第三十帖 藤袴


30 HUDIBAKAMA (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳秋八月から九月の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from August to September at the age of 37

3
第三章 玉鬘の物語 玉鬘と鬚黒大将


3  Tale of Tamakazura  Tamakazura and her lovers, Higekuro and the others

3.1
第一段 鬚黒大将、熱心に言い寄る


3-1  Higekuro tells his love to Tamakazura eagerly

3.1.1   大将は、この中将は同じ右の次将なれば、常に呼び取りつつ、ねむごろに語らひ、大臣にも申させたまひけり。人柄もいとよく、朝廷の御後見となるべかめる下形なるを、「 などかはあらむ」と思しながら 、「 かの大臣のかくしたまへることを、 いかがは聞こえ返すべからむさるやうあることにこそ」と、心得たまへる筋さへあれば、任せきこえたまへり。
 大将は、この中将は同じ右近衛の次官なので、いつも呼んでは熱心に相談し、内大臣にも申し上げさせなさった。人柄もたいそうよく、朝廷の御後見となるはずの地盤も築いているので、「何の難があろうか」とお思いになる一方で、「あの大臣がこうお決めになったことを、どのように反対申し上げられようか。それにはそれだけの理由があるのだろう」と、合点なさることまであるので、お任せ申し上げていらっしゃった。
 大将はこの中将のいる右近衛うこんえのほうの長官であったから、始終この人を呼んで玉鬘たまかずらとの縁組みについて熟談していた。内大臣へも希望を取り次いでもらっていたのである。人物もりっぱであったし、将来の大臣として活躍する素地のある人であったから、娘のために悪い配偶者ではないと大臣は認めていたが、源氏が尚侍ないしのかみをばどうしようとするかには抗議の持ち出しようもなく、またそうすることには深い理由もあることであろうと思っていたから、すべて源氏に一任していると返辞をさせていた。
  Daisyau ha, kono Tyuuzyau ha onazi Migi-no-Suke nare ba, tune ni yobitori tutu, nemgoro ni katarahi, Otodo ni mo mausa se tamahi keri. Hitogara mo ito yoku, ohoyake no ohom-usiromi to naru beka' meru sitakata naru wo, "Nadoka ha ara m?" to obosi nagara, "Kano Otodo no kaku si tamahe ru koto wo, ikagaha kikoye kahesu bekara m? Saru yau aru koto ni koso." to, kokoroe tamahe ru sudi sahe are ba, makase kikoye tamahe ri.
3.1.2   この大将は、春宮の女御の御はらからにぞおはしける大臣たちをおきたてまつりて、さしつぎの御おぼえ、いとやむごとなき君なり。年三十二三のほどにものしたまふ。
 この右大将は、春宮の女御のご兄弟でいらっしゃった。大臣たちをお除き申せば、次いでの御信任が、すこぶる厚い方である。年は三十二三歳くらいになっていらっしゃる。
 この大将は東宮の母君である女御にょごとは兄弟であった。源氏と内大臣に続いての大きい勢力があった。年は三十二である。
  Kono Daisyau ha, Touguu-no-Nyougo no ohom-harakara ni zo ohasi keru. Otodo-tati wo oki tatematuri te, sasitugi no ohom-oboye, ito yamgotonaki Kimi nari. Tosi samzihu ni sam no hodo ni monosi tamahu.
