第三十六帖 柏木


36 KASIHAGI (Teika-jihitsu-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
四十八歳春一月から夏四月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from January in spring to April in summer, at the age of 48

1
第一章 柏木の物語 女三の宮、薫を出産


1  Tale of Kashiwagi  Omna-Sam-no-Miya gives birth to a baby boy

1.1
第一段 柏木、病気のまま新年となる


1-1  It becomes a new year, Kashiwagi is as sick as ever

1.1.1   衛門督の君、かくのみ 悩みわたりたまふこと、なほおこたらで、 年も返りぬ大臣、北の方、思し嘆くさまを 見たてまつるに
 衛門督の君、このようにばかりお病み続けになること、依然として回復せぬまま、年も改まった。大臣、北の方、お嘆きになる様子を拝見すると、
 右衛門督うえもんのかみの病気は快方に向くことなしに春が来た。父の大臣と母夫人の悲しむのを見ては、
  Wemon-no-Kamnokimi, kaku nomi nayami watari tamahu koto, naho okotara de, tosi mo kaheri nu. Otodo, Kitanokata, obosi nageku sama wo mi tatematuru ni,
1.1.2  「 しひてかけ離れなむ命、かひなく、 罪重かるべきことを思ふ、心は心として、また、 あながちにこの世に離れがたく、 惜しみ留めまほしき身かは。いはけなかりしほどより、思ふ心異にて、何ごとをも、人に今一際まさらむと、公私のことに触れて、なのめならず 思ひ上りしかどその心叶ひがたかりけり
 「無理して死のうと思う命、その甲斐もなく、罪障のきっと重いだろうことを思う、その考えは考えとして、また一方で、むやみに、この世から出離しがたく、惜しんで留めて置きたい身の上であろうか。幼かったときから、思う考えは格別で、どのようなことでも、人にはいま一段抜きんでたいと、公事私事につけて、並々ならず気位高く持していたが、その望みも叶いがたかった」
 死を願うことは重罪にあたることであると一方では思いながらも、自分は決して惜しい身でもない、子供の時から持っていた人に違った自尊心も、
  "Sihite kakehanare na m inoti, kahinaku, tumi omokaru beki koto wo omohu, kokoro ha kokoro to si te, mata, anagati ni kono yo ni hanare gataku, wosimi todome mahosiki mi kaha! Ihakenakari si hodo yori, omohu kokoro koto nite, nanigoto wo mo, hito ni ima hitokiha masara m to, ohoyake watakusi no koto ni hure te, nanome nara zu omohi nobori sika do, sono kokoro kanahi gatakari keri."
1.1.3  と、一つ二つの節ごとに、身を思ひ落としてしこなた、 なべての世の中すさまじう思ひなりて、 後の世の行なひに本意深く進みにしを親たちの御恨みを思ひて野山にもあくがれむ道の重き ほだしなるべくおぼえしかば、とざまかうざまに紛らはしつつ過ぐしつるを、つひに、
 と、一つ二つのつまずき事に、わが身に自信をなくして以来、大方の世の中がおもしろくなく思うようになって、来世の修業に心深く惹かれたのだが、両親のご悲嘆を思うと、山野にもさまよい込む道の強い障害ともなるにちがいなく思われたので、あれやこれやと紛らわし紛らわし過ごしてきたのだが、とうとう、
 ある一つ二つの場合に得た失望感からゆがめられて以来は厭世えんせい的な思想になって、出家を志していたにもかかわらず、親たちのなげきを顧みると、このほだし遁世とんせいの実を上げさすまいと考えられて、自己を紛らしながら俗世界にいるうちに、ついに
  to, hitotu hutatu no husi goto ni, mi wo omohi otosi te si konata, nabete no yononaka susamaziu omohi nari te, notinoyo no okonahi ni ho'i hukaku susumi ni si wo, oya-tati no ohom-urami wo omohi te, noyama ni mo akugare m miti no omoki hodasi naru beku oboye sika ba, tozamakauzama ni magirahasi tutu sugusi turu wo, tuhini,
1.1.4  「なほ、世に立ちまふべくもおぼえぬもの思ひの、 一方ならず身に添ひにたるは、我より他に 誰かはつらき、心づからもてそこなひつるにこそあめれ」
 「やはり、世の中には生きていけそうにも思われない悩みが、並々ならず身に付き纏っているのは、自分より外に誰を恨めようか、自分の料簡違いから破滅を招いたのだろう」
 生きがたいほどの物思いを同時に二つまで重ねてする身になったことは、
  "Naho, yo ni tatimahu beku mo oboye nu monoomohi no, hitokata nara zu mi ni sohi ni taru ha, ware yori hoka ni tare kaha turaki, kokorodukara mote-sokonahi turu ni koso a' mere."
1.1.5  と思ふに、恨むべき人もなし。
 と思うと、恨むべき相手もいない。
 だれを恨むべくもない自己のあやまちである、
  to omohu ni, uramu beki hito mo nasi.
1.1.6  「 神、仏をもかこたむ方なきは、これ皆さるべきにこそはあらめ。 誰も千年の松ならぬ世は 、つひに止まるべきにもあらぬを、 かく、人にも、すこしうちしのばれぬべきほどにて、なげのあはれをもかけたまふ人あらむをこそは、 一つ思ひに燃えぬるしるし にはせめ。
 「神、仏にも不平の訴えようがないのは、これは皆前世からの因縁なのであろう。誰も千年を生きる松ではない一生は、結局いつまでも生きていられるものではないから、このように、あの人からも、少しは思い出してもらえるようなところで、かりそめの憐れみなりともかけて下さる方があろうということを、一筋の思いに燃え尽きたしるしとはしよう。
 神も仏も冥助みょうじょれたまわぬ境界にちたのは、皆前生での悲しい約束事であろう、だれも永久の命を持たない人間なのであるから、少しは惜しまれるうちに死んで、簡単な同情にもせよ、恋しい方にあわれだと思われることを自分の恋の最後に報いられたことと見よう、
  "Kami, Hotoke wo mo kakota m kata naki ha, kore mina sarubeki ni koso ha ara me. Tare mo titose no matu nara nu yo ha, tuhini tomaru beki ni mo ara nu wo, kaku, hito ni mo, sukosi uti-sinoba re nu beki hodo nite, nage no ahare wo mo kake tamahu hito ara m wo koso ha, hitotu omohi ni moye nuru sirusi ni ha se me.
1.1.7  せめてながらへば、おのづからあるまじき名をも立ち、我も人も、やすからぬ乱れ出で来るやうもあらむよりは、なめしと、心置いたまふらむあたりにも、さりとも思し許いてむかし。よろづのこと、今はのとぢめには、皆消えぬべきわざなり。また、異ざまの過ちしなければ、年ごろものの折ふしごとには、まつはしならひたまひにし方のあはれも出で来なむ」
 無理に生き永られていれば、自然ととんでもない噂もたち、自分にも相手にも、容易ならぬ面倒なことが出て来るようになるよりは、不届き者よと、ご不快に思われた方にも、いくら何でもお許しになろう。何もかものこと、臨終の折には、一切帳消しになるものである。また、これ以外の過失はほんとないので、長年何かの催しの機会には、いつも親しくお召し下さったことからの憐れみも生じて来よう」
 しいて生きていて自己の悪名も立ち、なお自分をもあの方をも苦しめるような道を進んで行くよりは、無礼であるとお憎しみになる院も、死ねばすべてをお許しになるであろうから、やはり死が願わしい、そのほかの点で過去に院の御感情を害したことはなく、長く恩顧を得ていた以前の御愛情が死によってよみがえってくることもあるであろう
  Semete nagarahe ba, onodukara arumaziki na wo mo tati, ware mo hito mo, yasukara nu midare idekuru yau mo ara m yori ha, namesi to, kokorooi tamahu ram atari ni mo, saritomo obosi yurui te m kasi. Yorodu no koto, imaha no todime ni ha, mina kiye nu beki waza nari. Mata, kotozama no ayamati si nakere ba, tosigoro mono no worihusi goto ni ha, matuhasi narahi tamahi ni si kata no ahare mo ideki na m."
1.1.8  など、つれづれに思ひ続くるも、 うち返し、いとあぢきなし
 などと、所在なく思い続けるが、いくら考えてみても、実にどうしようもない。
 とこんなふうに思われることが多い哀れな衛門督であった。
  nado, turedure ni omohi tudukuru mo, uti-kahesi, ito adikinasi.
注釈1衛門督の君「柏木」巻頭の語句。格助詞や係助詞が無い。話題の提示のいわば独立格。衛門督の君、その人はどうしたかといえば、というニュアンス。ただ、下文の述語「悩みたまふ」との関係から、改めて主語と規定される。さらに「悩みわたりたまふこと」が主語となるので、複文構造、さらに「年も返りぬ」の主語-述語関係が続くので、冒頭の一文全体は重文構造である。1.1.1
注釈2悩みわたりたまふこと主格。述語「おこたらで」に掛かる。1.1.1
注釈3年も返りぬ係助詞「も」強調のニュアンスを添える。1.1.1
注釈4大臣北の方『細流抄』は「此已下柏木の心也」と指摘。『全書』・『評釈』も柏木の心中文とする。1.1.1
注釈5見たてまつるに主語は柏木。この巻冒頭の語りの視点、また座標軸。1.1.1
注釈6しひてかけ離れなむ命「しひてかけ離れなむ」の文中の機能について、『源氏物語講読』(佐伯梅友)は「命」に掛かるとする見方に「この場合、かいがないというのはどういうことをいうのか解しかねる」と疑問を呈する。「それで、「命かひなく、罪重かるべきこと」に対する主語のようには見られないかと考えた。しいてかけ離れてしまおうとしても、自然のままでは命が消えないとすればそう思うかいがないだろうし、またそれがかなったとしたら、親に嘆きをかけて重い罪業となるだろうと考えている意を、「命かひなく、罪重かるべし」といったと見るのである。そう思う一方では、今が死に時だとも考える気持が、次の心中の部分の終りの方に出ている」と注す。1.1.2
注釈7罪重かるべきことを『湖月抄』は「父母にさきだつはその歎きをかけて不孝の罪をもきる也」と注す。1.1.2
注釈8あながちにこの世に『講読』は「ことばの続きぐあいやら、ことばの調子やらを考えて」、以下「あはれも出で来なむ」までを柏木の心中文とする。
【この世に】-格助詞「に」基点を表す。この世から出離しがたく、の意。
1.1.2
注釈9惜しみ留めまほしき身かは連語「かは」反語表現。言語主体は柏木。1.1.2
注釈10思ひ上りしかど過去の助動詞「しか」已然形、自己体験のニュアンス。1.1.2
注釈11その心叶ひがたかりけり『全集』は「挫折してはじめて事柄のむずかしさに気づく」と注す。1.1.2
注釈12なべての世の中明融臨模本、朱合点、付箋C型「大かたのわか身一のうきからになへての世をもうらみつるかな」(拾遺集恋五、九五三、紀貫之)とあり、大島本も、朱合点、細字注記「大方は我身一のうきからになへての世をもうらみつるかな」とある。1.1.3
注釈13後の世の行なひに本意深く進みにしを『全集』は「柏木に出家の意志のあったことは初出」と指摘。連語「にし」完了の助動詞と過去の助動詞の複合。すでに出家へと心がすっかり傾いてしまっていた、というニュアンス。1.1.3
注釈14親たちの御恨みを思ひて接続助詞「て」順接の仮定条件、お嘆きを考えたら、お嘆きを考えると、の意。「重きほだしにもなりぬべく」に掛かる。1.1.3
注釈15野山にも明融臨模本、付箋「いつくにか世をはいとはむ心こそ野にも山にもまとふへらなれ」(古今集雑下、九四七、素性)とあり、大島本も、朱合点、付箋「いつくにか世をはいとはん心こそ野にも山にもまとふへらなれ」とある。1.1.3
注釈16ほだしなるべく大島本、朱合点。『河海抄』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。1.1.3
注釈17一方ならず『大系』は「一方だけでなく(女三宮への恋と、源氏に知られたこととが)」。『全集』は「並み一とおりでなく」と訳す。1.1.4
注釈18誰かはつらき反語表現。『大系』は「誰がまあ、苦しいのか(皆、自分の罪である)」。『全集』は「自分自身よりほかに誰を恨むことができようか」と訳す。1.1.4
注釈19神仏をもかこたむ方なきは『全書』は「神仏にも不平の言ひやうがないのは」。『評釈』は「神仏のせいだともできないのは」と訳す。1.1.6
注釈20誰も千年の松ならぬ世は尊経閣文庫本、付箋「うくも世の思心にかなはぬかたれもちとせの松ならなくに」(古今六帖四、二〇九六)。明融臨模本は、朱合点、付箋「うくも世の思心にかなはぬかたれもちとせの松ならなくに」で同文。しかし大島本は、朱合点、行間書入「うくも世に心に物のかなはぬそたれも小野」とあり、引歌の文句が異なる。中山家本、朱合点、奥入「うくも世のおもふ心にかなはぬかたれもちとせのまつならなくに」と指摘。1.1.6
注釈21かく人にもすこしうちしのばれぬべきほどにて『全書』は「女三宮に少しは思い出して貰へさうな内に死んで」。『評釈』は「このように誰かに少しは死後思い出してもらえる間に」と訳す。1.1.6
注釈22一つ思ひに燃えぬるしるし尊経閣文庫本、付箋「夏虫の身をいたつらになすこともひとつおもひによりてなりけり」(古今集恋一、五四四、読人しらず)。明融臨模本、朱合点、付箋「夏むしの身をいたつらになす事も一思ひによりてなりけり」。大島本、朱合点、行間書入、「なつむしの身をいたつらになす事もひとつ」。中山家本、朱合点、奥入「なつむしのみをいたつらになす事もひとつ思ひによりてなりけり」とある。1.1.6
注釈23うち返しいとあぢきなし語り手の評言。1.1.8
出典1 なべての世の中 大方の我が身一つの憂きからになべての世をも恨みつるかな 拾遺集恋五-九五三 紀貫之 1.1.3
出典2 誰も千年の松ならぬ 憂くも世に思ふ心に叶はぬか誰も千年の松ならなくに 古今六帖四-二〇九六 1.1.6
出典3 一つ思ひに 夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり 古今集恋一-五四四 読人しらず 1.1.6
1.2
第二段 柏木、女三の宮へ手紙


