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第三十三帖 藤裏葉
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33 HUDI-NO-URABA (Ooshima-bon)
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光る源氏の太政大臣時代 三十九歳三月から十月までの物語
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Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from March to October at the age of 39
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2 |
第二章 光る源氏の物語 明石の姫君の入内
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2 Tale of Hikaru-Genji Akashi-hime gets married to Prince
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2.1 |
第一段 紫の上、賀茂の御阿礼に参詣
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2-1 Murasaki visits to Kamo-shrin
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2.1.1 |
かくて、六条院の御いそぎは、二十余日のほどなりけり。対の上、 御阿礼に詣うでたまふとて、例の御方々いざなひきこえたまへど、なかなか、さしも引き続きて心やましきを思して、誰も誰も とまりたまひて、ことことしきほどにもあらず、御車二十ばかりして、御前なども、くだくだしき人数多くもあらず、ことそぎたるしも、けはひことなり。
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こうして、六条院の御入内の儀は、四月二十日のころであった。対の上、賀茂の御阿礼に参詣なさろうとして、例によって御方々をお誘い申し上げなさったが、なまじ、そのように後に付いて行くのもおもしろくないのをお思いになって、どなたもどなたもお残りになって、仰々しいほどでなく、お車二十台ほどで、御前駆なども、ごたごたするほどの人数でなく、簡略になさったのが、かえって素晴らしい。
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源氏の姫君の太子の宮へはいることはこの二十日過ぎと日が決定した。姫君のために紫夫人は上賀茂の社へ参詣するのであったが、いつものように院内の夫人を誘ってみた。花散里、明石などである。その人たちは紫夫人といっしょに出かけることはかえって自身の貧弱さを紫夫人に比べて人に見せるものであると思ってだれも参加しなかったから、たいして目に立つような参詣ぶりではなかったが、車が二十台ほどで、前駆も人数を多くはせずに人を精選してあった。
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Kakute, Rokudeuwin no ohom-isogi ha, nizihu yoniti no hodo nari keri. Tai-no-Uhe, miare ni maude tamahu tote, rei no ohom-katagata izanahi kikoye tamahe do, nakanaka, sasimo hiki-tuduki te kokoroyamasiki wo obosi te, tare mo tare mo tomari tamahi te, kotokotosiki hodo ni mo ara zu, mi-kuruma nizihu bakari site, gozen nado mo, kudakudasiki hitokazu ohoku mo ara zu, kotosogi taru simo, kehahi koto nari.
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2.1.2 |
祭の日の暁に詣うでたまひて ★、かへさには、物御覧ずべき御桟敷におはします。御方々の女房、おのおの車引き続きて、御前、所占めたるほど、いかめしう、「 かれはそれ」と、遠目より おどろおどろしき御勢ひなり。
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祭の日の早朝に参詣なさって、帰りには、御見物なさる予定のお桟敷席におつきになる。御方々の女房たち、それぞれの車を後から連ねて、御前に車を止めているのは、堂々として、「あれは誰それだ」と、遠くから見ても仰々しいご威勢である。
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それは祭りの日であったから、参詣したあとで一行は見物桟敷にはいって勅使の行列を見た。六条院の他の夫人たちのほうからも女房だけを車に乗せて祭り見物に出してあった。その車が皆桟敷の前に立て並べられたのである。あれはだれのほう、それは何夫人のほうの車と遠目にも知れるほど華奢が尽くされてあった。
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Maturi no hi no akatuki ni maude tamahi te, kahesa ni ha, mono goranzu beki ohom-saziki ni ohasimasu. Ohom-katagata no nyoubau, onoono kuruma hiki-tuduki te, omahe, tokoro sime taru hodo, ikamesiu, "Kare ha sore." to, tohome yori odoroodorosiki ohom-ikihohi nari.
