第四十一帖 幻


41 MABOROSI (Ohoshima-bon)


光る源氏の准太上天皇時代
五十二歳春から十二月までの物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo Tenno era, from spring to December, at the age of 52

1
第一章 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語


1  Tale of Genji  Mourning for Murasaki, in spring

1.1
第一段 紫の上のいない春を迎える


1-1  Spring has come after Murasaki's passed away

1.1.1   春の光を見たまふにつけても、いとどくれ惑ひたるやうにのみ、御心ひとつは、悲しさの改まるべくもあらぬに、外には、 例のやうに人びと参りたまひなどすれど、御心地悩ましきさまにもてなしたまひて、御簾の内にのみおはします。兵部卿宮渡りたまへるにぞ、ただうちとけたる方にて対面したまはむとて、 御消息聞こえたまふ
 春の光を御覧になるにつけても、ますます涙にくれ心も乱れるようにばかりで、お心ひとつは、悲しみが改まりようもないので、外には、例年のように人びとが年賀に参ったりするが、ご気分のすぐれないように振る舞いなさって、御簾の内にばかりいらっしゃる。兵部卿宮がお越しになったので、ほんの内々のお部屋でお会いなさろうとして、その旨お伝え申し上げなさる。
春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾みすの中にばかりおいでになった。兵部卿ひょうぶきょうの宮のおいでになった時にだけはお居間のほうでお会いになろうという気持ちにおなりになって、まず歌をお取り次がせになった。
  Haru no hikari wo mi tamahu ni tuke te mo, itodo kure madohi taru yau ni nomi, mi-kokoro hitotu ha, kanasisa no aratamaru beku mo ara nu ni, to ni ha, rei no yau ni hitobito mawiri tamahi nado sure do, mi-kokoti nayamasiki sama ni motenasi tamahi te, misu no uti ni nomi ohasimasu. Hyaubukyau-no-Miya watari tamahe ru ni zo, tada utitoke taru kata nite taimen si tamaha m tote, ohom-seusoko kikoye tamahu.
1.1.2  「 わが宿は花もてはやす人もなし
   何にか春のたづね来つらむ
 「わたしの家には花を喜ぶ人もいませんのに
  どうして春が訪ねて来たのでしょう
  わが宿は花もてはやす人もなし
  何にか春のたづねきつらん
    "Waga yado ha hana motehayasu hito mo nasi
    nani ni ka haru no tadune ki tu ram
1.1.3  宮、うち涙ぐみたまひて、
 宮、ちょっと涙ぐみなさって、
 宮は涙ぐんでおしまいになって、
  Miya, uti-namidagumi tamahi te,
1.1.4  「 香をとめて来つるかひなくおほかたの
   花のたよりと言ひやなすべき
 「梅の香を求めて来たかいもなく
  ありきたりの花見とおっしゃるのですか
  香をとめて来つるかひなくおほかたの
  花の便たよりと言ひやなすべき
    "Ka wo tome te ki turu kahi naku ohokata no
    hana no tayori to ihi ya nasu beki
1.1.5   紅梅の下に歩み出でたまへる御さまの、いとなつかしきにぞ、 これより他に見はやすべき人なくや、と見たまへる。花はほのかに開けさしつつ、をかしきほどの匂ひなり。御遊びもなく、例に変りたること多かり。
 紅梅の下に歩いていらっしゃったご様子が、大変優しくお似合いなので、この方以外に賞美する人もいないのではないか、とお見えになる。花はわずかに咲きかけて、風情あるころの美しさである。管弦のお遊びもなく、いつもの年と違ったことが多かった。
 と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御風采ふうさいのなつかしいのを御覧になっても、今ではこの人以外に紅梅の美と並べてよい人も存在しなくなったのであると院はお思いになった。花はほのかに開いて美しい紅を見せていた。音楽の遊びをされるのでもなく、常の新春に変わったことばかりであった。
  Koubai no sita ni ayumi ide tamahe ru ohom-sama no, ito natukasiki ni zo, kore yori hoka ni mi hayasu beki hito naku ya, to mi tamahe ru. Hana ha honokani hirake sasi tutu, wokasiki hodo no nihohi nari. Ohom-asobi mo naku, rei ni kahari taru koto ohokari.
1.1.6  女房なども、年ごろ経にけるは、墨染の色 こまやかにて着つつ悲しさも改めがたく、思ひさますべき世なく恋ひきこゆるに、 絶えて、御方々にも渡りたまはず紛れなく見たてまつるを慰めにて馴れ仕うまつれる 年ごろ、まめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど、時々は見放たぬやうに思したりつる人びとも、 なかなか、かかる寂しき御一人寝になりては、いとおほぞうにもてなしたまひて、夜の御宿直などにも、これかれとあまたを、御座のあたり 引きさけつつ、さぶらはせたまふ。
 女房なども、長年仕えて来た者は、墨染の色の濃いのを着て、悲しみも慰めがたく、いつまでも諦めきれずにお慕い申し上げるが、全然、ご夫人方にもお渡りにならない。それをいつも目の前に拝するのを慰めとして、親しくお仕えしていた今まで、本気でお心をかけてということはなかったけれど、時々は見放さないようにお思いになっていた女房たちも、かえって、このような寂しいお独り寝になってからは、ごくあっさりとお扱いになって、夜の御宿直などにも、この人あの人と大勢を、ご座所から引き離し引き離しして、伺候させなさる。
  女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なおましがたい悲しみにおぼれていた。他の夫人たちの所へお出かけになることがなくて、院が常にこちらでばかり暮らしておいでになることだけを皆慰めにしていた。これまで執心がおありになるのでもなく、時々情人らしくお扱いになった人たちに対しては独居をあそばすようになってからはかえって冷淡におなりになって、他の人たちへのごとく主従としてお親しみになるだけで、夜もだれかれと幾人も寝室へはべらせて、御退屈さから夫人の在世中の話などをあそばしたりした。
  Nyoubau nado mo, tosigoro he ni keru ha, sumizome no iro komayaka nite ki tutu, kanasisa mo aratame gataku, omohi samasu beki yo naku kohi kikoyuru ni, tayete, ohom-katagata ni mo watari tamaha zu. Magire naku mi tatematuru wo nagusame nite, nare tukaumature ru tosigoro, mameyakani mi-kokoro todome te nado ha ara zari sika do, tokidoki ha mihanata nu yau ni obosi tari turu hitobito mo, nakanaka, kakaru sabisiki ohom-hitorine ni nari te ha, ito ohozouni motenasi tamahi te, yoru no ohom-tonowi nado ni mo, kore kare to amata wo, omasi no atari hiki-sake tutu, saburaha se tamahu.
注釈1春の光を見たまふにつけても主語は源氏。源氏五十二歳の春。『河海抄』は「いづことも春の光はわかなくにまだみ吉野の山は雪ふる」(後撰集春上、一九、躬恒)を指摘。『細流抄』は「百千鳥囀る春はものごとに改まれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。『評釈』『集成』でも指摘。1.1.1
注釈2例のやうに人びと参りたまひなどすれど『集成』は「妻の服喪は三ケ月で、旧年中に源氏の喪は明けている」と注す。1.1.1
注釈3御消息聞こえたまふ主語は源氏。1.1.1
注釈4わが宿は花もてはやす人もなし--何にか春のたづね来つらむ源氏の詠歌。「花もてはやす人」は紫の上をさす。「春」は蛍兵部卿宮を喩える。「の」は主格を表す格助詞。『奥入』は「何にきく色染めかへし匂ふらむ花もてはやす君も来なくに」(後撰集秋下、四〇〇、読人しらず)を指摘。1.1.2
注釈5香をとめて来つるかひなくおほかたの--花のたよりと言ひやなすべき蛍兵部卿宮の返歌。「花」「来」の語句を用いて返す。『源注拾遺』は「年をへて花の便りにこと問はばいとどあだなる名をや立ちなむ」(後撰集春中、七八、兼覧王)「訪はるるもあだにはあれどこの春は花の便りぞうれしかりける」(古今六帖五、道のたより)「あぢきなく花の便りに訪はるれば我さへあだになりぬべらなり」(古今六帖五、道のたより、躬恒)「をさなくぞ春のみ訪ふと思ひける花の便りに見ゆるなりけり」(重之集)を指摘。1.1.4
注釈6紅梅の下に歩み出でたまへる御さまの蛍兵部卿宮をさす。『集成』は「六条の院南の待ちの前栽であろう」。『完訳』は「この巻の舞台は、全体が六条院か二条院か不明。一説には、前半が二条院、後半が六条院とも」と注す。1.1.5
注釈7これより他に見はやすべき人なくやと『河海抄』は「山高み人もすさめぬ桜花いたくなわびそ我見はやさむ」(古今集春上、五〇、読人しらず)を指摘。1.1.5
注釈8こまやかにて着つつ接続助詞「つつ」反復継続の意。多数の人が同じ喪服を着ている意。1.1.6
注釈9悲しさも改めがたく『河海抄』は「百千鳥囀る春はものごとにあらたまれども我ぞふりゆく」(古今集春上、二八、読人しらず)を指摘。1.1.6
注釈10絶えて、御方々にも渡りたまはず主語は源氏。この文は挿入句。『完訳』は「亡き紫の上への執着から、明石の君・花散里などを相手にする気になれない。このころ源氏は六条院にいるか」と注す。1.1.6
注釈11紛れなく見たてまつるを慰めにて主語は女房たち。1.1.6
注釈12馴れ仕うまつれる大島本は「なれつかうまつれる」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「馴れ仕えうまつる」と校訂し、句点で文を結ぶ。『新大系』は底本のままとし、読点で文を続ける。1.1.6
注釈13年ごろまめやかに御心とどめてなどはあらざりしかど時々は見放たぬやうに思したりつる人びと敬語表現は源氏に対して。『集成』は「源氏の寵を受けていた女房たち。後出の中納言の君、中将の君など」。『完訳』は「いわゆる召人。情交関係のある女房」と注す。1.1.6
注釈14なかなか『完訳』は「「いとおほぞうに--」にかかる。紫の上亡き今、女房らと交わってもよさそうなのだが、かえって」と注す。1.1.6
注釈15引きさけつつ接続助詞「つつ」反復継続の意。多数の人々に同じ動作をさせる。1.1.6
1.2
第二段 雪の朝帰りの思い出