1-2  Kashiwagi wrights a letter to Omna-Sam-no-Miya

1.2.1  「 などかく、ほどもなくしなしつる身ならむ」と、かきくらし思ひ乱れて、 枕も浮きぬばかり、人やりならず流し添へつつ、いささか隙ありとて、人びと立ち去りたまへるほどに、かしこに御文たてまつれたまふ。
 「どうしてこのように、生きる瀬もなくしてしまった身の上なのだろう」と、心がまっくらになる思いがして、枕も浮いてしまうほどに、誰のせいでもなく涙を流しては、少しは具合が好いとあって、ご両親たちがお側を離れなさっていた時に、あちらにお手紙を差し上げなさる。
 なぜこう短時日の間に自分をめちゃめちゃにしてしまったのであろうと煩悶はんもんして、苦しい涙を流しているのであるが、病苦が少し楽になったようであると、家族たちが病室を出て行った間に衛門督は女三にょさんみやへ送る手紙を書いた。
  "Nado kaku, hodo mo naku si nasi turu mi nara m?" to, kakikurasi omohi midare te, makura mo uki nu bakari, hitoyarinarazu nagasi sohe tutu, isasaka hima ari tote, hitobito tatisari tamahe ru hodo ni, kasiko ni ohom-humi tatemature tamahu.
1.2.2  「 今は限りになりにてはべるありさまは、おのづから聞こしめすやうもはべらむを、いかがなりぬるとだに、御耳とどめさせたまはぬも、ことわりなれど、いと憂くもはべるかな」
 「今はもう最期となってしまいました様子は、自然とお耳に入っていらっしゃいましょうが、せめていかがですかとだけでも、お耳に止めて下さらないのも、無理もないことですが、とても情けなく存じられますよ」
 もう私の命の旦夕たんせきに迫っておりますことはどこからとなくお耳にはいっているでしょうが、どんなふうかともお尋ねくださいませんことはもっともなことですが、私としては悲しゅうございます。
  "Ima ha kagiri ni nari nite haberu arisama ha, onodukara kikosimesu yau mo habera m wo, ikaga nari nuru to dani, ohom-mimi todome sase tamaha nu mo, kotowari nare do, ito uku mo haberu kana!"
1.2.3  など聞こゆるに、いみじうわななけば、思ふことも皆書きさして、
 などと申し上げるにつけても、ひどく手が震えるので、思っていることも皆書き残して、
 こんなことを書くのにも衛門督は手がふるえてならぬために、書きたいことも書きさして先を急いだ。
  nado kikoyuru ni, imiziu wananake ba, omohu koto mo mina kiki sasi te,
1.2.4  「 今はとて燃えむ煙もむすぼほれ
   絶えぬ思ひのなほや残らむ
 「もうこれが最期と燃えるわたしの荼毘の煙もくすぶって
  空に上らずあなたへの諦め切れない思いがなおもこの世に残ることでしょう
  今はとて燃えん煙も結ぼほれ
  絶えぬ思ひのなほや残らん
    "Ima ha tote moye m keburi mo musubohore
    taye nu omohi no naho ya nokora m
1.2.5   あはれとだにのたまはせよ。心のどめて、 人やりならぬ闇に惑はむ道の光にもしはべらむ」
 せめて不憫なとだけでもおっしゃって下さい。気持ちを静めて、自分から求めての無明の闇を迷い行く道の光と致しましょう」
 哀れであるとだけでも言ってください。それに満足します心を、暗いやみの世界へはいります道の光明にもいたしましょう。
  Ahare to dani notamahase yo. Kokoro nodome te, hitoyari nara nu yami ni madoha m miti no hikari ni mo si habera m."
1.2.6  と聞こえたまふ。
 と申し上げなさる。
 と結んだのであった。
  to kikoye tamahu.
1.2.7  侍従にも、 こりずまにあはれなることどもを言ひおこせたまへり。
 侍従にも、性懲りもなく、つらい思いの数々を書いてお寄こしになった。
 小侍従にもなお懲りずにかみは恋の苦痛を訴えて来た。
  Ziziu ni mo, korizuma ni, ahare naru koto-domo wo ihi okose tamahe ri.
1.2.8  「 みづからも、今一度言ふべきことなむ
 「直接お会いして、もう一度申し上げたい事がある」
 直接もう一度あなたにって言いたいことがある。
  "Midukara mo, ima hito-tabi ihu beki koto nam."
1.2.9  とのたまへれば、この人も、童より、 さるたよりに参り通ひつつ、見たてまつり馴れたる人なれば、おほけなき 心こそうたておぼえたまひつれ、今はと聞くは、いと悲しうて、泣く泣く、
 とおっしゃるので、この人も、子供の時から、あるご縁で行き来して、親しく存じ上げている人なので、大それた恋心は疎ましく思われなさるが、最期と聞くと、とても悲しくて、泣き泣き、
 とも書いてあった。小侍従も童女時代から伯母おばの縁故で親しい交情があったから、だいそれた恋をする点では、迷惑な主人筋の変わり者であると面倒には思っていたものの、生きる望みのなくなっている様子を知っては悲しくて、泣きながら、
  to notamahe re ba, kono hito mo, waraha yori, saru tayori ni mawiri kayohi tutu, mi tatematuri nare taru hito nare ba, ohokenaki kokoro koso utate oboye tamahi ture, ima ha to kiku ha, ito kanasiu te, naku naku,
1.2.10  「 なほ、この御返り。まことにこれをとぢめにもこそはべれ」
 「やはり、このお返事。本当にこれが最後でございましょう」
 「このお返事だけはどうかなすってくださいまし。これが最後のことでございましょうから」
  "Naho, kono ohom-kaheri. Makoto ni kore wo todime ni mo koso habere."
1.2.11  と聞こゆれば、
 と申し上げると、
 と宮へ申し上げた。
  to kikoyure ba,
1.2.12  「 われも、今日か明日かの心地して、もの心細ければ、 おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど、いと心憂きことと思ひ懲りにしかば、いみじうなむつつましき」
 「わたしも、今日か明日かの心地がして、何となく心細いので、人の死は悲しいものと思いますが、まことに嫌な事であったと懲り懲りしてしまったので、とてもその気になれません」
 「私だってもういつ死ぬかわからないほど命に自信がなくなっているのだから、そうした気の毒な容体でいる人としてだけに同情もされるけれど、私はもう苦しめられることに懲りているのだから、返事などをしてかかりあいになるのは非常にいやに思われる」
  "Ware mo, kehu ka asu ka no kokoti si te, mono-kokorobosokere ba, ohokata no ahare bakari ha omohi sira rure do, ito kokorouki koto to omohi kori ni sika ba, imiziu nam tutumasiki."
1.2.13  とて、さらに書いたまはず。
 とおっしゃって、どうしてもお書きにならない。
 こうお言いになって、宮は書こうとあそばさない。
  tote, sarani kai tamaha zu.
1.2.14   御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々にまほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし。されど、御硯などまかなひて責めきこゆれば、しぶしぶに書いたまふ。取りて、忍びて宵の紛れに、かしこに参りぬ。
 ご性質が、しっかりしていて重々しいというのではないが、気の置ける方のご機嫌が時々良くないのが、とても恐く辛く思われるのであろう。けれども、御硯などを用意して是非にとお促し申し上げるので、しぶしぶとお書きになる。受け取って、こっそりと宵闇に紛れて、あちらに持って上がった。
 自重心がおありになるのではなくて、これは院のお心に御自身のあそばされた過失の影がおりおりさして、悩ましい御様子をお見せになることもあるのを、恐ろしく苦しいことと深く思っておいでになるからである。小侍従はそれでもすずりなどを持って来て責めたてるので、しぶしぶお書きになった宮のお手紙を持って、宵闇よいやみに紛れてそっと小侍従は衛門督えもんのかみの所へ行った。
  Mi-kokoro honzyau no, tuyoku dusiyaka naru ni ha ara ne do, hadukasige naru hito no mi-kesiki no, woriwori ni maho nara nu ga, ito osorosiu wabisiki naru besi. Saredo, ohom-suzuri nado makanahi te seme kikoyure ba, sibusibu ni kai tamahu. Tori te, sinobi te yohi no magire ni, kasiko ni mawiri nu.
注釈24などかくほどもなく『湖月抄』は「世の不義をなす人はじめよりやがてあらはれむと思ひてはせざれども終にあらはれて悔るにもかひなくいたづらに身をころし名をくたす事なべて柏木にことなる事なし是をしるしていましめとするなるべし」注す。1.2.1
注釈25枕も浮きぬばかり明融臨模本、付箋「泪川枕なかるゝうきねには夢もさたかに見えすそ有ける」(古今集恋一、五二七、読人しらず)。大島本、行間書入「古今 涙川枕なかるゝうきねには」と指摘する。『源注余滴』は「独り寝の床にたまれる涙には石の枕も浮きぬべらなり」(古今六帖五、枕)を指摘する。1.2.1
注釈26今は限りになりにて以下「いと憂くもはべるかな」まで、柏木の女三の宮への手紙文。死の間近に迫っていることを言い、最期の憐愍の情をかけてくれるよう訴える。1.2.2
注釈27今はとて燃えむ煙もむすぼほれ--絶えぬ思ひのなほや残らむ柏木から女三の宮への贈歌。女三の宮への愛執とこの世への執着をうたう。「思ひ」は「火」との掛詞。「煙」「火」は縁語。前の柏木の心中「一つ思ひに燃えぬるしるし」と呼応する表現。
【燃えむ煙】-明融臨模本、朱合点、付箋「この世をは後をもいかにいかにせむもえむ煙のむすほゝれつゝ」(出典未詳)。『河海抄』がこの歌を引く(ただし、第一句「この世をも」)。『異本紫明抄』は「むすぼほれ燃えむ煙をいかがせむ君だにこめよ長き契りを」(出典未詳)を指摘するが、『紹巴抄』が「引歌不及歟」と否定し、現行の注釈書でも指摘されない。
1.2.4
注釈28あはれとだにのたまはせよ以下「道の光にもしはべらむ」まで、柏木の手紙文の続き。1.2.5
注釈29人やりならぬ明融臨模本、朱合点。大島本、合点、行間書入「古今 人やりの道ならなくに大方」。『異本紫明抄』は「人やりならぬ道ならなくに大方はいきうしと言ひていざ帰りなむ」(古今集離別、三八八、源さね)を指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。1.2.5
注釈30こりずまに大島本、朱合点、行間書入「こりすまに又も」。『異本紫明抄』は「こりずまに又もなき名は立ちぬべし人にくからぬ世にし住まへば」(古今集恋三、六三一、読人しらず)を指摘するが、現行の注釈書では指摘されない。「こりずまに」は歌語。1.2.7
注釈31あはれなる『集成』は「悲しい思いのたけの数々を」。『完訳』は「胸にしみるようなせつない言葉の数々を」と訳す。1.2.7
注釈32みづからも今一度言ふべきことなむ柏木から小侍従への手紙の要旨である。1.2.8
注釈33さるたよりに小侍従の母は女三の宮の乳母だが、その姉が柏木の乳母でもある。「若菜下」巻に語られていた。1.2.9
注釈34心こそうたておぼえたまひつれ『集成』は「「おぼえたまふ」は、思われなさる。「たまふ」は柏木に対する敬語」。『完訳』は「柏木が小侍従に思われなさる」と注す。客体敬語。1.2.9
注釈35なほこの御返り以下「こそはべれ」まで、小侍従の女三の宮への詞。柏木の手紙に対する返事を促す。1.2.10
注釈36われも、今日か明日かの心地して以下「いみじうなむつつましき」まで、女三の宮の詞。返事のできないことをいう。
【今日か明日かの心地】-尊経閣文庫本、付箋「人の世をおいをはてにしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」(朝忠集)。明融臨模本、付箋「人の世をおいを限(はて)にしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」。『源氏釈』が「人のよのをいをはてにしせましかはけふかあすかもいそかさらまし」(前田家本)と指摘。しかし現行の注釈書では指摘されない。
1.2.12
注釈37おほかたのあはればかりは思ひ知らるれど『完訳』は「死に直面した人一般への憐愍」と注す。1.2.12
注釈38御心本性の、強くづしやかなるにはあらねど、恥づかしげなる人の御けしきの、折々に まほならぬが、いと恐ろしうわびしきなるべし『細流抄』は「草子地也」と指摘。『集成』は「以下、女三の宮の心中を忖度する草子地の体」。『完訳』は「語り手の評言。宮が返書を書くまいとするのは、「恥づかしげなる人」源氏への恐れゆえであり、思慮深さからではないとする」と注す。
【恥づかしげなる人の御けしきの】-源氏をさす。
【まほならぬが】-『完訳』は「密通事件をほのめかす言動」と注す。
1.2.14
出典4 枕も浮きぬばかり 独り寝の床にたまれる涙には石の枕も浮きぬべらなり 古今六帖五-三二四一 1.2.1
1.3
第三段 柏木、侍従を招いて語る


