第二十三帖 初音


23 HATUNE (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の新春正月の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era in the new year at the age of 36

1
第一章 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち


1  Tale of Hikaru-Genji  Women's lives in Rokujo-in

1.1
第一段 春の御殿の紫の上の周辺


1-1  Murasaki's life in the new year

1.1.1   年立ちかへる朝の空 のけしき、名残なく曇らぬうららかげさには、 数ならぬ垣根のうちだに 、雪間の草若やかに色づきはじめ、 いつしかとけしきだつ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。まして、いとど玉を敷ける御前の、庭よりはじめ見所多く、磨きましたまへる 御方々のありさま、まねびたてむも言の葉 足るまじくなむ
 年が改まった元日の朝の空の様子、一点の曇りもないうららかさには、つまらない者の家でさえ、雪の間の草が若々しく色づき初め、早くも立ちそめた霞の中に、木の芽も萌え出し、自然と人の気持ちものびのびと見えるものである。まして、いっそう玉を敷いた御殿の、庭をはじめとして見所が多く、一段と美しく着飾ったご夫人方の様子は、語り伝えるにも言葉が足りそうにない。
 新春第一日の空の完全にうららかな光のもとには、どんな家の庭にも雪間の草が緑のけはいを示すし、春らしいかすみの中では、芽を含んだ木の枝が生気を見せて煙っているし、それに引かれて人の心ものびやかになっていく。まして玉を敷いたと言ってよい六条院の庭の初春のながめには格別なおもしろさがあった。常に増してみがき渡された各夫人たちの住居すまいを写すことに筆者は言葉の乏しさを感じる。
  Tosi tatikaheru asita no sora no kesiki, nagori naku kumora nu urarakagesa ni ha, kazu nara nu kakine no uti dani, yukima no kusa wakayaka ni iroduki hazime, itusika to kesikidatu kasumi ni, konome mo uti-keburi, onodukara hito no kokoro mo nobiraka ni zo miyuru kasi. Masite, itodo tama wo sike ru omahe no, niha yori hazime midokoro ohoku, migaki masi tamahe ru ohom-katagata no arisama, manebi tate m mo kotonoha taru maziku nam.
1.1.2   春の御殿の御前、とりわきて、 梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ生ける仏の御国とおぼゆ。さすがにうちとけて、やすらかに住みなしたまへり。さぶらふ人びとも、若やかにすぐれたるは、 姫君の御方にと選りたまひて、すこし大人びたる限り、なかなかよしよししく、装束ありさまよりはじめて、 めやすくもてつけて、ここかしこに群れゐつつ、 歯固めの祝ひして、餅鏡をさへ取り混ぜて、 千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事ども して、そぼれあへるに、 大臣の君さしのぞきたまへれば、 懐手ひきなほしつつ、「いとはしたなきわざかな」と、わびあへり。
 春の御殿のお庭は、特別で、梅の香りも御簾の中の薫物の匂いと吹き混じり合って、この世の極楽浄土と思われる。何といってもゆったりと、落ち着いてお住まいになっていらっしゃる。お仕えしている女房たちも、若くて勝れている者は、姫君の御方にとお選びになって、少し年輩の女房ばかりで、かえって風情があって、装束や様子などをはじめとして、見苦しくなく取り繕って、あちらこちらに寄り合っては、歯固めの祝いをして、鏡餅まで取り加えて、千歳の栄えも明らかな新年の祝い言を唱えて、戯れ合っているところに、大臣の君がお顔出しになったので、懐手を直し直しして、「まあ、恥ずかしいこと」と、きまり悪がっていた。
 春の女王にょおうの住居はとりわけすぐれていた。梅花のかおり御簾みすの中の薫物たきものの香と紛らわしく漂っていて、現世の極楽がここであるような気がした。さすがにゆったりと住みなしているのであった。女房たちも若いきれいな人たちは姫君付きに分けられて、少しそれより年の多い者ばかりが紫の女王にょおうのそばにいた。上品な重味のあるふうをして、あちらこちらに一団を作っているこうした女房らは歯固はがための祝儀などを仲間どうしでしていた。鏡餠かがみもちなども取り寄せて、今年じゅうの幸福を祈るのに興じ合っている所へ主人あるじの源氏がちょっと顔を見せた。懐中手ふところでをしていた者が急に居ずまいを直したりしてきまりを悪がった。
  Haru-no-Otodo no omahe, toriwaki te, mume no ka mo mi-su no uti no nihohi ni huki magahi, ike ru Hotoke no mi-kuni to oboyu. Sasugani utitoke te, yasuraka ni sumi nasi tamahe ri. Saburahu hitobito mo, wakayaka ni sugure taru ha, Himegimi no ohom-kata ni to eri tamahi te, sukosi otonabi taru kagiri, nakanaka yosiyosisiku, sauzoku arisama yori hazime te, meyasuku mote-tuke te, kokokasiko ni mure wi tutu, hagatame no ihahi si te, motihikagami wo sahe torimaze te, titose no kage ni siruki tosi no uti no ihahigoto-domo si te, sobore ahe ru ni, Otodo-no-Kimi sasinozoki tamahe re ba, hutokorode hiki-nahosi tutu, "Ito hasitanaki waza kana!" to, wabi ahe ri.
1.1.3  「 いとしたたかなるみづからの祝ひ事 どもかな。皆おのおの思ふことの道々あらむかし。すこし聞かせよや。われことぶきせむ」
 「とても手抜かりのない自分たちのための祝い言ですね。みなそれぞれ願い事の筋がきっといろいろとあるだろう。少し聞かせてくれよ。わたしが祝って上げよう」
 「たいへんな御祝儀なのだね、皆それぞれ違ったことの上に祝福あれと祈っているのだろうね。少し私に内容をらしてくれないか、私も祝詞を述べるよ」
  "Ito sitataka naru midukara no ihahigoto-domo kana! Mina onoono omohu koto no mitimiti ara m kasi. Sukosi kika se yo ya. Ware kotobuki se m."
1.1.4  とうち笑ひたまへる 御ありさまを、年のはじめの栄えに見たてまつる。われはと思ひあがれる 中将の君ぞ、
 とちょっと笑っていらっしゃるご様子を、年の初めのめでたさとして拝する。自分こそはと自身たっぷりの中将の君は、
 と微笑ほほえんで言う源氏の美しい顔を見ることが今年ことしの春の最初の幸福であると人々は思っている。中将の君が言う。
  to uti warahi tamahe ru ohom-arisama wo, tosi no hazime no sakaye ni mi tatematuru. Ware ha to omohi-agare ru Tyuuzyau-no-Kimi zo,
1.1.5  「『 かねてぞ見ゆる』などこそ、 鏡の影にも語らひはんべりつれ。私の祈りは、 何ばかりのことをか
 「『今からもう見える』などと、鏡餅の姿にもお祝い申し上げておりました。自分の願い事は、何ほどのこともございません」
 「御主人様がたを鏡のお餠にも祝っております。自身たちについての祈りなどをいたすものでございません」
  "Kanete zo miyuru nado koso, kagami no kage ni mo katarahi hanberi ture. Watakusi no inori ha, nani bakari no koto wo ka."
1.1.6  など聞こゆ。
 などと申し上げる。