1-2  Genji remembers a smow early morning

1.2.1  つれづれなるままに、いにしへの物語などしたまふ折々もあり。 名残なき御聖心の深くなりゆくにつけてもさしもあり果つまじかりけることにつけつつ中ごろ、もの恨めしう思したるけしきの、時々見えたまひしなどを思し出づるに、
 所在ないままに、昔の思い出話などをなさる時々もある。昔の好色心の名残もなく仏道一途のお心が深くなってゆくにつけても、長続きしそうもなかった恋愛事につけても、ひと頃、何やら恨めしそうであった様子が、時々お見えになったことなどをお思い出しになると、
 次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、うらめしそうな様子がおりおり夫人に見えたことなどもお思い出しになって、
  Turedure naru mama ni, inisihe no monogatari nado si tamahu woriwori mo ari. Nagori naki ohom-hizirigokoro no hukaku nari yuku ni tuke te mo, sasimo ari hatu mazikari keru koto ni tuke tutu, nakagoro, mono-uramesiu obosi taru kesiki no, tokidoki miye tamahi si nado wo obosi iduru ni,
1.2.2  「 などて、戯れにても、また まめやかに心苦しきことにつけても、 さやうなる心を見えたてまつりけむ。 なに事もらうらうじくおはせし御心ばへなりしかば、 人の深き心もいとよう見知りたまひながら、怨じ果てたまふことはなかりしかど、一わたりづつは、いかならむとすらむ」
 「どうして、一時の戯れであるにせよ、また真実おいたわしかったことにつけても、あのような心をお見せ申したのだろう。どのようなことにもよく練られたお方であったので、自分の心底もとてもよくご存知でありながら、心底お恨みになることはなかったが、それぞれ一通りは、どのようになるのだろう」
 なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、聡明そうめいな人であったから、十分の理解は持っていながらも、あくまでうらみきるということはなくて、どの人と交渉の生じた場合にも一度ずつはどうなることかと不安におびえたふうが見えた
  "Nadote, tahabure nite mo, mata mameyakani kokorogurusiki koto ni tuke te mo, sayau naru kokoro wo miye tatematuri kem? Nanigoto mo raurauziku ohase si mi-kokorobahe nari sika ba, hito no hukaki kokoro mo ito you misiri tamahi nagara, wenzi hate tamahu koto ha nakari sika do, hitowatari dutu ha, ikanara m to su ram?"
1.2.3   と思したりしを、すこしにても心を乱りたまひけむことの、いとほしう悔しうおぼえたまふさま、胸よりもあまる心地したまふ。その折のことの 心を知り、今も近う仕うまつる人びとは、ほのぼの聞こえ出づるもあり。
 とご心配なさっていたのを、わずかであってもお心をお乱しなさったことが、おいたわしく悔やまれなさる様子は、胸一つに収めきれないような気がなさる。その当時の事情を知っていて、今でもお側近くに仕えている女房たちは、ぽつりぽつりと口に出して申す者もいる。
 と院は回顧あそばされて、そうした煩悶はんもん女王にょおうにさせたことを後悔される思いが胸からあふれ出るようにお感じになるのであった。
 そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。
  to obosi tari si wo, sukosi nite mo kokoro wo midari tamahi kem koto no, itohosiu kuyasiu oboye tamahu sama, mune yori mo amaru kokoti si tamahu. Sono wori no koto no kokoro wo siri, ima mo tikau tukaumaturu hitobito ha, honobono kikoye iduru mo ari.
1.2.4   入道の宮の渡りはじめたまへりしほどその折はしも、色にはさらに出だしたまはざりしかど、ことにふれつつ、あぢきなのわざやと、思ひたまへりしけしきのあはれなりし中にも、 雪降りたりし暁に立ちやすらひて、わが身も冷え入るやうにおぼえて、空のけしき激しかりしに、いとなつかしうおいらかなるものから、袖のいたう泣き濡らしたまへりけるを ひき隠し、せめて紛らはしたまへりしほどの 用意などを夜もすがら、「夢にても、またはいかならむ世にか」と、思し続けらる。
 入道の宮がご降嫁なさった当初、その当座は、顔色にも全然お出しにならなかったが、何かにつけて、情けないことよと、思っていらっしゃった様子がお気の毒であった中でも、雪が降った早朝に室外にたたずんで、自分の身も冷えきったように思われて、空模様がすごかった時に、とてもやさしくおっとりとしていらっしゃる一方で、袖がたいそう泣き濡れていらっしゃったのを引き隠し、無理して紛らわしていらっしゃった時のたしなみの深さなどを、一晩中、「夢であっても、もう一度いつになたら会えるだろうか」と、自然とお思い続けられる。
 入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、そでがひどく涙でぬれていたのを、隠そうと努めた夫人の美質などを、院は夜通し思い続けておいでになって、夢にでも十分にその姿を見ることができるであろうか、どんな世にまためぐり合うことができるのであろうかとばかりあこがれておいでになった。
  Nihudau-no-Miya no watari hazime tamahe ri si hodo, sono wori ha simo, iro ni ha sarani idasi tamaha zari sika do, koto ni hure tutu, adikina no waza ya to, omohi tamahe ri si kesiki no ahare nari si naka ni mo, yuki huri tari si akatuki ni tati yasurahi te, waga mi mo hiye iru yau ni oboye te, sora no kesiki hagesikari si ni, ito natukasiu oyiraka naru monokara, sode no itau naki nurasi tamahe ri keru wo hiki-kakusi, semete magirahasi tamahe ri si hodo no youi nado wo, yomosugara, "Yume nite mo, mata ha ikanara m yo ni ka?" to, obosi tuduke raru.
1.2.5  曙にしも、 曹司に下るる女房なるべし
 夜明けに、折も折、曹司に下りる女房であろう、
 夜明けに部屋へやへさがって行く女房なのであろうが、
  Akebono ni simo, zausi ni oruru nyoubau naru besi,
1.2.6  「 いみじうも積もりにける雪かな
 「ひどく積もった雪ですこと」
 「まあずいぶん降った雪」
  "Imiziu mo tumori ni keru yuki kana!"
1.2.7  と言ふ声を聞きつけたまへる、ただその折の心地するに、御かたはらの寂しきも、いふかたなく悲し。
 と言う声をお聞きつけになって、ちょうどその時の気がするが、側にいらっしゃらない寂しさも、言いようもなく悲しい。
 と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は思召おぼしめした。
  to ihu kowe wo kiki tuke tamahe ru, tada sono wori no kokoti suru ni, ohom-katahara no sabisiki mo, ihukatanaku kanasi.
1.2.8  「 憂き世には雪消えなむと思ひつつ
   思ひの外になほぞほどふる
 「つらいこの世からは姿を消してしまいたいと思いながらも
  心外にもまだ月日を送っていることだ
  うき世にはゆき消えなんと思ひつつ
  思ひのほかになほぞほど
    "Ukiyo ni ha yuki kiye nam to omohi tutu
    omohi no hoka ni naho zo hodo huru
注釈16名残なき御聖心の深くなりゆくにつけても『集成』は「かつての好き心の名残もないご道心が」。『完訳』は「かつての好色心の名残もなく仏道一途のお気持が深くなってゆくにつけても」と訳す。1.2.1
注釈17さしもあり果つまじかりけることにつけつつ『集成』は「大したこになるはずもなかったあれこれの恋愛事件につけて。朝顔の斎院とのことなど」と注す。1.2.1
注釈18中ごろもの恨めしう思したるけしきの紫の上の態度表情をさす。1.2.1
注釈19などて戯れにても以下「いかならむとすらむ」まで、源氏の心中。「戯れ」は一時の浮気沙汰。1.2.2
注釈20まめやかに心苦しきこと『集成』は「女三の宮を迎えたことをさしていよう」と注す。1.2.2
注釈21さやうなる心を紫の上以外の女性に心を移したこと。1.2.2
注釈22なに事も大島本は「なに事も」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「何ごとにも」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.2.2
注釈23人の深き心もいとよう見知りたまひながら『集成』は「自分(源氏)の本当の気持も、大層よく分ってはいらっしゃるものの」。『完訳』は「紫の上は、源氏の恋の心底を、よく察知していたとする」と注す。1.2.2
注釈24と思したりしを大島本は「とおほしたりしを」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「と思したりしに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.2.3
注釈25心を知り大島本は「心越しり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心をも知り」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.2.3
注釈26入道の宮の渡りはじめたまへりしほど女三の宮の降嫁。『集成』は「女房が少しずつ語り出した口調を写した文章から、次第に、源氏自身の回想に移る」と注す。1.2.4
注釈27雪降りたりし暁に女三の宮の降嫁の三日目の夜明け方の出来事。1.2.4
注釈28用意などを格助詞「を」目的格を表す。ここまで、回想の内容。1.2.4
注釈29夜もすがら、「夢にても、またはいかならむ世にか」と「夢にても」以下、源氏の心中。現在から未来への願望。1.2.4
注釈30曹司に下るる女房なるべし「なるべし」は語り手の推測。『集成』は「夜の宿直を終って退出するのである」と注す。1.2.5
注釈31いみじうも積もりにける雪かな女房の詞。1.2.6
注釈32憂き世には雪消えなむと思ひつつ--思ひの外になほぞほどふる源氏の独詠歌。「行き消え」と「雪消え」、「経る」と「降る」の掛詞。「消え」と「降る」は「雪」の縁語。『異本紫明抄』は「憂き世には行き隠れなでかき曇りふるは思ひのほかにもあるかな」(拾遺集雑上、五〇四、清原元輔)を指摘。『集成』も引歌として指摘する。『一葉抄』は「世の中のうけくにあらぬ奥山の木の葉にふれる雪やけなまし」(古今集雑下、九五四、読人しらず)を指摘。1.2.8
校訂1 その その--(/+そ)の 1.2.4
校訂2 ひき隠し ひき隠し--ひきかへ(へ/$く)し 1.2.4
1.3
第三段 中納言の君らを相手に述懐


