山里に隠しおいていらっしゃる人が、たいそう上手だと聞いております。音楽の名人の血筋ではありますが、子孫の代になって、田舎生活を長年していた人が、どうしてそのように上手に弾けたのでしょう。あの大臣が、ことの他上手な人だと思っておっしゃったことがありました。他の芸とは違って、音楽の才能はやはり広くいろんな人と合奏をし、あれこれの楽器に調べを合わせてこそ、立派になるものですが、独りで学んで、上手になったというのは珍しいことです」
 「女では太政大臣が嵯峨さがの山荘に置いておく人というのが非常にうまいそうですね。さかのぼって申せば音楽の天才の出た家筋ですが、京官から落伍らくごして地方にまで行った男の娘に、どうしてそんな上手じょうずが出て来たのでしょう。源氏の大臣はよほど感心していられると見えて、何かのおりにはよくその人の話をせられます。ほかの芸と音楽は少し性質が変わっていて、多く聞き、多くの人と合わせてもらうことでずっと進歩するものですが、独習をしていて、その域に達したというのは珍しいことです」
  "Womna no naka ni ha, Ohokiotodo no, yamazato ni komeoki tamahe ru hito koso, ito zyauzu to kiki habere. Mono no zyauzu no noti ni habere do, suwe ni nari te, yamagatu nite tosi he taru hito no, ikade sasimo hiki sugure kem? Kano Otodo, ito kokoro koto ni koso omohi te notamahu woriwori habere. Kotogoto yori ha, asobi no kata no zae ha naho hirou ahase, karekore ni kayohasi haberu koso, kasikokere, hitorigoto nite, zyauzu to nari kem koso, medurasiki koto nare."
3.3.5  などのたまひて、宮にそそのかしきこえたまへば、
 などとおっしゃって、大宮にお促し申し上げになると、
 こんな話もしたが、大臣は宮にお弾きになることをおすすめした。
  nado notamahi te, Miya ni sosonokasi kikoye tamahe ba,
3.3.6  「 柱さすことうひうひしくなりにけりや
 「柱を押さえることが久しぶりになってしまいました」
 「もういとを押すことなどが思うようにできなくなりましたよ」
  "Diu sasu koto uhiuhisiku nari ni keri ya!"
3.3.7   とのたまへど、おもしろう弾きたまふ。
 とおっしゃったが、美しくお弾きになる。
 とお言いになりながらも、宮は上手に琴をお弾きになった。
  to notamahe do, omosirou hiki tamahu.
3.3.8  「 幸ひにうち添へて、なほあやしうめでたかりける人なりや。 老いの世に、持たまへらぬ女子をまうけさせたてまつりて、身に添へてもやつしゐたらず、 やむごとなきに譲れる心おきて、こともなかるべき人なりとぞ聞きはべる」
 「ご幸運な上に、さらにやはり不思議なほど立派な方なのですね。お年をとられた今までに、お持ちでなかった女の子をお生み申されて、側に置いてみすぼらしくするでなく、れっきとしたお方にお預けした考えは、申し分のない人だと聞いております」
 「その山荘の人というのは、幸福な人であるばかりでなく、すぐれた聡明そうめいな人らしいですね。私に預けてくだすったのは男の子一人であの方の女の子もできていたらどんなによかったろうと思う女の子をその人は生んで、しかも自分がつれていては子供の不幸になることをよく理解して、りっぱな奥さんのほうへその子を渡したことなどを、感心なものだと私も話に聞きました」
  "Saihahi ni uti sohe te, naho ayasiu medetakari keru hito nari ya! Oyi no yo ni, mo'tamahe ra nu womnago wo mauke sase tatematuri te, mi ni sohe te mo yatusi wi tara zu, yamgotonaki ni yudure ru kokorookite, koto mo nakaru beki hito nari to zo kiki haberu."
3.3.9  など、かつ御物語聞こえたまふ。
 などと、一方ではお話し申し上げなさる。
 こんな話を大宮はあそばした。
  nado, katu ohom-monogatari kikoye tamahu.