1-3  Kashiwagi invites and talks Ko-Jiju

1.3.1   大臣、かしこき行なひ人、葛城山より請じ出でたる、待ち受けたまひて、加持参らせむとしたまふ。御修法、読経なども、いとおどろおどろしう騷ぎたり。人の申すままに、さまざま聖だつ験者などの、をさをさ世にも聞こえず、深き山に籠もりたるなどをも、弟の君たちを遣はしつつ、尋ね召すに、けにくく心づきなき山伏どもなども、いと多く参る。患ひたまふさまの、そこはかとなくものを心細く思ひて、音をのみ、時々泣きたまふ。
 大臣は、優れた行者で、葛城山から招き迎えたのを、お待ち受けになって、加持をして上げようとなさる。御修法、読経なども、まことに大声で行なっていた。誰彼のお勧め申すがままに、いろいろと聖めいた験者などで、ほとんど世間では知られず、深い山中に籠もっている者などをも、弟の公達をお遣わしお遣わしになって、探し出して召し出しになるので、無愛想で気にくわない山伏連中なども、たいそう大勢参上する。お病みになっているご様子が、ただ何となく物心細く思って、声を上げて時々お泣きになる。
 大臣は大和やまと葛城かつらぎ山から呼んだ上手じょうずな評判のある修験者にこの晩はかみ加持かじをさせようとしていた。祈祷きとう読経どきょうの声も騒がしく病室へはいって来た。人が勧めるままに、世の中へ出ることをしない高僧などで、世間からもまたあまり知られていないような人も、遠い土地へ息子むすこたちを派遣などして呼び迎えて衛門督の病気に効験の現われることを期している大臣であるから、見て感じの悪いような野卑な僧などがあとへあとへとこのごろはたくさん来るのである。病人は何という名の病患でもなくて、ただ心細いふうに時々泣き入っていたりするのを、
  Otodo, kasikoki okonahibito, Kadurakiyama yori sauzi ide taru, matiuke tamahi te, kadi mawira se m to sitamahu. Mi-suhohu, dokyau nado mo, ito odoroodorosiu sawagi tari. Hito no mausu mama ni, samazama hiziri-datu genza nado no, wosawosa yo ni mo kikoye zu, hukaki yama ni komori taru nado wo mo, otouto no Kimi-tati wo tukahasi tutu, tadune mesu ni, kenikuku kokorodukinaki yamabusi-domo nado mo, ito ohoku mawiru. Wadurahi tamahu sama no, sokohakatonaku mono wo kokorobosoku omohi te, ne wo nomi, tokidoki naki tamahu.
1.3.2  陰陽師なども、多くは女の霊とのみ占ひ申しければ、 さることもやと思せど、さらにもののけの現はれ出で来るもなきに、思ほしわづらひて、かかる隈々をも尋ねたまふなりけり。
 陰陽師なども、多くは女の霊だとばかり占い申したので、そういう事かも知れないとお考えになるが、まったく物の怪が現れ出て来るものがないので、お困り果てになって、こうした辺鄙な山々にまでお探しになったのであった。
 陰陽師おんようじなども多くは女の霊がいていると占っているので、そうかもしれぬと大臣は思い、他へ憑きものを移そうとしてもなんら物怪もののけの手がかりが得られないのに困り、こうして遠国の修験者などを呼び集めることもするのであった。
  Omyauzi nado mo, ohoku ha womna no ryau to nomi uranahi mausi kere ba, saru koto mo ya to obose do, sarani mononoke no arahare ide kuru mo naki ni, omohosi wadurahi te, kakaru kumaguma wo mo tadune tamahu nari keri.
1.3.3  この聖も、丈高やかに、 まぶしつべたましくて、荒らかにおどろおどろしく陀羅尼読むを、
 この聖も、背丈が高く、眼光が鋭くて、荒々しい大声で陀羅尼を読むのを、
 今度山から来た僧も大男で、恐ろしい目つきをして荒々しく陀羅尼だらにを読んでいるのを、衛門督は、
  Kono hiziri mo, take takayaka ni, mabusi tubetamasiku te, araraka ni odoroodorosiku darani yomu wo,
1.3.4  「 いで、あな憎や。罪の深き身にやあらむ、陀羅尼の声高きは、いと気恐ろしくて、 いよいよ死ぬべくこそおぼゆれ」
 「ええ、嫌なことだ。罪障の深い身だからであろうか、陀羅尼の大声が聞こえて来るのは、まことに恐ろしくて、ますます死んでしまいそうな気がする」
 「ああいやになる。私は罪が深いせいなのか、陀羅尼を大声で読まれると恐ろしくて、ますますそれで死ぬ気がする」
  "Ide, ana niku ya! Tumi no hukaki mi ni ya ara m, darani no kowe takaki ha, ito ke-osorosiku te, iyoiyo sinu beku koso oboyure."
1.3.5  とて、やをらすべり出でて、この侍従と語らひたまふ。
 と言って、そっと病床を抜け出して、この侍従とお話し合いになる。
 と言いながら病床を出て、小侍従のいる所へ来た。
  tote, yawora suberi ide te, kono Zizyuu to katarahi tamahu.
1.3.6  大臣は、さも知りたまはず、うち休みたると、 人びとして申させたまへば、さ思して、忍びやかにこの聖と物語したまふ。 おとなびたまへれど、なほはなやぎたるところつきて、もの笑ひしたまふ大臣の、かかる者どもと向ひゐて、この患ひそめたまひしありさま、何ともなくうちたゆみつつ、重りたまへること、
 大臣は、そうともご存知でなく、お休みになっていると、女房たちに申し上げさせなさったので、そうお思いになって、小声でこの聖とお話なさっている。お年は召していらっしゃるが、相変わらず陽気なところがおありで、よくお笑いになる大臣が、このような山伏どもと対座して、この病気におなりになった当初からの様子、どうということもなくはっきりしないままに、重くおなりになったこと、
 大臣はそんなことを知らず、病人は寝入っていると女房たちに言わせてあったのでそう信じて、ひそかにこの山の僧と語っていた。大臣は年がいってもなおはなやかな派手はでな人で、よく笑う性質なのであるが、こうした侮蔑ぶべつするにあたいする山の修験僧と向き合って、衛門督の病気の当初から、その後なんということなしに重くばかりなってゆくことなどをこまごまと語っていた。
  Otodo ha, samo siri tamaha zu, uti-yasumi taru to, hitobito site mausa se tamahe ba, sa obosi te, sinobiyaka ni kono Hiziri to monogatari si tamahu. Otonabi tamahe re do, naho hanayagi taru tokoro tuki te, mono-warahi si tamahu Otodo no, kakaru mono-domo to mukahi wi te, kono wadurahi some tamahi si arisama, nani to mo naku uti-tayumi tutu, omori tamahe ru koto,
1.3.7  「 まことに、このもののけ、現はるべう念じたまへ
 「本当に、この物の怪の正体が、現れるよう祈祷して下さい」
 「どうかあなたの力で物怪が正体を現わして来るようにやってほしいものです」
  "Makoto ni, kono mononoke, araharu beu nenzi tamahe."
1.3.8  など、こまやかに語らひたまふも、 いとあはれなり
 などと、心からお頼みなさるのも、まことにいたいたしい。
 とも信頼したふうで言っているのも哀れであった。
  nado, komayaka ni katarahi tamahu mo, ito ahare nari.
1.3.9  「 かれ聞きたまへ。何の罪とも思し寄らぬに、占ひよりけむ女の霊こそ、まことにさる 御執の身に添ひたるならば、厭はしき身をひきかへ、やむごとなくこそなりぬべけれ。
 「あれをお聞きなさい。何の罪咎ともご存じならないのに、占い当てたという女の霊、本当にそのようなあの方のご執念がわたしの身に取りついているならば、愛想の尽きたこの身もうって変わって、大切なものとなるだろう。
