第二十一帖 乙女


21 WOTOME (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十三歳の夏四月から三十五歳冬十月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from April in summer at the age of 33 to October in winter at the age of 35

6
第六章 夕霧の物語 五節舞姫への恋


6  Tale of Yugiri  Love for Mai-hime at Gosechi-festival

6.1
第一段 惟光の娘、五節舞姫となる


6-1  Koremitsu's daughter becomes a Mai-hime at Gosechi-festival

6.1.1   大殿には、今年、 五節たてまつりたまふ。何ばかりの御いそぎならねど、童女の装束など、近うなりぬとて、急ぎせさせたまふ。
 大殿の所では、今年、五節の舞姫を差し上げなさる。何ほどといったご用意ではないが、童女の装束など、日が近くなったといって、急いでおさせになる。
 今年源氏は五節ごせちの舞い姫を一人出すのであった。たいした仕度したくというものではないが、付き添いの童女の衣裳いしょうなどを日が近づくので用意させていた。
  Ohotono ni ha, kotosi, Goseti tatematuri tamahu. Nani bakari no ohom-isogi nara ne do, warahabe no sauzoku nado, tikau nari nu tote, isogi se sase tamahu.
6.1.2  東の院には、参りの夜の人びとの装束せさせたまふ。殿には、おほかたのことども、中宮よりも、童、下仕への料など、えならでたてまつれたまへり。
 東の院では、参内の夜の付人の装束を準備させなさる。殿におかれては、全般的な事柄を、中宮からも、童女や、下仕えの人々のご料などを、並大抵でないものを差し上げなさった。
 東の院の花散里はなちるさと夫人は、舞い姫の宮中へはいる夜の、付き添いの女房たちの装束を引き受けて手もとで作らせていた。二条の院では全体にわたっての一通りの衣裳が作られているのである。中宮からも、童女、下仕えの女房幾人かの衣服を、華奢かしゃに作って御寄贈になった。
  Himgasinowin ni ha, mawiri no yo no hitobito no sauzoku se sase tamahu. Tono ni ha, ohokata no koto-domo, Tyuuguu yori mo, waraha, simodukahe no reu nado, e nara de tatemature tamahe ri.
6.1.3   過ぎにし年、五節など止まれりしが、さうざうしかりし 積もり取り添へ、上人の心地も、常よりもはなやかに思ふべかめる年なれば、所々挑みて、いといみじくよろづを尽くしたまふ聞こえあり。
 昨年は、五節などは停止になっていたが、もの寂しかった思いを加えて、殿上人の気分も、例年よりもはなやかに思うにちがいない年なので、家々が競って、たいそう立派に善美の限りを尽くして用意をなさるとの噂である。
 去年は諒闇りょうあんで五節のなかったせいもあって、だれも近づいて来る五節に心をおどらせている年であるから、五人の舞い姫を一人ずつ引き受けて出す所々では派手はでが競われているという評判であった。
  Sugi ni si tosi, Goseti nado tomare ri si ga, sauzausikari si tumori torisohe, Uhebito no kokoti mo, tune yori mo hanayaka ni omohu beka' meru tosi nare ba, tokorodokoro idomi te, ito imiziku yorodu wo tukusi tamahu kikoye ari.
6.1.4   按察使大納言左衛門督上の五節には、良清、今は近江守にて左中弁なるなむ、たてまつりける。皆止めさせたまひて、宮仕へすべく、 仰せ言ことなる年なれば、女をおのおのたてまつりたまふ。
 按察大納言、左衛門督と、殿上人の五節としては、良清が、今では近江守で左中弁を兼官しているのが、差し上げるのだった。皆残させなさって、宮仕えするようにとの、仰せ言が特にあった年なので、娘をそれぞれ差し上げなさる。
 按察使あぜち大納言の娘、左衛門督さえもんのかみの娘などが出ることになっていた。それから殿上役人の中から一人出す舞い姫には、今は近江守おうみのかみで左中弁を兼ねている良清朝臣よしきよあそんの娘がなることになっていた。
  Azeti-no-Dainagon, Sawemonnokami, uhe no Goseti ni ha, Yosikiyo, ima ha Ahuminokami nite Satyuuben naru nam, tatematuri keru. Mina todome sase tamahi te, miyadukahe su beku, ohosegoto koto naru tosi nare ba, musume wo onoono tatematuri tamahu.
6.1.5   殿の舞姫は、惟光朝臣の、津守にて 左京大夫かけたるが女、容貌などいとをかしげなる聞こえあるを召す。 からいことに思ひたれど
 大殿の舞姫は、惟光朝臣が、摂津守で左京大夫を兼官しているその娘の、器量などもたいそう美しいという評判があるのをお召しになる。つらいことと思ったが、
 今年の舞い姫はそのまま続いて女官に採用されることになっていたから、愛嬢を惜しまずに出すのであると言われていた。源氏は自身から出す舞い姫に、摂津守兼左京大夫である惟光これみつの娘で美人だと言われている子を選んだのである。惟光は迷惑がっていたが、
  Tono no mahihime ha, Koremitu-no-Asom no, Tunokami nite Sakyaunodaibu kake taru ga musume, katati nado ito wokasige naru kikoye aru wo mesu. Karai koto ni omohi tare do,
6.1.6  「 大納言の、外腹の女をたてまつらるなるに、朝臣のいつき女出だし立てたらむ、何の恥かあるべき」
 「按察大納言が、異腹の娘を差し上げられるというのに、朝臣が大切なまな娘を差し出すのは、何の恥ずかしいことがあろうか」
 「大納言が妾腹の娘を舞い姫に出す時に、君の大事な娘を出したっても恥ではない」
  "Dainagon no, hokabara no musume wo tatematura ru naru ni, Asom no ituki musume idasitate tara m, nani no hadi ka aru beki."
