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第三十一帖 真木柱
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31 MAKIBASIRA (Ohoshima-bon)
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光る源氏の太政大臣時代 三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38
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4 |
第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ
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4 Tale of Tamakazura Tamakazura goes to the imperial Court and goes back to Higekuro's residence
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4.1 |
第一段 玉鬘、新年になって参内
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4-1 Tamakazura goes to the imperial Court in a new year
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4.1.1 |
かかることどもの騷ぎに、尚侍の君の御けしき、いよいよ晴れ間なきを、大将は、いとほしと思ひあつかひきこえて、
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このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分は、ますます晴れる間もないでいるのを、大将は、お気の毒にとお気づかい申し上げて、
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大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう玉鬘を憂鬱にした。大将はそれを哀れに思って慰めようとする心から、
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Kakaru koto-domo no sawagi ni, Kam-no-Kimi no mi-kesiki, iyoiyo harema naki wo, Daisyau ha, itohosi to omohi atukahi kikoye te,
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4.1.2 |
「 この参りたまはむと ★ありしことも、絶え切れて、 妨げきこえつるを、内裏にも、なめく心ある さまに聞こしめし、 人びとも思すところあらむ。公人を頼みたる人はなくやはある」
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「あの参内なさる予定であったことも、沙汰止みになって、お妨げ申したのを、帝におかせられても、快からず何か含むところがあるようにお聞きあそばし、方々もお考えになるところがあるだろう。宮仕えの女性を妻にしている男もいないではないが」
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尚侍として宮中へ出ることをこれまでは反対をし続けたのであるが、陛下がこの態度を無礼であると思召すふうもあるし、両大臣もいったん思い立ったことであるから、自分らとしていえば公職を持つ女の良人である人も世間にあることであり、構わないことと考えて宮中へ出仕することに賛成する
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"Kono mawiri tamaha m to ari si koto mo, taye kire te, samatage kikoye turu wo, Uti ni mo, nameku kokoro aru sama ni kikosimesi, hitobito mo obosu tokoro ara m. Ohoyakebito wo tanomi taru hito ha naku yaha aru."
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4.1.3 |
と思ひ返して、年返りて、参らせたてまつりたまふ。 男踏歌ありければ、やがてそのほどに、 儀式いといまめかしく、二なくて参りたまふ。
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と思い返して、年が改まってから、参内させ申し上げなさる。男踏歌があったので、ちょうどその折に、参内の儀式をたいそう立派に、この上なく整えて参内なさる。
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と言い出したので、春になっていよいよ尚侍の出仕のことが実現された。男踏歌があったので、それを機会として玉鬘は御所へ参ったのである。すべての儀式が派手に行なわれた。
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to omohikahesi te, tosi kaheri te, mawira se tatematuri tamahu. WotokoTahuka ari kere ba, yagate sono hodo ni, gisiki ito imamekasiku, ni naku te mawiri tamahu.
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4.1.4 |
かたがたの大臣たち、この大将の御勢ひさへさしあひ、 宰相中将、ねむごろに心しらひきこえたまふ。 兄弟の君達も、かかる折にと集ひ、追従し寄りて、かしづきたまふさま、いとめでたし。
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お二方の大臣たち、この大将のご威勢までが加わり、宰相中将、熱心に気を配ってお世話申し上げなさる。兄弟の公達も、このような機会にと集まって、ご機嫌を取りに近づいて、大事になさる様子、たいそう素晴らしい。
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二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢いが添ったのであるから、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしていた。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うらやましいほどにぎわしかった。
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Katagata no Otodo-tati, kono Daisyau no ohom-ikihohi sahe sasiahi, Saisyau-no-Tyuuzyau, nemgoro ni kokoro sirahi kikoye tamahu. Seuto no Kimi-tati mo, kakaru wori ni to tudohi, tuiseu si yori te, kasiduki tamahu sama, ito medetasi.
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4.1.5 |
承香殿の東面に御局したり。 西に宮の女御はおはしければ、 馬道ばかりの隔てなるに、御心のうちは、遥かに隔たりけむかし。 御方々、いづれとなく挑み交はしたまひて、内裏わたり、心にくくをかしきころほひなり。ことに乱りがはしき更衣たち、あまたもさぶらひたまはず。
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承香殿の東面にお局を設けてある。西に宮の女御がいらしたので、馬道だけの間隔であるが、お心の中は、遠く離れていらっしゃったであろう。御方々は、どの方となく競争なさい合って、宮中では、奥ゆかしくはなやいだ時分である。格別家柄の劣った更衣たち、多くも伺候なさっていない。
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承香殿の東のほう一帯が尚侍の曹司にあてられてあった。西のほう一帯には式部卿の宮の王女御がいるのである。一つの中廊下だけが隔てになっていても、二人の女性の気持ちははるかに遠く離れていたことであろうと思われる。後宮の人たちは競い合って、ますます宮廷を洗練されたものにしていくようなはなやかな時代であった。あまりよい身分でない更衣などは多くも出ていなかった。
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Syaukyauden no himgasi-omote ni mi-tubone si tari. Nisi ni Miya-no-Nyougo ha ohasi kere ba, medau bakari no hedate naru ni, mi-kokoro no uti ha, harukani hedatari kem kasi. Ohom-katagata, idure to naku idomi kahasi tamahi te, Uti watari, kokoronikuku wokasiki korohohi nari. Koto ni midarigahasiki Kaui-tati, amata mo saburahi tamaha zu.
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4.1.6 |
中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、 左の大殿の女御などさぶらひたまふ。さては、 中納言、宰相の御女二人ばかりぞさぶらひたまひける。
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中宮、弘徽殿女御、この宮の王女御、左大臣の女御などが伺候していらっしゃる。その他には、中納言、宰相の御息女が二人ほどが伺候していらっしゃるのであった。
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中宮、弘徽殿の女御、この王女御、左大臣の娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍していた。
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Tiuguu, Kokiden-no-Nyougo, kono Miya-no-Nyougo, Hidari-no-Ohotono no Nyougo nado saburahi tamahu. Sateha, Tyuunagon, Saisyau no ohom-Musume hutari bakari zo saburahi tamahi keru.
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4.2 |
第二段 男踏歌、貴顕の邸を回る
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4-2 Otoko-tohka goes round one after another noble residence in Kyoto
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4.2.1 |
踏歌は、方々に里人参り、さまことに、けに にぎははしき見物なれば、誰も誰もきよらを尽くし、袖口の重なり、こちたくめでたくととのへたまふ。 春宮の女御も、いとはなやかにもてなしたまひて、 宮は、まだ若くおはしませど、すべていと今めかし。
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踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違って、ことに賑やかな見物なので、どなたもどなたも綺羅を尽くし、袖口の色の重なり、うるさいほど立派に整えていらっしゃる。春宮の女御も、たいそう華やかになさって、春宮は、まだお若くいらっしゃるが、すべての面でたいそう風流である。
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踏歌は女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちでもおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢を競った。東宮の母君の女御も人に負けぬ派手な方であった。東宮はまだ御幼年であったから、そのほうの中心は母君の女御であった。
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Tahuka ha, katagata ni satobito mawiri, sama koto ni, keni nigihahasiki mimono nare ba, tare mo tare mo kiyora wo tukusi, sodeguti no kasanari, kotitaku medetaku totonohe tamahu. Touguu-no-Nyougo mo, ito hanayaka ni motenasi tamahi te, Miya ha, mada wakaku ohasimase do, subete ito imamekasi.
