第二十八帖 野分


28 NOWAKI (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の秋野分の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, in a typhoon at the age of 36

1
第一章 夕霧の物語 継母垣間見の物語


1  Tale of Yugiri  Yugiri peeps Murasaki, his stepmother in a typhoon

1.1
第一段 八月野分の襲来


1-1  A typhoon hits Kyoto area in August

1.1.1   中宮の御前に、秋の花を 植ゑさせたまへること、常の年よりも見所多く、色種を尽くして、よしある黒木赤木の籬を結ひまぜつつ、同じき花の枝ざし、姿、 朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて 作りわたせる野辺の色を見るに、はた、春の山も忘られて、涼しうおもしろく、心もあくがるるやうなり。
 中宮のお庭先に、秋の花をお植えあそばしていらっしゃることは、例年よりも見る価値が多くあって、ありとあらゆる種類の花を植えて、風情のある皮のある木と皮をはいだ木との籬垣を結い混ぜて、同じ花の枝ぶりや、姿は、朝夕の露の光も世間のと違って、玉かと輝いて、お造りになった野辺の色彩を見ると、一方では、春の山もつい忘れられて、さわやかで気分が晴々するようで、心も浮き立つほどである。
中宮ちゅうぐうのお住居すまいの庭へ植えられた秋草は、今年はことさら種類が多くて、その中へ風流な黒木、赤木のませがきが所々にわれ、朝露夕露の置き渡すころの優美な野の景色けしきを見ては、春の山も忘れるほどにおもしろかった。
  Tyuuguu no omahe ni, aki no hana wo uwe sase tamahe ru koto, tune no tosi yori mo midokoro ohoku, irokusa wo tukusi te, yosi aru kuroki akaki no mase wo yuhi maze tutu, onaziki hana no edazasi, sugata, asayuhu tuyu no hikari mo yo no tune nara zu, tama ka to kakayaki te tukuri watase ru nobe no iro wo miru ni, hata, haru no yama mo wasura re te, suzusiu omosiroku, kokoro mo akugaruru yau nari.
1.1.2   春秋の争ひに、昔より秋に心寄する人は数まさりけるを 名立たる 春の御前の花園に心寄せし人びと、また引きかへし 移ろふけしき、世のありさまに似たり
 春秋の優劣に、昔から秋に心を寄せる人は数多くいたが、名高い春のお庭先の花園に心を寄せた人々が、再び掌を返すように秋に心変わりする様子は、時勢におもねる世情と似ていた。
 春秋の優劣を論じる人は昔から秋をよいとするほうの数が多いのであったが、六条院の春の庭のながめに説を変えた人々はまたこのごろでは秋の讃美さんび者になっていた、世の中というもののように。
  Haru aki no arasohi ni, mukasi yori aki ni kokoro yosuru hito ha kazu masari keru wo, nadata ru haru no omahe no hanazono ni kokoroyose si hitobito, mata hikikahesi uturohu kesiki, yo no arisama ni ni tari.
1.1.3  これを御覧じつきて、 里居したまふほど、御遊びなどもあらまほしけれど、八月は 故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。
 この庭をお気に召して、里住みなさっていらっしゃる間に、管弦のお遊びなども催したいところであるが、八月は故前坊の御忌月にあたるので、気になさりながら毎日過ごしていらっしゃったが、この花の色がいよいよ美しくなっていく様子を御覧になっていると、野分が、いつもの年よりも激しく、空も変わって風が吹き出す。
 中宮はこれにお心がかれてずっと御実家生活を続けておいでになるのであるが、音楽の会の催しがあってよいわけではあっても、八月は父君の前皇太子の御忌月おんきづきであったから、それにはばかってお暮らしになるうちにますます草の花は盛りになった。今年の野分のわきの風は例年よりも強い勢いで空の色も変わるほどに吹き出した。
  Kore wo goranzi tuki te, satowi si tamahu hodo, ohom-asobi nado mo aramahosikere do, haduki ha, ko-Zenbau no ohom-kiduki nare ba, kokoromotonaku obosi tutu akekururu ni, kono hana no iro masaru kesiki-domo wo goranzuru ni, nowaki, rei no tosi yori mo odoroodorosiku, sora no iro kahari te huki idu.
1.1.4  花どものしをるるを、いとさしも思ひしまぬ人だに、あなわりなと思ひ騒がるるを、まして、草むらの 露の玉の緒乱るるままに、御心惑ひもしぬべく思したり。 おほふばかりの袖は 、秋の空にしもこそ欲しげなりけれ。暮れゆくままに、ものも見えず吹きまよはして、いとむくつけければ、御格子など参りぬるに、うしろめたくいみじと、花の上を思し嘆く。
 いろいろの花が萎れるのを、それほどにも思わない人でさえも、まあ、困ったことと心を痛めるのに、まして、草むらの露の玉が乱れるにつれて、お気もどうにかなってしまいそうにご心配あそばしていらっしゃった。大空を覆うほどの袖は、秋の空にこそ欲しい感じがした。日が暮れて行くにつれて、何も見えないほど吹き荒れて、たいそう気味が悪いなので、御格子などをお下ろしになったが、不安でたまらないと花の身をご心配あそばす。
 草花のしおれるのを見てはそれほど自然に対する愛のあるのでもない浅はかな人さえも心が痛むのであるから、まして露の吹き散らされて無惨むざんに乱れていく秋草を御覧になる宮は御病気にもおなりにならぬかと思われるほどの御心配をあそばされた。おおうばかりのそでというものは春の桜によりも実際は秋空の前に必要なものかと思われた。日が暮れてゆくにしたがってしいたげられる草木の影は見えずに、風の音ばかりのつのってくるのも恐ろしかったが、格子なども皆おろしてしまったので宮はただ草の花を哀れにお思いになるよりほかしかたもおありにならなかった。
  Hana-domo no siworuru wo, ito sasimo omohisima nu hito dani, ana wari na to omohi sawaga ruru wo, masite, kusamura no tuyu no tama no wo midaruru mama ni, mi-kokoro madohi mo si nu beku obosi tari. Ohohu bakari no sode ha, aki no sora ni simo koso hosige nari kere. Kure yuku mama ni, mono mo miye zu huki mayohasi te, ito mukutukekere ba, mi-kausi nado mawiri nuru ni, usirometaku imizi to, hana no uhe wo obosi nageku.
注釈1中宮の御前に今上(冷泉院)の中宮(秋好中宮)。その里邸六条院秋の御殿。1.1.1
注釈2植ゑさせたまへる二重敬語、中宮への重々しい待遇。1.1.1
注釈3朝夕露の光も世の常ならず、玉かとかかやきて「植ゑたてて君がしめゆふ花なれば玉と見えてや露もおくらむ」(後撰集秋中、二八〇、伊勢)1.1.1
注釈4春秋の争ひに昔より秋に心寄する人は数まさりけるを「ふゆごもり 春さりくれば なかざりし 鳥もきなきぬ さかざりし 花もさけれど 山をしげみ いりてもとらず 草ふかみ とりても見えず 秋山の 木のはを見ては もみぢをば とりてぞしのぶ あをきをば おきてぞなげく そこしうらみし 秋山ぞわれは」(万葉集巻一、一六)。「春はただ花のひとへに咲くばかり物のあはれは秋ぞまされりける(拾遺集雑下、五一一、読人しらず)。「春はただ花こそは散れ野辺ごと錦を張れる秋はまされり」(河海抄所引、出典未詳)。1.1.2
注釈5名立たる「数知らず君が齢をのばへつつ名立たる宿の露とならなむ」(後撰集秋下、三九四、伊勢)。「露だにも名立たる宿の菊ならば花の主やいくよなるらむ(後撰集秋下、三九五、藤原雅正)1.1.2
注釈6春の御前六条院春の御殿。1.1.2
注釈7移ろふけしき世のありさまに似たり「色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける」(古今集恋五、七九五、伊勢)1.1.2
注釈8里居したまふ中宮への重々しい待遇から普通の敬語になる。1.1.3
注釈9故前坊中宮の父、故前皇太子。1.1.3
注釈10露の玉の緒乱るる「白露に風の吹きしく秋の野は貫きとめぬ玉ぞ散りける」(後撰集秋中、三〇八、文屋朝康)。「玉の緒」は歌語。1.1.4
注釈11おほふばかりの袖は「大空に覆ふばかりの袖もがな春さく花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)1.1.4
出典1 玉かとかかやきて 植ゑたてて君がしめゆふ野辺なれば玉とも見よと露や置くらむ 古今六帖一-五六二 伊勢 1.1.1
出典2 秋に心寄する人は数まさり 春はただ花のひとへに咲くばかりもののあはれは秋ぞまされる 拾遺集雑下-五一一 読人しらず 1.1.2
春はただ花こそは咲け野辺ごとに錦を張れる秋はまされり 論春秋歌合-二 豊主
出典3 移ろふけしき 春秋に思ひ乱れて分きかねつ時につけつつ移る心は 拾遺集雑下-五〇九 紀貫之 1.1.2
色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける 古今集恋五-797 小野小町
出典4 おほふばかりの袖 大空をおほふばかりの袖もがな春咲く花を風に任せじ 後撰集春中-六四 読人しらず 1.1.4
1.2
第二段 夕霧、紫の上を垣間見る