3.1.3   北の方は、紫の上の御姉ぞかし。式部卿宮の御大君よ。年のほど三つ 四つがこのかみは、ことなるかたはにもあらぬを、 人柄やいかがおはしけむ、「 嫗」とつけて心にも入れず、 いかで背きなむと思へり。
 北の方は、紫の上の姉君である。式部卿宮の大君であるよ。年が三、四歳年長なのは、これといった欠点ではないが、人柄がどうでいらっしゃったのか、「おばあさん」と呼んで大事にもせず、何とかして離縁したい思っていた。
 夫人は紫の女王にょおうの姉君であった。式部卿しきぶきょうの宮の長女である。年が三つか四つ上であることはたいして並みはずれな夫婦ではないが、どうした理由でかその夫人をお婆様ばあさまと呼んで、大将は愛していなかった。どうかして別れたい、別に結婚がしたいと願っていた。
  Kitanokata ha, Murasaki-no-Uhe no ohom-ane zo kasi. Sikibukyau-no-Miya no ohom-Ohoikimi yo. Tosi no hodo mitu yotu ga konokami ha, koto naru kataha ni mo ara nu wo, hitogara ya ikaga ohasi kem, "Ouna" to tuke te kokoro ni mo ire zu, ikade somuki na m to omohe ri.
3.1.4   その筋により、六条の大臣は、大将の御ことは、「 似げなくいとほしからむ」と思したるなめり。色めかしくうち乱れたるところなきさまながら、いみじくぞ心を尽くしありきたまひける。
 その縁故から、六条の大臣は、右大将のことは、「似合いでなく気の毒なことになるだろう」と思っていらっしゃるようである。好色っぽく道を踏み外すところはないようだが、ひどく熱心に奔走なさっているのであった。
 そうした夫人の関係があるために、源氏は大将と玉鬘との縁談には賛成ができないでいたのである。大将の家庭のためにもそう思ったことであり、玉鬘のためにも煩雑な関係を避けさせたかったのである。大将は好色な人ではないが、夢中になって玉鬘を得ようとしていた。内大臣も断然不賛成だというのでもないという情報を大将は得ていた。玉鬘自身は宮仕えに気が進んでいないということもまた身辺にいる者からくわしく伝えられて大将は聞いていた。
  Sono sudi ni yori, Rokudeu-no-Otodo ha, Daisyau no ohom-koto ha, "Nigenaku itohosikara m." to obosi taru na' meri. Iromekasiku uti-midare taru tokoro naki sama nagara, imiziku zo kokoro wo tukusi ariki tamahi keru.
3.1.5  「 かの大臣も、もて離れても思したらざなり。 女は、宮仕へをもの憂げに思いたなり」と、うちうちのけしきも、 さる詳しきたよりあれば、漏り聞きて、
 「あの大臣も、全く問題外だとお考えでないようだ。女は、宮仕えを億劫に思っていらっしゃるらしい」と、内々の様子も、しかるべき詳しいつてがあるので漏れ聞いて、
 「ではただ源氏の大臣だけが家庭の人になるのに反対していられるのだというわけではないか。
  "Kano Otodo mo, mote hanare te mo obosi tara za' nari. Womna ha, miyadukahe wo mono-uge ni oboi ta' nari." to, utiuti no kesiki mo, saru kuhasiki tayori are ba, mori kiki te,
3.1.6  「 ただ大殿の御おもむけの異なるにこそはあなれ。まことの親の御心だに違はずは」
 「ただ大殿のご意向だけが違っていらっしゃるようだ。せめて実の親のお考えにさえ違わなければ」
 実父がいいと思われる事どおりになすったらいいじゃないか」
  "Tada OhoTono no ohom-omomuke no koto naru ni koso ha a' nare. Makoto no oya no mi-kokoro dani tagaha zu ha."
3.1.7  と、 この弁の御許にも責ためたまふ。
 と、この弁の御許にも催促なさる。
 と大将は仲介者の女房の弁を責めていた。
  to, kono Ben-no-Omoto ni mo setame tamahu.
