第三十九帖 夕霧


39 YUHUGIRI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十歳秋から冬までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from fall to winter, at the age of 50

5
第五章 落葉宮の物語 夕霧執拗に迫る


5  Tale of Ochiba-no-Miya  Yugiri presses Ochiba-no-Miya for a marriage

5.1
第一段 源氏や紫の上らの心配


5-1  Genji and Murasaki are anxious about Yugiri's vehavior

5.1.1  六条院にも聞こし召して、 いとおとなしうよろづを思ひしづめ、人のそしりどころなく、めやすくて過ぐしたまふを、おもだたしう、 わがいにしへ、すこしあざればみ、あだなる名を取りたまうし 面起こしにうれしう思しわたるを
 六条院にもお聞きあそばして、とても落ち着いていて何につけ冷静で、人の非難もなく、無難に過ごしていらっしゃるのを、誇りに思い、自分の若いころ、少し風流すぎて、好色家だという評判をおとりになった名誉回復に、嬉しくお思い続けていらしたが、
 六条院も大将の恋愛問題をお聞きになって、この人がなんらの浮いたこともせず、批難のしようもない堅実な人物であることに満足しておいでになって、御自身の青春時代に好色な評判を多少お取りになった不面目をこの人がつぐなってくれるもののように思っておいでになったことが裏切られていくような寂しさをお感じになった。
  Rokudeu-no-Win ni mo kikosimesi te, ito otonasiu yorodu wo omohi sidume, hito no sosiri dokoro naku, meyasuku te sugusi tamahu wo, omodatasiu, waga inisihe, sukosi azarebami, ada naru na wo tori tamau si omoteokosi ni, uresiu obosi wataru wo,
5.1.2  「 いとほしう、いづ方にも心苦しきことのあるべきこと。 さし離れたる仲らひにてだにあらで大臣なども、いかに思ひたまはむ。 さばかりのこと、たどらぬにはあらじ。宿世といふもの、逃れわびぬることなり。ともかくも口入るべきことならず」
 「かわいそうに、どちらにとってもお気の毒なことがきっとあるだろうことよ。赤の他人の間でさえなく、大臣なども、どのようにお思いになろうか。それくらいのこと、分からないではないだろう。宿世というものからは、逃れられないのだ。とやかく口を出すべきことではない」
 この事件の気の毒な影響から双方で犠牲を払う結果になるのであろう、全然関係のないところの女性ではなくて、妻の兄の未亡人の宮との問題であるから、しゅうとの大臣などもどう思うことであろう、それほどの思慮を持たないのではあるまいが、宿命というものから人はのがれられずに起こってきたことであろう、ともかくも自分の干渉すべきことでない
  "Itohosiu, idukata ni mo kokorogurusiki koto no aru beki koto. Sasi-hanare taru nakarahi nite dani ara de, Otodo nado mo, ikani omohi tamaha m? Sabakari no koto, tadora nu ni ha ara zi. Sukuse to ihu mono, nogare wabi nuru koto nari. Tomokakumo kuti iru beki koto nara zu."
5.1.3  と思す。女のためのみにこそ、いづ方にも いとほしけれと、あいなく聞こしめし嘆く
 とお思いになる。女の身にとっては、どちらに対してもお気の毒だと、困った事にお聞きあそばしてお心をお痛めになる。
 と院はお考えになった。結局双方とも婦人の損になることで気の毒であると歎いておいでになるのであった。
  to obosu. Womna no tame nomi ni koso, idukata ni mo itohosikere to, ainaku kikosimesi nageku.
5.1.4  紫の上にも、来し方行く先のこと 思し出でつつかうやうのためしを聞くにつけても、 亡からむ後、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、御顔うち赤めて、「 心憂く、さまで後らかしたまふべきにや」と思したり。
 紫の上に対しても、今までのことや将来のことをお考えになりながら、このような噂を聞くにつけても、亡くなった後、不安にお思い申し上げる様子をおっしゃると、お顔をぽっと赤らめて、「情けないこと。そんなに長く後にお残しなさるおつもりか」とお思いになっていた。
 御自身の経験されたことに照らして見、また大将のこの現状によって、きのちの世が不安になったことを紫夫人にお言いになると女王にょおうは顔を赤くして自分があとに残らねばならぬほど、早くこの世から去っておしまいになる心でおいでになるのであろうかと恨めしく思うふうであった。
  Murasaki-no-Uhe ni mo, kisikata yukusaki no koto obosi ide tutu, kau yau no tamesi wo kiku ni tuke te mo, nakara m noti, usirometau omohi kikoyuru sama wo notamahe ba, ohom-kaho uti-akame te, "Kokorouku, samade okurakasi tamahu beki ni ya?" to obosi tari.
5.1.5  「 女ばかり、身をもてなすさまも所狭う、あはれなるべきものはなし。もののあはれ、折をかしきことをも、見知らぬさまに引き入り沈みなどすれば、 何につけてか、世に経る映えばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは。
 「女ほど、身の処し方も窮屈で、痛ましいものはない。ものの情趣も、折にふれた興趣深いことも、見知らないふうに身を引いて黙ってなどいては、いったい何によって、この世に生きている晴れがましさを味わい、無常なこの世の所在なさをも慰めることができよう。
 女ほど窮屈なものはありませんね。心のかれることも、恋しい感情も皆おさえて知らぬふうをしておとなしくしていなければならないのでは生きがいもなし、人生の退屈さと悲哀とを紛らすことができないではありませんか。
  "Womna bakari, mi wo motenasu sama mo tokoroseu, ahare naru beki mono ha nasi. Mono no ahare, wori wokasiki koto wo mo, misira nu sama ni hikiiri sidumi nado sure ba, nani ni tuke te ka, yo ni huru hayebayesisa mo, tune naki yo no turedure wo mo nagusamu beki zo ha.
5.1.6  おほかた、ものの心を知らず、いふかひなきものにならひたらむも、 生ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや
 だいたい、ものの道理も弁えないで、つまらない者のようになってしまったのでは、育てた親も、とても残念に思うはずではないか。
 そうかといって感情に乏しい女になっては無価値だし、どうしてこんなふうに育ったのかと親さえも軽蔑けいべつしたくなりますからね。
  Ohokata, mono no kokoro wo sira zu, ihukahinaki mono ni narahi tara m mo, ohositate kem oya mo, ito kutiwosikaru beki mono ni ha ara zu ya!
5.1.7  心にのみ籠めて、 無言太子とか、小法師ばらの 悲しきことにする昔のたとひのやうに、悪しきこと善きことを思ひ知りながら、埋もれなむも、いふかひなし。わが心ながらも、良きほどには、いかで保つべきぞ」
 心の中にばかり思いをこめて、無言太子とか言って、小法師たちが辛い修行の例とする昔の喩えのように、悪い事良い事を弁えながら、口に出さずにいるのは、つまらない。自分ながらも、ほど好い身の処し方をするには、どのようにしたらよいものか」
 ただ心でだけ思って、お坊様が気の毒がる無言太子のようになって、細かな感情も動きながら黙っていなければならない人にするのも無慈悲な親になる。こうであればああであり、それであればこうになる、どうして中庸を得るようにすればいいかと、そんなことを私が考えるのも、他の女性のためではなく女一にょいちみやを完全な女性にしたいからですよ」
  Kokoro ni nomi kome te, Mugon-Taisi to ka, kobohusibara no kanasiki koto ni suru mukasi no tatohi no yau ni, asiki koto yoki koto wo omohi siri nagara, udumore na m mo, ihukahinasi. Waga kokoro nagara mo, yoki hodo ni ha, ikade tamotu beki zo."
5.1.8  と思しめぐらすも、 今はただ女一の宮の御ためなり
 とご思案なさるのも、今はただ女一の宮の御身のためを思ってのことである。
 と院は言っておいでになった。
  to obosi megurasu mo, ima ha tada Womna-Iti-no-Miya no ohom-tame nari.
注釈622いとおとなしう以下「口入るべきことならず」まで、源氏の心中。前半、源氏の心中と地の文とが混合した表現。「いとほしう」以下が直接心中文。5.1.1
注釈623わがいにしへすこしあざればみあだなる名を取りたまうし源氏、好色の半生を振り返り反省する。「たまうし」という敬語表現が混在する。5.1.1
注釈624面起こしに夕霧を我が不名誉を挽回してくれた子だと賞賛。5.1.1
注釈625うれしう思しわたるを「思し」という敬語が混在。5.1.1
注釈626いとほしう、いづ方にも以下、純粋な源氏の心中文となる。雲居雁に対してもまた落葉宮に対しても。5.1.2
注釈627さし離れたる仲らひにてだにあらで夕霧と雲居雁と落葉宮の関係。致仕太政大臣から見れば、夕霧は我が甥であり、娘雲居雁の夫、落葉宮は我が子柏木の妻であった人。その女性に甥であり娘婿である夕霧が懸想をしている、ということ。5.1.2
注釈628大臣なども致仕太政大臣。5.1.2
注釈629さばかりのこと、たどらぬにはあらじ『完訳』は「大将がそれくらいのことことは考えつかぬわけでもあるまい」と訳す。主語は夕霧。5.1.2
注釈630いとほしけれと、あいなく聞こしめし嘆く『集成』は「困ったことになったものだと、そんなことにまで気を廻してこの話を心配なさる」と訳す。5.1.3
注釈631思し出でつつ主語は源氏。5.1.4
注釈632亡からむ後うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば源氏が亡くなった後のこと、後に遺された紫の上の身の上を落葉宮のようになりはせぬかと、心配する。5.1.4
注釈633心憂く、さまで後らかしたまふべきにや紫の上の心中。『源注余滴』は「限りなき雲居のよそに別るとも人を心におくらさむやは」(古今集離別、三六七、読人しらず)を指摘する。5.1.4
注釈634女ばかり身をもてなすさまも所狭うあはれなるべきものはなし以下「いかで保つべきぞ」まで、紫の上の心中。『集成』は「落葉の宮に同情する紫の上の思い」。『完訳』は「宮と雲居雁へお同情から、一般論を導く」と注す。5.1.5
注釈635何につけてか係助詞「か」は「慰むべきぞは」に係る。反語表現。「は」終助詞、詠嘆の意。5.1.5
注釈636生ほしたてけむ親もいと口惜しかるべきものにはあらずや『伊行釈』は「かかる身に生ほし立てけむたらちねのおやさへつらき恋をするかな」(出典未詳)。『源注拾遺』は「たらちねの親もつらしなかくばかり思ひに迷ふ世にとどめたる」(新撰万葉集下)と「身の憂きに思ひあまりのはてはては親さへつらきものにぞありける」(玉葉集恋五、一七七二、藤原慶子)を指摘。5.1.6
注釈637無言太子とか「仏説太子慕魄経」に見える。5.1.7
注釈638悲しきことにする昔のたとひのやうに『集成』は「つらい無言の行を引合に出す昔の言い伝えのように」と訳す。5.1.7
注釈639今はただ女一の宮の御ためなり『評釈』は「作者は、女一の宮を考えてであると弁解した。つまりここは、紫の上の心に託して作者が自身の心を書き過ぎたため、言いわけのつもりなのである」と注す。女一宮は明石女御が生んだ今上の第一皇女。紫の上が手もとに引き取って養育している(若菜下)。5.1.8
校訂19 かうやう かうやう--か(か/+う<朱>)やう 5.1.4
5.2
第二段 夕霧、源氏に対面