6.1.7  と苛めば、わびて、同じくは宮仕へやがてせ さすべく思ひおきてたり。
 とお責めになるので、困って、いっそのこと宮仕えをそのままさせようと考えていた。
 と責められて、困ってしまった惟光は、女官になる保証のある点がよいからとあきらめてしまって、主命に従うことにしたのである。
  to sainame ba, wabi te, onaziku ha miyadukahe yagate se sasu beku omohioki te tari.
6.1.8  舞習はしなどは、 里にていとよう仕立てて、かしづきなど、親しう身に添ふべきは、いみじう選り整へて、 その日の夕つけて参らせたり
 舞の稽古などは、里邸で十分に仕上げて、介添役など、親しく身近に添うべき女房などは、丹念に選んで、その日の夕方大殿に参上させた。
 舞の稽古けいこなどは自宅でよく習わせて、舞い姫を直接世話するいわゆるかしずきの幾人だけはその家で選んだのをつけて、初めの日の夕方ごろに二条の院へ送った。
  Mahi narahasi nado ha, sato nite ito you sitate te, kasiduki nado, sitasiu mi ni sohu beki ha, imiziu eri totonohe te, sono hi no yuhutuke te mawira se tari.
6.1.9  殿にも、 御方々の童女、下仕へのすぐれたるをと、御覧じ比べ、選り出でらるる心地どもは、ほどほどにつけて、いとおもだたしげなり。
 大殿邸でも、それぞれのご婦人方の童女や、下仕えの優れている者をと、お比べになり、選び出される者たちの気分は、身分相応につけて、たいそう誇らしげである。
 なお童女幾人、しも仕え幾人が付き添いに必要なのであるから、二条の院、東の院を通じてすぐれた者を多数の中からり出すことになった。皆それ相応に選定される名誉を思って集まって来た。
  Tono ni mo, ohom-katagata no warahabe, simodukahe no sugure taru wo to, goranzi kurabe, eriide raruru kokoti-domo ha, hodohodo ni tuke te, ito omodatasige nari.
6.1.10   御前に召して御覧ぜむうちならしに、御前を渡らせてと定めたまふ。捨つべうもあらず、とりどりなる童女の様体、容貌を思しわづらひて、
 主上のお前に召されて御覧になられる前稽古に、殿のお前を通らせてみようとお決めになる。誰一人落第する者もいないくらいに、それぞれ素晴らしい童女の姿態や、器量にお困りになって、
 陛下が五節ごせちの童女だけを御覧になる日の練習に、縁側を歩かせて見て決めようと源氏はした。落選させてよいような子供もない、それぞれに特色のある美しい顔と姿を持っているのに源氏はかえって困った。
  Omahe ni mesi te goranze m uti-narasi ni, omahe wo watara se te to sadame tamahu. Sutu beu mo ara zu, toridori naru warahabe no yaudai, katati wo obosi wadurahi te,
6.1.11  「 今一所の料を、これよりたてまつらばや
 「もう一人分の舞姫の介添役を、こちらから差し上げたいものだな」
 「もう一人分の付き添いの童女を私のほうから出そうかね」
  "Ima hitotokoro no reu wo, kore yori tatematura baya!"
6.1.12  など笑ひたまふ。ただもてなし用意によりてぞ選びに入りける。
 などと言ってお笑いになる。わずかに態度や心構えの違いによって選ばれたのであった。
 などと笑っていた。結局身の取りなしのよさと、品のよい落ち着きのある者が採られることになった。
  nado warahi tamahu. Tada motenasi youi ni yori te zo erabi ni iri keru.
注釈339大殿には太政大臣の源氏。6.1.1
注釈340五節たてまつりたまふ新嘗祭の五節。十一月の中の丑、寅、卯、辰の日に行われる。舞姫を公卿から二人、殿上人・受領から二人差し出す。源氏は公卿として惟光の娘を差し出した。なお大嘗祭では五人の舞姫を差し出す。6.1.1
注釈341過ぎにし年五節など止まれりしが昨年は藤壷中宮の崩御により諒暗のため停止。6.1.3
注釈342積もり取り添へ大島本は「つもり」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「積もりも」と「も」を補訂する。6.1.3
注釈343按察使大納言雲居雁の母が再婚した相手。公卿分の舞姫を差し出す。6.1.4
注釈344左衛門督内大臣の弟か。前に内大臣の異母兄弟「左兵衛督」の異文に「左衛門督」とあった。同じく公卿分の舞姫を差し出す。『集成』は「この年は、太政大臣である源氏を加えて、特に公卿から三人出したことになる」。『完訳』は「以上二家は公卿」と注す。6.1.4
注釈345上の五節には「上」は殿上人の意。以下、殿上人分として良清が一人差し出した。6.1.4
注釈346仰せ言ことなる『完訳』は「大嘗祭の舞姫には叙位があるが、新嘗祭にはなく舞姫のなり手が少なかったという。ここは勅命があり、大嘗祭に准ずるほど盛大」と注す。6.1.4
注釈347殿の舞姫は惟光朝臣の『完訳』は「源氏の世話する舞姫。殿上受領分として、惟光を後援する形か」と注す。6.1.5
注釈348左京大夫かけたるが女大島本は「かけたるか女」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かけたる女」と「か」を削除する。6.1.5
注釈349からいことに思ひたれど『集成』は「娘を人目にさらすのをつらがる」と注す。6.1.5
注釈350大納言の外腹の女以下「何の恥かあるべき」まで、『集成』『新大系』は、源氏の詞。『古典セレクション』は、周囲の人々の詞とする。6.1.6
注釈351里にて惟光の邸で。6.1.8
注釈352その日の夕つけて参らせたり『集成』は「当日(丑の日)の夕方に。宮中に参入するのは夜」。『完訳』は「当日の夕方になって二条院に参上させた」と注す。6.1.8
注釈353御方々の童女下仕へのすぐれたるをと御覧じ比べ選り出でらるる舞姫の付添いに二条院や東院の童女や下仕え人の中から選び出す。6.1.9
注釈354御前に召して御覧ぜむうちならしに御前を渡らせてと定めたまふ帝が御前に召して御覧になる予行演習として源氏の御前を歩かせるという意。6.1.10
注釈355今一所の料をこれよりたてまつらばや源氏の詞。美しい童女たちに賛嘆した冗談。6.1.11
校訂55 さすべく さすべく--さすへし(し/く) 6.1.7
6.2
第二段 夕霧、五節舞姫を恋慕