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4.2.2 |
御前、中宮の御方、朱雀院とに参りて、夜いたう更けにければ、 六条の院には、このたびは所狭しとはぶきたまふ ★。朱雀院より帰り参りて、春宮の御方々めぐるほどに、夜明けぬ。
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帝の御前、中宮の御方、朱雀院と参って、夜がたいそう更けてしまったので、六条院には、今回は仰々しいのでとお取り止めになる。朱雀院から帰参して、春宮の御方々を回るうちに、夜が明けた。
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御前、中宮、朱雀院へまわるのに夜が更けるために、今度は六条院へ寄ることを源氏が辞退してあった。朱雀院から引き返して、東宮の御殿を二か所まわったころに夜が明けた。
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Omahe, Tyuuguu no Ohom-kata, Syuzakuwin to ni mawiri te, yo itau huke ni kere ba, Rokudeu-no-win ni ha, kono tabi ha tokorosesi to habuki tamahu. Syuzakuwin yori kaheri mawiri te, Touguu no Ohom-katagata meguru hodo ni, yo ake nu.
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4.2.3 |
ほのぼのとをかしき朝ぼらけに、いたく酔ひ乱れたるさまして、「 竹河」謡ひ けるほどを見れば、内の大殿の君達は、四、五人ばかり、殿上人のなかに、声すぐれ、容貌きよげにて、うち続きたまへる、 いとめでたし。
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ほのぼのと美しい夜明けに、たいそう酔い乱れた恰好をして、「竹河」を謡っているところを見ると、内大臣家の御子息が、四、五人ほど、殿上人の中で、声が優れ、器量も美しくて、うち揃っていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。
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ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「竹河」を歌っている中に、内大臣の子息たちが四、五人もいた。それはことに声がよく容貌がそろってすぐれていた。
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Honobono to wokasiki asaborake ni, itaku wehi midare taru sama si te, takekaha utahi keru hodo wo mire ba, Uti no Ohotono no Kimdati ha, si, go-nin bakari, Tenzyaubito no naka ni, kowe sugure, katati kiyoge nite, uti-tuduki tamahe ru, ito medetasi.
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4.2.4 |
童なる八郎君は、むかひ腹にて、いみじうかしづきたまふが、いとうつくしうて、 大将殿の太郎君と 立ち並みたるを、 尚侍の君も、よそ人と見たまはねば、御目とまりけり。やむごとなくまじらひ馴れたまへる御方々よりも、 この御局の袖口、おほかたのけはひ今めかしう、同じものの色あひ、襲なりなれど、ものよりことにはなやかなり。
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殿上童の八郎君は、正妻腹の子で、たいそう大切になさっているのが、とてもかわいらしくて、大将殿の太郎君と立ち並んでいるのを、尚侍の君も、他人とはお思いにならないので、お目が止まった。高貴な身分で長く宮仕えしていらっしゃる方々よりも、この御局の袖口は、全体の感じが今風で、同じ衣装の色合い、襲なりであるが、他の所より格別華やかである。
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童形である八郎君は正妻から生まれた子で、非常に大事がられているのであったが、愛らしかった。大将の長男と並んでいるこの二人を尚侍も他人とは思えないで目がとどめられた。宮中の生活に馴れた女御たちの曹司よりも、新しい尚侍の見物する御殿の様子のほうがはなやかで、同じような物ではあるが、女房の袖口の重ねの色目も、ここのがすぐれたように公達は思った。
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Waraha naru Hatirau-Gimi ha, mukahibara nite, imiziu kasiduki tamahu ga, ito utukusiu te, Daisyau-dono no Tarau-Gimi to tatinami taru wo, Kam-no-Kimi mo, yosobito to mi tamaha ne ba, ohom-me tomari keri. Yamgotonaku mazirahi nare tamahe ru ohom-katagata yori mo, kono mi-tubone no sodeguti, ohokata no kehahi imamekasiu, onazi mono no iroahi, kasanari nare do, mono yori koto ni hanayaka nari.
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4.2.5 |
正身も女房たちも、かやうに御心やりて、しばしは過ぐいたまはまし、と思ひあへり。
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ご本人も女房たちも、このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら、と思い合っていた。
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尚侍自身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活をしばらくは続けてみたいと思っていた。
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Sauzimi mo nyoubau-tati mo, kayau ni mi-kokoro yari te, sibasi ha sugui tamaha masi, to omohi aheri.
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4.2.6 |
皆同じごと、かづけわたす綿のさまも、匂ひ香ことにらうらうじうしないたまひて、 こなたは 水駅なりけれど、けはひにぎははしく、 人びと心懸想しそして、限りある御饗などのことどもも、したるさま、ことに用意ありてなむ、 大将殿せさせたまへりける。
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どこでも同じように、肩にお被けになる綿の様子も、色艶も格別に洗練なさって、こちらは水駅であったが、様子が賑やかで、女房たちが心づかいし過ぎるほどで、一定の作法通りの御饗応など、用意がしてある様子は、特別に気を配って、大将殿がおさせになったのであった。
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どちらでも纏頭に出すのは定った真綿であるが、それらなどにも尚侍のほうのはおもしろい意匠が加えられてあった。こちらはちょっと寄るだけの所なのであるが、はなやかな空気のうかがわれる曹司であったから、公達は晴れがましく思い、緊張した踏歌をした。饗応の法則は越えないようにして、ことに手厚く演者はねぎらわれたのであった。それは大将の計らいであった。
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Mina onazigoto, kaduke watasu wata no sama mo, nihohi ka koto ni raurauziu si nai tamahi te, konata ha midumumaya nari kere do, kehahi nigihahasiku, hitobito kokorogesau sisosi te, kagiri aru mi-aruzi nado no koto-domo mo, si taru sama, kotoni youi ari te nam, Daisyau-dono se sase tamahe ri keru.
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4.3 |
第三段 玉鬘の宮中生活
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4-3 Tamakazura's life of the imperial Court
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4.3.1 |
宿直所にゐたまひて、 日一日、聞こえ暮らしたまふことは、
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宿直所にいらっしゃって、一日中、申し上げなさることは、
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大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、
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Tonowidokoro ni wi tamahi te, hi-hitohi, kikoye kurasi tamahu koto ha,
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4.3.2 |
「 夜さり、まかでさせたてまつりてむ。 かかるついでにと、思し移るらむ御宮仕へなむ、やすからぬ」
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「夜になったら、ご退出おさせ申そう。このような機会にと、急にお考えが変わる宮仕えは安心でない」
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退出を今夜のことにしたいと思います。出仕した以上はなおとどまっていたいと、あなたが考えるであろう宮仕えというものは、私にとって苦痛です。
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"Yosari, makade sase tatematuri te m. Kakaru tuide ni to, obosi uturu ram ohom-miyadukahe nam, yasukara nu."
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4.3.3 |
とのみ、同じことを責めきこえたまへど、御返りなし。さぶらふ人びとぞ、
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とばかり、同じことをご催促申し上げなさるが、お返事はない。伺候している女房たちが、
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こんなことばかりを書いて送るのであったが、玉鬘は何とも返事を書かない。女房たちから、
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to nomi, onazi koto wo seme kikoye tamahe do, ohom-kaheri nasi. Saburahu hitobito zo,
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4.3.4 |
「 大臣の、『心あわたたしきほどならで、まれまれの御参りなれば、 御心ゆかせたまふばかり。許されありてを、まかでさせたまへ』と、聞こえさせたまひしかば、今宵は、あまりすがすがしうや」
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「大臣が、『急いで退出することなく、めったにない参内なので、ご満足あそばされるくらいに。お許しがあってから、退出なさるよう』と、申し上げていらしたので、今夜は、あまりにも急すぎませんか」
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源氏の大臣が、あまり短時日でなく、たまたま上がったのであるから、陛下がもう帰ってもよいと仰せになるまで上がっていて帰るようにとおっしゃいましたことですから。それに今晩とはあまり御無愛想なことになりませんかと私たちは存じます。
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"Otodo no, 'Kokoro awatatasiki hodo nara de, mare mare no ohom-mawiri nare ba, mi-kokoro yuka se tamahu bakari. Yurusa re ari te wo, makade sase tamahe.' to, kikoye sase tamahi sika ba, koyohi ha, amari sugasugasiu ya!"
