第三十一帖 真木柱


31 MAKIBASIRA (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

4
第四章 玉鬘の物語 宮中出仕から鬚黒邸へ


4  Tale of Tamakazura  Tamakazura goes to the imperial Court and goes back to Higekuro's residence

4.1
第一段 玉鬘、新年になって参内


4-1  Tamakazura goes to the imperial Court in a new year

4.1.1  かかることどもの騷ぎに、尚侍の君の御けしき、いよいよ晴れ間なきを、大将は、いとほしと思ひあつかひきこえて、
 このようなことの騒動に、尚侍の君のご気分は、ますます晴れる間もないでいるのを、大将は、お気の毒にとお気づかい申し上げて、
 大将のもとの夫人とのそうしたいきさつはいっそう玉鬘たまかずら憂鬱ゆううつにした。大将はそれを哀れに思って慰めようとする心から、
  Kakaru koto-domo no sawagi ni, Kam-no-Kimi no mi-kesiki, iyoiyo harema naki wo, Daisyau ha, itohosi to omohi atukahi kikoye te,
4.1.2  「 この参りたまはむと ありしことも、絶え切れて、 妨げきこえつるを、内裏にも、なめく心ある さまに聞こしめし、 人びとも思すところあらむ。公人を頼みたる人はなくやはある」
 「あの参内なさる予定であったことも、沙汰止みになって、お妨げ申したのを、帝におかせられても、快からず何か含むところがあるようにお聞きあそばし、方々もお考えになるところがあるだろう。宮仕えの女性を妻にしている男もいないではないが」
 尚侍ないしのかみとして宮中へ出ることをこれまでは反対をし続けたのであるが、陛下がこの態度を無礼であると思召すふうもあるし、両大臣もいったん思い立ったことであるから、自分らとしていえば公職を持つ女の良人おっとである人も世間にあることであり、構わないことと考えて宮中へ出仕することに賛成する
  "Kono mawiri tamaha m to ari si koto mo, taye kire te, samatage kikoye turu wo, Uti ni mo, nameku kokoro aru sama ni kikosimesi, hitobito mo obosu tokoro ara m. Ohoyakebito wo tanomi taru hito ha naku yaha aru."
4.1.3  と思ひ返して、年返りて、参らせたてまつりたまふ。 男踏歌ありければ、やがてそのほどに、 儀式いといまめかしく、二なくて参りたまふ。
 と思い返して、年が改まってから、参内させ申し上げなさる。男踏歌があったので、ちょうどその折に、参内の儀式をたいそう立派に、この上なく整えて参内なさる。
 と言い出したので、春になっていよいよ尚侍の出仕のことが実現された。男踏歌おとことうかがあったので、それを機会として玉鬘は御所へ参ったのである。すべての儀式が派手はでに行なわれた。
  to omohikahesi te, tosi kaheri te, mawira se tatematuri tamahu. WotokoTahuka ari kere ba, yagate sono hodo ni, gisiki ito imamekasiku, ni naku te mawiri tamahu.
4.1.4   かたがたの大臣たち、この大将の御勢ひさへさしあひ、 宰相中将、ねむごろに心しらひきこえたまふ。 兄弟の君達も、かかる折にと集ひ、追従し寄りて、かしづきたまふさま、いとめでたし。
 お二方の大臣たち、この大将のご威勢までが加わり、宰相中将、熱心に気を配ってお世話申し上げなさる。兄弟の公達も、このような機会にと集まって、ご機嫌を取りに近づいて、大事になさる様子、たいそう素晴らしい。
 二人の大臣の勢力を背景にしている上に大将の勢いが添ったのであるから、はなばなしくなるのが道理である。源宰相中将は忠実に世話をしていた。兄弟たちも玉鬘に接近するよい機会であると、誠意を見せようとして集まって来て、うらやましいほどにぎわしかった。
  Katagata no Otodo-tati, kono Daisyau no ohom-ikihohi sahe sasiahi, Saisyau-no-Tyuuzyau, nemgoro ni kokoro sirahi kikoye tamahu. Seuto no Kimi-tati mo, kakaru wori ni to tudohi, tuiseu si yori te, kasiduki tamahu sama, ito medetasi.
4.1.5   承香殿の東面に御局したり西に宮の女御はおはしければ馬道ばかりの隔てなるに、御心のうちは、遥かに隔たりけむかし御方々、いづれとなく挑み交はしたまひて、内裏わたり、心にくくをかしきころほひなり。ことに乱りがはしき更衣たち、あまたもさぶらひたまはず。
 承香殿の東面にお局を設けてある。西に宮の女御がいらしたので、馬道だけの間隔であるが、お心の中は、遠く離れていらっしゃったであろう。御方々は、どの方となく競争なさい合って、宮中では、奥ゆかしくはなやいだ時分である。格別家柄の劣った更衣たち、多くも伺候なさっていない。
 承香殿じょうこうでんの東のほう一帯が尚侍の曹司ぞうしにあてられてあった。西のほう一帯には式部卿しきぶきょうの宮の王女御おうにょごがいるのである。一つの中廊下だけが隔てになっていても、二人の女性の気持ちははるかに遠く離れていたことであろうと思われる。後宮の人たちは競い合って、ますます宮廷を洗練されたものにしていくようなはなやかな時代であった。あまりよい身分でない更衣こういなどは多くも出ていなかった。
  Syaukyauden no himgasi-omote ni mi-tubone si tari. Nisi ni Miya-no-Nyougo ha ohasi kere ba, medau bakari no hedate naru ni, mi-kokoro no uti ha, harukani hedatari kem kasi. Ohom-katagata, idure to naku idomi kahasi tamahi te, Uti watari, kokoronikuku wokasiki korohohi nari. Koto ni midarigahasiki Kaui-tati, amata mo saburahi tamaha zu.
4.1.6  中宮、弘徽殿女御、この宮の女御、 左の大殿の女御などさぶらひたまふ。さては、 中納言、宰相の御女二人ばかりぞさぶらひたまひける。
 中宮、弘徽殿女御、この宮の王女御、左大臣の女御などが伺候していらっしゃる。その他には、中納言、宰相の御息女が二人ほどが伺候していらっしゃるのであった。
 中宮ちゅうぐう弘徽殿こきでんの女御、この王女御、左大臣の娘の女御などが後宮の女性である。そのほかに中納言の娘と宰相の娘とが二人の更衣で侍していた。
  Tiuguu, Kokiden-no-Nyougo, kono Miya-no-Nyougo, Hidari-no-Ohotono no Nyougo nado saburahi tamahu. Sateha, Tyuunagon, Saisyau no ohom-Musume hutari bakari zo saburahi tamahi keru.
注釈338この参りたまはむと以下「なくやはある」まで、鬚黒の心。「この」は尚侍としての出仕をさす。4.1.2
注釈339妨げきこえつるを鬚黒が玉鬘の尚侍としての宮中出仕をお妨げ申し上げてしまったことを、の意。4.1.2
注釈340人びとも思すところあらむ「人びと」は「思す」という敬語が使われているので、源氏や内大臣などをさす。「思すところ」とは不快にお思いになることをいう。4.1.2
注釈341男踏歌ありければ正月十四日に行われる行事。「末摘花」「初音」巻にも見えた。ここでは、玉鬘参内が「けれ」(過去の助動詞)「ば」とあり、過去の出来事という視点に立って語られる。4.1.3
注釈342儀式いといまめかしく玉鬘の尚侍出仕の儀式。大島本は「いまめかしく」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかめしう」と校訂する。4.1.3
注釈343かたがたの大臣たち源氏と内大臣をいう。4.1.4
注釈344宰相中将夕霧をさす。4.1.4
注釈345兄弟の君達柏木や弁少将など。4.1.4
注釈346承香殿の東面に御局したり承香殿は東西に長い建物。玉鬘はその東面の間をお部屋とした。以下、語り手の説明的文章が続く。4.1.5
注釈347西に宮の女御はおはしければ承香殿の西面の間を式部卿宮の女御がお部屋としていた。4.1.5
注釈348馬道ばかりの隔てなるに、御心のうちは、遥かに隔たりけむかし「けむ」(過去推量の助動詞)「かし」(終助詞、念を押す)は語り手の宮の女御と玉鬘との心を推測した表現。『一葉抄』は「双紙地也」と指摘。『細流抄』は「草子地をしはかりていへり」と指摘。『集成』も「草子地」と指摘する。4.1.5
注釈349御方々いづれとなく冷泉帝の後宮の様子を語る。4.1.5
注釈350左の大殿の女御大島本は「左大殿のの女御」とある。衍字である。「左大殿」は「行幸」巻(第一章一段)に出てきた大臣。4.1.6
注釈351中納言宰相の御女二人ばかり中納言、宰相は系図不明の人々。更衣である。以上、冷泉帝の後宮は、秋好中宮(源氏方養女)、弘徽殿女御(内大臣娘)、王女御(式部卿娘)、左大臣女御(左大臣娘)、中納言更衣、宰相更衣などがいる。4.1.6
校訂27 たまはむと たまはむと--給はむこ(こ/#)と 4.1.2
校訂28 さまに さまに--ま(ま/$さ)まに 4.1.2
4.2
第二段 男踏歌、貴顕の邸を回る