注釈134所々の大饗どもも果てて源氏と内大臣のそれぞれの昇進の大饗をさす。3.3.1
注釈135時雨うちして荻の上風もただならぬ夕暮に『源氏釈』は「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露」(義孝集・和漢朗詠集)を引歌として指摘。3.3.1
注釈136琵琶こそ女のしたるに憎きやうなれど以下「何の親王くれの源氏」まで、内大臣の詞。宇津保物語に「琵琶なむ、さるは女のせむにうたて憎げなる姿したるものなる」(初秋巻)とある。3.3.2
注釈137何の親王くれの源氏何々親王、何々源氏の意。間接話法が混じる。3.3.2
注釈138女の中には以下「珍しきことなれ」まで、内大臣の詞。3.3.4
注釈139山里に籠め置きたまへる人大堰山荘の明石御方をさす。3.3.4
注釈140上手の後にはべれど大島本は「上すのゝちに侍れと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「後にははべれど」と「は」を補訂する。3.3.4
注釈141末になりて『完訳』は「伝授の末流と家運の衰え、の両意を含める」と注す。3.3.4
注釈142通はしはべるこそかしこけれ係助詞「こそ」--「かしこけれ」係結び、逆接用法。3.3.4
注釈143柱さすことうひうひしくなりにけりや大宮の詞。3.3.6
注釈144幸ひにうち添へて以下「聞きはべる」まで、大宮の詞。3.3.8
注釈145老いの世に持たまへらぬ女子を源氏についていう。3.3.8
注釈146やむごとなきに譲れる心おきて明石姫君を紫の上の養女にしたことをいう。「薄雲」巻に語られている。3.3.8
出典3 荻の上風もただならぬ 秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下露 和漢朗詠-二二九 藤原義孝 3.3.1
校訂17 とのたまへど とのたまへど--の給へは(は/$と) 3.3.7
3.4
第四段 弘徽殿女御の失意


3-4  Kokiden-nyogo is a loss of hope

3.4.1  「 女はただ心ばせよりこそ、世に用ゐらるるものにはべりけれ
 「女性はただ心がけによって、世間から重んじられるものでございますね」
 「女は頭のよさでどんなにも出世ができるものですよ」
  "Womna ha tada kokorobase yori koso, yo ni motiwi raruru mono ni haberi kere!"
3.4.2  など、人の上のたまひ出でて、
 などと、他人の身の上についてお話し出されて、
 などと内大臣は人の批評をしていたのであるが、それが自家の不幸な話に移っていった。
  nado, hito no uhe notamahi ide te,
3.4.3  「 女御を、けしうはあらず、何ごとも人に劣りては生ひ出でずかしと 思ひたまへしかど、 思はぬ人におされぬる宿世になむ、世は思ひのほかなるものと思ひはべりぬる。 この君をだに、いかで思ふさまに見なしはべらむ。春宮の御元服、ただ今のことになりぬるをと、人知れず思うたまへ心ざしたるを、かういふ 幸ひ人の腹の后がねこそ、また 追ひ次ぎぬれ。立ち出で たまへらむに、ましてきしろふ人ありがたくや」
 「弘徽殿の女御を、悪くはなく、どんなことでも他人には負けまいと存じておりましたが、思いがけない人に負けてしまった運命に、この世は案に相違したものだと存じました。せめてこの姫君だけは、何とか思うようにしたいものです。東宮の御元服は、もうすぐのことになったと、ひそかに期待していたのですが、あのような幸福者から生まれたお后候補者が、また後から追いついてきました。入内なさったら、まして対抗できる人はいないのではないでしょうか」
 「私は女御を完全でなくても、どんなことも人より劣るような娘には育て上げなかったつもりなんですが、意外な人に負ける運命を持っていたのですね。人生はこんなに予期にはずれるものかと私は悲観的になりました。この子だけでも私は思うような幸運をになわせたい、東宮の御元服はもうそのうちのことであろうかと、心中ではその希望を持っていたのですが、今のお話の明石あかしの幸運女が生んだお后の候補者があとからずんずん生長してくるのですからね。その人が後宮へはいったら、ましてだれが競争できますか」
  "Nyougo wo, kesiu ha ara zu, nanigoto mo hito ni otori te ha ohiide zu kasi to omohi tamahe sika do, omoha nu hito ni osare nuru sukuse ni nam, yo ha omohi no hoka naru mono to omohi haberi nuru. Kono Kimi wo dani, ikade omohu sama ni minasi habera m. Touguu no ohom-genpuku, tada ima no koto ni nari nuru wo to, hito sire zu omou tamahe kokorozasi taru wo, kau ihu saihahibito no hara no Kisakigane koso, mata ohisugi nure. Tatiide tamahe ra m ni, masite kisirohu hito ari gataku ya!"
3.4.4  とうち嘆きたまへば、
 とお嘆きになると、
 大臣が歎息するのを宮は御覧になって、
  to uti-nageki tamahe ba,
3.4.5  「 などか、さしもあらむ。この家に さる筋の人出でものしたまはで 止むやうあらじと、故大臣の思ひたまひて、女御の御ことをも、ゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かく もてひがむることもなからまし
 「どうして、そのようなことがありましょうか。この家にもそのような人がいないで終わってしまうようなことはあるまいと、亡くなった大臣が思っていらっしゃって、女御の御ことも、熱心に奔走なさったのでしたが。生きていらっしゃったならば、このように筋道の通らぬこともなかったでしょうに」
 「必ずしもそうとは言われませんよ。この家からお后の出ないようなことは絶対にないと私は思う。そのおつもりでくなられた大臣も女御の世話を引き受けて皆なすったのだものね。大臣がおいでになったらこんな意外な結果は見なかったでしょう」
  "Nadoka, sasimo ara m? Kono ihe ni saru sudi no hito ide monosi tamaha de yamu yau ara zi to, ko-Otodo no omohi tamahi te, Nyogo no ohom-koto wo mo, witati isogi tamahi si mono wo. Ohase masika ba, kaku mote-higamuru koto mo nakara masi."