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2.1.3 |
大臣は、中宮の御母御息所の、車押し避けられたまへりし折のこと思し出でて、
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大臣は、中宮の御母御息所が、お車の榻を押し折られなさった時のことをお思い出しになって、
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源氏は中宮の母君である、六条の御息所の見物車が左大臣家の人々のために押しこわされた時の葵祭りを思い出して夫人に語っていた。
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Otodo ha, Tyuuguu no ohom-haha Miyasumdokoro no, kuruma osi-sake rare tamahe ri si wori no koto obosi ide te,
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2.1.4 |
「 時により心おごりして、さやうなることなむ、情けなきことなりける。こよなく思ひ消ちたりし人も、嘆き負ふやうにて亡くなりにき」
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「権勢をたのんで心奢りなさって、あのようなことを起こすのは、心ないことであった。全然無視していた方も、その恨みを受けた形で亡くなってしまった」
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「権勢をたのんでそうしたことをするのはいやなことだね。相手を見くびった人も、人の恨みにたたられたようになって亡くなってしまったのですよ」
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"Toki ni yori kokoroogori si te, sayau naru koto nam, nasakenaki koto nari keru. Koyonaku omohiketi tari si hito mo, nageki ohu yau nite nakunari ni ki."
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2.1.5 |
と、そのほどはのたまひ消ちて、
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と、そこのあたりは言葉をお濁しになって、
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と源氏はその点を曖昧に言って、
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to, sono hodo ha notamahi keti te,
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2.1.6 |
「 残りとまれる人の、中将は、かくただ人にて、わづかになりのぼるめり。宮は並びなき筋にておはするも、思へば、いとこそあはれなれ。すべていと定めなき世なればこそ、何ごとも 思ふさまにて、生ける限りの世を過ぐさまほしけれと、 残りたまはむ末の世などの、たとしへなき衰へなどをさへ、思ひ憚らるれば」
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「後に残った人で、中将は、このような臣下として、やっと立身した程度だ。宮は並ぶ者のいない地位にいらっしゃるのも、考えてみれば、実にしみじみと感慨深い。何もかもひどく定めない世の中なので、どのようなことも思い通りに、生きている間の世を過ごしたく思うが、後にお残りになる晩年などが、言いようもない衰えなどまでが、心配されるものですから」
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「残した人だってどうだろう、中将は人臣で少しずつ出世ができるだけの男だが、中宮は類のない御身分になっていられる。その時のことから言えば何という変わり方だろう。人生は元来そうしたものなのですよ。無常の世なのだから、生きている間はしたいようにして暮らしたいとは思うが、私の死んだあとであなたなどがにわかに寂しい暮らしをするようなことがあっては、かえって今派手なことをしておかないほうがその場合に見苦しくないからと私はそんなことも思って、十分まで物はせずにいる」
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"Nokori tomare ru hito no, Tyuuzyau ha, kaku tadaudo ni te, wadukani nari noboru meri. Miya ha narabi naki sudi ni te ohasuru mo, omohe ba, ito koso ahare nare. Subete ito sadame naki yo nare ba koso, nanigoto mo omohu sama nite, ike ru kagiri no yo wo sugusa mahosikere to, nokori tamaha m suwe no yo nado no, tatosihe naki otorohe nado wo sahe, omohi habakara rure ba."
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2.1.7 |
と、 うち語らひたまひて、上達部なども御桟敷に参り集ひたまへれば、そなたに出でたまひぬ。
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と、親しくお話しなさって、上達部などもお桟敷に参集なさったので、そちらにお出ましになった。
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などと言ったのち源氏は高官なども桟敷へ伺候して来るので男子席のほうへ出て行った。
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to, uti-katarahi tamahi te, Kamdatime nado mo ohom-saziki ni mawiri tudohi tamahe re ba, sonata ni ide tamahi nu.
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2.2 |
第二段 柏木や夕霧たちの雄姿
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2-2 Kashiwagi and Yugiri are active in a festival of Kamo-shrin
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2.2.1 |
近衛司の使は、頭中将なりけり。かの大殿にて、出で立つ所より ぞ人びとは参りたまうける。 藤典侍も使なりけり。おぼえことにて、内裏、春宮よりはじめたてまつりて、六条院などよりも、 御訪らひども所狭きまで、御心寄せいとめでたし。
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近衛府の使者は、頭中将であった。あの大殿邸を、出立する所から人々は参上なさったのであった。藤典侍も使者であった。格別に評判がよくて、帝、春宮をお初めとして、六条院などからも、御祝儀の数々が置き所もないほど、ご贔屓ぶりは実に素晴らしい。
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今日近衛の将官として加茂へ参向を命ぜられた勅使は頭中将であった。内侍使いは藤典侍である。勅使の出発する内大臣家へ人々はまず集まったのであった。宮中からも東宮からも今日の勅使には特別な下され物があった。六条院からも贈り物があって、勅使の頭中将の背景の大きさが思われた。
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Konowedukasa no tukahi ha, Tou-no-Tyuuzyau nari keri. Kano Ohotono nite, idetatu tokoro yori zo hitobito ha mawiri tamau keru. Tou-Naisinosuke mo tukahi nari keri. Oboye koto nite, Uti, Touguu yori hazime tatematuri te, Rokudeuwin nado yori mo, ohom-toburahi-domo tokoroseki made, mi-kokoroyose ito medetasi.