注釈148大将は、この中将は同じ右の次将なれば鬚黒大将は柏木が同じ右近衛府の次官なので、の意。3.1.1
注釈149などかはあらむと思しながら大島本は「なとかい」とあるが、諸本によって改める。主語は内大臣。3.1.1
注釈150かの大臣の以下「あることにこそ」まで、内大臣の心中。「かの大臣」は源氏をさす。3.1.1
注釈151いかがは聞こえ返すべからむ「いかがは--べからむ」反語表現。3.1.1
注釈152さるやうあることにこそ『集成』は「玉鬘を源氏のものにしておきたいのだろうと、内大臣は邪推している」と注す。3.1.1
注釈153この大将は春宮の女御の御はらからにぞおはしける鬚黒右大将は、朱雀院の承香殿女御で東宮の母女御と姉弟。3.1.2
注釈154大臣たちをおきたてまつりてさしつぎの御おぼえいとやむごとなき君なり源氏太政大臣、内大臣に次ぐ第三の実力者。3.1.2
注釈155北の方は紫の上の御姉ぞかし式部卿宮の御大君よ式部卿宮の大君、紫の上の異母姉。「よ」間投助詞、呼び掛け。読者を意識した語り手の口吻。3.1.3
注釈156人柄やいかがおはしけむ『完訳』は「性格上の以上があるらしいとする、語り手の推測」と注す。3.1.3
注釈157いかで背きなむ鬚黒の心中。3.1.3
注釈158その筋に鬚黒の北の方が紫の上の異母姉という関係をさす。3.1.4
注釈159似げなくいとほしからむ源氏の心中。『完訳』は「不似合いだし、また姫君がおかわいそうなことになる」と訳す。3.1.4
注釈160かの大臣も以下「思いたなり」まで、鬚黒の心中。「かの大臣」は内大臣をさす。3.1.5
注釈161女は『集成』は「「女」とあるのは、結婚の相手として述べるところから出た言葉」と注す。3.1.5
注釈162さる詳しきたよりあれば大島本は「たより」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「たよりし」と「し」を補訂する。3.1.5
注釈163ただ大殿の以下「違はずは」まで、鬚黒の詞。3.1.6
注釈164この弁の御許にも玉鬘付きの女房。鬚黒との手引をする。『集成』は「「この」は、かねてから仲立ちであることを自明とした言い方」と注す。3.1.7
校訂15 かは かは--*かい 3.1.1
校訂16 四つ 四つ--よへ(へ/$つ<朱>) 3.1.3
校訂17 嫗」と 嫗と--おん(ん/$う)な(/な+と) 3.1.3
3.2
第二段 九月、多数の恋文が集まる


3-2  Many loveletters rush to Tamakazura in September

3.2.1   九月にもなりぬ。初霜むすぼほれ、艶なる朝に、例の、とりどりなる 御後見どもの、引きそばみつつ持て参る御文どもを、見たまふこともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。大将殿のには、
 九月になった。初霜が降りて、心そそられる朝に、例によって、それぞれのお世話役たちが、目立たないようにしては参上するいくつものお手紙を、御覧になることもなく、お読み申し上げるのだけをお聞きになる。右大将殿の手紙には、
 九月になった。初霜が庭をほの白くしたえんな朝に、また例のように女房たちが諸方から依頼された手紙を、恥じるようにしながら玉鬘たまかずらの居間へ持って来たのを、自分で読むことはせずに、女房があけて読むのをだけ姫君は聞いていた。右大将のは、
  Nagatuki ni mo nari nu. Hatusimo musubohore, en naru asita ni, rei no, toridori naru ohom-usiromi-domo no, hiki-sobami tutu mote mawiru ohom-humi-domo wo, mi tamahu koto mo naku te, yomi kikoyuru bakari wo kiki tamahu. Daisyau-dono no ni ha,
3.2.2  「 なほ頼み来しも、過ぎゆく空のけしきこそ、心尽くしに、
 「それでもやはりあてにして来ましたが、過ぎ去って行く空の様子は気が気でなく、
  恋する人の頼みにします八月もどうやら過ぎてしまいそうな空をながめて私は煩悶はんもんしております。
  "Naho tanomi ko si mo, sugi yuku sora no kesiki koso, kokorodukusi ni,
3.2.3    数ならば厭ひもせまし長月に
   命をかくるほどぞはかなき
  人並みであったら嫌いもしましょうに、九月を
  頼みにしているとは、何とはかない身の上なのでしょう
  数ならばいとひもせまし長月に
  命をかくるほどぞはかなき
    Kazu nara ba itohi mo se masi nagatuki ni
    inoti wo kakuru hodo zo hakanaki
3.2.4  「月たたば」とある定めを、 いとよく聞きたまふなめり
 「来月になったら」という決定を、ちゃんと聞いていらっしゃるようである。
 十月に玉鬘が御所へ出ることを知っている書き方である。
  "Tuki tata ba." to aru sadame wo, ito yoku kiki tamahu na' meri.