1-2  Yugiri peeps Murasaki, his stepmother in a typhoon

1.2.1   南の御殿にも、前栽つくろはせたまひける折にしも、かく吹き出でて、 もとあらの小萩、はしたなく待ちえたる風のけしきなり 折れ返り、露もとまるまじく吹き散らすを、すこし端近くて見たまふ。
 南の御殿でも、お庭先の植え込みを手入れさせていらっしゃったちょうどそのころ、このように野分が吹き出して、株もまばらな小萩が、待っていた風にしては激し過ぎる吹き具合である。枝も折れ曲がって、露も結ばないほど吹き散らすのを、少し端近くに出て御覧になる。
 南の御殿のほうも前の庭を修理させた直後であったから、この野分にもとあらの小萩こはぎが奔放に枝を振り乱すのを傍観しているよりほかはなかった。枝が折られて露の宿ともなれないふうの秋草を女王にょおうは縁の近くに出てながめていた。
  Minami no otodo ni mo, sensai tukuroha se tamahi keru wori ni simo, kaku huki ide te, motoara no kohagi, hasitanaku matie taru kaze no kesiki nari. Worekahe ri, tuyu mo tomaru maziku huki tirasu wo, sukosi hasi tikaku te mi tamahu.
1.2.2  大臣は、 姫君の御方におはしますほどに、 中将の君参りたまひて、 東の渡殿の小障子の上より、 妻戸の開きたる隙を、何心もなく見入れたまへるに、女房のあまた見ゆれば、立ちとまりて、音もせで見る。
 大臣は、姫君のお側にいらっしゃった時に、中将の君が参上なさって、東の渡殿の小障子の上から、妻戸の開いている隙間を、何気なく覗き込みなさると、女房たちが大勢見えるので、立ち止まって、音を立てないで見る。
 源氏は小姫君の所にいたころであったが、中将が来て東の渡殿わたどの衝立ついたての上から妻戸の開いた中を何心もなく見ると女房がおおぜいいた。中将は立ちどまって音をさせぬようにしてのぞいていた。
  Otodo ha, Himegimi no ohom-kata ni ohasimasu hodo ni, Tyuuzyau-no-Kimi mawiri tamahi te, Himgasi no watadono no kosauzi no kami yori, tumado no aki taru hima wo, nanigokoro mo naku miire tamahe ru ni, nyoubau no amata miyure ba, tatitomari te, oto mo se de miru.
1.2.3   御屏風も、風のいたく吹きければ、押し畳み寄せたるに、見通しあらはなる 廂の御座にゐたまへる人、ものに紛るべくもあらず、 気高くきよらに、さとにほふ心地して、 春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す。あぢきなく、見たてまつるわが顔にも移り来るやうに、愛敬はにほひ散りて、またなくめづらしき人の御さまなり。
 御屏風も、風がひどく吹いたので、押したたんで隅に寄せてあるので、すっかり見通せる廂の御座所に座っていらっしゃる方、他の人と間違えようもない、気高く清らかで、ぱっと輝く感じがして、春の曙の霞の間から、美しい樺桜が咲き乱れているのを見る感じがする。どうにもならぬほど、拝見している自分の顔にもふりかかってくるように、魅力的な美しさが一面に広がって、二人といないご立派な方のお姿である。
 屏風びょうぶなども風のはげしいために皆畳み寄せてあったから、ずっと先のほうもよく見えるのであるが、そこの縁付きの座敷にいる一女性が中将の目にはいった。女房たちと混同して見える姿ではない。気高けだかくてきれいで、さっとにおいの立つ気がして、春のあけぼのかすみの中から美しい樺桜かばざくらの咲き乱れたのを見いだしたような気がした。夢中になってながめる者の顔にまで愛嬌あいきょうが反映するほどである。かつて見たことのない麗人である。
  Ohom-byaubu mo, kaze no itaku huki kere ba, osi-tatami yose taru ni, mitohosi araha naru hisasi no omasi ni wi tamahe ru hito, mono ni magiru beku mo ara zu, kedakaku kiyora ni, sato nihohu kokoti si te, haru no akebono no kasumi no ma yori, omosiroki kabazakura no saki midare taru wo miru kokoti su. Adikinaku, mi tatematuru waga kaho ni mo uturi kuru yau ni, aigyau ha nihohi tiri te, mata naku medurasiki hito no ohom-sama nari.
1.2.4  御簾の吹き上げらるるを、人びと押へて、 いかにしたるにかあらむ、うち笑ひたまへる、いといみじく見ゆ。花どもを心苦しがりて、え見捨てて入りたまはず。御前なる人びとも、さまざまにものきよげなる姿どもは見わたさるれど、目移るべくもあらず。
 御簾の吹き上げられるのを、女房たちが押さえて、どうしたのであろうか、にっこりとなさっているのが、何とも美しく見える。いろいろな花を心配なさって、見捨てて中にお入りになることができない。お側に仕える女房たちも、それぞれにこざっぱりとした姿に見えるが、目が止まるはずもない。
 御簾みすの吹き上げられるのを、女房たちがおさえ歩くのを見ながら、どうしたのかその人が笑った。非常に美しかった。草花に同情して奥へもはいらずに紫の女王がいたのである。女房もきれいな人ばかりがいるようであっても、そんなほうへは目が移らない。
  Misu no hukiage raruru wo, hitobito osahe te, ikani si taru ni ka ara m, uti-warahi tamahe ru, ito imiziku miyu. Hana-domo wo kokorogurusigari te, e misute te iri tamaha zu. Omahe naru hitobito mo, samazama ni mono-kiyoge naru sugata-domo ha miwatasa rure do, me uturu beku mo ara zu.
1.2.5  「 大臣のいと気遠くはるかにもてなしたまへるは、かく見る人ただにはえ思ふまじき御ありさまを、いたり深き御心にて、もし、かかることもやと思すなりけり」
 「大臣がたいそう遠ざけていらっしゃるのは、このように見る人が心を動かさずにはいられないお美しさなので、用心深いご性質から、万一、このようなことがあってはいけないと、ご懸念になっていたのだ」
 父の大臣が自分に接近する機会を与えないのは、こんなふうに男性が見ては平静でありえなくなる美貌びぼうの継母と自分を、聡明そうめいな父は隔離するようにして親しませなかったのであった
  "Otodo no ito kedohoku haruka ni motenasi tamahe ru ha, kaku miru hito tada ni ha e omohu maziki ohom-arisama wo, itari hukaki mi-kokoro nite, mosi, kakaru koto mo ya to obosu nari keri."
1.2.6  と思ふに、けはひ恐ろしうて、立ち去るにぞ、 西の御方より、内の御障子引き開けて渡りたまふ。