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4.3.5 |
と聞こえたるを、 いとつらしと思ひて、
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と申し上げたのを、たいそうつらく思って、
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と大将の所へ書いて来た。大将は尚侍を恨めしがって、
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to kikoye taru wo, ito turasi to omohi te,
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4.3.6 |
「 さばかり聞こえしものを、さも心にかなはぬ世かな」
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「あれほど申し上げたのに、何とも思い通りに行かない夫婦仲だなあ」
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「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」
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"Sabakari kikoye si mono wo, samo kokoro ni kanaha nu yo kana!"
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4.3.7 |
とうち嘆きてゐたまへり。
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とお嘆きになっていらっしゃった。
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と歎息をしていた。
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to uti-nageki te wi tamahe ri.
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4.3.8 |
兵部卿宮、御前の御遊びにさぶらひたまひて、静心なく、この御局のあたり思ひやられたまへば、念じあまりて聞こえたまへり。 大将は、司の御曹司にぞおはしける。「 これより」とて取り入れたれば、 しぶしぶに見たまふ。
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兵部卿宮、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても、気が落ち着かず、このお局あたりを思わずにはいらっしゃれないので、堪えきれずにお便りを申し上げなさった。大将は、近衛府の御曹司にいらっしゃる時であった。「そこから」と言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。
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兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自身の直廬のほうにいたのである。宮の御消息であるといって使いから女房が渡されたものを、尚侍はしぶしぶ読んだ。
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Hyaubukyau-no-Miya, gozen no ohom-asobi ni saburahi tamahi te, sidukokoro naku, kono mi-tubone no atari omohiyara re tamahe ba, nenzi amari te kikoye tamahe ri. Daisyau ha, Tukasa no mi-zausi ni zo ohasi keru. "Kore yori." tote tori ire tare ba, sibusibu ni mi tamahu.
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4.3.9 |
「 深山木に羽うち交はしゐる鳥の またなくねたき春にもあるかな |
「深山木と仲よくしていらっしゃる鳥が またなく疎ましく思われる春ですねえ |
深山木に翅うち交はしゐる鳥の またなく妬き春にもあるかな |
"Miyamagi ni hane uti-kahasi wiru tori no mata naku netaki haru ni mo aru kana |
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4.3.10 |
さへづる声も耳とどめられてなむ ★」
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鳥の囀る声が耳に止まりまして」
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さえずる声にも耳がとどめられてなりません。
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Saheduru kowe mo mimi todome rare te nam."
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4.3.11 |
とあり。いとほしう、面赤みて、聞こえむかたなく思ひゐたまへるに、 主上渡らせたまふ。
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とある。お気の毒に思って、顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。
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とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へ帝がおいでになった。
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to ari. Itohosiu, omote akami te, kikoye m kata naku omohi wi tamahe ru ni, Uhe watara se tamahu.
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出典3 |
さへづる声も |
百千鳥さへづる春は物ごとに改まれども我ぞ古り行く |
古今集春上-二八 読人しらず |
4.3.10 |
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4.4 |
第四段 帝、玉鬘のもとを訪う
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4-4 Mikado visits to Tamakazura's room
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4.4.1 |
月の明かきに、御容貌はいふよしなくきよらにて、 ただ、かの大臣の御けはひに違ふところなくおはします。「 かかる人はまたもおはしけり」と、 見たてまつりたまふ。 かの御心ばへは浅からぬも、うたてもの思ひ加はりしを、これは、 などかはさしもおぼえさせたまはむ。 いとなつかしげに、 思ひしことの違ひにたる怨みをのたまはするに、 面おかむかたなくぞおぼえたまふや。顔をもて隠して、 御応へもえ聞こえたまはねば、
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月が明るいので、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まるで、あの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、拝見なさる。あの方のお気持ちは浅くはないが、嫌な物思いをしたけれど、こちらは、どうしてそのように思わせなさろう。たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もないほどにお思いなさるよ。顔を袖で隠して、お返事も申し上げなさらないので、
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明るい月の光にお美しい竜顔がよく拝された。源氏の顔をただそのまま写したようで、こうしたお顔がもう一つあったのかというような気が玉鬘にされるのであった。源氏の愛は深かったがこの人が受け入れるのに障害になるものがあまりに多かった。帝との間にはそうしたものはないのである。帝はなつかしい御様子で、お志であったことが違ってしまったという恨みをお告げになるのであったが、尚侍は恥ずかしくて顔の置き場もない気がした。顔を隠して、お返辞もできないでいると、
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Tuki no akaki ni, ohom-katati ha ihu yosi naku kiyora nite, tada, kano Otodo no ohom-kehahi ni tagahu tokoro naku ohasimasu. "Kakaru hito ha mata mo ohasi keri!" to, mi tatematuri tamahu. Kano mi-kokorobahe ha asakara nu mo, utate monoomohi kuhahari si wo, kore ha, nadokaha sasimo oboye sase tamaha m? Ito natukasige ni, omohi si koto no tagahi ni taru urami wo notamaha suru ni, omote oka m kata naku zo oboye tamahu ya! Kaho wo mote-kakusi te, ohom-irahe mo e kikoye tamaha ne ba,
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4.4.2 |
「 あやしうおぼつかなきわざかな。 よろこびなども、思ひ知りたまはむと思ふことあるを、聞き入れたまはぬさまにのみあるは、かかる御癖なりけり」
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「妙に黙っていらっしゃるのですね。昇進なども、ご存知であろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性格なのですね」
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「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのですね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」
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"Ayasiu obotukanaki waza kana! Yorokobi nado mo, omohi siri tamaha m to omohu koto aru wo, kiki ire tamaha nu sama ni nomi aru ha, kakaru ohom-kuse nari keri!"
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4.4.3 |
とのたまはせて、
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と仰せになって、
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と仰せになって、
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to notamaha se te,
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4.4.4 |
「 などてかく灰あひがたき紫を 心に深く思ひそめけむ |
「どうしてこう一緒になりがたいあなたを 深く思い染めてしまったのでしょう |
「などてかくはひ合ひがたき紫を 心に深く思ひ初めけん
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"Nadote kaku hahi ahi gataki murasaki wo kokoro ni hukaku omohi some kem |
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4.4.5 |
濃くなり果つまじきにや」
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これ以上深くはなれないのでしょうか」
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濃くはなれない運命だろうか」
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Koku nari hatu maziki ni ya?"
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4.4.6 |
と仰せらるるさま、いと若くきよらに恥づかしきを、「 違ひたまへるところやある」と思ひ慰めて、聞こえたまふ。 宮仕への労もなくて、今年、加階したまへる心にや。
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と仰せになる様子、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいので、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。
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若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、三位に玉鬘を陞叙されたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。
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to ohose raruru sama, ito wakaku kiyora ni hadukasiki wo, "Tagahi tamahe ru tokoro ya aru?" to omohi nagusame te, kikoye tamahu. Miyadukahe no rau mo naku te, kotosi, kakai si tamahe ru kokoro ni ya?
