第三十一帖 真木柱


31 MAKIBASIRA (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

3
第三章 鬚黒大将家の物語 北の方、子供たちを連れて実家に帰る


3  Tale of Higekuro's  Shikibukyo takes Kitanokata and children back with him

3.1
第一段 式部卿宮、北の方を迎えに来る


3-1  Shikibukyo comes and takes Kitanokata back with him

3.1.1  修法などし騒げど、御もののけこちたくおこりてののしるを聞きたまへば、「 あるまじき疵もつき、恥ぢがましきこと、かならずありなむ」と、恐ろしうて寄りつきたまはず。
 修法などを盛んにしたが、物の怪がうるさく起こってわめいているのをお聞きになると、「あってはならない不名誉なことにもなり、外聞の悪いことが、きっと出てこよう」と、恐ろしくて寄りつきなさらない。
 大騒ぎして修法などをしていても夫人の病気は相変わらず起こって大声を上げて人をののしるようなことのある報知を得ている大将は、妻のためにもよくない、自分のためにも不名誉なことが必ず近くにいれば起こることを予想して、おそろしがって近づかないのである。
  Syuhohu nado si sawage do, ohom-mononoke kotitaku okori te nonosiru wo kiki tamahe ba, "Aru maziki kizu mo tuki, hadi-gamasiki koto, kanarazu ari na m." to, osorosiu te yorituki tamaha zu.
3.1.2   殿に渡りたまふ時も、 異方に離れゐたまひて、君達ばかりをぞ 呼び放ちて見たてまつりたまふ。 女一所、十二、三ばかりにて、また 次々、男二人なむおはしける。近き年ごろとなりては、 御仲も隔たりがちにてならはしたまへれど、やむごとなう、立ち並ぶ方なくてならひたまへれば、「 今は限り」と見たまふに、さぶらふ人びとも、「いみじう悲し」と思ふ。
 邸にお帰りになる時も、別の部屋に離れていらして、子どもたちだけを呼び出してお会い申しなさる。女の子が一人、十二、三歳ほどで、またその下に、男の子が二人いらっしゃるのであった。最近になって、ご夫婦仲も離れがちでいらっしゃるが、れっきとした方として、肩を並べる人もなくて暮らして来られたので、「いよいよ最後だ」とお考えになると、お仕えしている女房たちも「ひどく悲しい」と思う。
 やしきへ帰る時にもほかの対に離れていて、子供たちを呼び寄せて見るだけを楽しみにしていた。女の子が一人あって、それは十二、三になっていた。そのあとに男の子が二人あった。近年はもう夫婦の間も隔たりがちに暮らしていたが、ただ一人の夫人として尊重することは昔に変わらなかったのが、こんなふうになったのであるから、夫人ももう最後の時が来たのだと思うし、女房たちもそう見て悲しむよりほかはなかった。
  Tono ni watari tamahu toki mo, kotokata ni hanare wi tamahi te, kimi-tati bakari wo zo yobi hanati te mi tatematuri tamahu. Womna hito-tokoro, zihu-ni, sam bakari nite, mata tugitugi, wotoko hutari nam ohasi keru. Tikaki tosigoro to nari te ha, ohom-naka mo hedatari-gati nite narahasi tamahe re do, yamgotonau, tati-narabu kata naku te narahi tamahe re ba, "Ima ha kagiri" to mi tamahu ni, saburahu hitobito mo, "Imiziu kanasi" to omohu.
3.1.3   父宮、聞きたまひて
 父宮が、お聞きになって、
 父宮がそのことをお聞きになって、
  Titi-Miya, kiki tamahi te,
3.1.4  「 今はしかかけ離れて、もて出でたまふらむに、さて、心強くものしたまふ、いと面なう人笑へなることなり。おのがあらむ世の限りは、ひたぶるにしも、などか従ひくづほれたまはむ」
 「今は、あのように別居して、はっきりした態度をとっておいでだというのに、それにしても、辛抱していらっしゃる、たいそう不面目な物笑いなことだ。自分が生きている間は、そう一途に、どうして相手の言いなりに従っていらっしゃることがあろうか」
 「そんな冷酷な扱いを受けてもまだ辛抱しんぼう強くあなたはしているのですか。それは自尊心も名誉心もない女のすることです。私の生きている間はまだあなたはそう奴隷的になっていないでもいいのです」
  "Ima ha, sika kake hanare te, mote-ide tamahu ram ni, sate, kokoroduyoku monosi tamahu, ito omonau hitowarahe naru koto nari. Onoga ara m yo no kagiri ha, hitaburu ni simo, nadoka sitagahi kuduhore tamaha m?"
3.1.5  と聞こえたまひて、にはかに御迎へあり。
 と申し上げなさって、急にお迎えがある。
 と言うお言葉をお伝えさせになって、にわかに迎えをお立てになった。
  to kikoye tamahi te, nihaka ni ohom-mukahe ari.
3.1.6  北の方、御心地すこし例になりて、世の中をあさましう思ひ嘆きたまふに、かくと聞こえたまへれば、
 北の方は、ご気分が少し平常になって、夫婦仲を情けなく思い嘆いていらっしゃると、このようにお申し上げになっているので、
 夫人はやっと常態になっていて、自身の不幸な境遇を悲しんでいる時に、このお言葉を聞いたのであったから、今になってまだ父宮のお言葉に従わずここにいて、
  Kitanokata, mi-kokoti sukosi rei ni nari te, yononaka wo asamasiu omohi nageki tamahu ni, kaku to kikoye tamahe re ba,
3.1.7  「 しひて立ちとまりて人の絶え果てむさまを見果てて、思ひとぢめむも、今すこし人笑へにこそあらめ」
 「無理して立ち止まって、すっかり見捨てられるのを見届けて、諦めをつけるのも、さらに物笑いになるだろう」
 まったく良人から捨てられてしまう日を待つことは、現在以上の恥になることであろう
  "Sihite tati-tomari te, hito no taye hate m sama wo mihate te, omohi todime m mo, imasukosi hitowarahe ni koso ara me."
3.1.8  など思し立つ。
 などと、ご決心なさる。
 などと思って、実家へ行くことにしたのであった。
  nado obosi tatu.
3.1.9  御兄弟の君達、 兵衛督は、 上達部におはすれば、ことことしとて、 中将、侍従、民部大輔など、御車三つばかりしておはしたり。「 さこそは あべかめれ」と、かねて思ひつることなれど、さしあたりて今日を限りと思へば、さぶらふ人びとも、ほろほろと泣きあへり。
 ご兄弟の公達、兵衛督は、上達部でいらっしゃるので、仰々しいというので、中将、侍従、民部大輔など、お車三台程でいらっしゃった。「きっとそうなるだろう」と、以前から思っていたことであるが、目の前に、今日がその終わりと思うと、仕えている女房たちも、ぽろぽろと涙をこぼし泣き合っていた。
 夫人の弟の公子たちは、左兵衛督さひょうえのかみは高官であるから人目を引くのを遠慮して、そのほかの中将、侍従、民部大輔みんぶだゆうなどで三つほどの車を用意して夫人を迎えに来たのであった。結局はこうなることを予想していたものの、いよいよ今日限りにこの家を離れなければならぬかと思うと、女房たちは皆悲しくなって泣き合った。
  Ohom-seuto no kimi-tati, Hyauwe-no-kami ha, kamdatime ni ohasure ba, kotokotosi tote, Tyuuzyau, Zizyuu, Minbu-no-Taihu nado, mi-kuruma mitu bakari si te ohasi tari. "Sakoso ha a' beka' mere." to, kanete omohi turu koto nare do, sasiatari te kehu wo kagiri to omohe ba, saburahu hitobito mo, horohoro to naki ahe ri.
3.1.10  「 年ごろならひたまはぬ 旅住みに、狭くはしたなくては、いかでかあまたはさぶらはむ。 かたへは、おのおの里にまかでて、 しづまらせたまひなむに
 「長年ご経験のないよそでのお住まいで、手狭で気の置ける所では、どうして大勢の女房が仕えられようか。何人かは、それぞれ実家に下がって、落ち着きになられてから」
 「これまでのようでないかかりびとにおなりになるのだから、お狭いところにおおぜいがお付きしていることはできません。幾人かの人だけはお供してあとは自分たちの家へ下がることにして、とにかくお落ち着きになるのを待ちましょう」
  "Tosigoro narahi tamaha nu tabizumi ni, sebaku hasitanaku te ha, ikadeka amata ha saburaha m. Katahe ha, onoono sato ni makade te, sidumara se tamahi na m ni."
3.1.11  など定めて、人びとおのがじし、 はかなきものどもなど里に払ひやりつつ乱れ散るべし。御調度どもは、さるべきは皆したため置きなどするままに、上下泣き騒ぎたるは、いとゆゆしく見ゆ。
 などと決めて、女房たちはそれぞれ、ちょっとした荷物など、実家に運び出したりして、散り散りになるのであろう。お道具類は、必要な物は皆荷作りなどしながら、上の者や下の者が泣き騒いでいるのは、たいそう不吉に見える。
 などと女房たちは言って、それぞれの荷物を自宅へ運ばせ、別れ別れになるものらしい。夫人の道具の運ばれる物は皆それぞれ荷作りされて行く所で、上下の人が皆声を立てて泣いている光景は悲しいものであった。
  nado sadame te, hitobito onogazisi, hakanaki mono-domo nado, sato ni harahi yari tutu, midare tiru besi. Mi-teudo-domo ha, sarubeki ha mina sitatame oki nado suru mama ni, kami simo naki sawagi taru ha, ito yuyusiku miyu.
注釈217あるまじき疵もつき以下「ありなむ」まで、鬚黒の心。3.1.1
注釈218殿に渡りたまふ鬚黒の自邸。3.1.2
注釈219異方に離れゐたまひて北の方の部屋から離れていらして。3.1.2
注釈220呼び放ちて子供たちを北の方のもとから引き離して鬚黒のもとに呼び寄せて。3.1.2
注釈221女一所十二三ばかりにて鬚黒と北の方の子供の紹介文。女子は一人、真木柱の姫君という。年齢十二、三歳は成人式を迎え結婚適齢期にさしかかった女性である。3.1.2
注釈222次々男二人なむおはしける弟君が二人が続いていらっしゃるのであった。3.1.2
注釈223御仲も隔たりがちにて鬚黒と北の方の夫婦仲が疎遠がちである。3.1.2
注釈224今は限りと見たまふに北の方が結婚生活もいよいよ最後だとお思いになると。3.1.2
注釈225父宮聞きたまひて北の方の父式部卿宮が鬚黒夫婦のことを。3.1.3
注釈226今は以下「くづほれたまはむ」まで、式部卿宮の詞。3.1.4
注釈227しか鬚黒が玉鬘に熱中して入りびたっている生活態度をさす。3.1.4
注釈228しひて立ちとまりて以下「こそあらめ」まで、北の方の心。3.1.7
注釈229人の夫鬚黒が。3.1.7
注釈230兵衛督「藤袴」巻(第三章二段)に初出。3.1.9
注釈231上達部におはすれば兵衛督は従四位下相当官であるが、従三位に叙されていたものか。3.1.9
注釈232中将従四位下相当官。3.1.9
注釈233さこそはあべかめれ女房たちの予測。「さ」は北の方が父式部卿宮に引き取られることをさす。3.1.9
注釈234年ごろならひたまはぬ以下「たまひなむに」まで女房たちの詞。「たまはぬ」は北の方に対する敬語。3.1.10
注釈235旅住みこれから始まる式部卿宮家での慣れない生活をいう。3.1.10
注釈236かたへは女房の半分の人は。3.1.10
注釈237しづまらせたまひなむに「せ」(尊敬の助動詞)「給」(尊敬の補助動詞)「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)。女房の会話どうしでも二重敬語を使う。3.1.10
注釈238はかなきものどもなど女房のそれぞれの持物や荷物などをさす。3.1.11
注釈239里に払ひやりつつ大島本は「はらひ」とある。『新大系』『古典セレクション』は底本のままとする。『集成』は諸本に従って「運びやりつつ」と校訂する。3.1.11
注釈240乱れ散るべし語り手の推量。3.1.11
校訂19 あべかめれ」と あべかめれ」と--あへる(る/$か<朱>)めれと(と/&と) 3.1.9
3.2
第二段 母君、子供たちを諭す