6-2  Yugiri loves Mai-hime

6.2.1  大学の君、胸のみふたがりて、物なども見入れられず、屈じいたくて、書も読まで眺め臥したまへるを、心もや慰むと立ち出でて、 紛れありきたまふ
 大学の君は、ただ胸が一杯で、食事なども見たくなく、ひどくふさぎこんで、漢籍も読まないで物思いに沈んで横になっていらっしゃったが、気分も紛れようかと外出して、人目に立たないようにお歩きになる。
 大学生の若君は失恋の悲しみに胸が閉じられて、何にも興味が持てないほど心がめいって、書物も読む気のしないほどの気分がいくぶん慰められるかもしれぬと、五節の夜は二条の院に行っていた。
  Daigaku-no-Kimi, mune nomi hutagari te, mono nado mo miire rare zu, kumzi itaku te, humi mo yoma de nagame husi tamahe ru wo, kokoro mo ya nagusamu, to tatiide te, magire ariki tamahu.
6.2.2  さま、容貌はめでたくをかしげにて、静やかになまめいたまへれば、若き女房などは、いとをかしと見たてまつる。
 姿態、器量は立派で美しくて、落ち着いて優美でいらっしゃるので、若い女房などは、とても素晴らしいと拝見している。
 風采ふうさいがよくて落ち着いた、えんな姿の少年であったから、若い女房などから憧憬あこがれを持たれていた。
  Sama, katati ha medetaku wokasige nite, siduyaka ni namamei tamahe re ba, wakaki nyoubau nado ha, ito wokasi to mi tatematuru.
6.2.3   上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなしたまはずわが御心ならひ、いかに思すにかありけむ、疎々しければ、御達なども気遠きを、今日はものの紛れに、 入り立ちたまへるなめり
 対の上の御方には、御簾のお前近くに出ることさえお近寄らせにならない。ご自分のお心の性癖から、どのようにお考えになったのであろうか、他人行儀なお扱いなので、女房なども疎遠なのだが、今日は舞姫の混雑に紛れて、入り込んで来られたのであろう。
 夫人のいるほうでは御簾みすの前へもあまりすわらせぬように源氏は扱うのである。源氏は自身の経験によって危険がるのか、そういうふうであったから、女房たちすらも若君と親しくする者はいないのであるが、今日は混雑の紛れに室内へもはいって行ったものらしい。
  Uhe-no-Ohomkata ni ha, misu no mahe ni dani, mono tikau mo motenasi tamaha zu. Waga mi-kokoro narahi, ikani obosu ni ka ari kem, utoutosikere ba, gotati nado mo kedohoki wo, kehu ha mononomagire ni, iritati tamahe ru na' meri.
6.2.4   舞姫かしづき下ろして、妻戸の間に屏風など立てて、 かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞきたまへば、悩ましげにて添ひ臥したり。
 舞姫を大切に下ろして、妻戸の間に屏風などを立てて、臨時の設備なので、そっと近寄ってお覗きになると、苦しそうに物に寄り臥していた。
 車で着いた舞い姫をおろして、妻戸の所の座敷に、屏風びょうぶなどで囲いをして、舞い姫の仮の休息所へ入れてあったのを、若君はそっと屏風の後ろからのぞいて見た。苦しそうにして舞い姫はからだを横向きに長くしていた。
  Mahihime kasiduki orosi te, tumado no ma ni byaubu nado tate te, karisome no siturahi naru ni, yawora yori te nozoki tamahe ba, nayamasige nite sohi husi tari.
6.2.5   ただ、かの人の御ほどと見えて、今すこしそびやかに、様体などのことさらび、をかしきところはまさりてさへ見ゆ。暗ければ、こまかには見えねど、ほどのいとよく思ひ出でらるるさまに、心移るとはなけれど、ただにもあらで、 衣の裾を引き鳴らいたまふに、何心もなく、あやしと思ふに、
 ちょうど、あの姫君と同じくらいに見えて、もう少し背丈がすらっとしていて、姿つきなどが一段と風情があって、美しい点では勝ってさえ見える。暗いので、詳しくは見えないが、全体の感じがたいそうよく似ている様子なので、心が移るというのではないが、気持ちを抑えかねて、裾を引いてさらさらと音を立てさせなさると、何か分からず、変だと思っていると、
 ちょうど雲井くもいかりと同じほどの年ごろであった。それよりも少し背が高くて、全体の姿にあざやかな美しさのある点は、その人以上にさえも見えた。暗かったからよくは見えないのであるが、年ごろが同じくらいで恋人の思われる点がうれしくて、恋が移ったわけではないがこれにも関心は持たれた。若君は衣服の褄先つまさきを引いて音をさせてみた。思いがけぬことで怪しがる顔を見て、
  Tada, kano hito no ohom-hodo to miye te, ima sukosi sobiyaka ni, yaudai nado no kotosarabi, wokasiki tokoro ha masari te sahe miyu. Kurakere ba, komaka ni ha miye ne do, hodo no ito yoku omohiide raruru sama ni, kokoro uturu to ha nakere do, tada ni mo ara de, kinu no suso wo hiki-narai tamahu ni, nanigokoro mo naku, ayasi to omohu ni,
6.2.6  「 天にます豊岡姫の宮人も
   わが心ざすしめを忘るな
 「天にいらっしゃる豊岡姫に仕える宮人も
  わたしのものと思う気持ちを忘れないでください
 「あめにます豊岡とよをか姫の宮人も
 わが志すしめを忘るな
    "Ame ni masu Toyowokahime no miyabito mo
    waga kokorozasu sime wo wasuru na
6.2.7   乙女子が袖振る山の瑞垣の
 瑞垣のずっと昔から思い染めてきましたのですから」
 『みづがきの』(久しき世より思ひめてき)」
  Wotomego ga sode huru yama no midugaki no."
6.2.8  とのたまふぞ、 うちつけなりける
 とおっしゃるのは、あまりにも唐突というものである。
 と言ったが、やぶから棒ということのようである。
  to notamahu zo, utituke nari keru.
6.2.9  若うをかしき声なれど、誰ともえ思ひたどられず、なまむつかしきに、化粧じ添ふとて、騷ぎつる後見ども、近う寄りて人騒がしうなれば、いと口惜しうて、立ち去りたまひぬ。
 若々しく美しい声であるが、誰とも分からず、薄気味悪く思っていたところへ、化粧し直そうとして、騒いでいる女房たちが、近くにやって来て騒がしくなったので、とても残念な気がして、お立ち去りになった。
 若々しく美しい声をしているが、だれであるかを舞い姫は考え当てることもできない。気味悪く思っている時に、顔の化粧を直しに、騒がしく世話役の女が幾人も来たために、若君は残念に思いながらその部屋を立ち去った。
  Wakau wokasiki kowe nare do, tare to mo e omohi tadora re zu, nama-mutukasiki ni, kesauzi sohu tote, sawagi turu usiromi-domo, tikau yori te hito sawagasiu nare ba, ito kutiwosiu te, tatisari tamahi nu.
注釈356紛れありきたまふ『集成』は「(二条の院内を)人々に入りまじってあちこち見てまわる」。『完訳』は「人目を避け物陰伝いに行く意」と注す。6.2.1
注釈357上の御方には御簾の前にだにもの近うももてなしたまはず紫の上の御前をさす。『集成』は「主語は、源氏」。『完訳』は「源氏の、夕霧へのきびしいしつけ」と注す。6.2.3
注釈358わが御心ならひいかに思すにかありけむ『集成』は「(源氏は)ご自分のお心癖から、どのようなお考えになったのだろうか。藤壷とのこともあったので、夕霧を義母に近づけないのか、という含み」。『完訳』は「源氏は、藤壷との体験から、夕霧の継母紫の上への接近を警戒。語り手の「いかに--ありけむ」の疑問をはさんで、源氏の深慮を想像」と注す。6.2.3
注釈359入り立ちたまへるなめり「なめり」は語り手の想像。臨場感ある表現。6.2.3
注釈360舞姫かしづき下ろして舞姫を牛車から大事に下ろしての意。6.2.4
注釈361かりそめのしつらひなるに接続助詞「に」順接の意。『集成』は「臨時の座席を設けてあるところに」。『完訳』は「仮の部屋を設けてあるのだが」と訳す。6.2.4
注釈362ただかの人の御ほどと見えて雲居雁と同じ年格好。6.2.5
注釈363衣の裾を引き鳴らいたまふに大島本は「ひきならい給に」とある。『新大系』は底本のままとし文を続ける。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たまふ」と校訂し文を切る。『集成』は「舞姫の衣の裾を引っ張って、衣ずれの音をおさせになる」。『完訳』は「ご自分の着物の裾を引き鳴らして注意をおひきになる」と訳す。6.2.5
注釈364天にます豊岡姫の宮人も--わが心ざすしめを忘るな夕霧から五節舞姫への贈歌。『集成』は「伊勢外宮の豊受大神であろう」。『完訳』は「天照大神」と注す。「みてぐらは我がにはあらず天にます豊岡姫の宮のみてぐら」(拾遺集、五七九、神楽歌)を引く。6.2.6
注釈365乙女子が袖振る山の瑞垣の大島本は「おとめこか袖ふる山のミつかきの」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「みづがきの」と「おとめこか袖ふる山の」を削除する。和歌に添えた詞。「乙女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき」(拾遺集雑恋、一二一〇、柿本人麿)を引く。6.2.7
注釈366うちつけなりける『完訳』は「読者の反応を先取りする評」と注す。6.2.8
出典11 天にます豊岡姫の みてぐらは我がにはあらず天にます豊岡姫の宮のみてぐら 拾遺集神祇-五七九 6.2.6
出典12 乙女子が袖振る山の瑞垣の 乙女子が袖振る山の瑞垣の久しき世より思ひそめてき 拾遺集雑恋-一二一〇 柿本人麿 6.2.7
6.3
第三段 宮中における五節の儀