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4.4.7 |
「 いかならむ色とも知らぬ紫を 心してこそ人は染めけれ |
「どのようなお気持ちからとも存じませんでした この紫の色は、深いお情けから下さったものなのですね |
「いかならん色とも知らぬ紫を 心してこそ人はそめけれ
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"Ika nara m iro to mo sira nu murasaki wo kokoro si te koso hito ha some kere |
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4.4.8 |
今よりなむ思ひたまへ知るべき」
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ただ今からはそのように存じましょう」
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ただ今から改めて御恩を思います」
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Ima yori nam omohi tamahe siru beki."
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4.4.9 |
と聞こえたまへば、うち笑みて、
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と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、
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と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、
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to kikoye tamahe ba, uti-wemi te,
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4.4.10 |
「 その、今より染めたまはむこそ、かひなかべいことなれ。 愁ふべき人あらば、ことわり聞かまほしくなむ」
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「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」
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「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きたい。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」
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"Sono, ima yori some tamaha m koso, kahi naka' bei koto nare. Urehu beki hito ara ba, kotowari kika mahosiku nam."
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4.4.11 |
と、いたう怨みさせたまふ御けしきの、まめやかにわづらはしければ、「 いとうたてもあるかな」とおぼえて、「 をかしきさまをも見えたてまつらじ、むつかしき 世の癖なりけり」と思ふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思すさまなる乱れごともうち出でさせたまはで、「 やうやうこそは目馴れめ」と 思しけり。
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と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても嫌だわ」と思われて、「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって伺候していらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。
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と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに思召すらしいのであったから、尚侍は困ったことであると思った。自分が陛下の愛に感激しているほんとうの気持ちなどはお見せすべきでない。帝といえども男性に共通した弱点は持っておいでになるのであるからと考えて、玉鬘はただきまじめなふうで黙って侍していた。帝はもう少し突込んだ恋の話もしたく思召してここへおいでになったのであるが、それがお言い出せにならないで、そのうち馴れてくるであろうからと見ておいでになった。
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to, itau urami sase tamahu mi-kesiki no, mameyaka ni wadurahasikere ba, "Ito utate mo aru kana!" to oboye te, "Wokasiki sama wo mo miye tatematura zi, mutukasiki yo no kuse nari keri." to omohu ni, mamedati te saburahi tamahe ba, e obosu sama naru midare goto mo uti-ide sase tamaha de, "Yauyau koso ha menare me." to obosi keri.
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4.5 |
第五段 玉鬘、帝と和歌を詠み交す
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4-5 Tamakazura and Mikado compose and exchange waka
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4.5.1 |
大将は、かく渡らせたまへるを聞きたまひて、いとど静心なければ、急ぎまどはしたまふ。 みづからも、「 似げなきことも出で来ぬべき身なりけり」と心憂きに、えのどめたまはず、まかでさせたまふべきさま、つきづきしきことづけども作り出でて、 父大臣など、かしこくたばかりたまひてなむ、御暇許されたまひける。
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大将は、このようにお越しあそばしたのをお聞きになって、ますます心が落ち着かないので、急いでせき立てなさる。ご自身も、「身分不相応なことも出て来かねない身の上だなあ」と情けなく思うので、落ち着いていらっしゃれず、退出させなさる段取り、もっともらしい口実を作り出して、父大臣など、うまく取り繕いなさって、御退出を許されなさったのであった。
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大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることがいよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実も作って実父の大臣を上手に賛成させ、いろいろと策動した結果、ようやく今夜退出する勅許を得た。
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Daisyau ha, kaku watara se tamahe ru wo kiki tamahi te, itodo sidukokoro nakere ba, isogi madohasi tamahu. Midukara mo, "Nigenaki koto mo ideki nu beki mi nari keri." to kokorouki ni, e nodome tamaha zu, makade sase tamahu beki sama, tukidukisiki kotoduke-domo tukuri ide te, titi-Otodo nado, kasikoku tabakari tamahi te nam, ohom-itoma yurusa re tamahi keru.
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4.5.2 |
「 さらば。 物懲りして、また出だし立てぬ人 もぞある。いとこそ からけれ。人より先に進みにし心ざしの、 人に後れて、けしき取り従ふよ。 昔のなにがしが例も、引き出でつべき心地なむする」
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「それでは。これに懲りて、二度と出仕をさせない人があっては困る。たいそうつらい。誰より先に望んだ気持ちが、人に先を越されて、その人の御機嫌を伺うことよ。昔の誰それの例も、持ち出したい気がします」
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「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてくれない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の機嫌をとるというようなことをしている。昔の何とかいった男(時平に妻を奪われた平貞文の歌、昔せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残なるらん)のように、まったく悲観的な気持ちになりますよ」
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"Saraba. Monogori si te, mata idasi tate nu hito mo zo aru. Ito koso karakere. Hito yori saki ni susumi ni si kokorozasi no, hito ni okure te, kesiki tori sitagahu yo! Mukasi no nanigasi ga tamesi mo, hikiide tu beki kokoti nam suru."
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4.5.3 |
とて、まことにいと口惜しと思し召したり。
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と仰せになって、ほんとうに残念だとお思いあそばしていらっしゃった。
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と仰せになって、真底からくやしいふうをお見せになった。
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tote, makoto ni ito kutiwosi to obosimesi tari.
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4.5.4 |
聞こし召ししにも、こよなき近まさりを、はじめより さる御心なからむにてだにも、御覧じ過ぐすまじきを、まいていとねたう、飽かず思さる。
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お聞きあそばしていた時よりも、格段に実際に素晴らしいのを、初めからそのような気持ちがないにせよ、お見逃しになれないだろうに、なおさらたいそう悔しく、残念にお思いなさる。
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聞こし召したのに数倍した美貌の持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人を御覧になっては公職の尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでもなかったのであったから、帝は妬ましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。
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Kikosimesi si ni mo, koyonaki tikamasari wo, hazime yori saru mi-kokoro nakara m nite dani mo, goranzi sugusu maziki wo, maite ito netau, aka zu obosa ru.
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4.5.5 |
されど、ひたぶるに浅き方に、思ひ疎まれじとて、いみじう心深きさまにのたまひ契りて、なつけたまふも、かたじけなう、「 われは、われ、と思ふものを」と思す。
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けれども、まったく出来心からと、疎んじられまいとして、たいそう愛情深い程度にお約束なさって、親しみなさるのも、恐れ多く、「わたしは、わたしだわ、と思っているのに」とお思いになる。
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こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人にことごとく与えているものでないのにと玉鬘は思っていた。
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Saredo, hitaburu ni asaki kata ni, omohi utoma re zi tote, imiziu kokorobukaki sama ni notamahi tigiri te, natuke tamahu mo, katazikenau, "Ware ha, ware, to omohu mono wo." to obosu.
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4.5.6 |
御輦車寄せて、 こなた、かなたの、御かしづき人ども心もとながり、大将も、いとものむつかしうたち添ひ、騷ぎたまふまで、 えおはしまし離れず。
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御輦車を寄せて、こちら方、あちら方の、お世話役の人々が待ち遠しがって、大将も、たいそううるさいほどお側を離れず、世話をお焼きになる時まで、お離れあそばされない。
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輦車が寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をしながら、人々へ指図をするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになることができなかった。
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Ohom-teguruma yose te, konata, kanata no, ohom-kasidukibito-domo kokoromotonagari, Daisyau mo, ito mono-mutukasiu tatisohi, sawagi tamahu made, e ohasimasi hanare zu.
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4.5.7 |
「 かういと厳しき近き守りこそむつかしけれ」
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「こんなに厳重な付ききりの警護は不愉快だ」
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「近衛過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
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"Kau ito kibisiki tikaki mamori koso mutukasikere."