3-2  Kitanokata persuades her cildren to leave with her

3.2.1  君たちは、何心もなくてありきたまふを、母君、皆呼び据ゑたまひて、
 お子様たちは、無心に歩き回っていられるのを、母君、皆を呼んで座らせなさって、
 姫君と二人の男の子が何も知らぬふうに無邪気に家の中を歩きまわっているのを呼んで、夫人は前へすわらせた。
  Kimi-tati ha, nanigokoro mo naku te ariki tamahu wo, HahaGimi, mina yobi suwe tamahi te,
3.2.2  「 みづからは、かく心憂き宿世、今は見果てつれば、この世に跡とむべきにもあらず、ともかくもさすらへなむ。 生ひ先遠うて、さすがに、散りぼひたまはむありさまどもの、悲しうもあべいかな。
 「わたしは、このようにつらい運命を、今は見届けてしまったので、この世に生き続ける気もありません。どうなりとなって行くことでしょう。将来があるのに、何といっても、散り散りになって行かれる様子が、悲しいことです。
 お母様は不幸な運命でお父様から捨てられてしまったのだから、どちらかへ行ってしまわなければならない。あなたがたはまだ小さいのにお母様から離れてしまわなければならないのはかわいそうだね。
  "Midukara ha, kaku kokorouki sukuse, ima ha mi hate ture ba, konoyo ni ato tomu beki ni mo ara zu, tomokakumo sasurahe na m. Ohisaki tohou te, sasuga ni, tiribohi tamaha m arisama-domo no, kanasiu mo abei kana!
3.2.3   姫君は、となるともかうなるとも、おのれに添ひたまへ。なかなか、 男君たちは、えさらず参うで通ひ見えたてまつらむに、 人の心とどめたまふべくもあらず、はしたなうてこそただよはめ。
 姫君は、どうなるにせよ、わたしについていらっしゃい。かえって、男の子たちは、どうしてもお父様のもとに参上してお会いしなければならないでしょうが、構ってもくださらないでしょうし、どっちつかずの頼りない生活になるでしょう。
 姫君はどうなるかしれないお母様だけれど私といっしょにいることになさい。男の子も私について来て、時々ここへ来るようなことだけにしてはお父様がかわいがってくださらないよ。大人になって出世もできないような不幸の原因にそれがなるかもしれないからね。お祖父じい様の宮様のいらっしゃる間は、ともかくも役人の端にはしてもらえるにもせよね、
  HimeGimi ha, to naru tomo kau naru tomo, onore ni sohi tamahe. Nakanaka, WotokoGimi-tati ha, e sara zu maude kayohi miye tatematura m ni, hito no kokoro todome tamahu beku mo ara zu, hasitanau te koso tadayoha me.
3.2.4   宮のおはせむほど、形のやうに交じらひをすとも、 かの大臣たちの御心にかかれる世にて、かく 心おくべきわたりぞと、さすがに知られて、人にもなり立たむこと難し。さりとて、 山林に引き続きまじらむこと、後の世までいみじきこと」
 父宮が生きていらっしゃるうちは、型通りに宮仕えはしても、あの大臣たちのお心のままの世の中ですから、あの気を許せない一族の者よと、やはり目をつけられて、立身することも難しい。それだからといって、山林に続いて入って出家することも、来世まで大変なこと」
 お父様が今度親類におなりになった二人の大臣次第の世の中なのだから、その方たちにきらわれている私についていてはあなたがたは損で、出世などはできませんよ。そうかといってお坊様になって山や林へはいってしまうことは悲しいことだからね。それに不自然な出家をしては死んでからのちまで罪になります」
  Miya no ohase m hodo, kata no yau ni mazirahi wo su tomo, kano Otodo-tati no mi-kokoro ni kakare ru yo nite, kaku kokorooku beki watari zo to, sasuga ni sirare te, hito ni mo nari tata m koto katasi. Saritote, yama hayasi ni hiki-tuduki mazira m koto, notinoyo made imiziki koto."
3.2.5  と泣きたまふに、皆、深き心は思ひ分かねど、うちひそみて泣きおはさうず。
 とお泣きになると、皆、深い事情は分からないが、べそをかいて泣いていらっしゃる。
 と言って泣く母を見ては、深い意味はわからないままで子は皆悲しがって泣く。
  to naki tamahu ni, mina, hukaki kokoro ha omohiwaka ne do, uti-hisomi te naki ohasauzu.
3.2.6  「 昔物語などを見るにも、世の常の心ざし深き親だに、時に移ろひ、 人に従へばおろかにのみこそなりけれ。まして、形のやうにて、見る前にだに名残なき心は、かかりどころありてももてないたまはじ」
 「昔物語などを見ても、世間並の愛情深い親でさえ、時勢に流され、人の言うままになって、冷たくなって行くものです。まして、形だけの親のようで、見ている前でさえすっかり変わってしまったお心では、頼りになるようなお扱いをなさるまい」
 「昔の小説の中でも普通にお子様を愛していらっしゃるお父様でも片親ではね、いろんなことの影響を受けてだんだん子供に冷淡になっていくものですよ。そしてこちらの殿様は現在でさえもああしたふうをお見せになるじゃありませんか。お子様の将来を思ってくださるようなことはないと思います」
  "Mukasimonogatari nado wo miru ni mo, yo no tune no kokorozasi hukaki oya dani, toki ni uturohi, hito ni sitagahe ba, oroka ni nomi koso nari kere. Masite, kata no yau nite, miru mahe ni dani nagori naki kokoro ha, kakaridokoro ari te mo motenai tamaha zi."
3.2.7  と、 御乳母どもさし集ひて、のたまひ嘆く
 と、乳母たちも集まって、おっしゃり嘆く。
 と乳母めのとたちは乳母たちでいっしょに集まって、悲しんでいた。
  to, ohom-menoto-domo sasi-tudohi te, notamahi nageku.
注釈241みづからはかく以下「いみじきこと」まで、北の方の子供たちへの詞。3.2.2
注釈242生ひ先遠うて子供たちのことをいう。3.2.2
注釈243姫君は北の方は女の子は自分と一緒に生活させようと考える。3.2.3
注釈244男君たちは北の方は男子はどうしても政治の世界で父親と一緒に暮らして行かねばならないと考えている。3.2.3
注釈245人の父親の鬚黒が。3.2.3
注釈246宮のおはせむほど祖父の式部卿宮。3.2.4
注釈247かの大臣たちの御心にかかれる世にてあの太政大臣の源氏や内大臣たちのお心のままの世の中だから。3.2.4
注釈248心おくべきわたり源氏方から見れば、気を許せない所の者だ。3.2.4
注釈249山林に引き続きまじらむこと自分が出家遁世し、息子たちも後を追って出家し山林に姿をくらますこと。3.2.4
注釈250昔物語などを以下「もてないたまはじ」まで、北の方の詞。『住吉物語』『落窪物語』などの父親が後妻と結婚生活を続けるうちにやがて先妻の子供は父親の愛情も薄れてゆき、さらには継母からも苛められていくような話を想定する。3.2.6
注釈251人に従へば具体的には後妻をさすが、一般論として読める。3.2.6
注釈252おろかにのみこそなりけれ大島本は「のミこそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「のみこそは」と「は」を補訂する。3.2.6
注釈253御乳母どもさし集ひてのたまひ嘆く子供たちの乳母も北の方と一緒になっておっしゃり嘆く。敬語があるので、北の方を中心にした表現。3.2.7
3.3
第三段 姫君、柱の隙間に和歌を残す