5-2  Yugiri meets Genji

5.2.1  大将の君、参りたまへるついでありて、 思ひたまへらむけしきもゆかしければ
 大将の君が、参上なさった機会があって、悩んでいらっしゃる様子も知りたいので、
 夕霧が六条院へ来た時に、実状を知りたく思召おぼしめす心から、院が、
  Daisyau-no-Kimi, mawiri tamahe ru tuide ari te, omohi tamahe ra m kesiki mo yukasikere ba,
5.2.2  「 御息所の忌果てぬらむな。昨日今日と思ふほどに、 三年よりあなたのことになる世にこそあれ。あはれに、あぢきなしや。 夕べの露かかるほどのむさぼりよ 。いかでかこの髪剃りて、よろづ背き捨てむと思ふを、さものどやかなるやうにても過ぐすかな。いと悪ろきわざなりや」
 「御息所の忌中は明けたのだろうね。昨日今日と思っているうちに、三年以上の昔になる世の中なのだ。ああ、悲しく味気ないものだ。夕方の露がかかっている間の寿命を貪っているとは。何とかこの髪を剃って、何もかも捨て去ろうと思うが、なんといつまでものんびりと過ごしていることか。まことに悪いことだ」
 「御息所みやすどころいみがもう済んだだろうね。時はずんずんとたつからね。私が遁世とんせいの望みを持ち始めた時からももう三十年たっている。味気ないことだ。夕べの露にも異ならない命を持って安んじていられるわけはないのだからね。どうかして髪をり落としたいと望みながらのんきなふうを装っている。これはいけないことだね」
  "Miyasumdokoro no imi hate nu ram na! Kinohu kehu to omohu hodo ni, mi-tose yori anata no koto ni naru yo ni koso are. Ahare ni, adikinasi ya! Yuhube no tuyu kakaru hodo no musabori yo! Ikadeka kono kami sori te, yorodu somuki sute m to omohu wo, samo nodoyaka naru yau nite mo sugusu kana! Ito waroki waza nari ya!"
5.2.3  とのたまふ。
 とおっしゃる。
 こんな話をおしかけになった。
  to notamahu.
5.2.4  「 まことに惜しげなき人だにこそ、はべめれ」など聞こえて、「 御息所の四十九日のわざなど大和守なにがしの朝臣、一人扱ひはべる、いとあはれなるわざなりや。はかばかしきよすがなき人は、生ける世の限りにて、かかる世の果てこそ、悲しうはべりけれ」
 「ほんとうに、惜しくない人でさえ、めいめい離れがたく思っている人の世でございましょう」などと申し上げて、「御息所の四十九日の法事など、大和守某朝臣が、独りでお世話致しますのは、とてもお気の毒なことです。しっかりした縁者がいない方は、生きている間だけのことで、このような死後は、悲しゅうございます」
 「不幸ばかりで、もうこの世に未練はなかろうと思われます人でも、さて遁世はなかなかできないものらしいのでございますから、あなた様などは御無理もございません」などと言って、また大将は、「御息所の四十九日の仏事のことなども大和守やまとのかみ一人の手でやっております。気の毒なことでございます。よい身寄りのない人は自身についた幸福だけで生きている間はよろしゅうございますが、死んだあとになってみますと気の毒なものです」
  "Makoto ni wosige naki hito dani koso, habe' mere." nado kikoye te, "Miyasumdokoro no nana-nanu-ka no waza nado, Yamato-no-Kami Nanigasi-no-Asom, hitori atukahi haberu, ito ahare naru waza nari ya! Hakabakasiki yosuga naki hito ha, ike ru yo no kagiri nite, kakaru yo no hate koso, kanasiu haberi kere."
5.2.5  と、聞こえたまふ。
 と、お申し上げになる。
 とも言った。
  to, kikoye tamahu.
5.2.6  「 院よりも弔らはせたまふらむ。かの皇女、いかに思ひ嘆きたまふらむ。はやう聞きしよりは、 この近き年ごろ、ことに触れて聞き見るに、 この更衣こそ、口惜しからずめやすき人のうちなりけれ。おほかたの世につけて、惜しきわざなりや。 さてもありぬべき人の、かう亡せゆくよ。
 「朱雀院からも御弔問があるだろう。あの内親王、どんなにお嘆きでいらっしゃるだろう。昔聞いていた時よりは、つい最近、何かにつけ聞いたり見たりするに、この更衣は、しっかりした無難な人の中に入っていた。世間一般のことにつけて、惜しいことをしたものだ。生きていてもよいと思う方が、このように亡くなってゆくことよ。
 「御息所の仏事は院からもお世話をあそばすだろうよ。女二にょにみやはどんなに悲しんでおいでになることだろう。その当時はよくわからなかったが、近年になって事に触れて私の見たところではあの御息所は相当にりっぱな人らしい。
  "Win yori mo toburaha se tamahu ram. Kano Miko, ikani omohi nageki tamahu ram. Hayau kiki si yori ha, kono tikaki tosigoro, koto ni hure te kiki miru ni, kono Kaui koso, kutiwosikara zu meyasuki hito no uti nari kere. Ohokata no yo ni tuke te, wosiki waza nari ya! Satemo ari nu beki hito no, kau use yuku yo!
5.2.7  院も、いみじう驚き思したりけり。かの皇女こそは、ここにものしたまふ入道の宮よりさしつぎには、らうたうしたまひけれ。人ざまもよくおはすべし」
 朱雀院も、ひどく驚きお悲しみになっていた。あの内親王は、ここにいらっしゃる入道の宮の次には、かわいがっていらっしゃった。人柄も良くいらっしゃるのだろう」
 院の後宮の才女には違いなかった。そんな人のくなっていくことは惜しい。生きておればよいと思う人がそんなふうに皆死んでゆくではないか。院もお悲しみになったということだ。あの宮さんはここに来ておられる宮さんに次いでの御愛子だったのだよ。きっとごりっぱだろう」
  Win mo, imiziu odoroki obosi tari keri. Kano Miko koso ha, koko ni monosi tamahu Nihudau-no-Miya yori sasitugi ni ha, rautau si tamahi kere. Hitozama mo yoku ohasu besi."
5.2.8  とのたまふ。
 とおっしゃる。

  to notamahu.
5.2.9  「 御心はいかがものしたまふらむ。御息所は、こともなかりし人のけはひ、 心ばせになむ親しううちとけたまはざりしかど、はかなきことのついでに、おのづから人の用意はあらはなるものになむはべる」
 「お気立てはどのようでいらっしゃいましょう。御息所は、申し分のない人柄や、気立てでいらっしゃいました。親しく気をお許して接したわけではありませんでしたが、ちょっとした事の機会に、自然と人の心配りというものがよく分かるものでございます」
 「さあ宮様はどんな方でございますか。御息所は無難な女性と見受けました。そう親密につきあっていたのではございませんが、しかし、何でもない時に人格の片影は見えるものでございますからね」
  "Mi-kokoro ha ikaga monosi tamahu ram? Miyasumdokoro ha, koto mo nakari si hito no kehahi, kokorobase ni nam. Sitasiu utitoke tamaha zari sika do, hakanaki koto no tuide ni, onodukara hito no youi ha araha naru mono ni nam haberu."
5.2.10  と聞こえたまひて、 宮の御こともかけず、いとつれなし
 とお申し上げになって、宮の御事は口にかけず、まったく素知らぬふりをしている。
 などと言って、女二の宮のことを話題にせず大将は素知らぬふうを見せているのである。
  to kikoye tamahi te, Miya no ohom-koto mo kake zu, ito turenasi.
5.2.11  「 かばかりのすくよけ心に思ひそめてむこと、諌めむにかなはじ。用ゐざらむものから、我賢しに言出でむもあいなし」
 「これほどの一本気の性格の者が思い染めたことは、忠告しても聞き入れないだろう。聞き入れもしないだろうことを分かっていながら、自分が分別くさく口を出してもしようがない」
 これほど強い心でしている恋は、親の言葉くらいで思いとどまらせえられるものでない、用いない忠告を賢げに言うのもおもしろいことではないとお思いになって、
  "Kabakari no sukuyoke-gokoro ni omohi some te m koto, isame m ni kanaha zi. Motiwi zara m monokara, ware-sakasi ni koto ide m mo ainasi."
5.2.12  と思して止みぬ。
 とお思いになっておやめになった。
 院は何の勧告をもあそばさなかった。
  to obosi te yami nu.
注釈640思ひたまへらむけしきもゆかしければ主語は源氏。夕霧が悩んでいる様子を。5.2.1
注釈641御息所の忌果てぬらむな以下「いと悪ろきわざなりや」まで、源氏の詞。5.2.2
注釈642三年みそとせ横山本・池田本・三条西家本 『集成』は「三十年」と校訂し「人の死後、月日のたつことの早さをいう当時の諺と思われる。朝顔の巻にも同様の表現がある」と注す。5.2.2
注釈643夕べの露かかるほどのむさぼりよ「朝の露に名利を貪り、夕の陽に子孫を憂ふ」(白氏文集、不致仕)。5.2.2
注釈644まことに惜しげなき人だにこそ、はべめれ大島本は「たにこそはへめれ」とある。『集成』『完本』は底本に従って「人だにおのがじしは離れがたく思ふ世にこそはべめれ」と「おのがじしは離れがたく思ふ世に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。夕霧の詞。5.2.4
注釈645御息所の四十九日のわざなど以下「悲しうはべりけれ」まで、夕霧の詞。5.2.4
注釈646大和守なにがしの朝臣一人夕霧の詞。大和守某朝臣一人。「某」は実名を語り手が朧化した表現。5.2.4
注釈647院よりも以下「人ざまもよくおはすべし」まで、源氏の詞。『集成』は「夕霧の言葉を受けて、院からのお世話もあろうから御息所の御法事に疎漏はあるまい、と言う」。『完訳』は「以下、源氏は遠まわしに、夕霧の反応を試そうとする」と注す。5.2.6
注釈648この近き年ごろ柏木の死後。5.2.6
注釈649この更衣こそ一条御息所。5.2.6
注釈650さてもありぬべき人の『集成』は「もっと生きていて欲しい人が」。『完訳』は「まずまずと思うような人が」と訳す。5.2.6
注釈651御心はいかがものしたまふらむ以下「ものになむはべる」まで、夕霧の詞。『完訳』は「夕霧は誘導尋問をかわし、御息所の話題に転換」と注す。推量の助動詞「らむ」視界外推量、夕霧の空とぼけ。5.2.9
注釈652心ばせになむ係助詞「なむ」の下に「おはしき」などの語句が省略された形。5.2.9
注釈653親しううちとけたまはざりしかど『完訳』は「親しく話を交わしたことがあるのに、そらとぼけて言う」と注す。5.2.9
注釈654宮の御こともかけずいとつれなし『集成』は「源氏の目に映じた夕霧の態度」と注す。5.2.10
注釈655かばかりのすくよけ心に以下「あいなし」まで、源氏の感想。5.2.11
出典17 夕べの露 朝露貪名利 夕陽憂子孫 白氏文集二-七九「不致仕」 5.2.2
5.3
第三段 父朱雀院、出家希望を諌める