3.4.6  など、 この御ことにてぞ太政大臣をも恨めしげに思ひきこえたまへる
 などと、あの一件では、太政大臣を恨めしくお思い申し上げていらっしゃった。
 この問題でだけ大宮は源氏を恨んでおいでになった。
  nado, kono ohom-koto nite zo, Ohokiotodo wo mo uramesige ni omohi kikoye tamahe ru.
3.4.7  姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、箏の御琴弾きたまふを、御髪のさがり、髪ざしなどの、あてになまめかしきを うちまもりたまへば恥ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ 、つらつきうつくしげにて、 取由の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻きあはせなど弾きすさびたまひて、押しやりたまひつ。
 姫君のご様子が、とても子どもっぽくかわいらしくて、箏のお琴をお弾きになっていらっしゃるが、お髪の下り端、髪の具合などが、上品で艶々としてしているのをじっと見ていらっしゃると、恥ずかしく思って、少し横をお向きになった横顔、その恰好がかわいらしげで、取由の手つきが、非常にじょうずに作った人形のような感じがするので、大宮もこの上なくかわいいと思っていらっしゃった。調子合わせのための小曲などを軽くお弾きになって、押しやりなさった。
 姫君がこぢんまりとした美しいふうで、十三げんの琴を弾いている髪つき、顔と髪の接触点の美などのえんな上品さに大臣がじっと見入っているのを姫君が知って、恥ずかしそうにからだを少し小さくしている横顔がきれいで、いとを押す手つきなどの美しいのも絵に描いたように思われるのを、大宮も非常にかわいく思召おぼしめされるふうであった。姫君はちょっとき合わせをした程度で弾きやめて琴を前のほうへ押し出した。
  Himegimi no ohom-sama no, ito kibiha ni utukusiu te, syau no ohom-koto hiki tamahu wo, migusi no sagari, kamzasi nado no, ate ni namamekasiki wo uti-mamori tamahe ba, hadirahi te, sukosi sobami tamahe ru kataharame, turatuki utukusige nite, toriyu no tetuki, imiziu tukuri taru mono no kokoti suru wo, Miya mo kagirinaku kanasi to obosi tari. Kaki-ahase nado hiki susabi tamahi te, osiyari tamahi tu.
注釈147女はただ心ばせよりこそ世に用ゐらるるものにはべりけれ内大臣の詞。『集成』は「心がけのいかんによって」。『完訳』は「気立てしだいで」と訳す。3.4.1
注釈148女御をけしうはあらず以下「人ありがたくや」まで、内大臣の詞。3.4.3
注釈149思はぬ人におされぬる宿世に娘の弘徽殿女御が斎宮女御に立后で負けたことをさす。3.4.3
注釈150この君をだに雲居雁をさす。3.4.3
注釈151幸ひ人の腹の后がね明石の君が生んだ姫君をさす。3.4.3
注釈152追ひ次ぎぬれ大島本は「をひすき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おひすがひ」と校訂する。3.4.3
注釈153などかさしもあらむ以下「こともなからまし」まで、大宮の詞。3.4.5
注釈154さる筋の人后に立つような人の意。3.4.5
注釈155もてひがむることもなからまし「まし」反実仮想の助動詞。『集成』は「こんな間違ったこともなかったでしょう」。『完訳』は「このような筋道の通らぬこともなかったでしょう」と訳す。3.4.5
注釈156この御ことにてぞ立后の件。3.4.6
注釈157太政大臣をも恨めしげに思ひきこえたまへる大宮が源氏を。3.4.6
注釈158うちまもりたまへば父内大臣が娘の雲居雁を。3.4.7
注釈159恥ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ雲居雁の態度をいう。3.4.7
注釈160取由の手つき左手で絃を揺する技法。3.4.7
校訂18 思ひたまへしか 思ひたまへしか--*思給しか 3.4.3
校訂19 たまへらむ たまへらむ--給つ(つ/$へ<朱>)らん 3.4.3
校訂20 止むやう 止むやう--やむ(む/+やう<朱>) 3.4.5
校訂21 恥ぢらひて 恥ぢらひて--はちち(ち/$ら<朱>)ひて 3.4.7
3.5
第五段 夕霧、内大臣と対面


3-5  Yugiri meets to Naidaijin

3.5.1  大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢ほろほろと残らぬに、老い御達など、ここかしこの御几帳のうしろに、かしらを集へたり。
 内大臣は、和琴を引き寄せなさって、律調のかえって今風なのを、その方面の名人がうちとけてお弾きになっているのは、たいそう興趣がある。御前のお庭の木の葉がほろほろと落ちきって、老女房たちが、あちらこちらの御几帳の後に、集まって聞いていた。
 内大臣は大和琴やまとごとを引き寄せて、律の調子の曲のかえって若々しい気のするものを、名手であるこの人が、粗弾あらびきに弾き出したのが非常におもしろく聞こえた。外では木の葉がほろほろとこぼれている時、老いた女房などは涙を落としながらあちらこちらの几帳きちょうかげなどに幾人かずつ集まってこの音楽に聞き入っていた。
  Otodo, wagon hikiyose tamahi te, riti no sirabe no nakanaka imameki taru wo, saru zyauzu no midare te kai-hiki tamahe ru, ito omosirosi. Omahe no kozuwe horohoro to nokora nu ni, oyi gotati nado, kokokasiko no mikityau no usiro ni, kasira wo tudohe tari.