 と思うと、何となく恐ろしい気がして、立ち去ろうとする、その時、西のお部屋から、内の御障子を引き開けてお越しになる。
 と思うと、中将は自身の隙見すきみの罪が恐ろしくなって、立ち去ろうとする時に、源氏は西側の襖子ふすまをあけて夫人の居間へはいって来た。
  to omohu ni, kehahi osorosiu te, tatisaru ni zo, nisi no ohom-kata yori, uti no mi-sauzi hikiake te watari tamahu.
1.2.7  「 いとうたて、あわたたしき風なめり。御格子下ろしてよ。男どもあるらむを、あらはにもこそあれ」
 「とてもひどい、気ぜわしい風ですね。御格子を下ろしなさいよ。男たちがいるだろうに、丸見えになっては大変だ」
 「いやな日だ。あわただしい風だね、格子を皆おろしてしまうがよい、男の用人がこの辺にもいるだろうから、用心をしなければ」
  "Ito utate, awatatasiki kaze na' meri. Mi-kausi orosi te yo! Wonoko-domo aru ram wo, araha ni mo koso are."
1.2.8  と聞こえたまふを、また寄りて見れば、 もの聞こえて、大臣もほほ笑みて見たてまつりたまふ。親ともおぼえず、若くきよげになまめきて、いみじき御容貌の盛りなり。
 と申し上げなさるのを、再び近寄って見ると、何か申し上げて、大臣もにっこりしてお顔を拝していらっしゃる。親とも思われず、若々しく美しく優雅で、素晴らしい盛りのお姿である。
 と源氏が言っているのを聞いて、中将はまた元の場所へ寄ってのぞいた。女王は何かものを言っていて源氏も微笑しながらその顔を見ていた。親という気がせぬほど源氏は若くきれいで、美しい男の盛りのように見えた。
  to kikoye tamahu wo, mata yori te mire ba, mono kikoye te, Otodo mo hohowemi te mi tatematuri tamahu. Oya to mo oboye zu, wakaku kiyoge ni namameki te, imiziki ohom-katati no sakari nari.
1.2.9   女もねびととのひ、飽かぬことなき御さまどもなるを、身にしむばかりおぼゆれど、この渡殿の格子も吹き放ちて、立てる所のあらはになれば、恐ろしうて立ち退きぬ。今参れるやうにうち声づくりて、簀子の方に歩み出でたまへれば、
 女もすっかり成人なさって、何一つ不足のないお二方のご様子であるのを、身にしみて美しく感じられるが、この渡殿の格子も風が吹き放って、立っている所が丸見えになったので、恐ろしくなって立ち退いた。今ちょうど参上したように咳払いして、簀子の方に歩き出しなさると、
 女の美もまた完成の域に達した時であろうと、身にしむほどに中将は思ったが、この東側の格子も風に吹き散らされて、立っている所が中から見えそうになったのに恐れて身を退けてしまった。そして今来たようにせき払いなどをしながら南の縁のほうへ歩いて出た。
  Womna mo nebi totonohi, aka nu koto naki ohom-sama-domo naru wo, mi ni simu bakari oboyure do, kono watadono no kausi mo huki hanati te, tate ru tokoro no araha ni nare ba, osorosiu te tatinoki nu. Ima mawire ru yau ni uti-kowadukuri te, sunoko no kata ni ayumiide tamahe re ba,
1.2.10  「さればよ。あらはなりつらむ」
 「そらごらん。見えたかもしれない」
 「だから私が言ったように不用心だったのだ」
  "Sarebayo! Araha nari tu ram."
1.2.11  とて、「かの妻戸の開きたりけるよ」と、今ぞ見咎めたまふ。
 とおっしゃって、「あの妻戸が開いていたことよ」と、今見てお気づきになる。
 こう言った源氏がはじめて東の妻戸のあいていたことを見つけた。
  tote, "Kano tumado no aki tari keru yo!" to, ima zo mitogame tamahu.
1.2.12  「 年ごろかかることのつゆなかりつるを。風こそ、げに巌も吹き上げつべきものなりけれ。さばかりの御心どもを騒がして。めづらしくうれしき目を見つるかな」とおぼゆ。
 「長年このようなことはちっともなかったものを。風は、ほんとうに巌も吹き上げてしまうものなのだなあ。あれほどご用心の深い方々のお心を騒がせて。珍しく嬉しい目を見たものだ」と思わずにはいられない。
 長い年月の間こうした機会がとらえられなかったのであるが、風はいわも動かすという言葉に真理がある、慎み深い貴女きじょも風のために端へ出ておられて、自分に珍しい喜びを与えたのであると中将は思ったのであった。
  "Tosigoro kakaru koto no tuyu nakari turu wo! Kaze koso, geni ihaho mo hukiage tu beki mono nari kere! Sabakari no mi-kokoro-domo wo sawagasi te. Medurasiku uresiki me wo mi turu kana!" to oboyu.
注釈12南の御殿にも六条院南の御殿、すなわち春の御殿、紫の上方。1.2.1
注釈13もとあらの小萩はしたなく待ちえたる風のけしきなり「宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそまて」(古今集恋四、六九四、読人しらず)1.2.1
注釈14折れ返り露もとまるまじく「折れ返り」「露」は、「萩」の縁語。1.2.1
注釈15姫君源氏の娘(明石の姫君)、八歳。1.2.2
注釈16中将の君源氏の子息(夕霧)、従四位下相当官、十五歳。1.2.2
注釈17東の渡殿寝殿と東の対を繋ぐ渡殿。1.2.2
注釈18妻戸建物の四隅にある開き戸。1.2.2
注釈19御屏風も以下、夕霧の眼を通して語られる。1.2.3
注釈20廂の御座寝殿の南廂の御座所。1.2.3
注釈21気高くきよらに「気高し」は上品でおかしがたい感じ。「清ら」は源氏物語では天皇・皇族の超一流の美に対して使われる表現。1.2.3
注釈22春の曙の霞の間よりおもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地す「浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな」(拾遺集春、四〇、読人しらず)。「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」(古今集恋一、四七九、貫之)。1.2.3
注釈23いかにしたるにかあらむ夕霧の疑問、同時に語り手の疑問を介入させた句。1.2.4
注釈24大臣の以下「なりけり」まで、夕霧の心内。1.2.5
注釈25西の御方より姫君のお部屋から。すなわち、ここは東西に細長い寝殿。姫君は西の間に、紫の上は東の間にいる。1.2.6
注釈26いとうたて以下「あらはにもこそあれ」まで、源氏の紫の上への詞。1.2.7
注釈27もの聞こえて以下、夕霧の眼を通して語られる。1.2.8
注釈28女もねびととのひ夕霧の眼は「女」と捉えている。1.2.9
注釈29年ごろかかることの以下「見つるかな」まで、夕霧の心内。1.2.12
出典5 もとあらの小萩 宮城野のもとあらの小萩露を重み風を待つごと君をこそ待て 古今集恋四-六九四 読人しらず 1.2.1
1.3
第三段 夕霧、三条宮邸へ赴く