1-3  Genji talks his life to Chunagon-no-Kimi and others

1.3.1  例の、紛らはしには、御手水召して 行ひしたまふ。埋みたる火起こし出でて、御火桶参らす。中納言の君、中将の君など、御前近くて御物語聞こゆ。
 いつもの、気の紛らわしには、御手水をお使いになって勤行をなさる。埋もれている炭火をかき起こして、御火桶を差し上げる。中納言の君、中将の君などは、御前近くでお話申し上げる。
 こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて手水ちょうずをお使いになった。女房たちはうずんでおいた火を起こし出して火鉢ひばちをおそばへおあげするのであった。中納言の君や中将の君はお居間に来てお話し相手を勤めた。
  Rei no, magirahasi ni ha, mi-teudu mesi te okonahi si tamahu. Udumi taru hi okosi ide te, ohom-hioke mawira su. Tyuunagon-no-Kimi, Tyuuzyau-no-Kimi nado, omahe tikaku te ohom-monogatari kikoyu.
1.3.2  「 独り寝常よりも寂しかりつる夜のさまかな。かくてもいとよく思ひ澄ましつべかりける世を、はかなくもかかづらひけるかな」
 「独り寝がいつもより寂しかった夜であったよ。このように独り住みでも殊勝に過ごせた世なのに、つまらなく俗世にかかわって来たことよ」
 「ひとがなんともいえないほど寂しく思われる夜だった。これでも安んじていられる自分だのに、つまらぬ関係をたくさんに作ってきたものだ」
  "Hitorine tune yori mo sabisikari turu yoru no sama kana! Kakute mo ito yoku omohi sumasi tu bekari keru yo wo, hakanaku mo kakadurahi keru kana!"
1.3.3  と、うちながめたまふ。「 我さへうち捨てては、この人びとの、いとど嘆きわびむことの、あはれにいとほしかるべき」など、見わたしたまふ。忍びやかにうち行ひつつ、経など読みたまへる御声を、よろしう思はむことにてだに涙とまるまじきを、まして、 袖のしがらみせきあへぬまで あはれに、 明け暮れ見たてまつる人びとの心地、尽きせず思ひきこゆ。
 と、物思いに沈みこみなさる。「自分までが出家したら、この女房たちが、ますます嘆き悲しむだろうことが、いじらしくかわいそうだろう」などと思って、見渡しなさる。ひっそりと勤行をしながら、経などを読んでいらっしゃるお声を、並一通り聞く時でさえ涙がとまらないのに、まして今は、袖のしがらみも止めかねるほど悲しくて、朝晩拝し上げる女房たちの気持ちは、限りなく悲しくお思い申し上げる。
 とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに憂鬱ゆううつになるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
  to, uti-nagame tamahu. "Ware sahe uti-sute te ha, kono hitobito no, itodo nageki wabi m koto no, ahareni itohosikaru beki." nado, miwatasi tamahu. Sinobiyakani uti-okonahi tutu, kyau nado yomi tamahe ru ohom-kowe wo, yorosiu omoha m koto nite dani namida tomaru maziki wo, masite, sode no sigarami seki ahe nu made ahareni, akekure mi tatematuru hitobito no kokoti, tuki se zu omohi kikoyu.
1.3.4  「 この世につけては飽かず思ふべきこと、をさをさあるまじう、高き身には生まれながら、また人よりことに、 口惜しき契りにもありけるかな、と思ふこと絶えず。世のはかなく憂きを知らすべく、仏などのおきてたまへる身なるべし。それをしひて知らぬ顔にながらふれば、かく今はの夕べ近き末に、 いみじきことのとぢめを見つるに宿世のほども、みづからの心の際も残りなく見果てて、心やすきに、 今なむ露のほだしなくなりにたるを、これかれ、かくて、ありしよりけに目馴らす人びとの、 今はとて行き別れむほどこそ、今一際の心乱れぬべけれ。いとはかなしかし。 悪ろかりける心のほどかな
 「現世の果報という点では、物足りなく思うことは、全然なく、高い身分には生まれたが、また誰よりも格別に、残念な運命であったなあ、と思うことがしょっちゅうだ。世の中のはかなくつらさを悟らせるべく、仏などがそういう運命をお授けになった身の上なのだろう。それを無理して知らない顔をして生き永らえて来たので、このように人生の終焉近くに、大変な悲しみの極みにあったのだから、宿世のつたなさも、自分の限界もすっかり残らず見届けてしまった、その安心感から、今は全然心残りもなくなったが、あの人この人、こうして、以前から親しくなった女房たちが、今を限りに別れ別れになってしまうことが、もう一段と心が乱れるに違いないだろう。まことにはかないことだ。諦めの悪い心だな」
 「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来たごうも果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
  "Konoyo ni tuke te ha, aka zu omohu beki koto, wosawosa aru maziu, takaki mi ni ha mumare nagara, mata hito yori koto ni, kutiwosiki tigiri ni mo ari keru kana, to omohu koto taye zu. Yo no hakanaku uki wo sirasu beku, Hotoke nado no oki te tamahe ru mi naru besi. Sore wo sihite siranukaho ni nagarahure ba, kaku imaha no yuhube tikaki suwe ni, imiziki koto no todime wo mi turu ni, sukuse no hodo mo, midukara no kokoro no kiha mo, nokori naku mihate te, kokoroyasuki ni, ima nam tuyu no hodasi nakunari ni taru wo, kore kare, kakute, arisi yori keni me narasu hitobito no, ima ha tote yuki wakare m hodo koso, ima hitokiha no kokoro midare nu bekere. Ito hakanasi kasi. Warokari keru kokoro no hodo kana!"
1.3.5  とて、御目おしのごひ隠したまふに、紛れず、やがてこぼるる御涙を、見たてまつる人びと、ましてせきとめむかたなし。さて、うち捨てられたてまつりなむが憂はしさを、おのおのうち出でまほしけれど、さもえ聞こえず、むせかへりてやみぬ。
 と言って、お涙を拭い隠しなさるが、ごまかしきれず、そのままこぼれるお涙を、拝する女房たちは、それ以上に止めようもない。そうして、お見捨てられ申すだろうことのつらさを、それぞれ口に出したく思うが、そのように申すことはできず、涙に咽んでしまった。
 とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。
  tote, ohom-me osi-nogohi kakusi tamahu ni, magire zu, yagate koboruru ohom-namida wo, mi tatematuru hitobito, masite seki tome m kata nasi. Sate, uti-sute rare tatematuri na m ga urehasisa wo, onoono uti-ide mahosikere do, samo e kikoye zu, musekaheri te yami nu.
1.3.6  かくのみ嘆き明かしたまへる曙、ながめ暮らしたまへる夕暮などの、しめやかなる折々は、かの おしなべてには思したらざりし人びとを、御前近くて、かやうの御物語などをしたまふ。
 こうしてばかり嘆き明かしていらっしゃる早朝、物思いに沈んで暮らしていらっしゃる夕暮などの、ひっそりとした折々には、あの並々にはお思いでなかった女房たちを、お側近くにお召しになって、あのような話などをなさる。
 そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることのなげかわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
  Kaku nomi nageki akasi tamahe ru akebono, nagame kurasi tamahe ru yuhugure nado no, simeyaka naru woriwori ha, kano osinabete ni ha obosi tara zari si hitobito wo, omahe tikaku te, kayau no ohom-monogatari nado wo si tamahu.
1.3.7  中将の君とてさぶらふは、まだ小さくより見たまひ馴れにしを、 いと忍びつつ見たまひ過ぐさずやありけむいとかたはらいたきことに思ひて、馴れきこえざりけるを、かく亡せたまひて後は、 その方にはあらず人よりもらうたきものに 心とどめたまへりし方ざまにも、かの御形見の 筋につけてぞ、あはれに思ほしける。心ばせ容貌などもめやすくて、 うなゐ松におぼえたるけはひただならましよりは、らうらうじと思ほす
 中将の君といって伺候する女房は、まだ小さい時からお側近くに置いていらっしゃったのだが、ごく人目に隠れては何度かお見過ごしになれなかったことがあったのであろうか、まことに心苦しいことに思って、親しみ申し上げなかったのに、このようにお亡くなりになってから後は、色めいた相手としてではなく、他の女房よりもかわいい女房だと心をかけていらっしゃった人としても、あの方の形見の人として、しみじみとお思いになっていらっしゃった。気立てや器量なども難がなくて、うない松に思える感じが、何でもなかっただろうよりは、気が利いているとお思いになる。
 中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後ぼつごは愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌ようぼうも皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐かれんな女である。
  Tyuuzyau-no-Kimi tote saburahu ha, mada tihisaku yori mi tamahi nare ni si wo, ito sinobi tutu mi tamahi sugusa zu ya ari kem, ito kataharaitaki koto ni omohi te, nare kikoye zari keru wo, kaku use tamahi te noti ha, sono kata ni ha ara zu, hito yori mo rautaki mono ni kokoro todome tamahe ri si kata zama ni mo, kano ohom-katami no sudi ni tuke te zo, ahare ni omohosi keru. Kokorobase katati nado mo meyasuku te, unawimatu ni oboye taru kehahi, tada nara masi yori ha, raurauzi to omohosu.
注釈33行ひしたまふ大島本は「をこなひし給」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「行ひたまふ」と「し」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.3.1
注釈34独り寝常よりも以下「かかづらひけるかな」まで、源氏の詞。1.3.2
注釈35我さへうち捨てては以下「いとほしかるべき」まで、源氏の心中を地の文に叙述。副助詞「さへ」添加の意。紫の上が亡くなったうえに、という含み。1.3.3
注釈36袖のしがらみせきあへぬまで『異本紫明抄』は「飛鳥川心のうちに流るれば底のしがらみいつかよどまむ」(後撰集恋六、一〇一四、読人しらず)を指摘。『源注拾遺』は「涙川落つる水上早ければせきぞかねつる袖のしがらみ」(拾遺集恋四、八七六、紀貫之)を指摘。現行の注釈書でも引歌として指摘する。1.3.3
注釈37明け暮れ見たてまつる人びと源氏を明け暮れ拝し上げる女房たち。1.3.3
注釈38この世につけては以下「心のほどかな」まで、源氏の述懐。女房を前にして語る。1.3.4
注釈39飽かず思ふべきことをさをさあるまじう『完訳』は「以下の、不足のない高貴の身と生まれながらも誰より格別に不本意な運命の人生であったとの述懐は、若菜下・御法の、栄華も憂愁も比類のない人生、の述懐の繰返し」と注す。1.3.4
注釈40口惜しき契りにもありけるかな光る源氏の「口惜しき契り」という言葉の背後にある実態が何をさしてそう言うのか、実は、よく分かっていない。1.3.4
注釈41いみじきことのとぢめを見つるに『集成』は「悲しみの極みを味わったことで」。『完訳』は「痛ましい結末を抱き取らされてしまったのだから」と訳す。1.3.4
注釈42宿世のほどもみづからの心の際も『集成』は「自分の運勢のつたなさも、私自身の器量のほども」。『完訳』は「わたしの宿運のつたなさや器量の限度も」。「ほど」と「際」は、人生のどうにもならぬ運命的限界とわずか何とか自由になる自分自身の器量力量の限界をさす。1.3.4
注釈43残りなく見果てて人生をすっかり見届けてしまった意。1.3.4
注釈44今なむ露のほだしなくなりにたるを『源氏物語事典』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。1.3.4
注釈45今はとて『集成』は「私の出家で」と訳す。1.3.4
注釈46悪ろかりける心のほどかな『完訳』は「あきらめのわるいわが根性よ」と注す。1.3.4
注釈47おしなべてには思したらざりし人びとを主語は源氏。「人びと」は前出の中納言の君や中将の君。1.3.6
注釈48いと忍びつつ見たまひ過ぐさずやありけむ挿入句。語り手の推測を交えて語る。『休聞抄』は「双」と指摘。『完訳』は「源氏が内々に情をかけたこと」と注す。1.3.7
注釈49いとかたはらいたきことに思ひて、馴れきこえざりけるを大島本は「なれきこえ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「馴れもきこえ」と「も」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。『集成』は「紫の上に申し訳ないからである」と注す。1.3.7
注釈50その方にはあらず色めいた相手としてではなく。1.3.7
注釈51人よりもらうたきものに大島本は「人よりも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「人よりことに」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.3.7
注釈52心とどめたまへりし方ざまにも大島本は「心とゝめ給へりしかたさまにも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心とどめ思したりしものをと思し出づるにつけて」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.3.7
注釈53筋につけてぞあはれに思ほしける大島本は「すちにつけてそあはれにおもほしける」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「筋をぞあはれと思したる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.3.7
注釈54うなゐ松におぼえたるけはひ『完訳』は「これから生長する小松。『河海抄』などは、墓に植えた松で、中将の君を亡き紫の上の形見の意に解す。情をかけた召人だけに、いよいよ故人の形見と思われる」と注す。1.3.7
注釈55ただならましよりはらうらうじと思ほす『集成』は「何でもなかったであろう場合よりは、気が利いているとおぼしめす。かつて情けをかけた女房だけに、ひとしお紫の上の形見と思われる、という意か」と注す。1.3.7
出典1 袖のしがらみせきあへぬ 涙川落つる水上早ければせきかねつるぞ袖のしがらみ 拾遺集恋四-八七六 紀貫之 1.3.3
1.4
第四段 源氏、面会謝絶して独居


