第二十六帖 常夏


26 TOKONATU (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の盛夏の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, very hot days at the age of 36

1
第一章 玉鬘の物語 養父と養女の禁忌の恋物語


1  Tale of Tamakazura  A love of taboo Genji and Tamakazura

1.1
第一段 六条院釣殿の納涼


1-1  Enjoying the cool of the evening in summer at Rokujoin

1.1.1   いと暑き日、東の釣殿に出でたまひて涼みたまふ。 中将の君もさぶらひたまふ。親しき殿上人あまたさぶらひて、 西川よりたてまつれる鮎、 近き川のいしぶしやうのもの、御前にて調じて参らす。 例の大殿の君達、中将の御あたり尋ねて参りたまへり。
 たいそう暑い日、東の釣殿にお出になって涼みなさる。中将の君も伺候していらっしゃる。親しい殿上人も大勢伺候して、西川から献上した鮎、近い川のいしぶしのような魚、御前で調理して差し上げる。いつもの大殿の公達、中将のおいでになる所を尋ねて参上なさった。
 炎暑の日に源氏は東の釣殿つりどのへ出て涼んでいた。子息の中将が侍しているほかに、親しい殿上役人も数人席にいた。かつら川のあゆ加茂かも川の石臥いしぶしなどというような魚を見る前で調理させて賞味するのであったが、例のようにまた内大臣の子息たちが中将をたずねて来た。
  Ito atuki hi, himgasi no turidono ni ide tamahi te suzumi tamahu. Tyuuzyau-no-Kimi mo saburahi tamahu. Sitasiki Tenzyaubito amata saburahi te, Nisikaha yori tatemature ru ayu, tikaki kaha no isibusi yau no mono, omahe nite teuzi te mawira su. Rei no Ohotono no kimdati, Tyuuzyau no ohom-atari tadune te mawiri tamahe ri.
1.1.2  「 さうざうしくねぶたかりつる、折よくものしたまへるかな」
 「退屈で眠たかったところだが、ちょうどよい時にいらっしゃったな」
 「寂しく退屈な気がして眠かった時によくおいでになった」
  "Sauzausiku nebutakari turu, wori yoku monosi tamahe ru kana!"
1.1.3  とて、大御酒参り、氷水召して、水飯など、とりどりにさうどきつつ食ふ。
 とおっしゃって、御酒を召し上がり、氷水をお取り寄せになって、水飯などを、それぞれにぎやかに召し上がる。
 と源氏は言って酒を勧めた。氷の水、水飯すいはんなどを若い人は皆大騒ぎして食べた。
  tote, ohomiki mawiri, himidu mesi te, suihan nado, toridori ni saudoki tutu kuhu.
1.1.4  風はいとよく吹けども、日のどかに曇りなき空の、西日になるほど、 蝉の声などもいと苦しげに聞こゆれば、
 風はたいそう気持ちよく吹くが、日は長くて曇りない空が、西日になるころ、蝉の声などもたいそう苦しそうに聞こえるので、
 風はよく吹き通すのであるが、晴れた空が西日になるころにはせみの声などからも苦しい熱がかれる気がするほど暑気が堪えがたくなった。
  Kaze ha ito yoku huke domo, hi nodoka ni kumori naki sora no, nisibi ni naru hodo, semi no kowe nado mo ito kurusige ni kikoyure ba,
1.1.5  「 水の上無徳なる今日の暑かはしさかな。無礼の罪は許されなむや」
 「水のほとりも役に立たない今日の暑さだね。失礼は許していただけようか」
 「水の上の価値が少しもわからない暑さだ。私はこんなふうにして失礼する」
  "Midu no uhe mutoku naru kehu no atukahasisa kana! Murai no tumi ha yurusa re na m ya?"
1.1.6  とて、寄り臥したまへり。
 とおっしゃって、物に寄りかかって横におなりになった。
 源氏はこう言って身体からだを横たえた。
  tote, yorihusi tamahe ri.
1.1.7  「 いとかかるころは、遊びなどもすさまじく、さすがに、暮らしがたきこそ苦しけれ。宮仕へする若き人びと 堪へがたからむな。帯も解かぬほどよ。ここにてだにうち乱れ、このころ世にあらむことの、すこし珍しく、ねぶたさ覚めぬべからむ、語りて聞かせたまへ。何となく翁びたる心地して、世間のこともおぼつかなしや」
 「とてもこんな暑い時は、管弦の遊びなどもおもしろくなく、とはいえ、何もしないのもつらいことだ。宮仕えしている若い人々にはつらいことだろうよ。帯も解かないではね。せめてここではくつろいで、最近世間に起こったことで、少し珍しく、眠気の覚めるようなことを、話してお聞かせください。何となく年寄じみた心地がして、世間のことも疎くなったのでね」
 「こんなころは音楽を聞こうという気にもならないし、さてまた退屈だし、困りますね。お勤めに出る人たちはたまらないでしょうね。帯もひもも解かれないのだからね。私の所だけででも几帳面きちょうめんにせずに気楽なふうになって、世間話でもしたらどうですか。何か珍しいことで睡気ねむけのさめるような話はありませんか。なんだかもう老人としよりになってしまった気がして世間のこともまったく知らずにいますよ」
  "Ito kakaru koro ha, asobi nado mo susamaziku, sasuga ni, kurasi gataki koso kurusikere! Miyadukahe suru wakaki hitobito tahe gatakara m na! Obi mo hodoka nu hodo yo! Koko nite dani uti-midare, konokoro yo ni ara m koto no, sukosi medurasiku, nebutasa same nu bekara m, katari te kika se tamahe. Nani to naku okinabi taru kokoti si te, seken no koto mo obotukanasi ya!"
1.1.8  などのたまへど、珍しきこととて、うち出で聞こえむ物語もおぼえねば、かしこまりたるやうにて、皆いと涼しき高欄に、背中押しつつさぶらひたまふ。
 などとおっしゃるが、珍しい事と言って、ちょっと申し上げるような話も思いつかないので、恐縮しているようで、皆たいそう涼しい高欄に、背中を寄り掛けながら座っていらっしゃる。
 などと源氏は言うが、新しい事実として話し出すような問題もなくて、皆かしこまったふうで、涼しい高欄に背を押しつけたまま黙っていた。
  nado notamahe do, medurasiki koto tote, utiide kikoye m monogatari mo oboye ne ba, kasikomari taru yau nite, mina ito suzusiki kauran ni, senaka osi tutu saburahi tamahu.
注釈1いと暑き日東の釣殿に出でたまひて源氏三十六歳夏のある日。六条院南の町(春の町)の東の釣殿。1.1.1
注釈2中将の君もさぶらひたまふ夕霧をいう。1.1.1
注釈3西川よりたてまつれる桂川をさす。1.1.1
注釈4近き川の中川(京極川)や鴨川をさす。1.1.1
注釈5例の大殿の君達内大臣のご子息たち、柏木らをさす。1.1.1
注釈6さうざうしく以下「折よくものしたまへるかな」まで、源氏の詞。1.1.2
注釈7蝉の声などもいと苦しげにかはむしは声も耐へぬに蝉の羽のいとうすき身も苦しげに鳴く(河海抄所引-花山院集)(text26.html 出典1から転載)1.1.4
注釈8水の上無徳なる以下「許されなむや」まで、源氏の詞。「れ」尊敬の助動詞。「な」完了の助動詞、確述の意。推量の助動詞「む」。係助詞「や」疑問の意。1.1.5
注釈9いとかかるころは以下「おぼつかなしや」まで、源氏の詞。1.1.7
注釈10堪へがたからむな帯も解かぬほどよ大島本は「たへかたからむな越ひもとかぬほとよ」とある。他の青表紙本諸本は「たえかたからむなおひひもとかぬ程は」(横)-「たえかたからんおひゝもとかぬほとよ」(為)-「たえかたからんなおひゝもとかぬほとよ」(池三)-「たへかたからむなをしひもゝとかぬほとよ」(佐)-「たえかたからんなをしひもとかぬ程よ」(肖)とある。『集成』は「堪へがたからむな。帯紐解かぬ程よ」と校訂。「帯・紐」は横山本・為家本・池田本・三条西家本、「帯」は大島本のみ、「直衣・紐」は佐々木本・肖柏本そして書陵部本である。河内本は「たえかたからむかしなをひゝもゝとかぬ」とある。1.1.7
出典1 蝉の声などもいと苦しげに かはむしは声も耐へぬに蝉の羽のいとうすき身も苦しげに鳴く 河海抄所引-花山院集 1.1.4
1.2
第二段 近江君の噂


1-2  A rumor about Naidaijin's daughter, Ohomi-no-Kimi

1.2.1  「 いかで聞きしことぞや、大臣のほか腹の娘 尋ね出でて、かしづきたまふなると まねぶ人ありしかば、まことにや」
 「どうして聞いたことか、大臣が外腹の娘を捜し出して、大切になさっていると話してくれた人がいたので、本当ですか」
 「どうしてだれが私に言ったことかも覚えていないのだが、あなたのほうの大臣がこのごろほかでお生まれになったお嬢さんを引き取って大事がっておいでになるということを聞きましたがほんとうですか」
  "Ikade kiki si koto zo ya, Otodo no hokabara no musume tadune ide te, kasiduki tamahu naru to manebu hito ari sika ba, makoto ni ya?"
1.2.2  と、 弁少将に問ひたまへば、
 と、弁少将にお尋ねになると、
 と源氏はべんの少将に問うた。
  to, Ben-no-Seusyau ni tohi tamahe ba,
1.2.3  「 ことことしく、さまで言ひなすべきことにもはべらざりけるを。この春のころほひ、 夢語りしたまひけるを、ほの聞き伝へはべりける女の、『われなむかこつべきことある』と、名のり出ではべりけるを、 中将の朝臣なむ聞きつけて、『まことにさやうに触ればひぬべきしるしやある』と、尋ねとぶらひはべりける。詳しきさまは、え知りはべらず。げに、このころ珍しき世語りになむ、人びともしはべるなる。 かやうのことにぞ、人のため、おのづから家損なるわざにはべりけれ」
 「仰々しく、そんなに言うほどのことではございませんでしたが。今年の春のころ、夢をお話をなさったところ、ちらっと人伝てに聞いた女が、『自分には聞いてもらうべき子細がある』と、名乗り出ましたのを、中将の朝臣が耳にして、『本当にそのように言ってよい証拠があるのか』と、尋ねてやりました。詳しい事情は、知ることができません。おっしゃるように、最近珍しい噂話に、世間の人々もしているようでございます。このようなことは、父にとって、自然と家の不面目となることでございます」
 「そんなふうに世間でたいそうに申されるようなことでもございません。この春大臣が夢占いをさせましたことがうわさになりまして、それからひょっくりと自分は縁故のある者だと名のって出て来ましたのを、兄の中将が真偽の調査にあたりまして、それから引き取って来たようですが、私は細かいことをよく存じません。結局珍談の材料を世間へ呈供いたしましたことになったのでございます。大臣の尊厳がどれだけそれでそこなわれましたかしれません」
  "Kotokotosiku, sa made ihinasu beki koto ni mo habera zari keru wo. Kono haru no korohohi, yumegatari si tamahi keru wo, hono-kikitutahe haberi keru Womna no, 'Ware nam kakotu beki koto aru.' to, nanori ide haberi keru wo, Tyuuzyau-no-Asom nam kikituke te, 'Makoto ni sayau ni hurebahi nu beki sirusi ya aru?' to, tadune toburahi haberi keru. Kuhasiki sama ha, e siri habera zu. Geni, konokoro medurasiki yogatari ni nam, hitobito mo si haberu naru. Kayau no koto ni zo, hito no tame, onodukara keson naru waza ni haberi kere."
1.2.4  と聞こゆ。「まことなりけり」と思して、
 と申し上げる。「やはり本当だったのだ」とお思いになって、
 少将の答えがこうであったから、ほんとうのことだったと源氏は思った。
  to kikoyu. "Makoto nari keri." to obosi te,
1.2.5  「 いと多かめる列に、離れたらむ後るる雁を、強ひて尋ねたまふが、ふくつけきぞ。 いとともしきに、さやうならむもののくさはひ、 見出でまほしけれど 、名のりももの憂き際とや思ふらむ、さらにこそ聞こえね。さても、もて離れたることにはあらじ。らうがはしくとかく紛れたまふめりしほどに、 底清く澄まぬ水にやどる月は、曇りなきやうのいかでかあらむ
 「たいそう大勢の子たちなのに、列から離れたような後れた雁を、無理にお捜しになるのが、欲張りなのだ。とても子どもが少ないのに、そのようなかしずき種を、見つけ出したいが、名乗り出るのも嫌な所と思っているのでしょう、まったく聞きません。それにしても、無関係の娘ではあるまい。やたらあちらこちらと忍び歩きをなさっていたらしいうちに、底が清く澄んでいない水に宿る月は、曇らないようなことがどうしてあろうか」
 「たくさんなかりの列から離れた一羽までもしいてお捜しになったのが少し欲深かったのですね。私の所などこそ、子供が少ないのだから、そんな女の子なども見つけたいのだが、私の所では気が進まないのか少しも名のって来てくれる者がない。しかしともかく迷惑なことだっても大臣のお嬢さんには違いないのでしょう。若い時分は無節制に恋愛関係をお作りになったものだからね。底のきれいでない水に映る月は曇らないであろうわけはないのだからね」
  "Ito ohoka' meru tura ni, hanare tara m okururu kari wo, sihite tadune tamahu ga, hukutukeki zo. Ito tomosiki ni, sayau nara m mono no kusahahi, miide mahosikere do, nanori mo monouki kiha to ya omohu ram, sarani koso kikoye ne. Sate mo, motehanare taru koto ni ha ara zi. Raugahasiku tokaku magire tamahu meri si hodo ni, soko kiyoku suma nu midu ni yadoru tuki ha, kumori naki yau no ikadeka ara m?"
1.2.6  と、ほほ笑みてのたまふ。中将の君も、 詳しく聞きたまふことなれば、えしもまめだたず。少将と藤侍従とは、いとからしと思ひたり。
 と、ほほ笑んでおっしゃる。中将君も、詳しくお聞きになっていることなので、とても真面目な顔はできない。少将と藤侍従とは、とてもつらいと思っていた。
 と源氏は微笑しながら言っていた。子息の左中将も真相をくわしく聞いていることであったからこれも笑いをらさないではいられなかった。弁の少将と藤侍従とうのじじゅうはつらそうであった。
  to, hohowemi te notamahu. Tyuuzyau-no-Kimi mo, kuhasiku kiki tamahu koto nare ba, e simo mamedata zu. Seusyau to Tou-Zizyu to ha, ito karasi to omohi tari.
1.2.7  「 朝臣やさやうの落葉をだに拾へ。人悪ろき名の後の世に残らむよりは、 同じかざしにて慰めむに、なでふことかあらむ」
 「朝臣よ。せめてそのような落し胤でももらったらどうだね。体裁の悪い評判を残すよりは、同じ姉妹と結婚して我慢するが、何の悪いことがあろうか」
 「ねえ朝臣あそん、おまえはその落ち葉でも拾ったらいいだろう。不名誉な失恋男になるよりは同じ姉妹きょうだいなのだからそれで満足をすればいいのだよ」
  "Asom ya, sayau no otiba wo dani hirohe. Hitowaroki na no noti no yo ni nokora m yori ha, onazi kazasi nite nagusame m ni, nadehu koto ka ara m?"
1.2.8  と、弄じたまふやうなり。 かやうのことにてぞ、うはべはいとよき御仲の、昔よりさすがに隙ありける。まいて、中将をいたくはしたなめて、わびさせたまふつらさを思しあまりて、「 なまねたしとも、漏り聞きたまへかし」と思すなりけり。
 と、おからかいになるようである。このようなこととなると、表面はたいそう仲の良いお二方が、やはり昔からそれでもしっくりしないところがあるのであった。その上、中将をひどく恥ずかしい目にあわせて、嘆かせていらっしゃるつらさを腹に据えかねて、「悔しいとでも、人伝てに聞きなさったらよい」と、お思いになるのだった。
 子息をからかうような調子で父の源氏は言うのであった。内大臣と源氏は大体は仲のよい親友なのであるが、ずっと以前から性格の相違が原因になったわずかな感情の隔たりはあったし、このごろはまた中将を侮蔑ぶべつして失恋の苦しみをさせている大臣の態度に飽き足らないものがあって、源氏は大臣がしゃくにさわる放言をすると間接に聞くように言っているのである。
  to, rouzi tamahu yau nari. Kayau no koto nite zo, uhabe ha ito yoki ohom-naka no, mukasi yori sasuga ni hima ari keru. Maite, Tyuuzyau wo itaku hasitaname te, wabi sase tamahu turasa wo obosi amari te, "Nama-netasi tomo, morikiki tamahe kasi." to obosu nari keri.
1.2.9   かく聞きたまふにつけても
 このようにお聞きになるにつけても、