  nado kikoyu.
1.1.7  朝のほどは人びと参り混みて、もの騒がしかりけるを、夕つ方、 御方々の参座したまはむとて、心ことにひきつくろひ、化粧じたまふ御影こそ、 げに見るかひあめれ
 午前中は人々で混み合って、何となく騒がしかったが、夕方に、御方々への年賀の挨拶をなさろうとして、念入りに身づくろいなさり、お化粧なさったお姿は、まことに目を見張るようである。
 朝の間は参賀の人が多くて騒がしく時がたったが、夕方前になって、源氏が他の夫人たちへ年始の挨拶あいさつを言いに出かけようとして、念入りに身なりを整え化粧をしたのを見ることは実際これが幸福でなくて何であろうと思われた。
  Asita no hodo ha hitobito mawiri komi te, mono-sawagasikari keru wo, yuhutukata, ohom-katagata no samza si tamaha m tote, kokoro koto ni hiki-tukurohi, kesauzi tamahu ohom-kage koso, geni miru kahi a' mere.
1.1.8  「 今朝、この人びとの戯れ交はしつる、いとうらやましく見えつるを、上にはわれ見せたてまつらむ」
 「今朝、こちらの女房たちが戯れ合っていたのが、たいそう羨ましく見えたから、紫の上にはわたしがお見せ申し上げよう」
 「今朝けさ皆が鏡餠の祝詞を言い合っているのを見てうらやましかった。奥さんには私が祝いを言ってあげよう」
  "Kesa, kono hitobito no tahabure kahasi turu, ito urayamasiku miye turu wo, Uhe ni ha ware mise tatematura m."
1.1.9  とて、乱れたる事どもすこしうち混ぜつつ、祝ひきこえたまふ。
 とおっしゃって、ご冗談なども少し交えては、お祝い申し上げなさる。
 少し戯れも混ぜて源氏は夫人の幸福を祝った。
  tote, midare taru koto-domo sukosi uti-maze tutu, ihahi kikoye tamahu.
1.1.10  「 薄氷解けぬる池の鏡には
   世に曇りなき影ぞ並べる
 「薄い氷も解けた池の鏡のような面には
  世にまたとない二人の影が並んで映っています
  うす氷解けぬる池の鏡には
  世にたぐひなき影ぞ並べる
    "Usugohori toke nuru ike no kagami ni ha
    yo ni kumori naki kage zo narabe ru
1.1.11   げに、めでたき御あはひどもなり
 なるほど、素晴らしいお二人のご夫婦仲である。
 これほど真実なことはない。二人は世に珍しい麗質の夫婦である。
  Geni, medetaki ohom-ahahi-domo nari.
1.1.12  「 曇りなき池の鏡によろづ代を
   すむべき影ぞしるく見えける
 「一点の曇りのない池の鏡に幾久しくここに
  住んで行くわたしたちの影がはっきりと映っています
  曇りなき池の鏡によろづ代を
  すむべき影ぞしるく見えける
    "Kumori naki ike no kagami ni yorodu yo wo
    sumu beki kage zo siruku miye keru
1.1.13  何事につけても、末遠き御契りを、あらまほしく聞こえ交はしたまふ。 今日は子の日なりけり。げに、 千年の春をかけて祝はむに、ことわりなる日なり。
 何事につけても、幾久しいご夫婦の縁を、申し分なく詠み交わしなさる。今日は子の日なのであった。なるほど、千歳の春を子の日にかけて祝うには、ふさわしい日である。
 と夫人は言った。どの場合、何の言葉にもこの二人は長く変わらぬ愛を誓い合うのであった。ちょうど元日がの日にあたっていたのである。千年の春を祝うのにふさわしい日である。
  Nanigoto ni tuke te mo, suwe tohoki ohom-tigiri wo, aramahosiku kikoye kahasi tamahu. Kehu ha nenohi nari keri. Geni, titose no haru wo kake te iha m ni, kotowari naru hi nari.
注釈1年立ちかへる朝の空源氏三十六歳の元旦。「あら玉の年立ちかへる朝より待たるるものは鴬の声」(拾遺集春、五、素性法師)による。1.1.1
注釈2数ならぬ垣根のうちだに「野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ」(拾遺集春、一九、紀貫之)。1.1.1
注釈3いつしかとけしきだつ霞に「昨日こそ年は暮れしか春霞春日の山にはや立ちにけり」(拾遺集春、三、山部赤人)「吉野山峯の白雪いつ消えて今朝は霞の立ちかはるらむ」(拾遺集春、四、源重之)。1.1.1
注釈4足るまじくなむ係助詞「なむ」。下に「ある」などの語句が省略。1.1.1
注釈5春の御殿の御前六条院春の御殿の庭先。1.1.2
注釈6梅の香も御簾のうちの匂ひに吹きまがひ庭の梅の香と室内の薫物の香が春風に吹き混じり合うさま。1.1.2
注釈7生ける仏の御国とおぼゆ『新大系』は「この世に現出した極楽浄土。極楽もかぐわしい香に満ちた世界だと、多くの仏典に説かれている」と注す。1.1.2
注釈8姫君の御方にと明石姫君。八歳。1.1.2
注釈9歯固めの祝ひ年頭に長寿を祝う儀式。1.1.2
注釈10千年の蔭にしるき年のうちの祝ひ事ども「万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば」(古今集賀、三五六、素性法師)。1.1.2
注釈11大臣の君源氏をさす。源氏三十六歳。太政大臣。1.1.2
注釈12懐手ひきなほしつつ主語は女房たち。接尾語「つつ」は同じ動作の反復の意。1.1.2
注釈13いとしたたかなる以下「われことぶきせむ」まで、源氏の詞。1.1.3
注釈14中将の君「葵」巻に初出。以下、「須磨」、「澪標」、「薄雲」に登場する女房。「須磨」巻以降は紫の上づきの女房となっている源氏の召人。1.1.4
注釈15かねてぞ見ゆる以下「何ばかりのことをか」まで、中将の君の詞。「近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は」(古今集、神遊びの歌、一〇八〇、大伴黒主)を引く。1.1.5
注釈16鏡の影にも『集成』は「歌の「鏡の山」(近江の歌枕)に「鏡」(鏡餅)をこと寄せた挨拶」。『完訳』は「鏡山の陰に、鏡餅を相手にするだけ、の意をこめ、源氏を恨む」と注す。1.1.5
注釈17何ばかりのことをか係助詞「か」の下に「祈らむ」などの語句が省略。1.1.5
注釈18御方々の参座したまはむとて主語は源氏。源氏が六条院の御夫人方へ年賀の挨拶に回ろうとの意。1.1.7
注釈19げに見るかひあめれ「げに」は中将の君の詞を受ける。推量の助動詞「めれ」主観的推量のニュアンス。語り手の「こそ--めれ」係結びの強調的ニュアンスの加わった推量。『集成』は「前の中将の言葉を受けての草子地」と注す。1.1.7
注釈20今朝、この人びとの以下「上にはわれ見せたてまつらむ」まで、源氏の詞。「上」は紫の上をさす。鏡餅を私が見せて祝詞を申し上げようの意。1.1.8
注釈21薄氷解けぬる池の鏡には--世に曇りなき影ぞ並べる源氏から紫の上への贈歌。「鏡」に「鏡餅」を響かせる。二人の深い情愛と幸せを寿ぐ歌。1.1.10
注釈22げにめでたき御あはひどもなり「げに」は語り手の源氏の和歌に納得した気持ちの表出。1.1.11
注釈23曇りなき池の鏡によろづ代を--すむべき影ぞしるく見えける紫の上の返歌。「池」「鏡」「世」「影」の語句を受けて「曇りなき池の鏡」「万代」「住むべき影」と返す。「すむ」は「澄む」と「住む」の掛詞。「曇り」「澄む」「影」は「鏡」の縁語。1.1.12
注釈24今日は子の日なりけり元日と子の日が重なった設定。1.1.13
注釈25千年の春をかけて「千年まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代や経む」(拾遺集春、二四、大中臣能宣)1.1.13
出典1 年立ちかへる あらたまの年立ち返る朝より待たるるものは鴬の声 拾遺集春-五 素性法師 1.1.1
出典2 数ならぬ垣根 野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ 拾遺集春-一九 紀貫之 1.1.1
出典3 千年の蔭 万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば 古今集賀-三五六 素性法師 1.1.2
出典4 かねてぞ見ゆる 近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は 古今集神遊歌-一〇八六 大伴黒主 1.1.5
出典5 千年の春をかけて 千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代を経む 拾遺集春-二四 大中臣能宣 1.1.13
校訂1 御方々のありさま 御方々のありさま--御かた/\の御まへの(御まへの/$)ありさまとも(とも/$) 1.1.1
校訂2 めやすく めやすく--(/+めやすく) 1.1.2
校訂3 どもかな どもかな--とも(も/+かな) 1.1.3
校訂4 御ありさまを 御ありさまを--御(御/+あり<朱>)さま(ま/+を<朱>) 1.1.4
1.2
第二段 明石姫君、実母と和歌を贈答