1-3  Yugiri visits to Sanjo-palace

1.3.1   人びと参りて
 家司たちが参上して、
 家司けいしたちが出て来て、
  Hitobito mawiri te,
1.3.2  「 いといかめしう吹きぬべき風にはべり。艮の方より吹きはべれば、この御前はのどけきなり。 馬場の御殿、南の釣殿などは、危ふげになむ」
 「たいそうひどい勢いになりそうでございます。丑寅の方角から吹いて来ますので、こちらのお庭先は静かなのです。馬場殿や南の釣殿などは危なそうです」
 「たいへんな風力でございます。北東から来るのでございますから、こちらはいくぶんよろしいわけでございます。馬場殿と南の釣殿つりどのなどは危険に思われます」
  "Ito ikamesiu huki nu beki kaze ni haberi. Usitora no kata yori huki habere ba, kono omahe ha nodokeki nari. Mumaba-no-otodo, minami no turidono nado ha, ayahuge ni nam."
1.3.3  とて、とかくこと行なひののしる。
 と申して、あれこれと作業に大わらわとなる。
 などと主人に報告して、下人げにんにはいろいろな命令を下していた。
  tote, tokaku koto okonahi nonosiru.
1.3.4  「 中将は、いづこよりものしつるぞ
 「中将は、どこから参ったのか」
 「中将はどこから来たか」
  "Tyuuzyau ha, iduko yori monosi turu zo?"
1.3.5  「 三条の宮にはべりつるを、『風いたく吹きぬべし』と、人びとの申しつれば、おぼつかなさに参りはべりつる。かしこには、まして心細く、風の音をも、今はかへりて、若き子のやうに懼ぢたまふめれば。心苦しさに、まかではべりなむ」
 「三条宮におりましたが、『風が激しくなるだろう』と、人々が申しましたので、気がかりで参上いたしました。あちらでは、ここ以上に心細く、風の音も、今ではかえって幼い子供のように恐がっていらっしゃるようなので。おいたわしいので、失礼いたします」
 「三条の宮にいたのでございますが、風が強くなりそうだと人が申すものですから、心配でこちらへ出て参りました。あちらではお一方ひとかたきりなのですから心細そうになさいまして、風の音なども若い子のように恐ろしがっていられますからお気の毒に存じまして、またあちらへ参ろうと思います」
  "Samdeu-no-miya ni haberi turu wo, "Kaze itaku huki nu besi." to, hitobito no mausi ture ba, obotukanasa ni mawiri haberi turu. Kasiko ni ha, masite kokorobosoku, kaze no oto wo mo, ima ha kaheri te, wakaki ko no yau ni odi tamahu mere ba. Kokorogurusisa ni, makade haberi na m."
1.3.6  と申したまへば、
 とご挨拶申し上げなさると、
 と中将は言った。
  to mausi tamahe ba,
1.3.7  「 げに、はや、まうでたまひね。老いもていきて、また若うなること、世にあるまじきことなれど、げに、さのみこそあれ」
 「なるほど、早く、行って上げなさい。年をとるにつれて、再び子供のようになることは、まったく考えられないことだが、なるほど、老人はそうしたものだ」
 「ほんとうにそうだ。早く行くがいいね。年がいって若い子になるということは不思議なようでも実は皆そうなのだね」
  "Geni, haya, maude tamahi ne. Oyi mote-iki te, mata wakau naru koto, yo ni aru maziki koto nare do, geni, sa nomi koso are."
1.3.8  など、あはれがりきこえたまひて、
 などと、ご同情申し上げなさって、
 と源氏は大宮に御同情していた。
  nado, aharegari kikoye tamahi te,
1.3.9  「 かく騒がしげにはべめるを、この 朝臣さぶらへばと、思ひたまへ譲りてなむ」
 「このように風が騒がしそうでございますが、この朝臣がお側におりましたらばと、存じまして代わらせました」
 騒がしい天気でございますから、いかがとお案じしておりますが、この朝臣あそんがお付きしておりますことで安心してお伺いはいたしません。
  "Kaku sawagasige ni habe' meru wo, kono Asom saburahe ba to, omohi tamahe yuduri te nam."
1.3.10  と、御消息聞こえたまふ。
 と、お手紙をお託しになる。
 という挨拶あいさつを言づてた。
  to, ohom-seusoko kikoye tamahu.
1.3.11  道すがらいりもみする風なれど、うるはしくものしたまふ君にて、 三条宮と六条院とに参りて、御覧ぜられたまはぬ日なし。内裏の御物忌などに、えさらず籠もりたまふべき日より外は、いそがしき公事、節会などの、暇いるべく、ことしげきにあはせても、まづこの院に参り、宮よりぞ出でたまひければ、まして今日、 かかる空のけしきにより、風のさきにあくがれありきたまふもあはれに見ゆ。
 道中、激しく吹き荒れる風だが、几帳面でいらっしゃる君なので、三条宮と六条院とに参上して、お目通りなさらない日はない。内裏の御物忌みなどで、どうしてもやむを得ず宿直しなければならない日以外は、忙しい公事や、節会などの、時間がかかり、用事が多い時に重なっても、真っ先にこの院に参上して、三条宮からご出仕なさったので、まして今日は、このような空模様によって、風より先に立ってあちこち動き回るのは、孝心深そうに見える。
 途中も吹きまくる風があってわびしいのであったが、まじめな公子であったから、三条の宮の祖母君と、六条院の父君への御機嫌きげん伺いを欠くことはなくて、宮中の御謹慎日などで、御所から外へ出られぬ時以外は、役所の用の多い時にも臨時の御用の忙しい時にも、最初に六条院の父君の前へ出て、三条の宮から御所へ出勤することを規則正しくしている人で、こんな悪天候の中へ身を呈するようなお見舞いなども苦労とせずにした。
  Mitisugara irimomi suru kaze nare do, uruhasiku monosi tamahu Kimi nite, Samdeu-no-miya to Rokudeu-no-win to ni mawiri te, goranze rare tamaha nu hi nasi. Uti no ohom-monoimi nado ni, e sarazu komori tamahu beki hi yori hoka ha, isogasiki ohoyakegoto, setiwe nado no, itoma iru beku, koto sigeki ni ahase te mo, madu kono Win ni mawiri, Miya yori zo ide tamahi kere ba, masite kehu, kakaru sora no kesiki ni yori, kaze no saki ni akugare ariki tamahu mo ahare ni miyu.
1.3.12  宮、いとうれしう、頼もしと待ち受けたまひて、
 大宮は、たいそう嬉しく頼もしくお待ち受けになって、
 宮様は中将が来たので力を得たようにお喜びになった。
  Miya, ito uresiu, tanomosi to matiuke tamahi te,
1.3.13  「 ここらの齢に、まだかく騒がしき野分にこそあはざりつれ」
 「この年になるまで、いまだこのように激しい野分には遭わなかった」
 「年寄りの私がまだこれまで経験しないほどの野分ですよ」
  "Kokora no yohahi ni, mada kaku sawagasiki nowaki ni koso aha zari ture."
1.3.14  と、ただわななきにわななきたまふ。
 と、ただ震えに震えてばかりいらっしゃる。
 とふるえておいでになった。
  to, tada wananaki ni wananaki tamahu.
1.3.15  「 大きなる木の枝などの折るる音も、いとうたてあり。御殿の瓦さへ残るまじく吹き散らすに、 かくてものしたまへること
 大きな木の枝などが折れる音も、たいそう気味が悪い。御殿の瓦まで残らず吹き飛ばすので、「よくぞおいで下さいましたこと」