1-4  Genji lives a single life declining to see visitors

1.4.1   疎き人にはさらに見えたまはず。上達部なども、 むつましき御兄弟の宮たちなど、常に参りたまへれど、対面したまふことをさをさなし。
 疎遠な人の前にはまったくお見えにならない。上達部なども、親しいご兄弟の宮たちなど、いつも参上なさったが、お会いなさることはめったにない。
 親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終おたずねされるのであるがあまり御面会になることもない。
  Utoki hito ni ha sarani miye tamaha zu. Kamdatime nado mo, mutumasiki ohom-harakara no Miya-tati nado, tuneni mawiri tamahe re do, taimen si tamahu koto wosawosa nasi.
1.4.2  「 人に向かはむほどばかりは、さかしく思ひしづめ、心収めむと思ふとも、月ごろにほけにたらむ身のありさま、かたくなしきひがことまじりて、 末の世の人にもて悩まれむ、後の名さへうたてあるべし。思ひほれてなむ人にも見えざむなる、と言はれむも、同じことなれど、なほ音に聞きて思ひやることのかたはなるよりも、見苦しきことの目に見るは、こよなく際まさりてをこなり」
 「人に会う時だけは、しっかりと落ち着いて冷静にいようと思っても、幾月も茫然としている身の有様、愚かな間違い事があったりして、晩年が他人から迷惑がられるのでは、死後の評判までが嫌なことであろう。惚けて人前に出ないらしい、と言われるようなことも、同じことだが、やはり噂を聞いて想像することの不十分さよりも、見苦しいことが目に入るのは、この上なく格段にばからしいことだ」
 人とっている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことのうわさになるほうが迷惑になる
  "Hito ni mukaha m hodo bakari ha, sakasiku omohi sidume, kokoro wosame m to omohu tomo, tukigoro ni hoke ni tara m mi no arisama, katakunasiki higakoto maziri te, suwe no yo no hito ni mote-nayama re m, noti no na sahe utate aru besi. Omohi hore te nam hito ni mo miye za m naru, to iha re m mo, onazi koto nare do, naho oto ni kiki te omohiyaru koto no kataha naru yori mo, migurusiki koto no me ni miru ha, koyonaku kiha masari te woko nari."
1.4.3  と思せば、大将の君などにだに、御簾隔ててぞ対面したまひける。 かく、心変りしたまへるやうに、人の言ひ伝ふべきころほひをだに思ひのどめてこそはと、念じ過ぐしたまひつつ、憂き世をも 背きやりたまはず。御方々にまれにもうちほのめきたまふにつけては、 まづいとせきがたき涙の雨のみ降りまされば 、いとわりなくて、いづ方にもおぼつかなきさまにて過ぐしたまふ。
 とお思いになると、大将の君などに対してでさえ、御簾を隔ててお会いになるのであった。このように、人柄が変わりなさったようだと、人が噂するにちがいない時期だけでもじっと心を静めていなければと、我慢して過ごしていらっしゃる一方で、憂き世をお捨てになりきれない。ご夫人方にまれにちょっとお顔出しなさるにつけても、まっさきに止めどなく涙ばかりが一層こぼれるので、まことに具合が悪くて、どの方にも御無沙汰がちにお過ごしになる。
 とお思いになって、大将などにも御簾みす越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒てんとうしたように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。他の夫人たちの所へまれにおいでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心にいて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。
  to obose ba, Daisyau-no-Kimi nado ni dani, misu hedate te zo taimen si tamahi keru. Kaku, kokorogahari si tamahe ru yau ni, hito no ihi tutahu beki korohohi wo dani omohi nodome te koso ha to, nenzi sugusi tamahi tutu, ukiyo wo mo somuki yari tamaha zu. Ohom-katagata ni mare ni mo uti-honomeki tamahu ni tuke te ha, madu ito seki gataki namida no ame nomi huri masare ba, ito warinaku te, idukata ni mo obotukanaki sama nite sugusi tamahu.
1.4.4   后の宮は、内裏に参らせたまひて三の宮をぞ、さうざうしき御慰めには、おはしまさせたまひける
 后の宮は、内裏にお帰りあそばして、三の宮を、寂しさのお慰めとしてお置きあそばしていらっしゃるのであった。
 中宮ちゅうぐうは御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
  Kisai-no-Miya ha, Uti ni mawira se tamahi te, Sam-no-Miya wo zo, sauzausiki ohom-nagusame ni ha, ohasimasa se tamahi keru.
1.4.5  「 婆ののたまひしかば
 「お祖母様がおっしゃったから」
 「お祖母ばあ様がおっしゃったから」
  "Baba no notamahi sika ba."
1.4.6  とて、 対の御前の紅梅は、いと取り分きて後見ありきたまふをいとあはれと見たてまつりたまふ
 と言って、対の前の紅梅は、特別大事にお世話なさっているのも、とてもしみじみと拝見なさる。
 とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召おぼしめした。
  tote, Tai no omahe no koubai ha, ito toriwaki te usiromi ariki tamahu wo, ito ahare to mi tatematuri tamahu.
1.4.7   如月になれば、花の木どもの 盛りなるも、まだしきも、梢をかしう霞みわたれるに、かの 御形見の紅梅に、鴬のはなやかに鳴き出でたれば立ち出でて御覧ず
 二月になると、梅の木々が花盛りになったのも、まだ蕾なのも、梢が美しく一面に霞んでいるところに、あの御形見の紅梅に、鴬が陽気に鳴き出したので、立ち出て御覧になる。
 二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、こずえが皆かすんで見える中に、女王の形見の紅梅にうぐいすが来てはなやかにくのを、院は縁へ出てながめておいでになった。
  Kisaragi ni nare ba, hana no ki-domo no sakari naru mo, madasiki mo, kozuwe wokasiu kasumi watare ru ni, kano ohom-katami no koubai ni, uguhisu no hanayakani naki ide tare ba, tati ide te goranzu.
1.4.8  「 植ゑて見し花のあるじもなき宿に
   知らず顔にて来ゐる鴬
 「植えて眺めた花の主人もいない宿に
  知らない顔をして来て鳴いている鴬よ
  植ゑて見し花の主人あるじもなき宿に
  知らず顔にて来居る鶯
    "Uwe te mi si hana no aruzi mo naki yado ni
    sirazugaho nite ki wiru uguhisu
1.4.9  と、うそぶき歩かせたまふ。
 と、口ずさみながらお歩きなさる。
 春の空を仰いで吐息といきをおつかれになった。
  to, usobuki arika se tamahu.
注釈56疎き人にはさらに見えたまはず「外人(うときひと)には見えじ見えば笑ひもこそ応(す)れ」(白氏文集、上陽白髪人)。1.4.1
注釈57むつましき大島本は「むつましき」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「睦ましきまた」と「また」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.1
注釈58人に向かはむほどばかりは以下「際まさりてをこなり」まで、源氏の心中。1.4.2
注釈59末の世の人にもて悩まれむ後の名さへ「末の世の」の後出の格助詞「の」は主格を表す。わが晩年が、の意。『集成』は「老いの果てに若い人々に迷惑がられるのでは、死後の評判も」。『完訳』は「こうした老いの果てになってから人に困られることになったという評判を」と注す。1.4.2
注釈60かく心変りしたまへるやうに『集成』は「紫の上を喪った悲しみのために、理性を失って、出家したのだと言われまいとする用意」と注す。1.4.3
注釈61背きやりたまはず大島本は「そむきやり」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「え背きやり」と副詞「え」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.3
注釈62まづいとせきがたき涙の雨のみ降りまされば『異本紫明抄』は「墨染の君が袂はくもなれや絶えず涙の雨とのみ降る」(古今集哀傷、八四三、壬生忠岑)を指摘。1.4.3
注釈63后の宮は内裏に参らせたまひて明石中宮。「参らせたまひて」最高敬語表現。接続助詞「て」弱い逆接のニュアンス。係助詞「は」は取り立てて強調するニュアンス。明石中宮は宮中に帰参したが、匂宮は留まって、という文脈。1.4.4
注釈64三の宮をぞ、さうざうしき御慰めには、おはしまさせたまひける『集成』は「次の匂宮の言葉からすれば、二条の院のことと見なくてはならないが、あえて六条の院のこととしたのであろう」。『完訳』は「ここは二条院か」と注す。1.4.4
注釈65婆ののたまひしかば匂宮の詞。『完訳』は「紫の上が匂宮に、二条院西の対の紅梅を大事にせよと遺言」と注す。「御法」巻(第一章六段)に語られている。1.4.5
注釈66対の御前の紅梅は、いと取り分きて後見ありきたまふを大島本は「紅梅ハいと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「紅梅」と「はいと」を削除する。『新大系』は底本のままとする。二条院西の対の前の紅梅。主語は匂宮。1.4.6
注釈67いとあはれと見たてまつりたまふ主語は源氏。1.4.6
注釈68如月になれば季節は仲春二月に移る。1.4.7
注釈69盛りなるも大島本は「さかりなるも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「盛りになるも」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.4.7
注釈70御形見の紅梅に鴬のはなやかに鳴き出でたれば梅(紅梅)に鴬という取り合わせ。『河海抄』は「吾妹子が植ゑし梅の樹見るごとに心むせつつ涙し流る」(万葉集巻三、大伴旅人)「見るごとに袖ぞ濡れぬる亡き人の形見に見よと植ゑし花かは」(古今六帖四、悲しみ)を指摘。1.4.7
注釈71立ち出でて御覧ず主語は源氏。1.4.7
注釈72植ゑて見し花のあるじもなき宿に--知らず顔にて来ゐる鴬源氏の独詠歌。『河海抄』は「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花主人なしとて春を忘るな」(拾遺集雑春、一〇〇六、菅原道真)「梅が枝に来ゐる鴬春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ」(古今集春上、五、読人しらず)を指摘。『集成』は「季節は変らず廻りくるのに対し、人事の変りやすさを嘆く気持」。『完訳』は「「花のあるじ」は紫の上。変らざる自然に対し、人の生命のはかなさを嘆く歌。「鴬」に、紫の上を喪った自身の孤独を形象」と注す。1.4.8
出典2 涙の雨のみ降り 墨染の君が袂は雲なれや絶えず涙の雨とのみふる 古今集哀傷-八四三 壬生忠岑 1.4.3
1.5
第五段 春深まりゆく寂しさ


