第三十一帖 真木柱


31 MAKIBASIRA (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

1
第一章 玉鬘の物語 玉鬘、鬚黒大将と結婚


1  Tale of Tamakazura  Tamakazura gets married to Higekuro

1.1
第一段 鬚黒、玉鬘を得る


1-1  Higekuro married to Tamakazura on October

1.1.1  「 内裏に聞こし召さむこともかしこし。しばし人にあまねく漏らさじ」と 諌めきこえたまへどさしもえつつみあへたまはずほど経れどいささかうちとけたる御けしきもなく、「 思はずに憂き宿世なりけり」と、思ひ入りたまへるさまのたゆみなきを、「 いみじうつらし」と思へど、おぼろけならぬ契りのほど、あはれにうれしく 思ふ
 「帝がお聞きあそばすことも恐れ多い。少しの間は広く世間には知らせまい」とご注意申し上げなさるが、そう隠してもお隠しきれになれない。何日かたったが、少しもお心を開くご様子もなく、「思いの他の不運な身の上だわ」と、思い詰めていらっしゃる様子がいつまでも続くので、「ひどく恨めしい」と思うが、浅からぬご縁、しみじみと嬉しく思う。
 「みかどのお耳にはいって、御不快に思召おぼしめすようなことがあってもおそれおおい。当分世間へ知らせないようにしたい」
 と源氏からの注意はあっても、右大将は、恋の勝利者である誇りをいつまでもかげのことにはしておかれないふうであった。時日がたっても新しい夫人には打ち解けたところが見いだせないで、自身の運命はこれほどつまらないものであったかと、気をめいらせてばかりいる玉鬘たまかずらを、大将は恨めしく思いながらも、この人と夫婦になれた前生の因縁が非常にありがたかった。
  "Uti ni kikosimesa m koto mo kasikosi. Sibasi hito ni amaneku morasa zi." to isame kikoye tamahe do, sasimo e tutumi ahe tamaha zu. Hodo hure do, isasaka utitoke taru mi-kesiki mo naku, "Omoha zu ni uki sukuse nari keri." to, omohiiri tamahe ru sama no tayumi naki wo, "Imiziu turasi." to omohe do, oboroke nara nu tigiri no hodo, ahare ni uresiku omohu.
1.1.2   見るままにめでたく、思ふさまなる御容貌、ありさまを、「 よそのものに見果ててやみなましよ」と思ふだに胸つぶれて、 石山の仏をも、 弁の御許をも、並べて預かまほしう思へど、 女君の、深くものしと 疎みにければえ交じらはで籠もりゐにけり
 見れば見るほどにご立派で、理想的なご器量、様子を、「他人のものにしてしまうところであったよ」と思うだけでも胸がどきどきして、石山寺の観音も、弁の御許も並べて拝みたく思うが、女君がほんとうに不愉快だと嫌ったので、出仕もせずに自宅に引き籠もっているのであった。
 予想したにも過ぎた佳麗な人を見ては、自分が得なかった場合にはこのすぐれた人は他人の妻になっているのであると、こんなことを想像する瞬間でさえ胸がとどろいた。石山寺の観世音菩薩かんぜおんぼさつも、女房の弁も並べて拝みたいほどに大将は感激していたが、玉鬘からは最初の夜の彼を導き入れた女として憎まれていて、弁は新夫人の居間へ出て行くことを得しないで、部屋に引き込んでいた。
  Miru mama ni medetaku, omohu sama naru ohom-katati, arisama wo, "Yoso no mono ni mi hate te yami na masi yo!" to omohu dani mune tubure te, Isiyama no Hotoke wo mo, Ben-no-Omoto wo mo, narabe te itadaka mahosiu omohe do, OmnaGimi no, hukaku monosi to utomi ni kere ba, e maziraha de komori wi ni keri.
1.1.3   げに、そこら心苦しげなることどもを、とりどりに見しかど、心浅き人のためにぞ、寺の験も現はれける
 なるほど、たくさんお気の毒な例を、いろいろと見て来たが、思慮の浅い人のために、お寺の霊験が現れたのであった。
 仏の御心みこころにもその祈願は取り上げずにいられまいと思われた風流男たちの恋には効験ききめがなくて、荒削りな大将に石山観音の霊験が現われた結果になった。
  Geni, sokora kokorogurusige naru koto-domo wo, toridori ni mi sika do, kokoroasaki hito no tame ni zo, Tera no gen mo arahare keru.
1.1.4  大臣も、「心ゆかず口惜し」と思せど、いふかひなきことにて、「 誰れも誰れもかく許しそめたまへることなれば引き返し許さぬけしきを見せむも、人のためいとほしう、あいなし」と思して、儀式いと二なくもてかしづきたまふ。
 大臣も「不満足で残念だ」とお思いになるが、今さら言ってもしかたのないことなので、「誰も彼もこのようにご承知なさったことなので、今さら態度を変えるのも、相手のためにたいそうお気の毒であり、筋違いである」とお考えになって、結婚の儀式をたいそうまたとなく立派にお世話なさる。
 源氏も快心のこととはこの問題を見られなかったが、もう成立したことであって、当人はもとより実父も許容した婿を自分だけが認めない態度をとることは、自分の愛している玉鬘のためにもかわいそうであると思って、新婦の家としてする儀式を華麗に行なって、婿かしずきも重々しくした。
  Otodo mo, "Kokoroyuka zu kutiwosi." to obose do, ihukahinaki koto nite, "Tare mo tare mo kaku yurusi some tamahe ru koto nare ba, hikikahesi yurusa nu kesiki wo mise m mo, hito no tame itohosiu, ainasi." to obosi te, gisiki ito ninaku mote kasiduki tamahu.
