第二十五帖 蛍


25 HOTARU (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の五月雨期の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, rainy days in May at the age of 36

1
第一章 玉鬘の物語 蛍の光によって姿を見られる


1  Tale of Tamakazura  She is shown her figure by Hyoubukyou-no-Miya through a light of fireflies

1.1
第一段 玉鬘、養父の恋に悩む


1-1  Tamakazura is troubuled with her stepfather's love

1.1.1   今はかく重々しきほどに、よろづのどやかに思ししづめたる御ありさまなれば、 頼みきこえさせたまへる人びと、さまざまにつけて、皆思ふさまに定まり、ただよはしからで、あらまほしくて過ぐしたまふ。
 今はこのように重々しい身分ゆえに、何事にももの静かに落ち着いていらっしゃるご様子なので、ご信頼申し上げていらっしゃる方々は、それぞれ身分に応じて、皆思いどおりに落ち着いて、不安もなく、理想的にお過ごしになっている。
 源氏の現在の地位はきわめて重いがもう廷臣としての繁忙もここまでは押し寄せて来ず、のどかな余裕のある生活ができるのであったから、源氏を信頼して来た恋人たちにもそれぞれ安定を与えることができた。
  Ima ha kaku omoomosiki hodo ni, yorodu nodoyaka ni obosi sidume taru ohom-arisama nare ba, tanomi kikoye sase tamahe ru hitobito, samazama ni tuke te, mina omohu sama ni sadamari, tadayohasi kara de, aramahosiku te sugusi tamahu.
1.1.2   対の姫君こそいとほしく、思ひのほかなる思ひ添ひて、いかにせむと思し乱るめれ。 かの監が憂かりしさまには、なずらふべきけはひならねど、かかる筋に、かけても人の思ひ寄りきこゆべきことならねば、 心ひとつに思しつつ、「様ことに疎まし」と思ひきこえたまふ。
 対の姫君だけは、気の毒に、思いもしなかった悩みが加わって、どうしようかしらと困っていらしゃるようである。あの監が嫌だった様子とは比べものにならないが、このようなことで、夢にも回りの人々がお気づき申すはずのないことなので、自分の胸一つをお痛めになりながら、「変なことで嫌らしい」とお思い申し上げなさる。
 しかもたいの姫君だけは予期せぬ煩悶はんもんをする身になっていた。大夫たゆうげんの恐ろしい懸想けそうとはいっしょにならぬにもせよ、だれも想像することのない苦しみが加えられているのであったから、源氏に持つ反感は大きかった。
  Tai-no-Himegimi koso, itohosiku, omohi no hoka naru omohi sohi te, ikani se m to obosi midaru mere. Kano Gen ga ukari si sama ni ha, nazurahu beki kehahi nara ne do, kakaru sudi ni, kakete mo hito no omohiyori kikoyu beki koto nara ne ba, kokoro hitotu ni obosi tutu, "Sama koto ni utomasi" to omohi kikoye tamahu.
1.1.3   何ごとをも思し知りにたる御齢なれば、とざまかうざまに思し集めつつ、母君のおはせずなりにける口惜しさも、またとりかへし惜しく悲しくおぼゆ。
 どのようなことでもご分別のついているお年頃なので、あれやこれやとお考え合わせになっては、母君がお亡くなりになった無念さを、改めて惜しく悲しく思い出される。
 母君さえ死んでいなかったならと、またこの悲しみを新たにすることになったのであった。
  Nanigoto wo mo obosi siri ni taru ohom-yohahi nare ba, tozamakauzama ni obosi atume tutu, Hahagimi no ohase zu nari ni keru kutiwosisa mo, mata torikahesi wosiku kanasiku oboyu.
1.1.4  大臣も、うち出でそめたまひては、なかなか苦しく思せど、人目を憚りたまひつつ、はかなきことをもえ聞こえたまはず、苦しくも思さるるままに、しげく渡りたまひつつ、御前の人遠く、のどやかなる折は、 ただならずけしきばみきこえたまふごとに胸つぶれつつ、けざやかにはしたなく聞こゆべきにはあらねば、ただ見知らぬさまにもてなしきこえたまふ。
 大臣も、お口にいったんお出しになってからは、かえって苦しくお思いになるが、人目を遠慮なさっては、ちょっとした言葉もお話しかけになれず、苦しくお思いになるので、頻繁にお越しになっては、お側に女房などもいなくて、のんびりとした時には、穏やかならぬ言い寄りをなさるたびごとに、胸を痛め痛めしては、はっきりとお拒み申し上げることができないので、ただ素知らぬふりをしてお相手申し上げていらっしゃる。
 源氏も打ち明けてからはいっそう恋しさに苦しんでいるのであるが、人目をはばかってまたこのことには触れない。ただ堪えがたい心だけを慰めるためによく出かけて来たが、玉鬘たまかずらのそばに女房などのあまりいない時にだけは、はっと思わせられるようなことも源氏は言った。あらわに退けて言うこともできないことであったから玉鬘はただ気のつかぬふうをするだけであった。
  Otodo mo, utiide some tamahi te ha, nakanaka kurusiku obose do, hitome wo habakari tamahi tutu, hakanaki koto wo mo e kikoye tamaha zu, kurusiku mo obosa ruru mama ni, sigeku watari tamahi tutu, omahe no hito tohoku, nodoyaka naru wori ha, tadanarazu kesikibami kikoye tamahu goto ni, mune tubure tutu, kezayaka ni hasitanaku kikoyu beki ni ha ara ne ba, tada misira nu sama ni motenasi kikoye tamahu.
1.1.5  人ざまのわららかに、気近くものしたまへば、 いたくまめだち、心したまへど、なほをかしく愛敬づきたるけはひのみ見えたまへり。
 人柄が明朗で、人なつこくいらっしゃるので、とてもまじめぶって、用心していらっしゃるが、やはりかわいらしく魅力的な感じばかりが目立っていらっしゃる。
 人柄が明るい朗らかな玉鬘であったから、自分自身ではまじめ一方な気なのであるが、それでもこぼれるような愛嬌あいきょうが何にも出てくるのを、
  Hitozama no wararaka ni, kedikaku monosi tamahe ba, itaku mamedati, kokoro si tamahe do, naho wokasiku aigyauduki taru kehahi nomi miye tamahe ri.
注釈1今はかく重々しきほどに源氏、太政大臣、三十六歳夏五月。1.1.1
注釈2頼みきこえさせたまへる人びと六条院や二条東院の御夫人方をさす。1.1.1
注釈3対の姫君こそ玉鬘をさす。夏の町の西の対屋の元文殿であった所を居所とする(「玉鬘」第四章四段)。1.1.2
注釈4いとほしく『完訳』は「気の毒にも。語り手の評」と注す。1.1.2
注釈5かの監が憂かりし筑紫にいたころの大夫督をさす。1.1.2
注釈6心ひとつに思しつつ接続助詞「つつ」同じ動作の繰り返しの意。『完訳』は「度重なる源氏の求愛を暗示」と注す。1.1.2
注釈7何ごとをも思し知りにたる御齢なれば玉鬘二十二歳。前の「胡蝶巻」では、年齢のわりには男女関係に疎遠で無知であると語られていた。その間の経緯が想像される。1.1.3
注釈8ただならずけしきばみきこえたまふごとに源氏が密かに玉鬘に対して恋情を訴える意。1.1.4
注釈9胸つぶれつつけざやかにはしたなく聞こゆべきにはあらねば主語は玉鬘。源氏の身分や人柄を思い、また自分への厚意をも思うゆえの苦慮。1.1.4
注釈10いたくまめだち心したまへど主語は玉鬘。『完訳』は「まじめに構えても、やはり可憐な魅力は紛れようもない、の意」と注す。1.1.5
1.2
第二段 兵部卿宮、六条院に来訪