6-3  Gosechi-festival in the Court

6.3.1   浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず、もの憂がりたまふを、五節にことつけて、直衣など、さま変はれる色聴されて参りたまふ。きびはにきよらなるものから、まだきにおよすけて、 されありきたまふ。帝よりはじめたてまつりて、思したるさまなべてならず、世にめづらしき御おぼえなり。
 浅葱の服が嫌なので、宮中に参内することもせず、億劫がっていらっしゃるのを、五節だからというので、直衣なども特別の衣服の色を許されて参内なさる。いかにも幼げで美しい方であるが、お年のわりに大人っぽくて、しゃれてお歩きになる。帝をはじめ参らせて、大切になさる様子は並大抵でなく、世にも珍しいくらいのご寵愛である。
 浅葱あさぎほうを着て行くことがいやで、若君は御所へ行くこともしなかったが、五節を機会に、好みの色の直衣のうしを着て宮中へ出入りすることを若君は許されたので、その夜から御所へも行った。まだ小柄な美少年は、若公達わかきんだちらしく御所の中を遊びまわっていた。帝をはじめとしてこの人をお愛しになる方が多く、ほかには類もないような御恩寵おんちょうを若君は身に負っているのであった。
  Asagi no kokoro yamasikere ba, Uti he mawiru koto mo se zu, mono-ugari tamahu wo, Goseti ni kototuke te, nahosi nado, sama kahare ru iro yurusa re te mawiri tamahu. Kibiha ni kiyora naru monokara, madaki ni oyosuke te, sare ariki tamahu. Mikado yori hazime tatematuri te, obosi taru sama nabete nara zu, yo ni medurasiki ohom-oboye nari.
6.3.2  五節の参る儀式は、いづれともなく、心々に二なくしたまへるを、「舞姫の容貌、 大殿と大納言とはすぐれたり」とめでののしる。げに、いとをかしげなれど、ここしううつくしげなることは、なほ大殿のには、え 及ぶまじかりけり。
 五節の参内する儀式は、いずれ劣らず、それぞれがこの上なく立派になさっているが、「舞姫の器量は、大殿と大納言のとは素晴らしい」という大評判である。なるほど、とてもきれいであるが、おっとりとして可憐なさまは、やはり大殿のには、かないそうもなかった。
 五節の舞い姫がそろって御所へはいる儀式には、どの舞い姫も盛装を凝らしていたが、美しい点では源氏のと、大納言の舞い姫がすぐれていると若い役人たちはほめた。実際二人ともきれいであったが、ゆったりとした美しさはやはり源氏の舞い姫がすぐれていて、大納言のほうのは及ばなかったようである。
  Goseti no mawiru gisiki ha, idure to mo naku, kokorogokoro ni ninaku si tamahe ru wo, "Mahihime no katati, Ohotono to Dainagon to ha sugure tari." to mede nonosiru. Geni, ito wokasige nare do, kokosiu utukusige naru koto ha, naho Ohotono no ni ha, e oyobu mazikari keri.
6.3.3  ものきよげに今めきて、そのものとも見ゆまじう仕立てたる様体などの、ありがたうをかしげなるを、 かう誉めらるるなめり。例の舞姫どもよりは、皆すこしおとなびつつ、 げに心ことなる年なり
 どことなくきれいな感じの当世風で、誰の娘だか分からないよう飾り立てた姿態などが、めったにないくらい美しいのを、このように褒められるようである。例年の舞姫よりは、皆少しずつ大人びていて、なるほど特別な年である。
 きれいで、現代的で、五節の舞い姫などというもののようでないつくりにした感じよさがこうほめられるわけであった。例年の舞い姫よりも少し大きくて前から期待されていたのにそむかない五節の舞い姫たちであった。
  Mono-kiyoge ni imameki te, sono mono to mo miyu maziu sitate taru yaudai nado no, arigatau wokasige naru wo, kau homera ruru na' meri. Rei no mahihime-domo yori ha, mina sukosi otonabi tutu, geni kokoro koto naru tosi nari.
6.3.4  殿参りたまひて御覧ずるに、 昔御目とまりたまひし少女の姿思し出づ辰の日の暮つ方つかはす御文のうち思ひやるべし
 大殿が宮中に参内なさって御覧になると、昔お目をとどめなさった少女の姿をお思い出しになる。辰の日の暮方に手紙をやる。その内容はご想像ください。
 源氏も参内して陪観したが、五節の舞い姫の少女が目にとまった昔を思い出した。辰の日の夕方に大弐だいにの五節へ源氏は手紙を書いた。内容が想像されないでもない。
  Tono mawiri tamahi te goranzuru ni, mukasi ohom-me tomari tamahi si wotome no sugata obosi idu. Tatunohi no kuretukata tukahasu. Ohom-humi no uti omohiyaru besi.
6.3.5  「 乙女子も神さびぬらし天つ袖
   古き世の友よはひ経ぬれば
 「少女だったあなたも神さびたことでしょう
  天の羽衣を着て舞った昔の友も長い年月を経たので
 少女子をとめごも神さびぬらし天つそで
 ふるき世の友よはひ経ぬれば
    "Wotomego mo kamisabi nu rasi ama tu sode
    huruki yo no tomo yohahi he nure ba
6.3.6  年月の積もりを数へて、うち思しけるままのあはれを、え忍びたまはぬばかりの、 をかしうおぼゆるも、はかなしや
 歳月の流れを数えて、ふとお思い出しになられたままの感慨を、堪えることができずに差し上げたのが、胸をときめかせるのも、はかないことであるよ。
 五節は今日までの年月の長さを思って、物哀れになった心持ちを源氏が昔の自分に書いて告げただけのことである、これだけのことを喜びにしなければならない自分であるということをはかなんだ。
  Tosituki no tumori wo kazohe te, uti-obosi keru mama no ahare wo, e sinobi tamaha nu bakari no, wokasiu oboyuru mo, hakanasi ya!
6.3.7  「 かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる
   日蔭の霜の袖にとけしも
 「五節のことを言いますと、昔のことが今日のことのように思われます
  日蔭のかずらを懸けて舞い、お情けを頂戴したことが
 かけて言はば今日のこととぞ思ほゆる
 日かげの霜の袖にとけしも
    "Kakete ihe ba kehu no koto to zo omohoyuru
    hikage no simo no sode ni toke si mo
6.3.8  青摺りの紙よくとりあへて、紛らはし書いたる、濃墨、薄墨、草がちにうち交ぜ乱れたるも、 人のほどにつけてはをかしと御覧ず。
 青摺りの紙をよく間に合わせて、誰の筆跡だか分からないように書いた、濃く、また薄く、草体を多く交えているのも、あの身分にしてはおもしろいと御覧になる。
 新嘗祭にいなめまつり小忌おみ青摺あおずりを模様にした、この場合にふさわしい紙に、濃淡の混ぜようをおもしろく見せた漢字がちの手紙も、その階級の女には適した感じのよい返事の手紙であった。
  Awozuri no kami yoku tori ahe te, magirahasi kai taru, kozumi, usuzumi, sau gati ni uti-maze midare taru mo, hito no hodo ni tukete ha wokasi to goranzu.
6.3.9  冠者の君も、人の目とまるにつけても、人知れず思ひありきたまへど、 あたり近くだに寄せず、いとけけしうもてなしたれば、ものつつましきほどの心には、嘆かしうてやみぬ。容貌はしも、いと心につきて、 つらき人の慰めにも、見るわざしてむやと思ふ。