4-2  Otoko-tohka goes round one after another noble residence in Kyoto

4.2.1  踏歌は、方々に里人参り、さまことに、けに にぎははしき見物なれば、誰も誰もきよらを尽くし、袖口の重なり、こちたくめでたくととのへたまふ。 春宮の女御も、いとはなやかにもてなしたまひて、 宮は、まだ若くおはしませど、すべていと今めかし。
 踏歌は、局々に実家の人が参内し、ふだんとは違って、ことに賑やかな見物なので、どなたもどなたも綺羅を尽くし、袖口の色の重なり、うるさいほど立派に整えていらっしゃる。春宮の女御も、たいそう華やかになさって、春宮は、まだお若くいらっしゃるが、すべての面でたいそう風流である。
 踏歌とうかは女御がたの所へ実家の人がたくさん見物に来ていた。これは御所の行事のうちでもおもしろいにぎやかなものであったから、見物の人たちも服装などに華奢かしゃを競った。東宮の母君の女御も人に負けぬ派手はでな方であった。東宮はまだ御幼年であったから、そのほうの中心は母君の女御であった。
  Tahuka ha, katagata ni satobito mawiri, sama koto ni, keni nigihahasiki mimono nare ba, tare mo tare mo kiyora wo tukusi, sodeguti no kasanari, kotitaku medetaku totonohe tamahu. Touguu-no-Nyougo mo, ito hanayaka ni motenasi tamahi te, Miya ha, mada wakaku ohasimase do, subete ito imamekasi.
4.2.2   御前、中宮の御方、朱雀院とに参りて、夜いたう更けにければ、 六条の院には、このたびは所狭しとはぶきたまふ 。朱雀院より帰り参りて、春宮の御方々めぐるほどに、夜明けぬ。
 帝の御前、中宮の御方、朱雀院と参って、夜がたいそう更けてしまったので、六条院には、今回は仰々しいのでとお取り止めになる。朱雀院から帰参して、春宮の御方々を回るうちに、夜が明けた。
 御前ごぜん、中宮、朱雀すざく院へまわるのに夜がけるために、今度は六条院へ寄ることを源氏が辞退してあった。朱雀院から引き返して、東宮の御殿を二か所まわったころに夜が明けた。
  Omahe, Tyuuguu no Ohom-kata, Syuzakuwin to ni mawiri te, yo itau huke ni kere ba, Rokudeu-no-win ni ha, kono tabi ha tokorosesi to habuki tamahu. Syuzakuwin yori kaheri mawiri te, Touguu no Ohom-katagata meguru hodo ni, yo ake nu.
4.2.3  ほのぼのとをかしき朝ぼらけに、いたく酔ひ乱れたるさまして、「 竹河」謡ひ けるほどを見れば、内の大殿の君達は、四、五人ばかり、殿上人のなかに、声すぐれ、容貌きよげにて、うち続きたまへる、 いとめでたし
 ほのぼのと美しい夜明けに、たいそう酔い乱れた恰好をして、「竹河」を謡っているところを見ると、内大臣家の御子息が、四、五人ほど、殿上人の中で、声が優れ、器量も美しくて、うち揃っていらっしゃるのが、たいそう素晴らしい。
 ほのぼのと白む朝ぼらけに、酔い乱れて「竹河たけがわ」を歌っている中に、内大臣の子息たちが四、五人もいた。それはことに声がよく容貌ようぼうがそろってすぐれていた。
  Honobono to wokasiki asaborake ni, itaku wehi midare taru sama si te, takekaha utahi keru hodo wo mire ba, Uti no Ohotono no Kimdati ha, si, go-nin bakari, Tenzyaubito no naka ni, kowe sugure, katati kiyoge nite, uti-tuduki tamahe ru, ito medetasi.
4.2.4  童なる八郎君は、むかひ腹にて、いみじうかしづきたまふが、いとうつくしうて、 大将殿の太郎君立ち並みたるを尚侍の君も、よそ人と見たまはねば、御目とまりけり。やむごとなくまじらひ馴れたまへる御方々よりも、 この御局の袖口、おほかたのけはひ今めかしう、同じものの色あひ、襲なりなれど、ものよりことにはなやかなり。
 殿上童の八郎君は、正妻腹の子で、たいそう大切になさっているのが、とてもかわいらしくて、大将殿の太郎君と立ち並んでいるのを、尚侍の君も、他人とはお思いにならないので、お目が止まった。高貴な身分で長く宮仕えしていらっしゃる方々よりも、この御局の袖口は、全体の感じが今風で、同じ衣装の色合い、襲なりであるが、他の所より格別華やかである。
 童形どうぎょうである八郎君はちろうぎみは正妻から生まれた子で、非常に大事がられているのであったが、愛らしかった。大将の長男と並んでいるこの二人を尚侍も他人とは思えないで目がとどめられた。宮中の生活にれた女御たちの曹司よりも、新しい尚侍の見物する御殿の様子のほうがはなやかで、同じような物ではあるが、女房の袖口そでぐちの重ねの色目も、ここのがすぐれたように公達きんだちは思った。
  Waraha naru Hatirau-Gimi ha, mukahibara nite, imiziu kasiduki tamahu ga, ito utukusiu te, Daisyau-dono no Tarau-Gimi to tatinami taru wo, Kam-no-Kimi mo, yosobito to mi tamaha ne ba, ohom-me tomari keri. Yamgotonaku mazirahi nare tamahe ru ohom-katagata yori mo, kono mi-tubone no sodeguti, ohokata no kehahi imamekasiu, onazi mono no iroahi, kasanari nare do, mono yori koto ni hanayaka nari.
4.2.5  正身も女房たちも、かやうに御心やりて、しばしは過ぐいたまはまし、と思ひあへり。
 ご本人も女房たちも、このようにご気分を晴らして、暫くの間は宮中でお過ごせになれたら、と思い合っていた。
 尚侍自身も女房たちもこうした、悪いことが悪く見え、よいことはことによく見える御所の中の生活をしばらくは続けてみたいと思っていた。
  Sauzimi mo nyoubau-tati mo, kayau ni mi-kokoro yari te, sibasi ha sugui tamaha masi, to omohi aheri.
4.2.6   皆同じごと、かづけわたす綿のさまも、匂ひ香ことにらうらうじうしないたまひて、 こなたは 水駅なりけれど、けはひにぎははしく、 人びと心懸想しそして、限りある御饗などのことどもも、したるさま、ことに用意ありてなむ、 大将殿せさせたまへりける
 どこでも同じように、肩にお被けになる綿の様子も、色艶も格別に洗練なさって、こちらは水駅であったが、様子が賑やかで、女房たちが心づかいし過ぎるほどで、一定の作法通りの御饗応など、用意がしてある様子は、特別に気を配って、大将殿がおさせになったのであった。
 どちらでも纏頭てんとうに出すのはきまった真綿であるが、それらなどにも尚侍のほうのはおもしろい意匠が加えられてあった。こちらはちょっと寄るだけの所なのであるが、はなやかな空気のうかがわれる曹司であったから、公達は晴れがましく思い、緊張した踏歌をした。饗応きょうおうの法則は越えないようにして、ことに手厚く演者はねぎらわれたのであった。それは大将の計らいであった。
  Mina onazigoto, kaduke watasu wata no sama mo, nihohi ka koto ni raurauziu si nai tamahi te, konata ha midumumaya nari kere do, kehahi nigihahasiku, hitobito kokorogesau sisosi te, kagiri aru mi-aruzi nado no koto-domo mo, si taru sama, kotoni youi ari te nam, Daisyau-dono se sase tamahe ri keru.
注釈352春宮の女御朱雀院の女御で鬚黒の妹。今、春宮の母女御として梨壺に住む。「澪標」巻参照。4.2.1
注釈353宮はまだ若くおはしませど春宮はまだお若くいらっしゃるが。十二歳。元服適齢期である。4.2.1
注釈354御前中宮の御方朱雀院とに参りて踏歌の一行が巡る順路である。帝の御前、すなわち清涼殿東庭から梅壺の中宮の御前、内裏を出て、上皇御所の朱雀院へと向かう。そして最後に内裏の梨壺の春宮の御前へと帰って来る。4.2.2
注釈355六条の院には、このたびは 所狭しとはぶきたまふ源氏の太政大臣邸の六条院は今回は仰々しいとという理由から省略なさる。「六条の院に」の格助詞「に」は尊敬の意、主格を表す。六条院におかれては。4.2.2
注釈356竹河催馬楽、呂。「竹河の橋の詰めなるや橋の詰めなるや花園にはれ花園に我をば放てや少女たぐへて」。「初音」巻の踏歌の折にも謡われた。4.2.3
注釈357いとめでたしその場の情景を見ている語り手の感想を交えた表現。4.2.3
注釈358大将殿の太郎君鬚黒の長男、十歳。4.2.4
注釈359立ち並みたるを大島本は「たちなミたるを」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「立ち並びたるを」と校訂する。4.2.4
注釈360尚侍の君もよそ人と見たまはねば尚侍の君すなわち玉鬘にとって、内大臣の子は異母兄弟。鬚黒大将の子は先妻の子、いわゆる継子関係になる。4.2.4
注釈361この御局の袖口承香殿の東面の玉鬘の局の女房たちの袖口。4.2.4
注釈362皆同じごとかづけわたす綿のさま踏歌の人々に褒美として被ける綿の様子。4.2.6
注釈363こなたは玉鬘の局。4.2.6
注釈364水駅なりけれど水駅であったが、というように「皆同じごと」以下の一文を過去の助動詞「けり」でもって過去の出来事として語る。4.2.6
注釈365人びと心懸想しそして踏歌の一行たちが緊張して。4.2.6
注釈366大将殿せさせたまへりける「ける」という過去の助動詞でもって、この一段を語り収める。4.2.6
校訂29 にぎははしき にぎははしき--(/+に)きわゝしき 4.2.1
校訂30 所狭し 所狭し--所を(を/$せ<朱>)し 4.2.2
校訂31 ける ける--けに(に/$る<朱>) 4.2.3
4.3
第三段 玉鬘の宮中生活


4-3  Tamakazura's life of the imperial Court

4.3.1   宿直所にゐたまひて日一日、聞こえ暮らしたまふことは
 宿直所にいらっしゃって、一日中、申し上げなさることは、
 大将は禁中の詰め所にいて、終日尚侍の所へ、
  Tonowidokoro ni wi tamahi te, hi-hitohi, kikoye kurasi tamahu koto ha,
4.3.2  「 夜さり、まかでさせたてまつりてむかかるついでにと、思し移るらむ御宮仕へなむ、やすからぬ」
 「夜になったら、ご退出おさせ申そう。このような機会にと、急にお考えが変わる宮仕えは安心でない」
 退出を今夜のことにしたいと思います。出仕した以上はなおとどまっていたいと、あなたが考えるであろう宮仕えというものは、私にとって苦痛です。
  "Yosari, makade sase tatematuri te m. Kakaru tuide ni to, obosi uturu ram ohom-miyadukahe nam, yasukara nu."
4.3.3  とのみ、同じことを責めきこえたまへど、御返りなし。さぶらふ人びとぞ、
 とばかり、同じことをご催促申し上げなさるが、お返事はない。伺候している女房たちが、
 こんなことばかりを書いて送るのであったが、玉鬘たまかずらは何とも返事を書かない。女房たちから、
  to nomi, onazi koto wo seme kikoye tamahe do, ohom-kaheri nasi. Saburahu hitobito zo,
4.3.4  「 大臣の、『心あわたたしきほどならで、まれまれの御参りなれば、 御心ゆかせたまふばかり。許されありてを、まかでさせたまへ』と、聞こえさせたまひしかば、今宵は、あまりすがすがしうや」
 「大臣が、『急いで退出することなく、めったにない参内なので、ご満足あそばされるくらいに。お許しがあってから、退出なさるよう』と、申し上げていらしたので、今夜は、あまりにも急すぎませんか」
 源氏の大臣が、あまり短時日でなく、たまたま上がったのであるから、陛下がもう帰ってもよいと仰せになるまで上がっていて帰るようにとおっしゃいましたことですから。それに今晩とはあまり御無愛想なことになりませんかと私たちは存じます。
  "Otodo no, 'Kokoro awatatasiki hodo nara de, mare mare no ohom-mawiri nare ba, mi-kokoro yuka se tamahu bakari. Yurusa re ari te wo, makade sase tamahe.' to, kikoye sase tamahi sika ba, koyohi ha, amari sugasugasiu ya!"
4.3.5  と聞こえたるを、 いとつらしと思ひて
 と申し上げたのを、たいそうつらく思って、
 と大将の所へ書いて来た。大将は尚侍ないしのかみを恨めしがって、
  to kikoye taru wo, ito turasi to omohi te,
4.3.6  「 さばかり聞こえしものを、さも心にかなはぬ世かな」
 「あれほど申し上げたのに、何とも思い通りに行かない夫婦仲だなあ」
 「あんなに言っておいたのに、自分の意志などは少しも尊重されない」
  "Sabakari kikoye si mono wo, samo kokoro ni kanaha nu yo kana!"
4.3.7  とうち嘆きてゐたまへり。
 とお嘆きになっていらっしゃった。
 と歎息たんそくをしていた。
  to uti-nageki te wi tamahe ri.
4.3.8  兵部卿宮、御前の御遊びにさぶらひたまひて、静心なく、この御局のあたり思ひやられたまへば、念じあまりて聞こえたまへり。 大将は、司の御曹司にぞおはしける。「 これより」とて取り入れたれば、 しぶしぶに見たまふ
 兵部卿宮、御前の管弦の御遊に伺候していらっしゃっても、気が落ち着かず、このお局あたりを思わずにはいらっしゃれないので、堪えきれずにお便りを申し上げなさった。大将は、近衛府の御曹司にいらっしゃる時であった。「そこから」と言って取り次いだので、しぶしぶと御覧になる。
 兵部卿の宮は御前の音楽の席に、その一員として列席しておいでになったのであるが、お心持ちは平静でありえなかった。尚侍の曹司ばかりがお思われになってならないのであった。堪えがたくなって宮は手紙をお書きになった。大将は自身の直廬じきろのほうにいたのである。宮の御消息であるといって使いから女房が渡されたものを、尚侍はしぶしぶ読んだ。
  Hyaubukyau-no-Miya, gozen no ohom-asobi ni saburahi tamahi te, sidukokoro naku, kono mi-tubone no atari omohiyara re tamahe ba, nenzi amari te kikoye tamahe ri. Daisyau ha, Tukasa no mi-zausi ni zo ohasi keru. "Kore yori." tote tori ire tare ba, sibusibu ni mi tamahu.
4.3.9  「 深山木に羽うち交はしゐる鳥の
   またなくねたき春にもあるかな
 「深山木と仲よくしていらっしゃる鳥が
  またなく疎ましく思われる春ですねえ
  深山木みやまぎはねうちはしゐる鳥の
  またなくねたき春にもあるかな
    "Miyamagi ni hane uti-kahasi wiru tori no
    mata naku netaki haru ni mo aru kana
4.3.10   さへづる声も耳とどめられてなむ
 鳥の囀る声が耳に止まりまして」
 さえずる声にも耳がとどめられてなりません。
  Saheduru kowe mo mimi todome rare te nam."
4.3.11  とあり。いとほしう、面赤みて、聞こえむかたなく思ひゐたまへるに、 主上渡らせたまふ
 とある。お気の毒に思って、顔が赤くなって、お返事のしようもなく思っていらっしゃるところに、主上がお越しあそばす。
 とあった。気の毒なほど顔を赤めて、何と返事もできないように尚侍が思っている所へみかどがおいでになった。
  to ari. Itohosiu, omote akami te, kikoye m kata naku omohi wi tamahe ru ni, Uhe watara se tamahu.
注釈367宿直所にゐたまひて鬚黒が宿直所(陰明門内南廊、右大将直廬)に。4.3.1
注釈368日一日聞こえ暮らしたまふことは踏歌の翌日。一日中、鬚黒は玉鬘に何かと話し掛けなさる内容は。4.3.1
注釈369夜さり、まかでさせたてまつりてむ以下「やすからぬ」まで、鬚黒の詞。4.3.2
注釈370かかるついでにとこのように宮中に上がった機会にそのままいようと。4.3.2
注釈371大臣の心あわたたしきほどならで以下「すがすがしうや」まで、女房の詞。「大臣」は源氏をさしていう。「心あわたたしき」以下「まかでさせたまへ」まで、源氏の詞を引用。4.3.4
注釈372御心ゆかせたまふばかり帝のお心に御満足あそばされるほど。4.3.4
注釈373いとつらしと思ひて鬚黒はとてもひどいと思って。4.3.5
注釈374さばかり以下「世かな」まで、鬚黒の心。4.3.6
注釈375大将は司の御曹司にぞおはしける挿入句。蛍兵部卿宮から手紙が来た時、鬚黒はちょうど近衛府の右大将直廬にいらっしゃったのであったという説明を挿入した。4.3.8
注釈376これよりとて大島本は「これより」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「それより」と校訂する。女房が鬚黒のもとからといって。4.3.8
注釈377しぶしぶに見たまふ玉鬘が渋々と御覧になる。4.3.8
注釈378深山木に羽うち交はしゐる鳥の--またなくねたき春にもあるかな蛍兵部卿宮からの贈歌。鬚黒を「深山木」に見立て、玉鬘を「鳥」に見立てる。「深山木」は無風流な木の譬えである。「またなくねたき」には「またなく妬き」に「また鳴く音」「また泣く声」を響かせる。「羽うち交はし」は「長恨歌」の比翼連理を踏まえた夫婦仲の睦まじいことをいう。楽しいはずの春が自分には悔しい思いでいる。4.3.9
注釈379さへづる声も耳とどめられてなむ蛍兵部卿宮の歌に添えた詞。『源氏釈』は「百千鳥囀る春はものごとに改まれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。現行の注釈書でも指摘する。4.3.10
注釈380主上渡らせたまふ主上が承香殿の東面の玉鬘の局にお渡りあそばす。4.3.11
出典3 さへづる声も 百千鳥さへづる春は物ごとに改まれども我ぞ古り行く 古今集春上-二八 読人しらず 4.3.10
4.4
第四段 帝、玉鬘のもとを訪う