3.2.5  兵部卿宮は、
 兵部卿宮は、
 兵部卿ひょうぶきょうの宮は、
  Hyaubukyau-no-Miya ha,
3.2.6  「 いふかひなき世は、聞こえむ方なきを、
 「言ってもしかたのない仲は、今さら申し上げてもしかたがありませんが、
 不幸な運命を持つ、無力な私は今さら何を申し上げることもないのですが、
  "Ihukahinaki yo ha, kikoye m kata naki wo,
3.2.7    朝日さす光を見ても玉笹の
   葉分けの霜を消たずもあらなむ
  朝日さす帝の御寵愛を受けられたとしても
  霜のようにはかないわたしのことを忘れないでください
  朝日さす光を見ても玉笹たまざさ
  葉分はわけの霜はたずもあらなん
    Asahi sasu hikari wo mi te mo tamazasa no
    hawake no simo wo keta zu mo ara nam
3.2.8   思しだに知らば、慰む方もありぬべくなむ」
 お分りいただければ、慰められましょう」
 私の恋する心を認めていてくださいましたら、せめてそれだけを慰めにしたいと思っています。
  Obosi dani sira ba, nagusamu kata mo ari nu beku nam."
3.2.9  とて、いとかしけたる下折れの霜も落とさず持て参れる御使さへぞ、 うちあひたるや
 とあって、たいそう萎れて折れた笹の下枝の霜も落とさず持参した使者までが、似つかわしい感じであるよ。
 というのである。手紙の付けられてあったのは縮かんだようになった下折れ笹に霜の積もったのであって、来た使いの形もこの笹にふさわしい姿であった。
  tote, ito kasike taru sitawore no simo mo otosa zu mote mawire ru ohom-tukahi sahe zo, utiahi taru ya!
3.2.10   式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御はらからぞかし親しく参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。いと多く怨み続けて、
 式部卿宮の左兵衛督は、殿の奥方のご兄弟であるよ。親しく参上なさる君なので、自然と事の事情なども聞いて、ひどくがっかりしているのであった。長々と恨み言を綴って、
 式部卿しきぶきょうの宮の左兵衛督さひょうえのかみは南の夫人の弟である。六条院へは始終来ている人であったから、玉鬘の宮中入りのこともよく知っていて、相当に煩悶をしているのが文意に現われていた。
  Sikibukyau-no-Miya no Sahyauwe-no-Kami ha, Tono no uhe no ohom-harakara zo kasi. Sitasiku mawiri nado si tamahu Kimi nare ba, onodukara ito yoku mono no a'nai mo kiki te, imiziku zo omohi wabi keru. Ito ohoku urami tuduke te,
3.2.11  「 忘れなむと思ふもものの悲しきを
   いかさまにしていかさまにせむ
 「忘れようと思う一方でそれがまた悲しいのを
  どのようにしてどのようにしたらよいものでしょうか
  忘れなんと思ふも物の悲しきを
  いかさまにしていかさまにせん
    "Wasure na m to omohu mo mono no kanasiki wo
    ikasama ni si te ikasama ni se m
3.2.12  紙の色、墨つき、しめたる匂ひも、 さまざまなるを、人びとも皆、
 紙の色、墨の具合、焚きこめた香の匂いも、それぞれに素晴らしいので、女房たちも皆、
 選んだ紙の色、書きよう、きしめた薫香くんこうにおいもそれぞれ特色があって、美しい感じ、はっきりとした感じ、奥ゆかしい感じをそれらの手紙から受け取ることができた。
  Kami no iro, sumituki, sime taru nihohi mo, samazama naru wo, hitobito mo mina,
3.2.13  「 思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ
 「すっかり諦めてしまわれることは、寂しいことだわ」
 玉鬘が御所へ出るようになればこうしたことがなくなることを言って、女房たちは惜しがっていた。
  "Obosi taye nu beka' meru koso, sauzausikere."
