第三十九帖 夕霧


39 YUHUGIRI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳秋から冬までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from fall to winter, at the age of 50

4
第四章 夕霧の物語 落葉宮に心あくがれる夕霧


4  Tale of Yugiri  Yugiri falls in love Ochiba-no-Miya

4.1
第一段 夕霧、返事を得られず


4-1  Yugiri can not receive a reply from Ochiba-no-Miya

4.1.1   山下ろしいとはげしう、木の葉の隠ろへなくなりて、よろづの事いといみじきほどなれば、おほかたの空にもよほされて、 干る間もなく思し嘆き、「 命さへ心にかなはず」と、厭はしういみじう思す。さぶらふ人びとも、よろづにもの悲しう思ひ惑へり。
 山下ろしがたいそう烈しく、木の葉の影もなくなって、何もかもがとても悲しく寂しいころなので、だいたいがもの悲しい秋の空に催されて、涙の乾く間もなくお嘆きになり、「命までが思いどおりにならなかった」と、厭わしくひどくお悲しみになる。伺候する女房たちも、何かにつけ悲しみに暮れていた。
 山おろしがはげしくなり、もう葉のない枝は防風林でも皆なくなった。寂しさの身にしむこの季節のことであるから、空の色にも悲しみが誘われて、宮はなげきを続けておいでになる。命さえも思うどおりにならぬと悲しんでおいでになるのであった。女房たちも二重三重に悲しみをするばかりである。
  Yamaorosi ito hagesiu, konoha no kakurohe naku nari te, yorodu no koto ito imiziki hodo nare ba, ohokata no sora ni moyohosa re te, hiru ma mo naku obosi nageki, "Inoti sahe kokoro ni kanaha zu." to, itohasiu imiziu obosu. Saburahu hitobito mo, yorodu ni mono-kanasiu omohi madohe ri.
4.1.2   大将殿は、日々に訪らひきこえたまふ。寂しげなる 念仏の僧など、慰むばかり、よろづの物を遣はし訪らはせたまひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉を尽くして怨みきこえ、かつは、尽きもせぬ御訪らひを聞こえたまへど、 取りてだに御覧ぜずすずろにあさましきことを、 弱れる御心地に、疑ひなく思ししみて、消え失せたまひにしことを思し出づるに、「 後の世の御罪にさへやなるらむ」と、胸に満つ心地して、この人の御ことをだにかけて聞きたまふは、いとどつらく心憂き涙のもよほしに思さる。人びとも聞こえわづらひぬ。
 大将殿は、毎日お見舞いの手紙を差し上げなさる。心細げな念仏の僧などが、気の紛れるように、いろいろな物をお与えになりお見舞いなさり、宮の御前には、しみじみと心をこめた言葉の限りを尽くしてお恨み申し上げ、一方では、限りなくお慰め申し上げなさるが、手に取って御覧になることさえなく、思いもしなかったあきれた事を、弱っていらしたご病状に、疑う余地なく信じこんで、お亡くなりになったことをお思い出しになると、「ご成仏の妨げになりはしまいか」と、胸が一杯になる心地がして、この方のお噂だけでもお耳になさるのは、ますます恨めしく情けない涙が込み上げてくる思いが自然となさる。女房たちもお困り申し上げていた。
 夕霧からは毎日のようにお見舞いの手紙が送られた。寂しい念仏僧を喜ばせるに足るような物もしばしば贈られた。宮へは真心の見える手紙を次々にお送りして、自分の恋に対して御冷淡である恨みを語るほかには、今も御息所の死を悲しむ真情を言い続けた消息であった。しかも宮はそれらを手に取ってながめようともあそばさないのである。あのいまわしかった事件を、衰弱しきった病体で御息所は確かに悲しみもだえて死んだことをお思いになると、そのことが母君の後世ごせの妨げにもなったような気があそばされて、悲しさが胸に詰まるほどにも思召されるのであるから、大将に触れたことを言うと、その人を恨めしく思召してお泣きになるのを見て、女房たちも手の出しようがないのである。
  Daisyau-dono ha, hibi ni toburahi kikoye tamahu. Sabisige naru nenbutu no sou nado, nagusamu bakari, yorodu no mono wo tukahasi toburaha se tamahi, Miya no omahe ni ha, ahare ni kokorohukaki kotonoha wo tukusi te urami kikoye, katuha, tuki mo se nu ohom-toburahi wo kikoye tamahe do, tori te dani goranze zu, suzuro ni asamasiki koto wo, yoware ru mi-kokoti ni, utagahi naku obosi simi te, kiye use tamahi ni si koto wo obosi iduru ni, "Noti no yo no ohom-tumi ni sahe ya naru ram." to, mune ni mitu kokoti si te, kono hito no ohom-koto wo dani kake te kiki tamahu ha, itodo turaku kokorouki namida no moyohosi ni obosa ru. Hitobito mo kikoye wadurahi nu.
4.1.3  一行の御返りをだにもなきを、「しばしは 心惑ひしたまへる」など思しけるに、あまりにほど経ぬれば、
 ほんの一行ほどのお返事もないのを、「暫くの間は気が転倒していらっしゃるのだ」などとお考えになっていたが、あまりに月日も過ぎたので、
 一行のお返事さえ得られないのを、初めの間は悲しみにおぼれておいでになるからであろうと大将は解釈していたが、今に至るも同じことであるのを見ては、
  Hito-kudari no ohom-kaheri wo dani mo naki wo, "Sibasi ha kokoromadohi si tamahe ru." nado obosi keru ni, amari ni hodo he nure ba,
4.1.4  「 悲しきことも限りあるを。などか、かく、あまり見知りたまはずはあるべき。いふかひなく 若々しきやうに」と恨めしう、「 異事の筋に花や蝶やと 書けばこそあらめ、わが心にあはれと思ひ、もの嘆かしき方ざまのことを、 いかにと問ふ人は、睦ましうあはれにこそおぼゆれ。
 「悲しい事でも限度があるのに。どうして、こんなに、あまりにお分かりにならないことがあろうか。言いようもなく子供のようで」と恨めしく、「これとは筋違いに、花や蝶だのと書いたのならともかく、自分の気持ちに同情してくれ、悲しんでいる状態を、いかがですかと尋ねる人は、親しみを感じうれしく思うものだ。
 どんな悲しみにも際限はあるはずであるのに、今になってもまだ自分の音信たよりに取り合わぬ態度をお続けになるのはどうしたことであろう、あまりに人情がおわかりにならぬと恨めしがるようになった。関係もないことをただ文学的につづり、花とかちょうとか言っているのであったなら、冷眼に御覧になることもやむをえないことであるが、自身の悲しいことに同情して音信たよりをする人には、親しみを覚えていただけるわけではないか、
  "Kanasiki koto mo kagiri aru wo. Nadoka, kaku, amari mi siri tamaha zu ha aru beki. Ihukahinaku wakawakasiki yau ni." to uramesiu, "Koto koto no sudi ni, hana ya tehu ya to kake ba koso ara me, waga kokoro ni ahare to omohi, mono-nagekasiki kata zama no koto wo, ikani to tohu hito ha, mutumasiu ahare ni koso oboyure.
4.1.5   大宮の亡せたまへりしを、いと悲しと思ひしに、致仕の大臣のさしも思ひたまへらず、ことわりの世の別れに、 公々しき作法ばかりのことを孝じたまひしに、つらく心づきなかりしに、 六条院の、なかなかねむごろに、後の御事をも営みたまうしが、 わが方ざまといふ中にも、うれしう見たてまつりし その折に、故衛門督をば、取り分きて思ひつきにしぞかし
 大宮がお亡くなりになったのを、実に悲しいと思ったが、致仕の大臣がそれほどにもお悲しみにならず、当然の死別として、世間向けの盛大な儀式だけを供養なさったので、恨めしく情けなかったが、六条院が、かえって心をこめて、後のご法事をもお営みになったのが、自分の父親ということを超えて、嬉しく拝見したその時に、故衛門督を、特別に好ましく思うようになったのだった。
 祖母の大宮がおかくれになって、自分が非常に悲しんでいる時に、太政大臣はそれほどにも思わないで、だれも経験しなければならぬ尊親の死であるというふうに見ていて、儀式がかったことだけを派手はでに行なって万事おわるという様子であったのに、自分は反感を感じたものだし、かえって昔の婿でおありになった六条院が懇切に身を入れてあとの仏事のことなどをいろいろとあそばされたのに感激したものである。これは自分の父であるというだけで思ったことではない、その時に故人の柏木かしわぎが自分は好きになったのである。
  OhoMiya no use tamahe ri si wo, ito kanasi to omohi si ni, Tizi-no-Otodo no sasimo omohi tamahe ra zu, kotowari no yo no wakare ni, ohoyake-ohoyakesiki sahohu bakari no koto wo keuzi tamahi si ni, turaku kokoroduki nakari si ni, Rokudeu-no-Win no, nakanaka nemgoroni, noti no ohom-koto wo mo itonami tamau si ga, waga kata zama to ihu naka ni mo, uresiu mi tatematuri si sono wori ni, ko-Wemon-no-Kami woba, toriwaki te omohituki ni si zo kasi.
4.1.6  人柄のいたう静まりて、物をいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて、人より深かりしが、なつかしうおぼえし」
 人柄がたいそう冷静で、何事にも心を深く止めていた性格で、悲しみも深くまさって、誰よりも深かったのが、慕わしく思われたのだ」
 静かな性質で人情のよくわかる彼は、自分と同じように祖母の宮の死を深く悲しんでいたのに心をかれたものであった。
  Hitogara no itau sidumari te, mono wo itau omohi todome tari si kokoro ni, ahare mo masari te, hito yori hukakari si ga, natukasiu oboye si."
4.1.7  など、つれづれとものをのみ思し続けて、明かし暮らしたまふ。
 などと、所在なく物思いに耽るばかりで、毎日をお過ごしになる。
 この宮は何という感受性の乏しいお心なのであろうと、こんなことを毎日思い続けていた。
  nado, turedure to mono wo nomi obosi tuduke te, akasi kurasi tamahu.
注釈495山下ろしいとはげしう木の葉の隠ろへなくなりてよろづの事いといみじきほどなれば九月の小野山里の様子。いちはやく晩秋を迎えた風情。4.1.1
注釈496干る間もなく思し嘆き涙の乾く間もなく、の意。4.1.1
注釈497命さへ心にかなはずと『異本紫明抄』は「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集離別、三八七、白女)を指摘。『集成』は「意味するところは逆だが、この歌を踏んだものか」と注す。『河海抄』は「命さへ心にかなふものならば死には安くぞあるべかりける」(出典未詳)を指摘。『源注拾遺』は「恋しきに命をかふるものならば死には安くぞあるべかりける」(古今集恋一、五一七、読人しらず)も指摘する。4.1.1
注釈498大将殿は日々に訪らひきこえお見舞いの使者を差し向ける、の意。4.1.2
注釈499念仏の僧など慰むばかり『集成』は「一息つけるようにと」。『完訳』は「気が紛れるようにと」と訳す。4.1.2
注釈500取りてだに御覧ぜず主語は落葉宮。夕霧からの手紙を手に取りさえしない。4.1.2
注釈501すずろにあさましき以下、落葉宮の心中に即した叙述。『集成』は「以下、落葉の宮の思い」。『完訳』は「以下、心内語に転ずる」と注す。夕霧との一件をさす。4.1.2
注釈502弱れる御心地に御息所の病状をいう。4.1.2
注釈503後の世の御罪にさへやなるらむ成仏の妨げ、の意。4.1.2
注釈504心惑ひしたまへる夕霧の心中を地の文に語る。4.1.3
注釈505悲しきことも以下「若々しきやうに」まで、夕霧の心中。4.1.4
注釈506若々しきやうに『完訳』は「結婚の経験があるのに、世間知らずのようではないか、の気持」と注す。4.1.4
注釈507異事の筋に以下「なつかしうおぼえし」まで、夕霧の心中。4.1.4
注釈508花や蝶やと当時の慣用句。「男女などを寄せつつ、花や蝶やと言へれば」(三宝絵、序)とある。『源注拾遺』は「みな人は花や蝶やと急ぐ日も我が心をば君ぞ知りける」(枕草子)を指摘。4.1.4
注釈509書けばこそあらめ係助詞「こそ」--「あらめ」逆接用法。書いたのならばともかく、そうではないのに、の意。4.1.4
注釈510いかにと問ふ人は夕霧自身をさす。4.1.4
注釈511大宮の亡せたまへりしを夕霧の祖母死去の折。4.1.5
注釈512公々しき作法ばかり表向きの儀式。『集成』は「源氏も、致仕の大臣の人柄について「人柄あやしうはなやかに、男々しきかたによりて、親などの御孝をも、いかめしきさまをばたてて、人にも見おどろかさむの心あり、まことにしみて深きところはなき人になむものせられける」(野分)と夕霧に語ったことがある」と注す。4.1.5
注釈513六条院のなかなかねむごろに『完訳』は「六条院が、実の親でもないのにかえって懇切に」と訳す。4.1.5
注釈514わが方ざまといふ中にも『集成』は「自分の親というひいき目からだけでなく」と訳す。4.1.5
注釈515その折に故衛門督をば取り分きて思ひつきにしぞかし『完訳』は「柏木が祖母大宮の死を心から哀悼していたので、自分は彼に共感し親しみをおぼえた、の意」と注す。4.1.5
4.2
第二段 雲居雁の嘆きの歌