  Kaku kiki tamahu ni tuke te mo,
1.2.10  「 対の姫君を見せたらむ時、またあなづらはしからぬ方に もてなされなむはやいとものきらきらしく、かひあるところつきたまへる人にて、善し悪しきけぢめも、けざやかにもてはやし、またもて消ち軽むることも、人に異なる大臣なれば、いかにものしと思ふらむ。おぼえぬさまにて、この君をさし出でたらむに、 え軽くは思さじ。いときびしくもてなしてむ」など思す。
 「対の姫君を見せたような時、また軽々しく扱われるようなことはあるまい。たいそうはっきりとしていて、けじめをつけるところがある人で、善悪の区別も、はっきりと誉めたり、また貶しめ軽んじたりすることも、人一倍の大臣なので、どんなに腹立たしく思うであろう。予想もしない形で、この対の姫君を見せたらば、軽く扱うことはできまい。まこと油断なくお世話しよう」などとお思いになる。
 新しい娘を迎えて失望している大臣のうわさを聞いても、源氏は玉鬘たまかずらのことを聞いた時に、その人はきっと大騒ぎをして大事に扱うことであろう、自尊心の強い、対象にする物のさ悪さで態度を鮮明にしないではいられない性質の大臣は、近ごろ引き取った娘に失望を感じている様子は想像ができるし、また突然にこの玉鬘を見せた時のよろこびぶりも思われないでもない、極度の珍重ぶりを見せることであろうなどと源氏は思っていた。
  "Tai-no-Himegimi wo mise tara m toki, mata anadurahasikara nu kata ni mote-nasare na m ha ya! Ito mono kirakirasiku, kahi aru tokoro tuki tamahe ru hito ni te, yosi asiki kedime mo, kezayaka ni motehayasi, mata mote-keti karomuru koto mo, hito ni koto naru Otodo nare ba, ikani monosi to omohu ram. Oboye nu sama nite, kono Kimi wo sasiide tara m ni, e karoku ha obosa zi. Ito kibisiku motenasi te m." nado obosu.
注釈11いかで聞きしことぞや以下「ありしかばまことや」まで、源氏の詞。1.2.1
注釈12まねぶ人ありしかば大島本は「あ(△&あ)りしかハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ありしは」と「か」を削除する。1.2.1
注釈13弁少将に内大臣の次男、柏木(中将)の弟。1.2.2
注釈14ことことしくさまで以下「家損なるわざにはべりけれ」まで、弁少将の詞。1.2.3
注釈15夢語りしたまひけるを内大臣が見た夢の話をしたところの意。1.2.3
注釈16中将の朝臣なむ聞きつけて弁少将の兄、柏木をいう。源氏の前なので「中将の朝臣」という呼び方をする。1.2.3
注釈17かやうのことにぞ大島本は「ことにそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「ことにこそ」と校訂する。下文に「はべりけれ」(已然形)とあるので、係助詞「こそ」が適切。1.2.3
注釈18いと多かめる列に以下「いかでかあらむ」まで、源氏の詞。「類よりもひとり離れて飛ぶ雁の友に後るる我が身悲しも」(曽丹集、四三一)を踏まえる。1.2.5
注釈19いとともしきに源氏、自分自身には子の少ないことをいう。1.2.5
注釈20見出でまほしけれど大島本は「みてまほしけれと」とある。「見出で」の「い」脱字とみて補訂する。1.2.5
注釈21底清く澄まぬ水にやどる月は、曇りなきやうのいかでかあらむ打消の助動詞「ぬ」は「清し」と「澄む」の両語を打消す。身分の低い女の腹にすぐれた子は生まれないという喩え。1.2.5
注釈22詳しく聞きたまふことなれば大島本は「きゝ給ふこと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「聞きたまへること」と校訂する。1.2.6
注釈23朝臣や以下「なでふことかあらむ」まで、源氏の詞。1.2.7
注釈24さやうの落葉をだに拾へ内大臣の落胤の娘をもらったらどうだ、の意。内大臣家の子息が聞いている前での発言なので、相手方への皮肉となる。1.2.7
注釈25同じかざしにて「わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしてこそはせめ」(後撰集恋四、八〇九、伊勢)。1.2.7
注釈26かやうのことにてぞ『完訳』は「以下、語り手の言辞」と注す。1.2.8
注釈27なまねたしとも主語は内大臣。1.2.8
注釈28かく聞きたまふにつけても源氏が内大臣の落胤の噂を聞くにつけても、の意。1.2.9
注釈29対の姫君を以下「もてなしてむ」まで、源氏の心中。1.2.10
注釈30もてなされなむはや連語「はや」反語表現。1.2.10
注釈31いとものきらきらしくかひあるところつきたまへる人にて内大臣の性格。『集成』は「万事はっきりしていて打てば響くようなところがおありになる方なので」。『完訳』は「まったく万事にきちんと折目正しく、根性がおありの人で」と訳す。1.2.10
注釈32え軽くは思さじ『集成』は「(養育の恩を)おろそかにはお考えになれまい、ずいぶんありがたく思うような態度に出てやろう」と訳す。1.2.10
出典2 同じかざしにて わが宿と頼む吉野に君し入らば同じかざしをさしこそはせめ 後撰集恋四-八〇九 伊勢 1.2.7
校訂1 尋ね出でて 尋ね出でて--たつね(ね/+い<朱>)てゝ 1.2.1
校訂2 見出で 見出で--*みて 1.2.5
1.3
第三段 源氏、玉鬘を訪う


1-3  Genji visits to Tamakazura

1.3.1  夕つけゆく風、いと涼しくて、帰り憂く若き人びとは思ひたり。
 夕方らしくなって吹く風、たいそう涼しくて、帰るのももの憂く若い人々は思っていた。
 夕べに移るころの風が涼しくて、若い公子たちは皆ここを立ち去りがたく思うふうである。
  Yuhutuke yuku kaze, ito suzusiku te, kaheri uku wakaki hitobito ha omohi tari.
1.3.2  「 心やすくうち休み 涼まむや。やうやうかやうの中に、厭はれぬべき 齢にも なりにけりや
 「気楽にくつろいで涼んではどうか。だんだんこのような若い人々の中で、嫌われる年になってしまったなあ」
 「気楽に涼んで行ったらいいでしょう。私もとうとう青年たちからけむたがられる年になった」
  "Kokoro yasuku uti-yasumi suzuma m ya? Yauyau kayau no naka ni, itoha re nu beki yohahi ni mo nari ni keri ya!"
1.3.3  とて、西の対に渡りたまへば、君達、皆御送りに参りたまふ。
 と言って、西の対にお渡りになるので、公達、皆お送りにお供なさる。
 こう言って、源氏は近い西の対をたずねようとしていたから、公子たちは皆見送りをするためについて行った。
  tote, nisinotai ni watari tamahe ba, Kimdati, mina ohom-okuri ni mawiri tamahu.
1.3.4  たそかれ時のおぼおぼしきに、同じ 直衣どもなれば、 何ともわきまへられぬに、大臣、姫君を、
 黄昏時の薄暗い時に、同じ直衣姿なので、誰とも区別がつかないので、大臣は姫君に、
 日の暮れ時のほの暗い光線の中では、同じような直衣のうし姿のだれがだれであるかもよくわからないのであったが、源氏は玉鬘に、
  Tasokaredoki no oboobosiki ni, onazi nahosi-domo nare ba, nani to mo wakimahe rare nu ni, Otodo, Himegimi wo,
1.3.5  「 すこし外出でたまへ
 「もう少し外へお出になりなさい」
 「少し外のよく見える所まで来てごらんなさい」
  "Sukosi to ide tamahe."
1.3.6  とて、 忍びて
 と言って、こっそりと、
 と言って、従えて来た青年たちのいる方をのぞかせた。
  tote, sinobi te,
1.3.7  「 少将、侍従など率てまうで来たり。いと翔けり来まほしげに思へるを、 中将の、いと実法の人にて率て来ぬ、無心なめりかし。
 「少将や、侍従などを連れて参りました。ひどく飛んで来たいほどに思っていたのを、中将が、まこと真面目一方の人なので、連れて来なかったのは、思いやりがないようでした。
 「少将や侍従をつれて来ましたよ。ここへは走り寄りたいほどの好奇心を持つ青年たちなのだが、中将がきまじめ過ぎてつれて来ないのですよ。同情のないことですよ。
  "Seusyau, Zizyu nado wi te maude ki tari. Ito kakeri ko mahosige ni omohe ru wo, Tyuuzyau no, ito zihohu no hito nite wi te ko nu, muzin na' meri kasi.
1.3.8  この人びとは、皆思ふ心なきならじ。なほなほしき際をだに、 窓の内なるほどは 、ほどに従ひて、ゆかしく思ふべかめるわざなれば、 この家のおぼえ、うちうちのくだくだしきほどよりは、いと世に過ぎて、ことことしくなむ言ひ思ひなすべかめる。 かたがたものすめれど、さすがに人の好きごと言ひ寄らむにつきなしかし。
 この人々は、皆気がないでもない。つまらない身分の女でさえ、深窓に養われている間は、身分相応に気を引かれるものらしいから、わが家の評判は内幕のくだくだしい割には、たいそう実際以上に、大げさに言ったり思ったりしているようです。他にも女性方々がいらっしゃるのですが、やはり男性が恋をしかけるには相応しくない。
 この青年たちはあなたに対して無関心な者が一人もないでしょう。つまらない家の者でも娘でいる間は若い男にとって好奇心の対象になるものだからね。私の家というものを実質以上にだれも買いかぶっているのですからね、しかも若い連中は六条院の夫人たちを恋の対象にして空想に陶酔するようなことはできないことだったのが、あなたという人ができたから皆の注意はあなたに集まることになったのです。
  Kono hitobito ha, mina omohu kokoro naki nara zi. Nahonahosiki kiha wo dani, mado no uti naru hodo ha, hodo ni sitagahi te, yukasiku omohu beka' meru waza nare ba, kono ihe no oboye, utiuti no kudakudasiki hodo yori ha, ito yo ni sugi te, kotokotosiku nam ihi omohinasu beka' meru. Katagata monosu mere do, sasuga ni hito no sukigoto ihiyora m ni tuki nasi kasi.
1.3.9   かくてものしたまふは、いかでさやうならむ人のけしきの、深さ浅さをも見むなど、さうざうしきままに願ひ思ひしを、本意なむ叶ふ心地しける」
 こうしていらっしゃるのは、何とかそのような男性の気持ちの、深さ浅さを見たいなどと、退屈のあまり願っていたのだが、望みの叶う気がしました」
 そうした求婚者の真実の深さ浅さというようなものを、第三者になって観察するのはおもしろいことだろうと、退屈なあまりに以前からそんなことがあればいいと思っていたのがようやく時期が来たわけです」
  Kakute monosi tamahu ha, ikade sayau nara m hito no kesiki no, hukasa asasa wo mo mi m nado, sauzausiki mama ni negahi omohi si wo, hoi nam kanahu kokoti si keru."
1.3.10  など、ささめきつつ聞こえたまふ。
 などと、ひそひそと申し上げなさる。
 などと源氏はささやいていた。
  nado, sasameki tutu kikoye tamahu.
1.3.11  御前に、乱れがはしき前栽なども植ゑさせたまはず、撫子の色をととのへたる、 唐の、大和の、籬いとなつかしく結ひなして、咲き乱れたる夕ばえ、いみじく見ゆ。皆、立ち寄りて、 心のままにも折り取らぬを、飽かず思ひつつやすらふ
 お庭先には、雑多な前栽などは植えさせなさらず、撫子の花を美しく整えた、唐撫子、大和撫子の、垣をたいそうやさしい感じに造って、その咲き乱れている夕映え、たいそう美しく見える。皆、立ち寄って、思いのままに手折ることができないのを、残念に思って佇んでいる。
 この前の庭には各種類の草花を混ぜて植えるようなことはせずに、美しい色をした撫子なでしこばかりを、唐撫子からなでしこ大和やまと撫子もことに優秀なのを選んで、低く作ったかきに添えて植えてあるのが夕映ゆうばえに光って見えた。公子たちはその前を歩いて、じっと心がかれるようにたたずんだりもしていた。
  Omahe ni, midaregahasiki sensai nado mo uwe sase tamaha zu, nadesiko no iro wo totonohe taru, kara no, yamato no, mase ito natukasiku yuhi nasi te, sakimidare taru yuhubae, imiziku miyu. Mina, tatiyori te, kokoro no mama ni mo woritora nu wo, aka zu omohi tutu yasurahu.
1.3.12  「 有職どもなりな。心もちゐなども、とりどりにつけてこそめやすけれ。 右の中将は、ましてすこし静まりて、心恥づかしき気まさりたり。 いかにぞやおとづれ聞こゆや。はしたなくも、なさし放ちたまひそ」
 「教養のある人たちだな。心づかいなども、それぞれに立派なものだ。右の中将は、さらにもう少し落ち着いていて、こちらが恥ずかしくなる感じがします。どうですか、お便り申して来ますか。体裁悪く、突き放しなさいますな」
 「りっぱな青年官吏ばかりですよ。様子にもとりなしにも欠点は少ない。今日は見えないが右中将は年かさだけあってまた優雅さが格別ですよ。どうです、あれからのちも手紙を送ってよこしますか。軽蔑けいべつするような態度はとらないようにしなければいけない」
  "Iusoku-domo nari na. Kokoromotiwi nado mo, toridori ni tuke te koso meyasukere. Migi-no-Tyuuzyau ha, masite sukosi sidumari te, kokorohadukasiki ke masari tari. Ikani zo ya, otodure kikoyu ya? Hasitanaku mo, na sasihanati tamahi so."
1.3.13  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 などとも源氏は言った。
  nado notamahu.
1.3.14   中将の君は、かくよきなかに、すぐれてをかしげになまめきたまへり。
 中将君は、この優れた人たちの中でも、際立って優美でいらっしゃった。
 すぐれたこの公子たちの中でも源中将は目だってえんな姿に見えた。
  Tyuuzyau-no-Kimi ha, kaku yoki naka ni, sugurete wokasige ni namameki tamahe ri.
1.3.15  「 中将を厭ひたまふこそ、大臣は本意なけれ。交じりものなく、きらきらしかめるなかに、大君だつ筋にて、 かたくななりとにや
 「中将をお嫌いなさるとは、内大臣は困ったものだ。ご一族ばかりで繁栄している中で、皇孫の血筋を引くので、見にくいとでもいうのか」
 「中将をきらうことは内大臣として意を得ないことですよ。御自分が尊貴であればあの子も同じ兄妹きょうだいから生まれた尊貴な血筋というものなのだからね。しかしあまり系統がきちんとしていて王風おおぎみふうの点が気に入らないのですかね」
  "Tyuuzyau wo itohi tamahu koso, Otodo ha ho'i nakere. Maziri mono naku, kirakirasika' meru naka ni, ohokimi-datu sudi nite, katakuna nari to ni ya?"
1.3.16  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と源氏が言った。
  to notamahe ba,
1.3.17  「 来まさば、といふ人もはべりけるを
 「来てくだされば、という人もございましたものを」
 「来まさば(おほきみ来ませ婿にせん)というような人もあすこにはあるのではございませんか」
  "Ki masa ba, to ihu hito mo haberi keru wo."
1.3.18  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。

