第四十帖 御法


40 MINORI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十一歳三月から八月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from March to August, at the age of 51

3
第三章 光る源氏の物語 源氏の悲嘆と弔問客たち


3  Tale of Hikaru-Genji  Genji's deep grief and visitors to condole

3.1
第一段 源氏の悲嘆と弔問客


3-1  Genji's deep grief and visitors to condole

3.1.1   大将の君も、御忌に籠もりたまひて、あからさまにもまかでたまはず、明け暮れ近くさぶらひて、心苦しくいみじき御けしきを、ことわりに悲しく見たてまつりたまひて、よろづに慰めきこえたまふ。
 大将の君も、御忌みに籠もりなさって、ほんのちょっとも退出なさらず、朝夕お側近くに伺候して、痛々しくうちひしがれたご様子を、もっともなことだと悲しく拝し上げなさって、いろいろとお慰め申し上げなさる。
 夕霧も、紫夫人の忌中を二条院にこもることにして、かりそめにも出かけるようなことはなく、明け暮れ院のおそばにいて、心苦しい御悲歎ひたんをもっともなことであると御同情をして見ながら、いろいろと、お慰めの言葉を尽くしていた。
  Daisyau-no-Kimi mo, ohom-imi ni komori tamahi te, akarasamani mo makade tamaha zu, ake kure tikaku saburahi te, kokorogurusiku imiziki mi-kesiki wo, kotowari ni kanasiku mi tatematuri tamahi te, yoroduni nagusame kikoye tamahu.
3.1.2   風野分だちて吹く夕暮に、昔のこと思し出でて、「 ほのかに見たてまつりしものを」と、恋しくおぼえたまふに、また「限りのほどの夢の心地せし」など、人知れず思ひ続けたまふに、堪へがたく悲しければ、 人目にはさしも見えじ、とつつみて、
 野分めいて吹く夕暮時に、昔のことをお思い出しになって、「かすかに拝見したことがあったことよ」と、恋しく思われなさると、また「最期の時が夢のような気がした」など、心の中で思い続けなさると、我慢できなく悲しいので、他人にはそのようには見られまいと隠して、
 風が野分のわきふうに吹く夕方に、大将は昔のことを思い出して、ほのかにだけは見ることができた人だったのにと、過ぎ去った秋の夕べが恋しく思われるとともに、また麗人の終わりの姿を見て夢のようであったことも人知れず忍んでいると非常に悲しくなるのを、人目に怪しまれまいとする紛らわしには、
  Kaze nowakidati te huku yuhugure ni, mukasi no koto obosi ide te, "Honokani mi tatematuri si mono wo" to, kohisiku oboye tamahu ni, mata "Kagiri no hodo no yume no kokoti se si" nado, hito-sire-zu omohi tuduke tamahu ni, tahe gataku kanasikere ba, hitome ni ha sasimo miye zi, to tutumi te,
3.1.3  「 阿弥陀仏、阿弥陀仏
 「阿彌陀仏、阿彌陀仏」
 阿弥陀仏あみだぶつ、阿弥陀仏
  "Amida-Butu, Amida-Butu."
3.1.4  と引きたまふ 数珠の数に紛らはしてぞ、涙の玉をばもて消ちたまひける
 と繰りなさる数珠の数に紛らわして、涙の玉を隠していらっしゃるのであった。
 と唱えて数珠じゅずの緒を繰ることをした。涙の玉も混ぜてである。
  to hiki tamahu zuzu no kazu ni magirahasi te zo, namida no tama wo ba mote-keti tamahi keru.
3.1.5  「 いにしへの秋の夕べの恋しきに
   今はと見えし明けぐれの夢
 「昔お姿を拝した秋の夕暮が恋しいのにつけても
  御臨終の薄暗がりの中でお顔を見たのが夢のような気がする
  いにしへの秋の夕べの恋しきに
  今はと見えし明けれの夢
    "Inisihe no aki no yuhube no kohisiki ni
    ima ha to miye si akegure no yume
3.1.6  ぞ、名残さへ憂かりける。やむごとなき僧どもさぶらはせたまひて、定まりたる念仏をばさるものにて、 法華経など誦ぜさせたまふかたがたいとあはれなり
 のが、その名残までがつらいのであった。尊い僧たちを伺候させなさって、決められた念仏はいうまでもなく、法華経など読経させなさる。あれこれとまた実に悲しい。
 この夢の酔いごこちは永遠の悲しみのおりを大将の胸に残したようである。りっぱな僧たちを集めて忌籠いみごもりの念仏をさせることは普通であるが、なおそのほかに法華ほけ経をも院がお読ませになっているのも両様の悲哀を招く声のように聞こえた。
  zo, nagori sahe ukari keru. Yamgotonaki sou-domo saburaha se tamahi te, sadamari taru nenbutu wo ba saru mono nite, Hokekyau nado zuze sase tamahu. Katagata ito ahare nari.