1-5  Genji's grief has become deeper along by spring deeper

1.5.1   春深くなりゆくままに、御前のありさま、いにしへに変らぬを、めでたまふ方にはあらねど、 静心なく、何ごとにつけても胸いたう思さるれば、おほかたこの世の外のやうに、 鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみ、いとどなりまさりたまふ
 春が深くなって行くにつれて、御前の様子は、昔と変わらないのを、花を賞美なさるのではないが、心は落ち着かず、何事につけても胸が痛く思わずにはいらっしゃれないので、だいたいこの世を離れたように、鳥の声も聞こえない山奥ばかりが、ますます恋しくなって行かれる。
 春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。
  Haru hukaku nari yuku mama ni, omahe no arisama, inisihe ni kahara nu wo, mede tamahu kata ni ha ara ne do, sidugokoro naku, nanigoto ni tuke te mo mune itau obosa rure ba, ohokata konoyo no hoka no yau ni, tori no ne mo kikoye zara m yama no suwe yukasiu nomi, itodo nari masari tamahu.
1.5.2  山吹などの、心地よげに咲き乱れたるも、うちつけに露けくのみ見なされたまふ。 他の花は、一重散りて八重咲く花桜盛り過ぎて、樺桜は開け、藤は後れて 色づきなどこそはすめるを、その遅く疾き花の心をよく分きて、いろいろを尽くし植ゑおきたまひしかば、時を忘れず匂ひ満ちたるに、若宮、
 山吹などが、気持ちよさそうに咲き乱れているのも、思わず涙の露に濡れているかとばかり見えておしまいになる。他の花は、一重が散って、八重に咲く桜花が盛りを過ぎて、樺桜は開いて、藤は後れて色づいたりするらしいのを、その遅咲き早咲きの花の性質をよく理解して、いろいろと植えてお置きになったので、花の時期を忘れず匂い満ちているので、若宮は、
 山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜かばざくらが咲き、ふじはそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光る春がとどまっているようなのである。若宮が、
  Yamabuki nado no, kokotiyoge ni saki midare taru mo, utituke ni tuyukeku nomi minasa re tamahu. Hoka no hana ha, hitohe tiri te, yahe saku hanazakura sakari sugi te, kabazakura ha hirake, hudi ha okure te iroduki nado koso ha su meru wo, sono osoku toki hana no kokoro wo yoku waki te, iroiro wo tukusi uwe oki tamahi sika ba, toki wo wasure zu nihohi miti taru ni, WakaMiya,
1.5.3  「 まろが桜は咲きにけり。いかで久しく散らさじ。木のめぐりに帳を立てて、 帷子を上げずは、風もえ吹き寄らじ」
 「わたしの桜は咲いた。何とかいつまでも散らすまい。木の回りに帳を立てて、帷子を上げなかったら、風も近寄って来まい」
 「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳きちょうを立てて、切れをれておいたら風も寄って来ないだろうと思う」
  "Maro ga sakura ha saki ni keri. Ikade hisasiku tirasa zi. Ki no meguri ni tobari wo tate te, katabira wo age zu ha, kaze mo e huki yora zi."
1.5.4  と、かしこう思ひ得たり、と思ひてのたまふ顔のいとうつくしきにも、うち笑まれたまひぬ。
 と、よいことを考えた、と思っておっしゃる顔がとてもかわいらしいので、ふとほほ笑まれなさった。
 たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。
  to, kasikou omohi e tari, to omohi te notamahu kaho no ito utukusiki ni mo, uti-wema re tamahi nu.
1.5.5  「 覆ふばかりの袖求めけむ人よりは 、いとかしこう 思し寄りたまへりしかし」など、この宮ばかりをぞもてあそびに見たてまつりたまふ。
 「大空を覆うほどの袖を求めた人よりは、とてもよいことをお思いつきになった」などと、この宮だけをお遊び相手とお思い申してしていらっしゃる。
 「おおうばかりのそでがほしいと歌った人よりも宮の考えのほうが合理的だね」などとお言いになって、この宮だけを相手にして院は暮らしておいでになるのであった。
  "Ohohu bakari no sode motome kem hito yori ha, ito kasikou obosi yori tamahe ri si kasi." nado, kono Miya bakari wo zo moteasobi ni mi tatematuri tamahu.
1.5.6  「 君に馴れきこえむことも残り少なしや。命といふもの、今しばしかかづらふべくとも、対面はえあらじかし」
 「あなたとお親しみ申していられるのも残り少なくなりましたよ。寿命というものは、もう暫くこの世に留まっていても、お会いすることはあるまい」
 「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」
  "Kimi ni nare kikoye m koto mo nokori sukunasi ya! Inoti to ihu mono, ima sibasi kakadurahu beku tomo, taimen ha e ara zi kasi."
1.5.7  とて、例の、涙ぐみたまへれば、いとものしと思して、
 とおっしゃって、いつものように、涙ぐみなさると、とても嫌だとお思いになって、
 とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、
  tote, rei no, namidagumi tamahe re ba, ito monosi to obosi te,
1.5.8  「 婆ののたまひしことを、まがまがしうのたまふ
 「お祖母様がおっしゃったことを、縁起でもなくおっしゃいます」
 「お祖母ばあ様のおっしゃったことと同じことをなぜおっしゃるの、不吉ですよ、お祖父じい様」
  "Baba no notamahi si koto wo, magamagasiu notamahu."
1.5.9  とて、伏目になりて、御衣の袖を引きまさぐりなどしつつ、紛らはしおはす。
 と言って、伏目になって、お召し物の袖をもてあそびなどしながら、紛らしていらっしゃる。
 と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。
  tote, husime ni nari te, ohom-zo no sode wo hiki-masaguri nado si tutu, magirahasi ohasu.
1.5.10   隅の間の高欄におしかかりて、御前の庭をも、御簾の内をも、見わたして眺めたまふ。女房なども、かの御形見の色変へぬもあり、例の色あひなるも、綾などはなやかにはあらず。みづからの御直衣も、色は世の常なれど、 ことさらやつして、無紋をたてまつれり。御しつらひなども、いとおろそかにことそぎて、 寂しく心細げにしめやかなれば、
 隅の間の高欄に寄りかかって、御前の庭を、また御簾の中をも、見渡して物思いに沈んでいらっしゃる。女房なども、あの御形見の喪服の色を変えない者もおり、通常の色合いの者も、綾などは派手なのではない。ご自身のお直衣も、色は普通の物であるが、特別に質素にして、無紋をお召しになっていた。お部屋飾りなどもたいそう簡略に省いて、寂しく何となく頼りなさそうにひっそりとしているので、
 欄干のすみの所へ院はおよりかかりになって、庭をも御簾みすの中をもながめておいでになった。女房の中にはまだ喪服を着ているのがあった。普通の服を着ているのも、皆派手はでな色彩を避けていた。院御自身の直衣のうしも色は普通のものであるが、わざとじみな無地なのを着けておいでになるのであった。座敷の中の装飾なども簡素になっていて目に寂しい。
  Sumi no ma no kauran ni osikakari te, omahe no niha wo mo, misu no uti wo mo, miwatasi te nagame tamahu. Nyoubau nado mo, kano ohom-katami no iro kahe nu mo ari, rei no iroahi naru mo, aya nado hanayakani ha ara zu. Midukara no ohom-nahosi mo, iro ha yo no tune nare do, kotosara yatusi te, mumon wo tatemature ri. Ohom-siturahi nado mo, ito orosokani kotosogi te, sabisiku kokorobosoge ni simeyaka nare ba,
1.5.11  「 今はとて荒らしや果てむ亡き人の
 「いよいよ出家するとなるとすっかり荒れ果ててしまうのだろうか
  今はとてあらしやはてんき人の
    "Ima ha tote arasi ya hate m naki hito no
1.5.12   心とどめし春の垣根を
  亡き人が心をこめて作った春の庭も
  心とどめし春の垣根かきね
    kokoro todome si haru no kakine wo
1.5.13  人やりならず 悲しう思さるる
 自分ながら悲しく思われなさる。
 とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。
  Hitoyari nara zu kanasiu obosa ruru.
注釈73春深くなりゆくままに、御前のありさま『細流抄』は「これより六条院のことなり」。『完訳』は「三月に入る。以下、六条院か」と注す。1.5.1
注釈74鳥の音も聞こえざらむ山の末ゆかしうのみいとどなりまさりたまふ『異本紫明抄』は「飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ」(古今集恋一、五三五、読人しらず)を指摘。現行の注釈書でも指摘。1.5.1
注釈75他の花は一重散りて『休聞抄』は「見る人もなき山里の桜花ほかの散りなむ後ぞ咲かまし」(古今集春上、六八、伊勢)。『河海抄』は「浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな」(拾遺集春、四〇、読人しらず)。『真淵新釈』は「雨降れば色さりやすき花桜薄き心を我が思はなくに」(貫之集)を指摘。『集成』は「(六条の院南の町の)よそでは」と注す。1.5.2
注釈76八重咲く花桜「花桜」は歌語。1.5.2
注釈77色づきなどこそはすめるを推量の助動詞「めり」は語り手の観察に立っての叙述。1.5.2
注釈78まろが桜は咲きにけり以下「風もえ吹き寄らじ」まで、匂宮の詞。1.5.3
注釈79覆ふばかりの袖求めけむ人よりは以下「思し寄りたまへりしかし」まで、源氏の心中。『源氏釈』は「大空におほふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ」(後撰集春中、六四、読人しらず)を指摘。現行の注釈書でも指摘する。1.5.5
注釈80思し寄りたまへりしかし大島本は「給へりしかし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「たまへりかし」と「し」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.5.5
注釈81君に馴れきこえむことも以下「えあらじかし」まで、源氏の詞。「君」は匂宮をさす。やがて出家すべきことを言う。1.5.6
注釈82婆ののたまひしことをまがまがしうのたまふ匂宮の返事。1.5.8
注釈83隅の間の高欄におしかかりて御前の庭をも『集成』は「源氏のさま。六条の院南の町の東の対(源氏と紫の上の居所)の隅の簀子にいる体。西南の隅であろう」と注す。1.5.10
注釈84ことさらやつして大島本は「ことさら」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことさらに」と「に」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.5.10
注釈85寂しく心細げに大島本は「心ほそけに」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「もの心細げに」と「もの」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.5.10
注釈86今はとて荒らしや果てむ亡き人の心とどめし春の垣根を源氏の独詠歌。『完訳』は「「今はとて」は、いよいよ出家となれば、の気持。紫の上の丹精した春の庭がやがて荒廃するだろう、と嘆く歌」と注す。1.5.11
注釈87悲しう思さるる大島本は「おほさるゝ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思さる」と「る」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.5.13
出典3 静心なく 久方の光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ 古今集春下-八四 紀友則 1.5.1
出典4 鳥の音も聞こえざらむ山 飛ぶ鳥の声も聞こえぬ奥山の深き心を人は知らなむ 古今集恋一-五三五 読人しらず 1.5.1
出典5 覆ふばかりの袖 大空に覆ふばかりの袖もがな春咲く花を風にまかせじ 後撰集春中-六四 読人しらず 1.5.5
校訂3 帷子 帷子--かたら(ら/$<朱>)ひ(ひ/+ら<朱>) 1.5.3
1.6
第六段 女三の宮の方に出かける