 冠者の君も、少女に目が止まるにつけても、ひそかに思いをかけてあちこちなさるが、側近くにさえ寄せず、たいそう無愛想な態度をしているので、もの恥ずかしい年頃の身では、心に嘆くばかりであった。器量はそれは、とても心に焼きついて、つれない人に逢えない慰めにでも、手に入れたいものだと思う。
 若君も特に目だった美しい自家の五節を舞の庭に見て、逢ってものを言う機会を作りたく、楽屋のあたりへ行ってみるのであったが、近い所へ人も寄せないような警戒ぶりであったから、羞恥しゅうち心の多い年ごろのこの人は歎息たんそくするばかりで、それきりにしてしまった。美貌びぼうであったことが忘られなくて、恨めしい人に逢われない心の慰めにはあの人を恋人に得たいと思っていた。
  Kwanza-no-Kimi mo, hito no me tomaru ni tuke te mo, hito sire zu omohi ariki tamahe do, atari tikaku dani yose zu, ito kekesiu motenasi tare ba, mono-tutumasiki hodo no kokoro ni ha, nagekasiu te yami nu. Katati ha simo, ito kokoro ni tuki te, turaki hito no nagusame ni mo, miru waza si te m ya to omohu.
注釈367浅葱の心やましければ内裏へ参ることもせず大島本は朱筆補入。6.3.1
注釈368されありきたまふ『集成』は「浮かれて歩き廻られる」。『完訳』は「はしゃぎまわっていらっしゃる」と訳す。6.3.1
注釈369大殿と大納言とは惟光の娘と按察使大納言の娘とは、の意。6.3.2
注釈370かう誉めらるるなめり「なめり」連語。断定の助動詞「な」+主観的推量の助動詞「めり」。『完訳』は「語り手の推測による語り口」と注す。6.3.3
注釈371げに心ことなる年なり『完訳』は「「げに」は、帝の仰せ言(「宮仕へすべく仰せ言ことなる年なれば」)をさす」と注す。6.3.3
注釈372昔御目とまりたまひし少女の姿思し出づ主語は源氏。筑紫五節(「花散里」巻初出)をさす。6.3.4
注釈373辰の日の暮つ方つかはす五節舞の最終日。筑紫五節に歌を贈った。6.3.4
注釈374御文のうち思ひやるべし語り手の詞。『完訳』は「源氏の心内を想像させる言辞」と注す。6.3.4
注釈375乙女子も神さびぬらし天つ袖--古き世の友よはひ経ぬれば源氏から筑紫五節への贈歌。6.3.5
注釈376をかしうおぼゆるもはかなしや『集成』は「源氏のお手紙を受け取った筑紫の五節の気持をいう草子地」。『完訳』は「「をかしう」は五節の君の反応。「はかなしや」は、語り手の評」と注す。6.3.6
注釈377かけて言へば今日のこととぞ思ほゆる--日蔭の霜の袖にとけしも筑紫五節の返歌。「袖」の語句を受けて返す。6.3.7
注釈378人のほどにつけては大宰大弐の娘という身分のわりにはの意。6.3.8
注釈379あたり近くだに寄せず主語は五節舞姫の介添役たち。6.3.9
注釈380つらき人の慰めにも見るわざしてむや夕霧の心中。「つらき人」は雲居雁をさす。6.3.9
校訂56 浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず 浅葱の心やましければ、内裏へ参ることもせず--(/+あさきの心やましやましけれはうちへまいる事もせす<朱>) 6.3.1
校訂57 及ぶ 及ぶ--思(思/$およ<朱>)ふ 6.3.2
6.4
第四段 夕霧、舞姫の弟に恋文を託す


6-4  Yugiri entrusts his love letter to her brother

6.4.1   やがて皆とめさせたまひて、宮仕へすべき御けしきありけれど、このたびはまかでさせて、 近江のは辛崎の祓へ、津の守は難波と、挑みてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべきよし奏せさせたまふ。 左衛門督、その人ならぬをたてまつりて咎めありけれど、それもとどめさせたまふ。
 そのまま皆宮中に残させなさって、宮仕えするようにとの御内意があったが、この場は退出させて、近江守の娘は辛崎の祓い、津守のは難波で祓いをと、競って退出した。大納言も改めて出仕させたい旨を奏上させる。左衛門督は、資格のない者を差し上げて、お咎めがあったが、それも残させなさる。
 五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守おうみのかみのは唐崎からさき、摂津守の子は浪速なにわはらいをさせたいと願って自宅へ帰った。大納言も別の形式で宮仕えに差し上げることを奏上した。左衛門督さえもんのかみは娘でない者を娘として五節に出したということで問題になったが、それも女官に採用されることになった。
  Yagate mina tome sase tamahi te, miyadukahe su beki mi-kesiki ari kere do, kono tabi ha makade sase te, Ahumi no ha Karasaki no harahe, Tunokami ha Naniha to, idomi te makade nu. Dainagon mo kotosara ni mawirasu beki yosi souse sase tamahu. Sawemonnokami, sono hito nara nu wo tatematuri te, togame ari kere do, sore mo todome sase tamahu.
6.4.2  津の守は、「 典侍あきたるに」と 申させたれば、「 さもや労らまし」と大殿も思いたるを、 かの人は聞きたまひて、いと口惜しと思ふ。
 津守は、「典侍が空いているので」と申し上げさせたので、「そのように労をねぎらってやろうか」と大殿もお考えになっていたのを、あの冠者の君はお聞きになって、とても残念だと思う。
 惟光これみつ典侍ないしのすけの職が一つあいてある補充に娘を採用されたいと申し出た。源氏もその希望どおりに優遇をしてやってもよいという気になっていることを、若君は聞いて残念に思った。
  Tunokami ha, "Naisinosuke aki taru ni." to mausa se tare ba, "Samoya itahara masi." to Ohotono mo oboi taru wo, kano hito ha kiki tamahi te, ito kutiwosi to omohu.
6.4.3  「 わが年のほど、位など、かくものげなからずは、乞ひ見てましものを。思ふ心ありとだに知られでやみなむこと」
 「自分の年齢や、位などが、このように問題でないならば、願い出てみたいのだが。思っているということさえ知られないで終わってしまうことよ」
 自分がこんな少年でなく、六位級に置かれているのでなければ、女官などにはさせないで、父の大臣にうて同棲どうせいを黙認してもらうのであるが、現在では不可能なことである。
  "Waga tosi no hodo, kurawi nado, kaku monogenakara zu ha, kohi mi te masi mono wo. Omohu kokoro ari to dani sirare de yami na m koto."
6.4.4  と、わざとのことにはあらねど、 うち添へて涙ぐまるる折々あり。
 と、特別強く執心しているのではないが、あの姫君のことに加えて涙がこぼれる時々がある。
 恋しく思う心だけも知らせずに終わるのかと、たいした思いではなかったが、雲井の雁を思って流す涙といっしょに、そのほうの涙のこぼれることもあった。
  to, wazato no koto ni ha ara ne do, uti-sohe te namidaguma ruru woriwori ari.
6.4.5   兄弟の童殿上する、常にこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひたまひて、
 兄弟で童殿上する者が、つねにこの君に参上してお仕えしているのを、いつもよりも親しくご相談なさって、
 五節の弟で若君にも丁寧に臣礼を取ってくる惟光の子に、ある日逢った若君は平生以上に親しく話してやったあとで言った。
  Seuto no warahatenzyau suru, tune ni kono Kimi ni mawiri tukaumaturu wo, rei yori mo natukasiu katarahi tamahi te,
6.4.6  「 五節はいつか内裏へ参る
 「五節はいつ宮中に参内なさるのか」
 「五節はいつ御所へはいるの」
  "Goseti ha itu ka Uti he mawiru?"
6.4.7  と問ひたまふ。
 とお尋ねになる。