3.1.7   臥しても起きても涙の干る世なく、霧りふたがりて明かし暮らしたまふ。いにしへより御身のありさま思し続くるに、
 寝ても起きても、涙の乾く時もなく、涙に塞がって毎日をお送りになる。昔からご自身の様子をお思い続けると、
 寝ても起きても涙のかわくまもなく目はいつも霧におおわれたお気持ちで院は日を送っておいでになった。一生を回顧してごらんになると、
  Husi te mo oki te mo namida no hiru yo naku, kiri hutagari te akasi kurasi tamahu. Inisihe yori ohom-mi no arisama obosi tudukuru ni,
3.1.8  「 鏡に見ゆる影をはじめて、人には異なりける身ながら、いはけなきほどより、悲しく常なき世を思ひ知るべく、仏などのすすめたまひける身を、心強く過ぐして、つひに来し方行く先も例あらじとおぼゆる悲しさを見つるかな。 今は、この世にうしろめたきこと残らずなりぬ。ひたみちに行ひにおもむきなむに、障り所あるまじきを、 いとかく収めむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入りがたくや
 「鏡に映る姿をはじめとして、普通の人とは異なったわが身ながら、幼い時から、悲しく無常なわが人生を悟るべく、仏などがお勧めになったわが身なのに、強情に過ごしてきて、とうとう過去にも未来にも類があるまいと思われる悲しみに遭ったことだ。今はもう、この世に気がかりなこともなくなった。ひたすら仏道に赴くに支障もないのだが、まことにこのように静めようもない惑乱状態では、願っている仏の道に入れないないのでは」
 鏡に写る容貌ようぼうをはじめとして恵まれた人物として世に登場したことは確かであるが、幼年時代からすでに人生の無常を悟らせられるようなことが次々周囲に起こって、これによって仏道へはいれと仏のうながすのをしいて知らぬふうに世の中から離脱することのできなかったために、過去にも未来にもこんなことがあろうとは思われぬ大なる悲しみを体験させられることになった、これほど悲しみのしずめがたい心を持っている間は、仏の道にもはいることは不可能であろう
  "Kagami ni miyuru kage wo hazime te, hito ni ha koto nari keru mi nagara, ihakenaki hodo yori, kanasiku tune naki yo wo omohi siru beku, Hotoke nado no susume tamahi keru mi wo, kokoroduyoku sugusi te, tuhini kisikata-yukusaki mo tamesi ara zi to oboyuru kanasisa wo mi turu kana! Ima ha, konoyo ni usirometaki koto nokora zu nari nu. Hitamitini okonahi ni omomuki na m ni, sahari dokoro aru maziki wo, ito kaku wosame m kata naki kokoromadohi ni te ha, negaha m miti ni mo iri gataku ya?"
3.1.9  と、 ややましきを、
 と気が咎めるので、
 とみずからおあやぶまれになる院は、
  to, yayamasiki wo,
3.1.10  「 この思ひすこしなのめに、忘れさせたまへ
 「この悲しみを少し和らげて、忘れさせてください」
 の心持ちを少しゆるやかにされたい
  "Kono omohi sukosi nanome ni, wasure sase tamahe."
3.1.11  と、阿弥陀仏を念じたてまつりたまふ。
 と、阿彌陀仏をお念じ申し上げなさる。
 と阿弥陀仏を念じておいでになった。
  to, Amida-Butu wo nenzi tatematuri tamahu.