1-2  Akashi and her daughter send Waka each other

1.2.1   姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。 北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。 えならぬ五葉の枝に移る鴬も思ふ心あらむかし
 姫君の御方にお越しになると、童女や、下仕えの女房たちなどが、お庭先の築山の小松を引いて遊んでいる。若い女房たちの気持ちも、じっとしていられないように見える。北の御殿から、特別に用意した幾つもの鬚籠や、破籠などをお差し上げになっていた。素晴らしい五葉の松の枝に移り飛ぶ鴬も、思う子細があるのであろう。
 姫君のいる座敷のほうへ行ってみると、童女や下仕えの女が前の山の小松を抜いて遊んでいた。そうした若い女たちは新春の喜びに満ち足らったふうであった。北の御殿からいろいろときれいな体裁に作られた菓子の髭籠ひげかごと、料理の破子わりご詰めなどがここへ贈られて来た。よい形をした五葉の枝に作り物のうぐいすが止まらせてあって、それに手紙が付けられてある。
  Himegimi no ohom-kata ni watari tamahe re ba, waraha, simodukahe nado, omahe no yama no komatu hiki asobu. Wakaki hitobito no kokoti-domo, okidokoro naku miyu. Kita-no-Otodo yori, wazatogamasiku si atume taru higeko-domo, warigo nado tatemature tamahe ri. E nara nu goehu no eda ni uturu uguhisu mo, omohu kokoro ara m kasi.
1.2.2  「 年月を松にひかれて経る人に
   今日鴬の初音聞かせよ
 「長い年月を子どもの成長を待ち続けていました
  わたしに今日はその初音を聞かせてください
  年月をまつに引かれてる人に
  今日けふ鶯の初音はつね聞かせよ
    "Tosituki wo matu ni hika re te huru hito ni
    kehu uguhisu no hatune kika se yo
1.2.3  『 音せぬ里の』」
 『音を聞かせない里に』」
 「音せぬ里の」(今日だにも初音聞かせよ鶯の音せぬ里は住むかひもなし)
  Oto se nu sato no"
1.2.4  と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
 とお申し上げになったのを、「なるほど、ほんとうに」とお感じになる。縁起でもない涙をも堪えきれない様子である。
 と書かれてあるのを読んで、源氏は身にしむように思った。正月ながらもこぼれてくる涙をどうしようもないふうであった。
  to kikoye tamahe ru wo, "Geni, ahare!" to obosi siru. Kotoimi mo e si ahe tamaha nu kesiki nari.
1.2.5  「 この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
 「このお返事は、ご自身がお書き申し上げなさい。初便りを惜しむべき方でもありません」
 「この返事は自分でなさい。きまりが悪いなどと気どっていてよい相手でない」
  "Kono ohom-kaheri ha, midukara kikoye tamahe. Hatune wosimi tamahu beki kata ni mo ara zu kasi."
1.2.6  とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「 罪得がましう、心苦し」と思す。
 とおっしゃって、御硯を用意なさって、お書かせ申し上げなさる。たいそうかわいらしくて、朝な夕なに拝見する人でさえ、いつまでも見飽きないとお思い申すお姿を、今まで会わせないで年月が過ぎてしまったのも、「罪作りで、気の毒なことであった」とお思いになる。
 源氏はこう言いながら、すずりの世話などをやきながら姫君に書かせていた。かわいい姿で、毎日見ている人さえだれも見飽かぬ気のするこの人を、別れた日から今日まで見せてやっていないことは、真実の母親に罪作りなことであると源氏は心苦しく思った。
  tote, ohom-suzuri tori makanahi, kaka se tatematuri tamahu. Ito utukusige nite, akekure mi tatematuru hito dani, aka zu omohi kikoyuru ohom-arisama wo, ima made obotukanaki tosituki no hedatari ni keru mo, "Tumi e gamasiu, kokorogurusi." to obosu.
1.2.7  「 ひき別れ年は経れども鴬の
   巣立ちし松の根を忘れめや
 「別れて何年も経ちましたがわたしは
  生みの母君を忘れましょうか
  引き分かれ年はれども鶯の
  巣立ちし松の根を忘れめや
    "Hikiwakare tosi ha hure domo uguhisu no
    sudati si matu no ne wo wasure me ya
1.2.8   幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる
 子供心に思ったとおりに、くどくどと書いてある。
 少女の作でありのままに過ぎた歌である。
  Wosanaki mi-kokoro ni makase te, kudakudasiku zo a' meru.
注釈26姫君の御方に渡りたまへれば主語は源氏。明石姫君は春の御殿の寝殿を紫の上と分けて西面を使用している。1.2.1
注釈27北の御殿より明石御方から娘の明石姫君のもとへ。1.2.1
注釈28えならぬ五葉の枝に移る鴬も五葉の松も鴬も細工物。1.2.1
注釈29思ふ心あらむかし語り手の想像。『完訳』は「語り手が「思ふ心--」と注意して、次の母娘隔離の歌に続ける」と注す。1.2.1
注釈30年月を松にひかれて経る人に--今日鴬の初音聞かせよ明石御方から娘への贈歌。「松」と「待つ」「古」と「経る」「初音」と「初子」の掛詞。「松」「引かれ」は縁語。「松の上になく鴬の声をこそ初ねの日とはいふべかりけれ」(拾遺集春、二二、宮内卿)。『完訳』は「新春でも娘に再会できぬ実母の嘆きの歌」と注す。1.2.2
注釈31音せぬ里の歌に添えた言葉。「今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなし」(源氏釈所引、出典未詳)を引く。1.2.3
注釈32この御返りは以下「あらずかし」まで、源氏の詞。1.2.5
注釈33罪得がましう心苦し源氏の心中。1.2.6
注釈34ひき別れ年は経れども鴬の--巣立ちし松の根を忘れめや明石姫君の返歌。「年」「松」「引く」「経る」「鴬」の語句を「引き別れ」「年は」「経れども」「鴬の巣立ちし」「松の根」と受けて「忘れめや」と返す。「松」と「待つ」は掛詞。1.2.7
注釈35幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる語り手の批評。『集成』は「草子地による歌の批評。理屈が勝って余情に乏しいといったところである」。『完訳』は「語り手の評言。物語ではじめて歌を詠む姫君の成長ぶりに注意」と注す。1.2.8
出典6 松にひかれて 松の上に鳴く鴬の声をこそは初音の日とはいふべかりけれ 拾遺集春-二二 宮内 1.2.2
出典7 音せぬ里の 今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなし 源氏釈所引、出典未詳 1.2.3
1.3
第三段 夏の御殿の花散里を訪問