3.2.14  など言ふ。
 などと言っている。
 
  nado ihu.
3.2.15  宮の御返りをぞ、 いかが思すらむ、ただいささかにて、
 宮へのお返事を、どうお思いになったのか、ただわずかに、
 宮への御返事だけを、どういう気持ちになっていたのか、短くはあったが玉鬘は書いた。
  Miya no ohom-kaheri wo zo, ikaga obosu ram, tada isasaka nite,
3.2.16  「 心もて光に向かふ葵だに
   朝おく霜をおのれやは消つ
 「自分から光に向かう葵でさえ
  朝置いた霜を自分から消しましょうか
  心もて日かげに向かふあふひだに
  朝置く露をおのれやは
    "Kokoro mote hikari ni mukahu ahuhi dani
    asa oku simo wo onore ya ha ketu
3.2.17  とほのかなるを、 いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきに かけたまひつればつゆばかりなれど、いとうれしかりけり。
 とうっすらと書いてあるのを、たいそう珍しく御覧になって、姫自身は宮の愛情を感じているに違いないご様子でいらっしゃるので、わずかであるがたいそう嬉しいのであった。
 ほのかな字で書かれたこの歌に、同情を持つ心の言ってあるのを御覧になって、一つの歌ではあるが宮は非常にうれしくお思いになった。
  to honoka naru wo, ito medurasi to mi tamahu ni, midukara ha ahare wo siri nu beki mi-kesiki ni kake tamahi ture ba, tuyu bakari nare do, ito uresikari keri.
3.2.18  かやうに何となけれど、さまざまなる人びとの、御わびごとも多かり。
 このように特にどうということはないが、いろいろな人々からの、お恨み言がたくさんあった。
 こんなふうに恨めしがる手紙はまだほかからも多く来た。
  Kayau ni nani to nakere do, samazama naru hitobito no, ohom-wabigoto mo ohokari.
3.2.19   女の御心ばへは、この君をなむ本にすべきと、大臣たち定めきこえたまひけり とや
 女性の心の持ち方としては、この姫君を手本にすべきだと、大臣たちはご判定なさったとか。
 求婚者を多数に持つ女の中の模範的の女だと源氏と内大臣は玉鬘を言っていたそうである。
  Womna no mi-kokorobahe ha, kono Kimi wo nam moto ni su beki to, Otodo-tati sadame kikoye tamahi keri to ya.