  to kikoye tamahu.
1.3.19  「 いで、その御肴もてはやされむさまは願はしからず。ただ、幼きどちの結びおきけむ 心も解けず、年月、隔てたまふ心むけのつらきなり。まだ下臈なり、世の聞き耳軽しと思はれば、知らず顔にて、 ここに任せたまへらむに、うしろめたくは ありなましや
 「いや、そんな大事に持てなされることは望んでいません。ただ、幼い者同士が契り合った胸の思いが晴れないまま、長い年月、仲を裂いていらっしゃった大臣のやりかたがひどいのです。まだ身分が低い、外聞が悪いとお思いならば、知らない顔で、こちらに任せて下されたとしても、何の心配がありましょうか」
 「いや、何も婿に取られたいのではありませんがね。若い二人が作った夢をこわしたままにして幾年も置いておかれるのは残酷だと思うのです。まだ官位が低くて世間体がよろしくないと思われるのだったら、公然のことにはしないで私へお嬢さんを託しておかれるという形式だっていいじゃないのですか。私が責任を持てばいいはずだと思うのだが」
  "Ide, sono mi-sakana motehayasa re m sama ha negahasikara zu. Tada, wosanaki-doti no musubi oki kem kokoro mo toke zu, tosituki, hedate tamahu kokoromuke no turaki nari. Mada gerahu nari, yo no kikimimi karosi to omoha re ba, sirazugaho nite, koko ni makase tamahe ra m ni, usirometaku ha ari na masi ya?"
1.3.20  など、うめきたまふ。「 さは、かかる御心の隔てある御仲なりけり」と聞きたまふにも、親に知られたてまつらむことのいつとなきは、あはれにいぶせく思す。
 などと、不平をおっしゃる。「では、このようなお心のしっくりいってないお間柄だったのだわ」とお聞きになるにつけても、親に知っていただけるのがいつか分からないのは、しみじみと悲しく胸の塞がる思いがなさる。
 源氏は歎息たんそくした。自分の実父との間にはこうした感情の疎隔があるのかと玉鬘たまかずらははじめて知った。これが支障になって親にいうる日がまだはるかなことに思わねばならないのであるかと悲しくも思い、苦しくも思った。
  nado, umeki tamahu. "Saha, kakaru mi-kokoro no hedate aru ohom-naka nari keri." to kiki tamahu ni mo, oya ni sira re tatematura m koto no itu to naki ha, ahare ni ibuseku obosu.
注釈33心やすくうち休み以下「齢にもなりにけりや」まで、源氏の詞。1.3.2
注釈34涼まむや推量の助動詞「む」勧誘の意。間投助詞「や」呼び掛けの意。1.3.2
注釈35なりにけりや過去の助動詞「けり」詠嘆の意。間投助詞「や」詠嘆の意。1.3.2
注釈36何ともわきまへられぬに接続助詞「に」順接の意。1.3.4
注釈37すこし外出でたまへ源氏の詞。1.3.5
注釈38忍びて玉鬘に向かってこっそりとささやく。1.3.6
注釈39少将侍従など率てまうで来たり以下「心ちしける」まで、源氏の詞。1.3.7
注釈40中将のいと実法の人にて夕霧をさす。1.3.7
注釈41窓の内なるほどは深窓に養われる未婚時代。「養はれて深閨(深窓)に在り人未だ識らず」(白氏文集・長恨歌)。1.3.8
注釈42この家のおぼえ『完訳』は「「--だに」の文脈を受ける。まして、六条院への世間の思惑は」と注す。1.3.8
注釈43かたがたものすめれど推量の助動詞「めり」婉曲の意。『集成』は「源氏の夫人たちは、年長けて、若い貴公子の相手にはふさわしくないという」。『完訳』は「六条院の女君たち。秋好は現在の中宮、明石の姫君は将来の后と目され、恋の相手たりえない」と注す。1.3.8
注釈44かくてものしたまふは玉鬘が六条院にいることをさす。1.3.9
注釈45唐の大和の籬いとなつかしく結ひなして咲き乱れたる夕ばえ『完訳』は「唐の、大和のと、とりどりに垣根をじつに上品に作って咲き乱れているのが夕明りのなかに浮き立って見えるのは」と訳す。1.3.11
注釈46心のままにも折り取らぬを、飽かず思ひつつやすらふ主語は少将や侍従たち。「折り取らぬ」は不可能の意を表す。『集成』は「撫子を玉鬘に見立て、思うままにわがものとできないのをくやしく思っていることを暗示する」と注す。1.3.11
注釈47有職どもなりな以下「なさし放ちたまひそ」まで、源氏の詞。玉鬘に話しかけたもの。1.3.12
注釈48右の中将はまして柏木は、弟の少将や侍従らよりもの意。1.3.12
注釈49いかにぞや大島本は「いかにそ(そ+や<朱>)」とある。すなわち朱筆で「や」を補入する。『新大系』は底本の補訂に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本と底本の訂正以前本文に従って「いかにぞ」と校訂する。1.3.12
注釈50おとづれ聞こゆや柏木が玉鬘に手紙をよこしているか、の意。1.3.12
注釈51中将の君はかくよきなかに夕霧をさす。1.3.14
注釈52中将を厭ひたまふこそ以下「かたくななりとにや」まで、源氏の詞。内大臣への皮肉の言。1.3.15
注釈53かたくななりとにや『集成』は「旧式だとでもお思いなのだろうか」。『完訳』は「みっともないというのでしょうか」と訳す。1.3.15
注釈54来まさばといふ人もはべりけるを玉鬘の詞。源氏の「大君だつ」を受けて、催馬楽「我家」の「--大君来ませ、婿にせむ--」を踏まえて応える。『集成』「夕霧の方から事を進めれば、内大臣も喜んで婿として迎えるだろうにと、内大臣をとりなしていう」と注す。1.3.17
注釈55いでその御肴以下「ありなましや」まで、源氏の詞。同じく催馬楽「我家」の「--御肴に、何よけむ--」を踏まえて言う。1.3.19
注釈56心も解けず年月隔てたまふ心むけの「隔て」は年月を隔てる意と仲を隔てる意とが掛けられている。「心むけ」は内大臣の心向け。幼恋の仲がさかれて三年を経過。1.3.19
注釈57ここに任せたまへらむに「ここ」は源氏をさす。「ら」完了の助動詞、完了の意。「む」推量の助動詞、仮定の意。1.3.19
注釈58ありなましや「な」完了の助動詞、確述。「まし」推量の助動詞、反実仮想。「や」間投助詞、反語の意。1.3.19
注釈59さはかかる御心の隔てある御仲なりけり玉鬘の心中。1.3.20
出典3 窓の内なるほど 楊家有女初長成 養在深窓人未識 白氏文集巻十二-八九六 長恨歌 1.3.8
出典4 来まさば 我家は 帷帳も 垂れたるを 大君来ませ 聟にせむ 御肴に 何よけむ 鮑さだをか 石陰子よけむ 鮑さだをか 石陰子よけむ 催馬楽-我家 1.3.17
校訂3 齢にも 齢にも--よはひ(ひ/+にも) 1.3.2
校訂4 直衣ども 直衣ども--なをしの(の/$<朱>)とも 1.3.4
校訂5 いかにぞや いかにぞや--いかにそ(そ/+や<朱>) 1.3.12
1.4
第四段 源氏、玉鬘と和琴について語る