1.1.5   いつしかと、わが殿に渡いたてまつらむことを思ひいそぎたまへど、 軽々しくふとうちとけ渡りたまはむに、かしこに待ち取りて、 よくも思ふまじき人ものしたまふなるが、いとほしさに ことづけたまひて
 一日も早く、自分の邸にお迎え申し上げることをご準備なさるが、軽率にひょいとお移りなさる場合、あちらに待ち受けて、きっと好ましく思うはずのない人がいらっしゃるらしいのが、気の毒なことにかこつけなさって、
 早くそのうちに自邸へ新夫人を引き取って行きたいと大将は思っているのであるが、源氏は簡単に良人おっとの家へ移るとしても、そこにはうれしく思っては迎えぬはずの第一夫人もいるのが、玉鬘のために気の毒であるということを理由にしてとめていた。
  Itusika to, waga tono ni watai tatematura m koto wo omohi isogi tamahe do, karugarusiku huto utitoke watari tamaha m ni, kasiko ni matitori te, yoku mo omohu maziki hito no monosi tamahu naru ga, itohosisa ni kotoduke tamahi te,
1.1.6  「 なほ、心のどかに、なだらかなるさまにて、音なく、いづ方にも、人のそしり恨みなかるべくをもてなしたまへ」
 「やはり、ゆっくりと、波風を立てないようにして、騒がれないで、どこからも人の非難や妬みを受けないよう、お振る舞いなさい」
 「何もかも穏やかに行くようにして、双方ともそしられたり、恨んだりすることを避けなければならない」
  "Naho, kokoro nodoka ni, nadaraka naru sama nite, otonaku, idukata ni mo, hito no sosiri urami nakaru beku wo motenasi tamahe."
1.1.7  とぞ聞こえたまふ。
 とお申し上げなさる。
 と源氏は言うのである。
  to zo kikoye tamahu.
注釈1内裏に聞こし召さむこと以下「漏らさじ」まで、源氏の鬚黒大将に注意する詞である。しかし、源氏の心ともとれるような表現。「漏らさ」「じ」(打消推量の助動詞)は、自分自身に向かって戒めているような表現である。『完訳』は「源氏自身の無念さもこもるか」と指摘する。十月に尚侍として出仕することが予定されていた(「藤袴」第一章七段)。その前に鬚黒大将が玉鬘に通じてしまったことをさす。1.1.1
注釈2諌めきこえたまへど源氏が鬚黒大将にお諌め申し上げなさるが。1.1.1
注釈3さしもえつつみあへたまはず鬚黒大将は源氏が忠告するようにお隠し通しになれない。1.1.1
注釈4ほど経れど鬚黒大将が玉鬘のもとに通うようになって暫くしたが。1.1.1
注釈5いささかうちとけたる御けしきもなく玉鬘の鬚黒大将に対する態度には少しも気を許した御様子もなく。1.1.1
注釈6思はずに憂き宿世なりけり玉鬘の感慨。鬚黒大将との結婚を「憂き宿世」と感想する。1.1.1
注釈7いみじうつらしと思へど鬚黒大将はひどく辛いと思うが。1.1.1
注釈8見るままにめでたく以下、鬚黒の目を通して語られる。「よそものに見果ててやみなましよ」は鬚黒大将の心中。「見るままにめでたく」というように、文末が過去の助動詞「けり」で結ばれる。以下「あらはれける」までの段、語り手が鬚黒の気持ちに添って、またその周辺から語った内容である。1.1.2
注釈9よそのものに見果ててやみなましよ他人の妻としてしまうところであったよ。「まし」は反実仮想の助動詞。1.1.2
注釈10石山の仏滋賀県大津市にある石山寺。本尊は如意輪観音像。当時霊験あらたかな観音として女性の信仰を多くあつめた。ここは男性の鬚黒大将が熱心に祈願した。1.1.2
注釈11弁の御許玉鬘付きの女房で、「藤袴」巻に登場。鬚黒と玉鬘の結婚に一役果たしたらしい。1.1.2
注釈12女君玉鬘。1.1.2
注釈13疎みにければ大島本は「うとみ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本によって「思し疎み」と「思し」を補訂する。1.1.2
注釈14え交じらはで籠もりゐにけり弁は他の女房に混じって出仕することもできず、里に謹慎しているのであった。1.1.2
注釈15げにそこら心苦しげなることどもをとりどりに見しかど心浅き人のためにぞ寺の験も現はれける『一葉抄』が「双紙の言葉也」と指摘。『評釈』では「女房の感想これは、そのとき傍観している女房のことばと考える」。『全集』は「語り手のことば」。『集成』は「草子地」。『完訳』は「玉鬘の意外な結婚への、語り手の評言」と指摘する。「げに」「とりどりに見しかど」(過去の助動詞「しか」は直接体験を意味する)という語句は、登場人物らの傍らで見ていた者の感想を表現したものである。物語の伝承者とその筆記編集者が一体化している。1.1.3
注釈16誰れも誰れもかく許しそめたまへることなれば尊敬語「たまへ」があるので、内大臣や源氏自身をさす。源氏の心内文中に語り手の源氏に対する敬意が紛れ込んだ語法。1.1.4
注釈17いつしかと鬚黒の心に添って語る。1.1.5
注釈18軽々しく以下、視点が源氏の心に移る。1.1.5
注釈19よくも思ふまじき人鬚黒の北の方。大島本は「よくも」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本によって「よくしも」と「し」を補訂する。1.1.5
注釈20ものしたまふなるが「なる」(伝聞推定の助動詞)。いらっしゃというふうに聞いているのが。1.1.5
注釈21ことづけたまひて源氏はかこつけなさって。1.1.5
注釈22なほ心のどかに以下「もてなしたまへ」まで、源氏の玉鬘への忠告の詞。1.1.6
校訂1 思ふ 思ふ--思ひ(ひ/$<朱>) 1.1.1
校訂2 引き返し 引き返し--ひきかつ(つ/$へ<朱>)し 1.1.4