5-3  Suzaku advises Ochiba-no-Miya not to be a nun

5.3.1  かくて 御法事に、よろづとりもちてせさせたまふ。事の聞こえ、おのづから隠れなければ、大殿などにも聞きたまひて、「 さやはあるべき」など、女方の心浅きやうに思しなすぞ、 わりなきや。かの 昔の御心あれば君達、参で訪らひたまふ
 こうしてご法事に、万端を取り仕切っておさせなさる。その評判は、自然に知れることなので、大殿などにおかれてもお聞きになって、「そんなことがあって良いことか」などと、妻方が思慮が浅いようにお考えになるのは、困ったことである。あの故人とのご縁もあるので、ご子息たちも、ご法要に参集なさる。
 大将は御息所の法事をするのにあらゆる尽力をしていた。こんなことはすぐに評判になるもので、太政大臣家へも聞こえていった。不都合な話であると女性の側の悪いようにそこでは言われておいでになる宮がお気の毒である。法事の当日は昔の縁故で大臣家の子息たちも参会した。
  Kakute ohom-hohuzi ni, yorodu torimoti te se sase tamahu. Koto no kikoye, onodukara kakure nakere ba, Ohoi-Dono nado ni mo kiki tamahi te, "Sa yaha aru beki." nado, Womna-gata no kokoroasaki yau ni obosi nasu zo, warinaki ya! Kano mukasi no mi-kokoro are ba, Kimdati, ma'de toburahi tamahu.
5.3.2  誦経など、殿よりもいかめしうせさせたまふ。これかれも、さまざま劣らずしたまへれば、時の人のかやうのわざに劣らずなむありける。
 読経など、大殿からも盛大におさせになる。誰も彼も、いろいろ負けず劣らずなさったので、時めく人のこのような法事に負けないほどであった。
 派手はで誦経ずきょうの寄付が大臣からもあった。寄付はまだほかからも多く来た。競争的にこうしたことをするのが今日の流行である。
  Zukyau nado, Tono yori mo ikamesiu se sase tamahu. Kore kare mo, samazama otora zu si tamahe re ba, toki no hito no kayau no waza ni otora zu nam ari keru.
5.3.3   宮は、かくて住み果てなむと思し立つことありけれど、院に、人の漏らし奏しければ、
 宮は、このまま小野で一生を送ろうとご決心なさったことがあったが、朱雀院に、誰かがそっとお告げ申し上げたので、
 宮はこのまま小野の山荘で遁世とんせいの身になっておしまいになる志望がおありになったのであるが、御寺みてらの院にこのことをお報じ申し上げた人があって、
  Miya ha, kakute sumi hate na m to obosi tatu koto ari kere do, Win ni, hito no morasi sousi kere ba,
5.3.4  「 いとあるまじきことなりげに、あまた、とざまかうざまに身をもてなしたまふべきことにもあらねど、後見なき人なむ、なかなかさるさまにて、 あるまじき名を立ち、罪得がましき時、 この世後の世、中空にもどかしき咎負ふわざなる。
 「それはとんでもないことです。なるほど、何人とも、あれこれと身の関わりをお持ちになることは良いことではないが、後見のない人は、なまじ尼姿になってから、けしからぬ噂がたち、罪を得るような時、現世も来世も、どっちつかずの非難されるというものです。
 「そんなことはよろしくない。皆がいろいろな変わった境遇にいることも望ましいことではないが、保護者のない者が尼になったために、かえって浮いた名を立てられることがあったり、俗でいる以上に煩悩を作らなければならないことができたりしては、この世の幸福も未来の幸福も共に無にしてしまうことになる。
  "Ito arumaziki koto nari. Geni, amata, tozama-kauzama ni mi wo motenasi tamahu beki koto ni mo ara ne do, usiromi naki hito nam, nakanaka saru sama nite, arumaziki na wo tati, tumi e-gamasiki toki, kono yo noti no yo, nakazora ni modokasiki toga ohu waza naru.
5.3.5  ここにかく世を捨てたるに、三の宮の同じごと身をやつしたまへる、 すべなきやうに人の思ひ言ふも、捨てたる身には、思ひ悩むべきにはあらねど、かならずさしも、やうのことと争ひたまはむも、うたてあるべし。
 自分がこのように世を捨てているのに、三の宮が同じように出家なさったのを、何ともなす手がないように人が思ったり言ったりするのも、世を捨てた身には、思い悩むべきことではないが、必ずそんなにも、同じように競って出家なさるのも、感心しないことでしょう。
 自分が僧になっている上に、三の宮が出家をしている。今また二の宮が同じことをしては、子孫の絶えていく一家と見られるのも、世の中を捨てた自分にとってはかまわないことであるが、必ずしもまた今競って出家は実現するに及ばないことだということは自分にもできる。
  Koko ni kaku yo wo sute taru ni, Sam-no-Miya no onazi goto mi wo yatusi tamahe ru, sube naki yau ni hito no omohi ihu mo, sute taru mi ni ha, omohi nayamu beki ni ha ara ne do, kanarazu sasimo, yau no koto to arasohi tamaha m mo, utate aru besi.
5.3.6   世の憂きにつけて厭ふは、なかなか人悪ろきわざなり。 心と思ひ取る方ありて、今すこし思ひ静め 、心澄ましてこそ、ともかうも」
 世の辛さに負けて世を厭うのは、かえって体裁の悪いことです。自分でしっかり考えて、もう少し冷静になって、心を澄ましてから、どうなりとも」
 不幸な時にこの世を捨てることをするのは見苦しいものである。自然に悟りができてくる時節を待って、冷静に判断をしてしなければならぬことです」
  Yo no uki ni tuke te itohu ha, nakanaka hito waroki waza nari. Kokoro to omohi toru kata ari te, ima sukosi omohi-sidume, kokoro sumasi te koso, tomo-kaumo."
5.3.7  とたびたび聞こえたまうけり。 この浮きたる御名をぞ聞こし召したるべき。「 さやうのことの思はずなるにつけて倦じたまへる」と言はれたまはむことを思すなりけり。さりとて、また、「 表はれてものしたまはむもあはあはしう、心づきなきこと」と、思しながら、恥づかしと思さむもいとほしきを、「 何かは、我さへ聞き扱はむ」と思してなむ、 この筋は、かけても聞こえたまはざりける。
 と度々申し上げなさった。この浮いたお噂をお耳にあそばしたのであろう。「噂のようなことが思うとおりに行かないので世をお厭いになった」と言われなさることを御心配なさったのであった。そうかといって、また、「公然と再婚なさるのも軽薄で、感心しないこと」と、お思いになりながら、恥ずかしいとお思いになるのもお気の毒なので、「どうして、自分までが噂を聞いて口出ししたりしようか」とお思いになって、このことは、全然一言もお出し申し上げなさらないのだった。
 こんな意味のことをたびたび御忠告になった。大将との恋愛事件がお耳にはいっていたのである。大将の愛が十分でないために悲観して尼になったと宮がお言われになることを院はおあやぶみになるのであった。そうとはお思いになっても公然大将の夫人になっておしまいになることを姫宮の完全な幸福とお認めになることもおできにならないのであるが、その問題に触れていっては宮が羞恥しゅうちに堪えられないであろうと思召おぼしめすとかわいそうなお気持ちがして、せめてこの際は自分だけでも知らぬ顔をしていてやりたいと思召した。
  to tabitabi kikoye tamau keri. Kono uki taru ohom-na wo zo kikosimesi taru beki. "Sayau no koto no omoha zu naru ni tuke te unzi tamahe ru." to iha re tamaha m koto wo obosu nari keri. Saritote, mata, "Arahare te monosi tamaha m mo ahaahasiu, kokorodukinaki koto." to, obosi nagara, hadukasi to obosa m mo itohosiki wo, "Nanikaha, ware sahe kiki atukaha m." to obosi te nam, kono sudi ha, kakete mo kikoye tamaha zari keru.
注釈656御法事に、よろづとりもちてせさせたまふ主語は夕霧。「せ」「させ」(使役の助動詞)「たまふ」(尊敬の補助動詞)。『完訳』は「御息所の四十九日の法事。夕霧が主宰し、大和守がこれを準備」と注す。5.3.1
注釈657さやはあるべき『集成』は「おだやかならぬことだ」。『完訳』は「そんなことがあってよいものか」「致仕の大臣は、自分が依頼されると思っていたので腹を立てる」と注す。5.3.1
注釈658わりなきや『評釈』は「作者も読みあげる女房も、聞く姫君、女君、傍らの女房たちも、女たちは皆一様に顔をあげ、悔しいため息をつく」。『集成』は「宮にとっては濡衣だというほどの気持の草子地」と注す。5.3.1
注釈659昔の御心あれば「昔」は故人柏木をさし、「御心」は御縁というほどの意。5.3.1
注釈660君達参で訪らひたまふ大島本は「きむたちまて」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「君達も」と校訂する。『新大系』は「君達まで」と整定する。柏木の弟たち。ここは法要に参列。5.3.1
注釈661宮はかくて住み果てなむと思し立つことありけれど落葉宮は小野に籠もったまま出家しようと決心。5.3.3
注釈662いとあるまじきことなり以下「ともかうも」まで、朱雀院から落葉宮への手紙文の趣旨。5.3.4
注釈663げにあまたとざまかうざまに身をもてなしたまふべきことにもあらねど「げに」は落葉宮が夕霧を避けて出家したいと言った趣旨を受けたもの。『集成』は「柏木との結婚、そして夕霧とのことを婉曲に言ったもの」と注す。5.3.4
注釈664あるまじき名を立ち『完訳』は「夕霧と宮の仲は断ち切れまいとも懸念し、さらには尼の身で愛欲の罪を犯すのを恐れる」と注す。5.3.4
注釈665この世後の世中空に現世における幸福、来世における極楽往生、どちらも得ることなく、中途半端におわる。5.3.4
注釈666すべなきやうに人の思ひ言ふも大島本は「すへなき」とある。『集成』『完本』は「末(すゑ)なき」と整定する。『新大系』は「すべなき」とする。父親娘揃って出家したことを指していう。5.3.5
注釈667世の憂きにつけて厭ふは『完訳』は「夕霧の言い寄る時に出家するのは、かえってよからぬ噂が立つ、の気持」と注す。5.3.6
注釈668心と思ひ取る方ありて今すこし思ひ静め大島本は「心とおもひしつめ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心と思ひ取る方ありて今すこし思ひ静め」と「取る方ありて今すこし」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。5.3.6
注釈669この浮きたる御名をぞ聞こし召したるべき『細流抄』は「草子地也」と指摘。『全集』は「朱雀院の文面の背後を補足説明した語り手のことば」と注す。5.3.7
注釈670さやうのことの思はずなるにつけて倦じたまへると『集成』は「夕霧との間に実事があり、その後、夕霧の態度が煮えきらないので出家したと世間に取り沙汰されることを朱雀院は心配する」と注す。5.3.7
注釈671表はれてものしたまはむも公然と夕霧と再婚すること。5.3.7
注釈672何かは、我さへ聞き扱はむ朱雀院の心中。夕霧のことをはっきりと言えば、落葉の宮が恥ずかしく思うのが、気の毒だ、という気持ち。5.3.7
注釈673この筋は夕霧の件をさす。5.3.7
校訂20 思ひ取る方ありて、今すこし思ひ静め 思ひ取る方ありて、今すこし思ひ静め--*おもひしつめ 5.3.6
5.4
第四段 夕霧、宮の帰邸を差配