4-2  Kumoinokari composes waka sorrowfully

4.2.1   女君、なほこの御仲のけしきを
 女君、やはりこのお二人のご様子を、
 夫人は山荘の宮と大将の関係はどうなっていたのであろう、
  WomnaGimi, naho kono ohom-naka no kesiki wo,
4.2.2  「 いかなるにかありけむ 。御息所と こそ、文通はしも、こまやかにしたまふめりしか」
 「どのような関係だったのだろうか。御息所と、手紙を遣り取りしていたのも、親密なようになさっていたようだが」
 御息所とは始終手紙の往復をしていたようであるが
  "Ikanaru ni ka ari kem? Miyasumdokoro to koso, humi kayohasi mo, komayakani sitamahu meri sika."
4.2.3  など思ひ得がたくて、 夕暮の空を眺め入りて臥したまへるところに若君してたてまつれたまへる。 はかなき紙の端に
 などと納得がゆきがたいので、夕暮の空を眺め入って臥せっていらっしゃるところに、若君を使いにして差し上げなさった。ちょっとした紙の端に、
 とに落ちず思って、夕方空にながめ入って物思いをしている良人おっとの所へ、若君に短い手紙を持たせてやった。ちょっとした紙の端なのである。
  nado omohi e gataku te, yuhugure no sora wo nagame iri te husi tamahe ru tokoro ni, WakaGimi site tatemature tamahe ru. Hakanaki kami no hasi ni,
4.2.4  「 あはれをもいかに知りてか慰めむ
   あるや恋しき亡きや悲しき
 「お悲しみを何が原因と知ってお慰めしたらよいものか
  生きている方が恋しいのか、亡くなった方が悲しいのか
  哀れをもいかに知りてか慰めん
  るや恋しき無きや悲しき
    "Ahare wo mo ikani siri te ka nagusame m
    aru ya kohisiki naki ya kanasiki
4.2.5   おぼつかなきこそ心憂けれ
 はっきりしないのが情けないのです」
 どちらだか私にはわからないのですから。
  Obotukanaki koso kokoroukere."
4.2.6  とあれば、ほほ笑みて、
 とあるので、にっこりとして、
 夕霧は微笑しながら
  to are ba, hohowemi te,
4.2.7  「 先ざきも、かく 思ひ寄りてのたまふ、 似げなの、亡きがよそへや
 「以前にも、このような想像をしておっしゃる、見当違いな、故人などを持ち出して」
 嫉妬しっとが夫人にいろいろなことを言わせるものであると思った。
  "Sakizaki mo, kaku omohiyori te notamahu, nigena no, naki ga yosohe ya."
4.2.8  と思す。いとどしく、ことなしびに、
 とお思いになる。ますます、何気ないふうに、
 御息所を対象にしていたろうとはあまりにも不似合いな忖度そんたくであると思ったのである。すぐに返事を書いたが、それは実際問題を避けた無事なものである。
  to obosu. Itodosiku, kotonasibi ni,
4.2.9  「 いづれとか分きて眺めむ消えかへる
   露も草葉のうへと見ぬ世を
 「特に何がといって悲しんでいるのではありません
  消えてしまう露も草葉の上だけでないこの世ですから
  いづれとも分きてながめん消えかへる
  露も草葉の上と見ぬ世に
    "idure to ka waki te nagame m kiye kaheru
    tuyu mo kusaba no uhe to mi nu yo wo
4.2.10   おほかたにこそ悲しけれ
 世間一般の無常が悲しいのです」
 人生のことがことごとく悲しい。
  Ohokata ni koso kanasikere."
4.2.11  と書いたまへり。「なほ、かく隔てたまへること」と、 露のあはれをばさしおきて、ただならず嘆きつつおはす。
 とお書きになっていた。「やはり、このように隔て心を持っていらっしゃること」と、露の世の悲しさは二の次のこととして、並々ならず胸を痛めていらっしゃる。
 まだこんなふうに隠しだてをされるのであるかと、人生の悲しみはさしおいて夫人はなげいた。
  to kai tamahe ri. "Naho, kaku hedate tamahe ru koto." to, tuyu no ahare wo ba sasioki te, tada nara zu nageki tutu ohasu.
4.2.12   なほ、かくおぼつかなく思しわびて、また渡りたまへり。「 御忌など過ぐしてのどやかに」と思し静めけれど、さまでもえ忍びたまはず、
 やはり、このように気がかりでたまらなくなって、改めてお越しになった。「御忌中などが明けてからゆっくり訪ねよう」と、気持ちを抑えていらっしゃったが、そこまでは我慢がおできになれず、
 恋しさのおさえられない大将はまたも小野おのの山荘に宮をおたずねしようとした。四十九日のいみも過ごしてから静かに事の運ぶようにするのがいいのであるとも知っているのであるが、それまでにまだあまりに時日があり過ぎる、
  Naho, kaku obotukanaku obosi wabi te, mata watari tamahe ri. "Ohom-imi nado sugusi te nodoyaka ni." to obosi sidume kere do, sa made mo e sinobi tamaha zu,
4.2.13  「 今はこの御なき名の、何かはあながちにもつつまむ。ただ世づきて、つひの思ひかなふべきにこそは」
 「今はもうこのおん浮名を、どうして無理に隠していようか。ただ世間一般の男性と同様に、目的を遂げるまでのことだ」
 もううわさを恐れる必要もない、この際はどの男性でも取る方法で進みさえすれば成り立ってしまう結合であろう
  "Ima ha kono ohom-nakina no, nanikaha anagatini mo tutuma m. Tada yoduki te, tuhi no omohi kanahu beki ni koso ha."
4.2.14  と、 思したばかりにければ、北の方の御思ひやりを、あながちにもあらがひきこえたまはず。
 と、ご計画なさったので、北の方のご想像を、無理に打ち消そうとなさらない。
 とこんな気になっているのであるから、夫人の嫉妬しっとも眼中に置かなかった。
  to, obosi tabakari ni kere ba, Kitanokata no ohom-omohiyari wo, anagatini mo aragahi kikoye tamaha zu.
4.2.15  正身は強う思し離るとも、 かの一夜ばかりの御恨み文をとらへどころにかこちて、「えしも、すすぎ果てたまはじ」と、頼もしかりけり。
 ご本人はきっぱりとお気持ちがなくても、あの「一夜ばかりの宿を」といった恨みのお手紙を理由に訴えて、「潔白を言い張ることは、おできになれまい」と、心強くお思いになるのであった。
 宮のお心はまだ自分へ傾くことはなくても、「一夜ばかりの」といって長い契りを望んだ御息所みやすどころの手紙が自分の所にある以上は、もうこの運命からお脱しになることはできないはずであるとたのむところがあった。
  Sauzimi ha tuyou obosi hanaru to mo, kano hito-yo bakari no ohom-uramibumi wo torahe dokoro ni kakoti te, "E simo, susugi hate tamaha zi." to, tanomosikari keri.
注釈516女君なほこの御仲のけしきを雲居雁、夕霧と落葉宮の関係を疑う。「女君」の述語は「たてまつれたまへる」。4.2.1
注釈517いかなるにかありけむ以下「こまやかにしたまふめりしか」まで、雲居雁の心中。4.2.2
注釈518こそ文通はしも係助詞「こそ」は「たまふめりしか」已然形に係る。「文通はし」名詞。4.2.2
注釈519夕暮の空を眺め入りて臥したまへるところに文脈は主語が夕霧に変わる。4.2.3
注釈520若君して夕霧と雲居雁の子。4.2.3
注釈521はかなき紙の端に『集成』は「ありあわせた」。『完訳』は「これといったことのない紙の端に」と訳す。4.2.3
注釈522あはれをもいかに知りてか慰めむ--あるや恋しき亡きや悲しき雲居雁から夕霧への贈歌。「ある」は落葉宮をさし、「亡き」は御息所をさす。4.2.4
注釈523おぼつかなきこそ心憂けれ歌に添えた言葉。夕霧の本心を知りたいが、はっきりしないのが情けない、の意。4.2.5
注釈524先ざきも、かく大島本は「さま(ま$き)/\も」とある。すなわち「ま」をミセケチにして「き」と訂正する。『集成』『新大系』は底本の訂正に従う。『完本』は底本の訂正以前と諸本に従って「さまざまも」と校訂する。以下「亡きがよそへや」まで、夕霧の心中。4.2.7
注釈525似げなの亡きがよそへや『集成』は「「亡きや悲しき」と、自分が御息所の死を悲しんでいるのかもしれないといった言い方は、今さらしらじらしい。落葉の宮とのことをはっきり疑っているくせに、という気持」と注す。『休聞抄』は「むら鳥の立ちにし我が名今さらにことなしぶともしるしあらめや」(古今集恋三、六七四、読人しらず)指摘。4.2.7
注釈526いづれとか分きて眺めむ消えかへる--露も草葉のうへと見ぬ世を夕霧から雲居雁への返歌。「ある」「亡き」から「消えかへる露」と詠み返した。『集成』は「落葉の宮のことははぐらかした返歌」。『弄花抄』は「我が宿の菊の垣根におく霜の消えかへりてぞ恋しかりける」(古今集恋二、五六四、紀友則)を指摘。『源注拾遺』は「露をだにあだなるものと思ひけむ我が身も草もおかぬばかりを」(古今集哀傷、八六〇、藤原これもと)を指摘。4.2.9
注釈527おほかたにこそ悲しけれ一般論としてはぐらかす。4.2.10
注釈528露のあはれをばさしおきて『集成』は「この世の無常を悲しむなどということは、知ったことではなくて。夕霧の歌の言葉によっていう」。『完訳』は「露の世の悲しみは二の次のこととして」と注す。4.2.11
注釈529なほかくおぼつかなく思しわびて主語は夕霧。4.2.12
注釈530御忌など過ぐして『集成』は「三十日の忌籠り」。『完訳』は「忌中の四十九日」と注す。4.2.12
注釈531今はこの御なき名の以下「かなふべきにこそは」まで、夕霧の心中。『集成』は「「御」は地の文の気持の混入したもの」。『完訳』は「世間一般の男性と同様に、無遠慮な態度で宮を得ようと居直る」と注す。4.2.13
注釈532思したばかりにければ大島本は「おほしたハかりにけれは」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思したちにけり」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.2.14
注釈533かの一夜ばかりの御恨み文を御息所からの手紙をさす。『完訳』は「夕霧は、これを拠りどころに宮をくどき、世間にも二人には実事があったとしらしめようとする」と注す。4.2.15
校訂15 いかなるにか いかなるにか--いかなるに(に/$<朱>)にか 4.2.2
校訂16 先ざきも 先ざきも--さま(ま/$き)/\も 4.2.7
4.3
第三段 九月十日過ぎ、小野山荘を訪問