1.2
第二段 内大臣、源氏に感謝


1-2  Nai-Daijin thanks Genji for his consideration to Tamakazura

1.2.1   父大臣は、
 父内大臣は、
 実父の大臣は、
  Titi-Otodo ha,
1.2.2  「 なかなかめやすかめり。ことにこまかなる後見なき人の、なまほの好いたる宮仕へに出で立ちて、苦しげにやあらむとぞ、 うしろめたかりし。心ざしはありながら、 女御かくてものしたまふをおきて、 いかがもてなさまし
 「かえって無難であろう。格別親身に世話してくれる後見のない人が、なまじっかの色めいた宮仕えに出ては、辛いことであろうと、不安に思っていた。大切にしたい気持ちはあるが、女御がこのようにいらっしゃるのを差し置いて、どうして世話できようか」
 この結婚がかえってあなたのために幸福だと思う。忠実な支持者がなくて派手はでな宮仕えに出ては苦しいことであろうと自分は心配でならなかった。助けたい志は十分にあるが、もう後宮には女御にょごが出ているのであるから、私としてはどうしてあげようもないのだから
  "Nakanaka meyasuka' meri. Kotoni komaka naru usiromi naki hito no, nama hono sui taru Miyadukahe ni idetati te, kurusige ni ya ara m to zo, usirometakari si. Kokorozasi ha ari nagara, Nyougo kakute monosi tamahu wo oki te, ikaga motenasa masi."
1.2.3  など、忍びてのたまひけり。 げに、帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり
 などと、内々におっしゃっているのであった。なるほど、帝だと申しても、人より軽くおぼし召し、時たまお目にかかりなさって、堂々としたお扱いをなさらなかったら、軽率な出仕ということになりかねないのであった。
 と、こんな意味の手紙を玉鬘へ送った。それは真理である。相手が帝でおありになっても、第一のちょうはなくて、ただ御愛人であるにとめられて、あやふやな後宮の地位を与えられているようなことは、女として幸福なことではないのである。
  nado, sinobi te notamahi keri. Geni, Mikado to kikoyu tomo, hito ni obosi otosi, hakanaki hodo ni miye tatematuri tamahi te, monomonosiku mo motenasi tamaha zu ha, ahatukeki yau ni mo a' bekari keri.
1.2.4   三日の夜の御消息ども、 聞こえ交はしたまひけるけしきを 伝へ聞きたまひてなむ、 この大臣の君の御心を、「 あはれにかたじけなく、ありがたし」とは思ひきこえたまひける。
 三日の夜のお手紙を、取り交わしなさった様子を伝え聞きなさって、こちらの大臣のお気持ちを、「ほんとうにもったいなく、ありがたい」と感謝申し上げなさるのであった。
 三日の夜の式に源氏が右大将と応酬おうしゅうした歌のことなどを聞いた時に、内大臣は非常に源氏の好意を喜んだ。
  Mi-ka no yo no ohom-seusoko-domo, kikoye kahasi tamahi keru kesiki wo tutahe kiki tamahi te nam, kono Otodo-no-Kimi no mi-kokoro wo, "Ahare ni katazikenaku, arigatasi." to ha omohi kikoye tamahi keru.
1.2.5   かう忍びたまふ御仲らひのことなれど、おのづから、人のをかしきことに語り伝へつつ、次々に聞き洩らしつつ、ありがたき世語りにぞささめきける。内裏にも聞こし召してけり。
 このように隠れたご関係であるが、自然と、世間の人がおもしろい話として語り伝えては、次から次へと漏れ聞いて、めったにない世間話として言いはやすのであった。帝におかれてもお聞きあそばしたのであった。
 皆ともかくも人に知らすまいとした結婚であったが、まもなくおもしろい新事実として世間はこのことを話題にし出した。帝もお聞きになった。
  Kau sinobi tamahu ohom-nakarahi no koto nare do, onodukara, hito no wokasiki koto ni katari tutahe tutu, tugitugi ni kiki morasi tutu, arigataki yogatari ni zo sasameki keru. Uti ni mo kikosimesi te keri.
1.2.6  「 口惜しう、宿世異なりける人なれど、 さ思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならば こそは、思ひ絶えたまはめ
 「残念にも、縁のなかった人であるが、あのように望んでいられた願いもあるのだから。宮仕えなど、妃の一人としてでは、お諦めになるのもよかろうが」
 「残念だが、しかしそうした因縁だった人も、一度自分の決めたことだから後宮にはいることとは違った尚侍ないしのかみの職はめる必要がない」
  "Kutiwosiu, sukuse koto nari keru hito nare do, sa obosi si ho'i mo aru wo. Miyadukahe nado, kakekakesiki sudi nara ba koso ha, omohi taye tamaha me."
1.2.7   などのたまはせけり
 などと仰せられるのであった。
 という仰せを源氏へ下された。
  nado notamahase keri.