1-2  Hyoubukyou-no-Miya visits to Rokujoin

1.2.1  兵部卿宮などは、まめやかにせめきこえたまふ。御労のほどはいくばくならぬに、 五月雨になりぬる愁へをしたまひて、
 兵部卿宮などは、真剣になってお申し込みなさる。お骨折りの日数はそれほどたってないのに、五月雨になってしまった苦情を訴えなさって、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮などはお知りになって、夢中なほどに恋をしておいでになった。まだたいして長い月日がたったわけではないが、確答も得ないうちに不結婚月の五月にさえなったと恨んでおいでになって、
  Hyaubukyau-no-Miya nado ha, mameyaka ni seme kikoye tamahu. Go-rau no hodo ha ikubaku nara nu ni, samidare ni nari nuru urehe wo si tamahi te,
1.2.2  「 すこし気近きほどをだに許したまはば、思ふことをも、片端はるけてしがな」
 「もう少しお側近くに上がることだけでもお許し下さるならば、思っていることも、少しは晴らしたいものですね」
 ただもう少し近くへ伺うことをお許しくだすったら、その機会に私の思い悩んでいる心を直接おらしして、それによってせめて慰みたいと思います。
  "Sukosi kedikaki hodo wo dani yurusi tamaha ba, omohu koto wo mo, katahasi haruke te si gana!"
1.2.3  と、聞こえたまへるを、殿御覧じて、
 と、申し上げになさるのを、殿が御覧になって、
 こんなことをお書きになった手紙を源氏は読んで、
  to, kikoye tamahe ru wo, Tono goranzi te,
1.2.4  「 なにかは。この君達の好きたまはむは、見所ありなむかし。もて離れてな聞こえたまひそ。御返り、時々聞こえたまへ」
 「何のかまうことがあろうか。この公達が言い寄られるのは、きっと風情があろう。そっけないお扱いをなさるな。お返事は、時々差し上げなさい」
 「そうすればいいでしょう。宮のような風流男のする恋は、近づかせてみるだけの価値はあるでしょう。絶対にいけないなどとは言わないほうがよい。お返事を時々おあげなさいよ」
  "Nanikaha? Kono Kimdati no suki tamaha m ha, midokoro ari na m kasi. Mote-hanare te na kikoye tamahi so. Ohom-kaheri, tokidoki kikoye tamahe."
1.2.5  とて、教へて書かせたてまつりたまへど、いとどうたておぼえたまへば、「乱り心地悪し」とて、聞こえたまはず。
 とおっしゃって、教えてお書かせ申し上げなさるが、ますます不愉快なことに思われなさるので、「気分が悪い」と言って、お書きにならない。
 と源氏は言って文章をこう書けとも教えるのであったが、何重にも重なる不快というようなものを感じて、気分が悪いから書かれないと玉鬘は言った。
  tote, wosihe te kaka se tatematuri tamahe do, itodo utate oboye tamahe ba, "Midarigokoti asi." tote, kikoye tamaha zu.
1.2.6  人びとも、ことにやむごとなく寄せ重きなども、をさをさなし。ただ、 母君の御叔父なりける、宰相ばかりの人の娘にて、心ばせなど口惜しからぬが、世に衰へ残りたるを、尋ねとりたまへる、 宰相の君とて、手などもよろしく書き、おほかたも大人びたる人なれば、さるべき折々の 御返りなど書かせたまへば、召し出でて、言葉などのたまひて書かせたまふ。
 女房たちも、特に家柄がよく声望の高い者などもほとんどいない。ただ一人、母君の叔父君であった、宰相程度の人の娘で、嗜みなどさほど悪くはなく、世に落ちぶれていたのを、探し出されたのが、宰相の君と言って、筆跡などもまあまあに書いて、だいたいがしっかりした人なので、しかるべき折々のお返事などをお書かせになっていたのを、召し出して、文言などをおっしゃって、お書かせになる。
 こちらの女房には貴族出の優秀なような者もあまりないのである。ただ母君の叔父おじの宰相の役を勤めていた人の娘で怜悧れいりな女が不幸な境遇にいたのを捜し出して迎えた宰相の君というのは、字などもきれいに書き、落ち着いた後見役も勤められる人であったから、玉鬘が時々やむをえぬ男の手紙に返しをする代筆をさせていた。
  Hitobito mo, koto ni yamgotonaku yose omoki nado mo, wosawosa nasi. Tada, Hahagimi no ohom-wodi nari keru, Saisyau bakari no hito no musume nite, kokorobase nado kutiwosikara nu ga, yo ni otorohe nokori taru wo, tadune tori tamahe ru, Saisyau-no-Kimi tote, te nado mo yorosiku kaki, ohokata mo otonabi taru hito nare ba, sarubeki woriwori no ohom-kaheri nado kaka se tamahe ba, mesiide te, kotoba nado notamahi te kaka se tamahu.
1.2.7   ものなどのたまふさまを、ゆかしと思すなるべし
 お口説きになる様子を御覧になりたいのであろう。
 その人を源氏は呼んで、口授して宮へのお返事を書かせた。
  Mono nado notamahu sama wo, yukasi to obosu naru besi.
1.2.8  正身は、かくうたてあるもの嘆かしさの後は、 この宮などは、あはれげに聞こえたまふ時は、すこし見入れたまふ時もありけり。何かと 思ふにはあらず、「 かく心憂き御けしき見ぬわざもがな」と、 さすがにされたるところつきて思しけり
 ご本人は、こうした心配事が起こってから後は、この宮などには、しみじみと情のこもったお手紙を差し上げなさる時は、少し心をとめて御覧になる時もあるのだった。特に関心があるというのではないが、「このようなつらい殿のお振る舞いを見ないですむ方法がないものか」と、さすがに女らしい風情がまじる思いにもなるのだった。
 聞いていて玉鬘が何と言うかを源氏は聞きたかったのである。姫君は源氏に恋をささやかれた時から、兵部卿の宮などの情をこめてお送りになる手紙などを、少し興味を持ってながめることがあった。心がそのほうへ動いて行くというのではなしに、源氏の恋からのがれるためには、兵部卿の宮に好意を持つふうを装うのも一つの方法であると思うのである。この人にも技巧的な考えが出るものである。
