第三十一帖 真木柱


31 MAKIBASIRA (Ohoshima-bon)


光る源氏の太政大臣時代
三十七歳冬十月から三十八歳十一月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from October at the age of 37 to November at the age of 38

5
第五章 鬚黒大将家と内大臣家の物語 玉鬘と近江の君


5  Tale of Higekuro's and Nai-Daijin's  Tamakazura and Ohomi

5.1
第一段 北の方、病状進む


5-1  Kitanokata's illness becomes seriously

5.1.1   かの、もとの北の方は、月日隔たるままに、あさましと、ものを思ひ沈み、いよいよ呆け疾れてものしたまふ。大将殿のおほかたの訪らひ、何ごとをも詳しう思しおきて、君達をば、変はらず思ひかしづきたまへば、えしもかけ離れたまはず、まめやかなる方の頼みは、同じことにて なむものしたまひける
 あの、もとの北の方は、月日のたつにしたがって、あまりな仕打ちだと、物思いに沈んで、ますます気が変になっていらっしゃる。大将殿の一通りのお世話、どんなことでも細かくご配慮なさって、男の子たちは、変わらずかわいがっていらっしゃるので、すっかり縁を切っておしまいにならず、生活上の頼りだけは、同様にしていらっしゃるのであった。
 もとの大将夫人は月日のたつにしたがって憂鬱ゆううつになって、放心状態でいることも多かった。生活費などはこまごまと行き届いた仕送りを大将はしていた。子供たちをも以前と同じように大事がって育てていたから、前夫人の心は良人おっとからまったく離れず唯一の頼みにもしていた。
  Kano, moto no Kitanokata ha, tukihi hedataru mama ni, asamasi to, mono wo omohi sidumi, iyoiyo hoke sire te monosi tamahu. Daisyaudono no ohokata no toburahi, nanigoto wo mo kuhasiu obosioki te, Kimdati wo ba, kahara zu omohi kasiduki tamahe ba, e simo kakehanare tamaha zu, mameyaka naru kata no tanomi ha, onazi koto ni te nam monosi tamahi keru.
5.1.2  姫君をぞ、堪へがたく恋ひきこえたまへど、 絶えて見せたてまつりたまはず若き御心のうちにこの父君を、誰れも誰れも、許しなう恨みきこえて、 いよいよ隔てたまふことのみまされば、 心細く悲しきに、男君たちは、常に参り馴れつつ、尚侍の君の御ありさまなどをも、おのづからことにふれてうち語りて、
 姫君を、たまらなく恋しくお思い申し上げなさるが、全然お会わせ申し上げなさらない。子供心にも、この父君を、誰もが、みな許すことなくお恨み申し上げて、ますます遠ざけることばかりが増えて行くので、心細く悲しいが、男の子たちは、いつも一緒に行き来しているので、尚侍の君のご様子などを、自然と何かにつけて話し出して、
 大将は姫君を非常に恋しがって逢いたく思うのであったが、宮家のほうでは少しもそれを許さない。少女の心には自身の愛する父を祖父も祖母も皆口をそろえて悪く言い、ますます逢わせてもらう可能性がなくなっていくのを心細がっていた。男の子たちは始終たずねて来て、尚侍ないしのかみの様子なども話して、