注釈23父大臣玉鬘の父大臣、すなわち内大臣。以下の段、「思ひきこえたまひける」まで、文末が過去の助動詞「けり」で結ばれる。語り手が物語の時間を結婚の三日夜の過去に遡らせ、その折の内大臣に関する態度について補足説明を挿入したような内容である。1.2.1
注釈24なかなか以下「いかがもてなさまし」まで、内大臣の詞。なまじ宮仕えするよりは結婚したほうが無難なようである。「めり」(推量の助動詞、視界内推量)は内大臣が自らの経験の中で判断したニュアンス。1.2.2
注釈25うしろめたかりし「し」(過去の助動詞)は内大臣自身不安に思っていた、というニュアンス。1.2.2
注釈26女御かくてものしたまふを弘徽殿女御をさす。「澪標」巻に入内。内大臣と右大臣の娘四の君との間の姫君。1.2.2
注釈27いかがもてなさまし反語表現。どのようにお世話できようか、しようがない。1.2.2
注釈28げに、帝と聞こゆとも、人に思し落とし、はかなきほどに見えたてまつりたまひて、ものものしくももてなしたまはずは、あはつけきやうにもあべかりけり『休聞抄』は「双ノ地也又玉鬘の心也」と指摘。『全書』は「草子地」と指摘。『評釈』は「内大臣の考えを、作者は、「げに」と、賛成する」といい、『全集』『集成』は「草子地」という言い方で、『完訳』は「語り手」という言い方で指摘する。「なるほど」は内大臣の詞を受け、語り手がそれに賛成の意を表した口ぶり、また「あべかりけり」も語り手の推察である。1.2.3
注釈29聞こえ交はしたまひける親代わりの源氏と婿の鬚黒大将との間でやりとりなさった。1.2.4
注釈30伝へ聞きたまひて実の父親の内大臣が伝え聞きなさって。1.2.4
注釈31この大臣の君源氏。1.2.4
注釈32あはれにかたじけなくありがたし内大臣の源氏に対する感謝の気持ち。1.2.4
注釈33かう忍びたまふ御仲らひのことなれど「かう」は以上の経緯を語った内容をさす。さらに角度を変えて、世間の人々の様子、さらに帝へと及んでいく。文末は過去の助動詞「けり」で結ばれている。『湖月抄』は「草子地也」と指摘する。1.2.5
注釈34口惜しう以下「思ひ絶えたまはめ」まで帝の独り言。1.2.6
注釈35さ思しし本意尚侍の君としての宮仕えをさす。1.2.6
注釈36こそは思ひ絶えたまはめ「こそ--め」の係結び。文末であるが、文意は逆接的または反語的表現である。断念なさるのもよいだろうが、入内するのではないから、何構うまい、という意である。下に「内侍所にも」(第三段)とあるように、帝のこのことばによって、玉鬘の尚侍としての出仕が決定したことを暗示している。1.2.6
注釈37などのたまはせけり以上、過去の助動詞「けり」で語られてきた段が終了し、以下は物語の現在時間に添って語られる。1.2.7
校訂3 三日 三日--三る(る/$日<朱>) 1.2.4
校訂4 絶え 絶え--たへ(へ/$え<朱>) 1.2.6
1.3
第三段 玉鬘、宮仕えと結婚の新生活


1-3  Tamakazura's new life on working under Mikado and married life

1.3.1   霜月になりぬ。神事などしげく、内侍所にもこと多かるころにて、女官ども、内侍ども 参りつつ、今めかしう人騒がしきに、大将殿、昼もいと隠ろへたるさまにもてなして、籠もりおはするを、いと心づきなく、尚侍の君は思したり。
 十一月になった。神事などが多く、内侍所にも仕事の多いころなので、女官連中、内侍連中が参上しては、はなやかに騒々しいので、大将殿は、昼もたいそう隠れたようにして籠もっていらっしゃるのを、たいそう気にくわなく、尚侍の君はお思いになっていた。
 十月になった。神事が多くて内侍所ないしどころが繁忙をきわめる時節で、内侍以下の女官なども長官の尚侍の意見を自邸へ聞きに来たりすることで、派手はでに人の出入りの多くなった所に、大将が昼も帰らずに暮らしていたりすることで尚侍は困っていた。
  Simotuki ni nari nu. Kamiwaza nado sigeku, Naisidokoro ni mo koto ohokaru koro nite, Nyokwan-domo, Naisi-domo mawiri tutu, imamekasiu hito sawagasiki ni, Daisyau-dono, hiru mo ito kakurohe taru sama ni motenasi te, komori ohasuru wo, ito kokorodukinaku, Kam-no-Kimi ha obosi tari.
1.3.2   宮などは、まいていみじう口惜しと思す。 兵衛督は、 妹の北の方の御ことをさへ、人笑へに思ひ嘆きて、とり重ねもの思ほしけれど、「をこがましう、恨み寄りても、今はかひなし」と思ひ返す。
 兵部卿宮などは、それ以上に残念にお思いになる。兵衛督は、妹の北の方の事までを外聞が悪いと嘆いて、重ね重ね憂鬱であったが、「馬鹿らしく、恨んでみても今はどうにもならない」と考え直す。
 失恋の悲しみをした人のたくさんある中にも兵部卿ひょうぶきょうの宮などはことに残念がっておいでになる一人であった。左兵衛督さひょうえのかみは姉の大将夫人のこともいっしょにして世間体を悪く思ったが、恨みを言っても今さら何にもならぬのを知って沈黙していた。
  Miya nado ha, maite imiziu kutiwosi to obosu. Hyauwe-no-Kami ha, imouto no Kita-no-kata no ohom-koto wo sahe, hitowarahe ni omohi nageki te, torikasane mono omohosi kere do, "Wokogamasiu, urami yori te mo, ima ha kahinasi." to omohikahesu.