 「小侍従、聞いてごらん。何の罪で私がこうなっているかをご存じないものだから、女の霊がいているなどとごまかされておいでになるが、あの方以外に女としてくもののない私の心へ、あの方の霊が真実憑いていてくれるのなら、いやでならない自分の身もありがたくなるだろうよ。
  "Kare kiki tamahe. Nani no tumi to mo obosi yora nu ni, uranahi yori kem womna no ryau koso, makoto ni saru ohom-sihu no mi ni sohi taru nara ba, itohasiki mi wo hikikahe, yamgotonaku koso nari nu bekere.
1.3.10  さてもおほけなき心ありて、さるまじき過ちを引き出でて、人の御名をも立て、身をも顧みぬたぐひ、 昔の世にもなくやはありける、と思ひ直すに、なほけはひわづらはしう、かの御心に、かかる咎を知られたてまつりて、世にながらへむことも、 いとまばゆくおぼゆるはげに異なる御光なるべし
 それにしても身分不相応な望みを抱いて、とんでもない過ちをしでかして、相手のお方の浮名をも立て、身の破滅を顧みないといった例は、昔の世にもないではなかった、と考え直してみるが、どうしても様子が何となく恐ろしくて、かのお心に、このような過失をお知られ申したからには、この世に生き永らえることも、まことに顔向けができなく思われるのは、なるほど特別なご威光なのだろう。
 それにしてもだいそれた恋をして、あるまじい過失を引き起こして、人のお名をけがし、自身を顧みないようになる人は自分だけではない、昔の人にもあった罪なのだとみずから慰めようとするがね、そんなことで私の心は救われないのだよ。相手があの方なのだから、自責の念に堪えられまいではないか。生きていることももうまぶしくてならなくなったというのは、昔から世の中の人が言うように、一種特別な光の添った方らしい。
  Sate mo ohokenaki kokoro ari te, sarumaziki ayamati wo hikiide te, hito no ohom-na wo mo tate, mi wo mo kaherimi nu taguhi, mukasi no yo ni mo naku yaha ari keru, to omohi nahosu ni, naho kehahi wadurahasiu, kano mi-kokoro ni, kakaru toga wo sira re tatematuri te, yo ni nagarahe m koto mo, ito mabayuku oboyuru ha, geni koto naru ohom-hikari naru besi.
1.3.11   深き過ちもなきに見合はせたてまつりし夕べのほどより、やがてかき乱り、惑ひそめにし 魂の、身にも返らずなりにしを、 かの院のうちにあくがれありかば結びとどめたまへよ」
 大きな過失でもないのに、目をお合わせした夕方から、そのまま気分がおかしくなって、抜け出した魂が、戻って来なくなってしまったのですが、あの院の中で彷徨っていたら、魂結びをして下さいよ」
 大罪人でもないのに、お顔を見合わせた瞬間から私の心は混乱してしまって、け出した魂魄が六条院をさまよっているようなことに気がついた時には君、まじないをしてくれたまえ」
  Hukaki ayamati mo naki ni, mi ahase tatematuri si yuhube no hodo yori, yagate kaki-midari, madohi some ni si tamasihi no, mi ni mo kahera zu nari ni si wo, kano Win no uti ni akugare arika ba, musubi todome tamahe yo."
1.3.12  など、いと弱げに、 殻のやうなるさまして、泣きみ笑ひみ語らひたまふ。
 などと、とても弱々しく、脱殻のような様子で、泣いたり笑ったりしてお話しになる。
 などと、衰弱してからのようになった姿で、泣きも笑いもして衛門督えもんのかみは語るのであった。
  nado, ito yowage ni, kara no yau naru sama si te, nakimi warahimi katarahi tamahu.
注釈39大臣定家筆本と大島本は「おとゝ」とある。明融臨模本は「おとゝ(ゝ+は)」と、「は」を補入する。『集成』『新大系』は底本(定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は明融臨模本の補訂と諸本に従って「大臣は」と校訂する。1.3.1
注釈40さることもやと思せど主語は大臣。1.3.2
注釈41まぶしつべたましくて明融臨模本「つへたましくて」に傍書「ツヘツヘシキナト云心」とあり、大島本にも「つへつへしきなといふ心なり」という傍書がある。『集成』は「まなざしも冷酷な光を放って」。『完訳』は「まなざしがけわしくて」と訳す。1.3.3
注釈42いであな憎や以下「こそおぼゆれ」まで、柏木の独語。1.3.4
注釈43いよいよ死ぬべくこそ大島本に「時平卿御子あつたゝの中納言事」という傍書がある。敦忠は誤りで保忠が正しい。『大鏡』時平伝に見え、大島本の傍書や『花鳥余情』の説は誤り。1.3.4
注釈44人びとして申させたまへば柏木が女房たちをして父大臣に。1.3.6
注釈45おとなびたまへれど大臣の性格。お年は召していらっしゃるが。1.3.6
注釈46まことにこのもののけ現はるべう念じたまへ大臣の山伏への詞。柏木平癒の懇願。1.3.7
注釈47いとあはれなり語り手の評言。『万水一露』は「草子の地也」と指摘。『完訳』は「大臣がわが子の延命のため身分いやしい行者に対面する場面を、語り手の勘当をもって結び、次に柏木と小侍従の対面場面へと転じる」と注す。1.3.8
注釈48かれ聞きたまへ以下「結びとどめたまへよ」まで、柏木の小侍従に対しての詞。しかし、途中やや心中文的また独語的性格をおびた発言。1.3.9
注釈49御執の身に添ひたるならば明融臨模本、付箋「諸佛既離我執」。『集成』は「本当に、そんな女三の宮のご執心がこの身に取り憑いているのなら」と注す。1.3.9
注釈50昔の世にもなくやはありける明融臨模本、付箋「伊物かゝるほとにみかときこしめしつけて此男をはなかしつかはしてけれは此女のいとこの宮す所(五条后)女をはまかてさせてくらにこめてしほりけれはこもりてなくあまのかるもにすむ虫のー」と注す。1.3.10
注釈51いとまばゆくおぼゆるは『集成』は「大それた分不相応のことと思われるのは」。『完訳』は「じつに目のくらむほど恥ずかしい気持になるのは」と訳す。1.3.10
注釈52げに異なる御光なるべし『完訳』は「源氏の威光にいまさらのごとく恐懼。「光」は「まばゆく」と照応」と注す。1.3.10
注釈53深き過ちもなきに『集成』は「ひどい間違いを犯したというわけでもないのに。相手は后妃というわけでもないのに、という思い」。『完訳』は「后を犯した大罪でもないのに、源氏への裏切りはそれ以上と思う」と注す。1.3.11
注釈54見合はせたてまつりし夕べのほど六条院で行われた試楽の夕の宴席。1.3.11
注釈55かの院のうちにあくがれありかば明融臨模本、付箋「思あまり出にし玉の有ならむよふかくみえは玉結せよ/恋侘てよるよるまとふわか玉は中々身にもかへらさりけり/玉はみつ主は誰ともしらね共結ひとむる下かひのつま」と指摘。最初の和歌は『伊勢物語』第百十段の和歌。『源氏釈』が「なけきあま(わひ)りいてにしたまのあるな覧よふかくみえはむすひとゝめよ」(前田家本)と指摘。現行の注釈書でも指摘する。第二首目の和歌は出典未詳。『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書でも指摘する。最後の和歌も出典未詳。『異本紫明抄』が指摘し、現行の注釈書では、『大系』が指摘するのみである。1.3.11
注釈56結びとどめたまへ大島本、朱合点、行間書入「伊 思あまりいてにし玉のあるならん夜ふかく見へは玉むすひせよ」(伊勢物語、一八九)と指摘。1.3.11
注釈57殻のやうなる明融臨模本、付箋「うつせみはからをみつゝも」。大島本、朱合点、行間書入「うつせみはからを見つゝもなくさめつ」。「うつ蝉は殻を見つつもなぐさめつ深草の山煙だに立て」(古今集哀傷、八三一、僧都勝延)を指摘。現行の注釈書では指摘されない。1.3.12
出典5 魂の、身にも返らず 恋ひ侘びて夜よる惑ふ我が魂はなかなか身にも返らざりけり 能宣集-三二八 1.3.11
思ひあまり出でにし魂のあるならむ夜深く見えば魂結びせよ 伊勢物語-一八九
1.4
第四段 女三の宮の返歌を見る