 大木の枝の折れる音などもすごかった。家々のかわらの飛ぶ中を来たのは冒険であったとも宮は言っておいでになった。
  "Ohoki naru ki no eda nado no woruru oto mo, ito utate ari. Otodo no kahara sahe nokoru maziku huki tirasu ni, kakute monosi tamahe ru koto."
1.3.16  と、かつはのたまふ。 そこら所狭かりし御勢ひのしづまりて、この君を頼もし人に思したる、常なき世なり。今もおほかたのおぼえの薄らぎたまふことはなけれど、 内の大殿の御けはひは、なかなかすこし疎くぞありける。
 と、脅えながらも挨拶なさる。あれほど盛んだったご威勢も今はひっそりとして、この君一人を頼りに思っていらっしゃるのは、無常な世の中である。今でも世間一般のご声望が衰えていらっしゃることはないけれども、内の大殿のご態度は、親子であるのにかえって疎遠のようであったのだ。
 はなやかな御生活をあそばされたことも皆過去のことになって、この人一人をたよりにしておいでになる御現状を拝見しては無常も感ぜられるのである。今でも世間から受けておいでになる尊敬が薄らいだわけではないが、かえってお一人子の内大臣のとる態度にあたたかさの欠けたところがあった。
  to, katu ha notamahu. Sokora tokorosekari si ohom-ikihohi no sidumari te, kono Kimi wo tanomosibito ni obosi taru, tune naki yo nari. Ima mo ohokata no oboye no usuragi tamahu koto ha nakere do, Uti-no-Ohotono no ohom-kehahi ha, nakanaka sukosi utoku zo ari keru.
1.3.17  中将、夜もすがら荒き風の音にも、すずろにものあはれなり。 心にかけて恋しと思ふ人の御ことは、さしおかれて、 ありつる御面影の忘られぬを、
 中将は、一晩中激しい風の音の中でも、何となくせつなく悲しい気持ちがする。心にかけて恋しいと思っていた人のことは、ついさしおかれて、先程の御面影が忘れられないのを、
 夜通し吹き続ける風に眠りえない中将は、物哀れな気持ちになっていた。今日は恋人のことが思われずに、風の中でした隙見すきみではじめて知るを得た継母の女王の面影が忘られないのであった。
  Tyuuzyau, yomosugara araki kaze no oto ni mo, suzuro ni mono-ahare nari. Kokoro ni kake te kohisi to omohu hito no ohom-koto ha, sasioka re te, ari turu ohom-omokage no wasurare nu wo,
1.3.18  「こは、いかにおぼゆる心ぞ。あるまじき思ひもこそ添へ。いと恐ろしきこと」
 「これは、どうしたことだろう。だいそれた料簡を持ったら大変だ。とても恐ろしいことだ」
 これはどうしたことか、だいそれた罪を心で犯すことになるのではないか
  "Koha, ikani oboyuru kokoro zo? Aru maziki omohi mo koso sohe. Ito osorosiki koto."
1.3.19  と、みづから思ひ紛らはし、異事に思ひ移れど、なほ、ふとおぼえつつ、
 と、自分自身で気を紛らわして、他の事に考えを移したが、やはり、思わず御面影がちらついては、
 と思って反省しようとつとめるのであったが、また同じ幻が目に見えた。
  to, midukara omohi-magirahasi, kotokoto ni omohi uture do, naho, huto oboye tutu,
1.3.20  「 来し方行く末、ありがたくもものしたまひけるかな。かかる御仲らひに、いかで 東の御方、さるものの数にて立ち並びたまひつらむ。たとしへなかりけりや。あな、いとほし」
 「過去にも将来にも、めったにいない素晴らしい方でいらっしゃったなあ。このような素晴らしいご夫婦仲に、どうして東の御方が、夫人の一人として肩を並べなさったのだろうか。比べようもないことだな。ああ、お気の毒な」
 過去にも未来にもないような美貌びぼうの方である、あれほどの夫人のおられる中へ東の夫人が混じっておられるなどということは想像もできないことである。東の夫人がかわいそうであるとも中将は思った。
  "Kisikata yukusuwe, arigataku mo monosi tamahi keru kana! Kakaru ohom-nakarahi ni, ikade Himgasi-no-Ohomkata, saru mono no kazu nite tati-narabi tamahi tu ram? Tatosihe nakari keri ya. Ana, itohosi."
1.3.21  とおぼゆ。大臣の御心ばへを、ありがたしと思ひ知りたまふ。
 とつい思わずにはいられない。大臣のお気持ちをご立派だとお分かりになる。
 父の大臣のりっぱな性格がそれによって証明された気もされる。
  to oboyu. Otodo no mi-kokorobahe wo, arigatasi to omohisiri tamahu.
1.3.22  人柄のいとまめやかなれば、似げなさを思ひ寄らねど、「 さやうならむ人をこそ、同じくは、見て明かし暮らさめ。限りあらむ命のほども、今すこしはかならず延びなむかし」と思ひ続けらる。
 人柄がたいそう誠実なので、不相応なことを考えはしないが、「あのような美しい方とこそ、同じ結婚をするなら、妻にして暮らしたいものだ。限りのある寿命も、きっともう少しは延びるだろう」と、自然と思い続けられる。
まじめな中将は紫の女王を恋の対象として考えるようなことはしないのであるが、自分もああした妻がほしい、短い人生もああした人といっしょにいれば長生きができるであろうなどと思い続けていた。
  Hitogara no ito mameyaka nare ba, nigenasa wo omohiyora ne do, "Sayau nara m hito wo koso, onaziku ha, mi te akasi kurasa me. Kagiri ara m inoti no hodo mo, ima sukosi ha kanarazu nobi na m kasi." to omohituduke raru.
注釈30人びと参りて家司たち。1.3.1
注釈31いといかめしう以下「危ふげになむ」まで、家司たちの詞。1.3.2
注釈32馬場の御殿南の釣殿六条院丑寅の町に夏の御殿として馬場殿と釣殿があり、花散里が住む。1.3.2
注釈33中将はいづこよりものしつるぞ「中将」は夕霧。源氏の詞。1.3.4
注釈34三条の宮に以下「まかではべりなむ」まで、夕霧の詞。三条の宮には夕霧の祖母大宮がいる。七十歳前後。1.3.5
注釈35げにはや以下「こそあれ」まで、源氏の詞。1.3.7
注釈36かく騒がしげに以下「譲りてなむ」まで、源氏の伝言。1.3.9
注釈37朝臣親しみをこめて呼ぶ時に用いる。1.3.9
注釈38三条宮と六条院とに参りて御覧ぜられたまはぬ日なし夕霧の祖母大宮は母親代わりとなって育てた。「凡そ病患有るに非んば日々必ず親に謁すべし」(九条殿遺誡)。1.3.11
注釈39かかる空のけしきにより「大風疾雨雷鳴地震水火の変、非常の時は早く親を訪ひ、次に朝に参る」(九条殿遺誡)。1.3.11
注釈40ここらの齢に以下「あはざりつれ」まで、大宮の詞。1.3.13
注釈41大きなる木の枝などの--かくてものしたまへること大宮の詞。『集成』『新大系』は「かくてものしたまへること」を大宮の詞とする。1.3.15
注釈42そこら所狭かりし御勢ひ大宮は、帝(桐壷)の妹宮、太政大臣の北の方。今は、未亡人、孫の中将(夕霧)一人を頼りとする。1.3.16
注釈43内の大殿の御けはひ大宮の嫡男、内大臣。元右大臣の四君に婿入りし、以後別居生活となる。1.3.16
注釈44心にかけて恋しと思ふ人夕霧が。伯父内大臣の娘、従兄妹にあたる人(雲居雁)。1.3.17
注釈45ありつる御面影継母(紫の上)の面影。1.3.17
注釈46来し方行く末以下「いとほし」まで、夕霧の心内。1.3.20
注釈47東の御方六条院東北の町の御方、すなわち夕霧の母代の花散里。1.3.20
注釈48さやうならむ人以下「延びなむかし」まで、夕霧の心内。1.3.22
1.4
第四段 夕霧、暁方に六条院へ戻る