4-3  Yugiri visits the mountain villa about September 10 past

4.3.1   九月十余日、野山のけしきは、深く見知らぬ人だに、 ただにやはおぼゆる山風に堪へぬ木々の梢も、峰の葛葉も、心あわたたしう争ひ散る紛れに 、尊き読経の声かすかに、念仏などの声ばかりして、人のけはひいと少なう、 木枯の吹き払ひたるに、鹿はただ籬のもとにたたずみつつ、山田の引板にもおどろかず、色濃き稲どもの中に混じりて うち鳴くも、愁へ顔なり
 九月十余日、野山の様子は、十分に分からない人でさえ、何とも思わずにはいられない。山風に堪えきれない木々の梢も、峰の葛の葉も、気ぜわしく先を争って散り乱れているところに、尊い読経の声がかすかに、念仏などの声ばかりして、人の気配がほとんどせず、木枯らしが吹き払ったところに、鹿は籬のすぐそばにたたずんでは、山田の引板にも驚かず、色の濃くなった稲の中に入って鳴いているのも、もの悲しそうである。
 九月の十幾日であって、野山の色はあさはかな人間をさえもしみじみと悲しませているころであった。山おろしに木の葉も峰のくずの葉も争って立てる音の中から、僧の念仏の声だけが聞こえる山荘の内には人げも少なく、蕭条しょうじょうとした庭のかきのすぐ外には鹿しかが出て来たりして、山の田に百姓の鳴らす鳴子なるこの音にも逃げずに、黄になった稲の中でく声にもうれいがあるようであった。
  Kugwatu zihuyo-niti, noyama no kesiki ha, hukaku mi sira nu hito dani, tada ni yaha oboyuru. Yamakaze ni tahe nu kigi no kozuwe mo, mine no kuzuha mo, kokoroa watatasiu arasohi tiru magire ni, tahutoki dokyau no kowe kasukani, nenbutu nado no kowe bakari si te, hito no kehahi ito sukunau, kogarasi no huki harahi taru ni, sika ha tada magaki no moto ni tatazumi tutu, Yamada no hita ni mo odoroka zu, iro koki ine-domo no naka ni maziri te uti-naku mo, urehegaho nari.
4.3.2   滝の声は、いとどもの思ふ人をおどろかし顔に、耳かしかましうとどろき響く。 草むらの虫のみぞ、よりどころなげに鳴き弱りて枯れたる草の下より、龍胆の、われひとりのみ心長うはひ出でて、露けく見ゆるなど、皆例のこのころのことなれど、 折から所からにや、いと堪へがたきほどの、もの悲しさなり
 滝の音は、ますます物思いをする人をはっとさせるように、耳にうるさく響く。叢の虫だけが、頼りなさそうに鳴き弱って、枯れた草の下から、龍胆が、自分だけ茎を長く延ばして、露に濡れて見えるなど、みないつもの時節のことであるが、折柄か場所柄か、実に我慢できないほどの、もの悲しさである。
 滝の水は物思いをする人に威嚇いかくを与えるようにもとどろいていた。くさむらの中の虫だけが鳴き弱ったで悲しみを訴えている。枯れた草の中から竜胆りんどうが悠長に出て咲いているのが寒そうであることなども皆このごろの景色けしきとして珍しくはないのであるが、おりと所とが人を寂しがらせ、悲しがらせるのであった。
  Taki no kowe ha, itodo mono omohu hito wo odorokasi gaho ni, mimi kasikamasiu todoroki hibiku. Kusamura no musi nomi zo, yoridokoro nage ni naki yowari te, kare taru kusa no sita yori, rindau no, ware hitori nomi kokoronagau hahi ide te, tuyukeku miyuru nado, mina rei no kono-koro no koto nare do, worikara tokorokara ni ya, ito tahe gataki hodo no, mono-ganasisa nari.
4.3.3   例の妻戸のもとに立ち寄りたまひて、やがて眺め出だして立ちたまへり。なつかしきほどの直衣に、色こまやかなる御衣の擣目、いとけうらに透きて、 影弱りたる夕日の、さすがに 何心もなうさし来たるに、まばゆげに、 わざとなく扇をさし隠したまへる手つき、「 女こそかうはあらまほしけれ、それだにえあらぬを」と、見たてまつる。
 いつもの妻戸のもとに立ち寄りなさって、そのまま物思いに耽りながら立っていらっしゃった。やさしい感じの直衣に、紅の濃い下襲の艶が、とても美しく透けて見えて、光の弱くなった夕日が、それでも遠慮なく差し込んできたので、眩しそうに、さりげなく扇をかざしていらっしゃる手つきは、「女こそこうありたいものだが、それでさえできないものを」と、拝見している。
 夕霧は例の西の妻戸の前で中へものを言い入れたのであるが、そのまま立って物思わしそうにあたりをながめていた。柔らかな気のする程度に着らした直衣のうしの下に濃い紫のきれいな擣目うちめの服が重なって、もう光の弱った夕日が無遠慮にさしてくるのを、まぶしそうに、そしてわざとらしくなく扇をかざして避けている手つきは女にこれだけの美しさがあればよいと思われるほどで、それでさえこうはゆかぬものをなどと思って女房たちはのぞいていた。
  Rei no tumado no moto ni tatiyori tamahi te, yagate nagame idasi te tati tamahe ri. Natukasiki hodo no nahosi ni, iro komayaka naru ohom-zo no utime, ito keura ni suki te, kage yowari taru yuhuhi no, sasugani nanigokoro mo nau sasi ki taru ni, mabayuge ni, wazato naku ahugi wo sasi-kakusi tamahe ru tetuki, "Womna koso kau ha aramahosikere, sore dani e ara nu wo." to, mi tatematuru.
4.3.4  もの思ひの慰めにしつべく、笑ましき顔の匂ひにて、少将の君を、取り分きて召し寄す。簀子のほどもなけれど、 奥に人や添ひゐたらむとうしろめたくて、えこまやかにも語らひたまはず。
 物思いの時の慰めにしたいほどの、笑顔の美しさで、小少将の君を、特別にお呼びよせになる。簀子はさほどの広さもないが、奥に人が一緒にいるだろうかと不安で、打ち解けたお話はおできになれない。
 寂しい人たちにとってはよい慰安になるであろうと思われる美しい様子で、特に名ざして少将を呼び出した。狭い縁側ではあるが、他の女がまたその後ろに聞いているかもしれぬ不安があるために、声高には話しえない大将であった。
  Mono-omohi no nagusame ni si tu beku, wemasiki kaho no nihohi nite, Seusyau-no-Kimi wo, toriwaki te mesi yosu. Sunoko no hodo mo nakere do, oku ni hito ya sohi wi tara m to usirometaku te, e komayaka ni mo katarahi tamaha zu.
4.3.5  「 なほ近くて。な放ちたまひそ。かく山深く分け入る心ざしは、 隔て残るべくやは霧もいと深しや
 「もっと近くに。放っておかないでください。このように山の奥にやって来た気持ちは、他人行儀でよいものでしょうか。霧もとても深いのですよ」
 「もう少し近くへ寄ってください。好意を持ってくれませんか、この遠方へまで御訪問して来る私の誠意を認めてくだすったら、最も親密なお取り扱いがあってしかるべきだと思いますよ。霧がとても深くおりてきますよ」
  "Naho tikaku te. Na hanati tamahi so. Kaku yama hukaku wakeiru kokorozasi ha, hedate nokoru beku yaha. Kiri mo ito hukasi ya!"