  HimeGimi wo zo, tahe gataku kohi kikoye tamahe do, taye te mise tatematuri tamaha zu. Wakaki mi-kokoro no uti ni, kono TitiGimi wo, tare mo tare mo, yurusi nau urami kikoye te, iyoiyo hedate tamahu koto nomi masare ba, kokorobosoku kanasiki ni, WotokoGimi-tati ha, tune ni mawiri nare tutu, Kam-no-Kimi no ohom-arisama nado wo mo, onodukara koto ni hure te uti-katari te,
5.1.3  「 まろらをも、らうたくなつかしうなむしたまふ。 明け暮れをかしきことを好みてものしたまふ
 「わたしたちをも、かわいがってやさしくして下さいます。毎日おもしろいことばかりして暮らしていらっしゃいます」
 「私たちなどもかわいがってくださる。毎日おもしろいことをして暮らしていらっしゃる」
  "Maro-ra wo mo, rautaku natukasiu nam si tamahu. Akekure wokasiki koto wo konomi te monosi tamahu."
5.1.4   など言ふにうらやましうかやうにても安らかに振る舞ふ身ならざりけむを嘆きたまふ。 あやしう、男女につけつつ、人にものを思はする尚侍の君にぞおはしける
 などと言うと、羨ましくなって、このようにして自由に振る舞える男の身に生まれてこなかったことをお嘆きになる。妙に、男にも女にも物思いをさせる尚侍の君でいらっしゃるのであった。
 などと言っているのを夫人は聞いて、うらやましくて、そんなふうな朗らかな心持ちで人生を楽しく見るようなことをすればできたものを、できなかった自身の性格を悲しがっていた。男にも女にも物思いをさせることの多い尚侍である。
  nado ihu ni, urayamasiu, kayau nite mo yasuraka ni hurumahu mi nara zari kem wo nageki tamahu. Ayasiu, wotoko womna ni tuke tutu, hito ni mono wo omohasuru Kam-no-Kimi ni zo ohasi keru.
注釈532かのもとの北の方鬚黒の元の北の方。場面は実家の式部卿宮邸に帰った北の方に転じる。「かのもとの」と表現したところに玉鬘が今の北の方におさまっていることをいう。5.1.1
注釈533なむものしたまひける過去の助動詞「けり」で叙述。後から補足して語ったニュアンス。5.1.1
注釈534絶えて見せたてまつりたまはず元の北の方は姫君を鬚黒に全然お会わせ申し上げなさらない。5.1.2
注釈535若き御心のうちに「心細く悲しきに」に係る。5.1.2
注釈536この父君を誰れも誰れも以下「のみまされば」は挿入句。5.1.2
注釈537いよいよ隔てたまふこと式部卿宮が鬚黒をますます疎遠になさること。5.1.2
注釈538心細く悲しきに「に」は逆接の接続助詞。女君と男君たちが対比されて語られている。5.1.2
注釈539まろらをも以下「ものしたまふ」まで、子供たちの詞。5.1.3
注釈540明け暮れをかしきことを好みてものしたまふ男の子たちの無邪気な表現である。5.1.3
注釈541など言ふに姉君に。5.1.4
注釈542うらやましう姫君の心を語り手が叙述。5.1.4
注釈543かやうにても安らかに振る舞ふ身ならざりけむ姫君の心。「けむ」(過去推量の助動詞)。どうして自由に振る舞える男の子の身に生まれてこなかったのだろう、という悔恨。しかし、これを受ける「と」(格助詞)などの引用の語句がなく、「を」(格助詞、目的)で受け、直接地の文に繋がっている。5.1.4
注釈544あやしう男女につけつつ人にものを思はする尚侍の君にぞおはしける語り手の玉鬘評。『一葉抄』は「双紙の詞なり」と指摘。『評釈』は「玉鬘のせいで心を悩ます者がいた、と作者は言う」。『全集』は「語り手のことば」。『集成』は「草子地」。『完訳』は「語り手の言辞」と指摘する。文末は過去の助動詞「けり」で叙述。以上で、この段を語り収める。5.1.4
校訂41 にぞ にぞ--にて(て/$そ<朱>) 5.1.4
5.2
第二段 十一月に玉鬘、男子を出産