1.3.3   大将は、名に立てるまめ人の、年ごろいささか乱れたるふるまひなくて過ぐしたまへる、名残なく心ゆきて、あらざりしさまに好ましう、宵暁のうち忍びたまへる出で入りも、艶にしなしたまへるを、をかしと人びと見たてまつる。
 大将は、有名な堅物で、長年少しも浮気沙汰もなくて過ごしてこられたのが、すっかり変わってご満悦で、別人のようなご様子で、夜や早朝の人目を忍んでいらっしゃる出入りも、恋人らしく振る舞っていらっしゃるのを、おもしろいと女房たちは拝する。
 大将は以前からまじめで通った人で、過去においては何らの恋愛問題も起こさずに来たことなどは忘れたように、生まれ変わったような恋のやっこの役に満足して、風流男らしくよいあかつきに新夫人の六条院へ出入りする様子をおもしろく人々は見ていた。
  Daisyau ha, na ni tate ru mamebito no, tosigoro isasaka midare taru hurumahi naku te sugusi tamahe ru, nagori naku kokoroyuki te, ara zari si sama ni konomasiu, yohi akatuki no uti-sinobi tamahe ru ideiri mo, en ni si nasi tamahe ru wo, wokasi to hitobito mi tatematuru.
1.3.4   女は、わららかににぎははしくもてなしたまふ本性も、もて隠して、いといたう思ひ結ぼほれ、心もて あらぬさま はしるきことなれど、「大臣の思すらむこと、宮の御心ざまの、心深う、情け情けしうおはせし」などを思ひ出でたまふに、「恥づかしう、口惜しう」のみ思ほすに、もの心づきなき御けしき絶えず。
 女は、陽気にはなやかにお振る舞いなさるご性分も表に出さず、とてもひどくふさぎ込んで、自分から求めて一緒になったのでないことは誰の目からも明らかであるが、「大臣がどうお思いであろうか、兵部卿宮のお気持ちの深くやさしくいらっしゃったこと」などを思い出しなさると、「恥ずかしく、残念だ」とばかりお思いになると、何かと気に入らないご様子が絶えない。
 玉鬘たまかずらははなやかな心も引き込めて思い悩んでいた。自発的にできた結果でないことは第三者にもわかることであるが、源氏がどう思っているであろうということが玉鬘にはやる瀬なく苦しく思われるのであった。兵部卿の宮のお志が最も深く思われたことなどを思い出すと恥ずかしくくやしい気ばかりがされて、大将を愛することがまだできない。
  Womna ha, wararaka ni nigihahasiku motenasi tamahu honzyau mo, mote-kakusi te, ito itau omohi musubohore, kokoro mote ara nu sama ha siruki koto nare do, "Otodo no obosu ram koto, Miya no mi-kokorozama no, kokoro hukau, nasake-nasakesiu ohase si." nado wo omohiide tamahu ni, "Hadukasiu, kutiwosiu." nomi omohosu ni, mono-kokorodukinaki mi-kesiki taye zu.
注釈38霜月になりぬ新年立では源氏三十七年十一月。1.3.1
注釈39参りつつ女官や内侍司の人々が六条院に尚侍の玉鬘の決裁を仰ぎに参上する。接尾語「つつ」は同じ行動が繰り返しなされる意。1.3.1
注釈40宮などは蛍兵部卿宮。1.3.2
注釈41兵衛督左兵衛督。紫の上の異母兄弟。式部卿宮の息子。その姉妹が鬚黒の北の方になっている。「藤袴」巻に初出の玉鬘求婚者の一人。1.3.2
注釈42妹の北の方の御ことをさへ「さへ」には、玉鬘への求婚争いに敗れ、その上、姉妹の北の方が夫の鬚黒から顧みられなくなったことまで。1.3.2
注釈43大将は名に立てるまめ人の鬚黒大将の堅物なる人物像。1.3.3
注釈44女はわららかににぎははしくもてなしたまふ本性も玉鬘の山吹の花のように明るく朗らかで何の屈託もなくはなやかな性格。1.3.4
注釈45あらぬさま大島本は「あかぬ」とある。『新大系』『集成』『古典セレクション』は諸本によって「あらぬ」と校訂する。1.3.4
校訂5 あらぬ あらぬ--*あかぬ 1.3.4
1.4
第四段 源氏、玉鬘と和歌を詠み交す


1-4  Genji changes waka with Tamakazura and tells his affection for her

1.4.1   殿もいとほしう人びとも思ひ疑ひける筋を、心きよくあらはしたまひて、「 わが心ながら、うちつけにねぢけたることは好まずかし」と、昔よりのことも思し出でて、紫の上にも、
 殿も、気の毒だと女房たちも疑っていたことに、潔白であることを証明なさって、「自分の心中でも、その場限りの間違ったことは好まないのだ」と、昔からのこともお思い出しになって、紫の上にも、
 源氏は幾十度となく一歩をそこへまで進めようとした自身を引きとめ、世間も疑った関係が美しく清いもので終わったことを思って、自身ながらも正しくないことはできない性質であることを知った。紫夫人にも、
  Tono mo, itohosiu hitobito mo omohi utagahi keru sudi wo, kokorokiyoku arahasi tamahi te, "Waga kokoro nagara, utituke ni nedike taru koto ha konoma zu kasi." to, mukasi yori no koto mo obosi ide te, Murasaki-no-Uhe ni mo,
1.4.2  「思し疑ひたりしよ」
 「お疑いでしたね」
 「あなたは疑ってもいたではありませんか」
  "Obosi utagahi tari si yo."