注釈165九月にもなりぬ初霜むすぼほれ艶なる朝に晩秋九月となり、尚侍としての出仕を来月に控えた、ある初霜の朝、という設定。3.2.1
注釈166御後見どもの玉鬘のお世話役の女房たち。恋文の仲立ちをもしている。3.2.1
注釈167なほ頼み来しも以下「ほどぞはかなき」まで、鬚黒の手紙文。3.2.2
注釈168数ならば厭ひもせまし長月に--命をかくるほどぞはかなき鬚黒から玉鬘への贈歌。「長月に命を懸くる」とは、九月が帝への出仕や結婚を忌む月で、それを当てにしているので、という意。『完訳』は「「--ば--まし」で、人並ならぬ恋の思いを裏返しに表現。下句は、九月だけを頼みとして生命をかける意。切実な心情語による表現で、兵部卿宮の歌とは対照的」と注す。3.2.3
注釈169いとよく聞きたまふなめり「なめり」の主体は語り手。語り手の批評と推量。3.2.4
注釈170いふかひなき世は以下「ありぬべくなむ」まで、蛍兵部卿宮の手紙文。3.2.6
注釈171朝日さす光を見ても玉笹の--葉分けの霜を消たずもあらなむ蛍宮から玉鬘への贈歌。主旨「消たずもあらなむ」。「なむ」願望の助詞。私を忘れないでほしい。「朝日さす光」を帝の恩寵に、「玉笹」を玉鬘に、「霜」を自分自身に喩える。朝日を受ける玉笹(帝の恩寵を受ける玉鬘)と朝日に消えようとすえる霜(自分)を対照的に歌う。「玉笹の葉分に置ける白露の今幾世経む我ならなくに」(古今六帖六、笹、三九五〇)を踏まえる。3.2.7
注釈172思しだに知らば以下「ありぬべくなむ」まで、歌に添えた言葉。3.2.8
注釈173うちあひたるや「や」間投助詞、語り手の詠嘆。3.2.9
注釈174式部卿宮の左兵衛督は殿の上の御はらからぞかし式部卿宮の子息。源氏の北の方紫の上の異母兄弟。初出の人。3.2.10
注釈175親しく参りなどしたまふ君なれば六条院に親しく出入りしている意。3.2.10
注釈176忘れなむと思ふもものの悲しきを--いかさまにしていかさまにせむ「忘るれどかく忘るれど忘られずいかさまにしていかさまにせむ」(義孝集、一九)。『完訳』は「下句の反復に、無力な自分にいらだつ気持がこもる」と注す。3.2.11
注釈177さまざまなるをそれぞれに素晴らしいの意。3.2.12
注釈178思し絶えぬべかめるこそさうざうしけれ女房たちの詞。『集成』は「(こうしたすばらしい方々が、出仕の暁には)皆すっかり諦めておしまいになるだろうと思うと、さびしくなりますね」と訳す。3.2.13
注釈179いかが思すらむ『完訳』は「語り手の言辞。玉鬘があえて宮にだけ返事をする意外さをいう」と注す。3.2.15
注釈180心もて光に向かふ葵だに--朝おく霜をおのれやは消つ玉鬘から蛍宮への返歌。「朝」「光」「霜」「消つ」の語句をそのまま。「玉笹」を「葵」に置き換えて、自分を「葵」に、宮を「霜」に喩え、「己やは消つ」(反語表現。どうして私が消したりしましょうか)と切り返す。3.2.16
注釈181いとめづらしと見たまふに主語は蛍宮。『完訳』は「宮への玉鬘の返歌としては、これまで語られてきたかぎり最初」と注す。3.2.17
注釈182かけたまひつれば大島本は「かけ給つれハ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かけたまへれば」と校訂する。3.2.17
注釈183つゆばかりなれど「つゆ(露)」は歌中の「霜」の縁で用いられた修辞。3.2.17
注釈184女の御心ばへは、この君をなむ本にすべき源氏や内大臣の詞。「この君」は玉鬘をさす。『完訳』は「玉鬘への讃辞である。多くの懸想人に最後まで慕われながら、源氏と内大臣の円満裡に出仕する玉鬘を讃美」と注す。3.2.19
注釈185とや『完訳』は「伝聞形式によって語り収める」と注す。3.2.19
出典5 朝日さす光を見ても玉笹 玉笹の葉分きに置ける白露の今いく夜経む我ならなくに 古今六帖六-三九五〇 3.2.7
Last updated 9/21/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 12/19/2009(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/17/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年9月10日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2008年3月22日

Last updated 12/19/2009 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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