5-2  A baby was born to Tamakazura in November

5.2.1   その年の十一月にいとをかしき稚児をさへ抱き出でたまへれば、大将も、思ふやうにめでたしと、もてかしづきたまふこと、限りなし。 そのほどのありさま、言はずとも思ひやりつべきことぞかし。父大臣も、おのづから思ふやうなる御宿世と思したり。
 その年の十一月に、たいそうかわいい赤子までお生みになったので、大将も、願っていたようにめでたいと、大切にお世話なさること、この上ない。その時の様子、言わなくても想像できることであろう。父大臣も、自然に願っていた通りのご運命だとお思いになっていた。
 その十一月には美しい子供さえも玉鬘たまかずらは生んだ。大将は何事も順調に行くと喜んで、愛妻から生まれた子供を大事にしていた。産屋うぶやの祝いの派手はでに行なわれた様子などは書かないでも読者は想像するがよい。内大臣も玉鬘の幸福であることに満足していた。
  Sono tosi no Simotuki ni, ito wokasiki tigo wo sahe idaki ide tamahe re ba, Daisyau mo, omohu yau ni medetasi to, mote-kasiduki tamahu koto, kagiri nasi. Sono hodo no arisama, iha zu to mo omohiyari tu beki koto zo kasi. Titi-Otodo mo, onodukara omohu yau naru ohom-sukuse to obosi tari.
5.2.2  わざとかしづきたまふ君達にも、御容貌などは 劣りたまはず。頭中将も、この尚侍の君を、いとなつかしき はらからにて、睦びきこえたまふものから、 さすがなる御けしきうちまぜつつ、
 特別に大切にお世話なさっているお子様たちにも、ご器量などは劣っていらっしゃらない。頭中将も、この尚侍の君を、たいそう仲の好い姉弟として、お付き合い申し上げていらっしゃるものの、やはりすっきりしない御そぶりを時々は見せながら、
 大将の大事にする長男、二男にも今度の幼児の顔は劣っていなかった。とうの中将も兄弟としてこの尚侍をことに愛していたが、幸福であると無条件で喜んでいる大臣とは違って、少し尚侍のその境遇を物足りなく考えていた。
  Wazato kasiduki tamahu Kimi-tati ni mo, ohom-katati nado ha otori tamaha zu. Tou-no-Tyuuzyau mo, kono Kam-no-Kimi wo, ito natukasiki harakara nite, mutubi kikoye tamahu monokara, sasuga naru ohom-kesiki uti-maze tutu,
5.2.3  「 宮仕ひに、かひありて ものしたまはましものを
 「入内なさって、その甲斐あってのご出産であったらよかったのに」
 尚侍として君側に侍した場合を想像していて、
  "Miyadukahi ni, kahi ari te monosi tamaha masi mono wo."
5.2.4  と、この若君のうつくしきにつけても、
 と、この若君のかわいらしさにつけても、
 生まれた大将の三男の美しい顔を見ても、
  to, kono WakaGimi no utukusiki ni tuke te mo,
5.2.5  「 今まで皇子たちのおはせぬ嘆きを 見たてまつるに、いかに面目あらまし」
 「今まで皇子たちがいらっしゃらないお嘆きを拝見しているので、どんなに名誉なことであろう」
 「今まで皇子がいらっしゃらない所へ、こんな小皇子をお生み申し上げたら、どんなに家門の名誉になることだろう」