3-3  Makibashira left a waka in the crevice of a pillar

3.3.1   日も暮れ、雪降りぬべき空のけしきも、心細う見ゆる夕べなり。
 日も暮れ、雪も降って来そうな空模様も、心細く見える夕方である。
 日も落ちたし雪も降り出しそうな空になって来た心細い夕べであった。
  Hi mo kure, yuki huri nu beki sora no kesiki mo, kokorobosou miyuru yuhube nari.
3.3.2  「 いたう荒れはべりなむ。早う
 「ひどく荒れて来ましょう。お早く」
 「天気がずいぶん悪くなって来たそうです。早くお出かけになりませんか」
  "itau are haberi na m. Hayau."
3.3.3  と、御迎への君達そそのかしきこえて、御目 おし拭ひつつ眺めおはす姫君は、殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに
 と、お迎えの公達はお促し申し上げるが、お目を拭いながら物思いに沈んでいらっしゃる。姫君は、殿がたいそうかわいがって、懐いていらっしゃっるので、
 と夫人の弟たちは急がせながらも涙をふいて悲しい肉親たちをながめていた。姫君は大将が非常にかわいがっている子であったから、父にわないままで行ってしまうことはできない、
  to, ohom-mukahe no Kimdati sosonokasi kikoye te, ohom-me osi-nogohi tutu nagame ohasu. HimeGimi ha, Tono ito kanasiu si tatematuri tamahu narahi ni,
3.3.4  「 見たてまつらではいかでかあらむ。『今』なども聞こえで、また会ひ見ぬやうもこそあれ」
 「お目にかからないではどうして行けようか。『これで』などと挨拶しないで、再び会えないことになるかもしれない」
 今日父とものを言っておかないでは、もう一度そうした機会はないかもしれない
  "Mi tatematura de ha ikadeka ara m? 'Ima.' nado mo kikoye de, mata ahi mi nu yau mo koso are."
3.3.5  と思ほすに、うつぶし伏して、「え渡るまじ」と思ほしたるを、
 とお思いになると、突っ伏して、「とても出かけられない」とお思いでいるのを、
 と思ってうつぶしになって泣きながら行こうとしないふうであるのを夫人は見て、
  to omohosu ni, utubusi husi te, "E wataru mazi." to omohosi taru wo,
3.3.6  「 かく思したるなむ、いと心憂き
 「そのようなお考えでいらっしゃるとは、とても情けない」
 「そんな気にあなたのなっていることはお母様を悲しくさせます」
  "Kaku obosi taru nam, ito kokorouki."
3.3.7  など、こしらへきこえたまふ。「 ただ今も渡りたまはなむ」と、待ちきこえたまへど、 かく暮れなむにまさに動きたまひなむや
 などと、おなだめ申し上げなさる。「今すぐにも、お父様がお帰りになってほしい」とお待ち申し上げなさるが、このように日が暮れようとする時、あちらをお動きなさろうか。
 などとなだめていた。そのうち父君は帰るかもしれぬと姫君は思っているのであるが、日が暮れて夜になった時間に、どうして逆にこの家へ大将が帰ろう。
  nado, kosirahe kikoye tamahu. "Tada ima mo watari tamaha nam." to, mati kikoye tamahe do, kaku kure na m ni, masa ni ugoki tamahi na m ya!
3.3.8  常に寄りゐたまふ東面の柱を、人に譲る心地したまふもあはれにて、姫君、 桧皮色の紙の重ね、ただいささかに書きて、柱の干割れたるはさまに、笄の先して押し入れたまふ。
 いつも寄りかかっていらっしゃる東面の柱を、他人に譲る気がなさるのも悲しくて、姫君、桧皮色の紙を重ねたのに、ほんのちょっと書いて、柱のひび割れた隙間に、笄の先でお差し込みなさる。
  姫君は始終自身のよりかかっていた東の座敷の中の柱を、だれかに取られてしまう気のするのも悲しかった。姫君は檜皮ひわだ色の紙を重ねて、小さい字で歌を書いたのを、こうがいの端で柱のれ目へ押し込んで置こうと思った。
  Tune ni yoriwi tamahu himgasi-omote no hasira wo, hito ni yuduru kokoti si tamahu mo ahare nite, HimeGimi, hihada iro no kami no kasane, tada isasaka ni kaki te, hasira no hiware taru hasama ni, kaugai no saki site osi-ire tamahu.
3.3.9  「 今はとて宿かれぬとも馴れ来つる
   真木の柱はわれを忘るな
 「今はもうこの家を離れて行きますが、わたしが馴れ親しんだ
  真木の柱はわたしを忘れないでね
  今はとて宿借れぬともれ来つる
  真木の柱はわれを忘るな
    "Ima ha tote yado kare nu tomo nare ki turu
    maki no hasira ha ware wo wasuru na
3.3.10  えも書きやらで泣きたまふ。母君、「いでや」とて、
 最後まで書き終わることもできずお泣きになる。母君、「いえ、なんの」と言って、
 この歌を書きかけては泣き泣いては書きしていた。夫人は、「そんなことを」と言いながら、
  E mo kaki yara de naki tamahu. HahaGimi, "Ideya?" tote,
3.3.11  「 馴れきとは思ひ出づとも何により
   立ちとまるべき真木の柱ぞ
 「長年馴れ親しんで来た真木柱だと思い出しても
  どうしてここに止まっていられましょうか
  馴れきとは思ひづとも何により
  立ちとまるべき真木の柱ぞ
    "Nare ki to ha omohiidu to mo nani ni yori
    tatitomaru beki maki no hasira zo
3.3.12  御前なる人びとも、さまざまに悲しく、「さしも思はぬ木草のもとさへ恋しからむこと」と、目とどめて、鼻すすりあへり。
 お側に仕える女房たちも、それぞれに悲しく、「それほどまで思わなかった木や草のことまで、恋しいことでしょう」と、目を止めて、鼻水をすすり合っていた。
 と自身も歌ったのであった。女房たちの心もいろいろなことが悲しくした。心のない庭の草や木と別れることも、あとに思い出して悲しいことであろうと心が動いた。
  Omahe naru hitobito mo, samazama ni kanasiku, "Sasimo omoha nu kikusa no moto sahe kohisikara m koto." to, me todome te, hana susuri ahe ri.
3.3.13  木工の君は、殿の御方の人にてとどまるに、中将の御許、
 木工の君は、殿の女房として留まるので、中将の御許は、
 木工もくの君は初めからこの家の女房であとへ残る人であった。中将の君は夫人といっしょに行くのである。
  Moku-no-Kimi ha, Tono no ohom-kata no hito nite todomaru ni, Tyuuzyau-no-Omoto,
3.3.14  「 浅けれど石間の水は澄み果てて
   宿もる君やかけ離るべき
 「浅い関係のあなたが残って、邸を守るはずの北の方様が
  出て行かれることがあってよいものでしょうか
 「浅けれど石間いはまの水はすみはてて
  宿る君やかげはなるべき
    "Asakere do isima no midu ha sumi hate te
    yado moru Kimi ya kake hanaru beki
3.3.15   思ひかけざりしことなり。かくて別れたてまつらむことよ
 思いもしなかったことです。こうしてお別れ申すとは」
 思いも寄らなかったことですね、こうしてあなたとお別れするようになるなどと」
  Omohikake zari si koto nari. Kakute wakare tatematura m koto yo!"
3.3.16  と言へば、木工、
 と言うと、木工の君は、
 と中将の君が言うと、木工もくは、
  to ihe ba, Moku,
3.3.17  「 ともかくも岩間の水の結ぼほれ
   かけとむべくも思ほえぬ世を
 「どのように言われても、わたしの心は悲しみに閉ざされて
  いつまでここに居られますことやら
 「ともかくも石間いはまの水の結ぼほれ
  かげとむべくも思ほえぬ世を
    "Tomokakumo ihama no midu no musubohore
    kake tomu beku mo omohoye nu yo wo
3.3.18  いでや」
 いや、そのような」
 何が何だかどうなるのだか」
  Ideya?"
3.3.19  とてうち泣く。
 と言って泣く。
 と言って泣いていた。
  tote uti-naku.
3.3.20  御車引き出でて返り見るも、「 またはいかでかは見む」と、 はかなき心地す梢をも目とどめて、隠るるまでぞ返り見たまひける 君が住むゆゑにはあらで、ここら年経たまへる御住みかの、 いかでか偲びどころなくはあらむ
 お車を引き出して振り返って見るのも、「再び見ることができようか」と、心細い気がする。梢にも目を止めて、見えなくなるまで振り返って御覧になるのであった。君が住んでいるからではなく、長年お住まいになった所が、どうして名残惜しくないことがあろうか。
 車が引き出されて人々はやしきの木立ちのなお見える間は、自分らはまたもここを見る日はないであろうと悲しまれて、隠れてしまうまで顧みられた。住んでいる主人あるじのために家と別れるのが惜しいのではなくて、家そのものに愛着のある心がそうさせるのである。
  Mi-kuruma hiki-ide te kaherimiru mo, "Mata ha ikadekaha mi m?" to, hakanaki kokoti su. Kozuwe wo mo me todome te, kakururu made zo kaherimi tamahi keru. Kimi ga sumu yuwe ni ha ara de, kokora tosi he tamahe ru ohom-sumika no, ikadeka sinobi dokoro naku ha ara m?
注釈254日も暮れ雪降りぬべき空のけしきも冬の雪の日の別れの場面。「薄雲」巻には大堰山荘を舞台にして明石の母子の別れの場面が語られていた。物語の季節と主題との類同的発想の一つである。3.3.1
注釈255いたう荒れはべりなむ早う迎えの君達の詞。「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)、~してしまいましょう、の意。3.3.2
注釈256おし拭ひつつ眺めおはす迎えの君達の動作。3.3.3
注釈257姫君は殿いとかなしうしたてまつりたまふならひに姫君は殿がふだんからとてもおかわいがり申し上げなさっていたのでの意。3.3.3
注釈258見たてまつらでは以下「こそあれ」まで、姫君の心。3.3.4
注釈259かく思したるなむいと心憂き北の方の姫君への詞。3.3.6
注釈260ただ今も渡りたまはなむ姫君の心。「なむ」は願望の意の終助詞。今すぐにでも父が帰ってきてほしいの意。3.3.7
注釈261かく暮れなむに「な」(完了の助動詞、確述)「む」(推量の助動詞)。このように今にも日が暮れようとしている時に、の意。以下、語り手の評言。『孟津抄』は「推量也」と指摘する。『集成』も「草子地」と指摘、『完訳』は「語り手の推測。父の恋狂いなど思わぬ娘の純真さを暗示」と指摘する。3.3.7
注釈262まさに動きたまひなむや反語表現。これから夜になっていこうとする時、鬚黒が玉鬘のもとから帰って来ようか、そんなことはまずあるまいという。3.3.7
注釈263今はとて宿かれぬとも馴れ来つる--真木の柱はわれを忘るな姫君の歌。「真木」は歌語。『大系』『評釈』『全集』『完訳』は「東風吹かば匂いおこせよ梅の花主なしとて春を忘るな」(拾遺集雑春、一〇〇六、菅原道真)を引歌として指摘する。この和歌が姫君の呼称となり、さらに巻名となる。3.3.9
注釈264馴れきとは思ひ出づとも何により--立ちとまるべき真木の柱ぞ北の方の返歌。3.3.11
注釈265浅けれど石間の水は澄み果てて--宿もる君やかけ離るべき中将の御許から木工の君への贈歌。「石間の水」に木工の君をたとえる。「宿守る君」は北の方をさす。「すみ」に「住み」と「澄み」を掛け、「かけ」に「かけ離る」と水に映る「影」とを響かせる。「や~べき」反語表現。~することがあっていいものでだろうか、おかしなことだ。3.3.14
注釈266思ひかけざりしことなりかくて別れたてまつらむことよ中将の御許の歌に続く詞。木工の君と別れることをいう。3.3.15
注釈267ともかくも岩間の水の結ぼほれ--かけとむべくも思ほえぬ世を木工の君の返歌。「言はま」に「岩間」を掛ける。「結ぼほれ」は、水の流れが滞る意と思いが鬱屈する意とこめる。「かけ」は「かけ留む」と「影留む」を響かす。3.3.17
注釈268またはいかでかは見む中将の御許の木工の君に二度と会えまいという思い。3.3.20
注釈269はかなき心地す中将の御許の気持ち。3.3.20
注釈270梢をも目とどめて隠るるまでぞ返り見たまひける『源氏釈』は「君が住む宿の梢を行くゆくと隠るるまでに返り見しはや」(拾遺集別、三五一 、菅原道真)を引歌として指摘。現行の注釈書でも指摘する。3.3.20
注釈271君が住むゆゑにはあらで前掲「拾遺集」歌の語句を引く。ここでは夫の鬚黒をさす。3.3.20
注釈272いかでか偲びどころなくはあらむ語り手の感情移入のこもった表現。3.3.20
出典2 梢をも目とどめ 君が住む宿の梢の行く行くと隠るるまでに顧みしはや 拾遺集別-三五一 菅原道真 3.3.20
校訂20 桧皮色 桧皮色--ひは(は/$<朱>)わた色 3.3.8
3.4
第四段 式部卿宮家の悲憤慷慨