1-4  Yugiri comes back to Rokujo-in at dawn

1.4.1  暁方に風すこししめりて、村雨のやうに降り出づ。
 明け方に風が少し湿りを含んで、雨が村雨のように降り出す。
 明け方に風が少し湿気を帯びた重い音になって村雨むらさめ風な雨になった。
  Akatukigata ni kaze sukosi simeri te, murasame no yau ni huri idu.
1.4.2  「 六条院には、離れたる屋ども倒れたり」
 「六条院では、離れている建物が幾棟か倒れた」
 「六条院では離れた建築物が皆倒れそうでございます」
  "Rokudeu-no-win ni ha, hanare taru ya-domo tahure tari."
1.4.3  など人びと申す。
 などと人々が申す。
 などと侍が報じた。
  nado hitobito mausu.
1.4.4  「 風の吹きまふほど、広くそこら高き心地する院に、人びと、おはします御殿のあたりにこそしげけれ、東の町などは、人少なに思されつらむ」
 「風が吹き巻いているうちは、広々とはなはだ高い感じのする六条院には、家司たちは、殿のいらっしゃる御殿あたりには大勢詰めていようが、東の町などは、人少なで心細く思っていらっしゃることだろう」
 風がみ抜いている間、広い六条院は大臣の住居すまい辺はおおぜいの人が詰めているであろうが、東の町などは人少なで花散里はなちるさと夫人は心細く思ったことであろう
  "Kaze no huki mahu hodo, hiroku sokora takaki kokoti suru Win ni, hitobito, ohasimasu Otodo no atari ni koso sigekere, Himgasi-no-mati nado ha, hitozukuna ni obosa re tu ram."
1.4.5  とおどろきたまひて、まだほのぼのとするに参りたまふ。
 とお気づきになって、まだ夜がほんのりとする時分に参上なさる。
 と中将は驚いて、まだほのぼのしらむころに三条の宮からたずねに出かけた。
  to odoroki tamahi te, mada honobono to suru ni mawiri tamahu.
1.4.6  道のほど、横さま雨いと冷やかに吹き入る。空のけしきもすごきに、あやしくあくがれたる心地して、
 道中、横なぐりの雨がとても冷たく吹き込んでくる。空模様も恐ろしいうえに、妙に魂も抜け出たような感じがして、
 横雨が冷ややかに車へ吹き込んで来て、空の色もすごい道を行きながらも中将は、魂が何となく身に添わぬ気がした。
  Miti no hodo, yokosama ame ito hiyayaka ni huki iru. Sora no kesiki mo sugoki ni, ayasiku akugare taru kokoti si te,
1.4.7  「 何ごとぞや。またわが心に思ひ加はれるよ」と思ひ出づれば、「 いと似げなきことなりけり。あな、もの狂ほし
 「どうしたことか。更に自分の心に物思いが加わったことよ」と思い出すと、「まことに似つかわしくないことでであるよ。ああ、気違いじみている」
 これはどうしたこと、また自分には物思いが一つふえることになったのかと慄然りつぜんとした。これほどあるまじいことはない、
  "Nanigoto zo ya? Mata waga kokoro ni omohi kuhahare ru yo!" to omohiidure ba, "Ito nigenaki koto nari keri. Ana, monoguruhosi!"
1.4.8  と、とざまかうざまに思ひつつ、東の御方に、まづまうでたまへれば、 懼ぢ極じておはしけるに、とかく聞こえ慰めて、人召して、所々つくろはすべきよしなど言ひおきて、南の御殿に参りたまへれば、 まだ御格子も参らず
 と、あれやこれやと思いながら、東の御方にまず参上なさると、脅えきっていらっしゃったところなるので、いろいろとお慰め申して、人を呼んで、あちこち修繕すべきことを命じ置いて、南の御殿に参上なさると、まだ御格子も上げていない。
 自分は狂気したのかともいろいろに苦しんで六条院へ着いた中将は、すぐに東の夫人を見舞いに行った。非常におびえていた花散里をいろいろと慰めてから、家司けいしを呼んでそこねた所々の修繕を命じて、それから南の町へ行った。まだ格子は上げられずに人も起きていなかったので、
  to, tozama-kauzama ni omohi tutu, Himgasi-no-Ohomkata ni, madu maude tamahe re ba, odi kouzi te ohasi keru ni, tokaku kikoye nagusame te, hito mesi te, tokorodokoro tukuroha su beki yosi nado ihioki te, Minami-no-otodo ni mawiri tamahe re ba, mada mi-kausi mo mawira zu.
1.4.9  おはしますに当れる高欄に押しかかりて、見わたせば、山の木どもも吹きなびかして、枝ども多く折れ伏したり。草むらはさらにもいはず、桧皮、瓦、所々の立蔀、透垣などやうのもの乱りがはし。
 いらっしゃる近くの高欄に寄り掛かって、見渡すと、築山の多数の木を吹き倒して、枝がたくさん折れて落ちていた。草むらは言うまでもなく、桧皮、瓦、あちこちの立蔀、透垣などのような物までが散乱していた。
 中将は源氏の寝室の前にあたる高欄によりかかって庭をながめていた。風のあとの築山つきやまの木が被害を受けて枝などもたくさん折れていた。草むらの乱れたことはむろんで、檜皮ひわだとかかわらとかが飛び散り、立蔀たてじとみとか透垣すきがきとかが無数に倒れていた。
  Ohasimasu ni atare ru kauran ni osikakari te, miwatase ba, yama no ki-domo mo huki nabikasi te, eda-domo ohoku worehusi tari. Kusamura ha sarani mo iha zu, hihada, kahara, tokorodokoro no tatezitomi, suigai nado yau no mono midarigahasi.
1.4.10  日のわづかにさし出でたるに、憂へ顔なる庭の露きらきらとして、空はいとすごく霧りわたれるに、そこはかとなく涙の落つるを、おし拭ひ隠して、うちしはぶきたまへれば、
 日がわずかに差したところ、悲しい顔をしていた庭の露がきらきらと光って、空はたいそう冷え冷えと霧がかかっているので、何とはなしに涙が落ちるのを、拭い隠して、咳払いをなさると、
 わずかだけさした日光に恨み顔な草の露がきらきらと光っていた。空はすごく曇って、霧におおわれているのである。こんな景色けしきに対していて中将は何ということなしに涙のこぼれるのを押し込むようにいてせき払いをしてみた。
  Hi no waduka ni sasiide taru ni, urehegaho naru niha no tuyu kirakira to si te, sora ha ito sugoku kiri watare ru ni, sokohakatonaku namida no oturu wo, osinogohi kakusi te, uti-sihabuki tamahe re ba,
1.4.11  「 中将の声づくるにぞあなる。夜はまだ深からむは」
 「中将が挨拶しているようだ。夜はまだ深いことだろうな」
 「中将が来ているらしい。まだ早いだろうに」
  "Tyuuzyau no kowadukuru ni zo a' naru. Yo ha mada hukakara m ha."
1.4.12  とて、起きたまふなり。 何ごとにかあらむ、聞こえたまふ声はせで、大臣うち笑ひたまひて、
 とおっしゃって、お起きになる様子である。何事であろうか、お話し申し上げなさる声はしないで、大臣がお笑いになって、
 と言って源氏は起き出すのであった。何か夫人が言っているらしいが、その声は聞こえないで源氏の笑うのが聞こえた。
  tote, oki tamahu nari. Nanigoto ni ka ara m, kikoye tamahu kowe ha se de, Otodo uti-warahi tamahi te,
1.4.13  「 いにしへだに知らせたてまつらずなりにし、暁の別れよ。今ならひたまはむに、心苦しからむ」
 「昔でさえ味わわせることのなかった、暁の別れですよ。今になって経験なさるのは、つらいことでしょう」
 「昔もあなたに経験させたことのない夜明けの別れを、今はじめて知って寂しいでしょう」
  "Inisihe dani sira se tatematura zu nari ni si, akatuki no wakare yo! Ima narahi tamaha m ni, kokorogurusikara m."
1.4.14  とて、とばかり語らひきこえたまふけはひども、いとをかし。女の御いらへは聞こえねど、ほのぼの、かやうに聞こえ戯れたまふ言の葉の趣きに、「 ゆるびなき御仲らひかな」と、聞きゐたまへり。
 とおっしゃって、しばらくの間仲睦まじくお語らいになっていらっしゃるお二方のご様子は、たいそう優雅である。女のお返事は聞こえないが、かすかながら、このように冗談を申し上げなさる言葉の様子から、「水も漏らさないご夫婦仲だな」と、聞いていらっしゃった。
 と言っているのが感じよく聞こえた。女王の言葉は聞こえないのであるが、一方の言葉から推して、こうした戯れを言い合う今も緊張した間柄であることが中将にわかった。
  tote, tobakari katarahi kikoye tamahu kehahi-domo, ito wokasi. Womna no ohom-irahe ha kikoye ne do, honobono, kayau ni kikoye tahabure tamahu kotonoha no omomuki ni, "Yurubi naki ohom-nakarahi kana!" to, kiki wi tamahe ri.
注釈49六条院には以下「倒れたり」まで、人々の声。1.4.2
注釈50風の以下「思されつらむ」まで、夕霧の心内。1.4.4
注釈51何ごとぞや。またわが心に思ひ加はれるよ夕霧の心内。1.4.7
注釈52いと似げなきことなりけりあなもの狂ほし夕霧の心内。1.4.7
注釈53懼ぢ極じて『集成』は「極(ごう)」は「極(ごく)」の音便、疲れる意、『完訳』は通説の「困(こう)じて」とする。「極(ごう)ず」が適切。1.4.8
注釈54まだ御格子も参らず御簾を上げてない。1.4.8
注釈55中将の以下「深からむ」まで、源氏の詞。1.4.11
注釈56何ごとにかあらむ以下「笑ひたまひて」まで、夕霧と語手の疑問が一体になった表現。1.4.12
注釈57いにしへだに以下「心苦しからむ」まで、源氏の詞。1.4.13
注釈58ゆるびなき御仲らひかな夕霧の感想。1.4.14
1.5
第五段 源氏、夕霧と語る