1.4.3  など聞こえたまふ。「 今さらに人の心癖もこそ」と思しながら、ものの苦しう思されし時、「 さてもや」と、 思し寄りたまひしことなれば、なほ思しも絶えず。
 などと申し上げなさる。「今さら、厄介な癖が出ても困る」とお思いになる一方で、何かたまらなくお思いになった時、「いっそ自分の物にしてしまおうか」と、お考えになったこともあるので、やはりご愛情も切れない。
 と言ったのであった。しかし常識的には考えられないこともする物好きがあるのであるから、この先はどうなることかと源氏はみずから危うく思いながらも、恋しくてならなかった人であった玉鬘の所へ、
  nado kikoye tamahu. "Imasara ni hito no kokoroguse mo koso." to obosi nagara, mono no kurusiu obosa re si toki, "Satemo ya?" to, obosiyori tamahi si koto nare ba, naho obosi mo taye zu.
1.4.4   大将のおはせぬ昼つ方渡りたまへり。女君、あやしう悩ましげにのみもてないたまひて、すくよかなる折もなくしをれたまへるを、 かくて渡りたまへれば、すこし起き上がりたまひて、御几帳にはた隠れておはす。
 大将のおいでにならない昼ころ、お渡りになった。女君は、不思議なほど悩ましそうにばかりお振る舞いになって、さわやかな気分の時もなく萎れていらっしゃったが、このようにしてお越しになると、少し起き上がりなさって、御几帳に隠れてお座りになる。
 大将のいない昼ごろに行ってみた。玉鬘はずっと病気のようになっていて、朗らかでいる時間もなくしおれてばかりいるのであったが、源氏が来たので、少し起き上がって、几帳きちょうに隠れるようにしてすわった。
  Daisyau no ohase nu hiru tu kata watari tamahe ri. WomnaGimi, ayasiu nayamasige ni nomi motenai tamahi te, sukuyoka naru wori mo naku siwore tamahe ru wo, kakute watari tamahe re ba, sukosi okiagari tamahi te, mi-kityau ni hata kakure te ohasu.
1.4.5  殿も、用意ことに、すこしけけしきさまにもてないたまひて、おほかたの ことどもなど聞こえたまふ。すくよかなる 世の常の人にならひては、まして言ふ方なき 御けはひありさま見知りたまふにも思ひのほかなる身の、置きどころなく恥づかしきにも、涙ぞこぼれける。
 殿も、改まった態度で、少し他人行儀にお振る舞いになって、世間一般の話などを申し上げなさる。真面目な普通の人を夫として迎えるようになってからは、今まで以上に言いようのないご様子や有様をお分りになるにつけ、意外な運命の身の、置き所もないような恥ずかしさにも、涙がこぼれるのであった。
 源氏も以前と違った父の威厳というようなものを少し見せて、普通の話をいろいろした。平凡な大将の姿ばかりを見ているこのごろの玉鬘の目に、源氏の高雅さがつくづく映るについても、意外な運命に従っている自分がきまり悪く恥ずかしくて涙がこぼれるのであった。
  Tono mo, youi koto ni, sukosi kekesiki sama ni motenai tamahi te, ohokata no koto-domo nado kikoye tamahu. Sukuyoka naru yo no tune no hito ni narahi te ha, masite ihukatanaki ohom-kehahi arisama wo misiri tamahu ni mo, omohi no hoka naru mi no, oki dokoro naku hadukasiki ni mo, namida zo kobore keru.
1.4.6  やうやう、こまやかなる御物語になりて、近き御脇息に寄りかかりて、すこしのぞきつつ、聞こえたまふ。 いとをかしげに面痩せ たまへるさまの、見まほしう、 らうたいことの添ひたまへるにつけても、「 よそに見放つも、あまりなる心のすさびぞかし」と 口惜し
 だんだんと、情のこもったお話になって、近くにある御脇息に寄り掛かって、少し覗き見しながら、お話し申し上げになさる。たいそう美しげに面やつれしておいでの様子が、見飽きず、いじらしさがお加わりになっているにつけても、「他人に手放してしまうのも、あまりな気まぐれだな」と残念である。
 繊細な人情の扱われる話になってから、玉鬘は脇息きょうそくによりかかりながら、几帳の外の源氏のほうをのぞくようにして返辞を言っていた。少しせて可憐かれんさの添った顔を見ながら源氏は、それを他人に譲るとは、自身ながらもあまりに善人過ぎたことであると残念に思われた。
  Yauyau, komayaka naru ohom-monogatari ni nari te, tikaki ohom-kehusoku ni yorikakari te, sukosi nozoki tutu, kikoye tamahu. Ito wokasige ni omoyase tamahe ru sama no, mi mahosiu, rautai koto no sohi tamahe ru ni tukete mo, "Yoso ni mihanatu mo, amari naru kokoro no susabi zo kasi." to kutiwosi.
1.4.7  「 おりたちて汲みは見ねども渡り川
   人の瀬とはた契らざりしを
 「あなたと立ち入った深い関係はありませんでしたが、三途の川を渡る時、
  他の男に背負われて渡るようにはお約束しなかったはずなのに
  「り立ちてみは見ねども渡り川
  人のせとはた契らざりしを
    "Oritati te kumi ha mi ne domo watarigaha
    hito no se to hata tigira zari si wo
1.4.8   思ひのほかなりや
 思ってもみなかったことです」
 意外なことになりましたね」
  Omohi no hoka nari ya!"