4-4  Mikado visits to Tamakazura's room

4.4.1  月の明かきに、御容貌はいふよしなくきよらにて、 ただ、かの大臣の御けはひに違ふところなくおはします。「 かかる人はまたもおはしけり」と、 見たてまつりたまふかの御心ばへは浅からぬも、うたてもの思ひ加はりしを、これは、 などかはさしもおぼえさせたまはむいとなつかしげに思ひしことの違ひにたる怨みをのたまはするに、 面おかむかたなくぞおぼえたまふや。顔をもて隠して、 御応へもえ聞こえたまはねば
 月が明るいので、ご容貌は言いようもなくお美しくて、まるで、あの大臣のご様子に違うところなくいらっしゃる。「このような方が二人もいらっしゃったのだ」と、拝見なさる。あの方のお気持ちは浅くはないが、嫌な物思いをしたけれど、こちらは、どうしてそのように思わせなさろう。たいそうやさしそうに、期待していたことと違ってしまった恨み事を仰せられるので、顔のやり場もないほどにお思いなさるよ。顔を袖で隠して、お返事も申し上げなさらないので、
 明るい月の光にお美しい竜顔りゅうがんがよく拝された。源氏の顔をただそのまま写したようで、こうしたお顔がもう一つあったのかというような気が玉鬘にされるのであった。源氏の愛は深かったがこの人が受け入れるのに障害になるものがあまりに多かった。帝との間にはそうしたものはないのである。帝はなつかしい御様子で、お志であったことが違ってしまったという恨みをお告げになるのであったが、尚侍は恥ずかしくて顔の置き場もない気がした。顔を隠して、お返辞もできないでいると、
  Tuki no akaki ni, ohom-katati ha ihu yosi naku kiyora nite, tada, kano Otodo no ohom-kehahi ni tagahu tokoro naku ohasimasu. "Kakaru hito ha mata mo ohasi keri!" to, mi tatematuri tamahu. Kano mi-kokorobahe ha asakara nu mo, utate monoomohi kuhahari si wo, kore ha, nadokaha sasimo oboye sase tamaha m? Ito natukasige ni, omohi si koto no tagahi ni taru urami wo notamaha suru ni, omote oka m kata naku zo oboye tamahu ya! Kaho wo mote-kakusi te, ohom-irahe mo e kikoye tamaha ne ba,
4.4.2  「 あやしうおぼつかなきわざかなよろこびなども、思ひ知りたまはむと思ふことあるを、聞き入れたまはぬさまにのみあるは、かかる御癖なりけり」
 「妙に黙っていらっしゃるのですね。昇進なども、ご存知であろうと思うことがあるのに、何もお聞き入れなさらない様子でばかりいらっしゃるのは、そのようなご性格なのですね」
 「たよりない方だね。好意を受けてもらおうと思ったことにも無関心でおいでになるのですね。何にもそうなのですね。あなたの癖なのですね」
  "Ayasiu obotukanaki waza kana! Yorokobi nado mo, omohi siri tamaha m to omohu koto aru wo, kiki ire tamaha nu sama ni nomi aru ha, kakaru ohom-kuse nari keri!"
4.4.3  とのたまはせて、
 と仰せになって、
 と仰せになって、
  to notamaha se te,
4.4.4  「 などてかく灰あひがたき紫を
   心に深く思ひそめけむ
 「どうしてこう一緒になりがたいあなたを
  深く思い染めてしまったのでしょう
  「などてかくはひ合ひがたき紫を
  心に深く思ひめけん
    "Nadote kaku hahi ahi gataki murasaki wo
    kokoro ni hukaku omohi some kem
4.4.5   濃くなり果つまじきにや
 これ以上深くはなれないのでしょうか」
 濃くはなれない運命だろうか」
  Koku nari hatu maziki ni ya?"
4.4.6  と仰せらるるさま、いと若くきよらに恥づかしきを、「 違ひたまへるところやある」と思ひ慰めて、聞こえたまふ。 宮仕への労もなくて、今年、加階したまへる心にや
 と仰せになる様子、たいそう若々しく美しくて気恥ずかしいので、「どこが違っていらっしゃろうか」と気を取り直して、お返事申し上げなさる。宮仕えの年功もなくて、今年、位を賜ったお礼の気持ちなのであろうか。
 若々しくておきれいな所は源氏と同じである。源氏と思ってお話を申し上げようと尚侍は思った。陛下が好意と仰せられるのは、去年尚侍になって以来、まだ勤労らしいことも積まずに、三位さんみに玉鬘を陞叙しょうじょされたことである。紫は三位の男子の制服の色であった。
  to ohose raruru sama, ito wakaku kiyora ni hadukasiki wo, "Tagahi tamahe ru tokoro ya aru?" to omohi nagusame te, kikoye tamahu. Miyadukahe no rau mo naku te, kotosi, kakai si tamahe ru kokoro ni ya?
4.4.7  「 いかならむ色とも知らぬ紫を
   心してこそ人は染めけれ
 「どのようなお気持ちからとも存じませんでした
  この紫の色は、深いお情けから下さったものなのですね
  「いかならん色とも知らぬ紫を
  心してこそ人はそめけれ
    "Ika nara m iro to mo sira nu murasaki wo
    kokoro si te koso hito ha some kere
4.4.8   今よりなむ思ひたまへ知るべき
 ただ今からはそのように存じましょう」
 ただ今から改めて御恩を思います」
  Ima yori nam omohi tamahe siru beki."
4.4.9  と聞こえたまへば、うち笑みて、
 と申し上げなさると、ほほ笑みなさって、
 と尚侍が言うと、帝は微笑をあそばして、
  to kikoye tamahe ba, uti-wemi te,
4.4.10  「 その、今より染めたまはむこそ、かひなかべいことなれ。 愁ふべき人あらば、ことわり聞かまほしくなむ」
 「その、今から思って下さろうとしても、何の役にも立たないことです。訴えを聞いてくれる人があったら、その判断を聞いてみたいものです」
 「その今からということがだめになったのだからね。私に抗議する人があれば理論が聞きたい。私のほうが先にあなたを愛していたのだから」
  "Sono, ima yori some tamaha m koso, kahi naka' bei koto nare. Urehu beki hito ara ba, kotowari kika mahosiku nam."
4.4.11  と、いたう怨みさせたまふ御けしきの、まめやかにわづらはしければ、「 いとうたてもあるかな」とおぼえて、「 をかしきさまをも見えたてまつらじ、むつかしき 世の癖なりけり」と思ふに、まめだちてさぶらひたまへば、え思すさまなる乱れごともうち出でさせたまはで、「 やうやうこそは目馴れめ」と 思しけり
 と、たいそうお恨みあそばす御様子が、真面目で厄介なので、「とても嫌だわ」と思われて、「愛想の良い態度をお見せ申すまい、男の方の困った癖だわ」と思うと、真面目になって伺候していらっしゃるので、お思い通りの冗談も仰せになれずに、「だんだんと親しみ馴れて行くことだろう」とお思いあそばすのであった。
 と恨みをお告げになる。言葉の遊戯ではなく皆まじめに思召おぼしめすらしいのであったから、尚侍は困ったことであると思った。自分が陛下の愛に感激しているほんとうの気持ちなどはお見せすべきでない。帝といえども男性に共通した弱点は持っておいでになるのであるからと考えて、玉鬘たまかずらはただきまじめなふうで黙って侍していた。帝はもう少し突込んだ恋の話もしたく思召してここへおいでになったのであるが、それがお言い出せにならないで、そのうちれてくるであろうからと見ておいでになった。
  to, itau urami sase tamahu mi-kesiki no, mameyaka ni wadurahasikere ba, "Ito utate mo aru kana!" to oboye te, "Wokasiki sama wo mo miye tatematura zi, mutukasiki yo no kuse nari keri." to omohu ni, mamedati te saburahi tamahe ba, e obosu sama naru midare goto mo uti-ide sase tamaha de, "Yauyau koso ha menare me." to obosi keri.
注釈381ただかの大臣の御けはひに違ふところなくおはします月の光に照らされた主上のご容貌は源氏の大臣にそっくりでいらっしゃる。4.4.1
注釈382かかる人はまたもおはしけり玉鬘の感想。源氏のように美しい方がもう一人いらっしゃったのだ。4.4.1
注釈383見たてまつりたまふ玉鬘は主上を拝見なさる。4.4.1
注釈384かの御心ばへは以下「おぼえさせたまはむ」あたりまで玉鬘の心。源氏と主上を比較する。4.4.1
注釈385などかはさしもおぼえさせたまはむ反語表現。どうして主上がお思いあそばそうか、それはない。4.4.1
注釈386いとなつかしげに玉鬘の気持ちに添った語り口。「のたまはするに」に係る。4.4.1
注釈387思ひしことの違ひにたる怨み主上が独身の身での尚侍としての出仕を期待していたことに相違してしまった恨み言。主上が「思って」いたことだが、ここでは敬語表現がない。4.4.1
注釈388面おかむかたなくぞおぼえたまふや「や」(詠嘆の終助詞)、語り手の玉鬘に同情した表現。4.4.1
注釈389御応へもえ聞こえたまはねば大島本は「えきこえ」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『古典セレクション』は諸本に従って「聞こえ」と「え」を削除する。主上の恨み言に玉鬘は何とも返事を申し上げられないので。4.4.1
注釈390あやしうおぼつかなきわざかな以下「御癖なりけり」まで、主上の玉鬘への詞。4.4.2
注釈391よろこび叙位の喜び。4.4.2
注釈392などてかく灰あひがたき紫を--心に深く思ひそめけむ帝の贈歌。「紫」は三位の服色。玉鬘を三位に叙したことをいう。また紫は椿の灰を混ぜて染料を作る。「灰合ひ」に「逢ひ」を掛け、「深く」「染め」は「紫」の縁語。4.4.4
注釈393濃くなり果つまじきにやこれ以上深い関係にはなれないのでしょうかの意。「濃く」は「紫」の縁語。会話文の中にも縁語を使う。ここまで、主上の歌に添えた詞。4.4.5
注釈394違ひたまへるところやある玉鬘の心。源氏と主上を比較し、少しも違わないと思う。4.4.6
注釈395宮仕への労もなくて今年加階したまへる心にや語り手が玉鬘が次のような返歌をした気持ちを先回りして語った挿入文。『細流抄』は「此哥の注を草子地かく也」と指摘。『集成』も「あらかしめ次の歌に説明を加えた草子地」と指摘する。4.4.6
注釈396いかならむ色とも知らぬ紫を--心してこそ人は染めけれ玉鬘の返歌。帝への感謝の気持ちを詠む。「色」「染め」は「紫」の縁語。4.4.7
注釈397今よりなむ思ひたまへ知るべきここまで、玉鬘の返歌に添えた詞。4.4.8
注釈398その今より染めたまはむこそ以下「聞かまほしくなむ」まで主上の詞。「そめ」は「初め」と「染め」とを掛け、「染め」は「紫」の縁語。4.4.10
注釈399愁ふべき人あらば私の愁えを聞いてくださる人がいたら。4.4.10
注釈400いとうたてもあるかな玉鬘の心。4.4.11
注釈401をかしきさまをも以下「世の癖なりけり」まで玉鬘の心。4.4.11
注釈402世の癖男女の仲、特に男性の悪い性分の意。4.4.11
注釈403やうやうこそは目馴れめ主上の心。玉鬘もだんだんと宮仕え生活に慣れてこよう。4.4.11
注釈404思しけり帝はお思いあそばすのであった。「けり」(過去の助動詞)でもって、この段を語り収める。4.4.11
4.5
第五段 玉鬘、帝と和歌を詠み交す