3.5.2  「 風の力蓋し寡し
 「風の力がおよそ弱い」
 「かぜの力けだし少なし」(落葉俟微飈以隕らくえふびふうをまつてもつておつ而風之力蓋寡しかうしてかぜのちからけだしすくなし孟嘗遭雍門而泣まうしやうがようもんにあひてなく琴之感以末きんのかんもつてすゑなり。)
  "Kaze no tikara kedasi sukunasi"
3.5.3  と、うち誦じたまひて、
 と、朗誦なさって、
 と文選もんぜんの句を大臣は口ずさんで、
  to, uti-zuzi tamahi te,
3.5.4  「 琴の感ならねど、あやしくものあはれなる夕べかな。なほ、あそばさむや」
 「琴のせいではないが、不思議としみじみとした夕べですね。もっと、弾きましょうよ」
 「琴の感じではないが身にしむ夕方ですね。もう少しお弾きになりませんか」
  "Kin no kan nara ne do, ayasiku mono ahare naru yuhube kana! Naho, asoba sam ya!"
3.5.5  とて、「秋風楽」に掻きあはせて、唱歌したまへる声、いとおもしろければ、皆さまざま、 大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふにいとど添へむとにやあらむ冠者の君参りたまへり。
 とおっしゃって、「秋風楽」に調子を整えて、唱歌なさる声、とても素晴らしいので、みなそれぞれに、内大臣をも見事であるとお思い申し上げになっていらっしゃると、それをいっそう喜ばせようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。
 と大臣は大宮にお勧めして、秋風楽を弾きながら歌う声もよかった。宮はこの座の人は御孫女ごそんじょばかりでなく、大きな大臣までもかわいく思召された。そこへいっそうの御満足を加えるように源氏の若君が来た。
  tote, Siuhuuraku ni kaki-ahase te, sauga si tamahe ru kowe, ito omosirokere ba, mina samazama, Otodo wo mo ito utukusi to omohi kikoye tamahu ni, itodo sohe m to ni ya ara m, Kwanza-no-Kimi mawiri tamahe ri.
3.5.6  「こなたに」とて、 御几帳隔てて入れたてまつりたまへり。
 「こちらに」とおっしゃって、御几帳を隔ててお入れ申し上げになった。
 「こちらへ」と宮はお言いになって、お居間の中の几帳を隔てた席へ若君は通された。
  "Konata ni." tote, mikityau hedate te ire tatematuri tamahe ri.
3.5.7  「 をさをさ対面もえ賜はらぬかな。などかく、この御学問のあながちならむ。才のほどより あまり過ぎぬるもあぢきなきわざと、大臣も思し知れることなるを、かくおきてきこえたまふ、やうあらむとは思ひたまへながら、かう 籠もりおはすることなむ、心苦しうはべる」
 「あまりお目にかかれませんね。どうしてこう、このご学問に打ち込んでいらっしゃるのでしょう。学問が身分以上になるのもよくないことだと、大臣もご存知のはずですが、こうもお命じ申し上げなさるのは、考える子細もあるのだろうと存じますが、こんなに籠もってばかりいらっしゃるのは、お気の毒でございます」
 「あなたにはあまり逢いませんね。なぜそんなにむきになって学問ばかりをおさせになるのだろう。あまり学問のできすぎることは不幸を招くことだと大臣も御体験なすったことなのだけれど、あなたをまたそうおしつけになるのだね、わけのあることでしょうが、ただそんなふうに閉じ込められていてあなたがかわいそうでならない」
  "Wosawosa taimen mo e tamahara nu kana! Nado kaku, kono gakumon no anagati nara m? Zae no hodo yori amari sugi nuru mo adikinaki waza to, Otodo mo obosi sire ru koto naru wo, kaku okite kikoye tamahu, yau ara m to ha omohi tamahe nagara, kau komori ohasuru koto nam, kokorogurusiu haberu."
3.5.8  と聞こえたまひて、
 と申し上げなさって、
 と内大臣は言った。
  to kikoye tamahi te,
3.5.9  「 時々は、ことわざしたまへ。笛の音にも古事は、伝はるものなり」
 「時々は、別のことをなさい。笛の音色にも昔の聖賢の教えは、伝わっているものです」
 「時々は違ったこともしてごらんなさい。笛だって古い歴史を持った音楽で、いいものなのですよ」
  "Tokidoki ha, kotowaza si tamahe. Huwe no ne ni mo hurukoto ha, tutaharu mono nari."