4.3.6  とて、わざとも見入れぬさまに、山の方を眺めて、「なほ、なほ」と切にのたまへば、鈍色の几帳を、簾のつまよりすこしおし出でて、 裾をひきそばめつつゐたり大和守の妹なれば、離れたてまつらぬうちに、 幼くより生ほし立てたまうければ、衣の色いと濃くて、 橡の衣一襲、小袿着たり。
 と言って、特に見るでもないふりをして、山の方を眺めて、「もっと近く、もっと近く」としきりにおっしゃるので、鈍色の几帳を、簾の端から少し外に押し出して、裾を引き繕って横向きに座わっている。大和守の妹なので、お近い血縁の上に、幼い時からお育てになったので、着物の色がとても濃い鈍色で、橡の喪服一襲に、小袿を着ていた。
 と言って、ちょっと山のほうをながめてから大将がぜひもっと近くへ来てくれと言うので、余儀なくにび色の几帳きちょうすだれから少し押し出すほどにして、すそを細く巻くようにした少将は近くへ身を置いた。この人は大和守やまとのかみの妹で、御息所みやすどころめいであるというほかにも、子供の時から御息所のそばで世話になっていた人であったから喪服の色は濃かった。黒を重ねた上に黒の小袿こうちぎを着ていた。
  tote, wazato mo miire nu sama ni, yama no kata wo nagame te, "Naho, naho." to seti ni notamahe ba, nibiiro no kityau wo, sudare no tuma yori sukosi osi-ide te, suso wo hiki sobame tutu wi tari. Yamato-no-Kami no imouto nare ba, hanare tatematura nu uti ni, wosanaku yori ohosi tate tamau kere ba, kinu no iro ito koku te, turubami no kinu hito-kasane, koutiki ki tari.
4.3.7  「 かく尽きせぬ御ことは、さるものにて、 聞こえなむ方なき 御心のつらさを思ひ添ふるに、心魂もあくがれ果てて、 見る人ごとに咎められはべれば、今はさらに忍ぶべき方なし
 「このようにいくら悲しんでもきりのない方のことは、それはそれとして、申し上げようもないお気持ちの冷たさをそれに加えて思うと、魂も抜け出てしまって、会う人ごとに怪しまれますので、今はまったく抑えることができません」
 御息所のおかくれになったのを悲しむことと宮様のいつまでも御冷淡であらせられるのをお恨みするのが私の心の全部になって、ほかのことは頭にありませんから、だれからも私は怪しまれてしかたがありません。もう私に忍耐の力というものがなくなりましたよ」
  "Kaku tuki se nu ohom-koto ha, saru mono nite, kikoye na m kata naki mi-kokoro no turasa wo omohi sohuru ni, kokorodamasihi mo akugare hate te, miru hito goto ni togame rare habere ba, ima ha sarani sinobu beki kata nasi."
4.3.8  と、いと多く恨み続けたまふ。かの今はの御文のさまものたまひ出でて、いみじう泣きたまふ。
 と、とても多く恨み続けなさる。あの最期の折のお手紙の様子もお口にされて、ひどくお泣きになる。
 これを初めにして、夕霧はいろいろと恋の苦しみを訴えた。御息所の最後の手紙に書かれてあったことも言って非常に泣く。
  to, ito ohoku urami tuduke tamahu. Kano imaha no ohom-humi no sama mo notamahi ide te, imiziu naki tamahu.
注釈534九月十余日野山のけしきは晩秋九月十日過ぎの小野の野山の景色。後文に「十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば」とある。4.3.1
注釈535ただにやはおぼゆる反語表現。4.3.1
注釈536山風に堪へぬ木々の梢も峰の葛葉も心あわたたしう争ひ散る紛れに『異本紫明抄』は「風はやみ峰の葛葉のともすればあやかりやすき人の心か」(拾遺集哀傷、一二五一、藤原これもと)を指摘。4.3.1
注釈537木枯の吹き払ひたるに鹿はただ籬のもとにたたずみつつ『完訳』は「木枯らしが吹きはらうと、鹿は垣根のすぐ近くにたたずんでは」と訳し、前出「に」接続助詞、後出「に」格助詞、に解す。「吹き払ひたる」を準体言と見て両方とも格助詞「に」場所、所を表す意とも解せる。
【たたずみつつ】-「つつ」接続助詞、同じ動作の反復・継続。
4.3.1
注釈538うち鳴くも愁へ顔なり夕霧の感情移入による表現。『完訳』は「妻を恋い慕って鳴く鹿に、宮を恋い慕う夕霧の心をかたどる」と注す。4.3.1
注釈539滝の声は音羽の滝。4.3.2
注釈540草むらの虫のみぞよりどころなげに鳴き弱りて『完訳』は「草が枯れて隠れ処のない虫に、頼るべき人のない宮をかたどる」と注す。下文の龍胆を宮に、虫は仕える女房たちをかたどるとも解せよう。4.3.2
注釈541枯れたる草の下より龍胆のわれひとりのみ心長うはひ出でて露けく見ゆるなど『河海抄』は「我が宿の花ふみしだく鳥うたむ野はなければやここにしもくる」(古今集物名、紀友則)を指摘。『集成』は「龍胆は、枝ざしなどもむつかしけれど、異花どもの皆霜枯れたるに、いと花やかなる色あひにさし出でたる、いとをかし」(枕草子、草の花は)を指摘。擬人法。4.3.2
注釈542折から所からにやいと堪へがたきほどのもの悲しさなり『異本紫明抄』は「ただ思ふ人のかたみにいかになどみなはらわたのたゆる声なり」(出典未詳)を指摘。4.3.2
注釈543例の妻戸のもとに寝殿の西南の妻戸。4.3.3
注釈544影弱りたる夕日光の弱くなった夕日。九月十三日の夕方。4.3.3
注釈545何心もなうさし来たるに『完訳』は「愁傷の場に夕陽のさす趣」と注す。擬人法。「に」接続助詞、順接の意。4.3.3
注釈546わざとなく扇をさし隠したまへる夕霧の動作、姿態。『完訳』は「粋な懸想人の風姿でもある」と評す。4.3.3
注釈547女こそかうはあらまほしけれそれだにえあらぬを女房の視点・心中で夕霧の美しさを語る。係助詞「こそ」--「あらまほしけれ」已然形、逆接用法。4.3.3
注釈548奥に人や添ひゐたらむと「人」は他の女房をさす。『完訳』は「夕霧は狭い簀子にいて、簾中の小少将の君と対座。簾の奥に誰か一緒にいるかと警戒する」と注す。4.3.4
注釈549なほ近くて大島本は「な越ちかくて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「なほ近くてを」と「を」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。以下「いと深しや」まで、夕霧の詞。4.3.5
注釈550隔て残るべくやは「やは」反語表現。他人行儀でよいはずがない。4.3.5
注釈551霧もいと深しや『集成』は「霧も深いから、姿も見えまいと、小少将をさそう」と注す。4.3.5
注釈552裾をひきそばめつつゐたり『集成』は「着物の裾が簀子に出たのを横に引き隠して」。『完訳』は「着物の裾を片寄せながらすわっている」と注す。4.3.6
注釈553大和守の妹なれば小少将の君は大和守の妹という紹介。落葉宮とは従姉妹。4.3.6
注釈554幼くより生ほし立てたまうければ御息所が小少将の君を。4.3.6
注釈555橡の衣一襲大島本は「つるはミのきぬ」とある。『集成』『完本』は「橡の喪衣」と「喪」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。4.3.6
注釈556かく尽きせぬ御ことは以下「忍ぶべき方なし」まで、夕霧の詞。4.3.7
注釈557聞こえなむ方なき大島本は「きこえなむ」とある。『集成』『完本』は「聞こえむ」と「な」を削除する。『新大系』は底本のままとする。4.3.7
注釈558御心のつらさ落葉宮の冷淡な心。4.3.7
注釈559見る人ごとに咎められはべれば今はさらに忍ぶべき方なし『休聞抄』は「忍ぶれど色に出でにけり我が恋は物や思ふと人の問ふまで」(拾遺集恋一、六二二、平兼盛)を指摘。4.3.7
出典13 峰の葛葉 風早み峯の葛葉のともすればあやかりやすき人の心か 拾遺集雑恋-一二五一 読人しらず 4.3.1
校訂17 所からにや 所からにや--所から(ら/+にや<朱>) 4.3.2
4.4
第四段 板ばさみの小少将君