  to tohi tamahu.
6.4.8  「 今年とこそは聞きはべれ
 「今年と聞いております」
 「今年のうちだということです」
  "Kotosi to koso ha kiki habere."
6.4.9  と聞こゆ。
 と申し上げる。

  to kikoyu.
6.4.10  「 顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。 ましが常に見るらむも羨ましきを、また見せてむや」
 「顔がたいそうよかったので、無性に恋しい気がする。おまえがいつも見ているのが羨ましいが、もう一度見せてくれないか」
 「顔がよかったから私はあの人が好きになった。君は姉さんだから毎日見られるだろうからうらやましいのだが、私にももう一度見せてくれないか」
  "Kaho no ito yokari sika ba, suzuro ni koso kohisikere! Masi ga tune ni miru ram mo urayamasiki wo, mata mise te m ya?"
6.4.11  とのたまへば、
 とおっしゃると、

  to notamahe ba,
6.4.12  「 いかでかさははべらむ。心にまかせてもえ見はべらず。男兄弟とて、近くも寄せはべらねば、まして、いかでか君達には御覧ぜさせむ」
 「どうしてそのようなことができましょうか。思うように会えないのでございます。男兄弟だといって、近くに寄せませんので、まして、あなた様にはどうしてお会わせ申すことができましょうか」
 「そんなこと、私だってよく顔なんか見ることはできませんよ。男の兄弟だからって、あまりそばへ寄せてくれませんのですもの、それだのにあなたなどにお見せすることなど、だめですね」
  "Ikadeka saha habera m? Kokoro ni makase te mo e mi habera zu. Wonokoharakara tote, tikaku mo yose habera ne ba, masite, ikadeka Kimdati ni ha goranze sase m?"
6.4.13  と聞こゆ。
 と申し上げる。
 と言う。
  to kikoyu.
6.4.14  「 さらば、文をだに
 「それでは、せめて手紙だけでも」
 「じゃあ手紙でも持って行ってくれ」
  "Saraba, humi wo dani."
6.4.15  とて賜へり。「 先々かやうのことは言ふものを」と苦しけれど、せめて賜へば、いとほしうて持て往ぬ。
 といってお与えになった。「以前からこのようなことはするなと親が言われていたものを」と困ったが、無理やりにお与えになるので、気の毒に思って持って行った。
 と言って、若君は惟光これみつの子に手紙を渡した。これまでもこんな役をしてはいつも家庭でしかられるのであったがと迷惑に思うのであるが、ぜひ持ってやらせたそうである若君が気の毒で、その子は家へ持って帰った。
  tote tamahe ri. "Sakizaki kayau no koto ha ihu mono wo." to kurusikere do, semete tamahe ba, itohosiu te mote inu.
6.4.16   年のほどよりは、されてやありけむ、をかしと見けり。 緑の薄様の、好ましき重ねなるに、手はまだいと若けれど、生ひ先見えて、いとをかしげに、
 年齢よりは、ませていたのであろうか、興味をもって見るのであった。緑色の薄様に、好感の持てる色を重ねて、筆跡はまだとても子供っぽいが、将来性が窺えて、たいそう立派に、
 五節は年よりもませていたのか、若君の手紙をうれしく思った。緑色の薄様うすようの美しい重ね紙に、字はまだ子供らしいが、よい将来のこもった字で感じよく書かれてある。
  Tosi no hodo yori ha, sare te ya ari kem, wokasi to mi keri. Midori no usuyau no, konomasiki kasane naru ni, te ha mada ito wakakere do, ohisaki miye te, ito wokasige ni,
6.4.17  「 日影にもしるかりけめや少女子が
   天の羽袖にかけし心は
 「日の光にはっきりとおわかりになったでしょう
  あなたが天の羽衣も翻して舞う姿に思いをかけたわたしのことを
 日かげにもしるかりけめや少女子をとめご
 天の羽袖にかけし心は
    "Hikage ni mo sirukari keme ya wotomego ga
    ama no hasode ni kake si kokoro ha
6.4.18   二人見るほどに父主ふと寄り来たり。 恐ろしうあきれて、え引き隠さず。
 二人で見ているところに、父殿がひょいとやって来た。恐くなってどうしていいか分からず、隠すこともできない。
 姉と弟がこの手紙をいっしょに読んでいる所へ思いがけなく父の惟光大人が出て来た。隠してしまうこともまた恐ろしくてできぬ若い姉弟きょうだいであった。
  Hutari miru hodo ni, Titinusi huto yori ki tari. Osorosiu akire te, e hiki-kakusa zu.
6.4.19  「 なぞの文ぞ
 「何の手紙だ」
 「それは、だれの手紙」
  "Nazo no humi zo?"
6.4.20  とて取るに、面赤みてゐたり。
 と言って取ったので、顔を赤らめていた。
 父が手に取るのを見て、姉も弟も赤くなってしまった。
  tote toru ni, omote akami te wi tari.
6.4.21  「 よからぬわざしけり
 「けしからぬことをした」
 「よくない使いをしたね」
  "Yokara nu waza si keri."
6.4.22  と憎めば、せうと逃げて行くを、呼び寄せて、
 と叱ると、男の子が逃げて行くのを、呼び寄せて、
 としかられて、逃げて行こうとする子を呼んで、
  to nikume ba, Seuto nige te iku wo, yobiyose te,
6.4.23  「 誰がぞ
 「誰からだ」
 「だれから頼まれた」
  "Taga zo?"
6.4.24  と問へば、
 と尋ねると、
 と惟光が言った。
  to tohe ba,
6.4.25  「 殿の冠者の君の、しかしかのたまうて賜へる
 「大殿の冠者の君が、これこれしかじかとおっしゃってお与えになったのです」
 「殿様の若君がぜひっておっしゃるものだから」
  "Tono no Kwanza-no-Kimi no, sikasika notamau te tamahe ru."
6.4.26  と言へば、名残なくうち笑みて、
 と言うと、すっかり笑顔になって、
 と答えるのを聞くと、惟光は今まで怒っていた人のようでもなく、笑顔えがおになって、
  to ihe ba, nagori naku uti-wemi te,
6.4.27  「 いかにうつくしき君の御され心なり。 きむぢらは、同じ年なれど、いふかひなくはかなかめりかし」
 「何ともかわいらしい若君のおたわむれだ。おまえたちは、同じ年齢だが、お話にならないくらい頼りないことよ」
 「何というかわいいいたずらだろう。おまえなどは同い年でまだまったくの子供じゃないか」
  "Ikani utukusiki Kimi no ohom-saregokoro nari. Kimdira ha, onazi tosi nare do, ihukahinaku hakanaka meri kasi."
6.4.28  など誉めて、母君にも見す。
 などと褒めて、母君にも見せる。
 とほめた。妻にもその手紙を見せるのであった。
  nado home te, Hahagimi ni mo misu.
6.4.29  「 この君達の、すこし人数に思しぬべからましかば、宮仕へよりは、たてまつりてまし。殿の 御心おきて見るに、見そめたまひてむ人を、御心とは 忘れたまふまじきとこそ、いと頼もしけれ。明石の入道の例にやならまし」
 「大殿の公達が、すこしでも一人前にお考えになってくださるならば、宮仕えよりは、差し上げようものを。大殿のご配慮を見ると、一度見初めた女性を、お忘れにならないのがたいそう頼もしい。明石の入道の例になるだろうか」
 「こうした貴公子に愛してもらえば、ただの女官のお勤めをさせるより私はそのほうへ上げてしまいたいくらいだ。殿様の御性格を見ると恋愛関係をお作りになった以上、御自身のほうから相手をお捨てになることは絶対にないようだ。私も明石あかしの入道になるかな」
  "Kono Kimdati no, sukosi hitokazu ni obosi nu bekara masika ba, miyadukahe yori ha, tatematuri te masi. Tono no mi-kokorookite miru ni, misome tamahi te m hito wo, mi-kokoro to ha wasure tamahu maziki to koso, ito tanomosikere. Akasi-no-Nihudau no tamesi ni ya nara masi."
6.4.30  など言へど、皆急ぎ立ちにたり。
 などと言うが、皆は準備にとりかかっていた。
 などと惟光は言っていたが、子供たちは皆立って行ってしまった。
  nado ihe do, mina isogitati ni tari.
注釈381やがて皆とめさせたまひて主語は帝なので、「させたまひて」は使役助動詞+尊敬の補助動詞また二重敬語の最高尊敬とも解しうる。6.4.1
注釈382近江のは辛崎の祓へ、津の守は難波と良清の娘は近江国の辛崎で、惟光の娘は津国の難波で、それぞれ父親の任国で神事を解くための祓いをする。6.4.1
注釈383左衛門督その人ならぬをたてまつりて『集成』は「実子でない娘を差し出したのだろう」。『完訳』は「資格のない人を。詳細は不明」と注す。6.4.1
注釈384典侍あきたるに惟光の詞の主旨。6.4.2
注釈385申させたれば惟光が人をして源氏に間接的に意向を伝えさせた意。6.4.2
注釈386さもや労らまし源氏の心中。6.4.2
注釈387かの人夕霧をさす。6.4.2
注釈388わが年のほど以下「やみなむこと」まで、夕霧の心中。6.4.3
注釈389うち添へて雲居雁のことをさす。6.4.4
注釈390兄弟の童殿上する五節舞姫の弟で童殿上している者。6.4.5
注釈391五節はいつか内裏へ参る大島本は「うちへ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「内裏へは」と「は」を補訂する。夕霧の詞。6.4.6
注釈392今年とこそは聞きはべれ五節の弟の詞。6.4.8
注釈393顔のいとよかりしかば以下「また見せてむや」まで、夕霧の詞。6.4.10
注釈394ましが「まし」は二人称。同等又は目下の者に対する呼称。「が」格助詞。6.4.10
注釈395いかでかさははべらむ以下「御覧ぜさせむ」まで、五節の弟の詞。6.4.12
注釈396さらば文をだに夕霧の詞。6.4.14
注釈397先々かやうのことは言ふものを父親から姉妹への文使いを禁止されていたことをいう。6.4.15
注釈398年のほどよりはされてやありけむ語り手の挿入句。五節舞姫の人柄を推測したもの。6.4.16
注釈399緑の薄様の、好ましき重ねなるに恋文にふさわしい紙及び和歌の文句(日蔭の葛)に因んだ色紙である。6.4.16
注釈400日影にもしるかりけめや少女子が--天の羽袖にかけし心は夕霧の五節舞姫への贈歌。6.4.17
注釈401二人見るほどに五節舞姫とその弟が。6.4.18
注釈402父主惟光。「主」は軽い敬語。6.4.18
注釈403恐ろしうあきれて『集成』は「度を失って」。『完訳』は「恐ろしくてどうしてよいのか分らず」と訳す。6.4.18
注釈404なぞの文ぞ惟光の詞。6.4.19
注釈405よからぬわざしけり惟光の詞。6.4.21
注釈406誰がぞ惟光の詞。6.4.23
注釈407殿の冠者の君のしかしかのたまうて賜へる五節舞姫の弟の詞。6.4.25
注釈408いかにうつくしき君の以下「はかなかめりかし」まで、惟光の詞。6.4.27
注釈409きむぢらは「きむぢ」は、二人称。「まし」よりやや敬意がある。「ら」は複数を表す接尾語。6.4.27
注釈410この君達の以下「例にやならまし」まで、惟光の詞。「この君達」は夕霧をさす。6.4.29
注釈411御心おきて見るに大島本は「御心をきて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御心おきてを」と「を」を補訂する。6.4.29
注釈412忘れたまふまじきとこそ大島本は「とこそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「まじきにこそ」と校訂する。6.4.29
校訂58 咎めあり 咎めあり--とかめ(め/+あり<朱>) 6.4.1
6.5
第五段 花散里、夕霧の母代となる