5-4  Yugiri orders men to prepare for Ochiba-no-Miya's move

5.4.1  大将も、
 大将も、
 大将も
  Daisyau mo,
5.4.2  「 とかく言ひなしつるも、今はあいなし。 かの御心に許したまはむことは、難げなめり。御息所の心知りなりけりと、人には知らせむ。 いかがはせむ。亡き人にすこし浅き咎は思はせて、いつありそめしことぞともなく、紛らはしてむ。さらがへりて、懸想だち、涙を尽くしかかづらはむも、いとうひうひしかるべし」
 「あれこれと言ってみたが、今は無駄なことだ。宮のお心ではお聞き入れなさることは、難しいことのようだ。御息所が承知済みであったと、世間の人には知らせよう。どうしようもない。亡くなった方に少し思慮が浅かったと罪を思わせて、いつからそうなったということもなく、分からなくさせてしまおう。年がいもなく若返って、懸想をし、涙を流し尽くして口説いたりするのも、いかにも身にふさわしからぬことだろう」
 立てられるうわさに言いわけをしてきたこれまでの態度はもう改めるほうがよい時期になったと思い、女二の宮が結婚を御承諾になるのを待つことはせずに、御息所の希望したことであったからというように世間へは思わせることにして、この場合はしかたがないから故人にちょっとした責任を負わせることくらい許してもらうことにして、いつから始まったということをあいまいにして夫婦になろう、今さら恋の涙のありたけを流して、宮のお心を動かそうと努めるのも自分に似合わしくないことである
  "Tokaku ihi nasi turu mo, ima ha ainasi. Kano mi-kokoro ni yurusi tamaha m koto ha, katage na' meri. Miyasumdokoro no kokorosiri nari keri to, hito ni ha sira se m. Ikagaha se m. Naki hito ni sukosi asaki toga ha omoha se te, itu ari some si koto zo to mo naku, magirahasi te m. Saragaheri te, kesaudati, namida wo tukusi kakaduraha m mo, ito uhiuhisikaru besi."
5.4.3  と思ひ得たまうて、 一条に渡りたまふべき日、その日ばかりと定めて、大和守召して、あるべき作法のたまひ、宮のうち払ひしつらひ、さこそいへども、女どちは、草茂う住みなしたまへりしを、磨きたるやうにしつらひなして、御心づかひなど、 あるべき作法めでたう、壁代、御屏風、御几帳、御座などまで思し寄りつつ、大和守にのたまひて、 かの家にぞ急ぎ仕うまつらせたまふ。
 と決心なさって、一条邸にお帰りになる予定の日を、何日ほどにと決めて、大和守を呼んで、しかるべき諸式をお命じになり、邸内を掃除し整え、何といっても、女世帯では、草深く住んでいらっしゃったので、磨いたように整備し直して、お気づかいぶりなどは、しかるべきやり方も立派に、壁代、御屏風、御几帳、御座所などまでお気を配りなさり、大和守にお命じになって、あちらの家で急いで準備させなさる。
 と思って、山荘を引き上げて一条のやしきへお移りになる日をおよそいつということもこちらできめた夕霧は、大和守を呼んで、大将夫人としての宮のお帰りになる儀式等についての設けを命じたのであった。邸の修理をさせ、勝ち気な御息所が旧態を保たせていたとはいうものの、行き届かない所のあった家の中を、みがき出したように美しくして、壁代かべしろ屏風びょうぶ几帳きちょう、帳台、昼の座席なども最も高雅な、洗練された趣味で製作させるように命じてあった。
  to omohi e tamau te, Itideu ni watari tamahu beki hi, sono hi bakari to sadame te, Yamato-no-Kami mesi te, aru beki sahohu notamahi, Miya no uti harahi siturahi, sakoso ihe do mo, womna-doti ha, kusa sigeu sumi nasi tamahe ri si wo, migaki taru yau ni siturahi nasi te, mi-kokorodukahi nado, aru beki sahohu medetau, kabesiro, mi-byaubu, mi-kityau, omasi nado made obosi yori tutu, Yamato-no-Kami ni notamahi te, kano ihe ni zo isogi tukaumatura se tamahu.
5.4.4  その日、我おはしゐて、 御車、御前などたてまつれたまふ。宮は、さらに渡らじと 思しのたまふを人びといみじう聞こえ、大和守も、
 その日、自分でいらっしゃって、お車や、御前駆などを差し向けなさる。宮は、どうしても帰るまいとお思いになりおっしゃるのを、女房たちが熱心に説得申し上げ、大和守も、
 当日は夕霧自身が一条に来ていて、車や前駆の役を勤める人たちを山荘へ迎えに出した。宮はどうしても帰らぬと言っておいでになるのを、女房たちは百方おなだめしていたし、大和守も意見を申し上げた。
  Sono hi, ware ohasi wi te, mi-kuruma, gozen nado tatemature tamahu. Miya ha, sarani watara zi to obosi notamahu wo, hitobito imiziu kikoye, Yamato-no-Kami mo,
5.4.5  「 さらに承らじ。心細く悲しき御ありさまを見たてまつり嘆き、 このほどの宮仕へは、堪ふるに従ひて仕うまつりぬ。
 「まったくご承知するわけには行きません。心細く悲しいご様子を拝見し心を痛め、これまでのお世話は、できるだけのことはさせていただきました。
 「その仰せは承ることができません。お一人きりのお心細い御境遇が悲しく存ぜられまして、御葬送以来ただ今までは、私としてお尽くしいたしうるだけのことはいたしてまいりました。
  "Sarani uketamahara zi. Kokorobosoku kanasiki ohom-arisama wo mi tatematuri nageki, kono hodo no miyadukahe ha, tahuru ni sitagahi te tukaumaturi nu.
5.4.6  今は、国のこともはべり、まかり下りぬべし。宮の内のことも、見たまへ譲るべき人もはべらず。いとたいだいしう、いかにと見たまふるを、 かくよろづに思しいとなむを、げに、 この方にとりて思たまふるには、かならずしもおはしますまじき御ありさまなれど、さこそは、いにしへも 御心にかなはぬためし、多くはべれ
 今は、任国の公務もございますし、下向しなければなりません。お邸内のことも任せられる人もございません。まことに不行届なことで、どうしたものかと心配いたしておりますが、このように万事お世話なさいますのを、なるほど、ご結婚ということを考えてみますと、必ずしも今すぐに移転するのが良いというのではないお身の上ですが、そのように、昔もお心のままにならなかった例は、多くございます。
 しかし私は地方長官でございますから、お預かりしております国の用がうちやってはおけませんので、近くまた大和へまいらねばならないのでございます。あなた様のただ今からのお世話をだれに頼んでまいってよいという人もございませんから、どうすればよいかと思っております場合に左大将が力を入れてくださるのでございますから、あなた様御一身について考えますれば、御再婚をあそばすことをこれが最上のこととは申されませんのでございますが、しかし昔の内親王様がたにもそうした例は幾つもあったことで、御自分の御意志でもなく、運命に従って皆そうおなりになったのでございますから、
  Ima ha, kuni no koto mo haberi, makari kudari nu besi. Miya no uti no koto mo, mi tamahe yuduru beki hito mo habera zu. Ito taidaisiu, ikani to mi tamahuru wo, kaku yorodu ni obosi itonamu wo, geni, kono kata ni tori te omo' tamahuru ni ha, kanarazusimo ohasimasu maziki ohom-arisama nare do, sakoso ha, inisihe mo mi-kokoro ni kanaha nu tamesi, ohoku habere.
5.4.7   一所やは、世のもどきをも負はせたまふべき。いと幼くおはしますことなり。たけう思すとも、女の御心ひとつに、わが御身をとりしたため、 顧みたまふべきやうかあらむ。なほ、人のあがめかしづきたまへらむに助けられてこそ、深き御心のかしこき御おきても、それにかかるべきものなり。
 あなたお一方だけが、世間の非難をお受けになることでしょうか。とても幼稚なお考えです。いくら強がっても、女一人のご分別で、ご自分の身の振りをきちんとなさり、お気をつけなさることがどうしてできましょうか。やはり、男性から大事にお世話なされるのに助けられて、初めて深いお考えによる立派なご方針も、それに依存するものなのです。
 何もあなた様お一方が世間から批難されるはずもないのでございます。これほどのお方のお志をお退けになりますのは、あまりにも御幼稚なことと申すほかはございません。女性の方でも独立して行けぬことはないと思召すでしょうが、実際問題になりますと、御自身をおまもりになることと、経済的のこととで御苦労ばかりがどんなに多いかしれません。それよりも十分大事に尊重申される御良人ごりょうじんにお助けられになってこそ、あなた様の御天分も十分に発揮させることができるのでございます。どうかそのお心におなりくださいませ」大和守はまた、
  Hito-tokoro yaha, yo no modoki wo mo oha se tamahu beki. Ito wosanaku ohasimasu koto nari. Takeu obosu tomo, womna no mi-kokoro hitotu ni, waga ohom-mi wo tori sitatame, kaherimi tamahu beki yau ka ara m? Naho, hito no agame kasiduki tamahe ra m ni tasuke rare te koso, hukaki mi-kokoro no kasikoki ohom-okite mo, sore ni kakaru beki mono nari.
5.4.8   君たちの聞こえ知らせたてまつりたまはぬなり。かつは、 さるまじきことをも、御心どもに仕うまつりそめたまうて」
 あなた方がよくお教え申し上げなさらないのです。一方では、けしからぬことをも、ご自分たちの判断でかってにお取り計らい申し上げなさって」
 「あなたたちが宮様へよく御会得えとくのゆくようにお話し申し上げないのが悪いのです。そうかというとまたこうしたことに立ち至る最初の動機などはあなたがたの不注意でお起こしになったりして」
  Kimi-tati no kikoye sirase tatematuri tamaha nu nari. Katuha, sarumaziki koto wo mo, mi-kokoro-domo ni tukaumaturi some tamau te."
5.4.9  と、言ひ続けて、 左近、少将を責む
 と、言い続けて、左近の君や、小少将の君を責める。
 と少将や左近を責めた。
  to, ihi tuduke te, Sakon, Seusyau wo semu.
注釈674とかく言ひなしつるも以下「いとうひうひしかるべし」まで、夕霧の心中。5.4.2
注釈675かの御心に許したまはむことは落葉宮をさす。5.4.2
注釈676いかがはせむ反語表現。どうしようもない。5.4.2
注釈677一条に渡りたまふべき日その日ばかりと定めて『集成』は「帰宅、しかも結婚と夕霧は決め込んでいるので、暦によって吉日を選ぶ」と注す。5.4.3
注釈678あるべき作法めでたう『集成』は「婚儀にふさわしい諸式」「しかるべき立派な品々を整え」。『完訳』は「移転のためのしかるべき儀礼」「必要な諸式も立派に」と訳す。5.4.3
注釈679かの家にぞ大和守の家で。5.4.3
注釈680御車御前などたてまつれたまふ夕霧が小野山荘の落葉宮に差し向けなさる。5.4.4
注釈681思しのたまふを「を」格助詞、目的格を表す。5.4.4
注釈682人びといみじう聞こえ落葉宮付きの女房たち。『集成』は「きつくご意見申し」。『完訳』は「無理にお勧め申し」と訳す。5.4.4
注釈683さらに承らじ以下「仕うまつりそめたまうて」まで、大和守の詞。『集成』は「有無を言わせぬ口調で帰京をすすめる」と注す。5.4.5
注釈684このほどの宮仕へは落葉宮の世話を「宮仕へ」という。5.4.5
注釈685かくよろづに思しいとなむを主語は夕霧。5.4.6
注釈686この方にとりて思たまふるには『集成』は「ご結婚ということで考えてみますと」。『完訳』は「あちらさまのご懸想からというふうに考えますと」と訳す。5.4.6
注釈687御心にかなはぬためし、多くはべれ皇女が自分の意に反して再婚した例は多くある。5.4.6
注釈688一所やは落葉宮をさす。「やは」--「負はせたまふべき」反語表現。あなた一人だけが非難を受けるのでない。5.4.7
注釈689顧みたまふべきやうかあらむ反語表現。お気をつけなさることはできない。5.4.7
注釈690君たちの聞こえ知らせたてまつりたまはぬなり「君たち」は女房たちをさす。『集成』は「一転して、女房たちに苦情を言う」と注す。5.4.8
注釈691さるまじきことをも手紙の取り次ぎなどをさす。5.4.8
注釈692左近少将を責む宮付きの女房。左近の君と小少将の君。前の「君たち」。5.4.9
5.5
第五段 落葉宮、自邸へ向かう