1.4.9  とて、鼻うちかみたまふけはひ、 なつかしうあはれなり
 と言って、鼻をおかみになる様子、やさしく心を打つ風情である。
 涙をのみながらこう言う源氏がなつかしく思われた。
  tote, hana uti-kami tamahu kehahi, natukasiu ahare nari.
1.4.10  女は顔を隠して、
 女は顔を隠して、
 女は顔を隠しながら言う。
  Womna ha kaho wo kakusi te,
1.4.11  「 みつせ川渡らぬさきにいかでなほ
   涙の澪の泡と消えなむ
 「三途の川を渡らない前に何とかしてやはり
  涙の流れに浮かぶ泡のように消えてしまいたいものです
  みつせ川渡らぬさきにいかでなほ
  涙のみをのあわと消えなん
    "Mitusegaha watara nu saki ni ikade naho
    namida no miwo no awa to kiye nam
1.4.12  「 心幼なの御消えどころや。さても、かの瀬は避き道なかなるを、御手の先ばかりは、引き助けきこえてむや」と、ほほ笑みたまひて、
 「幼稚なお考えですね。それにしても、あの三途の川の瀬は避けることのできない道だそうですから、お手先だけは、引いてお助け申しましょうか」と、ほほ笑みなさって、
 源氏は微笑を見せて、
「悪い場所で消えようというのですね。しかし三途さんずの川はどうしても渡らなければならないそうですから、その時は手の先だけを私に引かせてくださいますか」
 と言った。
  "Kokorowosana no ohom-kiye dokoro ya! Satemo, kano se ha yoki miti naka naru wo, ohom-te no saki bakari ha, hiki-tasuke kikoye te m ya?" to, hohowemi tamahi te,
1.4.13  「 まめやかには、思し知ることもあらむかし。 世になき痴れ痴れしさも、またうしろやすさも、この世にたぐひなきほどを、 さりともとなむ、頼もしき
 「真面目な話、お分かりになることもあるでしょう。世間にまたといない馬鹿さ加減も、また一方で安心できるのも、この世に類のないくらいなのを、いくら何でもと、頼もしく思っています」
 また、「あなたはお心の中でわかっていてくださるでしょう。類のないお人よしの、そして信頼のできる者は私で、他の男性のすることはそんなものでないことを経験なすったでしょう。と思うと私はみずから慰めることもできます」
  "Mameyaka ni ha, obosi siru koto mo ara m kasi. Yo ni naki sireziresisa mo, mata usiroyasusa mo, konoyo ni taguhi naki hodo wo, saritomo to nam, tanomosiki."
1.4.14  と聞こえたまふを、いとわりなう、聞き苦しと思いたれば、いとほしうて、のたまひ紛らはしつつ、
 と申し上げなさるのを、ほんとうにどうすることもできず、聞き苦しいとお思いでいらっしゃるので、お気の毒になって、話をおそらしになりながら、
 こんなことも言われて、苦しそうに見える玉鬘たまかずらに同情して、源氏は話を言い紛らせてしまった。
  to kikoye tamahu wo, ito warinau, kikigurusi to oboi tare ba, itohosiu te, notamahi magirahasi tutu,
1.4.15  「 内裏にのたまはすることなむいとほしきを、なほ、あからさまに参らせたてまつらむ。 おのがものと領じ果てては、 さやうの御交じらひもかたげなめる世なめり。 思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど二条の大臣は、心ゆきたまふなれば、心やすくなむ」
 「帝が仰せになることがお気の毒なので、やはり、ちょっとでも出仕おさせ申しましょう。自分の物と家の中に閉じ込めてしまってからでは、そのようなお勤めもできにくいお身の上となりましょう。当初の考えとは違ったかっこうですが、二条の大臣は、ご満足のようなので、安心です」
 「陛下は御同情のされるもったいない仰せを下さいましたから、形式的にだけでもあなたを参内させようと思っています。家庭の妻になってしまっては、そうした務めのために御所へ出るようなことは困難らしい。単なる尚侍であることは最初の私の精神とは違っても、三条の大臣はかえって満足しておいでになることですから安心です」
  "Uti ni notamaha suru koto nam itohosiki wo, naho, akarasama ni mawira se tatematura m. Onoga mono to ryauzi hate te ha, sayau no ohom-mazirahi mo katage na' meru yo na' meri. Omohi some kikoye si kokoro ha tagahu sama na' mere do, Nideu-no-Otodo ha, kokoroyuki tamahu nare ba, kokoroyasuku nam."
1.4.16  など、こまかに聞こえたまふ。あはれにも恥づかしくも聞きたまふこと多かれど、ただ涙にまつはれておはす。いとかう思したるさまの心苦しければ、思すさまにも乱れたまはず、ただ、 あるべきやう、御心づかひを教へきこえたまふ。 かしこに渡りたまはむことを、 とみにも許しきこえたまふまじき御けしきなり
 などと、こまごまとお話し申し上げなさる。ありがたくも気恥ずかしくもお聞きになることが多いけれど、ただ涙に濡れていらっしゃる。たいそうこんなにまで悩んでおいでの様子がお気の毒なので、お思いのままに無体な振る舞いはなさらず、ただ、心得や、ご注意をお教え申し上げなさる。あちらにお移りになることを、直ぐにはお許し申し上げなさらないご様子である。
 などと源氏は情味のこもった話をしていた。身にしむとも思い、恥ずかしいとも聞かれることは多いが、玉鬘はただ涙にとらわれていた。こんなに悲観的になっているのが哀れで、源氏は恋をささやくこともできなかった。ただ今後の大将と、その一家に対する態度などをよく教えていた。ただそのほうへ行ってしまうことは急に許そうとしないふうが見えた。
  nado, komaka ni kikoye tamahu. Ahare ni mo hadukasiku mo kiki tamahu koto ohokare do, tada namida ni matuhare te ohasu. Ito kau obosi taru sama no kokorogurusikere ba, obosu sama ni mo midare tamaha zu, tada, aru beki yau, mi-kokorodukahi wo wosihe kikoye tamahu. Kasiko ni watari tamaha m koto wo, tomi ni mo yurusi kikoye tamahu maziki mi-kesiki nari.