1-6  Genji visits to Omna-sam-no-Miya's room

1.6.1  いとつれづれなれば、 入道の宮の御方に渡りたまふに、 若宮も人に抱かれておはしましてこなたの若君と走り遊び、 花惜しみたまふ心ばへども深からず、いといはけなし
 とても所在ないので、入道の宮のお部屋にお越しになると、若宮も女房に抱かれておいでになっていて、こちらの若君と走り回って遊び、花を惜しみなさるお気持ちは深くなく、とても幼い。
 徒然とぜんさに院は入道の宮の御殿へおいでになった。若宮も人に抱かれて従っておいでになって、こちらの若宮といっしょに走りまわってお遊びになるのであった。花の木をおいたわりになる責任もお忘れになるくらいにおふざけになった。
  Ito turedure nare ba, Nihudau-no-Miya no ohom-kata ni watari tamahu ni, WakaMiya mo hito ni idaka re te ohasimasi te, konata no WakaGimi to hasiri asobi, hana wosimi tamahu kokorobahe-domo hukakara zu, ito ihakenasi.
1.6.2  宮は、仏の御前にて、経をぞ読みたまひける。 何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかども、この世に恨めしく御心乱るることもおはせず、のどやかなるままに、紛れなく行ひたまひて、 一方に思ひ離れたまへるも、いとうらやましく、「 かくあさへたまへる 女の御心ざしにだに後れぬること」と口惜しう思さる。
 宮は、仏の御前で、お経を読んでいらっしゃるのであった。何ほども深くお悟りになった御道心ではなかったが、この現世に対して恨みに思ってお気持ちの乱れることはおありでなく、のんびりとしたお暮らしのまま、気を散らさずに勤行なさって、仏道一筋にこの世を思い離れていらっしゃるのも、まことに羨ましく、「このような思慮深くない女の御志にさえ後れを取ったこと」と残念に思われなさる。
 尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御弟子でしになられた方にも劣る自分であると残念にお思いになるのである。
  Miya ha, Hotoke no omahe nite, kyau wo zo yomi tamahi keru. Nani bakari hukau obosi tore ru ohom-dausin ni mo ara zari sika domo, konoyo ni uramesiku mi-kokoro midaruru koto mo ohase zu, nodoyaka naru mama ni, magire naku okonahi tamahi te, hitokata ni omohi hanare tamahe ru mo, ito urayamasiku, "Kaku asahe tamahe ru womna no mi-kokorozasi ni dani okure nuru koto." to kutiwosiu obosa ru.
1.6.3  閼伽の花の、夕映えしていとおもしろく見ゆれば、
 閼伽の花が、夕日に映えてとても美しく見えるので、
 閼伽棚あかだなに置かれた花に夕日が照って美しいのを御覧になって、
  Aka no hana no, yuhubae si te ito omosiroku miyure ba,
1.6.4  「 春に心寄せたりし人なくて、花の色もすさまじくのみ見なさるるを、仏の御飾りにてこそ見るべかりけれ」とのたまひて、「 対の前の山吹こそ、なほ世に見えぬ花のさまなれ。房の大きさなどよ。 品高くなどはおきてざりける花にやあらむ、はなやかににぎははしき方は、いとおもしろきものになむありける。 植ゑし人なき春とも知らず顔にて、常よりも匂ひかさねたるこそ、あはれにはべれ」
 「春に心を寄せた人もいなくなって、花の色も殺風景なばかりに見られるが、仏のお飾りとして見るべきであった」とおっしゃって、「対の前の山吹は、やはりめったに見られない花の様子ですね。房の大きいことですね。上品に咲こうなどとは考えていない花なのでしょうか、はなやかでにぎやかな面では、とても美しい花です。植えた人のいない春とも知らないで、いつもの年より美しさを増しているのには、しみじみとした思いがしますね」
 「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」とお言いになった院は、また、「対の前の山吹やまぶきはほかでは見られない山吹ですよ、花のふさなどがずいぶん大きいのですよ。品よく咲こうなどとは思っていない花と見えますが、にぎやかな派手はでなほうではすぐれたものですね。植えた人がいない春だとも知らずに例年よりもまたきれいに咲いているのが哀れに思われます」
  "Haru ni kokoro yose tari si hito naku te, hana no iro mo susamaziku nomi mi nasa ruru wo, Hotoke no ohom-kazari nite koso miru bekari kere." to notamahi te, "Tai no mahe no yamabuki koso, naho yo ni miye nu hana no sama nare. Husa no ohokisa nado yo! Sina takaku nado ha okite zari keru hana ni ya ara m, hanayakani nigihahasiki kata ha, ito omosiroki mono ni nam ari keru. Uwe si hito naki haru to mo sirazugaho nite, tune yori mo nihohi kasane taru koso, ahareni habere."
1.6.5  とのたまふ。御いらへに、
 とおっしゃる。お返事に、
 と仰せられた。宮はお返辞に、
  to notamahu. Ohom-irahe ni,
1.6.6  「 谷には春も
 「谷には春も無縁です」
 「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るものひもなし)
  "Tani ni ha haru mo."
1.6.7  と、何心もなく聞こえたまふを、「 ことしもこそあれ、心憂くも」と思さるるにつけても、「 まづ、かやうのはかなきことにつけてはそのことのさらでもありなむかし、と思ふに、違ふふしなくてもやみにしかな」と、いはけなかりしほどよりの御ありさまを、「 いで、何ごとぞやありし」と 思し出づるには、まづ、その折かの折、かどかどしうらうらうじう、 匂ひ多かりし心ざま、もてなし、言の葉のみ思ひ続けられたまふに、 例の涙もろさは、ふとこぼれ出でぬるも いと苦し
 と、何気なく申し上げなさるのを、「他に言いようもあろうに、不愉快な」とお思いなさるにつけても、「まずは、このようなちょっとしたことにおいては、これこれのことではそうではなくあってほしい、と思うことに、反したことはついぞなかったな」と、幼かった時からのご様子を、「いったい、何の不足があったろうか」とお思い出しになると、まず、あの時この時の、才気があり行き届いていて、奥ゆかしく情味豊かな人柄、態度、言葉づかいばかりが自然と思い出されなさると、いつもの涙もろさのこととて、ついこぼれ出すのもとてもつらい。
 とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを嘲笑ちょうしょうするにあたるようなことをお言いになるとはと院は心に思召おぼしめしながらも、紫の女王はこうした思いやりのないことを言い出すこともすることも最後まで絶対にない女性であったと、少女時代からの故夫人のことを追想してごらんになると、その時はこう、あの時はこうと、才気と貴女らしいにおいの多かった性格、容姿、言った言葉などばかりがお思われになって、涙のこぼれてきたのを院はお恥じになった。
  to, nanigokoro mo naku kikoye tamahu wo, "Koto simo koso are, kokorouku mo." to obosa ruru ni tuke te mo, "Madu, kayau no hakanaki koto ni tuke te ha, sono koto no sara de mo ari na m kasi, to omohu ni, tagahu husi naku te mo yami ni si kana!" to, ihakenakari si hodo yori no ohom-arisama wo, "Ide, nanigoto zo ya ari si?" to obosi iduru ni ha, madu, sono wori kano wori, kadokadosiu raurauziu, nihohi ohokari si kokorozama, motenasi, kotonoha nomi omohi tuduke rare tamahu ni, rei no namidamorosa ha, huto kobore ide nuru mo ito kurusi.
注釈88入道の宮の御方に南の町の寝殿、女三の宮の居所。1.6.1
注釈89若宮も人に抱かれておはしまして匂宮。1.6.1
注釈90こなたの若君と薫。1.6.1
注釈91花惜しみたまふ心ばへども深からずいといはけなし語り手の評言。接尾語「ども」複数を表す。大人たちの憂愁に満ちた世界と違った幼く無邪気で活発な二人の子供たちを点描。『河海抄』は「年経れば齢は老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし」(古今集春上、五二、藤原良房)を指摘。1.6.1
注釈92何ばかり深う思しとれる御道心にもあらざりしかども大島本は「あらさりしかとも」とある。『集成』『完本』は「あらざりしかど」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『首書或抄』は「源氏の心也又物語地歟」と指摘。『集成』は「以下、女三の宮を見ての源氏の感懐」と注す。1.6.2
注釈93一方に大島本は「ひとかたに」とある。『完本』は「一(ひと)つ方(かた)に」と「つ」を補訂する。『集成』『新大系』は底本のままとする。1.6.2
注釈94かくあさへたまへる大島本は「かくあまへ給へる」とある。すなわち字母「万」と「左」の似た字体から生じた異文である。『集成』『完本』は諸本に従って「あさへたる」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。1.6.2
注釈95春に心寄せたりし人なくて以下「見るべかりけれ」まで、源氏の詞。1.6.4
注釈96対の前の山吹こそ以下「あはれにはべれ」まで、源氏の詞。紫の上が住んでいた東の対の前の山吹の花。1.6.4
注釈97品高くなどはおきてざりける花にやあらむ『完訳』は「上品に咲こうなどとは考えなかった花なのだろうか。擬人表現」と注す。1.6.4
注釈98植ゑし人なき春とも知らず顔にて『異本紫明抄』は「植ゑて見し主なき宿の桜花色ばかりこそ昔なりけれ」(出典未詳)。『河海抄』は「色も香も昔のこさに匂へども植ゑけむ人の影ぞ恋しき」(古今集哀傷、八五一、紀貫之)を指摘。1.6.4
注釈99谷には春も女三の宮の返事。『源氏釈』は「光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし」(古今集雑下、九六七、清原深養父)を指摘。『集成』は「世を捨てた尼の身にとっては、人の世の悲しみも喜びも無縁であるという気持で言ったもの。女三の宮としては、卑下のつもりであろう」と注す。1.6.6
注釈100ことしもこそあれ心憂く源氏の心中。『集成』は「折から、庭前の花を見るにつけても、紫の上を偲び、悲嘆にくれる源氏にとって、「もの思ひもなし」という結句に続く返事は、いかにも思いやりなく響くのである」と注す。1.6.7
注釈101まづかやうのはかなきことにつけては以下「なくてもやみにしかな」まで、源氏の心中。紫の上と比較する。1.6.7
注釈102そのことのさらでもありなむかし『細流抄』は「今はただそよその事と思ひ出でて忘るばかりの憂きこともがな」(後拾遺集哀傷、五七三、和泉式部)を指摘。1.6.7
注釈103思し出づるには大島本は「おほしいつるには」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思し出づるに」と「は」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.6.7
注釈104いで何ごとぞやありし反語表現。『集成』は「一体何の不足なことがあったろうか」と訳す。1.6.7
注釈105匂ひ多かりし心ざま『集成』は「奥ゆかしく情味豊かな人柄」。『完訳』は「奥ゆかしい魅力をたたえたお人柄」と訳す。1.6.7
注釈106例の涙もろさは大島本は「涙もろさ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「涙のもろさ」と「の」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.6.7
注釈107いと苦し語り手の評言。1.6.7
出典6 谷には春も 光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散る物思ひもなし 古今集雑下-九六七 清原深養父 1.6.6
校訂4 あさへ あさへ--あまへ(あまへ/=あさへイ) 1.6.2
1.7
第七段 明石の御方に立ち寄る