5-5  Ochiba-no-Miya comes back to her home

5.5.1   集りて聞こえこしらふるにいとわりなくあざやかなる御衣ども、人びとのたてまつり替へさするも、われにもあらず、なほ、いとひたぶるに削ぎ捨てまほしう思さるる御髪を、かき出でて見たまへば、六尺ばかりにて、すこし細りたれど、人はかたはにも見たてまつらず、みづからの御心には、
 寄ってたかって説得申し上げるので、とても困りきって、色鮮やかなお召し物を、女房たちがお召し替え申し上げるにも、夢心地で、やはり、とても一途に削き落としたく思われなさる御髪を、掻き出して御覧になると、六尺ほどあって、少し細くなったが、女房たちは不完全だとは拝見せず、ご自身のお気持ちでは、
 女房が皆集まって来て口々にお促しするのに御反抗がおできにならないで、きれいな色のお召し物などをお着せかえ申したりするままに宮はなっておいでになるのであるが、切り捨ててしまいたく思召すおぐしを後ろから前へ引き寄せてごらんになると、それは六尺ほどの長さで、以前よりは少し量が減っていても、他の者の目にはやはりきわめておみごとなものに見えるのであるが、
  Atumari te kikoye kosirahuru ni, ito warinaku, azayaka naru ohom-zo-domo, hitobito no tatematuri kahe sasuru mo, ware ni mo ara zu, naho, ito hitaburu ni sogi sute mahosiu obosa ruru mi-gusi wo, kaki-ide te mi tamahe ba, roku-saku bakari nite, sukosi hosori tare do, hito ha kataha ni mo mi tatematura zu, midukara no mi-kokoro ni ha,
5.5.2  「 いみじの衰へや。人に見ゆべきありさまにもあらず。さまざまに心憂き身を」
 「ひどく衰えたこと。とても男の人にお見せできなる有様ではない。いろいろと情けない身の上であるものを」
 御自身では非常に衰えてしまった、もう結婚などのできる自分ではない、いろいろな不幸にむしばまれた自分なのだから
  "Imizi no otorohe ya! Hito ni miyu beki arisama ni mo ara zu. Samazama ni kokorouki mi wo."
5.5.3  と思し続けて、また臥したまひぬ。
 とお思い続けなさって、また臥せっておしまいになった。
 とお思い続けになって、お召しかえになった姿をまたそのまま横たえておしまいになった。
  to obosi tuduke te, mata husi tamahi nu.
5.5.4  「 時違ひぬ。夜も更けぬべし
 「時刻に遅れます。夜も更けてしまいます」
 「時間が違ってしまう。夜がふけてしまうだろう」
  "Toki tagahi nu. Yo mo huke nu besi."
5.5.5  と、皆騒ぐ。 時雨いと心あわたたしう吹きまがひ、よろづにもの悲しければ
 と、皆が騷ぐ。時雨がとても心急かせるように風に吹き乱れて、何事にもつけ悲しいので、
 などと言って、お供をする人たちは騒いでいた。時雨しぐれがあわただしく山荘を打って、全体の気分が非常に悲しくなった。
  to, mina sawagu. Sigure ito kokoro awatatasiu huki magahi, yorodu ni mono-kanasikere ba,
5.5.6  「 のぼりにし峰の煙にたちまじり
   思はぬ方になびかずもがな
 「母君が上っていった峰の煙と一緒になって
  思ってもいない方角にはなびかずにいたいものだわ
  上りにし峰の煙に立ちまじり
  思はぬ方になびかずもがな
    "Nobori ni si mine no keburi ni tati maziri
    omoha nu kata ni nabika zu mo gana
5.5.7  心ひとつには強く思せど、そのころは、 御鋏などやうのものは、皆とり隠して、人びとの守りきこえければ、
 ご自分では気強く思っていらっしゃるが、そのころは、お鋏などのような物は、みな取り隠して、女房たちが目をお離し申さずいたので、
 とお口ずさみになったとおりに宮は思召すのであるが、そのころは鋏刀はさみなどというものを皆隠して、お手ずから尼におなりになるようなことのないように女房たちが警戒申し上げていたから、
  Kokoro hitotu ni ha tuyoku obose do, sono-koro ha, ohom-hasami nado yau no mono ha, mina tori-kakusi te, hitobito no mamori kikoye kere ba,
5.5.8  「 かくもて騒がざらむにてだに、何の惜しげある 身にてか、をこがましう、若々しきやうにはひき忍ばむ。人聞きもうたて思すまじかべきわざを」
 「このように騒がないでいても、どうして惜しい身の上で、愚かしく、子供っぽくもこっそり髪を下ろしたりしようか。人聞きも悪いとお思いなさることを」
 そんなふうにお騒ぎをせずとも、惜しく尊重すべき自分でもないものを、しいて尼になってみずからを清くしようとも思わず、すればかえって人の反感を買うにすぎないことも知っているのであるから、
  "Kaku mote-sawaga zara m nite dani, nani no wosige aru mi nite ka, woko-gamasiu, wakawakasiki yau ni ha hiki-sinoba m. Hitogiki mo utate obosu mazika' beki waza wo."
5.5.9  と思せば、その本意のごともしたまはず。
 とお思いになると、ご希望通り出家もなさらない。
 と思召して宮は御本意を遂げようともあそばさないのである。
  to obose ba, sono ho'i no goto mo si tamaha zu.
5.5.10  人びとは、皆いそぎ立ちて、おのおの、櫛、手筥、唐櫃、よろづの物を、はかばかしからぬ袋やうの物なれど、皆さきだてて運びたれば、一人止まりたまふべうもあらで、泣く泣く御車に乗りたまふも、 傍らのみまもられたまてこち渡りたまうし時御心地の苦しきにも、御髪かき撫でつくろひ、下ろしたてまつりたまひしを思し出づるに、目も霧りていみじ。 御佩刀に添へて経筥を添へたるが、御傍らも離れねば
 女房たちは、全員急ぎ出して、それぞれ、櫛や、手箱や、唐櫃や、いろいろな道具類を、つまらない袋入れのような物であるが、全部前もって運んでしまっていたので、独り居残っているわけにもゆかず、泣く泣くお車にお乗りになるのも、隣の空席ばかりに自然と目が行きなさって、こちらにお移りになった時、ご気分が優れなかったにも関わらず、御髪をかき撫でて繕って、降ろしてくださったことをお思い出しになると、目も涙にむせんでたまらない。御佩刀といっしょに経箱を持っているが、いつもお側にあるので、
 女房は皆移転の用意に急いで、お櫛箱ぐしばこ、お手箱、唐櫃からびつその他のお道具を、それも仮の物であったから袋くらいに皆詰めてすでに運ばせてしまったから、宮お一人が残っておいでになることもおできにならずに、泣く泣く車へお乗りになりながらも、あたりばかりがおながめられになって、こちらへおいでになる時に、御息所みやすどころが病苦がありながらも、おぐしをなでてお繕いして車からおろししたことなどをお思い出しになると、涙がお目を暗くばかりした。おまもり刀とともに経の箱がお席のわきへ積まれたのを御覧になって、
  Hitobito ha, mina isogi tati te, onoono, kusi, tebako, karabitu, yorodu no mono wo, hakabakasikara nu hukuro yau no mono nare do, mina sakidate te hakobi tare ba, hitori tomari tamahu beu mo ara de, nakunaku mi-kuruma ni nori tamahu mo, katahara nomi mamora re tama' te, koti watari tamau si toki, mi-kokoti no kurusiki ni mo, mi-gusi kaki-nade tukurohi, orosi tatematuri tamahi si wo obosi iduru ni, me mo kiri te imizi. Mi-hakasi ni sohe te kyaubako wo sohe taru ga, ohom-katahara mo hanare ne ba,
5.5.11  「 恋しさの慰めがたき形見にて
   涙にくもる玉の筥かな
 「恋しさを慰められない形見の品として
  涙に曇る玉の箱ですこと
  恋しさの慰めがたき形見にて
  涙に曇る玉の箱かな
    "Kohisisa no nagusame-gataki katami nite
    namida ni kumoru tama no hako kana
5.5.12   黒きもまだしあへさせたまはず、かの手ならしたまへりし螺鈿の筥なりけり。 誦経にせさせたまひしを、形見にとどめたまへるなりけり浦島の子が心地なむ
 黒造りのもまだお調えにならず、あの日頃親しくお使いになっていた螺鈿の箱なのであった。お布施の料としてお作らせになったのだが、形見として残して置かれたのであった。浦島の子の気がなさる。
 とお歌いあそばされた。黒塗りのをまだお作らせになる間がなくて、御息所が始終使っていた螺鈿らでんの箱をそれにしておありになるのである。御息所の容体の悪い時に誦経ずきょうの布施として僧へお出しになった品であったが、形見に見たいからとまたお手もとへお取り返しになったものである。浦島の子のように箱を守ってお帰りになる宮であった。
  Kuroki mo mada si ahe sase tamaha zu, kano tenarasi tamahe ri si raden no hako nari keri. Zukyau ni se sase tamahi si wo, katami ni todome tamahe ru nari keri. Urasima-no-ko ga kokoti nam.
注釈693集りて聞こえこしらふるに主語は女房たち。5.5.1
注釈694いとわりなく以下、落葉宮の心に即した叙述。5.5.1
注釈695あざやかなる御衣ども人びとのたてまつり替へさするも喪服から婚儀にふさわしい華やかな衣裳に着替えさせる。5.5.1
注釈696いみじの衰へや以下「心憂き身を」まで、落葉の宮の心中。5.5.2
注釈697時違ひぬ夜も更けぬべし女房の詞。『集成』は「出発の時刻も吉時を選ぶ」と注す。5.5.4
注釈698時雨いと心あわたたしう吹きまがひよろづにもの悲しければ『完訳』は「宮の心象風景でもある」と注す。時雨は晩秋から初冬にかけての季節の景物。5.5.5
注釈699のぼりにし峰の煙にたちまじり--思はぬ方になびかずもがな落葉宮の独詠歌。『河海抄』は「須磨の海人の塩焼く煙風をいたみ思はぬ方にたなびきにけり」(古今集恋四、七〇八、読人しらず)を指摘。夕霧の意のままになるよりは、ここで死にたい、の意。5.5.6
注釈700御鋏などやうのものは髪を下ろさないように。5.5.7
注釈701かくもて騒がざらむにてだに以下「思すまじかべきわざを」まで、落葉宮の心中。5.5.8
注釈702身にてか係助詞「か」は「忍ばむ」連体形に係る。こっそり髪を下ろそうか、けっしてせぬ。反語表現。5.5.8
注釈703傍らのみまもられたまて『集成』は「誰もいないお側が見つめられるばかりで。御息所がお側にいないさびしさである」。『完訳』は「『蜻蛉日記』康保元年秋、母を喪った作者が京の邸に変える条に、また鳴滝から京に連れ戻される条に類似」と注す。5.5.10
注釈704こち渡りたまうし時「こち」は小野山荘をさす。「し」過去の助動詞。小野に来たころを回想。5.5.10
注釈705御心地の苦しきにも御髪かき撫で母御息所が気分悪いながらも宮の御髪を、の意。5.5.10
注釈706御佩刀に添へて経筥を添へたるが御傍らも離れねば「御佩刀」は守刀。「経」は法華経か。いずれも亡き母御息所から贈られた形見の品。5.5.10
注釈707恋しさの慰めがたき形見にて--涙にくもる玉の筥かな落葉宮の独詠歌。「形見」「筺」の掛詞。5.5.11
注釈708黒きもまだしあへさせたまはず喪中に用いる黒漆塗の経箱もまだ新調せずに。5.5.12
注釈709誦経にせさせたまひしを形見にとどめたまへるなりけり僧へのお布施の料として作らせたのだが、の意。『細流抄』は「草子地也」と注す。5.5.12
注釈710浦島の子が心地なむ浦島子が龍宮から玉手筥を持ち帰った気分。『奥入』は「夏の夜は浦島の子が箱なれやはかなく明けて悔しかるらむ」(拾遺集夏、一二一、中務)。『河海抄』は「常世べに雲立ちわたる水の江の浦島の子が言持ちわたる大和べに風吹き上げて雲放れ退き居りともよ吾を忘るな」(丹後国風土記)。『孟津抄』は「明けてだに何かはせむ水の江の浦島の子を思ひやりつつ」(後撰集雑一、一一〇五、中務)を指摘。5.5.12
5.6
第六段 夕霧、主人顔して待ち構える