6-5  Hanachirusato becomes Yugiris adoptive mother

6.5.1  かの人は、文をだにえやりたまはず、立ちまさる方のことし心にかかりて、ほど経るままに、わりなく恋しき面影にまたあひ見でやと思ふよりほかのことなし。 宮の御もとへ、あいなく心憂くて参りたまはず。 おはせしかた、年ごろ遊び馴れし所のみ、思ひ出でらるることまされば、里さへ憂くおぼえたまひつつ、また 籠もりゐたまへり
 あの若君は、手紙をやることさえおできになれず、一段と恋い焦がれる方のことが心にかかって、月日がたつにつれて、無性に恋しい面影に再び会えないのではないかとばかり思っている。大宮のお側へも、何となく気乗りがせず参上なさらない。いらっしゃったお部屋や長年一所に遊んだ所ばかりが、ますます思い出されるので、里邸までが疎ましくお思いになられて、籠もっていらっしゃった。
 若君は雲井の雁へ手紙を送ることもできなかった。二つの恋をしているが、一つの重いほうのことばかりが心にかかって、時間がたてばたつほど恋しくなって、目の前を去らない面影の主に、もう一度逢うということもできぬかとばかりなげかれるのである。祖母の宮のおやしきへ行くこともわけなしに悲しくてあまり出かけない。その人の住んでいた座敷、幼い時からいっしょに遊んだ部屋などを見ては、胸苦しさのつのるばかりで、家そのものも恨めしくなって、また勉強所にばかり引きこもっていた。
  Kano hito ha, humi wo dani e yari tamaha zu, tatimasaru kata no koto si kokoro ni kakari te, hodo huru mama ni, warinaku kohisiki omokage ni mata ahi mi de ya to omohu yori hoka no koto nasi. Miya no ohom-moto he, ainaku kokorouku te mawiri tamaha zu. Ohase si kata, tosigoro asobi nare si tokoro nomi, omohiide raruru kotomasare ba, sato sahe uku oboye tamahi tutu, mata komoriwi tamahe ri.
6.5.2  殿は、この 西の対にぞ、聞こえ預けたてまつりたまひける
 大殿は、東院の西の対の御方に、お預け申し上げていらっしゃったのであった。
 源氏は同じ東の院の花散里はなちるさと夫人に、母としての若君の世話を頼んだ。
  Tono ha, kono Nisinotai ni zo, kikoye aduke tatematuri tamahi keru.
6.5.3  「 大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼きほどより見ならして、後見おぼせ」
 「大宮のご寿命も大したことがないので、お亡くなりになった後も、このように子供の時から親しんで、お世話してください」
 「大宮はお年がお年だから、いつどうおなりになるかしれない。おかくれになったあとのことを思うと、こうして少年時代かららしておいて、あなたの厄介やっかいになるのが最もよいと思う」
  "Ohomiya no miyo no nokori sukunage naru wo, ohase zu nari na m noti mo, kaku wosanaki hodo yori mi narasi te, usiromi obose."
6.5.4  と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひ扱ひたてまつりたまふ。
 と申し上げなさると、ただおっしゃっるとおりになさるご性質なので、親しくかわいがって上げなさる。
 と源氏は言うのであった。すなおな性質のこの人は、源氏の言葉に絶対の服従をする習慣から、若君を愛して優しく世話をした。
  to kikoye tamahe ba, tada notamahu mama no mi-kokoro nite, natukasiu ahare ni omohi atukahi tatematuri tamahu.
6.5.5   ほのかになど見たてまつるにも
 ちらっとなどお顔を拝見しても、
 若君は養母の夫人の顔をほのかに見ることもあった。
  Honoka ni nado mi tatematuru ni mo,
6.5.6  「 容貌のまほならずもおはしけるかな。かかる人をも、人は思ひ捨てたまはざりけり」など、「 わが、あながちに、つらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや。心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめ」
 「器量はさほどすぐれていないな。このような方をも、父はお捨てにならなかったのだ」などと、「自分は、無性に、つらい人のご器量を心にかけて恋しいと思うのもつまらないことだ。気立てがこのように柔和な方をこそ愛し合いたいものだ」
 よくないお顔である。こんな人を父は妻としていることができるのである、自分が恨めしい人の顔に執着を絶つことのできないのも、自分の心ができ上がっていないからであろう、こうした優しい性質の婦人と夫婦になりえたら幸福であろうと、こんなことを若君は思ったが、
  "Katati no maho nara zu mo ohasi keru kana! Kakaru hito wo mo, Hito ha omohi sute tamaha zari keri!" nado, "Waga, anagati ni, turaki hito no ohom-katati wo kokoro ni kake te kohi si to omohu mo adikinasi ya! Kokorobahe no kayau ni yaharaka nara m hito wo koso ahi omoha me."
6.5.7  と思ふ。また、
 と思う。また一方で、
 しかし
  to omohu. Mata,
6.5.8  「 向ひて見るかひなからむもいとほしげなり。かくて年経 たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、 浜木綿ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり」
 「向かい合っていて見ていられないようなのも気の毒な感じだ。こうして長年連れ添っていらっしゃったが、父上が、そのようなご器量を、承知なさったうえで、浜木綿ほどの隔てを置き置きして、何やかやとなさって見ないようにしていらっしゃるらしいのも、もっともなことだ」
 あまりに美しくない顔の妻は向かい合った時に気の毒になってしまうであろう、こんなに長い関係になっていながら、容貌ようぼうの醜なる点、性質の美な点を認めた父君は、夫婦生活などはおろそかにして、妻としての待遇にできるかぎりの好意を尽くしていられるらしい。それが合理的なようであるとも若君は思った。
  "Mukahi te miru kahi nakara m mo itohosige nari. Kakute tosi he tamahi ni kere do, Tono no, sayau naru ohom-katati, mi-kokoro to mi tamau te, hamayuhu bakari no hedate sasi-kakusi tutu, nanikure to motenasi magirahasi tamahu meru mo, mube nari keri."
6.5.9  と思ふ心のうちぞ、 恥づかしかりける
 と考える心の中は、大したほどである。
 そんなことまでもこの少年は観察しえたのである。
  to omohu kokoro no uti zo, hadukasikari keru.
6.5.10  大宮の 容貌ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、 ここにもかしこにも、人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、 もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。
 大宮の器量は格別でいらっしゃるが、まだたいそう美しくいらっしゃり、こちらでもあちらでも、女性は器量のよいものとばかり目馴れていらっしゃるが、もともとさほどでなかったご器量が、少し盛りが過ぎた感じがして、痩せてみ髪が少なくなっているのなどが、このように難をつけたくなるのであった。
 大宮は尼姿になっておいでになるがまだお美しかったし、そのほかどこでこの人の見るのも相当な容貌が集められている女房たちであったから、女の顔は皆きれいなものであると思っていたのが、若い時から美しい人でなかった花散里が、女の盛りも過ぎて衰えた顔は、せた貧弱なものになり、髪も少なくなっていたりするのを見て、こんなふうに思うのである。
  Ohomiya no katati koto ni ohasimase do, mada ito kiyora ni ohasi, koko ni mo kasiko ni mo, hito ha katati yoki mono to nomi menare tamahe ru wo, motoyori sugure zari keru ohom-katati no, yaya sada sugi taru kokoti si te, yaseyase ni migusi sukuna naru nado ga, kaku sosirahasiki nari keri.
注釈413宮の御もとへ大島本は「御もとへ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「御もとへも」と「も」を補訂する。6.5.1
注釈414おはせしかた主語は雲居雁。6.5.1
注釈415籠もりゐたまへり夕霧は二条東院の学問所に。6.5.1
注釈416西の対にぞ聞こえ預けたてまつりたまひける源氏は、二条東院の西の対の花散里に夕霧のお世話を依頼。6.5.2
注釈417大宮の以下「後見おぼせ」まで、源氏の詞。6.5.3
注釈418ほのかになど見たてまつるにも夕霧が花散里を。6.5.5
注釈419容貌の以下「思ひ捨てたまはざりけり」まで、夕霧の心中。6.5.6
注釈420わがあながちに以下「あひ思はめ」まで、夕霧の心中。6.5.6
注釈421向ひて見るかひなからむも以下「むべなりけり」まで、夕霧の心中。『完訳』は「かくて」以下を夕霧の心中とする。6.5.8
注釈422浜木綿ばかりの隔て「み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただにあはぬかも」(拾遺集恋一、六六八、柿本人麿)を引く。6.5.8
注釈423恥づかしかりける『集成』は「大人も顔負けの観察ぶりなのだった。草子地」。『完訳』は「語り手の夕霧評。彼の目と心が源氏の本性を捉え、その存在を相対化」と注す。6.5.9
注釈424容貌ことにおはしませど出家した尼姿である。6.5.10
注釈425ここにもかしこにも『集成』は「どちらへ行っても、女の人といえば美人だとばかり見つけていらっしゃるのに」。『完訳』は「大宮も雲居雁も惟光の娘も」と訳す。6.5.10
注釈426もとよりすぐれざりける以下、花散里の描写。6.5.10
出典13 浜木綿ばかりの隔て み熊野の浦の浜木綿百重なる心は思へどただに逢はぬかも 拾遺集恋一-六六八 柿本人麿 6.5.8
校訂59 たまひに たまひに--給る(る/$<朱>)に 6.5.8
6.6
第六段 歳末、夕霧の衣装を準備


6-6  Omiya prepares for new-year clothes to Yugiri

6.6.1  年の暮には、睦月の御装束など、宮はただ、この君一所の御ことを、まじることなういそぎたまふ。あまた領、いときよらに仕立てたまへるを 見るも、もの憂くのみおぼゆれば
 年の暮には、正月のご装束などを、大宮はただこの冠君の君の一人だけの事を、余念なく準備なさる。いく組も、たいそう立派に仕立てなさったのを見るのも、億劫にばかり思われるので、
 年末には正月の衣裳いしょうを大宮は若君のためにばかり仕度したくあそばされた。幾重ねも美しい春の衣服のでき上がっているのを、若君は見るのもいやな気がした。
  Tosi no kure ni ha, Mutuki no ohom-sauzoku nado, Miya ha tada, kono Kimi hitotokoro no ohom-koto wo, maziru koto nau isogi tamahu. Amata kudari, ito kiyora ni sitate tamahe ru wo miru mo, monouku nomi oboyure ba,
6.6.2  「 朔日などには、かならずしも内裏へ参るまじう思ひ たまふるに、何にかくいそがせたまふらむ」
 「元旦などには、特に参内すまいと存じておりますのに、どうしてこのようにご準備なさるのでしょうか」
 「元旦だって、私は必ずしも参内するものでないのに、何のためにこんなに用意をなさるのですか」
  "Tuitati nado ni ha, kanarazusimo Uti he mawiru maziu omohi tamahuru ni, nani ni kaku isoga se tamahu ram?"
6.6.3  と聞こえたまへば、
 と申し上げなさると、

  to kikoye tamahe ba,
6.6.4  「 などてか、さもあらむ。老いくづほれたらむ人のやうにものたまふかな」
 「どうして、そのようなことがあってよいでしょうか。年をとってすっかり気落ちした人のようなことをおっしゃいますね」
 「そんなことがあるものですか。廃人の年寄りのようなことを言う」
  "Nadoteka, samo ara m? Oyi kuduhore tara m hito no yau ni mo notamahu kana!"
6.6.5  とのたまへば、
 とおっしゃるので、

  to notamahe ba,
6.6.6  「 老いねど、くづほれ たる心地ぞするや」
 「年はとっていませんが、何もしたくない気がしますよ」
 「年寄りではありませんが廃人の無力が自分に感じられる」