  "Ima made Miko-tati no ohase nu nageki wo mi tatematuru ni, ikani menboku ara masi."
5.2.6  と、 あまりのことをぞ思ひてのたまふ。
 と、あまりに身勝手なことを思っておっしゃる。
 となおこの上のことを言って残念がった。
  to, amari no koto wo zo omohi te notamahu.
5.2.7  公事は、あるべきさまに知りなどしつつ、参りたまふことぞ、 やがてかくてやみぬべかめるさてもありぬべきことなりかし
 公務は、しかるべく取り仕切っているが、参内なさることは、このままこうして終わってしまいそうである。それもやむをえないことである。
 尚侍の公務を自宅で不都合なくることにして、玉鬘はもう宮中へ出ることはないだろうと見られた。それでもよいことであった。
  Ohoyakegoto ha, aru beki sama ni siri nado si tutu, mawiri tamahu koto zo, yagate kakute yami nu beka' meru. Satemo ari nu beki koto nari kasi.
注釈545その年の十一月に春の物語から、夏秋を経過して、冬十一月の物語となる。5.2.1
注釈546いとをかしき稚児をさへ抱き出でたまへれば玉鬘が鬚黒と結婚したのは昨年の冬であった。およそ一年のうちに第一子を誕生。「稚児をさへ」とあるように、鬚黒との結婚生活も順調で安定した趣である。5.2.1
注釈547そのほどのありさま言はずとも思ひやりつべきことぞかし語り手の省筆の弁。『一葉抄』は「作者詞也」と指摘。『評釈』は「大将の喜びよう、子供の扱いぶり、申さずともおわかりでしょう、と、作者は急いでいる」。『全集』は「草子地」。『完訳』は「語り手の、省筆の弁」と指摘する。5.2.1
注釈548劣りたまはず玉鬘の器量は他の異母姉妹にもひけをとらない。5.2.2
注釈549さすがなる御けしき大島本は「御気しき」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「けしき」と「御」を削除する。やはり諦めきれなきお気持ち。5.2.2
注釈550宮仕ひに大島本は「宮つかひ」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「宮仕へ」と校訂する。以下「たまはましものを」まで、頭中将(柏木)の心。5.2.3
注釈551ものしたまはましものを「まし」反実仮想の助動詞。御出産であったらよかったのに。5.2.3
注釈552今まで皇子たちのおはせぬ嘆きを以下「面目あらまし」まで、頭中将の詞。帝に今まで皇子たちなどがいらっしゃらないお嘆き。5.2.5
注釈553あまりのことをぞ大島本は「あまりのこと」とある。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「あまりごと」と校訂する。語り手の感想を交えた表現。自分勝手なことをの意。5.2.6
注釈554やがてかくてやみぬべかめる語り手の判断を交えた表現。出仕なさることはこのまま終わってしまいそうである。『湖月抄』は「公事は」以下を「地」と指摘。『孟津抄』は「やかて」以下を「草子地也」と指摘する。5.2.7
注釈555さてもありぬべきことなりかし語り手の評言。「細流抄」は「草子地也」と指摘、『全書』『集成』は「草子地」と指摘する。以上で、玉鬘の物語を切り上げる。5.2.7
校訂42 はらからにて はらからにて--はらから(ら/+に)て 5.2.2
校訂43 皇子たちの 皇子たちの--みこたち(ち/+の<朱>) 5.2.5
5.3
第三段 近江の君、活発に振る舞う