4-4  Ko-Syosyo is caught in a dilemma Yugiri and Ochiba-no-Miya

4.4.1   この人も、ましていみじう泣き入りつつ
 この人も、それ以上にひどく泣き入りながら、
 少将もまして非常に泣く。
  Kono hito mo, masite imiziu nakiiri tutu,
4.4.2  「 その夜の御返りさへ 見えはべらずなりにしを、今は限りの御心に、やがて思し入りて、 暗うなりにしほどの空のけしきに、御心地惑ひにけるを、さる弱目に、例の御もののけの 引き入れたてまつる、となむ見たまへし。
 「その夜のお返事さえ拝見せずじまいでしたが、もう最期という時のお心に、そのままお思いつめなさって、暗くなってしまいましたころの空模様に、ご気分が悪くなってしまいましたが、そのような弱目に、例の物の怪が取りつき申したのだ、と拝見しました。
 「その時のことでございますがね、あなた様がおいでにならぬばかりか、御自身のお返事もおもらいになれないままで暗くなってまいりますのに悲観をあそばしましてとうとう意識をお失いになりましたのに物怪もののけがつけこんで、そのまま蘇生そせいがおできにならなかったのだと私は拝見いたしました。
  "Sono yo no ohom-kaheri sahe miye habera zu nari ni si wo, ima ha kagiri no mi-kokoro ni, yagate obosi iri te, kurau nari ni si hodo no sora no kesiki ni, mi-kokoti madohi ni keru wo, saru yowame ni, rei no ohom-mononoke no hikiire tatematuru, to nam mi tamahe si.
4.4.3   過ぎにし御ことにもほとほと御心惑ひぬべかりし折々多くはべりしを、宮の同じさまに沈みたまうしを、 こしらへきこえむの御心強さになむ、やうやうものおぼえたまうし。 この御嘆きをば御前には、ただわれかの御けしきにて、あきれて暮らさせたまうし」
 以前の御事でも、ほとんど人心地をお失いになったような時々が多くございましたが、宮が同じように沈んでいらっしゃったのを、お慰め申そうとのお気を強くお持ちになって、だんだんとお気をしっかりなさいました。このお嘆きを、宮におかれては、まるで正体のないようなご様子で、ぼんやりとしていらっしゃるのでした」
 以前の御不幸のございました時にも、もうそんなふうにおなりになるのでないかと私どもがお案じいたしましたようなことがおりおりございましたが、宮様がお悲しみになってめいっておいであそばすのをおなだめになりたいとお思いになるお心の強さから、御健康をお持ち直しになったのでございます。あなた様についての御息所のこのお悲しみ方を宮様はただ呆然ぼうぜんとして見ておいでになりました」
  Sugi ni si ohom-koto ni mo, hotohoto mi-kokoro madohi nu bekari si woriwori ohoku haberi si wo, Miya no onazi sama ni sidumi tamau si wo, kosirahe kikoye m no mi-kokoro duyosa ni nam, yauyau mono oboye tamau si. Kono ohom-nageki wo ba, omahe ni ha, tada wareka no mi-kesiki nite, akire te kurasa se tamau si."
4.4.4  など、とめがたげにうち嘆きつつ、はかばかしうもあらず聞こゆ。
 などと、涙を止めがたそうに悲しみながら、はきはきとせず申し上げる。
 あきらめられぬようにこんなことを少将は言っていて、まだ頭はかなり混乱しているふうであった。
  nado, tome gatage ni uti nageki tutu, hakabakasiu mo ara zu kikoyu.
4.4.5  「 そよや。そもあまりに おぼめかしう、いふかひなき御心なり。今は、かたじけなくとも、 誰をかはよるべに思ひきこえたまはむ御山住みも、いと深き峰に、世の中を思し絶えたる雲の中なめれば、聞こえ通ひたまはむこと難し。
 「そうですね。それもあまりに頼りなく、情けないお心です。今は、恐れ多いことですが、誰を頼りにお思い申し上げなさるのでしょう。御山暮らしの父院も、たいそう深い山の中で、世の中を思い捨てなさった雲の中のようなので、お手紙のやりとりをなさるにも難しい。
 「そうではあっても、宮様はもう常態にお復しになってしかるべきだと思う。私に対してあまりな知らず顔をお作りになるのは、思いやりのないことではありませんか。もったいないことですが、孤独におなりになった宮様にだれがお力になるとお思いになるのだろう。法皇様はいっさい塵界じんかいと交渉を絶っておいでになる御生活ぶりですから、御相談事などは申し上げられないでしょう。
  "Soyoya! Somo amari ni obomekasiu, ihukahinaki mi-kokoro nari. Ima ha, katazikenaku tomo, tare wo kaha yorube ni omohi kikoye tamaha m. Mi-yamazumi mo, ito hukaki mine ni, yononaka wo obosi taye taru kumo no naka na' mere ba, kikoye kayohi tamaha m koto katasi.
4.4.6  いとかく 心憂き御けしき、聞こえ知らせたまへよろづのこと、さるべきにこそ。世にあり経じと思すとも、従はぬ世なり。 まづは、かかる御別れの、御心にかなはばあるべきことかは
 ほんとうにこのような冷たいお心を、あなたからよく申し上げてください。万事が、前世からの定めなのです。この世に生きていたくないとお思いになっても、そうはいかない世の中です。第一、このような死別がお心のままになるなら、この死別もあるはずがありません」
 あなたがたが熱心になって宮様の私に対する御冷酷さをお改めになるようによくお話し申し上げてください。皆宿命があって、一生孤独でいようとあそばしても、そうなって行かないということもお話し申すといい。人生が望みどおりに皆なるものであれば、この悲しい死別はなされなくてもよかったわけではありませんか」
  Ito kaku kokorouki mi-kesiki, kikoye sira se tamahe. Yorodu no koto, sarubeki ni koso. Yo ni ari he zi to obosu tomo, sitagaha nu yo nari. Maduha, kakaru ohom-wakare no, mi-kokoro ni kanaha ba, aru beki koto kaha."
4.4.7  など、よろづに多くのたまへど、聞こゆべきこともなくて、うち嘆きつつゐたり。 鹿のいといたく鳴くを、「われ劣らめや」とて
 などと、いろいろと多くおっしゃるが、お返事申し上げる言葉もなくて、ただ溜息をつきながら座っていた。鹿がとても悲しそうに鳴くのを、「自分も鹿に劣ろうか」と思って、
 などと夕霧は多く言うのであるが、少将は返事もできずに歎息たんそくばかりしていた。鹿しかがひどくくのを聞いていて、「われ劣らめや」(秋なれば山とよむまで啼く鹿にわれ劣らめやひとる夜は)と吐息といきをついたあとで、
  nado, yorodu ni ohoku notamahe do, kikoyu beki koto mo naku te, uti-nageki tutu wi tari. Sika no ito itaku naku wo, "Ware otora me ya?" tote,
4.4.8  「 里遠み小野の篠原わけて来て
   我も鹿こそ声も惜しまね
 「人里が遠いので小野の篠原を踏み分けて来たが
  わたしも鹿のように声も惜しまず泣いています
  里遠み小野の篠原しのはら分けて来て
  われもしかこそ声も惜しまね
    "Sato tohomi Wono no sinohara wake te ki te
    ware mo sika koso kowe mo wosima ne
4.4.9  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と大将が言うと、
  to notamahe ba,
4.4.10  「 藤衣露けき秋の山人は
   鹿の鳴く音に音をぞ添へつる
 「喪服も涙でしめっぽい秋の山里人は
  鹿の鳴く音に声を添えて泣いています
  ふぢ衣露けき秋の山人は
  鹿のなくをぞ添へつる
    "Hudigoromo tuyukeki aki no yamabito ha
    sika no naku ne ni ne wo zo sohe turu
4.4.11   よからねど、折からに、忍びやかなる声づかひなどを、よろしう 聞きなしたまへり
 上手な歌ではないが、時が時とて、ひっそりとした声の調子などを、けっこうにお聞きになった。
 将のこの返歌はよろしくもないが、低く忍んで言うこわづかいなどを優美に感じる夕霧であった。
  Yokara ne do, worikara ni, sinobiyaka naru kowadukahi nado wo, yorosiu kiki nasi tamahe ri.
4.4.12  御消息とかう聞こえたまへど、
 ご挨拶をあれこれ申し上げなさるが、
 宮へいろいろとお取り次ぎもさせたが、
  Ohom-seusoko tokau kikoye tamahe do,
4.4.13  「 今は、かくあさましき 夢の世を、すこしも思ひ覚ます折あらばなむ、絶えぬ御とぶらひも聞こえやるべき」
 「今は、このように思いがけない夢のような世の中を、少しでも落ち着きを取り戻す時がございましたら、たびたびのお見舞いにもお礼申し上げましょう」
 「この悲しみの中から自分を取りもどす日がございましたら、始終お心にかけてお尋ねくださいますお礼も申し上げられるかと思います」
  "Ima ha, kaku asamasiki yume no yo wo, sukosi mo omohi samasu wori ara ba nam, taye nu ohom-toburahi mo kikoyeyaru beki."
4.4.14  とのみ、すくよかに 言はせたまふ。「 いみじういふかひなき御心なりけり」と、嘆きつつ帰りたまふ。
 とだけ、素っ気なく言わせなさる。「ひどく何とも言いようのないお心だ」と、嘆きながらお帰りになる。
 と礼儀としてだけのことより宮からはお返辞がない。大将は失望してなげきながら帰って行くのであった。
  to nomi, sukuyokani iha se tamahu. "Imiziu ihukahinaki mi-kokoro nari keri." to, nageki tutu kaheri tamahu.
注釈560この人もましていみじう泣き入りつつ小少将の君も夕霧以上に。4.4.1
注釈561その夜の御返りさへ以下「暮らさせたまうし」まで、小少将の君の詞。4.4.2
注釈562見えはべらずなりにしを主語は御息所。4.4.2
注釈563暗うなりにしほどの空のけしきに『集成』は「いよいよ大将の訪れがないと確信された頃」と注す。4.4.2
注釈564引き入れたてまつる物の怪が御息所の魂を。4.4.2
注釈565過ぎにし御ことにも柏木逝去の折をさす。4.4.3
注釈566ほとほと御心惑ひぬべかりし主語は御息所。4.4.3
注釈567こしらへきこえむ御息所が落葉宮を。4.4.3
注釈568この御嘆きをば御息所の逝去。4.4.3
注釈569御前にはただわれかの御けしきにて『河海抄』は「夢にだに何かも見えぬ見ゆれども我かも惑ふ恋の繁きに」(万葉集巻十一)を指摘する。4.4.3
注釈570そよやそもあまりに以下「あるべきことかは」まで、夕霧の詞。4.4.5
注釈571誰をかはよるべに思ひきこえたまはむ反語表現。暗に自分をおいて他に頼る人はいない、という。4.4.5
注釈572御山住みもいと深き峰に西山に籠もっている朱雀院をさす。4.4.5
注釈573心憂き御けしき聞こえ知らせたまへ落葉宮にあなた小少将の君からよく申し上げて下さい、の意。4.4.6
注釈574よろづのことさるべきにこそ万事が前世からの宿縁である。係助詞「こそ」の下に「あれ」などの語句が省略。4.4.6
注釈575まづはかかる御別れの御心にかなはば『源氏物語引歌』は「命だに心にかなふものならば何か別れの悲しからまし」(古今集離別、三八七、白女)を指摘。4.4.6
注釈576あるべきことかは反語表現。主語、突然の御息所の逝去という意が省略されている。4.4.6
注釈577鹿のいといたく鳴くをわれ劣らめやとて『源氏釈』は「秋なれば山とよむまで鳴く鹿に我劣らめや独り寝る夜は」(古今集恋二、五八二、読人しらず)を指摘。4.4.7
注釈578里遠み小野の篠原わけて来て--我も鹿こそ声も惜しまね夕霧から小少将の君への贈歌。「鹿」「然(しか)」の掛詞。『河海抄』は「山城の小野の山人里遠み仮の宿りをとりぞかねつる」(出典未詳)を指摘。『集成』は「山城の小野の山辺の里遠み仮の宿りもとりぞかねつる」(能宣集)を指摘。『全集』は「浅茅生の小野の篠原忍ぶとも人こそ知るらめや言ふ人なしに」(古今集恋一、五〇五、読人しらず)「浅茅生の小野の篠原忍ぶれどなどか人の恋しき」(後撰集恋一、五七八、源等)を指摘。4.4.8
注釈579藤衣露けき秋の山人は--鹿の鳴く音に音をぞ添へつる小少将の君の返歌。「鹿」の語句を受けて返す。『全集』は「山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」(古今集秋上、二一四、壬生忠岑)を指摘。4.4.10
注釈580よからねど折からに--聞きなしたまへり『岷江入楚』は「草子地歟」と指摘。4.4.11
注釈581今はかくあさましき以下「聞こえやるべき」まで、落葉宮の詞。伝言。4.4.13
注釈582夢の世を、すこしも思ひ覚ます折「夢」「覚ます」縁語表現。4.4.13
注釈583言はせたまふ「せ」使役の助動詞。落葉宮が小少将の君をして夕霧に。4.4.14
注釈584いみじういふかひなき御心なりけり夕霧の心中。4.4.14
出典14 われ劣らめや 秋なれば山とよむまで鳴く鹿に我劣らめや独り寝る夜は 古今集恋二-五八二 読人しらず 4.4.7
校訂18 そよや そよや--そ(そ/+よ<朱>)や 4.4.5
4.5
第五段 夕霧、一条宮邸の側を通って帰宅