注釈46殿も「心きよくあらはしたまひて」に繋る。1.4.1
注釈47いとほしう以下「疑ひける筋を」まで挿入句。源氏は玉鬘を愛人にしようとしたのではないかという疑い。1.4.1
注釈48わが心ながらうちつけにねぢけたることは好まずかし源氏の心。1.4.1
注釈49今さらに人の心癖もこそ源氏の心を語り手が語る。1.4.3
注釈50さてもや源氏の心を語り手が語る。「さ」は玉鬘を自分の愛人にすることをさす。1.4.3
注釈51思し寄りたまひしことなれば語り手は源氏の側近くから観察して語る。1.4.3
注釈52大将のおはせぬ昼つ方源氏、玉鬘の夫の鬚黒のいない間に訪れ思いを訴える。1.4.4
注釈53かくて渡りたまへれば大島本は「かくて」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本によって「かく」と「て」を削除する。1.4.4
注釈54世の常の人にならひては普通の人、鬚黒との結婚生活に馴れて。源氏は「世の常の人」ではなかった、という反対の意のニュアンスが込められる。1.4.5
注釈55御けはひありさま源氏の御様子や態度。1.4.5
注釈56見知りたまふにも玉鬘が源氏の素晴らしさをお分かりになるにつけても。1.4.5
注釈57思ひのほかなる身玉鬘は鬚黒との結婚を思いの外のことだったと感じ取っている。1.4.5
注釈58らうたいことの添ひたまへる結婚生活後の玉鬘に表れた変化。1.4.6
注釈59よそに見放つもあまりなる心のすさびぞかし源氏の心。1.4.6
注釈60口惜し語り手が源氏の心中を忖度した表現。1.4.6
注釈61おりたちて汲みは見ねども渡り川--人の瀬とはた契らざりしを源氏から玉鬘への贈歌。「汲み」「瀬」は「川」の縁語。「せ」は「瀬」と「背」との掛詞。女は初めて逢った男に背負われて三途の川を渡る、という俗信をふまえる。1.4.7
注釈62思ひのほかなりや玉鬘が鬚黒のものとなってしまい、永遠に自分のもとから離れて行ってしまったという感慨。1.4.8
注釈63なつかしうあはれなり語り手の感想をこめた評言。1.4.9
注釈64みつせ川渡らぬさきにいかでなほ--涙の澪の泡と消えなむ玉鬘から源氏への返歌。「渡り川」を「みつせ川」と言い換えて返す。人は死んだら、三途の川を渡らねばならないものであるのに、その前に死んでしまいたいとは理屈にあわない歌であるが、その理不尽な気持ちを詠んでこたえた。1.4.11
注釈65心幼なの御消えどころや以下「きこえてむや」まで、源氏の詞。1.4.12
注釈66まめやかには以下「頼もしき」まで、源氏の詞。1.4.13
注釈67世になき痴れ痴れしさ機会がありながらも自分の妻妾の一人にしなかった迂闊さをさして、自嘲ぎみにいう。1.4.13
注釈68さりともとなむ、頼もしき執拗な物言い。源氏の執拗な未練が言葉に出る。1.4.13
注釈69内裏にのたまはすることなむ帝の「口惜しう宿世異なりける人なれど思しし本意もあるを。宮仕へなど、かけかけしき筋ならばこそは、思ひ絶えたまはめ」(第一章二段)という言葉をさす。以下「心やすくなむ」まで、源氏の詞。1.4.15
注釈70おのがもの公人である尚侍を私物化してしまう。1.4.15
注釈71さやうの御交じらひ尚侍として出仕して他の内侍司の官人たちと付き合うこと。1.4.15
注釈72思ひそめきこえし心は違ふさまなめれど源氏は最初、玉鬘を尚侍として出仕させることを考えていた。しかし、鬚黒と結婚してしまったために、尚侍定員二名のうち、実務官としての尚侍になってしまったことをいう。1.4.15
注釈73二条の大臣内大臣をさす。会話の中では、このように呼ぶ。二条に邸があった。1.4.15
注釈74あるべきやう尚侍としての心得をいう。1.4.16
注釈75かしこに渡りたまはむこと鬚黒大将邸にお移りになること。1.4.16
注釈76とみにも許しきこえたまふまじき御けしきなり「まじき」(打消推量の助動詞、推量)、「なり」(断定の助動詞)は、語り手の推量と断定である。以上、源氏と玉鬘との対座の場面が終了する。1.4.16
校訂6 ことども ことども--こと(と/+と<朱>)も 1.4.5
校訂7 いと いと--は(は/$い<朱>)と 1.4.6
校訂8 たまへる たまへる--給つ(つ/$へ<朱>)う 1.4.6
校訂9 なりや なりや--なれ(れ/$り<朱>)や 1.4.8
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年9月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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