1-7  Genji drops at Akashi's room

1.7.1  夕暮の霞たどたどしく、をかしきほどなれば、やがて明石の御方に渡りたまへり。久しうさしものぞきたまはぬに、おぼえなき折なれば、うち驚かるれど、さまようけはひ心にくくもてつけて、「 なほこそ人にはまさりたれ」と見たまふにつけては、 またかうざまにはあらで、「かれはさまことにこそゆゑよしをももてなしたまへりしか」と、 思し比べらるるにも、面影に恋しう、悲しさのみまされば、「 いかにして慰むべき心ぞ」と、いと比べ苦しう、 こなたにては、のどやかに昔物語などしたまふ。
 夕暮の霞がたちこめて、趣のあるころなので、そのまま明石の御方にお渡りになった。久しくお立ち寄りにならなかったので、思いも寄らない時だったので、ちょっと驚きはするが、体裁よく奥ゆかしく振る舞って、「やはり他の人より優れている」と御覧になるにつけては、またこのようにではなく、「あの方は格別に、教養や趣味もお振る舞いになっていた」と、ついお比べになられると、面影に浮かんで恋しく、悲しさばかりがつのるので、「どのようにして慰めたらよい心か」と、とても比較がつらくて、こちらでは、のんびりと昔話などをなさる。
 夕方のかすみが物をおぼろに見せる美しい時間であったから、院はそこからすぐ明石あかし夫人の住居すまいをおたずねになった。久しくおいでがなかったのであるから突然なことに夫人は驚いたのであったが、すぐに感じよく席を設けてお迎えするようなところに、この人のだれよりも怜悧れいりな性質は見えるものの、また故人はこうでもない高雅な上品さがあったと思い比べられては、その幻ばかりが追われるようにおなりになって、悲しみがさらにまさってくるのを、院は御自身ながらどうすれば慰む心であろうと苦しく思召した。こちらでは落ち着いて昔の話などを院はしておいでになった。
  Yuhugure no kasumi tadotadosiku, wokasiki hodo nare ba, yagate Akasi-no-Ohomkata ni watari tamahe ri. Hisasiu sasimo nozoki tamaha nu ni, oboye naki wori nare ba, uti-odoroka rure do, sama you kehahi kokoronikuku mote-tuke te, "Naho koso hito ni ha masari tare." to mi tamahu ni tuke te ha, mata kau zama ni ha ara de, "Kare ha sama koto ni koso, yuwe yosi wo mo motenasi tamahe ri sika." to, obosi kurabe raruru ni mo, omokage ni kohisiu, kanasisa nomi masare ba, "Ikani si te nagusamu beki kokoro zo." to, ito kurabe kurusiu, konata nite ha, nodoyaka ni mukasi-monogatari nado si tamahu.
1.7.2  「 人をあはれと心とどめむは、いと悪ろかべきことと、いにしへより思ひ得て、すべていかなる方にも、 この世に執とまるべきことなく、心づかひをせしに、おほかたの世につけて、 身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど、とざまかうざまに思ひめぐらししに、 命をもみづから捨てつべく、野山の末にはふらかさむに、ことなる障り あるまじくなむ思ひなりしを、 末の世に、今は限りのほど近き身にてしもあるまじきほだし多うかかづらひて、今まで過ぐしてけるが、 心弱うも、もどかしきこと
 「女をいとしいと思いつめるのは、実に悪いはずのことだと、昔から知っていながら、すべてどのような事柄にも、現世に執着が残らないようにと、配慮して来たが、普通の世間から見て、むなしく零落してしまいそうだったころなど、あれやこれやと思案したが、命をも自分から捨ててしまおうと、野山の果てにさすらえさせても、格別に差支えなく思うほどになったが、晩年に、最期が近くなった身の上で、持たなくてよい係累に多くかかずらって、今まで過ごしてきたが、意志が弱くて、愚かしいことよ」
 「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が近づくころになって、いろいろな係累をふやすことになったために、今まで出家も遂げることができないでいるのが自分で歯がゆくてならない」
  "Hito wo ahare to kokoro todome m ha, ito waroka beki koto to, inisihe yori omohi e te, subete ikanaru kata ni mo, konoyo ni sihu tomaru beki koto naku, kokorodukahi wo se si ni, ohokata no yo ni tuke te, mi no itadurani hahure nu bekari si korohohi nado, tozama kauzama ni omohi megurasi si ni, inoti wo mo midukara sute tu beku, noyama no suwe ni hahurakasa m ni, koto naru sahari arumaziku nam omohi nari si wo, suwenoyo ni, ima ha kagiri no hodo tikaki mi nite simo, aru maziki hodasi ohou kakadurahi te, ima made sugusi te keru ga, kokoroyowau mo, modokasiki koto."
1.7.3  など、 さして一つ筋の悲しさにのみはのたまはねど、思したるさまのことわりに心苦しきを、 いとほしう見たてまつりて
 などと、それと名指して一人の悲しみばかりにはおっしゃらないが、お胸の内はさぞかしとお気の毒なので、おいたわしく拝して、
 などと院はお言いになって、夫人と死別したばかりの悲しみでないように言っておいでになるが、明石の心には院の御内心は何によって苦しんでおいでになるかはよくわかっていて、道理なことであるとおいたわしく思った。
  nado, sasite hitotu sudi no kanasisa ni nomi ha notamaha ne do, obosi taru sama no kotowari ni kokorogurusiki wo, itohosiu mi tatematuri te,
1.7.4  「 おほかたの人目に、何ばかり惜しげなき人だに、心のうちのほだし、おのづから 多うはべるなるを 、まして いかでかは心やすくも思し捨てむ。さやうに あさへたることは、かへりて 軽々しきもどかしさなども立ち出でて、なかなかなることなどはべるを、 思したつほど、鈍きやうにはべらむや、つひに澄み果てさせたまふ方、深うはべらむと、 思ひやられはべりてこそ
 「世間一般の目からは、さほど惜しくなさそうな人でさえ、心の中の執着、自然と多くございますものですが、ましてどうしてやすやすとお思い捨てになることができましょうか。そのような浅はかな出家は、かえって軽はずみなと非難されることも出てきて、なまじ出家しないほうがよいでしょうが、ご決心が、つきかねるようでいらっしゃるほうが、結局は澄みきった御境地に、至られましょうと、想像されます。
 「他人から見まして、この世に未練の残るわけもないような人も、その人自身には捨てられないほだしが幾つもあるものなのでございますから、ましてあなた様などがどうしてそう楽々と遁世とんせいの道をおとりになることがおできになれましょう。深い考えもなく出家をいたす者はあとで見苦しいことも起こして、かえってそうならねばよかったように世間から申されることもあるものでございますから、道におはいりになりますことをお急ぎにならずにおいでになりますのが、あとでごりっぱな悟りをおになる過程になるかと存ぜられます。
  "Ohokata no hitome ni, nani bakari wosige naki hito dani, kokoro no uti no hodasi, onodukara ohou haberu naru wo, masite ikadekaha kokoroyasuku mo obosi sute m. Sayauni asahe taru koto ha, kaheri te karugarusiki modokasisa nado mo tatiide te, nakanaka naru koto nado haberu wo, obosi tatu hodo, nibuki yau ni habera m ya, tuhini sumi hate sase tamahu kata, hukau habera m to, omohiyara re haberi te koso.
1.7.5   いにしへの例などを聞きはべるにつけても、心におどろかれ、思ふより違ふふしありて、世を厭ふついでになるとか。それはなほ悪るきこととこそ。なほ、しばし思しのどめさせたまひて、 宮たちなどもおとなびさせたまひてまことに動きなかるべき御ありさまに、見たてまつりなさせたまはむまでは、乱れなくはべらむこそ、心やすくも、うれしくもはべるべけれ」
 昔の例などをお聞きいたしますにつけても、心が動揺したり、思いのままにならないことがあって、世を厭うきっかけになったとか。それはやはりよくないことと申します。やはり、もう暫くごゆっくりあそばして、宮たちなどがご成人あそばして、ほんとうにゆるぎない地位を拝見あそばされるまでは、変わったことがございませんのが、安心で嬉しうもございましょう」
 昔の例を承りましても、突然心の傷つけられますような悲しみにあいますとか、大きな失望をいたしましたとか申すような時に厭世えんせい的になって出家をいたすと申すことはあまりほめられないことになっているではございませんか。もうしばらく御発心ほっしんをお延ばしになりまして、宮様がたも大人におなりになり御不安なことなどはいっさいないころまで、このままで御家族に動揺をお与えあそばさないようにしていただけましたらうれしかろうと存じます」
  Inisihe no tamesi nado wo kiki haberu ni tuke te mo, kokoro ni odoroka re, omohu yori tagahu husi ari te, yo wo itohu tuide ni naru to ka. Sore ha naho waruki koto to koso. Naho, sibasi obosi nodome sase tamahi te, Miya-tati nado mo otonabi sase tamahi te, makoto ni ugoki nakaru beki ohom-arisama ni, mi tatematuri nasa se tamaha m made ha, midare naku habera m koso, kokoroyasuku mo, uresiku mo haberu bekere."
1.7.6  など、いとおとなびて聞こえたるけしき、 いとめやすし
 などと、とても思慮深く申し上げた様子、本当に申し分がない。
 などとまじめに言っている明石に院は好感をお持ちになることができた。
  nado, ito otonabi te kikoye taru kesiki, ito meyasusi.
注釈108なほこそ人にはまさりたれ源氏の明石御方に対する感想。1.7.1
注釈109またかうざまにはあらでかれはさまことにこそ大島本は「かうさまにハあらてかれハさまことにこそ」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「かうざまにはあらでこそ」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。「かれは」以下「もてなしたまへりしか」まで、源氏の心中。紫の上を思い比べる。1.7.1
注釈110ゆゑよしをも『集成』は「たしなみのほども趣味の深さをも」。『完訳』は「そのお人柄やたしなみのほどを」と訳す。1.7.1
注釈111思し比べらるるにも大島本は「おほしくらへらるゝにも」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思しくらべらるるに」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.7.1
注釈112いかにして慰むべき心ぞといと比べ苦し大島本は「くらへくるしう」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「くらべ苦し」と「う」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『源氏物語引歌』は「世の中はくらべ苦しくなりにけり長く短く思ふ筋なし」(出典未詳)を指摘。1.7.1
注釈113こなたにては六条院の戌亥の町、明石の御方のもと。1.7.1
注釈114人をあはれと心とどめむは以下「もどかしきこと」まで、源氏の詞。1.7.2
注釈115この世に執とまるべきことなく大島本は「事なく」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「ことなくと」と「と」を補訂する。『新大系』は底本のままとする。1.7.2
注釈116身のいたづらにはふれぬべかりしころほひなど須磨明石流離のころをさす。1.7.2
注釈117命をもみづから捨てつべく野山の末にはふらかさむに『河海抄』は「身は捨てつ心をだにもはふらさじつひにはいかなると知るべく」(古今集雑体、一〇六四、藤原興風)を指摘。
【捨てつべく】-連語「つべし」強い意志を表す。
1.7.2
注釈118あるまじくなむ係助詞「なむ」は係結びの流れ。1.7.2
注釈119末の世に今は限りのほど近き身にてしも『完訳』は「「しも」に注意。晩年の、最期の時になって、かえって俗世の絆に深く関り今日に至ったとする」と注す。1.7.2
注釈120あるまじきほだし多うかかづらひて『源氏物語事典』は「世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそ絆なりけれ」(古今集雑下、九五五、物部吉名)を指摘。1.7.2
注釈121心弱うも、もどかしきこと大島本は「心よハうももとかしきことなと」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「心弱うもどかしきこと」と「も」を削除する。『新大系』は底本のままとする。『完訳』は「出家の初志を貫きえなかった気弱さとして自らを非難」と注す。1.7.2
注釈122さして一つ筋の悲しさにのみは紫の上の死去をさす。それと名指ししての意。1.7.3
注釈123いとほしう見たてまつりて主語は明石御方。1.7.3
注釈124おほかたの人目に以下「うれしくもはべるべけれ」まで、明石御方の詞。1.7.4
注釈125多うはべるなるを大島本は「おほう侍(侍+な<朱>)るを」とある。すなわち朱筆で「な」を補訂する。『集成』『完本』『新大系』は底本の補訂と諸本に従って「はべなるを」と整定する。1.7.4
注釈126いかでかは「思し捨てむ」に係る。反語表現。1.7.4
注釈127あさへたることはかへりて『集成』は「(たやすく出家するような)浅はかなことは」。『完訳』「深い道心に基づかない出家」と注す。1.7.4
注釈128思したつほど鈍きやうにはべらむやつひに澄み果てさせたまふ方深うはべらむすらすらと出家するよりも迷いに迷った末の出家のほうが悟りの境地に達しやすいだろう、という意見。1.7.4
注釈129思ひやられはべりてこそ係助詞「こそ」結びの省略、下に「あれ」などの語句が省略。強調と余意余情効果が出る。1.7.4
注釈130いにしへの例などを『花鳥余情』は花山院が弘徽殿女御藤原為光の女の死に際して俄に出家したが、後に俗世に再び執着した事例を引く。1.7.5
注釈131宮たちなどもおとなびさせたまひて大島本は「をとなひさせ給て」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おとなびさせたまひ」と「て」を削除する。『新大系』は底本のままとする。明石中宮腹の皇子皇女たち。1.7.5
注釈132まことに動きなかるべき御ありさまに『集成』は「本当にゆるぎないご身分と、お見極め申し上げなさるまでは。東宮(第一皇子)の即位のことなどをさす」と注す。1.7.5
注釈133いとめやすし『評釈』は「明石の御方の理知的な聰明な性格が、源氏の出家への歩みを説明する役割を与えているのである。その役割のはたしぶりを作者は、「いとめやすし」と賞めるのだ」と注す。1.7.6
校訂5 はべるなる はべるなる--侍(侍/+な<朱>)る 1.7.4
校訂6 あさへ あさへ--あ△(△/#さ)へ(へ/&へ) 1.7.4
1.8
第八段 明石の御方に悲しみを語る