1-4  Genji talks about koto in front of Tamakazura

1.4.1  月もなきころなれば、燈籠に御殿油参れり。
 月もないころなので、燈籠に明りを入れた。
 月がないころであったから燈籠とうろうがともされた。
  Tuki mo naki koro nare ba, touro ni ohotonabura mawire ri.
1.4.2  「 なほ、気近くて暑かはしや。篝火こそよけれ
 「やはり、近すぎて暑苦しいな。篝火がよいなあ」
 「灯が近すぎて暑苦しい、これよりはかがりがよい」
  "Naho, kedikaku te atukahasi ya! Kagaribi koso yokere."
1.4.3  とて、人召して、
 とおっしゃって、人を呼んで、
 と言って、
  tote, hito mesi te,
1.4.4  「 篝火の台一つ、こなたに
 「篝火の台を一つ、こちらに」
 「篝を一つこの庭でくように」
  "Kagaribi no dai hitotu, konata ni."
1.4.5  と召す。をかしげなる和琴のある、引き寄せたまひて、掻き鳴らしたまへば、 律にいとよく調べられたり。音もいとよく鳴れば、すこし弾きたまひて、
 とお取り寄せになる。美しい和琴があるのを、引き寄せなさって、掻き鳴らしなさると、律の調子にたいそうよく整えられていた。音色もとてもよく出るので、少しお弾きになって、
 と源氏は命じた。よい和琴わごんがそこに出ているのを見つけて、引き寄せて、鳴らしてみると律の調子に合わせてあった。よい音もする琴であったから少し源氏はいて、
  to mesu. Wokasige naru wagon no aru, hikiyose tamahi te, kaki-narasi tamahe ba, riti ni ito yoku sirabe rare tari. Ne mo ito yoku nare ba, sukosi hiki tamahi te,
1.4.6  「 かやうのことは御心に入らぬ筋にやと、月ごろ思ひおとしきこえけるかな。秋の夜の月影涼しきほど、いと奥深くはあらで、虫の声に掻き鳴らし合はせたるほど、気近く今めかしきものの音なり。ことことしき調べ、もてなししどけなしや。
 「このようなことはお好きでない方面かと、今まで大したことはないとお思い申していました。秋の夜の、月の光が涼しいころ、奥深い所ではなくて、虫の声に合わせて弾いたりするのには、親しみのあるはなやかな感じのする楽器です。改まった演奏は、役割がしっかりと決まりませんね。
 「こんなほうのことには趣味を持っていられないのかと、失礼な推測をしてましたよ。秋の涼しい月夜などに、虫の声に合わせるほどの気持ちでこれの弾かれるのははなやかでいいものです。これはもったいらしく弾く性質の楽器ではないのですが、不思議な楽器で、すべての楽器の基調になる音を持っている物はこれなのですよ。
  "Kayau no koto ha mi-kokoro ni ira nu sudi ni ya to, tukigoro omohi-otosi kikoye keru kana! Aki no yo no tukikage suzusiki hodo, ito oku bukaku ha ara de, musi no kowe ni kaki-narasi ahase taru hodo, kedikaku imamekasiki mono no ne nari. Kotokotosiki sirabe, motenasi sidokenasi ya!
1.4.7   このものよさながら多くの遊び物の音、拍子を調へとりたるなむいとかしこき。大和琴とはかなく見せて、際もなくしおきたることなり。 広く異国のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる
 この楽器は、そのままで多くの楽器の音色や、調子を備えているところが優れた点です。大和琴と言って一見大したことのないように見えながら、極めて精巧に作られているものです。広く外国の学芸を習わない女性のための楽器と思われます。
 簡単にやまと琴という名をつけられながら無限の深味のあるものなのですね。ほかの楽器の扱いにくい女の人のために作られた物の気がします。
  Kono mono yo, sanagara ohoku no asobimono no ne, hausi wo totonohe tori taru nam ito kasikoki. Yamatogoto to hakanaku mise te, kiha mo naku sioki taru koto nari. Hiroku kotokuni no koto wo sira nu womna no tame to nam oboyuru.
1.4.8  同じくは、心とどめて物などに掻き合はせて習ひたまへ。 深き心とて、何ばかりもあらずながら、またまことに弾き得ることはかたきにやあらむ、ただ今は、この内大臣になずらふ人なしかし。
 同じ習うなら、気をつけて他の楽器に合わせてお習いなさい。難しい手と言っても、特にあるわけではありませんが、また本当に弾きこなすことは難しいのでしょうか、現在では、あの内大臣に並ぶ人はいません。
 おやりになるのならほかの物に合わせて熱心に練習なさい。むずかしいことがないような物で、さてこれに妙技を現わすということはむずかしいといったような楽器です。現在では内大臣が第一の名手です。
  Onaziku ha, kokoro todome te mono nado ni kaki-ahase te narahi tamahe. Hukaki kokoro tote, nani bakari mo ara zu nagara, mata makoto ni hiki uru koto ha kataki ni ya ara m, tada ima ha, kono Uti-no-Otodo ni nazurahu hito nasi kasi.
1.4.9  ただはかなき同じ菅掻きの音に、よろづのものの音、籠もり通ひて、いふかたもなくこそ、響きのぼれ」
 ただちょっとした同じ菅掻き一つの音色に、あらゆる楽器の音色が、含まれていて、何とも形容のしようがないほど、響き渡るのです」
 ただ清掻すががきをされるのにもあらゆる楽器の音を含んだ声が立ちますよ」
  Tada hakanaki onazi sugagaki no ne ni, yorodu no mono no ne, komori kayohi te, ihukata mo naku koso, hibiki nobore."
1.4.10  と語りたまへば、ほのぼの心得て、 いかでと思すことなれば、いとどいぶかしくて、
 とご説明なさると、多少会得していて、ぜひともさらに上手になりたいとお思いのことなので、もっと聞きたくて、
  と源氏は言った。玉鬘もそのことはかねてから聞いて知っていた。どうかして父の大臣の爪音つまおとに接したいとは以前から願っていたことで、あこがれていた心が今また大きな衝動を受けたのである。
  to katari tamahe ba, honobono kokoroe te, ikade to obosu koto nare ba, itodo ibukasiku te,
1.4.11  「 このわたりにてさりぬべき御遊びの折など聞きはべりなむや。あやしき山賤などのなかにも、まねぶものあまたはべるなることなれば、おしなべて心やすくやとこそ思ひたまへつれ。さは、すぐれたるは、 さまことにやはべらむ
 「こちらで、適当な管弦のお遊びがあります折などに、聞くことができましょうか。賤しい田舎者の中でも、習う者が大勢おりますと言うことですから、総じて気楽に弾けるものかと存じておりました。では、お上手な方は、まるで違っているのでしょうか」
 「こちらにおりまして、音楽のお遊びがございます時などに聞くことができますでしょうか。田舎いなかの人などもこれはよく習っております琴ですから、気楽に稽古けいこができますもののように私は思っていたのでございますがほんとうの上手じょうずな人の弾くのは違っているのでございましょうね」
  "Kono watari nite, sarinubeki ohom-asobi no wori nado, kiki haberi na m ya? Ayasiki yamagatu nado no naka ni mo, manebu mono amata haberu naru koto nare ba, osinabete kokoroyasuku ya to koso omohi tamahe ture. Saha, sugure taru ha, sama koto ni ya habera m?"
1.4.12  と、ゆかしげに、切に心に入れて思ひたまへれば、
 と、さも聞きたそうに、熱心に気を入れていらっしゃるので、
 玉鬘は熱心なふうに尋ねた。
  to, yukasige ni, seti ni kokoro ni ire te omohi tamahe re ba,
1.4.13  「 さかし。あづまとぞ名も立ち下りたるやうなれど、御前の御遊びにも、まづ書司を召すは、 人の国は知らず、ここにはこれを ものの親としたるにこそあめれ
 「そうです。東琴と言って名前は低そうに聞こえますが、御前での管弦の御遊にも、まず第一に書司をお召しになるのは、異国はいざ知らず、わが国では和琴を楽器の第一としたのでしょう。
 「そうですよ。あずま琴などとも言ってね、その名前だけでも軽蔑けいべつしてつけられている琴のようですが、宮中の御遊ぎょゆうの時に図書の役人に楽器の搬入を命ぜられるのにも、ほかの国は知りませんがここではまず大和やまと琴が真先まっさきに言われます。
  "Sakasi. Aduma to zo na mo tati kudari taru yau nare do, gozen no ohom-asobi ni mo, madu Humi-no-tukasa wo mesu ha, hitonokuni ha sira zu, koko ni ha kore wo mono no oya to si taru ni koso a' mere.
1.4.14  そのなかにも、 親としつべき御手より弾き取りたまへらむは、心ことなりなむかし。ここになども、さるべからむ折にはものしたまひなむを、この琴に、手惜しまずなど、あきらかに掻き鳴らしたまはむ ことやかたからむ。ものの上手は、 いづれの道も心やすからずのみぞあめる
 そうした中でも、その第一人者である父親から直接習い取ったら、格別でしょう。こちらにも、何かの機会にはおいでになるだろうが、和琴に、秘手を惜しまず、隠さず演奏するようなことはめったにないでしょう。物の名人は、どの道の人でも気安くは手の内を見せないもののようです。
 つまりあらゆる楽器の親にこれがされているわけです。くことは練習次第で上達しますが、お父さんに同じ音楽的の遺伝のある娘がお習いすることは理想的ですね。私の家などへも何かの場合においでにならないことはありませんが、精いっぱいに弾かれるのを聞くことなどは困難でしょう。名人の芸というものはなかなか容易に全部を見せようとしないものですからね。
  Sono naka ni mo, oya to si tu beki ohom-te yori hikitori tamahe ra m ha, kokorokoto nari na m kasi. Koko ni nado mo, saru bekara m wori ni ha monosi tamahi na m wo, kono koto ni, te wosima zu nado, akiraka ni kaki-narasi tamaha m koto ya katakara m. Mono no zyauzu ha, idure no miti mo kokoroyasukara zu nomi zo a' meru.
1.4.15  さりとも、つひには聞きたまひてむかし」
 とは言っても、いずれはお聞きになれることでしょう」
 しかしあなたはいつか聞けますよ」
  Saritomo, tuhini ha kiki tamahi te m kasi."
1.4.16  とて、調べすこし弾きたまふ。 ことつひいと二なく 、今めかしくをかし。「 これにもまされる音や出づらむ」と、親の御ゆかしさたち添ひて、このことにてさへ、「 いかならむ世に、さてうちとけ弾きたまはむを聞かむ」など、思ひゐたまへり。
 とおっしゃって、楽曲を少しお弾きになる。和琴を弾く姿はとても素晴らしく、はなやかで趣がある。「これよりも優れた音色が出るのだろうか」と、親にお会いしたい気持ちが加わって、和琴のことにつけてまでも、「いつになったら、こんなふうにくつろいでお弾きになるところを聞くことができるのだろうか」などと、思っていらっしゃった。
 こう言いながら源氏は少し弾いた。はなやかな音であった。これ以上な音が父には出るのであろうかと玉鬘たまかずらは不思議な気もしながらますます父にあこがれた。ただ一つの和琴わごんの音だけでも、いつの日に自分は娘のために打ち解けて弾いてくれる父親の爪音にあうことができるのであろうと玉鬘はみずからをあわれんだ。
  tote, sirabe sukosi hiki tamahu. Kototuhi ito ninaku, imamekasiku wokasi. "Kore ni mo masareru ne ya idu ram." to, oya no ohom-yukasisa tatisohi te, kono koto ni te sahe, "Ika nara m yo ni, sate utitoke hiki tamaha m wo kika m." nado, omohi wi tamahe ri.
1.4.17  「 貫河の瀬々のやはらた」と、いとなつかしく謡ひたまふ。「 親避くるつま」は、すこしうち笑ひつつ、わざともなく掻きなしたまひたる菅掻きのほど、いひ知らずおもしろく聞こゆ。
 「貫河の瀬々の柔らかな手枕」と、たいそう優しくお謡いになる。「親が遠ざける夫」というところは、少しお笑いになりながら、ことさらにでもなくお弾きになる菅掻きの音、何とも言いようがなく美しく聞こえる。
 「貫川ぬきがは瀬々せぜのやはらだ」(やはらたまくらやはらかに寝る夜はなくて親さくる妻)となつかしい声で源氏は歌っていたが「親さくる妻」は少し笑いながら歌い終わったあとの清掻すががきが非常におもしろく聞かれた。
  Nukikaha no seze no yaharata to, ito natukasiku utahi tamahu. Oya sakuru tumaha, sukosi uti-warahi tutu, waza to mo naku kakinasi tamahi taru sugagaki no hodo, ihisirazu omosiroku kikoyu.
1.4.18  「 いで、弾きたまへ。才は人になむ恥ぢぬ。「想夫恋」ばかりこそ、心のうちに思ひて、紛らはす人もありけめ、おもなくて、かれこれに合はせつるなむよき」
 「さあ、お弾きなさい。芸事は人前を恥ずかしがっていてはいけません。「想夫恋」だけは、心中に秘めて、弾かない人があったようだが、遠慮なく、誰彼となく合奏したほうがよいのです」
 「さあ弾いてごらんなさい。芸事は人に恥じていては進歩しないものですよ。『想夫恋そうふれん』だけはきまりが悪いかもしれませんがね。とにかくだれとでもつとめて合わせるのがいいのですよ」
  "Ide, hiki tamahe. Zae ha hito ni nam hadi nu. Sauhuren bakari koso, kokoro no uti ni omohi te, magirahasu hito mo ari keme, omonaku te, karekore ni ahase turu nam yoki."
1.4.19  と、切に聞こえたまへど、さる田舎の隈にて、 ほのかに京人と名のりける古大君女教へきこえければ、ひがことにもやとつつましくて、手触れたまはず。
 と、しきりにお勧めになるが、あの辺鄙な田舎で、何やら京人と名乗った皇孫筋の老女がお教え申したので、誤りもあろうかと遠慮して、手をお触れにならない。
 源氏は玉鬘の弾くことを熱心に勧めるのであったが、九州の田舎で、京の人であることを標榜ひょうぼうしていた王族の端くれのような人から教えられただけの稽古けいこであったから、まちがっていてはと気恥ずかしく思って玉鬘は手を出そうとしないのであった。
  to, seti ni kikoye tamahe do, saru winaka no kuma nite, honoka ni kyauhito to nanori keru, huru-ohogimi womna wosihe kikoye kere ba, higakoto ni mo ya to tutumasiku te, te hure tamaha zu.
1.4.20  「 しばしも弾きたまはなむ。聞き取ることもや」と心もとなきに、 この御琴によりぞ、 近くゐざり寄りて
 「少しの間でもお弾きになってほしい。覚えることができるかも知れない」と聞きたくてたまらず、この和琴の事のために、お側近くにいざり寄って、
 源氏が弾くのを少し長く聞いていれば得る所があるであろう、少しでも多く弾いてほしいと思う玉鬘であった。いつとなく源氏のほうへ膝行いざり寄っていた。
  "Sibasi mo hiki tamaha nam. Kikitoru koto mo ya?" to kokoromotonaki ni, kono ohom-koto ni yori zo, tikaku wizari yori te,
1.4.21  「 いかなる風の吹き添ひて、かくは響きはべるぞとよ
 「どのような風が吹き加わって、このような素晴らしい響きが出るのかしら」
 「不思議な風が出てきて琴の音響ひびきを引き立てている気がします。どうしたのでしょう」
  "Ika naru kaze no huki sohi te, kaku ha hibiki haberu zo to yo."
1.4.22  とて、うち傾きたまへるさま、火影にいとうつくしげなり。笑ひたまひて、
 と言って、耳を傾けていらっしゃる様子、燈の光に映えてたいそうかわいらしげである。お笑いになって、
 と首を傾けている玉鬘の様子がの明りに美しく見えた。源氏は笑いながら、
  tote, uti-katabuki tamahe ru sama, hokage ni ito utukusige nari. Warahi tamahi te,
1.4.23  「 耳固からぬ人のためには、 身にしむ風も吹き添ふかし」
 「耳聰いあなたのためには、身にしむ風も吹き加わるのでしょう」
 「熱心に聞いていてくれない人には、外から身にしむ風も吹いてくるでしょう」
  "Mimi katakara nu hito no tame ni ha, mi ni simu kaze mo huki sohu kasi."
1.4.24  とて、押しやりたまふ。 いと心やまし
 と言って、和琴を押しやりなさる。何とも迷惑なことである。
  と言って、源氏は和琴を押しやってしまった。玉鬘は失望に似たようなものを覚えた。
  tote, osiyari tamahu. Ito kokoroyamasi.
注釈60なほ気近くて暑かはしや篝火こそよけれ源氏の詞。1.4.2
注釈61篝火の台一つこなたに源氏の詞。1.4.4
注釈62律にいとよく調べられたり玉鬘が調絃した。1.4.5
注釈63かやうのことは以下「響きのぼれ」まで、源氏の詞。『完訳』は「田舎育ちを見くびったが、調絃から意外な趣味を知った」と注す。源氏の和琴論。1.4.6
注釈64このものよ和琴をさす。1.4.7
注釈65さながら多くの遊び物の音、拍子を調へとりたるなむいとかしこき『集成』は「そっくり多くの楽器の音色や拍子をきちんと演奏できるのが大したものです」と訳す。この物語の「大和魂」の思想に通じる。1.4.7
注釈66広く異国のことを知らぬ女のためとなむおぼゆる『完訳』は「このあたり、渡来の文物の優秀さを前提にしながらも、日本古来の捨てがたい価値を称揚。和琴をその典型とする」と注す。一般に唐来物を最上、高麗物を次善とし、国産のものは低く見ている。1.4.7
注釈67深き心とて『集成』は「深遠な奥義といったものは」。『完訳』は「高度の演奏技術といっても」と訳す。1.4.8
注釈68いかでと思すことなれば「いかで」の下には「勝らむ」などの語句が省略。1.4.10
注釈69このわたりにて以下「さまことにやはべらむ」まで、玉鬘の詞。1.4.11
注釈70さりぬべき御遊びの折など大島本は「おりなと」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「をりなどに」と「に」を補訂する。1.4.11
注釈71聞きはべりなむや内大臣の演奏をさす。「な」完了の助動詞。「む」推量の助動詞。「や」係助詞、疑問の意。1.4.11
注釈72さまことにやはべらむ係助詞「や」疑問の意。推量の助動詞「む」、推量の意。軽い疑問の意。1.4.11
注釈73さかし以下「聞きたまひてむかし」まで、源氏の詞。1.4.13
注釈74人の国は知らずここには異国と日本を比較。1.4.13
注釈75ものの親としたるにこそあめれ『集成』は「和琴を一番大切なものとしているからでしょう」。『完訳』は「これを第一番の楽器としているためなのでしょう」と訳す。1.4.13
注釈76親としつべき御手より弾き取りたまへらむは心ことなりなむかし『集成』は「第一人者というべき内大臣のご演奏からじかに学び取られたら、すばらしいことでしょう」と訳す。1.4.14
注釈77ことやかたからむ間投助詞「や」詠嘆。1.4.14
注釈78いづれの道も心やすからずのみぞあめる『集成』「どの道の人もむやみに重々しく振舞うようです」。『完訳』は「どの道の人でもそう気軽に手の内を見せるということはないもののようです」と訳す。1.4.14
注釈79ことつひいと二なく「ことつひ」は語義未詳。『集成』は「和琴を弾く姿とも、琴さき(爪)ともいう」。『完訳』は「弾奏する姿の意か」と注す。1.4.16
注釈80これにもまされる音や出づらむ玉鬘の心中。係助詞「や」疑問、推量の助動詞「む」連体形、係結び。1.4.16
注釈81いかならむ世にさてうちとけ弾きたまはむを聞かむ玉鬘の心中。1.4.16
注釈82貫河の瀬々のやはらた催馬楽「貫河」の歌詞の一節。1.4.17
注釈83親避くるつまこの語句も催馬楽「貫河」の歌詞の一節。1.4.17
注釈84いで弾きたまへ以下「合はせつるなむよき」まで、源氏の詞。1.4.18
注釈85ほのかに京人と名のりける『集成』は「何かにかこつけて都人だと自称していた」。『完訳』は「何やら京生れと名のっていた」と訳す。1.4.19
注釈86古大君女教へきこえければ大島本は「ふるおほきミ女」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「古大君女の」と「の」を補訂する。1.4.19
注釈87しばしも弾きたまはなむ聞き取ることもや玉鬘の心中。終助詞「なむ」願望の意。「もや」連語、下に「あらむ」連体形などの語句が省略。源氏にもう少し和琴を弾いていてほしい、と思う。1.4.20
注釈88この御琴により「こと」は「事」と「琴」の掛詞。1.4.20
注釈89近くゐざり寄りて主語は玉鬘。1.4.20
注釈90いかなる風の吹き添ひてかくは響きはべるぞとよ玉鬘の詞。「琴の音に峯の松風かよふらしいづれの緒よりしらべそめけむ」(拾遺集雑上、四五一、斎宮女御)を踏まえる。1.4.21
注釈91耳固からぬ人の以下「風も吹き添ふかし」まで、源氏の詞。1.4.23
注釈92身にしむ風も「秋吹くはいかなる色の風なれば身にしむばかりあはれなるらむ」(詞花集秋、一〇九、和泉式部)。琴の音色は聴きわけるのにわたしの言うことは理解してくれない、という皮肉の意をこめる。1.4.23
注釈93いと心やまし『集成』は「玉鬘の思いがそのまま地の文に重なる書き方」。『完訳』は「玉鬘の心情に即した地の文」と注す。1.4.24
出典5 貫河の瀬々のやはらた 貫河の瀬々 のやはら手枕 やはらかに 寝る夜はなくて 親離くる夫 親離くる夫は ましてるはし しかさらば 矢矧の市に 沓買ひにかむ 沓買はば 線鞋の 細底を買へ さし履きて 表裳とり着て 宮路かよはむ 催馬楽-貫河 1.4.17
校訂6 いと二なく いと二なく--きひう(きひう/$いとになく<朱>) 1.4.16
1.5
第五段 源氏、玉鬘と和歌を唱和