  Sauzimi ha, kaku utate aru mono-nagekasisa no noti ha, kono Miya nado ha, aharege ni kikoye tamahu toki ha, sukosi miire tamahu toki mo ari keri. Nanika to omohu ni ha ara zu, "Kaku kokorouki mi-kesiki mi nu waza mo gana!" to, sasuga ni sare taru tokoro tuki te obosi keri.
1.2.9   殿は、あいなくおのれ心懸想して、宮を待ちきこえたまふも 知りたまはで、よろしき御返りのあるをめづらしがりて、いと忍びやかにおはしましたり。
 殿は、勝手に心ときめかしなさって、宮をお待ち申し上げていらっしゃるのもご存知なくて、まあまあのお返事があるのを珍しく思って、たいそうこっそりといらっしゃった。
 源氏自身がおもしろがって宮をお呼び寄せしようとしているとは知らずに、思いがけず訪問を許すという返事をお得になった宮は、お喜びになって目だたぬふうでたずねておいでになった。
  Tono ha, ainaku onore kokorogesau si te, Miya wo mati kikoye tamahu mo siri tamaha de, yorosiki ohom-kaheri no aru wo medurasigari te, ito sinobiyaka ni ohasimasi tari.
1.2.10   妻戸の間に御茵参らせて、御几帳ばかりを隔てにて、近きほどなり。
 妻戸の間にお敷物を差し上げて、御几帳だけを間に隔てとした近い場所である。
 妻戸の室に敷き物を設けて几帳きちょうだけの隔てで会話がなさるべくできていた。
  Tumado no ma ni ohom-sitone mawira se te, mi-kityau bakari wo hedate nite, tikaki hodo nari.
1.2.11  いといたう心して、空薫物心にくきほどに匂はして、つくろひおはするさま、親にはあらで、 むつかしきさかしら人の、さすがにあはれに見えたまふ。宰相の君なども、 人の御いらへ聞こえむこともおぼえず、恥づかしくてゐたるを、「 埋もれたり」と、ひきつみたまへば、いとわりなし
 とてもたいそう気を配って、空薫物を奥ゆかしく匂わして、世話をやいていらっしゃる様子、親心ではなくて、手に負えないおせっかい者の、それでも親身なお扱いとお見えになる。宰相の君なども、お返事をお取り次ぎ申し上げることなども分からず、恥ずかしがっているのを、「引っ込み思案だ」と、おつねりになるので、まこと困りきっている。
 心憎いほどの空薫そらだきをさせたり、姫君の座をつくろったりする源氏は、親でなく、よこしまな恋を持つ男であって、しかも玉鬘たまかずらの心にとっては同情される点のある人であった。宰相の君なども会話の取り次ぎをするのが晴れがましくてできそうな気もせず隠れているのを源氏は無言で引き出したりした。
  Ito itau kokoro si te, soradakimono kokoronikuki hodo ni nihohasi te, tukurohi ohasuru sama, oya ni ha ara de, mutukasiki sakasirabito no, sasuga ni ahare ni miye tamahu. Saisyau-no-Kimi nado mo, hito no ohom-irahe kikoye m koto mo oboye zu, hadukasiku te wi taru wo, "Mumore tari." to, hiki-tumi tamahe ba, ito warinasi.
注釈11五月雨になりぬる愁へ五月は結婚を忌む風習があった。「神代より忌むといふなる五月雨のこなたに人を見るよしもがな」(信明集、五六)。1.2.1
注釈12すこし気近きほどを以下「はるけてしかな」まで、蛍兵部卿宮の詞。1.2.2
注釈13なにかは以下「時々聞こえたまへ」まで、源氏の詞。1.2.4
注釈14母君の御叔父なりける宰相ばかりの人の娘にて夕顔の父三位中将の兄弟で、宰相になった人の娘。すなわち玉鬘とは従姉妹に当たる人。1.2.6
注釈15宰相の君とて父親の官職名にちなむ女房名。上臈の格式。1.2.6
注釈16御返りなど書かせたまへば『新大系』は「(源氏が宰相の君に)書かせていらっしゃるので、(この度も)お召し出しになり、宰相君が代筆しなれているので、受け取った宮は玉鬘の自筆と思うはずだとする源氏の思惑による」と注す。1.2.6
注釈17ものなどのたまふさまをゆかしと思すなるべし『集成』は「宮が玉鬘に言い寄られる様子を、見たいとお思いなのであろう。草子地。手紙が宮の訪問を許すような趣の文面であることを暗示して、次の場面の伏線」。『完訳』は「宮の反応に源氏が興味を抱くらしい、とする語り手の推測」と注す。1.2.7
注釈18この宮などは係助詞「は」峻別の意。他の人はともかくもこの蛍兵部卿宮だけは、のニュアンス。1.2.8
注釈19かく心憂き御けしき見ぬわざもがな玉鬘の心中。「御けしき」は源氏の懸想ばみた振る舞いをさす。1.2.8
注釈20さすがにされたるところつきて思しけり『集成』は「なかなかのところがあってお思いなのだった」。『完訳』は「源氏を拒みながらも、やはり女らしく宮に情ある態度をとる」と注す。1.2.8
注釈21殿はあいなくおのれ心懸想して形容詞「あいなく」は語り手の言辞、挿入語句。『完訳』も「「あいなく」は語り手の評」と注す。1.2.9
注釈22知りたまはで主語は蛍兵部卿宮。1.2.9
注釈23妻戸の間に御茵参らせて妻戸を入った所の廂間に敷物を用意した。1.2.10
注釈24むつかしきさかしら人の『完訳』は「手に負えないおせっかい者が。語り手の揶揄」と注す。1.2.11
注釈25人の御いらへ聞こえむこともおぼえず「人」は玉鬘をさす。玉鬘の宮へのお返事をお取り次ぎ申し上げること。1.2.11
注釈26埋もれたりとひきつみたまへばいとわりなし源氏が宰相の君を。『集成』は「気が利かぬと、おつねりになるので、困り果てている。やや諧謔を弄した筆致。「埋る」は、引っ込んでいる、の意。「いとわりなし」は、仕方なく取次ぎの役を勤めねばならぬ宰相の君の気持を直接書くことによって地の文としたもの」と注す。1.2.11
出典1 五月雨になりぬる愁へ 神代より忌むといふなる五月雨のこなたに人を見るよしもがな 信明集-五六 1.2.1
侘びつつも頼む月日はあるものを五月雨にさへなりにけるかな 花鳥余情所引-出典未詳
校訂1 思ふには 思ふには--おもふに(に/+は) 1.2.8
1.3
第三段 玉鬘、夕闇時に母屋の端に出る