1-3  Genji visits to Hanachirusato in Summer-Residence

1.3.1  夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなくて、あてやかに住みたるけはひ見えわたる。
 夏のお住まいを御覧になると、その時節ではないせいか、とても静かに見えて、特別に風流なこともなく、品よくお暮らしになっている様子がここかしこに窺える。
 夏の夫人の住居すまいは時候違いのせいか非常に静かであった。わざと風流がった所もなく、品よく、貴女きじょの家らしく住んでいた。
  Natu no ohom-sumahi wo mi tamahe ba, toki nara nu ke ni ya, ito siduka ni miye te, wazato konomasiki koto mo naku te, ateyaka ni sumi taru kehahi miye wataru.
1.3.2  年月に添へて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲なり。 今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。いと睦ましくありがたからむ 妹背の契りばかり、聞こえ交はしたまふ 。御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。
 年月とともに、ご愛情の隔てもなく、しみじみとしたご夫婦仲である。今では、しいて共寝をするご様子にも、お扱い申し上げなさらないのであった。たいそう仲睦まじく世にまたとないような夫婦の約束程度に、互いに交わし合っていらっしゃる。御几帳を隔てているが、少しお動かしになっても、そのままにしていらっしゃる。
 源氏と夫人の二人の仲にはもう少しの隔てというものもなくなって、徹底した友情というものを持ち合っていた。現在では肉体の愛を超越した夫婦であった。しかも精神的には永久に離れまいと誓い合う愛人どうしである。几帳きちょうを隔てて花散里はなちるさとはすわっていたが、源氏がそれを手で押しやると、また花散里はそうするままになっていた。お納戸色という物は人をはなやかに見せないものであるが、その上この人は髪のぐあいなどももう盛りを通り過ぎた人になっていた。優美な物ではないが添え毛でもすればよいかもしれぬ。
  Tosituki ni sohe te, mi-kokoro no hedate mo naku, ahare naru ohom-naka nari. Ima ha, anagati ni tikayaka naru ohom-arisama mo, motenasi kikoye tamaha zari keri. Ito mutumasiku arigatakara m imose no tigiri bakari, kikoye kahasi tamahu. Mi-kityau hedate tare do, sukosi osiyari tamahe ba, mata sate ohasu.
1.3.3  「 縹は、げに、にほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらぬと、葡萄鬘してぞつくろひたまふべき。我ならざらむ人は、見醒めしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ。心軽き人の列にて、われに 背きたまひなましかば」など、御対面の折々は、まづ、「わが心の長きも、 人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり」
 「縹色のお召物は、なるほど、はなやかでない色合いで、お髪などもたいそう盛りを過ぎてしまった。優美でないと、かもじを使ってお手入れをなさっているのだろう。わたし以外の人だったら、愛想づかしをするに違いないご様子を、こうしてお世話することは嬉しく本望なことだ。考えの浅い女と同じように、わたしから離れておしまいになったら」などと、お会いなさる時々には、まずは、「わたしの変わらない愛情も、相手の重々しいご性格をも、嬉しく、理想的だ」
 「私のような男でなかったら愛をさましてしまうかもしれない衰退期の顔を、化粧でどうしようともしないほど私の心が信じられているのがうれしい。あなたが軽率な女で、ひがみを起こして別れて行っていたりしては、私にこの満足は与えてもらえなかったでしょう」
  "Hanada ha, geni, nihohi ohokara nu ahahi nite, migusi nado mo itaku sakari sugi ni keri. Yasasiki kata ni ara nu to, ebikadura si te zo tukurohi tamahu beki. Ware nara zara m hito ha, mizame si nu beki ohom-arisama wo, kakute miru koso uresiku ho'i are. Kokoro karoki hito no tura nite, ware ni somuki tamahi na masika ba." nado, ohom-taimen no woriwori ha, madu, "Waga kokoro no nagaki mo, hito no mi-kokoro no omoki wo mo, uresiku, omohu yau nari."
1.3.4  と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞こえたまひて、 西の対へ渡りたまひぬ
 とお考えになった。こまごまと、旧年中のお話などを、親密に申し上げなさって、西の対へお越しになる。
 源氏は花散里にうごとによくこんなことを言った。永久に変わっていかない自身の愛と、この女の持つ信頼は理想的なものであるとさえ源氏は思っていた。親しい調子でしばらく話していたあとで、西の対のほうへ源氏は行った。
  to obosi keri. Komayaka ni, hurutosi no ohom-monogatari nado, natukasiu kikoye tamahi te, Nisi-no-tai he watari tamahi nu.
注釈36今はあながちに近やかなる御ありさまももてなしきこえたまはざりけり『集成』は「夫婦として枕を交わすこともなかった、の意」。『完訳』は「共寝するしないを超えた、世間にも稀な関係。次に「ありがたからん妹背の契り」とあるゆえん」と注す。1.3.2
注釈37妹背の契りばかり聞こえ交はしたまふ『完訳』は「妹背のご縁というほどの語らいを互いになさっている」と注す。1.3.2
注釈38縹はげに以下「背きたまひなましかば」まで、源氏の心中を通して語った叙述。『集成』は「以下、源氏の眼を通して花散里の容姿をいう」と注す。1.3.3
注釈39背きたまひなましかば「ましか」反実仮想の助動詞。下に「見まし」などの語句が省略。1.3.3
注釈40人の御心の重きをも花散里の人柄をいう。1.3.3
注釈41西の対へ渡りたまひぬ夏の御殿の西の対。玉鬘の居所。1.3.4
校訂5 聞こえ 聞こえ--き(き/+こえ) 1.3.2
1.4
第四段 続いて玉鬘を訪問