3.5.10  とて、御笛たてまつりたまふ。
とおっしゃって、御笛を差し上げなさる。
 内大臣はこう言いながら笛を若君へ渡した。
  tote, ohom-huwe tatematuri tamahu.
3.5.11  いと若うをかしげなる音に吹きたてて、いみじうおもしろければ、御琴どもをばしばし止めて、大臣、拍子おどろおどろしからずうち鳴らしたまひて、
 たいそう若々しく美しい音色を吹いて、大変に興がわいたので、お琴はしばらく弾きやめて、大臣が、拍子をおおげさではなく軽くお打ちになって、
 若々しく朗らかなを吹き立てる笛がおもしろいためにしばらく絃楽のほうはやめさせて、大臣はぎょうさんなふうでなく拍子を取りながら、
  Ito wakau wokasige naru ne ni huki-tate te, imiziu omosirokere ba, ohom-koto-domo wo ba sibasi todome te, Otodo, hausi odoroodorosikara zu uti narasi tamahi te,
3.5.12  「 萩が花摺り
 「萩の花で摺った」
 「はぎが花ずり」
  "Hagi ga hana zuri"
3.5.13  など歌ひたまふ。
 などとお歌いになる。
 (衣がへせんや、わが衣は野原篠原しのはら萩の花ずり)など歌っていた。
  nado utahi tamahu.
3.5.14  「 大殿も、かやうの御遊びに心止めたまひて、いそがしき御政事どもをば逃れたまふなりけり。げに、あぢきなき世に、心のゆくわざをしてこそ、過ぐしはべりなまほしけれ」
 「大殿も、このような管弦の遊びにご熱心で、忙しいご政務からはお逃げになるのでした。なるほど、つまらない人生ですから、満足のゆくことをして、過ごしたいものでございますね」
 「太政大臣も音楽などという芸術がお好きで、政治のほうのことからおけになったのですよ。人生などというものは、せめて好きな楽しみでもして暮らしてしまいたい」
  "Ohotono mo, kayau no ohom-asobi ni kokoro todome tamahi te, isogasiki ohom-maturigoto-domo wo ba nogare tamahu nari keri. Geni, adikinaki yo ni, kokoro no yuku waza wo si te koso, sugusi haberi na mahosi kere."
3.5.15  などのたまひて、御土器参りたまふに、暗うなれば、 御殿油参り、御湯漬、くだものなど、誰も誰もきこしめす。
 などとおっしゃって、お杯をお勧めなさっているうちに、暗くなったので、燈火をつけて、お湯漬や果物などを、どなたもお召し上がりになる。
 と言いながらおいに杯を勧めなどしているうちに暗くなったのでが運ばれ、湯け、菓子などが皆の前へ出て食事が始まった。
  nado notamahi te, ohom-kaharake mawiri tamahu ni, kurau nare ba, ohomtonabura mawiri, ohom-yuduke, kudamono nado, tare mo tare mo kikosimesu.
3.5.16  姫君はあなたに渡したてまつり たまひつ。しひて気遠くもてなしたまひ、「 御琴の音ばかりをも聞かせたてまつらじ」と、今はこよなく隔てきこえたまふを、
 姫君はあちらの部屋に引き取らせなさった。つとめて二人の間を遠ざけなさって、「お琴の音だけもお聞かせしないように」と、今ではすっかりお引き離し申していらっしゃるのを、
 姫君はもうあちらへ帰してしまったのである。しいて二人を隔てて、琴の音すらも若君に聞かせまいとする内大臣の態度を、大宮の古女房たちはささやき合って、
  Himegimi ha anata ni watasi tatematuri tamahi tu. Sihite kedohoku motenasi tamahi, "Ohom-koto no ne bakari wo mo kikase tatematura zi." to, ima ha koyonaku hedate kikoye tamahu wo,
3.5.17  「 いとほしきことありぬべき世なるこそ
 「お気の毒なことが起こりそうなお仲だ」
 「こんなことで近いうちに悲劇の起こる気がします」
  "Itohosiki koto ari nu beki yo naru koso."
3.5.18  と、近う仕うまつる大宮の御方のねび人ども、ささめきけり。
 と、お側近くお仕え申している大宮づきの年輩の女房たちは、ひそひそ話しているのであった。
 とも言っていた。
  to, tikau tukaumaturu Ohomiya no ohom-kata no nebibito-domo, sasameki keri.