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2.2.2 |
宰相中将、出で立ちの所にさへ訪らひたまへり。うちとけずあはれを交はしたまふ御仲なれば、かくやむごとなき方に定まりたまひぬるを、ただならずうち思ひけり。
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宰相中将、出立の所にまでお手紙をお遣わしになった。人目を忍んで恋し合うお間柄なので、このようにれっきとしたお方と結婚がお決まりになったのを、心穏やかならず思っているのであった。
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宰相中将はいでたちのせわしい場所へ使いを出して典侍へ手紙を送った。思い合った恋人どうしであったから、正当な夫人のできたことで典侍は悲観しているのである。
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Saisyau-no-Tyuuzyau, idetati no tokoro ni sahe toburahi tamahe ri. Utitoke zu ahare wo kahasi tamahu ohom-naka nare ba, kaku yamgotonaki kata ni sadamari tamahi nuru wo, tadanarazu uti-omohi keri.
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2.2.3 |
「 何とかや今日のかざしよかつ見つつ おぼめくまでもなりにけるかな |
「何と言ったのか、今日のこの插頭は、目の前に見ていながら 思い出せなくなるまでになってしまったことよ |
何とかや今日のかざしよかつ見つつ おぼめくまでもなりにけるかな
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"Nani to ka ya kehu no kazasi yo katu mi tutu obomeku made mo nari ni keru kana |
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2.2.4 |
あさまし」
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あきれたことだ」
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想像もしなかったことです。
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asamasi."
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2.2.5 |
とあるを、 折過ぐしたまはぬばかりを、いかが思ひけむ、いと ▼ もの騒がしく、車に乗るほどなれど、
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とあるのを、機会をお見逃しにならなかったことだけは、どう思ったことやら、たいそう忙しく、車に乗る時であるが、
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というのであった。自分のためには晴れの日であることに男が関心を持っていたことだけがうれしかったか、あわただしい中で、もう車に乗らねばならぬ時であったが、
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to aru wo, wori sugusi tamaha nu bakari wo, ikaga omohi kem, ito mono-sawagasiku, kuruma ni noru hodo nare do,
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2.2.6 |
「 かざしてもかつたどらるる草の名は 桂を折りし人や知るらむ ★ |
「頭に插頭してもなおはっきりと思い出せない草の名は 桂を折られたあなたはご存知でしょう |
かざしてもかつたどらるる草の名は 桂を折りし人や知るらん
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"Kazasi te mo katu tadora ruru kusa no na ha katura wo wori si hito ya siru ram |
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2.2.7 |
博士ならでは」
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博士でなくては」
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博士でなければわからないでしょう。
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Hakase nara de ha."
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2.2.8 |
と聞こえたり。 はかなけれど、ねたきいらへと思す。なほ、この内侍にぞ、思ひ離れず、 はひまぎれたまふべき。
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と申し上げた。つまらない歌であるが、悔しい返歌だとお思いになる。やはり、この典侍を、忘れられず、こっそりお会いなさるのであろう。
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と返事を書いた。ちょっとした手紙ではあったが、気のきいたものであると宰相中将は思った。この人とだけは隠れた恋人として結婚後も関係が続いていくらしい。
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to kikoye tari. Hakanakere do, netaki irahe to obosu. Naho, kono Naisi ni zo, omohi hanare zu, hahi-magire tamahu beki.