1-4  Kashiwagi reads a reply from Omna-Sam-no-Miya

1.4.1  宮も ものをのみ恥づかしうつつましと思したるさまを語る。さてうちしめり、面痩せたまへらむ御さまの、面影に見たてまつる心地して、思ひやられたまへば、 げにあくがるらむ魂や、行き通ふらむなど、いとどしき心地も乱るれば、
 宮も何かと恥ずかしく顔向けできない思いでいられる様子を話す。そのようにうち沈んで、痩せていらっしゃるだろうご様子が、目の前にありありと拝見できるような気がして、ご想像されるので、なるほど抜け出した霊魂は、あちらに行き通うのだろうかなどと、ますます気分もひどくなるので、
 宮が非常にお恥じになっている御様子、物思いばかりをしておいでになるということも小侍従は告げた。自身が今冗談じょうだんで言い出したことではあるが、その宮をおいたわしく、恋しく思う魂魄はそちらへ行くかもしれぬというような気も衛門督はしていっそう思い乱れた。
  Miya mo mono wo nomi hadukasiu tutumasi to obosi taru sama wo kataru. Sate uti-simeri, omoyase tamahe ra m ohom-sama no, omokage ni mi tatematuru kokoti si te, omohiyara re tamahe ba, geni akugaru ram tama ya, yukikayohu ram nado, itodosiki kokoti mo midarure ba,
1.4.2  「 今さらに、この御ことよ、かけても聞こえじ。この世はかうはかなくて過ぎぬるを、 長き世のほだしにもこそと思ふなむ、 いとほしき心苦しき御ことを平らかにとだにいかで聞き置いたてまつらむ。 見し夢を心一つに思ひ合はせて、 また語る人もなきが、いみじういぶせくもあるかな
 「今となっては、もう宮の御事は、いっさい申し上げますまい。この世はこうしてはかなく過ぎてしまったが、未来永劫の成仏する障りになるかもしれないと思うと、お気の毒だ。気にかかるお産の事を、せめてご無事に済んだとお聞き申しておきたい。見た夢を独り合点して、また他に語る相手もいないのが、たいそう堪らないことであるなあ」
 「もう宮様のお話はいっさいすまい。不幸で短命な生涯しょうがいに続いて、その執着が残るために未来をまた台なしにすると思うのがつらい。心苦しいあのことを無事にお済ましになったとだけはせめて聞いて死にたい気もするがね、私たちをつなぎ合わせた目に見えぬものを私が夢で見た話なども申し上げることができないままになるのが苦痛だよ」
  "Imasara ni, kono ohom-koto yo, kakete mo kikoye zi. Konoyo ha kau hakanaku te sugi nuru wo, nagaki yo no hodasi ni mo koso to omohu nam, itohosiki. Kokorogurusiki ohom-koto wo, tahiraka ni to dani ikade kikioi tatematura m. Mi si yume wo kokoro hitotu ni omohi ahase te, mata kataru hito mo naki ga, imiziu ibuseku mo aru kana!"
1.4.3  など、取り集め思ひしみたまへるさまの深きを、かつはいとうたて恐ろしう思へど、あはれはた、え忍ばず、この人もいみじう泣く。
 などと、あれこれと思い詰めていらっしゃる執着の深いことを、一方では嫌で恐ろしく思うが、おいたわしい気持ちは、抑え難く、この人もひどく泣く。
 と言って深くかみの悲しむ様子を見ていては、小侍従も堪えきれずなって泣きだすと、その人もまた泣く。
  nado, toriatume omohisimi tamahe ru sama no hukaki wo, katu ha ito utate osorosiu omohe do, ahare hata, e sinoba zu, kono hito mo imiziu naku.
1.4.4  紙燭召して、御返り見たまへば、御手もなほいとはかなげに、をかしきほどに書いたまひて、
 紙燭を取り寄せて、お返事を御覧になると、ご筆跡もたいそう弱々しいが、きれいにお書きになって、
 蝋燭ろうそくをともさせてお返事を読むのであったが、それは今も弱々しいはかない筆の跡で、美しくは書かれてあった。
  Sisoku mesi te, ohom-kaheri mi tamahe ba, ohom-te mo naho ito hakanage ni, wokasiki hodo ni kai tamahi te,
1.4.5  「 心苦しう聞きながら、いかでかは。ただ推し量り。『 残らむ』とあるは
 「お気の毒に聞いていますが、どうしてお伺いできましょう。ただお察しするばかりです。お歌に『残ろう』とありますが、
 御病気を心苦しく聞いていながらも、私からお尋ねなどのできないことは推察ができるでしょう。「残るだろう」とお言いになりますが、
  "Kokorogurusiu kiki nagara, ikadekaha. Tada osihakari. "Nokora m" to aru ha,
1.4.6    立ち添ひて消えやしなまし憂きことを
   思ひ乱るる煙比べに
  わたしも一緒に煙となって消えてしまいたいほどです
  辛いことを思い嘆く悩みの競いに
  立ち添ひて消えやしなましうきことを
  思ひ乱るる煙くらべに
    Tati-sohi te kiye ya si na masi uki koto wo
    omohi midaruru keburi kurabe ni
1.4.7   後るべうやは
 後れをとれましょうか」
 私はもう長く生きてはいないでしょう。
  Okuru beu yaha!"
1.4.8  とばかりあるを、あはれにかたじけなしと思ふ。
 とだけあるのを、しみじみともったいないと思う。
 内容はこんなのであった。衛門督は宮のお手紙を非常にありがたく思った。
  to bakari aru wo, ahare ni katazikenasi to omohu.
1.4.9  「 いでや、この煙ばかりこそは、この世の思ひ出でならめ。はかなくもありけるかな」
 「いやもう、この煙だけが、この世の思い出であろう。はかないことであったな」
 「このお言葉だけがこの世にいるうちのもっともうれしいことになるだろう。はかない私だね」
  "Ideya, kono keburi bakari koso ha, konoyo no omohiide nara me. Hakanaku mo ari keru kana!"
1.4.10  と、いとど泣きまさりたまひて、御返り、臥しながら、うち休みつつ書いたまふ。言の葉の続きもなう、あやしき鳥の跡のやうにて、
 と、ますますお泣きになって、お返事、横に臥せりながら、筆を置き置きしてお書きになる。文句の続きもおぼつかなく、筆跡も妙な鳥の脚跡のようになって、
 いっそう強く督は泣き入って、またこちらからのお返事を、横になりながら休み休み書いた。鳥の足跡のような字ができる。
  to, itodo naki masari tamahi te, ohom-kaheri, husi nagara, uti-yasumi tutu kai tamahu. Kotonoha no tuduki mo nau, ayasiki tori no ato no yau nite,
1.4.11  「 行方なき空の煙となりぬとも
   思ふあたりを立ちは離れじ
 「行く方もない空の煙となったとしても
  思うお方のあたりは離れまいと思う
  「行くへなき空の煙となりぬとも
  思ふあたりを立ちは離れじ
    "Yukuhe naki sora no keburi to nari nu tomo
    omohu atari wo tati ha hanare zi
1.4.12  夕べはわきて眺めさせたまへ。 咎めきこえさせたまはむ人目をも、 今は心やすく思しなりて、かひなきあはれをだにも、絶えずかけさせたまへ
 夕方は特にお眺め下さい。咎め立て申されるお方の目も、今はもうお気になさらずに、せめて何にもならないことですが、憐みだけは絶えず懸けて下さいませ」
 とりわけ夕方には空をおながめください。人目をおはばかりになりますことも、対象が実在のものでなくなるのですからいいわけでしょう。そうしてせめて永久に私をお忘れにならぬようにしてください」
  Yuhube ha waki te nagame sase tamahe. Togame kikoye sase tamaha m hitome wo mo, ima ha kokoroyasuku obosi nari te, kahinaki ahare wo dani mo, taye zu kake sase tamahe."