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4.5.8 |
と憎ませたまふ。
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とお憎みあそばす。
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と帝はお憎みになった。
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to nikuma se tamahu.
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4.5.9 |
「 九重に霞隔てば梅の花 ただ香ばかりも匂ひ来じとや」 |
「幾重にも霞が隔てたならば、梅の花の香は 宮中まで匂って来ないのだろうか」 |
九重に霞隔てば梅の花 ただかばかりも匂ひこじとや
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"Kokonohe ni kasumi hedate ba mume no hana tada ka bakari mo nihohi ko zi to ya |
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4.5.10 |
殊なることなきことなれども、御ありさま、けはひを見たてまつるほどは、をかしくもやありけむ。
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格別どうという歌ではないが、ご様子、物腰を拝見している時は、結構に思われたのであろうか。
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何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。
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Koto naru koto naki koto nare domo, ohom-arisama, kehahi wo mi tatematuru hodo ha, wokasiku mo ya ari kem?
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4.5.11 |
「 ▼ 野をなつかしみ、明かいつべき夜を、 惜しむべかめる人も、 身をつみて心苦しうなむ。いかでか聞こゆべき」
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「野原が懐かしいので、このまま夜明かしをしたいが、そうさせたくないでいる人が、自分の身につまされて気の毒に思う。どのようにお便りしたらよいものか」
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「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
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"No wo natukasimi, akai tu beki yo wo, wosimu beka' meru hito mo, mi wo tumi te kokorogurusiu nam. Ikadeka kikoyu beki?"
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4.5.12 |
と思し悩むも、「 いとかたじけなし」と、見たてまつる。
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とお悩みあそばすのも、「まことに恐れ多いこと」と、拝する。
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と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。
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to obosi nayamu mo, "Ito katazikenasi." to, mi tatematuru.
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4.5.13 |
「 香ばかりは風にもつてよ花の枝に 立ち並ぶべき匂ひなくとも」 |
「香りだけは風におことづけください 美しい花の枝に並ぶべくもないわたしですが」 |
かばかりは風にもつてよ花の枝に 立ち並ぶべき匂ひなくとも
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"Kabakari ha kaze ni mo tute yo hana no e ni tati-narabu beki nihohi naku tomo |
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4.5.14 |
さすがにかけ離れぬけはひを、 あはれと思しつつ、返り見がちにて 渡らせたまひぬ。
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やはり冷たく扱われない様子を、しみじみとお思いになりながら、振り返りがちにお帰りあそばした。
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と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。
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Sasuga ni kake-hanare nu kehahi wo, ahare to obosi tutu, kaherimi-gati nite watara se tamahi nu.
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出典4 |
野をなつかしみ |
春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける |
古今六帖六-三九一六 |
4.5.11 |
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4.6 |
第六段 玉鬘、鬚黒邸に退出
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4-6 Tamakazura goes back to Higekuro's residence
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4.6.1 |
やがて今宵、かの殿にと思しまうけたるを、 かねては許されあるまじきにより、漏らしきこえたまはで、
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そのまま今夜、あの邸にとお考えになっていたが、前もってはお許しが出ないだろうから、打ち明け申されずに、
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すぐに大将は自邸へ玉鬘を伴おうと思っているのであるが、初めから言っては源氏の同意が得られないのを知って、この時までは言わずに、突然、
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Yagate koyohi, kano tono ni to obosi mauke taru wo, kane te ha yurusa re aru maziki ni yori, morasi kikoye tamaha de,
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4.6.2 |
「 にはかにいと乱り風邪の悩ましきを、心やすき所にうち休みはべらむほど、よそよそにてはいとおぼつかなくはべらむを」
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「急にたいそう風邪で気分が悪くなったものですから、気楽な所で休ませます間、よそに離れていてはたいそう不安でございますから」
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「にわかに風邪気味になりまして、自宅で養生をしたく存じますが、別々になりましては妻も気がかりでございましょうから」
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"Nihaka ni ito midari kaze no nayamasiki wo, kokoroyasuki tokoro ni uti-yasumi habera m hodo, yoso yoso nite ha ito obotukanaku habera m wo."
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4.6.3 |
と、おいらかに 申しないたまひて、 やがて渡したてまつりたまふ。
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と、穏やかに申し上げなさって、そのままお移し申し上げなさる。
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と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま尚侍をつれて帰ったのであった。
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to, oiraka ni mausi nai tamahi te, yagate watasi tatematuri tamahu.
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4.6.4 |
父大臣、にはかなるを、「 儀式なきやうにや」と思せど、「あながちに、さばかりのことを言ひ妨げむも、人の心おくべし」と思せば、
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父内大臣は、急なことで、「格式が欠けるようではないか」とお思いになるが、「強引に、そのくらいのことで反対するのも、気を悪くするだろう」とお思いになると、
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内大臣は婚家へ娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の大将の感情を害することになろうと思って、
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Titi-Otodo, nihaka naru wo, "Gisiki naki yau ni ya?" to obose do, "Anagati ni, sabakari no koto wo ihi samatage m mo, hito no kokorooku besi." to obose ba,
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4.6.5 |
「 ともかくも。もとより進退ならぬ人の御ことなれば」
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「どのようにでも。もともとわたしの自由にならないお方のことだから」
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「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」
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"Tomokakumo. Moto yori sintai nara nu hito no ohom-koto nare ba."
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4.6.6 |
とぞ、聞こえたまひける。
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と、申し上げなさるのであった。
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という返事を内大臣はした。
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to zo, kikoye tamahi keru.
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4.6.7 |
六条殿ぞ、「いとゆくりなく本意なし」と思せど、 などかはあらむ。女も、 塩やく煙のなびきけるかたを ★、あさましと思せど、 盗みもて行きたらましと思しなずらへて、いとうれしく心地おちゐぬ。
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六条殿は、「あまりに急で不本意だ」とお思いになるが、どうしようもない。女も、思ってもみなかった身の上を、情けないとお思いになるが、盗んで来たらと、たいそう嬉しく安心した。
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源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無理なことのようである。玉鬘も心にない良人を持ったことは苦しいと思いながらも、盗んで行かれたのであればあきらめるほかはないという気になって、大将家へ来たことではじめて心が落ち着いてうれしかった。
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Rokudeu-dono zo, "Ito yukurinaku hoi nasi." to obose do, nadokaha ara m? Womna mo, siho yaku keburi no nabiki keru kata wo, asamasi to obose do, nusumi mote yuki tara masi to obosi nazurahe te, ito uresiku kokoti oti wi nu.
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4.6.8 |
かの、入りゐさせたまへりしことを、いみじう 怨じきこえさせたまふも、 心づきなく、 なほなほしき心地して、 世には心解けぬ御もてなし、いよいよけしき悪し。
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あの、お入りあそばしたことを、たいそう嫉妬申し上げなさるのも、不愉快で、やはりつまらない人のような気がして、夫婦仲は疎々しい態度で、ますます機嫌が悪い。
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帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に嫉妬していろいろなことを言うのも、凡人らしく思われて、良人を愛することのできない玉鬘の機嫌はますます悪かった。
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Kano, iri wi sase tamahe ri si koto wo, imiziu wenzi kikoye sase tamahu mo, kokorodukinaku, nahonahosiki kokoti si te, yo ni ha kokorotoke nu ohom-motenasi, iyoiyo kesiki asi.