5-3  Ohomi behaves actively in the imperial Court

5.3.1   まことや、かの内の大殿の御女の、 尚侍のぞみし君もさるものの癖なれば 、色めかしう、さまよふ心さへ添ひて、 もてわづらひたまふ。女御も、「つひに、あはあはしきこと、この君ぞ引き出でむ」と、ともすれば、御胸つぶしたまへど、大臣の、
 そうそう、あの内の大殿のご息女で、尚侍を望んでいた女君も、ああした類の人の癖として、色気まで加わって、そわそわし出して、持て余していらっしゃる。女御も、「今に、軽率なことが、この君はきっとしでかすだろう」と、何かにつけ、はらはらしていらっしゃるが、大臣が、
 あの内大臣の令嬢で尚侍になりたがっていた近江おうみの君は、そうした低能な人の常で、恋愛に強い好奇心を持つようになって、周囲を不安がらせた。女御にょごも一家の恥になるようなことを近江の君が引き起こさないかと、そのことではっとさせられることが多く、神経を悩ませていたが、大臣から、
  Makoto ya, kano Uti-no-Ohoidono no ohom-musume no, Naisi-no-Kami nozomi si Kimi mo, saru mono no kuse nare ba, iromekasiu, samayohu kokoro sahe sohi te, mote wadurahi tamahu. Nyougo mo, "Tuhini, ahaahasiki koto, kono Kimi zo hikiide m." to, tomosureba, ohom-mune tubusi tamahe do, Otodo no,
5.3.2  「 今は、なまじらひそ
 「今後は、人前に出てはいけません」
 「もう女御の所へ行かないように」
  "Ima ha, na mazirahi so."
5.3.3  と、制しのたまふをだに聞き入れず、 まじらひ出でてものしたまふ
 と、戒めておっしゃるのさえ聞き入れず、人中に出て仕えていらっしゃる。
 と止められているのであったが、やはり出て来ることをやめない。
  to, seisi notamahu wo dani kikiire zu, mazirahi ide te monosi tamahu.
5.3.4   いかなる折にかありけむ、殿上人あまた、おぼえことなる限り、この女御の御方に参りて、物の音など調べ、なつかしきほどの拍子打ち加へてあそぶ。 秋の夕べのただならぬに 宰相中将も寄りおはして、 例ならず乱れてものなどのたまふを、人びとめづらしがりて、
 どのような時であったろうか、殿上人が大勢、立派な方々ばかりが、この女御の御方に参上して、いろいろな楽器を奏して、くつろいだ感じの拍子を打って遊んでいる。秋の夕方の、どことなく風情のあるところに、宰相中将もお寄りになって、いつもと違ってふざけて冗談をおっしゃるのを、女房たちは珍しく思って、
 どんな時であったか、女御の所へ殿上役人などがおおぜい来ていてりすぐったような人たちで音楽の遊びをしていたことがあった。源宰相中将げんさいしょうちゅうじょうも来ていて、平生と違って気軽に女房などとも話しているのを、ほかの女房たちが、
  Ika naru wori ni ka ari kem, Tenzyaubito amata, oboye koto naru kagiri, kono Nyougo no ohom-kata ni mawiri te, mono no ne nado sirabe, natukasiki hodo no hyausi uti-kuhahe te asobu. Aki no yuhube no tada nara nu ni, Saisyau-no-Tyuuzyau mo yori ohasi te, rei nara zu midare te mono nado notamahu wo, hitobito medurasigari te,
5.3.5  「 なほ、人よりことにも
 「やはり、どの人よりも格別だわ」
 「やはり出抜けていらっしゃる方」
  "Naho, hito yori koto ni mo."
5.3.6  とめづるに、この近江の君、人びとの中を 押し分けて出でゐたまふ。
 と誉めると、この近江の君、女房たちの中を押し分けて出ていらっしゃる。
 とも評していた時に、近江の君は女房たちの座の中を押し分けるようにして御簾みすの所へ出ようとしていた。女房らは危険に思って、
  to meduru ni, kono Ahumi-no-Kimi, hitobito no naka wo osiwake te ide wi tamahu.
5.3.7  「 あな、うたてや。こはなぞ
 「あら、嫌だわ。これはどうなさるおつもり」
 「あさはかなことをお言い出しになるのじゃないかしら」
  "Ana, utate ya! Koha nazo?"
5.3.8  と引き入るれど、いとさがなげににらみて、張りゐたれば、わづらはしくて、
 と引き止めるが、たいそう意地悪そうに睨んで、目を吊り上げているので、厄介になって、
 とひそかにひじで言い合ったが、近江の君はこのまれな品行方正な若公達きんだちを指さして、
  to hikiirure do, ito saganage ni nirami te, hariwi tare ba, wadurahasiku te,
5.3.9  「 あうなきことや、のたまひ出でむ
 「軽率なことを、おっしゃらないかしら」
 「これでしょう、これでしょう」
  "Aunaki koto ya, notamahi ide m."
5.3.10  と、つき交はすに、この世に目馴れぬまめ人をしも、
 と、お互いにつつき合っていると、この世にも珍しい真面目な方を、
 と言って源中将のきれいであることをほめて
  to, tuki-kahasu ni, kono yo ni menare nu mamebito wo simo,
5.3.11  「 これぞな、これぞな
 「この人よ、この人よ」
 