1-4  Genji visits to Tamakazura too

1.4.1  まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童女の姿なまめかしく、人影あまたして、御しつらひ、あるべき限りなれど、こまやかなる御調度は、いとしも調へたまはぬを、さる方にものきよげに住みなしたまへり。
 まだたいして住み馴れていらっしゃらないわりには、あたりの様子も趣味よくして、かわいらしい童女の姿が優美で、女房の数が多く見えて、お部屋の設備も、必要な物ばかりであるが、こまごまとしたお道具類は、十分には揃えていらっしゃらないが、それなりにこざっぱりとお住みになっていらっしゃった。
 玉鬘たまかずらがここへ住んでまだ日の浅いにもかかわらず西の対の空気はしっくりと落ち着いたものになっていた。美しい童女によい好みの服装をさせたのや、若い女房などがおおぜいいて、室内の設備などはかなり行き届いてできてはいるが、まだ十分にあるべき調度が調っているのではなくてもとにかく感じよく取りなされてあった。
  Mada itaku mo sumi nare tamaha nu hodo yori ha, kehahi wokasiku si nasi te, wokasige naru warahabe no sugata namamekasiku, hitokage amata si te, ohom-siturahi, arubeki kagiri nare do, komayaka naru mi-teudo ha, ito simo totonohe tamaha nu wo, saru kata ni mono-kiyoge ni sumi nasi tamahe ri.
1.4.2  正身も、あなをかしげと、ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、 ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、髪の裾すこし細りて、さはらかにかかれるしも、いとものきよげに、ここかしこいとけざやかなるさましたまへるを、「 かくて見ざらましかば」と思すにつけても、 えしも見過ぐしたまふまじ
 ご本人も、何と美しいと、見た途端に思われて、山吹襲に一段と引き立っていらっしゃるご器量など、たいそうはなやかで、ここが暗いと思われるところがなく、どこからどこまで輝くように美しく、いつまでも見ていたいほどでいらっしゃる。つらい思いの生活をしていらっしゃった間のあったせいか、髪の裾が少し細くなって、はらりとかかっているのが、いかにもこざっぱりとして、あちらこちらがくっきりとした様子をしていらっしゃるのを、「こうして引き取らなかったら」とお思いになるにつけても、とてもこのままお見過ごしできないであろう。
 玉鬘自身もはなやかな麗人であると、見た目はすぐに感じるような、あのきわだった山吹の色の細長が似合う顔と源氏の見立てたとおりの派手はでな美人は、暗い陰影というものは、どこからも見いだせない輝かしい容姿を持っていた。苦労をしてきた間に少し少なくなった髪が、肩の下のほうでやや細くなりさらさらと分かれて着物の上にかかっているのも、かえってあざやかな清さの感ぜられることであった。今はこうして自分の庇護のもとに置くがあぶないことであったと以前のことを深く思う源氏は、この人を情人にまでせずにはおかれないのでなかろうか。
  Sauzimi mo, ana wokasige to, huto miye te, yamabuki ni motehayasi tamahe ru ohom-katati nado, ito hanayaka ni, koko zo kumore ru to miyuru tokoro naku, kuma naku nihohi kirakirasiku, mi mahosiki sama zo si tamahe ru. Monoomohi ni sidumi tamahe ru hodo no siwaza ni ya, kami no suso sukosi hosori te, saharaka ni kakare ru simo, ito mono-kiyoge ni, kokokasiko ito kezayaka naru sama si tamahe ru wo, "Kakute mi zara masika ba." to obosu ni tuke te mo, e simo misugusi tamahu mazi.
1.4.3  かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、 なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、 いとをかし
 このように何の隔てもなくお目にかかっていらっしゃるが、やはり考えて見ると、どこか打ち解けにくいところが多く妙な感じなのが、現実のような感じがなさらないので、すっかり打ち解けた態度ではいらっしゃらないのも、たいそう興を惹かれる。
 肉親のようにまでなって暮らしていながらもまだ源氏は物足りない気のすることを、自身ながらも奇怪に思われて、表面にこの感情を現わすまいと抑制していた。
  Kaku ito hedate naku mi tatematuri nare tamahe do, naho omohu ni, hedatari ohoku ayasiki ga, ututu no kokoti mo si tamaha ne ba, mahonara zu motenasi tamahe ru mo, ito wokasi.
1.4.4  「 年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、本意かなひぬるを、つつみなくもてなしたまひて、あなたなどにも渡りたまへかし。 いはけなき初琴習ふ人もあめるを、もろともに聞きならしたまへ。 うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」
 「何年にもなるような気がして、お目にかかるのも気が張らず、長年の希望が叶いましたので、ご遠慮なさらず振る舞って、あちらにもお越しください。幼い初めて琴を習う人もいますので、ご一緒にお稽古なさい。気の許せない、軽はずみな考えを持った人はいない所です」
 「私はもうずっと前からあなたがこの家の人であったような気がして満足していますが、あなたも遠慮などはしないで、私のいるほうなどにも出ていらっしゃい。琴を習い始めた女の子などもいますから、その稽古けいこを見ておやりなさい。気を置かねばならぬような曲がった性格の人などはあちらにいませんよ。私の妻などがそうですよ」
  "Tosigoro ni nari nuru kokoti si te, mi tatematuru ni mo kokoroyasuku, ho'i kanahi nuru wo, tutumi naku motenasi tamahi te, anata nado ni mo watari tamahe kasi. Ihakenaki uhigoto narahu hito mo a' meru wo, morotomoni kiki narasi tamahe. Usirometaku, ahatukeki kokoro mo' taru hito naki tokoro nari."
1.4.5  と聞こえたまへば、
 とお申し上げなさると、
 と源氏が言うと、
  to kikoye tamahe ba,
1.4.6  「 のたまはせむままにこそは
 「仰せのとおりにいたしましょう」
 「仰せどおりにいたします」
  "Notamaha se m mama ni koso ha."
1.4.7  と聞こえたまふ。 さもあることぞかし
 とお答えになる。まことに適当なお返事である。
 と玉鬘たまかずらは言っていた。もっともなことである。
  to kikoye tamahu. Samo aru koto zo kasi.
注釈42ここぞ曇れると見ゆるところなく『集成』は「陰気だと思われるところがなく」。『完訳』は「ここが疵と思われるところもなく」と訳す。1.4.2
注釈43かくて見ざらましかば源氏の心中。1.4.2
注釈44えしも見過ぐしたまふまじ語り手の源氏の心中を批評した文。後の物語発展への伏線的叙述。『集成』は「父親役では納まらないのではないか、という草子地」。『完訳』は「男女関係に発展せずにすむだろうか、とする語り手の予感」と注す。1.4.2
注釈45なほ思ふに隔たり多くあやしきがうつつの心地もしたまはねば『集成』は「やはり考えてみると、(そこは実の親ではないので)気のおけることが多く何となく落着かぬ感じなのが、夢を見ているような思いもして。玉鬘の気持」と注す。1.4.3
注釈46いとをかし『集成』は「源氏の心中の思いが、そのまま草子地と重なる」。『完訳』は「源氏の心。玉鬘の反発と警戒に、かえって惹かれる趣である」と注す。1.4.3
注釈47年ごろになりぬる心地して以下「人なき所なり」まで源氏の詞。1.4.4
注釈48いはけなき初琴習ふ人明石姫君をさす。1.4.4
注釈49うしろめたくあはつけき心持たる『集成』は「気の許せぬ、軽はずみな考えを持った」。『完訳』は「気のゆるせない、思いやりのない」と注す。1.4.4
注釈50のたまはせむままにこそは玉鬘の返事。1.4.6
注釈51さもあることぞかし『集成』は「玉鬘としては素直にお受けするほかないことだ、という意味の草子地」。『完訳』は「語り手が、玉鬘の応答に納得」と注す。1.4.7
1.5
第五段 冬の御殿の明石御方に泊まる