注釈176大将の君も御忌に籠もりたまひて三十日間の忌み籠もり。3.1.1
注釈177風野分だちて吹く夕暮に昔のこと思し出でて主語は夕霧。「野分」巻(第一章二段)の紫の上垣間見を思い出す。『完訳』は「夕暮は人恋しい時。夕霧の追慕と悲愁の心象景」。「桐壺」巻の野分の段にも通底する。3.1.2
注釈178ほのかに見たてまつりしものをと以下、夕霧の心中に即した叙述。過去の助動詞「き」を多用。間投助詞「を」詠嘆の意。3.1.2
注釈179人目にはさしも見えじと『完訳』は「義母をひそかに慕う気持を、他人に気づかれぬようはばかる」と注す。3.1.2
注釈180阿弥陀仏阿弥陀仏夕霧の詞。3.1.3
注釈181数珠の数に紛らはしてぞ涙の玉をばもて消ちたまひける大島本は「もちけち」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もて消ち」と訂正する。『新大系』は底本のままとする。『花鳥余情』は「より合はせて泣くなる声を糸にして我が涙をば玉にぬかなむ」(伊勢集)を指摘。『岷江入楚』は「不及此歌歟」と注す。3.1.4
注釈182いにしへの秋の夕べの恋しきに--今はと見えし明けぐれの夢夕霧の独詠歌。『集成』は「歌の末尾が地の文に続く。夕霧の独詠、心中の思いである」と注す。『一葉集』は「忘れては夢かとぞ思ふ思ひきや雪踏み分けて君を見むとは」(古今集雑下、九七〇、業平朝臣)を指摘。3.1.5
注釈183法華経など誦ぜさせたまふ主語は夕霧。「させ」使役の助動詞。3.1.6
注釈184かたがたいとあはれなり『評釈』は「作者が批評している」と注す。3.1.6
注釈185臥しても起きても涙の干る世なく霧りふたがりて明かし暮らしたまふ主語は源氏。3.1.7
注釈186鏡に見ゆる影をはじめて以下「道にも入りがたくや」まで、源氏の心中。ただしその始まり方は地の文が自然と心中文になっていく叙述のしかた。3.1.8
注釈187今はこの世にうしろめたきこと残らずなりぬ『完訳』は「源氏の出家を引きとめてきた最大の絆は紫の上の存在であった」と注す。3.1.8
注釈188いとかく収めむ方なき心惑ひにては、願はむ道にも入りがたくや『集成』は「紫の上への愛執の思いの絶ちがたいことを嘆く」と注す。3.1.8
注釈189この思ひすこしなのめに忘れさせたまへ源氏の心中。仏への願い。3.1.10
校訂8 もて消ち もて消ち--*もちけち 3.1.4
校訂9 ややましき ややましき--やら(ら/$や)ましき 3.1.9
3.2
第二段 帝、致仕大臣の弔問


3-2  Mikado and retired Dajo-daijin offer their condolences

3.2.1   所々の御とぶらひ、内裏をはじめたてまつりて、例の作法ばかりにはあらず、いとしげく聞こえたまふ。 思しめしたる心のほどには、さらに何ごとも 目にも耳にもとまらず、心にかかりたまふこと、あるまじけれど、「 人にほけほけしきさまに見えじ。今さらにわが世の末に、かたくなしく心弱き惑ひにて、世の中をなむ背きにける」と、 流れとどまらむ名を思しつつむになむ、 身を心にまかせぬ嘆きをさへうち添へたまひける。
 あちらこちらからのご弔問は、朝廷をはじめ奉り、型通りの作法だけでなく、たいそう数多く申し上げなさる。ご決意なさっているお気持ちとしては、まったく何事も目にも耳にも止まらず、心に掛りなさること、ないはずであるが、「人から惚けた様子に見られまい。今さらわが晩年に、愚かしく心弱い惑乱から出家をした」と、後世まで語り伝えられる名をお考えになるので、思うに任せない嘆きまでがお加わりなっていらっしゃるのであった。
 忌中の院をお見舞いになるかたがたは宮中をはじめとして、皆形式的ではなくたびたびの使いをおつかわしになるのであった。仏道から言えばいっさいのことは院の御念頭からけられてよいわけではあるが、さすがに悲しみにぼけたふうには人から見られたくない、こうした一生の末になって妻を失った悲しみに堪えないで入道したという名の残ることだけははばかっておいでになるために、見えぬ拘束を受けて自由に出家のおできにならぬこともこのごろの悲しみに添った一つの悲しみになった。
  Tokoro dokoro no ohom-toburahi, Uti wo hazime tatematuri te, rei no sahohu bakari ni ha ara zu, ito sigeku kikoye tamahu. Obosimesi taru kokoro no hodo ni ha, sarani nanigoto mo me ni mo mimi ni mo tomara zu, kokoro ni kakari tamahu koto, aru mazikere do, "Hito ni hokehokesiki sama ni miye zi. Imasara ni waga yo no suwe ni, katakunasiku kokoroyowaki madohi nite, yononaka wo nam somuki ni keru." to, nagare todomara m na wo obosi tutumu ni nam, mi wo kokoro ni makase nu nageki wo sahe uti-sohe tamahi keru.
3.2.2  致仕の大臣、あはれをも折過ぐしたまはぬ御心にて、 かく世にたぐひなくものしたまふ人の、はかなく亡せたまひぬることを、口惜しくあはれに思して、いとしばしば問ひきこえたまふ。
 致仕の大臣は、時宜を得たお見舞いにはよく気のつくお方なので、このように世に類なくいらした方が、はかなくお亡くなりになったことを、残念に悲しくお思いになって、とても頻繁にお見舞い申し上げなさる。
 太政大臣は人が不幸であるおりに傍観していられぬ性質であったから、紫夫人というような不世出の佳人の突然に死んだことを惜しがり、院に御同情してたびたび見舞いの手紙をお送りした。
  Tizi-no-Otodo, ahare wo mo wori sugusi tamaha nu mi-kokoro nite, kaku yoni taguhi naku monosi tamahu hito no, hakanaku use tamahi nuru koto wo, kutiwosiku ahare ni obosi te, ito sibasiba tohi kikoye tamahu.