4-5  Tamakazura and Mikado compose and exchange waka

4.5.1   大将は、かく渡らせたまへるを聞きたまひて、いとど静心なければ、急ぎまどはしたまふ。 みづからも、「 似げなきことも出で来ぬべき身なりけり」と心憂きに、えのどめたまはず、まかでさせたまふべきさま、つきづきしきことづけども作り出でて、 父大臣など、かしこくたばかりたまひてなむ、御暇許されたまひける。
 大将は、このようにお越しあそばしたのをお聞きになって、ますます心が落ち着かないので、急いでせき立てなさる。ご自身も、「身分不相応なことも出て来かねない身の上だなあ」と情けなく思うので、落ち着いていらっしゃれず、退出させなさる段取り、もっともらしい口実を作り出して、父大臣など、うまく取り繕いなさって、御退出を許されなさったのであった。
 大将は帝が曹司へおいでになったと聞いて危険がることがいよいよ急になって、退出を早くするようにとしきりに催促をしてきた。もっともらしい口実も作って実父の大臣を上手じょうずに賛成させ、いろいろと策動した結果、ようやく今夜退出する勅許を得た。
  Daisyau ha, kaku watara se tamahe ru wo kiki tamahi te, itodo sidukokoro nakere ba, isogi madohasi tamahu. Midukara mo, "Nigenaki koto mo ideki nu beki mi nari keri." to kokorouki ni, e nodome tamaha zu, makade sase tamahu beki sama, tukidukisiki kotoduke-domo tukuri ide te, titi-Otodo nado, kasikoku tabakari tamahi te nam, ohom-itoma yurusa re tamahi keru.
4.5.2  「 さらば物懲りして、また出だし立てぬ人 もぞある。いとこそ からけれ。人より先に進みにし心ざしの、 人に後れて、けしき取り従ふよ昔のなにがしが例も、引き出でつべき心地なむする」
 「それでは。これに懲りて、二度と出仕をさせない人があっては困る。たいそうつらい。誰より先に望んだ気持ちが、人に先を越されて、その人の御機嫌を伺うことよ。昔の誰それの例も、持ち出したい気がします」
 「今夜あなたの出て行くのを許さなければ、懲りてしまって、これきりあなたをよこしてくれない人があるからね。だれよりも先にあなたを愛した人が、人に負けて、勝った男の機嫌きげんをとるというようなことをしている。昔の何とかいった男(時平に妻を奪われた平貞文たいらのさだふみの歌、昔せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残なごりなるらん)のように、まったく悲観的な気持ちになりますよ」
  "Saraba. Monogori si te, mata idasi tate nu hito mo zo aru. Ito koso karakere. Hito yori saki ni susumi ni si kokorozasi no, hito ni okure te, kesiki tori sitagahu yo! Mukasi no nanigasi ga tamesi mo, hikiide tu beki kokoti nam suru."
4.5.3  とて、まことにいと口惜しと思し召したり。
 と仰せになって、ほんとうに残念だとお思いあそばしていらっしゃった。
 と仰せになって、真底しんそこからくやしいふうをお見せになった。
  tote, makoto ni ito kutiwosi to obosimesi tari.
4.5.4   聞こし召ししにも、こよなき近まさりを、はじめより さる御心なからむにてだにも、御覧じ過ぐすまじきを、まいていとねたう、飽かず思さる。
 お聞きあそばしていた時よりも、格段に実際に素晴らしいのを、初めからそのような気持ちがないにせよ、お見逃しになれないだろうに、なおさらたいそう悔しく、残念にお思いなさる。
 聞こし召したのに数倍した美貌びぼうの持ち主であったから、初めにそうした思召しはなくっても、この人を御覧になっては公職の尚侍としてだけでお許しにならなかったであろうと思われるが、まして初めの事情がそうでもなかったのであったから、帝はねたましくてならぬ御感情がおありになって、最初の求婚者の権利を主張あそばしたくなるのを、あさはかな恋と思われたくないと御自制をあそばして、熱情を認めさせようとしてのお言葉だけをいろいろに下された。
  Kikosimesi si ni mo, koyonaki tikamasari wo, hazime yori saru mi-kokoro nakara m nite dani mo, goranzi sugusu maziki wo, maite ito netau, aka zu obosa ru.
4.5.5  されど、ひたぶるに浅き方に、思ひ疎まれじとて、いみじう心深きさまにのたまひ契りて、なつけたまふも、かたじけなう、「 われは、われ、と思ふものを」と思す。
 けれども、まったく出来心からと、疎んじられまいとして、たいそう愛情深い程度にお約束なさって、親しみなさるのも、恐れ多く、「わたしは、わたしだわ、と思っているのに」とお思いになる。
 こうしてなつけようとあそばす御好意がかたじけなくて、結婚しても自分の心は自分の物であるのに、良人おっとにことごとく与えているものでないのにと玉鬘は思っていた。
  Saredo, hitaburu ni asaki kata ni, omohi utoma re zi tote, imiziu kokorobukaki sama ni notamahi tigiri te, natuke tamahu mo, katazikenau, "Ware ha, ware, to omohu mono wo." to obosu.
4.5.6   御輦車寄せてこなた、かなたの、御かしづき人ども心もとながり、大将も、いとものむつかしうたち添ひ、騷ぎたまふまで、 えおはしまし離れず
 御輦車を寄せて、こちら方、あちら方の、お世話役の人々が待ち遠しがって、大将も、たいそううるさいほどお側を離れず、世話をお焼きになる時まで、お離れあそばされない。
 輦車れんしゃが寄せられて、内大臣家、大将家のために尚侍の退出に従って行こうとする人たちが、出立ちを待ち遠しがり、大将自身もむつかしい顔をしながら、人々へ指図さしずをするふうにしてその辺を歩きまわるまで帝は尚侍の曹司をお離れになることができなかった。
  Ohom-teguruma yose te, konata, kanata no, ohom-kasidukibito-domo kokoromotonagari, Daisyau mo, ito mono-mutukasiu tatisohi, sawagi tamahu made, e ohasimasi hanare zu.
4.5.7  「 かういと厳しき近き守りこそむつかしけれ
 「こんなに厳重な付ききりの警護は不愉快だ」
 「近衛ちかきまもり過ぎるね。これでは監視されているようではないか」
  "Kau ito kibisiki tikaki mamori koso mutukasikere."
4.5.8  と憎ませたまふ。
 とお憎みあそばす。
 と帝はお憎みになった。
  to nikuma se tamahu.
4.5.9  「 九重に霞隔てば梅の花
   ただ香ばかりも匂ひ来じとや
 「幾重にも霞が隔てたならば、梅の花の香は
  宮中まで匂って来ないのだろうか
  九重ここのへかすみ隔てば梅の花
  ただかばかりもにほひこじとや
    "Kokonohe ni kasumi hedate ba mume no hana
    tada ka bakari mo nihohi ko zi to ya
4.5.10   殊なることなきことなれども、御ありさま、けはひを見たてまつるほどは、をかしくもやありけむ。
 格別どうという歌ではないが、ご様子、物腰を拝見している時は、結構に思われたのであろうか。
 何でもない御歌であるが、お美しい帝が仰せられたことであったから、特別なもののように尚侍には聞かれた。
  Koto naru koto naki koto nare domo, ohom-arisama, kehahi wo mi tatematuru hodo ha, wokasiku mo ya ari kem?
4.5.11  「 野をなつかしみ、明かいつべき夜を、 惜しむべかめる人も、 身をつみて心苦しうなむ。いかでか聞こゆべき」
 「野原が懐かしいので、このまま夜明かしをしたいが、そうさせたくないでいる人が、自分の身につまされて気の毒に思う。どのようにお便りしたらよいものか」
 「私は話し続けて夜が明かしたいのだが、惜しんでいる人にも、私の身に引きくらべて同情がされるからお帰りなさい。しかし、どうして手紙などはあげたらいいだろう」
  "No wo natukasimi, akai tu beki yo wo, wosimu beka' meru hito mo, mi wo tumi te kokorogurusiu nam. Ikadeka kikoyu beki?"
4.5.12   と思し悩むも、「 いとかたじけなし」と、見たてまつる
 とお悩みあそばすのも、「まことに恐れ多いこと」と、拝する。
 と御心配げに仰せられるのがもったいなく思われた。
  to obosi nayamu mo, "Ito katazikenasi." to, mi tatematuru.
4.5.13  「 香ばかりは風にもつてよ花の枝に
   立ち並ぶべき匂ひなくとも
 「香りだけは風におことづけください
  美しい花の枝に並ぶべくもないわたしですが
  かばかりは風にもつてよ花の
  立ち並ぶべきにほひなくとも
    "Kabakari ha kaze ni mo tute yo hana no e ni
    tati-narabu beki nihohi naku tomo
4.5.14   さすがにかけ離れぬけはひをあはれと思しつつ、返り見がちにて 渡らせたまひぬ
 やはり冷たく扱われない様子を、しみじみとお思いになりながら、振り返りがちにお帰りあそばした。
 と言って、さすがに忘られたくない様子の女に見えるのを哀れに思召しながら、顧みがちに帝はお立ち去りになった。
  Sasuga ni kake-hanare nu kehahi wo, ahare to obosi tutu, kaherimi-gati nite watara se tamahi nu.
注釈405大将は以下、鬚黒に視点を移して語る。4.5.1
注釈406みづからも「も」(係助詞、並列)があることによって、鬚黒はもちろんのこと、玉鬘自身でものニュアンス。4.5.1
注釈407似げなきことも出で来ぬべき身なりけり「似げなきこと」とは帝の寵愛を得ることをさす。既に夫があり、それはまた異母姉妹の弘徽殿女御や秋好中宮らと寵愛を競うことになると懸念した。4.5.1
注釈408父大臣玉鬘の父、内大臣。4.5.1
注釈409さらば以下「心地なむする」まで、帝の詞。それならしかたがないの意。4.5.2
注釈410物懲りして玉鬘を出仕させたことに懲りての意。4.5.2
注釈411もぞある~があっては困る、の意。4.5.2
注釈412人に後れてけしき取り従ふよ「人」は鬚黒をさす。鬚黒に先を越されて、今やその人の御機嫌を伺うことになったとはの意。4.5.2
注釈413昔のなにがしが例も「大納言国経の朝臣の家にはべりける女に、平定文いとしのびて語らひはべりて、行末まで契りはべりけるころ、この女にはかに贈太政大臣にむかへられてわたりはべりにければ、文だにも通はすかたなくなりにければ、かの女の子の五ばかりなるが、本院の西の対に遊びありきけるを呼び寄せて、母に見せたてまつれとて腕にかきつけはべりける、平定文 昔せしわがかねごとの悲しきはいかに契りし名残なるらむ。 返し、読人しらず うつつにて誰契りけむ定めなき夢路にまどふ我は我かは」(後撰集恋三、七一一、平定文・七一二、読人しらず)の話が指摘されている。4.5.2
注釈414聞こし召ししにもこよなき近まさりを帝は玉鬘の美しさをお聞きあそばしていた以上に、実際間近で御覧になると格段に美しいのを、の意。4.5.4
注釈415さる御心妃の一人にしようとするお考え。4.5.4
注釈416われはわれと思ふものを玉鬘は、心に前出の「後撰集」の女の返歌、「うつつにて誰契りけむ定めなき夢路にまどふ我は我かは」の語句を引用して、わが身を省みる。夫をもったわが身は昔のわたしではない。しかし、いまだ「夢路に惑う」という心の底に帝を思い続けている気持ちがあるのか、否、もう「我は我かは」という確固とした鬚黒の妻としての自覚なのか。二者択一というより両方の気持ちが揺れ動いているというのが玉鬘の真実に近いのではなかろうか。『完訳』は女の返歌による叙述としながら、「あるいはこれと無関係に、自分自身としてはみかどに仕えたいのに、と解すべきか」と注す。4.5.5
注釈417御輦車寄せて御輦車は、女性では女御、妃などのうち、特に帝の勅許を得て許された者が乗用する。したがって、帝の玉鬘に対する特別な措置といえる。4.5.6
注釈418こなたかなたの御かしづき人ども源氏方内大臣方のお世話役連中。4.5.6
注釈419えおはしまし離れず帝は玉鬘のお側をお離れにならない。4.5.6
注釈420かういと厳しき近き守りこそむつかしけれ帝の詞。鬚黒が右大将なので、それにひっかけて揶揄する。4.5.7
注釈421九重に霞隔てば梅の花--ただ香ばかりも匂ひ来じとや帝の玉鬘への贈歌。別れの挨拶といった内容。「九重」は宮中の意と九重、すなわち幾重にもの意を掛ける。また「かはかり」にも「香はかり」と副詞の「かばかり」とを掛ける。「霞」に暗に鬚黒のことをいう。「梅の花」は玉鬘を譬喩する。4.5.9
注釈422殊なることなきことなれども以下「をかしくもやありけむ」まで語り手の判断の交じえた表現。『休聞抄』は「双也」と指摘。『孟津抄』は「紫式部が批判也」。『評釈』は「語り手の批評この歌はたいしたものでない、と、語り手はことわる。しかし、その時は、主上を拝していたのだから、結構なお歌と思ったことでしょうか。そう思ったひとを非難することはできない、と言うのである」と注す。『集成』は「草子地」と指摘。『完訳』は「語り手が、玉鬘の動揺を推測」と注す。4.5.10
注釈423野をなつかしみ以下「聞こゆべき」まで帝の詞。「春の野に菫摘みにと来しわれぞ野をなつかしみ一夜寝にける」(古今六帖六、菫、三九一六・万葉集巻八、一四二四、山部赤人)の和歌の句を引用する。4.5.11
注釈424惜しむべかめる人鬚黒をさす。4.5.11
注釈425身をつみて前出の和歌の語句「菫摘みに」に引っ掛けた表現。4.5.11
注釈426と思し悩むもと帝は玉鬘に仰せになってお悩みあそばすのもの意。「と」の下には「仰せて」などの語句が省略されている。4.5.12
注釈427いとかたじけなしと見たてまつる玉鬘は帝をまことに恐れ多いと拝する。4.5.12
注釈428香ばかりは風にもつてよ花の枝に--立ち並ぶべき匂ひなくとも玉鬘の返歌。帝の贈歌から、「香ばかり」の語句を引用して応える。「花の枝」は後宮の妃方を隠喩。また帝をさすと考えることもできよう。わが身を「匂ひなくとも」と謙遜する。4.5.13
注釈429さすがにかけ離れぬけはひを帝の目から見た玉鬘の冷淡にあしらわない態度。4.5.14
注釈430あはれと思しつつ帝の気持ち。4.5.14
注釈431渡らせたまひぬ帝はお戻りあそばした。以上、承香殿東間の玉鬘と帝の別れの場面終わる。帝の玉鬘に寄せる愛執はその後も語られる。4.5.14
出典4 野をなつかしみ 春の野にすみれ摘みにと来し我ぞ野をなつかしみ一夜寝にける 古今六帖六-三九一六 4.5.11
校訂32 からけれ からけれ--かゝ(ゝ/$ら<朱>)けれ 4.5.2
4.6
第六段 玉鬘、鬚黒邸に退出