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4.6.9 |
かの宮にも、さこそたけうのたまひしか、いみじう思しわぶれど、 絶えて訪れず。ただ思ふことかなひぬる御かしづきに、明け暮れ いとなみて過ぐしたまふ。
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あの宮家でも、あのようにきつくおっしゃったが、たいそう後悔なさっているが、まったく音沙汰もない。ただ念願が叶ったお世話で、毎日いそしんでお過ごしになる。
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式部卿の宮もあのように強い態度をおとりになったものの、大将がそれきりにしておくことで煩悶をしておいでになった。大将はもう交渉することを断念したふうである。一方では理想が実現された気になって、明け暮れ玉鬘をかしずくことに心をつかっていた。
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Kano Miya ni mo, sakoso takeu notamahi sika, imiziu obosi wabure do, tayete otodure zu. Tada omohu koto kanahi nuru ohom-kasiduki ni, akekure itonami te sugusi tamahu.
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出典5 |
塩やく煙の |
須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり |
古今集恋四-七〇八 読人しらず |
4.6.7 |
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4.7 |
第七段 二月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る
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4-7 Genji sends a letter to Tamakazura in February
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4.7.1 |
二月にもなりぬ。大殿は、
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二月になった。大殿は、
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二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。
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Kisaragi ni mo nari nu. OhoTono ha,
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4.7.2 |
「 さても、つれなきわざなりや。いとかう 際々しうとしも思はで、 たゆめられたるねたさを」、人悪ろく、すべて御心にかからぬ折なく、 恋しう思ひ出でられたまふ。
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「それにしても、無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」、と、体裁悪く、何から何までお気にならない時とてなく、恋しく思い出さずにはいらっしゃれない。
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これほどはっきりと玉鬘を自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。
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"Sate mo, turenaki waza nari ya! Ito kau kihagihasiu to simo omoha de, tayume rare taru netasa wo", Hitowaroku, subete mi-kokoro ni kakara nu wori naku, kohisiu omohiide rare tamahu.
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4.7.3 |
「 宿世などいふもの、おろかならぬことなれど、 わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし」
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「運命などと言うのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように誰のせいでもなく物思いをするのだ」
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宿縁は無視できないものであっても、自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのである
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"Sukuse nado ihu mono, oroka nara nu koto nare do, waga amari naru kokoro nite, kaku hitoyari nara nu mono ha omohu zo kasi."
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4.7.4 |
と、起き臥し 面影にぞ見えたまふ。
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と、寝ても起きても幻のようにまぶたにお見えになる。
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と、日夜面影にその人を見ていた。
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to, okihusi omokage ni zo miye tamahu.
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4.7.5 |
大将の、をかしやかに、わららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯れごともつつましう、あいなく思されて、念じたまふを、 雨いたう降りて、いとのどやかなるころ、かやうのつれづれも 紛らはし所に渡りたまひて、 語らひたまひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文たてまつりたまふ。
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大将のような、趣味も、愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮されつまらなく思われなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降って、とてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所にお行きになって、お話しになったことなどが、たいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。
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風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにして今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。
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Daisyau no, wokasiyaka ni, wararaka naru ke mo naki hito ni sohi wi tara m ni, hakanaki tahaburegoto mo tutumasiu, ainaku obosa re te, nenzi tamahu wo, ame itau huri te, ito nodoyaka naru koro, kayau no turedure mo magirahasi dokoro ni watari tamahi te, katarahi tamahi si sama nado no, imiziu kohisikere ba, ohom-humi tatematuri tamahu.
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4.7.6 |
右近がもとに忍びて遣はすも、かつは、 思はむことを思すに、何ごともえ続けたまはで、ただ思はせたることども ぞありける。
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右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。
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右近の所へそっとその手紙は送られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思うことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。
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Ukon ga moto ni sinobi te tukahasu mo, katuha, omoha m koto wo obosu ni, nanigoto mo e tuduke tamaha de, tada omoha se taru koto-domo zo ari keru.
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4.7.7 |
「 かきたれてのどけきころの春雨に ふるさと人をいかに偲ぶや |
「降りこめられてのどやかな春雨のころ 昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか |
かきたれてのどけきころの春雨に ふるさと人をいかに忍ぶや
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"Kakitare te nodokeki koro no harusame ni hurusatobito wo ikani sinobu ya |
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4.7.8 |
つれづれに添へて ★、うらめしう思ひ出でらるること多うはべるを、 いかでか分き聞こゆべからむ ★」
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所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くございますが、どのようにして分かるように申し上げたらよいのでしょうか」
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私も退屈なものですから、いろいろ恨めしくなったりすることがあるのですが、どうしてそれをお聞かせしてよいかわかりません。
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Turedure ni sohe te, uramesiu omohiide raruru koto ohou haberu wo, ikadeka waki kikoyu bekara m."
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4.7.9 |
などあり。
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などとある。
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などと書かれてあった。
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nado ari.
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4.7.10 |
隙に忍びて 見せたてまつれば、うち泣きて、 わが心にも、ほど経るままに 思ひ出でられたまふ 御さまを、まほに、「 恋しや、いかで見たてまつらむ」などは、えのたまはぬ親にて、「 げに、いかでかは対面もあらむ」と、あはれなり。
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人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心でも、月日のたつにつれて、思い出さずにはいらっしゃれないご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。
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人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、恋しい、どうかして逢いたいというのを遠慮しないではならない親であったから、実際問題として考えてもいつ逢えることともわからないので悲しかった。
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Hima ni sinobi te mise tatemature ba, uti-naki te, waga kokoro ni mo, hodo huru mama ni omohiide rare tamahu ohom-sama wo, maho ni, "Kohisi ya, ikade mi tatematura m." nado ha, e notamaha nu oya nite, "Geni, ikadekaha taimen mo ara m?" to, ahare nari.
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4.7.11 |
時々、むつかしかりし御けしきを、心づきなう思ひきこえしなどは、 この人にも知らせたまはぬことなれば、心ひとつに思し続くれど、右近は、 ほのけしき見けり。 いかなりけることならむとは、今に 心得がたく思ひける。
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時々、厄介であったご様子を、気にくわなくお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。
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時々源氏の不純な愛撫の手が伸ばされようとして困った話などは、だれにも言ってないことであったが、右近は怪しく思っていた。ほんとうのことはまだわからないようにこの人は思っているのである。
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Tokidoki, mutukasikari si mi-kesiki wo, kokorodukinau omohi kikoye si nado ha, kono hito ni mo sira se tamaha nu koto nare ba, kokoro hitotu ni obosi tudukure do, Ukon ha, hono kesiki mi keri. Ikanari keru koto nara m to ha, ima ni kokoroe gataku omohi keru.
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4.7.12 |
御返り、「 聞こゆるも恥づかしけれど、 おぼつかなくやは」とて、書きたまふ。
|
お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご不審に思われようか」と思って、お書きになる。
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返事を、「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」 と言って、玉鬘は書いた。
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Ohom-kaheri, "Kikoyuru mo hadukasikere do, obotukanaku yaha?" tote, kaki tamahu.
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4.7.13 |
「 眺めする軒の雫に袖ぬれて うたかた人を偲ばざらめや |
「物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか |
ながめする軒の雫に袖ぬれて うたかた人を忍ばざらめや
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"Nagame suru noki no siduku ni sode nure te utakatabito wo sinoba zara me ya |
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4.7.14 |
▼ ほどふるころは、げに、ことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」
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時がたつと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。あなかしこ」
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それが長い時間でございますから、憂鬱的退屈と申すようなものもつのってまいります。失礼をいたしました。
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Hodo huru koro ha, geni, koto naru turedure mo masari haberi keri. Ana kasiko."
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4.7.15 |
と、ゐやゐやしく 書きなしたまへり。
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と、恭しくお書きになっていた。
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とうやうやしく書かれてあった。
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to, wiyawiyasiku kaki nasi tamahe ri.