1-3  Tamakazura moves near front of moya in the dusk

1.3.1   夕闇過ぎて、おぼつかなき空のけしきの曇らはしきに、うちしめりたる 宮の御けはひも、いと艶なり。うちよりほのめく追風も、いとどしき御匂ひのたち添ひたれば、いと深く薫り満ちて、かねて 思ししよりもをかしき御けはひを、心とどめたまひけり。
 夕闇のころが過ぎて、はっきりしない空模様も曇りがちで、物思わしげな宮のご様子も、とても優美である。内側からほのかに吹いてくる追い風も、さらに優れた殿のお香の匂いが添わっているので、とても深く薫り満ちて、予想なさっていた以上に素晴らしいご様子に、お心を惹かれなさるのだった。
 夕闇ゆうやみ時が過ぎて、暗く曇った空を後ろにして、しめやかな感じのする風采ふうさいの宮がすわっておいでになるのもえんであった。奥の室から吹き通う薫香たきものの香に源氏の衣服から散る香も混じって宮のおいでになるあたりはにおいに満ちていた。予期した以上の高華こうげな趣の添った女性らしくまず宮はお思いになったのであった。
  Yuhuyami sugi te, obotukanaki sora no kesiki no kumorahasiki ni, uti-simeri taru Miya no ohom-kehahi mo, ito en nari. Uti yori honomeku ohikaze mo, itodosiki ohom-nihohi no tatisohi tare ba, ito hukaku kawori miti te, kanete obosi si yori mo wokasiki ohom-kehahi wo, kokoro todome tamahi keri.
1.3.2  うち出でて、思ふ心のほどを のたまひ続けたる言の葉、おとなおとなしく、ひたぶるに好き好きしくはあらで、いとけはひことなり。大臣、いとをかしと、ほの聞きおはす。
 お口に出して、思っている心の中をおっしゃり続けるお言葉は、落ち着いていて、一途な好き心からではなく、とても態度が格別である。大臣は、とても素晴らしいと、ほのかに聞いていらっしゃる。
 宮のお語りになることは、じみな落ち着いた御希望であって、情熱ばかりを見せようとあそばすものでもないのが優美に感ぜられた。源氏は興味をもってこちらで聞いているのである。
  Utiide te, omohu kokoro no hodo wo notamahi tuduke taru kotonoha, otonaotonasiku, hitaburu ni sukizukisiku ha ara de, ito kehahi koto nari. Otodo, ito wokasi to, hono-kiki ohasu.
1.3.3  姫君は、東面に引き入りて大殿籠もりにけるを、宰相の君の御消息伝へに、 ゐざり入りたるにつけて
 姫君は、東面の部屋に引っ込んでお寝みになっていらしたのを、宰相の君が宮のお言葉を伝えに、いざり入って行く後についていって、
 姫君は東の室に引き込んで横になっていたが、宰相の君が宮のお言葉を持ってそのほうへはいって行く時に源氏はことづてた。
  Himegimi ha, himgasi-omote ni hikiiri te ohotonogomori ni keru wo, Saisyau-no-Kimi no ohom-seusoko tutahe ni, wizari iri taru ni tuke te,
1.3.4  「 いとあまり暑かはしき御もてなしなり。よろづのこと、さまに従ひてこそめやすけれ。ひたぶるに若びたまふべきさまにもあらず。この宮たちをさへ、さし放ちたる人伝てに聞こえたまふまじきことなりかし。御声こそ惜しみたまふとも、すこし気近くだにこそ」
 「とてもあまりに暑苦しいご応対ぶりです。何事も、その場に応じて振る舞うのがよろしいのです。むやみに子供っぽくなさってよいお年頃でもありません。この宮たちまでを、よそよそしい取り次ぎでお話し申し上げなさってはいけません。お返事をしぶりなさるとも、せめてもう少しお近くで」
 「あまりに重苦しいしかたです。すべて相手次第で態度を変えることが必要で、そして無難です。少女らしく恥ずかしがっている年齢としでもない。この宮さんなどに人づてのお話などをなさるべきでない。声はお惜しみになっても少しは近い所へ出ていないではいけませんよ」
  "Ito amari atukahasiki ohom-motenasi nari. Yorodu no koto, sama ni sitagahi te koso meyasukere. Hitaburu ni wakabi tamahu beki sama ni mo ara zu. Kono Miya-tati wo sahe, sasihanati taru hitodute ni kikoye tamahu maziki koto nari kasi. Ohom-kowe koso wosimi tamahu tomo, sukosi kedikaku dani koso."
1.3.5  など、諌めきこえたまへど、いとわりなくて、 ことづけてもはひ入りたまひぬべき御心ばへなればとざまかうざまにわびしければ、すべり出でて、母屋の際なる御几帳のもとに、 かたはら臥したまへる
 などと、ご忠告申し上げなさるが、とても困って、注意するのにかこつけて中に入っておいでになりかねないお方なので、どちらにしても身の置き所もないので、そっとにじり出て、母屋との境にある御几帳の側に横になっていらっしゃった。
 などと言う忠告である。玉鬘は困っていた。なおこうしていればその用があるふうをしてそばへ寄って来ないとは保証されない源氏であったから、複雑なわびしさを感じながら玉鬘はそこを出て中央の室の几帳きちょうのところへ、よりかかるような形で身を横たえた。
  nado, isame kikoye tamahe do, ito warinaku te, kotoduke te mo hahiiri tamahi nu beki mi-kokorobahe nare ba, tozamakauzama ni wabisikere ba, suberi ide te, moya no kiha naru mi-kityau no moto ni, katahara husi tamahe ru.
注釈27夕闇過ぎておぼつかなき空のけしき五月四日ごろの夕方。四日の月が西の空にあるのだが、五月雨のころゆえ雲ではっきり見えない。1.3.1
注釈28宮の御けはひも『完訳』は「以下「けはひ」の語の繰返しに注意。宮も玉鬘も、微光と微香のなかのほのかな存在として形象」と注す。1.3.1
注釈29のたまひ続けたる言の葉『完訳』は「「聞こゆ」など謙譲語がないので、話す相手が宰相の君と分る」と注す。1.3.2
注釈30ゐざり入りたるにつけて源氏が宰相の君がいざって入って行く後について、の意。1.3.3
注釈31いとあまり暑かはしき以下「気近くだにこそ」まで、源氏の詞。1.3.4
注釈32ことづけてもはひ入りたまひぬべき御心ばへなれば『集成』は「(源氏は)こんなことにかこつけてでも入っておいでになりかねない魂胆をお持ちの方だから。源氏を警戒する玉鬘の気持を書いたもの」。『完訳』は「注意するのにかこつけて部屋の中にはいりかねない源氏の気持」と注す。1.3.5
注釈33とざまかうざまにわびしければ『完訳』は「このままでは源氏が近づき、出れば宮に応ずるほかない状態」と注す。1.3.5
注釈34かたはら臥したまへる連体中止形。状態の持続から次の事態の展開へと一続きの文脈。1.3.5
校訂2 思しし 思しし--おほし(し/+し) 1.3.1
1.4
第四段 源氏、宮に蛍を放って玉鬘の姿を見せる