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注釈106 | 近衛司の使は | 2.2.1 |
注釈107 | 藤典侍 | 2.2.1 |
注釈108 | 御訪らひども所狭きまで | 2.2.1 |
注釈109 | 何とかや今日のかざしよかつ見つつ--おぼめくまでもなりにけるかな | 2.2.3 |
注釈110 | 折過ぐしたまはぬばかりをいかが思ひけむ | 2.2.5 |
注釈111 | もの騒がしく | 2.2.5 |
注釈112 | かざしてもかつたどらるる草の名は--桂を折りし人や知るらむ | 2.2.6 |
注釈113 | はかなけれどねたきいらへと | 2.2.8 |
注釈114 | はひまぎれたまふべき | 2.2.8 |
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出典15 |
桂を折りし人 |
久方の月の桂も折るばかり家の風をも吹かせてしかな |
拾遺集雑上-四七三 菅原道真の母 |
2.2.6 |
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2.3 |
第三段 四月二十日過ぎ、明石姫君、東宮に入内
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2-3 Akashi-hime gets married to Prince at about April 20
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2.3.1 |
かくて、御参りは 北の方添ひたまふべきを、「 常に長々しうえ添ひさぶらひたまはじ。かかるついでに、かの御後見をや添へまし」と思す。
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こうして、御入内には北の方がお付き添いになるものだが、「いつまでも長々とお付き添い申していらっしゃることはできまい。このような機会に、あの実の親をご後見役に付けようか」とお考えになる。
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姫君が東宮へ上がった時に母として始終紫の女王がついて行っていねばならないはずであるが、女王はそれに堪えまい、これを機会に明石を姫君につけておくことにしようかと源氏は思った。
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Kakute, ohom-mawiri ha Kitanokata sohi tamahu beki wo, "Tuneni naganagasiu e sohi saburahi tamaha zi. Kakaru tuide ni, kano ohom-usiromi wo ya sohe masi." to obosu.
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2.3.2 |
上も、「 つひにあるべきことの、かく隔たりて過ぐしたまふを、かの人も、ものしと思ひ嘆かるらむ。この御心にも、今はやうやうおぼつかなく、あはれに思し知るらむ。かたがた心おかれたてまつらむも、あいなし」と思ひなりたまひて、
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対の上も、「結局は一緒になるはずなのに、このように離れて年月を過ごして来られたのを、あの方も、ひどいと思い嘆いていることだろう。姫君のお胸の中でも、今ではだんだんと恋しくお感じになっていらっしゃろう。お二方からおもしろくなく思われ申すのも、つまらないことだ」とお思いになって、
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紫夫人も、それが自然なことで、いずれそうした日のなければならない母と子が今のように引き分けられていることを明石夫人は悲しんでいるであろうし、姫君も幼年時代とは違ってもう今はそのことを飽き足らぬことと悲しんでいるであろう、双方から一人の自分が恨まれることは苦しいと思うようになった。
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Uhe mo, "Tuhini aru beki koto no, kaku hedatari te sugusi tamahu wo, kano hito mo, monosi to omohi nageka ru ram. Kono mi-kokoro ni mo, ima ha yauyau obotukanaku, ahare ni obosi siru ram. Katagata kokorooka re tatematura m mo, ainasi." to omohi nari tamahi te,
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2.3.3 |
「 この折に添へたてまつりたまへ。まだいとあえかなるほどもうしろめたきに、さぶらふ人とても、若々しきのみこそ多かれ。御乳母たちなども、見及ぶことの心いたる限りあるを、みづからは、えつとしもさぶらはざらむほど、うしろやすかるべく」
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「この機会にお付き添わせ申しなさいませ。まだとてもか弱くいらっしゃるのも不安なので、伺候する女房たちとしても、若々しい人ばかり多いです。御乳母たちなども、気をつけるといっても行き届かない所がありますから、わたし自身は、ずっとお付きできません時、安心なように」
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「この機会に真実のお母様をつけておあげなさいませ。まだ小さいのですから心配でなりませんのに、女房たちといっても若い人が多いのでございますからね。また乳母たちといっても、ああした人たちの周到さには限度があるのですものね、母がいなければと思いますが、私がそうずっとつききっていられないあいだあいだはあの方がいてくだすったら安心ができると思います」
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"Kono wori ni sohe tatematuri tamahe. Mada ito aeka naru hodo mo usirometaki ni, saburahu hito tote mo, wakawakasiki nomi koso ohokare. Ohom-menoto-tati nado mo, mi oyobu koto no kokoro itaru kagiri aru wo, midukara ha, e tuto simo saburaha zara m hodo, usiroyasukaru beku."