4-6  Tamakazura goes back to Higekuro's residence

4.6.1   やがて今宵、かの殿にと思しまうけたるをかねては許されあるまじきにより、漏らしきこえたまはで
 そのまま今夜、あの邸にとお考えになっていたが、前もってはお許しが出ないだろうから、打ち明け申されずに、
 すぐに大将は自邸へ玉鬘たまかずらを伴おうと思っているのであるが、初めから言っては源氏の同意が得られないのを知って、この時までは言わずに、突然、
  Yagate koyohi, kano tono ni to obosi mauke taru wo, kane te ha yurusa re aru maziki ni yori, morasi kikoye tamaha de,
4.6.2  「 にはかにいと乱り風邪の悩ましきを、心やすき所にうち休みはべらむほど、よそよそにてはいとおぼつかなくはべらむを」
 「急にたいそう風邪で気分が悪くなったものですから、気楽な所で休ませます間、よそに離れていてはたいそう不安でございますから」
 「にわかに風邪かぜ気味になりまして、自宅で養生をしたく存じますが、別々になりましては妻も気がかりでございましょうから」
  "Nihaka ni ito midari kaze no nayamasiki wo, kokoroyasuki tokoro ni uti-yasumi habera m hodo, yoso yoso nite ha ito obotukanaku habera m wo."
4.6.3  と、おいらかに 申しないたまひてやがて渡したてまつりたまふ
 と、穏やかに申し上げなさって、そのままお移し申し上げなさる。
 と穏やかに了解を求めて、大将はそのまま尚侍ないしのかみをつれて帰ったのであった。
  to, oiraka ni mausi nai tamahi te, yagate watasi tatematuri tamahu.
4.6.4  父大臣、にはかなるを、「 儀式なきやうにや」と思せど、「あながちに、さばかりのことを言ひ妨げむも、人の心おくべし」と思せば、
 父内大臣は、急なことで、「格式が欠けるようではないか」とお思いになるが、「強引に、そのくらいのことで反対するのも、気を悪くするだろう」とお思いになると、
 内大臣は婚家へ娘のにわかな引き取られ方を、形式上不満にも思ったが、小さなことにこだわっていては婿の大将の感情を害することになろうと思って、
  Titi-Otodo, nihaka naru wo, "Gisiki naki yau ni ya?" to obose do, "Anagati ni, sabakari no koto wo ihi samatage m mo, hito no kokorooku besi." to obose ba,
4.6.5  「 ともかくも。もとより進退ならぬ人の御ことなれば
 「どのようにでも。もともとわたしの自由にならないお方のことだから」
 「どちらでも私のほうの意志でどうすることもできない娘になっているのですから」
  "Tomokakumo. Moto yori sintai nara nu hito no ohom-koto nare ba."
4.6.6   とぞ、聞こえたまひける
 と、申し上げなさるのであった。
 という返事を内大臣はした。
  to zo, kikoye tamahi keru.
4.6.7   六条殿ぞ、「いとゆくりなく本意なし」と思せど、 などかはあらむ。女も、 塩やく煙のなびきけるかたを 、あさましと思せど、 盗みもて行きたらましと思しなずらへて、いとうれしく心地おちゐぬ。
 六条殿は、「あまりに急で不本意だ」とお思いになるが、どうしようもない。女も、思ってもみなかった身の上を、情けないとお思いになるが、盗んで来たらと、たいそう嬉しく安心した。
 源氏は思いがけないことになったと失望を感じたが、それは無理なことのようである。玉鬘も心にない良人おっとを持ったことは苦しいと思いながらも、盗んで行かれたのであればあきらめるほかはないという気になって、大将家へ来たことではじめて心が落ち着いてうれしかった。
  Rokudeu-dono zo, "Ito yukurinaku hoi nasi." to obose do, nadokaha ara m? Womna mo, siho yaku keburi no nabiki keru kata wo, asamasi to obose do, nusumi mote yuki tara masi to obosi nazurahe te, ito uresiku kokoti oti wi nu.
4.6.8   かの、入りゐさせたまへりしことを、いみじう 怨じきこえさせたまふも心づきなくなほなほしき心地して世には心解けぬ御もてなし、いよいよけしき悪し。
 あの、お入りあそばしたことを、たいそう嫉妬申し上げなさるのも、不愉快で、やはりつまらない人のような気がして、夫婦仲は疎々しい態度で、ますます機嫌が悪い。
 帝が曹司に長くおいでになったことで大将が非常に嫉妬しっとしていろいろなことを言うのも、凡人らしく思われて、良人を愛することのできない玉鬘の機嫌きげんはますます悪かった。
  Kano, iri wi sase tamahe ri si koto wo, imiziu wenzi kikoye sase tamahu mo, kokorodukinaku, nahonahosiki kokoti si te, yo ni ha kokorotoke nu ohom-motenasi, iyoiyo kesiki asi.
4.6.9   かの宮にも、さこそたけうのたまひしか、いみじう思しわぶれど、 絶えて訪れず。ただ思ふことかなひぬる御かしづきに、明け暮れ いとなみて過ぐしたまふ
 あの宮家でも、あのようにきつくおっしゃったが、たいそう後悔なさっているが、まったく音沙汰もない。ただ念願が叶ったお世話で、毎日いそしんでお過ごしになる。
 式部卿しきぶきょうの宮もあのように強い態度をおとりになったものの、大将がそれきりにしておくことで煩悶はんもんをしておいでになった。大将はもう交渉することを断念したふうである。一方では理想が実現された気になって、明け暮れ玉鬘をかしずくことに心をつかっていた。
  Kano Miya ni mo, sakoso takeu notamahi sika, imiziu obosi wabure do, tayete otodure zu. Tada omohu koto kanahi nuru ohom-kasiduki ni, akekure itonami te sugusi tamahu.
注釈432やがて今宵かの殿にと思しまうけたるを場面は変わって、鬚黒を中心に語る。4.6.1
注釈433かねては許されあるまじきにより漏らしきこえたまはで誰が許さないのか不分明。『集成』は内大臣とし、『完訳』は源氏とする。『新大系』は「源氏や内大臣」とする。4.6.1
注釈434にはかにいと以下「おぼつかなくはべらむを」まで、鬚黒の詞。4.6.2
注釈435申しないたまひて「申しない」は「申しなし」のイ音便形。ここも誰に申し上げなさってなのか不分明。4.6.3
注釈436やがて渡したてまつりたまふ鬚黒は玉鬘をそのまま自邸にお移し申し上げなさる。4.6.3
注釈437儀式なきやうにや退出の作法が疎略ではないか。当時は格式を重んじた。4.6.4
注釈438ともかくももとより進退ならぬ人の御ことなれば内大臣の詞。内大臣にとって玉鬘はもともと自分の思うままにならなかった人であるという意。4.6.5
注釈439とぞ聞こえたまひける内大臣は鬚黒に申し上げるのであったという意。玉鬘のいわゆる親権者は内大臣に移っているのか。あるいは、よく儀式の格式を重んじる内大臣側に焦点を当てて玉鬘の退出を語ったものか。4.6.6
注釈440六条殿ぞ場面は変わって、六条院の源氏の立場を語る一文を挿入し、鬚黒の自邸に戻った鬚黒と玉鬘を語る。4.6.7
注釈441などかはあらむ語り手の批評を挿入。『集成』は「何の不都合なことがあろう。鬚黒としては、もう源氏の意向など意に介する必要はない、という意味の草子地」と注す。4.6.7
注釈442塩やく煙のなびきけるかたを『源氏釈』は「須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり」(古今集恋四、七〇八、読人しらず)を指摘。現行の諸注釈書でも指摘する。4.6.7
注釈443盗みもて行きたらまし鬚黒の気持ち。女を盗んだ時の気持ちを想像し、うれしく思っている。『伊勢物語』六段の二条の后の物語や、この物語の「夕顔」や「若紫」巻の物語がある。また、『更級日記』の作者も美しい男性に連れ出されることに憧れていた当時の読者の気持ちを反映していよう。4.6.7
注釈444かの入りゐさせたまへりしことを帝が玉鬘のお部屋にお入りあそばしたことを。最高敬語が使われているので、帝のことと分かる。4.6.8
注釈445怨じきこえさせたまふも鬚黒が帝に嫉妬申し上げなさるのも。4.6.8
注釈446心づきなく玉鬘の心。鬚黒がぶつぶつ嫉妬しているのを側で聞いて気にくわなく思っている。4.6.8
注釈447なほなほしき心地して玉鬘にとって鬚黒は普通の人のような気がして。4.6.8
注釈448世には夫婦仲は。4.6.8
注釈449かの宮にも式部卿宮家でも。母娘を引き取ったその後の宮家の様子を語る。4.6.9
注釈450絶えて訪れず鬚黒はまったく宮家に音沙汰もない。4.6.9
注釈451いとなみて過ぐしたまふ鬚黒は玉鬘のお世話にいそしんで過ごしていらっしゃる。4.6.9
出典5 塩やく煙の 須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり 古今集恋四-七〇八 読人しらず 4.6.7
4.7
第七段 二月、源氏、玉鬘へ手紙を贈る