1.4.13  など書き乱りて、心地の苦しさまさりければ、
 などと乱れ書きして、気分の悪さがつのって来たので、
 などと乱れ書きにした。病苦に堪えられなくなって、
  nado kaki midari te, kokoti no kurusisa masari kere ba,
1.4.14  「 よし。いたう更けぬさきに、帰り参りたまひて、かく限りのさまになむとも聞こえたまへ。 今さらに、人あやしと思ひ合はせむを、わが世の後さへ思ふこそ口惜しけれ。 いかなる昔の契りにて、いとかかることしも心にしみけむ」
 「もうよい。あまり夜が更けないうちに、お帰りになって、このように最期の様子であったと申し上げて下さい。今となって、人が変だと感づくのを、自分の死んだ後まで想像するのは情けないことだ。どのような前世からの因縁で、このような事が心に取り憑いたのだろうか」
 「ではもういいから、あまりふけないうちに帰って行って、宮様に、こんなふうに死が迫っているということを申し上げてください。どうした前生の因縁からこんなに道にはずれた思いが心にみついた私だろう」
  "Yosi. Itau huke nu saki ni, kaheri mawiri tamahi te, kaku kagiri no sama ni nam to mo kikoye tamahe. Imasara ni, hito ayasi to omohi ahase m wo, waga yo no noti sahe omohu koso kutiwosikere. Ikanaru mukasi no tigiri nite, ito kakaru koto simo kokoro ni simi kem?"
1.4.15  と、泣く泣く ゐざり入りたまひぬれば例は無期に迎へ据ゑて、すずろ言をさへ言はせまほしうしたまふを、言少なにても、と思ふがあはれなるに、えも出でやらず。 御ありさまを乳母も語りて、いみじく泣き惑ふ。 大臣などの思したるけしきぞいみじきや
 と、泣き泣きいざってお入りになったので、いつもはいつまでも前に座らせて、とりとめもない話までをおさせになりたくなさっていたのに、お言葉の数も少ない、と思うと悲しくてならないので、帰ることも出来ない。ご様子を乳母も話して、ひどく泣きうろたえる。大臣などがご心配された有様は大変なことであるよ。
 泣く泣く病床へ衛門督は膝行いざり入るのであった。平生はいつまでもいつまでも小侍従を前に置いて、宮のおうわさを一つでも多く話させたいようにする人であるのに、今日は言葉も少ないではないかと思うのも物哀れで、小侍従は出て行けない気がした。容体を伯母おば乳母めのとも話して大泣きに泣いていた。大臣などの心痛は非常なもので、
  to, nakunaku wizari iri tamahi nure ba, rei ha mugo ni mukahe suwe te, suzurogoto wo sahe iha se mahosiu si tamahu wo, kotozukuna nite mo, to omohu ga ahare naru ni, e mo ide yara zu. Ohom-arisama wo Menoto mo katari te, imiziku naki madohu. Otodo nado no obosi taru kesiki zo imiziki ya!
1.4.16  「 昨日今日、すこしよろしかりつるを、などかいと弱げには見えたまふ」
 「昨日今日と、少し好かったのだが、どうしてたいそう弱々しくお見えなのだろう」
 「昨日今日少しよかったようだったのに、どうしてこんなにまた弱ったのだろう」
  "Kinohu kehu, sukosi yorosikari turu wo, nadoka ito yowage ni ha miye tamahu."
1.4.17  と騷ぎたまふ。
 とお騷ぎになる。
 と騒いでいた。
  to sawagi tamahu.
1.4.18  「 何か、なほとまりはべるまじきなめり
 「いいえもう、生きていられそうにないようです」
 「そんなに御心配をなさることはありません。どうせもう私は死ぬのですから」
  "Nanika, naho tomari haberu maziki na' meri."
1.4.19  と聞こえたまひて、みづからも泣いたまふ。
 と申し上げなさって、ご自身もお泣きになる。
 と衛門督えもんのかみは父に言って、自身もまた泣いていた。
  to kikoye tamahi te, midukara mo nai tamahu.
注釈58ものをのみ恥づかしうつつましと思したるさま『集成』は「何かにつけて空恐ろしく顔向けもできぬ思いでいられる様子を」。『完訳』は「ただ何かにつけて後ろめたく気がねしていらっしゃるご様子を」と訳す。1.4.1
注釈59げにあくがるらむ魂や行き通ふらむ柏木の心中。間接的叙述。『集成』は「もの思へば沢の螢もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(後拾遺集、神祇、和泉式部)を指摘。1.4.1
注釈60今さらに以下「いぶせくもあるかな」まで、柏木の独語。小侍従に向かっての発言ではないだろう。1.4.2
注釈61長き世のほだしにもこそ明融臨模本、付箋「一念五百生ー」とある。連語「もこそ」は危惧の気持ちを表す。『集成』は「これから先来世をかけていつまでも成仏の障りになるであろうと思うと、つらいことだ」。『完訳』は「この思いが未来永劫成仏の妨げになるかもしれないと思うと、まったくせつないのです」と訳す。1.4.2
注釈62いとほしき定家筆本と明融臨模本は「いとおしき」とある。大島本は「いといとおしき」とある。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本(定家筆本・大島本)のままとする。『完本』は大島本及び諸本に従って「いといとほしき」と「いと」を補訂する。1.4.2
注釈63心苦しき御ことをお産のこと。1.4.2
注釈64平らかにとだにいかで副助詞「だに」最小限の願望。副詞「いかで」願望の意。柏木の女三の宮のお産の報を聞いてから死にたいという切なる願い。1.4.2
注釈65見し夢を猫の夢。懐妊の予兆という俗信がある。1.4.2
注釈66また語る人もなきがいみじういぶせくもあるかな『集成』は「女三の宮が自分の胤を宿していることを、誰にも知らせることができないのをいう」「ほかに打ち明ける人もいないのが、何とも心残りでならないことだ」。『完訳』は「ほかの誰にも打ち明ける人のいないのが、ひどく胸のふさがる思いなのです」と訳す。『完訳』などのように小侍従を前にした発言とするよりも、小侍従の存在は無視して独語または心中文のほうが面白みがある。1.4.2
注釈67心苦しう聞きながら以下「後るべうやはある」まで、女三の宮の手紙文。1.4.5
注釈68残らむとあるは柏木の和歌(第一章二段)をさす。1.4.5
注釈69立ち添ひて消えやしなまし憂きことを--思ひ乱るる煙比べに明融臨模本、付箋「柏木 今はとてもえむ煙もむすほゝれたへぬ思ひの猶や残らん」という、作中の柏木の歌を貼付する。『完訳』は「「煙比べ」には、柏木の理不尽な恋への抗議も含まれるか」と注す。1.4.6
注釈70後るべうやは「やは」反語。後れをとれようか、いや後れはとらぬ、の意。1.4.7
注釈71いでやこの煙ばかりこそ以下「ありけるかな」まで、柏木の心中。1.4.9
注釈72行方なき空の煙となりぬとも--思ふあたりを立ちは離れじ柏木の女三の宮への贈歌。「煙」と「立ち」は縁語。1.4.11
注釈73咎めきこえさせたまはむ人目源氏をさす。1.4.12
注釈74今は心やすく思しなりてかひなきあはれをだにも絶えずかけさせたまへ「あはれ」について、『集成』は「今はもうお気になさらず、死んでしまっては詮ないことですが、かわいそうな者よとだけでもいつまでもお心をおかけ下さい」。『完訳』は「私の亡き後はご心配にならないで、いまさらかいのないことですが、せめてもの憐れみだけはおかけくださいまし」と訳す。1.4.12
注釈75よしいたう更けぬさきに以下「心にしみけむ」まで、柏木の詞。1.4.14
注釈76今さらに人あやしと『集成』は「女三の宮への恋ゆえに死んだのだと、疑惑を招くかもしれないが、の意」と注す。1.4.14
注釈77いかなる昔の契りにて明融臨模本、付箋「別てふことは色にもあらなくに心にしみてわひしかるらむ」(古今集離別、三八一、貫之)。1.4.14
注釈78ゐざり入りたまひぬれば床の中へ。1.4.15
注釈79例は無期に以下「言少なにも」まで、小侍従の心中に即した叙述。1.4.15
注釈80御ありさまを乳母も柏木の容態について、柏木の乳母が姪に当たる小侍従に話してきかせる。1.4.15
注釈81大臣などの思したるけしきぞいみじきや語り手の評言。1.4.15
注釈82昨日今日以下「見えたまふ」まで、大臣の詞。1.4.16
注釈83何かなほとまりはべるまじきなめり柏木の詞。1.4.18
1.5
第五段 女三の宮、男子を出産