3-4  Shikibukyo and his wife are indignant with a behavior of Higekuro

3.4.1  宮には待ち取り、いみじう思したり。母北の方、泣き騷ぎたまひて、
 宮邸では待ち受けて、たいそうお悲しみである。母の北の方、泣き騷ぎなさって、
 大将夫人をお迎えになって、宮は非常にお悲しみになった。母の夫人は泣き騒いだ。
  Miya ni ha matitori, imiziu obosi tari. Haha-Kitanokata, naki sawagi tamahi te,
3.4.2  「 太政大臣を、めでたきよすがと 思ひきこえたまへれど 、いかばかりの昔の仇敵にかおはしけむとこそ思ほゆれ。
 「太政大臣を、結構なご親戚とお思い申し上げていらっしゃるが、どれほどの昔からの仇敵でいらっしゃったのだろうと思われます。
 「太政大臣のことをよい親戚しんせきを持ったようにあなたは喜んでいらっしゃいますが、私には前生にどんな仇敵かたきだった人かと思われます。
  "OhokiOtodo wo, medetaki yosuga to omohi kikoye tamahe re do, ikabakari no mukasi no ata kataki ni ka ohasi kem to koso omohoyure.
3.4.3   女御をも、ことに触れ、はしたなくもてなしたまひしかど、それは、 御仲の恨み解けざりしほど、思ひ知れとにこそはありけめと思しのたまひ、世の人も言ひなししだに、なほ、さやはあるべき。
 女御にも、何かにつけて、冷淡なお仕打ちをなさったが、それは、お二人の間の恨み事が解けなかったころ、思い知れということであったであろうと、思ったりおっしゃったりもし、世間の人もそう言っていたのでさえ、やはり、そあってよいことでしょうか。
 女御にょごなどにも何かの場合に好意のない態度を露骨にお見せになりましたが、そのころは須磨すま時代の恨みが忘られないのだろうとあなたがお言いになり、世間でもそう批評されたのでも私にはに落ちなかったのです。
  Nyougo wo mo, koto ni hure, hasitanaku motenasi tamahi sika do, sore ha, ohom-naka no urami toke zari si hodo, omohi sire to ni koso ha ari keme to obosi notamahi, yo no hito mo ihi nasi si dani, naho, sa ya ha aru beki.
3.4.4   人一人を思ひかしづきたまはむゆゑは、ほとりまでもにほふ例こそあれと、心得ざりしを、まして、かく 末に、すずろなる継子かしづきをしておのれ古したまへるいとほしみに実法なる人ゆるぎどころ あるまじきをとて、取り寄せもてかしづきたまふは、いかがつらからぬ」
 一人を大切になさるのであれば、その周辺までもお蔭を蒙るという例はあるものだと、納得行きませんでしたが、まして、このような晩年になって、わけの分からない継子の世話をして、自分が飽きたのを気の毒に思って、律儀者で浮気しそうのない人をと思って、婿に迎えて大切になさるのは、どうして辛くないことでしょうか」
 それだのにまた今になって、養女を取ったりなどして、自分が御寵愛ちょうあいなすって古くなすった代償にまじめな堅い男を取り寄せて婿にするなどということをなさる。これが恨めしくなくて何ですか」
  Hito hitori wo omohi kasiduki tamaha m yuwe ha, hotori made mo nihohu tamesi koso are to, kokoroe zari si wo, masite, kaku suwe ni, suzuro naru mamako-kasiduki wo si te, onore hurusi tamahe ru itohosimi ni, zihohu naru hito no yurugi dokoro aru maziki wo tote, toriyose mote-kasiduki tamahu ha, ikaga turakara nu?"
3.4.5  と、言ひ続けののしりたまへば、宮は、
 と、大声で言い続けなさるので、宮は、
 こう言い続けるのである。
  to, ihi tuduke nonosiri tamahe ba, Miya ha,
3.4.6  「 あな、聞きにくや。世に難つけられたまはぬ大臣を、口にまかせてなおとしめたまひそ。かしこき人は、思ひおき、かかる報いもがなと、思ふことこそはものせられけめ。さ思はるるわが身の不幸なるにこそはあらめ。
 「ああ、聞き苦しい。世間から非難されることのおありでない大臣を、口から出任せに悪くおっしゃるものではありませんよ。賢明な方は、かねてから考えていて、このような報復をしようと、思うことがおありだったのだろう。そのように思われるわが身の不幸なのだろう。
 「聞き苦しい。世間から何一つ批難をお受けにならない大臣を、出まかせな雑言ぞうごんで悪く言うのはおよしなさい。
  "Ana, kikiniku ya! Yo ni nan tuke rare tamaha nu Otodo wo, kuti ni makase te na otosime tamahi so. Kasikoki hito ha, omohioki, kakaru mukuyi mo gana to, omohu koto koso ha monose rare keme. Sa omoha ruru wagami no hukau naru ni koso ha ara me.
3.4.7  つれなうて、 皆かの沈みたまひし世の報いは、浮かべ沈め、いとかしこくこそは思ひわたいたまふめれ。おのれ一人をば、さるべきゆかりと思ひてこそは、 一年も、さる世の響きに、家よりあまることどももありしか。それをこの生の面目にてやみぬべきなめり」
 なにげないふうで、すべてあの苦しみなさった報復は、引き上げたり落としたり、たいそう賢く考えていらっしゃるようだ。わたし一人は、しかるべき親戚だと思って、先年も、あのような世間の評判になるほどに、わが家には過ぎたお祝賀があった。そのことを生涯の名誉と思って、満足すべきなのだろう」
 聡明そうめいな人はこちらの罪を目前でどうしようとはしないで、自然の罰にあうがいいと考えていられたのだろう。そう思われる私自身が不幸なのだ。冷静にしていられるようで、そしてあの時代の報いとして、ある時はよくしたり、ある時はきびしくしたりしようと考えていられるのだろう。私一人は妻の親だとお思いになって、いつかも驚くべき派手はでな賀宴を私のためにしてくだすった。まあそれだけを生きがいのあったこととして、そのほかのことはあきらめなければならないのだろう」
  Turenau te, mina kano sidumi tamahi si yo no mukuyi ha, ukabe sidume, ito kasikoku koso ha omohi watai tamahu mere. Onore hitori wo ba, sarubeki yukari to omohi te koso ha, hitotose mo, saru yo no hibiki ni, ihe yori amaru koto-domo mo ari sika. Sore wo kono syau no meiboku nite yami nu beki na' meri."
3.4.8  とのたまふに、いよいよ腹立ちて、まがまがしきことなどを言ひ散らしたまふ。 この大北の方ぞ、さがな者なりける
 とおっしゃると、ますます腹が立って、不吉な言葉を言い散らしなさる。この大北の方は、性悪な人だったのである。
 と宮がお言いになるのを聞いて、夫人はいよいよたけり立つばかりで、源氏夫婦へののろいの言葉を吐き散らした。この夫人だけは善良なところのない人であった。
  to notamahu ni, iyoiyo haradati te, magamagasiki koto nado wo ihitirasi tamahu. Kono Oho-Kitanokata zo, sagana mono nari keru.
3.4.9   大将の君かく渡りたまひにけるを聞きて、
 大将の君は、このようにお移りになってしまったことを聞いて、
 大将は夫人が宮家へ帰ったことを聞いて
  Daisyau-no-Kimi, kaku watari tamahi ni keru wo kiki te,
3.4.10  「 いとあやしう、若々しき仲らひのやうに、ふすべ顔にてものしたまひけるかな。正身は、しかひききりに際々しき心もなきものを、宮のかく軽々しうおはする」