1-5  Genji and Tamakazura compose and exchange waka

1.5.1  人びと近くさぶらへば、例の戯れごともえ聞こえたまはで、
 女房たちが近くに伺候しているので、いつもの冗談も申し上げなさらずに、
 女房たちが近い所に来ているので、例のような戯談じょうだんも源氏は言えなかった。
  Hitobito tikaku saburahe ba, rei no tahaburegoto mo e kikoye tamaha de,
1.5.2  「 撫子を飽かでも、この人びとの立ち去りぬるかな。いかで、大臣にも、この花園見せたてまつらむ。世もいと常なきをと思ふに、いにしへも、もののついでに 語り出でたまへりしも、ただ今のこととぞおぼゆる」
 「撫子を十分に鑑賞もせずに、あの人たちは立ち去ってしまったな。何とかして、内大臣にも、この花園をお見せ申したいものだ。人の命はいつまでも続くものでないと思うと、昔も、何かの時にお話しになったことが、まるで昨日今日のことのように思われます」
 「撫子なでしこを十分に見ないで青年たちは行ってしまいましたね。どうかして大臣にもこの花壇をお見せしたいものですよ。無常の世なのだから、すべきことはすみやかにしなければいけない。昔大臣が話のついでにあなたの話をされたのも今のことのような気もします」
  "Nadesiko wo aka de mo, kono hitobito no tatisari nuru kana! Ikade, Otodo ni mo, kono hanazono mise tatematura m. Yo mo ito tune naki wo to omohu ni, inisihe mo, mono no tuide ni katari ide tamahe ri simo, tada ima no koto to zo oboyuru."
1.5.3  とて、すこしのたまひ出でたるにも、いとあはれなり。
 とおっしゃって、少しお口になさったのにつけても、たいそう感慨無量である。
 源氏はその時の大臣の言葉を思い出して語った。玉鬘は悲しい気持ちになっていた。
  tote, sukosi notamahi ide taru ni mo, ito ahare nari.
1.5.4  「 撫子のとこなつかしき色を見ば
   もとの垣根を人や尋ねむ
 「撫子の花の色のようにいつ見ても美しいあなたを見ると
  母親の行く方を内大臣は尋ねられることだろうな
  「なでしこのとこなつかしき色を見ば
  もとの垣根かきねを人や尋ねん
    "Nadesiko no toko natukasiki iro wo mi ba
    moto no kakine wo hito ya tadune m
1.5.5   このことのわづらはしさにこそ、 繭ごもりも心苦しう思ひきこゆれ」
 このことが厄介に思われるので、引き籠められているのをお気の毒に思い申しています」
 私にはあなたのお母さんのことで、やましい点があって、それでつい報告してあげることが遅れてしまうのです」
  Kono koto no wadurahasisa ni koso, mayugomori mo kokorogurusiu omohi kikoyure."
1.5.6  とのたまふ。君、うち泣きて、
 とおっしゃる。姫君は、ちょっと涙を流して、
 と源氏は言った。玉鬘は泣いて、
  to notamahu. Kimi, uti-naki te,
1.5.7  「 山賤の垣ほに生ひし撫子の
   もとの根ざしを誰れか尋ねむ
 「山家の賤しい垣根に生えた撫子のような
  わたしの母親など誰が尋ねたりしましょうか
  山がつのかきほにひし撫子なでしこ
  もとの根ざしをたれか尋ねん
    "Yamagatu no kakiho ni ohi si nadesiko no
    moto no nezasi wo tare ka tadune m
1.5.8  はかなげに聞こえないたまへるさま、 げにいとなつかしく若やかなり。
 と人数にも入らないように謙遜してお答え申し上げなさった様子は、なるほどたいそう優しく若々しい感じである。
 とはかないふうに言ってしまう様子が若々しくなつかしいものに思われた。
  Hakanage ni kikoye nai tamahe ru sama, geni ito natukasiku wakayaka nari.
1.5.9  「 来ざらましかば
 「もし来なかったならば」
 源氏の心はますますこの人へ
  "Ko zara masika ba"
1.5.10  とうち誦じたまひて、いとどしき御心は、苦しきまで、なほえ忍び果つまじく思さる。
 とお口ずさみになって、ひとしお募るお心は、苦しいまでに、やはり我慢しきれなくお思いになる。
 かれるばかりであった。苦しいほどにも恋しくなった。源氏はとうていこの恋心は抑制してしまうことのできるものでないと知った。
  to uti-zuzi tamahi te, itodosiki mi-kokoro ha, kurusiki made, naho e sinobi hatu maziku obosa ru.
注釈94撫子を飽かでも以下「ことぞおぼゆる」まで、源氏の詞。1.5.2
注釈95語り出でたまへりしも内大臣が玉鬘のことを。「帚木」巻の雨夜の品定めの段をさす。1.5.2
注釈96撫子のとこなつかしき色を見ば--もとの垣根を人や尋ねむ源氏から玉鬘への贈歌。「とこなつかしき」と「常夏」(撫子の別名)の掛詞。「もとの垣根」は母夕顔をさす。1.5.4
注釈97このことのわづらはしさに以下「思ひきこゆる」まで、歌に続けた源氏の詞。「このこと」は内大臣が夕顔の行方を詮索すること。1.5.5
注釈98繭ごもりも心苦しう「たらちねの親の飼ふ蚕の繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずて」(拾遺集恋四、八九五、人麿)を踏まえる。1.5.5
注釈99山賤の垣ほに生ひし撫子の--もとの根ざしを誰れか尋ねむ玉鬘の返歌。「撫子」「尋ね」の言葉を引用し、「人や尋ねむ」を「誰か尋ねむ」と返す。「あな恋し今も見てしか山がつの垣ほに咲ける大和撫子」(古今集恋四、六九五、読人しらず)を踏まえる。1.5.7
注釈100げにいとなつかしく「げに」は語り手が源氏の「とこなつかしき」と言った言葉を受けたもの。1.5.8
注釈101来ざらましかば源氏の詞。「うち誦じたまひて」とあるので、引歌があるらしいが、未詳。1.5.9
出典6 繭ごもりも心苦しう たらちねの親のかふこの繭ごもりいぶせくもあるか妹に逢はずして 拾遺集恋四-八九五 柿本人麿 1.5.5
1.6
第六段 源氏、玉鬘への恋慕に苦悩