1-5  Genji talks with Yugiri about his grandmother

1.5.1  御格子を御手づから引き上げたまへば、気近きかたはらいたさに、立ち退きてさぶらひたまふ。
 御格子をご自身でお上げになるので、あまりに近くにいたのが具合悪く、退いて控えていらっしゃる。
 格子を源氏が手ずからあけるのを見て、あまり近くいることを遠慮して、中将は少し後へ退いた。
  Mi-kausi wo ohom-tedukara hikiage tamahe ba, kedikaki kataharaitasa ni, tatinoki te saburahi tamahu.
1.5.2  「 いかにぞ。昨夜、宮は待ちよろこびたまひきや」
 「どうであった。昨夜は、大宮はお待ちかねでお喜びになったか」
 「どうだったか、昨晩伺ったことで宮様はお喜びになったかね」
  "Ikani zo? Yobe, Miya ha mati yorokobi tamahi ki ya?"
1.5.3  「 しか。はかなきことにつけても、涙もろにものしたまへば、いと不便にこそはべれ」
 「はい。ちょっとしたことにつけても、涙もろくいらっしゃいますので、たいそう困ったことでございます」
 「そうでございました。何でもないことにもお泣きになりますからお気の毒で」
  "Sika. Hakanaki koto ni tuke te mo, namidamoro ni monosi tamahe ba, ito hubin ni koso habere."
1.5.4  と申したまへば、笑ひたまひて、
 と申し上げなさると、お笑いになって、
 と中将が言うと源氏は笑って、
  to mausi tamahe ba, warahi tamahi te,
1.5.5  「 今いくばくもおはせじ。まめやかに仕うまつり見えたてまつれ。内大臣は、こまかにしもあるまじうこそ、愁へたまひしか。人柄あやしうはなやかに、男々しき方によりて、親などの御孝をも、いかめしきさまをば立てて、人にも見おどろかさむの心あり、まことにしみて深きところはなき人になむ、ものせられける。さるは、心の隈多く、いとかしこき人の、末の世にあまるまで、才類ひなく、うるさながら。人として、かく難なきことはかたかりける」
 「もう先も長くはいらっしゃるまい。ねんごろにお世話して上げるがよい。内大臣は、こまかい情愛がないと、愚痴をこぼしていらっしゃった。人柄は妙に派手で、男性的過ぎて、親に対する孝養なども、見ための立派さばかりを重んじて、世間の人の目を驚かそうというところがあって、心底のしみじみとした深い情愛はない方でいらっしゃった。それはそれとして、物事に思慮深く、たいそう賢明な方で、この末世では過ぎたほど学問も並ぶ者がなく、閉口するほどだが。人間として、このように欠点のないことは難しいことだなあ」
 「もう長くはいらっしゃらないだろう。誠意をこめてお仕えしておくがいい。内大臣はそんなふうでないと私へおこぼしになったことがある。華美なきらきらしいことが好きで、親への孝行も人目を驚かすようにしたい人なのだね。情味を持ってどうしておあげしようというようなことのできない人なのだよ。複雑な性格で、非常な聡明そうめいさで末世の大臣に過ぎた力量のある人だがね。まあそう言えばだれにだって欠点はあるからね」
  "Ima ikubaku mo ohase zi. Mameyaka ni tukaumaturi miye tatemature. Uti-no-Otodo ha, komaka ni simo aru maziu koso, urehe tamahi sika. Hitogara ayasiu hanayaka ni, wowosiki kata ni yori te, oya nado no ohom-keu wo mo, ikamesiki sama wo ba tate te, hito ni mo mi odorokasa m no kokoro ari, makoto ni simi te hukaki tokoro ha naki hito ni nam, monose rare keru. Saruha, kokoro no kuma ohoku, ito kasikoki hito no, suwe no yo ni amaru made, zae taguhi naku, urusa nagara. Hito to si te, kaku nan naki koto ha katakari keru."
1.5.6  などのたまふ。
 などとおっしゃる。
 などと源氏は言うのであった。
  nado notamahu.
1.5.7  「 いとおどろおどろしかりつる風に、中宮に、はかばかしき宮司などさぶらひつらむや」
 「たいそうひどい風だったが、中宮の御方には、しっかりした宮司などは控えていただろうか」
 「あの大風に中宮ちゅうぐう付きの役人は皆出て来ていたか、昨夜ゆうべのことが不安だ」
  "Ito odoroodorosikari turu kaze ni, Tyuuguu ni, hakabakasiki Miyadukasa nado saburahi tu ram ya?"
1.5.8  とて、この君して、御消息聞こえたまふ。
 とおっしゃって、この中将の君を使者として、お見舞を差し上げなさる。
 と言って、源氏は中将を見舞いに出すのであった。
  tote, kono Kimi si te, ohom-seusoko kikoye tamahu.
1.5.9  「 夜の風の音は、いかが聞こし召しつらむ。吹き乱りはべりしに、おこりあひはべりて、いと堪へがたき、ためらひはべるほどになむ」
 「昨夜の風の音は、どのようにお聞きあそばしましたでしょうか。吹き荒れていましたが、あいにく風邪をひきまして、とてもつらいので、休んでいたところでございました」
 昨晩の風のきついころはどうしておいでになりましたか。私は少しそのころから身体からだの調子がよろしゅうございませんのでただ今はまだ伺われません。
  "Yoru no kaze no oto ha, ikaga kikosimesi tu ram? Huki midari haberi si ni, okori ahi haberi te, ito tahe gataki, tamerahi haberu hodo ni nam."
1.5.10  と聞こえたまふ。
 とご伝言申し上げなさる。
 という挨拶あいさつを持たせてやったのである。
  to kikoye tamahu.
注釈59いかにぞ以下「たまひきや」まで、源氏の詞。1.5.2
注釈60しか以下「こそはべれ」まで、夕霧の詞。1.5.3
注釈61今いくばくも以下「ことはかたかりける」まで、源氏の詞。1.5.5
注釈62いとおどろおどろしかりつる以下「さぶらひつらむや」まで、源氏の詞。1.5.7
注釈63夜の風の音は以下「ほどになむ」まで、源氏の中宮への伝言。1.5.9
1.6
第六段 夕霧、中宮を見舞う


