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第三十二帖 梅枝
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32 MUMEGAYE (Ohoshima-bon)
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光る源氏の太政大臣時代 三十九歳一月から二月までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from January to February at the age of 39
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3 |
第三章 内大臣家の物語 夕霧と雲居雁の物語
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3 Tale of Naidaijin's Tale of Yugiri and Kumoi-no-kari in after days
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3.1 |
第一段 内大臣家の近況
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3-1 About Naidaijin in the present situation
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3.1.1 |
内の大臣は、この御いそぎを、人の上にて聞きたまふも、いみじう心もとなく、さうざうしと思す。 姫君の御ありさま、盛りにととのひて、あたらしううつくしげなり。つれづれとうちしめりたまへるほど、いみじき御嘆きぐさなるに、かの人の御けしき、はた、同じやうになだらかなれば、「 心弱く進み寄らむも、人笑はれに、人のねむごろなりしきざみに、なびきなましかば」など、人知れず思し嘆きて、一方に 罪をもおほせたまはず。
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内大臣は、この入内の御準備を、他人事としてお聞きになるが、たいそう気が気でなく、つまらないとお思いになる。姫君のご様子、女盛りに成長して、もったいないほどにかわいらしい。所在なげに塞ぎ込んでいらっしゃる様子は、たいへんなお嘆きの種であるが、あの方のご様子は、どうかといえば、いつも変わらず平気なので、「弱気になってこちらから歩み寄るようなのも、体裁が悪いし、相手が夢中だった時に、言うことを聞いていたら」などと、一人お嘆きになって、一途に悪いと責めることもおできになれない。
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内大臣は宮廷へはいる大がかりな仕度を、自家のことでなく源氏の姫君のこととして噂に聞くのを、非常に物足らず寂しく思っていた。妙齢に達した雲井の雁の姫君は美しくなっていた。結婚もせず結婚談もなくて引きこもっているこの娘が内大臣には苦労の種であった。宰相中将は少しも焦燥するふうを見せずに、冷静な態度を取り続けているのであったから、こちらから、結婚談をしかけることも世間体の悪いことと思われて、熱心に彼が娘を思っていた時に許せばよかったなどと人知れず後悔もしていて、宰相中将の態度ばかりが悪いとも内大臣は思えないのであった。
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Uti-no-Otodo ha, kono ohom-isogi wo, hito no uhe nite kiki tamahu mo, imiziu kokoromotonaku, sauzausi to obosu. HimeGimi no ohom-arisama, sakari ni totonohi te, atarasiu utukusige nari. Turedure to uti-simeri tamahe ru hodo, imiziki ohom-nagekigusa naru ni, kano hito no mi-kesiki, hata, onazi yau ni nadaraka nare ba, "Kokoroyowaku susumi yora m mo, hitowarahare ni, hito no nemgoro nari si kizami ni, nabiki na masika ba." nado, hito sire zu obosi nageki te, hitokata ni tumi wo mo ohose tamaha zu.
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3.1.2 |
かくすこしたわみたまへる御けしきを、宰相の君は聞きたまへど、しばしつらかりし御心を憂しと思へば、つれなくもてなし、しづめて、さすがに他ざまの心はつくべくもおぼえず、心づから 戯れにくき折 ★多かれど、「 浅緑」聞こえごちし御乳母どもに、納言に昇りて見えむの御心深かるべし。
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このように少し弱気になられたご様子を、宰相の君はお聞きになるが、ひところ冷たかったお心を酷いと思うと、平気を装い、落ち着いた態度で、そうはいっても他の女をという考えお持ちにならず、自分から求めてやるせない思いをする時は多いが、「浅緑の六位」と申して馬鹿にした御乳母どもに、中納言に昇進した姿を見せてやろうとのお気持ちが強いのであろう。
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こんなふうに少し気の折れてきたことも宰相中将は聞いているのであったが、まだしばらく恨めしい記憶のなくなるまでは落ち着いていないではならないと思って、内大臣に求めることをしなかった。しかも他の恋の対象を作ろうとするような気もしなかった。自身ながらもこうした窮屈な考え方に反感を持つこともあったが、宰相中将は六位であったことを譏った雲井の雁の乳母たちに対して納言の地位に上ることが先決問題だと信じていた。
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Kaku sukosi tawami tamahe ru mi-kesiki wo, Saisyau-no-Kimi ha kiki tamahe do, sibasi turakari si mi-kokoro wo usi to omohe ba, turenaku motenasi, sidume te, sasugani hokazama no kokoro ha tuku beku mo oboye zu, kokorodukara tahabure nikuki wori ohokare do, "Asamidori." kikoyegoti si ohom-menoto-domo ni, Nahugon ni nobori te miye m no mi-kokoro hukakaru besi.