1-6  Genji is in agonies of love to Tamakazura

1.6.1  渡りたまふことも、あまりうちしきり、人の見たてまつり咎むべきほどは、心の鬼に思しとどめて、さるべきことをし出でて、御文の通はぬ折なし。ただこの御ことのみ、明け暮れ御心にはかかりたり。
 お渡りになることも、あまり度重なって、女房が不審にお思い申しそうな時は、気が咎め自制なさって、しかるべきご用を作り出して、お手紙の通わない時はない。ただこのお事だけがいつもお心に掛かっていた。
 玉鬘たまかずらの西の対への訪問があまりに続いて人目を引きそうに思われる時は、源氏も心の鬼にとがめられて間は置くが、そんな時には何かと用事らしいことをこしらえて手紙が送られるのである。この人のことだけが毎日の心にかかっている源氏であった。
  Watari tamahu koto mo, amari uti-sikiri, hito no mi tatematuri togamu beki hodo ha, kokoronooni ni obosi todome te, sarubeki koto wo siide te, ohom-humi no kayoha nu wori nasi. Tada kono ohom-koto nomi, akekure mi-kokoro ni ha kakari tari.
1.6.2  「 なぞ、かくあいなきわざをして、やすからぬもの思ひをすらむ。 さ思はじとて、心のままにもあらば、世の人のそしり言はむことの軽々しさ、わがためをばさるものにて、この人の御ためいとほしかるべし。限りなき心ざしといふとも、 春の上の御おぼえに並ぶばかりは、わが心ながら えあるまじく」思し知りたり。「 さて、その劣りの列にては何ばかりかはあらむわが身ひとつこそ、人よりは異なれ、見む人のあまたが中に、かかづらはむ末にては、何のおぼえかはたけからむ。異なることなき納言の際の、二心なくて思はむには、劣りぬべきことぞ」
 「どうして、このような不相応な恋をして、心の休まらない物思いをするのだろう。そんな苦しい物思いはするまいとして、心の赴くままにしたら、世間の人の非難を受ける軽々しさを、自分への悪評はそれはそれとして、この姫君のためにもお気の毒なことだろう。際限もなく愛しているからと言っても、春の上のご寵愛に並ぶほどには、わが心ながらありえまい」と思っていらっしゃった。「さて、そうしたわけで、それ以下の待遇では、どれほどのことがあろうか。自分だけは、誰よりも立派だが、世話する女君が大勢いる中で、あくせくするような末席にいたのでは、何の大したことがあろう。格別大したこともない大納言くらいの身分で、ただ姫君一人を妻とするのには、きっと及ばないことだろう」
 なぜよけいなことをし始めて物思いを自分はするのであろう、煩悶はんもんなどはせずに感情のままに行動することにすれば、世間の批難は免れないであろうが、それも自分はよいとして女のために気の毒である。どんなに深く愛しても春の女王にょおうと同じだけにその人を思うことの不可能であることは、自分ながらも明らかに知っている。第二の妻であることによって幸福があろうとは思われない。自分だけはこの世のすぐれた存在であっても、自分の幾人もの妻の中の一人である女に名誉のあるわけはない。
  "Nazo, kaku ainaki waza wo si te, yasukara nu mono omohi wo su ram. Sa omoha zi tote, kokoro no mama ni mo ara ba, yonohito no sosiri iha m koto no karugarusisa, waga tame wo ba saru mono nite, kono hito no ohom-tame itohosikaru besi. Kagiri naki kokorozasi to ihu tomo, Haru-no-Uhe no ohom-oboye ni narabu bakari ha, waga kokoro nagara e aru maziku." obosi siri tari. "Sate, sono otori no tura nite ha, nani bakari ka ha ara m. Waga mi hitotu koso, hito yori ha koto nare, mi m hito no amata ga naka ni, kakaduraha m suwe nite ha, nani no oboye ka ha takekara m. Koto naru koto naki Nahugon no kiha no, hutagokoro naku te omoha m ni ha, otori nu beki koto zo."
1.6.3  と、みづから思し知るに、いといとほしくて、「 宮、大将などにや許してまし。 さてもて離れ、いざなひ取りては、思ひも絶えなむや。いふかひなきにて、さもしてむ」と思す折もあり。
 と、ご自身お分りなので、たいそうお気の毒で、「いっそ、兵部卿宮か、大将などに許してしまおうか。そうして自分も離れ、姫君も連れて行かれたら、諦めもつくだろうか。言っても始まらないことだが、そうもしてみようか」とお思いになる時もある。
 平凡な納言級の人の唯一の妻になるよりも決して女のために幸福でないと源氏は知っているのであったから、しいて情人にするのが哀れで、兵部卿ひょうぶきょうの宮か右大将に結婚を許そうか、そうして良人おっとの家へ行ってしまえばこの悩ましさから自分は救われるかもしれない。消極的な考えではあるがその方法を取ろうかと思う時もあった。
  to, midukara obosi siru ni, ito itohosiku te, "Miya, Daisyau nado ni ya yurusi te masi. Sate mote-hanare, izanahi tori te ha, omohi mo taye nam ya? Ihukahinaki nite, samo si te m." to obosu wori mo ari.
1.6.4  されど、渡りたまひて、御容貌を見たまひ、今は御琴教へたてまつりたまふにさへことづけて、近やかに馴れ寄りたまふ。
 しかし、お渡りになって、ご器量を御覧になり、今ではお琴をお教え申し上げなさることまで口実にして、近くに常に寄り添っていらっしゃる。
 しかもまた西の対へ行って美しい玉鬘を見たり、このごろは琴を教えてもいたので、以前よりも近々と寄ったりしては決心していたことがゆらいでしまうのであった。
  Saredo, watari tamahi te, ohom-katati wo mi tamahi, ima ha ohom-koto wosihe tatematuri tamahu ni sahe kotoduke te, tikayaka ni nare yori tamahu.
1.6.5   姫君も、初めこそむくつけく、うたてとも思ひたまひしか、「 かくても、なだらかに、うしろめたき御心はあらざりけり」と、やうやう目馴れて、いとしも疎みきこえたまはず、さるべき御応へも、馴れ馴れしからぬほどに聞こえかはしなどして、見るままにいと愛敬づき、薫りまさりたまへれば、 なほさてもえ過ぐしやるまじく思し返す。
 姫君も、初めのうちこそ気味悪く嫌だとお思いであったが、「このようになさっても、穏やかなので、心配なお気持ちはないのだ」と、だんだん馴れてきて、そうひどくお嫌い申されず、何かの折のお返事も、親し過ぎない程度に取り交わし申し上げなどして、御覧になるにしたがってとても可愛らしさが増し、はなやかな美しさがお加わりになるので、やはり結婚させてすませられないとお思い返しなさる。
 玉鬘もこうしたふうに源氏が扱い始めたころは、恐ろしい気もし、反感を持ったが、それ以上のことはなくて、やはり信頼のできそうなのに安心して、しいて源氏の愛撫あいぶからのがれようとはしなかった。返辞などもなれなれしくならぬ程度にする愛嬌あいきょうの多さは知らず知らずに十分の魅力になって、前の考えなどは合理的なものでないと源氏をして思わせた。
  Himegimi mo, hazime koso mukutukeku, utate to mo omohi tamahi sika, "Kakute mo, nadaraka ni, usirometaki mi-kokoro ha ara zari keri." to, yauyau me nare te, ito simo utomi kikoye tamaha zu, sarubeki ohom-irahe mo, narenaresikara nu hodo ni kikoye kahasi nado si te, miru mama ni ito aigyauduki, kawori masari tamahe re ba, naho satemo e sugusi yaru maziku obosi kahesu.
1.6.6  「 さはまた、さて、ここながらかしづき据ゑて、さるべき折々に、はかなくうち忍び、ものをも聞こえて慰みなむや。 かくまだ世馴れぬほどの、わづらはしさにこそ、心苦しくはありけれ、おのづから 関守強くともものの心知りそめいとほしき思ひなくて、わが心も 思ひ入りなば、しげくとも障はらじかし 」と思し寄る、 いとけしからぬことなりや
 「それならばまた、結婚させて、ここに置いたまま大切にお世話して、適当な折々に、こっそりと会い、お話申して心を慰めることにしようか。このようにまだ結婚していないうちに、口説くことは面倒で、お気の毒であるが、自然と夫が手強くとも、男女の情が分るようになり、こちらがかわいそうだと思う気持ちがなくて、熱心に口説いたならば、いくら人目が多くても差し障りはあるまい」とお考えになる、実にけしからぬ考えである。
 それでは今のままに自分の手もとへ置いて結婚をさせることにしよう、そして自分の恋人にもしておこう、処女である点が自分に躊躇ちゅうちょをさせるのであるが、結婚をしたのちもこの人に深い愛をもって臨めば、良人おっとのあることなどは問題でなく恋は成り立つに違いないとこんなけしからぬことも源氏は思った。
  "Saha mata, sate, koko nagara kasiduki suwe te, sarubeki woriwori ni, hakanaku uti-sinobi, mono wo mo kikoye te nagusami na m ya? Kaku mada yonare nu hodo no, wadurahasisa ni koso, kokorogurusiku ha ari kere, onodukara sekimori tuyoku tomo, mono no kokoro siri some, itohosiki omohi naku te, waga kokoro mo omohiiri na ba, sigeku tomo sahara zi kasi." to obosiyoru, ito kesikara nu koto nari ya!
1.6.7   いよいよ心やすからず思ひわたらむ苦しからむなのめに思ひ過ぐさむことの、とざまかくざまにもかたきぞ、世づかずむつかしき御語らひなりける。
 ますます気が気でなくなり、なお恋し続けるというのもつらいことであろう。ほどほどに思い諦めることが、何かにつけてできそうにないのが、世にも珍しく厄介なお二人の仲なのであった。
 それを実行した暁にはいよいよ深い煩悶はんもんに源氏は陥ることであろうし、熱烈でない愛しようはできない性質でもあるから悲劇がそこに起こりそうな気のすることである。
  Iyoiyo kokoroyasukara zu, omohi watara m kurusikara m. Nanome ni omohisugusa m koto no, tozama-kakuzama ni mo kataki zo, yoduka zu mutukasiki ohom-katarahi nari keru.
注釈102なぞかくあいなきわざをして以下「えあるまじく」まで、源氏の心中。【集成】は「以下、源氏の、あれこれの場合を想定しての心中の悩みを書く」。『完訳』は「以下、「あるまじく」まで、源氏の自制的な心語」と注す。1.6.2
注釈103さ思はじとて心のままにもあらば「さ」は苦しい思い、「心のまま」は玉鬘を自分の妻妾の一人にすることをさす。1.6.2
注釈104春の上の御おぼえに「春の上」は紫の上、源氏の心中文中の呼称に注意。1.6.2
注釈105えあるまじく連用中止法。心中文から地の文に続く表現。1.6.2
注釈106さてその劣りの列にては以下「劣りぬべきことぞ」まで、源氏の心中。花散里や明石御方などの劣った妻妾と同待遇をさす。1.6.2
注釈107何ばかりかはあらむ「かは--む」反語表現。『集成』は「大した幸福とはいえない」と訳す。1.6.2
注釈108わが身ひとつこそ人よりは異なれ源氏は太政大臣の地位にあることをさす。「こそ--なれ」係結び、逆接用法。1.6.2
注釈109宮大将などにや以下「さもしてむ」まで、源氏の心中。1.6.3
注釈110さてもて離れいざなひ取りては『集成』は「結婚してすっかり自分とは無関係に、(宮や大将が)自分の家に連れて行ってしまったなら、執着も絶えようか」。『完訳』は「そして自分とは縁が切れて、その人たちが引き取るというのだったら」と訳す。1.6.3
注釈111姫君も初めこそ「思ひたまひしか」に係る係結び、逆接用法。1.6.5
注釈112かくてもなだらかにうしろめたき御心はあらざりけり玉鬘の心中。「かくてもなだらかに」は『集成』は「こんなにおっしゃりながらも、人目に立つようなことはなさらないで」、『完訳』は「こうしていらっしゃっても、無体なことはなさらずおとなしくしておられるので」と訳す。1.6.5
注釈113なほさてもえ過ぐしやるまじく『集成』は「やはりおめおめ結婚させられないと」。『完訳』は「やはりそのまではとても過せそうもない」と訳す。1.6.5
注釈114さはまたさてここながら以下「障はらじかし」まで、源氏の心中。1.6.6
注釈115かくまだ世馴れぬほどの、わづらはしさにこそ、心苦しくはありけれ「こそ--けれ」係結び、逆接用法。『集成』は「今のように、まだ男を知らぬ娘心を靡かせようとあれこれ気を遣って策を弄するのは、(玉鬘に対して)気の毒だけれど」。『完訳』は「こうして姫君がまだ男女の情を知らないうちに手出しするのは面倒だし、またかわいそうに思えるけれども」と訳す。1.6.6
注釈116関守強くとも「関守」は玉鬘の夫をさす。「人知れぬわが通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ」(古今集恋三、六三二、業平朝臣・伊勢物語五段)。1.6.6
注釈117ものの心知りそめ主語は玉鬘。玉鬘が男女の情を知るようになる。1.6.6
注釈118いとほしき思ひなくて源氏側の思い。『集成』は「こちら(源氏)も、仮にも娘分をと、ひるむ気持がなくて」。『完訳』は「「心のままにも--いとほしかるべし」に照応。女が夫ある身なら不憫さも感じまい、とする」「こちらでもいたわしく思う気がねがなくなるわけだし」と注す。1.6.6
注釈119思ひ入りなばしげくとも障はらじかし「筑波山端山繁山しげけれど思ひ入るには障らざりけり」(新古今集恋一、一〇一三、源重之・重之集)を踏まえる。1.6.6
注釈120いとけしからぬことなりや『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の源氏への批評」と注す。1.6.6
注釈121いよいよ心やすからず『完訳』は「源氏の心に即した語り手の言辞」と注す。1.6.7
注釈122思ひわたらむ苦しからむ大島本は「思ひわたらむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「思ひわたらむも」と「も」を補訂する。1.6.7
注釈123なのめに思ひ過ぐさむことの玉鬘をほどほどに諦めることの意。1.6.7
出典7 関守強くとも 人知れぬわが通ひ路の関守は宵々ごとにうちも寝ななむ 古今集恋三-六三二 在原業平 1.6.6
出典8 思ひ入りなば 筑波山葉山繁山し茂けれど思ひ入るには障らざりけり 新古今集恋一-一〇一三 源重之 1.6.6
1.7
第七段 玉鬘の噂