注釈161風の力蓋し寡し内大臣の朗誦。「落葉、微風を俟ちて隕つ。而も風の力、蓋し寡し。孟嘗め、雍門に遭うて泣く。而も琴の感、已に未し」(文選、豪士賦)の一節。3.5.2
注釈162琴の感ならねど以下「なほあそばさむや」まで、内大臣の詞。「琴の感」は前の『文選』の句を踏まえた表現。3.5.4
注釈163大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに主語は大宮。係助詞「も」は同類を表し、孫の雲居雁と同様に息子の内大臣もの意。3.5.5
注釈164いとど添へむとにやあらむ挿入句。語り手の推測を交えた表現。3.5.5
注釈165御几帳隔てて入れたてまつり雲居雁との間に。3.5.6
注釈166をさをさ対面もえ賜はらぬかな以下「心苦しうはべる」まで、内大臣の詞。3.5.7
注釈167あまり過ぎぬるも大島本は「あまりすきぬるも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あまりぬるも」と「すき」を削除する。3.5.7
注釈168時々は以下「伝はるものなり」まで、内大臣の詞。3.5.9
注釈169萩が花摺りなど歌ひたまふ「更衣せむやさきむだちやわが衣は野原篠原萩の花摺りやさきむだちや」(催馬楽、更衣)。『花鳥余情』は、夕霧の六位の浅葱の衣が早く昇進して色が改まるようにという気持ちをこめて歌ったものと説く。3.5.12
注釈170大殿も以下「過ぐしはべりなまほしけれ」まで、内大臣の詞。3.5.14
注釈171御琴の音ばかりをも雲居雁の琴の音を夕霧にの意。3.5.16
注釈172いとほしきことありぬべき世なるこそ『集成』は「困ったことが起りそうな二人の仲だこと。二人の仲がいずれ大臣に知れるであろうと危懼する」と注す。3.5.17
出典4 風の力蓋し寡し 落葉俟微風以隕 而風之力蓋寡 文選巻四六-豪士賦序 3.5.2
出典5 琴の感ならねど 孟嘗遭雍門而泣 琴之感以未 文選巻四六-豪士賦序 3.5.4
出典6 萩が花摺り 更衣せむや さきむだちや 我が衣は 野原篠原 萩が花摺りや さきむだちや 催馬楽-更衣 3.5.12
校訂22 冠者の君 冠者の君--火さ(火さ/$冠者)の君 3.5.5
校訂23 籠もり 籠もり--こもる(る/$り<朱>) 3.5.7
校訂24 御殿油 御殿油--御となふゝ(ゝ/$ら<朱>) 3.5.15
校訂25 たまひつ たまひつ--給さ(さ/$つ<朱>) 3.5.16
3.6
第六段 内大臣、雲居雁の噂を立ち聞く


3-6  Naidaijin heard a rumour about his daughter and Yugiri

3.6.1   大臣出でたまひぬるやうにて、忍びて人にもののたまふとて立ちたまへりけるを、 やをらかい細りて出でたまふ道に、かかるささめき言をするに、あやしうなりたまひて、御耳とどめたまへば、わが御うへをぞ言ふ。
 内大臣はお帰りになったふうにして、こっそりと女房を相手なさろうと座をお立ちになったのだが、そっと身を細めてお帰りになる途中で、このようなひそひそ話をしているので、妙にお思いになって、お耳をとめなさると、ご自分の噂をしている。
 大臣は帰って行くふうだけを見せて、情人である女の部屋にはいっていたが、そっとからだを細くして廊下を出て行く間に、少年たちの恋を問題にして語る女房たちの部屋があった。不思議に思って立ち止まって聞くと、それは自身が批評されているのであった。
  Otodo ide tamahi nuru yau nite, sinobi te hito ni mono notamahu tote tati tamahe ri keru wo, yawora kai-hosori te ide tamahu miti ni, kakaru sasamekigoto wo suru ni, ayasiu nari tamahi te, ohom-mimi todome tamahe ba, waga ohom-uhe wo zo ihu.
3.6.2  「 かしこがりたまへど、人の親よ。おのづから、おれたることこそ出で来べかめれ」
 「えらそうにしていらっしゃるが、人の親ですよ。いずれ、ばかばかしく後悔することが起こるでしょう」
 「賢がっていらっしゃっても甘いのが親ですね。とんだことが知らぬ間に起こっているのですがね。
  "Kasikogari tamahe do, hito no oya yo! Onodukara, ore taru koto koso ideku beka' mere."
3.6.3  「 子を知るといふは、虚言なめり」
 「子を知っているのは親だというのは、嘘のようですね」
 子を知るは親にしかずなどというのはうそですよ」
  "Ko wo siru to ihu ha, soragoto na' meri."
3.6.4  などぞ、 つきしろふ
 などと、こそこそと噂し合う。
 などこそこそと言っていた。
  nado zo, tukisirohu.