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出典8 |
戯れにくき |
ありぬやと心見がてらあひ見ねば戯れにくきまでぞ恋しき |
古今集俳諧-一〇二五 読人しらず |
3.1.2 |
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3.2 |
第二段 源氏、夕霧に結婚の教訓
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3-2 Genji advises Yugiri to marry
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3.2.1 |
大臣は、「 あやしう浮きたるさまかな」と、思し悩みて、
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大臣は、「妙に身の固まらないことだ」と、ご心配になって、
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源氏はどっちつかずに宙に浮いたふうで中将が結婚もしないでいることを見かねて、
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Otodo ha, "Ayasiu uki taru sama kana!" to, obosi nayami te,
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3.2.2 |
「 かのわたりのこと、思ひ絶えにたらば、右大臣、中務宮などの、けしきばみ言はせたまふめるを、いづくも思ひ定められよ」
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「あちらの姫君のこと、思い切ってしまったら、右大臣、中務宮などが娘を縁づけたいご意向であるらしいから、どちらなりともお決めなさい」
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「あちらとの話をあきらめているのなら、左大臣とか、中務の宮とかからのお話が来ているのだから、だれと結婚をするか決めてしまうとよい」
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"Kano watari no koto, omohi taye ni tara ba, Migi-no-Otodo, Nakatukasa-no-Miya nado no, kesikibami ihase tamahu meru wo, iduku mo omohi sadame rare yo."
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3.2.3 |
とのたまへど、ものも聞こえたまはず、かしこまりたる 御さまにてさぶらひたまふ。
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とおっしゃるが、何ともお返事申し上げず、恐縮したご様子で伺候していらっしゃる。
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とも言うのであったが、宰相中将は黙って恐縮したふうを見せているだけであった。
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to notamahe do, mono mo kikoye tamaha zu, kasikomari taru ohom-sama nite saburahi tamahu.
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3.2.4 |
「 かやうのことは、 かしこき御教へにだに従ふべくもおぼえざりしかば、言まぜま憂けれど、今思ひあはするには、かの御教へこそ、長き例にはありけれ。
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「このようなことは、恐れ多い父帝の御教訓でさえ従おうという気にもならなかったのだから、口をさしはさみにくいが、今考えてみると、あの御教訓こそは、今にも通じるものであった。
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「こんな問題ではお上の御忠告にも昔の私はお服しすることができなかったのだから、口を出したくはないのだが、今になって考えると、その時の御教訓は永久の真理だったとよくわかる。
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"Kayau no koto ha, kasikoki ohom-wosihe ni dani sitagahu beku mo oboye zari sika ba, kotomaze ma ukere do, ima omohi ahasuru ni ha, kano ohom-wosihe koso, nagaki tamesi ni ha ari kere.
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3.2.5 |
つれづれとものすれば、思ふところあるにやと、世人も推し量るらむを、宿世の引く方にて、なほなほしきことにありありてなびく、 いと尻びに、人悪ろきことぞや。
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所在なく独身でいると、何か考えがあるのかと、世間の人も推量するであろうから、運命の導くままに、平凡な身分の女との結婚に結局落ち着くことになるのは、たいそう尻すぼまりで、みっともないことだ。
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長く独身でいれば、実現されない幻を描いているかのように人も見るだろうし、それが宿命であるかはしらないが、ついには何の価値もない女といっしょになってしまうような結果を生むことにもなっては、初めよし、後わろしになってしまう。
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Turedure to mono sure ba, omohu tokoro aru ni ya to, yohito mo osihakaru ram wo, sukuse no hiku kata nite, nahonahosiki koto ni ari ari te nabiku, ito siribi ni, hitowaroki koto zo ya!