1-5  Genji has a night with Akashi

1.5.1  暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。近き渡殿の戸押し開くるより、御簾のうちの 追風、なまめかしく吹き匂はして、 ものよりことに気高く思さる。正身は見えず。いづらと見まはしたまふに、 硯のあたりにぎははしく、草子どもなど取り散らしたるなど取りつつ見たまふ。唐の東京錦のことことしき端さしたる茵に、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、 侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いと艶なり。手習どもの乱れうちとけたるも、筋変はり、ゆゑある書きざまなり。ことことしう草がち などにされ書かず、めやすく書きすましたり。
 暮方になるころに、明石の御方にお越しになる。近くの渡殿の戸を押し開けた途端に、御簾の中から流れてくる風が、優美に吹き漂って、他に比較して格段に気高く感じられる。本人は見えない。どこかしらと御覧になると、硯のまわりが散らかっていて、冊子類などが取り散らかしてあるのを手に取り手に取り御覧になる。唐の東京錦のたいそう立派な縁を縫い付けた敷物に、風雅な琴をちょっと置いて、趣向を凝らした風流な火桶に、侍従香を燻らせて、それぞれの物にたきしめてあるのに、衣被香の香が混じっているのは、たいそう優美である。手習いの反故が無造作に取り散らかしてあるのも、尋常ではなく、教養のある書きぶりである。大仰に草仮名を多く使ってしゃれて書かず、無難にしっとりと書いてある。
 日の暮れ方に源氏は明石あかし住居すまいへ行った。居間に近い渡殿わたどのの戸をあけた時から、もう御簾みすの中の薫香たきもののにおいが立ち迷っていて、気高けだかえんな世界へ踏み入る気がした。居間に明石の姿は見えなかった。どこへ行ったのかと源氏は見まわしているうちにすずりのあたりにいろいろな本などが出ているのに目がついた。支那しな東京錦とんきんにしきの重々しいふちを取ったしとねの上には、よい琴が出ていて、雅味のある火鉢ひばちに侍従香がくゆらしてある。その香の高い中へ、衣服にたきしめる衣被香えびこうも混じってくゆるのが感じよく思われた。そのあたりへ散った紙に手習い風の無駄むだ書きのしてある字も特色のある上手じょうずな字である。くずした漢字をたくさんには混ぜずに感じよく書かれてあるのであった。
  Kurekata ni naru hodo ni, Akasi-no-Ohomkata ni watari tamahu. Tikaki watadono no to osi akuru yori, mi-su no uti no ohikaze, namamekasiku huki nihohasi te, mono yori koto ni kedakaku obosa ru. Sauzimi ha miye zu. Idura to mimahasi tamahu ni, suzuri no atari nigihahasiku, sausi-domo nado tori-tirasi taru nado tori tutu mi tamahu. Kara no toukyauki no kotokotosiki hasi sasi taru sitone ni, wokasige naru kin uti-oki, wazato meki yosi aru hioke ni, zizyuu wo kuyurakasi te, mono goto ni sime taru ni, ebikau no ka no magahe ru, ito en nari. Tenarahi-domo no midare utitoke taru mo, sudi kahari, yuwe aru kakizama nari. Kotokotosiu saugati nado ni mo sare kaka zu, meyasuku kaki sumasi tari.
1.5.2   小松の御返りを、めづらしと見けるままに、 あはれなる古事ども書きまぜて、
 姫君のお返事を、珍しいことと感じたあまりに、しみじみとした古歌を書きつけて、
姫君から来たうぐいすの歌の返事に興奮して、身にしむ古歌などが幾つも書かれてある中に、自作もあった。
  Komatu no ohom-kaheri wo, medurasi to mi keru mama ni, ahare naru hurukoto-domo kaki maze te,
1.5.3  「 めづらしや花のねぐらに木づたひて
   谷の古巣を訪へる鴬
 「何と珍しいことか、花の御殿に住んでいる鴬が
  谷の古巣を訪ねてくれたとは
  珍しや花のねぐらに木づたひて
  谷の古巣をとへる鶯
    "Medurasi ya hana no negura ni kodutahi te
    tani no hurusu wo tohe ru uguhisu
1.5.4   声待ち出でたる
 その初便りを待っていましたこと」
 やっと聞き得た鶯の声というように悲しんで書いた
  Kowe matiide taru."
1.5.5  なども、
 などとも、
 横にはまた
  nado mo,
1.5.6  「 咲ける岡辺に家しあれば
 「咲いている岡辺に家があるので」
 「梅の花咲ける岡辺をかべに家しあれば乏しくもあらず鶯の声」
  "Sake ru wokabe ni ihe si are ba"
1.5.7  など、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、 取りて見たまひつつほほ笑みたまへる恥づかしげなり
 などと、思い返して心慰めている文句などが書き混ぜてあるのを、手に取って御覧になりながら微笑んでいらっしゃるのは、気がひけるほど立派である。
 と書いて、みずから慰めても書かれてある。源氏はこの手習い紙をながめながら微笑ほほえんでいた。書いた人はきまりの悪い話である。
  nado, hikikahesi nagusame taru sudi nado kakimaze tutu aru wo, tori te mi tamahi tutu hohowemi tamahe ru, hadukasige nari.
1.5.8  筆さし濡らして書きすさみたまふほどに、 ゐざり出でてさすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを、「 なほ、人よりはことなり」と思す。 白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、「 新しき年の御騒がれもや」と、つつましけれど、こなたに泊りたまひぬ。「 なほ、おぼえことなりかし」と、方々に心おきて思す。
 筆をちょっと濡らして書き戯れていらっしゃるところに、いざり出て来て、そうはいっても自分自身の振る舞いは、慎み深くて、程よい心がけなのを、「やはり、他の女性とは違うな」とお思いになる。白い小袿に、くっきりと映える髪のかかり具合が、少しはらりとする程度に薄くなっていたのも、いっそう優美さが加わって慕わしいので、「新年早々に騒がれることになろうか」と、気にかかるが、こちらにお泊まりになった。「やはり、ご寵愛は格別なのだ」と、他の方々は面白からずお思いになる。
 筆に墨をつけて、源氏もその横へ何かを書きすさんでいる時に明石は膝行いざり出た。思い上がった女性ではあるが、さすがに源氏に主君としての礼を取る態度が謙遜けんそんであった。この聡明そうめいさは明石の魅力でもあった。白い服へ鮮明に掛かった黒髪のすそが少し薄くなって、きれいに分かれた筋を作っているのもかえってなまめかしい。源氏は心がかれて、新春の第一夜をここに泊まることは紫夫人を腹だたせることになるかもしれぬと思いながら、そのまま寝てしまった。六条院の他の夫人の所ではこの現象は明石夫人がいかに深く愛されているかを思わせるものであると言っていた。