4-7  Genji sends a letter to Tamakazura in February

4.7.1   二月にもなりぬ。大殿は、
 二月になった。大殿は、
 二月になった。源氏は大将を無情な男に思われてならなかった。
  Kisaragi ni mo nari nu. OhoTono ha,
4.7.2  「 さても、つれなきわざなりや。いとかう 際々しうとしも思はでたゆめられたるねたさを」、人悪ろく、すべて御心にかからぬ折なく、 恋しう思ひ出でられたまふ
 「それにしても、無愛想な仕打ちだ。まったくこのようにきっぱりと自分のものにしようとは思いもかけないで、油断させられたのが悔しい」、と、体裁悪く、何から何までお気にならない時とてなく、恋しく思い出さずにはいらっしゃれない。
 これほどはっきりと玉鬘を自分から引き放すこととは思わずに油断をさせられていたことが、人聞きも不体裁に思われ、自身のためにも残念で、玉鬘が恋しくばかり思われた。
  "Sate mo, turenaki waza nari ya! Ito kau kihagihasiu to simo omoha de, tayume rare taru netasa wo", Hitowaroku, subete mi-kokoro ni kakara nu wori naku, kohisiu omohiide rare tamahu.
4.7.3  「 宿世などいふもの、おろかならぬことなれど、 わがあまりなる心にて、かく人やりならぬものは思ふぞかし」
 「運命などと言うのも、軽く見てはならないものだが、自分のどうすることもできない気持ちから、このように誰のせいでもなく物思いをするのだ」
 宿縁は無視できないものであっても、自身の思いやりのあり過ぎたことからこうした苦しみを買うことになったのである
  "Sukuse nado ihu mono, oroka nara nu koto nare do, waga amari naru kokoro nite, kaku hitoyari nara nu mono ha omohu zo kasi."
4.7.4  と、起き臥し 面影にぞ見えたまふ。
 と、寝ても起きても幻のようにまぶたにお見えになる。
 と、日夜面影にその人を見ていた。
  to, okihusi omokage ni zo miye tamahu.
4.7.5  大将の、をかしやかに、わららかなる気もなき人に添ひゐたらむに、はかなき戯れごともつつましう、あいなく思されて、念じたまふを、 雨いたう降りて、いとのどやかなるころ、かやうのつれづれも 紛らはし所に渡りたまひて語らひたまひしさまなどの、いみじう恋しければ、御文たてまつりたまふ。
 大将のような、趣味も、愛想もない人に連れ添っていては、ちょっとした冗談も遠慮されつまらなく思われなさって、我慢していらっしゃるとき、雨がひどく降って、とてものんびりとしたころ、このような所在なさも気の紛らし所にお行きになって、お話しになったことなどが、たいそう恋しいので、お手紙を差し上げなさる。
 風流気の少ない大将といることを思っては、手紙で、戯れのようにして今日このごろの気持ちを玉鬘に伝えることも気が置かれて得しなかった。雨がよく降って静かなころ、源氏はこうした退屈な時間も紛らすことが玉鬘の所でできたこと、その時分の様子などが目に浮かんできて、非常に恋しくなって手紙を書いた。
  Daisyau no, wokasiyaka ni, wararaka naru ke mo naki hito ni sohi wi tara m ni, hakanaki tahaburegoto mo tutumasiu, ainaku obosa re te, nenzi tamahu wo, ame itau huri te, ito nodoyaka naru koro, kayau no turedure mo magirahasi dokoro ni watari tamahi te, katarahi tamahi si sama nado no, imiziu kohisikere ba, ohom-humi tatematuri tamahu.
4.7.6   右近がもとに忍びて遣はすも、かつは、 思はむことを思すに、何ごともえ続けたまはで、ただ思はせたることども ぞありける
 右近のもとにこっそりと差し出すのも、一方では、それをどのように思うかとお思いになると、詳しくは書き綴ることがおできになれず、ただ相手の推察に任せた書きぶりなのであった。
 右近の所へそっとその手紙は送られたのであるが、そうはしながらも右近が怪しく思わないかということも考えられて、思うことはそのまま皆書き続けられなかった。ただ推察のできそうなことだけを書いたのであった。
  Ukon ga moto ni sinobi te tukahasu mo, katuha, omoha m koto wo obosu ni, nanigoto mo e tuduke tamaha de, tada omoha se taru koto-domo zo ari keru.
4.7.7  「 かきたれてのどけきころの春雨に
   ふるさと人をいかに偲ぶや
 「降りこめられてのどやかな春雨のころ
  昔馴染みのわたしをどう思っていらっしゃいますか
  かきたれてのどけきころの春雨に
  ふるさと人をいかに忍ぶや
    "Kakitare te nodokeki koro no harusame ni
    hurusatobito wo ikani sinobu ya
4.7.8   つれづれに添へて 、うらめしう思ひ出でらるること多うはべるを、 いかでか分き聞こゆべからむ
 所在なさにつけても、恨めしく思い出されることが多くございますが、どのようにして分かるように申し上げたらよいのでしょうか」
 私も退屈なものですから、いろいろ恨めしくなったりすることがあるのですが、どうしてそれをお聞かせしてよいかわかりません。
  Turedure ni sohe te, uramesiu omohiide raruru koto ohou haberu wo, ikadeka waki kikoyu bekara m."
4.7.9  などあり。
 などとある。
 などと書かれてあった。
  nado ari.
4.7.10   隙に忍びて 見せたてまつれば、うち泣きて、 わが心にも、ほど経るままに 思ひ出でられたまふ 御さまを、まほに、「 恋しや、いかで見たてまつらむ」などは、えのたまはぬ親にて、「 げに、いかでかは対面もあらむ」と、あはれなり。
 人のいない間にこっそりとお見せ申し上げると、ほろっと泣いて、自分の心でも、月日のたつにつれて、思い出さずにはいらっしゃれないご様子を、正面きって、「恋しい、何とかしてお目にかかりたい」などとは、おっしゃることのできない親なので、「おっしゃるとおり、どうしてお会いすることができようか」と、もの悲しい。
 人が玉鬘のそばにいない時を見計らって右近はこの手紙を見せた。玉鬘も泣いた。自身の心にも時がたつままに思い出されることの多い源氏は、感情そのままに、恋しい、どうかしていたいというのを遠慮しないではならない親であったから、実際問題として考えてもいつ逢えることともわからないので悲しかった。
  Hima ni sinobi te mise tatemature ba, uti-naki te, waga kokoro ni mo, hodo huru mama ni omohiide rare tamahu ohom-sama wo, maho ni, "Kohisi ya, ikade mi tatematura m." nado ha, e notamaha nu oya nite, "Geni, ikadekaha taimen mo ara m?" to, ahare nari.
4.7.11   時々、むつかしかりし御けしきを、心づきなう思ひきこえしなどは、 この人にも知らせたまはぬことなれば、心ひとつに思し続くれど、右近は、 ほのけしき見けりいかなりけることならむとは、今に 心得がたく思ひける
 時々、厄介であったご様子を、気にくわなくお思い申し上げたことなどは、この人にもお知らせになっていないことなので、自分ひとりでお思い続けていらっしゃるが、右近は、うすうす感じ取っていたのであった。実際、どんな仲であったのだろうと、今でも納得が行かず思っていたのであった。
 時々源氏の不純な愛撫あいぶの手が伸ばされようとして困った話などは、だれにも言ってないことであったが、右近は怪しく思っていた。ほんとうのことはまだわからないようにこの人は思っているのである。
  Tokidoki, mutukasikari si mi-kesiki wo, kokorodukinau omohi kikoye si nado ha, kono hito ni mo sira se tamaha nu koto nare ba, kokoro hitotu ni obosi tudukure do, Ukon ha, hono kesiki mi keri. Ikanari keru koto nara m to ha, ima ni kokoroe gataku omohi keru.
4.7.12  御返り、「 聞こゆるも恥づかしけれど、 おぼつかなくやは」とて、書きたまふ。
 お返事は、「差し上げるのも気が引けるが、ご不審に思われようか」と思って、お書きになる。
 返事を、「書くのが恥ずかしくてならないけれど、あげないでは失望をなさるだろうから」
 と言って、玉鬘たまかずらは書いた。
  Ohom-kaheri, "Kikoyuru mo hadukasikere do, obotukanaku yaha?" tote, kaki tamahu.
4.7.13  「 眺めする軒の雫に袖ぬれて
   うたかた人を偲ばざらめや
 「物思いに耽りながら軒の雫に袖を濡らして
  どうしてあなた様のことを思わずにいられましょうか
  ながめする軒のしづくそでぬれて
  うたかた人を忍ばざらめや
    "Nagame suru noki no siduku ni sode nure te
    utakatabito wo sinoba zara me ya
4.7.14   ほどふるころは、げに、ことなるつれづれもまさりはべりけり。あなかしこ」
 時がたつと、おっしゃるとおり、格別な所在なさも募りますこと。あなかしこ」
 それが長い時間でございますから、憂鬱ゆううつ的退屈と申すようなものもつのってまいります。失礼をいたしました。
  Hodo huru koro ha, geni, koto naru turedure mo masari haberi keri. Ana kasiko."
4.7.15  と、ゐやゐやしく 書きなしたまへり
 と、恭しくお書きになっていた。
 とうやうやしく書かれてあった。
  to, wiyawiyasiku kaki nasi tamahe ri.
注釈452二月にもなりぬ源氏三十八年二月、仲春の季節となる。玉鬘のいなくなった六条院の源氏を語る。4.7.1
注釈453さてもつれなきわざなりや以下「ねたさを」まで、源氏の心であるが、この文を受ける引用句がなく、「ねたさを人悪く」というように地の文に繋がっている。4.7.2
注釈454際々しうとしも思はで自分(源氏)は鬚黒が玉鬘をきっぱり自分のものにしようとは少しも考えないでの意。4.7.2
注釈455たゆめられたるねたさを「られ」(受身の助動詞)。源氏は被害者意識をもっている。結婚して他人の妻となってもまだ心底から執着心を拭いきれないでいる。
【ねたさを】-ここまでが源氏の心。しかし、この文を受ける引用句、例えば「と」などがない。そして、「ねたさを」は下の「人悪ろく」の目的格のようになっている。
4.7.2
注釈456恋しう思ひ出でられたまふ「られ」自発の助動詞。源氏は玉鬘が恋しく思い出さずにはいらっしゃれない。4.7.2
注釈457宿世などいふもの以下「思ふぞかし」まで、源氏の心。4.7.3
注釈458わがあまりなる心にて自分のどうすることもできない心から。『完訳』は「自分があまりにうかつすぎたために」と訳す。4.7.3
注釈459雨いたう降りて二月の雨、春雨。『伊勢物語』などにも春の物思いの景物として描かれる。4.7.5
注釈460紛らはし所に渡りたまひてかつて玉鬘がいた部屋に。4.7.5
注釈461語らひたまひしさま過去の助動詞「し」、源氏は自らの体験を回想する。4.7.5
注釈462右近もと夕顔の女房。その死後、源氏のもとに身を寄せ、「玉鬘」巻で、長谷寺に参詣した折、椿市で玉鬘に邂逅し、玉鬘が六条院に入ってからは玉鬘付きの女房となり、鬚黒と結婚して以後も女房として付き従って仕えている。4.7.6
注釈463思はむことを思すに源氏は右近がどう思うかとお思いになると。相手の思うことに敬語がないから、右近が思うことであろう。4.7.6
注釈464ぞありけるなのであった、という後からの回想的語り方。4.7.6
注釈465かきたれてのどけきころの春雨に--ふるさと人をいかに偲ぶや源氏の贈歌。「ふる」は「春雨に降る」と「古る里人」との掛詞。「ふるさと人」は、源氏自身をさす。4.7.7
注釈466つれづれに添へて大島本は「そへても(も#)」とある。すなわち「も」をミセケチにする。『集成』『古典セレクション』は底本の訂正以前本文と諸本に従って「添へても」とする。『新大系』は底本の訂正に従って「添へて」と校訂する。以下「聞こゆべからむ」まで、歌に添えられた文面。4.7.8
注釈467いかでか分き聞こゆべからむ大島本は「いかてかわ(△&わ)きゝ(△&ゝ)こゆへからむ」とある。すなわち「か」の次の文字「△」(判読不能)を摺り消して「わ」と重ね書きし、「き」の次の文字「△」(判読不能)を摺り消して「ゝ」と重ね書きする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「いかでかは聞こゆべからむ」とする。『新大系』は底本の訂正に従って「いかでかわき聞こゆべからむ」と校訂する。4.7.8
注釈468隙に鬚黒のいない時。4.7.10
注釈469見せたてまつれば右近が玉鬘にお見せ申し上げると。4.7.10
注釈470わが心にも相手の源氏同様に玉鬘自身の気持ちも、というニュアンスの表現。4.7.10
注釈471思ひ出でられたまふ「られ」自発の助動詞。4.7.10
注釈472御さまを源氏のお姿。4.7.10
注釈473恋しやいかで見たてまつらむ玉鬘の心。源氏を慕う気持ち。4.7.10
注釈474げにいかでかは対面もあらむ玉鬘の心。「げに」は源氏の手紙の「いかでか分き聞こゆべからむ」を受ける。4.7.10
注釈475時々むつかしかりし御けしきを心づきなう思ひきこえしなど過去の助動詞「し」で叙述。玉鬘の心に添った語り方。4.7.11
注釈476この人にも右近をさす。4.7.11
注釈477ほのけしき見けり過去の助動詞「けり」で叙述。右近について、本当はうすうす感じ取っていたのであった、というように語り手が真実を語り明かすニュアンス。4.7.11
注釈478いかなりけることならむ右近の心。玉鬘と源氏はいったいどのような関係であったのだろうか、というので、やはり過去の助動詞「けり」で叙述される。4.7.11
注釈479心得がたく思ひける連体中止形で、余韻をもたせた表現。4.7.11
注釈480聞こゆるも以下「おぼつかなくやは」まで玉鬘の心。『集成』は心内文と解し、『完訳』は手紙文と解す。4.7.12
注釈481おぼつかなくやは「申し上げずは」などの語句がその上に省略されている。4.7.12
注釈482眺めする軒の雫に袖ぬれて--うたかた人を偲ばざらめや玉鬘の返歌。源氏の歌の「春雨」に応じて「長雨」と応える。「うたかた人」は源氏をさす。「ながめ」は「長雨」と「眺め」の掛詞。「うたかた」は水の泡の「泡沫(うたかた)」の意とかりそめの意を掛ける。「雫」「濡れ」「泡沫」は縁語。わたしも涙に袖を濡らして恋い慕っております、という主旨の歌。4.7.13
注釈483ほどふるころは以下「あなかしこ」まで、手紙の文。『河海抄』は「君見ずて程のふるやの廂には逢ことなしの草ぞ生ひける」(新勅撰集恋五、九四五、読人しらず)を指摘、『集成』も指摘する。4.7.14
注釈484書きなしたまへり「なす」はわざと、意識的にのニュアンスを添える。4.7.15
出典6 ほどふるころは 君見ずて程のふるやの庇には逢ふことなしの草ぞ生ひける 新勅撰集恋五-九四五 読人しらず 4.7.14
校訂33 面影にぞ 面影にぞ--おもかけ(け/+に<朱>)そ 4.7.4
校訂34 添へて 添へて--そへても(も/#) 4.7.8
校訂35 いかでか分き聞こゆ いかでか分き聞こゆ--いかてかは(は/&わ)きこ(こ/&ゝ)こゆ 4.7.8
4.8
第八段 源氏、玉鬘の返書を読む