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2.3.4 |
と聞こえたまへば、「 いとよく思し寄るかな」と思して、「 さなむ」と、あなたにも語らひのたまひければ、いみじくうれしく、 思ふこと叶ひはべる心地して、人の装束、何かのことも、やむごとなき御ありさまに劣るまじくいそぎたつ。
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と申し上げなさると、「よくお気が付いたなあ」とお思いになって、「これこれで」と、あちらにもご相談になったので、まことに嬉しく願っていたことが、すっかり叶った心地がして、女房の着る装束、その他のことまで、高貴な方のご様子に劣らないほどに準備し出す。
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と女王は良人に言った。源氏は自身の心持ちと夫人の言葉とが一致したことを喜んで、明石へその話をした。明石は非常にうれしく思い、長い間の願いの実現される気がして、自身の女房たちの衣裳その他の用意を、紫夫人のするのに劣らず派手に仕度し始めた。
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to kikoye tamahe ba, "Ito yoku obosi yoru kana!" to obosi te, "Sa nam." to, anata ni mo katarahi notamahi kere ba, imiziku uresiku, omohu koto kanahi haberu kokoti si te, hito no sauzoku, nanika no koto mo, yamgotonaki ohom-arisama ni otoru maziku isogi tatu.
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2.3.5 |
尼君なむ、なほこの御生ひ先見たてまつらむの心深かりける。「 今一度見たてまつる世もや」と、命をさへ執念くなして念じけるを、「 いかにしてかは」と、思ふも悲し。
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尼君、やはりこの姫君のご将来を拝見したいお気持ちが深いのであった。「もう一度拝見する時があろうか」と、生きることに執念を燃やして祈っているのであったが、「どうしたらお目にかかれるだろうか」と、思うにつけても悲しい。
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姫君の祖母の尼君は姫君の出世をどこまでも観望したいと願っていた。そしてもう一度だけ顔を見たいと思う心から生き続けているのを、明石は哀れに思っていた。その機会だけは得られまいと思うからである。
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AmaGimi nam, naho kono ohom-ohisaki mi tatematura m no kokorohukakari keru. "Ima hitotabi mi tatematuru yo mo ya?" to, inoti wo sahe sihuneku nasi te nenzi keru wo, "Ikani si te kaha?" to, omohu mo kanasi.
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2.3.6 |
その夜は、上添ひて参りたまふに、 さて、車にも ★立ちくだりうち歩みなど、人悪るかるべきを、わがためは思ひ憚らず、ただ、 かく磨きたてまつりたまふ玉の疵にて、わがかくながらふるを、 かつはいみじう心苦しう思ふ。
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その夜は、対の上が付き添って参内なさるが、その際、輦車にも一段下がって歩いて行くなど、体裁の悪いことだが、自分は構わないが、ただ、このように大事に磨き申し上げなさった姫君の玉の瑕となって、自分がこのように長生きをしているのを、一方ではひどく心苦しく思う。
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最初は紫夫人が付き添って行った。紫夫人には輦車も許されるであろうが、自身には御所のある場所を歩いて行かねばならない不体裁のあることなども、明石は自身のために歎かずに源氏夫婦が磨きたてて太子に奉る姫君に、自分という生母のあることが玉の瑕と見られるに違いないと心苦しがっていた。
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Sono yo ha, Uhe sohi te mawiri tamahu ni, sate, kuruma ni mo tati-kudari uti-ayumi nado, hitowarukaru beki wo, waga tame ha omohi habakara zu, tada, kaku migaki tatematuri tamahu tama no kizu nite, waga kaku nagarahuru wo, katuha imiziu kokorogurusiu omohu.