3.6.5  「 あさましくもあるかな。さればよ。思ひ寄らぬことにはあらねど、いはけなきほどにうちたゆみて。世は憂きものにもありけるかな」
 「あきれたことだ。やはりそうであったのか。思いよらないことではなかったが、子供だと思って油断しているうちに。世の中は何といやなものであるな」
 情けない、自分の恐れていたことが事実になった。打っちゃって置いたのではないが、子供だから油断をしたのだ。人生は悲しいものであると大臣は思った。
  "Asamasiku mo aru kana! Sareba yo! Omohiyora nu koto ni ha ara ne do, ihakenaki hodo ni uti-tayumi te. Yo ha uki mono ni mo ari keru kana!"
3.6.6  と、けしきをつぶつぶと心得たまへど、音もせで出でたまひぬ。
 と、ことの子細をつぶさに了解なさったが、音も立てずにお出になった。
 すべてを大臣は明らかに悟ったのであるが、そっとそのまま出てしまった。
  to, kesiki wo tubutubu to kokoroe tamahe do, oto mo se de ide tamahi nu.
3.6.7  御前駆追ふ声のいかめしきにぞ、
 前駆の先を払う声が盛んに聞こえるので、
 前駆がたてる人払いの声のぎょうさんなのに、はじめて女房たちはこの時間までも大臣がここに留まっていたことを知ったのである。
  Ohom-saki ohu kowe no ikamesiki ni zo,
3.6.8  「 殿は、今こそ出でさせたまひけれ」
 「殿は、今お帰りあそばしたのだわ」
 「殿様は今お帰りになるではありませんか。
  "Tono ha, ima koso ide sase tamahi kere."
3.6.9  「いづれの隈におはしましつらむ」
 「どこに隠れていらっしゃったのかしら」
 どこのすみにはいっておいでになったのでしょう。
  "Idure no kuma ni ohasimasi tu ram?"
3.6.10  「今さへかかる あだけこそ
 「今でもこんな浮気をなさるとは」
 あのお年になって浮気うわきはおやめにならない方ね」
  "Ima sahe kakaru adake koso."
3.6.11  と言ひあへり。ささめき言の人びとは、
 と言い合っている。ひそひそ話をした女房たちは、
 と女房らは言っていた。内証話をしていた人たちは困っていた。
  to ihi ahe ri. Sasamekigoto no hitobito ha,
3.6.12  「 いとかうばしき香のうちそよめき出でつるは、冠者の君の おはしつると こそ思ひつれ」
 「とても香ばしい匂いがしてきたのは、冠者の君がいらっしゃるのだとばかり思っていましたわ」
 「あの時非常にいいにおいが私らのそばを通ったと思いましたがね、若君がお通りになるのだとばかり思っていましたよ。
  "Ito kaubasiki ka no uti-soyomeki ide turu ha, Kwanza-no-Kimi no ohasi turu to koso omohi ture."
3.6.13  「あな、むくつけや。しりう言や、ほの聞こしめしつらむ。わづらはしき御心を」
 「まあ、いやだわ。陰口をお聞きになったかしら。厄介なご気性だから」
 まあこわい、悪口がお耳にはいらなかったでしょうか。意地悪をなさらないとも限りませんね」
  "Ana, mukutuke ya! Siriugoto ya, hono-kikosimesi tu ram? Wadurahasiki mi-kokoro wo!"
3.6.14  と、わびあへり。
 と、皆困り合っていた。

  to, wabi ahe ri.
3.6.15  殿は、道すがら思すに、
 殿は、道中お考えになることに、
 内大臣は車中で娘の恋愛のことばかりが考えられた。
  Tono ha, miti sugara obosu ni,
3.6.16  「 いと口惜しく悪しきことにはあらねど、 めづらしげなきあはひに、世人も思ひ言ふべきこと。大臣の、しひて女御をおし沈めたまふも つらきに、わくらばに、 人にまさることもやと こそ思ひつれ、ねたくもあるかな」
 「まったく問題にならない悪いことではないが、ありふれた親戚どうしの結婚で、世間の人もきっとそう取り沙汰するに違いないことだ。大臣が、強引に女御を抑えなさっているのも癪なのに、ひょっとして、この姫君が相手に勝てることがあろうかも知れないと思っていたが、くやしいことだ」
 非常に悪いことではないが、従弟いとこどうしの結婚などはあまりにありふれたことすぎるし、野合の初めを世間のうわさに上されることもつらい。後宮の競争に女御をおさえた源氏が恨めしい上に、また自分はその失敗に代えてあの娘を東宮へと志していたのではないか、僥倖ぎょうこうがあるいはそこにあるかもしれぬと、
  "Ito kutiwosiku asiki koto ni ha ara ne do, medurasige naki ahahi ni, yohito mo omohi ihu beki koto. Otodo no, sihite Nyougo wo osi-sidume tamahu mo turaki ni, wakuraba ni, hito ni masaru koto mo ya to koso omohi ture, netaku mo aru kana!"