  "Kore zo na, kore zo na!"
5.3.12  とめでて、ささめき騒ぐ声、いとしるし。人びと、いと苦しと思ふに、 声いとさはやかにて
 と誉めて、小声で騷ぎ立てる声、まことにはっきり聞こえる。女房たち、とても困ったと思うが、声はとてもはっきりした調子で、
 騒ぐ声が外の男の座へもよく聞こえるのであった。女房たちが困って苦しんでいる時、高く声を張り上げて、近江の君が、
  to mede te, sasameki sawagu kowe, ito sirusi. Hitobito, ito kurusi to omohu ni, kowe ito sahayaka nite,
5.3.13  「 沖つ舟よるべ波路に漂はば
   棹さし寄らむ泊り教へよ
 「沖の舟さん。寄る所がなくて波に漂っているなら
  わたしが棹さして近づいて行きますから、行く場所を教えてください
  「おきつ船よるべ浪路なみぢにただよはば
  さおさしよらん泊まりをしへよ
    "Oki tu hune yorube namidi ni tadayoha ba
    sawo sasi yora m tomari wosihe yo
5.3.14   棚なし小舟漕ぎ返り、同じ人をや 。あな、 悪や
 棚なし小舟みたいに、いつまでも一人の方ばかり思い続けていらっしゃるのね。あら、ごめんなさい」
 『たななし小舟をぶねぎかへり』(同じ人にや恋ひやわたらん)いけないわね」
  Tananasi-wobune kogikaheri, onazi hito wo ya! Ana, waru ya"
5.3.15  と言ふを、いとあやしう、
 と言うので、たいそう不審に思って、
 と言った。源中将は異様なことであると思った。
  to ihu wo, ito ayasiu,
5.3.16  「 この御方には、かう用意なきこと聞こえぬものを」と思ひまはすに、「この聞く人なりけり」
 「こちらの御方には、このようなぶしつけなこと、聞かないのに」と思いめぐらすと、「あの噂の姫君であったのか」
 女御の所には洗練された女房たちがそろっているはずで、こうした露骨な戯れを言いかける人はないわけであると思って、考えてみるとそれはうわさに聞いた令嬢であった。
  "Kono ohom-kata ni ha, kau youi naki koto kikoye nu mono wo." to omohi mahasu ni, "Kono kiku hito nari keri!"
5.3.17  と、をかしうて、
 と、おもしろく思って、
 