5-6  Yugiri waites Ochiba-no-Miya's home as if he is her husband

5.6.1  おはしまし着きたれば、殿のうち悲しげもなく、人気多くて、あらぬさまなり。御車寄せて 降りたまふを、さらに、故里とおぼえず、疎ましううたて思さるれば、とみにも下りたまはず。 いとあやしう、若々しき御さまかなと、人びとも見たてまつりわづらふ。 殿は、東の対の南面を、わが御方を、仮にしつらひて、住みつき顔におはす三条殿には、人びと、
 ご到着なさると、邸内は悲しそうな様子もなく、人の気配が多くて、様子が違っている。お車を寄せてお降りになるに、全然、以前に住んでいた所とは思われず、よそよそしく嫌な気がなさるので、すぐにはお降りにならない。とてもおかしな子供っぽいお振る舞いですわと、女房たちも拝見し困っている。殿は、東の対の南面を、自分のお部屋として、仮に設けて、主人気取りでいらっしゃる。三条殿では、女房たちが、
 一条へお着きになると、ここは悲しい色などはどこにもなく、人が多く来ていて他家のようになっていた。車を寄せておりになろうとする時に、御自邸という気がされない不快な心持ちにおなりになって、動こうとあそばさないのを、あまりに少女らしいことであると言って女房たちは困っていた。大将は東の対の南のほうの座敷を仮に自身の使う座敷にこしらえて、もうやしきの主人のようにしていた。三条の家では、だれもが、
  Ohasimasi tuki tare ba, tono no uti kanasige mo naku, hitoke ohoku te, ara nu sama nari. Mi-kuruma yose te ori tamahu wo, sarani, hurusato to oboye zu, utomasiu utate obosa rure ba, tomini mo ori tamaha zu. Ito ayasiu, wakawakasiki ohom-sama kana to, hitobito mo mi tatematuri wadurahu. Tono ha, himgasi-no-tai no minami-omote wo, waga ohom-kata wo, kari ni siturahi te, sumituki-gaho ni ohasu. Samdeu-dono ni ha, hitobito,
5.6.2  「 にはかにあさましうもなりたまひぬるかな。いつのほどにありしことぞ」
 「突然あきれたことにおなりになったこと。いつからのことだったのかしら」
 「急に別なおうちと別な奥様がおできになったとはどうしたことでしょう。いつごろから始まった関係なのでしょう」
  "Nihakani asamasiu mo nari tamahi nuru kana! Itu no hodo ni ari si koto zo?"
5.6.3  と、驚きけり。 なよらかにをかしばめることを好ましからず思す人は、かく ゆくりかなることぞうちまじりたまうける。 されど、年経にけることを、音なくけしきも漏らさで 過ぐしたまうけるなり、とのみ 思ひなして、かく、女の御心許いたまはぬと、 思ひ寄る人もなしとてもかうても、宮の御ためにぞいとほしげなる
 とあきれるのだった。色めいた風流事を、お好きでなくお思いになる方は、このように突然な事がおありになるのだった。けれども、何年も前からあった事を、噂にもならず素振り知られずにお過ごしになって来られたのだ、とばかりに思い込んで、このように、女のお気持ちは不承知であると、気づく人もいない。いずれにしても宮の御ためにはお気の毒なことである。
 と言って驚いていた。多情な恋愛生活などをしなかった人は、こうした思いがけぬことを実行してしまうものである。しかしだれも以前からあった関係をはじめて公表したことと解釈していて、まだ宮のお心は結婚に向いていぬことなどを想像する人もない。いずれにもせよ宮の御ために至極お気の毒なことばかりである。
  to, odoroki keri. Nayoraka ni wokasi-bame ru koto wo, konomasikara zu obosu hito ha, kaku yukurika naru koto zo uti-maziri tamau keru. Saredo, tosi he ni keru koto wo, oto naku kesiki mo morasa de sugusi tamau keru nari, to nomi omohi nasi te, kaku, womna no mi-kokoro yurui tamaha nu to, omohiyoru hito mo nasi. Totemo-kautemo, Miya no ohom-tame ni zo itohosige naru.
5.6.4   御まうけなどさま変はりてもののはじめゆゆしげなれどもの参らせなど、皆静まりぬるに、渡りたまて、少将の君をいみじう責めたまふ。
 お調度類なども普段と変わって、新婚としては縁起が悪いが、お食事を差し上げたりした後、皆が寝静まったころにお渡りになって、少将の君をひどくお責めになる。
 御結婚の最初の日の儀式が精進物のお料理であることは縁起のよろしくなく見えることであったが、お食事などのことが終わって、一段落のついた時に、夕霧はこちらへ来て宮の御寝室への案内を、少将にしいた。
  Ohom-mauke nado sama kahari te, mono no hazime yuyusige nare do, mono mawira se nado, mina sidumari nuru ni, watari tama' te, Seusyau-no-Kimi wo imiziu seme tamahu.
5.6.5  「 御心ざしまことに長う思されば、今日明日を過ぐして聞こえさせたまへ。なかなか、 立ち帰りてもの思し沈みて、亡き人のやうにてなむ臥させたまひぬる。 こしらへきこゆるをも、つらしとのみ思されたれば、 何ごとも身のためこそはべれいとわづらはしう聞こえさせにくくなむ
 「ご愛情が本当に末長くとお思いでしたら、今日明日を過ぎてから申し上げて下さいませ。お帰りになって、かえって、悲しみに沈み込んで、亡くなった方のようにお臥せりになってしまわれました。おとりなし申し上げても、辛いとばかりお思いでいらっしゃるので、何事もわが身あってでございますもの。まことに困って、申し上げにくうございます」
 「いつまでもお変わりにならぬ長いお志でございますなら、今日明日だけをお待ちくださいませ。もとのお住居すまいへお帰りになりますとまたお悲しみが新しくなりまして、生きた方のようでもなく泣き寝におやすみになったのでございます。おなだめいたしましてもかえってお恨みになるのでございますから、私どももその苦痛をいたしたくございません。殿様のことを宮様に申し上げることはできないのでございます」
  "Mi-kokorozasi makoto ni nagau obosa re ba, kehu asu wo sugusi te kikoyesase tamahe. Nakanaka, tatikaheri te mono obosi sidumi te, naki hito no yau nite nam husa se tamahi nuru. Kosirahe kikoyuru wo mo, turasi to nomi obosa re tare ba, nanigoto mo mi no tame koso habere. Ito wadurahasiu, kikoyesase nikuku nam."
5.6.6  と言ふ。
 と言う。
 と少将は言う。
  to ihu.
5.6.7  「 いとあやしう。推し量りきこえさせしには違ひて、いはけなく心えがたき御心にこそありけれ」
 「まことに妙なことです。ご推量申し上げていたのとは違って、子供っぽく理解しがたいお考えでありますね」
 「変なことではないか、聡明そうめいな方のように想像していたのに、こんなことでは幼稚なところの抜けぬ方と思うほかはないではないか」
  "Ito ayasiu. Osihakari kikoyesase si ni ha tagahi te, ihakenaku kokoroe gataki mi-kokoro ni koso ari kere."
5.6.8  とて、 思ひ寄れるさま人の御ためも、わがためにも、世のもどきあるまじうのたまひ続くれば、
 とおっしゃって、考えていらっしゃる処遇は、宮の御ためにも、自分のためにも、世間の非難のないようにおっしゃり続けるので、