 「まことに妙な、年若い夫婦のように、やきもちを焼いたようなことをなさったものだなあ。ご本人には、そのようなせっかちできっぱりした性分もないのに、宮があのように軽率でいらっしゃる」
 ほんとうらしくもなく、若夫婦の中ででもあるような争議を起こすものである、自分の妻はそうした愛情を無視するような態度のとれる性質ではないのであるが、宮が軽率な計らいをされるのである
  "Ito ayasiu, wakawakasiki nakarahi no yau ni, husubegaho nite monosi tamahi keru kana! Sauzimi ha, sika hikikiri ni kihagihasiki kokoro mo naki mono wo, Miya no kaku karugarusiu ohasuru."
3.4.11  と思ひて、君達もあり、人目もいとほしきに、思ひ乱れて、 尚侍の君に
 と思って、御子息もあり、世間体も悪いので、いろいろと思案に困って、尚侍の君に、
 と思って、子供もあることであったし、夫人のために世間体も考慮してやらねばならないと煩悶はんもんしてのちに、こうした奇怪な出来事が家のほうであったと話して、
  to omohi te, Kimdati mo ari, hitome mo itohosiki ni, omohi midare te, Kam-no-Kimi ni,
3.4.12  「 かくあやしきことなむはべるなかなか心やすくは思ひたまへなせどさて片隅に隠ろへてもありぬべき人の心やすさを、おだしう思ひたまへつるに、にはかに かの宮ものしたまふならむ人の聞き見ることも情けなきを、うちほのめきて、参り来なむ」
 「こんな妙なことがございましたようです。かえって気楽に存じられますが、そのまま邸の片隅に引っ込んでいてもよい気楽な人と、安心しておりましたのに、急にあの宮がなさったのでしょう。世間が見たり聞いたりことも薄情なので、ちょっと顔を出して、すぐに戻ってまいりましょう」
 「かえってさっぱりとした気もしないではありませんが、しかしそのままでおとなしく家の一隅いちぐうに暮らして行けるはずの善良さを私は妻に認めていたのですよ。にわかに無理解な宮が迎えをおよこしになったのであろうと想像されます。世間へ聞こえても私を誤解させることだから、とにかく一応の交渉をしてみます」
  "Kaku ayasiki koto nam haberu. Nakanaka kokoroyasuku ha omohi tamahe nase do, sate katasumi ni kakurohe te mo ari nu beki hito no kokoroyasusa wo, odasiu omohi tamahe turu ni, nihaka ni kano Miya monosi tamahu nara m. Hito no kiki miru koto mo nasake naki wo, uti-honomeki te, mawiri ki na m."
3.4.13  とて出でたまふ。
 と言って、お出になる。
 とも言って出かけるのであった。
  tote ide tamahu.
3.4.14  よき上の御衣、柳の下襲、青鈍の綺の指貫着たまひて、引きつくろひたまへる、 いとものものし。「 などかは似げなからむ」と、人びとは見たてまつるを、尚侍の君は、 かかることどもを聞きたまふにつけても、身の心づきなう思し知らるれば、見もやりたまはず。
 立派な袍のお召物に、柳の下襲、青鈍色の綺の指貫をお召しになって、身なりを整えていらっしゃる、まことに堂々としている。「どうして不似合いなところがあろうか」と、女房たちは拝見するが、尚侍の君は、このようなことをお聞きになるにつけても、わが身が情けなく思わずにはいらっしゃれないので、見向きもなさらない。
 よいできのほうを着て、柳の色の下襲したがさねを用い、青鈍あおにび色の支那しなにしき指貫さしぬき穿いて整えた姿は重々しい大官らしかった。決して不似合いな姫君の良人おっとでないと女房たちは見ているのであったが、尚侍ないしのかみは家庭の悲劇の伝えられたことでも、自分の立場がつらくなって、大将の好意がうるさく思われて、あとを見送ろうともしなかった。
  Yoki uhe no ohom-zo, yanagi no sitagasane, awonibi no ki no sasinuki ki tamahi te, hiki-tukurohi tamahe ru, ito monomonosi. "Nadoka ha nigenakara m." to, hitobito ha mi tatematuru wo, Kam-no-Kimi ha, kakaru koto-domo wo kiki tamahu ni tuke te mo, mi no kokoroduki nau obosi sira rure ba, mi mo yari tamaha zu.
注釈273太政大臣を以下「いかがつらからぬ」まで、大北の方の詞。3.4.2
注釈274思ひきこえたまへれどあなたはお思い申し上げていらっしゃいますが、の意。大北の方の夫式部卿宮への皮肉。3.4.2
注釈275女御をもことに触れ大北の方の姫君、王女御をさす。「澪標」巻に初出。入内して女御となるが、源氏方の養女として入内した前斎宮が「少女」巻で中宮に立ち、立后が叶わなかった。3.4.3
注釈276御仲の恨み源氏の須磨流謫前後に式部卿宮が源氏に対して冷淡な態度をとったことへの恨み。3.4.3
注釈277人一人を思ひかしづきたまはむゆゑはほとりまでも源氏が紫の上を大事にするからには、その親類縁者までも厚遇してよい、の意。3.4.4
注釈278末にすずろなる継子かしづきをして源氏が晩年の今頃になってから玉鬘の世話をして、の意。3.4.4
注釈279おのれ古したまへるいとほしみに「古し」「いとをしみ」は、自分が玉鬘を愛人として長い間付き合ってきたのに飽きて、そのことを気の毒に思っての意。大北の方は、源氏と玉鬘の関係をこのように理解している。3.4.4
注釈280実法なる人鬚黒をさす。3.4.4
注釈281ゆるぎどころ大島本は「ゆき所」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本に従って「ゆるぎ所」と校訂する。3.4.4
注釈282あな聞きにくや以下「やみぬべきなめり」まで、式部卿宮の詞。3.4.6
注釈283皆かの沈みたまひし世の報いは源氏の須磨退去の不遇当時に疎遠にしたことをさす。3.4.7
注釈284一年もさる世の響きに家よりあまることどももありしか式部卿宮の五十賀を新築の六条院で祝ってくれたことをいう。「少女」巻(第七章三段)に見える。3.4.7
注釈285この大北の方ぞさがな者なりける語り手の大北の方に対する人物批評。『孟津抄』は「草子地」と指摘。『集成』も「草子地」と指摘。『完訳』は「語り手の評言。継子物語の性悪の継母像として語り収める」と指摘する。3.4.8
注釈286大将の君場面は六条院の玉鬘のもとに変わる。3.4.9
注釈287かく渡りたまひにける北の方が実家に移ってしまったこと。3.4.9
注釈288いとあやしう以下「おはする」まで鬚黒の心。3.4.10
注釈289尚侍の君に玉鬘。3.4.11
注釈290かくあやしきことなむはべる大島本は「侍る」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』はそれぞれ諸本に従って「はべるなる」「はべなる」と校訂する。以下「参り来なむ」まで、鬚黒の玉鬘への詞。3.4.12
注釈291なかなか心やすくは思ひたまへなせど北の方が実家に帰ってくれて、かえって気が楽になったとは思ってみるが。「たまへ」は鬚黒が自分自身「思う」謙譲表現である。3.4.12
注釈292さて片隅にそのまま北の方が鬚黒の邸にいて。3.4.12
注釈293かの宮ものしたまふならむ大島本は「かの宮ものし給ならむ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「かの宮のしたまふならむ」と校訂する。3.4.12
注釈294人の聞き見ることも世間の人が鬚黒の態度を聞いたり見たりすることも。3.4.12
注釈295いとものものし女房の目と一体化した語り手の評言。3.4.14
注釈296などかは似げなからむ反語表現。鬚黒の堂々とした姿と玉鬘の美しさが似つかわしい。3.4.14
注釈297かかることども鬚黒の話。主として北の方や式部卿宮のことをさす。3.4.14
校訂21 たまへれど たまへれど--給つ(つ/$へ<朱>)れと 3.4.2
校訂22 ゆるぎ ゆるぎ--*ゆき 3.4.4
3.5
第五段 鬚黒、式部卿宮家を訪問