4-5  Yugiri passes by Ochiba-no-Miya's residence to comes back his home

4.5.1   道すがらも、あはれなる空を眺めて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば小倉の山もたどるまじう おはするに、 一条の宮は道なりけり
 道すがら、しみじみとした空模様を眺めて、十三日の月がたいそう明るく照り出したので、薄暗い小倉の山も難なく通れそうに思っているうちに、一条の宮邸はその途中であった。
 途中も車の中から身にしむ秋の終わりがたの空をながめていると、十三日の月が出て暗い気持ちなどにはふさわしくないはなやかな光を地上に投げかけた。それにも誘われて一条の宮の前で車をしばらくとどめさせた。
  Mitisugara mo, ahare naru sora wo nagame te, zihusam-niti no tuki no ito hanayaka ni sasi-ide nure ba, Wogura-no-yama mo tadoru maziu ohasuru ni, Itideu-no-Miya ha miti nari keri.
4.5.2  いとどうちあばれて、未申の方の崩れたるを見入るれば、 はるばると下ろし籠めて人影も見えず。月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに大納言、ここにて遊びなどしたまうし折々を、思ひ出でたまふ。
 以前にもまして荒れて、南西の方角の築地の崩れている所から覗き込むと、ずっと一面に格子を下ろして、人影も見えない。月だけが遣水の表面をはっきりと照らしているので、大納言が、ここで管弦の遊びなどをなさった時々のことを、お思い出しになる。
 以前よりもまた荒れた気のするおやしきであった。南側の土塀どべいのくずれた所から中をのぞくと、大きな建物の戸は皆おろされてあって人影も見えない。月だけが前の流れに浮かんでいるのを見て、柏木かしわぎがよくここで音楽の遊びなどをしたその当時のことが思い出された。
  Itodo uti-abare te, hituzisaru no kata no kudure taru wo miirure ba, harubaru to orosi kome te, hitokage mo miye zu. Tuki nomi yarimidu no omote wo araha ni sumi masi taru ni, Dainagon, koko nite asobi nado si tamau si woriwori wo, omohi ide tamahu.
4.5.3  「 見し人の影澄み果てぬ池水に
   ひとり宿守る秋の夜の月
 「あの人がもう住んでいないこの邸の池の水に
  独り宿守りしている秋の夜の月よ
  見し人の影すみはてぬ池水に
  ひとり宿る秋の夜の月
    "Mi si hito no kage sumi hate nu ikemidu ni
    hitori yado moru aki no yo no tuki
4.5.4  と独りごちつつ、 殿におはしても月を見つつ、心は空にあくがれたまへり。
 と独言を言いながら、お邸にお帰りになっても、月を見ながら、心はここにない思いでいらっしゃった。
 こう口ずさみながら家へ帰って来た大将は、そのまま縁に近い座敷で月にながめ入りながら恋人の冷たさばかりを歎いていた。
  to hitorigoti tutu, tono ni ohasi te mo, tuki wo mi tutu, kokoro ha sora ni akugare tamahe ri.
4.5.5  「 さも見苦しう。あらざりし御癖かな
 「何ともみっもない。今までになかったお振る舞いですこと」
 「あんなふうにしていらっしゃることは以前になかったことですね。およしになればいいのに」
  "Samo migurusiu. Ara zari si ohom-kuse kana!"
4.5.6  と、御達も憎みあへり。 上は、まめやかに心憂く、
 と、おもだった女房たちも憎らしがっていた。北の方は、真実嫌な気がして、
 と言って女房らはそしった。夫人は痛切に良人おっとのこの変わりようを悲しんでいた。
  to, gotati mo nikumi ahe ri. Uhe ha, mameyaka ni kokorouku,
4.5.7  「 あくがれたちぬる御心なめり。もとより さる方にならひたまへる六条の院の人びとを、ともすればめでたきためしに ひき出でつつ、心よからずあいだちなきものに思ひたまへる、わりなしや。我も、昔より しかならひなましかば、人目も馴れて、 なかなか過ごしてまし。世のためしにしつべき御心ばへと、親兄弟よりはじめたてまつり、めやすきあえものにしたまへるを、ありありては、末に恥がましきことやあらむ」
 「魂が抜け出たお方のようだ。もともと何人もの夫人たちがいっしょに住んでいらっしゃる六条院の方々を、ともすれば素晴らしい例として引き出し引き出しては、性根の悪い無愛想な女だと思っていらっしゃる、やりきれないわ。わたしも昔からそのように住むことに馴れていたならば、人目にも無難に、かえってうまくいったでしょうが。世の男性の模範にしてもよいご性質と、親兄弟をはじめ申して、けっこうなあやかりたい者となさっていたのに、このままいったら、あげくの果ては恥をかくことがあるだろう」
 これは心がほかへ飛んで行っているという状態なのであろう、そうしたことにらされた六条院の夫人たちを何かといえばよい例に引いて、自分をがさつな、思いやりのない女のように言う良人は無理である、自分も結婚した初めからそう馴らされて来たのであったなら、穏健なあきらめができていて、こんな時の辛抱しんぼうもしよいに違いない、珍しく忠実な良人を持つ妻として親兄弟をはじめとして世間からあやかり者のように言われて来た自分が、最後にみじめな捨てられた女になるのであろうか
  "Akugare tati nuru mi-kokoro na' meri. Motoyori saru kata ni narahi tamahe ru Rokudeu-no-Win no hitobito wo, tomosureba medetaki tamesi ni hikiide tutu, kokoro yokara zu aidatinaki mono ni omohi tamahe ru, warinasi ya! Ware mo, mukasi yori sika narahi na masika ba, hitome mo nare te, nakanaka sugosi te masi. Yo no tamesi ni si tu beki mi-kokorobahe to, oya harakara yori hazime tatematuri, meyasuki ayemono ni si tamahe ru wo, ari ari te ha, suwe ni hadigamasiki koto ya ara m?"
4.5.8  など、いといたう嘆いたまへり。
 などと、とてもひどく嘆いていらっしゃった。
 と歎いているのである。
  nado, ito itau nagei tamahe ri.
4.5.9   夜明け方近くかたみにうち出でたまふことなくて、背き背きに嘆き明かして、朝霧の晴れ間も待たず、例の、文をぞ急ぎ書きたまふ。 いと心づきなしと思せど、ありしやうにも奪ひたまはず。いとこまやかに書きて、うち置きてうそぶきたまふ。忍びたまへど、 漏りて聞きつけらる
 夜明け方近く、お互いに口に出すこともなくて、背き合いながら夜を明かして、朝霧の晴れる間も待たず、いつものように、手紙を急いでお書きになる。とても気にくわないとお思いになるが、以前のようには奪い取りなさらない。たいそう情愛をこめて書いて、ちょっと下に置いて歌を口ずさみなさる。声をひそめていらっしゃったが、漏れて聞きつけられる。