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2.3.7 |
御参りの儀式 ★、「 人の目おどろくばかりのことはせじ」と思しつつめど、 おのづから世の常のさまにぞあらぬや。限りもなくかしづきすゑたてまつりたまひて、上は、「まことにあはれにうつくし」と思ひきこえたまふにつけても、人に譲るまじう、「 まことにかかることもあらましかば」と思す。大臣も、宰相の君も、ただ このことひとつをなむ、「飽かぬことかな」と、思しける。
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御入内の儀式、「世間の人を驚かすようなことはすまい」とご遠慮なさるが、自然と普通の入内とは違ったものとならざるをえない。この上もなく大事にお世話申し上げていらっしゃって、対の上は、本当にしみじみとかわいいとお思い申し上げなさるにつけても、他人に譲りたくなく、「本当にこのような子があったらいいのに」とお思いになる。大臣も宰相の君も、ただこのこと一点だけを、「物足りないことよ」と、お思いであった。
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姫君が上がる式に人目を驚かすような華奢はしたくないと源氏は質素にしたつもりであったが、やはり並み並みのこととは見えなかった。限りもなく美しく姫君を仕立てて、紫夫人は真心からかわいくながめながらも、これを生母に譲らねばならぬようなことがなくて、真実の子として持ちたかったという気がした。源氏も宰相中将もこの一点だけを飽き足らず思った。
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Ohom-mawiri no gisiki, "Hito no me odoroku bakari no koto ha se zi." to obosi tutume do, onodukara yo no tune no sama ni zo ara nu ya? Kagiri mo naku kasiduki suwe tatematuri tamahi te, Uhe ha, "Makoto ni ahare ni utukusi." to omohi kikoye tamahu ni tuke te mo, hito ni yuduru maziu, "Makoto ni kakaru koto mo ara masika ba." to obosu. Otodo mo, Saisyau-no-Kimi mo, tada kono koto hitotu wo nam, "Aka nu koto kana!" to, obosi keru.
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2.4 |
第四段 紫の上、明石御方と対面する
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2-4 Murasaki and Akasi, Akashi-hime's mothers, meet each other at the Imperial Palace
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2.4.1 |
三日過ごしてぞ、上はまかでさせたまふ。たち変はりて参りたまふ夜、御対面あり。
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三日間を過ごして、対の上はご退出あそばす。入れ替わって参内なさる夜に、ご対面がある。
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三日たって紫の女王は退出するのであったが、代わるために明石が御所へ来た。そして東宮の御息所の桐壺の曹司で二夫人ははじめて面会したのである。
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Mika sugosi te zo, Uhe ha makade sase tamahu. Tati-kahari te mawiri tamahu yo, ohom-taimen ari.
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2.4.2 |
「 かくおとなびたまふけぢめになむ、 年月のほども知られはべれば、疎々しき隔ては、残るまじくや」
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「このようにご成人なさった節目に、長い歳月のほどが存じられますが、よそよそしい心の隔ては、ないでしょうね」
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「こんなに大人らしくおなりになった方で、私たちは長い以前からの知り合いであることが証明されるのですから、もう他人らしい遠慮はしないでおきたいと思います」
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"Kaku otonabi tamahu kedime ni nam, tosituki no hodo mo sira re habere ba, utoutosiki hedate ha, nokoru maziku ya?"
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2.4.3 |
と、なつかしうのたまひて、物語などしたまふ。 これもうちとけぬる初めなめり。ものなどうち言ひたるけはひなど、「 むべこそは」と、めざましう見たまふ。
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と、やさしくおっしゃって、お話などなさる。このことも仲好くなった初めのようである。お話などなさる態度に、「なるほどもっともだ」と、目を見張る思いで御覧になる。
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となつかしいふうに紫夫人は言って、いろいろな話をした。これが初めで二夫人の友情は堅く結ばれていくであろうと思われた。明石のものを言う様子などに、あれだけにも源氏の愛を惹く力のあるのは道理である、すばらしい人であると夫人にはうなずかれるところがあった。
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to, natukasiu notamahi te, monogatari nado si tamahu. Kore mo utitoke nuru hazime na' meri. Mono nado uti-ihi taru kehahi nado, "mube koso ha" to, mezamasiu mi tamahu.