3.2.3  「 昔、大将の御母亡せたまへりしも、このころのことぞかし」と思し出づるに、いともの悲しく、
 「昔、大将の御母堂がお亡くなりになったのも、ちょうどこの頃のことであった」とお思い出しになると、とても何となく悲しくて、
 昔大将の母君がくなったのも秋のこのごろのことであったと思い出して、大臣は当時の悲しみもまた心の中にき出してくるのであったが、
  "Mukasi, Daisyau no ohom-haha use tamahe ri si mo, konokoro no koto zo kasi." to obosi iduru ni, ito mono-kanasiku,
3.2.4  「 その折、かの御身を 惜しみきこえたまひし人の、多くも亡せたまひにけるかな後れ先だつほどなき世なりけりや
 「あの時の、あの方を惜しみ申された方も、多くお亡くなりになったな。死に後れたり先立ったりしても、大差のない人生だな」
 その時に妹の死を惜しんだ人たちも多くすでに故人になっている、先立つということも、おくれるということもたいした差のない時間のことではないか
  "Sono wori, kano ohom-mi wo wosimi kikoye tamahi si hito no, ohoku mo use tamahi ni keru kana! Okure sakidatu hodo naki yo nari keri ya!"
3.2.5  など、しめやかなる夕暮にながめたまふ。空のけしきもただならねば、御子の 蔵人少将してたてまつりたまふ。あはれなることなど、こまやかに聞こえたまひて、端に、
 などと、ひっそりとした夕暮に物思いに耽っていらっしゃる。空の様子も哀れを催し顔なので、ご子息の蔵人少将を使いとして差し上げなさる。しみじみとした思いを心をこめてお書き申されて、その端に、
 などと考えて、もののしんみりと感ぜられる夕方に庭をながめていた。息子むすこ蔵人くろうど少将を使いにして六条院へ手紙を持たせてあげた。人生の悲しみをいろいろと言って、古い親友をお慰めする長い文章の書かれてある端のほうに、
  nado, simeyaka naru yuhugure ni nagame tamahu. Sora no kesiki mo tada nara ne ba, ohom-ko no Kuraudo-no-Seusyau site tatematuri tamahu. Ahare naru koto nado, komayaka ni kikoye tamahi te, hasi ni,
3.2.6  「 いにしへの秋さへ今の心地して
   濡れにし袖に露ぞおきそふ
 「昔の秋までが今のような気がして
  涙に濡れた袖の上にまた涙を落としています
  いにしへの秋さへ今のここちして
  れにしそでに露ぞ置き添ふ
    "Inisihe no aki sahe ima no kokoti si te
    nure ni si sode ni tuyu zo oki sohu
3.2.7  御返し、
 お返事、
 という歌もあった。ちょうど院も、過去になったいろいろな場合を思い出しておいでになる時であったから、大臣の言う昔の秋も、早く死別した妻のことも皆一つの恋しさになって流れてくる涙の中で返事をお書きになるのであった。
  Ohom-kahesi,
3.2.8  「 露けさは昔今ともおもほえず
   おほかた秋の夜こそつらけれ
 「涙に濡れていますことは昔も今もどちらも同じです
  だいたい秋の夜というのが堪らない思いがするのです
  露けさは昔今とも思ほえず
  おほかた秋の世こそつらけれ
    "Tuyukesa ha mukasi ima to mo omohoye zu
    ohokata aki no yo koso turakere
3.2.9  もののみ悲しき御心のままならば、 待ちとりたまひては、心弱くもと、目とどめたまひつべき大臣の御心ざまなれば、めやすきほどにと、
 何事も悲しくお思いの今のお気持ちのままの返歌では、待ち受けなさって、意気地無しと、見咎めなさるにちがいない大臣のご気性なので、無難な体裁にと、
 悲しいことだけを書いておいては、あまりに弱いことであると批難するであろう、大臣の性格を知っておいでになる院は御注意をみずからあそばして、
  Mono nomi kanasiki mi-kokoro no mama nara ba, mati-tori tamahi te ha, kokoroyowaku mo to, me todome tamahi tu beki Otodo no mi-kokorozama nare ba, meyasuki hodo ni to,
3.2.10  「 たびたびのなほざりならぬ御とぶらひの重なりぬること」
 「度々の懇ろな御弔問を重ねて頂戴しましたこと」
 たびたび厚意のある御慰問を受けているといって、
  "Tabitabi no nahozari nara nu ohom-toburahi no kasanari nuru koto."