1-4  Genji makes Tamakazura's figure shown by Hyoubukyou-no-Miya

1.4.1   何くれと言長き御応へ聞こえたまふこともなく、思しやすらふに寄りたまひて、御几帳の帷子を一重うちかけたまふにあはせて、 さと光るもの。紙燭をさし出でたるかとあきれたり。
 何やかやと長口舌にお返事を申し上げなさることもなく、ためらっていらっしゃるところに、お近づきになって、御几帳の帷子を一枚お上げになるのに併せて、ぱっと光るものが。紙燭を差し出したのかと驚いた。
 宮の長いお言葉に対して返辞がしにくい気がして玉鬘が躊躇ちゅうちょしている時、源氏はそばへ来て薄物の几帳のれを一枚だけ上へ上げたかと思うと、ろうをだれかが差し出したかと思うような光があたりを照らした。玉鬘は驚いていた。
  Nanikureto koto nagaki ohom-irahe kikoye tamahu koto mo naku, obosi yasurahu ni, yori tamahi te, mi-kityau no katabira wo hitoe utikake tamahu ni ahase te, sato hikaru mono. Sisoku wo sasiide taru ka to akire tari.
1.4.2  蛍を 薄きかたに、この夕つ方いと多く包みおきて、光をつつみ隠したまへりけるを、さりげなく、 とかくひきつくろふやうにて
 螢を薄い物に、この夕方たいそうたくさん包んでおいて、光を隠していらっしゃったのを、何気なく、何かと身辺のお世話をするようにして。
 夕方から用意してほたる薄様うすようの紙へたくさん包ませておいて、今まで隠していたのを、さりげなしに几帳を引き繕うふうをしてにわかにそでから出したのである。
  Hotaru wo usuki kata ni, kono yuhutukata ito ohoku tutumi oki te, hikari wo tutumi kakusi tamahe ri keru wo, sarigenaku, tokaku hiki-tukurohu yau nite.
1.4.3  にはかにかく掲焉に光れるに、あさましくて、 扇をさし隠したまへるかたはら目、いとをかしげなり。
 急にこのように明るく光ったので、驚きあきれて、扇をかざした横顔、とても美しい様子である。
 たちまちに異常な光がかたわらにいた驚きに扇で顔を隠す玉鬘の姿が美しかった。
  Nihaka ni kaku ketien ni hikare ru ni, asamasiku te, ahugi wo sasi-kakusi tamahe ru kataharame, ito wokasige nari.
1.4.4  「 おどろかしき光見えば、宮も覗きたまひなむ。 わが女と思すばかりのおぼえに、かくまでのたまふなめり。 人ざま容貌など、いとかくしも具したらむとは、え推し量りたまはじ。いとよく好きたまひぬべき心、惑はさむ」
 「驚くほどの光がさしたら、宮もきっとお覗きになるだろう。自分の娘だとお考えになるだけのことで、こうまで熱心にご求婚なさるようだ。人柄や器量など、ほんとうにこんなにまで整っているとは、さぞお思いでなかろう。夢中になってしまうに違いないお心を、悩ましてやろう」
 強い明りがさしたならば宮も中をおのぞきになるであろう、ただ自分の娘であるから美貌びぼうであろうと想像をしておいでになるだけで、実質のこれほどすぐれた人とも認識しておいでにならないであろう。
  "Odorokasiki hikari miye ba, Miya mo nozoki tamahi na m. Waga musume to obosu bakari no oboye ni, kaku made notamahu na' meri. Hitozama katati nado, ito kaku simo gusi tara m to ha, e osihakari tamaha zi. Ito yoku suki tamahi nu beki kokoro, madohasa m."
1.4.5  と、かまへありきたまふなりけり。 まことのわが姫君をば、かくしも、もて騷ぎたまはじ、うたてある御心なりけり
 と、企んであれこれなさるのだった。ほんとうの自分の娘ならば、このようなことをして、大騷ぎをなさるまいに、困ったお心であるよ。
 好色なお心をる瀬ないものにして見せようと源氏が計ったことである。実子の姫君であったならこんな物狂わしい計らいはしないであろうと思われる。
  to, kamahe ariki tamahu nari keri. Makoto no waga Himegimi wo ba, kaku simo, mote-sawagi tamaha zi, utate aru mi-kokoro nari keri.
1.4.6   こと方より、やをらすべり出でて、渡りたまひぬ。
 別の戸口から、そっと抜け出て、行っておしまいになった。
 源氏はそっとそのまま外の戸口から出て帰ってしまった。
  Kotokata yori, yawora suberiide te, watari tamahi nu.
注釈35何くれと言長き御応へ聞こえたまふこともなく思しやすらふに「言長き」は宮の長口舌、「御いらへ」はそれに対する玉鬘の返事。格助詞「に」時間を表す。1.4.1
注釈36寄りたまひて源氏が。1.4.1
注釈37さと光るものこの語句をうける述語なし。間合い。1.4.1
注釈38薄きかたに諸説あり、不明の語句。『新大系』は「「かた」は「かたびら」の誤りか。帷子の裏のこととも。諸説あるが未詳」と注す。1.4.2
注釈39とかくひきつくろふやうにてこの語句を受ける述語なし。1.4.2
注釈40扇をさし隠したまへるかたはら目扇で顔を隠しなさった横顔、の意。1.4.3
注釈41おどろかしき光見えば以下「惑はさむ」まで、源氏の心中。『集成』は「以下、源氏の目論見の説明」と注す。1.4.4
注釈42わが女と思すばかりのおぼえに『集成』は「玉鬘をご自分(源氏)の実の娘とお思いになるだけのことで」。『完訳』は「宮は、姫君をこの自分の娘だとお思いになっているぐらいの考えから」と注す。副助詞「ばかり」は程度を表す。1.4.4
注釈43人ざま容貌など玉鬘をさす。1.4.4
注釈44まことのわが姫君をば、かくしも、もて騷ぎたまはじ、うたてある御心なりけり『集成』は「草子地」。『完訳』は「以下、語り手の推測と評言。読者の反発を見越しながら、源氏の特殊な心に注目させる」と注す。1.4.5
注釈45こと方よりやをらすべり出でて『集成』は「以上、源氏に即した視点から事の始終を書く。次の「宮は」以下は、同じ場面を宮に即した視点から再現する」と注す。1.4.6
1.5
第五段 兵部卿宮、玉鬘にますます執心す