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3.2.6 |
いみじう思ひのぼれど、心にしもかなはず、 限りのあるものから、好き好きしき心つかはるな。 いはけなくより、宮の内に生ひ出でて、身を 心にまかせず、所狭く、いささかの事のあやまりもあらば、軽々しきそしりをや負はむと、つつみしだに、なほ好き好きしき咎を負ひて、世にはしたなめられき。
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ひどく高望みしても、思うようにならず、限界があることから、浮気心を起こされるな。幼い時から宮中で成人して、思い通りに動けず、窮屈に、ちょっとした過ちもあったら、軽率の非難を受けようかと、慎重にしていたのでさえ、それでもやはり好色がましい非難を受けて、世間から非難されたものだ。
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思い上がっていても若い間はほかから誘惑があるからね、多情な行為におちやすいものだが、堕落をしないように心がけねばならない。宮中に育って、自由らしいことは何一つできずに、ただ過失らしいことが一つあるだけでも世間はやかましく批難するだろうと戦々兢々としていた青年の私でも、やはり恋愛をあさる男のように言われて悪く思われたものなのだ。
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Imiziu omohinobore do, kokoro ni simo kanaha zu, kagiri no aru monokara, sukizukisiki kokoro tukaha ru na. Ihakenaku yori, miya no uti ni ohiide te, mi wo kokoro ni makase zu, tokoroseku, isasaka no koto no ayamari mo ara ba, karogarosiki sosiri wo ya oha m to, tutumi si dani, naho sukizukisiki toga wo ohi te, yo ni hasitaname rare ki.
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3.2.7 |
位浅く、何となき身のほど、うちとけ、心のままなる振る舞ひなど ものせらるな。心おのづからおごりぬれば、 思ひしづむべきくさはひなき時、女のことにてなむ、かしこき人、昔も乱るる例ありける。
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位階が低く、気楽な身分だからと、油断して、思いのままの行動などなさるな。心が自然と思い上がってしまうと、好色心を抑えるべき妻子がいない時、女性関係のことで、賢明な人が、昔も失敗した例があったのだ。
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身分が低くて注目するものがないなどと思って放縦なことをしてはいけないよ。驕慢の心の盛んな時に、女の問題で賢い人が失敗するようなことは歴史の上にもあることだからね。
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Kurawi asaku, nani to naki mi no hodo, utitoke, kokoro no mama naru hurumahi nado monose raru na. Kokoro onodukara ogori nure ba, omohi sidumu beki kusahahi naki toki, womna no koto nite nam, kasikoki hito, mukasi mo midaruru tamesi ari keru.
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3.2.8 |
さるまじきことに心をつけて、 人の名をも立て、みづからも恨みを負ふなむ、つひのほだしとなりける。とりあやまりつつ見む人の、わが心にかなはず、忍ばむこと難き節ありとも、なほ思ひ返さむ心をならひて、もしは親の心にゆづり、もしは親なくて世の中かたほにありとも、人柄心苦しうなどあらむ人をば、それを片かどに寄せても見たまへ。わがため、人のため、つひによかるべき心ぞ深うあるべき」
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けしからぬことに熱中して、相手の浮名を立て、自分も恨まれるのは、後世の妨げとなるのだ。結婚に失敗したと思いながら共に暮らしている相手が、自分の理想通りでなく、我慢することのできない点があっても、やはり思い直す気を持って、もしくは女の親の心に免じて、もしくは親がいなくなって生活が不十分であっても、人柄がいじらしく思われるような人は、その人柄一つを取柄としてお暮らしなさい。自分のため、相手のため、末長く添い遂げるような思慮が深くあって欲しいものだ」
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思ってならない人を思って、女の名も立て自身も人の恨みを負うようなことをしては一生の心の負担になる。不運な結婚をして、女の欠点ばかりが目について苦しいようなことがあっても、そうした時に忍耐をして万人を愛する人道的な心を習得するようにつとめるとか、もしくは娘の親たちの好意を思うことで足りないことを補うとか、また親のない人と結婚した場合にも、不足な境遇も妻が価値のある女であればそれで補うに足ると認識すべきだよ。そうした同情を持つことは自身のためにも妻のためにも将来大きな幸福を得る過程になるのだ」
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Sarumaziki koto ni kokoro wo tuke te, hito no na wo mo tate, midukara mo urami wo ohu nam, tuhi no hodasi to nari keru. Tori-ayamari tutu mi m hito no, waga kokoro ni kanaha zu, sinoba m koto kataki husi ari tomo, naho omohikahesa m kokoro wo narahi te, mosiha oya no kokoro ni yuduri, mosiha oya naku te yononaka kataho ni ari tomo, hitogara kokorogurusiu nado ara m hito wo ba, sore wo katakado ni yose te mo mi tamahe. Waga tame, hito no tame, tuhini yokaru beki kokoro zo hukau aru beki."