3.2.11  と喜びきこえたまふ。
 とお礼申し上げなさる。
 よろこびの言葉などもお書き加えになるのをお忘れにならなかった。
  to yorokobi kikoye tamahu.
3.2.12  「 薄墨」とのたまひしよりは、今すこしこまやかにてたてまつれり。 世の中に幸ひありめでたき人も、あいなうおほかたの世に嫉まれ、よきにつけても、心の限りおごりて、人のため苦しき人もあるを、あやしきまで、すずろなる人にも受けられ、はかなくし出でたまふことも、何ごとにつけても、世にほめられ、心にくく、折ふしにつけつつ、らうらうじく、ありがたかりし人の御心ばへなりかし。
 「薄墨衣」とお詠みになった時よりも、もう少し濃い喪服をお召しになっていらっしゃった。世の中に幸い人で結構な方も、困ったことに一般の世間の人から妬まれ、身分が高いにつけ、この上なくおごり高ぶって、他人を困らせる人もあるのだが、不思議なまで、無縁な人々からも人望があり、ちょっとなさることにも、どのようなことでも、世間から誉められ、奥ゆかしく、その折々につけて行き届いており、めったにいらっしゃらないご性格の方であった。
 薄墨色を着るとあおい夫人の死んだ時にお歌いになったその喪服よりも、今度は少し濃い色のを着て悲しみを示された。どんな幸運に恵まれていても、理由のない世間の嫉妬しっとを受けることがあるものであるし、またその人自身にも驕慢きょうまんな心ができてそのために人の苦しめられる人もあるのであるが、紫の女王という人は不思議なほどの人気があって、何につけても渇仰かつごうされ、ほめられる唯一のきずのないたまのような存在であり、
  "Usuzumi" to notamahi si yori ha, ima sukosi komayaka nite tatemature ri. Yononaka ni saihahi ari medetaki hito mo, ainau ohokata no yo ni sonema re, yoki ni tuke te mo, kokoro no kagiri ogori te, hito no tame kurusiki hito mo aru wo, ayasiki made, suzuro naru hito ni mo uke rare, hakanaku si ide tamahu koto mo, nanigoto ni tuke te mo, yo ni homera re, kokoronikuku, worihusi ni tuke tutu, raurauziku, arigatakari si hito no mi-kokorobahe nari kasi.
3.2.13   さしもあるまじきおほよその人さへ、そのころは、風の音虫の声につけつつ、涙落とさぬはなし。まして、ほのかにも見たてまつりし人の、思ひ慰むべき世なし。年ごろ睦ましく仕うまつり馴れつる人びと、しばしも残れる命、恨めしきことを嘆きつつ、尼になり、この世のほかの山住みなどに思ひ立つもありけり。
 さほど縁のなさそうな世間一般の人でさえ、その当時は、風の音、虫の声につけて、涙を落とさない人はいない。まして、ちょっとでも拝した人では、悲しみの晴れる時がない。長年親しくお仕え馴れてきた人々、寿命が少しでも生き残っている命が、恨めしいことを嘆き嘆き、尼になり、この世を離れた山寺に入ることなどを思い立つ者もいるのであった。
 善良な貴女きじょであったのであるから、たいした関係のない世間一般の人たちまでも今年の秋は虫の声にも、風の音にも、また得がたいこの世の宝を失った悲しみに誘われて、涙を落とさない者はないのである。ましてほのかにでも女王を見たことのある人たちにとって、女王を失った悲しみはとうてい忘られるものではなかった。女王が親しく手もとに使っていた女房たちで、たとい少しの間にもせよ夫人におくれて生き残っている命を恨めしいと思って尼になる者もあった。尼になってまだ満足ができずに遠く世と離れた田舎いなか住居すまいを移そうとする者もあった。
  Sasimo aru maziki ohoyoso no hito sahe, sonokoro ha, kaze no oto musi no kowe ni tuke tutu, namida otosa nu ha nasi. Masite, honokani mo mi tatematuri si hito no, omohi nagusamu beki yo nasi. Tosigoro mutumasiku tukaumaturi nare turu hitobito, sibasi mo nokore ru inoti, uramesiki koto wo nageki tutu, ama ni nari, konoyo no hoka no yamazumi nado ni omohi tatu mo ari keri.