1-7  A rumor about Tamakazura

1.7.1  内の大殿は、 この今の御女のことを、「 殿の人も許さず、軽み言ひ、世にもほきたることと誹りきこゆ」と、聞きたまふに、少将の、ことのついでに、太政大臣の「 さることや」ととぶらひたまひしこと 、語りきこゆれば、
 内の大殿は、この新しい姫君のことを、「お邸の人々も姫として認めず、軽んじた批評をし、世間でも馬鹿げたことと非難申している」と、お聞きになると、少将が、何かの機会に、太政大臣が「本当のことか」とお尋ねになったことを、お話し申し上げると、
 内大臣が娘だと名のって出た女を、直ちに自邸へ引き取った処置について、家族も家司けいしたちもそれを軽率だと言っていること、世間でも誤ったしかただと言っていることも皆大臣の耳にははいっていたが、べんの少将が話のついでに源氏からそんなことがあるかと聞かれたことを言い出した時に大臣は笑って言った。
  Uti-no-Ohotono ha, kono ima no ohom-musume no koto wo, "Tono no hito mo yurusa zu, karomi ihi, yo ni mo hoki taru koto to sosiri kikoyu." to, kiki tamahu ni, Seusyau no, koto no tuide ni, Ohoki-Otodo no "Saru koto ya?" to toburahi tamahi si koto, katari kikoyure ba,
1.7.2  「 さかし。そこにこそは 、年ごろ、音にも聞こえぬ山賤の子迎へ取りて、ものめかしたつれ。をさをさ人の上もどきたまはぬ大臣の、このわたりのことは、耳とどめてぞおとしめたまふや。 これぞ、おぼえある心地しける
 「いかにも。あちらでこそ、長年、噂にも立たなかった賤しい娘を迎え取って、大切にしているのだ。めったに人の悪口をおっしゃらない大臣が、わたしの家のことは、聞き耳を立てて悪口をおっしゃるよ。それで、面目を施して晴れがましい気がする」
 「そうだ、あすこにも今までうわさも聞いたことのない外腹の令嬢ができて、それをたいそうに扱っていられるではないか。あまりに他人のことを言われない大臣だが、不思議に私の家のことだと口の悪い批評をされる。このことなどはそれを証明するものだよ」
  "Sakasi. Soko ni koso ha, tosigoro, oto ni mo kikoye nu yamagatu no ko mukahe tori te, monomekasi tature. Wosawosa, hito no uhe modoki tamaha nu Otodo no, kono watari no koto ha, mimi todome te zo otosime tamahu ya! Kore zo, oboye aru kokoti si keru."
1.7.3  とのたまふ。少将の、
 とおっしゃる。少将が、

  to notamahu. Seusyau no,
1.7.4  「 かの西の対に据ゑたまへる人は、いとこともなきけはひ見ゆるわたりになむはべるなる。兵部卿宮など、いたう心とどめてのたまひわづらふとか。おぼろけにはあらじとなむ、人びと推し量りはべめる」
 「あの西の対にお置きになっていらっしゃる姫君は、たいそう申し分ない方だそうでございます。兵部卿宮などが、たいそうご熱心に苦心して求婚なさっていらっしゃるとか。けっして並大抵の姫君ではあるまいと、世間の人々が推量しているようでございます」
 「あちらの西の対の姫君はあまり欠点もない人らしゅうございます。兵部卿ひょうぶきょうの宮などは熱心に結婚したがっていらっしゃるのですから、平凡な令嬢でないことが想像されると世間でも言っております」
  "Kano nisinotai ni suwe tamahe ru hito ha, ito koto mo naki kehahi miyuru watari ni nam haberu naru. Hyaubukyau-no-Miya nado, itau kokoro todome te notamahi wadurahu to ka. Oboroke ni ha ara zi to nam, hitobito osihakari habe' meru."
1.7.5  と申したまへば、
 と、お申し上げになると、

  to mausi tamahe ba,
1.7.6  「 いで、それは、かの大臣の御女と思ふばかりのおぼえのいといみじきぞ。人の心、皆さこそある世なめれ。かならずさしもすぐれじ。 人びとしきほどならば、年ごろ聞こえなまし
 「さあ、それは、あの大臣の御姫君と思う程度の評判の高さだ。人の心は、皆そういうもののようだ。必ずしもそんなに優れてはいないだろう。人並みの身分であったら、今までに評判になっていよう。
 「さあそれがね、源氏の大臣の令嬢である点でだけありがたく思われるのだよ。世間の人心というものは皆それなのだ。必ずしも優秀な姫君ではなかろう。相当な母親から生まれた人であれば以前から人が聞いているはずだよ。
  "Ide, sore ha, kano Otodo no ohom-musume to omohu bakari no oboye no ito imiziki zo. Hito no kokoro, mina sa koso aru yo na' mere. Kanarazu sasimo sugure zi. Hitobitosiki hodo nara ba, tosigoro kikoye na masi.
1.7.7  あたら、大臣の、塵もつかず、この世には過ぎたまへる御身のおぼえありさまに、 おもだたしき腹に、女かしづきて、げに疵なからむと、思ひやりめでたきが ものしたまはぬは
 惜しいことに、大臣が、何一つ欠点もなく、この世では過ぎた方でいらっしゃるご信望やご様子でありながら、れっきとした奥方の腹に、姫君を大切にお世話して、なるほど申し分あるまいと察せられる素晴らしい方がいらっしゃらないとは。
 円満な幸福を持っていられる方だが、りっぱな夫人から生まれた令嬢が一人もないのを思うと、
  Atara, Otodo no, tiri mo tuka zu, konoyo ni ha sugi tamahe ru ohom-mi no oboye arisama ni, omodatasiki hara ni, musume kasiduki te, geni kizu nakara m to, omohiyari medetaki ga monosi tamaha nu ha!
1.7.8   おほかたの、子の少なくて、心もとなきなめりかし。劣り腹なれど、 明石の御許の産み出でたるはしも、さる世になき宿世にて、 あるやうあらむとおぼゆかし
 だいたい子供の数が少なくて、きっと心細いことだろうよ。妾腹であるが、明石の御許が生んだ娘は、あの通りまたとない運命に恵まれて、将来にきっと頼もしかろうと思われる。
 だいたい子供が少ないたちなんだね。劣り腹といって明石あかしの女の生んだ人は、不思議な因縁で生まれたということだけでも何となく未来の好運が想像されるがね。
  Ohokata no, ko no sukunaku te, kokoromotonaki na' meri kasi. Otoribara nare do, Akasi-no-Omoto no umi ide taru ha simo, saru yo ni naki sukuse nite, aruyau ara m to oboyu kasi.
1.7.9  その 今姫君は、ようせずは、実の御子にもあらじかし。さすがに いとけしきあるところつきたまへる人にて、もてないたまふならむ」
 あの新しい姫君は、ひょっとしたら、実の姫君ではあるまいよ。何といっても一癖も二癖もある方だから、大事にしていらっしゃるのだろう」
 新しい令嬢はどうかすれば、それは実子でないかもしれない。そんな常識で考えられないようなこともあの人はされるのだよ」
  Sono ima-Himegimi ha, you se zu ha, ziti no ohom-ko ni mo ara zi kasi. Sasuga ni ito kesiki aru tokoro tuki tamahe ru hito nite, motenai tamahu nara m."
1.7.10  と、言ひおとしたまふ。
 と、悪口をおっしゃる。
 と内大臣は玉鬘たまかずらをけなした。
  to, ihi otosi tamahu.
1.7.11  「 さて、いかが定めらるなる。親王こそまつはし得たまはむ。もとより取り分きて御仲よし、人柄も警策なる御あはひどもならむかし」
 「ところで、どのようにお決めになったのか。親王がうまく靡かせて自分のものになさるだろう。もともと格別にお仲がよいし、人物もご立派で婿君に相応しい間柄であろうよ」
 「それにしても、だれが婿に決まるのだろう。兵部卿の宮の御熱心が結局勝利を占められることになるのだろう。もとから特別にお仲がいいのだし、大臣の趣味とよく一致した風流人だからね」
  "Sate, ikaga sadame raru naru. Miko koso matuhasi e tamaha m. Motoyori toriwaki te ohom-naka yosi, hitogara mo kyauzaku naru ohom-ahahi-domo nara m kasi."
1.7.12  などのたまひては、なほ、 姫君の御こと、飽かず口惜し。「 かやうに、心にくくもてなしていかにしなさむなど、やすからず いぶかしがらせましものを」とねたければ、 位さばかりと見ざらむ限りは、許しがたく思すなりけり。
 などとおっしゃっては、やはり、姫君のことが、残念でたまらない。「あのように、勿体らしく扱って、どういうふうになさる気かなどと、やきもきさせてやりたかったものを」と癪なので、位が相当になったと見えない限りは、結婚を許せないようにお思いになるのであった。
 と言ったあとに大臣は雲井くもいかりのことを残念に思った。そうしたふうにだれと結婚をするかと世間に興味を持たせる娘に仕立てそこねたのがくやしいのである。これによっても中将が今一段光彩のある官に上らない間は結婚が許されないと大臣は思った。
  nado notamahi te ha, naho, Himegimi no ohom-koto, aka zu kutiwosi. "Kayau ni, kokoronikuku motenasi te, ikani si nasa m nado, yasukara zu ibukasigara se masi mono wo." to netakere ba, kurawi sabakari to mi zara m kagiri ha, yurusi gataku obosu nari keri.
1.7.13   大臣なども、ねむごろに口入れかへさひたまはむにこそは、負くるやうにてもなびかめと思すに、 男方は、さらに焦られきこえたまはず、 心やましくなむ
 大臣などが、丁重に口添えして覆しなさるなら、それに負けたようにして承認しようと思うが、男君の方は、一向に焦りもなさらないので、おもしろからぬことであった。
 源氏がその問題の中へはいって来て懇請することがあれば、やむをえず負けた形式で同意をしようという大臣の腹であったが、中将のほうでは少しも焦慮しょうりょするふうを見せず落ち着いているのであったからしかたがないのである。
  Otodo nado mo, nemgoro ni kutiire kahesahi tamaha m ni koso ha, makuru yau nite mo nabika me to obosu ni, wotokogata ha, sarani ira re kikoye tamaha zu, kokoroyamasiku nam.
注釈124この今の御女のことを近江君をさす。1.7.1
注釈125殿の人も許さず以下「誹りきこゆ」まで、内大臣の耳に入ってくる内容。1.7.1
注釈126さることやととぶらひたまひしこと大島本は「さることやとふらひ給し事」とある。『集成』は「さることやと問ひたまひし」と校訂する。『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「さることやととぶらひたまひし」と「と」を補訂する。1.7.1
注釈127さかしそこにこそは以下「おぼえある心地しける」まで、内大臣の詞。1.7.2
注釈128これぞおぼえある心地しける『集成』は「それで、面目を施した気がする。源氏がとかく関心を持ってくれるので晴れがましい、と言う。源氏に突っかかるようなとげとげしいもの言い」。『完訳』は「負け惜しみからの皮肉である」と注す。1.7.2
注釈129かの西の対に据ゑたまへる人は以下「推し量りはべめる」まで、内大臣の次男の少将の詞。六条院夏の町の玉鬘をさしていう。「据ゑたまへる」の主語は源氏。1.7.4
注釈130いでそれは以下「もてないたまふならむ」まで、内大臣の詞。1.7.6
注釈131人びとしきほどならば年ごろ聞こえなまし「ならば--まし」反実仮想の構文。『完訳』は「もしひとかどのお人なのだったら、これまでにも評判が立っていただろうに」と訳す。1.7.6
注釈132おもだたしき腹に正妻の紫の上に実子のないことをいう。1.7.7
注釈133ものしたまはぬは下に「惜しい」などの語句が省略。余意・余情表現。1.7.7
注釈134おほかたの子の少なくて大島本は「おほかたのこのすくなくて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「おほかた子の少なくて」と「の」を削除する。1.7.8
注釈135明石の御許の内大臣の詞文中の明石の君の呼称のされ方。1.7.8
注釈136あるやうあらむとおぼゆかし『完訳』は「きっとこれからさき相当なところに落ち着く人なのだろうと、気にもならずにはいられない」と訳す。源氏の一人娘として、きっと入内するであろう、という予測。1.7.8
注釈137今姫君は玉鬘をさす。1.7.9
注釈138いとけしきあるところつきたまへる人にて源氏をさしていう。1.7.9
注釈139さていかが定めらるなる以下「御あはひともならむかし」まで、内大臣の詞。「らる」受身の助動詞、「なる」伝聞推定の助動詞。1.7.11
注釈140姫君の御こと雲居雁をさす。1.7.12
注釈141かやうに心にくくもてなして以下「いぶかしがらせましものを」まで、内大臣の心中。「かやうに」とは源氏が玉鬘を大事にするように、の意。1.7.12
注釈142いかにしなさむ世間の人の噂を想定。1.7.12
注釈143いぶかしがらせましものを「まし」反実仮想の助動詞。1.7.12
注釈144位さばかりと夕霧の官位をさす。1.7.12
注釈145大臣なども以下「負くるやうにてもなびかめ」まで、内大臣の心中に即した叙述。「大臣」は源氏をさす。1.7.13
注釈146男方は夕霧をさす。1.7.13
注釈147心やましくなむ『集成』は「内大臣の気持をそのまま記したもの」と注す。1.7.13
校訂7 ことや」と ことや」と--*ことや 1.7.1
校訂8 そこに そこに--(/+そ)こゝ(ゝ/$<朱>)に 1.7.2
1.8
第八段 内大臣、雲井雁を訪う