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出典6 |
ほどふるころは |
君見ずて程のふるやの庇には逢ふことなしの草ぞ生ひける |
新勅撰集恋五-九四五 読人しらず |
4.7.14 |
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4.8 |
第八段 源氏、玉鬘の返書を読む
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4-8 Genji reads a reply of Tamakazura
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4.8.1 |
引き広げて、 玉水のこぼるるやうに ★思さるるを、「 人も見ば、うたてあるべし」と、つれなくもてなしたまへど、胸に満つ心地して、 かの昔の、尚侍の君を 朱雀院の后の切に 取り籠めたまひし折など思し出づれど、 さしあたりたることなればにや、これは世づかず ぞあはれなりける。
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手紙を広げて、玉水がこぼれるように思わずにはいらっしゃれないが、「人が見たら、体裁悪いことだろう」と、平静を装っていらっしゃるが、胸が一杯になる思いがして、あの昔の、尚侍の君を朱雀院の母后が無理に逢わせまいとなさった時のことなどをお思い出しになるが、目前のことだからであろうか、こちらは普通と変わって、しみじみと心うつのであった。
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それを前に拡げて、源氏はその雨だれが自分からこぼれ落ちる気もするのであったが、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。昔の尚侍を朱雀院の母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんなのであったと、その当時の苦しさと今を比較して考えてみたが、これは現在のことであるせいか、その時にもまさってやる瀬ないように思われた。
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Hiki-hiroge te, tamamidu no koboruru yau ni obosa ruru wo, "Hito mo mi ba, utate aru besi." to, turenaku motenasi tamahe do, mune ni mitu kokoti si te, kano mukasi no, Kam-no-Kimi wo SuzakuWin no Kisaki no seti ni tori-kome tamahi si wori nado obosi idure do, sasiatari taru koto nare ba ni ya, kore ha yoduka zu zo ahare nari keru.
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4.8.2 |
「 好いたる人は、心からやすかるまじきわざなりけり。今は何につけてか心をも乱らまし。似げなき恋のつまなりや」
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「色好みの人は、本心から求めて物思いの絶えない人なのだ。今は何のために心を悩まそうか。似つかわしくない恋の相手であるよ」
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好色な男はみずから求めて苦しみをするものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないか
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"Sui taru hito ha, kokorokara yasukaru maziki waza nari keri. Ima ha nani ni tuke te ka kokoro wo mo midara masi. Nigenaki kohi no tuma nari ya!"
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4.8.3 |
と、さましわびたまひて、 御琴掻き鳴らして、なつかしう 弾きなしたまひし爪音、思ひ出でられたまふ。あづまの調べを、すが掻きて、
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と、冷静になるのに困って、お琴を掻き鳴らして、やさしくしいてお弾きになった爪音が、思い出さずにはいらっしゃれない。和琴の調べを、すが掻きにして、
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と源氏は思って、忘れようとする心から琴を弾いてみたが、なつかしいふうに弾いた玉鬘の爪音がまた思い出されてならなかった。和琴を清掻きに弾いて、
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to, samasi wabi tamahi te, ohom-koto kaki narasi te, natukasiu hiki nasi tamahi si tumaoto, omohiide rare tamahu. Aduma no sirabe wo, sugagaki te,
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4.8.4 |
「 ▼ 玉藻はな刈りそ」
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「玉藻はお刈りにならないで」
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「玉藻はな刈りそ」
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"Tamamo ha na kari so"
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4.8.5 |
と、歌ひすさびたまふも、 恋しき人に見せたらば、あはれ過ぐすまじき御さまなり。
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と、謡い興じていらっしゃるのも、恋しい人に見せたならば、感動せずにはいられないご様子である。
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と歌っているこのふうを、恋しい人に見せることができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。
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to, utahi susabi tamahu mo, kohisiki hito ni mise tara ba, ahare sugusu maziki ohom-sama nari.
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4.8.6 |
内裏にも、ほのかに御覧ぜし御容貌ありさまを、心にかけたまひて、
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帝におかせられても、わずかに御覧あそばしたご器量ご様子を、お忘れにならず、
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帝もほのかに御覧になった玉鬘の美貌をお忘れにならずに、
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Uti ni mo, honoka ni goranze si ohom-katati arisama wo, kokoro ni kake tamahi te,
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4.8.7 |
「 ▼ 赤裳垂れ引き去にし姿を」
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「赤裳を垂れ引いて去っていってしまった姿を」
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「赤裳垂れ引きいにし姿を」(立ちて思ひゐてもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き)
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"Akamo tare hiki ini si sugata wo"
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4.8.8 |
と、 憎げなる古事なれど、御言種になりてなむ、 眺めさせたまひける。御文は、忍び忍びにありけり。 身を憂きものに思ひしみたまひて、 かやうの ★すさびごとをも、あいなく思しければ、心とけたる御いらへも聞こえたまはず。
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と、耳馴れない古歌であるが、お口癖になさって、物思いに耽っておいであそばすのであった。お手紙は、そっと時々あるのであった。わが身を不運な境遇と思い込みなさって、このような軽い気持ちのお手紙のやりとりも、似合わなくお思いになるので、うち解けたお返事も申し上げなさらない。
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という古歌は露骨に感情を言っただけのものであるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになったもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。
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to, nikuge naru hurukoto nare do, ohom-kotogusa ni nari te nam, nagame sase tamahi keru. Ohom-humi ha, sinobi sinobi ni ari keri. Mi wo uki mono ni omohisimi tamahi te, kayau no susabi goto wo mo, ainaku obosi kere ba, kokorotoke taru ohom-irahe mo kikoye tamaha zu.
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4.8.9 |
なほ、 かの、ありがたかりし御心おきてを、かたがたにつけて思ひしみたまへる御ことぞ、 忘られざりける。
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やはり、あの、またとないほどであったお心配りを、何かにつけて深くありがたく思い込んでいらっしゃるお気持ちが、忘れられないのであった。
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玉鬘は今になって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。
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Naho, kano, arigatakari si ohom-kokorookite wo, katagata ni tuke te omohi simi tamahe ru ohom-koto zo, wasura re zari keru.
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出典7 |
玉水のこぼるる |
雨止まぬ軒の玉水数知らず恋しき事のまさるころかな |
後撰集恋一-五七八 平兼盛 |
4.8.1 |
出典8 |
玉藻はな刈りそ |
鴛鴦 たかべ 鴨さへ来居る 藩良の池の や 玉藻は真根な刈りそ や 生ひも継ぐがに や 生ひも継ぐがに |
風俗歌-鴛鴦 |
4.8.4 |
出典9 |
赤裳垂れ引き去にし姿を |
立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳垂れ引きいにし姿を |
古今六帖五-三三三三 |
4.8.7 |
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4.9 |
第九段 三月、源氏、玉鬘を思う
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4-9 Genji remembers sweet memories with Tamakazura
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4.9.1 |
三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを 見たまふにつけても、まづ見るかひありて ゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、 こなたに渡りて御覧ず。
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三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに見る目にも美しい姿でお座りになっていらしたご様子ばかりが思い出さずにはいらっしゃれないので、春の御前を放って、こちらの殿に渡って御覧になる。
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三月になって、六条院の庭の藤や山吹がきれいに夕映えの前に咲いているのを見ても、まずすぐれた玉鬘の容姿が忍ばれた。南の春の庭を捨てておいて、源氏は東の町の西の対に来て、さらに玉鬘に似た山吹をながめようとした。
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Yayohi ni nari te, Rokudeu-dono no omahe no, hudi, yamabuki no omosiroki yuhubaye wo mi tamahu ni tuke te mo, madu miru kahi ari te wi tamahe ri si ohom-sama nomi obosi ide rarure ba, Haru-no-Omahe wo uti-sute te, konata ni watari te goranzu.