注釈190所々の御とぶらひ方々からの源氏への弔問。3.2.1
注釈191思しめしたる心のほどには『湖月抄』は「源の心を草子地よりいふ也」と注す。3.2.1
注釈192目にも耳にもとまらず大島本は「とまらす」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「とどまらず」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。3.2.1
注釈193人にほけほけしきさまに見えじ以下「背きにける」まで源氏の心中。文末は地の文に流れる。3.2.1
注釈194流れとどまらむ名を思しつつむに心中文であるはずの内容が地の文に語られる。3.2.1
注釈195身を心にまかせぬ嘆きを『河海抄』は「いなせとも言ひ放たれず憂き物は身を心ともせぬ世なりけり」(後撰集恋五、九三八、伊勢)を指摘。『集成』は「悲しみにばかり浸っていられず、弔問にも答えねばならぬという嘆き」と注す。3.2.1
注釈196かく世にたぐひなくものしたまふ人の紫の上をさす。3.2.2
注釈197昔大将の御母亡せたまへりしもこのころのことぞかしと大島本は「御はゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「御母上」と「上」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。致仕大臣の心中。葵の上の死去は今から三十年前の秋、八月二十余日であった。3.2.3
注釈198その折かの御身を以下「世なりけりや」まで、致仕大臣の心中。3.2.4
注釈199惜しみきこえたまひし人の多くも亡せたまひにけるかな『集成』は「父左大臣や母大宮など」。『完訳』は「葵の上の死を悲嘆した人々の多くは故人。時の経過を思う」と注す。3.2.4
注釈200後れ先だつほどなき世なりけりや『異本紫明抄』は「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ」(古今六帖、雫)を引歌として指摘。3.2.4
注釈201蔵人少将致仕大臣の子。故柏木や左大弁の弟。3.2.5
注釈202いにしへの秋さへ今の心地して--濡れにし袖に露ぞおきそふ致仕大臣の贈歌。三十年前の妹葵の上の死別を思い合わせながらこのたびの紫の上の死去に対する弔問の歌。3.2.6
注釈203露けさは昔今ともおもほえず--おほかた秋の夜こそつらけれ源氏の返歌。「秋」「今」「露」の語句を用い、「いにしへ」は「昔」と言い換えて返す。3.2.8
注釈204待ちとりたまひて主語は致仕大臣。3.2.9
注釈205たびたびのなほざりならぬ以下「重なりぬること」まで、弔問に対する源氏のお礼の詞。3.2.10
注釈206薄墨とのたまひしより源氏が「限りあれば薄墨衣浅けれど涙ぞ袖を淵となしける」(「葵」第二章七段)と詠んだことをさす。3.2.12
注釈207世の中に幸ひありめでたき人も『林逸抄』は「紫上の事をほむる詞也さうし也」。『万水一露』は「双帋の地也」と指摘。『集成』は「この世で幸運に恵まれた結構な方でも、困ったことに一般の世間から嫉まれ。以下「人のため苦しき人もあるを」まで、一般論を述べ、しかし紫の上はそうではないと、「あやしきまで」からあと、紫の上への讃辞を書く。このあたりの文章は、薄雲の巻の、藤壷崩御に当って、その仁慈を讃える文を連想させる」と注す。3.2.12
注釈208さしもあるまじきおほよその人さへ『完訳』は「以下、紫の上を惜しむ人々を、他に「ほのかにも--人」「年ごろ--人々」と、三段階に分けて叙述」と注す。3.2.13
出典6 後れ先だつほどなき世 末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ 新古今集哀傷-七五七 僧正遍昭 3.2.4
3.3
第三段 秋好中宮の弔問


3-3  Akikonomu-empress offers her condolence

3.3.1   冷泉院の后の宮よりも、あはれなる御消息絶えず、尽きせぬことども聞こえたまひて、
 冷泉院の后の宮からも、お心のこもったお便りが絶えずあり、尽きない悲しみをあれこれと申し上げなさって、
 冷泉れいぜい院のきさきの宮も御同情のこもるお手紙を始終お寄せになった。故人を忍ぶことをお書きになった奥に、
  Reizeiwin no Kisai-no-Miya yori mo, ahare naru ohom-seusoko taye zu, tuki se nu koto-domo kikoye tamahi te,
3.3.2  「 枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の
   秋に心をとどめざりけむ
 「枯れ果てた野辺を嫌ってか、亡くなられたお方は
  秋をお好きにならなかったのでしょうか
  枯れはつる野べをうしとやき人の
  秋に心をとどめざりけん
    "Kare haturu nobe wo usi to ya naki hito no
    aki ni kokoro wo todome zari kem
3.3.3   今なむことわり知られはべりぬる
 今になって理由が分かりました」
 はじめてわかった気もいたします。
  Ima nam kotowari sira re haberi nuru."