  Hude sasi-nurasi te kaki susami tamahu hodo ni, wizariide te, sasugani midukara no motenasi ha, kasikomari oki te, meyasuki youi naru wo, "Naho, hito yori ha koto nari." to obosu. Siroki ni, kezayaka naru kami no kakari no, sukosi saharaka naru hodo ni usuragi ni keru mo, itodo namamekasisa sohi te, natukasikere ba, "Atarasiki tosi no ohom-sahagare mo ya?" to, tutumasikere do, konata ni tomari tamahi nu. "Naho, oboye koto nari kasi." to, katagata ni kokorooki te obosu.
1.5.9   南の御殿には、まして めざましがる人びとありまだ曙のほどに渡りたまひぬかうしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、 名残もただならず、あはれに思ふ
 南の御殿では、それ以上にけしからぬと思う女房たちがいる。まだ暁のうちにお帰りになった。そんなに急ぐこともないまだ暗いうちなのに、と思うと、送り出した後も気持ちが落ち着かず、寂しい気がする。
 まして南の御殿の人々はくやしがった。源氏はまだようやくあけぼのぐらいの時刻に南御殿へ帰った。こんなに早く出て行かないでもいいはずであるのにと、明石はそのあとでやはり物思わしい気がした。
  Minami no otodo ni ha, masite mezamasigaru hitobito ari. Mada akebono no hodo ni watari tamahi nu. Kau simo aru maziki yobukasa zo kasi to omohu ni, nagori mo tada nara zu, ahare ni omohu.
1.5.10   待ちとりたまへるはたなまけやけしと思すべかめる心のうち、量られたまひて、
 お待ちになっていた方でもまた、何やら面白くないようなお思いでいるにちがいない心の中が、推量されずにはいらっしゃれないので、
 紫の女王はまして、失敬なことであると、不快に思っているはずの心がらを察して、
  Matitori tamahe ru hata, nama-keyakesi to obosu beka' meru kokoro no uti, hakara re tamahi te,
1.5.11  「 あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで」
 「いつになくうたた寝をして、年がいもなく寝込んでしまいましたのを、起こしても下さらないで」
 「ちょっとうたた寝をして、若い者のようによく寝入ってしまった私を、迎えにもよこしてくれませんでしたね」
  "Ayasiki utatane wo si te, wakawakasikari keru igitanasa wo, sasimo odorokasi tamaha de."
1.5.12  と、御けしきとりたまふもをかしく見ゆ。ことなる御いらへもなければ、わづらはしくて、そら寝をしつつ、日高く御殿籠もり起きたり。
 と、ご機嫌をおとりになるのも面白く見える。特にお返事もないので、厄介なことだと、狸寝入りをしながら、日が高くなってからお起きになった。
 こんなふうにも言って機嫌きげんを取っているのもおもしろく思われた。打ち解けた返辞のしてもらえない源氏は困ったままで、そのまま寝入ったふうを作ったが、朝はずっとおそくなって起きた。
  to, mi-kesiki tori tamahu mo wokasiku miyu. Koto naru ohom-irahe mo nakere ba, wadurahasiku te, sorane wo si tutu, hi takaku ohotonogomori oki tari.
注釈52ものよりことに『集成』は「ほかに比べ格段に」。『完訳』は「なによりまして格別の」と訳す。1.5.1
注釈53硯のあたりにぎははしく、草子どもなど取り散らしたるなど『集成』は「朝方、明石の姫君に手紙を書いたあと、そのままなのだろう。ここは和歌の草子であろう」。『完訳』は「朝方、姫君に消息したまま、来訪の源氏に歌反故を見せようとする下心か」と注す。1.5.1
注釈54小松の御返りを「小松」は姫君を喩える。1.5.2
注釈55めづらしや花のねぐらに木づたひて--谷の古巣を訪へる鴬明石御方の独詠歌。「花のねぐら」は春の御殿、「谷の古巣」は明石の冬の御殿、「鴬」は姫君を喩える。『完訳』は「養母に愛育されつつも実母を顧みる姫君を、感動的に受けとめた歌」と注す。1.5.3
注釈56声待ち出でたる歌に添えた言葉。「鴬の音なき声を待つとても訪ひし初音の思ほゆるかな」(斎宮女御集、二一二)。1.5.4
注釈57咲ける岡辺に家しあれば『源氏釈』は「梅の花咲ける岡辺に家し乏しくもあらず鴬の声」(古今六帖、鴬、四三五八)を指摘。『集成』は「姫とは家が近いので、いずれこれからもお便りが頂けよう、という気持を託したもの」と注す。1.5.6
注釈58取りて見たまひつつほほ笑みたまへる主語は源氏。1.5.7
注釈59恥づかしげなり語り手の源氏の態度を批評した言辞。1.5.7
注釈60ゐざり出でて主語は明石御方。1.5.8
注釈61さすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて『集成』は「そうはいっても明石の上自身の振舞は、(源氏に対しては)遜って礼儀に適った態度であるのを。前に、「ものよりことに気高くおぼさる」とあった」。『完訳』は「自らの憂愁をおし隠して遠慮がちにふるまう」と注す。1.5.8
注釈62なほ人よりはことなり源氏の感想。1.5.8
注釈63白きに白の小袿の上にの意。1.5.8
注釈64新しき年の御騒がれもや源氏の心中。1.5.8
注釈65なほおぼえことなりかし六条院の御夫人方の心中。「思す」という敬語表現があるので。1.5.8
注釈66南の御殿には紫の上方。1.5.9
注釈67めざましがる人びとあり女房たちである。1.5.9
注釈68まだ曙のほどに渡りたまひぬ明石の御殿から紫の上の御殿へ。『完訳』は「「曙」は空の明るくなる時刻。男の帰る時刻としては、やや遅い。それをさへ「夜深き」と不満に思う明石の君の秘められた情念に注意」と注す。1.5.9
注釈69かうしもあるまじき夜深さぞかし明石御方の心中。1.5.9
注釈70名残もただならずあはれに思ふ源氏を送り出した後の明石御方の心境。1.5.9
注釈71待ちとりたまへるはた以下、源氏の紫の上の心中を忖度した視点にそった叙述。1.5.10
注釈72あやしきうたた寝をして以下「おどろかしたまはで」まで、源氏の詞。1.5.11
出典8 咲ける岡辺に家しあれば 梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鴬の声 古今六帖六-四三八五 1.5.6
校訂6 追風 追風--上(上/$追<朱>)風 1.5.1
校訂7 侍従を 侍従を--侍従(従/+を<朱>) 1.5.1
校訂8 などに などに--なと(と/+に<朱>) 1.5.1
校訂9 され され--さえ(え/$れ<朱>) 1.5.1
校訂10 あはれなる あはれなる--あはれ(れ/+な)る 1.5.2
校訂11 訪へる 訪へる--とつ(つ/$へ<朱>)る 1.5.3
校訂12 出で 出で--て(て/$出<朱>) 1.5.4
校訂13 なま なま--なさ(さ/$ま<朱>) 1.5.10
1.6
第六段 六条院の正月二日の臨時客