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2.4.4 |
また、いと気高う盛りなる御けしきを、かたみにめでたしと見て、「 そこらの御中にもすぐれたる御心ざしにて、並びなきさまに定まりたまひけるも、いとことわり」と思ひ知らるるに、「 かうまで、立ち並びきこゆる契り、おろかなりやは」と思ふものから、出でたまふ儀式の、いとことによそほしく、御輦車など聴されたまひて、女御の御ありさまに異ならぬを、思ひ比ぶるに、 さすがなる身のほどなり。
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また、実に気品高く女盛りでいらっしゃるご様子を、お互いに素晴らしいと認めて、「大勢の御方々の中でも優れたご寵愛で、並ぶ方がいない地位を占めていらっしゃったのを、まことにもっともなことだ」と理解されると、「こんなにまで出世し、肩をお並べ申すことができた前世の約束、いいかげんなものでない」と思う一方で、ご退出になる儀式が実に格別に盛大で、御輦車などを許されなさって、女御のご様子と異ならないのを、思い比べると、やはり身分の相違というものを感じずにはいられないのである。
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今が盛りの気高い貴女と見える女王の美に明石は驚いていて、たくさんな女性の中で最も源氏から愛されて、第一夫人の栄誉を与えているのは道理のあることであると思ったが、同時に、この人と並ぶ夫人の地位を得ている自分の運命も悪いものでないという自信も持てたのであったが、入り代わって帰る女王はことさらはなばなしい人に付き添われ、輦車も許されて出て行く様子などは陛下の女御の勢いに変わらないのを見ては、さすがに溜息もつかれた。
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Mata, ito kedakau sakari naru ohom-kesiki wo, katamini medetasi to mi te, "Sokora no ohom-naka ni mo sugure taru ohom-kokorozasi nite, narabinaki sama ni sadamari tamahi keru mo, ito kotowari." to omohi sira ruru ni, "Kau made, tati-narabi kikoyuru tigiri, oroka nari yaha!" to omohu monokara, ide tamahu gisiki no, ito kotoni yosohosiku, ohom-teguruma nado yurusa re tamahi te, Nyougo no ohom-arisama ni kotonara nu wo, omohi kuraburu ni, sasuga naru mi no hodo nari.
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2.4.5 |
いとうつくしげに、雛のやうなる御ありさまを、夢の心地して見たてまつるにも、涙のみとどまらぬは、 ▼ 一つものとぞ見えざりける。年ごろよろづに嘆き沈み、さまざま憂き身と思ひ屈しつる命も延べまほしう、はればれしきにつけて、まことに住吉の神もおろかならず思ひ知らる。
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とてもかわいげに、お人形のようなご様子を、夢のような心地で拝見するにつけても、涙ばかりが止まらないのは、同じ涙とは思われないのであった。長年何かにつけ悲しみに沈んで、何もかも辛い運命だと悲観していた寿命も更に延ばしたく、気も晴れやかになったにつけても、本当に住吉の神も霊験あらたかだと思わずにいられない。
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きれいな姫君を夢の中のような気持ちでながめながらも明石の涙はとまらなかった。しかしこれはうれしい涙であった。今までいろいろな場合に悲観して死にたい気のした命も、もっともっと長く生きねばならぬと思うような、朗らかな気分になることができて、いっさいが住吉の神の恩恵であると感謝されるのであった。
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Ito utukusige ni, hihina no yau naru ohom-arisama wo, yume no kokoti si te mi tatematuru ni mo, namida nomi todomara nu ha, hitotumono to zo miye zari keru. Tosigoro yorodu ni nageki sidumi, samazama uki mi to omohi ku'si turu inoti mo nobe mahosiu, harebaresiki ni tuke te, makoto ni Sumiyosi-no-Kami mo oroka nara zu omohi sira ru.
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2.4.6 |
思ふさまにかしづききこえて、心およばぬことはた、をさをさなき人のらうらうじさなれば、おほかたの寄せ、おぼえよりはじめ、なべてならぬ御ありさま容貌なるに、宮も、若き御心地に、いと心ことに思ひきこえたまへり。
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思う通りにお世話申し上げて、行き届かないこと、それは、まったくない方の利発さなので、世人一般の人気、声望をはじめとして、並々ならぬご容姿ご器量なので、東宮も、お若い心で、たいそう格別にお思い申し上げていらっしゃった。
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理想的な教養が与えられてあって、足りない点などは何もないと見える姫君は、絶大な勢力のある源氏を父としているほかに、すぐれた麗質も備えていることで、若くいらせられる東宮ではあるがこの人を最も御愛寵あそばされた。
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Omohu sama ni kasiduki kikoye te, kokoro oyoba nu koto hata, wosawosa naki hito no raurauzisa nare ba, ohokata no yose, oboye yori hazime, nabete nara nu ohom-arisama katati naru ni, Miya mo, wakaki mi-kokoti ni, ito kokoro kotoni omohi kikoye tamahe ri.