 夜も明けがた近くなるのであるが、夫婦はどちらも離れた気持ちで身をそむけたまま何を言おうともしなかった。起きるとまたすぐに、朝霧の晴れ間も待たれぬようにして大将は山荘への手紙に筆を取っていた。不愉快に思いながらも夫人はもういつかのように奪おうとはしなかった。書いてしばらくそれをながめながら読んで見ているのが、低い声ではあったが、一部だけは夫人の耳にもはいって来た。
  Yoakegata tikaku, katamini uti-ide tamahu koto naku te, somuki somuki ni nageki akasi te, asagiri no harema mo mata zu, rei no, humi wo zo isogi kaki tamahu. Ito kokorodukinasi to obose do, arisi yau ni mo bahi tamaha zu. Ito komayakani kaki te, uti-oki te usobuki tamahu. Sinobi tamahe do, mori te kiki tuke raru.
4.5.10  「 いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の
   夢覚めてとか言ひしひとこと
 「いつになったらお訪ねしたらよいのでしょうか
  明けない夜の夢が覚めたらとおっしゃったことは
  いつとかは驚かすべきあけぬ夜の
  夢さめてとか言ひし一言
    "Itu to ka ha odorokasu beki ake nu yo no
    yume same te to ka ihi si hitokoto
4.5.11   上より落つる
 お返事がありません」
 「上よりおつる」(いかにしていかによからん小野山の上よりおつる音無しの滝)
  uhe yori oturu."
4.5.12   とや書いたまひつらむ、おし包みて、名残も、「 いかでよからむ」など口ずさびたまへり。人召して賜ひつ。「 御返り事をだに見つけてしがな。なほ、いかなることぞ」と、けしき見まほしう思す。
 とでもお書きになったのであろうか、手紙を包んで、その後も、「どうしたらよかろう」などと口ずさんでいらっしゃった。人を召してお渡しになった。「せめてお返事だけでも見たいものだわ。やはり、本当はどうなのかしら」と、様子を窺いたくお思いになっている。
 と書かれたものらしい。巻いて上包みをしたあとでも「いかによからん」などと夕霧は口にしていた。侍を呼んで手紙の使いはすぐに小野へ出された。内容の全部はよくわからなかったが、返事だけは手に入れて読みたいものである、それによって真相が明らかになるであろうと夫人は思っていた。
  to ya kai tamahi tu ram, osi-tutumi te, nagori mo, "Ikade yokara m?" nado kutizusabi tamahe ri. Hito mesi te tamahi tu. "Ohom-kaheri-koto wo dani mituke te si gana. Naho, ikanaru koto zo?" to, kesiki mi mahosiu obosu.
注釈585道すがらも、あはれなる空を眺めて、十三日の月のいとはなやかにさし出でぬれば小野山荘からの帰途。九月十三日の月がさし昇る。十三夜の月として賞美されている。4.5.1
注釈586小倉の山もたどるまじう『源氏釈』は「秋の夜の月の光し明ければ小倉の山も越えぬべらなり」(古今集秋上、一九五、在原元方)、『紹巴抄』は「いづくにか今宵の月の曇るべき小倉の山も名をや変ふらむ」(新古今集秋上、四〇五、大江千里)、『源注拾遺』は「大堰川浮かべる舟の篝火に小倉の山も名のみなりけり」(後撰集雑三、一二三二、在原業平)「秋の色は千種ながらにさやけきを誰か小倉の山といふらむ」(是則集)を指摘。4.5.1
注釈587一条の宮は道なりけり落葉宮の本邸。4.5.1
注釈588はるばると下ろし籠めてずっと一面に格子を下ろしているさま。4.5.2
注釈589人影も見えず月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに「(人)影」「月」縁語。
【月のみ遣水の面をあらはに澄みましたるに】-「澄む」「住む」の掛詞。月を擬人化した表現。
4.5.2
注釈590大納言ここにて遊びなどしたまうし柏木をさす。死の直前に権大納言に任じられた。4.5.2
注釈591見し人の影澄み果てぬ池水に--ひとり宿守る秋の夜の月夕霧の独詠歌。柏木を偲ぶ。「人の影」「(月の)影」、「住み」「澄み」の掛詞。「影」「澄み」「月」縁語。『異本紫明抄』は「亡き人の影だに見えぬ遣水の底に涙を流してぞこし」(後撰集哀傷、一四〇三、伊勢)を指摘。4.5.3
注釈592殿におはしても夕霧の邸。三条邸。4.5.4
注釈593月を見つつ心は空にあくがれ「月」「空」縁語。4.5.4
注釈594さも見苦しうあらざりし御癖かな女房のひそひそ話。4.5.5
注釈595上はまめやかに雲居雁。『集成」は「「上」は、北の方の称。「御達」に対する」と注す。4.5.6
注釈596あくがれたちぬる御心なめり以下「末に恥がましきことやあらむ」まで、雲居雁の心中。4.5.7
注釈597さる方にならひたまへる一夫多妻の同居生活をさす。4.5.7
注釈598ひき出でつつ接続助詞「つつ」同じ動作の反復継続。4.5.7
注釈599しかならひなましかば「ましかば」--「過ぐしてまし」反実仮想の構文。4.5.7
注釈600なかなか過ごしてまし大島本は「すこして」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「過ぐして」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.5.7
注釈601夜明け方近く「朝霧の晴れ間も待たず」に係る。4.5.9
注釈602かたみにうち出でたまふことなくて背き背きに嘆き明かして挿入句。『源注拾遺』は「我が背子をいづく行かめとさき竹の背向(そがひ)に寝しく今し悔しも」(万葉集巻七)指摘。4.5.9
注釈603いと心づきなしと思せど主語は雲居雁。4.5.9
注釈604漏りて聞きつけらる雲居雁の耳に入る。「らる」尊敬の助動詞。4.5.9
注釈605いつとかはおどろかすべき明けぬ夜の--夢覚めてとか言ひしひとこと夕霧から落葉宮への贈歌。宮の「あさましき夢の世をすこしも思ひ覚ます折あらば」と言った言葉を受けて詠み贈る。4.5.10
注釈606上より落つる『源氏釈』は「いかにしていかに住むらむ奥山の上より落つる音無の滝」(出典未詳)を指摘。4.5.11
注釈607とや書いたまひつらむ大島本は「かい給つらむ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「書いたまへらむ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。『弄花抄』は「双紙詞歟いかてよからんと夕霧の吟し給ふによて也」と指摘。三光院説「いかてよからんなとの給ふを雲居雁の聞とかめて文の内を推し給ふ也」。『評釈』は「語り手の注釈である」と注す。4.5.12
注釈608いかでよからむ『集成』は「前注に引く歌(源氏釈所引歌)とは別の引歌があるかとも考えられるが、「いかにしていかによからむ」の調べにならって口ずさんだものか」と注す。4.5.12
注釈609御返り事をだに見つけてしがな。なほ、いかなることぞ雲居雁の心中。4.5.12
出典15 小倉の山 秋の夜の月の光し明かければ暗部の山も越えぬべらなり 古今集秋上-一九五 在原元方 4.5.1
出典16 上より落つる いかにしていかによるらむ小野山の上より落つる音無の滝 源氏釈所引-出典未詳 4.5.11
4.6
第六段 落葉宮の返歌が届く