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3.2.9 |
など、のどやかにつれづれなる折は、かかる 御心づかひをのみ教へたまふ。
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などと、のんびりとした所在のない時は、このような心づかいをしきりにお教えになる。
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こんなことも言って閑暇のある時にはよく宰相中将を教える源氏であった。
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nado, nodoyaka ni turedure naru wori ha, kakaru mi-kokorodukahi wo nomi wosihe tamahu.
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3.3 |
第三段 夕霧と雲居の雁の仲
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3-3 About a relationship between Yugiri and Kumoi-no-kari
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3.3.1 |
かやうなる御諌めにつきて、戯れにても他ざまの心を思ひかかるは、あはれに、人やりならずおぼえたまふ。女も、常よりことに、大臣の思ひ嘆きたまへる御けしきに、 恥づかしう、憂き身と思し沈めど、 上はつれなくおほどかにて ★、眺め過ぐしたまふ。
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このようなご教訓に従って、冗談にも他の女に心を移すようなことは、かわいそうなことだと、自分からお思いになっている。女も、いつもより格別に、大臣が思い嘆いていらっしゃるご様子に、顔向けのできない思いで、つらい身の上と悲観していらっしゃるが、表面はさりげなくおっとりとして、物思いに沈んでお過ごしになっている。
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この教訓の精神から言っても、仮にも初恋の人を忘れて他の女を思うようなことはできないように中将は思っていた。雲井の雁も近ごろになってことさら父が愁色を見せることを知って恥ずかしく思い、自分は不幸な女であると深く思われるのであったが、表面は素知らぬふうを見せて、おおように物思いをしていた。
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Kayau naru ohom-isame ni tuki te, tawabure nite mo hokazama no kokoro wo omohi kakaru ha, ahare ni, hitoyari-nara-zu oboye tamahu. Womna mo, tune yori kotoni, Otodo no omohi nageki tamahe ru ohom-kesiki ni, hadukasiu, uki mi to obosi sidume do, uhe ha turenaku ohodoka nite, nagame sugusi tamahu.
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3.3.2 |
御文は、思ひあまりたまふ折々、あはれに心深きさまに聞こえたまふ。「 誰がまことをか」と ★思ひながら、 世馴れたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見たまふふし多かり。
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お手紙は、我慢しきれない時々に、しみじみと深い思いをこめて書いて差し上げなさる。「誰の誠実を信じたらよいのか」と思いながら、男を知っている女ならば、むやみに男の心を疑うであろうが、しみじみと御覧になる文句が多いのであった。
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宰相中将は思い余る時々にだけ情熱のこもった手紙を雲井の雁へ書いた。だが誠をか(偽りと思ふものから今さらにたが誠をかわれは頼まん)と心に思っても、世ずれた人のようにむやみに人を疑うことのない純真な雲井の雁は、中将の手紙に沁んで読まれるところが多いように思われた。
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Ohom-humi ha, omohi amari tamahu woriwori, ahare ni kokorohukaki sama ni kikoye tamahu. "Taga makoto wo ka?" to omohi nagara, yonare taru hito koso, anagati ni hito no kokoro wo mo utagahu nare, ahare to mi tamahu husi ohokari.
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3.3.3 |
「 中務宮なむ、大殿にも御けしき賜はりて、さもやと、思し交はしたなる」
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「中務宮が、大殿のご内意をも伺って、そのようにもと、お約束なさっているそうです」
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「中務の宮がお嬢さんと宰相中将との縁組みを太政大臣へお申し込みになって大臣も賛成されたようです」
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"Nakatukasa-no-Miya nam, OhoTono ni mo mi-kesiki tamahari te, samoya to, obosi kahasi ta' naru."