3-5  Higekuro visits to Shikibukyo

3.5.1   宮に恨み聞こえむとて、参うでたまふままに、まづ、殿におはしたれば、木工の君など出で来て、ありしさま語りきこゆ。姫君の御ありさま聞きたまひて、男々しく念じたまへど、ほろほろとこぼるる御けしき、 いとあはれなり
 宮に苦情を申し上げようと思って、参上なさるついでに、先に、自邸にいらっしゃると、木工の君などが出てきて、その時の様子をお話し申し上げる。姫君のご様子をお聞きになって、男らしく堪えていらっしゃるが、ぽろぽろと涙がこぼれるご様子、たいそうお気の毒である。
 宮へ抗議をしに大将は出かけようとしているのであったが、先に邸のほうへ寄って見た。木工もくの君などが出て来て、夫人の去った日の光景をいろいろと語った。姫君のことを聞いた時に、どこまでも自制していた大将も堪えられないようにほろほろと涙をこぼすのが哀れであった。
  Miya ni urami kikoye m tote, maude tamahu mama ni, madu, tono ni ohasi tare ba, Moku-no-Kimi nado ideki te, ari si sama katari kikoyu. HimeGimi no ohom-arisama kiki tamahi te, wowosiku nenzi tamahe do, horohoro to koboruru mi-kesiki, ito ahare nari.
3.5.2  「 さても、世の人にも似ず、あやしきことどもを見過ぐすここらの年ごろの心ざしを、 見知りたまはずありけるかないと思ひのままならむ人は、今までも 立ちとまるべくやはある。よし、かの正身は、とてもかくても、いたづら人と見えたまへば、 同じことなり。幼き人びとも、 いかやうにもてなしたまはむとすらむ
 「それにしても、世間の人と違い、おかしな振る舞いの数々を大目に見てきた長年の気持ちを、ご理解なさらなかったのかな。ひどくわがままな人は、今までも一緒にいただろうか。まあよい、あの本人は、どうなったところで、廃人にお見えになるから、同じことだ。子どもたちも、どうなさろうというのだろうか」
 「どうしたことだろう。常人でない病気のある人を、長い間どんなにいたわって私が来たかがわかってもらえないのだね。軽薄な男なら今日きょうまでだって決して連れ添ってはいなかったろう。でもしかたがない、あの人はどこにいても廃人なのだから同じだ。子供たちをどうしようというのだろう」
  "Satemo, yo no hito ni mo ni zu, ayasiki koto-domo wo mi sugusu kokora no tosigoro no kokorozasi wo, misiri tamaha zu ari keru kana! Ito omohi no mama nara m hito ha, ima made mo tatitomaru beku yaha aru? Yosi, kano sauzimi ha, totemo-kakutemo, itadurabito to miye tamahe ba, onazi koto nari. Wosanaki hitobito mo, ikayau ni motenasi tamaha m to su ram?"
3.5.3  と、うち嘆きつつ、 かの真木柱を見たまふに、手も幼けれど、心ばへのあはれに恋しきままに、 道すがら涙おしのごひつつ 参うでたまへれば 対面したまふべくもあらず
 と、嘆息しながら、あの真木の柱を御覧になると、筆跡も幼稚だが、気立てがしみじみといじらしくて、道すがら、涙を押し拭い押し拭い参上なさると、お会いになれるはずもない。
 大将は泣きながら真木柱の歌を読んでいた。字はまずいが優しい娘の感情はそのまま受け取れることができて、途中も車の中で涙をふきふき宮邸へ向かった。夫人はおうとしなかった。
  to, uti-nageki tutu, kano makibasira wo mi tamahu ni, te mo wosanakere do, kokorobahe no ahare ni kohisiki mama ni, mitisugara namida osinogohi tutu maude tamahe re ba, taimen si tamahu beku mo ara zu.
3.5.4  「 何か。ただ時に移る心の、今はじめて変はりたまふにもあらず。年ごろ思ひうかれたまふさま、聞きわたりても久しくなりぬるを、いづくをまた思ひ直るべき 折とか待たむ。いとどひがひがしき さまにのみこそ見え果てたまはめ」
 「何の。ただ時勢におもねる心が、今初めてお変わりになったのではない。年来うつつを抜かしていらっしゃる様子を、長いこと聞いてはいたが、いつを再び改心する時かと待てようか。ますます、奇妙な姿を現すばかりで終わることにおなりになろう」
 「逢う必要はない。新しい女に心の移っているという話は、今度始まったことでもない。あの人が若い妻をほしがっている話を聞いてから長い月日もたっている。そんな良人おっとの愛があなたへ帰ってくることなどは期待されないことだ。そして健全な女でないという点だけをいよいよ認めさせることになります」
  "Nanika? Tada toki ni uturu kokoro no, ima hazime te kahari tamahu ni mo ara zu. Tosigoro omohi uka re tamahu sama, kiki watari te mo hisasiku nari nuru wo, iduku wo mata omohi nahoru beki wori to ka mata m? Itodo higahigasiki sama ni nomi koso miye hate tamaha me."
3.5.5  と 諌め申したまふ、ことわりなり
 とご意見申される、もっともなことである。
 と言う宮の御注意が大将夫人へあったのである。もっともなことである。
  to isame mausi tamahu, kotowari nari.
3.5.6  「 いと、若々しき心地もしはべるかな。思ほし捨つまじき人びともはべればと、のどかに思ひはべりける心のおこたりを、かへすがへす聞こえてもやるかたなし。今はただ、なだらかに御覧じ許して、 罪さりどころなう、世人にもことわらせて こそかやうにももてないたまはめ」
 「まったく、大人げない気がしますな。お見捨てになるはずもない子供たちもいますのでと、のんきに構えておりましたわたしの不行届を、繰り返しお詫び申しても、お詫びの申しようがありません。今はただ、穏便に大目に見て下さって、罪は免れがたく、世間の人にも分からせた上で、このようにもなさるのがよい」
 「何だか若い夫婦の仲で起こった事件のようで勝手の違った気がします。二人の中には愛すべき子もあるのだからと信頼を持ち過ぎてのんきであった私のあやまちは、どんな言葉ででも許してもらえないだろうと思いますが、それはそれとして穏便にだけはしてくだすって、今後私のほうによくないことがあれば世間も許さないでしょうから、その時に断然としたこういう処置もとられたらいいでしょう」
  "Ito, wakawakasiki kokoti mo si haberu kana! Omohosi sutu maziki hitobito mo habere ba to, nodoka ni omohi haberi keru kokoro no okotari wo, kahesugahesu kikoye te mo yaru kata nasi. Ima ha tada, nadaraka ni goranzi yurusi te, tumi sari dokoro nau, yohito ni mo kotowara se te koso, kayau ni mo motenai tamaha me."