1-8  Naidaijin visits to his daughter, Kumoi-no-kari

1.8.1   とかく思しめぐらすままにゆくりもなく軽らかにはひ渡りたまへり。少将も御供に参りたまふ。
 あれこれとご思案なさりながら、前ぶれもなく気軽にお渡りになった。少将もお供しておいでになる。
 こんなことをいろいろと考えていた大臣は突然行って見たい気になって雲井の雁の居間をたずねた。少将も供をして行った。
  Tokaku obosi megurasu mama ni, yukuri mo naku karuraka ni hahi watari tamahe ri. Seusyau mo ohom-tomo ni mawiri tamahu.
1.8.2   姫君は、昼寝したまへるほどなり羅の単衣を着たまひて臥したまへるさま、暑かはしくは見えず、いとらうたげにささやかなり。透きたまへる肌つきなど、いとうつくしげなる手つきして、扇を持たまへりけるながら、かひなを枕にて、うちやられたる御髪のほど、いと長くこちたくはあらねど、いとをかしき末つきなり。
 姫君は、お昼寝をなさっているところである。羅の一重をお召しになって臥せっていらっしゃる様子、暑苦しくは見えず、とてもかわいらしく小柄な身体つきである。透けて見える肌つきなどは、とてもかわいらしい手つきして、扇をお持ちになったまま、腕を枕にして、投げ出されたお髪の具合、そう大して長く多いというのではないが、たいそう美しい裾の様子である。
 雲井の雁はちょうど昼寝をしていた。薄物の単衣ひとえを着て横たわっている姿からは暑い感じを受けなかった。可憐かれんな小柄な姫君である。薄物に透いて見えるはだの色がきれいであった。美しい手つきをして扇を持ちながらそのひじまくらにしていた。横にたまった髪はそれほど長くも、多くもないが、端のほうが感じよく美しく見えた。
  Himegimi ha, hirune si tamahe ru hodo nari. Usumono no hitohe wo ki tamahi te husi tamahe ru sama, atukahasiku ha miye zu, ito rautage ni sasayaka nari. Suki tamahe ru hadatuki nado, ito utukusige naru tetuki si te, ahugi wo mo' tamahe ri keru nagara, kahina wo makura nite, utiyara re taru migusi no hodo, ito nagaku kotitaku ha ara ne do, ito wokasiki suwetuki nari.
1.8.3   人びとものの後に寄り臥しつつうち休みたれば、 ふともおどろいたまはず扇を鳴らしたまへるに、何心もなく見上げたまへるまみ、らうたげにて、つらつき赤めるも、親の御目にはうつくしくのみ見ゆ。
 女房たちは物蔭で横になって休んでいたので、すぐにはお目覚めにならない。扇をお鳴らしになると、何気なく見上げなさった目つき、かわいらしげで、顔が赤くなっているのも、親の目にはかわいく見えるばかりである。
 女房たちも几帳きちょうかげなどにはいって昼寝をしている時であったから、大臣の来たことをまだ姫君は知らない。扇を父が鳴らす音に何げなく上を見上げた顔つきが可憐で、ほおの赤くなっているのなども親の目には非常に美しいものに見られた。
  Hitobito mono no usiro ni yorihusi tutu uti-yasumi tare ba, huto mo odoroi tamaha zu. Ahugi wo narasi tamahe ru ni, nanigokoro mo naku miage tamahe ru mami, rautage ni te, turatuki akame ru mo, oya no ohom-me ni ha utukusiku nomi miyu.
1.8.4  「 うたた寝はいさめきこゆるものを 。などか、いとものはかなきさまにては大殿籠もりける。人びとも近くさぶらはで、あやしや。
 「うたた寝はいけないと注意申していたのに。どうして、ひどく無用心な恰好で寝ていらっしゃったのか。女房たちも近く伺候させないで、どうしたことか。
 「うたた寝はいけないことだのに、なぜこんなふうな寝方をしてましたか。女房なども近くに付いていないでけしからんことだ。
  "Utatane ha isame kikoyuru mono wo! Nadoka, ito mono-hakanaki sama nite ha ohotono-gomori keru? Hitobito mo tikaku saburaha de, ayasi ya!
1.8.5  女は、身を常に心づかひして守りたらむなむよかるべき。心やすくうち捨てざまにもてなしたる、品なきことなり。
 女性は、身を常に注意して守っているのがよいのです。気を許して無造作なふうにしているのは、品のないことです。
 女というものは始終自身をまもる心がなければいけない。自分自身を打ちやりしているようなふうの見えることは品の悪いものだ。
  Womna ha, mi wo tune ni kokorodukahi si te mamori tara m nam yokaru beki. Kokoroyasuku uti-sute zama ni motenasi taru, sina naki koto nari.
1.8.6  さりとて、いとさかしく身かためて、不動の陀羅尼誦みて、印つくりてゐたらむも憎し。うつつの人にもあまり気遠く、もの隔てがましきなど、気高きやうとても、人にくく、心うつくしくはあらぬわざなり。
 そうかといって、ひどく利口そうに身を堅くして、不動尊の陀羅尼を読んで、印を結んでいるようなのも憎らしい。日頃接する人にあまりよそよそしく、遠慮がすぎるのなども、上品なようなこととはいっても、小憎らしくて、かわいらしげのないことです。
 賢そうに不動の陀羅尼だらにを読んで印を組んでいるようなのも憎らしいがね。それは極端な例だが、普通の人でも少しも人と接触をせずに奥に引き入ってばかりいるようなことも、気高けだかいようでまたあまり感じのいいものではない。
  Saritote, ito sakasiku mi katame te, Hudou no darani yomi te, in tukuri te wi tara m mo nikusi. Ututu no hito ni mo amari kedohoku, mono hedate gamasiki nado, kedakaki yau tote mo, hito nikuku, kokoro utukusiku ha ara nu waza nari.
1.8.7   太政大臣の、后がねの姫君ならはしたまふなる教へは、 よろづのことに通はしなだらめて、かどかどしきゆゑもつけじ、たどたどしくおぼめくこともあらじと、ぬるらかにこそ掟てたまふなれ。
 太政大臣が、お后候補の姫君にしつけていらっしゃる教育は、何事でも一通りは心得ていて偏らず、特別目立つ特技もつけず、また不案内でうろうろすることもないようにと、余裕あるふうにとお考え置いていらっしゃるという。
 太政大臣が未来のおきさきの姫君を教育していられる方針は、いろんなことに通じさせて、しかも目だつほど専門的に一つのことを深くやらせまい、そしてまたわからないことは何もないようにということであるらしい。
  Ohoki-Otodo no, Kisakigane no Himegimi narahasi tamahu naru wosihe ha, yorodu no koto ni kayohasi nadarame te, kadokadosiki yuwe mo tuke zi, tadotadosiku obomeku koto mo ara zi to, nururaka ni koso okite tamahu nare.
1.8.8  げに、さもあることなれど、人として、心にもするわざにも、立ててなびく方は方とあるものなれば、生ひ出でたまふさまあらむかし。 この君の人となり宮仕へに出だし立てたまはむ世のけしきこそ、いとゆかしけれ」
 なるほど、もっともなことですが、人というものは、考えにも行動にも、特に好き好む方面はどうしてもあるものだから、ご成長なさった後に特徴も現れるでしょう。あの姫君が一人前になって、入内させなさる時の様子が、とても見たいものだ」
 それはもっともなことだが、人間にはそれぞれの天分があるし、特に好きなこともあるのだから、何かの特色が自然出てくることだろうと思われる。大人おとなになって宮廷へはいられるころはたいしたものだろうと予想される」
  Geni, samo aru koto nare do, hito to si te, kokoro ni mo suru waza ni mo, tate te nabiku kata ha kata to aru mono nare ba, ohiide tamahu sama ara m kasi. Kono Kimi no hitotonari, miyadukahe ni idasitate tamaha m yo no kesiki koso, ito yukasi kere."
1.8.9  などのたまひて、
 などとおっしゃって、
 などと大臣は娘に言っていたが、
  nado notamahi te,
1.8.10  「 思ふやうに見たてまつらむと思ひし筋は、難うなりにたる御身なれど、いかで人笑はれならずしなしたてまつらむとなむ、 人の上のさまざまなるを聞くごとに、思ひ乱れはべる。
 「思い通りにお世話申そうと思っていた方面は、難しくなってしまったお身の上だが、何とか世間の物笑いにならないようにして差し上げようと、他人の身の上をあれこれと聞くたびに、心配しております。
 「あなたをこうしてあげたいといろいろ思っていたことは空想になってしまったが、私はそれでもあなたを世間から笑われる人にはしたくないと、よその人のいろいろの話を聞くごとにあなたのことを思って煩悶はんもんする。
  "Omohu yau ni mi tatematura m to omohi si sudi ha, katau nari ni taru ohom-mi nare do, ikade hitowaraha re nara zu si nasi tatematura m to nam, hito no uhe no samazama naru wo kiku goto ni, omohi midare haberu.
1.8.11  試み事にねむごろがらむ人の ねぎごとに、なしばしなびきたまひそ。思ふさまはべり」
 試しにとばかり熱心なふりをする男の言葉を、ここしばらくはお聞き入れになってはいけません。考えていることがございます」
 ためそうとするだけで、表面的な好意を寄せるような男に動揺させられるようなことがあってはいけませんよ。私は一つの考えがあるのだから」
  Kokoromi goto ni nemgorogara m hito no negigoto ni, na sibasi nabiki tamahi so. Omohu sama haberi."
1.8.12  など、いとらうたしと思ひつつ聞こえたまふ。
 などと、たいそうかわいく思いながら申し上げなさる。
 ともかわいく思いながらいましめもした。
  nado, ito rautasi to omohi tutu kikoye tamahu.
1.8.13  「 昔は、何ごとも深くも思ひ知らで、 なかなか、さしあたりて いとほしかりしことの騒ぎにも、おもなくて見えたてまつりけるよ」と、今ぞ思ひ出づるに、胸ふたがりて、いみじく恥づかしき。
 「昔は、どのようなことも深くも考えないで、かえって、あの当座のつらい思いをした騒動にも、平気な顔をして父君にお会い申していたことよ」と、今になって思い出すと、胸が塞がってひどく、恥ずかしい。
 昔は何も深く考えることができずに、あの騒ぎのあった時も恥知らずに平気で父に対していたと思い出すだけでも胸がふさがるように雲井の雁は思った。
  "Mukasi ha, nanigoto mo hukaku mo omohi sira de, nakanaka, sasiatari te itohosikari si koto no sawagi ni mo, omonaku te miye tatematuri keru yo!" to, ima zo, omohiiduru ni, mune hutagari te, imiziku hadukasiki.
1.8.14  大宮よりも、常におぼつかなきことを恨みきこえたまへど、 かくのたまふるがつつましくてえ渡り見たてまつりたまはず
 大宮からも、いつも会えないことをお恨み申されるが、このようにおっしゃるのに遠慮されて、お出かけになってお目に掛かることがおできになれない。
 大宮の所からは始終いたいというふうにお手紙が来るのであるが、大臣が気にかけていることを思うと、御訪問も容易にできないのである。
  Ohomiya yori mo, tune ni obotukanaki koto wo urami kikoye tamahe do, kaku notamahuru ga tutumasiku te, e watari mi tatematuri tamaha zu.
注釈148とかく思しめぐらすままに主語は内大臣。1.8.1
注釈149ゆくりもなく軽らかにはひ渡りたまへり雲居雁の部屋を訪れる。1.8.1
注釈150姫君は昼寝したまへるほどなり雲居雁は昼寝の最中。1.8.2
注釈151羅の単衣を着たまひて臥したまへるさま羅の単衣。上半身は透けて見える。国宝源氏物語絵巻「夕霧」の雲居雁の装束がそれである。1.8.2
注釈152人びとものの後に寄り臥しつつ女房たちは屏風や几帳の物陰にいる。1.8.3
注釈153ふともおどろいたまはず主語は雲居雁。女房たちが起こさないから。1.8.3
注釈154扇を鳴らしたまへるに主語は内大臣。1.8.3
注釈155うたた寝はいさめきこゆるものを以下「いとゆかしけれ」まで、内大臣の詞。「たらちねの親のいさめしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける」(拾遺集恋四、八九七、読人しらず)を踏まえる。1.8.4
注釈156太政大臣の后がねの姫君源氏の明石姫君。将来は皇后にという教育。1.8.7
注釈157よろづのことに通はしなだらめてかどかどしきゆゑもつけじ広く一通りの教養を身につけ、かたよった特技というのは身につけない方針。1.8.7
注釈158この君の人となり明石姫君をさす。「この」は今話題にしているという近称の指示代名詞。内大臣の姫君をさすのではない。1.8.8
注釈159宮仕へに出だし立てたまはむ世の主語は源氏。1.8.8
注釈160思ふやうに見たてまつらむと以下「思ふさまはべり」まで、内大臣の詞。内大臣が雲居雁を東宮に入内させようと思っていたことをさす(少女巻)。1.8.10
注釈161人の上のさまざまなるを世間一般の女性の身の上をさす。1.8.10
注釈162ねぎごとに「ねぎごとをさのみ聞きけむ社こそ果てはなげきの森となるらめ」(古今集誹諧歌、一〇五五、讃岐)。夕霧の訴えをさす。1.8.11
注釈163昔は何ごとも以下「見えたてまつりけるよ」まで、雲居雁の心中。「昔」は三条宮邸にいたころをさす。1.8.13
注釈164なかなか「おもなくて」に係る。1.8.13
注釈165いとほしかりしことの騒ぎにも『集成』は「目も当てられなかった事件の時にも」。『完訳』は「夕霧に不憫なことをした、かつての騷ぎ」と注す。1.8.13
注釈166かくのたまふるがつつましくて大島本は「の給ふるか」とある。「のたまふ」は四段活用の動詞。連体形「のたまふる」は誤用法だが、今底本のままとする。父内大臣のおっしゃることに雲居雁は遠慮されて、の文意。1.8.14
注釈167え渡り見たてまつりたまはず雲居雁が三条宮邸に行き大宮にお目にかかることができない。1.8.14
出典9 うたた寝はいさめ たらちねの親の諌めしうたた寝は物思ふ時のわざにぞありける 拾遺集恋四-八九七 読人しらず 1.8.4
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/6/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 8/26/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
砂場清隆(青空文庫)

2003年8月31日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 12/6/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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