 夕霧が自分の考えを言って、宮のためにも、自分のためにも世間の批議を許さぬ用意の十分あることを説くと、
  tote, omohiyore ru sama, hito no ohom-tame mo, waga tame ni mo, yo no modoki arumaziu notamahi tudukure ba,
5.6.9  「 いでや、ただ今はまたいたづら人に見なしたてまつるべきにやと、あわたたしき乱り心地に、よろづ思たまへわかれず。 あが君、とかくおしたちて、ひたぶるなる御心なつかはせたまひそ」
 「いえもう、ただ今は、またもお亡くし申し上げてしまうのではないかと、気が気ではなく取り乱しておりますので、万事判断がつきません。お願いでございます、あれこれと無理押しなさって、乱暴なことはなさいませぬように」
 「それはそうでございましょうが、ただ今ではお命がこのお悲しみでどうかおなりになるのでないかということだけを私どもは心配いたしておりまして、そのほかのことは何も考えられないのでございます。殿様、お願いでございますから、しいて御無理なことはあそばさないでくださいませ」
  "Ideya, tadaima ha, mata itadura-bito ni minasi tatematuru beki ni ya to, awatatasiki midari gokoti ni, yorodu omo' tamahe wakare zu. Aga-Kimi, tokaku ositati te, hitaburu naru mi-kokoro na tukahase tamahi so."
5.6.10  と手をする。
 と手を擦って頼む。
 と少将は手をすり合わせて頼んだ。
  to te wo suru.
5.6.11  「 いとまだ知らぬ世かな。憎くめざましと、 人よりけに思し落とすらむ身こそいみじけれ。いかで人にもことわらせむ」
 「これはまだ経験のないことだ。憎らしく嫌な者だと、人より格段に軽蔑される身の上が情けない。是非とも誰かにでも判断してもらいたい」
 「聞いたことも見たこともないお取り扱いだ。過去の一人の男ほどにも愛していただけない自分が哀れになる。世間へも何の面目があると思う」
  "Ito mada sira nu yo kana! Nikuku mezamasi to, hito yori keni obosi otosu ram mi koso imizi kere. Ikade hito ni mo kotowarase m."
5.6.12  と、いはむかたもなしと思してのたまへば、さすがにいとほしうもあり、
 と、言いようもないとお思いになっておっしゃるので、やはりお気の毒でもあり、
 失望してこう言う夕霧を見てはさすがに同情心も起こった。
  to, ihamkata mo nasi to obosi te notamahe ba, sasugani itohosiu mo ari,
5.6.13  「 まだ知らぬは、げに 世づかぬ御心がまへのけにこそはと、ことわりは、げに、 いづ方にかは寄る人はべらむとすらむ」
 「まだ知らないとおっしゃるのは、なるほど恋愛経験の少ないお人柄だからでしょうと、道理は、仰せのとおり、どちら様を正しいと申す人がございますでしょうか」
 「聞いたことも見たこともないと申しますことは、あなた様のあまりにお早まりになった御用意のことでございましょう。道理はどちらにあると世間が申すでございましょうか」
  "Mada sira nu ha, geni yoduka nu mi-kokoro-gamahe no keni koso ha to, kotowari ha, geni, idukata ni kaha yoru hito habera m to su ram."
5.6.14  と、 すこしうち笑ひぬ
 と、少しほほ笑んだ。
  と少し少将は笑った。
  to, sukosi uti-warahi nu.
注釈711降りたまふを接続助詞「を」逆接の気分。5.6.1
注釈712いとあやしう若々しき御さまかな女房たちの心中。5.6.1
注釈713殿は、東の対の南面を、わが御方を、仮にしつらひて、住みつき顔におはす大島本は「わか御方を」とある。『集成』は諸本に従って「わが御方」と「を」を削除する。『完本』は諸本に従って「わが御方に」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。夕霧は東対の南面を自分の部屋に設えて主人顔をしている。宮にとっては疎ましいさま。5.6.1
注釈714三条殿には夕霧の本邸、北の方の雲居雁がいる邸。5.6.1
注釈715にはかにあさましうも以下「ありしことぞ」まで、女房の詞。5.6.2
注釈716なよらかにをかしばめることを『孟津抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「以下、語り手の評言」と注す。5.6.3
注釈717好ましからず思す人は夕霧をいう。「思す」という敬語は皮肉にも聞こえる。5.6.3
注釈718されど年経にけることを「年経にけること」以下、「たまうけるなり」まで、夕霧の心中に即した語り手の文。「年経にけること」は落葉宮との関係。5.6.3
注釈719過ぐしたまうける夕霧に対する敬語。5.6.3
注釈720思ひなして主語は夕霧。5.6.3
注釈721思ひ寄る人もなし夕霧の振る舞いと宮の気持ちの違いを女房は誰一人気づかない意。5.6.3
注釈722とてもかうても宮の御ためにぞいとほしげなる『細流抄』は「草子地也」と指摘。『完訳』は「語り手の評言」と注す。5.6.3
注釈723御まうけなどさま変はりて新婚の祝儀、喪中のため普通の祝儀とは違うさま。5.6.4
注釈724もののはじめゆゆしげなれど新婚の諸式が縁起でもないようだが。5.6.4
注釈725もの参らせなど「など」の下に「して」などの語句が省略。5.6.4
注釈726御心ざしまことに長う以下「聞こえさせにくくなむ」まで、小少将君の詞。5.6.5
注釈727立ち帰りてもの思し沈みて『完訳』は「宮は、自邸に帰ってうれしいはずなのに、かえって」と注す。5.6.5
注釈728こしらへきこゆるをも小少将君ら女房が、夕霧との結婚を納得するように執り成し申し上げる。5.6.5
注釈729何ごとも身のためこそはべれ「身」は、我が身。『集成』は「挿入句。女房の分際として、不興を買うわけにはいかない、の意」。『完訳』は「「はべれ」まで挿入句。主人の機嫌を損ねては、女房として身が立たない意。使用人根性の弁」と注す。5.6.5
注釈730いとわづらはしう『集成』は「ご不興がいかにも恐ろしく」。『完訳』は「ほんとに面倒なことで」と訳す。5.6.5
注釈731聞こえさせにくくなむ係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。5.6.5
注釈732いとあやしう以下「御心にこそありけれ」まで、夕霧の詞。5.6.7
注釈733思ひ寄れるさま『集成』は「落葉の宮の処遇についてのこと。雲居の雁と並ぶ正室としてお扱いするということなのであろう」と注す。5.6.8
注釈734人の御ためも落葉宮をさす。5.6.8
注釈735いでやただ今は以下「御心なつかはせたまひそ」まで、小少将の君の詞。5.6.9
注釈736またいたづら人に見なしたてまつるべきにや御息所に続いて宮も亡くなってしまうのではないか、の意。5.6.9
注釈737あが君集成「多く、相手に懇願する時に呼び掛ける言葉」と注す。5.6.9
注釈738いとまだ知らぬ世かな以下「ことわらせむ」まで、夕霧の詞。『集成』は「まだ知らぬ」。『完訳』は「また知らぬ」と整定。5.6.11
注釈739人よりけに思し落とすらむ身こそ『完訳』は「柏木よりも。「身」は夕霧自身」と注す。5.6.11
注釈740まだ知らぬは以下「はべらむとすらむ」まで、小少将の君の詞。「まだ知らぬ」は夕霧の言葉を受けて返した。『集成』は「まだ知らぬ」。『完訳』は「また知らぬ」と整定。5.6.13
注釈741世づかぬ御心がまへの夕霧を恋愛経験未熟ゆえだと非難する。『集成』は「夕霧のやり方を軽くたしなめる」。『完訳』は「恋愛体験に乏しく、情愛の機微が分らぬ、とからかう」と注す。5.6.13
注釈742いづ方にかは「すらむ」にかかる。疑問形の構文だが、趣旨は夕霧の方を道理に反するとしよう、という含み。5.6.13
注釈743すこしうち笑ひぬ『完訳』は「少将は少し笑顔になる」。やや皮肉をこめた微笑。5.6.14
校訂21 ゆくりか ゆくりか--ゆくる(る/$り<朱>)か 5.6.3
5.7
第七段 落葉宮、塗籠に籠る