3.5.7  など、聞こえわづらひておはす。「 姫君をだに見たてまつらむ」と聞こえ たまへれど出だしたてまつるべくもあらず
 などと、説得申すのに苦慮していらっしゃる。「せめて姫君にだけでもお会いしたい」と申し上げなさっているが、お出し申すはずもない。
 などと大将は困りながら取り次がせていた。姫君にだけでも逢いたいと言ったのであるが出しそうもない。
  nado, kikoye wadurahi te ohasu. "HimeGimi wo dani mi tatematura m." to kikoye tamahe re do, idasi tatematuru beku mo ara zu.
3.5.8  男君たち、十なるは、殿上したまふ。いとうつくし。人にほめられて、容貌などようはあらねど、いとらうらうじう、ものの心やうやう知りたまへり。
 男の子たち、十歳になるのは、童殿上なさっている。とてもかわいらしい。人からほめられて、器量など優れてはいないが、たいそう利発で、物の道理をだんだんお分りになっていらした。
 男の子の十歳とおになっているのは童殿上わらわでんじょうをしていて、愛らしい子であった。人にもほめられていて、容貌ようぼうなどはよくもないが、貴族の子らしいところがあって、その子はもう父母の争いに関心が持てるほどになっていた。
  WotokoGimi-tati, towo naru ha, Tenzyau si tamahu. Ito utukusi. Hito ni home rare te, katati nado you ha ara ne do, ito raurauziu, mono no kokoro yauyau siri tamahe ri.
3.5.9  次の君は、八つばかりにて、いとらうたげに、姫君にもおぼえたれば、かき撫でつつ、
 次の君は、八歳ほどで、とても可憐で、姫君にも似ているので、撫でながら、
 二男は八つくらいである。かわいい顔で姫君にも似ていたから、大臣は髪をなでてやりながら、
  Tugi no Kimi ha, yatu bakari nite, ito rautage ni, HimeGimi ni mo oboye tare ba, kaki-nade tutu,
3.5.10  「 あこをこそは、恋しき御形見にも見るべかめれ」
 「おまえを恋しい姫君のお形見と思って見ることにしよう」
 「おまえだけを恋しい形見にこれからは見て行くのだねお父様は」
  "Ako wo koso ha, kohisiki ohom-katami ni mo miru beka' mere."
3.5.11  など、うち泣きて語らひたまふ。 宮にも、御けしき賜はらせたまへど
 などと、涙を流してお話しなさる。宮にも、ご内意を伺ったが、
 などと泣きながら言っていた。大将は宮へ御面会を願ったのであるが、
  nado, uti-naki te katarahi tamahu. Miya ni mo, mi-kesiki tamahara se tamahe do,
3.5.12  「 風邪おこりて、ためらひはべるほどにて」
 「風邪がひどくて、養生しております時なので」
 「風邪かぜで引きこもっている時ですから」
  "Kaze okori te, tamerahi haberu hodo nite."
3.5.13  とあれば、はしたなくて出でたまひぬ。
 と言うので、不体裁な思いで退出なさった。
 と断わられて、きまりが悪くなって宮邸を出た。
  to are ba, hasitanaku te ide tamahi nu.
注釈298宮に恨み聞こえむとて以下、場面が変わって、鬚黒の自邸を舞台となる。3.5.1
注釈299いとあはれなり語り手の感情移入の表現。『評釈』は「大将の涙を見ると、木工も、許す気になったことであろう。「いとあはれなり」は、作者が読者に報告するだけのことばではない」と指摘。3.5.1
注釈300さても世の人にも似ず以下「たまはむとすらむ」まで鬚黒の詞。3.5.2
注釈301見知りたまはずありけるかな北の方はおわかりではなかったのだな。3.5.2
注釈302いと思ひのままならむ人鬚黒が自分自身のことをいうが、自分はそのようなわがままな人ではないの意。3.5.2
注釈303立ちとまるべくやはある「べく」(推量の助動詞、可能)「や」(係助詞、反語)。とどまっていられるものであろうか、そんなことはできないの意。3.5.2
注釈304同じことなり邸に残るも実家に帰るも同じことである意。3.5.2
注釈305いかやうにもてなしたまはむとすらむ北の方は幼い子供たちまでどのように巻き添えにしようとなさるのだろうか。3.5.2
注釈306かの真木柱を姫君が歌を詠み残して挟んでいった真木柱。3.5.3
注釈307道すがら場面は鬚黒邸から式部卿宮邸に向かう道中に変わる。3.5.3
注釈308参うでたまへれば鬚黒が式部卿宮邸に参上なさると。3.5.3
注釈309対面したまふべくもあらず北の方にお会いなされるはずもない。「べくもあらず」は語り手の感情がこめられた表現。『完訳』は「北の方の固い覚悟による」と解す。3.5.3
注釈310何かただ時に移る心の以下「見え果てたまはめ」まで、式部卿宮の娘北の方への諌めの詞。「何か」の下には「会はむ」などの語句が省略されている。「か」(係助詞、反語)。どうしてお会うことがあろうか、会う必要はないの意。式部卿宮は鬚黒を、源氏におもねって玉鬘と結婚したと解釈する。3.5.4
注釈311折とか待たむ「か」(係助詞、反語)。心の改まる時と待とうか、そのような時はないの意。3.5.4
注釈312さまにのみこそ大島本は「さまにのミこそ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「さまのみこそ」と「に」を削除する。3.5.4
注釈313諌め申したまふことわりなり式部卿宮が諌めるのも当然であるとする語り手の評言。『明星抄』は「いさめ申給」以下に「草子地也」と指摘。『評釈』は「ことはりなり」に「もっともな判断と、語り手も、作者も、同意する」と指摘する。3.5.5
注釈314いと若々しき心地も以下「もてないたまはめ」まで、鬚黒の詞。北の方に申し上げている内容である。3.5.6
注釈315罪さりどころなうわたしの罪は免れ難い、弁解の余地がないの意。3.5.6
注釈316かやうに実家に戻ることをさす。3.5.6
注釈317姫君をだに見たてまつらむ鬚黒の詞。せめて姫君にだけでもお会い申したい。3.5.7
注釈318出だしたてまつるべくもあらず北の方が姫君を鬚黒の前にお出しするはずもない。「べくもあらず」という言い回しは、語り手の判断をも言い込めた表現。3.5.7
注釈319あこをこそは以下「見るべかめれ」まで、鬚黒の詞。二郎君を目の前にして、これからおまえをかわいがって行くことになるのだろうというニュアンス。3.5.10
注釈320宮にも御けしき賜はらせたまへど鬚黒は式部卿宮にも面会の御意向をお伺いになるが、の意。3.5.11
注釈321風邪おこりて以下「ほどにて」まで、式部卿宮の謝絶の詞。3.5.12
校訂23 たまへれば たまへれば--給つ(つ/$へ<朱>)れは 3.5.3
校訂24 こそ こそ--こう(う/$<朱>)そ 3.5.6
校訂25 たまへれど たまへれど--給つ(つ/$へ<朱>)れと 3.5.7
3.6
第六段 鬚黒、男子二人を連れ帰る