1-5  Hyoubukyou-no-Miya loves more and more to Tamakazura

1.5.1  宮は、人のおはするほど、さばかりと推し量りたまふが、すこし気近きけはひするに、御心ときめきせられたまひて、えならぬ羅の帷子の隙より見入れたまへるに、一間ばかり隔てたる見わたしに、かくおぼえなき光のうちほのめくを、をかしと見たまふ。
 宮は、姫のいらっしゃる所を、あの辺だと推量なさるが、割に近い感じがするので、つい胸がどきどきなさって、なんとも言えないほど素晴らしい羅の帷子の隙間からお覗きになると、柱一間ほど隔てた見通しの所に、このように思いがけない光がちらつくのを、美しいと御覧になる。
 宮は最初姫君のいる所はその辺であろうと見当をおつけになったのが、予期したよりも近い所であったから、興奮をあそばしながら薄物の几帳の間から中をのぞいておいでになった時に、一室ほど離れた所に思いがけない光が湧いたのでおもしろくお思いになった。
  Miya ha, hito no ohasuru hodo, sabakari to osihakari tamahu ga, sukosi kedikaki kehahi suru ni, mi-kokoro tokimeki se rare tamahi te, e nara nu usumono no katabira no hima yori miire tamahe ru ni, hito-ma bakari hedate taru mi-watasi ni, kaku oboye naki hikari no uti-honomeku wo, wokasi to mi tamahu.
1.5.2   ほどもなく紛らはして隠しつ。されどほのかなる光、 艶なることのつまにもしつべく見ゆ。ほのかなれど、そびやかに臥したまへりつる様体のをかしかりつるを、飽かず思して、げに、このこと御心にしみにけり。
 間もなく見えないように取り隠した。けれどもほのかな光は、風流な恋のきっかけにもなりそうに見える。かすかであるが、すらりとした身を横にしていらっしゃる姿が美しかったのを、心残りにお思いになって、なるほど、この趣向はお心に深くとまったのであった。
 まもなく明りは薄れてしまったが、しかも瞬間のほのかな光は恋の遊戯にふさわしい効果があった。かすかによりは見えなかったが、やや大柄な姫君の美しかった姿に宮のお心は十分にかれて源氏の策は成功したわけである。
  Hodo mo naku magirahasi te kakusi tu. Saredo honoka naru hikari, en naru koto no tuma ni mo si tu beku miyu. Honoka nare do, sobiyaka ni husi tamahe ri turu yaudai no wokasikari turu wo, aka zu obosi te, geni, kono koto mi-kokoro ni simi ni keri.
1.5.3  「 鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに
   人の消つには消ゆるものかは
 「鳴く声も聞こえない螢の火でさえ
  人が消そうとして消えるものでしょうか
  「鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに
  人のつにはゆるものかは
    "Naku kowe mo kikoye nu musi no omohi dani
    hito no ketu ni ha kiyuru mono kaha
1.5.4   思ひ知りたまひぬや
 ご存知いただけたでしょうか」
 御実験なすったでしょう」
  Omohi siri tamahi nu ya?"
1.5.5  と聞こえたまふ。かやうの御返しを、思ひまはさむも ねぢけたれば、疾きばかりをぞ。
 と申し上げなさる。このような場合のお返事を、思案し過ぎるのも素直でないので、早いだけを取柄に。
 と宮はお言いになった。こんな場合の返歌を長く考え込んでからするのは感じのよいものでないと思って、玉鬘たまかずらはすぐに、
  to kikoye tamahu. Kayau no ohom-kahesi wo, omohi mahasa m mo nedike tare ba, toki bakari wo zo.
1.5.6  「 声はせで身をのみ焦がす蛍こそ
   言ふよりまさる思ひなるらめ
 「声には出さずひたすら身を焦がしている螢の方が
  口に出すよりもっと深い思いでいるでしょう
  声はせで身をのみこがす蛍こそ
  言ふよりまさる思ひなるらめ
    "Kowe ha se de mi wo nomi kogasu hotaru koso
    ihu yori masaru omohi naru rame
1.5.7  など、はかなく聞こえなして、御みづからは引き入りたまひにければ、いとはるかにもてなしたまふ愁はしさを、いみじく怨みきこえたまふ。
 などと、さりげなくお答え申して、ご自身はお入りになってしまったので、とても疎々しくおあしらいなさるつらさを、ひどくお恨み申し上げなさる。