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2.4.7 |
挑みたまへる御方々の人などは、この母君の、かくてさぶらひたまふを、疵に言ひなしなどすれど、それに消たるべくもあらず。 いまめかしう、並びなきことをば、さらにもいはず、心にくくよしある御けはひを、はかなきことにつけても、あらまほしうもてなしきこえたまへれば、殿上人なども、めづらしき挑み所にて、とりどりにさぶらふ人びとも、 心をかけたる女房の、用意ありさまさへ、いみじくととのへなしたまへり。
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競争なさっている御方々の女房などは、この母君がこうして伺候していらっしゃるのを、欠点に言ったりなどするが、それに負けるはずがない。当世風で、並ぶ者がないことは、言うまでもなく、奥ゆかしく上品なご様子を、ちょっとしたことにつけても、理想的に引き立ててお上げになるので、殿上人なども、珍しい風流の才を競う所として、それぞれに伺候する女房たちも、心寄せている女房の、心構え態度までが、実に立派なのを揃えていらっしゃった。
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東宮に侍している他の御息所付きの女房などは、源氏の正夫人でない生母が付き添っていることをこの御息所の瑕のように噂するのであるが、それに影響されるようなことは何もなかった。はなやかな空気が桐壺に作られて、芸術的なにおいをこの曹司で嗅ぎうることを喜んで、殿上役人などもおもしろい遊び場と思い、ここのすぐれた女房を恋の対象にしてよく来るようになった。女房たちのとりなし、人への態度も洗練されたものであった。
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Idomi tamahe ru ohom-katagata no hitobito nado ha, kono HahaGimi no, kakute saburahi tamahu wo, kizu ni ihi nasi nado sure do, sore ni keta ru beku mo ara zu. Imamekasiu, narabi naki koto wo ba, sarani mo iha zu, kokoronikuku yosi aru ohom-kehahi wo, hakanaki koto ni tuke te mo, aramahosiu motenasi kikoye tamahe re ba, Tenzyaubito nado mo, medurasiki idomi dokoro nite, toridori ni saburahu hitobito mo, kokoro wo kake taru nyoubau no, youi arisama sahe, imiziku totonohe nasi tamahe ri.
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2.4.8 |
上も、さるべき折節には参りたまふ。御仲らひあらまほしううちとけゆくに、さりとてさし過ぎもの馴れず、あなづらはしかるべきもてなし、はた、つゆなく、あやしくあらまほしき人のありさま、心ばへなり。
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対の上も、しかるべき機会には参内なさる。お二方の仲は理想的に睦まじくなって行くが、そうかといって出過ぎたり馴れ馴れしくならず、軽く見られるような態度、言うまでもなく、まったくなく、不思議なほど理想的な方の態度、心構えである。
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紫夫人も何かのおりには出て来た。それで明石との間がおいおい打ち解けていった。しかも明石はなれなれしさの過ぎるほどにも出過ぎたことなどはせず、紫夫人はまた相手を軽蔑するようなことは少しもせずに怪しいほど雅致のある友情が聡明な二女性の間にかわされていた。
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Uhe mo, sarubeki worihusi ni ha mawiri tamahu. Ohom-nakarahi aramahosiu utitoke yuku ni, saritote sasi-sugi mono nare zu, anadurahasikaru beki motenasi, hata, tuyu naku, ayasiku aramahosiki hito no arisama, kokorobahe nari.
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出典16 |
一つものとぞ見え |
うれしきも憂きも心は一つにて別れぬものは涙なりけり |
後撰集雑二-一一八八 読人しらず |
2.4.5 |
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Last updated 9/21/2010(ver.2-3) 渋谷栄一校訂(C) Last updated 2/27/2010(ver.2-2) 渋谷栄一注釈(C) |
Last updated 10/7/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
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Last updated 2/27/2010 (ver.2-2) Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya(C)
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Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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