3-6  Higekuro takes two sons back with him

3.6.1  小君達をば車に乗せて、語らひおはす。 六条殿には、え率ておはせねば、殿にとどめて、
 幼い男の子たちを車に乗せて、親しく話しながらお帰りになる。六条殿には連れて行くことがおできになれないので、邸に残して、
 二人の男の子を車に乗せて話しながら来たのであったが、六条院へつれて行くことはできないので、自邸へ置いて、
  Ko-Kimdati wo ba kuruma ni nose te, katarahi ohasu. Rokudeu-dono ni ha, e wi te ohase ne ba, tono ni todome te,
3.6.2  「 なほ、ここにあれ来て見むにも 心やすかるべく」
 「やはり、ここにいなさい。会いに来るのにも安心して来られるであろうから」
 「ここにおいで。お父様は始終来て見ることができるから」
  "Naho, koko ni are. Ki te mi m ni mo kokoroyasukaru beku."
3.6.3  とのたまふ。 うち眺めて、いと心細げに 見送りたるさまども、いとあはれなるに、もの思ひ加はりぬる心地すれど、 女君の御さまの、見るかひありてめでたきに、 ひがひがしき御さまを思ひ比ぶるにも、こよなくて、よろづを慰めたまふ。
 とおっしゃる。悲しみにくれて、たいそう心細そうに見送っていらっしゃる様子、たいそうかわいそうなので、心配の種が増えたような気がするが、女君のご様子が、見がいがあって立派なので、気違いじみたご様子と比べると、格段の相違で、すべてお慰めになる。
 と大将は言っていた。悲しそうに心細いふうで父を見送っていたのが哀れに思われて、大将は予期しなかった物思いの加わった気がしたものの、美しい玉鬘たまかずらと、廃人同様であった妻を比べて思うと、やはり何があっても今の幸福は大きいと感ぜられた。
  to notamahu. Uti-nagame te, ito kokorobosoge ni miokuri taru sama-domo, ito ahare naru ni, monoomohi kuhahari nuru kokoti sure do, WomnaGimi no ohom-sama no, miru kahi ari te medetaki ni, higahigasiki ohom-sama wo omohi kuraburu ni mo, koyonaku te, yorodu wo nagusame tamahu.
3.6.4  うち絶えて訪れもせず、はしたなかりしにことづけ顔なるを、宮には、いみじうめざましがり嘆きたまふ。
 さっぱり途絶えてお便りもせず、体裁の悪かったことを口実にしているふうなのを、宮におかれて、ひどく不愉快にお嘆きになる。
 それきり夫人のほうへ大将は何とも言ってやらなかった。侮辱的なあの日の待遇がもたらした反動的な現象のように、冷淡にしていると宮邸の人をくやしがらせていた。
  Uti-taye te otodure mo se zu, hasitanakarisi ni kotoduke-gaho naru wo, Miya ni ha, imiziu mezamasigari nageki tamahu.
3.6.5   春の上も聞きたまひて、
 春の上もお聞きになって、
 紫の女王にょおうもその情報を耳にした。
  Haru-no-Uhe mo kiki tamahi te,
3.6.6  「 ここにさへ、恨みらるるゆゑになるが苦しきこと」
 「わたしまで、恨まれる原因になるのがつらいこと」
 「私までも恨まれることになるのがつらい」
  "Koko ni sahe, urami raruru yuwe ni naru ga kurusiki koto."
3.6.7  と嘆きたまふを、 大臣の君、いとほしと思して、
 とお嘆きになるので、大臣の君は、気の毒だとお思いになって、
 となげいているのを源氏はかわいそうに思った。
  to nageki tamahu wo, Otodo-no-Kimi, itohosi to obosi te,
3.6.8  「 難きことなり。おのが心ひとつにもあらぬ 人のゆかりに、内裏にも心おきたるさまに 思したなり。兵部卿宮なども、怨じたまふと聞きしを、さいへど、思ひやり深うおはする人にて、 聞きあきらめ、恨み解けたまひにたなり。おのづから 人の仲らひは、忍ぶることと思へど、隠れなきものなれば、 しか思ふべき罪もなし、となむ思ひはべる」
 「難しいことだ。自分の一存だけではどうすることもできない人の関係で、帝におかせられても、こだわりをお持ちになっていらっしゃるようだ。兵部卿宮なども、お恨みになっていらっしゃると聞いたが、そうは言っても、思慮深くいらっしゃる方なので、事情を知って、恨みもお解けになったようだ。自然と、男女の関係は、人目を忍んでいると思っても、隠すことのできないものだから、そんなに苦にするほどの責任もない、と思っております」
 「むつかしいものですよ。自分の思いどおりにもできない人なのだから、この問題で陛下も御不快に思召おぼしめすようだし、兵部卿ひょうぶきょうの宮も恨んでおいでになると聞いたが、あの方は思いやりがあるから、事情をお聞きになって、もう了解されたようだ。恋愛問題というものは秘密にしていても真相が知れやすいものだから、結局は私が罪を負わないでもいいことになると思っている」
  "Kataki koto nari. Onoga kokoro hitotu ni mo ara nu hito no yukari ni, Uti ni mo kokorooki taru sama ni obosi ta' nari. Hyaubukyau-no-Miya nado mo, enzi tamahu to kiki si wo, sa ihe do, omohiyari hukau ohasuru hito nite, kiki akirame, urami toke tamahi ni ta' nari. Onodukara hito no nakarahi ha, sinoburu koto to omohe do, kakure naki mono nare ba, sika omohu beki tumi mo nasi, to nam omohi haberu."
3.6.9  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 とも言っていた。
  to notamahu.
注釈322六条殿にはえ率ておはせねば玉鬘のいる六条院には子供たちを連れて行くことができないので。鬚黒の生活の中心は今や六条院の玉鬘の所に移っている。3.6.1
注釈323なほここにあれ以下「心やすかるべく」まで、鬚黒の詞。「ここ」は鬚黒の自邸をさす。3.6.2
注釈324来て見むにも大島本は「きてみ(み+んイ<朱>)にも」とある。『集成』『新大系』『古典セレクション』は諸本及び底本の朱筆補入に従って「来て見むにも」と「む」を補訂する。3.6.2
注釈325うち眺めて子供たち二人が物思いに沈んで。3.6.3
注釈326見送り鬚黒を見送る。鬚黒は子供たちを残して六条院へ出掛ける。3.6.3
注釈327女君玉鬘。3.6.3
注釈328ひがひがしき御さま北の方の気違いじみた御様子。3.6.3
注釈329春の上紫の上をいう。この呼称は「胡蝶」「常夏」の巻に見えた。3.6.5
注釈330ここにさへ以下「苦しきこと」まで、紫の上の詞。3.6.6
注釈331大臣の君源氏をいう。3.6.7
注釈332難きことなり以下「となむ思ひはべる」まで、源氏の紫の上への詞。3.6.8
注釈333人のゆかり玉鬘との関係をさす。3.6.8
注釈334思したなり「た」(完了の助動詞、存続の意。連体形「たる」の「る」が撥音便化し、無表記された形)「なり」(伝聞推定の助動詞)。下文の「恨み解けたまひにたなり」も同じ。お思いになっているようだ。3.6.8
注釈335聞きあきらめ式部卿宮は鬚黒と玉鬘との結婚が源氏のしわざではないと知る。3.6.8
注釈336人の仲らひ男女関係をさしていう。3.6.8
注釈337しか思ふべき罪もなしそんなに苦にする責任はない。男女関係は自然と明らかになってくるものであるからという考えによる。3.6.8
校訂26 見むにも 見むにも--み(み/=んイ<朱>)にも 3.6.2
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年9月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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