 とはかないふうに言っただけで、また奥のほうへはいってしまった。宮は疎々うとうとしい待遇を受けるというような恨みを述べておいでになった。
  nado, hakanaku kikoye nasi te, ohom-midukara ha hikiiri tamahi ni kere ba, ito haruka ni motenasi tamahu urehasisa wo, imiziku urami kikoye tamahu.
1.5.8   好き好きしきやうなれば、ゐたまひも明かさで、 軒の雫も苦しさに、濡れ濡れ夜深く出でたまひぬ。 時鳥などかならずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きも止めね
 好色がましいようなので、そのまま夜をお明かしにならず、軒の雫も苦しいので、濡れながらまだ暗いうちにお出になった。ほととぎすなどもきっと鳴いたことであろう。わずらわしいので耳も留めなかった。
 あまり好色らしく思わせたくないと宮は朝まではおいでにならずに、軒のしずくの冷たくかかるのにれて、暗いうちにお帰りになった。杜鵑ほととぎすなどはきっと鳴いたであろうと思われる。筆者はそこまで穿鑿せんさくはしなかった。
  Sukizukisiki yau nare ba, wi tamahi mo akasa de, noki no siduku mo kurusisa ni, nure nure yobukaku ide tamahi nu. Hototogisu nado kanarazu uti-naki kem kasi. Urusakere ba koso kiki mo tome ne.
1.5.9  「 御けはひなどのなまめかしさは、いとよく大臣の君に似たてまつりたまへり」と、人びともめできこえけり。昨夜、いと女親だちてつくろひたまひし御けはひを、うちうちは知らで、「あはれにかたじけなし」と皆言ふ。
 「ご様子などの優美さは、とてもよく大臣の君にお似申していらっしゃる」と、女房たちもお褒め申し上げるのであった。昨夜、すっかり母親のようにお世話やきなさったご様子を、内情は知らないで、「しみじみとありがたい」と女房一同は言う。
 宮の御風采ふうさいえんな所が源氏によく似ておいでになると言って女房たちはめていた。昨夜ゆうべの源氏が母親のような行き届いた世話をした点で玉鬘の苦悶くもんなどは知らぬ女房たちが感激していた。
  "Ohom-kehahi nado no namamekasisa ha, ito yoku Otodo-no-Kimi ni ni tatematuri tamahe ri." to, hitobito mo mede kikoye keri. Yobe, ito meoya-dati te tukurohi tamahi si ohom-kehahi wo, utiuti ha sira de, "Ahare ni katazikenasi." to mina ihu.
注釈46ほどもなく紛らはして隠しつ主語は女房たち。1.5.2
注釈47艶なることのつまにもしつべく見ゆ『集成』は「風流な恋のやりとりのきっかけにもできそうに見える」。『完訳』は「恋の語らい事の糸口にもなりそうな風情である」と訳す。1.5.2
注釈48鳴く声も聞こえぬ虫の思ひだに--人の消つには消ゆるものかは蛍の宮から玉鬘への贈歌。「思ひ」に「火」を掛ける。まして私の恋の炎は消えるものではない、の意。1.5.3
注釈49思ひ知りたまひぬや歌に添えた言葉。1.5.4
注釈50声はせで身をのみ焦がす蛍こそ--言ふよりまさる思ひなるらめ玉鬘の返歌。「鳴く声」「虫」「思ひ」の語句を受けて「声はせで」「身をのみ焦がすこそこそ」「言ふよりまさる思ひなるらめ」と返す。「思ひ」に「火」を掛ける。「音もせで思ひに燃ゆる蛍こそ鳴く虫よりもあはれなりけれ」(重之集、二六四)。1.5.6
注釈51好き好きしきやうなれば蛍兵部卿宮の心中に即した叙述。1.5.8
注釈52軒の雫も苦しさに「ながめつつわが思ふことはひぐらしに軒の雫の絶ゆる世もなし(新古今集雑下、一八〇一、具平親王)。『集成』は「「軒の雫」は歌語で、悲しみの涙の譬喩。五月雨と宮の悲しみの涙を重ねた趣の文飾」と注す。1.5.8
注釈53時鳥などかならずうち鳴きけむかし。うるさければこそ聞きも止めね大島本は「とめね」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「とどめね」と校訂する。「五月雨に物思ひをればほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ」(古今集夏、一五三、紀友則)。『集成』は「以下、草子地」。『完訳』は「以下、語り手の弁。果たせぬ恋のまま立ち去る類型的な場面ゆえの省筆」と注す。1.5.8
注釈54御けはひなどの以下「似たてまつりたまへる」まで、女房たちの感想。1.5.9
出典2 軒の雫も苦しさに 眺めつつ我が思ふことは日暮らしに軒の雫の絶ゆる世もなし 新古今集雑下-一八〇一 具平親王 1.5.8
出典3 時鳥などかならずうち鳴き 五月雨に物思ひ居ればほととぎす夜深く鳴きていづち行くらむ 古今集夏-一五三 紀友則 1.5.8
校訂3 ねぢけ ねぢけ--*ねちき 1.5.5
1.6
第六段 源氏、玉鬘への恋慕の情を自制す