3.3.4  とありけるを、ものおぼえぬ御心にも、うち返し、置きがたく見たまふ。「 いふかひあり、をかしからむ方の慰めには、この宮ばかりこそおはしけれ」と、いささかのもの紛るるやうに思し続くるにも、涙のこぼるるを、袖の暇なく、え書きやりたまはず。
 とあったのを、何も分からぬお気持ちにも、繰り返し、下にも置きがたく御覧になる。「話相手になれる風情ある歌のやりとりをして気を慰める人としては、この中宮だけがいらっしゃった」と、少しは悲しみも紛れるようにお思い続けても、涙がこぼれるのを、袖の乾く間もなく、返歌をなかなかお書きになれない。
 とお書きになったものを、院はお悲しみの中でも繰り返しお読みになって、いつまでもながめておいでになった。趣味の洗練された方として、思うことも書きかわしうる方はまだお一人この方があるとお思いになって、院は少しうれいの紛れる気持ちをお覚えになりながら涙の流れ続けるためにお筆が進まなかった。
  to ari keru wo, mono oboye nu mi-kokoro ni mo, uti-kahesi, oki gataku mi tamahu. "Ihukahi ari, wokasikara m kata no nagusame ni ha, kono Miya bakari koso ohasi kere." to, isasaka no mono magiruru yau ni obosi tudukuru ni mo, namida no koboruru wo, sode no itoma naku, e kaki yari tamaha zu.
3.3.5  「 昇りにし雲居ながらもかへり見よ
   われ飽きはてぬ常ならぬ世に
 「煙となって昇っていった雲居からも振り返って欲しい
  わたしはこの無常の世にすっかり飽きてしまいました
  のぼりにし雲井ながらも返り見よ
  われ飽きはてぬ常ならぬ世に
    "Nobori ni si kumowi nagara mo kaheri miyo
    ware aki hate nu tune nara nu yo ni
3.3.6   おし包みたまひても、とばかり、うち眺めておはす。
 お包みになっても、そのまま茫然と、物思いに耽っていらっしゃる。
 お返事をお書きえになったあとでもなお院は見えぬものに見入っておいでになった。
  Osi-tutumi tamahi te mo, tobakari, uti-nagame te ohasu.
3.3.7  すくよかにも思されず、われながら、ことのほかにほれぼれしく思し知らるること多かる、紛らはしに、 女方にぞおはします
 しっかりとしたお心もなく、自分ながら、ことのほかに正体もないさまにお思い知られることが多いので、紛らわすために、女房のほうにいらっしゃる。
 お気持ちを強くあそばすことができずに悲しみにぼけたところがあるようにみずからお認めになる院はもとの夫人の居間のほうにばかりおいでになった。
  Sukuyoka ni mo obosa re zu, ware nagara, koto no hoka ni horeboresiku obosi sira ruru koto ohokaru, magirahasi ni, womnagata ni zo ohasimasu.
3.3.8  仏の御前に人しげからずもてなして、のどやかに行なひたまふ。 千年をももろともにと思ししかど、限りある別れぞいと口惜しきわざなりける。 今は、蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つこと、たゆみなし。されど、 人聞きを憚りたまふなむ、あぢきなかりける
 仏の御前に女房をあまり多くなくお召しになって、心静かにお勤めになる。千年も一緒にとお思いになったが、限りのある別れが実に残念なことであった。今は、極楽往生の願いが他のことに紛れないように、来世をと、一途にお思い立ちになられる気持ち、揺ぎもない。けれども、外聞を憚っていらっしゃるのは、つまらないことであった。
 仏像をおえになった前に少数の女房だけをはべらせて、ゆるやかに仏勤めをあそばす院でおありになった。千年もごいっしょにいたく思召おぼしめした最愛の夫人も死に奪われておしまいにならねばならなかったことがお気の毒である。もうこの世にはなんらの執着も残らぬことを自覚あそばされて、遁世とんせいの人とおなりになるお用意ばかりを院はしておいでになるのであるが、人聞きということでまた躊躇ちゅうちょしておいでになるのはよくないことかもしれない。   Hotoke no o-mahe ni hito sigekara zu motenasi te, nodoyaka ni okonahi tamahu. Titose wo mo morotomoni to obosi sika do, kagiri aru wakare zo ito kutiwosiki waza nari keru. Ima ha, hatisu no tuyu mo kotogoto ni magiru maziku, notinoyo wo to, hitamitini obosi tatu koto, tayumi nasi. Saredo, hitogiki wo habakari tamahu nam, adikinakari keru.