4-8  Genji reads a reply of Tamakazura

4.8.1   引き広げて玉水のこぼるるやうに 思さるるを、「 人も見ば、うたてあるべし」と、つれなくもてなしたまへど、胸に満つ心地して、 かの昔の、尚侍の君朱雀院の后の切に 取り籠めたまひし折など思し出づれど、 さしあたりたることなればにや、これは世づかず ぞあはれなりける
 手紙を広げて、玉水がこぼれるように思わずにはいらっしゃれないが、「人が見たら、体裁悪いことだろう」と、平静を装っていらっしゃるが、胸が一杯になる思いがして、あの昔の、尚侍の君を朱雀院の母后が無理に逢わせまいとなさった時のことなどをお思い出しになるが、目前のことだからであろうか、こちらは普通と変わって、しみじみと心うつのであった。
 それを前にひろげて、源氏はその雨だれが自分からこぼれ落ちる気もするのであったが、人に悪い想像をさせてはならないと思って、しいておさえていた。昔の尚侍を朱雀すざく院の母后が厳重な監視をして、源氏に逢わせまいとされた時がちょうどこんなのであったと、その当時の苦しさと今を比較して考えてみたが、これは現在のことであるせいか、その時にもまさってやる瀬ないように思われた。
  Hiki-hiroge te, tamamidu no koboruru yau ni obosa ruru wo, "Hito mo mi ba, utate aru besi." to, turenaku motenasi tamahe do, mune ni mitu kokoti si te, kano mukasi no, Kam-no-Kimi wo SuzakuWin no Kisaki no seti ni tori-kome tamahi si wori nado obosi idure do, sasiatari taru koto nare ba ni ya, kore ha yoduka zu zo ahare nari keru.
4.8.2  「 好いたる人は、心からやすかるまじきわざなりけり。今は何につけてか心をも乱らまし。似げなき恋のつまなりや」
 「色好みの人は、本心から求めて物思いの絶えない人なのだ。今は何のために心を悩まそうか。似つかわしくない恋の相手であるよ」
 好色な男はみずから求めて苦しみをするものである、もうこんなことに似合わしくない自分でないか
  "Sui taru hito ha, kokorokara yasukaru maziki waza nari keri. Ima ha nani ni tuke te ka kokoro wo mo midara masi. Nigenaki kohi no tuma nari ya!"
4.8.3  と、さましわびたまひて、 御琴掻き鳴らして、なつかしう 弾きなしたまひし爪音、思ひ出でられたまふ。あづまの調べを、すが掻きて、
 と、冷静になるのに困って、お琴を掻き鳴らして、やさしくしいてお弾きになった爪音が、思い出さずにはいらっしゃれない。和琴の調べを、すが掻きにして、
 と源氏は思って、忘れようとする心から琴をいてみたが、なつかしいふうに弾いた玉鬘の爪音つまおとがまた思い出されてならなかった。和琴わごん清掻すががきに弾いて、
  to, samasi wabi tamahi te, ohom-koto kaki narasi te, natukasiu hiki nasi tamahi si tumaoto, omohiide rare tamahu. Aduma no sirabe wo, sugagaki te,
4.8.4  「 玉藻はな刈りそ
 「玉藻はお刈りにならないで」
 「玉藻たまもはな刈りそ」
  "Tamamo ha na kari so"
4.8.5  と、歌ひすさびたまふも、 恋しき人に見せたらば、あはれ過ぐすまじき御さまなり。
 と、謡い興じていらっしゃるのも、恋しい人に見せたならば、感動せずにはいられないご様子である。
 と歌っているこのふうを、恋しい人に見せることができたなら、どんな心にも動揺の起こらないことはないであろうと思われた。
  to, utahi susabi tamahu mo, kohisiki hito ni mise tara ba, ahare sugusu maziki ohom-sama nari.
4.8.6   内裏にも、ほのかに御覧ぜし御容貌ありさまを、心にかけたまひて、
 帝におかせられても、わずかに御覧あそばしたご器量ご様子を、お忘れにならず、
 帝もほのかに御覧になった玉鬘の美貌びぼうをお忘れにならずに、
  Uti ni mo, honoka ni goranze si ohom-katati arisama wo, kokoro ni kake tamahi te,
4.8.7  「 赤裳垂れ引き去にし姿を
 「赤裳を垂れ引いて去っていってしまった姿を」
 「赤裳垂あかもたれ引きいにし姿を」(立ちて思ひゐてもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き)
  "Akamo tare hiki ini si sugata wo"
4.8.8  と、 憎げなる古事なれど、御言種になりてなむ、 眺めさせたまひける。御文は、忍び忍びにありけり。 身を憂きものに思ひしみたまひてかやうの すさびごとをも、あいなく思しければ、心とけたる御いらへも聞こえたまはず。
 と、耳馴れない古歌であるが、お口癖になさって、物思いに耽っておいであそばすのであった。お手紙は、そっと時々あるのであった。わが身を不運な境遇と思い込みなさって、このような軽い気持ちのお手紙のやりとりも、似合わなくお思いになるので、うち解けたお返事も申し上げなさらない。
 という古歌は露骨に感情を言っただけのものであるが、それを終始お口ずさみになって物思いをあそばされた。お手紙がそっと何通も尚侍の手へ来た。玉鬘はもう自身の運命を悲観してしまって、こうした心の遊びも不似合いになったもののように思い、御好意に感激したようなお返事は差し上げないのであった。
  to, nikuge naru hurukoto nare do, ohom-kotogusa ni nari te nam, nagame sase tamahi keru. Ohom-humi ha, sinobi sinobi ni ari keri. Mi wo uki mono ni omohisimi tamahi te, kayau no susabi goto wo mo, ainaku obosi kere ba, kokorotoke taru ohom-irahe mo kikoye tamaha zu.
4.8.9  なほ、 かの、ありがたかりし御心おきてを、かたがたにつけて思ひしみたまへる御ことぞ、 忘られざりける
 やはり、あの、またとないほどであったお心配りを、何かにつけて深くありがたく思い込んでいらっしゃるお気持ちが、忘れられないのであった。
 玉鬘は今になって源氏が清い愛で一貫してくれた親切がありがたくてならなかった。
  Naho, kano, arigatakari si ohom-kokorookite wo, katagata ni tuke te omohi simi tamahe ru ohom-koto zo, wasura re zari keru.
注釈485引き広げて場面は六条院に移る。源氏がその返書を広げて。4.8.1
注釈486玉水のこぼるるやうに玉鬘の返歌にあった「軒の雫」から「玉水のこぼるる」と連想。『河海抄』は「雨止まぬ軒の玉水数知らず恋しきことのまさるころかな」(後撰集恋一、五七八、兼盛)を指摘、『集成』も指摘する。4.8.1
注釈487人も見ばうたてあるべし源氏の懸念。4.8.1
注釈488かの昔の尚侍の君源氏は、昔の朧月夜尚侍とのことを思い出す。4.8.1
注釈489朱雀院の后朱雀院の母后、すなわち弘徽殿の大后をさす。4.8.1
注釈490取り籠めたまひし折弘徽殿の大后が朧月夜尚侍を閉じ込めなさった時。過去の助動詞「し」によって、自らの体験を思い起こしている表現。4.8.1
注釈491さしあたりたることなればにや語り手の挿入句。「なれ」(断定の助動詞)「ば」(係助詞)「に」(断定の助動詞)「や」(係助詞)。~であればであろうか、という疑問の主体は語り手である。4.8.1
注釈492ぞあはれなりけるしみじみと心打つのであった。過去の助動詞「けり」によって、客観的に源氏の心を語る。4.8.1
注釈493好いたる人は以下「つまなりや」まで源氏の心。多感なる自分の「色好み」の性分を述懐する。4.8.2
注釈494御琴和琴。下に「東の調べ」とある。4.8.3
注釈495弾きなしたまひし爪音過去の助動詞「し」で叙述。源氏の体験に添った語り方。「常夏」巻に語られた。4.8.3
注釈496玉藻はな刈りそ「鴛鴦たかべ鴨さへ来居る原の池のや玉藻は真根な刈りそや生ひも継ぐがにや生ひも継ぐがに」(風俗歌・鴛鴦)の一節。4.8.4
注釈497恋しき人に玉鬘をさす。4.8.5
注釈498内裏にも以下、場面は宮中の帝に移る。4.8.6
注釈499赤裳垂れ引き去にし姿を「立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳垂れ引き去にし姿を」(古今六帖五、裳、三三三三)の下の句。4.8.7
注釈500憎げなる古事なれど語り手の判断を介在させた挿入句。4.8.8
注釈501眺めさせたまひける帝は物思いに耽りあそばすのであった。この段はすべて過去の助動詞「けり」で叙述される。4.8.8
注釈502身を憂きものに思ひしみたまひて場面は転じて、玉鬘に変わる。玉鬘はわが身を不運な運命と思い込みなさって。4.8.8
注釈503かやうの大島本は「かやの」とある。諸本に従って「う」を補訂する。4.8.8
注釈504かのありがたかりし御心おきて源氏の御配慮をさす。玉鬘にとって「あの」と想起され、「し」(過去の助動詞)というように追憶される。4.8.9
注釈505忘られざりける玉鬘は忘れることができないのであった。この段終わり。4.8.9
出典7 玉水のこぼるる 雨止まぬ軒の玉水数知らず恋しき事のまさるころかな 後撰集恋一-五七八 平兼盛 4.8.1
出典8 玉藻はな刈りそ 鴛鴦 たかべ 鴨さへ来居る 藩良の池の や 玉藻は真根な刈りそ や 生ひも継ぐがに や 生ひも継ぐがに 風俗歌-鴛鴦 4.8.4
出典9 赤裳垂れ引き去にし姿を 立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳垂れ引きいにし姿を 古今六帖五-三三三三 4.8.7
校訂36 かやう かやう--*かや 4.8.8
4.9
第九段 三月、源氏、玉鬘を思う