1-6  Genji controls his mind to love Tamakazura

1.6.1  姫君は、 かくさすがなる御けしきを
 姫君は、このようなうわべは親のようにつくろうご様子を、
 玉鬘は源氏に持たれる恋心を
  Himegimi ha, kaku sasuga naru mi-kesiki wo,
1.6.2  「 わがみづからの憂さぞかし親などに知られたてまつり、世の人めきたるさまにて、 かやうなる御心ばへならましかば、などかはいと似げなくもあらまし。人に似ぬありさまこそ、つひに世語りにやならむ」
 「自分自身の不運なのだ。親などに娘と知っていただき、人並みに大切にされた状態で、このようなご寵愛をいただくのなら、どうしてひどく不似合いということがあろうか。普通ではない境遇は、しまいには世の語り草となるのではないかしら」
自身の薄倖はっこうの現われであると思った。
 実の父に娘を認められた上では、これほどの熱情を持つ源氏を良人おっとにすることが似合わしくないことでないかもしれぬ、現在では父になり娘になっているのであるから、両者の恋愛がどれほど世間の問題にされることであろう
  "Waga midukara no usa zo kasi. Oya nado ni sira re tatematuri, yo no hito meki taru sama nite, kayau naru mi-kokorobahe nara masika ba, nadokaha ito nigenaku mo ara masi. Hito ni ni nu arisama koso, tuhini yogatari ni ya nara m?"
1.6.3  と、起き臥し思しなやむ。
 と、寝ても起きてもお悩みになる。
 と玉鬘は心を苦しめているのである。
  to, okihusi obosi nayamu.
1.6.4   さるは、「まことにゆかしげなきさまにはもてなし果てじ」と、大臣は思しけり。なほ、さる御心癖なれば、 中宮なども、いとうるはしくや思ひきこえたまへる、ことに触れつつ、ただならず 聞こえ動かしなどしたまへど、 やむごとなき方の、およびなくわづらはしさにおり立ちあらはし聞こえ寄りたまはぬを、この君は、人の御さまも、気近く今めきたるに、おのづから思ひ忍びがたきに、折々、人見たてまつりつけば疑ひ負ひぬべき御もてなしなどは、うち交じるわざなれど、ありがたく思し返しつつ、 さすがなる御仲なりけり
 一方では、「ほんとに世間にありふれたような悪い扱いにしてしまうまい」と、大臣はお思いになるのだった。が、やはり、そのような困ったご性癖があるので、中宮などにも、とてもきれいにお思い申し上げていられようか、何かにつけては、穏やかならぬ申しようで気を引いてみたりなどなさるが、高貴なご身分で、及びもつかない事面倒なので、身を入れてお口説き申すことはなさらないが、この姫君は、お人柄も、親しみやすく現代的なので、つい気持ちが抑えがたくて、時々、人が拝見したらきっと疑いを持たれるにちがいないお振る舞いなどは、あることはあるが、他人が真似のできないくらいよく思い返し思い返しては、危なっかしい仲なのであった。
 しかし真実は源氏もそんな醜い関係にまで進ませようとは思っていなかった。ただ恋を覚えやすい性格であったから、中宮などに対しても清い父親としてだけの愛以上のものをいだいていないのではない、何かの機会にはお心を動かそうとしながらも高貴な御身分にはばかられてあらわな恋ができないだけである。玉鬘は性格にも親しみやすい点があって、はなやかな気分のあふれ出るようなのを見ると、おさえている心がおどり出して、人が見れば怪しく思うほどのことも混じっていくのであるが、さすがに反省をして美しい愛だけでこの人を思おうとしていた。
  Saruha, "Makoto ni yukasige naki sama ni ha motenasi hate zi." to, Otodo ha obosi keri. Naho, saru mi-kokoroguse nare ba, Tyuuguu nado mo, ito uruhasiku ya omohi kikoye tamahe ru, koto ni hure tutu, tadanarazu kikoye ugokasi nado si tamahe do, yamgotonaki kata no, oyobi naku wadurahasisa ni, oritati arahasi kikoye yori tamaha nu wo, kono Kimi ha, hito no ohom-sama mo, kedikaku imameki taru ni, onodukara omohi sinobi gataki ni, woriwori, hito mi tatematuri tuke ba utagahi ohi nu beki ohom-motenasi nado ha, uti-maziru waza nare do, arigataku obosi kahesi tutu, sasuga naru ohom-naka nari keri.
注釈55かくさすがなる御けしきを『集成』は「うわべは親のようでありながら、ひそかに自分に思いを寄せる源氏の気持を」。『完訳』は「表向き親らしくしながらも、やはり懸想を禁じえない源氏の」と訳す。1.6.1
注釈56わがみづからの憂さぞかし以下「世語りにやならむ」まで、玉鬘の心中。『完訳』は「己が運命を痛恨。源氏への恨みではない」と注す。1.6.2
注釈57親などに知られたてまつり『完訳』は「以下、反実仮想の構文。世間尋常の、親に養われる身で源氏と相対せるならば妻として似つかわしいと、その幸運を夢想する」と注す。1.6.2
注釈58かやうなる御心ばへならましかば源氏の寵愛をさす。反実仮想「ならましかば--あらまし」の構文。1.6.2
注釈59さるはまことにゆかしげなきさまにはもてなし果てじと『集成』は「とはいえ、ほんとに世間にありふれたつまらぬことにはしてしまうまいと」。『完訳』は「とはいっても本当のところ、大臣は、姫君を真実聞きよくもない形に落ち着かせることだけはぜひ避けたいと」と訳す。1.6.4
注釈60中宮などもいとうるはしくや思ひきこえたまへる大島本は「うるハしくや」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「うるはしくやは」と校訂する。挿入句。秋好中宮に対する懸想心も養女への恋であるとする、語り手の弁。1.6.4
注釈61やむごとなき方のおよびなくわづらはしさに『集成』は「中宮という歴としたご身分の方が、及びもつかぬ高さで事面倒でもあるので」。『完訳』は「先方は高貴なご身分の及びもつかないお方として厄介なので」と訳す。1.6.4
注釈62おり立ちあらはし聞こえ寄り主語は源氏。1.6.4
注釈63さすがなる御仲なりけり『集成』は「あぶないものの、何事もないお二人の仲だった」。『完訳』は「なんといってもやはり美しいお二人の御仲なのだった」と訳す。1.6.4
校訂4 聞こえ 聞こえ--き(き/+こ)え 1.6.4
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/1/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/20/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2003年7月19日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 12/1/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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