1-8  Genji talks Akashi on his grief

1.8.1  「 さまで思ひのどめむ心深さこそ、浅きに劣りぬべけれ」
 「そこまで思慮深くためらい過ぎては、浅薄な出家にも劣ろう」
 「そんなになるまで待っていることが思慮深いのだったら、それよりもあさはかなほうがましなようだね」
  "Sa made omohi nodome m kokorobukasa koso, asaki ni otori nu bekere."
1.8.2  などのたまひて、昔よりものを思ふことなど語り出でたまふ中に、
 などとおっしゃって、昔から悲しい思いをし続けてきたことなどを話し出される中で、
 などとお言いになって、昔から悲しいことに多くあっておいでになった話もあそばされた。
  nado notamahi te, mukasi yori mono wo omohu koto nado katari ide tamahu naka ni,
1.8.3  「 故后の宮の崩れたまへりし春なむ、 花の色を見ても、まことに心あらばと おぼえし。それは、おほかたの世につけて、をかしかりし御ありさまを、 幼くより見たてまつりしみて、さるとぢめの悲しさも、人よりことにおぼえしなり。
 「故后の宮が御崩御なさった春が、花の美しさを見ても、本当に、花に心があったならばと思われました。そのわけは、世間一般につけて、誰が見ても素晴らしかったご様子を、幼い時から拝見し続けてきたので、そういうご臨終の悲しさも、誰より格別に思われたのです。
 「昔、中宮がおかくれになった春には、桜が咲いたのを見ても、『野べの桜し心あらば』(深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け)と思われたものですよ。それはごりっぱな方であることが小さいころから心にしみ込んでいたために、お崩れになった時にも私がだれよりもすぐれて悲しかったのです。
  "Ko-Kisai-no-Miya no kakure tamahe ri si haru nam, hana no iro wo mi te mo, makotoni kokoro ara ba to oboye si. Sore ha, ohokata no yo ni tuke te, wokasikari si ohom-arisama wo, wosanaku yori mi tatematuri simi te, saru todime no kanasisa mo, hito yori kotoni oboye si nari.
1.8.4   みづから取り分く心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり年経ぬる人に後れて、心収めむ方なく忘れがたきも、ただかかる仲の悲しさのみにはあらず。 幼きほどより生ほしたてしありさま、もろともに老いぬる末の世にうち捨てられて、わが身も人の身も、思ひ続けらるる悲しさの、 堪へがたきになむ。すべて、もののあはれも、ゆゑあることも、をかしき筋も、広う 思ひめぐらす方、方々添ふことの、浅からずなるになむありける」
 自分が特別に愛情をもったための、悲しみとは限らないものです。長年連れ添った人に先立たれて、諦めようもなく忘れられないのも、ただこのような夫婦仲の悲しさだけではありません。幼い時から育て上げた様子や、一緒に年老いた晩年に先立たれて、自分の身の上も相手の身の上も、次々と思い出が浮かんでくる悲しさが、堪えられないのです。すべて、心を打つ感動も、意味あることも、風流な面も、広く思い出すところの、あれこれが多く加わっていくのが、悲しみを深めるものなのでした」
 恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは別なものだと思う。長く同棲どうせいした妻に別れて、病的にまで悲しんで、その人が忘れられないのも恋愛の点ばかりでそうなのではありませんよ。少女時代から自分が育て上げてきた人といっしょに年をとってしまった今になって、一人だけが残されて一方がくなってしまったということが、みずからあわれまれもし、故人を悲しまれもして、その時あの時と、あの人の感情の美しさの現われた時とかあの人の芸術とか複雑にいろいろなことが思わせられるために、深い哀愁に落ちていくのです」
  Midukara toriwaku kokorozasi ni mo, mono no ahare ha yora nu waza nari. Tosi he nuru hito ni okure te, kokoro wosame m kata naku wasure gataki mo, tada kakaru naka no kanasisa nomi ni ha ara zu. Wosanaki hodo yori ohosi tate si arisama, morotomoni oyi nuru suwe-no-yo ni uti-sute rare te, waga mi mo hito no mi mo, omohi tuduke raruru kanasisa no, tahe gataki ni nam. Subete, mono no ahare mo, yuwe aru koto mo, wokasiki sudi mo, hirou omohi megurasu kata, katagata sohu koto no, asakara zu naru ni nam ari keru."
1.8.5  など、夜更くるまで、昔今の御物語に、「 かくても明かしつべき夜を」と思しながら、帰りたまふを、 女もものあはれに思ふべし。わが御心にも、「 あやしうもなりにける心のほどかな」と、思し知らる。
 などと、夜が更けるまで、昔や今のお話で、こ「うして明かしてもよい夜だ」とお思いになりながらも、お帰りになるのを、女も物悲しく思うことであろう。ご自身でも、「不思議なふうになってしまった心だな」と、思わずにはいらっしゃれない。
 などと、夜がふけるまで、昔をも今をも話しておいでになって、このまま明石夫人のところで泊まっていってもよい夜であるがとはお思いになりながら院のお帰りになるのを見て、明石夫人は一抹いちまつの物足りなさを感じたに違いない。院も御自身のことではあるが、怪しく変わってしまった心であるとお思いになった。
  nado, yo hukuru made, mukasi ima no ohom-monogatari ni, "Kaku te mo akasi tu beki yoru wo." to obosi nagara, kaheri tamahu wo, Womna mo mono-ahare ni omohu besi. Waga mi-kokoro ni mo, "Ayasiu mo nari ni keru kokoro no hodo kana!" to, obosi sira ru.
1.8.6   さてもまた、例の御行ひに夜中になりてぞ、昼の御座に、いとかりそめに寄り臥したまふ。つとめて、御文たてまつりたまふに、
 お帰りになっても、またいつものご勤行で、夜半になってから、昼のご座所に、ほんのかりそめに横におなりになる。翌朝、お手紙を差し上げなさるに、
 お帰りになるとまた仏勤めをあそばして夜中ごろに昼のお居間で仮臥かりぶしのようにしておやすみになった。翌朝早く院は明石あかし夫人へ手紙をお書きになった。
  Sate mo mata, rei no ohom-okonahi ni, yonaka ni nari te zo, hiru-no-omasi ni, ito karisomeni yorihusi tamahu. Tutomete, ohom-humi tatematuri tamahu ni,
1.8.7  「 なくなくも帰りにしかな仮の世は
   いづこもつひの常世ならぬに
 「泣きながら帰ってきたことです、この仮の世は
  どこもかしこも永遠の住まいではないので
  泣く泣くも帰りにしかな仮の世は
  いづくもつひのとこよならぬに
    "Naku naku mo kaheri ni si kana kari no yo ha
    iduko mo tuhi no tokoyo nara nu ni
1.8.8   昨夜の御ありさまは恨めしげなりしかど、いとかく、あらぬさまに思しほれたる御けしきの心苦しさに、身の上はさしおかれて、涙ぐまれたまふ。
 昨夜のご様子は恨めしげに思ったが、とてもこんなに、まるで違った方のように茫然としていらしたご様子がお気の毒なので、自分のことは忘れて、つい涙ぐまれなさる。
 という歌であった。昨夜ゆうべの院のお仕打ちは恨めしかったのであるが、こんなふうに別人であるように悲しみに疲れておいでになる御様子を思っては自身のことはさしおいて明石は涙ぐまれるのであった。
  Yobe no ohom-arisama ha uramesige nari sika do, ito kaku, ara nu sama ni obosi hore taru ohom-kesiki no kokorogurusisa ni, mi no uhe ha sasioka re te, namidaguma re tamahu.
1.8.9  「 雁がゐし苗代水の絶えしより
   映りし花の影をだに見ず
 「雁がいた苗代水がなくなってからは
  そこに映っていた花の影さえ見ることができません
  かりがゐし苗代水の絶えしより
  うつりし花の影をだに見ず
    "Kari ga wi si nahasiromidu no taye si yori
    uturi si hana no kage wo dani mi zu
1.8.10  古りがたくよしある書きざまにも、 なまめざましきものに 思したりしを、末の世には、かたみに心ばせを見知るどちにて、うしろやすき方にはうち頼むべく、思ひ交はしたまひながら、またさりとて、ひたぶるにはたうちとけず、ゆゑありてもてなしたまへりし心おきてを、「人はさしも見知らざりきかし」など思し出づ。
 いつ見ても相変わらず味わいのある書きぶりを見るにつけても、何となく目障りなとお思いであったが、晩年には、お互いに心を交わし合う仲となって、安心な相手としては信頼できるよう、互いに思い合いなさりながら、またそうかといってまるきり許し合うのではなく、奥ゆかしく振る舞っていらしたお心遣いを、「他人はそこまで知らなかったであろう」などと、お思い出しになる。
 いつも変わらぬ明石の返歌の美しい字を御覧になっても、この人を無礼な闖入者ちんにゅうしゃのように初めは思っていた女王が、近年になって互いに友情を持ち合うようになり、自尊心を傷つけない程度の交わりをしていたのであるが、明石はそれとも気がつかなかったであろうなどとも院は来し方のことを思っておいでになった。
  Huri gataku yosi aru kaki zama ni mo, nama-mezamasiki mono ni obosi tari si wo, suwenoyo ni ha, katamini kokorobase wo misiru-doti nite, usiroyasuki kata ni ha uti-tanomu beku, omohi kahasi tamahi nagara, mata saritote, hitaburu ni hata utitoke zu, yuwe ari te motenasi tamahe ri si kokorookite wo, "Hito ha sasimo misira zari ki kasi." nado obosi idu.
1.8.11  せめてさうざうしき時は、かやうにただおほかたに、うちほのめきたまふ折々もあり。 昔の御ありさまには、名残なくなりにたるべし
 たまらなく寂しい時には、このようにただ一通りに、お顔をお見せになることもある。昔のご様子とはすっかり変わってしまったのであろう。
 お寂しくてならぬ時にだけは明石夫人のその場合のような簡単な訪問を夫人たちの所へあそばされる院でおありになった。妻妾さいしょうと夜を共にあそばすようなことはどこでもないのである。
  Semete sauzausiki toki ha, kayauni tada ohokatani, uti-honomeki tamahu woriwori mo ari. Mukasi no ohom-arisama ni ha, nagori naku nari ni taru besi.
注釈134さまで思ひのどめむ以下「劣りぬべけれ」まで、源氏の詞。『集成』は「結局いつまでたっても出家を遂げられぬことを恐れる」と注す。1.8.1
注釈135故后の宮の以下「なむありける」まで、源氏の詞。藤壺の宮をさす。1.8.3
注釈136花の色を見てもまことに心あらばと『源氏釈』は「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」(古今集哀傷、八三二、上野峯雄)を指摘。1.8.3
注釈137幼くより見たてまつりしみて源氏の継母。元服以前にはその御簾の中に入ることも許された。1.8.3
注釈138みづから取り分く心ざしにも、もののあはれはよらぬわざなり『集成』は「自分が特別深い愛情を持っているから、特に無常の悲しみが深いとも限らぬようです。藤壺の死をこれほどまで悲しむことについての弁解」。『完訳』は「心にしみる哀感というものは、自分がその人にとりわけ深く思いを寄せているからとはかぎらないのです」と注す。1.8.4
注釈139年経ぬる人に紫の上。1.8.4
注釈140幼きほどより生ほしたてしありさま藤壺の場合の「幼くより見奉りしみて」と同じ。共に過ごしてきた長い歳月の重みがある。1.8.4
注釈141堪へがたきになむ係助詞「なむ」の下に「はべる」などの語句が省略。1.8.4
注釈142思ひめぐらす方方々添ふことの大島本は「おもひめくらす方かた/\そふ事」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「思ひめぐらす方々」と「方」を削除する。『新大系』は底本のままとする。1.8.4
注釈143かくても明かしつべき夜を源氏の心中。1.8.5
注釈144女もものあはれに思ふべし大島本は「おもふへし」とある。『集成』『完本』は諸本に従って「おぼゆべし」と校訂する。『新大系』は底本のままとする。『岷江入楚』所引「箋」(三光院)は「草子地也」と指摘。1.8.5
注釈145あやしうもなりにける心のほどかな源氏の心中。『完訳』は「源氏も、明石の君のもとに泊ろうともしないわが心を見つめる」と注す。1.8.5
注釈146さてもまた例の御行ひに『集成』は「お帰りになってもまた、いつものように仏前のお勤めをなさり」と注す。1.8.6
注釈147夜中になりてぞ昼の御座にいとかりそめに寄り臥したまふ寝所でないところでの仮眠であることを強調。1.8.6
注釈148なくなくも帰りにしかな仮の世は--いづこもつひの常世ならぬに源氏から明石への贈歌。「鳴く」「泣く」、「雁」「仮」の掛詞。「常」に「床」を響かせる。「雁」と「常世」は縁語。『河海抄』は「おきもゐぬ我が常世こそ悲しけれ春帰りにし雁も鳴くなり」(後拾遺集秋上、二七四、赤染衛門)。『大系』は「白露の消えにし人の秋待つと常世の雁も鳴きて飛びけり」(斎宮集)を指摘。『集成』は「雁は、北の常世の国(不老不死の仙境)から渡ってくると考えられていた。三月、帰雁の季節に寄せて詠む」。『完訳』は「北(常世)に帰る「雁」に源氏自身を見立て、「常世」に「床」をひびかせ、永遠にと願った紫の上との共寝も終った、と嘆く歌」と注す。1.8.7
注釈149昨夜の御ありさまは『完訳』は「以下、明石の君に即した行文」と注す。1.8.8
注釈150雁がゐし苗代水の絶えしより--映りし花の影をだに見ず明石御方の返歌。「雁」の語句を受けて詠み返す。『河海抄』は「何方も露路と聞かば尋ねまし列離れけむ雁の行方を」(紫式部集)。『花鳥余情』は「秋の夜に雁かも鳴きて渡るなり我が思ふ人の言づてやせし」(後撰集秋下、三五七、紀貫之)を指摘。「苗代水」は紫の上を、「花」源氏を喩える。紫の上の死後、源氏の訪れがないことをいう。1.8.9
注釈151なまめざましきものに以下「見知らざりきかし」まで、源氏の心中。1.8.10
注釈152思したりしを主語は紫の上。1.8.10
注釈153昔の御ありさまには名残なくなりにたるべし語り手の推量。1.8.11
出典7 心あらば 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け 古今集哀傷-八三二 上野岑雄 1.8.3
Last updated 9/22/2010(ver.2-3)
渋谷栄一校訂(C)
Last updated 8/16/2010(ver.2-2)
渋谷栄一注釈(C)
Last updated 2/12/2002
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kompass(青空文庫)

2004年2月6日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

2005年7月20日

Last updated 8/16/2010 (ver.2-2)
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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