1-6  Yugiri calls on Chugu's room in West-residence

1.6.1  中将下りて、中の廊の戸より通りて、参りたまふ。朝ぼらけの容貌、いとめでたくをかしげなり。東の対の南の側に立ちて、御前の方を見やりたまへば、御格子、まだ二間ばかり上げて、ほのかなる朝ぼらけのほどに、御簾巻き上げて人びとゐたり。
 中将は御前を辞して、中の廊の戸を通って、参上なさる。朝日をうけたお姿は、とても立派で素晴らしい。東の対の南の側に立って、寝殿の方を遥かに御覧になると、御格子は、まだ二間ほど上げたばかりで、かすかな朝日の中に、御簾を巻き上げて、女房たちが座っていた。
 そこを立ち廊の戸を通って中宮の町へ出て行く若い中将の朝の姿が美しかった。東の対の南側の縁に立って、中央の寝殿を見ると、格子が二間ほどだけ上げられて、まだほのかな朝ぼらけに御簾みすを巻き上げて女房たちが出ていた。
  Tyuuzyau ori te, naka no rau no to yori tohori te, mawiri tamahu. Asaborake no katati, ito medetaku wokasige nari. Himgasinotai no minami no soba ni tati te, omahe no kata wo miyari tamahe ba, mi-kausi, mada hutama bakari age te, honoka naru asaborake no hodo ni, misu makiage te hitobito wi tari.
1.6.2  高欄に押しかかりつつ、若やかなる限りあまた見ゆ。 うちとけたるはいかがあらむさやかならぬ明けぼののほど、色々なる姿は、いづれともなくをかし。
 高欄にいく人も寄り掛かっている、若々しい女房ばかりが大勢見える。気を許している姿はどんなものであろうか、はっきり見えない早朝では、色とりどりの衣装を着た姿は、どれもこれも美しく見えるものでる。
 高欄によりかかって庭を見ているのは若い女房ばかりであった。打ち解けた姿でこうしたふうに出ていたりすることはよろしくなくても、これは皆きれいにいろいろな上着にまでつけて、重なるようにしてすわりながらおおぜいで出ているので感じのよいことであった。
  Kauran ni osikakari tutu, wakayaka naru kagiri amata miyu. Utitoke taru ha ikaga ara m, sayaka nara nu akebono no hodo, iroiro naru sugata ha, idure to mo naku wokasi.
1.6.3  童女下ろさせたまひて、虫の籠どもに露飼はせたまふなりけり。紫苑、撫子、濃き薄き衵どもに、女郎花の汗衫などやうの、時にあひたるさまにて、四、五人連れて、ここかしこの草むらに寄りて、色々の籠どもを持てさまよひ、撫子などの、いとあはれげなる枝ども取り持て参る、霧のまよひは、いと艶にぞ見えける。
 童女を庭にお下ろしになって、いくつもの虫籠に露をおやりになっていらっしゃるのであった。紫苑、撫子、濃い薄い色の袙の上に、女郎花の汗衫などのような、季節にふさわしい衣装で、四、五人連れ立って、あちらこちらの草むらに近づいて、色とりどりの虫籠をいくつも持ち歩いて、撫子などの、たいそう可憐な枝をいく本も取って参上する、その霧の中に見え隠れする姿は、たいそう優艷に見えるのであった。
 中宮は童女を庭へおろして虫籠むしかごに露を入れさせておいでになるのである。紫菀しおん色、撫子なでしこ色などの濃い色、淡い色のあこめに、女郎花おみなえし色の薄物の上着などの時節に合った物を着て、四、五人くらいずつ一かたまりになってあなたこなたの草むらへいろいろな籠を持って行き歩いていて、折れた撫子の哀れな枝なども取って来る。霧の中にそれらが見えるのである。
  Warahabe orosa se tamahi te, musi no ko-domo ni tuyu kaha se tamahu nari keri. Sion, nadesiko, koki usuki akome-domo ni, wominahesi no kazami nado yau no, toki ni ahi taru sama nite, yo-tari, itu-tari ture te, koko-kasiko no kusamura ni yori te, iroiro no ko-domo wo mote samayohi, nadesiko nado no, ito aharege naru eda-domo torimote mawiru, kiri no mayohi ha, ito en ni zo miye keru.
1.6.4  吹き来る追風は、紫苑ことごとに匂ふ空も、香のかをりも、触ればひたまへる御けはひにやと、いと思ひやりめでたく、心懸想せられて、立ち出でにくけれど、忍びやかにうちおとなひて、歩み出でたまへるに、人びと、けざやかにおどろき顔にはあらねど、皆すべり入りぬ。
 あとから吹いて来る追風は、紫苑の花すべてが匂う空も、薫物の香も、お触れになった御移り香のせいかと、想像されるのもまことにみごとなので、つい緊張されて、御前に進みにくいけれども、小声で咳払いして、お歩き出しになると、女房たちははっきりと驚いた顔ではないが、皆奥に入ってしまった。
 お座敷の中を通って吹いて来る風は侍従香のにおいを含んでいた。貴女きじょの世界の心憎さが豊かに覚えられるお住居すまいである。驚かすような気がして中将は出にくかったが、静かな音をたてて歩いて行くと、女房たちはきわだって驚いたふうも見せずに皆座敷の中へはいってしまった。
  Huki kuru ohikaze ha, sioni kotogoto ni nihohu sora mo, kau no kawori mo, hurebahi tamahe ru ohom-kehahi ni ya to, ito omohiyari medetaku, kokorogesau se rare te, tatiide nikukere do, sinobiyaka ni uti-otonahi te, ayumi ide tamahe ru ni, hitobito, kezayaka ni odorokigaho ni ha arane do, mina suberi iri nu.
1.6.5   御参りのほどなど、童なりしに、入り立ち馴れたまへる、女房なども、いとけうとくはあらず。御消息啓せさせたまひて、 宰相の君、内侍など、けはひすれば、私事も忍びやかに語らひたまふ。これはた、さいへど、気高く住みたるけはひありさまを見るにも、さまざまにもの思ひ出でらる。
 御入内されたころなどは、子供だったので、御簾の中によくお入りなにっていたので、女房なども、たいしてよそよそしくはない。お見舞いを言上させなさって、宰相の君や、内侍などのいる様子がするので、私事も小声でお話しになる。こちらはこちらで、何といっても、気品高く暮らしていらっしゃる様子を見るにつけ、さまざまなことが思い出される。
 宮の御入内ごじゅだいの時に童形どうぎょう供奉ぐぶして以来知り合いの女房が多くて中将には親しみのある場所でもあった。源氏の挨拶あいさつを申し上げてから、宰相の君、内侍ないしなどもいるのを知って中将はしばらく話していた。ここにはまたすべての所よりも気高けだかい空気があった。そうした清い気分の中で女房たちと語りながらも中将は昨日きのう以来の悩ましさを忘れることができなかった。
  Ohom-mawiri no hodo nado, waraha nari si ni, iritati nare tamahe ru, nyoubau nado mo, ito keutoku ha ara zu. Ohom-seusoko keise sase tamahi te, Saisyau-no-Kimi, Naisi nado, kehahi sure ba, watakusigoto mo sinobiyaka ni katarahi tamahu. Kore hata, sa ihe do, kedakaku sumi taru kehahi arisama wo miru ni mo, samazama ni mono omohiide raru.
注釈64うちとけたるはいかがあらむ語り手の推測。1.6.2
注釈65さやかならぬ明けぼののほど大島本は「あけほの(ほの=くれイ)ゝほと」とある。すなわち異本には「くれ」とあると傍記する。『新大系』は底本の本行本文に従う。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「明けぐれ」とする。1.6.2
注釈66御参りのほど中宮の入内は「絵合」巻。夕霧、十歳の頃である。1.6.5
注釈67宰相の君内侍など宰相の君、内侍、いずれも女房。1.6.5
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年5月18日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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