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4.9.2 |
呉竹の籬に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。
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呉竹の籬に、自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。
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竹のませ垣に、自然に咲きかかるようになった山吹が感じよく思われた。
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Kuretake no mase ni, wazato nau saki kakari taru nihohi, ito omosiro si.
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4.9.3 |
「 ▼ 色に衣を」
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「色に衣を」
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「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」
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"Iro ni koromo wo."
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4.9.4 |
などのたまひて、
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などとおっしゃって、
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この歌を源氏は口ずさんでいた。
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nado notamahi te,
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4.9.5 |
「 思はずに井手の中道隔つとも ★ 言はでぞ恋ふる山吹の花 |
「思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが 心の中では恋い慕っている山吹の花よ |
思はずも井手の中みち隔つとも 言はでぞ恋ふる山吹の花
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"Omoha zu ni Ide no naka miti hedatu tomo iha de zo kohuru yamabuki no hana |
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4.9.6 |
▼ 顔に見えつつ」
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面影に見え見えして」
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とも言っていた。
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Kaho ni miye tutu."
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4.9.7 |
などのたまふも、聞く人なし。かく、さすがにもて離れたることは、このたびぞ思しける。 げに、あやしき御心のすさびなりや。
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などとおっしゃっても、聞く人もいない。このように、さすがに諦めていることは、今になってお分かりになるのであった。なるほど、妙なおたわむれの心であるよ。
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「夕されば野辺に鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」などとも口にしていたが、ここにはだれも聞く人がいなかった。こんなふうに徹底的に恋人として玉鬘を思うことはこれが初めてであった。風変わりな源氏の君と言わねばならない。
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nado notamahu mo, kiku hito nasi. Kaku, sasuga ni mote hanare taru koto ha, kono tabi zo obosi keru. Geni, ayasiki mi-kokoro no susabi nari ya!
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4.9.8 |
かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ。御文は、「 あまり人もぞ目立つる」など思して、すくよかに、
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鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、
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雁の卵がほかからたくさん贈られてあったのを源氏は見て、蜜柑や橘の実を贈り物にするようにして卵を籠へ入れて玉鬘へ贈った。手紙もたびたび送っては人目を引くであろうからと思って、内容を唯事風に書いた。
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Kari no ko no ito ohokaru wo goranzi te, kauzi, tatibana nado yau ni magirahasi te, wazato nara zu tatemature tamahu. Ohom-humi ha, "Amari hito mo zo me taturu." nado obosi te, sukuyoka ni,
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4.9.9 |
「 おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、 御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひたまふる」
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「お目にかからない月日がたちましたが、思いがけないおあしらいだとお恨み申し上げるのも、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくては、お目にかかることの難しいことを、残念に存じております」
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お逢いできない月日が重なりました。あまりに同情がないというように恨んではいますが、しかし御良人の御同意がなければ万事あなたの御意志だけではできないことを承知していますから、何かの場合でなければお許しの出ることはなかろうと残念に思っています。
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"Obotukanaki tukihi mo kasanari nuru wo, omoha zu naru ohom-motenasi nari to urami kikoyuru mo, mi-kokoro hitotu ni nomi ha aru maziu kiki habere ba, koto naru tuide nara de ha, taimen no katakara m wo, kutiwosiu omohi tamahuru."
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4.9.10 |
など、 親めき書きたまひて、
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などと、親めいてお書きになって、
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などと親らしく言ってあるのである。
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nado, oyameki kaki tamahi te,
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4.9.11 |
「 同じ巣にかへりしかひの見えぬかな いかなる人か手ににぎるらむ |
「せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね どんな人が手に握っているのでしょう |
おなじ巣にかへりしかひの見えぬかな いかなる人か手ににぎるらん
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"Onazi su ni kaheri si kahi no miye nu kana ikanaru hito ka te ni nigiru ram |
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4.9.12 |
などか、さしもなど、心やましうなむ」
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どうして、こんなにまでもなどと、おもしろくなくて」
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そんなにまでせずともとくやしがったりしています。
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Nadoka, sasimo nado, kokoroyamasiu nam."
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4.9.13 |
などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、
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などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、
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この手紙を大将も見て笑いながら、
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nado aru wo, Daisyau mo mi tamahi te, uti-warahi te,
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4.9.14 |
「 女は、まことの親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。 まして、なぞ、この大臣の、をりをり思ひ放たず、恨み言はしたまふ」
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「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうして、この大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」
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「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになっているのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」
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"Womna ha, makoto no oya no ohom-atari ni mo, tahayasuku uti-watari miye tatematuri tamaha m koto, tuide naku te aru beki koto ni ara zu. Masite, nazo, kono Otodo no, woriwori omohi hanata zu, uramigoto ha si tamahu."
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4.9.15 |
と、つぶやくも、 憎しと聞きたまふ。
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と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。
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こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、
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to, tubuyaku mo, nikusi to kiki tamahu.
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4.9.16 |
「 御返り、ここにはえ聞こえじ」
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「お返事は、わたしは差し上げられません」
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「私は書けない」
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"Ohom-kaheri, koko ni ha e kikoye zi."
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4.9.17 |
と、書きにくくおぼいたれば、
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と、書きにくくお思いになっているので、
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と玉鬘が渋っていると、
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to, kaki nikuku oboyi tare ba,
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4.9.18 |
「 まろ聞こえむ」
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「わたしがお書き申そう」
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「今日は私がお返事をしよう」
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"Maro kikoye m."
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4.9.19 |
と代はるも、 かたはらいたしや。
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と代わるのも、はらはらする思いである。
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大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。
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to kaharu mo, kataharaitasi ya!
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4.9.20 |
「 巣隠れて数にもあらぬかりの子を いづ方にかは取り隠すべき ★ |
「巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか |
巣隠れて数にもあらぬ雁の子を いづ方にかはとりかくすべき
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"Sugakure te kazu ni mo ara nu kari no ko wo idukata ni kaha tori-kakusu beki |
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4.9.21 |
よろしからぬ御けしきにおどろきて。すきずきしや」
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不機嫌なご様子にびっくりしまして。懸想文めいていましょうか」
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御機嫌をそこねておりますようですからこんなことを申し上げます。風流の真似をいたし過ぎるかもしれません。
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Yorosikara nu mi-kesiki ni odoroki te. Sukizukisi ya!"
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4.9.22 |
と聞こえたまへり。
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とお返事申し上げた。
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大将の書いたものはこうであった。
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to kikoye tamahe ri.
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4.9.23 |
「 この大将の、 かかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。 めづらしう」
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「この大将が、このような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」
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「この人が戯談風に書いた手紙というものは珍品だ」
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"Kono Daisyau no, kakaru hakanasigoto ihi taru mo, mada koso kika zari ture. Medurasiu."
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4.9.24 |
とて、笑ひたまふ。心のうちには、かく領じたるを、いとからしと思す。
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と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。
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と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
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tote, warahi tamahu. Kokoro no uti ni ha, kaku ryauzi taru wo, ito karasi to obosu.
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出典10 |
色に衣を |
くちなしの色に心を染めしより言はで心にものをこそ思へ |
古今六帖五-三五一〇 |
4.9.3 |
出典11 |
顔に見えつつ |
夕されば野辺に鳴くてふ顔鳥の顔に見えつつ忘られなくに |
古今六帖六-四四八八 |
4.9.6 |
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Last updated 2/6/2010(ver.2-2) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 2/6/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 9/23/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 2/6/2010 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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