3.6.17  と思す。殿の御仲の、おほかたには昔も今もいとよくおはしながら、 かやうの方にては、挑みきこえたまひし名残も思し出でて、心憂ければ、寝覚がちにて明かしたまふ。
 とお思いになる。殿どうしのお仲は、普通のことでは昔も今もたいそう仲よくいらっしゃりながら、このような方面では、競争申されたこともお思い出しになって、おもしろくないので、寝覚めがちに夜をお明かしになる。
 ただ一つの慰めだったこともこわされたと思うのであった。源氏と大臣との交情はむつまじく行っているのであるが、昔もその傾向があったように、負けたくない心が断然強くて、大臣はそのことが不快であるために朝まで安眠もできなかった。
  to obosu. Tono no ohom-naka no, ohokata ni ha mukasi mo ima mo ito yoku ohasi nagara, kayau no kata nite ha, idomi kikoye tamahi si nagori mo obosiide te, kokoroukere ba, nezamegati nite akasi tamahu.
3.6.18  「 大宮をも、さやうの けしきには御覧ずらむものを、世になくかなしくしたまふ御孫にて、まかせて見たまふならむ」
 「大宮だって、そのような様子は御存じであろうに、たいへんにかわいがっていらっしゃるお孫たちなので、好きなようにさせていらっしゃるのだろう」
 大宮も様子を悟っておいでになるであろうが、非常におかわいくお思いになる孫であるから勝手なことをさせて、見ぬ顔をしておいでになるのであろう
  "Ohomiya wo mo, sayau no kesiki ni ha goranzu ram mono wo, yo ni naku kanasiku si tamahu ohom-mumago nite, makase te mi tamahu nara m."
3.6.19  と、人びとの言ひしけしきを、 ねたしと思すに、御心動きて、 すこし男々しくあざやぎたる御心には、静めがたし
 と、女房たちが言っていた様子を、いまいましいとお思いになると、お心が穏やかでなくなって、少し男らしく事をはっきりさせたがるご気性にとっては、抑えがたい。
 と女房たちの言っていた点で、大臣は大宮を恨めしがっていた。腹がたつとそれを内におさえることのできない性質で大臣はあった。
  to, hitobito no ihi si kesiki wo, netasi to obosu ni, mi-kokoro ugoki te, sukosi wowosiku azayagi taru mi-kokoro ni ha, sidume gatasi.
注釈173大臣出でたまひぬるやうにて『完訳』は「邸から出たように見せかける。密かに召人に逢うためである」と注す。3.6.1
注釈174やをらかい細りて出でたまふ道に『集成』は「そっと小さくなって女の部屋からお帰りになる途中で」と訳す。3.6.1
注釈175かしこがりたまへど以下「虚言なめり」まで、女房の詞。3.6.2
注釈176子を知るといふは大島本は「子をしるといふハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「子を知るはといふは」と「は」を補訂する。「明君は臣を知り、明父は子を知る」(史記、李斯伝)「子を知るは親に如くものはなし」(日本書紀、雄略紀二十三年)などがある。3.6.3
注釈177つきしろふ『集成』は「つつき合っている」。『完訳』は「こそこそと陰口をたたいている」と訳す。3.6.4
注釈178あさましくもあるかな以下「世は憂きものにもありけるかな」まで、内大臣の心中。『集成』は「周章する内大臣の心中」。『完訳』は「事の意外さに動転する心中叙述」と注す。3.6.5
注釈179殿は今こそ以下「かかる御あだけこそ」まで、女房たちの詞。3.6.8
注釈180あだけこそ大島本は「あたけ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御あだけ」と「御」を補訂する。3.6.10
注釈181いとかうばしき香の以下「わづらはしき御心を」まで、女房たちの詞。3.6.12
注釈182おはしつるとこそ大島本は「おハしつる」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おはしましつる」と「まし」を補訂する。3.6.12
注釈183いと口惜しく以下「ねたくもあるかな」まで、内大臣の心中。3.6.16
注釈184めづらしげなきあはひに『集成』は「ありふれた親戚同士の結婚だと」と訳す。『完訳』は「臣下との結婚では物足りない」と注す。3.6.16
注釈185人にまさることもやと『集成』は「雲居の雁を東宮に入内させれば、やがて立后もあろうかと期待していたのに」と注す。3.6.16
注釈186こそ思ひつれ係助詞「こそ」--「つれ」已然形の係結び。逆接用法。3.6.16
注釈187かやうの方にては『完訳』は「権勢を張り合うという方面」と注す。3.6.17
注釈188大宮をも以下「見たまふならむ」まで、内大臣の心中。3.6.18
注釈189けしきには大島本は「けしきには」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「けしきは」と「に」を削除する。3.6.18
注釈190ねたしと思すに大島本は「ねたしとおほすに」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「めざましうねたしとおぼすに」と「めざましう」を補訂する。3.6.19
注釈191すこし男々しくあざやぎたる御心には、静めがたし『完訳』は「勝気で物事にはっきり決着をつけたがる性分。内大臣の性格として特徴的」と注す。3.6.19
校訂26 つらき つらき--つゝ(ゝ/$ら<朱>)き 3.6.16
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/10/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年2月4日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 11/10/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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