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3.3.4 |
と人の聞こえければ、 大臣は、ひき返し御胸ふたがるべし。忍びて、
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と女房が申し上げたので、大臣は、改めてお胸がつぶれることであろう。こっそりと、
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とこんな噂を内大臣に伝えた者のあった時に、内大臣の心は愁いにふさがれた。大臣はそうした噂の耳にはいったことを雲井の雁にそっと告げた。
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to hito no kikoye kere ba, Otodo ha, hikikahesi ohom-mune hutagaru besi. Sinobi te,
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3.3.5 |
「 さることをこそ聞きしか。 情けなき人の御心にもありけるかな。 大臣の、口入れたまひしに、執念かりきとて、 引き違へたまふなるべし。 心弱くなびきても、人笑へならましこと」
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「こういうことを聞いた。薄情なお心の方であったな。大臣が、口添えなさったのに、強情だというので、他へ持って行かれたのだろう。気弱になって降参しても、人に笑われることだろうし」
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「あの人がほかの結婚をしてもよいという気になるとはひどい。太政大臣も口をお入れになったことがあるのに、それでも私が強硬だったものだから、今になって大臣はそんなふうに勧められるのだろう。しかしその場合に私が先方の言いなりに結婚を許しても体面上恥ずかしいことだったのだから」
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"Saru koto wo koso kiki sika. Nasakenaki hito no mi-kokoro ni mo ari keru kana! Otodo no, kutiire tamahi si ni, sihunekari ki tote, hikitagahe tamahu naru besi. Kokoroyowaku nabiki te mo, hitowarahe nara masi koto."
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3.3.6 |
など、涙を浮けてのたまへば、姫君、いと恥づかしきにも、そこはかとなく涙のこぼるれば、はしたなくて背きたまへる、らうたげさ限りなし。
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などと、涙を浮かべておっしゃるので、姫君、とても顔も向けられない思いでいるにも、何とはなしに涙がこぼれるので、体裁悪く思って後ろを向いていらっしゃる、そのかわいらしさ、この上もない。
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などと、目に涙を浮けて父が言うのを、雲井の雁は恥ずかしく思って聞きながらも、一方では何とはなしに涙が流れ出してくるのをきまり悪く思って、顔をそむけているのが可憐であった。
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nado, namida wo uke te notamahe ba, HimeGimi, ito hadukasiki ni mo, sokohakatonaku namida no koborure ba, hasitanaku te somuki tamahe ru, rautagesa kagiri nasi.
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3.3.7 |
「 いかにせまし。なほや進み出でて、けしきをとらまし」
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「どうしよう。やはりこちらから申し出て、先方の意向を聞いてみようか」
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どうすればいいだろう。やはりこちらから折れて出るべきであろうか
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"Ikani se masi? Naho ya susumi ide te, kesiki wo tora masi."
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3.3.8 |
など、思し乱れて立ちたまひぬる名残も、やがて端近う眺めたまふ。
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などと、お気持ちも迷ってお立ちになった後も、そのまま端近くに物思いに沈んでいらっしゃる。
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などと煩悶をしながら大臣の去ったあとまでも雲井の雁は庭をながめて物思いを続けていた。
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nado, obosi midare te tati tamahi nuru nagori mo, yagate hasi tikau nagame tamahu.
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3.3.9 |
「 あやしく、心おくれても進み出でつる涙かな。いかに思しつらむ」
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「妙に、思いがけず流れ出てしまった涙だこと。どのようにお思いになったかしら」
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これはなんという愚かな涙であろう、どう父は思ったであろう
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"Ayasiku, kokoro okure te mo susumi ide turu namida kana! Ikani obosi tu ram?"