1-5  Omna-Sam-no-Miya gives birth to a baby boy

1.5.1  宮は、この暮れつ方より悩ましうしたまひけるを、その御けしきと、見たてまつり知りたる人びと、騷ぎみちて、大殿にも聞こえたりければ、 驚きて渡りたまへり。御心のうちは、
 宮は、この日の夕方から苦しそうになさったが、産気づかれた様子だと、お気づき申した女房たち、一同に騷ぎ立って、大殿にも申し上げたので、驚いてお越しになった。ご心中では、
 女三の宮はこの日の夕方ごろから御異常のきざしが見え出して悩んでおいでになるので、経験のある人たちがそれと気づき、騒ぎ出して院へ御報告をしたので、院は驚いてこちらの御殿へおいでになった。お心のうちでは
  Miya ha, kono kure tu kata yori nayamasiu si tamahi keru wo, sono mi-kesiki to, mi tatematuri siri taru hitobito, sawagi miti te, Otodo ni mo kikoye tari kere ba, odoroki te watari tamahe ri. Mi-kokoro no uti ha,
1.5.2  「 あな、口惜しや。思ひまずる方なくて見たてまつらましかば、めづらしくうれしからまし」
 「ああ、残念なことよ。疑わしい点もなくてお世話申すのであったら、おめでたく喜ばしい事であろうに」
 なんら不純なことがなくて、こうしたことにあうのであったら、珍しくてうれしいであろう
  "Ana, kutiwosi ya! Omohi mazuru kata naku te mi tatematura masika ba, medurasiku uresikara masi."
1.5.3  と思せど、人にはけしき漏らさじと思せば、験者など召し、御修法はいつとなく不断にせらるれば、僧どもの中に験ある限り皆参りて、加持参り騒ぐ。
 とお思いになるが、他人には気づかれまいとお考えになるので、験者などを召し、御修法はいつとなく休みなく続けてしていられるので、僧侶たちの中で効験あらたかな僧は皆参上して、加持を大騷ぎして差し上げる。
 と思召おぼしめされるのであったが、人にはそれを気どらすまいと思召すので、修験の僧などを急に迎えることを命じたりしておいでになった。修法のほうはずっと前から続いて行なわれているので、祈祷きとうの効験をよく現わすものばかりを今度はお集めになって加持をさせておいでになった。
  to obose do, hito ni ha kesiki morasa zi to obose ba, genza nado mesi, mi-suhohu ha itu to naku hudan ni se rarure ba, Sou-domo no naka ni gen aru kagiri mina mawiri te, kadi mawiri sawagu.
1.5.4  夜一夜悩み明かさせたまひて、日さし上がるほどに生まれたまひぬ。男君と聞きたまふに、
 一晩中お苦しみあそばして、日がさし昇るころにお生まれになった。男君とお聞きになると、
 一晩じゅうお苦しみになって日の昇るころにお産があった。男君であるということをお聞きになって、
  Yo hitoyo nayami akasa se tamahi te, hi sasi-agaru hodo ni mumare tamahi nu. Wotokogimi to kiki tamahu ni,
1.5.5  「 かく忍びたることの、あやにくに、いちじるき顔つきにてさし出でたまへらむこそ苦しかるべけれ。女こそ、何となく紛れ、あまたの人の見るものならねばやすけれ」
 「このように内証事が、あいにくなことに、父親に大変よく似た顔つきでお生まれになることは困ったことだ。女なら、何かと人目につかず、大勢の人が見ることはないので心配ないのだが」
 また院は隠れた秘密を容貌ようぼうの似た点などでだれの目にも映りやすい男であることが、苦しい、女はよく紛らすこともできるし、多くの人が顔を見るのでないからいいのであるがと
  "Kaku sinobi taru koto no, ayaniku ni, itiziruki kahotuki ni te sasiide tamahe ra m koso kurusikaru bekere. Womna koso, nani to naku magire, amata no hito no miru mono nara ne ba yasukere."
1.5.6  と思すに、また、
 とお思いになるが、また一方では、
 お思いになった。しかし素姓の紛らわしいことは男の身にあってもよいが、
  to obosu ni, mata,
1.5.7  「 かく、心苦しき疑ひ混じりたるにては、心やすき方にものしたまふもいとよしかし。さても、あやしや。わが世とともに恐ろしと思ひしことの報いなめり。この世にて、かく思ひかけぬことに むかはりぬれば、後の世の罪も、すこし軽みなむや」
 「このように、つらい疑いがつきまとっていては、世話のいらない男子でいらしたのも良かったことだ。それにしても、不思議なことだなあ。自分が一生涯恐ろしいと思っていた事の報いのようだ。この世で、このような思いもかけなかった応報を受けたのだから、来世での罪も、少しは軽くなったろうか」
 どんな高貴な方の母になるかもしれぬ女性は生まれが確かでなければならぬ点から言えば、これがかえってよいかもしれぬとまたお思い返しになった。忘れることもない自分の罪のこれが報いであろう、この世でこうした思いがけぬ罰にあっておけば、後世ごせで受けるとがは少し軽くなるかもしれぬ
  "Kaku, kokorogurusiki utagahi maziri taru nite ha, kokoroyasuki kata ni monosi tamahu mo ito yosi kasi. Sate mo, ayasi ya! Waga yo to tomoni osorosi to omohi si koto no mukuyi na' meri. Kono yo nite, kaku omohikake nu koto ni mukahari nure ba, noti no yo no tumi mo, sukosi karomi na m ya?"
1.5.8  と思す。
 とお思いになる。
 などとお考えになった。
  to obosu.
1.5.9  人はた知らぬことなれば、 かく心ことなる御腹にて、末に出でおはしたる御おぼえいみじかりなむと、思ひいとなみ仕うまつる。
 周囲の人は他に誰も知らない事なので、このように特別なお方のご出産で、晩年にお生まれになったご寵愛はきっと大変なものだろうと、思って大事にお世話申し上げる。
 宮の秘密はだれ一人知らぬことであったから、尊貴な内親王を母にして最後にお設けになった若君を、院はどんなにお愛しになるだろうという想像をして、家司けいしたちは大がかりな仕度したくを御出産祝いにした。
  Hito hata sira nu koto nare ba, kaku kokoro koto naru ohom-hara nite, suwe ni ide ohasi taru ohom-oboye imizikari na m to, omohi itonami tukaumaturu.
1.5.10  御産屋の儀式、 いかめしうおどろおどろし。御方々、さまざまにし出でたまふ 御産養、世の常の折敷、衝重、高坏などの心ばへも、ことさらに心々に挑ましさ見えつつなむ。
 御産屋の儀式は、盛大で仰々しい。ご夫人方が、さまざまにお祝いなさる御産養、世間一般の折敷、衝重、高坏などの趣向も、特別に競い合っている様子が見えるのであった。
 六条院の各夫人から産室への見舞い品、祝品はさまざまに意匠の凝らされたものであった。折敷おしき衝重ついがさね高杯たかつきなどの作らせようにも皆それぞれの個性が見えた。
  Ohom-ubuya no gisiki, ikamesiu odoroodorosi. Ohom-katagata, samazama ni siide tamahu ohom-ubuyasinahi, yo no tune no wosiki, tuigasane, takatuki nado no kokorobahe mo, kotosara ni kokorogokoro ni idomasisa miye tutu nam.
1.5.11  五日の夜、中宮の御方より、 子持ちの御前の物、女房の中にも、品々に思ひ当てたる際々、公事にいかめしうせさせたまへり。 御粥、屯食五十具、所々の饗、院の下部、庁の召次所、何かの隈まで、いかめしくせさせたまへり。宮司、大夫よりはじめて、院の殿上人、皆参れり。
 五日の夜、中宮の御方から、御産婦のお召し上がり物、女房の中にも、身分相応の饗応の物を、公式のお祝いとして盛大に調えさせなさった。御粥、屯食を五十具、あちらこちらの饗応は、六条院の下部、院庁の召次所の下々の者たちまで、堂々としたなさり方であった。中宮の宮司、大夫をはじめとして、冷泉院の殿上人が、皆参上した。
 五日の夜には中宮ちゅうぐうのお産養うぶやしないがあった。母宮のお召し料をはじめとして、それぞれの階級の女房たちへ分配される物までも、おきさきのあそばすことらしく派手はでにそろえておつかわしになったのである。産婦の宮への御かゆ、五十組の弁当、参会した諸官吏への饗応きょうおう酒肴しゅこう、六条院に奉仕する人々、院の庁の役人、その他にまでも差等のあるお料理を交付された。院の殿上人とともに中宮職の諸員は大夫たゆうをはじめ皆参っていた。
  Ituka no yoru, Tyuuguu no ohom-kata yori, Komoti no o-mahe no mono, nyoubau no naka ni mo, sinazina ni omohi ate taru kihagiha, ohoyakegoto ni ikamesiu se sase tamahe ri. Ohom-kayu, tonziki gozihu-gu, tokorodokoro no kyau, Win no simobe, Tyau no mesitugi-dokoro, nanika no kuma made, ikamesiku se sase tamahe ri. Miyadukasa, Daibu yori hazime te, Win no Tenzyaubito, mina mawire ri.
1.5.12  七夜は、内裏より、それも公ざまなり。致仕の大臣など、心ことに仕うまつりたまふべきに、このころは、何ごとも思されで、おほぞうの御訪らひのみぞありける。
 お七夜は、帝から、それも公事に行われた。致仕の大臣などは、格別念を入れてご奉仕なさるはずのところだが、最近は、何を考えるお気持ちのゆとりもなく、一通りのお祝いだけがあった。
 七日の夜には宮中からのお産養があった。これも朝廷のお催しで重々しく行なわれたのである。太政大臣などはこの祝賀に喜んで奔走するはずの人であったが、子息の大病のためにほかのことを思う間もないふうで、ただ普通に祝品を贈って来ただけであった。宮がたや高官の参賀も多かった。
  Sitiya ha, Uti yori, sore mo ohoyakezama nari. Tizi-no-Otodo nado, kokoro kotoni tukaumaturi tamahu beki ni, kono koro ha, nanigoto mo obosa re de, ohozou no ohom-toburahi nomi zo ari keru.
1.5.13  宮たち、上達部など、あまた参りたまふ。 おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど、大殿の御心のうちに、心苦しと思すことありて、いたうももてはやしきこえたまはず、御遊びなどはなかりけり。
 親王方、上達部などが、大勢お祝いに参上する。表向きのお祝いの様子にも、世にまたとないほど立派にお世話して差し上げなさるが、大殿のご心中に、辛くお思いになることがあって、そう大して賑やかなお祝いもしてお上げにならず、管弦のお遊びなどはなかったのであった。
 院内にもこの若君を珍重する空気が濃厚に作られていながら、院のお心にだけは羞恥しゅうちをお感じになるようなところがあって、宴席をはなやかにすることなどはお望みになれないで、音楽の遊びなどは何もなかった。
  Miya-tati, Kamdatime nado, amata mawiri tamahu. Ohokata no kesiki mo, yo ni naki made kasiduki kikoye tamahe do, Otodo no mi-kokoro no uti ni, kokorogurusi to obosu koto ari te, itau mo mote-hayasi kikoye tamaha zu, ohom-asobi nado ha nakari keri.
注釈84驚きて渡りたまへり主語は源氏。紫の上のいる東の対から女三の宮いる寝殿の西面へ。1.5.1
注釈85あな口惜しや以下「うれしからまし」まで、源氏の心中。反実仮想の構文。『集成』は「柏木の子という疑いがなければ、正室の腹でもあり、子供の少ない源氏にとって晩年の慶事であるはず」と注す。1.5.2
注釈86かく忍びたることの以下「やすけれ」まで、源氏の心中。男の子であると、人前に出ることが多い。女の子であると、深窓にあって顔を見られることもなくてすむ。1.5.5
注釈87かく心苦しき以下「すこし軽みなむや」まで、源氏の心中。「心苦しき」は源氏自身の胸の痛み、疑念。『集成』は「こんな胸の痛む疑惑のかかったお子であるからには」。『完訳』は「こうした気がかりな疑念がつきまとうのでは」と訳す。1.5.7
注釈88むかはりぬれば明融臨模本、付箋「要集云有智之人以智恵力能令地獄極重之業現世軽受愚癡之人現世軽業獄重轉重軽受住也出弥鉢経」とある。『新大系』は「以前と同じことが起きる」と注す。1.5.7
注釈89かく心ことなる御腹にて以下「いみじかりなむ」まで、一般の人々の心中を忖度して間接的に叙述。1.5.9
注釈90いかめしうおどろおどろし池田利夫氏は定家本「いかめしう」(尊経閣文庫本、一二丁ウ5行)までを定家自筆という。以下は定家風の書で別人である。1.5.10
注釈91子持ちの御前の女三の宮をさす。1.5.11
注釈92御粥定家筆本、明融臨模本、大島本は「御かゆて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御粥」と「て」を削除する。『新大系』は底本(大島本)のまま「御粥て」とし、「「て」が難解。「ごて(碁手)の脱字という見方がある。うつほ及び宿木に「碁手(の銭)」が見える」と脚注を付ける。1.5.11
注釈93おほかたのけしきも、世になきまでかしづききこえたまへど『完訳』は「世間の噂を集めるような盛儀。それとは対蹠的な源氏の苦衷」と注す。1.5.13
校訂1 御産養 御産養--御(御/+う)ふやしなひ 1.5.10
校訂2 御粥 御粥--*御かゆて 1.5.11
1.6
第六段 女三の宮、出家を決意