4-6  Yugiri gets a reply from Ochiba-no-Miya

4.6.1  日たけてぞ持て参れる。紫のこまやかなる紙すくよかにて、小少将ぞ、例の聞こえたる。ただ同じさまに、 かひなきよしを書きて
 日が高くなってから返事を持って参った。紫の濃い紙が素っ気ない感じで、小少将の君が、いつものようにお返事申し上げた。いつもと同じで、何の甲斐もないことを書いて、
 朝おそくなってから小野の返事が来た。濃い紫色の、堅苦しい紙へ例の少将が書いたものであった。今日もまた自分たちの力で宮をお動かしすることのできなかったことが書かれてあって、
  Hi take te zo mo'te mawire ru. Murasaki no komayaka naru kami sukuyoka nite, Ko-Seusyau zo, rei no kikoye taru. Tada onazi sama ni, kahinaki yosi wo kaki te,
4.6.2  「 いとほしさにかのありつる御文に手習ひすさびたまへるを盗みたる」
 「お気の毒なので、あの頂戴したお手紙に、手習いをしていらしたのをこっそり盗みました」
 お気の毒に存じますものですから、あなた様のお手紙へむだ書きをあそばしたのを盗んでまいりました。
  "Itohosisa ni, kano arituru ohom-humi ni, tenarahi susabi tamahe ru wo nusumi taru."
4.6.3  とて、中に ひき破りて入れたる、「 目には見たまうてけり」と、思すばかりのうれしさぞ、 いと人悪ろかりける。そこはかとなく書きたまへるを、 見続けたまへれば
 とあって、中に破いて入っていたが、「御覧になったのだ」と、お思いになるだけで嬉しいとは、とても体裁の悪い話である。とりとめもなくお書きになっているのを、見続けていらっしゃると、
 と書いて、中へその所だけを破ったのが入れてあった。読んでだけはもらえたのであるということでうれしくなる大将の心もみじめなものである。むだ書きふうにお書きになったお歌は、骨を折って読んでみると、
  tote, naka ni hiki-yari te ire taru, "Me ni ha mi tamau te keri." to, obosu bakari no uresisa zo, ito hito warokari keru. Sokohakatonaku kaki tamahe ru wo, mi tuduke tamahe re ba,
4.6.4  「 朝夕に泣く音を立つる小野山は
   絶えぬ涙や音無の滝
 「朝な夕なに声を立てて泣いている小野山では
  ひっきりなしに流れる涙は音無の滝になるのだろうか
  朝夕に泣くを立つる小野山は
  たえぬ涙や音無しの滝
    "Asayuhu ni naku ne wo taturu Wonoyama ha
    taye nu namida ya Otonasi-no-taki
4.6.5   とや、とりなすべからむ、古言など、もの思はしげに書き乱りたまへる、御手なども見所あり。
 とか、読むのであろうか、古歌などを、悩ましそうに書き乱れていらっしゃる、ご筆跡なども見所がある。
 と解すべきものらしい。また寂しいお心に合いそうな古歌などの書かれてある宮のお字は美しかった。
  to ya, torinasu bekara m, hurukoto nado, mono omohasige ni kaki midari tamahe ru, ohom-te nado mo midokoro ari.
4.6.6  「 人の上などにて、かやうの好き心思ひ焦らるるは、もどかしう、うつし心ならぬことに見聞きしかど、 身のことにては、げにいと堪へがたかるべきわざなりけり。あやしや。など、かうしも思ふべき心焦られぞ」
 「他人の事などで、このような浮気沙汰に心焦がれているのは、はがゆくもあり、正気の沙汰でもないように見たり聞いたりしていたが、自分の事となると、なるほどまことに我慢できないものであるなあ。不思議だ。どうして、こんなにもいらいらするのだろう」
 他人のことで、こんなことを夢中になるまでの関心をもって楽しんだり、悲しんだりしているのを、歯がゆく病的なことに思っていたが、自分のことになると恋する心は堪えがたいものである、どうしてこうまでになったのか
  "Hito no uhe nado nite, kayau no sukigokoro omohi ira ruru ha, modokasiu, utusigokoro nara nu koto ni mi kiki sika do, mi no koto nite ha, geni ito tahe gatakaru beki waza nari keri. Ayasi ya! Nado, kau simo omohu beki kokoroirare zo."
4.6.7  と思ひ返したまへど、えしもかなはず。
 と反省なさるが、思うにまかせない。
 と反省をしようとするのであるが、それもできないことであった。
  to omohi kahesi tamahe do, e simo kanaha zu.
注釈610かひなきよしを書きて宮の返事が頂けない旨を書いて。4.6.1
注釈611いとほしさに以下「盗みたる」まで、小少将の君の文言。4.6.2
注釈612かのありつる御文に『完訳』は「以前夕霧が贈った手紙の余白に、宮が古歌や自作の歌を書きつけた。小少将がその部分をひそかに盗んで破り、同封してきた」と注す。4.6.2
注釈613手習ひすさびたまへるを主語は落葉宮。4.6.2
注釈614ひき破りて入れたる大島本は「入たる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「入たり」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。4.6.3
注釈615目には見たまうてけり夕霧の心中。完了の助動詞「て」確述。過去助動詞「けり」詠嘆。驚嘆のニュアンス。4.6.3
注釈616いと人悪ろかりける『休聞抄』は「双」と指摘。『完訳』は「語り手の夕霧への評語」と注す。4.6.3
注釈617見続けたまへれば『集成』は「文句を続けてご覧になると」。『完訳』は「散らし書きの文字を継いで」と訳す。4.6.3
注釈618朝夕に泣く音を立つる小野山は--絶えぬ涙や音無の滝落葉宮の手習歌。『完訳』は「亡母追慕の歌」と注す。『大系』は「恋ひ侘びぬ音をだに泣かむ声立てていづれなるらむ音無の滝」(拾遺集恋二、七四九、読人しらず)を指摘。4.6.4
注釈619とやとりなすべからむ夕霧と語り手の視点が一体化した表現。4.6.5
注釈620人の上などにて以下「心焦られそ」まで、夕霧の心中。「人の上」は柏木のことをさす。4.6.6
注釈621身のことにては夕霧、我が身を反省。4.6.6
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 7/20/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/31/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年5月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

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Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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