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3.3.10 |
など、よろづに思ひゐたまへるほどに、御文あり。 さすがにぞ見たまふ。こまやかにて、
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などと、あれこれと思案なさっているところに、お手紙がある。それでもやはり御覧になる。愛情のこもったお手紙で、
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などと心を悩ましている所へ、宰相中将の手紙が届いた。恨めしく今まで思っていた人ではあるが、さすがに手紙はすぐあけて読んだ。情のこもった手紙であった。
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nado, yorodu ni omohi wi tamahe ru hodo ni, ohom-humi ari. Sasugani zo mi tamahu. Komayaka nite,
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3.3.11 |
「 つれなさは憂き世の常になりゆくを 忘れぬ人や人にことなる」 |
「あなたの冷たいお心は、つらいこの世の習性となって行きますが それでも忘れないわたしは世間の人と違っているのでしょうか」 |
つれなさは浮き世の常になり行くを 忘れぬ人や人にことなる
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"Turenasa ha uki yo no tune ni nariyuku wo wasure nu hito ya hito ni koto naru |
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3.3.12 |
とあり。「 けしきばかりもかすめぬ、つれなさよ」と、思ひ続けたまふは憂けれど、
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とある。「そぶりにも仄めかさない、冷たいお方だわ」と、思い続けなさるのはつらいけれども、
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とも書いてある。父がした話のことなどは少しも書いてないことを雲井の雁は恨めしく思ったが返事を書いた。
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to ari. "Kesiki bakari mo kasume nu, turenasa yo!" to, omohi tuduke tamahu ha ukere do,
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3.3.13 |
「 限りとて忘れがたきを忘るるも こや世になびく心なるらむ」 |
「もうこれまでだと、忘れないとおっしゃるわたしのことを忘れるのは あなたのお心もこの世の習性の人心なのでしょう」 |
限りとて忘れがたきを忘るるも こや世に靡く心なるらん
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"Kagiri tote wasure gataki wo wasururu mo ko ya yo ni nabiku kokoro naru ram |
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3.3.14 |
とあるを、「 あやし」と、うち置かれず、傾きつつ見ゐたまへり。
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とあるのを、「妙だな」と、下にも置かれず、首をかしげながらじっと座ったまま手紙を御覧になっていた。
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この歌の意味が腑に落ちないで宰相中将はいつまでも首を傾けていたということである。
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to aru wo, "Ayasi?" to, uti-oka re zu, katabuki tutu mi wi tamahe ri.
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注釈189 | 恥づかしう憂き身と思し沈めど | 3.3.1 |
注釈190 | 上はつれなくおほどかにて | 3.3.1 |
注釈191 | 御文は思ひあまりたまふ折々 | 3.3.2 |
注釈192 | 誰がまことをかと | 3.3.2 |
注釈193 | 世馴れたる人こそ、あながちに人の心をも疑ふなれ、あはれと見たまふふし多かり | 3.3.2 |
注釈194 | 中務宮なむ | 3.3.3 |
注釈195 | 大臣はひき返し御胸ふたがるべし | 3.3.4 |
注釈196 | さることをこそ聞きしか | 3.3.5 |
注釈197 | 情けなき人の御心にもありけるかな | 3.3.5 |
注釈198 | 大臣の、口入れたまひしに、執念かりきとて | 3.3.5 |
注釈199 | 引き違へたまふなるべし | 3.3.5 |
注釈200 | 心弱くなびきても | 3.3.5 |
注釈201 | いかにせましなほや進み出でてけしきをとらまし | 3.3.7 |
注釈202 | あやしく心おくれても進み出でつる涙かないかに思しつらむ | 3.3.9 |
注釈203 | さすがにぞ見たまふ | 3.3.10 |
注釈204 | つれなさは憂き世の常になりゆくを--忘れぬ人や人にことなる | 3.3.11 |
注釈205 | けしきばかりもかすめぬつれなさよ | 3.3.12 |
注釈206 | 限りとて忘れがたきを忘るるも--こや世になびく心なるらむ | 3.3.13 |
注釈207 | あやし | 3.3.14 |
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出典9 |
上はつれなく |
葦根這ふ憂きは上こそつれなけれ下はえならず思ふ心を |
拾遺集恋四-八九三 読人しらず |
3.3.1 |
出典10 |
誰がまことをか |
偽りと思ふものから今さらに誰が真をか我は頼まむ |
古今集恋四-七一三 読人しらず |
3.3.2 |
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Last updated 9/21/2010(ver.2-3) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 2/18/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 9/29/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 2/18/2010 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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