4-9  Genji remembers sweet memories with Tamakazura

4.9.1   三月になりて、六条殿の御前の、藤、山吹のおもしろき夕ばえを 見たまふにつけても、まづ見るかひありて ゐたまへりし御さまのみ思し出でらるれば、春の御前をうち捨てて、 こなたに渡りて御覧ず。
 三月になって、六条殿の御前の、藤、山吹が美しい夕映えを御覧になるにつけても、まっさきに見る目にも美しい姿でお座りになっていらしたご様子ばかりが思い出さずにはいらっしゃれないので、春の御前を放って、こちらの殿に渡って御覧になる。
 三月になって、六条院の庭のふじ山吹やまぶきがきれいに夕映ゆうばえの前に咲いているのを見ても、まずすぐれた玉鬘の容姿が忍ばれた。南の春の庭を捨てておいて、源氏は東の町の西の対に来て、さらに玉鬘に似た山吹をながめようとした。
  Yayohi ni nari te, Rokudeu-dono no omahe no, hudi, yamabuki no omosiroki yuhubaye wo mi tamahu ni tuke te mo, madu miru kahi ari te wi tamahe ri si ohom-sama nomi obosi ide rarure ba, Haru-no-Omahe wo uti-sute te, konata ni watari te goranzu.
4.9.2   呉竹の籬に、わざとなう咲きかかりたるにほひ、いとおもしろし。
 呉竹の籬に、自然と咲きかかっている色艶が、たいそう美しい。
 竹のませがきに、自然に咲きかかるようになった山吹が感じよく思われた。
  Kuretake no mase ni, wazato nau saki kakari taru nihohi, ito omosiro si.
4.9.3  「 色に衣を
 「色に衣を」
 「思ふとも恋ふとも言はじ山吹の色に衣を染めてこそ着め」
  "Iro ni koromo wo."
4.9.4  などのたまひて、
 などとおっしゃって、
 この歌を源氏は口ずさんでいた。
  nado notamahi te,
4.9.5  「 思はずに井手の中道隔つとも
   言はでぞ恋ふる山吹の花
 「思いがけずに二人の仲は隔てられてしまったが
  心の中では恋い慕っている山吹の花よ
  思はずも井手の中みち隔つとも
  言はでぞ恋ふる山吹の花
    "Omoha zu ni Ide no naka miti hedatu tomo
    iha de zo kohuru yamabuki no hana
4.9.6   顔に見えつつ
 面影に見え見えして」
 とも言っていた。
  Kaho ni miye tutu."
4.9.7   などのたまふも、聞く人なし。かく、さすがにもて離れたることは、このたびぞ思しける。 げに、あやしき御心のすさびなりや
 などとおっしゃっても、聞く人もいない。このように、さすがに諦めていることは、今になってお分かりになるのであった。なるほど、妙なおたわむれの心であるよ。
 「夕されば野辺のべに鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」などとも口にしていたが、ここにはだれも聞く人がいなかった。こんなふうに徹底的に恋人として玉鬘を思うことはこれが初めてであった。風変わりな源氏の君と言わねばならない。
  nado notamahu mo, kiku hito nasi. Kaku, sasuga ni mote hanare taru koto ha, kono tabi zo obosi keru. Geni, ayasiki mi-kokoro no susabi nari ya!
4.9.8  かりの子のいと多かるを御覧じて、柑子、橘などやうに紛らはして、わざとならずたてまつれたまふ。御文は、「 あまり人もぞ目立つる」など思して、すくよかに、
 鴨の卵がたいそうたくさんあるのを御覧になって、柑子や、橘などのように見せて、何気ないふうに差し上げなさる。お手紙は、「あまり人目に立っては」などとお思いになって、そっけなく、
 がんの卵がほかからたくさん贈られてあったのを源氏は見て、蜜柑みかんたちばなの実を贈り物にするようにして卵をかごへ入れて玉鬘たまかずらへ贈った。手紙もたびたび送っては人目を引くであろうからと思って、内容を唯事ただごと風に書いた。
  Kari no ko no ito ohokaru wo goranzi te, kauzi, tatibana nado yau ni magirahasi te, wazato nara zu tatemature tamahu. Ohom-humi ha, "Amari hito mo zo me taturu." nado obosi te, sukuyoka ni,
4.9.9  「 おぼつかなき月日も重なりぬるを、思はずなる御もてなしなりと恨みきこゆるも、 御心ひとつにのみはあるまじう聞きはべれば、ことなるついでならでは、対面の難からむを、口惜しう思ひたまふる」
 「お目にかからない月日がたちましたが、思いがけないおあしらいだとお恨み申し上げるのも、あなたお一人のお考えからではなく聞いておりますので、特別の場合でなくては、お目にかかることの難しいことを、残念に存じております」
 お逢いできない月日が重なりました。あまりに同情がないというように恨んではいますが、しかし御良人の御同意がなければ万事あなたの御意志だけではできないことを承知していますから、何かの場合でなければお許しの出ることはなかろうと残念に思っています。
  "Obotukanaki tukihi mo kasanari nuru wo, omoha zu naru ohom-motenasi nari to urami kikoyuru mo, mi-kokoro hitotu ni nomi ha aru maziu kiki habere ba, koto naru tuide nara de ha, taimen no katakara m wo, kutiwosiu omohi tamahuru."
4.9.10  など、 親めき書きたまひて、
 などと、親めいてお書きになって、
 などと親らしく言ってあるのである。
  nado, oyameki kaki tamahi te,
4.9.11  「 同じ巣にかへりしかひの見えぬかな
   いかなる人か手ににぎるらむ
 「せっかくわたしの所でかえった雛が見えませんね
  どんな人が手に握っているのでしょう
  おなじ巣にかへりしかひの見えぬかな
  いかなる人か手ににぎるらん
    "Onazi su ni kaheri si kahi no miye nu kana
    ikanaru hito ka te ni nigiru ram
4.9.12   などか、さしもなど、心やましうなむ」
 どうして、こんなにまでもなどと、おもしろくなくて」
 そんなにまでせずともとくやしがったりしています。
  Nadoka, sasimo nado, kokoroyamasiu nam."
4.9.13  などあるを、大将も見たまひて、うち笑ひて、
 などとあるのを、大将も御覧になって、ふと笑って、
 この手紙を大将も見て笑いながら、
  nado aru wo, Daisyau mo mi tamahi te, uti-warahi te,
4.9.14  「 女は、まことの親の御あたりにも、たはやすくうち渡り見えたてまつりたまはむこと、ついでなくてあるべきことにあらず。 まして、なぞ、この大臣の、をりをり思ひ放たず、恨み言はしたまふ」
 「女性は、実の親の所にも、簡単に行ってお会いなさることは、適当な機会がなくてはなさるべきではない。まして、どうして、この大臣は、度々諦めずに、恨み言をおっしゃるのだろう」
 「女というものは実父の所へだって理由がなくては行って逢うことをしないものになっているのに、どうしてこの大臣が始終逢えない逢えないと恨んでばかしおよこしになるだろう」
  "Womna ha, makoto no oya no ohom-atari ni mo, tahayasuku uti-watari miye tatematuri tamaha m koto, tuide naku te aru beki koto ni ara zu. Masite, nazo, kono Otodo no, woriwori omohi hanata zu, uramigoto ha si tamahu."
4.9.15  と、つぶやくも、 憎しと聞きたまふ
 と、ぶつぶつ言うのも、憎らしいとお聞きになる。
 こんな批評めいたことを言うのも、玉鬘には憎く思われた。返事を、
  to, tubuyaku mo, nikusi to kiki tamahu.
4.9.16  「 御返り、ここにはえ聞こえじ
 「お返事は、わたしは差し上げられません」
 「私は書けない」
  "Ohom-kaheri, koko ni ha e kikoye zi."
4.9.17  と、書きにくくおぼいたれば、
 と、書きにくくお思いになっているので、
 と玉鬘が渋っていると、
  to, kaki nikuku oboyi tare ba,
4.9.18  「 まろ聞こえむ
 「わたしがお書き申そう」
 「今日は私がお返事をしよう」
  "Maro kikoye m."
4.9.19  と代はるも、 かたはらいたしや
 と代わるのも、はらはらする思いである。
 大将が代わろうというのであるから、玉鬘が片腹痛く思ったのはもっともである。
  to kaharu mo, kataharaitasi ya!
4.9.20  「 巣隠れて数にもあらぬかりの子を
   いづ方にかは取り隠すべき
 「巣の片隅に隠れて子供の数にも入らない雁の子を
  どちらの方に取り隠そうとおっしゃるのでしょうか
  巣隠れて数にもあらぬかりの子を
  いづ方にかはとりかくすべき
    "Sugakure te kazu ni mo ara nu kari no ko wo
    idukata ni kaha tori-kakusu beki
4.9.21   よろしからぬ御けしきにおどろきて。すきずきしや」
 不機嫌なご様子にびっくりしまして。懸想文めいていましょうか」
 御機嫌ごきげんをそこねておりますようですからこんなことを申し上げます。風流の真似まねをいたし過ぎるかもしれません。
  Yorosikara nu mi-kesiki ni odoroki te. Sukizukisi ya!"
4.9.22  と聞こえたまへり。
 とお返事申し上げた。
 大将の書いたものはこうであった。
  to kikoye tamahe ri.
4.9.23  「 この大将のかかるはかなしごと言ひたるも、まだこそ聞かざりつれ。 めづらしう
 「この大将が、このような風流ぶった歌を詠んだのも、まだ聞いたことがなかった。珍しくて」
 「この人が戯談じょうだん風に書いた手紙というものは珍品だ」
  "Kono Daisyau no, kakaru hakanasigoto ihi taru mo, mada koso kika zari ture. Medurasiu."
4.9.24  とて、笑ひたまふ。心のうちには、かく領じたるを、いとからしと思す。
 と言って、お笑いになる。心中では、このように一人占めにしているのを、とても憎いとお思いになる。
 と源氏は笑ったが、心の中では玉鬘をわが物顔に言っているのを憎んだ。
  tote, warahi tamahu. Kokoro no uti ni ha, kaku ryauzi taru wo, ito karasi to obosu.
注釈506三月になりて晩春、いよいよ玉鬘の山吹の花のイメージにぴったりの季節となる。舞台は六条院。4.9.1
注釈507見たまふにつけても主語は源氏。4.9.1
注釈508ゐたまへりし御さま玉鬘の座っていらした御様子。過去の助動詞「し」で回想される。4.9.1
注釈509こなたに渡りて六条院の夏の御殿、西の対。もと、玉鬘がいた部屋。4.9.1
注釈510呉竹の籬にわざとなう咲きかかりたるにほひ呉竹の籬に自然と咲きかかっている山吹の花の色艶。4.9.2
注釈511色に衣を『河海抄』は「梔子の色に衣を染めしより言はで心にものをこそ思へ」(河海抄所引古今六帖五くちなし)を指摘し、『全書』『対校』『集成』がこの和歌を指摘する。また『弄花抄』は「思ふとも恋ふとも言はじ梔子の色に衣を染めてこそ着め」(古今六帖五、くちなし、三五〇八)を指摘し、『評釈』『全集』『集成』がこの和歌を指摘する。「梔子」で染めた色は黄色、山吹の花から連想され、さらにこの和歌へと連想が及ぶ。前者の和歌では下の句に、また後者の和歌では上の句にそれぞれ源氏の気持ちがこめられている。4.9.3
注釈512思はずに井手の中道隔つとも--言はでぞ恋ふる山吹の花源氏の独詠歌。玉鬘への絶ちがたい恋情を訴えた内容。「井手の中道」は山吹の名所の井手へ通じる道。和歌に数多く詠まれた地名、歌枕。山城国綴喜郡井手町。4.9.5
注釈513顔に見えつつ『河海抄」は「夕されば野辺に鳴くてふかほ鳥の顔に見えつつ忘られなくに」(古今六帖六、かほどり、四四八八)を指摘。現行の注釈書でも指摘する。4.9.6
注釈514などのたまふも聞く人なし「も」は逆接の接続助詞。他人に聞かれては困る内容だが、幸いにそれを聞いている者がいないというニュアンス。『完訳』は「聞いてくれる人がいるわけでもない」というニュアンスで訳す。4.9.7
注釈515げにあやしき御心のすさびなりや語り手の批評。『林逸抄』は「双紙也」と注し、『評釈』も「ねえ、そうでしょう、と語り手は、作者は、読者に言うのである」、『全集』は「語り手の評、草子地」、『完訳』でも「語り手の評言。源氏自身の述懐とも呼応」と注す。なお、『一葉抄』は「かくさすがに」以下を「双紙詞也」と注す。4.9.7
注釈516あまり人もぞ目立つる「もぞ」は~があってはならないという懸念。あまり鬚黒の目に立ってはいけないの意。4.9.8
注釈517おぼつかなき以下「口惜しう思ひたまふる」まで源氏の文。4.9.9
注釈518御心ひとつにのみはあるまじうあなた一人のお考えだけではないように。夫の鬚黒のせいにしたニュアンス。4.9.9
注釈519同じ巣にかへりしかひの見えぬかな--いかなる人か手ににぎるらむ源氏の贈歌。「かひ」には「卵(かひ)」と「効」を掛ける。鬚黒が玉鬘を手放さないことを恨んだ歌。4.9.11
注釈520などかさしも「さ」は鬚黒が玉鬘を手放さないことをさす。どうしてそこまでする必要があるのかという源氏の恨み。4.9.12
注釈521女は以下「恨み言はしたまふ」まで、鬚黒の詞。4.9.14
注釈522まして親に会うことは適当な機会がなくてはするべきでない、まして実の親でもない人に気軽に会おうなど、とんでもないことだというニュアンス。しかし、「まして」の直接係る語句はない。下の文脈は、別の内容にズレている。4.9.14
注釈523憎しと聞きたまふ玉鬘は鬚黒の不平を憎らしいとお聞きになる。4.9.15
注釈524御返り、ここにはえ聞こえじ玉鬘の詞。わたしはとてもお返事を差し上げられません。4.9.16
注釈525まろ聞こえむ鬚黒の詞。わたしが差し上げよう。4.9.18
注釈526かたはらいたしや語り手の玉鬘に同情した評言。『休聞抄』は「双」と指摘。『集成』も「玉鬘の気持ちを代弁した草子地」。『完訳』は「玉鬘の心に即した、語り手の評」と指摘する。4.9.19
注釈527巣隠れて数にもあらぬかりの子を--いづ方にかは取り隠すべき大島本は「とりかへ(へ#く)すへき」とある。すなわち「へ」を抹消して「く」と訂正する。『集成』『古典セレクション』は底本の訂正以前本文と諸本に従って「とりかへす」と整定する。『新大系』は底本の訂正に従って「取り隠す」と整定する。鬚黒が玉鬘に代わって返歌。「かりの子」に「雁の子」と「仮の子」を掛け、「とり」に「鳥」と「取り」を掛ける。4.9.20
注釈528よろしからぬ以下「すきずきしや」まで、歌に添えた文。源氏の不機嫌な態度にびっくりいたしまして。「すきずきしきや」は玉鬘に代わって返歌したことに弁解の気持ちを表したもの。4.9.21
注釈529この大将の以下「めづらしう」まで源氏の詞。4.9.23
注釈530かかるはかなしごと玉鬘に代わって返歌したことをさす。4.9.23
注釈531めづらしう連用中止法。余韻を残した表現。4.9.23
出典10 色に衣を くちなしの色に心を染めしより言はで心にものをこそ思へ 古今六帖五-三五一〇 4.9.3
出典11 顔に見えつつ 夕されば野辺に鳴くてふ顔鳥の顔に見えつつ忘られなくに 古今六帖六-四四八八 4.9.6
校訂37 井手の 井手の--いて(て/+の<朱>) 4.9.5
校訂39 親めき 親めき--おやめに(に/$き<朱>) 4.9.10
校訂40 取り隠す 取り隠す--とりかへ(へ/#く)す 4.9.20
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年9月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 2/6/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって2024/9/21に出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 4.00: Copyright (c) 2003,2024 宮脇文経