5-7  Ochiba-no-Miya takes refuge in nurigome

5.7.1   かく心ごはけれど、今は、 堰かれたまふべきならねば、やがてこの人をひき立てて、推し量りに入りたまふ。
 このように強情であるが、今となっては、邪魔立てされなさるおつもりもないので、そのままこの人を引き立てて、当て推量にお入りになる。
 こんなふうに強く抵抗をしてみても、今はよその人でなく主人と召使の関係になっている相手であるから、拒み続けることはさせないで、少将をつれて、おおよその見当をつけた宮の御寝室へはいって行った。
  Kaku kokorogohakere do, ima ha, seka re tamahu beki nara ne ba, yagate kono hito wo hikitate te, osihakari ni iri tamahu.
5.7.2  宮は、「 いと心憂く、情けなくあはつけき 人の心なりけり」と、ねたくつらければ、「 若々しきやうには言ひ騒ぐとも」と思して、塗籠に御座ひとつ敷かせたまて、うちより鎖して大殿籠もりにけり。「 これもいつまでにかはかばかりに乱れ立ちにたる人の心どもは、いと悲しう口惜しう」思す。
 宮は、「まことに嫌でたまらない、思いやりのない浅薄な心の方だった」と、悔しく辛いので、「大人げないようだと言われようとも」とご決意なさって、塗籠にご座所を一つ敷かせなさって、内側から施錠して、お寝みになってしまった。「これもいつまで続くことであろうか。これほどに浮き足立っている女房たちの気持ちは、何と悲しく残念なことか」とお思いなさる。
 宮はあまりに思いやりのない心であると恨めしく思召されて、若々しいしかただと女房たちが言ってもよいという気におなりになって、内蔵うちぐらの中へ敷き物を一つお敷かせになって、中から戸に錠をかけておやすみになった。しかもこうしておられることもただ時間の問題である、こんなふうにも常規を逸してしまった人は、いつまで自分をこうさせてはおくまいと悲しんでおいでになった。
  Miya ha, "Ito kokorouku, nasakenaku ahatukeki hito no kokoro nari keri." to, netaku turakere ba, "Wakawakasiki yau ni ha ihi sawagu tomo." to obosi te, nurigome ni omasi hitotu sika se tama' te, uti yori sasi te ohotonogomori ni keri. "Kore mo itu made ni kaha. Kabakari ni midare tati ni taru hito no kokoro-domo ha, ito kanasiu kutiwosiu." obosu.
5.7.3   男君は、めざましうつらしと思ひきこえたまへど、 かばかりにては、何のもて離るることかはと、のどかに思して、よろづに思ひ明かしたまふ。 山鳥の心地ぞしたまうける 。からうして明け方になりぬ。 かくてのみ、ことといへば、直面なべければ、出でたまふとて、
 男君は、心外なひどい仕打ちとお思い申し上げなさるが、このようなことで、どうして逃れることができようかと、気長にお考えになって、いろいろと思案しながら夜をお明かしなさる。山鳥の気がなさるのであった。やっとのことで明け方になった。こうしてばかり、取り立てて言うと、にらみ合いになりそうなので、お出になろうとして、
 大将は驚くべき冷酷なお心であると恨めしく思ったが、これほどの抵抗を受けたからといって、自分の恋は一歩もあとへ退くものではない、必ず成功を見る時が来るのであるというこんな自信を持ってこの夜を明かすのであって、たにを隔てて寝るという山鳥の夫婦のような気がした。ようやく明けがたになった。こうして冷淡に扱われた顔を皆に見せることが恥ずかしくて大将は出て行こうとする時に、
  WotokoGimi ha, mezamasiu turasi to omohi kikoye tamahe do, kabakari nite ha, nani no mote hanaruru koto kaha to, nodokani obosi te, yorodu ni omohi akasi tamahu. Yamadori no kokoti zo si tamau keru. Karausite akegata ni nari nu. Kakute nomi, koto to ihe ba, hitaomote na' bekere ba, ide tamahu tote,
5.7.4  「 ただ、いささかの隙をだに
 「ただ、少しの隙間だけでも」
 「ただ少しだけ戸をおあけください。お話ししたいことがあるのですから」
  "Tada, isasaka no hima wo dani."
5.7.5  と、いみじう聞こえたまへど、いとつれなし。
 と、しきりにお頼み申し上げなさるが、まったくお返事がない。
 としきりに望んだがなんらの反応も見えない。
  to, imiziu kikoye tamahe do, ito turenasi.
5.7.6  「 怨みわび胸あきがたき冬の夜に
   また鎖しまさる関の岩門
 「怨んでも怨みきれません、胸の思いを晴らすことのできない冬の夜に
  そのうえ鎖された関所のような岩の門です
  「うらみわび胸あきがたき冬の夜に
  またさしまさる関の岩かど
    "Urami wabi mune aki gataki huyu no yo ni
    mata sasi masaru seki no ihakado
5.7.7   聞こえむ方なき御心なりけり
 何とも申し上げようのない冷たいお心です」
 言いようもない冷たいお心です」
  Kikoye m kata naki mi-kokoro nari keri."
5.7.8  と、泣く泣く出でたまふ。
 と、泣く泣くお出になる。
 と言って、それから泣く泣く出て行った。
  to, nakunaku ide tamahu.
注釈744かく心ごはけれど小少将の君をさす。『湖月抄』は「草子地よりいふ也」と注す。5.7.1
注釈745堰かれたまふべきならねば主語は夕霧。「れ」受身の助動詞。5.7.1
注釈746いと心憂く以下「人の心なりけり」まで、落葉宮の心中。5.7.2
注釈747人の心なりけり小少将の君をさす。完訳「夕霧への憤りはもちろん、手引した小少将にも裏切られたと、今にして「--けり」と気づく」と注す。5.7.2
注釈748若々しきやうには言ひ騒ぐとも落葉宮の心中。居直りの気持ち。5.7.2
注釈749これもいつまでにかは『集成』は「以下、落葉の宮の心」。『全集』は「語り手の言辞。情交は時間の問題」と注す。5.7.2
注釈750かばかりに乱れ立ちにたる人の心どもは夕霧に心をかよわしている浮足立った女房たちの思慮。宮の心中に立った視点。5.7.2
注釈751男君は『集成』は「夫の君といった感じの呼び方」。『完訳』は「男女関係強調の呼称」と注す。5.7.3
注釈752かばかりにては何のもて離るることかはと『集成』は「もうこうなっては、相手ものがれようのないことだと」。『完訳』は「これくらいのことでどうしてあきらめられるものかと」と訳す。宮が塗籠に隠れたことをさす。「なにの--かは」反語表現。5.7.3
注釈753山鳥の心地ぞしたまうける『異本紫明抄』は「昼は来て夜は別るる山鳥の影見る時ぞ音は泣かれける」(新古今集恋五、一三七一、読人しらず)。『河海抄』は「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む」(拾遺集恋三、七七八、柿本人麿)を指摘。山鳥は雌雄が峯を隔てて別々に寝るとされていた(俊頼髄脳・奥義抄・袖中抄)。5.7.3
注釈754かくてのみ、ことといへば、直面なべければ『集成』は「こんなことでは、下手をすると、露骨なにらみ合いということになりかねないので」。『完訳』は「いつまでもこうしていたのでは、人に顔を見られてきまりわるい思いをするのがおちだから」と注す。5.7.3
注釈755ただいささかの隙をだに夕霧の詞。5.7.4
注釈756怨みわび胸あきがたき冬の夜に--また鎖しまさる関の岩門夕霧から落葉宮への贈歌。5.7.6
注釈757聞こえむ方なき御心なりけり歌に添えた言葉。5.7.7
出典18 山鳥の心地 足引きの山鳥の尾のしだり尾の長ながし夜を独りかも寝む 拾遺集恋三-七七八 人麿 5.7.3
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 7/20/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 1/31/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年5月16日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 7/20/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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