  to, wokasiu te,
5.3.18  「 よるべなみ風の騒がす舟人も
   思はぬ方に磯伝ひせず
 「寄る所がなく風がもてあそんでいる舟人でも
  思ってもいない所には磯伝いしません
  よるべなみ風の騒がす船人も
  思はぬ方にいそづたひせず
    "Yorube nami kaze no sahagasu hunabito mo
    omoha nu kata ni isodutahi se zu
5.3.19   とて、はしたなかめり、とや
 とおっしゃったので、引っ込みがつかなかったであろう、とか。
 と源中将に言われた。「そんなことをしては恥知らずです」とも。
  tote, hasitanaka' meri, to ya.
注釈556まことや話題転換の発語。話題は近江の君の物語にうつる。5.3.1
注釈557尚侍のぞみし君も近江の君。「行幸」巻(第三章六段)に見える。5.3.1
注釈558さるものの癖なれば大島本は「さるをゝくせなれは」とある。大島本の誤写である。『集成』『古典セレクション』『新大系』は諸本に従って「さるものの癖なれば」に改める。語り手の感想を交えた表現。ああした類の人の癖としてのニュアンス。『集成』は「そうした賎しい生れの者の性としてよくあることなので」と注す。5.3.1
注釈559もてわづらひたまふ内大臣は近江の君をもてあましていらっしゃる。5.3.1
注釈560今はなまじらひそ内大臣が近江の君を制した詞。5.3.2
注釈561まじらひ出でてものしたまふ近江の君は人中に出て仕えていらっしゃる。5.3.3
注釈562いかなる折にかありけむ語り手の疑問を挿入した文。『完訳』は「一つの挿話を語り出す語り口」と注す。5.3.4
注釈563秋の夕べのただならぬに『集成』『完訳』は「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上風萩の下風」(和漢朗詠集巻上、秋興、二二九、藤原義孝)を指摘。近江の君の物語は、秋に遡った物語である。5.3.4
注釈564宰相中将夕霧。5.3.4
注釈565例ならず乱れてものなどのたまふを『集成』『完訳』は「いつとても恋しからずはあらねども秋の夕べはあやしかりけり」(古今集恋一、五四六、読人しらず)を指摘する。5.3.4
注釈566なほ人よりことにも女房の詞。5.3.5
注釈567あなうたてやこはなぞ女房の制止する詞。5.3.7
注釈568あうなきことやのたまひ出でむ女房の詞。「あうなき」は「奥なき」。5.3.9
注釈569これぞなこれぞなと大島本は「これそなゝと」とある。「な」と「と」の間の踊り字を「ゝ」とみるか「/\」とみるかの違い。大島本は「ゝ」に読める。『新大系』は底本のままとする。『集成』『古典セレクション』は諸本に従って「これぞなこれぞな」と校訂する。近江の君の詞。5.3.11
注釈570声いとさはやかにて近江の君の声はとてもはっきりした調子で。5.3.12
注釈571沖つ舟よるべ波路に漂はば--棹さし寄らむ泊り教へよ近江の君の夕霧への贈歌。「沖つ舟」に夕霧を喩える。「なみ」は「寄る辺なみ」(寄る辺がないのでの意)と「波路」の掛詞。「漂はば」は夕霧と雲居雁との結婚が決まっていないことをいう。「棹さし寄らむ」は自分の方から近寄って行こうの意。5.3.13
注釈572棚なし小舟漕ぎ返り同じ人をや「堀江漕ぐ棚なし小舟漕ぎかへり同じ人にや恋ひわたりなむ」(古今集恋四、七三二、読人しらず)の第二句から第四句まで引用する。引き過ぎであるところが近江の君らしく普通と変わっている。以下「あな悪や」まで和歌に添えた文。5.3.14
注釈573この御方には以下「聞こえぬものを」まで夕霧の心。5.3.16
注釈574よるべなみ風の騒がす舟人も--思はぬ方に磯伝ひせず夕霧の返歌。「なみ」は「寄る辺なみ」(寄る辺がないのでの意)と「波風」の掛詞。「舟人」は自分を喩える。「思はぬ方」は近江の君を喩える。5.3.18
注釈575とてはしたなかめりとや「とて」はと応えての意。「はしたなかめり」との間にやや飛躍がある。語り手は物語の世界から享受者の世界に移動して語る。「とや」は語り手のこの巻の語り収めのことば。「~とかいう話です」と結ぶ。『湖月抄』は「とて」に「地」、『岷江入楚』所引「或抄」は「はしたなかめりとや」に「御説草子地」と注し、『集成』は「その場に居合わせた女房の感想を伝える趣で巻を閉じる技巧」と注す。5.3.19
出典12 秋の夕べのただならぬ 秋はなほ夕まぐれこそただならぬ荻の上風萩の下露 和漢朗詠上-二二九 藤原義孝 5.3.4
出典13 棚なし小舟 堀江漕ぐ棚無し小舟漕ぎ帰り同じ人にや恋ひ渡りなむ 古今集恋四-七三二 読人しらず 5.3.14
校訂44 ものの ものの--*をゝ 5.3.1
校訂45 押し分けて 押し分けて--(/+を)しわけて 5.3.6
校訂46 これぞな、これぞな これぞなこれぞな--これそなゝ 5.3.11
校訂47 悪や 悪や--はるやい(い/#) 5.3.14
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 2/6/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 9/23/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2003年9月3日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2009年12月18日

Last updated 2/6/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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