1-6  Omna-Sam-no-Miya decides to become a nun

1.6.1  宮は、さばかりひはづなる御さまにて、いとむくつけう、ならはぬことの恐ろしう思されけるに、御湯などもきこしめさず、 身の心憂きことを、かかるにつけても思し入れば、
 宮は、あれほどか弱いご様子で、とても気味の悪い、初めてのご出産で、恐く思われなさったので、御薬湯などもお召し上がりにならず、わが身の辛い運命を、こうしたことにつけても心底お悲しみになって、
 女三の宮は弱いお身体からだで恐ろしい大役の出産をあそばしたあとであったから、まだ米湯おもゆなどさえお取りになることができなかった。御自身の薄命であることをこの際にもまた深くお思われになって、
  Miya ha, sabakari hihadu naru ohom-sama nite, ito mukutukeu, naraha nu koto no osorosiu obosa re keru ni, ohom-yu nado mo kikosimesa zu, mi no kokorouki koto wo, kakaru ni tuke te mo obosi ire ba,
1.6.2  「 さはれ、このついでにも死なばや
 「いっそのこと、この機会に死んでしまいたい」
 この衰弱の中で死んでしまいたいともお思いになるのであった。
  "Sahare, kono tuide ni mo sina baya!"
1.6.3  と思す。大殿は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、取り分きても見たてまつりたまはずなどあれば、 老いしらへる人などは
 とお思いになる。大殿は、まことにうまく表面を飾って見せていらっしゃるが、まだ生まれたばかりの扱いにくい状態でいらっしゃるのを、特別にはお世話申されるというでもないので、年老いた女房などは、
 院は人から不審を起こさせないことを期して、上手じょうずに表面は繕っておいでになるが、生まれたばかりの若君を特に見ようともなされないのを、老いた女房などは、
  to obosu. Otodo ha, ito you hitome wo kazari obose do, mada mutukasige ni ohasuru nado wo, toriwaki te mo mi tatematuri tamaha zu nado are ba, oyisirahe ru hito nado ha,
1.6.4  「 いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出でたまへる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」
 「何とまあ、お冷たくていらっしゃること。おめでたくお生まれになったお子様が、こんなにこわいほどお美しくていらっしゃるのに」
 「御愛情が薄いではありませんか。久しぶりにお持ちになった若様が、こんなにまできれいでいらっしゃるのに」
  "Ideya, orosoka ni mo ohasimasu kana! Medurasiu sasi-ide tamahe ru ohom-arisama no, kabakari yuyusiki made ni ohasimasu wo."
1.6.5  と、うつくしみきこゆれば、 片耳に聞きたまひて
 と、おいとしみ申し上げるので、小耳におはさみなさって、
 などと言っているのを、宮は片耳におはさみになって、
  to, utukusimi kikoyure ba, katamimi ni kiki tamahi te,
1.6.6  「 さのみこそは、思し隔つることもまさらめ
 「そんなにもよそよそしいことは、これから先もっと増えて行くことになるのだろう」
 この薄いと言われておいでになる愛情は、成長するにつれてますます薄くなるであろう
  "Sa nomi koso ha, obosi hedaturu koto mo masara me."
1.6.7  と恨めしう、わが身つらくて、尼にもなりなばや、の御心尽きぬ。
 と恨めしく、わが身も辛くて、尼にもなってしまいたい、というお気持ちになられた。
 と、院がお恨めしく、過去の御自身も恨めしくて、尼になろうというお心が起こった。
  to uramesiu, waga mi turaku te, ama ni mo nari na baya, no mi-kokoro tuki nu.
1.6.8  夜なども、こなたには大殿籠もらず、昼つ方などぞ さしのぞきたまふ。
 夜なども、こちらにはお寝みにならず、昼間などにちょっとお顔をお見せになる。
 夜などもこちらの御殿で院はおやすみにならずに、昼の間に時々お顔をお見せになるだけであった。
  Yoru nado mo, konata ni ha ohotonogomora zu, hiru tu kata nado zo sasi-nozoki tamahu.
1.6.9  「 世の中のはかなきを見るままに、行く末短う、もの心細くて、行なひがちに なりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するにより、え参り来ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」
 「世の中の無常な有様を見ていると、この先も短く、何となく頼りなくて、勤行に励むことが多くなっておりますので、このようなご出産の後は騒がしい気がするので、参りませんが、いかがですか、ご気分はさわやかになりましたか。おいたわしいことです」
 「人生の無常をいろんな形で見ていて、もう自分は未来が短くなっているのだからと思うと心細くて、仏勤めばかりをする癖がついて、産屋うぶやの騒がしい空気と自分とはしっくり合わない気がされてたびたびは来ないのですが、気分はどうですか。少しさっぱりしたように思いますか。気の毒ですね」
  "Yononaka no hakanaki wo miru mama ni, yukusuwe midikau, mono-kokorobosoku te, okonahi-gati ni nari nite habere ba, kakaru hodo no raugahasiki kokoti suru ni yori, e mawiri ko nu wo, ikaga, mi-kokoti ha sahayaka ni obosi nari ni tari ya? Kokorogurusiu koso."
1.6.10  とて、御几帳の側よりさしのぞきたまへり。御頭もたげたまひて、
 と言って、御几帳の側からお覗き込みになった。御髪をお上げになって、
 と、お言いになりながら院は几帳きちょうの上から宮をおのぞきになった。宮はかしらを少しお上げになって、
  tote, mi-kityau no soba yori sasi-nozoki tamahe ri. Mi-gusi motage tamahi te,
1.6.11  「 なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるをかかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、 罪を失ふこともやとなむ思ひはべる」
 「やはり、生きていられない気が致しますが、こうしたわたしは罪障も重いことです。尼になって、もしやそのために生き残れるかどうか試してみて、また死んだとしても、罪障をなくすことができるかと存じます」
 「まだ私には快くなる自信ができません。でね、こんな際に死んでは罪が深いと聞いておりますから、尼になりまして、その功徳であるいは生きることができるかどうかためしたくもありますし、また死にましても罪が軽くなるでしょうからと思われまして、そういたしたくなりました」
  "Naho, e iki taru maziki kokoti nam si haberu wo, kakaru hito ha tumi mo omoka' nari. Ama ni nari te, mosi sore ni ya iki tomaru to kokoromi, mata nakunaru to mo, tumi wo usinahu koto mo ya to nam omohi haberu."
1.6.12  と、常の御けはひよりは、いとおとなびて聞こえたまふを、
 と、いつものご様子よりは、とても大人らしく申し上げなさるので、
 平生にも似ずおとなびてお言いになった。
  to, tune no ohom-kehahi yori ha, ito otonabi te kikoye tamahu wo,
1.6.13  「 いとうたて、ゆゆしき御ことなり。などてか、さまでは思す。かかることは、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」
 「まことに嫌な、縁起でもないお言葉です。どうして、そんなにまでお考えになるのですか。このようなことは、そのように恐ろしい事でしょうが、それだからと言って命が永らえないというなら別ですが」
 「とんでもないことですよ。なぜそうまで悲観するのですか、産をするとだれも皆そんなふうに恐ろしく不安になるものですが、子を産んだ人が皆死ぬものではありませんからね。気を静めるようになさい。そんなことは言わずに」
  "Ito utate, yuyusiki ohom-koto nari. Nadote ka, sa made ha obosu. Kakaru koto ha, sa nomi koso osorosika' nare do, sate nagarahe nu waza nara ba koso ara me."
1.6.14  と聞こえたまふ。御心のうちには、
 とお申し上げなさる。ご心中では、
 と院はお言いになった。お心の中では
  to kikoye tamahu. Mi-kokoro no uti ni ha,
1.6.15  「 まことにさも思し寄りてのたまはば、さやうにて見たてまつらむは、 あはれなりなむかし。かつ見つつも、ことに触れて 心置かれたまはむが心苦しう、我ながらも、え思ひ直すまじう、 憂きことうち混じりぬべきを、おのづからおろかに人の見咎むることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こし召さむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことづけて、さもやなしたてまつりてまし」
 「本当にそのようにお考えになっておっしゃるのならば、出家をさせてお世話申し上げるのも、思いやりのあることだろう。このように連れ添っていても、何かにつけて疎ましく思われなさるのがおいたわしいし、自分自身でも、気持ちも改められそうになく、辛い仕打ちが折々まじるだろうから、自然と冷淡な態度だと人目に立つこともあろうことが、まことに困ったことで、院などがお耳になさることも、すべて自分の至らなさからとなるであろう。ご病気にかこつけて、そのようにして差し上げようかしら」
 その希望が自発的に起こったのなら、そうさせてしまったほうが自分の心が楽になって、深く今後もこの人を愛することが可能かもしれぬ、今までと同じように取り扱っていても、同じにならぬものが自分の心にあってはおかわいそうである、自分ながらも以前の愛情がこのまままた帰って来ようとは思われない、自分はどんなに努めても暗い霧が心を横切ることは免れまい、自然宮への愛が薄くなったように他人が思うことも予想され、その時の宮のお立場も苦しかろうと思われる。法皇がお聞きになっても自分が悪いことにばかりなるであろう、病気に託してそうおさせしようか
  "Makoto ni samo obosi yori te notamaha ba, sayau nite mi tatematura m ha, ahare nari na m kasi. Katu mi tutu mo, koto ni hure te kokoro oka re tamaha m ga kokorogurusiu, ware nagara mo, e omohi nahosu maziu, uki koto uti-maziri nu beki wo, onodukara oroka ni hito no mi togamuru koto mo ara m ga, ito itohosiu, Win nado no kikosimesa m koto mo, waga okotari ni nomi koso ha nara me. Ohom-nayami ni kotoduke te, samoya nasi tatematuri te masi."
1.6.16   など思し寄れど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御髪の 生ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ、
 などとお考えになるが、また一方では、大変惜しくていたわしく、これほど若く生い先長いお髪を、尼姿に削ぎ捨てるのはお気の毒なので、
 とお思われになるのであったが、またそれを実現させるのが惜しくも哀れにもお思われになり、若盛りの姿を尼に変えさせるのも残酷に思召おぼしめされて、
  nado obosi yore do, mata, ito atarasiu, ahare ni, kabakari tohoki mi-gusi no ohisaki wo, sika yatusa m koto mo kokorogurusikere ba,
1.6.17  「 なほ、強く思しなれけしうはおはせじ限りと見ゆる人もたひらなる例近ければ、さすがに頼みある世になむ」
 「やはり、気をしっかりお持ちなさい。心配なさることはありますまい。最期かと思われた人も、平癒した例が身近にあるので、やはり頼みになる世の中です」
 「ぜひとも強く生きようとお努めなさい。この上そうまで悪くなるわけはありませんよ。もうだめかと思われていた人さえなおってきた例が近い所にあるのですから、それを思うとまだこの世は頼みになりますよ」
  "Naho, tuyoku obosi nare. Kesiu ha ohase zi. Kagiri to miyuru hito mo, tahira naru tamesi tikakere ba, sasuga ni tanomi aru yo ni nam."
1.6.18  など聞こえたまひて、御湯参りたまふ。いといたう青み痩せて、あさましうはかなげにてうち臥したまへる御さま、おほどき、うつくしげなれば、
 などと申し上げなさって、御薬湯を差し上げなさる。とてもひどく青く痩せて、何とも言いようもなく頼りなげな状態で臥せっていらっしゃるご様子、おっとりして、いじらしいので、
 などとお言いになって、白湯さゆを勧めたりして院はおいでになるのであった。宮のお顔色は非常に青くて力もないふうに寝ておいでになるが、たよりない美しさをなしているのを御覧になっては、
  nado kikoye tamahi te, ohom-yu mawiri tamahu. Ito itau awomi yase te, asamasiu hakanage nite uti-husi tamahe ru ohom-sama, ohodoki, utukusige nare ba,
1.6.19  「 いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな
 「大層な過失があったにしても、心弱く許してしまいそうなご様子だな」
 どんな過失があっても自分のうちの愛の力が勝って許しうるに違いないのはこの人である
  "Imiziki ayamati ari tomo, kokoroyowaku yurusi tu beki ohom-sama kana!"
1.6.20  と見たてまつりたまふ。
 と拝見なさる。
 と院は思召した。
  to mi tatematuri tamahu.
注釈94身の心憂きことを『完訳』は「わが身の不運を、不義の子の出生によって思い知らされる」と注す。1.6.1
注釈95さはれこのついでにも死なばや女三の宮の心中を客観的に地の文で叙述。1.6.2
注釈96老いしらへる人などは『集成』は「年取って遠慮のない女房」と訳す。1.6.3
注釈97いでやおろそかにも以下「おはしますめるものを」まで、女房の詞。1.6.4
注釈98片耳に聞きたまひて主語は女三の宮。1.6.5
注釈99さのみこそは思し隔つることもまさらめ女三の宮の心中。1.6.6
注釈100世の中のはかなきを以下「心苦しうこそ」まで、源氏から女三の宮への詞。1.6.9
注釈101なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを以下「なむ思ひはべる」まで、女三の宮から源氏への詞。1.6.11
注釈102かかる人は罪も重かなり「かかる人」について、『集成』は「こういう人は罪も重いと申します」。『完訳』は「こうしたことで死ぬ人は罪も重いと申しますから」と訳す。1.6.11
注釈103罪を失ふこともや定家筆本、明融臨模本、大島本は「こともや」とある。『集成』『新大系』は底本のままとする。『完本』は諸本に従って「ことにもや」と「に」を補訂する。1.6.11
注釈104いとうたて以下「こそあらめ」まで、源氏の詞。女三の宮の出家の希望を諌める。1.6.13
注釈105まことにさも以下「なしたてまつりてまし」まで、源氏の心中。『完訳』は「源氏は、言葉でこそ出家を諌止しながら、心中これを容認」と注す。1.6.15
注釈106あはれなりなむかし『集成』は「しみじみと心深いことであろう」。『完訳』は「それが思いやりということになるのだろう」と訳す。1.6.15
注釈107心置かれたまはむが心苦しう「れ」受身の助動詞。女三の宮が源氏から疎ましく思われる意。1.6.15
注釈108憂きことうち混じりぬべきを定家筆本と明融臨模本は「うきこと」とある。大島本は「うき(き+事<朱>)の」と「事」を朱筆で補入する。『集成』と『新大系』はそれぞれ底本(定家筆本・大島本)のまま「憂きこと」「うき事の」とする。『完本』は諸本に従って「うきことの」と「の」を補訂する。1.6.15
注釈109生ひ先『集成』は「「生ひ先」は、人生の将来の意と、髪の延びて行く先の意を掛ける」と注す。1.6.16
注釈110なほ強く思しなれ以下「頼みある世になむ」まで、源氏の詞。女三の宮に気をしっかり持つように言う。1.6.17
注釈111けしうはおはせじ『集成』は「大したことはないと思います」。『完訳』は「ご心配なことはございません」と訳す。1.6.17
注釈112限りと見ゆる人も紫の上をさす。1.6.17
注釈113たひらなる定家筆本と明融臨模本は「たひらなる」とある。大島本は「たいらかなる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たひらかなる」と「ら」を補訂する。『新大系』は底本(大島本)のままとする。1.6.17
注釈114いみじき過ちありとも、心弱く許しつべき御さまかな源氏の心中。1.6.19
校訂3 さしのぞき さしのぞき--さしのそかせ(かせ/$き) 1.6.8
校訂4 なりにて なりにて--て(て/#な)りにて 1.6.9
校訂5 など など--△(△/#な)と 1.6.16
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
鈴木厚司(青空文庫)

2004年2月7日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月31日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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