  "Oyi ne do, kuduhore taru kokoti zo suru ya!"
6.6.7  と独りごちて、うち涙ぐみてゐたまへり。
 と独り言をいって、涙ぐんでいらっしゃる。
 若君は独言ひとりごとを言って涙ぐんでいた。
  to hitorigoti te, uti-namidagumi te wi tamahe ri.
6.6.8  「 かのことを思ふならむ」と、いと心苦しうて、宮もうちひそみたまひぬ。
 「あの姫君のことを思っているのだろう」と、とても気の毒になって、大宮も泣き顔になってしまわれた。
 失恋を悲しんでいるのであろうと、哀れに御覧になって宮も寂しいお顔をあそばされた。
  "Kano koto wo omohu naram." to, ito kokorogurusiu te, Miya mo uti-hisomi tamahi nu.
6.6.9  「 男は、口惜しき際の人だに、心を高うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。何とか、かう眺めがちに思ひ入れたまふべき。ゆゆしう」
 「男は、取るに足りない身分の人でさえ、気位を高く持つものです。あまり沈んで、こうしていてはなりません。どうして、こんなにくよくよ思い詰めることがありましょうか。縁起でもありません」
 「男性というものは、どんな低い身分の人だって、心持ちだけは高く持つものです。あまりめいったそうしたふうは見せないようになさいよ。あなたがそんなに思い込むほどの価値のあるものはないではないか」
  "Wotoko ha, kutiwosiki kiha no hito dani, kokoro wo takau koso tukahu nare. Amari simeyaka ni, kaku na monosi tamahi so. Nani to ka, kau nagame gati ni omohiire tamahu beki? Yuyusiu."
6.6.10   とのたまふも
 とおっしゃるが、

  to notamahu mo,
6.6.11  「 何かは。六位など人のあなづりはべるめれば、しばしのこととは思うたまふれど、内裏へ参るももの憂くてなむ。故大臣おはしまさましかば、戯れにても、人にはあなづられはべらざらまし。 もの隔てぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちて思いたれば、おはしますあたりに、たやすくも参り馴れはべらず。東の院にてのみなむ、御前近くはべる。 対の御方こそ、あはれにものしたまへ親今一所おはしまさましかば、何ごとを思ひはべらまし」
 「そんなことはありません。六位などと人が軽蔑するようなので、少しの間だとは存じておりますが、参内するのも億劫なのです。故祖父大臣が生きていらっしゃったならば、冗談にも、人からは軽蔑されることはなかったでございましょうに。何の遠慮もいらない実の親でいらしゃいますが、たいそう他人行儀に遠ざけるようになさいますので、いらっしゃる所にも、気安くお目通りもかないません。東の院にお出での時だけ、お側近く上がります。対の御方だけは、やさしくしてくださいますが、母親が生きていらっしゃいましたら、何も思い悩まなくてよかったものを」
 「それは別にないのですが、六位だと人が軽蔑けいべつをしますから、それはしばらくの間のことだとは知っていますが、御所へ行くのも気がそれで進まないのです。お祖父じい様がおいでになったら、戯談じょうだんにでも人は私を軽蔑なんかしないでしょう。ほんとうのお父様ですが、私をお扱いになるのは、形式的に重くしていらっしゃるとしか思われません。二条の院などで私は家族の一人として親しませてもらうようなことは絶対にできません。東の院でだけ私はあの方の子らしくしていただけます。西のたいのお母様だけは優しくしてくださいます。もう一人私にほんとうのお母様があれば、私はそれだけでもう幸福なのでしょうがお祖母ばあ様」
  "Nanikaha! Rokuwi nado hito no anaduri haberu mere ba, sibasi no koto to ha omou tamahure do, Uti he mawiru mo monouku te nam. Ko-Otodo ohasimasa masika ba, tahabure nite mo, hito ni ha anadura re habera zara masi. Mono hedate nu oya ni ohasure do, ito kekesiu sasi-hanati te oboi tare ba, ohasimasu atari ni, tayasuku mo mawiri nare habera zu. Himgasinowin nite nomi nam, omahe tikaku haberu. Tai-no-Ohomkata koso, ahare ni monosi tamahe, oya ima hitotokoro ohasimasa masika ba, nanigoto wo omohi habera masi."
6.6.12  とて、涙の落つるを紛らはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、宮は、いとどほろほろと泣きたまひて、
 と言って、涙が落ちるのを隠していらっしゃる様子、たいそう気の毒なので、大宮は、ますますほろほろとお泣きになって、
 涙の流れるのを紛らしている様子のかわいそうなのを御覧になって、宮はほろほろと涙をこぼしてお泣きになった。
  tote, namida no oturu wo magirahai tamahe ru kesiki, imiziu ahare naru ni, Miya ha, itodo horohoro to naki tamahi te,
6.6.13  「 母にも後るる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世宿世に、人と成りたちぬれば、 おろかに思ふもなきわざなるを、思ひ入れぬ さまにてものしたまへ。故大臣の今しばしだにものしたまへかし。限りなき蔭には、同じことと頼みきこゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内大臣の心ばへも、なべての人にはあらずと、世人もめで言ふなれど、昔に変はることのみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、 生ひ先遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨めしき世なる」
 「母親に先立たれた人は、身分の高いにつけ低いにつけて、そのように気の毒なことなのですが、自然とそれぞれの前世からの宿縁で、成人してしまえば、誰も軽蔑する者はいなくなるものですから、思い詰めないでいらっしゃい。亡くなった太政大臣がせめてもう少しだけ長生きをしてくれればよかったのに。絶大な庇護者としては、同じようにご信頼申し上げてはいますが、思いどおりに行かないことが多いですね。内大臣の性質も、普通の人とは違って立派だと世間の人も褒めて言うようですが、昔と違う事ばかりが多くなって行くので、長生きも恨めしい上に、生い先の長いあなたにまで、このようなちょっとしたことにせよ、身の上を悲観していらっしゃるので、とてもいろいろと恨めしいこの世です」
 「母をくした子というものは、各階級を通じて皆そうした心細い思いをしているのだけれど、だれにも自分の運命というものがあって、それぞれに出世してしまえば、軽蔑する人などはないのだから、そのことは思わないほうがいいよ。お祖父様がもうしばらくでも生きていてくだすったらよかったのだね、お父様がおいでなんだから、お祖父様くらいの愛はあなたに掛けていただけると信じてますけれど、思うようには行かないものなのだね。内大臣もりっぱな人格者のように世間で言われていても、私に昔のような平和も幸福もなくなっていくのはどういうわけだろう。私はただ長生きの罪にしてあきらめますが、若いあなたのような人を、こんなふうに少しでも厭世えんせい的にする世の中かと思うと恨めしくなります」
  "Haha ni mo okururu hito ha, hodohodo ni tuke te, sa nomi koso ahare nare do, onodukara sukuse sukuse ni, hito to naritati nure ba, oroka ni omohu mo naki waza naru wo, omohiire nu sama ni te monosi tamahe. Ko-Otodo no ima sibasi dani monosi tamahe kasi. Kagiri naki kage ni ha, onazi koto to tanomi kikoyure do, omohu ni kanaha nu koto no ohokaru kana! Utinootodo no kokorobahe mo, nabete no hito ni ha ara zu to, yohito mo mede ihu nare do, mukasi ni kaharu koto nomi masari yuku ni, inoti nagasa mo uramesiki ni, ohisaki tohoki hito sahe, kaku isasaka nite mo, yo wo omohi simeri tamahe re ba, ito nam yorodu uramesiki yo naru."
6.6.14  とて、泣きおはします。
 と言って、泣いていらっしゃる。
 と宮は泣いておいでになった。
  tote, naki ohasimasu.
注釈427見るももの憂くのみおぼゆれば主語は夕霧。六位の浅葱の衣裳だからである。6.6.1
注釈428朔日などには以下「いそがせたまふらむ」まで、夕霧の詞。6.6.2
注釈429などてか以下「のたまふかな」まで、大宮の詞。6.6.4
注釈430老いねど以下「心地ぞするや」まで、夕霧の詞。6.6.6
注釈431かのことを思ふならむと大宮の心中。雲居雁のことを思っているのだろうの意。6.6.8
注釈432男は以下「ゆゆしう」まで、大宮の詞。6.6.9
注釈433とのたまふも大島本は「との給も」とある。『新大系』は底本のままとし文を続ける。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とのたまふ」と文を切る。6.6.10
注釈434何かは以下「思ひはべらまし」まで、夕霧の詞。6.6.11
注釈435もの隔てぬ親におはすれど実の親源氏をいう。6.6.11
注釈436対の御方こそあはれにものしたまへ「対の御方」は花散里をさす。夕霧の母代。「こそ--たまへ」係結び、逆接用法。6.6.11
注釈437親今一所おはしまさましかば実の親葵の上をさす。「ましか」反実仮想の助動詞。6.6.11
注釈438母にも後るる人は大島本は「はゝにも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「母に」と「も」を削除する。以下「恨めしき世なる」まで、大宮の詞。6.6.13
注釈439おろかに思ふもなきわざなるを大島本は「おもふもなき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ふ人も」と「人」を補訂する。6.6.13
注釈440さまにてものしたまへ大島本は「さまにて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さまにてを」と「を」を補訂する。6.6.13
校訂60 たまふるに たまふるに--給ふな(な/$る<朱>)に 6.6.2
校訂61 たる たる--たか(か/$る<朱>) 6.6.6
校訂62 男は 男は--おとこ(こ/+は<朱>) 6.6.9
校訂63 生ひ先 生ひ先--おいま(ま/$さ<朱>)き 6.6.13
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/10/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/5/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年2月4日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 11/10/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
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