3.3.9   御わざのことども、はかばかしく のたまひおきつることどもなかりければ、大将の君なむ、とりもちて仕うまつりたまひける。 今日やとのみ、わが身も心づかひせられたまふ 折多かるを、 はかなくて、積もりにけるも、夢の心地のみす。 中宮なども、思し忘るる時の間なく、恋ひきこえたまふ。
 御法要の事も、はっきりとお取り決めなさることもなかったので、大将の君が、万事引き受けてお営みなさるのであった。今日が最期かとばかり、ご自身でもお覚悟される時が多いのであったが、いつのまにか、月日が積もってしまったのも、夢のような気ばかりがする。中宮なども、お忘れになる時の間もなく、恋い慕っていらっしゃる。
夫人の法事についても順序立てて人へお命じになることは悲しみに疲れておできにならない院に代わって大将がすべて指図さしずをしていた。自分の命も今日が終わりになるのであろうとお考えられになる日も多かったが、結局四十九日のいみの明けるのを御覧になることになったかと院は夢のように思召した。中宮ちゅうぐうなども紫夫人を忘れる時なく慕っておいでになった。
  Ohom-waza no koto-domo, hakabakasiku notamahi oki turu koto-domo nakari kere ba, Daisyau-no-Kimi nam, torimoti te tukaumaturi tamahi keru. Kehu ya to nomi, waga mi mo kokorodukahi se rare tamahu wori ohokaru wo, hakanaku te, tumori ni keru mo, yume no kokoti nomi su. Tyuuguu nado mo, obosi wasururu toki no ma naku, kohi kikoye tamahu.
注釈209冷泉院の后の宮秋好中宮。3.3.1
注釈210枯れ果つる野辺を憂しとや亡き人の--秋に心をとどめざりけむ秋好中宮から源氏への見舞いの贈歌。『河海抄』は「霜枯れの野辺を憂しと思へばや垣ほの草と人のあるらむ」(古今六帖拾遺)と指摘。『集成』は「昔、春秋の争いに、紫の上は春を好んだことによって詠む」。『完訳』は「「秋に--けん」は、秋に亡くなったのは秋を好まなかったためか、の意。「枯れはつる」は秋の終りとともに、人生の終末をも連想」と注す。3.3.2
注釈211今なむことわり知られはべりぬる歌に添えた消息文。3.3.3
注釈212いふかひあり以下「おはしけれ」まで、源氏の心中。3.3.4
注釈213昇りにし雲居ながらもかへり見よ--われ飽きはてぬ常ならぬ世に源氏の返歌。「果つ」「秋」の語句を用いる。「かへり見よ」の主語は荼毘にふされて空にのぼった紫の上。紫の上に呼び掛けている。「あき」に「秋」と「飽き」を掛ける。『完訳』は「贈答歌としては中宮への返歌になりきらない。しかし、「のぼりにし雲居」を中宮の位と解し、中宮に呼びかけたとする一説はとらない」と注す。3.3.5
注釈214おし包みたまひても手紙を上包みの紙に包む。きちんとした体裁の返書。3.3.6
注釈215女方にぞおはします『集成』は「女房たちのいる所。奥向き。男性の出入りする表向きの場所での緊張に耐えない」と注す。3.3.7
注釈216千年をももろともにと思ししかど『集成』は「源氏の気持を地の文の形で書く」と注す。3.3.8
注釈217今は、蓮の露も異事に紛るまじく、後の世をと、ひたみちに思し立つこと『河海抄』は「蓮葉の濁りにしまぬ心もて何かは露を玉とあざむく」(古今集夏、一六五、僧正遍昭)を指摘。『集成』は「今は極楽往生の願いも、ほかのことで紛れるはずもなく、後世のことをと」と訳す。『完訳』は「往生して紫の上と一つ蓮台に座れるのに専念」と注す。3.3.8
注釈218人聞きを憚りたまふなむ、あぢきなかりける『紹巴抄』は「双地」と注す。3.3.8
注釈219御わざのことども七日ごとの法要。「ども」複数を表す接尾語。『完訳』は「四十九日とすれば十月初旬」と注す。3.3.9
注釈220のたまひおきつることども大島本は「ことゝも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「こと」と「ども」を削除する。『新大系』は底本のままとする。主語は源氏。3.3.9
注釈221今日やとのみわが身も心づかひせられたまふ『河海抄』は「わびつつも昨日ばかりは過ぐして今日や我が身の限りなるらむ」(拾遺集恋一、六九四、読人しらず)を指摘。3.3.9
注釈222はかなくて積もりにけるも『完訳』は「実りのない月日が迅速に経過」と注す。3.3.9
注釈223中宮なども明石中宮。3.3.9
出典7 今日やとのみ、わが身も 侘びつつも昨日ばかりは過ぐしてき今日やわが身の限りなるらむ 拾遺集恋一-六九四 読人しらず 3.3.9
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渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
柳沢成雄(青空文庫)

2003年10月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

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by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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