1-6  Guests come to greet to Rokujo-in on the day of January 2

1.6.1   今日は、臨時客のことに紛らはして ぞ、面隠したまふ。上達部、親王たちなど、例の、残りなく参りたまへり。御遊びありて、引出物、禄など、二なし。 そこら集ひたまへるが、我も劣らじともてなしたまへるなかにも、 すこしなずらひなるだにも見えたまはぬものかな。とり放ちては、いと有職多くものしたまふころなれど、御前にては気圧されたまふも、 悪しかし。何の数ならぬ下部どもなどだに、この院に参る日は、心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部などは、 思ふ心などものしたまひて 、すずろに心懸想したまひつつ、常の年よりもことなり。
 今日は、臨時の客にかこつけて、顔を合わせないようにしていらっしゃる。上達部や、親王たちなどが、例によって、残らず参上なさった。管弦のお遊びがあって、引出物や、禄など、またとなく素晴らしい。大勢お集りの方々が、どなたも人に負けまいと振る舞っていらっしゃる中でも、少しも肩を並べられる方もお見えにならないことよ。一人一人を見れば、才学のある人が多くいらっしゃるころなのだが、御前に出ると圧倒されておしまいになる、困ったことである。ものの数にも入らぬ下人たちでさえ、この院に参上するには、気の配りようが格別なのであった。ましてや若々しい上達部などは、心中に思うところがおありになって、むやみに緊張なさっては、例年よりは格別である。
 正月の二日は臨時の饗宴きょうえんを催すことになっていたために、忙しいふうをして源氏はきまり悪さを紛らせていた。親王がたも高官たちもほとんど皆六条院の新年宴会に出席した。音楽の遊びがあって贈り物に纏頭てんとうに六条院にのみよくする華奢かしゃが見えた。多数の縉紳しんしんは皆きらびやかに風采ふうさいを作っているが、源氏に準じて見えるほどの人もないのであった。個別的に見ればりっぱな人の多い時ではあるが、源氏の前では光彩を失ってしまうのが気の毒である。つまらぬ下僕しもべなども主人に従って六条院へ来る時には、服装も身の取りなしをも晴れがましく思うのであったから、まして年若な高官たちは妙齢の姫君が新たに加わった六条院の参座には夢中になるほど容姿を気にして来て、平年と違った光景が現出された新春であった。
  Kehu ha, rinzikaku no koto ni magirahasi te zo, omo kakusi tamahu. Kamdatime, Miko-tati nado, rei no, nokori naku mawiri tamahe ri. Ohom-asobi ari te, hikidemono, roku nado, ninasi. Sokora tudohi tamahe ru ga, ware mo otora zi to motenasi tamahe ru naka ni mo, sukosi nazurahi naru dani mo miye tamaha nu mono kana! Torihanati te ha, ito iusoku ohoku monosi tamahu koro nare do, omahe nite ha keosa re tamahu mo, warusi kasi. Nani no kazu nara nu simobe-domo nado dani, kono Win ni mawiru hi ha, kokorodukahi koto nari keri. Masite wakayaka naru Kamdatime nado ha, omohu kokoro nado monosi tamahi te, suzuro ni kokorogesau si tamahi tutu, tune no tosi yori mo koto nari.
1.6.2   花の香誘ふ夕風、のどやかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれは誰れ時なるに、物の調べどもおもしろく、「 この殿」うち出でたる 拍子、いとはなやかなり。大臣も時々声うち添へたまへる「 さき草」の末つ方、いとなつかしくめでたく聞こゆ。何ごとも、さしいらへしたまふ 御光にはやされて、色をも音をも増すけぢめ、 ことになむ分かれける
 花の香りを乗せて夕風が、のどやかに吹いて来ると、お庭先の梅が次第にほころび出して、黄昏時なので、楽の音色なども美しく、「この殿」を謡い出した拍子は、たいそうはなやかな感じである。大臣も時々お声を添えなさる「さき草」の末の方は、とても優美で素晴らしく聞こえる。何もかも、お声を添えられる素晴らしさに引き立てられて、花の色も楽の音も格段に映える点が、はっきりと感じられるのであった。
 春の花を誘う夕風がのどかに吹いていた。前の庭の梅が少し咲きそめたこの黄昏たそがれ時に、楽音がおもしろく起こって来た。「この殿」が最初に歌われて、はなやかな気分がまず作られたのである。源氏も時々声を添えた。福草さきぐさの三つ葉四つ葉にというあたりがことにおもしろく聞かれた。どんなことにも源氏の片影が加わればそのものが光づけられるのである。
  Hana no ka sasohu yuhukaze, nodoyaka ni uti-huki taru ni, omahe no mume yauyau himotoki te, arehataredoki naru ni, mono no sirabe-domo omosiroku, Kono tono utiide taru hyausi, ito hanayaka nari. Otodo mo tokidoki kowe uti-sohe tamahe ru Saki kusa no suwe tu kata, ito natukasiku medetaku kikoyu. Nanigoto mo, sasiirahe si tamahu ohom-hikari ni hayasa re te, iro wo mo ne wo mo masu kedime, kotoni nam waka re keru.
注釈73今日は臨時客のことに紛らはして摂関大臣家の臨時客は正月二日を通例とする。それに倣う。1.6.1
注釈74そこら集ひたまへる『集成』は「以下、草子地」と注す。1.6.1
注釈75すこしなずらひなるだにも見えたまはぬものかな『完訳』は「多少とも源氏に比肩できる者さえいないとする、語り手の評言」と注す。1.6.1
注釈76悪しかし『集成』は「だらしないことです。草子地」。『完訳』は「情けない、とする語り手の評」と注す。1.6.1
注釈77思ふ心などものしたまひて玉鬘に対する関心である。1.6.1
注釈78花の香誘ふ夕風「花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬さそふしるべにはやる」(古今集春上、一三、紀友則)1.6.2
注釈79この殿うち出でたる催馬楽「この殿はむべもむべも富みけりさき草のあはれさき草のはれさき草の三つば四つばの中に殿づくりせりや殿づくりせりや」(「この殿は」)。1.6.2
注釈80さき草の末つ方催馬楽「この殿は」の歌詞の一部。1.6.2
注釈81御光にはやされて「光」は最高の美的形容。1.6.2
注釈82ことになむ分かれける『集成』は「ほかの場合と全く違うのであった」。『完訳』は「そのけじめがはっきりと感じられるのであった」と訳す。1.6.2
出典9 花の香誘ふ夕風 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる 古今集春上-一三 紀友則 1.6.2
山風の花の香誘ふ麓には春の霞ぞほだしなりける 後撰集春中-七三 藤原興風
出典10 この殿 この殿は もべも むべも富みけり 三枝の あはれ 三枝の はれ 三つ葉 四つ葉の中に 殿造りせりや 殿造りせりや 催馬楽-この殿は 1.6.2
校訂14 臨時客 臨時客--りひ(ひ/$む<朱>)しかく 1.6.1
校訂15 など など--なとの(の/$<朱>) 1.6.1
Last updated 11/22/2009(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 11/22/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/10/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月22日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 11/22/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2024/9/21に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 4.00: Copyright (c) 2003,2024 宮脇文経